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魔王と魔法使いと失われた記憶
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338 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/04(日) 19:35:03.11 ID:KRGt/NcrO
「よう、久し振りっちゃね」
陽気に大男が手を上げる。髪は禿げ上がり、顎髭を生やしている。どこぞの山賊か何かかとしか思えない出で立ちだが、この男がモリブス統領、ジョイス・ベーレンだ。
「御無沙汰しております」
「エリックも元気そうたい。にしても、随分賑やかやねえ。弟子は取らん言うてなかったか?」
ベーレン候の言葉は南ガリア訛りが強い。オーガの血が入っているとも聞く。
オーガやオークは粗暴な種族との印象が強いが、十分な知性を持ち合わせた者も決して少なくない。ただ、人の言葉が構造上発音しにくいだけなのだ。
ベーレン候は混血だからか、さすがに流暢だ。それでも独特の訛りはある。
ジャックが苦笑した。
「まあ、成り行きだな。それに、期間限定だ」
「……身体は大丈夫なんか」
「しばらくはもつだろう」
「煙草はほどほどにしとき。アリスちゃんが悲しむけん」
「あいつも承知の上さ。小姑みたいな説教をしにここに来たわけではないだろう?」
ベーレン候が頷く。
「まあ、知っての通りっちゃ。ロペス・エストラーダとルイ・ネリドが消えた。どっちも俺とは敵対してたけど、さりとて不在なのも困る。そして、それが意味することが何かも大体は分かる」
「……そうだな。話に入る前にここにいる奴らを一通り紹介しておこう。この眼鏡が、件(くだん)のプルミエール・レミュー」
プルミエールが遠慮がちに一礼した。
「で、このチビエルフが」
「チビは失礼じゃないですか??あ、私はトリス森王国の……」
「第3皇女エリザベート・マルガリータっちゃ?で、そこの背の高いのが、ビクター・ランパード卿やね」
「え、会ったことって……」
「いや、ない。申し訳ないんけど、頭ん中を少し読んだたい」
「『読んだ』?」
ベーレン候が人懐っこい笑みを浮かべた。これがあるからこの男は憎めない。
「っちゃ。ベーレン家は代々『精神感応術』が使えるんよ。要は、思考の表層を覗けるっちゃ。
アングヴィラのクリス・トンプソンのような水準じゃなかけど、色々便利なんよ。こうやって驚かしたりな」
「相変わらず人が悪いねえ」
「はは、まあ手品みたいなもんたい。不快にさせたなら謝るっちゃ」
339 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/04(日) 19:36:09.76 ID:KRGt/NcrO
苦笑するデボラにベーレン候が笑った。エリザベートは少しむくれている。
「……まあいいですけど」
「にしても、トリスも絡んできたのは驚いたたい。あのマルガリータ女王の考えることはよう分からん」
「それはお母様に言ってくださいます?」
「それもそうっちゃ。まあ、もう魔族だけの問題じゃなかね」
ジャックが頷く。俺も感じ始めてはいたが、これは単に魔族を差別から解放するための闘争ではない。もっと根の深い何かだ。
俺とプルミエールが「サンタヴィラの惨劇」の真実を明らかにすることにどんな意味があるかは分からない。ただ、それが北ガリアの勢力図を一変させる何かに繋がり得るのは、もはや疑いがない。
だからこそトリス王家は動いているのだろう。そして、南ガリアとの交易で主導権を確立したいモリブスもだ。
「……どういうことなんですか?」
プルミエールの言葉に、ベーレン候が「うーん」と唸った。
「俺も正直なところ全て分かってるわけじゃなかよ。
ただ『六連星』が動いたということは、北ガリアの中核国であるアングヴィラ、テルモン、イーリスにとっては不都合ってことなんは間違いなか。ロワールが何考えとるかはちと分からんけど。
言ってみればこれは、覇権を巡る争いになりかねんわけたい。違うか、エリザベート姫にランパード卿」
「俺も全貌を聞いたわけじゃねえぜ。ただ、女王は何かを感じ取ってるな」
ランパードの目がエリザベートに向く。彼女も首を縦に振った。
「お母様の『千里眼』が何を見たかは知らない。でも、それなりの根拠がなければこんなことはしないです」
「やろ?俺としては南ガリアとの交易の邪魔にならなきゃいいんよ。ただ、イーリスが土足でこちらの庭を荒らすんなら考えがあるっちゃ。
まあ、表立って喧嘩売るわけにもまだいかんけど、協力はさせてもらうつもりたい」
プルミエールが頭を下げる。
「ありがとう、ございます」
