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晴れ空に傘
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356 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/29(水) 19:27:58.56 ID:XR2bVOTMo
四方から降り注ぐ蝉しぐれの合唱をくぐり抜け南中にたどり着くと、
凪のチームも相手校も、すでにキャッチボールをしていた。
「やってるな」
そんな独り言を漏らし、急いで前庭を駆け抜けグラウンドへと向かう。
凪たちのベンチは1塁側で、その周辺にはすでに父兄と思しき人達が大勢来ていた。
当然見知った顔などはなく、陽子先生と剛先生は……まだいないようだった。
最近買ったばかりのアレット・ブランの腕時計に目をやる。
時刻は9時20分。試合開始は9時30分のはずだから、
さすがにそろそろ来ていないとまずいが……。
357 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/29(水) 19:31:56.69 ID:XR2bVOTMo
グラウンドでは、真っ白なユニフォームを纏った選手たちが、
元気に声を出して駆け回っている。
夏の炎天下なんてなんのその、彼らは運命の一戦に向けて気合十分といったところだ。
その中に凪もいた。
あの赤茶色のグラブを身に着け、誰よりも大きな声を出しているが、
時折、少しだけ不安げな表情でこちら側を見ては、またプレーに戻る、
ということを繰り返していた。
どうにも散漫で、意識ここにあらずといった様子であった。
恐らくだが、まだ陽子先生と剛先生が来ていないことを気にしているんだろう。
凪は昨日、お父さんが応援に来てくれることをあれだけ楽しみにしていた。
まだ姿が見えないことが、不安で仕方ないんだ。
358 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2021/12/29(水) 19:33:47.61 ID:7dElc2/YO
>>355
ここの描写エグすぎる
一気に脳内が真夏にワープしたわ
359 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/29(水) 19:36:16.50 ID:XR2bVOTMo
陽子先生と剛先生、間に合うといいけれど――
そんなことを思ったが、その願いも虚しく、
試合開始時刻になっても結局二人が現れることはなかった。
審判が両校の選手を呼び寄せ、整列と号令が終わり、
そのまま試合は始まってしまった。
剛先生、何かトラブルでも起きてしまったんだろうか。
まさか、突然病状が悪化して来れなくなってしまったとか?
そんな最悪の自体を想像し、心臓がヒュンと跳ねる。
いや、まだ決まったわけじゃない。
とにかく今は……。
とにかく今は、気を取り直して凪の応援だ。
凪にとっての大事な大事な――大一番が始まるんだから。
360 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/29(水) 19:38:55.87 ID:XR2bVOTMo
1回のオモテ。
凪がマウンドへ登る。
「凪ちゃーん! 頑張ってー!」
「頼むぞー!」
父兄から、そんな明るい声援が飛ぶ。
凪はダイナミックに振りかぶると、オーバースローで思い切りボールを投げた。
次の瞬間には『バチィン!』とキャッチャーミットが快音を鳴らし、
ベンチから「ナイスボール!」という掛け声が沸き起こった。
真剣な投球は初めて見たが、凪の球はとても速く鋭かった。
客観的に見たとしても、とても良いピッチャーだ。
大したもんだな……。
正直、今の俺にはまったく打てる自信がなかった。
361 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/29(水) 19:42:53.63 ID:XR2bVOTMo
凪の立ち上がりは絶好調であり、1回のオモテを三者凡退で抑えると、
続く2回、3回、4回も見事に0点で抑えてみせた。
しかし、相手の投手も意地を見せ、凪のチームも4回まで無得点となった。
試合は次第に、”投手戦”の様相を呈し始めた。
凪と、相手のピッチャー。
どちらが先に折れるか、気持ちと気持ちのぶつかり合いであった。
凪は鬼気迫るピッチングで5回のオモテを抑えたあと、
ふと、俺の元へと駆け寄ってきた。
362 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/29(水) 19:45:19.99 ID:XR2bVOTMo
さすがに疲れたのか、汗だくになって肩で息をしている。
男「凪、すごいね! ナイスピッチング!」
そう言って俺は、手を叩いて凪を鼓舞した。
凪「ありがとう。とりあえずここまでは、いい感じ――」
凪はふう、と息を吐くとスクイズボトルを一口、ゴクリと飲んだ。
男「いやいや、本当にすごくてビックリしたよ俺。凪、大エースじゃんか」
凪「そんなことないよ」
恥ずかしそうに笑ったその顔に、いくつもの汗がきらきらと輝いた。
凪「ねえ、男さん。お母さんからは……何も連絡ないの?」
