Bye-byeばさらガール

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1 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 12:51:30.80 ID:86/EQe0g0
 私、渋谷凛が稼業で実家の花屋で店番をしていると、1人の女の子が入ってきた。
「いらっしゃいませ」
 そう言う私に軽く会釈をすると、その女の子は店を見渡し「ふうん」と言った。
 これは稼業とはいえ、所詮店番という立場に過ぎない私としてはあまり好ましくない状況だ。
 というのも、花屋にやってくるお客さんというのは、大きく3つに分類される。
 まず、花束や鉢植えなど、プレゼントを買いにくるお客さん。
 次に、目当ての花があり、それを見るなり買いなりしにくるお客さん。
 そして最後に、特に目的はなく花が好きで花屋にやってくるお客さんだ。

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2 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 12:54:18.90 ID:86/EQe0g0
 本好きが本屋に行くことが好きであるように、動物好きがペットショップに行くことが好きであるように、花が好きな人は特に用事がなくても花屋に行くのが好きなのだ。
 無論、そうしたお客さんが悪いとか、よいお客さんではないというのではない、お父さんは「そういうお客さんこそ、良い目利きで上客になってくれるんだ」と言っているが、いかんせん私は花屋の娘でしかなく、お父さんほどには花の知識も技術もないのだ。
3 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 12:55:52.14 ID:86/EQe0g0
 やってきた女の子は、明らかに3番目のタイプのお客さんだ。
 年の頃は私と同じぐらいだろうか。
 とても可愛い。いや、美人といえる顔立ちだ。
 淡いブルーを基調とした花柄のワンピースで、長めの髪を頭上でおだんご状に結んでいる。
「なにかお探しですか」
 型どおりの接客をする私に、女の子はニコニコとしながら口を開く。
「なかなか良い品ぞろえですね〜。誉めて差し上げてもよろしいですよ〜」
「え? あ、はあ。あ。ありがとうございます」
 なんだか不思議な誉められ方だが、とりあえず私は頭を下げる。
4 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 12:56:45.38 ID:86/EQe0g0
「定番のアンスリウムの仏炎苞も良いものを選んでいますし、芍薬もいい色合いですね〜」
 実際に仕入れたのは父親だが、誉められれば嬉しい。
 そしてその花々を誉める少女の横顔も、なんだか神々しい。いや、絵になっている。
「ただ〜」
「え?」
 少女が顔を曇らせる。
 その視線の先には、ラナンキュラスがあった。
「濃青のラナンキュラスは珍しいですけれど、少々派手に過ぎませんか〜?」
 そう言われても、その花を仕入れたのは自分ではない。
 では仕入れたお父さんなら、この少女になんと言うだろうか?
 そんな事をあれこれと考えながら、それでも接客である以上、何かを答えなければならない。
「その花」
「……なんでしょうか?」
 なんと答えようか。悩んでいるうちに、不思議と言葉が出てきた。
5 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 12:57:39.46 ID:86/EQe0g0
「花束に入れると、綺麗だから……」
 自分で言って、驚いた。
 そんなこと、店に並べた時は思いもしなかった。
 なのにその言葉は、自然に出てきたのだ。
「……証明、できますか〜?」
「え?」
 少女の言葉に、一瞬私はたじろぐ。
「あなたは、自分の言葉に責任を持ち、証明ができますか〜?」
 見れば少女は相変わらずニコニコとしている。だがそれに反し、その目は挑むように私を見ている。
 この娘、なんだか少しこわい。
 そう私は思ったが、もはや後には引けない。
 所詮、花屋の娘でしかない自分でも実家の稼業だという意気もある。
「わかった。作るよ……あ、いや、作ります」
 挑むような目のまま、少女は頷く。
6 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 12:58:27.63 ID:86/EQe0g0
 私は店の花を見回すと、いく本かの花を手に取る。
「四種いけ……?」
 少女のやや批難じみたつぶやきが聞こえたが、その意味はよくわからないし相手にしている余裕が今はない。
 ただ一心不乱に、花束を作った。
 これまでも「お任せで」と言われて花束を作ったことはあったが、ここまで集中して作ったのは初めてかも知れない。
「できた……えっと、できました」
「……」
 少女はなにも言わない。先ほどまでは挑むようであったその目も今は花束に向けられており、どう思っているのかもわからない。
「どう……かな?」
「華道の始祖の1人である佐々木道誉は〜」
「え?」
 なにを言うかと思っていた少女は、いきなりそんなことを口にする。
7 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 12:59:19.43 ID:86/EQe0g0
「意に添わぬ花でも、生けた全体からすれば見事な一点になることもある……そう言ったと伝えられていますが。確かにこのラナンキュラスは調和がとれ、自身の個性も際立ちましたね〜」
 もしかして、誉めていてくれてるのだろうか。
 そう考えていた矢先。
「ですけど〜」
「え?」
「ラナンキュラスとスカビオサでは、季節感が合わないのでは〜?」
 き、季節感?
 花束がきれいかどうかに、季節感が関係あるのだろうか、私は戸惑う。
「生け花としては、いかがかと〜」
「でも……」
 戸惑いながらも、私は口を開いた。
「なんですか〜?」
8 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 13:00:11.83 ID:86/EQe0g0
「これ……生け花じゃないから」
「あ」
「花束だから」
 少女は驚いた表情を見せるとしばらく後、心底可笑しそうに笑いだした。
「私としたことが、これは大変失礼いたしました〜。そうですね、生け花ではありませんでしたね……口げんかでは誰にも負けないつもりでしたが、これは一本とられましたね〜」
「べ、別に口げんかとかそういうんじゃなくて」
「わかっていますよ〜。でも、思わず私は笑ってしまいました。笑ったら負けよ……ですから今日は、私の負けですね〜」
 少女の論法はよくわからない。
 別に勝つとか負けるとかでもない。
 いや、それよりも……
9 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 13:01:02.23 ID:86/EQe0g0
「このお花、おいくらですか〜?」
「え?」
「いただいてまいりますね〜」
「あ、ありがとう……ございます」
 代金を渡すと、少女は笑顔で花束を抱いた。
 宝物を見るような、そして小さな子供がぬいぐるみを抱きしめるような、そんな表情と仕草だ。
 なんだか不思議なやりとりをしたが、こうして見ていると本当に喜んでもらえてたようで、私もなんだか嬉しくなる。
「では失礼いたしますね〜」
「うん。あ、いや、はい。ありがとうございました」
 頭を下げ、そしてその頭を上げると少女はもう店の外に去ってしまっていた。
 私はその後ろ姿を、見えなくなるまで目で追っていた。

