【モバマスSS】星の巡礼者

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96 : ◆wsnmryEd4g :2022/08/22(月) 22:48:29.13 ID:JDuYBNLw0

元に戻った。

世界の終わりのような轟音は耳鳴りも残さず過ぎ去った。
ひび割れ、粉々になったはずの夢は元通りの平和な景色を僕の目の前に広げていた。

周囲を見渡すと、相変わらずここには風車小屋があり、さわやかな空と木立があり、作り物のように自然な風景があった。
いったい何が起きたのか、すぐには状況を飲み込めなかった。
小さなシロツメクサの絨毯の上で呆けたように膝をついたまま、僕は藍子の姿を探した。

いない。

藍子が、どこにもいない。

((巨大な歪みだ。藍子はその歪みに巻き込まれ、こことは違う夢へ飛ばされた))

「なんだ? 何が起こった? 藍子はどこだ?」

想定外の事態だ、しかし心配はいらない……そんな声が頭の奥深くで響いている。

わけがわからない。
藍子はどこだ?
僕はそんな言葉を呪いのようにずっと呟いていた。

「……そうだ、鷺沢さんは……!?」

もしやと思い、慌てて姿を探したが、相変わらず風車小屋の横でぐっすり眠っていたので安心しつつも呆れ果ててしまった。

「寝てる場合じゃないですよ! 一体何が起きたんですか?」

しかし反応がない。
僕は彼女の肩を揺さぶり、何度も声をかけた。
97 : ◆wsnmryEd4g :2022/08/22(月) 22:49:32.78 ID:JDuYBNLw0
「う……」

ようやく返事が聞こえたが、ぼんやりと開かれた彼女の目は奇妙にまどろんだままだった。
意識もはっきりしていない。

僕はそこでようやく様子がおかしいことに気づいた。

((歪みの影響だ。制約の範囲から出かかっている。危険な状態だ))

危険な状態。
そんな言葉が僕の脳裏をよぎった。

((それほど遠くへは行っていない。すぐに連れ戻そう……))

「しっかりしてください! 鷺沢さ……」

「はいっ!?」

思い切り耳元で声をかけると同時に彼女の体が跳ねるように飛び起きた。
僕は思わず「うおっ」と声が出て後ろに倒れそうになる。

「い、い、今のは? えっと、お客様……? ここは? 私は何を……」

驚きのあまり自分が何を喋っているのかも分かっていないようだった。
もしかしてまだ夢の歪みから抜け出せていないのだろうか?
一瞬そんな心配もしたが、慌てながらもしっかり僕の声に反応しているのを見る限り、おそらくこれが彼女の素なのだろう。
どちらにせよ、ひとまず危機は去ったらしい。

僕は尻もちをついたまま安堵の溜息をついた。
やれやれ。
98 : ◆wsnmryEd4g :2022/08/22(月) 22:50:31.57 ID:JDuYBNLw0
鷺沢さんはすぐに落ち着きを取り戻した。
そして自分が眠りこけていたことを知ると、途端に顔を真っ赤にして謝りだした。
僕が何度も「謝る必要はありません」と言っても聞いてくれない。

「本当に鷺沢さんのせいではないんです。これは不慮の事故で……」

「ですが現場の責任は私にあります。管制部の方にも、他に異常がなかったか確認してみます」

「あー、そのことなんですが、実はもう一人の方が……」

「ええっ!?」

僕が説明し終えるより先に彼女が叫んだ。

「も、もうお一方の行方が!? そんな、私、とんでもないことを……」

管制部からどんな報告を受けたか分からないが、おそらくあちらでも藍子を観測できなくなっているのだろう。
鷺沢さんは再びパニックに陥り、今にも気絶しそうなくらいだった。

が、一方僕といえば、藍子が行方不明であるという事実を改めて突きつけられたにもかかわらず、さっきよりもずっと落ち着いていた。
あるいは、混乱して血の気が引いている鷺沢さんを見て、かえって冷静になれたのかもしれない。

僕は彼女をなだめながらゆっくり説明した。

「あなたが眠っていたのは夢の歪みの影響です。おそらくあの猫が原因でしょう。奴はこの空間では、いわばイレギュラーな存在なんです。((嵌めたのではない。不慮の事故だ))僕たちはヤツに嵌められたんです……あ、いや正確には違うらしいですが、まあ全部あの猫のせいということにしておけばいい。ですから、あなたが責任を感じる必要はまったくありません」

話しているうちに、僕は少しずつ状況を理解しはじめた。
時折頭の中を通り過ぎる奇妙な声が僕の意識に重なって響くたびに、この先にある未知への恐れと不安が希望への確信に変わっていく。

((それがお前の使命だからだ))

藍子を探さなければならない。
藍子を助けることができるのは僕だけなのだ、と。
99 : ◆wsnmryEd4g :2022/08/22(月) 22:51:27.69 ID:JDuYBNLw0

「藍子さんを探しに行かなければいけません」

僕は、僕を取り巻く特殊な状況について一通り説明したあと、鷺沢さん(と研究所)にそう告げた。

その説明も、最初はなかなか理解してくれず、星の夢の中を自在に移動できるのは僕だけだと言っても信じてくれなかった。
正直なところ僕自身もこの時点では半信半疑だったのだが、実際にそれを証明してみせたことで研究所の人たちも納得せざるをえなくなった。

僕は鷺沢さんの目の前で夢の出口へのチャンネルを一瞬で開いてみせた。
少し前にも似たようなことを二度やっていたし、何も難しいことはなかった。

鷺沢さんは、僕がいともたやすくやってのけるのを見て、驚愕と興奮と、それから畏れにも似た表情を僕に向けた。
僕は今や星の夢と地上の世界を自由に行き来できるのみならず、星の夢にアクセスしている全ての人の意識に語りかけることさえできた。

そんな流れで、管制部、および研究所の責任者と思しき人物たちと連絡を取り、しばらくして僕の単独行動を全面的に認めるという運びになった。
別にそんな許可がなくても僕は勝手にやるつもりだったが、あんまり他人に迷惑をかけるのも忍びない。


「いろいろご迷惑をおかけしました」と僕は心から申し訳なく思って言った。
「あなた方の研究に役立つようなサンプルが取れるといいのですが……」

「いえ、こちらこそお役に立てず申し訳ございません」と鷺沢さんが深々とお辞儀して言った。

「一応、私どもの方でも藍子様の所在を探ってみます」

「ありがとう」

その必要はありません、とは言わなかった。
100 : ◆wsnmryEd4g :2022/08/22(月) 22:52:27.20 ID:JDuYBNLw0
「そういえば」

空間にぽっかり空いた虹色の出口を危なっかしい仕草で跨ごうとしている鷺沢さんに、ふと思いついて尋ねた。

「古澤頼子という人をご存じですか?」

「え?」

彼女は一瞬戸惑いながら、「彼女が、どうかしたのですか?」と怪訝な表情で聞き返した。

「いえ、その……なんというか、博物館に関係してる人なのかな、と」

「彼女は私の前任者です」

なんだ、そういうことか、と僕は納得した。

「もしかして、行方をご存じなのですか?」

「は?」

今度は僕が意表を突かれ、聞き返した。

「数年前、勤務中に失踪したのです。以来、行方不明者として捜索願いが出されているのですが……そのことについてお聞きになられたのでは?」

「…………ああ、そう。そうでした。それでその、古澤さんってどういう人だったのかお聞きしたくて」

「頼子さんはとても知的で聡明で、尊敬できる素敵な方でした。特に絵画に対する造詣の深さ、愛情の深さにおいては並び立つ者がいないほどでした。研究所では星の夢の研究に大きく貢献した優秀な研究者でもあり、私が今まで出会った中で最も優れた学芸員の一人でもあります」

「なぜ失踪したのか、理由や原因は分かっているんですか?」

鷺沢さんは考え込むように顔を伏せて、

「分かりません。ただ……」

話すべきかどうか、ためらうような沈黙があった。
そして、
101 : ◆wsnmryEd4g :2022/08/22(月) 22:53:03.19 ID:JDuYBNLw0
「……彼女は星のことばをよく理解していたので、星の夢を探索する能力に長けていました。私たちの間では、それが遠因ではないかと噂されています」

「…………夢に囚われて帰れなくなった、と?」

「はい。あくまで推測ですが」

僕は「そうか」と呟いて、それから、

「変な質問をしてすみませんでした」

と謝った。

((そろそろこの場所も危ない。早く立ち去った方がいい))

