【シャニマス×ダンガンロンパ】シャイニーダンガンロンパv3 空を知らぬヒナたちよ【安価進行】Part.2

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102 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/20(水) 21:51:35.71 ID:M+ISIvdH0


チケット売り場の脇にあるのは小規模な物販スペース。
パンフレットやらぬいぐるみやキーホルダーやらが所狭しと並べられている。

モノクマ「いらっしゃい! 当劇場限定グッズもあるから見ていってね!」

にちか「モノクマ……何してんの」

モノクマ「何ってお店屋さんごっこだよ。ほら、映画と言えば割高ポップコーンに割高パンフレットでしょ? やっぱりこれあってこそのテーマパークだと思うんですよ、ぼかぁね」

モノクマ「ほーら、暴利多売! 暴利多売! モノクマシネマ限定、モノクマパッケージのポップコーンケースもあるよ!」

私たちはモノクマの言葉にまるで耳を貸すことなく、商品をまじまじと眺めていった。
どれも役に立ちそうもない記念品といった顔ぶれだけど、その中でも一つだけ目を引くものがあった。

灯織「これは……【思い出しライト】じゃないかな」

灯織ちゃんがその手に持っていたのは、前に樋口さんの才能研究教室の近くで見つけたあのマンガみたいな造形をした懐中電灯だ。
あの光を浴びて、私たちはたくさんのことを思い出したんだっけ。
103 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/20(水) 21:52:22.97 ID:M+ISIvdH0

透「あー、そういやモノクマが今回も隠したって言ってたっけ。ここにあったんだ」

真乃「この前は思い出しライトで……私たちに通っていた学校が荒れちゃってたのを思い出したんだよね……?」

にちか「うん……全員違う学校に通っていたはずなのに、そのいずれもが学校崩壊状態だったんだ」

あの記憶は断片的なものだ。
荒れ果てた学校の中で追われていたという恐怖感は鮮明に思い出せても、なぜ追われていたのかと言った根本的な情報に欠けている。
記憶を呼び水にして、新しい謎を生んだだけの代物だったのである。

にちか「モノクマ、このライト……持っていくけどいいんだよね?」

モノクマ「毎度あり! 七草さん思い出しライトお買い上げー!」

にちか「ちょっと……これって学園の謎を解き明かす手がかりなんじゃないの? 商品とかとはまた違うでしょ……」

モノクマ「うぷぷぷ……まあそう焦んないで。今のオマエラが無一文なのはボクが一番よく知ってるからさ」

モノクマ「今回はその思い出しライト代の200万はツケにしといてやるよ」

にちか「に、にひゃく……!?」

モノクマ「この学園を出た時にはキッチリシッカリ徴収するから覚悟の準備をしておいてよね!」

(な、なんて理不尽な……)

にちか「灯織ちゃん……連帯保証人になってくれる?」

灯織「にちか、頑張って返済しよう。私もいい仕事を探すの協力するからね」

(やんわりと梯子を外された……)

ひとまず探索の大きな目標の一つは達成できたんだ。
探索が終わったら他の人たちを一度集めてこないとね。

104 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/20(水) 21:54:05.54 ID:M+ISIvdH0
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【食堂】

一通りの探索を終えた私たちは食堂に戻ってきていた。
集まった理由はただ一つ、私たちが浅倉さんの才能研究教室から持ち帰った思い出しライトのためだ。

霧子「今回もやっぱり、あったんだね……」

樹里「このライトの中にアタシたちの記憶が眠ってる……一度体験したこととは言え、まだ現実味がねーよな」

あさひ「今度は何が思い出せるんっすかね、ワクワクするっすー!」

灯織「……少しでも希望を抱けるものだと良いのですが」

愛依「ひぃふぅみぃ……えっと、これで全員?」

凛世「いえ……今、透さんが円香さんを呼びに向かわれております……」

(……!)

樹里「円香も、呼ぶのか……」

甜花「樋口さんは……内通者、なんでしょ……? だったら、わざわざ呼ぶ必要はない……よね……?」

にちか「いや……まだその可能性が高いという段階ですし……記憶の手がかりで、蔑ろにするっていうのも……」

灯織「というか樋口さん自身がここに来る気はあるんでしょうか……説明も何もなしに飛び出していったあたり、私たちと対話をするのもあまりしたくない様子でしたが」

樋口さんの黒幕とのつながりは、結局ちゃんとした回答は得られていない。
新エリアの調査でしばらく気を紛らわせていたものの、こうして全員が集うタイミングになると、
どうしても彼女に向ける信頼の仔細について考えを巡らせねばならなかった。
105 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/20(水) 21:55:28.84 ID:M+ISIvdH0

暫くして、浅倉さんが食堂の戸を開けた。
すぐ後ろには樋口さんが俯いて控えていた。

透「連れてきたよ。これでいい?」

円香「……」

私たちは顔を見合わせた。口元に皺がより、眉にも力がこもる。それぞれの緊張が手に取るようにわかる。

霧子「円香ちゃん……あのね、これからまた思い出しライトを使ってみようかと思うんだけど……いいかな……?」

円香「……好きになさってください」

あさひ「よーし、それじゃあ早速使ってみるっすよ!」

樋口さんの諦めまじりの合意を受け取るとすぐに芹沢さんがライトを手にとって私たちの前に出た。

甜花「ちょ、ちょっと待って……まだ心の準備が……」

あさひ「スイッチ……オン!」

迷いなく芹沢さんがスイッチを押すと、
ライトからは眩い光が真っ直ぐに私たちへと照射され、その光は網膜を通り抜けて、視神経を一瞬にして走り抜けていき、脳幹を揺さぶって



_____世界を蕩けさせた。



106 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/20(水) 21:57:14.34 ID:M+ISIvdH0
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

その日の夕方、私は制服から着替えて間もなく、テレビの前でゴロンと横になっていた。
クッションを枕みたいにして、あてもなくネットの海を指先で航海しながら、欠伸をする。
時計の針は18時を指そうかという頃だったと思う。

「にちか〜、郵便見てきてくれる〜?」

台所の方から、お姉ちゃんの声が聞こえてきた。
今日は珍しくパートが早上がりだった。これ幸いとばかりに私は当番を姉に押し付けたのだ。

「えー、今忙しいんですけどー?」

特に理由なく姉のお願いを断る。
一度横になると、立ち上がるのにはかなりの力と覚悟が必要だ。
今はその出力が億劫で、適当な返事をする。

「寝っ転がってスマホいじりながら言われても説得力ない〜。今お姉ちゃんキッチン離れられないんだからちょっと見てきてよ。夕方の分来たっぽいから」
「ちぇー、めんどっちいなぁ」

何回断ってもダメなやつだと理解した私は観念して立ち上がる。
疲れた体にのしかかる重力を感じながら、ヨタヨタと玄関口へと向かった。
アパートの野晒しになった階段を音を立てて下る。集合住宅のポストは離れにあるのがわずらしいなとつくづく思う。
あんまりラフな格好で出ればご近所のおばさんの目につくから、最低限の身だしなみぐらいはしていかなくちゃいけない。
107 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/20(水) 21:58:54.10 ID:M+ISIvdH0

「どうせ郵便が来てるっていってもガス代ぐらいのもんでしょ……? それか通販の使いもしないチラシ……」

ぶつくさ小言を言いながら、自分たちの部屋番号のポストを開けた。
予想通り、大した数の郵便物は溜まっていない。
細長い公共料金の支払い伝票に、ギトギトとした色使いのチラシ……それと、見慣れないきっちりとした折り目の封筒。

「……え?」

思わずその封筒を手に取った。
生憎封筒を送られるような用事にも、送ってくるような相手にも差し当たっての心当たりはない。
配達員が入れる先を間違えたのかな、そう思ってペラっとめくって裏側を見た。


そこにあった文字を見た瞬間、私の世界は止まった。


息をすることも瞬きすることも忘れて、心臓の鼓動も止まったかもしれない。
でもその直後、さっきまでの数十倍の速度で脈が打った。
それはこれまでの人生で感じたことのないほどの高揚だった。

「ちょっ、ちょっとこれ……マジのやつ?! ガ、ガチのやつ?!」

私は階段を駆け上がって、乱暴に部屋の扉を開けた。
怒鳴り散らかすぐらいの勢いで姉を呼ぶ。
108 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/20(水) 21:59:48.24 ID:M+ISIvdH0

「お、お姉ちゃん! やばい! やっっばいのが入ってた!」

すぐに姉がため息混じりに玄関へとやってきた。

「何〜? キッチンからお姉ちゃん離れられないって言ったよね〜?」
「そ、それはごめん! だけどこれ……見て! 見てよ!」
「え〜?」

状況を理解せずに、不服装にしている姉に私は封筒を突きつけた。鬱陶しそうに眉を吊り上げていた姉は、みるみるうちにその表情を変えていく。
頬には熱が上って桃色混じりになり、口元はその形を震わせながら変えていく。

「……え、こ、これ……本物?」
「本物だって! ほら、発送元も、ここにシリアルナンバーも刻印されてるし……」

私もお姉ちゃんも、まさに夢見心地だったんだ。



「私、選ばれたんだよ! 【イキガミ】が届いたんだよ!」



109 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/20(水) 22:00:36.65 ID:M+ISIvdH0

私が歓喜の両手を掲げると、お姉ちゃんは無防備になった私の両脇にがしりとしがみついた。
ギュッと強く、じんわりと抱きしめてきたのだ。

「えっ、ちょっ、お姉ちゃん?!」

姉との数年ぶりの抱擁に思わず戸惑う私。
気恥ずかしさからひっぺがそうとしたものの、すぐにその手は宙で止まった。
私の眼前でお姉ちゃんは同じ言葉をなん度も繰り返しながら、涙を流していたから。

「よかった……よかった……本当に良かった……にちか、あなたが選ばれて、本当に良かった……」

振り上げた手は行き場を見失ったので、お姉ちゃんの丸い頭に沿わせることにした。
何度かその縁をなぞるようにすると、お姉ちゃんはその度にずずっとしゃくりあげるようにした。

「にちか……良かったね、本当に……良かったね」

姉の体温を感じながら、体に満ち満ちていく幸福感を感じながら、時計の針がたてる音に、私は耳を傾け続けていた。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
110 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/20(水) 22:02:12.40 ID:M+ISIvdH0

(……な、なに……今の、記憶は!?)

蕩けていた世界が段々とその形を取り戻していき、私はその場に片膝をついた。
前回の思い出しカメラで私たちが思い出したのは、むせかえるほどの不安感。
私たちの日常は、すでに思い描いたものではなく、追い込まれていた状況にあった……という記憶。

灯織「そうだ……私は、お母さんお父さんと一緒に喜びあってたんだ……」

愛依「家族みんな喜んでくれてさ、すごいはしゃいじゃって……パーティなんかもやっちゃおうかってぐらいで……」

霧子「みんな、いっしょになって笑い合ってたんだよね……」

だのに、今回はどうだ。
その真反対ともいうべき、幸せに満ちた記憶。
家族とその愛を分かち合い、喜びを共有し合った輝かしい記憶。
世界の揺らぎが治った今もなお、胸に手を当てるとじんわりと温かい何かが伝播してくるようだった。
111 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/20(水) 22:04:15.42 ID:M+ISIvdH0

にちか「でも……なんでこんな記憶を呼び覚ますの? モノクマは私たちに希望を抱かせるような真似を、なんで……?」

そのことが却って気味が悪い。
モノクマの策略はいずれも私たちを追い込むためにあるもののはずだ。
こんな柔らかく温かい感触なんて、その対極にある。
得体の知れない手がかりをつかまされたことに対する不可解な情緒に、乱される。

真乃「確かに……モノクマの意図が読めないね……今私たちがこんなにも希望に満ちた記憶を思い出して、どうなるのかな」

あさひ「多分、この前の動機ビデオとの相乗効果を狙ってるんじゃないっすかね」

恋鐘「動機ビデオって……あ、あん自分以外の誰かの家族が襲われとった!?」

あさひ「ほら、今わたしたちが思い出したのって他でもないその家族との記憶じゃないっすか。家族との楽しい記憶を呼び覚ますことで、外に戻りたいって気持ちをより高めることを狙ったんっすよ!」

なるほど、確かに言えてるかも知れない。
あの動機ビデオと今回思い出した記憶、時系列はおそらくビデオのほうが後になるだろう。
今私たちが思い出した家族の愛情は、もろく崩れ去っているかも知れない。
そう思うと、不安が湧き上がってくるような気もする。
112 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/20(水) 22:05:32.01 ID:M+ISIvdH0


甜花「そっか……今思い出した記憶のあとで……甜花のパパも、ママも……」

樹里「……チクショウ、趣味が悪いやり方をしやがって」

(……)

……でも、本当にそんなことが狙いなんだろうか。
だとしたら、動機ビデオははなから本人に渡したほうが効果的だろうし、家族との楽しい思い出ならもっと別な記憶だってあるはずだ。
わざわざこのシーンを切り取って思い出させたことの意味が何か別にあるような気もする。
とはいえ、それが具体的にわからない以上は言語化も及ばないところ。
私はどこか引っ掛かるところを感じながらも口を噤んだ。


113 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/20(水) 22:07:10.26 ID:M+ISIvdH0


凛世「すみません……この中に【イキガミ】について心当たりのあられる方はいらっしゃいますか……?」

透「【イキガミ】……そういえば私も今思い出した中で見たかも、それ」

にちか「……! 私もです! なんか郵便ポストの中に入ってた封筒のことをその【イキガミ】って呼んでて、それが届いてたことを喜んでた記憶だったんですよね」

恋鐘「そんイキガミが届くことがとにかくラッキーなこと……だった気はするとやけど……」

恋鐘「イキガミがどんな物だったのかをまるで覚えとらんばい……」

どうやら私たち全員がそうだったらしい。
今思い出した記憶は、イキガミが届いたことを家族で喜び合う記憶。
しかし、そのイキガミがどういうものなのかをまるで誰も覚えていない。
イキガミに関する記憶だけがまるですっぽりと抜け落ちてしまっているような、不自然な空白があった。

あさひ「なんか、わたしはイキガミが届いたことを【選ばれた】って言ってたっす。必ずしも全員が手に入る物じゃなかったってことなんっすかね?」

愛依「チューセンのプレゼント商品的な?」

樹里「にしては畏まった文書って感じの見た目の封筒だったけどな……」

どれだけ考えてもイキガミのことはまるで思い出せず。
新たに取り戻した記憶は、また別の記憶への疑問を呼び起こすのに留まった。

透「……ん?」



……のであれば、よかったのだけど。
114 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/20(水) 22:08:44.31 ID:M+ISIvdH0

透「樋口、どした? なんか様子、変だけど」

円香「……違う」

凛世「違う、とは……何が、でしょう……?」

円香「私が思い出した記憶は……他のみんなとは違う」

(……!!)