363 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/29(水) 19:48:03.34 ID:XR2bVOTMo
手元のスマホを確認する。
しかし、特に何の連絡も入っていなかった。
ここに着いてから何度か電話もしていたが、やはり音沙汰はなしであった。
男「そうだね……連絡はない」
凪「そっか……」
凪の顔が分かりやすく曇ったのを見て、思わず肩を叩いてしまう。
男「凪、大丈夫だよ。必ず二人は来るから」
男「今はとにかく、試合に集中! ……な?」
凪「……うん」
凪はそのままベンチに戻っていったが……
その顔が晴れることはなかった。
364 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/29(水) 19:53:21.67 ID:XR2bVOTMo
凪にとっては、お父さんとお母さんの応援こそが原動力で、
特にお父さんとの約束は……あの子のすべてだ。
今までも、そのためにずっと頑張ってきたといってもいい、
凪が思い描いてきた「夢」だ。
昨晩、お父さんが応援に来ることを喜んでいた凪の笑顔が……脳内を掠めた。
俺はもう一度、陽子先生に電話をかけてみる。
5回、10回……いくらコールを待ってみても、出る気配はない。
どうしてだ。どうして出てくれない。
陽子先生。剛先生……。
お願いだから、来てください。
大切な娘さんが……グラウンドで待ってます。
365 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/29(水) 20:56:10.96 ID:XR2bVOTMo
俺はスマホをポケットにしまい、ベンチに座る凪を見る。
平静を装っているものの、その姿からは寂しさが滲み出ていた。
叶わないのだろうか?
……ここまできて。
凪の、大切で、純粋な夢。
神様……頼むよ、お願いだからさ……。
俺は気づくと、両手を合わせて空に願っていた。
青い空には白い綿雲が広がるばかりで……
俺の願いなんて今にも風に飛ばされてしまいそうだった。
366 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/29(水) 20:59:40.21 ID:XR2bVOTMo
続く6回のオモテ、凪たちの守備だ。
試合は相変わらず0対0という膠着状態だったが、
ここに来て、凪が突然調子を崩し始めた。
1球目を外すと、2球目3球目もストライクゾーンを捉えることはできず、
結局先頭打者をフォアボールにしてしまった。
何かがおかしいと察したキャッチャーの田向君が、
すかさずマウンドの凪のもとへと駆け寄る。
キャプテンを始めとした、内野の面々も心配そうに凪のもとへ集まる。
……凪。ここは大事な局面だよ。
なんとかここを抑えて笑顔でお父さんを迎えよう。
頑張れ――。
367 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/29(水) 21:03:35.70 ID:XR2bVOTMo
しかし、凪の調子が戻ることはなく、後続のバッターにもヒットを許してしまい、
あっという間にノーアウト2塁3塁というピンチを迎えてしまった。
次にヒットが出れば1点、あるいは2点を失ってしまうという……大ピンチだ。
中学野球は7回までなので、終盤の6回に2点を失うのは非常に苦しい展開だった。
しかも、ここで迎える相手のバッターは2番打者。
ここから強打者が続く。
キャッチャーの田向君が立ち上がって、大声を出す。
田向「先輩! 大丈夫っす! 思い切って投げましょう!」
間髪を入れずにキャプテンも声を上げる。
キャプテン「打たせていいからな! 俺たちが死ぬ気で守る!」
凪はそれらの鼓舞に対して、苦しそうな表情で頷いた。
368 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/29(水) 21:07:00.19 ID:XR2bVOTMo
凪、大丈夫だよ。
君のまわりには頼もしい仲間がいる。
信じて投げれば、大丈夫だから――。
夏の午前中の真っ白な光が、グラウンドを灼いている。
凪は眉根を寄せ、何度も額の汗を拭った。
そして3塁側を見たあと、セットポジションから全力投球した。
カキィン。
気持ちいいまでの金属音が鳴り響き、思い切り左中間に弾き返される。
センターが打球を追うものの、長打になった。
その間に3塁ランナーがホームに帰り、2塁ランナーも……生還する。
一気に2点……取られてしまった。
369 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/29(水) 21:10:03.56 ID:XR2bVOTMo
値千金のタイムリーを打った相手のバッターは、
2塁で嬉しそうにガッツポーズを見せている。
相手チームのベンチは、お祭り騒ぎの状態だ。
打たれてしまった。
これまで、ずっと無失点で踏ん張っていた凪が……ここで瓦解してしまった。
凪はマウンド上でとてもつらそうに歯を食いしばっている。
先ほどまで元気だった田向君やキャプテンも俯き、黙ってしまった。
ベンチの生徒までもが呆然として言葉を失っていたので、
俺は慌てて手を叩き、盛り上げに徹する。
男「なに黙ってんだよ! こっからだろ! 声出せ声出せッ!!」