10 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 13:01:48.37 ID:86/EQe0g0

「ほう、そんなことがあったのか」
「うん。大変だったよ」
 夕食の席で、私は今日の顛末を話したのだが、鷹揚なお父さんと違いお母さんが厳しい声を上げる。
「だからもっとちゃんとお花のことを勉強しなさい、っていつも言っているでしょ」
「いやいや、別に凛が将来ウチを継ぐってわけじゃないし」
 お父さんは取りなしてくれるが、お母さんはやはり厳しい。
「今日みたいなことだってあるわけじゃないの。もう少し凛は、花のこと知らないと」
 お母さんの言うことは、たぶん正しい。
 別に私だって、無理矢理に店番をさせられているわけじゃない。稼業を支えるのは、家族としては当然でもある。そして店番をするのなら、それなりの知識も技術も必要だ。
「わかったよ。お父さん、また教えて」
11 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 13:02:30.09 ID:86/EQe0g0
「いいとも。ま、しかし凛も若いんだ。青春を……人生を賭けられるようななにかが見つかったら店のことはいいからな」
 これはお父さんの口癖みたいなものだ。
 お父さんは、自分が花に人生を賭けたように、私にも何かを見つけて欲しいらしい。
「そうね……でも、それまではしっかりお店のこと、頼むわよ」
 この点ではお母さんも同じ思いらしい。
 けれどまだ、自分がやりたいものなんて私には……
「あ、そうだお父さん。四種いけ、ってなに?」
「え?」
「さっき話したその娘が、私が花束用の花を手に取った時にそうつぶやいたんだけど、その時はちょっと不満そうっていうか、そんな風に聞こえて」
 お父さんとお母さんは、顔を見合わせた。
12 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 13:03:12.80 ID:86/EQe0g0
「あなた……」
「うん……凛、その娘はたぶん、華道の家元とかそういう家のお嬢さんだな」
「えっ?」
 確かにあの娘、なんとはない気品というか風格みたいなものがあった。
 同世代とはいえ、初対面の自分とも物怖じせずに話すような娘だ。
 あの娘が、華道の家元のお嬢さん……?
「なんでわかるの?」
「華道では、1種類の花でいけるのを一種いけ、2種類の花なら二種いけ、と言うんだ」
 思い返してみると、確かにあの時自分は4種類の花を手に取っていた。生け花なら四種いけだ。
 それに作った花束を「生け花としては」と評したり、季節感がどうとかも言っていた。
 なるほどあれは、華道の家の子としての発想だったのだ。
13 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 13:03:50.87 ID:86/EQe0g0
「だが華道では四という数字は、し……つまり死を連想させるとして忌避されていた」
「あ、それであの娘、ちょっと不満そうに四種いけ、ってつぶやいたんだ」
「ええ。けれどね凛、それは古いというか厳格な、ルールとも呼べないような考え方なのよ」
 少し慰めるように、お母さんが言う。
「今現代の華道というか生け花で、そんなことを言い出す者はいない。母さんも言っていたが、それは古い考えだ。けれど格式とか伝統を重んじる、それこそ家元のような人たちはまだそれを重んじている」
「そうだったんだ。だめだね私、やっぱりちゃんとそういうの教えてもらわないと」
 肩を落とす私を、お母さんが抱きしめてくれる。
「落ち込むことないわよ、凛」
「え?」
14 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 13:04:30.81 ID:86/EQe0g0
「初対面でその人が華道の家元だとかその縁者だなんて、わかるはずもない。そもそも華道でも四種いけは今、普通に受け入れられている。なによりその娘は凛の作った花束を気に入って買っていってくれた。それでいいんだ」
 お母さんの温かさとお父さんの言葉に、私はちょっと救われた。
「それにしてもその娘、家元の縁者の娘ならお得意さんになって欲しいわね」
「そうだな。よいお客さんになってくれそうだ」
 両親の思惑とは別に、私もまたあの娘に会いたい。
 そう思った。

15 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 13:05:15.44 ID:86/EQe0g0

