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【ミリマス】木下ひなた「潜移暗化」
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1 :
◆BAS9sRqc3g
[sage]:2020/10/09(金) 17:13:38.66 ID:V6x1Fopt0
※注意事項※
・アイドルマスターミリオンライブのSS
・エロ無し
・名ありのモブが出ます
・pixivにあげたものと内容は同じです。
・バッドエンド
SSWiki :
http://ss.vip2ch.com/jmp/1602231218
2 :
◆BAS9sRqc3g
[sage]:2020/10/09(金) 17:14:44.36 ID:V6x1Fopt0
【潜移暗化】 せんい・あんか
環境や他人から影響を受けて、
いつの間にか自分の性質や考え方が変化していること。
「潜(ひそ)かに移(うつ)り 暗(あん)に化(か)す」
3 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 17:16:39.72 ID:V6x1Fopt0
第0章 プロローグ あたしにはなんにもなかった
あたし、アイドルになるよ。
そう決めたのは14歳の頃だった。
765プロの社長に地元の北海道で直々にスカウトされて、
あたしはアイドルになることを決意した。
4 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 17:18:07.12 ID:V6x1Fopt0
だからなのか、何をやっても最初から上手く出来る
なんてことはなくて失敗ばかりが積み重なる。
それで落ち込んでいる時に、
あたしのことを担当してくれている
プロデューサーはいつも決まって言う。
「まだまだこれからだ。頑張っていこう」
「今回は相手が悪かったな。
でも大丈夫、ひなたはきっとみんなの目に止まる存在になるよ」
あたしはプロデューサーが困らないように、笑顔を作ってみせた。
5 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 17:19:13.09 ID:V6x1Fopt0
たぶん、ぎこちない笑顔で言ってたんだと思う。
「次はあたしも頑張るよ」
レッスンを繰り返し、オーディションを受けては落ちて。
またレッスンをして、オーディションを受ける。
そして、落ちる。
所属する765プロのアイドルの仲間もみんな良い子ばかりだった。
誰も彼も優しくて、
あたしのお喋りのテンポは
みんなよりもゆっくりだったのだけど、
誰も嫌な顔しないで聴いてくれた。
6 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 17:20:01.27 ID:V6x1Fopt0
奈緒さん、エミリーさんは
特にあたしにもよくしてくれていたと思う。
「なんでも言うてくれてええからな!
困ったことがあったら言うてや。
プロデューサーがなんやアホなこと言うてるんなら
私に言えばええわ。どつき倒したるわ」
「次も一緒に練習しましょう。
日々の積み重ねが大事だと思います」
7 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 17:20:57.57 ID:V6x1Fopt0
その優しさがあたしの心にすーっと染みていって、
それで腐らせていったのかもしれない。
いや、優しさに、ただ甘えていただけなんだ。
こんなあたしにも
「東京に行って売れっ子アイドルになるんだ」
っていう野心があった。
燃えたぎるその情熱は
この優しい優しいぬるま湯に浸かることで
あっという間になくなっていった。
みんながいるから。
みんなと一緒ならきっと大丈夫。
8 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 17:21:49.79 ID:V6x1Fopt0
「みんな東京に出てきた3人だからね」
そう、あたしも言っていた。
でも現実は違った。
奈緒さんにはダブルエースとい
う佐竹美奈子さんとのユニットがあった。
エミリーさんには白石紬さん、天空橋朋花さんとの
和風ロックなユニットがあった。
……あたしにはなんにもなかった。
9 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 17:23:00.10 ID:V6x1Fopt0
第1章 あたしでごめんね
「うん……今回はたまたま、ね」
今日は朝から事務所に顔を出すとプロデューサーにすぐに呼ばれた。
プロデューサーの座る机に向かう。
プロデューサーはガサガサと机の上に
束になって置いてある書類の中から紙を一枚引っ張り出す。
