12: ◆kiHkJAZmtqg7[saga]
2019/08/19(月) 23:13:03.32 ID:rNK9Zl/t0
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三船さんへの仕事のオファーは、初仕事を終えて以来着々と増え始めていた。
熱心にレッスンに励み、仕事をこなし、少しずつアイドルとしても成長しつつある彼女は、まだ自信なさげではあるけれど目に見えて明るくなった……と、思う。
僕が何かをしたから、などと言うつもりはないけれど、三船さんの優しい笑顔に魅入られてしまった身としては、それは嬉しい変化だった。
その日は撮影のために海辺まで来ていた。
コマーシャル撮影だが監督が厳しいと評判の人で、特に表情の指示で何度もNGを出されている。
リテイクが続き、三船さんもこわばった様子になってしまっていることから休憩をお願いした。
「すみません……あまり、上手くできなくて」
「ははは……シビアな方ですよね、監督。でも、身体の動き、しぐさでの表現は悪くないって言ってました。きっともうすぐOKが出ますよ」
「……もともと、表情豊かなほうではありませんでしたから。見抜かれてしまっているのかもしれません」
そう言って、彼女は苦笑する。
こういう時にでも笑顔が出てくるくらいには、三船さんは変わったんですよ、と、そんなようなことを言いたかったのだけど、上手く言葉がまとまらなかった。
「あ、そうだ。砂浜とか歩いてみますか。撮影日和のいい天気ですし、気分転換になるかと」
「いいんでしょうか、その、遊んでいるみたいで」
「いいんです。三船さんがいいカンジの演技をするため、ってことならきっと許してもらえますって」
「では……少し、歩きましょうか」
海岸に降りて、さくさくと柔らかい砂を踏みしめる。
スーツに革靴は、流石に歩きやすいとは言えなかったけど、着替えも予備の靴も用意などしていない。
三船さんも三船さんで、時折砂に足を取られそうになっていた。
「わ……砂浜って、こんな感じでしたね。随分と長いこと、海には来る機会もなかったので……慣れません」
「ああ、そうなんですね。仕事とはいえ折角来たんですから、満喫しちゃいましょう」
「ふふ、年甲斐もなくはしゃいでしまうのも、いいかもしれませんね。……ああ、そういえば。これはいいことがあった話なんですけど」
そう前置きして、彼女は波打ち際に足跡を残しながら話し始める。
「今朝、家を出る前に……鏡に映った自分が、何かを楽しみにしているような顔をしていたんです。これから、お仕事に行くのに。……そんなことは今までになくて、なんだか、無性に嬉しくなってしまいました」
海を背にして、歌うように言葉を紡ぐ姿に、目を奪われた。
彼女がとても幸せそうな表情をしていたから。
「……プロデューサーさん? 私、何かおかしなことを言ってしまいましたか?」
「い、いえ……。三船さん、きっと、今の表情です」
「……?」
「すごく、いい笑顔でした。その……つい見とれてしまうくらいには。い、今のがもう一回できれば、一発OK間違いナシです!」
言葉に詰まりながらそう伝えると、三船さんは目を見開き、そして砂浜へと視線を落とした。
心なしかほおを紅潮させているように見えて、なおさらどきりとしてしまう。
「プロデューサーさんが、見とれてしまうような表情を、私が……。してたん、ですね」
「……は、はい」
ただ頷くのが精一杯だった。
今までだって何度彼女に見とれていたかわからないけれど、そこまで伝えられるはずもない。
勇気が持てないのもそうだし、それ以上に僕の立場がそれを許さなかった。
三船さんは片方の手で口元からほおにかけてを覆うように触れる。
しばらくの間その姿勢のまま動かず、やがてゆっくりとその手を下ろしてこちらへと歩み寄る。
「私、もう大丈夫です。……撮影、戻りましょうか」
「わかりました。伝えてきますね」
凛とした声音に小さな驚きを感じながら砂浜を後にする。
すぐに撮影は再開して、何度かのリテイクの後にようやくOKが出た。
結局、波打ち際で三船さんが見せた表情をもう一度見ることは叶わなかった。
その後も彼女は口数が少なく、気にかかったことを覚えている。
僕が余計なことを言ってしまったのではと思うと、積極的に聞き出すことができなかった。
抱え込みがちな人であることは、わかっていたはずだというのに。
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