35:9/27 ◆KSxAlUhV7DPw[sage]
2020/02/04(火) 20:06:52.95 ID:ldlfMP+C0
「アイドルに慣れきって、染まってしまった後……戯れに飽きて、辞めることになったら。そう考えている私の心の内、お前に分かりますか?」
「……」
秤にかけて、ちとせより重きをおけるものは千夜には無い。
ちとせのいない世界に自分だけが身を置くことは許さないのだろう。たとえちとせが、千夜にそうなれるよう願っていたとしても。
「もうすぐ2人で舞台に上がるんだ。飽きさせやしないさ。ちとせも、千夜も」
「それがお前の、お嬢さまが言うところの魔法なら。好きなだけかけてみせなさい」
腰を上げ、話は終わったのか部屋を出ていこうとする千夜。だがドアを開ける寸前で止まり、最後に一つだけ、とこちらへ振り返る。
「……気のせいなら、それでいい。私はこれからもあの方に仕えるだけなのだから」
「千夜?」
「でも、お嬢さまは……。どこか遠くへ、私を置き去りにして、手の届かないところへ行こうとしているような――時折そんな風に思ってしまうのです。お前は何か、知っていませんか?」
奥底まで覗き込もうとする紫色の双眸は、あの全てを見透かす紅い瞳とは違う魅力があった。
そのせいで、千夜に逃げ場を塞がれる形となり、この問い掛けこそが千夜の目的だったことに遅れて気付く。
ちとせへのどこまでも真摯な想いを見せられては、こちらとしても嘘は吐きたくない。しかし、負けず劣らずに千夜への想いが込められた内緒話をちとせと既に交わしている。
どうすることが2人のためになるのかとても答えが見出せず、板挟みとなったプロデューサーに千夜は無言のまま問い続ける。
見透かせないのなら答えが返ってくるまでそうするまで、と告げられた気分だ。
このまま黙っていても勘繰られる。何か喋らなければ。千夜のおかげで潤っていたはずの喉は、いつの間にか乾き切っていた。
「……俺は」
「プロデューサーさん、千夜ちゃんとは――って、あれ?」
そこへ闖入者、もといちひろが現れた。やはり千夜が来ていることを知っていて、気を回して探してくれたのだろう。
張り詰めた空気が弛緩していくのを肌で感じ、もうこちらを見ていない千夜の目を盗んで、酸素が薄れた肺の中の空気を深く吐き出す。
ちひろには後でコーヒーでもなんでも差し入れよう、そう固く決意した。
「手が空いたので来てみましたが、無事に会えたんですね♪ 千夜ちゃんの用はもう済んだんですか?」
「……ええ、まあ。もう帰るところです」
「よかったよかった。あ、あれってプロデューサーさんからのプレゼントでは? 忘れてますよ」
すると、ちひろは「前にもよく配ってましたよね〜」と口にしながらテーブルのぴにゃこら太ぬいぐるみを適当な袋に詰め込んで、千夜が何かを言おうとする前に持たせてしまった。
善意でやってくれているちひろを無碍に出来なかったのか、案の定矛先が飛んでくる。
「…………おい」
「あー、なんだ。買い物したらついてきた福引券で当たった、みたいなことにでもしたらいい」
「うん? 何の話ですか?」
ちひろの反応からすると、ちとせに秘密で事務所へ訪れていることは説明してないらしい。
千夜が人形を持ち帰ったと知るや、目の色を変えるちとせが容易に想像つく。苦し紛れであるのには変わらないが、体裁は取り繕えるようにはしておいた方がよさそうだ。
「……見つかってもお嬢さまへの土産話にはなるか。せめて今日ぐらいは、家に置いといてやります」
デスクの奥でいつまでも来ない出番を待ち続けるのと、明日には捨てられてしまうのと、どちらが幸せだったのかはわからないまま、増えた荷物に視線を投げかけながら去る千夜の背中を見送った。
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