思えば、思い出しライトを照射されてから樋口さんの様子はおかしかった。
いつも以上に口数は減り、他の人の話している内容に怪訝そうな視線を向けたかと思うと、今度は自分の両肘を持って肩を振るわせたり。
自分自身の記憶に怯えているようなそぶりに見えた。

樹里「おい……円香、説明してくれるよな?」

円香「……皆さんはイキガミをポスト、郵便受けで手に入れたんですよね?」

にちか「は、はい……夕方の配達が終わった頃だから取ってこいってお姉ちゃんに言われて……」

恋鐘「うちは朝の仕込みのついでにポストを覗いた時たい!」

円香「……私がそのイキガミを貰ったのは、父からなんです」

(……!?)
115 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/20(水) 22:11:42.72 ID:M+ISIvdH0
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

私が住むのはごく普通の一軒家。
書斎という名前が与えられてはいるものの、父の部屋として以上の機能はそこにはなく、扉も他の部屋と変わらないごく普通の一室だ。
パイル材の扉を手の甲で三度ノックすると、父から返事があった。すぐにノブを引いて、その中に一歩踏み込んだ。

『……何? 用事って。わざわざ呼び出すなんて珍しいよね』

父は珍しく机の上のパソコンの電源も落として、半身をこちらに向けた状態で出迎えた。
机の上では淹れたばかりのコーヒーが湯気を放つ。

『ああ、ごめんな。お前と面と向かって話がしたくてな』

『……』

話をすると言われても、腰を下ろすところもない。
私は腕を組んで、露骨に鬱陶しそうな表情を浮かべた。
用件は手短に、という意思表明だ。

『うん、早速なんだが……本題だ』

父はデスクの下に引っ掛けてあったビジネスバッグを膝の上に乗せた。
慎重な手つきでチャックを開けると、そこから一通の封筒を取り出した。
116 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/20(水) 22:12:59.05 ID:M+ISIvdH0

『イキガミだ……これをお前に』

『……は?』

耳を疑った。
イキガミなんてものは望んだところでそう易々と手に入るものでもない。
厳正な管理のもとに配布されているもので、その一つ一つにシリアルナンバーも振られているため偽造もできない。
冗談の題材にするのも不向きな存在だ。

『いや、意味わかんないんだけど。イキガミがこんなところにあるわけないじゃん……』

『いや、これは正真正銘のイキガミだよ』

『……』

手に取った封筒を何度も裏返したり照明の光に当てたりしてみる。
それで本物か否かが分かるわけでもないが、すぐに呑み込めないのだから仕方ない。

『お父さんが何の仕事をしているのか、あんまり話したことはなかったな』



『お父さんはこの封筒、イキガミを作る仕事をしているんだ。イキガミの配送先を厳正に選んで、プロジェクトを進めるための機関で働かせてもらっている』


117 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/20(水) 22:13:47.36 ID:M+ISIvdH0

『だから、俺がイキガミを作ろうと思えばいつでも作れるんだよ』

『……』

絶句した。父は自分が何を言っているのか理解しているのだろうか。
こんなの職権濫用以外の何物でもない。
公に知れれば俗世間一億の人たちからは一億の敵意を向けられること間違いなしの行い、父は悠々と語る。
あまりの現実味のなさに狼狽え、頽れてしまいそうだった。

『……お前はきっと、こんな形でイキガミを受け取ることはよしとしないだろう。それは俺も思っていたさ』

『でもな……俺の気持ちも理解して欲しいんだ。俺がイキガミを知りもしない連中に送りつける中で、もしこれを自分の娘に渡すことができたのならって……ずっとずっと思っていたんだ』

『だとしても……これを受け取れば、お父さんは……お父さんは……!』

『いいんだ』

『……!?』

118 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/20(水) 22:14:53.32 ID:M+ISIvdH0

『親っていうのはそういう生きものなんだよ。自分たちの子供たちのためなら、法律を犯すことにも何の躊躇もない。必要なら人だって殺せる』

『今の俺にとって、円香のためにすべきことはこれしかない。これが俺のできる全てなんだよ』

『だからどうか……受け取って欲しい』

私は心底父を軽蔑していた。
私はよっぽど理性的な人間であるという自負をしていた。
愛だとかなんとか、そんな不明瞭で漠然とした概念に動かされる人間は浅いと感じていた。
今自分に突きつけられているこの封筒も、ビリビリに破り捨ててやろうと思ったぐらいだ。
奥歯で苦虫を噛み潰して、歯軋り三寸目。
父の言葉が、私の心臓に楔を打った。



『今回のイキガミは……お隣さんにも発送される予定だ』



『……卑怯者』

私は父を殺意を込めて睨みつけると、その封筒を乱暴に奪い取った。
そのまま言葉も交わさずに、部屋を後にする。

父のあの一言のせいで、私の手には力がこもらなくなってしまった。
この紙切れ一つを破るほどの力もなく、ただ無気力に垂れ下がった手は、指で封筒を挟み込むだけ。
土砂降りにあった後のような、暗く沈んだやるせない感情のままに、私大きな溜息をついた。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
119 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/20(水) 22:16:18.80 ID:M+ISIvdH0

円香「……私は、イキガミを父から直接に受け取ったんです。他の方々のように、配送されてきたわけじゃない」

灯織「ちょ、ちょっと待ってください……樋口さんのお父さんが……イキガミの発送元……?」

霧子「イキガミの発行元の機関の、職員さんだったんだね……」

あさひ「待って欲しいっす。円香ちゃんのお父さんの名前、さっきわたしたちは見たはずっすよね」

あさひ「このコロシアイに参加しているメンバー、それを招集したのは円香ちゃんのお父さんだったはずっす」

あさひ「円香ちゃんのお父さんがわたしたちを選定していた……それって、このイキガミの話と関係あるんじゃないっすか?」

(……!)

愛依「え、ぐ、グーゼンじゃない……?」

凛世「いえ……ただの偶然と見過ごすわけにはいきません……なぜなら、イキガミの話でもあのファイルと同様に円香さんは【特別扱い】をされております……」

真乃「青いファイルでは円香ちゃんは【現場管理者】として特別な役割を与えられて、別枠で計画に参加するように記述がありました」

透「樋口にその自覚はないみたいだけどね」

真乃「今円香ちゃん自身が話してくれた記憶でも……円香ちゃんはイキガミをお父さんのコネで手に入れたみたいでしたよね……?」

樹里「点と点が線で繋がった……みてーだな」



灯織「イキガミというのはこのコロシアイへの参加権。樋口さんのお父さんはその運営を行う立場にあり、樋口さんは現場でそれを統括する立場にある……ということでしょうか」



円香「違う……私はそんなこと、知らない」
120 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/20(水) 22:18:23.01 ID:M+ISIvdH0

愛依「……でも、それって変じゃね? うちら、あのイキガミを受け取った時喜んでなかった?」

にちか「はい! なんか柄でもなくお姉ちゃんは私のこと抱きしめるまでして……並みならぬ喜びようだったと思うんですけど、コロシアイの参加権だったらあんな反応するんですかね?」

あさひ「表向きと実情で乖離があったんじゃないっすか?」

真乃「ほわっ……それってどういう意味……?」

あさひ「イキガミの中身が分からないから断言はできないっすけど、あのイキガミで呼び寄せた人間を嵌めるのが狙いだった可能性はあるっす」

凛世「撒き餌、ということでございましょうか……?」

恋鐘「そ、そいをやったんが円香のお父さん……?」

樋口さんは私たちに猜疑の目を向けられる中で口をぱくぱくと動かした。
否定をしたいのに、その言葉が出てこないようだ。

透「待ちなって」

愛依「透ちゃん……?」

透「……正直樋口の周りの事情は、実際どうなんかわかんないけどさ。少なくとも、今の樋口はそのことを覚えてはなかったんだよ」

透「そんな冷たい目向けんのは、なんか違うじゃん」

あさひ「それもどこまで本当なんっすかね」

円香「……」
121 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/20(水) 22:20:23.90 ID:M+ISIvdH0

あさひ「円香ちゃんの才能研究教室にあったモノクマーズの仕様書に、円香ちゃんにあてがわれている現場管理者という役職」

あさひ「それに何よりモノクマ自身が仲間だって証言している」

あさひ「そんな人間が、記憶を奪われているなんてバカな話があるとは思えないっすよ」

あさひ「円香ちゃんは全部知ってたんじゃないっすか? 全部全部知った上で、それを隠していたんじゃないっすか?」

円香「違う……違うから」

樋口さんの振る舞いに嘘は感じられない。
当惑の素振りにも真に迫るものを感じさせる。
だけど、それと信用に直結するかと言われるとそうはいかない。
目の前に続々と現れた情報の数々が、呼水のように私たちに不信を湧き上がらせている。
芹沢さんじゃないけれど、私たちも彼女のことを『仲間』だとは胸を張っては言えない状況になっていた。


「……」


そしてバツの悪い沈黙が食堂を満たした。
学級裁判を乗り越えた直後、新しい一歩を踏み出そうかというタイミングなのに、その出鼻を挫かれた形になってしまった。
122 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/20(水) 22:21:44.36 ID:M+ISIvdH0

樹里「ああもう……チクショウ、なんか疲れちまった……なあ、とりあえずのところは今日はもう解散しねーか……?」

暫くして、西城さんがため息混じりにそう言って静寂を破った。
その表情は、彼女らしくなく沈痛だ。

真乃「そうだね……学級裁判をやった直後に、色んなことが起きすぎて……なんだかクタクタかも……」

あさひ「円香ちゃんのことはどうするっすか?」

樹里「どうするもこうするもねーよ……とりあえずは様子見だろ……」

(だいぶ西城さんは参っちゃってるな……そりゃそうだよね。有栖川さんのことも引きずってるだろうし、さらに樋口さんの信用を問われて……)

(私だって、相当にキてるんだもん)

私たちは西城さんの提案に同意して、椅子から立ち上がる。
その足取りはバラバラなままに、食堂を後にした。
123 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/20(水) 22:23:22.27 ID:M+ISIvdH0

円香「……どうやらお邪魔なようですし、先に失礼しますね」

透「あ、ちょい。私も行く」

スタスタ

甜花「甜花……教室からゲーム持って帰ってから、部屋に戻ろ……」

スタスタ

あさひ「ふわ〜あ、なんだか疲れたっすね。今日は早いとこ寝るっすよ」

愛依「あさひちゃん、部屋まで送ってくよ!?」

スタスタ

真乃「……私たちも、帰ろっか」

灯織「そうだね……にちかも、そうするでしょ?」

にちか「う、うん……」
124 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/20(水) 22:25:19.75 ID:M+ISIvdH0
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【寄宿舎前】

食堂を出ると空にはすでに星が登っていた。
思えば今日という1日はあまりにも多くことが起きすぎた。
本来なら、体育祭で汗を流して、笑顔を向け合っていたはずなのに。
そんな活気はもはや見る影もない。

灯織「どうなっちゃうのかな……私たち」

真乃「灯織ちゃん……?」

灯織「めぐるに夏葉さんを喪ったばかりなのに、その死を悼む時間もないままに今度は樋口さんのことを疑って……精神がどんどんすり減っていく実感があるんだ」

灯織「今はただに、明日が来ることが怖い……」

(……)

灯織ちゃんの震える声を支えてあげられるような何かを口に出してあげたかった。
だけど、何も出てこない。私たちはただ、それを否定するでも同調するでもなく、無言で石を蹴る。
125 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/20(水) 22:26:14.50 ID:M+ISIvdH0

灯織「めぐるは言ってたよね、信じるってことはその人と一緒に歩んでいきたい気持ちの現れだって」

灯織「……真乃とにちか、二人のことは今でも胸を張って信じられるよ。でも、他の人たちのことは……分からない」

灯織「信じていた相手だって、知らないだけで私の見ていない面に何か抱えているものがあるかもしれないんだって思うと……」

灯織「……ごめん、こんなこと言うべきじゃなかったよね」

真乃「う、ううん……気にしないで」

にちか「ホントだよ、そんなこと言わないで」

灯織「……!」

自分の口からは思いの外刺々しい言葉が溢れていた。
ちくり、と灯織ちゃんの瑞々しい肌を突き刺す感覚に思わず自分で口を覆った。

でも、堰き止められない。
穴が空いた袋からは中身がなくなるまでこぼれ続けるように、一度衝動的に口からこぼれたものは出し尽くすまで止まらないものだ。
126 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/20(水) 22:27:52.65 ID:M+ISIvdH0

にちか「なんでそんなこと言っちゃうの。私たちだけはそんなこと絶対に、言っちゃダメでしょ」

にちか「今灯織ちゃんが口にしてるのはめぐるちゃんが託したものを、荷が重いって諦めるようなものだよ」

(あれ、なんでこんなこと言ってるんだっけ)

火照る体と対照的に冷めきっている自分がいた。
そんな冷笑気味の自我はマシンガンのように攻め立てている自分のことを客観的に分析しようとしている。

にちか「めぐるちゃんの一番近くにいたのに、誰かを信じるのが怖いなんて言っちゃダメじゃん! 他の人のことがわからないのなら、わかろうとする努力をしなきゃ!」

沸騰する体が、視界を陽炎に揺らす。
目の前の灯織ちゃんの輪郭が揺れて、ぶれて、やがて一つの形をとらえた。

(ああ、そっか……)

丸い頭に、ちんちくりんの体。
不格好に狼狽して、自分勝手な理由で喚き散らしている。

(灯織ちゃんは、私自身なんだ。私自身が、それが出来ていない自覚があるからこんなにも……)


