周子「だから、あたしが逢いに往く」
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45:名無しNIPPER
2020/05/05(火) 20:26:22.82 ID:XnGtX3Tv0

 巨大な黒い狐。
 一言で形容すればそうなるだろう。
 かつて紗枝が見惚れた美しき姿はすでにそこにない。
 周子はその姿を産み落とされたその当時のそれに切り替えた。

 象ほどの大きさがあるがその形は狐に近い。
 そのどす黒さは炎か泥か狐の毛皮か。
 この世全ての恨みつらみを煮詰めたような黒より暗い歪な揺らめきが偶然にも四肢と尾のある獣に見えると言った方が正確かもしれない。
 周子、いや醜狐を覆うその黒はそこから際限なく溢れ出し津波のように三人に押し寄せる。
 
 これに触れればただでは済まない、心がこの殺意の兆候を目で捉えた直後に抱いた予感は今や確信に変わる。
 黒に触れた柱がみるみるうちに汚染され襖は四方とも押し流されていく。
 心は茄子と芳乃の結界が自分と同じく間に合っていることに安堵しつつ、眼前の妖を睨みつける。

「急にキレたかと思ったら悪趣味な物出しちゃってさぁ、畳のお部屋は綺麗に使いなさいって教わらなかった?んなことしてもこっから出してやんねーぞ」 

「出さぬなら壊して出るまでや」

「はん、こんな洪水程度じゃ結界は破れねぇっての!」

「あんたらはどうでもええ、壊すんはこっちや」

「なーに言ってやが……!」

 嫌な、予感がした。
 術による空間は今回のように部屋を模していたとしても、その見た目に留まらず実際にはさらに先まで広がりうるものである。
 周子が最初にいくら駆け抜けようがその先に同じ部屋が広がり続ける仕掛けもそれを応用したものであった。
 言わばもう一つの架空の世界に迷い込んだにも等しく、いくら端を探そうと物理的な壁や出口を見つけることはできない……基本的には。

 だが、空間と言えども正確には無限ではない。無限に見せかけているだけだ。
 迷い込んだ者が進む方向へ空間を広げ反対方向を削ることで、常に空間の中心に相手を留める術。
 それは無限の奥行を錯覚させるものであり決して真の無限ではない。
 それでも常識的に考えて空間の規模は十分。
 この土地の地下を走る霊脈、御所だからこそ仕掛けられる設備、先人たちの残した陣、そしてこの三人の術。
 それらをもって空間は全方位の地平線まで同時に再現できるまでの広さを達成できていた。
 そう、この空間を質量で埋めるなど

「そんなこと……できるはずが……」

 心は自身のことを勘が鋭い方だと思っていた。
 それは今でも変わらないし、その勘はよく当たる。
 ここまでの立場に登りつめたのもそのおかでもあると思っている。

 しかしそれ故に分かってしまった、理解してしまった。
 できればこんなことなど気付きたくはなかった。
 それほどまでの絶望の予感。

 この妖は“本気”なのだと
 それも精神の問題ではなく“実際にできる”のだと。

 ふと気がつくと、押し寄せる黒の嵩が増していた。
 眼前の妖から溢れ押し寄せるそれの勢いが増したからではない。
 この空間の四方八方の境界に到達し、それでもなお押し寄せ続け、桶の水嵩の如く増し始めたのだ。

「バケモンがっ……うっ……!」

 突如、脳に亀裂が入ったかのような痛みに襲われる。
 これはこの空間が軋み破られようとしている予兆であった。

 この空間はそもそも術者の脳内の風景を映し出すものであり、その術そのものが力づくで破られる場合、その被害が術者の身に及ぶ。
 理屈では聞いたことがあるし、実際に心自身も教え子たちに一度はそう説明する。
 しかしそんな規格外の状況など体験したこともなかったせいか、この痛みはなかなかに堪える。
 熟練した心ですらこうなのだ。才能溢れるとはいえまだ幼い二人には凄まじい負担であった。
 膝を付く芳乃を支える茄子もその苦痛に顔が歪む。

 当初はただ隙を作るための、時間を稼ぐための作戦だった。
 犠牲者を出すことなく事は運ぶはずだった。
 しかし蓋を開ければこの有様だ。今の三人にこの状況を覆す術はない。
 茄子と芳乃を守る結界は今にも破られようとしており、心のそれもそう長くは保ちそうにない。
 二人を早めに逃がして自分一人で捨て身の時間稼ぎをすべきだったと、心は今更ながらにそう悔やんだ。

 その時だった。


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