梨子「人魚姫の噂」

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302 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 22:33:45.20 ID:vQ6qZL/R0


果南「…………」

梨子「…………」


二人で淡島を歩く。

二人で並んで歩きながらも──お互い無言が続く。無言のまま歩いて、気付けば淡島内にあるトンネル・ブルーケイブの中。

どうしよう……これでも、一応話をしに来たつもりなんだけど……。どう会話を切り出せばいいのかがわからない。

そんな中で、無言の空気を先に破ったのは、


果南「……あの、さ」


またしても、果南ちゃんだった。


梨子「ん……」

果南「その……ちゃんとお礼言ってなかったなって……」

梨子「お礼……」

果南「マルから聞いたんだ……私、すごく危ない状態だったって」

梨子「……」

果南「梨子ちゃん……助けてくれてありがとう」

梨子「…………私」


足を止めて、目を伏せる。お礼を言われるようなことをした覚えはない……むしろ、


梨子「私…………果南ちゃんの大切な絵本……燃やしちゃった」


私は、果南ちゃんが『やめて』と言っても、やめなかった。彼女の思い出を……燃やしたんだ。


果南「……あのときは私も気が動転しちゃってて……あんな風に言っちゃったけど……。あのままだと、私泡になって消えちゃうところだったんだよね……? 梨子ちゃんは私を助けてくれた……気に病むようなことじゃないよ」

梨子「それだけじゃない……私……ずっと、果南ちゃんの気持ちを盗み見てた」

果南「それは、違──」

梨子「──私……!」


果南ちゃんの言葉を掻き消すように、言う。


梨子「本当はもっと前から、気付いてたの……気付いてたのに……自分が間違ってたこと、認められなくて……果南ちゃんをずっと傷付けてた……」

果南「……梨子ちゃん」

梨子「この力は、“ご縁”なんだって、自分の都合の良いように解釈して、思い込んで……それで果南ちゃんを傷付けて……辛い思いさせて、痛い思いさせて……」

果南「…………梨子ちゃん」


果南ちゃんが私の名前を呼んで、私の手を握ろうとする。

私は──その手から逃げるように、後ろに下がる。


果南「…………」

梨子「……果南ちゃんは優しいから、きっと優しい言葉を投げ掛けてくれる……でも、でもね……」


私は一度大きく息を吸う。そうじゃないと、怖くて、言えない気がしたから。


梨子「──もう、果南ちゃんの気持ち……わからないの……っ」


その拍子に涙が零れた。
303 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 22:38:48.06 ID:vQ6qZL/R0

梨子「許してくれても、笑い掛けてくれても、手を握ってくれても、抱きしめてくれても、髪を撫でてくれても……もう、私には……それが果南ちゃんの本心なのか、わからない……っ……テレパスがないと……どうやって、そばに居ればいいのかも、わからない……っ……。……だから──」


