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千川ちひろ「竹芝物語」
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251 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 17:42:05.01 ID:64qMODCb0
「菜々さん……」
「……! す、すみません、うっ、く……歳を重ねると、涙腺が弱くなって……!」
感極まり、瞳からポロポロと流れる涙を一生懸命拭きながら、菜々さんは続けます。
「お別れするのは、辛いです……。
それを知りながら、一緒の時を過ごすのは辛いことだって事も、分かっています。
でも、それでも……ナナは、プロデューサーさんに最後までプロデュースを続けてほしいって!
そう願うのはワガママですか!?」
菜々さんがプロデューサーさんを求めるのは、初めて出会った担当プロデューサーを逃したくない身勝手ではありませんでした。
彼女もまた、別れを認めていて――それでも、彼との思い出を少しでも美しいものにしたいという願いからくる涙でした。
「いい加減、目を覚ましなよ」
美嘉ちゃんが、プロデューサーさんの前に歩み寄ります。
とっくに涙は出し尽くしたので、これからはもう泣かないと、彼女は言っていました。
「アタシも、覚めたからさ……美希ちゃん達のおかげで」
「美嘉……」
「深入りしたくないっていうアンタの気持ち、ちょっとだけ分かったよ。
でもさ」
かぶりを振り、人差し指をプロデューサーさんの胸にトンと置いて、美嘉ちゃんは彼を見上げました。
「深く関わり合おうともしないで、どうやって担当アイドルのこと理解しようっていうの?」
「……!」
252 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 17:47:15.17 ID:64qMODCb0
「傷つかずにトップを目指そうなんて、都合の良いこと考えちゃいないよ。
ていうか、お互いに苦しいから、支え合うんだって、そういうモンなんじゃないの? アタシ達はさ」
クルッと、美嘉ちゃんはすっかり彼女の隣を占領している美希ちゃんの方を振り向きました。
「ねっ、美希ちゃん?」
「んー、ミキはミカじゃないから、よくわかんないけど、ミカが言うならそうなの!」
「アハッ★ 何それ」
ぷっと吹き出し、美嘉ちゃんはプロデューサーさんにニカッと笑いかけました。
久々に見る、カリスマギャル会心のキメ顔です。
「こんな魅力的なアイドル、目の前にいてまさかほっとくなんて言わないよね?」
美嘉ちゃんはきっと、美希ちゃんに勇気をもらえたのだと思います。
心にもない言葉だったとはいえ、一度は三行半を突きつけた彼に、こうも明るく語りかけることは、彼女自身も相当な覚悟があったに違いありませんでした。
「美嘉……皆」
その覚悟を、プロデューサーさんは受け止めたのだと、顔を上げて皆を見渡す彼の表情を見て分かりました。
しぃんと静まり返り、皆がプロデューサーさんの言葉を待っています。
「765プロは……」
253 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 17:52:36.44 ID:64qMODCb0
「765プロは……小さくて、人と人との距離感が近い事務所だ。
俺が346プロに来たのは……上役の意向もあったが、俺の望みでもあったんだ。
それは、単にデカい会社に勤めて自分のキャリアに箔を付けたいっていう、前向きな野心なんかじゃない」
彼の声は、今まで聞いたどんな声よりも湿っぽくて、とても真に迫っていました。
これが、プロデューサーさんの本当の声――。
一切の飾り気も無い、ありのままの気持ちを聞き逃すまいと、皆が彼の言葉に静かに耳を傾けています。
「俺は海外での経験から、仕事上のパートナーとなる相手とは深い関係になるべきではないと心に誓った。
特に、短期的な、将来の別れが約束されている場合は、なおさらだ。
片や346プロは、きっとその辺りの統制や当事者間の意識も、よろしく出来ているんだろうと思った。
これだけ人材が多い会社だ。良い意味で希薄で、個人の意志が介入する余地無く、システマティックに仕事を処理する体制があるのだろうと」
そこまで言って、プロデューサーさんは言葉を切って俯き、拳を握りました。
無念さを滲ませる、とても険しく、苦しそうな表情――。
「でも……違った。
CPさんの、あんなに泥臭く仕事をして、アイドル一人一人と向き合う姿は、765プロにいた頃の俺と同じだった。
それは、ある種の勇気をもらえたと同時に、俺の過去を……海外での経験を経てたどり着いた俺の考えを、否定されるに等しかった。
その事実から目を背けようと、俺は……俺は、皆に辛く当たってしまった」
254 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 17:54:41.80 ID:64qMODCb0
肩を震わせながら、彼はアイドルの子達に頭を下げました。
「許してくれとは言わない。
だけど……もし、なおも俺のことを必要としてくれるなら。俺に償いをさせてもらえるのなら……。
もう一度、俺を信じてもらえるだろうか。皆の夢を、裏切らなくて良かったと、信じさせてもらえるだろうか?」
「バッカじゃないの?」
あまりに辛辣な言葉をぶつけたのは、水瀬伊織ちゃんでした。
皆が驚いたように、彼女の方を振り向きます。もちろん、プロデューサーさんも。
「深い関係になるべきではない、って……。
そんなの、あんたが私達と765プロで過ごした日々を、あんた自身が否定するようなものじゃない」
「うっ……!」
「そうそう。
それにさ、信じさせてもらえるか、じゃなくて」
美嘉ちゃんが同意のこもった呆れ気味のため息をつきながら、プロデューサーさんに握り拳を突き出します。
「一緒の夢、信じよう……でしょ?」
255 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 17:57:08.93 ID:64qMODCb0
「美嘉……」
「ほら、手。待ってんですけど」
退屈そうにしている美嘉ちゃんに、プロデューサーさんはバツが悪そうにフッと笑いました。
「もう時間もあまり無いんだから、ちゃんとついてきなよ?」
「……あぁ、そっちこそな」
二人が握り拳をお互いにトンッと突いたのを確認して、菊地真ちゃんは満足げに頷くと、一際大きな声で皆に呼びかけます。
「よぉーっし! 本番まで残りあと二週間!
ボクも死力を尽くしてジャンジャンバリバリ付き合うから、これから皆で張り切って行くよー!!」
「真、そんなうるさい声出さなくたって聞こえるわよ、もう」
「な、う、うるさいって何だよ! 皆で気合いを出そうとしたんじゃないか!」
「あーあ、他所の人が来ちゃうんじゃ、これからしばらくはあまり怠けらんないかー」
お腹をボリボリ掻きながら、つまんなそうにボヤく杏ちゃんに、伊織ちゃんが反応します。
「ふーん、あんたが双葉杏ね?」
「そうですけど」
256 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 18:00:04.66 ID:64qMODCb0
「律子から聞いてるわ。今回のメンバーで一番の曲者だって」
「杏ほど素直な人間はそういないと思うけどね。主に自分の欲望に」
「やれやれ……まっ、あんたみたいな問題児の扱いは、自慢じゃないけどこの伊織ちゃんも心得ているわ。
あんたの面倒は主に私が担当するから、覚悟しなさい」
鼻息を荒くして伊織ちゃんが指を差すと、杏ちゃんは「うへぇ」と面倒くさそうに口をへの字に曲げたのでした。
「ところで……俺達は一体、これから何をしようというんだ?
本番まであと二週間、とか真が言っていたけど……」
ふと、プロデューサーさんが思い出したように首を傾げたのを見て、すかさず私が彼の隣にズイッと歩み寄ります。
「うわっ、ち、ちひろさん?」
「ふふふ、それはですね」
彼が知らないのも無理はありません。まだ知らせていないのですから。
CPさんや秋月律子さん、竹芝のイベントホールさんとの間で相談して決めたことを、まだ。
人差し指をピンッと立て、含み笑いを浮かべます。
「765プロさんとのコラボ企画による、クリスマスライブへの出演です」
「クリスマスライブ、ですか? え、あと二週間で!? 会場は!?」
「楽には765プロへ帰してもらえないそうですよ、プロデューサーさん?」
そう言って、私はバッグをゴソゴソと漁り、プロデューサーさんへエナドリを一本差し出しました。
257 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 18:02:59.40 ID:64qMODCb0
そうなのです。
765プロさんとの協同企画により、急遽決まったのが今回のクリスマスライブ。
何せ、プロデューサーさんが765プロに帰るまでに開催しなくてはならないのですから、全てがもう大忙しです。
CPさんの企画であるウィンターフェス『シンデレラの舞踏会』は、時期的に年明けになってしまうため、これにねじ込むことは出来ません。
それに、今回ばかりは竹芝のイベントホールさんにも、さすがに難色を示されました。
困った時の、という便利屋扱いも失礼千万ですが、いかんせんクリスマスシーズンや年末は繁忙期であり、予約が既に一杯なのです。
「いくら346プロさんのお願いといえど、物理的にちょっとですね……」
「うーん……それはまぁ、そうですよねぇ……」
「それでしたら、765プロが押さえた枠を使ってください。
というより、765プロのライブに、346プロさんがサプライズゲストとして参加するのが良いのではないでしょうか?」
「えっ!?」
打合せに同席してくれた律子さんの提案に、私達は一瞬耳を疑いました。
曰く、765プロさんもちょうどその時期に竹芝のこのホールを押さえており、クリスマスライブを開催予定とのことなのです。
258 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 18:04:52.96 ID:64qMODCb0
で、ですが――!
「いや、それはさすがに悪いです!