「ええって。ただ、モリブスという国としてあんたらを保護するにはイーリスの……アヴァロン大司教の関与を示す証拠がなか。
それに、あんたらも知っての通りこちらも一枚岩じゃないけん。ラミレス家やゴンザレス家は元より親テルモンや。連中の動きを抑えるには、然るべき何かが要るけん」
「それは俺も既にこいつらに伝えている。とりあえず、こいつらが力を付けるまで7貴族の残りと無頼衆を押さえてくれ。時間はそうかけさせん」
「了解っちゃ」
340 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/04(日) 19:36:40.11 ID:KRGt/NcrO
エリザベートが手を挙げた。
「ちょっと、いいですか?貴方自身の身の安全は」
「それは心配なか。な、ジャック」
「基本的にお前が害される心配は薄いと思ってるが、過信は禁物だぞ?相手は『六連星』だ、何をしてくるか分からん」
「それもそうたい。ま、気をつけとくっちゃ」
そういうとベーレン候は立ち上がった。そして霞のように消えていく。
「「……消えたっ!!?」」
「どうしてあの人は普通に帰らないのかねえ」
驚くプルミエールとエリザベートをよそに、デボラが肩をすくめた。俺もベーレン候とは数えるほどしか会っていないが、ほぼ毎回こうだ。
「用心深いんだよ、あいつは。あの図体でな」
「転移魔法、じゃないですよね……」
「いや。そもそも、さっきまでここにいたのはジョイスの『分身体』だ。あいつはああ見えて俺の同期でな。幻影魔法では右に出るものがいない。
精神感応術はむしろおまけみたいなものだ」
そうらしい。父上とも知己だったと聞く。涙ながらに想い出を一晩中語られたこともあった。少々暑苦しいが、嫌いな人物ではない。
エリザベートが首を傾げる。
「ということは、本人は別の所にいるわけですか」
「ああ。それは俺にも分からない。クドラク……ファリス・エストラーダが父の政敵である奴を狙わなかったのはそういうことだ。
何せどこにいるのかすらよく分からんのだからな。とにかく、これで準備が整ったというわけだ」
ニヤリとジャックが笑った。
「また、あれか」
「それが一番効率がいい。今回は濃度をさらに濃くするぞ。その上で、幾つか負荷をかけていく」
2年前のことを思い出し、いささかうんざりした。24時間、体力が削られ続けるのは俺でもさすがに厳しい。
「こむ……プルミエールやエリザベートにも、同じ内容をやらせるのか?」
「このぐらいしてもらわんとな。じゃあ、行くぞ」
341 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/04(日) 19:37:17.86 ID:KRGt/NcrO
#
「……ふう」
修練が一服し、俺はベッドに身体を投げ出した。プルミエールはというと、部屋に戻るなりしゃがみこんで動かない。
それも当然だろう。高いマナ濃度の下での魔力展開。それに加えて筋力と持久力を高めるための運動。
俺の場合、それに加えて庭でランパードとの地稽古までやらされている。相当な使い手であるはずのランパードすら、最後は碌に動けなくなっていた。
1時間の休憩後は夕食、そして家事だ。この家事がまた地味に堪える。
「……大丈夫、か」
「ぜ、全然、大丈夫じゃ、ない……ベッドにすら、辿り着けない……」
俺は力を振り絞り彼女に肩を貸した。フラフラになりながら彼女を寝かせる。
「……あり、がと……でも、力が、抜けてく……」
「肝心なのは体力とマナの使い方だ。無駄なく使わないと、すぐに衰弱するぞ……。
寝ている間もマナの濃度は上がっていく。身体に、効率のいい使い方を、身体に叩き込ませろ」
「そんなことを、いっても」
「……仕方がない」
俺はザックから瓶を取り出した。「霊癒丸」を1粒取り出し、歯で半分に噛み切る。……酷い苦味と刺激臭が口に拡がった。
半分は無理矢理飲み込み、もう半分を彼女の掌に渡す。
「飲め」
「え」
「飲まんともたんぞ」
プルミエールはなぜか躊躇している。顔が妙に赤い。
「……不味いのは我慢しろ」
「そ、そう……でも、これって、あの……」
「何を躊躇っている」
プルミエールは意を決したようにそれを飲み込んだ。「うえ」という呻きが漏れる。すぐに血色が良くなってきた。
「……凄い。酷い味だけど」
「元々これはジャックの薬だからな。前の時も使っていたものだ。半粒だけでも、疲労回復に十分な効果はある」
「ありがとう……でも、これって貴重なものなんでしょ?」
「これはジャックからもらったものだ。まあ、多少の補充は利くはずだ」
「そう……」
また顔が赤くなっている。俺の顔も、つられて熱くなっているような気がする。
……私情を挟まないと、俺はこの旅を始めた時に決めていたはずだ。ここまで、情に脆くなっていたのか?
