30: ◆AsngP.wJbI[saga]
2019/06/10(月) 21:00:54.74 ID:9pdDfgPfo
「伊織さまは、私に本当に良くして下さっています。
時には厳しいご指導もありますが、それもとてもありがたいんです。
きっと、日本という異国で努力を続けるためにはもっとたくましくいるように、というお心の顕れなのだと信じています」
「そうか。 伊織のこと尊敬してるんだな」
「はい。 私の憧れの方、その一人です……もちろん、“仕掛け人さま”も」
「……俺は少なくとも“撫子”ではないぞ」
この流れで不意にそのように言われるとなんだか照れくさい。
ごまかすような返事をしながら頬をポリポリと掻いていると、ふとエミリーが事務所の窓際を仰ぐ。
いつの間にか傾いた日差しがデスクを黄色く照らしていた。
歩み寄って窓を開けてみると涼しげな風が入り込み、夕暮れ時の室内を少しずつ冷やしていく。
しばしその心地よさを楽しんでから俺は自分のデスクへ戻り、革の破けた椅子にギシリと座り込んだ。
エミリーは今度の公演──彼女にとって初めてのセンター公演だ──で披露するソロ曲の譜面をカバンから取り出し、
それを眺めてぶつぶつ言いながらじっとしている。
「その曲、気に入った?」
「はい」
エミリーは照れくさそうに笑った。
「歌詞にある言葉ひとつひとつの響きが、まるで俳句のように聴く人へその情景を思い浮かばせ……
そこにゆったりと穏やかな音色が重なる。 まさしく私の憧れた、“和”の心を描く歌です。
こんな素敵な曲を頂けて、私は幸せです……」
「……そう言ってくれると嬉しいよ」
俺はそれ以上話しかけるのをやめ、彼女の集中を切らしてやらないように静かにキーボードを叩いていった。
どうもエミリーとの二人きりの空間は時間を忘れてしまう、そんな不思議な効き目でもあるような気がした。
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