346プロの問題に端を発するイベントなんですから、ウチで始末をつけないと私共の上司が知ったら何て言うか…!」
「あら? 水くさいですね。
ウチのプロデューサーの問題なんですから、ウチにも一肌脱がせてもらえないと、こっちも立場が無いんですけど?」
律子さんは、得意げにキラリと光る眼鏡を片指で上げました。
そう言われてしまうと、私やCPさんには、返す言葉がありません。
かくして、765プロのクリスマスライブに、美嘉ちゃん達が参加する事が決まったのです。
これに向けたレッスンを、765プロの子達と一緒に行う。
それは正しく、我が事務所のアイドル部門創立以来初めての、他社さんとの共同作業でした。
こんなに話が大きくなるとは――いえ、元はと言えば全て私が仕組んだことなのですが。
259 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 18:06:52.81 ID:64qMODCb0
「1、2、3、4、1、2、3、4、……!」
菊地真ちゃんが皆を鼓舞しながら、最前列でダイナミックなダンスを披露してみせます。
まるで全身にバネが付いているかのような、しなやかでキレのある動きです。
ですが、ウチのアイドル達も負けてはいません。
「にょ、わっ……! むむ……!」
「きらり、そのパートは焦らなくて大丈夫! 落ち着いて次をしっかり!」
「う、うんっ!」
「アーアーアーアーア〜〜♪」
「とてもよく出来ているわ、神崎さん。
もう少し、気持ち高めに音程を取った方が、会場の後ろの方の人達にも、通りよく聞こえると思う」
「おぉ、我が調べにさらなる魔力がっ!」
「うわぁぁ……千早ちゃんはやっぱり凄いですねぇ。あんなに若いのに……」
「歌は私も千早ちゃんに教えてもらったから、一緒に頑張ろう、菜々ちゃん。ねっ?」
「ひえぇ!? あ、アイドルアワードの春香ちゃんに励まされちゃったんじゃ、ほぁ、骨身を削らない訳にはっ!!」
「そ、そういうのは止めようってぇ!」
260 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 18:09:29.40 ID:64qMODCb0
たまにトレーニングルームを覗きに行くと、765プロのアイドルさん達がいつもいて、一緒にレッスンをしてくださっています。
本番当日は、自分達の出番もあるはずなのに、このような献身的な行いは本当にありがたいです。
「ちょっと! せっかくこの伊織ちゃんが付き合ってあげるっていうのに、何なのよその態度!」
「杏はもう今日の分の運動量は消費したから大丈夫だよ。飴いる?」
「いらないわよ! あーもう、亜美達以上に厄介ね、この子!」
「皆が働きすぎなだけなんだけどねー……ん、これ。果汁100%オレンジ味」
「だからいらな……へぇ、悪くないじゃない」
――あの子達は、違う方向性で良いお友達になれているようです。
そして、このレッスンにおいては、それまでと少し異なった光景が見られるようになりました。
「よっ! ……とっ、ふ……!」
「すごいすごい! やっぱりミカはカッコいいの!」
「へへッ、トーゼン★ ていうか美希ちゃんもすごいよ。何かスポーツやってたの?」
「んー……体育?」
「……あ、そう。そりゃすごいわ」
「皆、ちょっと給水を持って一旦こっちに集まってくれ」
パンパンと手を叩き、プロデューサーさんがホワイトボードの前に皆を招集します。
261 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 18:12:27.78 ID:64qMODCb0
「会場の見取り図なんだが……こっちの扉は当日閉鎖されて使えない。
だから、この下手側から暗転中にスタンバイして、終わったら上手側の舞台袖へ速やかに捌けた後、反響板の裏を回り込んでほしいんだ。
次の曲の事を考えると、ここの繋ぎはできる限りシームレスに行いたい」
ボードに書かれた図を指し示しながらプロデューサーさんが説明をしていると、菜々さんがハイッと手を上げました。
「ナナ達の前後の765プロさん達は、どこに捌けたり待機するんですか?」
「皆の出番の前には、小鳥さんの紹介アナウンスがあるから、前の子達はそこまで急いで捌ける必要は無い。
後に登場する子達については、皆がステージにいる間に同じ下手側の舞台袖へ移動できればいい」
その後、手を上げたのは伊織ちゃんでした。
「終わったらさっさと次に行くんじゃなくて、終わった後に346プロの子達の挨拶でも挟んだらどう?」
「えっ?」
「せっかくのゲスト枠なんだし、出番が終わって「はいさようなら」じゃ、扱いがぞんざいすぎるわよ」
伊織ちゃんの意見に、隣に座る真ちゃんがウンウンと頷きました。
「そ、そうか……そうだな」
「まぁ、あんたにとってはどっちも身内みたいなもんだし、あんまり気を回す事を考えられなかったのも分かるけど」
「プロデューサー」
今度は、美嘉ちゃんが手を上げました。
262 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 18:14:25.85 ID:64qMODCb0
「アタシは、皆と一緒に出たいな」
「皆って?」
「だから、ここにいる皆」
隣にいる美希ちゃんと頷き合い、美嘉ちゃんはニコリと笑いました。
「せっかく、って伊織ちゃんも言ってくれたけど……せっかく許してもらえるんなら、トコトン欲張りたいんだ」
「私も、賛成ですっ」
春香ちゃんが、勢いよくスクッと立ち上がりました。
「春香、発言の前に挙手」
「うっ! ご、ごめん伊織……でも、せっかく皆でやってきたんだよ。
ここにいる皆……ううん」
春香ちゃんは、首を振りました。
「ここに辿り着くまでに、皆が出会ったたくさんの人達との積み重ねがあって、今があるんだって思うの。
だから、その巡り合わせで、こうして集まれた奇跡、クリスマスライブでも大事にしていきたいなぁって思うんです!」
「アハッ☆ 何とも春香らしいの!」
美希ちゃんが合いの手を打つと、春香ちゃんは照れ臭そうに「えへへ」と頭を掻きました。
ともすれば気恥ずかしささえ伴うはずのその一連の言動に、皆が疑いなく信頼の目を向けている辺り、765プロ不動のセンターというのは伊達では無いのだと気づかされます。
263 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 18:17:06.91 ID:64qMODCb0
「皆の気持ちは分かった。もっともだと俺も思う」
頷くプロデューサーさんに、再度皆の視線が集まります。
「でも、やはり俺は、このステージは美嘉達5人で行うべきだと思うんだ。
曲の途中から、サプライズで他の皆が合流するのはアリだとしても……少なくとも開始時点では、5人であってほしい」
「どうして?」
「最初から765プロの皆と一緒に出演しては、ゲスト枠としての意義が掠れてしまうと思うんだ。
346プロの5人を目立たせる、5人を会場に認識させることは、儀礼的であろうとも行われるべきだと俺は思う」
「た、確かに……」
アッサリと引き下がってしまった春香ちゃんに優しく微笑みかけ、プロデューサーさんは続けます。
「それに、俺が見たい。
さっきはぞんざいな扱いを考えていながら、今度は私物化だと怒られるかも知れないが……せっかくだから、というヤツだ。
何よりも、この346プロで得たものの一つの集大成として、お前達のステージを、しっかりとこの目で」
264 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 18:18:27.63 ID:64qMODCb0
「我が友……」
蘭子ちゃんが感極まりそうな顔をしている横で、杏ちゃんが気だるそうに手を上げました。
「さっきからずーっと気になってんだけどさ」
「どうした、杏?」
「杏達、何かユニット名って無いの?」
「えっ!?」
「いや、「えっ」じゃないでしょ」
アイドルの子達が一斉に言葉を失ったことに、杏ちゃんは呆れた様子でため息をつきました。
「それについて、実は俺も、考えていたものがある」
再び、視線がプロデューサーさんに戻りました。
「だがこれは、俺も皆と一緒に考えたいんだ。
そうして悩んだ経験も、いずれ大切な思い出になると思うから……皆の意見も、遠慮無くぶつけてほしい」
「ふーん?」
伊織ちゃんが、意味ありげに鼻を鳴らしました。
265 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 18:22:34.92 ID:64qMODCb0
「な、何だよ伊織」
「さっきの「この目で見たい」発言といい、なーんか響きがいちいちイヤらしいのよね。変態」
「えっ!? な……!」
「それ、ナナもちょっと思ったかなーって」
「ナナ。プロデューサーがヘンタイさんなのは今に始まったことじゃないの」
「こ、こら美希! フォローになってないぞ!」
「そっ、そう言えば我が友、最初の頃は私にあぶない水着を着せようと……!」
「蘭子っ! 何でその話を今持ち出すんだ!?」
途端に、アイドルの子達の間でどよめきと失笑が広がっていきます。
「えぇぇっ、プロデューサー、またそんな事があったんですか!?」
「またとはなんだ!?」
「真ちゃん、誤解だにぃ! サブPちゃんは蘭子ちゃんのためを思ってちょーっとだけ思い切ったえち…!」
「やめろー!! そういう話はもうやめろー!!」
「まっ、細かい話はこの際大目に見てあげるから」
一通り騒がれたところで、美嘉ちゃんは話を切り、ニカッと悪戯っぽく笑ってみせます。
「もったいぶってないで、さっさと教えてよプロデューサー。
そのイケてるユニット名をさ★」
「あぁ、聞いて驚けよ」
プロデューサーさんも負けじと鼻を鳴らし、それに応えました。
266 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 18:24:28.33 ID:64qMODCb0
プロデューサーさんが、こうして能動的にアイドルの皆と関わり合いを持っている。
それは、プロデューサーの本分を考えれば、至極当たり前の事なのだと思います。
ですがそれは、今まで見られなかったこと――。
残された時がわずかとなった今、ようやく見ることが出来たこと。
「千川さん?」
ふと、声をかけられ、振り返ると、CPさんが立っていました。
「どうか、されましたか……?」
廊下から、窓越しにトレーニングルームの様子を見つめていた私が、不可思議に見えたようです。
無理もありません。
気づかないうちに、数十分近くボーッと廊下に立って、中を眺めていたのですから。
「! ……す、すみません、つい」
慌てて指で目尻を拭う私を見て、CPさんは色々と斟酌したようです。
それ以上は触れず、彼も私に倣い、中の様子を見つめました。
アイドル達に囲まれ、ワイワイと大騒ぎしながら語らい合うプロデューサーさんの姿を。
「良い、笑顔です」
「……はい」
きっと、これがあの人の本来の姿――私がずっと、見たかったものでした。
267 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 18:27:41.43 ID:64qMODCb0
「んもぅ!! サブチャン聞いて!
李衣菜チャン、またみくの目玉焼きに勝手に醤油かけたー!」
「それはちゃんと謝ったし、これからは気をつけるって言ったでしょ!
ていうか、ソースの方が邪道だよ! そんなの何だって全部ソース味になるじゃん!」
「醤油だって全部醤油味になるでしょ!
人のものに了解も取らないで勝手に手を加えることの方がよーっぽど邪道にゃ!」
「何さっ!!」
「何にゃ!!」
「あ、あのぅ、二人ともケンカは…」
「「雪歩ちゃんは黙ってて!!」」
「ひぃっ!?」
「アハハハ」
「アハハじゃなくて!! サブチャンも笑うのやめるにゃ!!」
ライブ本番までの間、765プロから応援に来てくれたのは、春香ちゃん達だけではありません。
レッスンに直接参加しない子達も、こうしてプロデューサーさんのデスクに度々遊びに来てくれました。
「ふ、二人とも落ち着くさー!
ほらっ、自分の作ったサーターアンダギーでも食べようよ。
出来たてホヤホヤがすーっごく美味しいんだぞ!」
268 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 18:30:26.69 ID:64qMODCb0
「ひ、響ちゃん、それ、さっきかな子ちゃんが全部食べちゃって……」
「うえぇっ!? ぜ、全部!?」
「美味しいから大丈夫だよー」
「全然大丈夫じゃないぞ!
うわーん、どうやったらそんなに一杯食べれるんだー!?」
そうして、346プロの子達との交流も自然と生まれていきます。
プロデューサーさんは、346プロへの遠慮もあってかやや困り気味でしたが、とても楽しそうでした。
「お前達、そろそろ765プロに戻れよ。346プロさんにも迷惑だろ」
「おやおやぁ〜?
346プロ“さん”だなんて、兄ちゃんはもう765プロの人間でいる気かね?」
「な、何っ!?」
「けーやく期間はまだ終わってないし、終わっても兄ちゃんの机はもう無くなってるかもYO?」
「そ、そんなワケあるか!
そもそも俺が言っているのは、あまり他所の事務所で騒ぐなっていうマナーをだな…!」
「そうですよ。
他所の事務所では、騒いじゃダメですよね、亜美ちゃん、真美ちゃん」
「う、うぅ……!」
「ごめんなさい、美波お姉ちゃん……」
しゅんとしてしまった亜美ちゃん達に対し、美波ちゃんが優しく笑いながら、隣のアーニャちゃんに目配せします。
アーニャちゃんは、ニコリと微笑みました。
「ダー。ヨソじゃなければ、騒いでもいいですね?」
269 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 18:32:36.17 ID:64qMODCb0
「えっ?」
「アミも、マミも、同じライブ頑張る、プリヤーチェリ……仲間です。
ヨソモノでは、ありませんね?」
「うわーい! やったー、ありがと→アーニャん!」
「イェ→イ! アーニャんタッチ!」
「ふふっ、タッチ♪」
「何言ってんだお前ら!!」
クリスマスライブへの出演が決まってから本番までの、約二週間。
最後に残されたそのわずかな時間、プロデューサーさんの周りには、まるで花が咲いたかのようでした。
アイドル達も、プロデューサーさんも、別れの時を悲しいものにするのではなく――。
明るく美しいものにしようと、皆――。
ここに来た当初の、飾られた穏やかさとは違う、心の底から笑い合う彼の周りには、アイドル達の温かな笑顔がありました。
270 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 18:34:39.67 ID:64qMODCb0
そして、時は経ち――。
「はい、はい……いやぁ、ありがとうございます。
それでこちらは支障ありません……えぇ……」
受話器を肩に挟みながら、プロデューサーさんは慌ただしく手帳にペンを走らせています。
本番を明日に控え、ライブの協力会社さん皆に、最終確認のための電話を取っていました。
「助かります。それであれば大丈夫そうですね……
えぇ、こちらこそよろしくお願いします。はい、失礼致します」
最後の協力先への受話器を置き、プロデューサーさんはフゥーッと天井を見上げて息をつきました。
先日までは綺麗に片付いていたはずの彼のデスクは、いつの間にかクリスマスライブに向けた書類でいっぱいです。
あと二、三日でこの会社を去る人のものとは、とても思えません。
「お疲れ様です、プロデューサーさん」
時刻は夕方でした。
窓の外から夕陽が差し込み、オレンジ色に染め上げられた事務室で、今は二人きりです。
「えぇ……どうやら、明日は何とかなりそうです」
「アイドルの子達も」
「そっちは元から心配いりません。俺の方がよっぽど、ね」
271 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 18:37:01.40 ID:64qMODCb0
エナドリを彼のデスクに置いて、私は肩をすくめました。
「確かに」
「ちょっと。フォローする所でしょう、そこは」
「ふふっ♪」
お互いに声を上げて笑います。
まるで、これまでもずっと、一緒に仕事をしてきたかのような――。
これからずっと、この人が346プロからいなくなる事が、嘘のように思える時間が流れています。
「……終わるんですね」
思わず、そう言ってしまったようです。
「……!? あ、いえ、あの……!」
「ちひろさん」
「えっ?」
プロデューサーさんは、おもむろに立ち上がり、ニコリと穏やかに笑いました。
「行きたい所があるんです。
ちょっと、付き合ってもらえませんか?」
272 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 18:39:17.61 ID:64qMODCb0
この人から突然のお願いをされるのは、今に始まった事ではありませんでした。
自分の仕事を前に進めるために、ある時は各施設の案内を、ある時は資料の在処を私に求めたり――。
でも今回は、それまでのものとは毛色が違います。
それはきっと、お仕事の話ではないからだと、プロデューサーさんの目を見て、何となく分かりました。
「え、えぇと……ごめんなさい、どうしても今日中に片付けなきゃいけない書類があって……。
それを処理してからでも、いいですか?」
「えぇ、もちろんです」
プロデューサーさんは、デスクを一通り片付けたのち、出口に向けて歩き出しました。
「行き先は、後で教えます。現地でお会いしましょう」
「は、はぁ……」
273 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 18:41:59.80 ID:64qMODCb0
――行っちゃった。
一体、何だろう?