あたしがプロデューサーの横に立つと同時に、その紙を渡した。
10 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 17:23:52.55 ID:V6x1Fopt0
紙には「ミニステージ 群馬デパート」と書かれている。
何分繋いで欲しいとか、
この商品を紹介して欲しいとか書いてある。
「プロデューサー、これわざわざ取ってきてくれたんだね。ありがとう」
「いや……ああ、うん。そうだよ」
プロデューサーは目の前のパソコンから目を離さない。
文字を一生懸命に打っては消してを繰り返している。
立ち上がってるのはメールソフトだから、
誰かにメールを送っているんだろうか。
誰宛にメールを送っているのかは分からない。
11 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 17:25:18.15 ID:V6x1Fopt0
「そっかぁ。それで、これは……あ、明日だべか」
いつのお仕事なんだい、
と聞こうとして紙に目を通して居た時に見つけてしまった。
開催日が明日かぁ。
「こりゃあ、偉いことだわ」
「ああ、いよいよヤキが回って出演者には
高額を払うと言ってきたんだ。
その代わり、デパートの中にポニーを
連れ込んで乗馬体験もする、と。
色々考えた結果、生きた動物との相性は響よりも
ひなたの方がこっちは向いてるかなって思ったんだ。
まあ響は今日、大阪の方のイベントから戻ってくるばかりだから。
連日遠出ってのは避けたいって、響の担当とのやり取りであったし」
12 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 17:26:06.89 ID:V6x1Fopt0
経験不足のあたしよりも
先輩アイドルの我那覇響さんが出ていった方が
イベントは確実に成功するだろうなぁと分かっていた。
特に準備期間があまりないお仕事は。
ガタガタとパソコンのキーボードを打つその指には
いくつも絆創膏が貼ってある。
なんの怪我だろう。
そういえば最近頑張って自炊をするとか
言っていたかもしれない。
慣れない包丁とかで怪我しているんだろうなぁ。
13 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 17:27:32.97 ID:V6x1Fopt0
「それだけなんだけど、良く見ておいてくれ。
明日朝一で出て会場入って打ち合わせだ」
プロデューサーはよくオーディションでダメだった時に言っていた。
「まあ、その……なんだ。
あんな紙ペラ一枚で済まされる
仕事の内容なんてロクなもんじゃないんだよ」
あたしの手には紙が一枚。
小さな文字でぎっしり内容が書き込まれている。
その上プロデューサーの手書きの文字で書き込みもある。
紙の脇には我那覇響、菊地真、伊吹翼、島原エレナ
と上から順番に書いてあり、
名前を消すように大きくバツが書かれていて、
最後に木下ひなたに丸が付けられてあった。
14 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 17:28:27.68 ID:V6x1Fopt0
この”総当りで書き出されている”アイドルの名前は
全て同じ事務所のアイドル。
みんなとってもいい子でダンスが上手な子が多い。
この子たちにバツが付いてるのはなんでなんだろう。
あたしはもしかしたら、最後の候補の一人だったのかもしれない。
これは上からの候補の順番だったのかもしれない。
ううん。違うよ。
大丈夫。
やれば出来る。
15 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 17:29:07.72 ID:V6x1Fopt0
メールを打ち終わったのか、
プロデューサーは立ち上がり、
紙一枚を見つめる私を見て言う。
「大丈夫。明日頑張ろうな」
そう言って、あたしの頭をポンポンと撫でる。
大きな手が温かい。
プロデューサーはそのまま、事務所を出ていってしまった。
たぶん片手にタバコを持っていたので、
屋上にタバコを吸いに行ったんだろう。
16 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 17:29:43.24 ID:V6x1Fopt0
次の日。
眠そうな目で事務所に来たあたしを
プロデューサーはスーツを着て迎え出てくれた。
事務所は既に温かい。
何分、いや何時間前から事務所に来ていたのだろう。
「早いねぇ。おはようございます」
「準備がいいなら行くぞ。大丈夫か?」
「うん! 行こう」
17 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 17:30:39.13 ID:V6x1Fopt0
