1:名無しNIPPER[saga]
2019/09/09(月) 19:53:48.21 ID:W6D0RAKy0
こんなことを言うのは少し恥ずかしいが、プロデューサーとしての俺の毎日は充実している。
アイドル達との関係は良好だし、時々仕事につまずくことはあってもちひろさんや周りの人達の手を借りつつなんとかこなしていけている。
やりがいに満ちているというか、はっきり言って仕事が楽しくて仕方ない。
何人かには「働きすぎです」とか「もっと休んでください」と注意されているけれど、仕事が息抜きになっているのだから仕方ない。
だから、毎朝事務所に行くのだって喜びこそすれ、嫌がる理由なんてない。
はずなのに。
「…………」
どうして俺は、事務所とは反対方向の電車に乗っているのだろうか。
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2:名無しNIPPER[saga]
2019/09/09(月) 19:56:11.69 ID:W6D0RAKy0
異常は今朝、目が覚めた時からだった。
事務所に行きたくない。
そんな気持ちが胸いっぱいにあって、締め付けられるようだった。
3:名無しNIPPER[saga]
2019/09/09(月) 19:56:53.19 ID:W6D0RAKy0
いつも通りに準備をして、いつもより遅い足取りで駅へ向かったら、いつも乗る電車がギリギリ発車するところだったので慌てて。
「…………」
でも足は動かなくて、そのままドアが閉まるのを眺めていた。
4:名無しNIPPER[saga]
2019/09/09(月) 19:58:21.32 ID:W6D0RAKy0
いったん深呼吸をして、気持ちを整える。
何故か今日はおかしいけれど、それも事務所につけば治るはずだ。
だから次の電車に乗ろう。
5:名無しNIPPER[saga]
2019/09/09(月) 19:59:24.14 ID:W6D0RAKy0
「……はっ」
自嘲気味な笑いが出てしまう。
たしかに次の電車に乗ると決めたけれど、ここであの反対方向の電車に乗ったら、それこそお笑いじゃないか。
6:名無しNIPPER[saga]
2019/09/09(月) 20:00:19.81 ID:W6D0RAKy0
すぐに電車を降りて、逆方向の電車に乗るべきなのだろう。
するべきことは頭ではわかっているけれど、もう俺にはそんな気力はなかった。
葛藤することに疲れてしまった。
7:名無しNIPPER[saga]
2019/09/09(月) 20:01:27.52 ID:W6D0RAKy0
電車がスピードを落としていく。
また知らない駅に止まるようだ。
ドアが開いて、人が数人降りていく。
8:名無しNIPPER[saga]
2019/09/09(月) 20:02:42.17 ID:W6D0RAKy0
少女は俺の正面の席に座った。
「……!」
改めて少女を見て、俺は内心驚いた。
9:名無しNIPPER[saga]
2019/09/09(月) 20:03:48.40 ID:W6D0RAKy0
あまり少女の顔を見るのもよくないので、また眠るように足元を眺めることにした。
ああ、ダメだ。
事務所に行っていないことに加えて、目の前の逸材をスカウトしていないことがさらなる重しになった気がする。
10:名無しNIPPER[saga]
2019/09/09(月) 20:05:02.66 ID:W6D0RAKy0
「降りないの?」
少女の問いに答えようとして、固まる。
このまま電車に乗っていれば、電車は反対方向に、つまり事務所の方向へ再び走り出すだろう。
11:名無しNIPPER[saga]
2019/09/09(月) 20:06:16.42 ID:W6D0RAKy0
「海……」
言われてみれば、潮の香りを感じる気がする。
「海は好き?」
12:名無しNIPPER[saga]
2019/09/09(月) 20:07:16.03 ID:W6D0RAKy0
少女のすぐ後を追うように、知らない道を歩く。
自然と並んで歩くようになっていたが、互いに無言だった。
だんだん大きく聞こえてくる波音で充分だった。
13:名無しNIPPER[saga]
2019/09/09(月) 20:08:10.16 ID:W6D0RAKy0
夏と呼ぶにはもう遅い時期、どんよりとした曇り空の下で見た海は、物寂しかった。
風は冷たいが、寒いというほどではない。
空は曇っているが、雨が降る様子はない。
14:名無しNIPPER[saga]
2019/09/09(月) 20:09:04.15 ID:W6D0RAKy0
水平線が見える。
波の音がする。
潮の香りがする。
15:名無しNIPPER[saga]
2019/09/09(月) 20:10:14.87 ID:W6D0RAKy0
何分か、何十分か、波音だけに包まれた静寂を破ったのはまたしても俺だった。
「毎日楽しいんだ」
「……」
16:名無しNIPPER[saga]
2019/09/09(月) 20:11:14.13 ID:W6D0RAKy0
「自分でもわからないけど、つらくて苦しくて仕方がないんだ。あんなに幸せなのに、喜びこそすれ嫌がる理由なんてないのに」
「……」
「俺、おかしくなったみたいだ」
17:名無しNIPPER[saga]
2019/09/09(月) 20:13:16.34 ID:W6D0RAKy0
「それはね、つらいじゃなくて、疲れたっていうんだよ」
「いつも通りの自分に疲れたんだよ」
「好きなことに全力を注げて、寂しいと思う暇がないくらいまわりにみんながいて」
18:名無しNIPPER[saga]
2019/09/09(月) 20:14:29.30 ID:W6D0RAKy0
海を見る少女の横顔を見ながら、俺は今さら気付いた。
制服を着た少女が、学校ではなく海にいるということが普通ではないことに。
ああ、きっと、この子は俺と同じだ。
19:名無しNIPPER[saga]
2019/09/09(月) 20:15:54.60 ID:W6D0RAKy0
「海が好きなのか?」
「わからない」
ああ、そういえばそう言っていた。
20:名無しNIPPER[saga]
2019/09/09(月) 20:17:10.21 ID:W6D0RAKy0
水平線が見える。遠くで動いているのは船だろうか。
波の音がする。ぴちゃりと魚がはねた。
潮の香りがする。深呼吸したらむせそうだ。
21:名無しNIPPER[saga]
2019/09/09(月) 20:18:27.06 ID:W6D0RAKy0
ぼんやりとそんなことを考えていたら、少女がこちらを見ていた。
あんまりに俺が気の抜けた顔をしているのが面白かったのか、含み笑いをしながら少女は言う。
「事務所に連絡、しておいた方がいいよ」
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