ライラ「アイスクリームはスキですか」
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17:名無しNIPPER
2020/11/08(日) 09:10:51.05 ID:FQVp12gN0

 V メッセージ・イン・ア・ボトル


 この世は皆、おしなべて理不尽。それを愛せることが生きる秘訣。
 (相川千夏/アイドル)
   
「最後のところ、もう一回いきましょう」
 トレーナーの指摘が入る。にわかに緊張感も高まっている今日このごろ。それは彼女の参加するライブが近づいてきている証でもあった。
 プロデューサーの積極的な動きもあり、ライラは既にここから三本のライブ予定が入っている。直近のものは彼女メインのステージではないものの、演目内容的には最近取り組んでいることを実践するタイミングでもあった。だがライラの進捗はあまり思わしくない状態になっていた。
「動きとしては悪くありません。綺麗だし、表情もしっかり見せられるようになってきました。ただどうしても、細かなアラが出てしまう時が多いというか」
 トレーナーの言葉に集約される。できなくはないが、ミスもしがち。精度がまだ追いついていない。そんな感じだった。
「積み重ねるしかないね。焦らずしっかり頑張ろう」
 それと、ライブに向けて気持ちも高めていこう。プロデューサーがそんな後押しの言葉を添える。はいです、とライラもうなずいた。彼女自身、決して不真面目にやっているわけではないし、むしろここ最近の追い込みぶりは評価も高い。まだ詰めきれていないだけなのだ。だけどそのままステージにあがることは許されない。それは共演者にも、ファンにも失礼だから、と。
 鏡の前で自分と向き合うライラ。額の汗に、疲労の表情に、ジャージ姿の自分に、少しでも前に進んだと感じられるところを求めつつ。結果を信じつつ。
「……もう少し、残って練習させてくださいませんですか?」
 気持ちは充実しているな、とプロデューサーも感じた。あとは技術面。

 帰り道、今日は公園を通った。ここはライラのお気に入りの一つだった。季節の変化が楽しめるし、ベンチもある。知らない人もたくさん行き交うし、そこにたくさんの人間模様が見られるから。
 日本に来て、公園を訪れてライラは少し驚いた。溌剌としたマラソンランナーや元気な子供たち、朗らかな親子連れなどがいる一方で、この国のイメージにそぐわないほどのため息や落胆、疲れややるせなさを見せる人々でもあふれていた。ベンチに座った何人かには話し掛けてみたこともある。愚痴をこぼす人もいれば反応すら薄い人もいた。一息ついて立ち直った人もいれば、どうしようもないままの人もいるらしい。
 みんな辛いこともあるのだ。

 お気に入りのベンチに腰を下ろすライラ。ここは木陰に入るため少しだけ暑さが穏やかだ。とはいえ湿度の高い日本の夏。去年も今年も、彼女にはなかなか堪えるものがある。それでも、この場所は好きだった。理由はいろいろあるけれど。
 セミの声を聞く。わずかに風が吹き抜ける。彼女が見上げる空は今日も青かった。
 東京の空は低い、なんて言葉があるらしいとライラが聞いたのは最近のこと。文学作品の一節に端を発している言い回しなのだとか。空気の透明度が低いからだろうと晶葉が教えてくれた。早い話が、濁っているほどそう感じるのだ。
「だから大自然のところでは高く感じるし、東京でも冬は空気が澄んでいるぶん、夏よりは少し高く感じるだろうな」
 彼女の言葉が印象的だった。
 大都会を揶揄する意味もある言葉なのだということはライラにも少し理解できた。では故郷はどうだろう。低かっただろうか。思いを馳せる。高い建物がたくさんあったことは確かだけれど。
 個人的には、空が低いかどうかはピンとこないな、とライラは思った。空はそこにあるし、届かないくらいに雲も星も彼方だ。際限のない世界がそこに広がっていると思うと、それは向こうともつながっているような実感がある。それでいいような気がした。

「ライラ様」
 声に気づき視線を移してようやく、メイドがそばにいることに気づいたライラ。
「おー、お疲れ様でございます。今お帰りでございますかー」
「はい。ございます」
 少しだけ不格好な挨拶と優しい笑みが交わされる。聡明で努力家なメイドではあったが、ライラが学び得ている日本語同様、どこかしら不自然なものが混ざることがある。それは語学習得の難しさの現れでもあるし、実は彼女が「ライラの日本語」を大好きなせいでもあるのだけれど。
 ベンチの臨席を促すライラを彼女が制した。
「お話もよいですが、そろそろ帰るのはいかがでしょう。続きは家で伺いますから」
 柱に下がる時計に視線を移すライラ。まだ明るいものの、たしかに帰りどきかもしれなかった。はいです、と答えつつ立ち上がる。
「そういえばお腹も空いてきましたですね」
「ライラ様のそういう素直なところ、よいと思いますよ」
 雑談を交えながら帰路につく。

「……エージェントはその後、現れたりしていませんか?」
 話は変わって先日の来訪者の件になった。特には、とライラが答える。先日の急な訪問は本当に寝耳に水だったせいもあり、メイドに知らされたのは同日夜のことだった。様々な事情を鑑みるにしても唐突だし、直接アイドル事務所にやってきたこと含め、メイドにとっては釈然としないことが多かった。そして力になれなかったことも悔いた。
「また現れたらまず私が話しますから、すぐにご連絡をお願いします。先日はプロデューサー様も真摯に丁寧にご対応くださったとのことですが、あまりご迷惑をかけてばかりもいられませんし」
「大丈夫でございますよ。それに」
 優しい表情のライラが彼女を見つめる。
「それにきっと……、プロデューサー殿はこれからも一緒に対応してくださると思いますです、ね」
 だから我々も前向きにいきましょう。言葉尻に少し照れを隠せないライラではあったが、いつになく強くて暖かい姿がそこにあった。
「ライラ様、最近すこし大人びた感じが致しますね」
 きっとアイドル活動がいい状態なのでしょうね。そして周囲のみなさまにも恵まれているのでしょう。メイドはそう続けた。その見立ては間違っていないのだが、ライラにとってはうまく返答しづらいところでもあった。
「頑張ってはいますですが、まだまだ課題いっぱいでございますよー」
 レッスンの失敗の話を始めるライラ。自分の未熟さはよくわかっている。
 ひとしきり聞きながら、メイドが暖かな言葉を返す。
「きっと大丈夫ですよ、ライラ様なら」
 信じる気持ちとともに交わされる「きっと」が、なんだか素敵なもののように感じられた。

 ひょっとして……、という話もメイドは続けようとしたが、それは思いとどまった。恋や愛といった話は自分もよくわからないし、それを彼女相手にしていいのかもわからなかったから。



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