俺は頭を振る。いかん、疲労のせいで考えがおかしくなっている。
342 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/04(日) 19:38:02.45 ID:KRGt/NcrO
窓の外を見た。空は茜色に染まり始めている。モリブスの乾いた風が、頬に当たった。
「……ん?」
バルコニーに、何かが見えた。……黒猫?それはまるで、部屋の中を覗き見ようとでもしているかのようだ。
シェイドか?いや、あいつも同じような修練を受けている。覗きをする気力なぞあるはずもない。
とすれば、今朝の黒猫か。……どこか引っかかる。
「プルミエール、ちょっと来い」
「え?」
黒猫を見るなり、彼女の顔から血の気が引いた。
「あれって……」
「やはり、今朝の猫か」
「多分……でも、気味が悪い」
やはりプルミエールも同じことを考えていたようだった。あれは不自然だ。
「エリザベートやランパードの猫か?」
「違う。今朝来たのは三毛猫って言ってた。黒猫じゃない」
「となると……別のエルフによるもの、ということか」
「……そうなるわ。エリザベートたちも認識してると思う」
嫌な予感がした。やはり、アヴァロンはこちらを監視しているのか?ジャックがいるとはいえ、ここも安全ではないのか。
「ジャックに言った方が良さそうだな」
「その必要はない」
いつの間にか、ジャックが部屋にいた。その表情は険しい。
「知っていたのか?」
「ランパードから話は聞いた」
その後ろからランパードが現れた。
「すまねえな。どうもありゃ、うちのもんらしい」
「お前が『草』の元締めじゃないのか?」
「そうだ。が、前にも言ったがトリスも一枚岩じゃねえ。女王とは別の指揮系統が存在する。
俺も表向きはそっちの命を受けてたが、どうにも裏切りに気付かれたらしいな」
「何だそれは」
「知ってるかどうか分からねえが、トリスの女王は政(まつりごと)はやるが行政には参画しねえ。この長が司祭長のジェラルド・ヴァレンチンだ。
ジェラルドは女王の『番』の一人だが、政略上のもんで夫婦関係はない。で、トリスの実権を握りたがってる。所詮は小物だが」
ジェラルド・ヴァレンチンか。名前は聞いたことがある。権力欲は強いが、臆病な男であるらしい。
「マルガリータ女王に弓を引けるような男でもないだろう?いくら他国と歩調を合わせるにせよ、そっちの方が立場が強いんじゃないのか」
「まあな。しかもエリザベートも俺と一緒にいる。それを承知で喧嘩を売るなんてことはできねえはずだ。
だからこそ気になる。何のために偵察しているのか」
「ここの守りは?」
ジャックが窓の外を見た。もう黒猫はいない。
「基本、変なのが来たらすぐに分かるはずだ。それに、俺の力量を知っていたら下手な手は打てない」
「……とすると?」
「手を出しているのはジェラルドではない可能性があるな。あるいはただの猫か。心当たりは?」
「猫に心当たりはねえな。他にちょっかいを出してきそうな奴……」
数秒考えた後、ランパードの顔色が変わった。
343 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/04(日) 19:38:41.18 ID:KRGt/NcrO
「あっ!!?」
「どうしたんですか??」
「いや、まさか。しかし……あり得る」
「えっ、ちょっと!!?」
プルミエールの制止も聞かず、ランパードが部屋を出ようとする。ジャックがそれを引き留めた。
「待て。もう少し説明しろ」
「まずいことになってるかもしれねえんだ、ちと1、2日外してもいいか??」
「どういう要件だっ!?」
「『草』が乗っ取られたかもしれねえ。少なくとも、侵食されてる。それができる人間を、1人だけ知ってる。そして、マルガリータ女王とも敵対し、ジェラルドに近い人間を」
「誰だそいつは??」
ランパードが自分を落ち着かせるためか、大きく息をした。
344 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/04(日) 19:39:11.44 ID:KRGt/NcrO
「シェリル・マルガリータ。マリア・マルガリータ女王の父親違いの妹にして……幽閉中の『ダークエルフ』だ」
345 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/04(日) 19:40:46.06 ID:KRGt/NcrO
今回はここまで。北九州弁もどきが出てますが、訛りを表現するためのものですのでご承知ください。
次回は短めです。六連星側の話になります。
346 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/04(日) 19:52:51.23 ID:KRGt/NcrO
キャラ紹介
ジョイス・ベーレン(51)
男性。身長204cm、体重105kgの偉丈夫。頭は禿げていて、強面の風貌もあり山賊か何かにしか見えない。
母親がオーガであり、声帯の構造上訛りがある。南ガリア出身者は大なり小なり訛っている。
温厚で陽気な男であるが、政治家としては理知的でリベラル。また、通商政策に力を入れており「儲かればええんよ」というのが口癖。移民政策も進めている。
半面、治安政策には甘い。この点でロペス・エストラーダとは鋭く対立していた。
もっとも人間性は互いに認めあっていたらしく、敵対者というよりは好敵手に近い関係でもあったようだ。
オルランドゥ魔術学院の卒業生でもあり、ジャックとは学生時代からの旧知の仲。
エリックの父である魔王ケイン、そしてデボラの父であるリオネル・スナイダとも親しかったようだ。
幻影魔法については達人級であり、本人の意思通り動く「分身体」を作る「分身(ダブル)」は彼にしかできない魔法である。
なお分身体は触れたりもするので、看破はほぼ不可能である。ただし、食事だけはできない。
347 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/06(火) 20:59:58.19 ID:ZGv8N3vbO
第17.5話
348 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/06(火) 21:03:10.01 ID:ZGv8N3vbO
……ザシュッッ!!!