思わずぎゅっと手を握る。今……言わなきゃ。こんな……ずるをしなくちゃ、何もできない、私には──


梨子「こんな私に……果南ちゃんのそばに居る資格──」

果南「──梨子ちゃん」


──でも、果南ちゃんは、それでも私を抱きしめた。

私が取った距離を、しっかりと詰めて──果南ちゃんは、私をしっかりと抱きしめる。


果南「ごめんね」

梨子「……っ」

果南「私が弱かったせいで……梨子ちゃんを苦しませてる……」

梨子「ち、ちが……っ」

果南「ホントは……最初から全部、私がちゃんと言葉で伝えてればよかったんだ。でも、梨子ちゃんは気付いてくれる、わかってくれるって……甘え切って……」

梨子「…………わ、私は……っ」

果南「だから、もう甘えない──」


果南ちゃんは私の両肩に手を置き、私の目を真っ直ぐ見て、


果南「梨子ちゃん。好きだよ」


そう、言った。


梨子「……っ……!」

果南「……よく考えてみたら、私、一度も自分の口から、伝えてなかった。……梨子ちゃん、好きだよ」


果南ちゃんの愛の言葉を聞いて──ポロポロと涙が溢れ出す。


果南「世界で一番……大好きだよ」

梨子「……こんな、私でも……いいの……っ……?」

果南「もちろん」


果南ちゃんは頷きながら、今度は強く強く、抱きしめる。


果南「……これでも、私の気持ちは、本心は、好きって気持ちは……伝わらないかな……?」

梨子「……っ……」


私はふるふると首を横に振る。


梨子「──……伝わってる……っ……」

果南「……よかった」


──ああ、やっとわかった。

心の声が聞こえなくたって、伝わる想いは──ちゃんと、あるんだ。

少なくとも、今、私には、伝わってる。

だから、今度は──


梨子「果南ちゃん……っ……」

果南「ん……」
304 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 22:40:16.67 ID:vQ6qZL/R0

私も伝えなくちゃ。言葉にして、想いを。


梨子「──好き、です……っ……。大好き……っ……」

果南「うん……知ってるよ……。ずーっと……知ってたよ……」


私の髪を撫でながら、果南ちゃんは優しい声で、答える。

それ聞いた途端に、いろんな感情が溢れてきて、


梨子「ぅ……っ……ぅぇぇぇ……っ……」


私はみっともなく、声をあげて泣き出してしまった。

でも、果南ちゃんは、そんな私を優しく抱き留めたまま、


果南「ずっと一緒にいよう…………。……梨子」


そう、言葉にしてくれた。

──まだ年明けて数日しか経っていない昼下がり。

煌々と光る青いライトに照らされたトンネルの中で、私はしばらくの間、肩を震わせ続けていた。

世界で一番落ち着く、世界で一番幸せな、胸の中で──





    *    *    *


305 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 22:44:22.54 ID:vQ6qZL/R0


──数日後。


花丸「一件落着だったみたいでよかったずら〜。ん〜おいしいずら〜♡」


私は諸々の報告がてら、花丸ちゃんを家に招いていた。

お礼も兼ね、松月のケーキを添えて。


梨子「……一件落着か」

花丸「? なにか、まだ気になることでもあるずら?」

梨子「うん、まあ……」

花丸「また、めんどくさいことになったら嫌だから、早めに教えてほしいな」

梨子「いや、その……なんで、皆は気付かなかったのかなって」

花丸「ずら……?」


花丸ちゃんは私の言葉に首を傾げる。


梨子「だって、あのテレパスって果南ちゃんの『人に心を読ませる能力』だったんでしょ? それだったら、私以外の人たちも触れたら果南ちゃんの考えてることがわかったんじゃ……」

花丸「んー、少なくともマルにはわからなかったよ」

梨子「え?」

花丸「一緒の部活をしてる以上、触れることくらいあるけど……その中でもマルは果南ちゃんの心を読めたことはなかったかな。だから、あれは相手を限定した能力だったんだと思うよ」

梨子「……まあ、それならそれでも、いいんだけど……」

花丸「まだ納得行かないの?」

梨子「……自分で言うのは悔しいんだけど……それなら、なんで私だったのかな」


少なくとも、テレパスが始まった時点では私と果南ちゃんの接点はほとんどなかったわけだし……相手を限定した能力だったというなら、選定基準はなんだったのか。


花丸「それは簡単ずら」

梨子「え?」

花丸「あれは最初から全部、『人魚姫』だったんだよ」

梨子「……? どういうこと?」

花丸「あの付喪神は物語を神格化した存在だったわけでしょ?」

梨子「うん」

花丸「付喪神が持っていた力の本質は、現実の人間と物語を強引に同調させる能力だったずら」

梨子「まあ……だから、果南ちゃんは足が痛んだり、声が出なくなったりしたんだもんね」

花丸「そうそう。ただ、その物語への同調の力って言うものが、果南ちゃん以外にも働くとしたら?」

梨子「?」

花丸「『人魚姫』には、人魚姫以外にも重要な登場人物がいるでしょ?」


重要な人物……つまり……。
306 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 22:47:09.97 ID:vQ6qZL/R0