随分と思わせぶりな――。
――ハッ!?
「い、いやいやいやいやいや! まさかそんな……!」
チラリと脳裏をよぎった可能性を瞬時に消し去ります。
ちゅ、中学生じゃあるまいしっ!?
私だってそんな、乙女チックな夢を見れるような歳じゃありません。
でも、本当に心当たりが無い――。
普段ならパパッと片付いてしまう類の書類も、雑念に囚われて些細なミスを繰り返し、無駄に手間取ってしまいます。
「毎日いつも、精が出るね」
274 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 18:43:17.62 ID:64qMODCb0
一人きりで仕事をしていた事務室に、とある人影がふらりと現れました。
「い、今西部長!?」
立ち上がり、頭を下げると、今西部長は手を振りました。
「あぁいや、お構いなく。邪魔してすまない」
「いえ……」
部長は、それまでプロデューサーさんが座っていた椅子にゆっくりと腰を下ろし、ふぅーっと息をつきました。
「明日はライブとのことだが、首尾は順調かね?」
「はいっ。プロデューサーさんもアイドルの子達も、765プロさんのご協力もあって、とても充実しています」
「それは良かった」
275 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 18:45:10.67 ID:64qMODCb0
今西部長は、ずっとプロデューサーさんのことを影ながら気にかけておられました。
彼の事情もよく知りながら、事務所内で難しい立場にあった彼が冷遇されることの無いよう、よきに計らっていた事も知っています。
「……部長」
「ん?」
今さらこんな事を聞いても、仕方の無いことなのかも知れません。
でも、上役と二人きりというシチュエーションは、私にある種の軽率さを抱かせたようでした。
「どうして部長は、あの人に便宜をはかったのでしょうか?」
「さて、何のことだろうか」
そう言って、ニコニコとしながら自分の頬を擦っています。
「ただね、うん」
276 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 18:47:24.25 ID:64qMODCb0
「……ただ?」
「シンデレラプロジェクトの彼のことを?」
CPさんの事を話しだす部長の目を見て、私は部長が何を意図しておられるのか、合点がいきました。
「……はい、存じています」
「かつての彼のように、プロデューサーとなる者が無口な車輪となっていくのは、見過ごしたくなかった。
アイドルとの繋がりを持とうとしないのは、やはり、私には良いことだとは思えなくてね」
シンデレラプロジェクトは、今西部長がその発足のために奔走したものであり、部長は言わば生みの親とも言える人です。
自分にとっても思い入れが強い事業に携わるCPさんに、一際目を掛けていたのも今西部長でした。
そんなCPさんのかつての姿を、プロデューサーさんに重ねたのだと――。
277 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 18:49:01.21 ID:64qMODCb0
「高木社長とも、先日話をさせていただいてね」
部長は、満足げに頷き、席を立ちました。
「どうやら、老いぼれ達の心配は、杞憂に終わるとのことらしい。
君からも同じ話を聞けて、何よりだった」
「わ、私達は!」
お部屋を出ようとする部長を呼び止め、私は立ち上がりました。
「私達には、きっと色々な道があります。
だからこそ迷うのかも知れませんが、でも……。
アイドルの子達が笑顔であるかぎり、きっとその中に、私達の正しさが見出せるのだと、今はそう信じたいです」
「そうだね」
今西部長は、優しく微笑みました。
「ありがとう。美城会長にも、常務にも、良い報告ができそうだ」
私が礼をお返しするのも待たず、部長はお部屋を後にして行かれました。
278 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 18:50:22.25 ID:64qMODCb0
「……迷う、か」
自分で言った言葉をなんとなしに反芻して、時計を見ます。
う、うわっ!?
いけません、いい加減に残務に時間をかけすぎました。
急いで戸締まりをして、事務所を出発します。
携帯を確認すると、プロデューサーさんからのメールが届いていました。
そこに記された目的地は――。
「…………お寺?」
279 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 18:52:53.80 ID:64qMODCb0
済海寺――。
「入口は大通りではなく、裏の通り沿いにあります……はぁ」
電車に揺られながら、プロデューサーさんからのメールの内容を見直しつつ、地図を確認します。
場所的に考えて――当たり前ですが――そういう乙女チックなものではない事に、まずは安堵したものの――。
一体ここに、何が?
最寄り駅である田町駅を降りる頃には、すっかり陽が暮れていました。
駅前にはクリスマスを祝う色とりどりのイルミネーションが飾られ、人通りもあって辺りは賑やかです。
あぁ、もうそんな季節かぁ――。
ま、私達の業界では大事なかき入れ時ですけれど。
と、誰にともなしに一人嘆息し、携帯の地図アプリを見ながら目的の地へと足を運ぼうとした時でした。
280 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 18:56:18.85 ID:64qMODCb0
「迷い人には……」
――え?
「真、便利な世になったことでしょう。
ですが、この街の明るさ故に、星は自ら煌めく事を忘れ、見えにくくなったものもあるのかも知れません」
その女性は、静かにそこに立っていました。
日本人離れしたプロポーションと、銀色に輝くウェーブがかった長髪という、一目で人を惹きつける外見。
それでいて、錯誤感を伴わない自然な気品――。
あの日、竹芝であったあの子とは、似ても似つかぬようで、どこか通ずる雰囲気を感じる、765プロアイドル。
「御機嫌よう。
貴女をお待ちしていました、千川ちひろ嬢」
「四条貴音さん……」
仕事帰りの人々がせわしなく行き交う駅前の、イルミネーションの光に照らされ、その人はどこか妖しい笑みを浮かべていました。
281 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2020/12/12(土) 18:59:47.62 ID:64qMODCb0
21時頃まで席を外します。
残りはあと2割ほどで、1時頃までに完結できればと考えています。
282 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/12/12(土) 20:29:46.84 ID:pOwuZCIDO
たんおつ
ようやく部長に出番か
283 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 21:12:22.47 ID:64qMODCb0
* * *
薄紫色のコートを自然と着こなし、優美に佇むその姿は、とてもサマになっていました。
我が社のモデル部門の第一線で働くトップモデル達と比べても、全く遜色がありません。
そんな彼女が、どうしてここに?
私がここへ来るのを待っていたと言いましたが、何用で――。
「済海寺に行くことは叶いません」
「えっ?」
四条貴音さんは、フッと意味ありげに小さく笑いました。
「プロデューサーと貴女が求めるものは、そこには無いのです、千川嬢」
「でも、私はあの人から、そのお寺に来て欲しいと言われて……」
「貴女は、自分が何を求めているのか、自分で理解できているでしょうか」
そう言われて、思わず息を呑みます。
284 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 21:17:03.97 ID:64qMODCb0
初対面の私に向かって、この人はいきなり何を言うのだろう。
知った風な口を聞いて、失礼な人だと言い捨てることは簡単です。
ただ、彼から示されたそのお寺で、私が何を得ようとしているのかは、私自身何も――。
「分かりません」
彼女は、黙して私を見つめています。
驚くほど神秘的で、赤紫色に光るその瞳は、吸い込まれそうな魔性があります。
黙っていると気圧されてしまいそうになるので、必死で捲し立てます。
「分からないから、彼の下へ……プロデューサーさんの下へ行くんです。
私にとって得られるものがあるから行く、などという打算的な想いなんてありません。
プロデューサーさんがそこにどんな期待を込めたのか、知りたいから行く……いいえ。
彼に呼ばれたから行く。今の私が考えるのは、それだけです」
――勢い任せに、ちょっと余計な事を言ってしまっていないかしら。
ふと冷静になると、ついて出た言葉に妙な気恥ずかしさを覚えてしまいます。
だから、ここはいっそ感情的になってみましょう。
理由はともかく、この人は私を、試そうとしている。
285 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 21:19:07.77 ID:64qMODCb0
四条貴音さんは、静かにゆっくりと瞬きをしながら、空を見上げました。
「逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに
人をも身をも 恨みざらまし」
「えっ?」
――歌?
首を傾げる私に、彼女はそれを注釈してくれました。
「もし彼の人との出会いさえ無ければ、彼の人も、自分自身をも、恨みがましく思わないで済んだのに……。
出会ってしまったがために、会えない時を思い煩う心を歌ったものです」
百人一首にも載っている、有名な歌なのだそうです。
まるで私に当てつけたかのような歌。
いいえ――当てつけだと思わされている事に、腹が立っているだけなのかも知れません。
そんな私の穏やかならぬ心情を見透かすかのように、彼女は再び鼻で小さく笑いました。
「たとえプロデューサーとの別れを良きものに出来たとしても、その後に待ち受ける寂寥を、貴女は耐える事ができるでしょうか」
286 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 21:20:56.71 ID:64qMODCb0
「……四条さんは、寂しかったのですね」
私の問いに、彼女の眉がピクリと動いたのが、微かに見えました。
「弊社があなた達のプロデューサーさんを、長い間お借りしてしまったことは、申し訳なく思います。
だから、この寂しい気持ちを少しでも紛らわせようなどという、都合の良い事を考える気なんてありません。
それどころか」
そうです。
寂しいに決まっています。
そういう選択を、私達はしました。
深い付き合いになればなるほど、別れが辛くなることを知った上で、私達は精一杯繋がり合うのだと決めたのです。
「もっともっと寂しくなるであろう時を、私達は望んで過ごしました。
765プロの人達が抱いたそれに負けないくらい……でないと、あの人に346プロに来てもらえた甲斐がありません。
それだけ強い想いを抱くことが、彼のプロデュースなのだと……彼自身、それを信じたいと、最後に願ってくれたんです」
287 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 21:23:22.19 ID:64qMODCb0
「信じたい……」
ポツリと無意識に反芻する四条貴音さんの声は、それまでとは違い、熱量のこもったものでした。
彼女の心にそれが響いたのだと、私は見留め、続けます。
「アイドルに深入りしないプロデュースを良しと悟った事が、高木社長の仰るあの人の罪であるなら、346プロはその償いのお手伝いをした事になります。
ですが、彼が346プロで過ごした日々は、決して罰なんかではないんだって、思ってほしいだけなんです」
依然、多くの人が行き交う喧噪の中、二人の間にどれだけの沈黙が流れたことでしょう。
やがて四条貴音さんは、おもむろに私に頭を下げました。
「戯れが過ぎました。非礼をお詫びします、千川嬢」
「えっ?」
顔を上げた彼女の表情は、それまでとは打って変わり、年相応のあどけなさを帯びた明るさがありました。
「私は、プロデューサーから言伝を預かって参りました。
この先にある済海寺……実はもう、開業時間が過ぎているのです。
なので、入ることができません」
「へっ!?」
話によると、16時半になったら閉まっちゃうみたいです。
プロデューサーさんは、その辺りを把握していなかったようで、ウッカリしていたとのことでした。
288 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 21:25:29.98 ID:64qMODCb0
「ウッカリ、って……!」
「ふふっ。なので、プロデューサーはひとまず、その寺の前で待ち合わせたいとのことです」
「は、はぁ……」
肩すかしを食らった気分で、途端に拍子抜けしてしまいました。
大一番の前日に、何で私達はこんな間抜けな事をしているのでしょう。
そんな私の表情を、四条貴音さんは楽しそうに見つめています。
さっきまでとは別の意味で腹立たしい――!
