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【ミリマス】矢吹可奈「思いを歌に込めて」
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34 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/06/30(水) 19:51:14.77 ID:4VJxOnZ+0
「あ、あのー……」
だから私から話を切り出すことにした。
『……なに?喋るならもっとはっきりと喋りなさいよ』
ひいー!まだ怒ってるよー!
「ご、ごめんね?えっと、あなたは本当に別の世界の人、なんですか?」
『……アンタもこの携帯のことは知ってるのね』
「う、うん。気づいたら私のカバンの中に入ってて……」
『私もよ、気づいたら手元にあったわ』
「じゃあ、やっぱりこれ、別の世界につながる携帯、なのかな…?」
『まあ、たぶんそういうことでしょうね』
やっぱり、本当にあったんだ。別の世界につながる携帯。
私も志保ちゃんみたいに、心のどこかでは半信半疑だったからとても驚いている。
35 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/06/30(水) 19:58:23.21 ID:4VJxOnZ+0
『でもどうかしらね?お互い、案外近くにいたりするんじゃない?』
「ええー!じゃあ、直接会えたりするのかなあ?私は港北区だけど……」
『え!?私も港北区なんだけど!』
「ええ!?」
こんな偶然ってあるんだ!
「じゃあ、私たち別の世界の同じ場所にいるってこと!?」
『かもしれないわね。そういえばアンタ、名前は?』
36 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/06/30(水) 19:59:01.17 ID:4VJxOnZ+0
「え?」
『な・ま・え。まだ聞いてないでしょ』
「あ、そういえばまだ自己紹介してなかったよね」
そういえばお互いまだ名乗ってなかったんだ。いろいろあって忘れちゃってた。
「や、矢吹可奈。14歳です!アイドルやってます!」
あ、いつものオーディションとかの自己紹介みたいにやってしまった。
『………え、アンタ。アイドルなの?』
すると、相手の子は驚いたように私に聞き返してきた。
「そうだよ。765プロでアイドルやってるんだ」
あれ、でもアイドルってことは言わないほうが良かったのかな。プロデューサーさんも知らない人には気をつけろって言ってたし。この子が悪い子だとは思わないけど。
37 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/06/30(水) 19:59:32.11 ID:4VJxOnZ+0
『…………』
「あれっ?おーい」
『えっ!ええっと、765プロってあの765プロよね?如月千早とか』
「うん。やっぱり千早さんたちは有名なんだ〜。私もいつか千早さんや春香さんみたいにすごいアイドルになりたんだ〜」
『待って、765プロでアンタの名前なんか聞いたことないけど』
「えっ!?」
38 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/06/30(水) 20:04:25.71 ID:4VJxOnZ+0
どういうことだろう。確かに私たちがアイドルになる前は春香さんたち13人だけだったけど……。
「えーっと765プロライブ劇場って聞いたことないかな?」
『なにそれ、知らない』
「えっと……私たちは劇場って言ってるんだけどね―」
そのあとも私は劇場について説明してみたけど、相手の子はあまりピンと来てないみたいだった。
『聞いたことないわね。それにその場所って別の建物があった気がするんだけど』
「ええー……そんなことないんだけどなあ。結構大きな建物だよ?」
『……調べてみたけどやっぱりそんな建物ないわね』
「ってことはやっぱり……」
『……私たち、本当に別々の世界にいるみたいね』
39 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/06/30(水) 20:05:10.87 ID:4VJxOnZ+0
別の世界に繋がる携帯。頭の隅ではそんなわけないよねって思ってたけど、やっぱりホンモノなんだ。
それに、向こうは劇場がない。
私たちがアイドルになっていない世界。
向こうの私は何をしているのかな。やっぱり歌は大好きなのかな。
『で、アンタは別の世界で765プロでアイドルやってるってわけね?』
「そうだよ〜。歌うのが好きなんだ〜」
『…………へえ』
……?どうしたんだろう。ちょっと間があったけど。
「……?どうしたの?あ!もしかして、あなたもアイドルが好きなのかな!」
765プロの先輩たちのことは知ってるみたいだったからアイドルには興味があるのかな?
『……別に、知ってるだけで興味はないわ』
「ええ〜?本当かな〜?あ、さっき千早さんの名前出してたけどもしかして千早さんが好き?」
『だからそういうのじゃ……まあ、如月千早はすごいと思うけど』
わあ!別の世界の子と憧れの人が被るなんて思わなかったな〜。
「やっぱり〜。私も千早さんに憧れてるんだ〜。あっ千早さんが好きってことはもしかしてあなたも歌が好きなのかな〜?」
40 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/06/30(水) 20:05:36.81 ID:4VJxOnZ+0
『嫌いよ』
「えっ」
今までで一番冷たい声。吐き捨てるような言葉が耳に届いた私はただ言葉を失うしかなかった。
『嫌い。大っ嫌いよ、歌なんて』
電話の向こうから、自分に言い聞かせるように何度も嫌いという言葉が聞こえた。
「そ、そうなんだ……」
それっきり、お互いに黙り込んでしまって。しばらくの間、気まずい空気が電話越しに流れた。
なんて言葉を駆ければいいか考えていると、先に沈黙を破ったのは相手の方だった。
『……ごめん、アンタに言ってもどうしようもなかったわね。もう切るわよ』
「まっ……待って!」
電話を切ろうとしていたところを私は必死に呼び止めた。
41 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/06/30(水) 20:06:10.03 ID:4VJxOnZ+0
『……なに?』
「わ、私はもっと、あなたとお話したいなあ……なんて」
『はあ?』
今電話を切ったらダメ。なんでかはわからないけどそんな気がした。
『さっきのでわかったでしょ。私と話なんかしても得することなんかないわよ』
「そんなことないよ!それに歌が嫌いなのも何か理由があるんだよね?」
『……知ってどうするのよ。どうせなんにもできないでしょ』
「うぅ……。確かに何もできないかもしれないけど……。でも!せっかくお友達になれたんだから、悩みを聞くくらいなら私でもできるよ!」
『…………』
42 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/06/30(水) 20:06:36.69 ID:4VJxOnZ+0
ダメ、かな?さっきとは別の意味で、なんとも言えない空気が漂っている……。
「どう、かな……?」
『……夜ならいつも暇よ』
「えっ?」
『だから、夜なら相手できるって言ってるの!それでいいでしょ』
「……や、やったー!」
『ああもう、うるさい!耳元で騒ぐな!』
えへへ。怒られちゃった。
43 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/06/30(水) 20:07:10.29 ID:4VJxOnZ+0
『とにかく、もう遅いし今日は切るわよ』
「うん、明日も絶対に電話かけるからね!」
『はいはい、わかったわよ』
「あっ、そういえばまだ名前聞いてなかったよね」
そういえば私が名乗ったっきりでまだこの子の名前を聞いてなかった。なんだか話しづらいなって思ってたけどこれのせいだったんだね。
44 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/06/30(水) 20:07:37.49 ID:4VJxOnZ+0
『………………』