梨子「えっと……私が王子様に割り振られてたってこと……?」

花丸「そういうことずら」

梨子「…………」

花丸「なんだか、これでも納得が行ってなさそうだね」

梨子「……それこそ、なんで私……?」

花丸「条件に当てはまるのが梨子ちゃんだけだったんだよ」

梨子「条件って?」

花丸「まず、あのお話の中で、人魚姫と王子様の間にある大事な関係の要素は、自分の知らない未知の世界に住んでいる存在、だよね」

梨子「……まあ、そうなるのかな」

花丸「そうなると、果南ちゃんと昔から面識のあった千歌ちゃん、曜ちゃん、ダイヤさん、鞠莉ちゃん、ルビィちゃんは除外。マルも内浦住みでお互いの顔は知ってたし、善子ちゃんも外界というほど離れた場所に居たわけじゃないしね。そうなると残ったのはそもそも梨子ちゃんだけなんだよ」

梨子「…………なるほど」


あれ、ということは……?


梨子「……私、最初から果南ちゃんに選ばれてたってことなんじゃ……///」

花丸「そういう解釈も出来るかもしれないね」


それこそ、私は勘違いをしていた。

皆が果南ちゃんの気持ちを読める中、私がたまたま偶発的に、果南ちゃんのテレパスに気付いたために、巻き込まれたんだと思い込んでいたけど……。


花丸「梨子ちゃんは最初から果南ちゃんに選ばれていた。そして、テレパスの力を使って、果南ちゃんのそばで彼女を支えて、その先で結ばれた」

梨子「……///」

花丸「“ご縁”に感謝しないとね」

梨子「うん……///」


私はあのとき、“ご縁”だと思い込んでしまったことを後悔していたけど……案外、それらも含めて、全て“ご縁”の一つだったのかも、なんて……花丸ちゃんの言葉を聞いて改めて考え直す。


花丸「あとその“ご縁”ついでに」

梨子「?」


花丸ちゃんがごそごそとバッグの中から──包装された長方形のものを手渡してくる。


梨子「これは……?」

花丸「マルからのプレゼントだよ。……うーんと、そうだなぁ。恋人が出来た梨子ちゃんへのお祝いってことで」

梨子「あ、ありがとう……これは、本……?」

花丸「うん。是非、果南ちゃんと一緒に読んで欲しいな」

梨子「果南ちゃんと……?」

花丸「きっとそこに、二人が求めてたものが、あると思うから」

梨子「求めてたもの……?」

花丸「やっぱりマルは、物語は好きで居て欲しいし。この“ご縁”にいっぱい感謝するためにもね」

梨子「……? う、うん……よくわかんないけど、ありがとう」


とりあえず……果南ちゃんと一緒に読めばいいんだよね……?

花丸ちゃんが何を言いたいのかは、よくわからなかったけど……私はそれをありがたく頂戴するのだった。


307 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 22:49:38.98 ID:vQ6qZL/R0


    *    *    *





そういえば、忘れかけていたけど……まだ一つ解決していない問題があった。


梨子「……この一件と直接関係してるのかわからないんだけど……」

花丸「ずら?」

梨子「実はもう一つだけ、わからないままのことがあるんだよね……」

花丸「って言うと?」

梨子「……人魚姫の噂は一体なんだったのかなって」

花丸「ずら……? 人魚姫の噂?」

梨子「うん……果南ちゃんから聞いたんだけど……。内浦に昔、人魚姫の噂があったらしいんだけど……ある日を境に、急に誰も知ってる人がいなくなっちゃったって話をされて……」


