21: ◆kiHkJAZmtqg7[saga]
2019/08/19(月) 23:20:26.55 ID:rNK9Zl/t0
彼女は僕のななめ後ろを、付かず離れずでついて歩いた。
前に来た時は、ずっと手をつないでいたんだったか。今はまだ、彼女の手を取れない。
「これからどうするか、決まってるんですか」
「……いいえ。でも、少しの間休んで、旅行でもして……いつか、また働き始めると思います」
「よかった。次の就職先も決まってます、なんて言われたら、どうしようかと」
「そんなこと……あるはずないと、思いませんか?」
振り返らずに歩いているものだから、彼女がどんな顔をしているかはわからない。
遠回しに、外堀から僕の望みを伝える言葉を、どう感じているのかも。
「はは、本当は、そうだろうと思ってました」
「プロデューサーさんは。……どうするんですか?」
「僕も、決まってません」
だって僕がどうするかは、これからあなたがどんな返事をするかで、変わるのだから。
立ち止まって、ポケットを漁る。
携帯音楽プレーヤーを取り出して、ほどいたイヤホンをつなぐ。
「三船さんに、聞いて欲しいものがあります」
再生するのは『Last_Kiss_仮歌』とだけ書かれたファイル。
イヤホンを彼女に渡して、再生ボタンを押した。
もう何度も聞いてきた曲だから、音が聞こえていなくても今どの辺りが流れているかわかる。
この歌は、詩は、届いてくれるだろうか。
僕が見てきた三船さんの姿は、間違った像を結んでいないだろうか。
じっと目を閉じて、一音たりとも逃さないとばかりに聞き入る彼女をただ見つめる。
きゅ、とその手を胸の前で握りこむのが見えた。
「プロ、デューサー、さん……。この、曲は?」
「アイドル、三船美優ただ一人のための曲です。……歌って、いただけませんか」
イヤホンを外した、震えまじりの問いかけに、はっきりと答える。
「あなたというアイドルがここにいること。僕がプロデュースしていること。……その証を、一つでいい。確かに残していたいんです」
僕は自分が、これからも彼女と一緒にいたいのか、これでお別れになっても構わないのか、その答えを出さなかった。
だって、僕ひとりが決めたって仕方がない。
ただ、二人でどんな道を選んだとしても、この曲だけは、その手向けにしたいんだ。
「僕は、あなたが好きです。アイドルとして、それ以上に、一人の女性として」
手を差し伸べる。
こんなコト、こんな時じゃなきゃきっとできなかった。
……だけど僕は、状況がそうさせたんじゃなくて、彼女がそうさせたのだと、そう思うのだ。
彼女は握り込んだその手をじっと見つめたまま、数秒が過ぎる。
答えを待つ数秒は、確かに流れているようで、でも異様なほどにゆっくりに感じた。
「……この、音源。もう、聞けません。プロデューサーさんにも、聞いてほしくないです」
やがて、語られたのはそんな言葉で。うまく、頭に入ってこなかった。
「それ、は……つまり」
喉がからからに乾いて、どうにか口に出した疑問の、その先にある結論なんて導き出せやしない。
だらん、と落ちそうになる僕の手を、彼女の両手が包み込んだ。
「仮のものだとしても、ほかの子がこの曲を歌って、それをプロデューサーさんが聞いてるなんて……妬いちゃいます」
「え……。あの、三船、さん」
「歌います。歌わせてください。……私だけの曲、最後に」
彼女は澄んだ瞳で、いたずらっぽくはにかんだ。
やられた、と理解して目をそらすけど、しっかりと手を握られていて、逃げられそうにない。
「……そういうのは、ずるいですよ」
「『ずるい人』は、あなたの方です……。こんなこと、秘密にしていたなんて」
歌詞をなぞるようにして僕をのぞき込む彼女に、僕は何も言い返せなかった。
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