「あれ?おーい!」
『…………ユキよ』
「へえ〜ユキちゃんかあ。よろしくね!」
『よろしく。じゃあ、切るわよ』
「うん!おやすみユキちゃん!」
そう言ってユキちゃんは電話を切った。
こうして、この日から世界をまたいだ、私とユキちゃんの奇妙な交流が始まった。
そういえば、ユキちゃんの声ってどこかで聞いた気がするんだよね。劇場のみんなじゃないと思うけど、誰だったかな。
45 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 00:08:50.27 ID:vxATPOLO0
〜〜♪〜〜♪〜〜
次の日から、私とユキちゃんは毎晩電話でお話をするようになった。
最初のうちはずっと私からかけていたけど、最近ではあの日みたいにユキちゃんの方からかけてきてくれることもある。少しずつお互いの距離が縮まってる気がする。
46 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 00:09:24.06 ID:vxATPOLO0
ここ数日でユキちゃんのことも少しだけわかってきた。
本名はクニベユキちゃん。年は私と同い年、性格はちょっと水桜ちゃんみたいな子。だけど、根は結構素直。この前一方的に私が話しすぎて途中で謝ったんだけど、怒るかと思いきや、楽しかったからいいってちょっと小声で言ってくれた。
「あっ!これビデオ通話できるんだ。やってみない?」
『えっ………遠慮しとくわ』
「えーっ!なんでー?」
『は、恥ずかしいからよ』
「そんなことないよー。ほらほら〜」
『うわっ!ちょっと、やめなさいよ!』
「えー!なんで顔映してくれないのー?」
『だから恥ずかしいからって言ってるでしょ!』
「そんなことないのに〜」
お話って言ってもこんな感じの他愛もない話だけど。
47 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 00:09:51.76 ID:vxATPOLO0
「でね、この前のテストで赤点取っちゃって、補習が大変だったんだよ〜」
『赤点って……今の時期にそんなこと言ってたらヤバいんじゃないの?』
「ううっ……、勉強ももう少し頑張らないと〜」
そうそう、ユキちゃんは結構なんでもできる子だった。頭もいいし、運動も結構できるほうみたいなことを言っていた。大したことないわよって言ったその時のユキちゃんはちょっとかっこよかった。
だけど、ユキちゃんが歌が嫌いな理由はまだ教えてくれなかった。
48 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 00:11:57.20 ID:vxATPOLO0
「可奈、仕事のオファーが来たぞ」
レッスンで劇場に来たある日のこと。プロデューサーさんが私に仕事のオファーを持ってきた。
「どんなお仕事ですか?」
「ドラマのちょい役だ。先方がスタエレのドラマを見て可奈の演技が気に入ったって言ってな」
そう言ってプロデューサーさんはドラマの台本を取り出した。
「今回はちょい役だが、可奈の演技がかなりお気に入りだったみたいでな、今回の演技次第で次は主役級もあり得るってさ」
「…………」
「?どうした?何か気になることでもあったか?」
49 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 00:13:09.45 ID:vxATPOLO0
プロデューサーさんは心配そうに私に声をかけた。
「あ、えっと……違うんですけどそうじゃなくて……あっ!お仕事はとっても嬉しいです!ただ……」
「ただ?」
「あのっ……私、もっと歌のお仕事がしたいです!」
私がそう言うと、プロデューサーさんは少しだけ目を細めた。
「いろんなお仕事に挑戦できるのはすごくうれしいです。けど、もっと歌うお仕事もしたいかな〜って……」
「…………」
プロデューサーさんは何も言わない。ただ、私を見定めるように、じーっと私のことを見下ろしていた。
そのあと、頭の後ろをポリポリと掻くと、少しマジメなカオになった気がした。
50 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 00:13:43.63 ID:vxATPOLO0
「ま、今は我慢の時だな」
「我慢……ですか?」
「人間、思いがけないところで評価されることって結構あるんだよ。今の可奈はいろいろなところで評価されている。それはわかるな?」
「は、はい……」
そのことは嬉しい。けど……。
「だから可奈の歌が埋もれがちになってる。これは事実だ」
「そう、ですよね……」
「アイドルとして売れるなら武器は多い方がいい、それこそ色んな特技や才能があるならそれに越したことはない。だから今の可奈はとてもチャンスではある。伸ばせるものはどんどん伸ばせばいい」
「それは、そうなんですけど……」
そこで一度プロデューサーさんは俯いている私の頭の上にポンッと手を置いた。
51 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 00:14:41.71 ID:vxATPOLO0
「なあ、可奈。歌うの好きか?」
「……?はいっ!大好きです!」
顔を上げて答えると、プロデューサーさんはニヤっと微笑んだ。
「じゃあ大丈夫だ。その気持ち、忘れるなよ?」
そして、置いた手でクシャクシャと私の頭を撫でた。やっぱり、プロデューサーさんのゴツゴツとした大きな手はちょっとだけ安心する。
52 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 00:15:08.62 ID:vxATPOLO0
「……?どういうことですか?」
「ま、それはいずれわかるさ。ただ、その気持ちは可奈の歌にとって大きな武器になるはずだ。とにかく今いえるのは今が我慢の時だってことだな。」
「もっと、上手になればいいってことですか?」
「それもひとつの手ではあるな。というか評価されるならそれが一番手っ取り早い。けど何も方法は一つじゃないさ」
プロデューサーさんの言っていることは少し難しくて、私にはよくわからなかった。
「さ、そのためにもまずは練習あるのみだな。そろそろレッスンだろ?」
「あっ!本当だ!」
「まずは自分の思うようにやってみろ、ダメだったらまた別の方法を考えるしかないけどな」
53 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 00:16:32.64 ID:vxATPOLO0
「あっ!おーいプロデューサー!」
丁度その時、向こうから海美ちゃんがこっちに走ってきた。その後ろに紗代子さんもいた。
「ん?どうした海美?」
「これから、海美とランニングに行くつもりなんですけど、プロデューサーも一緒にどうですか?」
プロデューサーさんはよく海美ちゃんや紗代子さんのランニングに付き合っている。劇場ができる前から真さんのランニングにも付き合っていたらしい。
「おっ、いいぞ。どれくらい走るつもりだ?」
「うーんと、とりあえず10キロくらいかな!」
そ、そんなに!?私はさすがについていけないかなあ……。
54 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 00:17:27.37 ID:vxATPOLO0
「了解。一回着替えてくるから先に行っててくれるか?」
それに平然とついていってるプロデューサーさんも、やっぱり男の人なんだなあって感じる。
そういえば、前に海美ちゃんがプロデューサーさんの体のこと褒めてたよね。骨がガッチリしてるからガタイもいいって。
「わかった!かなりんも一緒に行かない?」
「わ、私はこれからレッスンだから……」
「そっかあ、残念。じゃあ、プロデューサー!前の広場で待ってるからねー!」
「あっ!待って海美!」
そういって海美ちゃんは走っていってしまった。紗代子さんもすぐに後を追っていった。
でも、レッスンがなくても10キロはさすがに走れないかなあ……
55 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 00:20:55.36 ID:vxATPOLO0
「さて、俺も着替えてこないとな。それじゃあレッスン頑張れよ」
「はい……」
「あ、そうだもう一つ。可奈―」
