173: ◆ikbHUwR.fw[saga]
2018/07/15(日) 23:48:26.35 ID:1DFdeF0E0
なんの前触れもなく、ふいに全てのライトが消えた。
予定の演出じゃない、なんらかの事故があったんだろう。
客席のほうで、ざわっと狼狽の声が上がりかける。
――『なにかあっても止められない限りは続けろ』
取り乱さない。何事も起きていないように歌い続ける。ざわめきはすぐに静まった。
照明のなくなったホールに、客席のサイリウムだけが蛍の光のようにぼうっと浮かび上がっている。
もはや客席から私の姿は見えていないだろう。振り付けを止めて、歌に専念することにした。
客席の明かりが少しずつ消えていく。
歌いながら、落ち着いてそれを眺める。
破裂じゃない。故障か電池切れ、ケガ人が出ることはない。
やがて、全ての光源が失われた。完全な暗闇の中で歌い続ける。
足元からみしりと嫌な感触が伝わって、バランスを崩して転倒した。
片方のブーツのかかとが折れたらしい。
どうせ見えてないんだから、だいじょうぶ。尻もちをついたまま歌い続ける。
ジジッと、かすかなノイズを残して、音楽が途切れた。
構わない、よくあること。アカペラで歌うなんて、もう慣れたものだ。
頭の中で音楽を鳴らし、歌い続ける。
スピーカーが沈黙する。マイクが壊れた。
――でも、負けない。
左手に握っていたマイクを手放す。
暗闇を吸い込み、声に変える。大きな声に。体中から、振り絞るように。
お尻の両側、やや後ろのほうの床に手をつき、首を反らして、空に吠えるように歌う。
客席は物音ひとつなく、みんな呼吸を止めているように静まり返っている。宇宙に放り出されてしまったような暗闇の中に、私の歌声だけが響き続けた。
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