13:名無しNIPPER
2020/11/08(日) 09:08:00.86 ID:FQVp12gN0
* * * * *
「お待たせしました」
いつになく緊張感が漂う応接室に入るプロデューサー。
そこで彼が対峙したのは紳士然とした風体の外国人男性だった。ライラと似ているようで違うようで、そんな紺碧の瞳が印象的。
「初めまして。唐突で不躾な訪問をお許しください」
自己紹介を受ける。ライラの両親に頼まれてやってきたエージェントだという。黒服のSPみたいな人物が現れるのかと思ったらそうではなく、話のできそうな感じのビジネスマンがそこにいた。いや、むしろ警戒が必要かもしれないなとプロデューサーは思った。
ライラも一言だけ、エージェントの男性と挨拶を交わした。アラビア語らしき言葉はプロデューサーたちにはわからなかったが、どうやら面識があるらしいことだけは周囲にも察しがついた。とはいえ、顔は強張ったままのライラ。不安でいっぱいなこともまた事実だった。
挨拶が済んだ男性がプロデューサーの方に向き直る。
「いくつかお話をできればと思うのですが……、まずその前に、ライラ様を救ってくださったこと、今なお生活面含め様々にサポートしてくださっていること、母国の親族に代わってお礼を述べさせてください。本当にありがとうございます」
深々と頭を下げるエージェント。流暢な日本語だった。
「いえいえ、それは様々な偶然が重なってのことです。頭をあげてください。話を進めましょう」
プロデューサーが応じつつ先を促す。本題はここからだ。しかしキッチリとした礼から入ってこられたことに、内心少しだけほっとするところもあった。ひとまず、高圧的あるいは暴力的に何かがなされることはない様子だったから。
「……私たちはライラ様の、そして皆様の味方である、ということを説明させてください」
エージェントが言葉を選ぶように、丁寧に切り出す。
結論から言えばライラを連れて帰ろうというものではない。どのような状態でいるかのより詳細な確認がしたくてここに来たということ。皆心配していたし、何をおいてもまずそのことであろうと。
何人ものエージェントの尽力により、ライラの消息が日本で確認でき、アイドル活動をしていることを数ヶ月前にようやく把握した。そしてその活動や人間関係を通じて彼女が成長していることを窺い知ることもできた。前向きに努力し、学び、苦労をしながらも生活していること。周囲の人間に恵まれていること。今を大切に思っていること。その事実に皆まず安堵したこと。何一つ否定するつもりはないし、むしろ逃避行する決断をさせてしまった事実について謝らねばならない、とお父様も述べている状態であること。
その言葉を聞いて驚きを隠せないライラ。エージェントは言葉を続けた。
ただ一方で、一族には一族の守らねばならないこともあるし、邁進しなければならない父の事情は父の事情として存在すること。父にも思いがあるし、責務もあるし、譲れない部分もあるということ。そのうえで、決してこのまま今生の別れとするわけにはいかないということ。
「そこで私がやってきた、ということになります」
エージェントは改めて己の使命を説明した。連れて帰れと言われているわけではなく、もう一度わかり合えるよう、よい関係にしていくよう策を案じよと言われているのだと。それは穏やかな言葉のようではあるが、しかし、具体的にどうするかとなると難しい。
「本音としては、お父様も、家族の皆様も帰国を望まれている、と思います」
それが偽らざる真意であろうと。しかしライラの意思を無視して連れて帰ることは決して望ましい形ではないだろうと。皆にとってよい結論を探していく必要がある。
「私は個人的に、ライラ様にも笑顔でいて頂きたいですし、母国の皆様にも納得できる何かをお届けしたい。そのためには時間をかけて双方に話を掛け合い、慎重に策を考えていきたいと思っています」
事を荒立てたりするつもりも、無下なことを述べるつもりもありません。ですので今後もなにとぞご協力、ご斟酌頂ければと思います。そう言ってエージェントは再び深く頭を垂れた。
「……」
どう反応していいものか、プロデューサーは少し戸惑っていた。こういう人たちが現れる日が来ることは可能性として十分にあったのだけど、準備ができていなかった。しかしそれ以上に、思った以上に柔和な対応で苛烈な提案もなかったことに少し安堵していて、同時にそれが少し怖くもあった。
プロデューサーがライラを見る。彼女もまた、この来訪に備えていなかったのだろうことが伺えた。少しだけ俯いたのち、おもむろに口を開いた。
《連れて帰れではなく、よい関係にしていく策を案じよと》
《はい》
《それは、お父様からの命ですか》
《もちろんです》
《それは》
《はい》
《……それは、その……》
続く言葉が紡げなかったライラ。それは父の体面を保つためのことでしょうか。その質問はさすがに失礼だと感じたから。目の前のエージェントにも、父にも。
沈黙があった。ライラは黙ってうなずいて見せた。
「重ねてになりますが、私はライラ様の、そして皆様の味方です。なにとぞ、ご協力を頂ければ幸いです」
またお伺いします。そう言って再度の丁寧な挨拶とともに、彼は事務所をあとにした。
出入り口の扉が閉まると共に、ようやく事務所の空気が緊張から開放された。
大きく息を吐くプロデューサーに、ライラがぺこりと頭を下げた。
「プロデューサー殿、すみませんです。ライラさんのことでまたご迷惑をお掛けしてしまって」
「そんなことはないよ、大丈夫だから」
「ですが」
言い続けようとするライラを静止するプロデューサー。自戒の言葉は必要ない。それははるか日本にやってきたこの子を、あの日出会ったライラという少女を、アイドルとして受け入れる時に始まった運命の一端にすぎない。その思いは変わらないのだから。
「大丈夫。でもあの人はまた来るだろうし、今後もこういう応対はあるということだから」
そのへんの心づもりはしておかなきゃね、と笑顔を返した。その表情にいくらか気分が落ち着いたのか、ライラもようやくゆっくりと息を吐いた。
そして、もう一つ、話せていなかったことを詫びた。
「じつは先日、アパートに手紙が届いておりました」
文言がどのようなものであったかも説明した。うまく自分の中で飲み込めずいたので話せなかったということも。プロデューサーは頷きながら話を聞いた。
「大変だったんだね。察してあげられなくてごめん」
「そんなことないです。そんなこと」
涙目になりそうなライラをそっと撫でて、少し落ち着くまで待つプロデューサー。
「いっしょに向き合っていこう。大丈夫。向こうも何かを急いているわけではないから」
頷き合う。そう言いつつも、彼の言葉をどこまで信じていいのかは、まだわからない。不安がないと言えば嘘になる。プロデューサーはそんな感覚に囚われていた。
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