79:名無しNIPPER
2018/11/09(金) 00:39:44.83 ID:x5VviyjQ0
「さやかはさ、人の気持ちが分からないの? それともあえて僕の事をいじめているのかい?」
「き、恭介? 何? どういう意味?」
きょとんとした表情でさやかは上擦った声を出す。
だが上条は目を合わせさえしない。
「えーと……、もしかしてあんまり好きじゃなかった? この曲」
「いや、曲自体は凄くいいよ。ちょっと前までなら喜んで何度もリピートしてただろうね」
そう返されてさやかはますます訳が分からないと言った顔になった。
左耳から聞こえてくるクラシック音楽が酷く無機質に感じる。
まだ分からない? と上条は言った。
彼はさやかの顔を一瞥するとその表情を見て小さく息を吐く。
そうする事で、溢れ出しそうな感情を抑えているようにも見えた。
「例えば怪我で引退を余儀なくされたアスリートに、リハビリ中試合の中継を見せようと思うかい? まだまだプレーしたかったのに、泣く泣く身を引かざるを得なかった選手にさ」
「そ、そんな! あたしはただ恭介が少しでも元気になってくれればいいなってーー」
「だったらそっとしといてくれよッッッ!!!」
個室に響きわたった大声に、さやかの体がビクッと震えた。
その拍子にさやかの手にあったCDプレイヤーがガシャン! と冷たい床に落ち、開いたフタから飛び出したディスクが無機質な音を残して滑っていく。
「僕は演奏を聞くのが好きだったんじゃない。『プレイヤー側』だったんだよ! 確かにさやかとは色んなコンサートを見に行ったりしたけど、あれだってただ頭を空っぽにして聞いていた訳じゃない! その手先の動きを見て、流れてくる音を聞いて、何か自分の糧に出来ないかといつも『研究』していたんだ!」
絞り出すように上条は言う。
溜め込んでいた何かが決壊したのだろう。
こうなってしまっては、もはやただの独り言に近い。
さやかの言葉など待たずに、彼は続ける。
「僕の音楽鑑賞は娯楽じゃないんだよ! 料理人の味見と同じで、大事な自己研鑽なんだ!『ただ演奏を聞いて感想を言うだけしかできない聴衆の一人』が僕と同じ目線で語ろうとするなよッッ!!」
ハアハアと息を吐きながら、上条は言い切った。
返事はない。
殺風景な部屋の中、上条の息をする音だけがしばらく続いた。
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