29:名無しNIPPER
2020/11/08(日) 09:21:58.03 ID:FQVp12gN0
X ステップ・アゲイン
物語が終わらなければ幸福なんだとしても、時計の針は進めるべきだと思うんだ。
(双葉杏/アイドル)
「……つまり、そういった場を作るのは難しいと」
「そうなりますね。他の方法を考えるしか」
別日、事務所。応接室で向かい合うエージェント、プロデューサー、そしてライラの三人。後ろには少し離れて、ライラのメイドも立ち控えている。
エージェントからの連絡により、再度議論の機会を持ったプロデューサーたち。幾らかの方策が提示されたのだが、なかなかうまく話は進まない。もっとも、そう容易い話でないのは誰の目にも明らかではあるけれど。
「まず擦り合わせるべきはお父様に今、ライラ様の『何を』『どこまで』お伝えすることが大事か、ということです」
そしてそれにはお父様の昨今の事情の共有とともに、ライラ様が今できることの把握が必要になります。だからこそ、私の知る情報も、プロデューサー様の認識されている情報も必要になります。エージェントのこうした説明から今日の会話は始まった。
彼は変わらず丁寧さに溢れた立ち回りだった。そして直近のライラ父の状況を説きつつ、こういうアプローチはどうでしょうか、あるいはこういうのは、と案を幾らか示してみせた。そこにプロデューサーが可能なこと、問題点、代案などを意見しつつ返す。隣に座るライラの様子も伺いつつ。
「しかし、今の活躍ぶりをお見せすることが効果的かとは思うのですが」
「とはいえ活動から何かを判断されるというのであれば、ただ見せるだけというのは逆に危険が伴うのではないでしょうか」
プロデューサーが指摘する。アイドルカルチャーというのはある種独特なものです。芸術の振興がどれだけあったとしても、歌や踊りそのものの技術論や高尚な文化論に掛かるところで価値を見てしまわれるのであれば、極東のアイドルのそれは理解しづらいところがあるのではないでしょうか、と。
しばらく様々な案が行き来を繰り返していた。両者とも穏やかなトーンではありつつも、なんとか光明を見出したい、そう思って必死に頭を捻っていた。
ライラももちろん一緒に参加していたし意見を交わしていたのだが、いかんせん二人には思索の早さで及ばない。できることとできないことの判断を一緒におこなうのがやっとだった。それでもついていきたい。だってこれは、自分のことなのだから。
しかし、彼女の表情に焦りが見え始めた頃に、プロデューサーが小さな声でそっと「大丈夫」と言って笑顔を見せた。緊張感がふっ、と緩んだ気がした。彼は何事もなかったように話を続けたが、それは結果的にとても大事なフォローになったといえる。
ライラは改めて、隣で話すプロデューサーの姿に目を奪われていた。エージェントからの様々な提案をきちんと受け止めつつ、仔細なポイントにまで目を光らせ、意見を返し、無理なことは無理とはっきり伝える。可能な限り争うことなく、なんとかライラの故国との妥結点を模索し続けていた。
「……ライラ?」
見入ってしまっていたライラに気づいたプロデューサーが声を掛ける。あ、いえ、なんでもございませんですよ、と慌てて反応する彼女の姿に少し違和感を覚えつつも話を戻す。
「……では、バックステージ的な要素はどうでしょう」
エージェントの提案がまた一つ。練習風景や舞台裏の空気感など「過程」を見せたうえで、ステージ上の姿に帰結するようにするのはどうか、と。
「……それなら意味もあるかもしれませんね」
あるいは、日常の情報も織り交ぜつつの方がいいかもしれません。そうプロデューサーは返答した。
「彼女はここに来て、さまざまな人とふれあい、感じ、様々な学びを得てきたと思います。それはアイドル活動に限った話ではありません」
それを示すことは何より、日本でしっかりと生きているというメッセージでもありますから。彼の説明に、エージェントも頷いた。
プロデューサーがライラの方へ向き直る。どう思う? という表情なのが彼女にも見て取れた。ようやく目の前の二人の意見が方向を見つけつつあったのはわかる。だが。
「……すみませんです、えっと、……少し考えさせて、くださいませんか」
ライラの反応は芳しくなかった。
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