あたしはプロデューサーの運転するワゴンに乗り込む。
助手席に座ると広い車内を振り返る。
誰かの忘れ物か、
置いたままにしているだけか分からないビニールの傘が
座席の足下にある。
芳香剤の放つ独特の異臭が苦手なあたしは
プロデューサーがシートベルトを締めるのに、
目を離した隙にこちらに風が来ないようエアコンの口をずらす。
18 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 17:32:01.38 ID:V6x1Fopt0
エンジンがかかる頃にあたしはシートベルトを
締めてプロデューサーに「お願いします」と挨拶をする。
プロデューサーは「うん」とも聞き取れない
曖昧な返事だけして車は発進した。
しばらくするとプロデューサーも身体が起きてきたのか、
よく喋るようになってきた。
それに釣られてあたしもプロデューサーと喋っていく。
19 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 17:32:46.58 ID:V6x1Fopt0
「今日行くところは群馬の中じゃまだ都会の方で……」
「そういえばこの前の、奈緒さんは面白かったねえ。
プロデューサー見た? ああ、現場に居たんだっけ……
面白かったなぁ〜」
「今日行く会場って行ったことある?
そうか。俺もないんだ実は……」
「小鳥さんや美咲さんにお土産を買う時間とかあるんだろうか」
「ちょっとタバコ休憩挟んでもいいか」
「あたし飲み物買ってくるよ。何がいい?」
「うわ、これほんとに道あってんのか?
ナビの通り来たけど」
「あ、あれじゃないかな?」
20 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 17:33:56.00 ID:V6x1Fopt0
2人きりのまるで小旅行のような時間は
ものの1時間ちょっとで終わってしまった。
車から降りるとぐーっと伸びる。
廻りには何もなくて、背の高い木ばかりが見える。
デパートは商業施設が1階から5階まである。
6階から8階、屋上は駐車場になっているが、
その7階に駐めた。
なので伸びたところで、
深呼吸したところで田舎の新鮮な空気は
さほど感じられずに居た。
21 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 17:34:39.10 ID:V6x1Fopt0
プロデューサーとすぐに関係者入り口から受付を済ます。
入館証を首から下げて中を進む。
廊下を進んで会議室のようなところまで行ってから
打ち合わせをするのだろうな、と思っていた。
でも、現実はもっと非情だった。
「あー! きたきた! 765プロさん! ですよね! ね?」
廊下の向こうからパタパタと
早足でこちらに来たのは小太りのおじさんだった。
22 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 17:35:15.47 ID:V6x1Fopt0
着ていたワイシャツは汗ばんでいる。
ぴっちり七三分けした髪は固められてテカテカしてるし、
作った笑顔がそのまま固まって顔を形成しているようだった。
プロデューサーの肩を押すように
廊下の壁の方に向かってヒソヒソ声で話し出す。
ただ、おじさんの声は大きいので
その輪に入れないあたしにもちゃんと聞こえていた。
23 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 17:35:51.13 ID:V6x1Fopt0
「いや、いやね!
申〜〜〜し訳ございませんのだけども。
急遽、ご当地アイドルちゃんが決まっちゃってね」
「はっ?」
「あのね、申し訳ないんだけども、
今回の765さんはちょっとコレで」
コレと言いながら胸元に両人差し指でバツを作る。
プロデューサーも一瞬だけあたしの方を見る。
24 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 17:37:00.48 ID:V6x1Fopt0
「いやちょっと待ってくださいよ」
「ごめんね! じゃあもうその子と
打ち合わせ行かなくちゃだからさ! いやほんと!」
プロデューサーの脇を抜けるように
行こうとする小太りのおじさんを
プロデューサーはスッと立ち回って止める。
顔は焦りというよりほぼ怒りに近い。
どこか喉の奥に鉄砲の引き金を隠しながら、
語気を抑えるように話す。
25 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 17:38:20.35 ID:V6x1Fopt0
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ松田さん。
朝イチの打ち合わせでって昨日約束したんですよ?