「はい?なんですか?」
一呼吸おいてプロデューサーさんは口を開いた。
「選ばれなくても、愛することはできるさ」
やっぱり、プロデューサーさんの言うことはよくわからなかった。
56 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 00:43:20.16 ID:vxATPOLO0
眠いのでいったんここまで
57 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2021/07/01(木) 00:50:16.98 ID:ANDOb6PU0
一旦乙です
58 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 12:19:30.28 ID:vxATPOLO0
〜〜♪〜〜♪〜〜
今夜もいつもの時間にユキちゃんに電話をかけた。
話の内容は、いつも通りレッスンがどうだったとか。
「ユキちゃんはどうだった?」
『そうね、いつも通りだったわ』
「む〜。ユキちゃんいつもそうだよね』
『普通に暮らしていたらそんなに変わったことなんか起こらないわよ』
59 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 12:19:57.00 ID:vxATPOLO0
〜〜♪〜〜♪〜〜
今夜もいつもの時間にユキちゃんに電話をかけた。
話の内容は、いつも通りレッスンがどうだったとか。
「ユキちゃんはどうだった?」
『そうね、いつも通りだったわ』
「む〜。ユキちゃんいつもそうだよね』
『普通に暮らしていたらそんなに変わったことなんか起こらないわよ』
60 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 12:20:29.73 ID:vxATPOLO0
「どうかしたの?」
『なんでもない………あら、もうこんな時間ね。今日はもう終わりにしない?』
「ええ〜?」
『アンタだって毎日電話してるけどテスト、やばいんじゃないの?』
「うぐ、それを言われると〜……」
別の世界の人からもテストの心配をされるとは……ぐぬぬ。
『てことで、テスト勉強くらいしなさいよ』
61 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 12:20:57.47 ID:vxATPOLO0
「じゃあまた明日!おやすみ、ユキちゃん」
『はいはい。おやすみなさい』
そう言って私は携帯を耳から離した。
ん〜。ユキちゃんの言う通り、ちょっとだけ勉強しようかなあ。携帯を机の横に置いて、カバンの中から教科書を取り出す。
………うぐぐ。全然わからない。このままだとまた赤点を取っちゃうよー!この教科の先生、結構怖いんだよねえ。
誰かに電話して聞こうかなあ。志保ちゃんまだ起きてるかな?あ、でもこの時間はいつもりっくんが寝る時間だから一緒に布団に入ってるって言ってたっけ。だったらかけても出ないよね。他には―
「あっ!」
ユキちゃんに聞けばいいんだ。成績もいいみたいだったしさっきまで一緒に電話してたんだからまだ起きてるよね。えっと携帯携帯……
『――』
62 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 12:21:24.02 ID:vxATPOLO0
「えっ?」
横に置いていた携帯から音がした。まだ手に取ってもいないのに。もしかして、お化けとか!?
……あれ?まだ通話状態になってる。
そういえばいつもユキちゃんから切ってたっけ。ユキちゃんが切り忘れて、私も気づかなかったのかな?
とりあえず通話を切ろうと携帯を手に取った。
だけど、終了のボタンを手にかけようとしたその時―
63 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 12:23:23.48 ID:vxATPOLO0
『〜〜〜♪』
電話の向こうから歌声が聞こえた。電話越しだし、ちょっと離れているみたいだからしっかりとは聞き取れなかったけど。
そ、それより!この声ってユキちゃんだよね!?あのユキちゃんが歌ってるの!?
頑張って耳を澄ましてユキちゃんの歌声を聞く。もうそれ以上近づけてもどうにもならないのに、携帯を耳に押し当てていた。
あのユキちゃんが歌っている。あれだけ歌は嫌いだって言っていたユキちゃんが。やっぱりユキちゃんが歌が嫌いなのって何か理由があるんだよね。
でも、少しすると歌声は止まった。そのあと、「はあ」とため息も聞こえた。なんでユキちゃんがため息をついたのかは、ここからでもわかってしまった。だって―
64 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 12:23:57.25 ID:vxATPOLO0
「……歌、歌うんだね」
『…?……はっ!?』
ドタバタという音がした。かなり慌ててるみたいだった。向こうで必死に電話を探している様子がなんとなく思い浮かぶ。でも、携帯は多分机の上にあるんだよね。
『………聞いてたの?」
「うん。……ちょっとだけ」
そういってしばらく沈黙が続いた。顔はわからないけど、なんとなく携帯を挟んで苦い顔をしている気がした。
65 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 12:24:34.44 ID:vxATPOLO0
『…………はあ、ほんっと最悪。でもこれで分かったでしょ?だから歌なんて嫌いなのよ』
そう、ユキちゃんの歌は音程は少しズレていて、リズムも所々おかしくて、お世辞にも上手とは言えなかった。まるで……まるで、私の歌みたいに―。
「わ、私はユキちゃんの歌、好きだよ?」
『お世辞なんかいらないわよ。わかってるから、ヘタクソってことくらい』
返す言葉がなかった。だって、ユキちゃんの気持ちはわかるから。でも……!
『歌うたびに気まずい顔されて、好きになれるわけないじゃない』
ユキちゃんは消えそうな声でそう呟いた。
でも、確信した。やっぱりユキちゃんは歌が好きなんだ。ちょっと強がってるだけなんだ。
こういうときは―。
66 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 12:25:00.75 ID:vxATPOLO0
『……ごめんなさい。切るわ』
「……へ、ヘタクソなんてどうってことな〜い!これっぽっちも気にしな〜い!私もユキちゃんもおなじさ〜♪」
咄嗟に、口が動いた。だって、絶対に切ったらダメだって。そんな気がしたから。
『…………なにそれ』
「えへ。矢吹可奈14歳!特技は何でも歌にすることです!……なんちゃって」
オーディションの自己紹介みたいに。ユキちゃんが審査員さんだったらどんな反応かな?音程がダメですね。とか言われちゃうのかな。
67 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 12:25:35.77 ID:vxATPOLO0
「どうだった?」
『どうって……』
「実はね。私もあまり、歌は上手じゃないんだ。レッスンだといつも怒られてばかりだし、小鳥さんと一緒に歌おうとしても逃げられちゃうし。歌って褒められることってなかなかないんだよね」
『……』
「一生懸命練習はしてるんだけど、なかなか上達しなくって。最近はあまり歌う機会もなくって……」
『そう、アンタもそうなのね……』
「でも、私は歌が好き」
『えっ?』
「だって歌えば笑顔になるんだもん!本当は、ユキちゃんも歌が好きなんだよね?」
『べつに、私は……』
68 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 12:26:04.80 ID:vxATPOLO0
分かるよ、本当はユキちゃんも歌は好きなんだ。
だけど、みんなにヘタクソだって言われ続けちゃったんだよね?だから、キライなフリをし続けてるんだ。
「だったら、私とレッツシンギ〜ング♪一緒に歌えば楽しさ100倍〜♪」
『はあ?』
電話の向こうから呆れたような声が聞こえた。
「えへへ♪一緒に歌えば楽しいから、すぐに歌も好きになるよ!」
『嫌よ』
「ええっ!?」
ズコーって机に突っ伏しそうになった。今のは一緒に歌う流れじゃないの!?