370 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/29(水) 21:14:09.46 ID:XR2bVOTMo
そう大声を出したものの、凪たちにはまるで届かない。
グラウンドには、完全に”やばい”空気が漂っていた。
まずい。分かる。
このままだと、次も……絶対に打たれてしまう。
そんな嫌な予感の中迎えた、3番バッター。
カキィン。
一球見送った二球目をあっさり打たれ、綺麗にセンター前に運ばれる。
立て続けにヒットを浴び、またしてもノーアウト1塁3塁の大ピンチだ。
371 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2021/12/29(水) 21:14:51.03 ID:K7FCxF6VO
がんばれ………
372 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/29(水) 21:16:08.14 ID:XR2bVOTMo
チーム全体に、暗く重い空気が流れる。
もしこのまま点差が広がり続ければ、試合が終わってしまう。
内野陣は再び凪のもとに集合し、話し込んでいる。
なんとしても。
なんとしても、3失点目だけは避けなければ――。
そう思った時だった。
校庭の端から、一人の女性が車椅子を押して歩いてくる。
それは紛れもなく……。
男「陽子先生! こっち! こっちです!」
俺は大声で叫んで手を振った。
陽子先生と、剛先生が来たのだ――。
373 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/29(水) 21:17:46.12 ID:XR2bVOTMo
男「陽子先生! よかったです、無事に来れて……」
陽子「ごめんね、ちょっと手続きに時間かかっちゃって……」
男「いえいえ。本当に、来れただけで良かったです」
陽子先生は「ふう」と息をついたあと、ハンカチで汗を拭いながら訊いてくる。
陽子「それで……今はどんな感じなの?」
男「今は、6回のオモテで……凪たちは2点差で負けています」
陽子「あらぁ……そうなんだねぇ」
男「でも大丈夫です。だってまだ試合は終わってないですから」
陽子「そうだねぇ。なんとか、勝ってもらいたいね」
374 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/29(水) 21:20:50.08 ID:XR2bVOTMo
ふと、車椅子に座る剛先生を見る。
ビニール傘をさし、穏やかな瞳でグラウンドを見つめるその表情は……
”あの時”とは打って変わって、かつての剛先生そのものだった。
男「剛先生……?」
俺は思わず声に出してしまう。
剛先生はこちらに気づくと、にこりと柔和な笑顔を浮かべ、
「この雨の中なのに、皆さんよくやりますね」と穏やかに語った。
もちろん今日は見事なまでの晴天で、
雨が降っているのは――”剛先生の世界”での話だ。
剛「ちなみにこれは、なんの試合なんですか?」
やはり覚えていない。
俺のことも、きっと凪のことも、何もかも覚えていない。
けれど、その語り口も、穏やかな表情も、優しい笑顔も、
すべてがかつての剛先生だった。
375 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/29(水) 21:23:00.10 ID:XR2bVOTMo
陽子「いい薬が見つかってね。最近はすっかり落ち着いた調子なの」
陽子先生は剛先生に「これはね、凪の試合なんだよ」と優しく語りかける。
しかしながら剛先生は、「なぎ……?」とやはり理解できていないようだ。
陽子「野球の試合だってことは、なんとか分かってるみたいなんだよね」
男「そうなんですね……」
ともあれ、かつての剛先生が戻ってきたみたいで、嬉しかった。
色んなことを忘れてしまっても、剛先生が剛先生であるなら、
それは本当に良かったと思えた。
俺はグラウンドの凪の方を見ると……叫んでいた。
咄嗟のことだったので、なぜそうしたのかは、よく覚えていない。
男「凪!! お父さんが来たぞ――!!」
376 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/29(水) 21:25:48.20 ID:XR2bVOTMo
マウンド上で仲間に囲まれていた凪は、こちらを振り向くと、
言葉にできないほどの鮮やかな笑顔を見せた――。
遠く離れていてもはっきりと分かるほどの、夏の向日葵のような、
それはそれは眩しい笑顔だった。
空気が変わった……。
一瞬でそんな”予感”を感じ取った。
377 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/29(水) 21:29:00.59 ID:XR2bVOTMo
それからの凪は、先ほどまでの重々しいムードが嘘みたいな快投を見せた。
まず、ノーアウト1塁3塁で迎えた4番バッターを三振で切り落とし、
さらに1アウトで迎えた5番バッターもセカンドフライに抑え込んだ。
きわめつきには、最後の6番バッターを目が覚めるほどの三球三振で抑え込んだ。
これにはチームメイトも、ベンチも、大いに沸いた。
グラウンド上のナインに、再び明るい活気が戻ってくる。