(苛ついてるんだ)


灯織ちゃんを写し鏡にして、私は私自身のことを見ていた。
127 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/20(水) 22:28:25.20 ID:M+ISIvdH0

にちか「見えない真実があるんだったらそれを知ろうと全力で向き合わなきゃ! 誰かに流されて信じたり、信じなかったりするのって無責任なんじゃないの!?」

それが分かった瞬間に、ザクザクと胸が抉られる音がした。
灯織ちゃんに向けていたはずの刃が全て自分へと帰ってきて、そこから溢れてきた液体が俄かに熱を冷ます。

にちか「……あ、ごめん! わ、私何言っちゃってるんだろ……! 灯織ちゃんのことを裏切った前科もあるような人間なのに……こんなのいう資格なさすぎだよね……」

私は慌てて自分の非礼を詫びた。
自傷行為の当て馬に相手を使った図々しさと醜さに自己嫌悪が溢れ出す。

灯織「ううん、大丈夫……にちかの気持ちは伝わった。だから、これ……使って?」

にちか「え……? ハンカチ……?」

灯織「すごい顔してるから、にちか」

そんな相手にも掬い上げるための道具を貸してくれるなんて、本当にできた友人だと思う。
私は青いハンカチを目頭に当てがい、何度もありがとうと口にした。
128 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/20(水) 22:29:28.95 ID:M+ISIvdH0

真乃「なんだかにちかちゃんのおかげで目が覚めたかも……そうだよね、信じるために相手を知ろうとすることが大事なんだよね」

真乃「円香ちゃんが私たちにとって、どんな存在なのか……それに悩んでいるのなら、答えが出るまで真実を追求するしかないよね」

灯織「そうだね……学級裁判のこともあってなんだか疲弊して視野が狭くなってたかも」

にちか「うぅ……ほんと、説教垂れてごめんなさい……自分でもうっざいこと言ったなって思ってるんで……」

真乃「そんなことないよ……っ! にちかちゃんのおかげで大切なことに気づけたから……!」

にちか「うぅ……気遣いが身に染みる……」

灯織「とりあえずは部屋に戻ろう。明日もあるしね」

真乃「そうだね、明日もある……そうだよね!」

129 :今日の更新はここまでです ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/20(水) 22:30:25.49 ID:M+ISIvdH0
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【にちかの部屋】

【キーンコーンカーンコーン……】

モノタロウ『才囚学園放送部からお知らせします! 午後10時になったよ! 夜時間だよ!』

モノファニー『今から朝の放送までは食堂と体育館の扉は施錠されるからキサマラは注意するのよ』

モノダム『ミンナ、ユックリ体ヲ休メテ明日ニ備エテネ』

モノタロウ『……うわーい! かつてないほどスムーズに放送できたよ!』

モノファニー『本当ね! いつも邪魔ばっかりしてた二人が死んじゃったから伝えるべきことがすんなりと伝えることができたわ!』

モノダム『二人ガ一生懸命練習シタ成果ダヨ』

モノタロウ『兄弟が減っちゃって始めはどうなることかと思ったけど、なんとかなりそうだね!』

モノダム『仲良ク協力ヲスレバ不可能ナコトナンデナインダヨ』

プツン

(なにあれ……一応兄弟って設定なんでしょ……?)

(なんでそのお別れにあんな風に淡白になれるわけ……?)

真乃ちゃんと灯織ちゃんに気づかれながら部屋まで辿り着き、私たちは別れた。
部屋を開けて部屋に入った瞬間に全身を襲った疲労感。朝からずっと気を張りっぱなしで、肩も張っていた。安堵するような余裕もなかったけど、今はただ今日が終わったことを受け止めて、眠りたい衝動に駆られていた。

「はぁ……マジで、疲れた……」

私は部屋の消灯をすることも忘れたままに、ベッドにそのまま倒れ込む。
モノクマーズが日中に取り替えているのか、シーツは新鮮な太陽の香りがした。
鼻いっぱいにその香りを吸い込みながら、私はゆっくりと瞳を閉じていったのだった……


130 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/23(土) 21:01:12.93 ID:+h3ktCbr0
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【School Days 12】

【にちかの部屋】

【キーンコーンカーンコーン……】

モノタロウ『嬉しいな! 嬉しいな! オイラ、やっとお母ちゃんに会えたんだよ!』

モノファニー『もう……モノタロウったら昨日の夜からずっとこの調子なのよ』

モノダム『オ父チャンハオ母チャンカラノ手紙モ握リ潰シテ、オラタチニ見セテクレナカッタカラネ。オラタチハ愛ニ飢エテルンダ』

モノタロウ『お母ちゃん! 見てる!? オイラたち、今日もお母ちゃんのために頑張ってるよ!』

モノファニー『お母ちゃん、アタイも頑張るからお母ちゃんも頑張ってね! 疎外感に負けないで!』

モノダム『オラタチハオ母チャンノ味方ダヨ』

プツン

(……完全に放送を私物化してるけどいいの? これ)

(というかやたらお母ちゃんを強調してたのは……多分私たちに疑心暗鬼を振り撒くためなんだろうな)

モノクマーズたちの放送から滲み出る悪意に厭悪を感じながら、私は大きく伸びをした。
樋口さんへの不信はなおも私の中にもある。
自分の目で確認した事実、そこから目を出したこの感情に否定はできない。
でも、真実を見極めてから信じるか否かの最終決定は下そうと決めたから。
私はここから逃げ出すような真似はしないんだ。

朝の支度をそそくさと済ませると、私は足早に食堂へと向かった。
131 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/23(土) 21:03:12.17 ID:+h3ktCbr0
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【食堂】

食堂に足を踏み入れると、いつもよりも集まっている人の数がまばらだった。
昨日の疲れが尾を引いている……それだけのことじゃないのは明らかだった。
でも、欠席が目立つことよりも、私たちの関心は【別のところ】に惹きつけられる。

時間が止まったかのように、その場所だけが違った雰囲気を放っていたから。
昨日の猜疑と対照的とすら思える柔和な雰囲気に、思わずたじろいだ。



霧子「ゆっくり息を吸って……吐きましょう……」

灯織「スー……ハー……」



132 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/23(土) 21:04:33.30 ID:+h3ktCbr0

霧子「どうかな……? 全身に、命が行き渡るのを感じる……?」

灯織「はい……指先から活力が蘇るようで……」

霧子「うん……人の細胞は、三ヶ月ごとに完全に入れ替わって……血液は120日で入れ替わるから……その度に、私たちは生まれ変わるので……」

霧子「定期的に命を行き届かせる時間を作ってあげてほしいな……それが、灯織ちゃんが灯織ちゃんなことの理由になって、目的にもなるから……」

(な、何をしてるの……二人は……?)

にちか「ちょ、ちょっとどうしたんですか? 急にそんな……」

灯織「あ、おはよう、にちか。昨日はありがとう。にちかのおかげで私、また一歩を踏み出すことができたよ」

霧子「ふふ……灯織ちゃん、昨日とは見違えちゃって驚いたんだ……本当のことを見失わないように、真実から目を背けないって心に決めたようだから……」

にちか「あ、はい……まあ、それっぽいことを昨日私が言いましたけど、それがどうしてこんなお気楽深呼吸タイムに……?」

灯織「今朝霧子さんと少しお話したんだ。樋口さんを信じるために、相手を知るのにはどうすればいいのか」

霧子「その人のことを知るには、自分の中にいるその人のことを知らなくちゃ……」

にちか「はぁ……?」
133 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/23(土) 21:05:22.27 ID:+h3ktCbr0

霧子「人と人が交差することで、細胞が、体がその人のことを憶えるの……自分の持っている記憶に訊いてみるのが大切だよ……」

にちか「……???」

霧子「自分の心臓の鼓動が、張り巡らせる血液が、眠っていた記憶を呼び覚ましてくれるんだよ……」

そう言うと、霧子さんは私の方に一歩踏み出して、私の両耳を自分の手で塞いだ。
静寂の中で、自分の心臓の鼓動と霧子さんの脈拍だけがやけに響く。



霧子「トクン、トクン……って脈打つ心臓に、聞いてみて……自分が本当に何をしたいと思っているのか、本当は何が怖いのか……」

にちか「……っ! け、結構です!」



バッ

そのことが私にとっては何か不気味な感触に思えて、思わず霧子さんの手を払ってしまった。
音に身を浸していると体の底が湧き上がり、のぼせていくように感じられて、自分自身を見失ってしまいそうに思えたからだ。
134 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/23(土) 21:07:14.06 ID:+h3ktCbr0

灯織「にちか……はじめは自分自身と向き合うのは怖いと思うけど、大丈夫だよ。誰かを信じたいと思う気持ち、誰かと一緒に歩みたいと言う気持ちのルーツを知るだけだから」

灯織ちゃんはどこかポーッとしていて、言葉尻が妙にふわふわしている。
踵が浮いたかのように、天に登っていきそうな表情だ。

にちか「ちょ、ちょっとどうしちゃったの灯織ちゃん……? 昨日は全然、そんな感じじゃなかったじゃん?」

灯織「うん……昨日までの自分は、誰かを疑おうとばかりしてたから。でも、にちかのおかげで目が覚めた。それは本当だよ」

灯織「目が覚めたおかげで、誰かを信じたいと望んでいる理由が分かったんだ。私は、生きていたい。私という存在を絶やしたくないんだって」

霧子「にちかちゃんはテセウスの船って知ってるかな……? もしくは、ジョンの靴下……」

にちか「船……? 靴下……?」

灯織「何かをそのままで居続けるために、本来のものとは違うパーツを繋いでいった行き着く先にあるのは、本来のものかそうでないかっていう哲学問答の話だよ。それは人の体でも同じなんだ」
135 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/23(土) 21:08:33.51 ID:+h3ktCbr0

霧子「絶えず肉体の細胞が入れ替わるなかでも、その人が変わらずにその人で居続ける理由……なんだと思う?」

にちか「さあ……?」

霧子「記憶、じゃないかな……細胞が、脳が、体が覚えている記憶が、何度も伝播することでその人はその人であり続ける……」

灯織「それが続いていることが生きているってことなんだ……ってそう気づいたんだ」

別に霧子さんの話に変な要素は何もない。
人が生きることの是非を問うているわけでも、高尚な美徳を説いているわけでもない。
それなのに、この煩わしさはなんなんだろう。
言葉に耳を傾けているだけで、腹の底をかき乱されるような落ち着かない気持ちになる。


樹里「なあ……おい……いつまでやってんだ、早く朝ご飯食べようぜ」


(た、助かった……!)

二人に詰め寄られて、ゾワゾワとした感覚に苛まれていたところで、既に卓についていた西城さんから声が上がった。
頬杖をついて、気だるそうにこちらに手を振っている。
136 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/23(土) 21:10:49.67 ID:+h3ktCbr0

にちか「ほ、ほら二人とも……みんなお腹空いてるみたいですし、とりあえず後にしません?」

霧子「……」

灯織「霧子さん……」

私はすぐに西城さんの呼び声に縋りついて、二人の勧誘を振り払った。
なんとなく、これ以上はまずい気がした。

霧子「ふふ……そうだね……」

(た、助かった……)

私の提案を幽谷さんは笑顔を飲み込むと、そのまますぐにグワンと背を向けて……

樹里「……ん? どうした、霧子」

霧子「樹里ちゃんは今……ズキズキを感じてるんだよね……?」

樹里「は……?」



霧子「ちょっと……耳を、お借りします……」



両手で西城さんの耳を塞いだ。
137 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/23(土) 21:11:56.12 ID:+h3ktCbr0

にちか「えっ、ちょっ……!」

私にさっきやったのと同じ手口だ。
瞬間的に感覚をシャットアウトして、その瞳の奥に引き摺り込む。
あの時の幽谷さんには、少しでも身を委ねるとすぐに飲まれてしまうような並ならぬ気迫があった。
慌てて幽谷さんを西城さんから引っぺがそうとした時、私の右肩は何か強い力で、その場に引き留められた。

にちか「い、痛……?! 何……?!」

灯織「にちか、邪魔しちゃダメだよ」

にちか「ひ、灯織ちゃん……?!」

灯織ちゃんが、最初の裁判の直後のような冷たい視線をまた私に向けていた。
138 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/23(土) 21:12:45.31 ID:+h3ktCbr0

霧子「樹里ちゃん……自分の心臓の声を聴いて……その奥底にある温かいものは何から生まれているの……?」

樹里「な、にこれ……すごく、響いてる……」

霧子「ふふ……樹里ちゃんの心臓、バクバク言ってるね……不安なのかな……怯えてるのかな……」

霧子「でも、大丈夫……樹里ちゃんの細胞の中には、夏葉さんがいるはずでしょ……?」

霧子「樹里ちゃんの中の夏葉さんは、何を言ってるの……? 何を伝えようとしているの……?」

樹里「なつ、は……?」

二人の様子は尋常じゃない。
はじめは幽谷さんの手首をガシリと掴んで抵抗を示していたのに、次第に指からは力が抜けていき、今はぶらんと垂れ下がっている。
西城さんの口はどこか緩んだ様子で、幽谷さんの言葉を疑いもせずに、そのままに全部受け入れている。

霧子「樹里ちゃんは、それを聴いて……どうしたい……?」

にちか「さ、西城さん……! ダメ、ダメです! それ以上聞いちゃ……!」

霧子「自分の言葉で、口にしてみて……?」

樹里「アタ、シ……は……」

その様子を一言で形容するのなら、『洗脳』だった。
139 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/23(土) 21:13:32.60 ID:+h3ktCbr0





樹里「アタシは……夏葉の思いを継ぎたい……もうこれ以上、誰にもコロシアイなんかさせたくない……!」




140 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/23(土) 21:14:52.81 ID:+h3ktCbr0

さっき灯織ちゃんが『目が覚めた』と言っていた理由がよくわかった。
一度俯いてから、再び上げた西城さんの表情は憑き物がとれたように、不自然なほどに明朗としていたから。
昨日までの消沈っぷりを忘れてしまったかのように、元気になった姿に私は悪寒すら覚えていた。

人はバネじゃないんだ。そう簡単にひしゃげたものが元には戻らない。
それなのに、今の西城さんからは一切の凹みが感じられない。
もはや別の誰かになってしまったかのようで、戦慄した。

樹里「ありがと、霧子……アタシ、気づいたよ。アタシがすべきこと、アタシがやりたかったことに」

にちか「ちょ、ちょっと……西城さん……?」

樹里「にちか、心配かけたな。もう大丈夫だ! アタシはもう全部乗り越えた! もう怯えたりなんかしない!」

……怖い。
その笑顔が。その声が。そのドロドロの瞳が。
141 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/23(土) 21:16:45.40 ID:+h3ktCbr0

樹里「にちかも聞いたほうがいいよ。霧子に一度身を委ねてみろって。自分の心臓の奥に眠るものに気づけるからさ」

にちか「ちょ、ちょっと待ってください……! 要らない、要らないですって……!」

並ならぬ様子に恐怖心を覚えて、思わず後退りした。
後退りしたのは、よかったんだけど……

にちか「……へ」

その先には、食堂の卓と椅子があって。

ドッシャーン!