「あの人が346プロで過ごした日々が、真のものであったか」
唐突に開かれた彼女の言葉に、再び私の身体が硬直しました。
「それを知りたくて、でも……彼が変わっていた時のことを考えると、怖くて……。
ずっと、会いに行くことができませんでした。
貴女のプロデューサーに掛ける想いを通して、それを知りたかったのです。
試すような真似をして、申し訳ございません」
再び、四条貴音さんは深々と私に頭を下げました。
思えば、彼女は一度も346プロに顔を出すことはありませんでした。
765プロであの人と過ごした思い出が強すぎて、それが壊れてしまう事を恐れていたのでしょう。
彼女もまた、プロデューサーさんを人一倍大事に想っている765プロアイドルの一人でした。
289 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 21:27:21.45 ID:64qMODCb0
「いいえ」
私はかぶりを振ります。
「春香ちゃんも言っていました。この出会いは奇跡だったんだ、って。
たとえ別れてしまう運命だとしても、出会えた喜びを大事にできたことを、私達の誇りとしませんか?」
顔を上げ、四条さんはフッと笑いました。
「瀬を早み 岩にせかるる 滝川の
われても末に 逢わむとぞ思ふ」
また、歌――でも、きっとこれは、ポジティブな印象を受けます。
そしてそれは、当たったみたいです。
「岩にせき止められた急流が、ひとたび別れたとしても、いずれまた一つになる……。
それと同じく、たとえ今は愛おしい人と別れたとしても、また必ず会おうという願いを込めた歌です。
激動のアイドル業界……貴女に良き別れと、美しき出会いがありますことを」
「……ありがとうございます。四条さんにも」
穏やかに小さく手を振る彼女に別れを告げ、私はお寺までの道のりを再び歩み出しました。
290 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 21:29:04.13 ID:64qMODCb0
デッキを渡り、大通りの裏手の繁華街を歩いて、信号を越えます。
その先にある道は、ほんの少し坂道になっていて、地味に上るのが大変です。
「よい、しょ……ふぅ……ふぅ……」
地図から想像していたよりも、結構歩きます。
年がら年中デスクワークばかりで、体力も無いせいか、息も上がってきました。
そして、ようやく坂を上りきり、少し歩くと、目的地であるお寺――済海寺の門が、唐突に左手に現れました。
「……? あれ、開いてる」
なぜか門は開いています。
四条貴音さんの話だと、既に中には入れない時間のはずです。
プロデューサーさんの姿が見えません。
妙だなと思いながら、おそるおそる門を渡り、その先まで進んでみます。
プロデューサーさんは、門から伸びる石畳の中央に立っていました。
暗くてよく見えませんが、横の方にある何かをジッと見つめているようです。
そっと歩み寄り、そばまで近づいてみます。
291 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 21:34:04.32 ID:64qMODCb0
「……あ、ちひろさん」
彼が見ていたのは、植栽の奥に立っているお堂でした。
手前側には、何やら仏像らしきものを映した大きめの写真が立てかけられています。
「こんな時間に入って、大丈夫だったんですか?」
黙って入って、怒られたりしないかしら。
そんな心配は、どうやら後の祭りのようでした。
「いえ、本当はやっぱダメだったみたいです。
俺が来た時、入口の門が閉まっていて、開かないかなーってその門をガチャガチャやってたら、警察が来ちゃって」
「え、えぇぇっ!?」
「ハッハッハ」
「いや笑い事じゃないですよ!
そのまま御用になってたらどうするつもりですか! 明日は大事なライブなのに!」
「すみません」
傍から見たら、完全に不審者だったのでしょう。
この人も、大概無茶なことをします。
「でも、どうしても今日このお寺を見させていただきたいんです、って謝り倒したら、住職も許してくれて」
「そんな危ないことを……」
「本堂や、あそこのお堂なんかは、さすがにもう開けられないみたいですけどね」
プロデューサーさんはお堂を眺めたまま、しれっと答えました。
私が来る前からずっと見ていたのだとしたら、よっぽど気になっているみたいです。
292 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 21:37:33.38 ID:64qMODCb0
「クリスマスライブの成功に向けた最後のひと仕事が、仏様への願掛けですかぁ……。
アイドル達のために、やれることは何でもやろうという気概は、大変立派だと思いますよ」
「いえ、この後事務所に戻ります」
「えっ?」
プロデューサーさんは、事も無げにサラリと言って、笑いました。
「まだまだ仕事、残してますからね。
デスクも全然片付けてないですし、今日は徹夜です」
――それなら、私も付き合ったのに。
今日中に片付けたい仕事があるからなんて、私だけ仕事を済ませて彼を待たせてしまったことが、申し訳ないです。
「あぁいえ、ちひろさんは別に気にしなくていいんです。
むしろこうして付き合ってくれてありがたいというか、元々急なお願いをしたのは俺ですし」
そうして、私をそうやって気遣ってくれる――。
こんなの、ますます私の立つ瀬が無いじゃないですか。
謝る余地を残してもらえないのは、それなりにみじめな気持ちにもなるんです。
ナチュラルに負い目を与えてくれるの、困るんだけどなぁ。
なんて――。
そういった、この人との語らいももう、終わってしまうんです。
「……本当に、終わってしまうんですか?」
293 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 21:40:54.72 ID:64qMODCb0
事務室で思わず漏れてしまった言葉を、もう一度。
今度は無意識ではなく、明確に噛みしめて、彼に投げかけます。
どうしようもないことは、分かりきっているのに。
「……346プロと765プロ、両社の契約で決まったことです。
お偉方の鶴の一声がまたあれば、話は別かも知れませんが、少なくともウチの高木はもう、俺に納得しています。
346プロさんも、これ以上派遣期間を延長しようなどとは能動的に考えないでしょう」
プロデューサーさんは、極めて淡泊に答えてくれました。
私や自分自身に、諦めを促すように。
「だから、明日のクリスマスライブが、俺の最後の仕事です。
それが終われば、俺は346プロを去り、765プロへと戻る。そういう約束です」
「そうですね」
言いながら、私は美嘉ちゃん達の事を思い浮かべました。
プロデューサーさんと、彼を慕うアイドル達との繋がりが、終わってしまう。
私はいいんです。大人ですから、割り切ることはできます。
できると思います。
でも――。
「ちひろさんが、気を病む必要なんてないんです。
俺が他所から来て、それが戻るだけのこと。
すべての原因者は、俺です」
294 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 21:42:58.55 ID:64qMODCb0
「ううん、違うんです」
私は、かぶりを振りました。
そうやって、私のことを気遣うのはもう、やめてほしいんです。
そうです。
「……ずっとプロデューサーさんに、謝らなきゃと思っていました」
この人も、CPさんも、責任を感じる必要は無いと言ってくださいました。
でも、やはりそれは違います。
事情を知らなかったとはいえ、アイドルと深く関わり合いを持つまいと誓った彼を、私はその渦中へと巻き込みました。
心の傷を庇おうと、彼はアイドル達に対して不本意な態度を取り、それが彼女達だけでなく、ますます彼自身をも傷つけたのです。
それでも私は、彼の気持ちも知ろうともせず、彼のプロデュースを見たいという自分勝手な思いだけで、なおも放っておこうとしなかった。
「美嘉ちゃんをはじめ、アイドル達にも、プロデューサーさんにも辛い思いをさせてしまったのは……
事務員としての本分を忘れた、私の身勝手によるものでした。
本当に、ごめんなさい……許してほしいなんて、言いません。
本当に……私、本当に酷いことを……!」
「ちひろさん」
295 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 21:44:07.21 ID:64qMODCb0
プロデューサーさんの声が聞こえ、顔を上げました。
どこか、悪戯っぽいような、なぜか得意げな顔をしている彼が目の前にあります。
「ちひろさんは、竹芝物語ってご存知ですか?」
296 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 21:46:30.95 ID:64qMODCb0
「……竹芝?」
「えぇ」
「かぐや姫の、ではなくて?」
「それは竹取物語でしょう」
「竹芝って、あの竹芝ですか?
明日ライブをやる、あの」
意味も意図も分からず、ただただ疑問符を浮かべるばかりの私に対し、彼はニコニコと笑ったままでした。
「その辺は、どうやら諸説あるみたいですね。
俺もふと気になって、この間調べたのですが、由来は更級日記に出てくる地名のようです」
「更級日記、ですか……?」
国語の教科書でしか聞いた覚えが無いものを聞かされ、しらず目が瞬いてしまいます。
事実、千年以上も昔に作られた物語とのことでした。
「異国の地から意図せず宮廷に派遣され、衛士としての任に就いた男と、その宮廷のお姫様のお話です。
退屈な警護を行う中、男が故郷を想いながら独り言を呟くと、それを聞きつけたお姫様が、その男を呼び寄せてお願いしたそうです。
面白そうだから、ぜひ私にもお前の故郷を見せてほしい、と」
297 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 21:48:21.59 ID:64qMODCb0
「……宮仕えの兵士さんが、お姫様を宮廷から連れ出したと?」
「話によれば、コッソリ宮廷から連れ出したということのようですね。
要するに、身分の違う者同士のランデブー、ってヤツです」
「へえぇ〜」
禁じられた恋、というものでしょうか?
今も昔も、そういう題材は人々の間でポピュラーに扱われているようです。
「それ、最後はどうなるんですか?
その兵士さん、お姫様を攫ったことになるんだとしたら、お殿様に罰せられちゃったり……?」
「いいえ、そこは意外とご都合主義みたいで。
結局、お姫様がその地で男と暮らすのだという強い意志を示すと、お殿様……というか、帝ですね。
帝はもう、じゃあしょうがない、と言って男にその国を任せて、二人は幸せに暮らしました……というお話のようです」
「あ、そんな感じなんですか」
「で、その男と姫が末永く暮らした屋敷が、やがて姫が無くなった後、寺として作り替えられた。
それが竹芝寺。で……」
プロデューサーさんは、地面を指差しました。
「その竹芝寺の跡地が、この済海寺……というわけなんです」
298 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 21:51:44.19 ID:64qMODCb0
竹芝物語――。
東京に伝わる中でも最古のお話らしいそれを、今日まで知る機会は全くありませんでした。
「ちひろさんと出会ってからというもの、今年はやけに竹芝に縁があるなぁと思ったもので……。
でも、結局あっちの竹芝との関係性は判然としないみたいですね。距離的には結構近いけれど」
「プロデューサーさんから見て、お城から連れ出したいお姫様は、346プロにいましたか?」
自分でも意地悪だなぁと思う質問を、彼にぶつけてみます。
ひょっとしたら、彼がこのお寺に行きたかったのは、かの物語に登場する兵士さんの気持ちに触れたかったからではないでしょうか?
