168: ◆ikbHUwR.fw[saga]
2018/07/15(日) 23:41:17.03 ID:1DFdeF0E0
夕美ちゃんの横に腰かける。
開いたドアから、かすかに音が届く。夕美ちゃんの曲、ほたるちゃんの歌声。
「聞こえる?」と問いかける。
「うん、いい声出てるね」
「あれは、夕美ちゃんがほたるちゃんに教えたの?」
「少しはね。でも本当に少しだけ、ほとんどはひとりで練習してたみたいだよ」
さすがにこの事態を予期していたはずはない。ライブとは無関係、レッスンのためのレッスン。
「ほたるちゃんって」ふいに夕美ちゃんがつぶやく。「負けず嫌いだよね、すごく」
その横顔に目を向ける。なにか思い返しているような微笑。
「なんでも器用にできるタイプじゃないってのは、すぐにわかったよ。だけど、できるようになるまでずっと繰り返すんだ、何度でも」
うなずきを返す。言っちゃ悪いけど、あたしの見た限りでは、ほたるちゃんは特別優れた才能があるようには思えない。それにもかかわらず、技量は相当に高い。
取り憑かれたような反復練習、それだけで身に着けた技術。
「あれは、ちょっと異常だね」と言った。
「異常?」
夕美ちゃんが不思議そうに繰り返す。
「明らかなオーバーワークだよ。フツーならとっくにどこか故障してるはず。練習量も異常だし、それで壊れないのはもっと異常」
「体が丈夫ってことなのかな?」
「かもしれないし……」
仮説、それが後天的にもたらされたものだとしたら。
苦痛とは機能だ。生物は痛みを味わい、覚え、それを避けるよう行動する。
降りかかる災厄をずっとその身に受け続け、無意識に、自動的に深刻なダメージを回避している結果が、あの壊れない体だとしたら。
ほたるちゃんには、レッスンを苦しいとかつらいとか思う感覚がない。自分の力ではどうしようもないことが多すぎたから、たかが努力でなんとかなることなんて、楽で楽で仕方がないんだろう。
心も体も過度の負荷を苦にしない。冗談ではなく無限に練習できてしまう。
それは、本人が不幸と呼ぶ、その体質によってもたらされたものだ。
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