これに関しては、本当にどういうことかわからないままだった。


花丸「……あー」

梨子「……これも、怪異の仕業なのかな……? 噂を食べちゃう妖怪みたいな……」

花丸「……それは怪異の仕業ではないよ」

梨子「え? ……花丸ちゃん、何か知ってるの?」

花丸「まあね……」

梨子「し、知ってるなら教えて……!」


私が身を乗り出して訊こうとすると──


花丸「それなら、一番の当事者に訊いた方がいいと思うずら」


花丸ちゃんは、ある方向を指差した。


梨子「……?」


その方向にあったのは──


梨子「千歌ちゃん……?」


千歌ちゃんの家だった。





    *    *    *





──日もところも変わって、とある休日の朝のこと。


梨子「おじいちゃん、朝ごはん出来たから、新聞片付けて?」

おじい「……ああ」


私が声を掛けると、おじいちゃんは新聞を畳んで横に置く。

私も机の上に朝食を並べてから、エプロンを外して、席に着く。
308 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 23:05:28.21 ID:vQ6qZL/R0

梨子「いただきます」


私が「いただきます」をすると、おじいちゃんの方からも小さな声で「いただきます」という声が聞こえてくる。

──ちなみに今日の果南ちゃんはまだ仕事中。

今日は少し時間が掛かるから、先に食べていて欲しいと言われたので、こうしておじいちゃんと一緒に先に食べています。

……いつもの調子だと、まだ戻ってくるまでに20分ほど掛かると思う。

さて、あの話をするなら、今かな。


梨子「ねぇ、おじいちゃん」

おじい「なんだ」

梨子「……なんで、内浦の人魚姫の話、果南ちゃんには聞かせたくないの?」


お味噌汁を飲んでいたおじいちゃんの手が止まる。


おじい「……誰に聞いた」

梨子「……ってことは、やっぱりおじいちゃんが口止めしてたんだね」


確かに、千歌ちゃんに聞いたとおりだった……。



──────
────
──


千歌「──ニンギョヒメノウワサ?? ナニソレチカシラナイー???」


千歌ちゃんに訊ねると、酷い棒読みが返ってきた。


梨子「……ねぇ、千歌ちゃんお願い……! 何か知ってるなら教えてくれないかな……?」

千歌「し、知らない……っ!! チカ、そんなの知らないもん……っ!!」


軽く涙目になりながら、拒否される。


花丸「あはは、相当怖かったんだね。果南ちゃんのおじいちゃん」

千歌「は、花丸ちゃん!! 滅多なこと言っちゃダメだよぉ!? おじいが怒るとホントに怖いんだからね!? チカあのときは死んだと思ったんだから……っ!!」

梨子「なんでおじいちゃんはそんなに怒ったの……?」

千歌「そんなの知らないよっ! チカはただ、内浦の人魚姫について、果南ちゃんと一緒に探しに行くから教えてって聞きに行っただけだもん! おじいは内浦の海のことならなんでも知ってるからって思って聞いたら……ああ、だ、ダメ……思い出しただけで泣きそう……っ」


──
────
──────



突然消えた噂の真相──それは、内浦の人魚姫について訊ねた千歌ちゃんが、トラウマになるくらい、おじいちゃんを激昂させたということが起因だったらしい。

おじいちゃんはこれでも内浦地区一帯では有名人で、かなりの古株、加えて子供受けがよく寡黙だけど優しい人なのに、千歌ちゃんが泣き帰るくらいに激怒したという事実は、田舎特有の噂の伝播スピードによって一気に広まり、瞬く間にこの一帯で人魚姫の噂をすることはタブーになったらしい。

しかも、どうやら──果南ちゃんにその話をすることは完全に禁忌扱いだったということまでは、千歌ちゃんと花丸ちゃんから教えてもらうことが出来た。
309 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 23:07:35.62 ID:vQ6qZL/R0