69 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 12:26:35.06 ID:vxATPOLO0
「歌ってくれないの!?」
『ゴメン、やっぱりまだ歌は嫌い』
「ええ〜そんなあ〜」
『けど……』
「ん?けど?」
『……ちょっとだけ、あんたの話を聞いてたら私もまた歌が好きって言えるようになれる気がしたわ。だから、その時に―』
「……!うん!約束だよ!一緒に歌おうね!」
ユキちゃんと交わした約束。いつか叶えられるといいな。
70 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 12:27:54.24 ID:vxATPOLO0
「あっ、そうだ。指切りしようよ」
『は?指切り?どうやってするのよ』
「えっとね、右手は甲を上にして、左手は手のひらを上にして、そうすると小指同士を重ねられるでしょ?
『なるほど、こうね』
「小さいときに近所にいたお姉ちゃんが教えてくれたんだ〜お姉ちゃんが引っ越してお別れするときに、これで離れてても約束できるねって」
『……わかったわ。約束ね』
「うん!いつか、一緒に!」
71 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 12:29:15.40 ID:vxATPOLO0
〜〜♪〜〜♪〜〜
あれ以降、ユキちゃんとの距離は少しだけ縮まった気がする。今までは私が一方的にかけるだけだったけど、ユキちゃんの方からかけてきてくれることもある。
「いいよユキちゃん。よーし、それじゃあ私も―ラ〜ララ〜♪」
『ちょっと、音程ズレてるじゃない』
「はれ?」
ユキちゃんとのヒミツの特訓も少しずつ結果が出てきていた。ときどき、とても楽しそうに口ずさむから、少しずつ自信を取り戻してきているんだと思う。
私も、あの日以来調子が良い。レッスンでも歌の先生に褒められる回数がちょっとだけ増えた気がする。
72 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 12:30:12.86 ID:vxATPOLO0
* * *
今日も学校が終わっていつものとおり劇場へ。レッスンまではまだ時間があるから、時間を潰そうと劇場へ。そういえば、学校の宿題もやらないと。
「あっ可奈!」
控え室には未来ちゃんが先にいた。
テレビを見ているようだった。
「未来ちゃん、何見てるの?」
「この前私がでたクイズ番組だよ」
テレビのなかでは未来ちゃんと芸人さんのトークが繰り広げられていた。
「あ、私も見たよ!すっごくおもしろかった!」
73 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 12:30:38.89 ID:vxATPOLO0
画面には未来ちゃんの回答に芸人さんと、一緒に出演していた静香ちゃんがツッコミを入れているところが映っていた。
『ぶぶー未来ちゃん不正解!』
『もう未来!だから一文字下げるって言ったじゃない!』
「あはは。静香ちゃんに怒られてる」
「う〜。でもさ、テレビで聞く自分残って自分の声じゃないみたいだよね」
「あ、わかる〜。ちょっと違うんだよね〜」
そういえば、この前理科の授業で先生がその理由を言ってたような……あれ、なんて言ってたんだっけ。
そういえばテストに出すって言ってたような……。
74 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 12:31:15.78 ID:vxATPOLO0
「あわわわわ……」
「?どうしたの、可奈?」
「また赤点取っちゃうー!」
「赤点……?あ、私も次赤点取ったらヤバいんだった!」
未来ちゃんも自分のテストのことを思い出したみたいだ。
二人でどうしようどうしようって慌てふためく。
75 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 12:31:41.61 ID:vxATPOLO0
「おーい。可奈いるか?」
未来ちゃんとあわあわしてると、控え室にプロデューサーさんがやってきた。
「はい。なんですか、プロデューサーさん?」
「おお、いたいた。レッスンまでまだ時間あるよな。ちょっといいか?話がある」
プロデューサーさんの親指は廊下を指していた。何かあるのかな?
私はプロデューサーさんの後について廊下に出た。
76 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 12:32:08.61 ID:vxATPOLO0
「それで、話しって何ですか?」
「そうそう、可奈に朗報だ」
そう言って、プロデューサーさんは冊子を私に渡してきた。
「次の公演の企画書だ。可奈をセンターにしようと思ってな」
「ほ、本当ですか!?」
「ああ。最近ボイスレッスン頑張ってるみたいだしな。この前言ったこと、覚えてるか?」
77 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 12:32:42.47 ID:vxATPOLO0
なんだっけ?今は我慢の時って言ってたやつかな。
「私が歌のお仕事をしたいって言った時のことですか?」
「ああ。公演には関係者の方にも来ていただける予定だから、可奈の歌が評価してもらえるかもしれないな」
「うわあ!私!いっぱい張ります」
「いい心構えだ。それじゃあまずはレッスンだな!」
「はい!頑張るぞ〜♪目指すはスタ〜♪お〜♪」
78 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 12:34:58.85 ID:vxATPOLO0
〜〜♪〜〜♪〜〜
「それでね、今度の公演でセンターやるんだ!」
『へえ、すごいじゃない』
今日も私はユキちゃんと電話していた。
私も、ユキちゃんも、前よりも別段上手になったわけじゃないけど、ユキちゃんは少しずつ自信をつけてくれているみたい。
ほぼ日課になっていた二人のヒミツの特訓も終わって後は適当に駄弁るだけ。
今日あったことを伝えると、ユキちゃんは素直に驚きの声を上げてくれた。
79 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 12:35:25.34 ID:vxATPOLO0
「センター、久しぶりなんだあ。それに、プロデューサーさんがカンケイシャの人がいっぱい来るから成功すれば歌のお仕事にも繋がるかもしれないって」
『へえ、じゃあ頑張らないといけないのね』
「うん!最近レッスンも調子いいし、このまま頑張るぞー!」
80 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 12:36:08.38 ID:vxATPOLO0
『私も……』
「ん?どうかしたの?」
『私も今度、合唱コンクールがあるのよ』
「へえ〜!あ、そうだ!私の学校も合唱コンクールあるんだよ。楽しみだね〜」
『まあ、毎年毎年憂鬱だったんだけど』
「あっ……」
そっか、歌うことが嫌いでも絶対に歌わないといけないもんね……。
81 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 12:36:35.55 ID:vxATPOLO0
『でも、なんだか。今年は楽しめそうな気がするの』
「えっ?」
『アンタと話してて、少し自分の気持ちに向き合えるようになってきたから。だから―』
「や、やったあー!」
『うっさい!耳元で叫ぶのやめなさいよ!』
「あっ。ご、ごめんね?でも、ユキちゃんが歌に前向きになってくれたのが嬉しくって」
『……まあ、そうね。アンタと話してて楽しかったのは事実だし』
「よーし!それじゃあ、お互いがんばろうね!」
私は公演。ユキちゃんは合唱コンクール。頑張る場所も世界もそれぞれ違うけど、お互いに頑張ることを誓った。
82 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 12:37:02.29 ID:vxATPOLO0
〜〜♪〜〜♪〜〜
「はあ……」
深いため息を一つついた。
ここ最近ずっと気分が沈んだままだ。大切な公演のレッスンの方も全然うまくいってない。
いつも以上に歌も歌えなくて、みんなから調子が悪いのかって心配もされちゃった。