そんな急に言われても……」
松田さんと呼ばれるおじさんは
プロデューサーの勢いに後ずさりしながら目をそらし、
そらした先に居たあたしとも一瞬目が逢った。
「いや、んーまあー。
ね、そう言われても僕だって上から言われちゃってるんだよ。
ご当地の子を使えば給付金が県からでるんだとかって来てて、
店長も本部の人たちもすっかりその気で。
いや参っちゃうよね。分かるよお宅の気持ちは。
でも僕じゃどうにもできなくて」
26 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 17:39:29.22 ID:V6x1Fopt0
「ひなたは今日のために、来ているんですよ。
動物の扱いだって彼女は北海道の
農家出身なので問題ないですし」
プロデューサーはあたしの背中を抱くように
引き寄せてから松田さんの前に突き出した。
あたしもなんとかプロデューサーの役に立たねば
という思いで一生懸命にプロデューサーの話に相槌をうつ。
「あの、あたし頑張ります!
お手伝いでもいいんで、大丈夫ですよ!」
27 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 17:40:27.39 ID:V6x1Fopt0
しかし、松田さんは目をあわしてはくれなかった。
それどころか、あたしのことを脇に避けて
またプロデューサーと壁に向かって
ヒソヒソ話をするように肩を組む。
でもやっぱり声は大きいから聞こえるんだ。
「やっぱり無理だよ。今度何か用意するから。
頼むよ、ここは引いてくださいよ。
ねっ。あのね、うちも最初は響ちゃんでって言ってたでしょ?
すんなり響ちゃん来てればお手伝いはさせたかもしれないけど」
「代理でも構わないって言ったじゃないですか。
それに”響には”そんなことさせられません。
でもひなたなら手伝いだってやらしてくださいよ」
28 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 17:41:33.87 ID:V6x1Fopt0
「いやぁ……。いやだめだめ。
無理だよ。ごめん。ほんともう行かなくちゃ。また頼むよっ!
ああ、車で来てるなら入館手続きしたところで
精算無しに出来るから、松田から言われたって
言ってやってもらって! それじゃ、ごめんね〜」
「あっ……」
廊下をパタパタと早足で行ってしまった松田さん。
プロデューサーの追いかけようと伸ばした手は
だんだんと下に下がっていく。
だらんと下まで来て、そこで止まった。
29 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 17:42:45.54 ID:V6x1Fopt0
あたしは何も声をかけることができなかった。
店内放送で
「松田さん松田さん、至急会議室まで」
と放送されると、廊下の突き当たり曲がった見えないところで
松田さんのさっきの調子で
「あ〜もう、はいはい行きます行きます」
と騒ぎ立てるのが聞こえた。
プロデューサーはゆっくり振り返り、
あたしの方なんて見向きもしないで歩き出した。
すれ違い際にぼそっと「もう行こう」とだけ言うのが聞こえる。
30 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 17:44:08.86 ID:V6x1Fopt0
プロデューサーの背中はとても小さくて、
さっき見えた顔は申し訳無さと怒りと後悔と恥が入り混じった
複雑な顔をしていた。
あたしはそのプロデューサーの感情を
どれも和らげてあげることはできなかった。
ただ、後ろを一緒にとぼとぼとついて行くだけだった。