 再会は意外に早かった。
 翌日、学校で休憩時間に窓の外を見ていると、なにやら人だかりができている。
「なんだろう?」
「んー? ああ、あれだよJ組の聖母サマ」
 初めて聞く単語に、私は隣の席の友達に聞く。
「なに? J組の聖母さまって」
「凛、知らないの!? ゆーめー人だよ。って言ってもJ組はわれらA組からは1番遠いクラスだもんね。選択授業でもいっしょになることないし」
 要するに同じ学年の最果てのクラス、J組には有名人がいるらしい。それも聖母さまとかいう。
「ものすごい美人で可愛くて、本人もそれをとーぜんみたいな顔して受け入れてる自称『聖母サマ』。すごいよー、クラスの内外にもファンがいるんだから」
「自称……って、自分で自分のことを聖母って言ってるの?」
 なんだかわからないけれど、それはとにかくすごい自信だ。
 よほど自分の容姿に自信がないと言えないだろう。
16 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 13:06:29.22 ID:86/EQe0g0
「もっとすごいのはさ、自分の取り巻きのそのファンのこと『子豚ちゃん』って呼んでるトコ」
「子豚ちゃん?」
「聖母だから導くのは迷える子羊……だけど、子羊よりも子豚ちゃんの方がかわいいからそう呼んでるんだって」
 すぐには理解できない思考だ。いや、よく考えてもいまひとつわからない。
 聖母さま……か。そう思ってその人だかりの中心を見た時、そこにいたのは……
「あ!」
「んー?」
「あの娘、昨日の……!」
 あの娘だった。
 まさか同じ学校で、学年も同じとは思わなかった。
「しりあい?」
「あの娘。名前は? なんていうの!?」
「んー……? わかんない」
「えぇ!?」
「J組なんて遙か彼方のクラスだし、聖母サマで通ってるから」
 わからないものはしかたない。
 私はクラスを飛び出し、人だかりの前にやって来た。
17 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 13:07:16.58 ID:86/EQe0g0
「えっと、あの……せ、聖母さま!」
 名前がわからないので仕方なくそう叫ぶと、あの娘はこちらを振り返った。
「おや〜これはこれは、A組の渋谷凛さんではありませんか〜」
「え?」
 なんと、向こうは私のことを知っていたらしい。
 ということは昨日も、自分の家だと知っていて店に来たのだろうか。
「子豚ちゃんたち〜ここからは彼女とちょっとしたお話がありますから、みなさんとはまた後で〜」
 少しザワザワとしていた取り巻きのファン……彼女流に言うなら子豚ちゃんたちは、潮が引くようにいなくなる。
「それにしても、凛さんに聖母さまと呼んでいただけるとは、私も嬉しいですよ〜」
「あ、あのそれは……名前、知らなくて」
 彼女はため息をつくと、あからさまにがっかりとした表情になる。
18 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 13:08:04.15 ID:86/EQe0g0
「私は凛さんのことを知っていたのに、凛さんは私のことをご存じなかったのですね〜」
「あ、ほら、わ、私はA組であなたはJ組で……つまり、1番遠いクラスだから」
「J組の私はA組の凛さんのことを知っていたのに、A組の凛さんはJ組の私をご存じなかったのですね〜」
 これはだめだ。
 そう言えば昨日も「口げんかでは誰にも負けない自信がある」と彼女も言っていた。
 どうやらそれも、あながち嘘でもなさそうだ。
「ごめん……この通り、謝るよ」
「……まあ、人と人との出会いは縁ですし、縁とは人知を超えたものですから。今日の所は許してあげましょう〜」
 彼女は素直に頭を下げる私に、そう言ってくれる。
 どうやらこの娘も、意地悪というわけではないみたいだ。
 いやたぶん、根は優しい娘らしい。
19 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 13:09:02.70 ID:86/EQe0g0
「じゃあ名前」
「はい〜?」
「名前、教えてよ」
 彼女は嬉しそうに、クスクスと笑って言った。
「天空橋……天空橋朋花、ですよ〜。まあ凛さんが呼びたいなら、ずっと聖母さまと呼んでいただいても構いませんよ〜」
「いや、それは……勘弁して」
 私と彼女……朋花は一緒に笑った。
「昨日は、私に会いに来たの?」
「いいえ〜正直なところ、お店に入ったら凛さんがいたので驚いたぐらいですよ〜」
 朋花はそう言うが、あの時の彼女はとても驚いているようには見えなかった。
「私は花が好きですから〜入ったことのないお花屋さんを見ると、入りたくなるんですよ〜」
「そっか」
20 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 13:09:49.61 ID:86/EQe0g0
 ニコニコとして……いや、ここまでほとんどいつも彼女はニコニコとしているのだが、そう言う彼女に私は昨日両親から聞いた情報をぶつけてみる。
「あ、そうそう、花っていえば朋花の家って華道の家元をやってるの?」
 ビシッ。
 音に聞こえるように、その場の空気が変わった。
 相変わらず朋花は笑顔のままだ。だが、その場の空気が、重く冷たく凍るように変質している。
「誰から〜」
「えっ!?」
「誰から聞いたんですか〜」
 空気を変えたのは朋花だった。
 微笑んでいるのに目が昨日の100倍は鋭い。
 私はうろたえながら答える。
21 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 13:10:40.50 ID:86/EQe0g0
「その……昨日、朋花が四種いけって不満そうにつぶやいてたから」
「え?」
「お父さんに、四種いけってなにって聞いたら華道の言葉で、しかもそれを避けるのは華道でも家元みたいな人かその縁者だって聞いたから……それで……」
 空気が少し和らいだ。
「なんか……ごめん」
「いいえ〜私もまだまだ、聖母として未熟ということかも知れませんね〜」
「え?」
「聖母にプライベートなどあってはいけませんから〜」
 相変わらず朋花の言っていることは、よくわからない。だが、彼女にとってのプライベートは触れられたくない知られたくないことなのだろう。
「もう聞かないよ。プライベートなことは」
「……おや〜もう次の授業が始まるみたいですね。では凛さん、またお目にかかりましょうね〜」
「うん、またね」
22 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 13:11:45.78 ID:86/EQe0g0