私は後ろから派手にすっ転んでしまった。
食堂中に響き渡る音で、さっきまで厨房で作業をしていた月岡さんをはじめとして、その場に居合わせた全員が私の元へと駆け寄ってきた。

恋鐘「に、にちか〜〜〜?! な、何があったとね?! 泡吹いて倒れた蟹みたいになっとるばい!」

あさひ「大丈夫っすか? だいぶ派手に転んだみたいっすけど」

真乃「に、にちかちゃん……起き上がれる? 手、使って……っ!」

私のことを覗き込んで心配してくれるその表情をみて、深い息が出た。
その瞳にはあるべき色がちゃんと宿っている。変に瞳孔が静止するようなこともなく、不安と混迷にちゃんと揺れている。
人間らしい表情をしていると言えばいいだろうか。
少なくとも、さっきまでの灯織ちゃんと西城さんのそれとは違って、自然なものだった。

霧子「……樹里ちゃん、無理強いは良くないよ。ちゃんとにちかちゃん自身に分かってもらわないと……」

樹里「お、おう……悪い……」

霧子「然るべきタイミングで、言葉はちゃんと届けないと……届くものも、届かないから……」

灯織「……」

(……マジで、なんだったの)
142 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/23(土) 21:18:24.20 ID:+h3ktCbr0



そこから私たちはいつものように席について食事をとった。
雑談をしながら、今日これからどうするかを話し合いながら。灯織ちゃんもいつもと同じように口を開いてくれていた。

……いや、嘘。いつも以上に灯織ちゃんは饒舌だった。
やけに希望だなんだの振り翳して、もうコロシアイは起きないだとか、みんなのことを信じられるだとか、綺麗な言葉ばかりを声高に語っていた。
そのことに真乃ちゃんも私もどこかぎこちない笑顔を浮かべていたように思う。

あさひ「なんだか今日は集まってる人が少ないっすね。ここにいないのは、凛世ちゃん、甜花ちゃん、透ちゃん、円香ちゃんっすか?」

愛依「透ちゃんと円香ちゃんはまあ昨日のこともあるししゃーないんかなって感じだけど……凛世ちゃんと甜花ちゃんの二人が欠席か……」

にちか「甜花さん……まあ、まだ裁判の翌日ですもんね……」

恋鐘「凛世はこの学園に来た時もよう怯えとった子やけん、心配やね……円香への疑いで、部屋から出られんようになっとるんかも」

樹里「それなら、アタシが声をかけて連れ出してみるよ。飯を食べたらすぐに行ってみる!」

真乃「じゅ、樹里ちゃん……」

樹里「そんな心配そうな顔すんなって! 大丈夫、話せば分かってもらえるはずだよ」

灯織「それなら甜花さんには私が声をかけに行ってみます!」

霧子「うん……お願いします……」

(……やっぱり、なんか変だよ)
143 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/23(土) 21:19:24.26 ID:+h3ktCbr0

真乃「透ちゃんと円香ちゃんはどうする……?」

恋鐘「どうするもなんも……うちらは適切な距離を保って、様子を見るしかなかよ。下手に刺激するのも危なかやけん」

あさひ「機嫌を損ねたらエグイサルで殺されちゃうかもしれないっすからね!」

にちか「ちょ、ちょっとそんな言い方……」

あさひ「なんで庇うんっすか? 円香ちゃんは敵っすよ?」

愛依「ちょいちょい、まだそうと決まったわけじゃないしさ。もうちょっと優しい言い方にしてあげよ?」

あさひ「……」

やっぱり、私たちで動かなくちゃダメだ。
これ以上真実に歩み寄ろうとすることを他の人たちは恐れている節がある。
樋口さんを信じられるかどうか以前に、今の私たちはその判断を下すところまでに辿り着けていない。
私は真乃ちゃんの方を向いて、頷きあった。

144 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/23(土) 21:20:41.30 ID:+h3ktCbr0
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【にちかの部屋】

朝食を終えると私たちはまちまちに動き出した。
私は一度部屋に戻ることにした。
真実を探るにしても、誰かと共に過ごすにしても、一旦息をつきたかった。

「……はぁ、灯織ちゃんに西城さん、どうしちゃったんだろ」

仲間のこれまでにみたことのない異常な姿を目の当たりにしたことで、私の心臓がやけに昂ぶっていた。
これは興奮というよりも困惑だ。
昨日寝る前には、今日という1日を契機に状況が好転していくものと思っていたのに。
こうなってしまっては今の自分はどこに向かっているのかその指針が行方不明だ。

とはいえ、嘆いている時間はない。
こうしている間にもどんどん樋口さんたちと私たちの間の溝は広まっていってしまう。
今すぐにでも、動き出さなくちゃ状況は悪化していくばかりだ。

「……よし!」

ベッドから立ち上がって、声を上げた。

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145 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/23(土) 21:23:19.58 ID:+h3ktCbr0
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【超研究生級の???の才能研究教室】

気がつくと私は樋口さんの才能研究教室に辿り着いていた。
あれだけ警戒して誰も入らないように見張っていたはずの教室には、扉の前に立つ人の姿もなく、すんなりと部屋に入ることができた。
持ち主にお伺いを立てることもなく門をくぐり、あのファイルをまた手に取る。

「やっぱり、どうみても樋口さんのことだよね」

私たちのプロフィールの羅列とは別枠で設けられた現場管理者。その任についているのは他でもない樋口円香その人だ。
でも実際、私たちはこの現場管理者という役職の示すところを知らない。
他の状況証拠やモノクマたちの証言からして、樋口さんは参加者としてコロシアイを現場で操ろうとしているのだと推察をしたけど、
ここにはまだその疑いを覆しうる可能性が眠っているはずだ。
146 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/23(土) 21:24:50.86 ID:+h3ktCbr0

私は一度ファイルを棚に戻して、他のところを色々と覗いてみることにした。
棚に他に入っているファイルをパラパラと開いてみたが、新しい情報は何もない。
書いてあるのは、この才囚学園の施工計画や、エグイサルの開発記録など。
専門的な情報があって、眺めていてもまるで頭には入ってこない。

でも、何度かそういう理解不能の情報を追っていると、それらに【共通するもの】が見えてくる。

「ここにも……火星のマークが書いてある」

モノクマーズの写真の右下にプリントされていたのと同じマーク。
円が大ぶりになった♂マークみたいなそれを指でなぞった。

「……これ、このコロシアイを行なっている組織のエンブレムだったりするのかな」

そう思うとなんだか無性に気になり始めた。この学園生活をしている上ではまるで目にしてこなかったマークが、この部屋の中ではたびたびに登場する。
まるでモノクマたちがこの部屋の中の封じ込めているみたいだ。

「……よし」

私は棚にあったファイルをいくつか脇に抱えるようにして、部屋を後にした。
向かう先はあの場所。埃が満ちて、時が止まったようになっている終末の空間。

147 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/23(土) 21:26:34.73 ID:+h3ktCbr0
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【図書室】

ちゃんとした利用用途でこの部屋を訪れたのは初めてかもしれない。
本来静謐で満たされているはずの場所なのに、私の記憶は血生臭いものばかり。
あの時の自分自身の荒々しい息遣いと、手に伝う熱がいまだに実感として残っている。
首をブンブンと横に振ってそれらを振り払うと、私は脚立を引き寄せて本棚を順に見て回った。

ここの蔵書はかなり広いジャンルに渡っている。
教科書で見るような文学作品はもちろんのこと、百科事典や洋書、地図や絵本、専門書の類もある。

だけど私が今回探したのは企業の『四季報』だ。
私は社会情勢に関心のあるような熱心な学生ではない。
国内企業なんかはテレビやラジオのCMに流れるものでせいぜい。
知らない法人や組織は星の数ほどあるだろう。

だから、答えを追い求めるために私は頁を次々とめくった。
樋口さんの部屋から持ち出したファイル、そこに刻まれていた火星のマークを探すために。

パラパラ、パラパラと捲っていくと……
148 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/23(土) 21:29:26.71 ID:+h3ktCbr0

「……あった」

____『岩菱鉄工』。

千葉の鉄工業界の企業で、国内でもその規模はかなり大きい方に入る。
海外進出している車メーカーや家電メーカーの部品製造を行う他、半導体メーカーと連携して商品開発なども行なっているらしい。
生憎私は今この瞬間までこの企業の存在を知ることはなかったのだけど、そこにあるマークのせいもあってか、私は妙なデジャブを感じてしまった。

「マジで同じロゴだ……火星のマークってだけの符合じゃない、線の太さや歪曲具合まで何もかもおんなじ……」

どうやらこのロゴは社章らしい。
錬金術で鉄を意味するところから引用して、後は火星探査にまで通用する製品を作りたいだとかなんとか、由来はちゃんとあるらしい。
そんな真っ当な企業のロゴがモノクマーズの写真や才囚学園の施工計画、エグイサルの設計図にプリントされていた理由……

そんなの、一つしかない。

この会社が、それらを作っていたんだ。


____それってつまり、



まさかこの企業が【このコロシアイを主導している組織】なの……?


149 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/23(土) 21:31:08.29 ID:+h3ktCbr0

円香「……え?」

私が四季報を見て言葉を失っていた時、急に背後で音がした。
ギィという音がしたかと思うと、後ろから風が背中を撫でた。
音のした方に目をやると、扉を手で押し開けたらしい樋口さんがそこに立っていた。

樋口さんは私の姿を見た瞬間に表情を曇らせて、図書室を後にしようとする。

にちか「ま、待ってください! 行かないで……私、別に樋口さんを敵視してませんので!」

ピタッと足を止めて、ゆっくりとコチラを見る。
樋口さんの口元は硬く結ばれたまま。私の言葉の意味を見定めようとしているのか、慎重な立ち回りをしている。

円香「私ほど怪しい人間もいないでしょ? そんな盲目的に信じようとされても困るし……すべきじゃないと思うけど」

にちか「そうじゃないです……私は、まだ樋口さんのことを信じることも信じないことも決められないってだけ。真実はまだ明らかになってないんで」

円香「……分かった」

にちか「あの、樋口さんはどうしてここに? というか……日中はずっと何してたんですか?」

円香「別に……ほとんど自分の部屋。外に出て騒がれるのも嫌だから……適当に本を読んで時間を過ごしてた」

円香「今は新しい本を取りにきたところ。本だけ取ったらすぐ帰るよ」

(……樋口さん、私たちに遠慮をしてるんだろうな)

そこで私はカマをかけてみることにした。
今はまだ、私がここにいる理由も、何を見たのかも彼女はまだ知らない。
150 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/23(土) 21:32:10.94 ID:+h3ktCbr0

にちか「樋口さん、ひとつ聞きたいんですけど……」

円香「何?」

にちか「岩菱鉄工って会社……知ってます?」

それなら、この会社名を出した時の反応で、測れるはずだ。
彼女が本当に内通者として動いているのならこの会社は当然知っているはずだし、それを隠そうとしても眉の一つくらいは動くはず。



でも、樋口さんは_______



円香「ごめん……生憎だけど、初耳」



そんな反応は一つも示さなかった。
151 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/23(土) 21:33:37.80 ID:+h3ktCbr0

いつも以上に感情を削ぎ落としたような能面。
名前も聞いたことのないような企業に寄せるような余剰な興味はなくて当然。
就職もまだだいぶ先の話な高校生なのだから。
樋口さんの自然な反応に、私も違和感は微塵も感じなかった。

円香「何かわかんないけど、これで用事は終わり?」

私はなんだか胸に立ちこめていたものが霧散したようで、晴れやかな気持ちになった。

にちか「はい、わかりました」

円香「はぁ……何だったの、今の」

にちか「さっきの会社、樋口さんの研究教室で見つけたモノクマーズやエグイサルの設計図を作った会社なんですよ。多分その製造自体も請け負ってる」

円香「……は? ちょっと、急に……それ、本気?」

にちか「です。この四季報を見てくださいよ」

樋口さんは私の元へと駆け寄り、奪い取るようにして四季報を手に取った。
私の指示する箇所を読むと、樋口さんもまた、息を呑んだ。
152 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/23(土) 21:35:39.12 ID:+h3ktCbr0

円香「同じマーク……業務の種類も似通った分野だし偶然とは思えない……」

にちか「やっぱり……その感じだと本気で知らなかった感じです?」

円香「うん……何度も言うようだけど、私は何も覚えてないの。あの部屋にあった証拠品と自分への繋がりも、父の属していた組織も、自分の役職も」

円香「岩菱鉄工のことも今知った、から……」

そう、樋口さんは何度も何度も否定していた。
それでも彼女自身、自分の欠落した記憶の中に埋もれている真相に自信が持てず、否定の言葉はどこか不安定で、不信を払拭するには力及ばず。
私たちは不安ばかりを募らせることになっていた。

でも、今は違う。彼女は私と同じ目線で、戸惑っている。
同じ言葉を連ねて否定しているだけなのに、その信憑性には雲泥の差を感じられた。
私は思わず樋口さんの手を取っていた。