「……鷺沢さんも早く行ってください。元の世界に帰れなくなる前に」

不安定な姿勢でぐらついている彼女の体を、その手を取って支えてやりながら僕は忠告した。

すると彼女は、虹色のトンネルに片足を入れたまま僕の方を振り向いて、

「あの」

と言った。

僕はよほど「早くしてください」と言いたかったが堪えて、「なんです?」と返した。

「頼子さんに会ったら、よろしく伝えておいてください。私も、頼子さんのようになれるよう、頑張って……」

分かりました。
と答える前に、地面に大きな亀裂が走った。
102 : ◆wsnmryEd4g :2022/08/22(月) 22:54:09.41 ID:JDuYBNLw0
「早く!」

僕は叫び、鷺沢さんを出口へ押し込んだ。

虹色のチャンネルが閉じられ、鷺沢さんはその奥へと消えていった。


耳鳴りのような轟音。
大地を走る裂け目から、虹色の輝きが漏れ出す。

鷺沢さんは無事に元の世界に帰れただろうか。

そんな心配をしながら僕は、自分の体が重力から解き放たれるのを感じた。


世界が輝きだす―――………


――――……

――……

……



103 : ◆wsnmryEd4g [!蒼_res]:2022/08/22(月) 22:55:18.70 ID:JDuYBNLw0

【副読本】

これは、ある作家の書いたエッセイである。内容は狂信的な妄言に基づいたもので、明らかに支離滅裂である。
以下の文章を読み、これが本題とどのようにかかわりがあるか考察せよ。
作者のオリジナリティは十分見出されるか?
このエッセイは本題に新しい光を投げかけるものか?
読み終えたら用紙の裏面を使い、他者に憧れるあまり自己を浪費した経験を短文(500字以内)にまとめよ。
そういう経験がない場合は、でっちあげろ。
104 : ◆wsnmryEd4g :2022/08/22(月) 22:56:37.36 ID:JDuYBNLw0

   『名もなき詩への追憶』

彼には名前がありませんでした。
もっと言えば、男か女かも定かでない人でした。
ですから、まずは彼/彼女に[ピーーー]と名付けることから始めようと思います。
[ピーーー]、それが彼/彼女を表すのにもっとも適切な表現だということを、これからわたしが語る顛末を読んだ方ならきっと理解してくれるものと期待しています。

とはいえ、どこから話せばいいでしょうか……
わたし自身、このような形で心を整理し、気持ちを吐き出そうと決意するまで15年かかりました。
その間、わたしは不器用ながら社会の荒波に揉まれ、多くの学びと挫折を経験し、今でこそ仕事も恋愛も人並みにこなせるようになりましたが、振り返ってみれば、そうして得られたものよりも失ったものの方がずっと多かったような気がします。
それこそ、最初に[ピーーー]と出会った中学2年生の夏――自室のベッドに包まりながら打ちのめされていたあの夜――から高校を卒業するまで、わたしの貴重な青春のほとんどは一種の催眠状態にあったのですから。

そう、事の始まりは今から15年前、わたしが14歳の時の夏の日でした。
今でもあの夢のような世界を鮮明に思い返すことができます。とはいえ、正確にはこの時はまだ[ピーーー]と出会ったわけではないのですが……

その時期にしては珍しく涼しい風の吹く夜でした。
わたしは自室の机の上でノートパソコンを開き、当時毎晩そうしていたように、その日もお気に入りのWEBサイトを巡回し、気の向くままにリンクを追って時間を潰していました。
その時、どんな経路を辿ってそこへ行きついたか……そこまでははっきりと覚えていません。おそらく、どこかのアニメ系個人ブログから、外部リンクを経て辿り着いたのだと思います。当時、わたしは他の同年代の子たちと同じようにアニメやゲームや漫画といった流行りの娯楽に興じていました。そしてわたしは、中学2年生という身分にしては少々贅沢な、個人で自由に使えるパソコンを持っている人間でしたので、仲間内では話題の提供に事欠きませんでした。つまり、わたしは[ピーーー]と会うまで、どこにでもいるごく普通の14歳の少年に過ぎませんでした。
105 : ◆wsnmryEd4g :2022/08/22(月) 22:57:36.22 ID:JDuYBNLw0
わたしがその夜、興味本位で覗いてみたのは、とある匿名掲示板のスレッドでした。
この最初の動機にしても、正直に言うと理由をはっきり覚えていないのですが、どこかで聞いたことのあるようなタイトルだったので、どんな意味だろう、と興味をそそられたのだろうと思います。

それは、不特定多数の書き込みが連なる一般的な掲示板とは違い、ひとりの投稿者が自作の小説を書き連ねている、いわばストーリー形式のスレッドでした。
わたしはほんの気まぐれから、その謎めいたタイトルの小説を読み始めました。

タイトルは『飴に唄えば』。
この小説はその時に一度読んだきりでしたが(何せ幻のように痕跡を遺さず消えてしまう[ピーーー]の作品ですから)、15年経った今でも、そこに現れる場面場面、そして登場人物の表情、感情までもが、まるで現実の思い出のようにありありと脳裏に思い返されます。

しかし内容に関して言えば、ここで詳しく説明することはできない、と言わざるを得ません。
忘れているわけではないのです。
ただ、もともと、この小説には粗筋としてまとめられるような明確なストーリーがありませんでした。
というより、短く要約するにはお話として難解すぎたのです。部分的なシーンを切り抜いて語ることはできても、それらの個々のシーンの繋がりが(時系列的にも)複雑に絡み合っていて、一読しただけではこれがストーリーとして成立しているのかどうかも分からないほどでした。

ですから、この小説を紹介する方法として内容を詳細に語ることは自他ともに不十分でしょうし、なにより小説の魅力が誤解されたまま伝わってしまうのはわたしとしても望ましくありません。

そこで、当時14歳だったわたしが『飴に唄えば』を読んだ後、どれほどの衝撃を受け打ちのめされたか、その様子を一通り述べてみることにしましょう。
106 : ◆wsnmryEd4g :2022/08/22(月) 22:58:30.70 ID:JDuYBNLw0
夢中になって読んだ、という記憶さえありませんでした。

気が付けば時計は夜の2時を回っていました。
わたしは最初、読み終えたという実感も曖昧で、机の前に座ったまま呆然とするばかりでした。
虚空を見つめ、夢想するように物語の続きの中を彷徨っていたのです。
そう、まさに夢を見ていたような感覚でした。

わたしはふと我に返りました。
そうして自分という現実を認識しだした途端、わたしは激しい喪失感に胸を打たれ、身動きが取れなくなりました。

それは孤独とも呼ぶべき寂しさ、あるいは哀切、郷愁の感情でした。

物語の世界からひとり引き剥がされ、置いてけぼりにされた感覚……そして、そんな個人的な感傷とは無関係にただそこにあるもうひとつの世界。確実に存在しているが決して誰も到達できないあの世界のことを想うと、わたしは、まるで自分という意識が儚い砂の塵のようにも感じられました。

そんな不条理な孤独感をこれほど痛切に感じたのは生まれて初めてでした。
しかもネット上の誰が書いたかも分からない小説で!

当時のわたしに、こうした複雑な感動を言葉で表現できるほどの賢さがあれば衝撃も少しは和らいだでしょう。
しかしそれまで自我というものすら曖昧だった未分化な少年Aは、この圧倒的な体験の前にただただ打ちのめされる他ありませんでした。
107 : ◆wsnmryEd4g :2022/08/22(月) 22:59:17.70 ID:JDuYBNLw0
その後わたしは疲労感によろめきながら立ち上がり、パソコンも部屋の電気も付けたままベッドの上に倒れ込みました。
しかしベッドに横になっても物語の幻影が頭の中で次々に再生され、えも言えぬ興奮のためにすぐには寝付けませんでした。
わたしはそうして追憶のなか夜を過ごし、いつしか眠りに落ちました。


……このように書くと、わたしを突然見舞ったこの体験が、ある種トラウマのような傷をわたしの心に刻んでしまったのだと、そう受け取られる方もいるかもしれません。
そして実際、その見解は間違っていません。
ですが、わたしがそのことをはっきり自覚するようになったのはもう少し後のことでした。

現に『飴に唄えば』を読んだ翌日、わたしは何食わぬ顔で学校へ行き(寝不足でぼんやりする頭を抱えながらではありましたが)、いつもと変わらぬ生活を送りました。時折あの小説のイメージが頭に浮かぶ瞬間はあっても、それによって我を忘れたり、心を痛めたりするようなことはありませんでした。あれはきっと寝ている間に見た夢だったのだと、そんな風にさえ思っていたのかもしれません。

それに、先ほども申し上げた通り、以来『飴に唄えば』の小説はネット上のどこを探しても見つけることができなかったのです。
あれはやっぱり夢の中の出来事だった……そう自分に納得させるには十分な理由ではないでしょうか。