 再会を約束してわかれたのは事実だが、まさかその日の夕方に彼女がまた店にやって来るとは私も思っていなかった。
 私服であるところを見ると、いったん帰宅してから来てくれたのだろう。
 店番をしていた私に、昨日と同じように朋花は会釈をした。
「口げんかをしに来ましたよ〜」
 笑顔で物騒なことを言う彼女に、思わず私も苦笑する。
「歓迎するけど、口げんかは勘弁して」
 私たちは、声を上げて笑い合った。
 昨日知り合ったばかりなのに、もうずっと友達だったような気がしてくる。
「朋花はどんな花が好き?」
「そうですね〜。どんな花にも、みんな好ましい所があるとはおもいますが……やはり淡い青の色合いが好みでしょうか〜」
「デルフィニウムとかオキシペタルムみたいな?」
 朋花は頷いた。
「はい。凛さんはどうやら、昨日のラナンキュラスがお好みのようですね〜」
 ずばり言い当てられて、私は少なからず驚く。そう、昨日店番に出た時からあのラナンキュラスはいいな、と思っていた。
23 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 13:13:06.44 ID:86/EQe0g0
「なんでわかったの!?」
「だからあの花束を作れたんだと、思いますよ〜」
 朋花はおかしそうに言うが、そういうものだろうか。
 でも確かに、昨日は無心になって花束を作れたし、あれは自分でも満足のいく出来映えだった。
「あの花束、あれからどうしたの?」
「帰ってあのまま、私が花瓶に生けましたよ〜」
 やっぱり華道の家元の家庭なのかな、そう思い浮かんだがそれは言わない約束だ。
 いや、こちらが一方的に「もう言わない」と言っただけだが、それでもやはり彼女が嫌がることは話したくはない。
 だが。
「私は〜」
「え?」
 私の気持ちに気づいたのか、朋花が口を開く。
「生け花の心得がありますから〜」
 これはつまり、家庭のことは話さないが、朋花個人についてならそういうことを話してもいいということだろうか。
24 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 13:14:09.92 ID:86/EQe0g0
 よくはわからないが朋花は相変わらずニコニコと笑っている。
 私は意を決して聞いてみた。
「生け花って楽しい?」
「どうでしょうか……ただ、昨日も言った佐々木道誉はこんな言葉を残しています」
 佐々木道誉……誰だっけ。
 そうそう、華道の始祖の1人とかだっけ。
「立花(りっか)というものは正面だけではなく四方いずれから見ても美しゅうなければならぬ。人の作った花の美しさが神仏の作りたもうた花の美しさを越えられようか……そこが難しい。難しいがおもしろい。おもしろうてやめられぬ……と」
 朋花は神妙な顔をして、そう言った。
 おそらく彼女は、この佐々木道誉という人物を尊敬しているのだろう。
「要するに、難しいけどおもしろいわけだ」
「そうですね〜。私はまだそうした名人の域には達していないとは思いますが、確かに生け花は難しいけど面白いですね〜」
 それを聞き、私は彼女がどんな花を生けるのかが気になった。
25 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 13:15:19.36 ID:86/EQe0g0
 そう、彼女は言った。私が昨日のあの濃青のラナンキュラスが好きだからあの花束が作れた。それなら朋花は、どんな花でどんな花束を作るのだろうか。
「私、朋花がどんな花束を作るのか見たいな」
「はい〜?」
「ね、作ってみてよ。もちろん使った花のお金は、私が出すから」
 最初は驚いた顔をした朋花だったが、すぐまたいつもの笑顔に戻って言った。
「大散財になってしまっても、いいんですね〜?」
「え?」
 私がなにかを言う前に、朋花はもう花を選び始めている。
「今日うかがった時から、気になっていたんですよね〜」
 朋花が手に取ったのは、アジサイだ。まだはしりだけあって値段も……
「ま、待って! それ1本で3500円もするんじゃない!!」
「3本ほどいただきましょうか〜」
「やめてーーー!!!」
「あら、こんなところにプロテアとトルコキキョウが〜」
 止めてもやめない朋花による花束は、確かに見事だった。
26 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 13:16:15.93 ID:86/EQe0g0
 大ぶりのアジサイをベースにプロテアやトルコキキョウ、そしてビバーナムという構成だ。
 朋花の好みだという淡いブルーが活きていて、はなやかだけど気品を感じる。
 ただそれよりも私が強く思ったのは……
「さよなら、私の今月来月のおこずかい……」
「言い出したのは、凛さんですよ〜? それに〜」
「? なに?」
「おこずかいの心配は、必要ないかも知れませんよ〜」
 朋花の言葉は謎だったが、彼女が帰ってからその正しさが証明された。

27 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 13:17:10.91 ID:86/EQe0g0