「……正直に言えば、いました。それもたくさんね」
照れ臭そうに誘い笑いをしながら、プロデューサーさんは空を見上げました。
「でも、やはり彼女達は、この346プロのアイドル達です。
俺の勝手で決めるのは良くないとか、そういう事じゃなく……彼女達は346プロで生きていくのだろうと、何となく感じました。
だから、未練も悔いもありません」
299 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 21:53:42.27 ID:64qMODCb0
「そう、ですか……」
プロデューサーさんの語り口は、とても明瞭でした。
諦めとか投げやりな気持ちなどではなく、本心で納得しているのだろうという清々しさを感じさせるものでした。
それじゃあ、どうしてここへ――?
「どちらかと言うと、俺が気にしたのは彼女達よりも……アメリカで出会った子のことを、ね」
「……研修で行かれていた際に出会ったという?」
プロデューサーさんは、空を見上げたまま「えぇ」と答えました。
「その子はシアトルの出身で、女優への道を目指して単身ハリウッドに出てきていたようです。
俺も、研修先はハリウッドで、そこで何となく似たような境遇を感じてね」
「積極的で、押せ押せな子だったのかなって」
「ハハハ、まさか」
白い息を空に溶かして、彼は賑やかに笑い飛ばしました。
「俺の方から交流を持ちに行ったんです。
彼女、クールで孤高というか、孤独な感じがあって……765プロでいえば、千早のような子でした。
一人で思い詰めていそうで、放ってはおけなかったんです」
300 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 21:56:22.86 ID:64qMODCb0
私が勝手に抱いていたイメージとは、正反対の子だったようです。
お人好しだったプロデューサーさんは、異国の地においてその子を見つけ、彼女の助けになりたいと思ったようでした。
「俺が彼女に、英語やアメリカでの慣習とかを教わる代わりに、彼女に困り事があったら俺がその手伝いをする。
持ちつ持たれつの関係でやっていこうと提案したら、彼女も応じてくれてね。
それなりに仲良くさせてもらって、いつしか彼女のプロデューサーとしての仕事も順調にできていて……」
――そこまで言うと、プロデューサーさんの言葉が途切れました。
「……?」
「……こっちでいう、オーディションのようなものを受けたんです。
会場には、同じく女優を目指す、彼女の姉も受けに来ていて……結果的に俺達は、勝ちました」
その言葉の内容とは裏腹に、プロデューサーさんの表情は、とても悲しそうでした。
「オーディションが終わった後、彼女は途端に、空虚になりました。
姉の存在は彼女にとって目標であり、それを越えたことの達成感で、軽度の燃え尽き症候群になったのかなって、最初は思いました。
けど、それは間違いで……自分自身の意義というか、存在理由が分からなくなったみたいなんです」
「自分の存在理由が?」
301 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 22:02:17.61 ID:64qMODCb0
「俺は」
彼は拳を握りしめました。
「俺は彼女の力になりたいと、あらゆる手を尽くしました。
レッスンに顔を出して、トレーナーと綿密なディスカッションを交わしたり、有識者を探してアドバイスを募ったり。
アンテナを走らせてトレンドの流れにも気を配ったし、当然に彼女自身の健康面でのケアとか、PRもたくさん行いました。
彼女の、姉に対する想いの強さも知っていたから、なおさら……」
「それはプロデューサーとして、至極真っ当なことなのでは?」
「違ったんです」
強い否定が辺りを切り裂き、しんと重たい空気が漂っていたお寺を走ります。
「自己実現……つまり、自分自身の力で目標を達成するという過程を、俺は彼女から奪ってしまった。
助けになりたいと、過保護になりすぎたあまり、彼女は自分が分からなくなってしまったんです。
自分は何のためにいるんだろう、って……誰かの助け無しには得られない夢を、自分のものだと言い張る事に、疑問を感じてしまったようです」
「一緒に頑張れる人がいるというのは、決して悪い事なんかじゃ…!」
「もちろんそうです。
でも、それは日本人的な感覚かも知れなくて……事実、彼女はとても責任感の強い子でした」
302 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 22:05:10.99 ID:64qMODCb0
ロー・コンテクスト文化圏である欧米は、事物をハッキリと明文化させ、責任の所在や行動主体をクリアにする傾向があると聞きます。
私達の「皆で一緒に頑張ろう」という発想は、彼女の存在意義さえも曖昧にしてしまうものだったのかも知れません。
「彼女に対する俺の行いは、信頼の押しつけ……自分の自己満足で、彼女のためにはならなかった。
そしてそれは、765プロの子達にも、無意識的に行ってしまっていたのではないかと」
「プロデューサーさん……」
「所詮、ステージに立つのはアイドル達。
裏方である俺は、彼女達に対して一定の距離感を保ち、ビジネスライクで付き合うのが正しいのだと……。
アメリカで別れた際の、彼女の辛そうな姿を見て、悟ったんです」
――彼の心の奥底にあったものが、ようやく分かりました。
別れが辛くなるからという理由だけで、希薄な関係を築こうとしたのではありません。
プロデューサーさんは、自身の行いがアイドル達の目指す夢の意義を奪う可能性を恐れたのです。
だから、深入りをするまいと誓った。
「でも、彼女達に……美嘉達や春香達に、教えてもらえました。
それは違うんだってことを」
「えっ?」
303 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 22:07:02.99 ID:64qMODCb0
もう一度、空に向けてふぅっと息をつくと、再び彼は私にニコリと、人懐こい笑顔を見せてくれます。
「お互いに苦しいから、支え合うんだってこと……本当にその通りで。
それに、伊織も言ってたけど、アメリカでの教訓を肯定したら、逆に765プロの子達との思い出を否定してしまう事にもなる。
だから、俺にはもう……正直どうしたら良いのか、分かりません」
「わ、分からないって……!?」
「結論を急ぎすぎていたんです。俺はきっと」
予想外の結論に困惑する私を尻目に、彼は爽やかに笑い飛ばし、満足げに息をつきました。
「だから、ずっと考え続けるのだと思います。
アイドル達と共に、何度でも泣いて、怒って、ぶつかって……何度でも笑ってやるのだと、ようやく心に決めました」
304 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 22:10:40.94 ID:64qMODCb0
「プロデューサーさん……」
「あの日の俺に、アメリカで出会った彼女を日本に連れていくだけの気概があったなら……。
その身勝手は彼女のためになっただろうかと、結局ここに来ても、分かりませんでした。
ですが、ちひろさん」
プロデューサーさんの優しい眼差しが、私の視線とピッタリに重なり合います。
「たとえあなたが身勝手だと言おうとも、俺はそれに救われたんです。
346プロのアイドル達との交流のおかげで、俺は確たる誓いを持ってこれからもプロデューサーを続けることができる。
こんなに嬉しい事はありません」
「プロデューサーさん……!」
「ずっと言おうと思っていました。
本当に、ありがとうございます、ちひろさん」
「え、えへへ……もう、やめてくださいっ」
イヤだなあ。
もう泣かないって、思っていたんだけど――。
「何を泣いてんですか、泣きたいのはこっちの方です。
これから帰って徹夜仕事が待ってるんですから」
305 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 22:13:34.15 ID:64qMODCb0
「ぐすっ……あら、そんな文句を言うんだったら、私も付き合いますよ?」
目尻を拭い、みっともなく鼻を啜って、精一杯笑いました。
「えっ? ちひろさん、今日中に片付けなきゃいけない仕事を処理してきたんじゃ……?」
「片付けなきゃいけない仕事はね。
今日中に“片付けておきたい仕事”は、いくらでもありますから」
「いや、それ……。
まぁ、遅くとも0時までには寝てくださいよ。お肌、荒れちゃうでしょ?」
「寝るまでが今日です」
エヘンと胸を張って答えてみせると、プロデューサーさんは呆れるように鼻で笑いました。
「346プロの事務員は逞しいですね。ウチの人にも見せてやりたいです」
そうして、私達は笑い合いながら事務所に戻りました。
お城に迎え入れることも、お城から連れ出すことも適わない二人。
それでも、得難きものを確かめ合い、12月が終われば解ける魔法の最後の輝きを、最高のものとするために。
ふと空を見上げると、都会の喧噪から少しだけ離れた冬晴れの空に、煌めく星達が瞬いているのが見えました。
306 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 22:16:49.71 ID:64qMODCb0
* * *
「そういえばさー、貴音ぇ」
「どうしたのですか、響?」
舞台袖で入念に屈伸を繰り返しながら、響ちゃんが貴音さんに声を掛けました。
「どうして貴音は346プロに遊びにこなかったんだ?
事務所も綺麗だったし、アイドルの子達も皆仲良くしてくれて、すーっごく楽しかったんだぞ?」
「それは、トップシークレットですよ」
「思わせぶりだけどそれ、大した意味ないでしょ」
貴音さんはニコリと小さく笑い、響ちゃんの頭を優しく撫でました。
「わ、わっ!? な、何するんさー貴音!」
「太陽の如き貴女の勇気と明るさは、皆に元気をもたらします。
私のような者にも……真、ありがたい事です」
響ちゃんの頭から手を放すと、彼女は美希ちゃんに目配せし、プロデューサーさんに向き直りました。
「では、行って参ります、プロデューサー」
307 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 22:18:36.40 ID:64qMODCb0
「あぁ。頼んだぞ三人とも」
「へへっ、なーんくるないさー!」
「ミカ達に負けないくらい、ファンの人達の心、釘付けにしてくるの!
ちゃんと見ててよね、ハニー!」
そう言って、美希ちゃん達は竜宮小町が捌けたばかりの、熱気溢れるステージへと駆けて行きました。
「まったく……人前ではハニーなんて呼び方、やめなさいっていつも言ってるのに」
口をへの字に曲げてため息をつく律子さんを、プロデューサーさんは困り顔で宥めました。
308 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 22:21:25.00 ID:64qMODCb0
765プロのクリスマスライブは、超満員となりました。
私達346プロ側のコラボ出演があったからだと、プロデューサーさんや小鳥さんは仰ってくださいましたが、それは違います。
だって、そのPRをする前から、チケットが瞬く間に完売していたのを、私は知っているからです。
「凄いね」
私達の隣に立って、美嘉ちゃんがポツリと呟きました。
視線の先にあるのは、輝くステージの上でダイナミックに歌い踊る、美希ちゃん達プロジェクト・フェアリーの姿があります。
765プロにしては珍しい、攻撃的かつ挑発的な楽曲『オーバーマスター』が、ますます会場のボルテージを上げていきます。
「勝てそうか?」
プロデューサーさんがそう聞くと、美嘉ちゃんは肩をすくめました。
「そんなんじゃないでしょ、今日のはさ。でも……負けないよ★」
「あぁ、その意気だ」
満足げに頷くと、プロデューサーさんは辺りを見回しました。
彼の視線の先には、目一杯に屈んであげたきらりちゃんと、精一杯背伸びしたやよいちゃんが仲良くハイタッチをする姿。
そして、蘭子ちゃんの衣装の結び目を直してあげている雪歩ちゃん。
あずささんに対して何故かタジタジになっている杏ちゃんの横では、真ちゃんにストレッチを手伝ってもらい絶叫している菜々さんが見えます。
309 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 22:23:20.79 ID:64qMODCb0
「失礼」
ふと、野太い声が聞こえたかと思うと、楽屋の方からCPさんが姿を現しました。
その後ろには、シンデレラプロジェクトの子達もゾロゾロと総出でついています。
「CPさん……」
「ご迷惑かも知れませんが、こういう機会ですので、皆で激励にまいりたいと」
「迷惑だなんて。願ってもない事ですよ」
「サブP」
CPさんの横で、声を掛けたのは凜ちゃんでした。
「今さら、私なんかが余計なお世話を言ってもしょうがないと思うけど……。
悔いとか、残しちゃダメだよ」
「そうそう。後で忘れ物したから取りに来たーなんて言ったって、聞き入れてやらないぞー?」
「み、未央ちゃんっ、そこは申し開きを聞き入れてあげましょうよぉ」
「しまむーもさ、結構言うよね?」
卯月ちゃんの天然っぷりに皆で笑うと、凜ちゃんは気恥ずかしそうに顔を赤らめて咳払いをしました。
その様子を楽しそうに見つめて、プロデューサーさんが答えます。
「ありがとう、凜。それに皆。
悔いならもう無い。皆のおかげだ」
310 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 22:25:31.02 ID:64qMODCb0
そう言って、彼はシンデレラプロジェクトの皆の顔を一人一人見渡しました。
「そして、すまなかった。
今度会う時は、ライバル同士だ。
俺に恨みがあったら、遠慮無くそれをエネルギーにして765プロにぶつけてやってくれ」
「ちょ、ちょっと、プロデューサー!?」
慌てて千早ちゃんがツッコミを入れると、プロデューサーさんは頭を掻きながら誘い笑いをしました。
「そうでもしないと、やってられないだろ?