結論を言うと、もちろん夢ではありませんでした。
一時的なものではあるにせよ、わたしを虜にした謎のネット小説は続けざまにわたしの人生に介入してきたのです。
108 : ◆wsnmryEd4g :2022/08/22(月) 22:59:50.54 ID:JDuYBNLw0
2ヵ月後のことでした。
わたしは再びネットの掲示板で[ピーーー]の作品と出会います。
タイトルを見た時は「もしかして……」という予感にすぎなかったものが、最初の書き出しに目を通した瞬間、確信に変わりました。

同じ人だ、と。
理屈はどうあれ、わたしはすぐに『飴に唄えば』を書いた人の小説だと直感しました。

わたしは思わず掲示板の書き込みの時間を見ました。
昨日の日付になっていました。
つまり、新作ということです。

わたしは無邪気にもわくわくしながら小説を読み始めました。
これが、後に私の趣味思想までもすっかり歪めてしまう決定的なきっかけになってしまうとも知らずに。
109 : ◆wsnmryEd4g :2022/08/22(月) 23:00:36.91 ID:JDuYBNLw0
『猫の日』という短編小説でした。
これは、ある女の子の家に決まって日曜日にだけ猫が遊びに来るという話です。その猫は学校の友達のあいだでも有名で、聞くと皆それぞれ決まった曜日にいつも訪れてくるそうなのです。Sさんの家には月曜日、Tさんの家には火曜日、といった風に。
そして女の子は友人たちと同様、そんな不思議な行動をとる猫を溺愛するようになり、しまいには……

……と、ここまでは簡単に紹介できるのですが、その先はなかなか説明が難しく、やはり一筋縄ではいかないといったところでしょうか。
オチに関しては、猫がいなくなってしまった後、女の子の成長した姿で終わる、というものですが、これだけでは何が面白いのか、その魅力が微塵も伝わらないものと思われます。

しかし、これらの不十分さはある程度仕方のないことだと言わざるを得ません。
恥ずかしながら、これが15年に渡り[ピーーー]の作品について考察し模倣しようと努めてきたわたしの限界なのです。
これは決して開き直りではありません。[ピーーー]への感情、そしてわたし自身の創作への熱意を整理し、言葉で語れるようになるまでどれほどの時間と労力を要したことか。その過程をまるごと無視してこれを開き直りと言ってしまうのは少々酷ではありますまいか。

結論、[ピーーー]の作品の魅力は表面的な言葉では語れないのです。
ですから、わたしが言いたいことを正確に伝えるには実際に小説を読んでいただくしかありません。とはいえ、今となってはその手段のほとんどが失われてしまっているのが残念でなりませんが……
110 : ◆wsnmryEd4g :2022/08/22(月) 23:01:55.86 ID:JDuYBNLw0
それにしても、掲示板のログを取っておくという発想がなかったのは仕方ないにしても、文章のコピーをどこかに保存しておくという考えも閃かなかったのかと呆れる人もいるかもしれません。

これについてはどのみち不可能だったということを承知していただく必要があるでしょう。
後に分かったことなのですが[ピーーー]の小説は、仮に自分のパソコンに保存したとしても翌日にはファイルごと綺麗さっぱり消えているのです。
まさに怪奇現象であり、その徹底ぶりたるや、まるで異星人が証拠隠滅のために時空に干渉しているかのようでした。
まあ実を言うとここ数年の作品は手元に残しているのですが……それはおいおい語ることにしましょう。


話を戻します。
二作目の『猫の日』を読み終わった後、わたしは前作とは違った興奮に身を震わせていました。
相変わらず寂しく切ない孤独感に満ちていながら、物語を読み終えた瞬間、奇妙な快感が自分の心を満たしていった気がしたのです。
これは前作にはなかった新たな感動でした。

短編という形式だったおかげか、わたしはその日――作中と同じく日曜日でした――のうちに何度も読み返すことができました。
そうして[ピーーー]の作品を読み返すたびにわたしは戦慄していきました。
読み返すたびに新たな発見があるのです。
言葉の意味の二重構造、人物の台詞の裏にある微妙な心理の動き、物語の伏線……こうした技巧的な部分に、わたしはまず感心しました。
しかし、この小説にあったのはそれだけではありませんでした。

わたしはやがて物語の向こう側、言葉の意味よりもさらに深い所を、朧げながら感じつつありました。
いわばこの小説を書いた人物の内面とでも呼ぶべきもの……それも、しばしば巷で揶揄されるような、作者の心理などという陳腐で狭量な枠組ではありません。
つまり、この小説を書いた人物の見ている世界を、わたしもまた見つつあったということです。

わたしが何度も読み返しながら発見したのは、まさにそうした世界の断片のことでした。

しかし、その断片とはまったく未知の「何か」であり、色も形も、意味さえ分からないものでした。

ただ「何か」がそこにあるという直感的な手応えだけが確かに感じ取れるのです。

わたしはこの小説の物語、人物、文章、言葉、あるいはそれらのあらゆる隙間の中に、存在だけは確かな正体不明の「何か」を見出していきながら、それが何なのかさえ分からない、ということをひたすら思い知らされる、そんな絶望的な沼の底へ落ち込んでいきました。
111 : ◆wsnmryEd4g :2022/08/22(月) 23:02:43.36 ID:JDuYBNLw0
[ピーーー]を初めて認識したのが、この時でした。

この文章、この物語の向こうに「何か」、つまり「誰か」がいる――そう気付いた瞬間から、わたしの人生は狂ってしまったのかもしれません。
わたしは読みながら、小説そのものだけでなく、[ピーーー]が何者なのか、そしてこれらの小説がどのようにして書かれたのかについて考えるようになりました。


二作目「猫の日」の余韻はそれから二週間ほど続きました。
小説自体は翌日にはネットから消え去って読み返すことができなかったにもかかわらず、です。
あるいはそれが虚無感や無力感に拍車をかけたのかもしれませんが。

その間、わたしの頭はあの物語と[ピーーー]のことでいっぱいでした。
かろうじて学校の勉強や友達付き合いにはついていったものの、部活(サッカー部でした)はまるで身が入らず監督に叱られっぱなしで、家に帰ってもボーっとテレビを見ているかネットの動画を眺めているだけでした。もちろんテレビも動画も内容は右から左に抜けていくばかりで、わたしの意識はずっとあの小説の中を彷徨ったままでした。


こうした劇的な体験を経て、次第にわたしは[ピーーー]に憧れを抱くようになります。
それこそ[ピーーー]は、謎多き存在であると同時に、わたしの心を激しく揺さぶる一流の作家だったのですから。
112 : ◆wsnmryEd4g :2022/08/22(月) 23:03:35.87 ID:JDuYBNLw0
わたしが初めて小説を書いたのは中学2年生の秋、定期テストが終わった直後だったと記憶しています。
[ピーーー]の小説と似たような物語をノートに書きなぐったものをパソコンに打ち直し、[ピーーー]と同じように掲示板にスレッドを立て、投稿しました。
非常に、とても、それこそ涙が出るくらい緊張したのを覚えています(それは今もあまり変わっていませんが)

そしてその内容と言えば……いえ、ここであえて語る必要もないでしょう。
結果だけ言うならば、それはもう惨憺たるものでした。

それまで国語の教科書くらいでしか小説を読んだことがない人間、それも中学生の時分でしたから、文章の巧拙以前の問題で、まともに読めたものではありませんでした。掲示板のログは律儀に取ってありますが、あまりの拙さと無謀さに正直わたしも読み返したくない代物です。まあそんな話はどうでもいいとして……

わたしはそんな失敗にもめげず、小説を書きつづけました。
なぜか?
おそらく、当時のわたしはその処女作をそれほど駄作だとは思っていなかったのでしょう。
小説はおろか活字にさえ慣れ親しんでいなかった無知な子どもでしたから、書いたものの出来ついて判断する材料に極めて乏しかったのです。ただひとつ、[ピーーー]の小説には程遠いという明確な認識はありましたから、そのおかげなのでしょう。わたしは自然に、もっと上手に書きたい、[ピーーー]のように書いてみたいと思うようになりました。
最初はそれこそ[ピーーー]に対する憧れ、あるいは[ピーーー]という謎を解明する手がかりのひとつとして、あくまで好奇心から書き始めてみたに過ぎない創作でしたが、そうした刺激と動機から、やがてわたしの興味は創作するということそのものへと移り変わっていきました。
113 : ◆wsnmryEd4g :2022/08/22(月) 23:04:16.08 ID:JDuYBNLw0
わたしの主な活動場所はインターネットの掲示板でした。

それも一般的な雑談をするような掲示板ではなく、小説などの創作物を発表する場としての、きわめて専門性の高い掲示板でした。
つまり、投稿した作品はつねに他の大勢の作品と比較され、それが閲覧数やコメント数などによって明確に視覚化されてしまうのです。
非常にシビアな世界でしたが、だからこそやりがいのある、面白い戦場だったとも言えるでしょう。