男「凪! いいぞ!!」
父兄に混じって応援する俺も、思わず右手を掲げてガッツポーズをしてしまった。
378 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/29(水) 21:30:49.47 ID:XR2bVOTMo
続く6回のウラでは、キャプテンが意地を見せてタイムリーを放ち、
1対2の1点差にまで追いついた。
一度は完全な諦めムードに陥っていたチームが……
再び闘志を取り戻していた。
もう、誰ひとりとして下を向いている者はいなかった。
そして訪れる最終回。7回のオモテ。
凪のチームは何度かランナーを出す苦しい展開を迎えつつも、
凪の渾身のピッチングと、チームメイトの全力の守備によって、
なんとか無失点で抑えることに成功した。
379 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/29(水) 21:34:13.31 ID:XR2bVOTMo
そうして迎えた、7回のウラ。
泣いても笑っても、最後の攻撃。
1点、あわよくば2点が欲しい凪のチームは、
なんとかノーアウトの状態でランナーを出したい……。
しかし、先頭打者と二番目の打者が立て続けに凡打に倒れ、
あっという間に2アウトという、あとのない状態になってしまった。
この緊迫した場面で打順が来たのは……5番バッターの田向君であった。
彼が出塁できれば……次のバッターは凪だ。
田向君は打席に入る直前、ネクストバッターズサークルにいる凪に向かって叫んだ。
田向「死んでも先輩に繋ぎます!!」
380 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/29(水) 21:36:20.79 ID:XR2bVOTMo
その呼びかけに、凪がどう答えたのかは分からない。
田向君はにこやかに笑ったかと思うと、そのまま打席に入った。
初球であった。
こんな場面、普通なら萎縮してしまって初球なんかには手が出ないのだが……
田向君はそれを逆手にとって、甘めに入った初球を気持ちよく打ち返した。
右中間を割る、綺麗な2塁打だった。
地鳴りのような歓声が1塁側ベンチに沸き起こる。
長打を放った田向君は、2塁で両手を上げ「っしゃあああ!」と吼えている。
最終回、2アウト2塁。
このとんでもなくプレッシャーのかかる場面で打順が回ってきたのが……
他でもない、凪だった。
381 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/29(水) 21:37:40.07 ID:XR2bVOTMo
一打同点のチャンス。
ここでヒットを打つことができれば、試合はまだ終わらない。
男「凪、がんばれ―――!!!」
瞬間、俺は持てる限りの力を込めて叫んでいた。
喉が潰れるほどの、後先なんて一切考えていない全力の叫び。
すると、ベンチや他の父兄からも次々と凪を応援する声が上がった。
そこにいる全員が凪を見つめ、同じように凪にエールを送っていた。
どうにかして打ってほしい。
お父さんの見ている前で……”約束”を果たしてほしい。
382 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/29(水) 21:40:51.68 ID:XR2bVOTMo
「ふう」と軽く息を吐くと、こわばった顔つきで打席に立つ凪。
相手の捕手も、「よっしゃ落ち着いていこう!」と声を上げた。
一球目。
外にわずかにはずれ、ボール。
二球目。
インコースのストレートを見逃し、ストライク。
三球目。
外角の見せ球に手が出てしまい、空振り。
2ストライク。追い込まれてしまった。
凪は一度打席を外れ、深呼吸をしてリズムを整える。
グラウンドにいる全員が息を呑み、祈るような思いで凪を見つめている。
その時であった――”奇跡”が起きたのだ。
383 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/29(水) 21:48:20.51 ID:XR2bVOTMo
剛「凪! ビビらないで打て――!!」
もう、凪のことは覚えていないはずの剛先生が、そう叫んだのだ。
先ほどまでさしていたはずの傘も、いつの間にか畳んでいる。
剛「凪なら打てる! いけ!」
それに気付いた凪はひどく驚いたようだが、すぐに落ち着くと、
にこりと笑って大きく頷き、再びバッターボックスに立った。
バットを構え、相手投手を見つめる凪の横顔には……
もう寸分の迷いも、ためらいもない。
フルスイングで打ち返した大飛球は青空に吸い込まれ――
センターの遥か後方まで飛んでいき、見えなくなった。
相手チームの外野は必死でボールを追いかける。
しかし、それは文句のない最高のホームランだった。
384 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/29(水) 22:04:39.54 ID:XR2bVOTMo
劇的なサヨナラ勝ち。
凪の放ったホームランにより、凪のチームは大逆転勝利を収めた。
1塁側ベンチが、歓喜の渦に包まれる。
ホームベースに戻ってきた凪は、狂喜する仲間たちに囲まれ、
笑いながら涙をこぼしていた。
最高の瞬間だ。