こんなプロデューサーに散々振り回されて、せめて恨みでも売ってあげなきゃ彼女達も浮かばれない」
「それは、そうかも知れませんが」
「え、認めちゃうのか!?」
「ふふっ……上手く言えないけどさ」
皆で大笑いする中、プロデューサーさんの隣にいる美嘉ちゃんが、鼻の頭を掻きました。
「アンタって、やっぱり765プロのプロデューサーなんだね」
「ガッカリしたか?」
「ううん」
かぶりを振り、彼を見上げる美嘉ちゃんは、とても満足げでした。
「何ていうか、嬉しいな」
「何だそりゃ」
「アハハ」
311 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 22:28:02.09 ID:64qMODCb0
途端、会場から聞こえてくる歓声が一際大きくなりました。
気づくと、プロジェクト・フェアリーの曲が終わったようです。
「……来たな」
「ただいまなのー!」
「お客さん、しっかり暖めてきたぞ!」
煌めく汗を振りまきながら、彼女達はプロデューサーさんとハイタッチを交わしました。
そうです。
この次はいよいよ、紹介アナウンスがなされた後、彼女達――346プロアイドル達の出番です。
「ほら、プロデューサー」
後ろの方から、伊織ちゃんが声を掛けました。
「大一番を控えたあんたのアイドル達に、何か言うべきことは無いの?」
312 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 22:31:14.73 ID:64qMODCb0
「じゃあ、お客さんを待たせるのもなんだし……一言だけ」
あれだけ大騒ぎしていた舞台袖が、しんと静まりかえりました。
皆が、美嘉ちゃん達5人のアイドルに向き直ったプロデューサーさんを見守っています。
「皆……俺をお前達のプロデューサーにしてくれて、ありがとう。
異なる事務所のそれぞれに担当アイドルがいたことは、これまでどのプロデューサーも経験し得なかったこと。
それは正しく、俺の誇りだ」
「せいぜい誇りにしてもらわなきゃ困るよ」
どこか皮肉めいてそう言ったのは、杏ちゃんでした。
「そっちでも杏達のPRをして、杏達の印税の足しにでもしてもらわなきゃ、こっちで馬車馬みたいに働かされた甲斐が無いし」
「はは、そうだな」
313 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 22:42:08.16 ID:64qMODCb0
「我が友っ!」
ぶわっ!と大きく腕を振り出し、蘭子ちゃんが見栄を切りました。
雪歩ちゃんのおかげで衣装の結び目は何とか直り、安心して腕を振り回せるとイキイキしています。
「異世界にて開かれし聖夜の宴……互いの旅路を祈る祝福の鐘を盛大に打ち鳴らすは、我らの務めよ!
凍れる時に終わりを告げ、互いの天(そら)に抱きし星の煌めきを、我らの新たな血の盟約としようぞ!」
「あぁ、もちろんだ蘭子」
「……っ!」
嬉しそうに顔を輝かせる蘭子ちゃんに頷いて、プロデューサーさんは菜々さんに向き直りました。
菜々さんはもう感極まっているのか、俯いています。本当に涙腺がユルユルのようです。
「ステージ上では、泣いちゃダメだぞ、菜々さん」
「わ、分かってますよぉ……グスッ……!」
ゴシゴシと、手袋の甲で顔を拭いて、菜々さんは鼻を赤くした顔を上げました。
「ウサミン星人は、キメる時はちゃんとキメる事で、ファンの方々の間でも有名なんです。
絶対に、プロデューサーさんが346プロに来てくれて良かったって思えるようなステージにしてみせます!
ねっ、きらりちゃん!」
314 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 22:44:21.32 ID:64qMODCb0
「うんうん、もっちろんだにぃ☆」
同意を求められたきらりちゃんは、バァッと手を大きく振り上げました。
危うく天井に届いてしまいそうな勢いです。
「みんなで積み上げたきゅんきゅんパワーで、会場のみんなとハピハピするの、すっごく楽しみだにぃ!
サブPちゃんがきらり達にくれたもの、今度はきらり達がお返しする番だゆぉ♪」
「俺が与えた混乱への仕返しか?」
「ち、違うってぇ! もうっ!」
「ハハハ、冗談だ」
手を振りながら茶化してみせた後、ふぅっと一息をついて、彼は美嘉ちゃんに向き直りました。
「……しっかり目に焼き付けておいてね。
アンタにもこんな担当アイドルがいたんだって……絶対に、忘れさせてやらないんだから」
「当たり前さ。俺はお前達のプロデューサーだからな」
「ハハッ★」
「……出番だ。行ってこい」
315 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 22:45:54.11 ID:64qMODCb0
プロデューサーさんが掲げた手を目がけて、美嘉ちゃん達は嬉しそうに、次々に思いきりハイタッチをしていきます。
そうして、暗転中の舞台へと一目散に駆けていきました。
「それでは、私達もこれで」
「えぇ」
CPさん達とシンデレラプロジェクトの子達も、舞台袖から撤退していきます。
「プロデューサー。
私は社長から電話がかかっていたようでしたので、ちょっと一旦外します」
「? あぁ」
律子さんもそう言って、小首を傾げるプロデューサーさんを残し、そそくさとその場を後にしていきました。
舞台袖には、765プロアイドル達に加え、私とプロデューサーさん、小鳥さんが残りました。
「ところで、ちひろさん」
「はい」
美嘉ちゃん達が去って行った舞台の方を見つめながら、プロデューサーさんは口を開きました。
「こんな時になんですが……何で俺のことを、プロデューサーさんって呼び続けたんですか?」
「何でって?」
316 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 22:48:33.88 ID:64qMODCb0
「事務員だった時もそうですが、サブのプロデューサーだった時も……頑なに俺のことを、“プロデューサーさん”って。
それだけが、俺は不思議でした」
――いざ聞かれても、困りますけれど。
「プロデューサーさんだからとしか、答えようがありません」
肩をすくめて彼に笑いかけつつ、私は会場アナウンス用のマイクが設けられた席に着きました。
「誰か「コレだ!」と思うアイドルを担当してこそ、プロデューサー。
あなたを一目見た時から、この人には絶対に、サブなんかじゃなく、担当アイドルがいなきゃおかしいんだって。
そう信じていたんだと思います」
「……そう言えば、先日いただいたチケットですが、俺は使いません」
プロデューサーは、満足げに頷きつつ、鼻を掻きました。
「ライブにおける俺の居場所は、いつだってこの舞台袖です。
俺は“プロデューサー”ですから」
「えぇ、知っています」
317 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 22:52:51.26 ID:64qMODCb0
実は、私達346プロからの提案で、プロデューサーさんには関係者用の席を1席、確保していたんです。
ご自身が担当したアイドルの晴れ舞台を、ぜひ観客席から見てもらいたいと思って。
でも、それは無粋な提案でした。
彼にとって、担当アイドルの晴れ舞台を見守る場所は、この薄暗い舞台袖しかあり得ないのだと。
「だから、チケットは彼女に託しました」
「? 彼女って?」
「アメリカで出会った、あの子です。
おそらく、直接会場には来れないけれど、ライブ配信を視聴すると言ってくれて」
聞けば、765プロダクションの専用配信チャンネルから、今日のライブを生放送で視聴できるのだそうです。
視聴用のパスコードは、チケットに印字されているとのことでした。
「今さらこんな事をして何になる、とも思いましたが……やはり、諦めきれないもんですね」
「きっと見てくれますよ。
苦楽を共にしたプロデューサーさんからのラブレターを、その子が放っておくはずがありません」
私は大真面目に言ったつもりでしたが、プロデューサーさんはフンッと茶化すように鼻を鳴らすだけでした。
「……時間を取らせました。
じゃあちひろさん、よろしくお願いします」
「はいっ」
318 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 22:55:33.47 ID:64qMODCb0
本当は、彼女達の紹介アナウンスは、小鳥さんが行うはずでした。
でも、小鳥さんから提案されたんです。
「ちひろさんもどうか、あの子達の……プロデューサーさんの力になってあげてください。
その方が、あの人もきっと喜びます」
アイドル達はともかく、他社の事務員である私にまで見せ場を用意してもらうなんて、些か恐縮ですが――。
任された以上は応えなければ、346プロが誇る“鬼の事務員”千川ちひろの名が廃ります。
全然鬼でも悪魔でもないんですけれど――。
まぁ、一人で勝手に釈明していれば世話無いか。
ふふっ、と一人、自嘲じみて小さく笑います。
スタンバイが整った旨をスタッフさんから聞き、コホンと咳払いをした後――。
私はマイクのスイッチを入れ、ボリュームのつまみを押し上げました。
319 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 22:58:20.18 ID:64qMODCb0
『皆様、本日はこの765プロさんのクリスマスライブで大変な盛り上がりの中、失礼致します。
私、346プロダクションという芸能事務所で事務員をしております、千川ちひろと申します』
ウォォォォオォォォォォ---ッ!!!!
――!?
な、何だか私のアナウンスでさえ、既に凄い反応です。
思いのほか、765プロファンの方々の間での私の認知度も、畏れ多くも結構あるようでした。
『……ありがとうございます。多大なるご声援、誠に恐縮です』
『ところで皆様……話は飛んでしまいますが、会場にお越しの皆様は、道に迷われた際、どうされますでしょうか?』
320 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 23:00:43.85 ID:64qMODCb0
『スマホで地図アプリを起動する、友人や知人に電話して聞く……。
きっと多くの方は、そうされるのではと思います』
意図せず異国の城に仕える事になった兵士と、その城のお姫様。
かの物語のように、たとえ両者が添い遂げる結末にはならずとも、お互いの未来を尊重し合い、祈り合えるのだとしたら――。
この先、迷い傷つくことがあったとしても、その希望に満ちた輝きを胸に抱くことができたなら。
『一方で、技術が今ほど発展していなかった時代……人々は星の明かりを頼りに、自身の道を見出したと言います』
『文字通りの道標として、方角を知るために空を見上げた人もいれば……。
彼方にいる想い人も、同じ光を見ている……そんな願いを馳せて、生きる力に変えた人もいたでしょう』
『迷える子羊達に、パンとワインのご用意はありませんが、輝ける未来を信じる勇気を……。
今夜、346プロのアイドル達が披露するステージは、そんな想いが込められたものとなります』
『聖なる夜に舞い降りた、346の星々達による夢の共演を、どうぞ心ゆくまでお楽しみください』
ワアァァァァァァァァァ---!!! パチパチパチパチパチパチ…!!
321 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 23:01:32.67 ID:64qMODCb0
https://www.youtube.com/watch?v=ghBmhPL7AmA
322 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 23:05:13.90 ID:64qMODCb0
〜〜♪
ウオオォォァァァァアアァァァァァァァァ----ッ!!!!! パチパチパチパチ…!!!
空見上げ 手をつなごう
この空は輝いてる
世界中の手をとり
The world is all one!!
Unity mind.