そのままプロデューサーとあたしは車に乗り帰ることになった。
というか、あたしはプロデューサーについて行くだけで、
車に乗った段階で「ああ、本当に帰るんだ」ということを知った。
31 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 17:45:07.28 ID:V6x1Fopt0
帰りの車は2人とも何も喋らなかった。
ラジオから流れるアナウンサーや
パーソナリティの高いテンション、
そして紹介されるよく分からないけどぐっすり眠れそうな布団。
それから窓からは快晴の空。
雲一つない青空を、
どうしてこんな重たい気持ちで走り抜けているのか。
誰もなにも喋らない。
行きの車内はあんなに楽しそうに話していたのに。
それが嘘のようだった。
本当に嘘なら良かったなぁ。
32 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 17:46:20.44 ID:V6x1Fopt0
パーキングエリアには黙って入っていった。
ようやく一言だけプロデューサーは
「少し休憩しよう」
と言い鞄から財布とタバコを持って車から降りる。
あたしも一緒に織りてお手洗いを済ましておく。
車に戻るのはなんだか気まずくて、
でも戻らないとどこに行ったのかプロデューサーは心配するだろう。
ちょっとだけ、パーキングエリアにあるお土産コーナーを
何も買わずに一周してから車に戻る。
戻ろうとした時、飲みきったコーヒーの缶を
叩きつけるようにゴミ箱に捨てるプロデューサーの姿を見てしまった。
少し遠くにいたから咄嗟に近づく足が止まってしまった。
33 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 17:47:30.43 ID:V6x1Fopt0
それからプロデューサーが
スマホをポケットから出したあたりで、近くに行く。
「プロデューサー……?」
「ん、ああ……」
たぶん、今LINE送ろうとしたんだって言おうとしただと思う。
けど近くにあたしが居たことでさっきの行動を見られたのかも
と勘づいたのか、それ以降は何も言わなかった。
プロデューサーとあたしは車に乗り込む。
扉を閉める音がさっきとそんなに変わらないはずなのに、
八つ当たりのように大きな音に聞こえる。
34 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 17:48:40.75 ID:V6x1Fopt0
エンジンの音と揺れる車内。
やかましいラジオは布団の紹介をもうとっくに終えていた。
次のコーナーでは視聴者から貰ったお便りに
何か色々ケチを付けている。
チラリと景色を見るフリしてプロデューサーの顔を見る。
運転に集中している、フリをしているんだろうな。
今本当ならこの時間、何をしていたのだろう。
あたしはあの瞬間、何を言えば採用されたのだろう。
ぐるぐると考えては沈んでいく。
35 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 17:49:21.30 ID:V6x1Fopt0
ナビが無機質に「東京都に入りました」と告げる。
時刻は11時だった。
「プロデューサー……あのね」
「……」
「あたしでごめんね……」
「……俺こそ、ごめん」
36 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 17:50:12.17 ID:V6x1Fopt0
プロデューサーは、何に謝ったんだろう。
仕事が無くなったこと?
あたしなんかをこんな所に引っ張ってきたこと?
それとも、あたしを最後に選ぶための補欠扱いしていたこと?