なんでもないよ。とその場では笑ってごまかしたけど、心当たりはある。あれは―
83 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 12:38:17.54 ID:vxATPOLO0
* * *
「レッスンつかれた〜……♪体はクタクタ〜…♪でも成果は上々〜♪この調子で本番までがんばるぞー!ユキちゃん起きてるかな……」
その日も、家に帰るといつも通りユキちゃんに電話をかけていた。
「………あっ!もしもーし!ユキちゃん、あのね、今日―」
『……………』
「あれ?ユキちゃん?おーい」
『……もうかけてこないで』
「えっ……!」
突然すぎるユキちゃんの言葉に、私はただ驚くしかなかった。
84 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 12:38:53.36 ID:vxATPOLO0
「ど、どうしたの……?」
『やっぱり駄目だった』
「ちょ、ちょっと待って!…詳しく教えて?」
それは合唱コンクールの役割決めの時にあったみたい。
『今年はピアノの伴奏しないかって言われて……』
「えっ、ユキちゃんピアノも弾けるんだ。すごいね」
『弾ける子は他にもいるのよ、毎年弾いていた子が。今年もその子が弾くと思ってたし、私は私なりに歌うほうを頑張るつもりだった。けど……』
85 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 12:39:53.30 ID:vxATPOLO0
「けど……?」
『あなたは歌うよりも演奏の方が上手なんだから伴奏しない?って』
「あっ……」
あの日のお昼休みに、私が言われたことを思い出す。
『ねえ、前にアンタも歌よりも上手にできることがあるって言ってたわよね?』
「う、うん……でも、私は―!」
『アンタもそうなんでしょ?ほかに得意なことはたくさんあるのに、自分の好きなものはちっとも評価されなくて!なんでアンタは平気なのよ!』
「っ―!」
私はすごい思い違いをしていたのかもしれない。ユキちゃんも一緒だったんだ。下手だから嫌いなんじゃなくて、別の才能に押しつぶされそうになっていたから―
86 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 12:40:26.93 ID:vxATPOLO0
『……ごめんなさい。もう切るわ』
感情的になって我に返ったのか、淡々とユキちゃんは私に告げてきた。
「ちょ、ちょっと待って!ユキちゃん!ユキちゃ―」
そして、私の言葉を待つこともなくブツッと通話は終わった。
87 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 16:29:01.31 ID:vxATPOLO0
* * *
あれから、ずっと気分は沈んだままだ。
あれ以来、ユキちゃんとは話をしていない。毎日いつもの時間に電話はかけているけど、ユキちゃんが出てくれないから。ユキちゃんに謝ることも、励ますこともできないまま。
『アンタもそうなんでしょ?ほかに得意なことはたくさんあるのに、自分の好きなものはちっとも評価されなくて!なんでアンタは平気なのよ!』
あの時、ユキちゃんに言われた言葉がずっと私の心に突き刺さっている。思えばユキちゃんの言ってることはそのまま私にも当てはまってたんだ。じゃあ、なんで私は歌うんだろう。そのことを考えすぎて、この前のこともあってレッスンにも身が入らない。もうすぐ本番なのに、どうしよう……
88 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 16:29:58.97 ID:vxATPOLO0
沈んだ気持ちを少しでも紛らわそうと、私は屋上に来た。屋上で声を出して歌えば、少しはすっきりするかな。だけど、こんな気持ちじゃメロディも浮かび上がってこないよね……。
屋上へと続く階段を上って、少し重い扉を開けるとブワッと冷たい秋風が吹きこんだ。うぅ、やっぱりこの季節は冷えるなあ……。
あれ?誰かいる。私よりも先に屋上に来ている人がいた。プロデューサーさんだ。
「…………」
プロデューサーさんはフェンスに肘を置いて、タバコを吸っていた。プロデューサーさん、タバコ吸うんだ。初めて見たなあ。
89 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 16:30:25.58 ID:vxATPOLO0
『―政大学10位!今年もなんとか箱根路への切符を手にしました!』
そして、プロデューサーさんの足元にはラジオが置いていた。私にはまだ気づいてないみたいだ。
「プロデューサーさん、何してるんですか?」
「うおっ。……なんだ、可奈か」
こっちを向いたプロデューサーさんはそう言うと、ポトッと吸っていたタバコを地面に落として靴の裏でグリグリと踏みつぶした。
「プロデューサーさん、タバコ吸うんですね」
「学生時代にちょっと、な。結構前にやめたしアイドルの前で吸うのもって思ってたからもう随分吸ってなかったんだが、今日くらいはな」
プロデューサーさんは足元に置いてあるラジオに目線を移して、ばつが悪そうに、ゴツゴツとした指で無精ひげをポリポリと掻いた。
90 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 16:34:57.42 ID:vxATPOLO0
「どうしてやめちゃったんですか?」
「そりゃあ、ここに悪いからな」
そう言ってプロデューサーさんは自分の胸をトントン、と叩いておどけてみせた。タバコを吸ってるプロデューサーさんはちょっとかっこよかった。志保ちゃんは喜ぶんじゃないかな。あっ、でも静香ちゃんは怒りそう。
「可奈はどうしたんだ?」
「私はちょっと外の空気を吸いに……」
「そうか」
そう言うと、プロデューサーさんは手すりのほうに向き直り、私もプロデューサーさんの横に移っていっしょに並んで屋上からの景色を眺めた。だけど、どんよりとした雲が広がる景色は私の気分がもっと沈むだけだった。
91 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 16:35:29.51 ID:vxATPOLO0
「……」
「……」
『―それでは、次はお正月にお会いしましょう!』
私とプロデューサーさんの無言が続く中、プロデューサーさんの足元にあるラジオの音だけが屋上に響く。
「……公演の準備、上手くいってないみたいだな」
「……はい」
私が落ち込んでいる様子に気づいたのか、先に口を開いたのはプロデューサーさんだった。
「レッスンに身が入ってないみたいだって聞いたが、何か悩みでもあるのか?」
「……大好きなことが―」
そこで一呼吸おいて、俯きながら言った
92 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 16:35:55.32 ID:vxATPOLO0
「大好きなことが、どれだけがんばっても一番好きなことが、評価されないときってどうすればいいんですか……」
プロデューサーさんはしばらく何も言わなかった。俯いていた顏を上げると、私の奥底を見ているようなプロデューサーさんの目があった。
「私と同じくらい、とっても歌が好きな子がいるんです。けど、その子は歌以外のことに注目されっぱなしで大好きな歌はだれも見てくれないって言ってたんです」
「それで、自分に重ね合わせたってわけか」
「はい……」
私は弱くうなずいた。
93 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 16:36:22.57 ID:vxATPOLO0
で今度の公演がチャンスだってプロデューサーさんに言われたときから、次のライブは絶対に成功させるぞってずっと思ってたんです。けど、それでも評価されなかったらって、上手く歌えなかったら、って思うと……それに、その子に言われちゃったんです。どんなに頑張っても上達しないのに、誰も褒めてくれないのに、もう嫌だって」
「可奈」
プロデューサーさんが私の名前を呼ぶ。顔を上げると、プロデューサーさんの穏やかな顔があった。
そして、やれやれと言うように手のひらを上にして、少しおどけた感じで、プロデューサーさんは言った。
「ちょっと昔話、付き合ってくれるか?」