「凛……これ、あなたが作った花束じゃないわよね」
 配達から帰ってきたお母さんは、花束を目にするなりそう言った。
「うん。それは友達が……あ、ちゃ、ちゃんとお金は私が払うから」
「……それ、昨日言ってた娘? 友達になったの?」
「え? なんでわかるの?」
 お母さんはしげしげと花束を眺めていた。
 手に取ると、それを様々な方角から見る。
「これは華道の生け花の所作よ。どこから見ても不等辺三角形になるように、花を配置してある」
「へえ……やっぱりすごいんだ。朋花」
「凛、これお金は払わなくていいわ。そのかわり、あなたの部屋に飾っておきなさい」
 軽くなった財布が再び重くなる申し出に、私は飛び上がりそうなる。
「いいの!?」
「部屋に飾って、よく見ておくのよ」
「ありがとう!」
28 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 13:17:49.36 ID:86/EQe0g0
「ずいぶんと、仲良くなったのね」
 肩をすくめて苦笑しながらお母さんが言う。
「え? なんで?」
「これ生け花なら、四種いけでしょ? あなたの流儀にその娘が主義を曲げて作ってくれたのよ。いいお友達ね」
「あ……そうか」
「大事になさい」
「うん」
 お母さんの言うとおり、私はなるべく花束のまま自分の部屋に朋花の花を飾った。そして財布の重さを気にしなくて良くなった目で見ると、やはり彼女の花束は見事だ。
 それになによりお母さんは私の教育のために言ってくれたんだと思うけど、それより私はなんだか彼女が部屋にいてくれるみたいで嬉しい。
「おやすみ、朋花」
 私は花にそう声をかけ、その日は眠った。

29 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 13:18:31.99 ID:86/EQe0g0

 校内で彼女、天空橋朋花を見つけるのはさほど難しいことではない。
 人が集まっている場所を探し、その真ん中を見に行けばいいからだ。
 たまに朋花ではない場合もあるが、それでも次の集団を探せばだいたい朋花がいる。
 だが、見つけるのが容易いということと、彼女に話しかけられるかと言うことはまた別だ。
 彼女はいつも子豚ちゃん達に囲まれていて、彼彼女たちを魅了しているが決してかしずかれているわけではない。純粋に好意を向けられているだけで、ちやほやされているのとは少し違う。
 そして朋花の方も単に慕われているだけではなく、自分を好きでいてくれる子豚ちゃん達を大事にしている。
 そういう彼女と子豚ちゃん達に割って入るのは、少し申し訳ない気がしてくる。
「凛さんも、子豚ちゃんになってくださればすべて解決しますよ〜?」
 彼女の言葉は、冗談なのか本気なのか。
 おそらく半々なのだろうが、私は子豚ちゃんになるつもりはない。
 それがなぜだかは、なんだか自分でもよくわからないのだが、おそらく自分は朋花と同等でいたいのではないかと思う。
 子豚ちゃんよりも、友達でいたい気持ちの方が強い。
30 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 13:19:10.51 ID:86/EQe0g0
「そう言えばさ」
 そうした私の心情を酌んでか、彼女も同じ気持ちなのか、朋花も週に1度ぐらいはうちの店に寄ってくれる。
「朋花は私のこと、知ってたんだよね。前から」
「孫子曰く」
「え?」
 朋花の受け答えは、時々突飛だ。
 おそらく成績も良いんじゃないだろうか。少なくとも、私よりは。
「彼を知り己を知れば百戦殆からず。彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆し〜」
 ?
「つまり、どういうこと?」
「私は、美人で有名なA組の渋谷さんという方が、私のライバルになるかも知れないと気にしていましたから〜」
「え?」
 朋花が私を? ライバルに? なんの?
31 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 13:20:16.74 ID:86/EQe0g0
「凛さんのことは、J組まで伝わってきてますよ〜。残念ながらA組には、私のことは伝わっていなかったみたいですが〜」
「あ、それは違うよ。私の友達は知ってたよ、朋花のこと。私はそういうのに疎かっただけ……え? なんでJ組に私のことが伝わってるの?」
 朋花は少しだけ、いつもの微笑を解いた。
「A組に、すごく綺麗な娘がいる。美人でスタイルもよくて靡くような綺麗な髪で、いつもクールな佇まいで少し近寄りがたいけど、笑うと目が離せない……そんな噂」
 それは誰の話だろう。少なくとも私じゃないと思う……
 違うよね?
「そう聞いて気になってしかたなくて、A組に見に行ってすぐにわかりましたよ〜。あの娘だ、って凛さんのことを」
「え? 私!?」
 朋花はあきれたように私を見る。
 だって……
「私、無愛想だってよく言われるし」
「それは、凛さんの笑顔を見たいという要望の声ですよ〜。まってく凛さんは、人から好かれていてもそれに気づかないんですから〜」
32 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 13:21:20.55 ID:86/EQe0g0
 そうなんだろうか?
「私の子豚ちゃんが、凛さんに魅了されてしまうんじゃないかと心配していたんですよ、私は〜」
 そんなことはないだろうと私はわかっているけれど、朋花が心配しているというのもまた本当なんだと、彼女を見ているとわかる。
 今の彼女は、嘘偽りなく真剣だ。
 私は顔が赤くなるのを自覚した。
 別に彼女の言うように、自分が魅力的だと噂になっているとは思わない。
 朋花の子豚ちゃんが、私に好意の対象を変えるとも思っていない。
 けれど朋花が私のに大事な子豚ちゃんが取られちゃうんじゃないかと心配したというのは、それだけ私が彼女から見て魅力的だと真剣に思ってくれたことは――
33 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 13:22:04.25 ID:86/EQe0g0

