ライラ「アイスクリームはスキですか」
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15:名無しNIPPER
2020/11/08(日) 09:09:19.31 ID:FQVp12gN0

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 ライラはその日、父の夢を見た。敬愛する父の夢を。
 偉大で、人望があって、たくさんの人を束ねている、アラブ屈指の資産家の当主。蓄財はもちろん、モノの動かし方にも長けており、また慈善活動などにも積極的。かの有名なロックフェラーの一族よろしく「お金を使うのもうまい人」だった。決して怖い人ではなかったし、行動力があって、決断力があって、いつだってライラに多面的な見方や正しさ、適切さを教えてくれた。
 父と過ごす時間はライラの幸せの一つだった。
 想いや考えを言葉にすること。口にすること。伝えること。それは何より大切である。はじめにそれをライラに教えてくれたのは父だった。成すべきことをきちんと公言し、そして実践する。それが信頼に繋がるから、と。ライラはその言葉も、実践してみせる父の姿も、意気揚々と話してみせる様子も好きだった。
 幼いライラは好奇心のままに思うことを述べ、「それは違うんだよ」と正されることもしばしばあった。しかしそういう時、ライラの父はいつだって楽しそうだった。様々な質問や疑問に対し、ライラが理解するまで何度も何度も丁寧に教え説いてくれた。愛に溢れた父の姿がそこにあったのは間違いない。
 一方で、国の動くような大きな事業にさえ携わっているライラの父には、当然ながら厳格さや怖さも常に見え隠れしていた。たくさんの人に慕われていたし、立派な人として名が通っていた。ライラも自らの成長とともに、父の立場やその存在の大きさが少しずつ認識できるようになり、少しずつわきまえるようになっていった。娘には変わらず優しい父だったが、邪魔にならないように、機嫌を損ねないようにと意識する娘の姿もそこにはあった。

 やがてライラのもとにも、結婚の話が舞い込むようになる。
 始まりは十四の誕生日だった。一族の暖かな祝福に囲まれた席上で、ライラの父は心からの愛とともに「ライラの結婚相手を探し始めよう」と宣言した。いささか気が早いのでは、という母の言葉は一蹴された。彼女に相応な、立派な相手を探すのに早すぎることはないと。
 それ以降、会う人に娘を紹介したり、年頃の男性がいないか調べたりするライラ父の姿がしばしば見かけられるようになる。相手は名家の子息だったり、実業家の二代目だったり、あるいは有名な若い人気役者だったり。それは決して不思議なことではなく、一族的にも、社会風習的にもよくある話といえばそうだった。ライラ自身、それを不思議に思うことも、否定することもなかった。そういうものだろう。自分もそういう歳になったのだろうと。
 当人不在で進んでしまう盲目片手落ちな話は古今東西あふれているが、そこは徹底主義のライラ父。彼女本人とのコミュニケーションも決して欠かすことはなかった。―― ライラと顔を合わせるたびに結婚が素敵なものだと説き、相手候補になりそうな人物の話をし、いずれ縁があるかもしれない企業の話をした。―― それは父なりの精一杯の愛だったのだと、ライラは思っている。

 十四歳の誕生日を最後に、以後二人の間に「会話」がなされることはなかったのだけど。

 ライラにもやってみたいことはたくさんあったし、好奇心の矛先はいっぱいあった。けれどそれが地元の名士の娘にふさわしいことかどうかは考えたし、その結果断念したことも多かった。それを辛いと思うことはなかった。そのはずだった。
 この頃に前後して、ライラは屋敷の奥部屋に膨大に並べられている書籍に興味を持った。神話に童話、歴史書に随筆、小説から詩まで、知らない世の中の様々な物語が眠っていた。好奇心の赴くままに、ライラは少しずつ読み深めるようになる。
 かつてイベリア半島の広大な王国を一身に担うこととなった女王ファナは愛ゆえに狂気の化身となってしまったという。はたして彼女は幸せだったのだろうか。国を担ったのは運命の歯車の賜物でしかなく、躍進と栄華の最中にあってなお満ちぬ思いと不安に追われ続けた彼女は幽閉されて人生を終える。しかしその逸話はどこを取っても夫への愛に溢れていた。狂女王などと呼ばれる悲哀の人。しかしそれほどに愛することができた彼女は、ひょっとすると幸せだったのかもしれない。
 狂気の話はアラブにもあった。皮肉にもそちらは愛される人物の名がライラだったりするのだけれど。こちらはどうあれ悲恋だし悲劇だ。想いが強かろうと、マジュヌーンもまた救われない。しかし皮肉にも、恋焦がれ、愛に尽きるその物語は名文とされていた。
 恋愛とは異なるが、はるか東洋には狂気の末に虎へと変貌してしまったお話もあった。それは己にそれだけの自負や自尊心があったため招いた「個としての悲劇」とされる。背負わなければ苦しまずに済んだろうと言うのは容易い。しかしそうはできないのだ。比喩のようでいて、どこか笑えないものでもあった。愚かさは古今変わらぬ人間の業だという。生きるとはかくも難しく、そして様々である。
 愛のそばにしばしば寄り添って現れる「狂気」という単語が、ライラの中で印象に残るようになっていた。
 ライラは思う。己の運命を否定するつもりは少しもないし、自分の人生はじゅうぶんに幸福だ。日々は小さな発見の連続だし、きっとこれからもそう。そういうもの。ただ、時の流れや世情の変化の中で失われていくものも当然あって、父との会話がそこに当てはまるのが残念だと。―― いや、より厳密に言えば、父は今もそこにいて、笑顔を見せてくれるし、愛をもって自分に接してくれる。でも結婚以外の話が交わされることは、きっともうない。それは尚更悲しいことだった。
 どこかやるせなさや鬱屈さのようなものは存在したし、それは少しずつ彼女の中に募っていた。同時に外の世界への好奇心も。



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