936: ◆8zklXZsAwY[saga]
2019/08/18(日) 20:26:36.46 ID:TPJ777ywO
ビルの屋上は風が激しく吹いていた。風は冷たく、皮膚に震えを催させ、吹き上げられた髪が乱れ舞い、風音がうるさく、耳の奥が痛くなるほどだった。新鮮な空気が身体に染み渡るが、あまりに透き通っているからか、呼吸には適さない。鼻の奥がツンと痛くなった。
ごうごうと鼓膜を突き刺してくるかのように吹き荒れる風は、しかし、どこか虚しさと寂しさを感じさせた。風は身体全体にぶつかってきたが、どこか届かないところから鳴っている声みたいに思えてならない。
アナスタシアはふと行き止まりに辿り着いてしまったときのような、物哀しい、感傷的な気持ちに襲われた。家出した子どもが何日も飲み食いせず、腹を空かせたまま、ぼんやりとした記憶を頼りに自由になれる場所を目指し、歩き疲れても足を前に出してようやく辿り着いた場所が、果てしなく広がる海だったときのような……。目指すべきものは自由なのか。自由とは状態であり、地点ではない。求めるべきものは出口であって、出口は自由と異なり固定的な一点に過ぎない。
ビルの屋上は空中に固定されていて、足場を担保する四辺の向こうには無辺の空間が拡がっている。この真っ暗闇が出口なのか、ここから先、重力に従って、望ましい状態はやってくるのか。紫色の雲は空全体を埋め尽くしていて、明るい期待はいっさいなしだと視界の上端に雲を映しているアナスタシアに告げているようだった。
発達した低気圧の洗礼を浴びた中野がぶるっと身を震わせた。 中野は手のひらで腕をこすり、鳥肌のたった肌をすこしでも温めようとした。摩擦で生まれたぬくもりはすぐに冷えた。中野はあたためるのをあきらめ、容赦なく吹こんでくる風に眼をしばたたせながら振り返り平沢を見た。
中野「で、どうするんだ!?」
中野は平沢に訊く。
平沢「逃げるぞ」
まるで曲がり角にきたことを指示するように、平沢はあっさりと言ってのけた。
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