梨子「もちろん、果南ちゃんには言わないつもりだけど……」

おじい「なんで、知る必要がある」

梨子「私……小さい頃に、内浦で人魚姫を見たんです。……だから、気になって」

おじい「……他所でも有名だったのか、あの馬鹿娘は……」

梨子「バカ娘……?」

おじい「そいつは、俺の娘だ」

梨子「……へ?」


思わずポカンとしてしまう。おじいちゃんの娘ってことは──


梨子「果南ちゃんのお母さん……?」

おじい「そうだ」

梨子「え……それじゃ、なんで果南ちゃんに教えてあげないんですか……?」

おじい「……あの馬鹿娘に影響されて、果南まで出て行ったらどうする」


この不可解な人魚姫の噂の正体って──もしかして、ただの孫バカ……?


おじい「育てて貰った恩も忘れて……男と一緒に出ていきやがって……」


つまり……娘が出て行ってしまって、怒っているおじいちゃんが、孫を取られまいと、話題を出させないようにしていたものだったということ。

なので、私が見た紺碧の髪の人魚の夢は──果南ちゃんを意識しすぎて、見てしまった妄想の夢というわけではなく、当時実際に見た果南ちゃんのお母さんだった、ということらしい。

どうりで果南ちゃんにそっくりだったわけだ……。


おじい「……まあ、そういうことだ」

梨子「あ、うん……ありがとうございます」


思ったよりもしょうもない理由で少し拍子抜けしてしまったけど……。


梨子「……ふふ」


なんだか、孫だけは取られたくないと必死になっているおじいちゃんはちょっと可愛げがあるなと思ってしまった。


おじい「なんだ」

梨子「なんでもないですよー。ふふっ」





    *    *    *


310 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 23:13:21.84 ID:vQ6qZL/R0


──休日の朝から朝食を作りに果南ちゃんの家まで来ていたということは、そのあとは果南ちゃんとお家デートなわけで……。


果南「さて……何かしたいことある?」

梨子「うん、実は一緒に読みたい本があるんだ」

果南「読みたい本?」

梨子「……花丸ちゃんにプレゼントしてもらったんだけど」


この間、花丸ちゃんにお礼をしたときに渡された本を取り出す。


果南「マルから……?」

梨子「是非、果南ちゃんと一緒に読んでって言ってた」

果南「私と一緒に……?」

梨子「うん……なんでも……『二人が求めてたものが、あると思うから』……って」

果南「? なんだろ……? まあ、そこまで言うなら読んでみようか」

梨子「うん」


私は、バッグから包装用紙で丁重に包まれた本を取り出し、包装を開けてみる。すると、中から出てきたのは──


梨子・果南「「あ……」」


──『人魚姫』だった。横長の重厚な装丁のハードカバーの絵本だ。


梨子「……読む?」

果南「……まあ、うん」


二人でページを捲る。

花丸ちゃんから貰った『人魚姫』は──色とりどりのパッチワーク刺繍と、ビーズで作られた写真を挿絵として使った絵本になっていた。

その挿絵と共にお話は進んでいく。

6人の人魚の姉妹。

嵐の中で沈む難破船。

王子を助ける人魚姫。

魔女に貰った薬を飲んで人間の足を手に入れ。

王子が隣国の姫君と結ばれて……。

人魚姫はナイフを海に投げ捨てた──


梨子・果南「「…………」」


次のページで人魚姫は泡になって消えてしまうんだろう。


果南「……ページ捲るね?」

梨子「……うん」
311 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 23:18:34.09 ID:vQ6qZL/R0