血飛沫が宙に舞う。巨体が、ゆっくりと倒れていく。
極白の雪が、紅に染まる。袈裟斬りに斬られた男は、薄く嗤いながら動かなくなった。
そう。最期の顔は……確かに嗤っていた。深く、牙を見せながら。
「ざまあみろ」
そんな声が、どこからか聞こえた気がした。
もう、知性も理性もないはずなのに。まるで、呪いをかけているような、低く、歪んだ声。
いや、それは確かに呪いだ。
なぜなら……今でもこうして、奴の……魔王ケインの死を、夢に見るのだから。
349 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/06(火) 21:04:26.52 ID:ZGv8N3vbO
#
「……ハッ」
私は正気に戻った。執務室の机に、突っ伏していたらしい。
時計を見る。幸い、意識を失っていたのは10分程度だったようだ。
ノックの音がする。
「陛下」
「入れ」
深く一礼して、その翼人は入ってきた。短く切り揃えられた金髪の男が、指を眼鏡に当てる。
「時間です」
「……そのようだな」
私は、机の釦を押した。本棚が独りでに開き、その中から巨大な「モニター」が現れる。
そして、その画面は瞬く間に6分割された。出席者は……3人か。
「まず御苦労様です、アヴァロン大司教。今どちらに」
『ロックモールですよ。色事に興味はないですが、ここしか会談ができないなら仕方がない』
「テルモンの状況は聞き及んでますか」
『ええ。カール・シュトロートマンが動いたようですね。あの暗愚なゲオルグでは、対応しきれますまい』
「貴方自ら向かう必要もないでしょう。エリック・ベナビデスと……プルミエール・レミューの捕縛を優先しないとは、貴方らしくもない」
『ユングヴィの教えを守ることの方が重要です。何より、血を見るのは苦手なのですよ。殺生は神の思し召しにも反します故』
澄ました顔で良く言う。自分が殺すか、魔獣に殺させるか程度の違いでしかない。この偽善者が、私は堪らなく嫌いだ。
350 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/06(火) 21:05:12.13 ID:ZGv8N3vbO
「コホン」
私の後ろにいる翼人が小さく咳払いをした。気付かれたか。
「貴方のことだから、別の手段を打っているのでしょう?」
『無論。まだ、来てないようですが』
モニターの中上の青年が、小さく言った。
『シェリル・マルガリータか』
『さすが『拳神』、察しがいい』
『『分かる』だけだよ、アヴァロン大司教。むしろ、よく口説けたものだね』
『あそこにエリザベート・マルガリータとビクター・ランパードがいると伝えたら乗り気になりましてね』
フフ、とアヴァロン大司教が笑う。左下の男が舌打ちした。
『ゴチャゴチャうるせえんだよ、腐れ司教が。正面から行ってぶった斬ればいいだろうが?』
「デイヴィッド、口を慎め。不敬だぞ」
デイヴィッドが不服そうに、もう一度舌打ちをする。
『陛下、なんでこんな奴らとつるんで『六連星』なぞ作った?んなの、アングヴィラだけで……』
「しかし、『秘宝』は……遺物含めて、我らが共同で管理せねばならん。我らがこうして話しているのも、秘宝のお蔭だ。
そして、秘宝は危うい。誰も手にしてはならぬ。我ら以外は」
『だから俺を呼び戻し、サンタヴィラ跡地に向かわせた。分かってんだよ、んなのは。ただ、まだるっこしく陰険なやり方は、俺の性に合わねえんだよ。
つーか、シェリルはともかくあとの2人はどうした??』
「ナイトハルト伯は北方の蛮族の討伐だ。ゲオルグ帝が動けばいいものを。オーバーバックの居場所は……誰にも分からん」
『オーバーバック?どこかで死んでるんじゃねえか??あるいは、レナ・エストラーダみてえにいつの間にか死んだとかか?』
「死んでいたら、私が察している。口が過ぎるぞ、デイヴィッド」
翼人の言葉に、デイヴィッドが黙った。
『……すまねえ、言い過ぎた』
『とにかく、あの2人……いや、4人についてはシェリルに任せました。彼女の力は、『クドラク』以上に暗殺向きですから。
ここに出てこないことからして、既に行動を始めたようですね』
「……そのようですね」
351 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/06(火) 21:06:17.26 ID:ZGv8N3vbO
シェリル・マルガリータか。魔族とエルフの間に産まれた、禁忌の子。その身は、長年幽閉されている。
しかし、それでもなお彼女は影響力を行使し続けている。姉のマリア・マルガリータ女王の目を巧みに盗みながら。それを可能としているのは、彼女が持つ「パランティア」の力だ。
彼女は「クドラク」同様に、「姿が見えない」。しかし、決定的に違うのは……
「陛下」
後ろから声をかけられる。つい、思考に耽っていたらしい。
「失礼をした。貴方の予定は」
『テルモンに行きユングヴィ教徒の保護を。シュトロートマン一派への対応については、ナイトハルト伯が戻り次第任せるつもりです。
その後は『魔女シェリル』の首尾次第でしょうね。まず心配は要らないと思いますが』
『アリス・ローエングリンが行方不明らしいが』
「拳神」ロイド・ロブソンが呟く。アヴァロン大司教の顔が、僅かに歪んだ。
『何ですって』
『僕の『知る』程度の話だ。オルランドゥでは騒ぎになり始めている。監禁しようとしたら傀儡だったらしい』
『……『秘宝』、ですかっ!??』
顔を紅潮させる大司教に、ロブソンが首を振った。
『そこまで僕には『分からない』。ただ、彼女とその元夫、ジャック・オルランドゥには最大限の注意を払うべきだ。いかに『魔女シェリル』であっても、討てるとは限らない』
『……それもそうですね』