CINDERELLA STARLIT 【 The world is all one !! 】
323 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 23:07:58.43 ID:64qMODCb0
STARLIT(星明かり)――それが、プロデューサーさんの考えたユニット名でした。
当初は『スターリット』の一語だけだったのですが、より346プロらしさを示した名前にしようという皆の意見により、『シンデレラ』を頭に付け加えたものです。
これについては、CPさんにも了解を取るべく相談したのですが、CPさんは穏やかにこう答えました。
「私のものではありません。
シンデレラの称号は、他ならぬ彼女達のものです」
346の城に迷い込んだプロデューサーさんを救い出す、星達の煌めき。
それは、彼が抱いた346プロアイドルへの感謝が込められたユニット名。
でも、その想いは実のところ、一方向ではありません。
ねぇ、泣くも一生
ねぇ、笑うも一生
ならば笑って生きようよ 一緒に
「彼女達……ずっと一点を見つめていますね」
324 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 23:09:13.27 ID:64qMODCb0
彼の隣に立ち、そう指摘すると、プロデューサーさんは肩をすくめました。
「会場へのアピールとしては、マイナスですよ」
「ふふっ」
そう――『シンデレラ・スターリット』の5人は皆、会場の中央にただ一つ残された空席の方へと向いていました。
そこに座り、見守ってくれるプロデューサーさんの姿を追い求めて。
彼女達もまた、彼に対するこれまでの感謝の想いを、このステージに込めたのです。
顔を上げて みんな笑顔
力あわせて 光目指し
世界には友達
一緒に進む友達いることを忘れないで!
「ですが……」
325 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 23:12:11.65 ID:64qMODCb0
そう言って、プロデューサーさんは腕組みをしたまま、黙してジッと舞台の上を見守りました。
微動だにしていないかと思えば――よく見ると、組んだ腕の上で指をトントンと叩き、リズムを刻んでいます。
――ふふっ。
この人は身体の芯からプロデューサーなのだという、私の見立ては当たっていたようです。
アイドル達と一緒になって、戦っています。
そうでなきゃ、おかしいもの。
黙して小鳥さんと目配せをします。
彼女も同じ事を考えていたようで、二人で忍ぶように笑い合いました。
ひとりずつ 違うパワー
ひとつに重ね合えれば
この地球の未来は The beam of our hope
晴れわたる この気持ち
まっすぐに輝いてる
世界中の手をとり
The world is all one!! The world is all one!!
Unity mind.
326 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 23:16:32.25 ID:64qMODCb0
さぁ、いよいよCメロです。
ここで用意していたサプライズがあります。
前を向いて 前を向いて
突如、伊織ちゃんと真ちゃんが上手から登場し、会場がますます歓声に沸き立ちます。
ほら、空を見上げよう
今度は、下手から春香ちゃんと千早ちゃん、美希ちゃんも合流し、会場は大喜び!
ここまでは台本通り、ですが――。
前に進もう 前に進もう
クライマックスを迎えるや否や、舞台の上手と下手から、一斉に19名のアイドル達が躍り出てきました。
327 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 23:20:48.38 ID:64qMODCb0
そうです。
出番を控えていた765プロアイドル達と、きらりちゃんと杏ちゃん、蘭子ちゃん達を除くシンデレラプロジェクト11名全員です。
先ほど電話があったと言って出て行った律子さんも、ステージ衣装に着替えて登場したのです。
バレないよう、彼に隠れて。
人生は楽しめる Sympathy & Teamwork
「ハッハッハッハ」
それを目にしたプロデューサーさんは、声を上げ、手を叩いて笑いました。
彼にはずっと、秘密にしていたことだったのです。
シンデレラプロジェクトの子達なんて、私服で舞台袖の応援に来ていたんです。
それが、観客席へと撤収したかと思いきや、衣装に着替え、765プロの子達と共にステージに合流する。
そんな荒唐無稽なサプライズを、プロデューサーさんはひどく愉快に感じてくれたようでした。
「誰が言い出したんです、これ? 春香?」
「さぁ、誰なんでしょうねぇ?」
328 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 23:22:33.62 ID:64qMODCb0
プロデューサーさんは、ただただ呆れたと言った様子でかぶりを振ります。
「確かに『団結』がテーマの曲ですが、何でもやりゃあいいってもんじゃない。
あまりに散漫になりすぎて、観客だってどこを見たら良いか分からないでしょう。
俺だったらこんな狭苦しい演出、絶対に良しとしないし……あーあ、ほら見てください。
大方、全員で合わせる時間も取れなかったんでしょう。ダンスも皆バラバラだ」
ぶつくさと文句を言いながら、それでもプロデューサーさんは笑ってくれていました。
ステージ上には、事務所の垣根を越え、美嘉ちゃん達『シンデレラ・スターリット』をセンターにした総勢29名のアイドル達。
それらはさらなる煌めきを放ち、互いに手と手を取り合う団結の尊さを歌います。
ひとりでは出来ないこと
仲間となら出来ること
乗り換えられるのは Unity is strength
空見上げ 手をつなごう
この空はつながってる
世界中の手をとり
The world is all one!! The world is all one!!
Unity mind.
329 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 23:24:26.21 ID:64qMODCb0
ワアアアアアァァァァァァァァァァァァ---!!!!! パチパチパチパチ…!!
地鳴りのような大歓声に手を振り、美嘉ちゃん達5人が一歩、前に歩み出ました。
「私達はぁーっ!!」
「『シンデレラ・スターリット』ですっ!!!」
「ありがとうございましたぁーーーっ!!!」
ワアアアアァァァァァァァァァァ---……!!!!
「ですが……良い笑顔だな、って思います」
私から語るクリスマスライブのお話は、これでおしまいです。
そして、魔法にかけられたような12月は終わり――。
年が明けると、プロデューサーさんは346プロの下を永久に去りました。
330 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 23:26:44.53 ID:64qMODCb0
* * *
「いやぁ〜、ウチのプロデューサーも一時はどうなることかと思ったが……
雨降って地固まる、と言ったところかな?」
「フンッ! そのままボロボロに崩れてさえいれば良かったものを」
「いやいや、あぁして立ち直ってくれたのも、元はと言えば機会を与えてくれた黒井のおかげさ。
美城君へ口利きをしてくれたお前には、感謝しているよ」
「勘違いをするんじゃあないぞ、高木。
私は貴様のプロデューサーがどうなろうと知ったことではない。それに」
「それに?」
「346プロの弱体化を狙ってあの軟弱プロデューサーを仕向けたのに、どうして346も765も勢いづく事になったのだ!」
「ハッハッハ、それは当人達を前にして言うことではないだろう。
なぁ、美城君?」
「黙れ! いいか、よく聞け美城よ。
私がその気になれば、貴様の娘が唱えるお姫様の城などというくだらん妄想など、いつだって塵芥にできるのだ。
貴様の城なんて、シンデレラじゃなくて3匹の子豚の小屋だ、小屋!」
「三男坊が建てた、頑丈な方の小屋かい?」
「頑丈じゃない方のだっ!! いちいち言わせるな!」
331 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 23:28:30.79 ID:64qMODCb0
「ハッハッハ、まぁまぁ……。
そうだ。そんなに言うなら、今度お前の事務所も同じ事をやってみるといい」
「何だと?」
「人材交流さ。
異なる事務所の間でそういう取り組みを行うことは、決してマイナスにはならない。
今回の一件で、お前にもよく分かっただろう?」
「大きなお世話だ。
第一、我が961プロはプロデューサー制などという軟弱な体制を敷いていない。
寄こすも受け入れるも、そもそもの筋合いが無いのだということを、貴様には散々説明をしたはずだがな」
「そうだったか。フ〜ム……」
「やりたいのなら、せいぜい346と765のお人好し同士、仲良くおままごとでも続けるんだな。
なんなら、今度は逆にでもしたらどうだね?」
332 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 23:29:30.06 ID:64qMODCb0
「逆って……346から765へ、ということかい?」
「弱小プロダクションに子豚が迷い込めるだけの余地があればの話だが?
ハッハッハ、コイツはいい!
あんな狭っ苦しい事務所を見て、お姫様気取りの豚共が卒倒する様をぜひ見てみ……」
「……フム」
「? ……何を考えている、高木」
「いいね、それ」
「は?」
「……美城。貴様まで、何を満更でも無さそうな顔をしているのだ」
333 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 23:33:07.58 ID:64qMODCb0
* * *
「千川さんっ!」
とある部署の元新人プロデューサーさんが、嬉しそうな顔をして私に駆け寄ってきました。
「この間話していたオーディション、無事に受かりました!」
「あらっ、やりましたね! おめでとうございます!」
「はい! これを足掛かりにガンガン業界に売り込んで、アイツの存在感を知らしめてやりますよ!」
キー局の番組のゲスト出演枠を決める大きなオーディションが、通ったとのことです。
彼も担当アイドルの子も、多大な苦労を重ねていた事を知っていたので、私まで自然と嬉しくなります。
「それで、そのぉ……PRにかけるための予算をですね、頂戴したいなぁ、なんて、えへへ……」
「? そっちの予算は、広報部さんに既に回してありますけど」
「えっ? で、でもっ!
あっちに聞いたら、もう新規に回す分の金は無いって言われたんですよ!」
334 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 23:35:50.06 ID:64qMODCb0
「この前の予算要望の時に、その辺りを見込んでしっかり要求しなかったからじゃないですか?」
「うっ……!」
痛い所を突かれ、彼はたちまち返す刀を失ってしまったようです。
まぁ、突いた側が言うのもなんですが、こういうケースの責任は大体決まってるもんなんですよね。
「まさか、ご自分の担当アイドルがオーディションに受かる可能性を考慮していなかった、なんて話ではないでしょう。
それを抜きにしても、本当に必要なお金であるなら、常に先を見越して十分な精査が成されてあって然るべきです」
「う、ううぅ……」
元新人プロデューサーさんは、その場に立ち尽くしたまま、すっかり体を縮こませ、小動物のように震えてしまっ――。
「うぅぅ、分かりました!」
「?」
「こ、今回は俺の不手際です!
何とか俺の先輩達にひたすら謝り倒して、どうにかPRの経費を恵んでもらえないか掛け合ってみます!
ちひろさんや広報部さんには、ご迷惑をお掛けしません!