──ページを捲る、するとやはり人魚姫は泡になって消えてしまった……と思ったが、


梨子「え……」


その泡はどんどん浮かびあがり──海を超えて、空へ──


果南「まだ、続きが……」


人魚姫は風の精に生まれ変わり──よい行いを積み続けることで、いつか不死の魂を得て、人間の幸せを味わうことが出来るようになる。

つまり──


果南「人魚姫は……ただ泡になって、消えてなくなっただけじゃなかったんだ……」


そして、全てを知った人魚姫は太陽に向かって両手を差し伸べたとき、初めて──


梨子「生まれて初めて涙が零れ落ちたのだった……」


二人で茫然としてしまう。

これはあとで花丸ちゃんに聞いた話になってしまうんだけど……人魚姫は実は泡になって消えてしまうところで終わってしまう絵本と──その後、空の精になって、いつか人間の幸せを味わうことが出来ることを知るところまで描かれている絵本と、2パターン存在しているらしい。

もちろん、アンデルセン著の原書では後者まで記されているとのこと。

つまり、もともと人魚姫は……救いのない悲しい結末のお話ではなくて──


果南「……梨子」


果南ちゃんが私の肩を抱く。


梨子「うん……っ……」

果南「人魚姫は……最後は幸せだったんだ……」

梨子「……うん……っ……」


私は今日も『人魚姫』を読んで、泣いてしまった。

泣いてしまった、けど……この涙は今までとは違って、悲しい涙じゃない。

私は──子供の頃から、どうしても好きになることができなかった、『人魚姫』の結末だったけど。

長いような、短いような……ある一冊の『人魚姫』の絵本を巡る物語の末──今日この日を境に、やっと……好きになることが出来たのでした。


312 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 23:23:11.21 ID:vQ6qZL/R0


*    *    *





……さて、そうなるともう一個謎があるんだけど……。

果南ちゃんの持っていた絵本のことだ。

私が読んでいた絵本は小さな子供向けの10ページほどしかない短い絵本だったから、結末がちゃんと描かれていなかったというのもわかるんだけど……。

果南ちゃんがお母さんから貰ったという絵本は、ボロボロでこそあったものの、子供向けの絵本というにはしっかりとお話が描写されている作りになっていた。

後日、私は人魚姫の原文を確認してみたんだけど……果南ちゃんの持っていた絵本は、私の記憶が正しければ、ほぼ原文通りに物語を記しているものだった気がする。

ただ、二人で読んだときもお話はあそこで終わっていたし……あえて最後をカットしたパターンのものだったという可能性は十分あるけど……。

でも、そんな疑問の答えは──やっぱり、果南ちゃんの家にあった。


梨子「〜♪」


今日も鼻歌を歌いながら、松浦家の朝食の準備をしている。

目の前ではいつもどおり、おじいちゃんが仏頂面で新聞を読んでいる中、朝食を並べる。


梨子「よし……!」


準備完了。今日は仕事が長引くという話も聞いていないし、果南ちゃんが戻ってくるのを朝食の準備をしながら待つ日。そして、準備が終わったら果南ちゃんを待つ間、少しだけ暇な時間が出来る。

その間、最近見つけた密かな楽しみがあって──私はリビングの端の方においてある、棚を物色する。


梨子「今日は……これにしよ」


──手に取ったのは、アルバム。

そう、最近は果南ちゃんを待つ間にこっそり、松浦家のアルバムを見せてもらっている。

……特に誰かに了承を貰ったわけでもないけど……おじいちゃんも何も言わないし、いいよね? だって、気になるもん。好きな人のちっちゃい頃のこと。

パラパラとアルバムを捲ると──


梨子「……えへへ……」


幼少期の可愛らしい果南ちゃんの姿が、たくさん収められている。

たまに果南ちゃんと一緒に写っている、今の果南ちゃんを一回り大人っぽくしたような人は──恐らく果南ちゃんのお母さんで、私が幼少期の頃に見た、人魚姫の容姿とも一致する人だった。