大司教から余裕が消えた。私は後ろの翼人を見る。
「どうする」
「捜索隊を展開しましょう。デイヴィッド、指揮を頼めますか」
『サンタヴィラの監視と捜索はいいのか』
「さしあたりそちらを優先しましょう。オルランドゥに向かってください」
『人使いが荒いな、大将』
デイヴィッドが溜め息を付いた。この男も彼には逆らえない。
「とにかく、『魔王エリック』と『想起者プルミエール』の処理はシェリルに一任しよう。では、各々方」
モニターが一斉に消えた。私は椅子にもたれかかる。
352 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/06(火) 21:07:20.86 ID:ZGv8N3vbO
「お疲れですか」
「やむを得ん。そろそろ家督をユリアンに譲りたいものだが」
「あのお方にはまだ荷が重いかと」
「……それもそうか」
私は苦笑した。そう、荷が重い。このような秘密は、息子に引き継がせるものではない。断じて。
私は立ち上がった。
「行かれますか」
「ああ、民の声を聞くのが、王の仕事だ」
「変わりませんね、貴方は……アルベルト陛下」
「陛下はよせ、所詮婿養子だ。クリス、デイヴィッドへの指示は任せる」
「御意」
そう言うと、翼人……宰相、クリス・トンプソンは深く頭を下げた。
353 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/06(火) 21:09:36.13 ID:ZGv8N3vbO
短めですが今回はここまで。
次回は多分プルミエール視点です。
色々オーバーテクノロジーが出てますが、今後もこうした要素が出ます。
354 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/06(火) 21:50:18.05 ID:ZGv8N3vbO
キャラ紹介
アルベルト・ヴィルエール(38)
男性。184cm、75kgの栗色の髪の男性。ヴィルエール王家のフィリア・ヴィルエールは妻。側室はおらず、1男1女がいる。
20年前、魔王ケインを討った勇者。その剣の腕は現在においても天下無双である。
温厚篤実な人格者であり、民の声を良く聞き吸い上げる名君。前代がやや専制気味だったこともあり、なおのこと民に慕われている。
ただし、その裏では「六連星」を組織しており、清廉潔白な人物というわけでもない。
魔王ケインの死については重大な秘密があるようだが……?
また、明らかに文明レベルを逸脱した「秘宝」を幾つか使っているもよう。その真実は、まだ闇の中である。
なお婿養子である。婿入り前の名はアルベルト・オーディナルであり、一貴族の跡取りに過ぎなかった。
355 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/06(火) 21:51:39.93 ID:ZGv8N3vbO
上のキャラ紹介から色々察するものがあろうかと思いますが、展開はお楽しみに。
なお、今回の展開に合わせ、なろうの方の題名とあらすじを変更しています。
356 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/10/06(火) 21:54:42.60 ID:TjTrjC8T0
乙
357 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/10(土) 17:11:50.18 ID:QhyjSLwuO
第18話
358 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/10(土) 17:12:37.89 ID:QhyjSLwuO
ランパードさんが姿を消して、2日が経った。連絡は、まだない。
さすがのエリザベートも、修練に集中できていないようだった。顔色は悪く、疲労も溜まっているみたいだ。
バサッ
「す、すみませんっ!!もう一度……」
「いや、いい。お前はもう休んでおけ」
床に落ちた魔術書を拾おうとしたエリザベートに、ジャックさんが溜め息混じりに言った。
「でもっ!!?」
「ランパードが心配なのだろう?だが、集中できないなら修練の意味はない。むしろ邪魔だ」
エリザベートが涙目で唇を噛む。こんなに悔しそうな彼女を初めて見た。
「先生、言い方キツくないかい?」
「だが、これくらいせねばならん相手だ。『魔女シェリル』については、説明されただろう?」
デボラさんが何か言おうとしてやめた。私は一昨日のことを思い出す。
359 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/10(土) 17:13:19.04 ID:QhyjSLwuO
#
「ダークエルフ?」
私の問いに、ランパードさんが頷いた。
「私も詳しく知らないけど、確かエルフの間で、稀に生まれてくるという」
「そうだ、『忌み子』だ。トリスに災いをもたらすとして、生まれた瞬間から国家の管理下に置かれる。
実の所、完全なる偶然で生まれてくるわけじゃねえ。魔族とエルフが『番』になった場合、小さい確率で生まれることが分かっている」
「そのどこが問題なんだい、愛し合って生まれた子だろう?」
デボラさんの言葉に、ランパードさんが首を振る。
「これがどういうわけか、強大な……途轍もなく強大な魔力を持って生まれてくるんだよ。しかも、今までの事例からして例外なく『邪悪』。
トリスは余程のことをやらかさねえと死刑はしねえ。ただ、過去のダークエルフは、大体大量殺人を犯し、そして処刑されてる。
だから、生まれたら即拘束、監禁だ。赤ん坊に罪はねえが」
エリザベートが同意した。