にちか「あの、樋口さん……私と一緒にこの会社のことをもっと調べてみませんか?」

円香「……私と?」

にちか「はい……この会社がコロシアイに関与していること自体は間違いないんです。真実は、この会社に眠ってる……それを明らかにすることはきっと樋口さんの信用を取り戻すことにつながるはずですよ」
153 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/23(土) 21:37:59.98 ID:+h3ktCbr0

円香「……なんで?」

にちか「え?」

円香「なんで、あんたが私と一緒に動く必要があるの? というか、なんで一緒に調べるとか言えるの? 私はダントツに怪しい不審人物でしょ?」

にちか「それは、さっきまでの話ですよ。樋口さんの反応を見てたら、内通者の話だって本気で記憶にない話なんだって分かりましたから」

円香「……」

人を信じるのは、その人と一緒に歩みたいという気持ちから。
今の私は胸を張って、樋口さんのことを信じたいと言える。

円香「……手を貸してもらっても、いいの?」

にちか「もちろんです! それに、真実を明らかにするのは全員共通の目的なので、どのみちですって!」

円香「……ふふ、そうだね」

この学園生活が始まって以来、久しぶりに樋口さんの笑顔を見た気がする。
ずっと気を張っていて、緊張の意図がやっと解けたような。そんな柔らかで無防備な微笑みだった。
154 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/23(土) 21:40:29.10 ID:+h3ktCbr0

円香「とはいえ、日中に堂々と協力するわけにはいかないでしょ。私はまだ他の人たちからは疑いの目をかけられてるわけだから」

にちか「そう、ですね……真乃ちゃんは信じてくれると思いますけど、他の人たちは正直」

円香「……灯織は? あんたたち、仲良いんじゃなかったっけ?」

にちか「あー……なんか、様子がちょっと変なんですよね」

円香「様子……?」

にちか「幽谷さんにこのコロシアイのことで相談をしてからなんだか心ここに在らずって感じで……」

円香「……透?」

にちか「樋口さん?」

円香「ああいや、今日私の部屋に来た浅倉もなんだか様子がおかしかったんだよね」

にちか「浅倉さんが……?」
155 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/23(土) 21:42:19.04 ID:+h3ktCbr0
◆◇◆◇◆◇◆◇◆

ピンポーン……

ガチャ

円香「……何? あんまり私の部屋を訪れてるところとか、他の人に見られない方がいいと思うけど」

透「……」

円香「……透?」

透「ね……どう、あれから」

円香「どうもこうもないけど……知ってるでしょ? 他の人の目があるから迂闊に動けない」



透「それって、円香自身が怯えてるからだよね」



円香「は……? 何急に、カウンセラーにでもなったつもり?」
156 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/23(土) 21:45:13.12 ID:+h3ktCbr0

透「自分に一度聞いてみなって。心臓はジョーゼツだよ」

円香「はっ、ちょっ……?!」

透「ほら、集中集中。心臓の鼓動、聞こえるっしょ?」

円香「な、にやって……」

透「それが円香の声だよ。円香の中に眠ってる、円香の本当の気持ち。どうしたい? どうする? 聞いてみなって」

円香「ちょっと……離せ……!」

ダンッ!

透「……えっ」

バンッ!

ガチャ

円香「何今の……何、あいつ……!?」

ダンダンダンッ! ダンダンダンッ!

透「おーい、開けろー。出てこーい」

円香「なんなの……?! 何が起きてるわけ……!?」

◆◇◆◇◆◇◆◇◆
157 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/23(土) 21:47:34.22 ID:+h3ktCbr0

円香「急に耳を手で塞いだりするから気色が悪くて……浅倉には悪いけど締め出させてもらった。あんなことしてくるの、浅倉らしくないから」

にちか「……いっしょだ」

円香「は?」

にちか「いっしょ、いっしょなんですよ! 私が今朝見た灯織ちゃんの異常さにそっくりなんです! 心臓の鼓動がどうとか、本当の自分がどうとか、灯織ちゃんたちが言ってたことにそっくりなんです!」

円香「……!」

これはどういうこと?
なんで浅倉さんまで同じことを口にしてるの?

霧子『……』

幽谷さんは一体、何を考えてるの?
158 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/23(土) 21:48:21.01 ID:+h3ktCbr0

円香「……なんか、変なことが起こってるみたいだね。すごく嫌な予感がする」

にちか「はい……芹沢さんの純粋な悪意とかとはまた違って、ナメクジみたいな悪寒がします」

円香「ナメクジ……言い得て妙かもね。あのまとわりついてくる感じの厭悪は、どこかジメジメしたものを感じる」

円香「……ちょっと、霧子の周りのことも注視しなくちゃいけないかもね」

にちか「です……」

私と樋口さんはそのまま情報交換をしばらくすると、別々に自分の部屋へと戻った。
樋口さんとは表向きにはできない協力関係を結ぶ形になった。夜のタイミングで樋口さんと落ち合い、昼間の出来事を伝達する。
樋口さんも日中は図書室の本を調べたり、人目を憚って調べ物をしたりはするらしい。
どうにかして、樋口さんの疑いを晴らせる証拠を見つけることができればいいんだけど。

159 :本日の更新はここまで ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/23(土) 21:49:14.54 ID:+h3ktCbr0
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【にちかの部屋】

【キーンコーンカーンコーン……】

モノダム『今日ハオラト仲良シトイウ言葉ノ持ツ可能性ニツイテ勉強シヨウネ』

モノダム『キサマラガ初メテ仲良シヲ意識スルノハ3歳ノコロ。同年代ノオ子様ト遊ブコトヲ仲良シト呼ブヨウニナル』

モノダム『大キクナッテ中学生、体育館裏ニ呼ビ出サレル事ヲ仲良シト呼ブヨウニナル』

モノダム『一人暮ラシヲ始メタ大学生。サークル帰リノ飲ミ会デ、男女二人デ二次会ニ行クコトヲ仲良シト呼ブヨウニナル』

モノダム『社会人ニナルト、上司ノ接待ニ土日ヲ返上スルノヲ仲良シト呼ブヨウニナル』

モノダム『仲良シハ色ンナ可能性ヲ孕ンダ夢ノアル言葉ナンダヨ』

モノダム『夢ハ、アルヨ。希望ハ……』

プツン

(なんて悪趣味な終わり方……仲良しっていい事じゃないの……?)

ベッドに横になり、目を閉じる。
樋口さんの見せてくれた自然な微笑みが鮮明に甦り、高揚感に身を捩らせた。
誰かを信じたいと思う気持ちを、また実感できた。自分のその瑞々しい感性に自信が持てた。
ルカさんに見せることのできる、ちょっとは立派な姿というものが得られたのだ。

その一方で気掛かりなのが幽谷さんを取り巻く、不穏な影。
彼女と関わった人たちが、どこか上の空のような反応を示すようになり、不自然なほどに元気潑剌とし始める。
とても健康な友情のあり方とは思えないのだけれど……
その影が灯織ちゃんにも落ちていることがやるせなかった。

どうにか灯織ちゃんだけでもその影から引き摺り出すことはできないか。
そんな事を考え、思い悩んでいるうちに夜は更けていった……
160 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2023/09/24(日) 20:55:22.58 ID:cGwulDcv0
161 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/24(日) 21:04:43.14 ID:Kf3Gc8gd0
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【School Days 13】

【にちかの部屋】

【キーンコーンカーンコーン……】

モノタロウ『うぅ……やっぱり寂しいよぉ……オイラ、なんだかんだみんなのことが好きだったんだ……』

モノタロウ『モノキッドは足の裏が臭いし、使った後のトイレは便座まで上げたまんまだったけど、ノリはよかったし、金払いも良かったんだ……』

モノタロウ『モノスケは服のセンスが終わってたし、金にがめつくてクーポンを意地でも使おうとしてきたけど、唯一のツッコミキャラだっだし、足も早かったんだ……』

モノタロウ『なんで、なんでオイラを置いていっちゃったんだよ!』

モノダム『モノタロウ、落チツイテ。ドレダケ泣イテモ、モウ二人ハ帰ッテ来ナインダヨ』

モノダム『ソレニ、ドコカ欠陥ノアッタ二人ヨリ、オラタチデ仲良クシタホウガキットウマクイクヨ』

モノタロウ『うるさい! モノダムは血の通ってないロボットだからそんなことが言えるんだ!』

モノファニー『そうよ! アタイたちは同じ血で結ばれた、兄弟の仲だったのよ!』

モノファニー『モノダムみたいな紛い物にはこの絆は到底理解できないでしょうけど!』

モノダム『……』

モノタロウ『うぅ……寂しいよぉ〜!』

プツン

(……何あれ、仲間割れ? なんで急に……)

私たちの間に漂っているなんとなく不穏な影のことを考えていると、気付かぬうちに眠りに落ちていたようで、アナウンスで目を覚ました。
ため息が出るような朝だけど、疲れはしっかりと取れているようなのは昨日の樋口さんとの対話があったからだろう。行動に移しただけの成果はあった。

やっぱりルカさんのいう通り。
どれだけ暗中模索だとしても、行動を起こすと起こさないじゃ、まるで状況は変わってくる。
幽谷さんを起点に起きているこの不自然な状況も、行動を起こすことで何か変わるところがあるかもしれない。
そんな淡い期待と共に身を起こして、朝の支度をした。

162 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/24(日) 21:06:03.05 ID:Kf3Gc8gd0
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【食堂】

今日こそは、不自然な様子の灯織ちゃんにガツンと言ってやるぞと意気込んで扉を開けた私だったんだけど……
食堂に入るなり視界に飛び込んできたのは、そんな考えも吹っ飛ばすほどの異様な光景だった。

灯織「……」

樹里「……」

恋鐘「……」

愛依「……」

透「……」

霧子「そう、その調子……ゆっくり息を吸って、命を体中に走らせて……」

幽谷さんを取り囲むようにして深呼吸をしている5人の姿だった。
みんな周りに目もくれることもなく、澄んだ瞳で幽谷さんのことをまっすぐに見つめて、その指示に従順に従っている。

163 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/24(日) 21:07:39.74 ID:Kf3Gc8gd0

にちか「ま、真乃ちゃん……これって……?」

真乃「ほわっ、おはようにちかちゃん。私も……正直よく分かってなくて、朝来た時からみんなこんな感じなんだ」

あさひ「灯織ちゃんと樹里ちゃんは昨日からこうっすけど……恋鐘ちゃん、愛依ちゃん、透ちゃんはどうしちゃったんすか?」

甜花「あ、あうぅ……なんか、妙に静かで落ち着かない……」

凛世「いつも朝食会を仕切ってくださっていたのは樹里さんでしたが……今日はまだ始める様子もございませんね……」

霧子「……あれ、みんなもう揃ったのかな。円香ちゃん以外はみんな、いる?」

にちか「え、まあ……そうですけど。何やってるんですか、そんな雁首揃えて深呼吸なんて」

樹里「ああ、これはアタシの中にいる自分と対話をしてんだよ。深呼吸で酸素を体中に行き渡らせることで、末端から細胞が息を吹き返すんだ」

愛依「そう! そんで蘇った細胞がうちに記憶を伝えてくれて……うちは今以上にうちらしくいられる!」

灯織「そのことを霧子さんは気づかせてくれました……私たちはこの学園生活の中で、精神をすり減らすうちに見失ってしまっていたんです」

透「霧子ちゃんにはビッグ感謝」

霧子「ふふ……」

明らかに異様だった。
幽谷さんのことを持ち上げ、持て囃す。自分たちの意にそぐわない存在は握り潰そうとしているかのような鬼気迫る圧。
一歩一歩とこちらに滲み寄ってくるのに合わせて、思わず後ずさってしまう。
164 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/24(日) 21:09:34.13 ID:Kf3Gc8gd0

あさひ「……まあ、みんなが何をしようと勝手っすけど。とりあえず早く朝ごはん食べないっすか? お腹すいたっすよ」

この時ばかりは芹沢さんの図太さに感謝した。
私たちの感じている圧迫感をまるで彼女は意に介さないと言った様子で、平然と席についた。

霧子「そうだね……樹里ちゃん、朝食会を始めてもらってもいい……?」

樹里「おう、霧子が言うならそろそろ朝飯にするか。みんな、席についてくれ」

(……)

私、真乃ちゃん、甜花さん、杜野さんは身を寄せ合うようにして芹沢さんの近くの席へと座った。
いつもと違う席の配置に芹沢さんはキョトンとしている。

恋鐘「はい、こいがにちかの分! た〜んとお食べ〜!」

にちか「あ、ありがとうございます……」

朝食に何も変わったところはない。
いつも通りの、恋鐘さんお手製の健康的でボリューミーな朝ごはんだ。
165 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/24(日) 21:10:53.93 ID:Kf3Gc8gd0

霧子「それじゃあ手を合わせて、いただきます……」

あさひ「いただきますっす〜!」

にちか「い、いただきます……」

だのに、口にご飯を運ぶその手は恐る恐るで緩慢としている。

真乃「みんな、やっぱり変だよね……円香ちゃんのことであんなにバラバラだったのに……今は一つにまとまってる……」

凛世「それも不自然に、霧子さんを核として……です……」

甜花「なんだか、朝ごはん味がしないや……」

あさひ「うまい! うまい!」バクバクバクバク

私たちがコソコソと耳打ちしていると、ふと浅倉さんが手を挙げた。
浅倉さんが幽谷さんにアイコンタクトをすると、彼女は首を傾げて微笑んだ。



透「あのさ、ここにいる人には聞いてもらいたいんだけど……うちらはこのコロシアイから降りようと思うんだ」



にちか「は……? きゅ、急になんですか?」
166 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/24(日) 21:12:37.83 ID:Kf3Gc8gd0

透「霧子ちゃんのおかげで気づいたんだ。本当の自分は、もうこれ以上誰かを疑ったり、欺いたりしたくないって」

透「だからもう……このゲームが離脱しようかなって」

あさひ「え〜!? ダメっすよ! まだ2回しか裁判やってないし、わたしまだまだ満足してないっす〜!」

あさひ「なんでそんな寂しいこと言うんっすか?」

愛依「あさひちゃんのことも……元に戻してあげたいんだ。この学園生活の中でうちらは、本来の自分から変わりすぎちゃった」

樹里「アンタらも自分の胸に手を当てて考えてみてくれよ。心臓の奥の奥、ずっと変わらずにいる自分自身の存在があるはずだ」

霧子「本当のあなたは何を望んでいますか? 本当のあなたはどうしたいですか?」

あさひ「そんな演説は聞きたくないっす。みんなはどういうつもりなのか聞きたいんっすけど」

(芹沢さん、全く他人に流されないからこういう時はこれ以上なく頼もしいな……)

霧子「あのね……私たちはあさひちゃんたちのことも守りたいと思ってるんだよ……?」

霧子「もうこれ以上、このコロシアイで誰も命を落としてほしくない……それを望むのってそんなにいけないことなのかな……?」

真乃「そ、そうじゃないけど……」

恋鐘「そんなわけなか! 誰だって死にたくないし、誰にも死んでほしくないと思ってるはずばい!」

灯織「霧子さんの言う通りです。誰しもが平等に、自由に生きていく権利がある」
167 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/24(日) 21:14:41.05 ID:Kf3Gc8gd0




霧子「だから私たちは……【才囚学園生徒会】を立ち上げて、この学園の秩序を守ろうと思うんだ……」




168 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/24(日) 21:16:15.69 ID:Kf3Gc8gd0

(せ、生徒会……!?)