梨子「果南ちゃんのお母さん……本当に美人……」


特に長い髪を棚引かせながら、泳いでいる水中写真なんかは本当に綺麗で……。内浦の人魚姫だなんて噂が立つのもおかしくないと思わざるを得ない美しさだった。


おじい「……ん゛んっ!!」


私が果南ちゃんのお母さんについて、感想を口にするたびに、おじいちゃんが咳払いをする日常にもだんだん慣れてきた。

パラパラとアルバムを捲りながら、


梨子「それじゃ、次は……」


次のアルバムを取り出そうとしたときに、ふと──


梨子「……ん……?」


棚の奥の方に、くしゃくしゃになった紙が落ちていることに気付く。
313 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 23:27:39.14 ID:vQ6qZL/R0

梨子「なんだろ……?」


手に取って、広げてみると──


梨子「……え? これって……」


私が広げたくしゃくしゃの紙切れは──人魚姫が明るい天に昇っていく挿絵と一緒に、光の精になることを綴った、『人魚姫』の最後の1ページだった。

つまり──果南ちゃんがお母さんから貰った絵本の、最後の1ページ。


梨子「え……? どうして、こんなものが……? ねぇ、おじいちゃん」

おじい「なんだ」

梨子「こんなのが棚の奥に……」


私がそれを見せると──


おじい「……ああ、あいつが破ったページか。こんなところにあったのか」


あいつ──即ち、果南ちゃんのお母さんのことだろうけど……。


梨子「果南ちゃんのお母さんが、破ったんですか……?」

おじい「ガキの頃にな。よほど、この最後が気に食わなかったらしい」

梨子「え……なんでだろう」


私は逆に疑問に思う。せっかく、悲しい結末じゃなかったのに……救いのあるラストの1ページのはずなのに……。

ただ、私のそんな疑問に対して、おじいちゃんは、


おじい「そりゃぁ、最後は海に溶けて消える方が幸せだろうからな」


と、さも当然のように口にする。


梨子「…………」


つまり、あの絵本の最後の1ページがなかった理由は──海が好きすぎて、海に溶ける結末を最後にしたかった、果南ちゃんのお母さんが原因だったということらしい。


おじい「そこだけは、あの馬鹿娘とも、意見が合ったところだ」


つい最近、物語の感じ方は人それぞれだなんて、思ったばっかりだったけど……。

結局、憎まれ口を叩きつつも、果南ちゃんのおじいちゃんとお母さんは、似た者同士だったということ。

今回は、この結末を変えられた絵本のお陰で、私も果南ちゃんも大変な目に遭ったわけだけど……。

これも含めて──全部“ご縁”なのかなと、自分を納得させるように、私は肩を竦めたのでした。

314 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 23:28:07.50 ID:vQ6qZL/R0



    *    *    *










    *    *    *


315 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 23:32:21.39 ID:vQ6qZL/R0