「シェリル叔母様も、何人も人を殺したと聞くわ。私もシェリル叔母様のことは、怖くてお母様に聞いたことがない。
でも、どうして叔母様は処刑されてないの?」
「理由は2つ。まず、単純に王族だからだ。ソフィア前女王は、恋多き女だった。そして、魔族を『番』としたことの責任を取って……というより、ダークエルフを生んだことの責任を取って自死した、らしい。
姫が生まれる前のことだし、きっと聞かされてねえと思うが」
エリザベートの顔が蒼白になる。
「……そうだったの」
「ああ。ただ、王族は処刑できない。マリア様も、負い目があるんだろうな。だから徹底した監視下に置くだけに止めている」
「ちょっと待て。じゃあなぜ殺人を犯したと分かる?ずっと監禁されてるんだろう?」
エリックの言う通りだ。ずっと動けないなら、人殺しなんてできるはずがない。
しかし、ジャックさんの口から飛び出したのは、驚くべき言葉だった。
360 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/10(土) 17:14:23.49 ID:QhyjSLwuO
「『憑依』、それも離れた場所にいても、接触しなくてもできる類いのものか?」
「さすが、ジャック・オルランドゥ。知ってたか」
「『魔女シェリル』の噂は聞いたことがある。15、6年ぐらい前に自らを『シェリル』と名乗る女が、『歓楽都市ベルバザス』に出現したと。
そして暗黒街を牛耳り、エルフの娼婦たちを瞬く間に支配下に置いた、らしいな」
いつも余裕の笑みを浮かべているランパードさんが、とても険しい顔になった。
「そうだ。そして俺が派遣された。厳密には、俺とその部下3人だ。
しかし……犠牲を払った。重い、重い犠牲を……」
「部下は全員」
「殺されたさ。希少品のはずの銃を、それも見たことがないものを、奴は持っていた。……多分、あれは遺物だ。
それでも俺は、何とか『シェリル』と名乗る女を討ったさ。だが、そいつはエルフじゃなく、人間だった。
そして、3ヶ月後に再び……今度はロワールのニャルラで『シェリル』が現れたんだよ。『自分はトリス王家のシェリル・マルガリータだ』と名乗る、『亜人の女』が、な」
ジャックさんが煙草に火を付けた。
「『魔女シェリル』はどこにでも現れる。そして、世界のあらゆる歓楽街を支配する。
伝説じみた存在だが、確かにエルフの『憑依』を使っていれば説明は付くな。
そして、さっき言っていたもう一つの理由は……本当にシェリル・マルガリータが関与しているかという証拠がない、ということだな?」
「そういうことだ。そして、どうやって『憑依』しているのかも分からねえ。監視も異口同音に『彼女はそこにいた』と言いやがる。
マリア様の『千里眼』ですら、シェリルが動いたという証拠は押さえられてねえんだ。
ただ、マリア様に対して弓を引こうとしているのは確かだ。ジェラルドとも利害は一致する。いや、待てよ……」
ランパードさんが叫んだ。
「まさかっ、シェリルは『六連星』かっ!!?」
「あり得ることだ。歓楽街を支配していたなら、それなりの連中とも付き合いがあるだろうな。アヴァロンとどういう接点があるのかはよく分からんが」
「そうか、道理で……いよいよ俺が行かねえとまずいな」
361 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/10(土) 17:15:03.95 ID:QhyjSLwuO
ランパードさんが玄関へと向かう。「待って!!」とエリザベートが彼の袖を掴んだ。
「私も行きますっ!」
「ダメだ。姫を危険には遭わせられねえ。何より、あいつの手口は2度戦った俺が、よく知ってる。対処法を知らないとまず終わりだ」
「でもっ!!?」
ランパードさんが唇を噛む。エリザベートを抱き寄せようとしたけど、逆に突き放した。
「言うことを聞けっ!!……あんたまで喪うことは、俺には耐えられねえんだよ」
「ビクタァ……」
「大丈夫、必ず戻る。心配するな」
ジャックさんが眉をしかめた。
「そんな約束ができるのか?そもそも、何のために行く」
「『草』の誰かがシェリルに乗っ取られてるはずだ。まずはそこから手を付ける。
シェリルの厄介な所は、まるで疫病のように自分が支配できる範囲を拡げていくってことだ。だから、誰が『中枢』かを把握する。
ただ、俺だけで倒せる相手でもねえ。中枢が誰か分かった時点でこっちに戻る。緊急回避の手段は、ちゃんと持ってるからそこは安心していいぜ」
「緊急回避……?あっ」
ランパードさんはエリザベートに黒い球を1つ見せた。
「いつの間に!!?」
「そ、『転移の球』だ。無茶はしねえから、安心しな」
くしゃくしゃと頭を撫でられ、エリザベートが涙目になる。
「本当に……ちゃんと帰ってきてくださいね?」
「ああ、約束だ」
ランパードさんが走り去っていく。その間、エリックだけは……終始無言だった。
362 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/10(土) 17:15:33.37 ID:QhyjSLwuO
#
しかし、それから全く音沙汰がない。「『中枢』が分かったらシェリルを叩く」ということで、それに備えて修練をしているわけだけど……
シェリルって人が「六連星」としたら、それはあのデイヴィッドと同格ということだ。そこまでの相手に、付け焼き刃でどこまで迫れるのだろう?
エリザベートが、床に落ちた魔術書を拾った。
「……やります」
「次気を抜いたら、分かってるな?」
「はいっ」
私も合わせて、マナを自分の周りに展開する。身体が酷く重い。
地味だけど、基礎が一番辛いのは本当に確かなことだった。発展的演習は、もう少し先らしい。
その時だ。
チリリン
呼び鈴が鳴った。誰だろう?
