66: ◆YF8GfXUcn3pJ[saga]
2019/08/18(日) 02:46:49.88 ID:OJA0wgUK0
間があった。
数十秒の沈黙が霧のように立ち込めていた。
彼の眼には、諦念に近いものが映っていた。
情けなさそうに首元を掻いていた。
観念したのか、俯いて言葉を紡ぎ始めた。
私は有利に状況を進めている。
そう思っていた。
でもその構図は、あっという間に瓦解した。
というのも、彼の口から飛び出した言葉は――あまりに、私の想定の範囲の外にあったのだ。
「違うんだ」
「俺はただ、杏にこれ以上、辛い思いをして欲しくなかったんだ」
「だってお前、担当が変わったとき、あんなに辛そうだったじゃないか」
「辛そうで、見てられなかったんだ」
今度は驚かされたのは私の方だった。
だってそれは、あまりにも、私の想定と異なっていたから。
全て私の為だった。――そう聞かされて、私の心に芽生えた感情は、まさしく罪の意識、罪悪感だった。
私の想定解は、もっと、独善的な理由だった。
プロデューサーは私に戻ってきてほしいからこそ、私への伝達もなしに勝手に事前処理を行っていたものだと思っていた。
でも彼の言うことを信じるなら、彼の外堀埋めは、彼自身のためではなく、私自身のために行われていることになる。
どす黒い色をした罪悪感という感情は、想像を栄養にして、心の中でひとり生長していく。
雷雲が空を埋め尽くすように、後悔だとか申し訳なさだとか、そういった類の感情が私の理性を丸呑みしていった。
あんな嘘まで吐いて、騙すことは無かったんじゃないか。
真意に気付けなかったのは私の方でしょ。
自分のためを思って行動してくれた人に対して、その仕打ちはひどい。
自己嫌悪の波がどっと押し寄せていた。私は居た堪れなくなって、目を伏せて謝罪した。
「その、なんというか、嘘ついてごめん……」
私の言葉を聞いた彼の顔を、私はよく覚えている。
意外だ、とでも言いたいような顔をして、ふっと口元を綻ばせていた。
煙草を吹かすように大きく息を吹き出すと、こう返したのだった。
「こっちこそ、ごめん」
私はその表情の表すところに気付けなかった。
――私は子供だったから。
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