94 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 16:37:02.07 ID:vxATPOLO0
〜〜♪〜〜♪〜〜
「あるところに陸上選手がいた」
プロデューサーさんは淡々と話し始めた。
「ああ、陸上選手って一口に言っても色々いるからな。そうだな、そいつは長距離走が専門だ」
私はただ黙って、プロデューサーさんの話の続きを待った。
「そいつは走るのが大好きだったんだけどな、決して速くはなかった。というのもそいつが生まれ持ってきたものが邪魔するんだ」
95 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 16:37:42.45 ID:vxATPOLO0
「び、病気とか。ですか?」
「ああ、違う違う。そんなに重たい話じゃないぞ。ただそいつは骨が太くて脂肪がつきやすい体質だっただけだ。長距離選手ってのは余分な脂肪は徹底的に削ぎ落さないといけないからな。駅伝やマラソンは見たことあるか?あいつらみんな細いだろ?」
どうなんだろう、お正月くらいに走ってるところをテレビで時々見るくらいだからよくわかんないや。
「もちろん、そこらへんの男よりは速く走れたんだ。でも、決して上位を狙えたりするレベルではない。数字やタイムで競う以上、必ず体の適正はある。だからそれはしょうがないんだ。それでもそいつは一生懸命努力した。目標を立てて、毎日バカみたいに走りこんだ。少しでもタイムが伸びれば喜んだし、なにより走るのが好きだったんだ。風を切って走るあの感覚が」
プロデューサーさんはどこか懐かし気に話していた。
96 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 16:38:24.60 ID:vxATPOLO0
「それで、確か高二の夏だったかな、顧問に言われたんだよ。長距離は諦めて投てきに移ったらどうだって。それでその年の新人戦は投てき種目で出させられた」
「どうなったんですか……?」
「驚くなよ?県大会3位だ」
「す、すごいじゃないですか!」
97 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 16:38:50.36 ID:vxATPOLO0
「だろ?もちろんそいつ自身も驚いた。地区大会すら勝てなかったやつがいきなり県3位だぞ?当然、周りの連中も驚いた。それで口々に言うんだ。これなら来年のインターハイも目じゃない。下手したら入賞できるってさ。それで残り一年は投てきに専念した」
そこでプロデューサーさんは一呼吸置くと―
「だからそいつはキッパリとやめた」
「えっ!」
98 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 16:39:24.92 ID:vxATPOLO0
一転して顔つきが険しくなった。
「ただ、走りたかったんだ。走って上を目指したかった。でも、才能がなかった。そいつは走りでは認められなかった。上を目指すことが無理だとはっきりわかった。だから高校でキッパリと辞めた」
手すりに背中を預けて、空をあおぎながらプロデューサーさんはさらに続ける。
「ああ、顧問の先生は悪くない。ちゃんと見てたから言えることだし、なにより結果が出たがその証拠だ。ただ、そこで気持ちが切れた。走ることに情熱を見出せなくなった」
同じだ。
あの電話の向こうにいた、もう絶対に歌わないって言ったユキちゃんと。上手になろうと一生懸命頑張って、だけど全然評価されないユキちゃんと私と。だけど私は―
すっきりしたような、だけど後悔もにじませるような。空仰いだままのプロデューサーさんが、今何を考えているのか、私にはわからなかった。
99 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 17:00:31.17 ID:vxATPOLO0
「確かに、全然上手にならないし、なかなか認めてもらえないですけど……でも、私は歌が好きです!今はヘタクソでも、デタラメでも、好きなものは好きですし、いつかもっと上手になってみせます!」
「……なんだ、もう答え分かってるじゃねえか」
「えっ?」
プロデューサーさんはポンッと私の頭にゴツゴツした手を置いて、ぐしゃぐしゃと乱暴に撫でた。
険しい顔つきをふっと緩ませて、やっぱり懐かしそうにプロデューサーさんは話を続ける。
100 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 17:00:58.12 ID:vxATPOLO0
「そうだな、そいつも知らなかったんだよ。タイムだけが全てじゃない、遅くても走り続ければいい、ただ風をきって進むあの感覚を求め続ければいいってことをな。世の中にはただ走るのが好きな、そういう連中だっていっぱいいる。走るのが好きならそれでよかったんだ。可奈にとっての歌だって同じことだろ?」
プロデューサーさんん口ぶりは、私に向かってっているようで、まるで自分に言い聞かせているような、そんな気がした。
「だいたいだな。可奈の歌に魅力がなかったら。今頃アイドルやれてるわけないだろ?」
「えっ?」
「おいおい、オーディションで何人見てきたと思ってるんだ。魅力がないのに合格させるわけないだろ」
そういってプロデューサーさんはおどけてみせた。
101 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 17:02:22.52 ID:vxATPOLO0
「可奈の歌には人を元気にさせる力がある。俺はそう思ってるよ」
「人を、元気にする力……」
本当に、私の歌にそんな力があるのかな。
もしあるなら、ユキちゃんを元気にしてあげることも―。
102 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 17:02:49.71 ID:vxATPOLO0
「……あれ?」
突然ポケットの中で、例の携帯が震えだした。もしかして、ユキちゃん?
慌ててポケットの中の携帯を取り出す。でも、何をはなそうか。この前のこと?それともこれからのこと?
頭の中はまだ整理できていなかったけど、急いで携帯のロックを解除する。
「えっ?うわあっ!」
ロックを解除すると、暗い所でゲーム機の電源を入れたときみたいな、激しい光がいきなり画面からあふれ出した。あまりの眩しさに、一瞬で目の前が真っ白になって、私は思わず目を閉じた。
眩しさで頭がくらくらする。あ、なんだか意識が―。
103 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 17:03:41.13 ID:vxATPOLO0
* * *
(……ここは?)
パチッと私は目を覚ました。
さっきまで屋上にいたはずなのに、ここは学校の校舎なのかな。見覚えのあるような廊下の真ん中に立っていた。
なぜか周りにいる人たちの体は真っ黒だった。
「―さん、また入選だって」
「また?ほんと、なんでもできるわね」
喧騒につつまれているはずの廊下で、なぜかその会話だけははっきりと聞こえた。
104 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 17:04:07.44 ID:vxATPOLO0
「おめでとう。今回もトップだ」
(今度は教室……)
気が付くと今度は教室の中にいた。やっぱりみんな影みたいに体中真っ黒だった。
誰かが先生に褒められている。多分制服的には女の子。女の子は一言「ありがとうございます」と言って満点の答案用紙をもらうとそそくさと自分の机に戻っていった。というかこの声って―。
105 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 17:04:39.60 ID:vxATPOLO0
「―さん!ウチの部活に入らない?」
「―お願い!今度助っ人できてほしいの!」
また廊下だ。
向こうからさっきの女の子が歩いてくる。その周りには人だかりが、できていて熱心にその子のことを勧誘してる。表情はわからないけど、みんな断ってるんだと思う。
106 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 17:05:11.02 ID:vxATPOLO0
(わわっ!)