玄関に行くと、そこにいたのは……
「すまんっちゃ。ジャック、おるか」
363 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/10(土) 17:17:09.37 ID:QhyjSLwuO
ベーレン候?表情は真剣……というより、無表情だ。
「ジャックさん、ベーレン候が」
「……何?」
車椅子に乗って彼が顔を出した、その瞬間だ。
「プルミエールっっ!!!そいつから離れろっっ!!!」
「え」
ベーレン候はおもむろに懐に手を入れる。そして、そこから出されたのは……銃だった。
364 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/10(土) 17:17:59.37 ID:QhyjSLwuO
……刹那。
「加速(アクセラレーション)5ッッ!!!」
バァンッッッ!!!
ザンッッ
銀色の煌めきが、目の前を走る。ベーレン候の右手首が銃と共に宙に舞った。
次の刹那。「ドスンッッッ」と鈍い音と共に、ベーレン候の巨体が崩れ落ちる。当て身を当てて気絶させたのだと、すぐに分かった。
「デボラっ!!!すぐに処置をっ!!!」
365 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/10(土) 17:41:28.44 ID:QhyjSLwuO
「わ、分かった!!!」
向こうからデボラさんとシェイド君が駆けてくる。シェイド君が激しく流れる血を押さえながら、治癒魔法をかけ始めた。
「出血が激しいにゃ!!」
「待ちなっ!手首はあたしが繋げる、あんたは回復魔法をかけ続けな!!」
「繋げる??できるのかにゃそんなの??」
「つべこべ言わずにやるんだよ!!」
「わ、分かったにゃ!!……睡眠魔法も平行にゃ??」
シェイド君にジャックさんが頷く。
「多分、精神はシェリルの支配下だ。しばらく眠らせるしかないな」
「え」
「ジョイスが『分身体』で来ないなんてあり得ないからな。生身で来たのが分かった瞬間、尋常ではないと判断した」
コフコフと、ジャックさんは軽く咳をするとエリックを見た。彼は短剣の血を拭い鞘に収めたところだ。
「助かった。調子はどうだ?」
「まあ、軽くはなったな」
平然とエリックが言う。
「あ、ありがとう……また、助けられちゃった……」
「当然のことをしたまでだ。それより」
エリックの視線がエリザベートへと向く。彼女は呆然と立ち尽くすばかりだ。
「あ……ああ……」
「ランパードだと思った、か」
「……帰ってくるんじゃ、なかったの?」
「焦りすぎだ。ただ……」
ジャックさんも渋い顔になった。
「あまり、いい状況ではないな。俺はランパードの力量や性格を詳しくは知らない。ただ、ここに戻ってこられる状況にないのは確かだ」
「……まさか……」
震えるエリザベートを私は抱き締めた。……そんなことは、想像したくもない。
366 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/10(土) 17:42:08.11 ID:QhyjSLwuO
ジャックさんは首を振った。
「殺された可能性は否定できないな。ただ、ここにジョイスが来たということから考えて、その可能性は薄い」
「どうして分かるんですか?」
「シェリルの手口として、『憑依』かそれに類した洗脳を使ってると俺は見た。そして、誰が一番俺たちに警戒されないかと問われたら、それはジョイスではなくランパードだ。
ジョイスが来た瞬間に察知できていたから難を逃れたが、ランパードだったら俺も油断しただろうな。
つまり、ランパードの利用価値は高い。シェリルがそれをしなかったということは、勢い余って殺してしまったか重傷かという可能性もあるが……」
ジャックさんが煙草に火を着けた。
「まだ潜んでいるのが一番ありそうだな。それも、簡単に逃げられない状況で」
「……『転移の球』を持ってるのに?」
「あれは俺も知っているが、屋内じゃ使えん。つまり、外に出ること自体が容易ではないということになるな」
「助けに行かなきゃ」
涙を拭って、エリザベートが外に出ようとする。私は彼女の袖を掴んだ。
「ちょっと待って!?どこにいるのか分からないのよ!?」
「でも行かなきゃ!!これ以上待ってても……取り返しが付かなくなってからじゃ遅いのよ!!?」
「落ち着け」
溜め息混じりにジャックさんが言う。
「ジョイスから話をまず聞こう。シェリルの状況が分かるかもしれん」
「え?さっきは眠らせるしかないって……」
「そうだ。眠っている間、デボラにちと働いてもらう」
「……あたし、かい?」
「そうだ。『時間遡行(アップストリーム)』の効果を忘れたか?」
「……あ、ああっ!!?そういうことかいっ!」
ニヤリと彼が笑う。
「そう、脳に掛ければ、洗脳は解けるはずだ。多少時間と体力は使うがな」
367 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/10(土) 17:42:40.23 ID:QhyjSLwuO
#
「……ん」
「気付いたか」
「……ちょっと待て。なんで拘束されとると??」
ベーレン侯の意識が戻った。ジャックさんがデボラさんの方を見る。
「どれぐらい戻した?」
「半日。今朝ぐらいの記憶にはなってるはずだね」
「いいだろう。ジョイス、お前、この銃に見覚えは」
エリックが手首ごと吹き飛ばしたものだ。簡素な造りで、特注品というほどでもないらしい。
「ないっちゃ。俺ならもう少しマシなのを使うたい」
「……だろうな。お前なら『魔導銃』の方を使うはずだ」
「『魔導銃』?」
私の問いに、デボラさんが魔術紋が入った銃を見せた。