 ちょっと泣きそうなぐらい、私には嬉しいことだった。

34 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 13:22:47.85 ID:86/EQe0g0
「どうしたんですか〜?」
「ご、ごめ、ちょっと……教室に戻るね!」
 もう朋花の顔が見られなかった。
 真っ赤になった顔を隠すように、私はその場を走り去った。

35 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 13:23:33.75 ID:86/EQe0g0

「なにかあったのかと、心配したじゃないですか〜」
 その日の夕刻、朋花はまたうちの店に来てくれた。
 突然走り去った私を心配してくれた……というか、自分が何かしてしまったのかと思ったようだ。
「いや、あの、宿題やってないの思い出してさ……」
 私は適当に言い訳をしたが、朋花のせいではないのは本当のことだ。
 あくまで私が勝手に恥ずかしくなっただけなのだから。
「おわびに……はい。ホットチョコ」
 私は自宅棟からお気に入りのカップにとっておきのホットチョコを入れ、持ってきた。
「いいんですか〜? 店内で」
「いいよ。他にお客さんもいないし、親もいないし」
「悪い店員さんですね〜」
 そう言いながらも、朋花はカップを両手で持つと口をつけてくれる。
「たまにやるんだ。忙しくない時は、お店でこうして休憩」
「確かに〜……ここで飲むと、お花に囲まれていていい気分ですね〜」
36 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 13:24:20.62 ID:86/EQe0g0
 私はその光景が嬉しかった。
 たくさんの数と種類の花に囲まれても、朋花は負けずに美しくそこにいる。いや、彼女自身が周囲の花を引き立てている気すらする。
 朋花ぐらいきれいだと、周りから浮いちゃうんじゃないかと思ったが、花の中の彼女はその美しさにおいて調和がとれている。
「意に沿わぬ花でも全体からすると調和がとれて美事な一点に見えることもある……か」
「はい〜?」
「前に朋花が言ってたこと、ちょっとわかった気がする」
 朋花は小首をかしげた。
「言ったのは私ではなくて、佐々木判官様ですけどね〜」
「佐々木道誉じゃなかったっけ?」
「判官は役職名で、そう呼ばれることもあるんですよ。ちなみに道誉というのも出家してからの名で、本名は佐々木高氏といいますね〜」
「そっか。覚えておく」
 朋花は微笑んだ。
37 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 13:25:31.21 ID:86/EQe0g0
「凛さんは、よいお花屋さんになるかも知れませんね〜」
「花屋になる……か」
 ふと、私は口ごもる。
 そうなんだろうか。
 そうなるんだろうか。
 恋とか結婚とかはさておき、私は将来花屋を継ぐことになるんだろうか。
 もちろん花は好きだ。
 商売の稼業とはいえ、花に囲まれて育ったことは幸せだと思う。
 けれどそれが自分のやりたいことなんだろうか、一生を賭けた夢なんだろうか。
 私はいまだに、両親の言う自分が真剣にやりたいことを、まだ見つけられていないのだ。
「ごめんなさい〜」
「え?」
 唐突に朋花が頭を下げる。
「人には自分の有り様をあれこれと注文を付けるくせに、凛さんの将来を今私は勝手に決めつけてしまいましたね〜」
 まったく朋花は人の感情に対して機敏だ。
 私の将来に対する漠とした不安を、私よりも真剣に受け取ってくれたのだ。
38 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 13:26:19.05 ID:86/EQe0g0
「気にしなくていいよ。でも……そうだね。確かに私が将来、花屋になるのはどうなんだろうね……」
 しばらく朋花は押し黙っていたが、やがて真剣な顔で私に言った。
「向き不向きで言えば、今お話しした通り向いていると私は思いますよ〜。ただ、将来なりたいものというのは、向き不向きではなくやりたいかどうか、なりたいかどうかで決めるものですから〜」
「……ねえ、私が花屋になったら……この店を継いだら朋花は常連客になってくれる?」
 また朋花は押し黙った。しかも今度はさっきよりもずっと長く黙っている。
「駄目かー」
「そうではないんです〜」
 今度の彼女の返事は早かった。
「凛さんが稼業を継ぐなら、もしかしたら私も……そうちょっと想像をしていました。悪くはないかも知れませんね〜」
 その言葉はちっとも嬉しそうではなかった。
39 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 13:26:57.74 ID:86/EQe0g0
 朋花の家の稼業が何かはおおよそわかってはいるが、彼女もそれを継ぐかどうかで悩んでいるとは知らなかった。
 だがどうやらそれは、楽しいことではないみたいだ。それは伝わってきた。
「朋花の家がなにやってるのか、なにを継ぐのか私は知らないけどさ」
「え?」
「継がない方がいいよ。朋花は、聖母さまになるんだよ。うん、それでいい」
 その日、私たちはその後なにも言わずに別れた。
 まだ15歳の小娘2人が、将来についての不安を語り合った。
 ただそれだけのことだった。
 少なくとも私たち2人は、そう思っていた。
 しかし世界にとっては、そうではなかった。

 私たちは後日、それを思い知る。

40 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 13:27:44.40 ID:86/EQe0g0