そのまま私の前まできたから少し驚いてしまった。あっちは私に気付いてないみたいで、ぶつかる!って思ったけどそのまますり抜けていってしまった。ここにきて私はようやくこれは夢か何かだと気づいた。
通り抜けていったあの子の後を追う。後を追っていくと、その子はある部室の前で立ち止まった。
中に入りたいのかな。でも、しばらくしてその子は教室の前から立ち去ってしまった。教室の入り口には「合唱部」という看板が立っていた。
107 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 17:05:53.51 ID:vxATPOLO0
そのあともいろんな場面が切り替わった。
お友達からすごいすごいって言われているところ。
一人でひっそり歌っているところ。
何かの賞状をもって写真を撮られているところ
合唱部の部室に入ろうとしてやっぱりやめたところ。
また部活に勧誘されているところ。
誰かの前で歌っているところ。
でも、あまりいい顔をされていないところ………
108 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 17:06:28.70 ID:vxATPOLO0
「どうして!」
聞こえてきたのは悲痛な叫び声。
次に移ったのは家の部屋の中だった。そしてあの子もいる。じゃあ、ここが―
「ヘタクソなのはわかってるわよ!ヘタクソでも好きでいいじゃない!」
誰もいない部屋で一人、心の中の鬱憤を吐き出すように叫んでいる。
「こうなるんだったら、こんな才能なんて全部いらなかった……」
そして、すすり泣く声。
「ユキちゃん……」
私がぽつっと漏らすようにいった言葉はあの子―この部屋の主、ユキちゃんには当然届かない。
今わかった。これはユキちゃんの記憶なんだ。
そっか、やっぱりユキちゃんも歌が大好きだったんだね。でも、これは……
109 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 17:06:54.59 ID:vxATPOLO0
『可奈の歌には人を元気にする力がある、俺はそう思ってるよ』
さっきプロデューサーさんに言われた言葉がふと頭に思い浮かんだ。
本当に私にそんな力があるなら―
「……怖がらないでいいんだよ」
「―!!」
ユキちゃんの手をとる。表情はわからないけど、ユキちゃんははっと顔を上げた、気がする。
「私が、一緒に歌ってあげる!待っててね!絶対にユキちゃんを元気にするから……きゃあ!」
その瞬間部屋一面がまぶしい光に包まれた。そして、また私の意識がうっすらとしていく
「――」
「えっ―」
薄れていく意識の中で一瞬影みたいに真っ黒だったユキちゃんの顔が見えた気がした。でも、あれって―。
110 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 17:07:20.74 ID:vxATPOLO0
* * *
「―な!かな!」
「……っは!プロデューサーさん!」
目を開けると、私の肩に手をかけて心配そうに見つめるプロデューサーさんがいた。
「どうした?いきなりぼーっとして」
どうやらユキちゃんの記憶を見ているあいだ、私の意識が飛んでいたらしい。私が反応を示したことにプロデューサーさんは安心した表情を浮かべた。
111 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 17:07:46.85 ID:vxATPOLO0
今のは何だったんだろう。手の中にある携帯はいつも通りの画面を表示している。
でも、やることはわかった。
待っててね、ユキちゃん。
まだ、一緒に歌うっていう約束、果たせてないんだよ。
「あの、プロデューサーさん。お願いがあるんですけど……」
112 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 17:08:13.88 ID:vxATPOLO0
今夜で終わる予定です
113 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 22:59:40.03 ID:vxATPOLO0
〜〜♪〜〜♪〜〜
『―ただいま、留守にしています』
本番直前、私は何度も電話をかけ続ける。他のみんなは先に舞台袖に行っている。何度かけても相手は出てくれないけど、それでも諦めずにかけ続けた。
でも、そろそろ本番が始まっちゃう……お願い、早くでて……!
『―……なによ』
114 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 23:00:31.02 ID:vxATPOLO0
「あっ!よかったー!やっと出てくれた!」
『うっさい。耳元で大声出すな』
両手で数えきれないくらいかけなおすと、やっと電話の向こうからいつもよりさらに不機嫌そうな声が聞こえた。
「……あのね、今日私のライブなんだ」
『……だからなに?話はそれだけ?じゃあ切るわよ』
「待って!」
115 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 23:01:14.88 ID:vxATPOLO0
電話を切ろうとするユキちゃんに慌てて待ったをかける。
『……なによ』
「私も、まだ歌は全然ヘタッピかもしれない。小鳥さんはどこかに行っちゃうし、カタツムリさんは殻に閉じこもっちゃうし。歌よりもっと上手にできるものもいっぱいあるかもしれない……でもね―」
そこで私は一拍おいて深呼吸する。
「でもね、やっぱり私は歌が好き。歌うことが一番大好き!」
『……それがどうしたのよ。私には関係な―』
「だから!……ユキちゃんにも諦めてほしくない!嘘までついて嫌いなんて言ってほしくない!だから今日のライブ、ユキちゃんも見ていて!私の歌、絶対にユキちゃんの心に届けて見せるから!」
『は?どういう―』
116 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 23:01:49.31 ID:vxATPOLO0
「おーい!可奈、そろそろ時間だぞ!」
その時、ちょうどプロデューサーさんが私のことを呼びに控室に入ってきた。
「プロデューサーさん!これ、お願いします!」
「は?ちょっ!?なんだあ?おい可奈!」
そう言って私はプロデューサーさんに携帯を預けて、控室を飛び出した。
見ててねユキちゃん。絶対に届けて見せるから……!
117 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 23:04:44.44 ID:vxATPOLO0
〜〜♪〜〜♪〜〜
「まったく、なんなんだ。可奈のやつ」
ステージへと駆けて行った可奈から押し付けられた携帯をプロデューサーはまじまじと見つめる。
それにしても可奈の携帯ってこんなに無骨だったか、確かキーホルダーかなにかがつけられていたような……。以前志保と買い物に行ったときに買ったものだと嬉しそうに教えてくれたはずなのだが。
118 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 23:05:11.40 ID:vxATPOLO0
『―まったく、なんなのよいきなり……』
ふといきなり声がした。女性の声だ。プロデューサーは驚いてあたりを見回すが、声の主は見当たらない。当然だ、ここは控室。可奈が飛び出していった今、ここには自分しかいない。どうやらその声は自分の手の中かからしたようだ。
「ん?この携帯か?可奈のやつ、本番直前に誰と電話してたんだ?」
どうやら声の出どころは自分の握っているこの携帯だとあたりをつけたプロデューサー。そのまま携帯を耳にあてる。
119 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 23:06:00.37 ID:vxATPOLO0
「もしもし。どちらさまで?」
『……誰よアンタ?』
「その声……可奈か?」
よく聞くとその声は聞き覚えのある人物だった。しかし、その声の主はたった今、控室から飛び出していったはずだ。第一口調が違う。
『……ええ、そうよ』
一拍おいて返ってきたのは肯定の言。おいおいマジかよ、とプロデューサーは心の中で呟いた。
120 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 23:06:26.65 ID:vxATPOLO0
「えーっと……可奈、でいいんだよな?」
『だからそう言ってるじゃない。私の名前は矢吹可奈。アンタたちとは多分別の世界の、同一人物よ』
「並行世界の可奈ってことか?なんか不思議な気分だなあ、声は同じなんだが、性格がまるで違う」
『ちょっと、どういう意味よ!』
電話越しに怒鳴られてプロデューサーは思わず、携帯を耳から外した。