隣に座っているのに2人の間がどんどん離れていく気がする。
それと比例するようにラジオの笑い声は増えていく。
37 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 17:50:55.83 ID:V6x1Fopt0
もし、あたしじゃなくて、
響さんだったら帰らされていたのは、
急に出てきたご当地アイドルなのかな。
そこらのお手伝いならあたしにも出来る……のかな。
響さんにはさせられないような雑用もあたしならやらされるのかな。
そうかぁ……。
あたしは雑用をやらせたって
何やらせたって別に構わないのかな。
そっか……。
38 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 17:51:46.92 ID:V6x1Fopt0
遠くに見える看板や山をただ見つめていた。
緑色が目に映る。
何も考えたくなかった。
ラジオから女性の声で
「もうやだぁ〜! 何考えてるんですかねぇーもう」
という笑い声が聞こえる。
車はただ、すいている高速道路を走り抜けるだけだった。
39 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 17:52:35.60 ID:V6x1Fopt0
第2章 遊びでやってんじゃねえんだよ
「今回は強敵揃いだから気を抜くなよ」
そう、プロデューサーはあたしに言った。
今更そう言われてもあたしは練習してきた実力を発揮するだけだよね……。
あたしは「分かった……!」と力強く答えることしか出来なかった。
40 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 17:53:18.43 ID:V6x1Fopt0
たぶん緊張のせいもある。
オーディションの順番を待機する楽屋がいつも以上に暗く感じる。
今更、こんな何回と受けたようなオーディションで
緊張してどうするんだろうって自分でも思う。
でも、今日は違う。
あたしが北海道の田舎で見ていた
テレビにも出ていた大森さんが審査で来ている。
ようやくあたしもここまで来たんだ。
41 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 17:54:43.16 ID:V6x1Fopt0
「ひなた? 緊張してるのか?」
「うん、だってあたしの憧れだった
アイドルの一人があたしを審査するんだよ……。
これはすごいことだよ」
「そうか……! 緊張していることを
自分で理解しているのは良いことだし、
この緊張感をベテランになってくると忘れてくるからなぁ。
よく覚えておくといいよ」
プロデューサーは自分の言葉に酔っていた。
それからタバコを吸いにどこかへ消えた。
あたしは目の前の次の順番は
いつなのだろうと緊張するばかりで、
練習したことが頭からポロポロと抜け落ちるような感覚に襲われる。
42 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 17:55:34.52 ID:V6x1Fopt0
今日、行われるのは全国区で放送される
新人アイドルオーディションの番組。
番組は半年に一回の
番組再編成時期に行われる特番として人気がある。
今回、特別に審査員でいる大森さんは
かつてこの番組から産まれ、
一躍大人気となったアイドルの一人だった。
だからこそ、
アイドルとして売れるための登竜門として、
この番組に賭けているアイドルは多い。
もちろんあたしだってそうだ。
43 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 17:56:29.27 ID:V6x1Fopt0
いてもたってもいられなくなり
今日披露する予定の曲の振り付けを確認し直す。
振り付けはやればやるほど、
頭にも身体にも入っているのに、
目の前に広がる審査の冷たい目を想像すると肝が冷える。
待機の楽屋では同じように緊張している人と、
終わって結果待ちの人が居る。
結果待ちの人はある意味肩の荷が一つ降りたように
安心しているから直ぐに分かる。
もしくは、明らかな失敗をして、
どうせここに居ても無駄だ、
と帰り支度を青い顔で始める子もいる。
44 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 17:57:26.42 ID:V6x1Fopt0
そんな中で。
「間違いなく、私で決まりね!」
そう楽屋中に聞こえる声で言っていたのは
2つのお下げが特徴的な青みがかった髪の女の子だった。
ひらひらの綺羅びやかな衣装がまた目立っていた。
その子の隣にいるメガネの、
高身長だけど背筋の曲がった女性マネージャーから
乱暴にタオルと水を奪い取っていた。
誰もがその自信過剰な態度に一瞥をくれるが、
その後はみんな自分のことに集中するように背を向けていた。
あたしも自分のことをやらないと、
と思った瞬間、その女の子と目があってしまった。
嫌そうな顔で舌打ちをされたのが聞こえる。
そうだよね、ジロジロ見られるのは誰だっていやだもんね。
45 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 17:57:58.67 ID:V6x1Fopt0
「次、13番」
待機の楽屋を扉を半分だけ開けてスタッフが呼びに来る。
あたしの番だ。
プロデューサーはタバコ吸いに行ってて居ない。
一人でも行かなくちゃ……。
「はい、765プロの木下ひなたです」
「それじゃあこちらに」
46 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 17:58:47.37 ID:V6x1Fopt0