今までやってきたことが報われ、叶ったんだ……。
385 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2021/12/29(水) 22:05:42.15 ID:fCnhREpWO
泣いた
臨場感えぐいて…
386 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/29(水) 22:08:33.49 ID:XR2bVOTMo
男「凪……よかったなぁ……本当に……」
喜んでいる凪たちを見ていると胸がいっぱいになり、視界が涙で滲んできた。
人前で泣くまいと、歯を食いしばってどうにか堪える。
隣では、陽子先生がハンカチで目元を押さえて泣いており、
剛先生は「凪、よくやった!」と快活な笑顔を見せていた。
剛先生は本当に……凪の記憶が戻ったのか?
たとえ一時的なものだったとしても、もしそうなら……正真正銘の”奇跡”だ。
387 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/29(水) 22:10:21.43 ID:XR2bVOTMo
試合後の挨拶が終わって、凪が勢いよく剛先生のもとへと駆け寄ってくる。
凪「お、お父さん、私が分かるの?」
剛「ああ、当たり前だ! 凪、よく打ったな。最高だったよ!」
凪「お父さぁん……」
凪はぼろぼろと涙をこぼし、剛先生に抱きついた。
剛「なんだなんだ、どうしたんだ凪」
剛先生は照れくさいのか、恥ずかしそうに苦笑いを浮かべる。
凪「お父さん、ずっとずっと話したかったよぉ……」
凪「嬉しい、すごく嬉しい――」
388 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/29(水) 22:11:49.57 ID:XR2bVOTMo
凪「お父さん、あのね。私、約束叶えたよ。地区大会で優勝した」
剛「ここで見てたよ。すごくいい試合だった」
凪「ほんと?」
剛先生は「ああ」と頷くと、歯を見せて楽しそうに笑った。
真っ白な陽射しを反射したその笑顔は、とても眩しく、輝いて見えた。
剛「お父さんは、凪がこんなに立派に成長してくれて……本当に嬉しいよ」
凪「お、お父さぁん……」
凪は「わああ」と声を上げ、大泣きした。
凪「お父さん、お父さん……!!」
剛先生は「どうしたの?」と戸惑っているようだったが、
どこか幸せそうな、とても優しい表情をしていた。
389 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/29(水) 22:13:43.83 ID:XR2bVOTMo
凪「ねえお父さん」
剛「ん?」
凪「一つだけ、訊かせてほしいことがあるの」
剛「いいよ。なんだい?」
凪は鼻をすすってから「ふふ」と笑ったあと、”あの質問”をした。
凪「お父さんは、雨が好きなの?」
すると、剛先生は少しだけ間を置いてから、嬉しそうに笑って答える。
剛「ああ、大好きだよ。どうしてか分かるかい?」
凪「んーん、分からない。……どうして?」
390 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/29(水) 22:15:39.22 ID:XR2bVOTMo
剛「もうずっと前のことだけどね……凪が生まれた日が、雨だったんだ」
凪「そうなの?」
剛「うん、そうなんだ」
そう語る剛先生の優しい目元からは、凪への愛情が溢れていて……
大切で大切でたまらない娘を愛おしそうに語る”父”の顔をしていた。
剛「だからね、雨を見ていると……凪が生まれてきてくれたあの日のことを思い出して」
剛「とても幸せな気持ちになるんだよ」
剛先生はまた笑う。凪とそっくりな、その明朗な笑顔で。
391 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/29(水) 22:16:38.68 ID:XR2bVOTMo
凪「そ、そうだったんだね……」
凪は「うえぇ」とまたしても大泣きし、剛先生に抱きついた。
そして何度も「ありがとう、ありがとう」とうわ言のように繰り返した。
剛先生がずっと雨を見ていたのは……。
そこに凪の思い出があったから――なのだろうか。
だとしたら。
剛先生は、彼にしか見えないその世界のなかで、ずっと幸せな気持ちだったのかもしれない。
そうだったらいいのにな……と思った。
392 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/29(水) 22:18:16.33 ID:XR2bVOTMo
ふと、晴れた空の白い綿雲から、ぽつぽつと雨が降り出した。
きらきらと輝く無数の雨滴が、乾き切った白砂のグラウンドに舞い落ち、跡をつける。
「雨?」
「珍しいね、晴れてるのに降ってきた」
「傘、あったかな」
珍しい現象に、周囲にいた人々がざわつく。
393 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/29(水) 22:22:40.76 ID:XR2bVOTMo
すると、どこからともなくこんな声がした。
「あ、狐の嫁入りだね。晴れてるけど傘をささないと」
それはまさしく、晴れ空に傘。
見上げると、青空の中に大きな虹がかかっていた。