このようにしてわたしは、[ピーーー]をきっかけに小説の世界にのめり込んでいきました。

その新たな趣味の代償として、部活や友人間での孤立、高校受験の失敗と大学選びの失敗、中退、それに続く引きこもりの生活などがありますが、その間に得られたものといえば……いえ、この話はやめましょう。

誰に裏切られたわけでもない、ましてや自分で決めたことですから。

[ピーーー]を恨んでも、失ったものは返ってきません。
114 : ◆wsnmryEd4g :2022/08/22(月) 23:05:14.08 ID:JDuYBNLw0
ところで、人によってはわたしをただのネット中毒者ではないかと疑う方もいるでしょう。
なにしろ四六時中パソコンにかじりつき、時には寝食忘れて没頭していたほどなのですから。

正直に申し上げると、その意見もおおむね間違いではないように思われます。

もちろんわたしとしては創作活動それ自体に心血を注いできたつもりです。
しかし、掲示板を通して同じ趣味をもつ者同士交流し、作品を読み合い、しばしば下らない雑談で無益な時間を過ごすというのは、創作の喜びに勝るとも劣らない幸福感がありました。この狭いコミュニティの中に自分の居場所がある……そんな安心感に甘えていた節があったことも否定しません。

ですが、わたしの動機の中心はあくまで[ピーーー]という存在であり、最後までその軸がぶれることはありませんでした。

証拠に、わたしは掲示板に自作を投稿するかたわら、常に[ピーーー]の新作について気を張り巡らせていました。[ピーーー]がこの掲示板に現れるという確証はまったくありませんでしたが、可能性はゼロではない、と考えていたのです。結果的にその予測は正しいとも間違ってるとも言えなかったのですが……

それだけではありません。
わたしは掲示板で知り合ったごく僅かな人たちと共に[ピーーー]の正体について情報を交換していたのです。

そう、[ピーーー]の小説を読んだことがあるのはわたしだけではありませんでした。

それが分かっただけでも、あの掲示板で活動していた甲斐があったというものです。
[ピーーー]の小説を読んだことがあるのは最初はわたしともう一人だけでした。それから徐々に増えていき、最終的にわたしを含めた11人が[ピーーー]の小説に実際に触れました。ただし、そのうちの数人は現在連絡が途絶えており、[ピーーー]の正体については未だ何一つ分からないままです。
115 : ◆wsnmryEd4g :2022/08/22(月) 23:06:32.60 ID:JDuYBNLw0
ここで[ピーーー]を巡るわたし(たち)の様々な奮闘を――決して愉快なだけではない多くの思い出を――語ることもできるのですが、それらを逐一述べるには出来事が多すぎますし、何より本稿の主題から大きく逸れてしまう恐れがあります。
ですので、「曲者ぞろいの某集団は政治的もしくは信条的な軋轢から最後まで統制が効かず、いくつかの他愛ない揉め事を経て自然解散した」と、今はその程度で知っていただければ十分かと思います。


それよりもわたしは、わたしと[ピーーー]との関係についてもう少し詳しくお話しなくてはなりません。

わたしが[ピーーー]とどのように出会い、どのようにしてわたしが創作の道へ分け入ったか……これについては先ほど述べたとおりです。

では、わたしはどのように創作と向き合ってきたか?
これこそが、わたしと[ピーーー]との関係そのものと言っていいかもしれません。

はっきりと申し上げます。
わたしにとって創作とは、どこまでいっても[ピーーー]の模倣にすぎないものでした。
文体、語彙、表現、テーマ、果ては登場人物の名前まで、[ピーーー]の真似をせず書いた小説はこれまでひとつもありません。
それこそ、一人称にひらがなの「わたし」という表記をするところまでそっくり[ピーーー]の模倣なのです。
わたしは自身のオリジナルを目指そうとせず、信用もせず、まるで悪魔にとりつかれでもしたかのように、捉えようのない幻影を追い続けていました。

ただし勘違いしてはいけないのは、わたし自身のオリジナリティについて深刻に悩んでいるわけではない、という点です。もちろん深刻に考えるべきテーマではありますが、自分としてはすでに整理がついている問題ですから、今回改めて語る必要はないかと思います。実際、一時期それなりに悩んではいたのですが、ここでわたしが言いたいのはそんな下らない自己批判などではありません。

要するに――話を蒸し返すようで恐縮ですが――そもそも[ピーーー]とは何者なのか?

この問いこそが、わたしと[ピーーー]の関係の原点であり、出発点なのです。

もちろん、その解答は未だに見つかっていません。
あるいは「解答を得られない」ということ自体がひとつの解答なのかもしれませんが……いえ、そんな禅問答はやめておきましょう。

わたしはこの問いに対して様々な仮説を打ち立て、それらを検証していきました。
そして――ここが本稿の最重要部分なのですが――わたしはある大胆な発想を元に、ひとつの仮説を導きました。

それが、『わたしが目指していたのは[ピーーー]そのものではなく、[ピーーー]の幻影だったのではないか?』というものです。

あるいはこう表現すれば伝わるでしょうか。
116 : ◆wsnmryEd4g :2022/08/22(月) 23:07:10.94 ID:JDuYBNLw0

『[ピーーー]などという作者は最初から存在しなかった』
117 : ◆wsnmryEd4g :2022/08/22(月) 23:08:17.76 ID:JDuYBNLw0
これはあくまで仮説にすぎません。
しかも何の裏付けもない、妄想と区別のつかない世迷い事です。

実際、「存在しなかった」と断定するのはやや暴論ではあります。
先ほど述べた通り、[ピーーー]の小説を読んだことがあるのはわたしだけではないのですから。

しかしそれを言うなら、わたしが読んだ[ピーーー]の小説と同じものをあの掲示板の住人が読んでいたという証拠もまた無いのです。

これには少し説明が必要でしょう。

そもそも作者不明かつ小説そのものが閲覧不可能という状況で、一体どうやって[ピーーー]を知る集団が形成されたのか?
事の発端は、当時わたしが掲示板に立てたスレッドでした。
つまり、「飴に唄えば」「猫の日」という小説を知っている者はいないか、ひたすら尋ねて回っていたのです。
今にして思えば無謀というか、行動力だけは一丁前な新参者という感じがしますが、結果的にそれが功を奏しました。

ある人物が、題名こそ異なるものの似たような体験をしたことがある、と教えてくれたのです。
その人物を仮にA氏と呼びましょう。A氏はかつて「姉妹の世界征服」という小説でまさにわたしと同じような現象を体験したと言いました。
圧倒的な読書体験、その記憶だけを残し、小説そのものは幻のようにネット上から消え去ってしまったという……

共通しているのは作品の持つ並外れた魅力と、記録されず記憶にだけ残っているという二点だけです。
とはいえ、その後も似たような体験をした人がわたしの元に集まり、それが先ほど述べたように最終的に11人もの数まで増えたことを考えると、少なくとも同一の作者(あるいは同一の現象を引き起こした「何か」)が存在することは間違いないと、そう考えるのが自然でしょう。

ところが、肝心の小説については少し事情が異なります。

結局、「飴に唄えば」も「猫の日」も(そしてそれ以降読んだいくつかの作品も)わたし以外に読んだ人は一人もいなかったのです。
これは他のメンバーも同様でした。
つまり、自分以外に同じ小説を読んだ人が一人もいないという、非常に具体性を欠いた根拠のもと、我々は一人の作者を勝手に想定し議論していた……ということになります。

そのようにして、[ピーーー]を知る者たちの集い(事実上のファンサークル)が発足してから実に6年もの間、わたしたちは曖昧な状況証拠と曖昧な記憶だけを頼りにひっそりと議論していたのです。
118 : ◆wsnmryEd4g :2022/08/22(月) 23:09:18.63 ID:JDuYBNLw0
状況が大きく変わったのは、サークル発足から6年ほど経ったある日のことでした。
[ピーーー]の新作と思しきスレッドが掲示板に立てられたのですが、ついにその本文を保存することに成功したのです。

さて、これだけ聞くと大変喜ばしいことのように思われます。事実、我々は初めて[ピーーー]の作品を完全に共有できたことに歓喜しました。

ところがその新作を読んでみると、妙な違和感があるのです。
それを読んだメンバーがみな口を揃えて「これだ」と断定したくらいには[ピーーー]の特徴をはっきり備えていたのですが、一方で内容に関しては、例の圧倒的な魅力が――いわゆる無限の広がりを包容した世界が――感じられなかったのです。