スタッフが開けてくれている扉の方に早足で歩く。
途中で誰かの足がひゅっと出てきて、引っ掛けてくる。
あたしはそれに躓くも、ギリギリで踏みとどまり、
転ぶことはなんとかせずに、
そのままスタッフと部屋を出ることができた。
背後からはさっき聞いた舌打ちと同じ音が聞こえた。
でも、あたしは気が付かないフリをして廊下に出る。
寒い冷え切った廊下を歩き一つの部屋の前に来る。
部屋の前には「選考会場」と書かれた紙が
セロテープで付けられている。
47 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 17:59:20.52 ID:V6x1Fopt0
あたしは大きくノックをして入っていく。
「失礼します!」
長テーブルに5人ほど座っている。
一番真ん中に大森さんが座っていた。
本物だ。
オーラが周りのスタッフと全然違う。
48 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 18:00:34.99 ID:V6x1Fopt0
あたしが大きな声で入っても
雑談を続ける4人の審査員。
一番右の30代くらいの男性は
あたしに気が付いていたので、
あたしはその人に笑顔で挨拶をする。
部屋に入り真ん中まで歩いていくところで
ようやく大森さんは
「ほら次の子来てるから、ふふ」
と雑談を辞めて座り直す面々。
右から30代くらいの若い金髪の男性。
60代くらいの太った男性。
真ん中には大森さん。
50代くらいのメガネの男性。
そして一番左に40代くらいの坊主頭の男性が座っていた。
49 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 18:01:20.38 ID:V6x1Fopt0
「765プロダクションの木下ひなたです。よろしくお願いします」
元気な挨拶と綺麗なお辞儀は予定通り。
用意した音源を渡す。
それから、音源データの入ったディスクを受け取った
金髪の男性が薄いノートパソコンをパタパタ触っていく。
あたしはその間、準備に入る。
広い会議室の真ん中に立つ。
靴紐を確認する。ほどけてない。
キツすぎもしない。
50 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 18:01:58.46 ID:V6x1Fopt0
「あなた、出身は北海道なのね」
「へ?」
唐突に大森さんから話しかけられ、
あたしは素っ頓狂な声を出してしまう。
「はい! 北海道出身です」
「いつ頃出てきたの?」
「えっと、14歳の時です」
「へえ、今は……16歳。若いわねえ、見えないわ」
51 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 18:02:52.24 ID:V6x1Fopt0
大森さんはあたしの資料を見ている。
胸元にかけてある老眼鏡をして、
資料とあたしを交互に見始めた。
眉間によるシワがあたしの緊張を加速させる。
「じゃあ……結構東京来てからは長いのよね。
その、訛りは直さなかったの?」
「えっと、何度か直そうと思ったんだけども、
中々直らなくて……お恥ずかしい話です」
「ううん、いいじゃない。方言女子、素敵よ」
52 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 18:03:41.25 ID:V6x1Fopt0
大森さんは老眼鏡を外して真っ直ぐ鋭い目であたしに言う。
そうか……そうやって受け入れられていないのかと思っていたけど、
あたしはこのままで良かったんだ。
「準備出来ました。それじゃあ木下さん、お願いします」
「はい……! 曲はりんごのマーチです」
53 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 18:04:33.60 ID:V6x1Fopt0
──1時間後。
あたしの前には面接の人たちがまた立っていた。
「合格よ、木下さん!
このあとの本番もよろしくね!」
「ありがとうございます、大森さん」
目の前に立つ大森さんがあたしに言う。
期待しているわ。と言わんばかりに
あたしの肩をボンと強く叩いた。
54 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 18:05:51.18 ID:V6x1Fopt0
出演準備を始める頃、
スマホにプロデューサーからのラインで「急用で先に戻る」とだけあった。
そっか。
あたしのことばかり構っていられないもんね。
大変だよプロデューサーは。
あたしは合格したことをプロデューサーに報告しようとする。
「どうしてなの……! なんで……!」
楽屋中に響き渡る声が聞こえる。
声の方を見ると、あたしに足をかけたあのお下げの女の子だった。
55 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 18:06:43.09 ID:V6x1Fopt0
ぎゅっと衣装のスカートの裾を掴み、
猫背になった彼女のマネージャーさんに
丸めた台本か何かを叩きつけた。
マネージャーさんは「まあまあ」みたいになだめるようにして、
彼女の叩きつけた勢いでバラバラになった台本を拾い出した。
まるで中世の貴族と奴隷のようだ。
それから、彼女はそれでもまだ不満なようで、
何か聞いたことのない言葉で、
屈んだマネージャーさん頭上から怒鳴り散らしている。
56 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 18:07:42.67 ID:V6x1Fopt0
「あんた何とかしてきなさいよ!」
「そう言われても、これはオーディションなんで……」
「そんなの関係ないわよ! あたしが一番でしょ!?