凪と剛先生は透明なビニール傘を広げ、その中でふたり、いつまでも笑っていた。
晴れ空の傘のなかで――。
https://i.imgur.com/cMkLFfX.jpg
394 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/29(水) 22:26:11.30 ID:XR2bVOTMo
SS「晴れ空に傘」はこれでおわりです。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。
他にも色々書いていますので、ぜひTwitterのフォローをお願いします。
富澤 南
https://twitter.com/Tomizawa_2ch
395 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2021/12/29(水) 22:27:28.43 ID:9ArhlGDmO
うおおおおお最高だった!!!
ここ数日間毎日追ってたけど、本当に素敵な時間でした。
ありがとうございます。。
396 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2021/12/29(水) 22:35:12.68 ID:CCmyC3bVO
最後涙ぐんだわ
本当に美しくてイノセンス溢れるストーリー。
こんな世界もあるんだって信じてみたくなる
こんな場末に書くレベルちゃうで、もっと世に出すべきだと思う、、
397 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2021/12/29(水) 23:34:04.35 ID:X0DNIXywO
最初に晴れてるのにビニール傘をさす子が出てきて、ただの出落ちネタかと思ってた
最後まで読んだらそれが本当に綺麗に繋がってて感動した
傘をさす理由も、父親が雨を見ていた理由も、すべてが綺麗につながってた
398 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2021/12/29(水) 23:39:57.46 ID:pk/TLcxbO
ゲーセンの人か。年末に良い作品をどうもです!
399 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2021/12/29(水) 23:41:07.47 ID:zPJHTwkqO
>>394
おつ
本当にいい話だったよ!
1つ聞いていい?これって舞台は山梨?
400 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2021/12/29(水) 23:53:45.25 ID:eXv1T/37O
誰かが書いてたけど本当に青春映画を一本見た気分、大満足
夏や町の情景描写がほーんとうに大好きだった
全編を通してすべてがキラキラしてた
ありがとう
401 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/30(木) 00:06:09.88 ID:2Yp7qE5Uo
>>399
そのとおりです。
レスで気づいている方もいらっしゃいましたが、
笛吹川も、万力公園も、橋も、すべて実在する場所です。
このお話を読んで、少しでも山梨のことを知ってもらったり、
「山梨に行ってみたいな」と感じてもらえたらいいなと思って書きました。
もしこれを読んでくれた方で気になった人がいましたら、ぜひ。。
402 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2021/12/30(木) 00:07:22.95 ID:u+KYQcQnO
あー、富澤さんだったのか!納得。
あなたの描く夏と青春、本当に好きです。
403 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2021/12/30(木) 00:21:47.62 ID:v2Ucn5tRO
>>6
>>393
このイラストも本当に好きだった。
個人的にはイメージしてたより大人っぽかったけど、硬派で好きだ
404 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2021/12/30(木) 02:02:01.25 ID:k1H8jPf5O
富澤さんってゲーセンで出会った〜の人か!
スレに立ち会えて嬉しい
挿絵まであって本当に凝ったssでした
405 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2021/12/30(木) 04:26:05.53 ID:AVnKBBl7O
山梨に行ってみたくなった、桃畑が見たくなった。
この春と夏は、行ってみます。
406 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2021/12/30(木) 14:09:38.31 ID:2QMAXf8pO
完結してた。
なんだかクソみたいな毎日でも頑張ろうって思えました…
とても面白かったです!
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