この違和感は、我々メンバーたちに大きな衝撃を与えました。
これが本当に[ピーーー]の作品なのかどうかを巡ってグループ内に派閥が生まれたほどです。

その後も、まるで方針を転換したかのように、およそ2、3年に一作のペースで[ピーーー]の新作が投稿されていきました。
もちろんそれらは全て保存済みであり、その気になればここに公開することもできます。

ですが、先ほども申し上げた通り、これらの作品には「飴に唄えば」や「猫の日」にあったような深遠な世界がほとんど見出せません。
決してつまらないというわけではないのです。
ただ、何も知らない人がこれを初めて読んだ時、面白いと感じる以上の感動を得られるかどうかは怪しいところです。

実際、グループ内の「世に広めるべき」派のメンバーは頻繁に[ピーーー]の小説を宣伝・公開していますが、それを読んだ読者が新たに[ピーーー]のファンになるということは基本的にありませんでした(例外もありましたが)。

そして、やがて我々の間で一つの可能性が浮上します。

後年の[ピーーー]の作品と思しき小説は、実は何者かによって巧妙に模倣された[ピーーー]のパロディなのではないか、と……
119 : ◆wsnmryEd4g :2022/08/22(月) 23:10:07.16 ID:JDuYBNLw0

……さて、これらの話を踏まえた上で、もう一度わたしの仮説に立ち返りましょう。

オリジナルの[ピーーー]という作者は、最初から存在していませんでした。

では「飴に唄えば」や「猫の日」を書いたのは一体誰なのか……?


答えは、"誰でもない"のです。

"誰でもない何か"の断片が、電子ネットワークのひずみの中に、物語の姿となって現れたのです。
わたしは偶然、その露出した一部分を垣間見たにすぎません。
あるいは、それは元々そこにあったもので、ただ人の目には見えなかっただけなのかもしれませんが。

突拍子もない話だと思われるでしょうか?
確かに、仮説とはいえ少々空想に行き過ぎている感じは否めません。

しかしわたしはこのようにも思うのです。

[ピーーー]とは、まさに夢のようなものだと。
夢の内容を他人に語ることはできても、実際にその夢を他人に見せることができないのと同じように……

それに、わたしがかつて読んだ[ピーーー]の小説も、細かい内容を語ることはできますが、それが長い年月と共にいくぶん脚色された、いわば思い出のバイアスがかかった内容である可能性は否定しきれません。
わたしの記憶の中にだけ存在する朧げな物語……それこそ夢のようではありませんか。

ある意味で、[ピーーー]とは"誰でもない"のと同時に"わたし"であるかもしれないし、同じように[ピーーー]の小説に触れた多くの"誰か"であるかもしれない……そしてもちろん、その中には"あなた"も含まれているかもしれないのです。
そのようにして、[ピーーー]はあらゆる人々の夢の総体として、この世界の奥深いところで眠り続けている――などと表現するのは、いささか夢物語が過ぎるでしょうか。
120 : ◆wsnmryEd4g :2022/08/22(月) 23:10:44.83 ID:JDuYBNLw0

……ここまでずいぶん長話をしてしまいました。

冒頭に述べたように、[ピーーー]とはそもそも"誰でもない"からこそ[ピーーー]と呼称する他ないということがご理解いただけたでしょうか。

そんな[ピーーー]の幻影を追い続け、その正体を暴こうと多くの時間を費やした結果、今のわたしに残っているのは虚しい徒労感、そして腐りかけた情熱だけです。

しかし腐りかけても種火を失ったわけではありません。

それがたとえ未練と惰性の蜃気楼だったとしても、この情熱を僅かでも注ぐに値する"何か"がわたしの人生にもあるはずだと……そう思わずにはいられないのです。


わたしはまだ創作を続けています。

そしてこれからも続けていくでしょう。

[ピーーー]のようには書けなくても、せめて[ピーーー]が見せてくれたような、あの素晴らしい世界に少しでも近づけたら、と……あるいは、いつかわたしも[ピーーー]の模倣をやめ、本当のわたしに目覚める時がくるかもしれません。

そして、もし、あなたが、いつかわたしの書いた物語を読むような時があったら、わたしのこの想いを少しでも感じ取ってくれるように……

全ての人たちの中に眠る[ピーーー]のために、全ての夢のために――
わたしはこれからも物語を書き続けるのです。
121 : ◆wsnmryEd4g [!蒼_res]:2022/08/22(月) 23:11:43.77 ID:JDuYBNLw0

【問6】

1.次のうち、作者が本当に伝えたかったことはどれか。
(A) 掲示板の住民とのトラブルが重大な出来事だったということ
(B) 創作を諦め、自分の人生を生きなければならないということ
(C) [ピーーー]の模倣は習熟した技術があれば誰でも可能であるということ
(D) ひとりぼっちなので友達が欲しいということ


2.創作をする上で守らなければならない鉄則とは何か?
(A) ひとつの矛盾もない完璧な構造であること
(B) 作品に関わる全ての人を傷つけないこと
(C) 生まれたての赤ん坊でも理解できるように分かりやすく作ること
(D) 作者の思想・意見を一切反映させないこと


3.二次創作とは
(A) お人形遊び
(B) 歪んだ自己投影
(C) 現実のパロディ
(D) 本質の三次創作


4.この小話はフィクションである。(二択問題)
 ・はい
 ・いいえ


122 : ◆wsnmryEd4g :2022/08/22(月) 23:12:30.11 ID:JDuYBNLw0
【11】

フィクションではない。
裂け目から漏れていた虹色の光が、次に進むべき新たな夢を形作っていく。

視界がひらかれる。
123 : ◆wsnmryEd4g :2022/08/22(月) 23:13:29.02 ID:JDuYBNLw0

深い地の底で星空が瞬いていた。

大空洞は、そのなめらかな岸壁にいくつもの星の結晶をきらめかせ、切り裂かれた空に夜の鏡を映していた。

これから起こる光の咆哮と爆撃は、夜の棺に閉ざされた彼女たちの嘆きをも粉々に砕くだろう。
冷たい大地の中で安らかに眠る天使たちの宝石は、生き残った5人の天使にこの星の命運を託し、審判の時を静かに待っている。

二つの閃光が空に走った。

巨大な光球が夜空に影を作った。

大地が剥れ、星の核から灼熱の炎が吹きあがった。
風が、熱が、重力の荒れ狂う嵐の中ですべてを飲み込んだ。

生ある者は全て絶え、闇もまた光の中に消えた。

砕かれた大地のなまなましい傷跡、そのせり上がった大地の上に、五つの光が舞い降りる。
人を、生命を、それら自然の魂を星の記憶から蘇らせるために彼女たちは祈っている。

後にアインフェリアと呼ばれる、最初の星の戦争に勝利した天使たち。


まるで映画を見ているみたいだ、と思った。

((単なる星の記憶にすぎない。あの中にお前の求めている藍子はいない))

「分かってる」

傷だらけの5人が祈る姿は美しかった。
数多の作家が描いてきたどのヴァルキュリアの絵よりも繊細で、厳かで、純潔だった。


僕はふと懐かしさを覚えた。

まだ自我も曖昧だった幼子の時代。

僕は、母に手を繋がれた幼い僕の背中を見ている。

目の前には巨大なキャンバスがあり、そこには――……

124 : ◆wsnmryEd4g :2022/08/22(月) 23:14:29.77 ID:JDuYBNLw0
夕闇を飲み込むほどの深い黒の森が行く手に広がっていた。
手招きするように垂れ下がった木々の枝が、僕らに向かって風の声を囁いている。

鳥と虫たちの奇妙な鳴き声がこだましていた。
辺りは低い山々に囲まれ、空はそのなだらかな稜線に夕焼けの影を投げかけていた。

一歩踏み出すと、足の裏に絡みつくような地面の感触がした。

((怖がる必要はない))

「藍子もお前も、どうしてそう決めつけるんだ……まあいい」

僕は深呼吸し、深いトンネルの中へ進んで行った。


『黒き森』は謎の多い神話の舞台だった。
伝承として残っているのは、かつてアイコが何らかの理由で人里離れこの魔の森に移り住み、そこで永い間暮らしていたという記述のみだ。これだけでは理由も目的も分からないので、モチーフとしては(アイコの中では)比較的マイナーな部類だろう。
とはいえ、人気がないわけではない。
アイコにしては珍しく影の部分が主題になっているということで、ときどき倒錯趣味の画家を夢中にさせることもあるテーマである。
あの美術館に置いてあった『黒き森の乙女』はまさにこの時代のアイコを象った銅像だが、あれはどちらかと言えばアイコの善性を影のコントラストで強調したような作品だろう。

そんなことを考えながら歩いていると、やがて周囲は闇夜に沈み何も見えなくなった。

僕は、草木の隙間からほんの僅かばかり差し込む月の光を頼りに、途中何度も躓きながら前へ進み続けた。
125 : ◆wsnmryEd4g :2022/08/22(月) 23:15:11.26 ID:JDuYBNLw0
遠くに明かりが見えた。
近づくと、それは地面に刺さった二本のたいまつの火だった。

暗がりでよく分からないが、どうやら広い場所らしい。
奥の方におぼろげに見えるのは、揺れ動く影に歪んでいる巨木……

いや、違う。
家だ。
巨大な樹をくりぬいて作った、魔女の住処のような家。

あの中にアイコがいる。
直感的にそう思った。
あるいは僕の中に植え付けられた記憶が、そう教えてくれただけなのかもしれないが。

((植え付けたのではない。お前の中にかつてあった記憶を呼びさましているだけだ))

じゃあ僕は僕自身と会話してるってことか?