透「霧子ちゃんをトップにして、コロシアイからみんなを守る組織だよ。みんなが安心して、平和に生きていけるようにうちらで監視する」

愛依「もう誰にも血は流させないし、誰にも悲しい思いはさせないかんね!」

恋鐘「うちらに任せておけばもう安心! モーマンタイばい!」

私たちは言葉を失っていた。
もはやあの5人は幽谷さんの狂信者と言ってもいい。幽谷さんだって私たちと同じ同年代の女の子、そんなに特別な存在というわけでもない。
そのはずなのに、彼女たちの口ぶりからは色濃い心酔が透けて見えた。
変わり果ててしまった仲間たちの姿に、足元の基盤がぐらついていくような感覚を覚える。
だけど、そんなことはお構いなし。才囚学園生徒会の彼女たちは、ツラツラと私たちを縛る秩序とやらを並べ立てていく。
169 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/24(日) 21:17:59.42 ID:Kf3Gc8gd0

樹里「まず第一に夜時間の出歩きは全面的に禁止だな。時間外に出歩くことにはリスクしかない」

にちか「はっ?! ちょっと急に何を言い出すんですか……?!」

(そんなの、樋口さんに会えないし、連絡も取れなくなる……!!)

灯織「皆さん、思い出してください。前回の事件……甘奈と甜花さんが殺害を画策したのはその殆どが夜時間に起きたことでしたよね?」

甜花「う……それは、そうだけど……」

霧子「お昼の間なら、お互いの目が行き届いてコロシアイの抑止はできるけど……夜だとそうはいかないでしょ……?」

霧子「だから、私たちで持ち回りで巡回をして、コロシアイが起きないように見張らせてもらおうと思うんだ……」

ある程度の説得力はあるように感じるけど、こんなの認められない。
こんなの生徒会なんて立場に特権を設けて、私たちの行動を掌握しようとしているだけだ。
170 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/24(日) 21:19:24.26 ID:Kf3Gc8gd0

恋鐘「二つ目のルールは円香との接触の禁止ばい!」

凛世「円香さんと会ってはいけない……なぜ、そんな急に……」

透「樋口は明らかに怪しいからね。このコロシアイを運営している立場に一番近しい存在のはずだから。不用意に関わらないほうがいいよ」

(あ、浅倉さん……そんな言葉口にして、辛くないの……!?)

霧子「円香ちゃんとは私がお話しするから……安心して。円香ちゃんにも私たちの考えを理解してもらえたと分かったら、その時はまたルールを変更するよ……」

(それって要はこれから樋口さんを洗脳するから手を出すなってことでは……)

樋口さんの疑いは私の中では概ね解消されているけれど、物的な証拠には乏しい。
昨日の反応が本物だったと語っても、真乃ちゃんぐらいしか信用してはくれないだろう。
表立って反論できない歯痒さに、思わず貧乏ゆすりした。
171 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/24(日) 21:21:37.16 ID:Kf3Gc8gd0

愛依「三つ目は、女子トイレの隠し通路と円香ちゃんの才能研究教室の閉鎖だよ」

にちか「は?! へ、閉鎖?!」

こればっかりは口を噤んだままではいられなかった。
隠し通路は私とルカさんを繋ぐ、大切な空間だ。
ルカさんの遺志を引き継いで、あの巨大なモノクマの頭部を蘇生しようとしている真っ最中なのに、生徒会の人たちはそれを自分勝手に剥奪しようとしている。

霧子「隠し通路は犯行に利用された事実もあるし、あの部屋には危険な存在が眠っているから……誰も近寄るべきじゃないと思うんだよね……」

樹里「それに円香の才能研究教室は文字通り危険物の宝庫だ。人を殺すのには十分すぎる刃物に爆発物……アタシたちで入室は制限させてもらうかんな」

それも飲めるわけない。
あの部屋にはまだまだ私たちの知らない謎が眠っているはずなのに、部屋に入ることもできなければ今のふわふわとした樋口さんへの嫌疑が事実として固定されてしまう。
私が彼女を庇い立てる機会すらも取り上げられてしまうことになるだろう。

にちか「い、いい加減にしてください! そんな勝手が認められるわけないでしょ!」

衝動的に机をバンと叩きつけて立ち上がった。
だけど、私に向けられたのはシラーッとした冷たい視線。
幽谷さんの狂信者たちは、意を唱える存在は害なす異物としか見ていないらしい。
172 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/24(日) 21:23:10.71 ID:Kf3Gc8gd0

灯織「にちか……なんで反発するの? 霧子さんの言っていることに何か間違いがあるとでも?」

にちか「あ、あるよ! 大アリじゃん! 幽谷さんは言ってるのって、要は私たちの権利を剥奪したいってことでしょ? 一方的な有利を私たちに押し付けようとしてるだけだよ!」

樹里「おい……にちか、言っていいこととそうじゃないことの区別ぐらいつけろよ」

にちか「さ、西城さん……?」

樹里「霧子はアタシたちを守るために、必死にルールを考えたんだぞ。その思いを踏み躙るような言葉、軽はずみに口にすべきじゃない」

ダメだ。まるで言葉が通じない……
必死に反論を口にしたところで、壁に水を引っ掛けたみたいに、何の手応えもなく私の主張は無に帰した。

【おはっくま〜〜〜!!!】

そんな歯痒さと無力感を噛み締めていたところで、突然に空気をぶち破ったのはモノクマーズたち。
食卓を囲む私たちの背後に突然現れた彼らもまた、妙な不和を携えていた。

モノタロウ「……ほら、モノダムがやりなよ。モノダムが考えた動機なんでしょ? 今回」

モノダム「ウ、ウン……ソレハソウダケド、セッカクダシミンナデ……」

モノファニー「あー、いいわよそういうの。アタイたちは別にモノダムと協力したいとか思ってないから」

モノダム「……」

モノタロウ「モノダムにはオイラたちの喪失感も分からないんでしょ? オイラたちは兄弟を失ったことをそう簡単には割り切れないんだ」

(よく言うよ……裁判の直後の自分たちの発言、もう忘れちゃったの?)
173 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/24(日) 21:25:26.39 ID:Kf3Gc8gd0

妙に刺々しい物言いをされているモノダムのことをほんの僅かにだけ哀れに思っていると、トボトボと彼だけが私たちの前に割って出た。
どこか伏目がちに、おずおずと一冊の本を差し出す。

モノダム「キサマラ、今回ノ動機提供ノ時間ダヨ……今回ノ動機ハ、蘇リノ儀式ノ為ノ【屍者ノ書】ダヨ」

真乃「ほわっ……よ、蘇り……?」

やたら分厚い想定に、干からびたミミズみたいに踊り崩れた字体。
全体的に黒くくぐもった色合いをしていて、見ているだけでなんだか寒気がする。

モノタロウ「えっとなんだっけ? 転校生? 呼ぶんだよね?」



モノダム「ウン……コノ蘇リノ書ヲ使ウト、コレマデニコロシアイデ【命ヲ落トシタ仲間ノ一人ガ復活シテ、転校生トシテヤッテクル】ンダヨ」



モノファニー「モノダムが考えたことでしょ? 他人の助けなしにスパッと言いなさいよ、これぐらい」

樹里「は? い、今なんつった……? て、転校生……?」

甜花「これまでに命を落とした一人が復活……? そ、それって……なーちゃんも含まれる……?」

モノファニー「このコロシアイで命を落とした斑鳩さん、八宮さん、有栖川さん、甘奈さんの四人のうちから一人を選んで蘇生させられると言うことね」

これまでの話だって、何一つとして現実味のあるものはなかった。
そもそもありふれた一般人の私をコロシアイに招集していることからしてそうだし、この学園の規模感やモノクマーズなどのオーバーテクノロジーもそう。

だけどそれらの非現実をさておいても、群を抜いて今の話は現実味がない。
当然の認識として、一度奪われた命が還ってくることなんてない。生と死は一方通行。
一度死に傾けば、それを正すことは神でも許されない。
そのはずなのに、目の前の存在はその秩序を嘲笑うような言葉を口にした。
174 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/24(日) 21:27:09.16 ID:Kf3Gc8gd0

モノダム「【屍者ノ書】ハコノ一部ダケダカラ、使ウ相手ハ慎重ニ選ンデネ」

霧子「蘇ることができるのは一人だけ……ということですか……?」

モノタロウ「うん! それに、この本が使えるのは次のコロシアイが起きるまでの間だよ。使わずにコロシアイが起きた場合は屍者の書自体が没収になるから注意してね!」

蘇りなんて現象を飲み込めるはずはない。全く信じてはいないけれど、大前提として『何故』が浮上する。
モノクマーズもコロシアイを運営する側の存在のはず、誰かを蘇らせたりなんかしたところでメリットがあるとも思えない。
私たちのコロシアイが見たいのなら、蘇生なんてノイズが混じることを普通は良しとするだろうか。
動機の動機、その所在不明さに私は頭を抱えるのだった。

モノファニー「詳しい蘇生のやり方はその本の中に書いてあるから、よく確認してちょうだいね。手順を間違えると蘇生は失敗しちゃうから!」

モノタロウ「ルールを守って楽しく復活の儀式!」

モノダム「要注意、ダヨ」

モノクマーズは一通り説明を終えると、屍者の書と呼んだ本を机の上に置いた。
屍者の書はこの一冊限り、扱いは慎重にならざるを得ない。
175 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/24(日) 21:28:53.11 ID:Kf3Gc8gd0



……そんなことを思ったせいで、反応が一瞬遅れた。

灯織「この本は霧子さんが持つべきです」



モノダム「ワ、ワァ……」

本が置かれたそばから、灯織ちゃんによってその一冊は掠め取られてしまった。
灯織ちゃんは迷うことなくスタスタと霧子さんの方へと歩いていき、その本を差し出した。
霧子さんは本を受け取ると、クスッと笑い、大事そうにそれを抱え込んだ。

にちか「ちょ、ちょっと……! 何勝手なことしてるんですか!?」

灯織「にちか、落ち着いて。この本はあくまでコロシアイの動機なんだよ? だとしたら、ちゃんと管理のできる人が持つべきだよね」

にちか「いや、だから……」

愛依「それに、誰を甦らせるかも霧子ちゃんが決めたほうがいいじゃん! 霧子ちゃんなら、このコロシアイを止めるためのエーダンを下してくれるって!」

私たちは必死に本を取り戻そうと手を伸ばしたけど、それは悉く生徒会の5人によって遮られてしまう。
霧子さんは席について、ゆっくりパラパラと本を捲ると、人差し指を立てながら語った。
176 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/24(日) 21:31:03.62 ID:Kf3Gc8gd0

霧子「うん……復活させるのは夏葉さんがいいかな……」

樹里「……! 本当か!?」

霧子「うん……ルカさんも悩んだけど、結局ルカさんは最後にはモノクマの提示した条件に従った……コロシアイに加担をしちゃってたから」

霧子「その点夏葉さんは最後の最後まで私たちのことを考えてくれていたし、年長者だから私たちをちゃんと導いてくれると思うんだ……」

にちか「そんな、勝手に決めないでくださいよ! 一人の独断で決めていいような話じゃないですって!」

凛世「そうです……そもそもその屍者の書の真偽もわからないのに、議論すらせずに決めてしまうのは少々横暴ではございませんか……?」

恋鐘「議論なんて必要なかよ! 霧子はうちらの中で一番よう真実を理解しとる! うちらにとって誰が必要で、誰がそうでないかもわかっとるはずたい!」

生徒会の5人の盲信にはもう言葉は届かないのだと理解した。
彼女たちは思考を投げ出して、幽谷さんの采配に付き従うと決めてしまっている。
177 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/24(日) 21:32:44.29 ID:Kf3Gc8gd0

霧子「モノクマーズの皆さん、素敵なプレゼントをありがとうございます……」

モノダム「コチラコソ、有効ニ使ッテ貰エソウデ安心シタヨ」

霧子「ふふ……早速、準備をしなくっちゃ……」

あさひ「あっ! 行っちゃダメっすよ! その本、ちゃんと見せて欲しいっす!」

霧子「ごめんね……でも、行かなくちゃだから……」

幽谷さんは生徒会の5人に抑えられている私たちの眼前をすり抜けて、食堂の外へ。
私たちの制止の声には耳も貸さず。空虚に食堂の中に声が響き渡るだけで終わってしまった。

にちか「もうマジで……何が起きてるの……なんで、こんなことに……」

蘇生の真偽は分からないけど、今の霧子さんを野放しにしておくわけにはいかない。
もし仮に蘇生が本当に可能だとしても、それを彼女に全て委ねてしまうのは危険だ。
私たちの焦燥をよそに、生徒会の5人たちは満足げな表情を浮かべている。
178 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/24(日) 21:33:37.01 ID:Kf3Gc8gd0