自分の不始末は、自分で何とかします!!」
――うーん、決して悪い人ではないのですが。
「それ、自分で何とかできていないのでは?」
「あぅ……!」
335 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 23:37:39.16 ID:64qMODCb0
「第一、その先輩さん達の担当アイドルのためのPR予算を、一部犠牲にすることにもなっちゃうでしょう」
私は、バッグから手帳を取り出し、メモを書き加えました。
「いくら必要なんですか?」
「へっ?」
「こういう事もあろうかと、流用のために確保してある臨時調整金という予算枠が、あるにはあります。
アイドル一人のPRにかかる当面の経費程度なら、何とか賄えると思いますから、後で流用理由書と事業計画をウチにくださいね♪」
「せ、千川さぁぁん……!」
張り詰めた緊張の糸が切れたのでしょうか。
安堵しきった彼は、男だてらに、とは言いませんが、すっかり泣き出してしまいました。
「4月から入ってくる新人さんにも、ちゃんと教えてあげてくださいね。私の代わりに」
あの人にも、こういう時があったのかなぁ――なんて。
ふふっ♪
私は踵を返し、常務室へと足を運びました。
336 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 23:39:45.55 ID:64qMODCb0
「失礼致します」
部屋に入ると、常務はいつからそうしていたのか、手元の書類を難しそうな顔をしてジィーッと見つめています。
その書類は、私にも心当たりがありました。
「……君は、上役を便利屋か何かのようにでも考えているのか?」
開口一番、常務は私に問い質しました。
随分と藪から棒です。
「何の事でしょう?」
「君があの事務所と未だに繋がりを持っていることは知っている」
書類をデスクの上に投げ置き、いつものように手を組んで私を睨み上げてきます。
「父から……会長から、またしても無茶な依頼があった。
目の上のタンコブをどのように扱えば良いものか、君からもぜひご教示賜りたいものだと思ってね」
337 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 23:41:54.00 ID:64qMODCb0
「本当に知らないんです」
私はニコリと笑って返します。
「今回の一件は、私は何も関知していません」
「誰もこの書類の内容について話をしないうちから、随分と知った風な口を利くじゃないか」
いつぞや鎌をかけられた事の仕返しとばかりに、常務は鼻を鳴らしました。
でも――。
「既に皆知っています。
それは、この事務所の皆が……少なくとも、当事者となる人達は皆、それを待ち望んでいたからです。
それがようやく、先方からの申し入れによって日の目を見たのだと、私は先方の事務員さんから教えていただきました」
338 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 23:42:58.26 ID:64qMODCb0
フンッ、と面白くなさそうにため息をつき、常務は先ほど投げ置いた書類を手元に引き寄せながら、引き出しを開けました。
中からご自分の印鑑を取りだし、書類に判を押して私に差し出します。
「くれぐれも、346のブランドイメージを損ねることの無いように」
「ありがとうございます。
それと、4月からの専務昇格、おめでとうございます」
「君があっちにいる間に、また役職が変わっているかもな」
そう言ってクルリと椅子の背を向ける間際、常務の口角が上がっているように見えました。
この人も、そういうお茶目な皮肉、言うことあるんだなぁ。
「働きすぎないよう、お身体はくれぐれも大事にしてくださいね♪」
そう言って、私はバッグからエナドリを一本取り出し、常務のデスクに置いて失礼させていただきました。
339 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 23:45:06.61 ID:64qMODCb0
お聞きした話によれば、765プロからの正式な申し入れがあったのは、3月に入ってから。
でも、実際のところ、1月中には既にそういう話が、お偉いさん方の間で決まっていたみたいです。
765プロの高木社長と、ウチの美城会長――さらには、961プロの黒井社長も一枚噛んだのだとか。
目の上のタンコブだと、美城常務は会長の勝手な振る舞いを迷惑がっていましたが――。
何だかんだで判を押してくれる辺り、私達を応援する気持ちはあるのでしょう。
「千川さん」
廊下を歩いていると、前方からやってきたCPさんと出会いました。
「諸星さんと双葉さん、神崎さん、安部さんについては、先ほど必要書類を提出させていただきました。
城ヶ崎さんは……おそらくは、常務が取り次いでくださるかと思います」
「ありがとうございます」
「我が事ではないものの……不思議と、気分が高揚するものですね」
340 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 23:46:34.99 ID:64qMODCb0
穏やかに微笑むのを見て、私もつい頬が緩んでしまいます。
この人、結構お堅い人のはずなのになぁ。
「この間電話でお話したんですが、すごく忙しいみたいです。
ひょっとしたら、CPさんにもいずれお呼びがかかるかも知れませんよ?」
「その時が来るのであれば、ぜひいつでも」
CPさんは、力強く頷きました。
いずれ来るかも知れない機会に向けて、心づもりは万端のようです。
「何かお困り事があれば、遠慮無くご連絡ください。
ご武運をお祈りします」
「ありがとうございます。
CPさんも、何もなくてもご連絡くださいね」
「はい。それでは、失礼」
丁寧に私にお辞儀をして、彼は私の下を去って行きました。
341 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 23:48:00.47 ID:64qMODCb0
765プロから346プロへの人材派遣は、昨年でその取り組み期間を終えました。
彼は――プロデューサーさんはもう二度と、346プロに来てくれることはありません。
ですがそれは、プロデューサーさんに二度と会えないことを意味するわけではなかったんです。
だから、ちっとも寂しいことではありません。
なぜって、私達が会いに行けば良いのですから。
346プロからの派遣メンバーとして、選ばれたアイドルは5人。
きらりちゃんと杏ちゃん、蘭子ちゃん、菜々さん、美嘉ちゃん――。
シンデレラプロジェクトをはじめとする他のアイドルの子達も皆、『シンデレラ・スターリット』の5人が行くことに賛同していました。
美嘉ちゃんは、あのライブが終わった後、美城常務が主導するプロジェクトクローネに正式に配属されました。
だから、美嘉ちゃんの手続きについては、常務が直接取りなしてくれるのでしょう。
342 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 23:50:25.55 ID:64qMODCb0
そして、今回の765プロへの人材派遣は、なんと346プロだけではなく、他の事務所からも募るというのです。
その中には、283プロダクションという事務所の名前もありました。
あの日、竹芝でプロデューサーさんと初めて会った時、プロデューサーさんが履き物を履かせてあげていた女の子――。
283プロ所属のアイドル、杜野凜世さん。
彼女もまた、今回の参加メンバーに選ばれたのだそうです。
プロデューサーさんがいる事務所に、彼女も興味を惹かれたのかも知れません。
それに、765プロの新規プロジェクトである“劇場(シアター)”立ち上げに際する5人の候補生達――。
パッと想像するだけでも、当初の765プロの規模から考えれば、かなりの大所帯になるのは目に見えています。
事実、事務仕事も膨大になり、猫の手も借りたい状況なのだと、765プロの小鳥さんは電話口で嘆いていました。
343 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 23:51:56.63 ID:64qMODCb0
そこで、当初はアイドルだけだったはずが、事務員の応援についても、小鳥さんから依頼があったのです。
283プロの事務員さんにも、同様にヘルプを依頼しているそうなのですが――。
「346プロでは見せなかったであろう、プロデューサーさんの色々な顔……
もっと知ってみたいと思いませんか?」
電話口で、小鳥さんから得意げにそう言われてしまっては、聞き捨てる訳にはいかないじゃないですか。
なので、一応ウチも大企業ですし?
余裕を見せようと、二つ返事でその挑発に乗ってやったのです。
小鳥さんも、まったく人が悪いです。ふふっ♪
344 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 23:54:50.15 ID:64qMODCb0
トレーニングルームの前を通り過ぎると、元気な声が聞こえてきました。
「ほらほら、皆だらしなくない? もっとしっかりやろっ!」
檄を飛ばしているのは、美嘉ちゃんでした。
屋内とはいえ、さほど暖房を強くかけていないはずのその部屋で、キラキラと大粒の汗を振りまいているのが見えます。
「にゃははは、美嘉ちゃんすごいやる気だねー。ひょっとして発情期かにゃ?」
「発じょ……!? な、何言ってんの志希ちゃん! そんなんじゃないしっ!!」
「あー、そういや今度行く事務所で愛しのプロデューサーさんが待ってるんだったっけ?
こりゃ赤飯炊いとかなきゃねー、いやーお腹いっぱいやわー」
なるほど、これが常務の仰っていたクインテットユニットかぁ。
他の4人の子達も、美嘉ちゃんに負けず劣らず個性的なメンバーばかりです。
「あのね! アタシは別にそんなんじゃないって何度も言ってんじゃん!」
「図星を指された時ほどムキになる、なんてね。
ただでさえ競争は激しい上に、あっちには既に関係を築いた子もいるでしょうから、一筋縄ではいかないと思うけど?」
「何でアタシが競争しなきゃいけないの!? いいからさっさとレッスン…!」
「ねーねーミカちゃん、知ってた?
アイラビューをフランス語に訳して日本語で言い直すと、月が綺麗になるんだって!」
「どうでもいいし、何でフランス語かませたの!!?」
345 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 23:57:25.92 ID:64qMODCb0
賑やかな声が絶え間なくこだまするトレーニングルームを眺めていると――。
「あ、ちひろさん!」
「あら、菜々さん達、お疲れ様です」
菜々さんときらりちゃん、杏ちゃん、蘭子ちゃん。
今度派遣される『シンデレラ・スターリット』の皆さんです。
「美嘉ちゃん、中にいりゅ?」
「えぇ、とても楽しそうですよ」
「うわぁ、こんな集団の中に入る勇気は杏無いよ……どっかで時間潰さない?」
窓から覗いて顔をしかめる杏ちゃんを、菜々さんが叱責しました。
「ダメです!
明日からナナ達、765プロさんでお世話になるんですから、ちゃんと初めのご挨拶を皆で考えていかないと」
「だから、今じゃなくても明日出る前とか…」
「鍛錬無き魔力に輝きが宿ることなど無いわ!
茨があるならたとえ……うわ、LiPPSの人達」
蘭子ちゃんも、どうやら中にいる子達の雰囲気に圧倒されているようです。
これから他社さんに行こうって人達が、こんな事でビビってどうしますか。
私は、トレーニングルームの扉をガチャッと勢いよく開けました。
「美嘉ちゃーん! 皆さんがお呼びですよー!」
346 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/12(土) 23:58:26.27 ID:64qMODCb0
その瞬間、助けを求めるような美嘉ちゃんと、新たな標的を見つけた4人の子達が一斉にこちらへ振り向きました。
「な、ち、ちひろさんっ!?」
「にょわー☆ みんなー、ちょっと美嘉ちゃん借りるにぃ♪」
「じゃ、杏はこれで」
「ぴぇっ!? け、結界を張る前に解き放たれては……!」
「おや」
「ほう」
「あら」
「ンー?」
「みんな、助けて、ていうか逃げてぇーっ!!」
この賑やかな様子なら、765プロへ派遣されている間も、彼女達は元気に楽しくやっていけそうです。
347 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/13(日) 00:00:08.60 ID:BfsWwnZZ0
事務室へ戻り、外出前のメールチェックのために、パソコンを立ち上げます。
すると――。
「……あら?」
見慣れないメールが一件届いていました。
346プロ総務への代表アドレス宛てに、外部の方から送られてきたもののようです。
いえ、外部というより――英語?
海外の方?
「“Junie”……?」
まさか――いいえ、その“Junie”と名乗る送り主について、思い当たる節は一人しかいません。
私は、手早くそのメールをプリントアウトして、クリアファイルに入れました。
765プロに行ったら、彼に見せて、確認をしたいと思ったのです。
そして、私の予想は、おそらく当たっているでしょう。
もしかしたら765プロ宛てにも、同様のメールが送られてきているかも知れません。
彼女の物語も、まだ終わっていない――。
さて、改めてデスクを一通り片付けて――っと。
「……よしっ!」
頼りない課長に一礼し、私は事務所を後にしました。
348 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/13(日) 00:02:40.16 ID:BfsWwnZZ0
皆より一足先に、私は今日、これから765プロに行ってきます。
正式な派遣は明日からですが、予め事務員向けの業務説明を受けに行く必要があるのです。
外に出ると、彼が去った冬はもうじき終わりを迎え、新たな季節が始まろうとしています。
私達にとっての春が。
各地から選りすぐりのアイドル達が、プロデューサーさんが待つ事務所へと集っていく。
それが果たして、かつての物語にあった兵士さんとお姫様のような結末を迎えるのかどうかは、分かりません。
ですが、あの日竹芝から始まった私達の物語は、まだ続いていくのです。
それが何よりも、私には嬉しくてたまりません。
「ふふ……空見上げ、手ぇーをつなごう♪」
349 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/12/13(日) 00:04:32.18 ID:BfsWwnZZ0
きっと、765プロルールの難解で膨大な事務処理が私を待ち受けていることでしょう。
346プロの仕事しか知らない私には、きっと数多くのカルチャーショックがあり、初めは大いに苦労するであろうことは覚悟の上です。
ですが――。
「この空はー つながぁってる〜♪」
プロデューサーさんが皆と手掛けていく、色とりどりの煌めきが織りなすステージが、もうすぐそこまで来ている――!
待ちに待った765プロ出勤初日を明日に控え、駅へと向かう私の足取りは誰よりも軽いのです。
数多の星明かりに照らされた私達は、辛いことや苦しいこともあれど、それ以上に何度でも笑い合える。
その先にある未来に向けて、迷いなんてありません。
そうですよね、プロデューサーさん?
〜おしまい〜
350 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2020/12/13(日) 00:08:46.71 ID:BfsWwnZZ0
後半部分、ゲーム「アイドルマスター」の楽曲『The world is all one !!』の歌詞を一部引用しています。
長くなってしまい、すみません。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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