((見方によれば、そうとも言える。ただし、わたしはもともとお前ではなかった))

言ってることがメチャクチャだ。
僕もついに狂ってしまったか……

((……………))

「そこはなんか言えよな……」

こんな薄気味悪いところで一人で発狂するなんてごめんだ。

「……ところで((わたしに名前はない))……じゃあなんて呼べ((好きに呼べ))ば……」

僕はため息をついた。
もう少し、こう、会話らしくできないものだろうか。
昔の記憶だかなんだか知らないけど――

ぱき。
近くで小枝の折れる音がした。
126 : ◆wsnmryEd4g :2022/08/22(月) 23:15:47.79 ID:JDuYBNLw0
心臓が止まるかと思った。

虫だろうか?
いや、違う。
すぐそばに、何か……誰かが居る。
だが暗闇で何も見えない。

((落ち着け。ここでは誰もお前を認識しないし、危害も加えない))

そういう問題じゃない、と僕は心の中でつっこんだ。
暗闇というのは本能的に恐怖を駆り立てるもので……

「……!」

赤い瞳。
僕の目と鼻の先に、二つの炎が浮かんでいた。
次の瞬間、緊張と恐れと興奮が一度に押し寄せ、僕の心臓を激しく打ちだした。

『黒き森の乙女』がそこにいた。

赤い両目にたいまつの明かりを灯し、夜の森の静けさの中に溶け込んだままじっと佇んでいる。
深紅のフードを被り、気配を消して辺りを窺っているその姿はさながら血に飢えた獣のようだった。

これまでほとんど語られることのなかった天使アイコの影の時代。
それが今まさに目の前にいる。

星の記憶に刻まれたアイコの幻影を前にして、僕の心は感動に震えていた。
あるいは、その異様な殺気をまともに浴びた恐怖で震えていただけかもしれないが。

やがてアイコは僕から目を逸らし、ゆっくりと歩きだした。
僕は金縛りが解けたように全身の力が抜け、危うくその場にへたりこんでしまうところだった。

……なるほど、あいつが言っていた通りだ。
この世界では誰も僕を認識していないらしい。

((この時代、アイコはヒトの手から自然を守るため禁忌の森に閉じ籠った。伝承の記述が極端に少ないのはそのためだ))
127 : ◆wsnmryEd4g :2022/08/22(月) 23:16:24.05 ID:JDuYBNLw0
僕が呆然と立ち尽くしている間にアイコは森の奥へと消えてしまった。
後を追うべきかと思ったが、いずれにせよこの暗闇では見失ってしまうだろう。

それより僕は、広場の中心にある巨木の家が気になっていた。
おそらくアイコの住家なのだろう。
自然と一体化したような厳めしい風貌が、たいまつの僅かな明かりに揺れて一層おどろおどろしく見える。
とても天使の住家には似つかわしくないように思われる……が、先ほどのアイコの鬼気迫る眼光を思い返せば、むしろこれが相応しいようにも感じられる。

僕は好奇心に引かれてアイコの家に近寄った。
もしかしたらここに『黒き森の乙女』の秘密が隠されているのかもしれない。
そんな淡い期待と共に僕は朽ちかけた玄関の前に立ち、その扉の小窓をそっと覗き込んだ。


暗闇があった。

暗闇が無限に広がっていた。

その彼方に、無数の光が瞬いている。

僕は両手を扉にかけ、顔を小窓に近づけた。
よく見ると、その無数の光の粒の中に何か移動する影のようなものがあった。

ふいに足元から、巨大なもうひとつの影が前方へ伸びていった。

それは船のような形をした鉄の塊だった。
音もなく進んでいく浮翌遊船、その側面から、たくさんの小さな鉄の塊が飛び出していく。

((二度目の星の戦争だ。アイコはこの船を指揮し、再びこの星に勝利をもたらした))

言われるまでもなく僕は思い出していた。
神話の記述に含まれてはいるものの、内容があまりに突飛で戦記的な色も濃いために、その大部分が史実を元にした創作だろうと言われていた宇宙戦争の物語だ。

「まさか史実通りだとは思わなかった」

呆気に取られている僕をよそに、宇宙の隅ではすでに新たな夢の裂け目が生まれつつあった。

((さあ、次だ。急ごう……))
128 : ◆wsnmryEd4g [!蒼_res]:2022/08/22(月) 23:17:18.36 ID:JDuYBNLw0

【問7】

1.永遠とは完全な停止状態のことであり、そこでは時間も空間も存在しない。終わりのない物語の意義とは何か? あるいは、始まりがあれば必ず終わりがあるとする論理的見地に立った場合、終わりから目を背け続ける物語を非難することは妥当であるか? 妥当でないとすれば、なぜか?


2.猫というモチーフにはどんな意味があるか? あるいは、作中でどのように機能しているか?
(A) 『愛を象るもの』のメタファー
(B) ある天使の存在をほのめかす役割
(C) 愛玩動物としての作中における癒しの役割
(D) 特に意味はない


3.魂とは
(A) からっぽの器である
(B) 万有引力である
(C) あらゆる存在の原点である
(D) 形而上の言葉遊びである


4.愛を
(A) 信じる
(B) 信じない


129 : ◆wsnmryEd4g :2022/08/22(月) 23:17:59.48 ID:JDuYBNLw0
【12】

次に訪れた剣と魔法の時代では、ヒトの世界に紛れて闘争に身を投じるアイコの姿があった。
その次には魔法の雑貨屋を営むアイコが、その次は賑やかな森の中で動物たちと戯れているアイコがいた。

ここにきて僕は、これらの神話と歴史の断片にどんな意味があるのか疑問に思った。
星の記憶は僕に何を伝えようとしているのだろうか?

そんなことを考える間もなく、僕たちは次々に天使アイコの痕跡を辿って行った。


実際、アイコにまつわる記述のほとんどが平和な暮らしと穏やかなヒトとの交流だった。
明るい自然の中でたくましく生きる人々に知恵と勇気を与える愛の象徴。
それこそが天使アイコの本分であり、夢の記憶が見せる景色もほとんどがそうした平和な世界だった。

((もうすぐだ。近づいている……星の記憶の最奥に))

「そこに藍子がいるのか?」

"僕"は何も答えなかった。


そして、目の前に教会があった。
藍子のおじいさんが暮らしていたようなアトリエとは違う。

荘厳な教会の、その大きな扉の前には大勢の人々が立っていた。
みな笑顔で、そして何かを待ち受けるかのように落ち着きがない。

やがて青空に大きな鐘の音が鳴り響いた。
鳥たちが祝福するように舞い、扉が開く。

そして、その向こうにいたのは花嫁姿の……

「藍子……?」

いや、違う。あれは天使の方のアイコじゃないか……
待て。そんなはずはない。伝承にこんな記述はない。
そうだ。もしかしたら忘れているだけかもしれない……あれが藍子のはずがない。
相手は誰だ。
くそっ、ここからじゃ見えない。

僕は思わず駆けだして群衆の中へ飛び込んでいった。
130 : ◆wsnmryEd4g :2022/08/22(月) 23:18:35.63 ID:JDuYBNLw0

「藍子!」

がらんどうの廊下に、僕の叫び声が虚しく吸い込まれていった。
窓の外では夕焼けが、グラウンドで走る生徒たちに細長い影を投げかけている。

脈略なく移り変わる夢の世界に振り回され、頭の整理が追いつかない。
僕の脳裏にはあの結婚式の光景がこびりついたままだ。


どこかで笑い声が聞こえた。
ふと廊下の先を見ると、暗がりの奥に明かりのついた教室が見えた。
僕はふらふらしながら笑い声のする方へ向かう。

そこでは藍子が友達二人と楽しげに喋っていた。
なんということのない、平凡な放課後の風景。
その友達二人も、どこか見覚えのある顔立ちだった。
これは現実に居る藍子の友達だろうか、それとも……