こんな所にいる田舎臭い連中より!」
何も怒りをぶつけるものがなくなった彼女は
とうとう子供みたいに地団駄を踏み出した。
そして、最後には「うわああああん!」と大きな声で泣き出したのだ。
57 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 18:09:00.85 ID:V6x1Fopt0
あたしはこういうの、
他の現場のオーディションでも見たことがなかった。
他のアイドルと言うと我関せずというか、
鬱陶しそうな視線をチラリと向けるだけだった。
そうだよね。
悔しいのは、ここに居るアイドルの女の子は
みんな悔しい思いをしているのに、
この子1人だけがこんなワガママを言って喚いて言い訳がない。
いや、多分みんな心の中では同じように泣いているんだと思う。
ましてや、ここで泣いていたって
「じゃあ貴方可哀想だからやっぱり合格!」
なんてことにはならない。
というか、そんなことあったら暴動が起きそう。
58 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 18:09:58.05 ID:V6x1Fopt0
お下げ髪の女の子は、
帰ろうと腕を引こうとするマネージャーさんの手を叩き、
そのついでに殴る蹴る。
マネージャーさんのかけていたメガネがついに
カランと床に投げ出されたのを見て、
あたしはとうとう我慢が出来なくなる。
「あのね、マネージャーさん
痛がってると思うからやめてあげな。ね?」
拾い上げたメガネを
マネージャーさんに渡しながらあたしは言った。
あたしはその女の子の視線の鋭さにぞっとした。
なんて冷たい目をしているんだろう。
怖い人だなぁ。
59 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 18:11:29.84 ID:V6x1Fopt0
「なによ! 合格したって言われてたの聞いたんだから!
あたしを笑いに来たの!? そうなんでしょ!
ハッ! どうせあたしはおちこぼれよ……!」
おちこぼれ……。
その子は最後だけ少し俯きながらそう話していた。
いつの間にか周りにはあたしとこの子達だけになっていた。
おちこぼれだと自分を否定するこの子の、
さっきまでの自信はどこへ行ったのだろう。
今はただ、泣きわめく子供だった。
多分、本当の年齢も14歳くらいなのだろう。
世間知らずで何も知らない、
世界の中心に自分が居ると思いこんでいる時代だろうな。
60 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 18:12:04.82 ID:V6x1Fopt0
「あのね、今日はたまたま落ちたんだよ。
あたしは貴方のパフォーマンスを見ていないんだけどね。
きっとすごく良かったと思うよ」
火に油を注ぐ。
言葉を言い終えた瞬間に「しまった!」と思うが、遅い。
お下げ髪のその子は更に顔を真っ赤に燃やしながらあたしに詰め寄った。
「あんたに何が分かるのよ!」
61 :
◆BAS9sRqc3g
[sage saga]:2020/10/09(金) 18:12:47.65 ID:V6x1Fopt0
あたしは……この時、どんな顔をしていたのだろう。
同情とか、この子みたいな怒りを持っていたわけでもない。
何も……。
何も感じていなかった。
言葉が、耳を通り抜ける。
お下げ髪の女の子は何かを言っている。
意識を集中させる。
この子は今何を言ったのだろう。
「あんたにお願いがあるの……!」
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