11:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/11(木) 19:48:11.40 ID:fM9nM/xA0
多少の申し訳なさを感じながら覗き込んだ顔は、昼寝をしているように穏やかだった。そこに苦痛はないようにさえ見えた。
それでも、さらさらと、今も少しずつ透明な何かが彼女から剥離しているのだろう。
そして、その原因はわからない。倒れた理由も、いつまで無事でいられるのかも、何が剥離しているのかも、意識が戻るかどうかも、全部が全部不透明で宙ぶらりんなまま、ちとせは病室の中でたゆたっている。
優しい子だ。言葉に詰まって、手持ち無沙汰になった右手でエナジードリンクのプルタブを起こしながら、十時さんを一瞥すれば、彼女は祈りでも捧げるように悲しげな顔をして何事かを考えているようだった。
人間は、知らない人間のことに関心が持てない生き物だ。例えばソーシャルネットワーキングサービスの類いでそんなことを呟けば、正気を疑われるか、主語がでかいだとかいわれそうなものだが、事実として俺がエナジードリンクを開けて口に運ぶ間にも、地球の表と裏、北と南に東と西を問わず、どこかで誰かが死んでいる。
そのことについて何か思うところがないのかと問われて、即座にはい、と答えるのは良心が咎めるけれど、結局のところ知りようがないし、知ったところで、自分と関わりのない人間の生き死にを悲しんでくれなんて、難しい話だ。
それでも、十時さんならきっと食事を辞めて、名前も知らない誰かのために祈ったりするのだろう。
彼女は聖女でも何でもない。ちとせのことを悲しんでくれているのだって、この事務所という縁あってのことだろう。
それでも、彼女はそういう風に消えていくことについて、さらさらとこぼれ落ちていく透明な何かについて祈りを捧げることができる。
きっとこの世界で、多くの人がどこかに落っことしたか、自分で踏み砕いてしまった優しさがあるのだと、ゆっくりと持ち上げられていく瞼と、その眦に滲んだ一滴の涙が物語っていた。
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