749: ◆A0cfz0tVgA[sage saga]
2016/10/11(火) 01:22:57.47 ID:i8/dHQWr0
その後に起こったことは、歴史書に記された通りである。
彼は自身に敵対する貴族達を一切の躊躇いも無く処刑し、国の権力を掌握。
さらには貢納の要求のために来訪したオスマン帝国の使者を串刺しにした。
そしてそれに激怒したオスマン帝国が、大軍を率いて攻め込んできた時。
彼は捕虜にしていた数万のオスマン帝国の兵士を、全て串刺しにして野に晒したのだ。
ヴラド三世が、何故そのような残虐行為を平気で行えたのか。その理由を知る者は最早いない。
彼の凶行は『彼自身が異常者であったから』ということにされ、
周辺国がそれを真実として大規模なプロパガンダを展開したからだ。
やがてヴラド三世は、『竜の子(ドラクレア)』から『悪魔の子(ドラキュラ)』と呼ばれるようになった。
『竜の子』の名は彼の父、ヴラド二世が『竜公(ドラクル)』と呼ばれていたことに由来するものであるが、
聖書においては『悪魔サタン』は竜の姿として描かれることがあったために、竜と悪魔は同一視されていた。
それ故に『竜の子』と呼ばれていたはずのヴラド三世は、後世において『悪魔の子』と呼ばれるようになり、
さらには父も『悪魔公』と蔑まされることになったのである。
そして彼は死後400年の後、一人の小説家によって吸血鬼のモデルとして取り上げられることになり、
人々から『吸血鬼ドラキュラ伯爵』として広く知られることになる。
事実は小説より奇なり。魔術師たちは今も尚吸血鬼の存在を頑なに否定しているが、
魔術を知らぬ者たちは、無自覚ながらも吸血鬼の存在について真に迫るに至った。
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