11:名無しNIPPER
2020/05/05(火) 19:03:30.30 ID:XnGtX3Tv0
◆
雨季に差し掛かろうかという頃。すっかり山の木々は生い茂り夜には蛙の鳴き声も目立つようになってきた。
屋敷の一角、縁側に腰掛けていた紗枝は空を見上げた。
しとしとと降り続く雨と広がる雲に遮られて、昼過ぎだというのに太陽は見えない。
自分の名を書いた木の葉の柄をつまんで、天に掲げてくるくると回す。
『紗枝』の二文字が葉の裏が向くたびに見えるのをしばし見つめる。
我ながら上手く書けたと紗枝の頬が静かに緩む。
普段のお習字とは勝手は違ったが慣れれば硬筆のようなものだ。
縫い針を逆さに持って葉の裏をなぞると文字が浮かぶと母に聞いた。
そういえばこの葉について聞いたのも、あの日帰ってきた夜、この場所に腰掛けながらだったなと思い出す。
紗枝は物知りな母が好きだった。
何でも知っていて、何でもできる。座学も作法の稽古も稀に見に来てくれて、時には後で時間をとって教えてくれたこともあった。
教えるにしても明解で、手本にしても優雅であった。
術については紗枝はまだ習い始めていないが、きっと追いつけない程の技量であろうことは察していた。
そう、何でもできて、知っている。
だから書庫で見つけてしまった“あれ”のことも、きっと知っているはずなのだ。
しかし紗枝はそれを訊けなかった。
一度訊いてしまえば何かが壊れ戻れなくなる、そんな予感が拭えなかった。
それと同時に“あれ”が全くの作り話とも思えなかった。
紗枝を取り巻く環境も、習う事柄も、全てが一つの悪い予感に繋がっている気がして。
もやもやした不安をため息に乗せて、曇天を見上げて静かに吹いて。
ふと、紗枝の頭にシューコの顔が浮かぶ。
今頃どうしているだろうか、あの飄々とした笑顔でも悩みがあったりするのだろうかと。
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