混乱しているせいか、藍子たち三人の会話の内容がはっきりと聞き取れなかった。

「――次のイベント――……ライブは――ここで――……でも練習が――……」

不快なノイズが耳の奥で鳴っている。

きいいいいいい――――眩暈、頭痛。

記憶が叫んでいる……


「((藍子!))」


131 : ◆wsnmryEd4g :2022/08/22(月) 23:19:10.39 ID:JDuYBNLw0

「はい?」

藍子が振り向き、キョトンと僕を見つめていた。
僕は呆然と立ち尽くしたまま、黙って藍子を見つめ返していた。

光り輝くステージを背に、煌びやかなドレスを身に纏った藍子が目の前にいる。

「……あれ? いま私のこと呼びませんでした?」

((……? ああ、いや、その……なんでもない))

「もう、Pさんったら。これから本番なんですよ」

((すまない))

「ふふっ、なんだか私より緊張してるみたい」

((……そうだな。藍子の方がずっとライブ慣れしてるし、緊張なんてしないだろ))

「そんなことないですよ。今でも、ほら……手が震えてる」

((…………ああ))

「……Pさんの手、温かい。こうしてると、不安も緊張も……忘れられそう」

((藍子))

「はい」

((精一杯、楽しんでこい))

「……はい! じゃあ、行ってきます!」

鳴り出した音楽と共に観客席から歓声が湧く。

藍子がステージに駆け上がる。

僕はその後ろ姿を見送り、そして……――

132 : ◆wsnmryEd4g :2022/08/22(月) 23:19:46.53 ID:JDuYBNLw0

12時の鐘が鳴る。

夢の階段が崩れていく。

降り積もる灰が、光の舞台をモノクロに染めていく。

砕かれた思い出の欠片。
すべての魂の記憶。
永遠に続く一夜の優しい嘘が、今一度、世界を完全に覆い尽くす。



そして、これが、夢の終わりに残された最後の魔法。

さあ、

きみの手で、今こそ決断するんだ。

133 : ◆wsnmryEd4g :2022/08/22(月) 23:20:45.55 ID:JDuYBNLw0



――――…………。


……見覚えのある場所だった。

僕は狭いオフィスの一室に立っていた。

見渡せばそこらじゅうの壁に貼ってあるポスター、フライヤー、写真……

入口を入ってすぐ、右手側は応接間になっていて、こじんまりしたソファとテーブルが窮屈に収められている。
左手側には大きなホワイトボードがあり、業務スケジュールがびっしり書き込まれている。
それらの壁沿いに並ぶ背の低い書棚の上には、事務用具の他にも写真立て、花、お香、ラジカセ、その他色々な雑貨が置いてある……いいかげん片付けろと注意しつつも、レッスン帰りにここではしゃぐ姿を見ていると、強く言えなかった。

僕は壁伝いに、そこに飾ってある貼り紙や雑誌の切り抜などを眺めていく。

何も思い出せない。
だが、どこか懐かしい。
レッスン、撮影、イベント、出演、ライブ……馴染みのないはずの言葉が、なぜか僕の心を急かす。

やがて行き当たったのは、この部屋を二分する仕切戸の、その奥だった。

覗いてみると無機質な書類とファイルの山、そして散らかったままの、それだけでどこか疲れ切ったように見える空っぽのデスク。

そこに奴がいた。

((終着点だ))

奴は椅子からひょっこり顔を出して小さく鳴いてみせた。

「こんなところまで来て、まだ猫の姿のままなのか」

((ここから再びすべてが始まり、あるいは終わる。それもお前次第だ))

やれやれ。
どうでもいい質問にはまともに答える気はないらしい。
134 : ◆wsnmryEd4g :2022/08/22(月) 23:21:39.51 ID:JDuYBNLw0
((藍子は近くにいる。もうすぐここに来るだろう。そして、それがいよいよ決断の時だ))

「今すぐ決めなくちゃいけないのか?」

((猶予はある。だがわたしに出来ることは何もない。お前が考え、決めることだ))

「余計なお世話だ。べつにお前になんとかしてもらおうとは思ってないさ……」

((だがわたしに聞きたいことがある。そうだな?))

「いや。もうだいたい分かってる。しかし形式上……」

((答え合わせはした方がいい))

「ああ」

目の前にいる、猫の形をした"誰でもない者"……こいつこそ、かつて僕と魂を同じくした者だった。
人類と天使が紡いできた神話と歴史の物語において、その裏にひっそりと魂を継承し続けてきた名もなき存在。

((名前など問題ではない。重要なのは役割だ))

僕たちの役割……そのひとつは、天使の存在を世に知らしめることだった。
ある者は詩人として天使を詠い、ある者は画家として天使を描き、ある者は商人として天使を宣伝した。
その職業や手段は時代によって様々だが、与えられた目的は常にひとつだった。

「天使たちの姿、言葉、歴史、存在を世に広めなくてはならない」

魂がささやく使命感に導かれ、僕たち名もなき宣教師は時代を超えて天使に仕えた。
まるで見えない意志に操られた人形のように……

((お前は人形ではなかった。星の意志に抗うことができる者はこれまで何人もいたが、お前もその一人だった))

「だから僕が選ばれたのか?」

((たまたまだ。結果的に好都合だったかもしれないが))
135 : ◆wsnmryEd4g :2022/08/22(月) 23:22:26.08 ID:JDuYBNLw0
「だからと言って、僕みたいないい加減なやつにこの星の命運を委ねるのもどうかと思うけどね」

((不可抗力だ。とはいえ、我々は必ずしもお前にその資格がないとは考えていない。お前の意志を尊重し、どんな決断だろうと受け入れるつもりだ))

「期待されるのも困るな……」

天使たちは永い創世の時代の後、地に降り人々と交わり、やがて悠久の繁栄をこの星にもたらした。

泰平の世。
終わりのない平和。
争いも対立もない、永遠の停滞。

それは同時に、天使たち自身の役割も終わったことを意味する。

そして、天使の役割が薄れれば僕たちもまた必要とされなくなるのは当然のことだった。

((望んだのは他ならぬ我々だ。そして星自身でもある))

「どこで間違えた? 狂い始めたのはいつからだ?」

最初からだ。

この星が天使に魅せられた瞬間からすべては始まった。
天使たちが、我々に智と愛と魂をもたらした瞬間からこの夢は終わりへと進み始めたのだ。
136 : ◆wsnmryEd4g :2022/08/22(月) 23:23:14.16 ID:JDuYBNLw0
((永い夢だった))

「おいおい、郷愁に浸るのは少し気が早いんじゃないか。何も終わると決まったわけじゃない」

僕は呆れて肩をすくめてみせる。
するとそいつは――黒い猫の姿をした星の魂は――初めて僕に微笑みかけた。
気がした。

((……そろそろあの子が戻ってくる頃だ。あとは二人でゆっくり話でもして過ごせ。お茶とクッキーくらいは用意しておく。それと……))

猫はデスクから飛び降り、去り際に振り返って言った。

((可愛いからといってあんまり意地悪してやるな。最後くらい、ひねくれずにきちんと向き合ってやれ。お前も[ピーーー]の端くれならばな))

「最後までおせっかいなやつめ」

他にも言いたい文句は山ほどあった。
が、一方で妙な親しみと寂しさが心に蓋をし、言葉が出なかった。
猫はもう消えていなくなっていた。



「…………さて」

僕は深呼吸し、腕時計に目をやる。
べつに時間が気になったわけじゃない。
いつもの癖だ。

時計の針は12時を指したまま止まっていた。

僕はいつものようにスーツの襟を正し、ネクタイを締めた。
137 : ◆wsnmryEd4g :2022/08/22(月) 23:23:53.29 ID:JDuYBNLw0
コンコン、とドアを叩く音がした。

僕は反射的に「どうぞ」と叫び、入口に向かって駆け出した。

ドアを開けると、藍子がぽかんとした表情でそこに突っ立っていた。

「Pさん! こんなところで何やってるんですか?」

「……あ、藍子さんの方こそ、今までどこに……」

僕は不意に緊張し、しどろもどろになった。

「どこに……そうそう、大変だったんですよ! あのあと突然、変なところに飛ばされちゃったんです。Pさんも鷺沢さんもいないし、どうしよう、って……さすがに私も焦りました」

「大丈夫だったのか?」

「はい。あの黒猫さんが道案内してくれたんです。たぶん、ですけど……それで黒猫さんの後を追いかけてたら、ちょうどここに」

僕はひとまず安心してホッと胸をなでおろした。

「そういえば、黒猫さんを見かけませんでしたか? こっちに走って行ったはずなんですけど……」

「ああ、そのことなんだが……」

と、途中まで言いかけて、

「とりあえず中に入ろう。お茶もクッキーも用意してあるんだ。まあ、ゆっくりできるといいんだが」

藍子はますますぽかんとした様子で、僕を不思議そうに見つめてばかりいた。
138 : ◆wsnmryEd4g :2022/08/22(月) 23:24:35.96 ID:JDuYBNLw0