透「よかった、これで学園生活がまた良くなるじゃん」

愛依「だね! 霧子ちゃんにとってもプラスになりそ〜じゃん!?」

灯織「はい……霧子さんなら、甦らせた夏葉さんのことも導いてくださると思いますよ」

恋鐘「そうと決まったらうちらも霧子のことを手伝わんといかんね!」

樹里「後のことはアタシたちに任せとけば大丈夫だ。にちかたちはアタシたちの邪魔さえしなければ好きに過ごしてくれて大丈夫だからな」

(……)

私たちに釘を刺すようにして、生徒会の5人も幽谷さんの後を追って退室して行った。
その背中がどこまでも遠く思えて、私たちは言葉を返すことができなかった。
食堂に残された私たちは、曇った表情でお互いに目配せをした。

あさひ「あーあ、せっかく面白そうな動機だったのに取られちゃったなぁ」

凛世「霧子さんは本当に儀式とやらをなさるおつもりなのでしょうか……」

甜花「うぅ……なーちゃんにもう一度会いたい、けど……」

真乃「私たちの意見に耳を貸す気はあんまりなさそうだったよね……」

(このままじゃいけない……とは思うけど、一体どうすればいいんだろう)

私たちはかつてない混迷に陥ったことですっかり意気消沈してしまった。
179 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/24(日) 21:34:42.48 ID:Kf3Gc8gd0
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【にちかの部屋】

どうしようもないやるせなさを抱えたまま、形だけの食事を終えると私たちはそれぞれ自分の部屋へと帰って行った。
生徒会の人たちに反発しようにも、人数の上でも、力の上でも分が悪すぎる。
私たちよりも年上で、背丈もある人たちに囲われている幽谷さんに手を出すのはなかなか骨が折れそうだ。
そのことを思うと、ため息ばかりが無限に出続けてしまう。

でも、このままじゃいけないよねと自分の頬をピシャリと打った。
こんな時こそ、どうにかして打開する方法を見つけようと足掻くことが大事なのだ。
ささやかでも抵抗しようと試みることで、何か小さな綻びを生むかもしれない。
そう信じて行動しないことには、何も変わらないのだから。

生徒会の人たちにも日中の行動は制限されていない。今のうちに自分にできることをやらなくちゃ。


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180 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/24(日) 21:36:19.77 ID:Kf3Gc8gd0
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【にちかの部屋】

【キーンコーンカーンコーン……】

モノダム『……才囚学園放送部ヨリ、夜時間ノ放送ダヨ』

モノダム『オラ一人デオ伝エスルヨ』

モノダム『モノタロウ、モノファニーハ二人デ仲良シシニ行ッチャッタカラ……』

モノダム『オラハオ留守番ナンダ』

モノダム『……』

モノダム『…………』

プツン

散々日中に足掻きはしたけど、生徒会の人たちの暴挙を抑えることは叶わず、あの屍者の書を取り戻すこともできなかった。
彼女たちは自分自身が正しいと信じて疑わない。霧子さんに完全に依存しているのだから、霧子さんが折れでもしない限りは進展はないだろう。

そんな生徒会が幅を利かせている学園なわけだけど、私はどうしても争わねばならない理由があった。
夜時間の行動の禁止、生徒会によって設けられたルールだけどこれを守っていたんじゃ樋口さんに会うことができない。
樋口さんの疑いを晴らすため、ひいてはこの学園の真実を解き明かすため。私は自分の部屋を抜け出さなくちゃいけなかった。
扉が音を立てないように、ゆっくりとドアノブを引いて、扉を開けた。

そろりそろりと抜き足差し足。階段の音も立てないように、息も荒げないで緩慢な動作で下っていく。
誰にもバレていない、そう思ったのだけど。



「にちか、ちょっと待たんね。どこに行くつもりばい?」
「ひゃうううう?!」



不意に声をかけられたことで、冷や水をぶっかけられたみたいな声が出た。
慌てて振り返ると、そこには【恋鐘さん】の姿があった。
181 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/24(日) 21:37:21.73 ID:Kf3Gc8gd0

恋鐘「生徒会の規則では、夜時間に個室を出て行動するのは禁止になっとる。朝ちゃんと伝えたはずたい」

にちか「あ、あはは……それは、そうなんですけど……」

恋鐘「勝手なことをしたらうち以外の生徒会のみんなが黙っとらんよ」

恋鐘さんも生徒会のメンバーの一人。霧子さんに心酔している彼女に見つかったのは失態だ。
どうにか言い訳をして振り払おうと必死に思考を巡らせた。



恋鐘「にちか……なんかのっぴきならん事情でもあると?」



でも、それは徒労に終わる。

にちか「え、恋鐘さん……?」

恋鐘さんは周りをキョロキョロと見渡すと、私に近づいて、静かに耳打ちした。
182 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/24(日) 21:38:59.54 ID:Kf3Gc8gd0

恋鐘「うちは他の生徒会のみんなとは違って……霧子の言うことになんでも従っとるわけじゃなか。うちは霧子の洗脳ば受けちょらん」

(……!!)

思わず真横の顔を見た。確かに恋鐘さんの瞳は、あの不自然な据わり方をしていない。
ちゃんと不規則な呼吸で、感情に左右されて揺れる瞳孔をしていた。私と目が合うと、恋鐘さんはウィンクをして答える。
どうやら今朝の彼女のそれは……【演技だった】らしいのだ。

にちか「え、でもなんで……?!」

恋鐘「そいはもちろん、霧子のことが心配やけん。うちは才囚学園ば来た時から霧子んことを気にかけとったけどここ数日の霧子は変たい」

恋鐘「なんだか別のもんが取り憑いたみたいに、妙に堂々としとって、怯える素振りもせん。そいが余計にうちに心配を抱かせとるばい……」

確かに、この学園で一番幽谷さんのそばにいたのは恋鐘さんだった。
明朗快活とした恋鐘さんがグイグイと幽谷さんを引っ張って勇気づける、そんな凸凹なコンビという印象があった。
そんな彼女だからこそ、灯織ちゃんと西城さんを囲い込む幽谷さんの様子に違和感を覚えたのだ。
恋鐘さんは自分の服の裾に、握り込んだ指先で大きな皺をつける。彼女なりに思うところがあるのだろう。


183 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/24(日) 21:39:52.38 ID:Kf3Gc8gd0

恋鐘「やけん、にちかが霧子を救うための何かをするつもりならうちは外出を黙っとくよ。うちはみんなの行動をそげん縛りたくもなかもん」

にちか「……! ありがとうございます!」

恋鐘「他のみんなに見つからんように気をつけて! 霧子は学園の中で儀式の準備を進めとるし、あんまり4階には近付かんほうがよかよ」

にちか「4階ですか?」

恋鐘「うん、4階には空き教室ばあったとやろ? あの部屋を使って霧子は蘇りの儀式をするつもりみたいばい」

(わざわざ4階で……? あの本を読むことはできなかったけど、何か条件でもあるのかな……)

にちか「多分大丈夫だと思います。私の用事は地下の図書室なので」

恋鐘「そいならよか! ……あっ、でも図書室に行く時は直接階段を降りていくようにせんばね! 女子トイレには樹里は監視についとるはずたい」

にちか「何から何までありがとうございます……気をつけて行ってきます!」

私は恋鐘さんにぺこりと頭を下げてから、図書室へと向かった。
184 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/24(日) 21:41:45.06 ID:Kf3Gc8gd0
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【図書室】

音を立てないように慎重に図書室の扉を開けると、部屋の奥の影がゆっくりと立ち上がった。

円香「早かったね。ちゃんと出てこれたんだ」

にちか「樋口さん……恋鐘さんのおかげでなんとか出てこれました」

円香「ああ……みたいね。彼女、そんな器用なふうには見えないのに健気なこと」

にちか「あはは……そうですね!」

私は樋口さんの隣に腰掛けて、昼間に会ったことを一通り伝えた。
個室を出る際に恋鐘さんからある程度事情は聞いていたらしく、生徒会の一件も滞りなく伝えることができた。

樋口さんは何度か浅倉さんのことを詳細に尋ねてきた。
恋鐘さんのような立ち回りが浅倉さんには期待できそうもないことを伝えると、さすがに少ししょげた様子だった。
二人は幼馴染なのだ。そんな大切な存在が洗脳されたとあっては、たまったものではないだろう。
185 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/24(日) 21:43:46.55 ID:Kf3Gc8gd0

円香「こっちの方は少しだけ収穫があったよ。国内の鉄鋼業についてまとめた文献があったから、昼間はそれを読んでいたんだけど……岩菱鉄工の近年の業績についての記述があった」

にちか「……! 何か分かりました?!」

円香「うん、あんたの言ってた通り……岩菱は半導体メーカーとの共同開発に最近は注力してたみたい。人命救護の分野……危険地帯や紛争地域へのロボットでの介入とか」

にちか「あー、ニュースでよく見るやつ」



円香「中でも岩菱鉄工が注目されていたのは【シェルター開発】の分野らしい」



にちか「シェルター……?」

円香「そう、要は隔離施設。紛争や自然災害から守るための設備の開発で岩菱は他の企業よりも先を行ってたみたい」
186 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/24(日) 21:44:55.80 ID:Kf3Gc8gd0

円香「実際、開発したシェルターがNPO法人に採用されたおかげでアフリカの紛争地域で多くの人の命を救ったみたい……ほら、これ見てみな」

にちか「本当ですね……他の企業にはない独自開発の耐衝設計って書いてます」

円香「それともう一つ。今後はそのシェルター開発の技術を利用してスペースコロニーの分野の進出する目論見だとか」

にちか「す、スペースコロニー? って宇宙に移住するみたいな話のそれですよね……?」

円香「そう、岩菱が家電の部品とかの開発もしてるのは知ってるでしょ? その応用らしくて、独自技術の空気清浄機……酸素を自動生成して人が居住可能な空間を作る技術を開発してるみたい」

円香「流石に専門的な話は分からないから、概要だけだけど……それぐらいのことは分かった」

にちか「なるほど……ありがとうございます」

なんとなく、薄らとだけど私たちの置かれている状況とのつながりが見えてきたような気がする。
岩菱鉄工の得意とする分野は十分私たちの状況をカバーし得る存在だ。

にちか「一応確認しておくんですけど、樋口さんのお父さんは岩菱鉄鋼の社員さんとかじゃないですよね?」

円香「多分ね。そこの記憶も朧げになっているから断言はできないけど……なんとなく、そういう分野ではなかった気がする」

(だとすると……樋口さんの部屋にあったあの書類や設計図は岩菱鉄工から樋口さんのお父さんの組織宛に送られたものなのかな)

187 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/24(日) 21:46:13.74 ID:Kf3Gc8gd0


円香「それともう一つ……これに関しては収穫というより、忠告なんだけど」

樋口さんはちらりと図書室に入り口を一瞥してから、私に耳打ちするようにして話した。

円香「私の才能研究教室、改めて調べたら……【ある物がなくなってる】ことに気づいたんだけど」

にちか「へ……? ある物……?」

円香「知っての通り、私の才能研究教室はやたらと物騒な物が並んでたでしょ? 手りゅう弾やらサバイバルナイフやら……そういう道具の延長線上で、妙な本があってね」

にちか「本、ですか……?」



円香「世界大戦中にある軍事帝国で実際に使われていた【マインドコントロールのやり方を記録した禁書】。あんなもの……誰かが手にしていいものじゃない」



(マ、マインドコントロール……?)


188 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/24(日) 21:46:48.95 ID:Kf3Gc8gd0

その言葉を聞いた瞬間に、すぐにある人の顔が浮かび上がった。
ここ数日のうちに急速に持ち上げ、持て囃されるようになった奇妙な存在である幽谷さんだ。
灯織ちゃんをはじめとした面々の心酔っぷりははっきり言って異常だ。
そのすべてが、その本の存在で説明がつく。
私がわざわざ言及せずとも、樋口さんも同じところに思考は行きついている様子で、静かな怒りをその眼に携えていた。
樋口さんが幼馴染にかかった毒牙に恨みを抱かないはずがない。

円香「もちろん誰がとったのかはまだわからない。確定していない情報だから、とりあえず共有だけ」

にちか「は、はい……でも、たぶん取ったのって」

円香「この情報をどう使うのかはにちかに任せる。仲間内に共有するのも、犯人だと思う人を糾弾するのも……ね」

(……)
189 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/24(日) 21:48:26.63 ID:Kf3Gc8gd0


円香「どうするの……これから」

にちか「えっと……どうするってのは……」

円香「才囚学園生徒会っての……野放しにしておくわけにはいかないでしょ」

にちか「まあそれはそうなんですけど……」

円香「はぁ……霧子さんは4階にいるんだっけ?」

にちか「え、ひ、樋口さん?!」

円香「ああ、あんたはついてこなくていい。というかついてこないで。生徒会に目をつけられると厄介でしょ?」

にちか「何する気なんですか樋口さん!?」

円香「とりあえずはその復活の儀式とやらを有耶無耶にさせてもらう。そんな怪しい営み、みすきすやらせるわけにはいかない。あんたもその気なんでしょ?」

にちか「いや、そうですけど……!」

円香「私ははなから疑われてて今は信頼も露ほども残ってない。せっかくなんだし使いなよ」

柔らかい物言いをしているけど、実際は行動を強制するすごみがある。
樋口さんも自分の意思をこうと決めたら、なかなか譲らないタチらしい。
私は渋々樋口さんの意思を受諾した。

円香「ありがと。それじゃ行ってくる。あんたはさっさと部屋に戻りなよ」

にちか「樋口さん……無茶だけはしちゃダメですからね」

円香「……善処する」

樋口さんの背中を見送った後、私は樋口さんが残した本を片手に自分の部屋へと戻った。

190 :本日はここまで ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/24(日) 21:49:42.26 ID:Kf3Gc8gd0
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【にちかの部屋】

寄宿舎の中から恋鐘さんの姿は無くなっていた。
生徒会のメンバーとして、幽谷さんの元に向かったのだろうか。
目溢ししてくれた恋鐘さんにはまたどこかでお礼を伝えなきゃなと思いながら、大きな欠伸。
樋口さんは今頃生徒会の人たちと接触をしている頃なのだろうか。
何も騒ぎにならなきゃいいのにな。誰も傷つくことがなければいいんだけど。
そんな能天気を眠気とないまぜにしながら瞳を閉じる。