なんだか水桜みたいだなあ。志保の指導のおかげとは言ってたが、魔法学園といい、アイツにこういう役やらせるとなぜかハマるんだよな。その理由をプロデューサーはなんとなくわかった気がした。
121 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 23:07:07.83 ID:vxATPOLO0
『まったく、なんでアイツはいつまでたっても気づかないのかしら』
「アイツ?ああ、こっちの可奈のことか?まあ、自分の声ってわからないもんだろ?」
『……アンタは驚かないのね』
「いや、十分驚いてるさ」
正直、事態はまったく呑み込めていなかったが、とにかく今電話で話しているのは、現在ステージの上に立つ可奈とは別の、自分たちとは別の世界で生きている矢吹可奈であるとプロデューサーは無理やり理解した。どういう理屈でそうなっているのかはわからないが、事実として自分はその相手と話しているのだから。なにより、この劇場で働いていると、劇場の魂とやらの相手もしなければいけないのだ。こんなことで驚いていてもしょうがない。
122 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 23:08:15.02 ID:vxATPOLO0
「まあどういうわけかはわからないが、なんかあってこっちの可奈とつながってたんだろ?」
『……見せたいものがあるって』
「ん?」
『アイツ、見せたいものがあるって電話かけてきて、そこで見ててねって行ったきりどっか行っちゃったのよ』
なるほど、俺にこの携帯を押し付けてきたのはそういうことか。それに、こちらの可奈よりはかなりキツイ性格をしているみたいだけど、根っこの部分はやっぱりな可奈だな。
123 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 23:09:52.02 ID:vxATPOLO0
「そういや。この携帯、ビデオ通話ってできるのか?」
『は?』
携帯を操作しながらプロデューサーは続ける。あったあった。別の世界につながるという、わけのわからない機能がついている割には、そのほかの機能はどこにでもある携帯と同じようだ。
「事情はよくわかんねえが、見てくれって言われたんだろ?可奈のステージ」
プロデューサーも可奈の後を追い、控室の外に出る。もうそろそろライブが始まるのだから、自分もいつもの持ち場につかなければいけない。そして、可奈からのお願いだ。かなえてあげないわけにはいかない。
「さすがに客席ってわけにはいかないけどな。特等席へのご案内だ」
124 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 23:10:54.31 ID:vxATPOLO0
〜〜♪〜〜♪〜〜
『みなさんー!楽しんでますかー?』
未来がそう言うと、わああと歓声が客席にこだまする。ライブの序盤戦が終わり、MCパートに入った。
プロデューサーは、いつも通り舞台袖から可奈たちを見守る。
ただ、今日はいつもと違い胸のあたりに携帯を横向きに掲げている。
「どうだ?見えるか?」
ビデオ通話にしている関係上、必然的に通話の相手の顔が見えるのだが、やはりというか、画面越しの彼女は現在元気にMCを回している彼女と瓜二つだった。
125 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 23:20:31.61 ID:vxATPOLO0
『…………』
「どうだ?いいだろ、うちのアイドルたちは」
彼女―こっちの可奈にはユキと名乗っていたらしい―は食い入るように画面を見ているせいか、こちらの問いかけには反応しなかった。
「先輩たちにも負けちゃいないさ」
ステージ上の彼女たちに何もできないもどかしさと、特等席から彼女たちの雄姿を見ることのできる優越感を感じるこの時間が彼は好きだった。
126 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 23:21:03.64 ID:vxATPOLO0
『それじゃあ、ここからは今日の主役の可奈にバトンタッチしまーす!』
『み、みなさん!こんにちは!今日は私のセンター公演に来てくれて、ありがとうございます!』
未来からマイクを渡された可奈にMCが移る。可奈の挨拶にふたたび客席がわあと沸いた。
『突然ですけど、みなさんには好きなものはありますか……?』
可奈が話し出すと同時に歓声が鎮まった。
127 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 23:21:39.93 ID:vxATPOLO0
『私にはあります。でも、好きなものと得意なものって一緒じゃないんですよね……』
『例えどれほど好きでも、どれだけ練習しても、なかなか上手くいかなくて。でも、違うものはあっさりできてしまったり。周りからもそっちしか認めてもらえなかったり……』
可奈の台詞を観客は誰もがじっと黙って聞いていた。
128 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 23:27:28.78 ID:vxATPOLO0
『私だけじゃないと思います。この会場にも、日本中にも、そういう人はいっぱいいると思います!』
『そういえば可奈って結構なんでもできるよね〜』
『えへへ〜、ありがとう。でも、得意なことがいくつあっても、やっぱり私の一番は歌だなあ。いろんなことができて、それでいっぱい褒められるのもとっても嬉しいけど、やっぱり歌うことが一番大好き。今日は、そんな思いをこめて歌いたいと思います!』
そこで可奈はすうっと一拍置き、このパート最後の台詞を口にした。
『それじゃあ、聞いてください!―オリジナル声になって』
129 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 23:27:55.00 ID:vxATPOLO0
〜〜♪〜〜♪〜〜
『―歌が大好き♪』
可奈が歌い終わると、歓声の代わりに拍手が鳴り響いた。
「……いい歌だろ?」
『…………』
プロデューサーは電話の向こうの相手に問いかける。拍手はまだ鳴りやまない。
130 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 23:28:28.86 ID:vxATPOLO0
「今日はいつも以上に感情がこもってたな。いいパフォーマンスだ」
プロデューサーは独り言のように感想を呟く。
『……やっぱり、私は歌が好きです』
拍手が鳴りやむのを待ち、可奈はMCを続ける。
『まだまだヘタッピでも、だれかに向いてないって言われても、私は歌うことが好きです!』
『でも、そんな一歩を踏み出せない人もいると思います。怖くて前に進めない人だってきっといます。だから、私の歌がそんな人たちが一歩を踏み出す勇気になれるよう、次の曲を歌います!』、
おおっ!?というどよめきが客席から聞こえた。
131 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 23:28:55.11 ID:vxATPOLO0
「本当は一曲だけだったんだけど、本人経っての要望でな。2曲続けて歌うことにしたんだ、」
プロデューサーは胸の前で構えた携帯に向かって呟く。
「これが可奈なりの、顔も知らない、どこかの誰かへのメッセージだ。しっかり受け取ってくれよ」
『もう一曲続けて、聴いてください!―』
132 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 23:29:51.99 ID:vxATPOLO0
〜〜♪〜〜♪〜〜
『〜〜♪』
しっとりとした一曲目とは打って変わって明るく軽やかな二曲目。それでいて可奈らしさが伝わってるくる歌詞。電話越しに聞こえてくる可奈の歌声に、向こうの世界の可奈は聞き入ってしまっていた。
「楽しそうに歌うだろ?」
また、プロデューサーが電話越しに声をかけてくる。
ステージで歌う可奈は、心の底から楽しそうで、心の中のモヤモヤや恐怖もすべて吹き飛ばしてくれそうだった。
こっちの自分はなんて楽しそうに歌うんだろう。
私も、あんなふうに歌えていたら―。
画面越しに、向こうの世界の可奈はそんなことを思い始めた。
133 :
◆OtiAGlay2E
[sage]:2021/07/01(木) 23:30:18.00 ID:vxATPOLO0
そして、歌も終盤に差し掛かるころ、可奈がいきなり舞台袖の方を向いた。
『―――約束だよ!』
右手は甲、左手は手のひらを上に向けてお互いの小指を結びながら。
「あいつ……だから舞台袖向くのはやめろって……」
プロデューサーはそう言って苦笑する。観客席の方を向いてやれ。これは後でお説教だな。という考えが頭をよぎったが、ああとひとり合点のいった様子で胸の前に構えた携帯に目線を落とした。
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