「それで、最初の質問とさっきの質問の答えなんだけど」

応接間のソファに座り、お茶を二人分テーブルに並べて僕は言った。

「実はさっきまであいつとお喋りしてたんだ。まあ、そこまで悪い奴じゃなかったよ」

いちいちキザったらしくて回りくどい奴ではあるが、と付け足したかったが、やめた。
自嘲の苦々しい笑みが思わずこぼれてしまう。

藍子はそんな僕の様子を相変わらず不審そうに眺めていた。

「あいつ、って、あの猫さんのことですか? お喋りって、えっと……」

「ここは夢の世界だろ? 猫とお喋りするくらいどうってことない。ちなみに、鷺沢さんが言ってた制約についても実のところ問題ない。ぶっちゃけると、この世界は全部僕のものなんだ。だから僕が何をしようと夢に飲み込まれることはない。たぶんね」

「ふぅん、そうなんですか……よく、わからないですけど」

それはそうだろう、と僕は心の中で頷いた。
こんなことを突然言われてすぐ理解できる方がどうかしている。

「正直、どう説明したらいいか僕も分からない。とにかく大事なことなんだが、話して信じてくれるかどうか……」

僕は言葉に詰まった。
そして今更ながら迷った。

藍子に本当のことを話すべきだろうか?

場合によっては藍子の親も友達も、何もかもを失うかもしれないのだ。
単に天使の血を引いているというだけの、何も知らない16歳の女の子が背負うにはあまりにも重すぎる真実だ。

藍子は僕とは違う。
こんな残酷な選択に、藍子を巻き込む必要はない。
139 : ◆wsnmryEd4g :2022/08/22(月) 23:25:25.62 ID:JDuYBNLw0
「いいんです。話してください。全部」

「え?」

僕の心を見透かしたように、藍子はきっぱりと言い放った。

「最初に言ったじゃないですか。これはPさん一人の問題じゃない、って。それに私も、ここに来るまでの間で少しずつ分かってきたんです。自分がどうしてここにいるのか、そして何をするべきなのか……」

藍子のまっすぐな瞳の奥に、熱く燃えるもうひとつの眼差しが見えた。

「アイコ……なのか? そこにいるのは……」

彼女は曖昧に首をかしげて、そして言った。

「黒猫さんと一緒に見てきたんです。この星の記憶、天使アイコの記憶を辿って……なんだか不思議な感覚でした。私の知らない、私の記憶がどんどん蘇ってくるんです。あそこにいるのは私なんだ、って」

「じゃあ、どこまで知って……」

藍子は、今度は首を横に振って答えた。

「分かったのは、天使たちは元々この星とは無関係で、本来は手の届かない別の星たちだった、ということだけです」

「そうか……」

僕はテーブルの上に置かれた茶碗に手を添え、何をするでもなくじっと黙った。

目の前の少女は、今や藍子でもアイコでもない。
僕たちの欲望に取り込まれた夢の住人でありながら、天使の記憶を宿しているために幻にもなりきれない、哀れな狭間の犠牲者だった。
140 : ◆wsnmryEd4g :2022/08/22(月) 23:26:16.90 ID:JDuYBNLw0
「すまなかった」

出し抜けに放った一言を、藍子は違う意味にとらえて言った。

「私の方こそ、ごめんなさい。Pさんの事情も考えないで、知った風なこと言って……私が悪いんです」

一瞬、何のことか分からなかったが、あの時の口論のことだと気づいて、僕は首を横に振った。

「いや、悪いのは僕だ。何もかも、僕のせいなんだ。藍子さんを巻き込んだのも、これから起こる事も、全部」

藍子が突然、可笑しそうに笑いだした。
そしてまた不意に真面目な顔つきになって、

「またそうやって一人で抱え込んで……だいたい、巻き込んだって言いますけど、巻き込んだのはどちらかというと私の方なんですよ。正確には私のおじいちゃんですけど」

僕は咄嗟に反論しかけたが、藍子のおじいさんの名前が出てきた途端、あのお節介な猫を思い出して、なぜか少しだけ愉快な気分になった。

「……はは……それもそうだな。まったく、いい迷惑だよ」

「ふふっ」

藍子が笑い、僕も笑った。


二人が初めて出会った時のことを思い出す。
平和な町の片隅に、花を愛でながら慎ましく暮らしていた彼女の元を初めて訪れた時のことを。
ひまわりの海に浮かぶ小島で追いかけた憧れの姿を。
街中の小さな公園で、カメラを片手に野良猫とじゃれていた彼女と出会った時のことを。

すべてが昨日のことのように鮮やかに、そして遠い昔のことのように懐かしく蘇る。

きっと僕たちはそうやって今まで何度も出会ってきたんだ。
141 : ◆wsnmryEd4g :2022/08/22(月) 23:26:58.04 ID:JDuYBNLw0
「お茶のおかわり、いる?」

「ありがとうございます。あと、このクッキーってもしかしてPさんが焼いたんですか?」

「まさか」

藍子は「誰が焼いたんですか?」とは言わなかった。
いただきます、と言ってクッキーを一口齧ると、いかにも美味しそうに目を輝かせた。

「おいしいです」

「そうか。それはよかった」

「それに、なんだか……懐かしい味」

僕は何も答えなかった。

立ち上がり、二人分のお茶を淹れて戻ってくると、藍子がクッキーを頬張りながら泣いていた。

「どうした? 大丈夫か?」

「ぐすっ……ご、ごめんなさい……急に、おじいちゃんと、おばあちゃんのこと、思い出しちゃって」

「……すまない」

「どうして、Pさんが、あ、謝るんですかぁ」

僕はただ、すまない、としか言えなかった。

だが、そんなことを言う資格が僕にあっただろうか?
僕の中に眠る、彼女の祖父の不器用な愛情を心底恨めしく思った。
それはもはや僕自身の後悔として、埋めようのない罪悪感とともに僕の心を締め付ける。

涙に濡れた目をぬぐい、藍子は強がるように笑ってみせた。

きみのおじいさんは最低な男だよ。
本当に。
142 : ◆wsnmryEd4g [!蒼_res]:2022/08/22(月) 23:27:57.93 ID:JDuYBNLw0

【問8】

1.物語はここで終わる。しかし、本文中ではその結末が具体的に語られていない。この後、予想されるPの選択とその結末として最もあり得るものはどれか。以下の選択肢からひとつ選べ。
(A) 星の夢を目覚めさせ、地上の魂をすべて無に帰す。
(B) 星の夢を目覚めさせ、現実世界に戻る。
(C) 星の夢をもう一度眠らせ、終わりのない永遠の夢を見る。
(D) 星の夢をもう一度眠らせ、藍子と一緒に日野食堂のカレーを食べに行く。


2.次にあげる文章のうち、もっとも深く愛を表現しているものはどれか
(A) たぶん、もうPさん一人の問題じゃないと思うから
(B) 藍子はどこだ?
(C) 愛こそがすべて
(D) きみのおじいさんは最低な男だよ。


3.あなたがPの立場だったらどうするか。100字以内で述べよ。
ただし、もし決断を保留した場合、誰も救われないものとする。


4.あなた自身の天使に対する想いを、残り時間と余白が許す限り書き記せ。
特にないのであれば、この物語の感想を手短に述べよ。


143 : ◆wsnmryEd4g [!orz_res]:2022/08/22(月) 23:28:51.34 ID:JDuYBNLw0

以下余白


























.
144 : ◆wsnmryEd4g [!red_res]:2022/08/22(月) 23:30:27.99 ID:JDuYBNLw0
*――――試験終わり!
*回答が済んでいる者も済んでいない者もただちに用紙を伏せなさい。


*……さて、最後に私からいくつか伝えておくことがある。

*まずは、本試験を脱落せず最後までやり抜いた諸君ら受験生たちの高い志を称えよう。よく頑張った。結果はどうあれ、ここで得た経験は何物にも代えがたい価値として諸君らの糧になるだろう。

*そして感謝を述べよう。諸君らの、未知への好奇心と真実への探求心がなければ本試験は生まれなかった。ありがとう。

*これにて本試験の行程をすべて終了とする。各自、気を付けて帰るように。




*ああ

*それと言い忘れていたが

*今回の試験内容は会場を出た時点で読んだ者の記録から自動的に消去される。
*当然、試験部外者と問題を共有できないようにするためだ。

*ただし

*消去されるのはあくまで共有可能な記録である。

*この物語の"思い出"については


*その限りではない。
145 : ◆wsnmryEd4g :2022/08/22(月) 23:32:44.62 ID:JDuYBNLw0
以上です
ありがとうございました
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