本当に、呑気な振る舞いだったと思う。



私がこうして眠りに落ちているその間にも、着実に時計の針は【その時】に近づいて行っていたのだから。


191 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/25(月) 21:00:16.13 ID:51ANf8D80
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【School Life Day14】

【にちかの部屋】

【キーンコーンカーンコーン……】

モノダム『キサマラ、オハヨウ。才囚学園放送部ヨリ朝ノ放送ダヨ』

モノダム『モノタロウ、モノファニーハマダ帰ッテコナインダ。朝ニナッテモ、帰ッテコナインダ』

モノダム『二人ノ布団モ、シーツハ二人ノ影ヲ残シタママ』

モノダム『ソコニ二人ノ熱ハ宿ッテナイ。形ダケガ、ソコニ残ッテルンダ』

モノダム『オラ、コノママ一生一人ナノカナ……』

モノダム『オラガロボットナノガ、イケナカッタノカナ……』

モノダム『……』

プツン

太陽が上ったことで、ようやく大手を振って外に出ることができる。
昨晩は結局どうなったんだろうか。樋口さんは生徒会の人たちにどう接触したのか。
幽谷さんの復活の儀式の準備とやらはどうなったのか。
それらを見定めるためにも、今はとにかく朝食会に行かなくちゃ。
テキパキと準備を済ませると、私は急足で食堂へと向かった。
192 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/25(月) 21:01:30.38 ID:51ANf8D80
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【食堂】

樹里「おう、にちか。おはよう、昨日はよく眠れたか?」

にちか「……ええ、まあ」

食堂に入るなり、西城さんが出迎える。爽やかな挨拶ではあるものの、相変わらず貼り付けたような出来すぎた笑顔を浮かべていて不気味だ。
私はおざなりな返事をすると、そそくさと真乃ちゃんの元に向かった。

にちか「うぅ……やっぱりなんか気持ち悪いよ……みんながみんなじゃないみたい」

真乃「うん……少しいつもと違う感じがするよね」

にちか「あれ……灯織ちゃんは?」

真乃「今は霧子ちゃんと一緒にいるみたい……復活の儀式、結構準備が大変みたいで手間取ってるみたいだよ」

(復活の儀式の準備は今もその最中なの……? だとしたら、樋口さんは結局昨日止めることはできなかったのかな)

あさひ「復活の儀式自体は今晩にやるつもりみたいっすよ。霧子ちゃんが言ってたっす」

凛世「今晩……夏葉さんを黄泉より呼び起こすのですね……」

(どうなんだろう、実際……そんな儀式、成功するのかな)

甜花「……」
193 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/25(月) 21:03:17.45 ID:51ANf8D80


集まってから暫くして、幽谷さんと生徒会のメンバーが何人か食堂に重役出勤をしてきた。
幽谷さんはぺこりと会釈をすると、悠々と席についた。
彼女が座ると、ぞろぞろと残りの5人もやっと腰掛ける。異様な光景だ。

霧子「みんな、おはよう……昨日はみんなルールを守って、部屋で大人しくしてくれたんだね……」

ここでいうルールとは、夜時間の外出禁止のことだろう。
幽谷さんが私の外出に言及しないあたり、恋鐘さんはちゃんと口を噤んでくれたらしい。
思わず恋鐘さんのことを見てしまいそうになったけど、勘付かれるわけには行かない。
衝動的な反応を必死に押さえつけた。

霧子「円香ちゃんだけは……守ってくれなかったみたいだけど……昨日の朝食会に来ていなかったから、しょうがないかな……」

恋鐘「ごめん、霧子……うち、円香のことは完全に見落としとった……まさかうちが寄宿舎を見張るより前に抜け出しとるとは……」

(ああ、そういう言い訳をしたんだ……まあ、樋口さんの挙動は掴みきれない部分があったし、その誤魔化し方がベターかな)

194 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/25(月) 21:04:17.19 ID:51ANf8D80

霧子「ううん、大丈夫……儀式の準備の邪魔をしてきたから最初は焦ったけど……話をしたら分かってくれたみたいだから……」

にちか「……え?」

樹里「どうした、にちか。急に声をあげたりして」

にちか「あ、いや……昨日、樋口さんたちに会われて……儀式のことを樋口さんは納得したんですか?」

霧子「うん。私たちが夏葉さんを甦らせようとしているって話をしたら納得して引き下がってくれたよ……?」

(嘘だ。そんなはずがない。樋口さんは昨日明らかに生徒会のことで頭に来ていた)

(理由を説かれたところで納得して引き下がるほど理性が機能していたとも思えない)

(……幽谷さんは、何か隠してないか?)

にちか「あの、樋口さんは今どこに?」

愛依「ちょい……にちかちゃん、霧子ちゃんをなんか疑ってる? 霧子ちゃんはうちらのために、円香ちゃんを説得してくれたんだよ?」

樹里「円香は元々黒幕の側の可能性が高いんだ。所在なんてどうでもいいじゃねーか」

(あー……もう、外野が邪魔くさいな!)
195 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/25(月) 21:05:46.86 ID:51ANf8D80

霧子「円香ちゃんを放っておくわけにも行かなかったから……生徒会のみんなに協力してもらって、今は安全を確保してるよ……」



霧子「けど、安心して……ちゃんとご飯もあげてるし、お手洗いにも連れて行ってあげてるから……」



真乃「……ほわっ?!」

にちか「ちょっとそれ……どういう意味ですか?!」

樹里「身柄を抑えさせてもらった。今は甜花の才能研究教室で大人しくしてもらってるよ。あそこは鍵がないと外から開けることもできないからな」

灯織「儀式の準備の邪魔をして、屍者の書を奪おうとしてきたので已むなしです。反省していただかないと」

透「……」

(そ、そんな……ルールを押し付けてきて束縛が激しいとは思ったけど、まさか意に沿わない相手を拘束するところまで行くとは……)
196 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/25(月) 21:07:50.37 ID:51ANf8D80

あさひ「あれ……ていうか甜花ちゃんの才能研究教室って……鍵、生徒会に明け渡したんっすか?」

甜花「あ……その、えと……」



霧子「甜花ちゃんは昨日、私たちの言葉を聞いてくれたんだ……甜花ちゃんも、眠っていた本当の自分に気付いたんだよね……?」



甜花「……うん」

凛世「甜花さんも……生徒会の意思に賛同しておられるのですか……?」

真乃「そ、そんな……」

今朝会った時から彼女の様子は変だった。
私たちの相談にも口を開かないくせに、妙に朗らかな表情をしていて、生徒会の陶酔している人たちとまるで同じだった。
甜花さんは霧子さんに呼びかけられるとスクリと立ち上がり、すぐに向こうに座ってしまった。

もう甜花さんも……生徒会側の人間らしい。
197 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/25(月) 21:08:40.57 ID:51ANf8D80

にちか「なんで……甘奈ちゃんが甜花さんに望んだのは、そんななし崩し的な安寧じゃなかったはずですよ……?!」

甜花「違うよ……コロシアイから降りるっていうのは、思考の放棄とかじゃなくて……崇高な理念の追求だから……」

甜花「甜花は平和のために、自分にできることをしたいって……その意思に気づいたから……!」

あさひ「昨日までは普通だったのに……いつのまにかあんな洗脳されちゃってたんっすかね」

真乃「もう、生徒会の側じゃないのは……この4人だけなんだね……」

凛世「それと、身柄を抑えられている円香さんです……」

あさひ「はぁ……つまんないっすね。せっかく2回の事件が終わって、コロシアイが加速してきたところだったのに大多数がコロシアイから降りるなんて言い出したら意味ないっすよ」

霧子「みんなも、私たちに協力したいならいつでも歓迎するからね……?」

(そんなの、こっちから願い下げだよ……)

不意に恋鐘さんが目に入った。幽谷さんが言葉を並べ立てるたび、恋鐘さんは心なしか肩を落としているように見えた。
幽谷さんの変わりように心を一番痛めているのは彼女だ。

透「みんなもこっち来なって。うちらだけの平和な楽園、作っちゃお」

それと同時に、どうしても気にかかるのが浅倉さんの存在。
ただでさえ幼馴染には覆すのが困難な容疑がかかっているのに、更には自分の属している生徒会の反乱分子として身柄まで抑えられてしまっている。
それなのに、まるで表情を変える様子もなくヘラヘラとしているのがこれ以上なく不気味だった。
198 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/25(月) 21:10:17.47 ID:51ANf8D80


食事を終えると生徒会の人たちは儀式の準備の続きをすると言ってすぐに部屋を抜け出して行ってしまった。
彼女たちの姿が見えなくなった瞬間、大きなため息をそろって吐き出した。ピント張り詰めていた緊張の糸が切れて、一気に疲れが押し寄せる。

残ったのは昨日からさらに一人減った四人。
真乃ちゃん、杜野さんは不安そうに眉をひそめ、芹沢さんは退屈に唇を尖らせた。

あさひ「3人は生徒会の説得に応じたりなんかしちゃダメっすよ? みんなが霧子ちゃんの元に下ったら、いよいよっすから」

にちか「そりゃ応じる気も、耳貸す気もないけどさ……既にこっちに行動の自由はないよ?」

真乃「儀式の邪魔をすれば、円香ちゃんみたいに捕まっちゃうんだよね……」

凛世「円香さん……コロシアイの黒幕に加担していると疑ってはおりましたが……拘束となると、流石に行き過ぎに思われます……」

あさひ「どうにかして生徒会を崩壊させられないっすかねー……」

流石の芹沢さんも、生徒会の盤石な組織体制には手を焼いている。
椅子で舟漕ぎをしながら、不満を口にした。
199 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/25(月) 21:11:29.80 ID:51ANf8D80

にちか「儀式は今晩……止めるのなら今のうちだよね」

真乃「……こうなったら、ダメ元で説得をしてみるしかないんじゃないかな」

凛世「こちらから生徒会の元に出向くということですか……?」

真乃「うん……実力行使をしようとしても、人数の上でも体格の上でも有利を取られちゃってるから……多分難しいと思うんだよね」

真乃「それでも、交渉にならまだ応じてくれる余地はあると思う……ほら、さっき霧子ちゃんもいつでも仲間に加わるなら歓迎するって言ってたでしょ?」

にちか「会って話をすることぐらいは出来るかもしれないってこと? でも大丈夫? ミイラ取りがミイラになる……的な結末も見えるんだけど」

あさひ「うーん、この人数で一気に出向けば大丈夫なんじゃないっすか? 一度に何人も洗脳できるほど霧子ちゃんは熟練の教祖ってわけでもないっす」

あさひ「実際今洗脳されているみんなも、一人一人で順番に洗脳されていった感じっすよね? わたしたちが一気に総倒れにはならないと思うっす」

にちか「そっか……」

真乃「どうかな……一度みんなで、蘇りの儀式の準備を止めるように交渉してみない……?」
200 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/25(月) 21:12:44.85 ID:51ANf8D80

凛世「凛世は……この学園に来た時、とても不安で……折れてしまいそうでございました」

凛世「ただでさえ見知らぬ場所で、殺生を強要され……明日は我が身と思うと、食事も喉を通らず……」

凛世「そんな中、凛世に声をかけてくださったのが樹里さんなのです……一人閉じこもることしかできなかった凛世と、目線を合わせてはにかんでくださった樹里さん……」

凛世「共に体を動かし、汗を流すことで……凛世の心を解きほぐしてくださった樹里さんが今……完全に魅入られてしまっている……」

凛世「凛世は、樹里さんを沼より引き摺り出したいです……!」


あさひ「私は純粋に、今の状況がつまらないっすから。みんな横並びで同じ考えに流されて、コロシアイの放棄なんて口にしてる生徒会は許せないっす」

あさひ「それに……わたしとよく遊んでくれる愛依ちゃんも、生徒会に入ってから最近は遊んでくれないんで」

あさひ「生徒会をぶっ壊すんだったら協力するっすよ!」


真乃「にちかちゃんは……どうかな?」


にちか「そんなの……決まってるよ」

にちか「私も生徒会をぶっ壊したい。灯織ちゃんも、西城さんも、恋鐘さんも、甜花さんも、愛依さんも、浅倉さんも……あんなのが本当の自分だなんて言わせない」

にちか「平和なんて甘言で誤魔化して自由を剥奪するような真似を……このまま黙っていられないよ!」


真乃「決まりだね……! 行こう……みんなを取り戻すために……!」

私たちは真乃ちゃんをしんがりにして、結束の形を見た。
生徒会の、一人の思想に縋り付くような緩い結束じゃない。
今の状況を打破したい、それぞれの方向に尖った信念が交差した一点で結びつく、脆くも気高く、強い結束だ。

私たちは力強く床を蹴って、その一歩を踏み出した。
201 : ◆vqFdMa6h2. [saga]:2023/09/25(月) 21:16:11.34 ID:51ANf8D80
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【4階 超研究生級のストリーマーの才能研究教室】

甜花「あ、あれ……? みんな、どうしたの……?」

透「もしかして、うちらの仲間になりたいの?」

4階に上がると、廊下の各地点に見張りとして生徒会の人たちが仁王立ちしていた。
それほどまでに私たちに邪魔をされたくないということなのだろう。

にちか「ちょっと……霧子さんと話がしたいんですけど開けてもらえません?」

甜花「えと……どうしよう、儀式のお邪魔にならないかな……」

透「まだ1日がかりで時間いるらしいし……どうだろ」

恋鐘「……」

恋鐘「良かよ、うちの判断でインターホンを押しちゃる」

(恋鐘さん……!)

恋鐘「大丈夫、霧子がそげんことで怒るわけがなか。それに、にちかたちは話がしたくてここに来てくれたばい。うちらの考えを理解してもらうよかチャンスたい!」

恋鐘さんはバレないように私に向かってウインクをした。
彼女が生徒会にいてくれて良かった。今も正常な思考を保てている恋鐘さんの存在がなければ、突破口は一つとて無かったことだろう。
戸惑う二人を手で選り分けるようにしてから、恋鐘さんはインターホンを鳴らした。
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