「あ」
「あら〜」
 別に待ち合わせたわけでも示し合わせたわけでもないが、ある日の日曜日に私たちは外で偶然出くわした。
「今日は子豚ちゃんたちは?」
「今は騎士団の方が遠目で見守ってくれていますが、夕方までは私1人ですよ〜」
 親しくなったと思っていた朋花から、まだ聞いたことのない単語が飛び出してきた。
「騎士団?」
「天空騎士団と言いまして、私を守ってくれている選ばれし人たちのことですよ〜」
 どうやらファンである朋花の子豚ちゃんとは別に、彼女を守る人たちもいるらしい。
 親衛隊みたいなものだろうか?
「ということは夕方までは時間あるの? 良かったらちょっと一緒に歩かない?」
「いいですよ〜。お昼をどうしようかとも思っていましたし、凛さんはこの辺りにくわしいんですか〜?」
「ううん。なんとなく来てみただけだから」
 別段がっかりした素振りも見せず、朋花は可愛い房の付いた扇子で口元を隠しながら笑った。
41 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 13:28:24.67 ID:86/EQe0g0
 いつも思うのだが、朋花の何気ない立ち居振る舞いは優雅だ。
 これが品、というものなのかなと感心する。
「では、知らない者同士で、散策と参りましょうか〜」
「うん、いいね」
 私たちは連れ立って歩き出す。
「ね。私たちさ、周りからどう見られてるのかな」
「どう、とはどういう意味ですか〜? 友達……というあたりではないでしょうか〜」
「それはそうなんだけどさ」
 なんとなく不満げな声が出て、自分でもびっくりする。
 それはまあ、友達なんだろうけど。
「朋花みたいな娘と歩いてると、私もちょっと特別な存在になった気がするよ」
「私は聖母ですからね〜。でも凛さんは子豚ちゃんにはならないと言われるので、やはりお友達ですね〜」
「ふーん……あ、こんなとこに花屋があるんだ」
 通りから見える場所に、割と大きな花屋があった。ウチの店より少し大きいだろうか。
「……なかなか品揃えが良さそうなお店ですね〜」
 のぞき込むようにしている朋花が、ちょっと嬉しそうな顔をしてるのがわかる。
42 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 13:29:14.80 ID:86/EQe0g0
 こういう時の彼女は、普段よりも幼い感じがする。
 そう、彼女は入ったことのない花屋に行くのが好きなのだ。
「寄ってみようよ。ちょっとさ」
「……そう、ですね」
 あれ?
 珍しく朋花の口調の歯切れが悪い。
「知らない店だよね?」
「そうなんですが……いえ、そうですね。入ってみましょうか〜」
 ?
 なんだろうと思っていたら、なんと朋花が私の手を握ってきた。
 え?
 どういうことだろう?
 どういう意味?
 どぎまぎする私を引っ張るように、手をつないだまま朋花は店へと入っていく。
「いらっしゃいま……え!?」
 店員と思われる女性は、一瞬驚いたような表情を見せると、うろたえたように店の奥へと入っていく。
「? どうしたのかな?」
 私の問いに、朋花は小さくため息をつく。
43 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 13:30:28.37 ID:86/EQe0g0
「悪い予感が当たってしまったみたいですね〜」
「どういう意……」
 私の問いかけが終わる前に、店の奥から先ほどとは別の女性が出てきた。
「……本日はどのようなご用件で?」
 かなり強い口調だ。少なくとも歓迎されているとは思えない。
「あ、別に目的とかあるわけじゃなくて、どんな花があるかなあって思って」
 同意を求めるように朋花に目をやるけれど、朋花は浮かない表情で黙っている。
「本日はこのような品ぞろえでして、ただ平素はもう少し……」
 なぜだかうろたえ気味の店員さんを横に、朋花が言う。
「帰りましょう。凛さん」
「え、でも……」
 まだ買うどころか、花もろくに見ていない。
 朋花のことだから、また花束を作ってもらったりするんじやないかと思っていたのに、なんだか……
44 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 13:31:13.60 ID:86/EQe0g0
「ま、またのお越しを」
「え?」
「おじゃまいたしました〜」
「え?」
 そそくさと退散するように店を出るその瞬間、店員さん同士の声が私の耳にも入ってきた。
「天空橋のお嬢さんとフラワーショップシブヤのお嬢さんが、連れだって来るなんて……」
「無理難題を言われたり、重箱の隅をつつかれるようなまねをされなくて良かったじゃないですか」

45 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 13:32:02.45 ID:86/EQe0g0

「なんか、ごめん。朋花」
 店を出て、私は朋花に手を合わせる。
「凛さんのせいではありませんよ〜。それに色眼鏡で見られることには、私は慣れていますからね〜」
 そう、不勉強な私は知らなかったが、やはり朋花は知る人ぞ知るというか、知る人は知っている存在なのだ。
 そして私も同様に、会ったこともない人からも花屋の娘であることは知られているのだ。
 華道の家元令嬢と、花屋の娘が連れだってやって来たのだ。そりゃあ店側も何事かと思ったのだろう。
 立場が逆なら、私だって緊張しただろうし、わかっていればすぐさまお父さんかお母さんを呼んだと思う。
 ただ――
「気軽に花を見たかっただけなんだよね……」
 私の独り言に、朋花は別に返事はしなかったけれど、少し寂しそうな表情をしていた。

46 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 13:32:46.37 ID:86/EQe0g0

 思い返せば、私は朋花が何者かを知らなかっただけに、ごく普通の……お母さんに言わせればやや無愛想な対応を朋花にしていた。
 朋花にとってはそれが、居心地が良かったのかも知れない。
 しかしどこに行っても同じとは限らない。
 私は花屋になるかも知れない。
 朋花は華道の家元になるかも知れない。
 だが社会は、私という花屋とは見てくれない。花屋という私を見る。
 朋花だってそうだろう。華道家元という朋花を見るようになるのだ。