数日後。

──高い高い冬の空を仰ぎながら、白い砂浜がどこまでも続いている千本浜を二人で歩く。

比較的暖かい気候と言われる内浦でも、さすがにこの季節だと、思いのほか寒くて……。


梨子「……くしゅん」

果南「あーもう……だから言ったじゃん、浜辺は寒いって……」

梨子「だって、このお洋服がよかったんだもん……」


今日は果南ちゃんと一緒に、お散歩デート。

今日のために選んできた、お気に入りのお洋服を着て──首からは果南ちゃんから贈ってもらったネックレスをさげて。


果南「もう仕方ないなぁ……」


果南ちゃんはやれやれと肩を竦めると、自分の上着を脱いで私に羽織らせてくれる。


梨子「ありがとう……えへへ、果南ちゃんの上着……♡」

果南「さては最初からそれが目的だったね……?」

梨子「えへへ〜どうだろうね〜♪」

果南「全く……」


呆れ気味に頭を掻く果南ちゃんの首にも、お揃いのネックレスが光っていて。

──ああ、なんだか、嬉しいな。この些細な、景色が、時間が、嬉しい。


梨子「果南ちゃん♪」


私は思わず、名前を呼びながら抱き着く。


果南「おとと……何?」

梨子「こうしたかったの♪」

果南「そっか」


果南ちゃんは微笑みながら、私を抱き返してくれる。

抱きしめて、私の頭を撫でながら、ぼんやりと海を眺める。


梨子「……私……冬の海、好きかも」

果南「私から上着を剥ぎ取れるから?」

梨子「もう! そういうことじゃないもん! ……静かで、果南ちゃんがそばにいることを、ちゃんと感じられるから……」

果南「……そっか」


二人で冬の砂浜に腰を下ろして、寄り添い合う。

海を眺めていたら、ふと思い出す。


梨子「そういえばさ」

果南「ん?」

梨子「ソロ曲の歌詞……本当に変えてよかったの? 元は最後は魚になって、海に還ってく歌詞だったけど……」


──完成したはずのソロ曲だったけど……実はあの騒動が決着したあと、果南ちゃんからの提案で歌詞の直しを行いました。

今言ったとおり、魚になって海に還っていく歌詞から──海からあがって、人に戻っていく歌詞へと。
316 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 23:34:46.24 ID:vQ6qZL/R0

果南「……なんかさ」

梨子「うん」

果南「……私はやっぱり、魚よりも人間に戻りたいなって思って」

梨子「どうして?」

果南「ここには……──梨子がいるから」

梨子「……ふふっ、そっか」


どうやら果南ちゃんは、お母さんやおじいちゃんとは違う結末を選んだらしい。その理由が私なのは──なんか嬉しいな。

私は微笑みながら、果南ちゃんに身を寄せて、目を瞑る。目を瞑って、この時間を、幸せを──噛み締めながら、思う。

人には、言葉では表せない想いや、伝えきれない気持ちはどうしてもあって、それはどうしようもなくもどかしいものだ。

それでも私は──私たちは……諦めずに、必死に言葉にして伝え続ける。

伝わるかわからなくても、伝え続ける。

きっと、それでしか伝わらないものもあるということを、知ったから。


梨子「果南ちゃん」

果南「ん?」

梨子「キス……しよ……?」

果南「ふふ……うん」


──たった二人きりの、冬の砂浜で、唇が重なった。


梨子「……えへへ……」

果南「梨子……」


そしてまた、抱きしめ合う。大好きな人と、この浜辺で。


梨子「果南ちゃん……世界で一番、大好きだよ」

果南「私も……世界で一番大好きだよ、梨子」


私たちは、今日もこの寒空の下で、大好きを伝え合います。

何度でも、何度でも。

だって、私たちには──言葉を、気持ちを、伝えられる、声があるのだから──





<終>
317 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2020/08/23(日) 23:39:17.97 ID:vQ6qZL/R0
終わりです。お目汚し失礼しました。

ハンス・クリスチャン・アンデルセン著の『人魚姫』は今では青空文庫で無料で読むことが出来ます。
もし『人魚姫』のざっくりとしたあらすじは知っているけど、読んだことがなかったという方は、是非この機会に読んでみて欲しいです。
また作中の最後に出来てた、花丸からプレゼントされた絵本は、リトルモアブックスから発行されている絵本をモデルにしています。
美麗な挿絵もさることながら、翻訳も現代風になっており、かなり読みやすく新訳されているので、『人魚姫』に親しんできた方でも楽しめると思いますので、興味がありましたら、こちらも是非。

それでは、ここまで読んで頂き有難う御座いました。

また書きたくなったら来ます。

よしなに。
318 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/08/25(火) 15:08:23.06 ID:5TWw+01Y0
スノッブにも成り切れてない感じ
319 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/08/31(月) 08:21:52.26 ID:uBbSXs9hO
おつでしたー
今回も大長編で、冒頭のシーンはいつ来るのかとハラハラわくわくしながら読み進めました
ようちかも心のわだかまりがとけたようで、ホッとしました
残る1年生組?編、楽しみにしています
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