47 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 13:33:32.39 ID:86/EQe0g0

「別に花屋になりたくないとか、そういうわけじゃない」
 ガーデンテラスのあるカフェに入ると、私は朋花に想いをぶつけた。
 幸い他に誰もお客さんはいない。
「花は好きだし、店の手伝いも嫌じゃない。でも、私ってそれだけなのかな」
「私も……」
「え?」
 朋花は他に誰もいないとわかっているはずなのに、周囲に目を配ってから再び口を開く。
「聖母になるとは決めています。これからも。でも、今よりも子豚ちゃんを増やしていくには、そして子豚ちゃんたちを魅了していき続けるにはどうしたらいいのかわからないでいるんです〜」
 私は朋花が家を継がずに聖母として生きていくことを悩んでいるのかと思っていたのだが、彼女はもうそこは決めているようだ。
 だが聖母としてどうすれば、生きていけるのかというまた別の次元の悩みを抱えているとも言える。
「子豚ちゃんって、いま何人ぐらいいるの?」
「108人ですね〜。騎士団の方達はそれとは別に、12人いますけど〜」
 即答できる朋花は、やはり子豚ちゃんたちを大切に思っているのだとわかる。きっと聞けば名前もそらんじてくれるんだろう。
48 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 13:34:17.42 ID:86/EQe0g0
「今以上に子豚ちゃんたちが増えた時、私の声が届かない子豚ちゃんがもしいたら……私の姿を見ることができない子豚ちゃんができてしまったら……」
「朋花は今以上に、子豚ちゃんを増やしたいんだ」
「もちろんですよ〜。最終的にはすべての人を、子豚ちゃんにしたいと考えていますから〜」
「ふふっ。壮大だね」
 彼女の言う『すべての人』の中に、私はいるんだろうか?
 そんなことがちょっと頭をよぎる。。
「ですが子豚ちゃんを何万人、何十万人に増やすには……そしてもしそうなった時……私の手からあふれ、私の眼に入らないような子豚ちゃんを、私はどうして気づいてあげて導いてあげればいいんでしょうか〜……」
 朋花は肩を落とす。
「朋花の悩みは、私とはスケールが違うよね。私なんか、やりたいことを見つけられないってだけなのに」
「なにを言っているんですか〜?」
「え?」
49 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 13:34:54.70 ID:86/EQe0g0
「私は聖母になればいい、って後押ししてくださったのは凛さんですよ〜?」
 確かに言った。
 朋花は聖母になるんだよ、それでいいと私は言った。
 え? じゃあ朋花は、私がそう言ったから決意したの?
 決意できたの?
「ですから凛さんも、きっと見つけられますよ〜なりたいもの、人生を賭けられるほどに本気になれるなにかを〜」
「……うん、ありがとう。見つけるよ、励ましてくれる朋花のためにも」
 朋花はまた扇子で口元を隠し、微笑んだ。
「そもそもなんで朋花は、聖母になろうとしたの? そういうなりたいものを見つける為の参考に聞きたい」
「私が生まれた時、お爺さ……祖父は私を人相見に見せたそうなんです」
「にんそうみ?」
 人相っていうのは人の顔だろうから、それを見る人ってこと?
50 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 13:36:18.34 ID:86/EQe0g0
「そうなんです。その道では有名なその方は、私の顔を見るなり『この子は傾城いや、傾国の相がある』……と」
 相変わらず、朋花の話は難しい言葉が多い。
 やはり古い……んだと思う家柄のせいだろうか。
「傾城というのは、文字通り城が傾く……つまり、私の為に城が傾くことになるという意味ですね〜」
「お城が傾く……ってそれは、重さで?」
 唖然とした表情を見せた朋花は、手にした扇子で顔を隠してしまう。
 と、その肩が小さく震えている。
 もしかして朋花、笑ってる?
 えー見たい、見たい。
 いつものすました微笑みじゃない、笑うのを必死でこらえている朋花の顔を、私は見たい。
 身を乗り出した私から顔を背けながら、朋花は続けた。
 その声はやっぱり、ちょっと笑っている。
51 : ◆VHvaOH2b6w [saga]:2021/12/20(月) 13:37:18.17 ID:86/EQe0g0
「城が傾くのは、私が美人だからですよ〜? 私を巡って沢山の人が争い、奪い合い、そして身を滅ぼしていくからです〜……」
 そのせっかくの笑い声が、話していくうちに沈痛なものに変わっていく。
「美しく、珍しい花があった時、人はそれを自分のものにしようとするんですよ〜ましてその花が、世界にひとつだけ……その人しかいないのだとしたら……」
「その人を巡って争いがおこる……城が傾く、ってわけか。じゃあ傾国っていうのはつまり、朋花をめぐって国が傾いちゃう事態になるって意味なんだ……」
「無論、傾城や傾国というのはひとつの言葉です。ですが実際に、私を巡って争いがあったことは事実なんですよ〜」
 そうか、これが朋花が聖母さまになるという理由なんだ。
 奪い合いにならないよう、誰のものにもならないよう、自分を好きになった人には平等にそして一生懸命に応えようというのだ。
「事実、こんなことが〜……」
 今や朋花の声は、沈痛を通り越して泣きそうですらある。
 これ以上、彼女に喋らせたくない。
 私は朋花の話を遮った。
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