「これだね」
「どうしてあんたもそれ持っとるん?」
「あたしが独立するときにアリスさんからね。あんたも持ってたんだね」
「アリスがオルランドゥに赴任する時に餞別代りにもらったと。それより、もうええやろ?何でこんなことになっとるか、説明してくれっちゃ」
一通りジャックさんが今日のことを話すと、ベーレン侯が眉を顰めた。
「……洗脳されてたんか」
「ああ。心当たりは」
「……今日はラミレス家のエマニュエルと会う予定だったっちゃ。もちろん、ラミレス家がアヴァロンとの繋がりがあることは承知の上だったから、俺本人が会うつもりは全くなかったんやけど」
「エマニュエル・ラミレスが『シェリル』?」
私の言葉に、ベーレン侯が考える素振りをした。
「どうやろな。『憑依』についてはよく分からんけど、普通に考えたら相手は同じ女性のはずたい。男に憑りついたら違和感がすごいはずやし」
「だろうな。ラミレス家に近い誰かか?いや……普段地下室に籠っているはずのお前に接触するなら」
「……嫁か!!」
ベーレン侯の顔に朱が差した。
「彼女がシェリルの『中枢』とは考えにくいが……誰かが彼女を洗脳し、そこからお前にと考えるべきだな。とすれば、昨日今日の彼女の行動が分かればいい」
「んなのどうすれば……」
ジャックさんがニヤッと笑い、私を見た。
「修練の成果を見せる時だな、プルミエール・レミュー」
368 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/10(土) 17:43:50.27 ID:QhyjSLwuO
18話はここまで。寝落ちしていました……
次回は多少?推理ものに近いテイストです。
369 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/10(土) 19:06:19.61 ID:QhyjSLwuO
武器紹介
魔導銃
使用者のマナに応じた魔力弾を放つ銃。一種の魔法発動装置であり、銃とはその見かけが似ている程度である。
弾の速度や威力は使用者の力量に比例するため、ジャックが使えば特級遺物並みの破壊力になる。
遺物のようにも見えるが、アリスが秘密裏に開発した兵器である。アリスがなぜこのような兵器を作れるのかは現状では不明。
なお、銃はこの世界では希少であり、ジョイスが持っていた簡素なものでも相当に高価である。
また、銃の遺物も存在する。ランパードが最初に遭遇した「シェリルの憑依体」はこの持ち主であった。
魔導銃は当然流通していないが、少なくとも3丁は現存する。そのうち1つはデボラに、もう一つはジョイスに渡っている。
370 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/11(日) 20:45:25.38 ID:Plru0K4UO
第19-1話
371 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/11(日) 20:45:52.59 ID:Plru0K4UO
その日のモリブスは、小雨が降っていた。雨除けの外套が、俺たちの顔をすっぽりと隠している。
外套から滴る雨がうざったいが、姿を見られてはいけない俺たちにとっては僥倖かもしれない。
「どこに行くの?やっぱり、ベーレン侯の私邸?」
「それが一番手っ取り早いな。まず、誰がベーレン侯の妻を『操ったのか』を探る必要がある。ただ……」
「既に全員操られてるかもしれない……そういうことね」
俺はプルミエールに頷く。シェリルの力は全くの未知だ。ただ一つ言えるのは……
「シェリルの『憑依』は、私やビクターのと違う。同時に、複数に、しかも本人を介さず広げられる……まるで病原菌か何かみたい」
「『憑依』の発動条件って?」
「私の場合、しばらく対象に触る必要があるの。大体、10秒ぐらい。『憑依』の間、本人は意識を失うけど。でも、シェリルも同じなのかは分からない」
エリザベートがポツリと言う。まだ、ランパードのことが気掛かりらしい。
「その通りだ。だから、探らねばならないのはまずは『手段」。そして『加害者』。
そいつがシェリルと特に繋がりの深い『中枢』であればいいが、多分そうじゃないだろうな」
ランパードは2日前、俺たちにこう言い残していた。「シェリルは自分の石を完璧に反映させる『中枢』を介して影響力を広げる」と。
ただ、どうやって影響力を広げていたかは遂に奴も分からなかったようだ。だからこそ、奴は「中枢」を見つけるのにこだわっていた。
「『中枢』を殺せば、『憑依』の効果が全て消える」からだ。
恐らく、奴はその特定に手間取っている。あるいは、特定できたが脱出が難しい状況に陥っている。
奴が死のうが生きていようが俺にはさほど関心がない。ただ、プルミエールは悲しむだろう。そして、エリザベートも。
だから、俺たちが代わりにやらねばならない。鍵になるのは、ジャックの言っていた通り……プルミエールだ。
372 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/11(日) 20:46:19.46 ID:Plru0K4UO
#
「……私にかかってる?」
プルミエールが、意外そうに言った。ジャックは首を縦に振る。
「そうだ。お前の『追憶』。この数日の修練で、少しは進化したはずだ。
土の精霊の力を借りて土地の記憶を呼び起こし、水晶玉に反映させるのがこの魔法の骨子だ。
そして、マナの運用幅が修練で広がったことで……呼び起せる対象も広がっているだろう」
「というと?」
「土の精霊を人に一時的に宿らせる。そして、本人が『見た』ものを反映させることもできるはずだ。
今の『追憶』は、その場所で起きた出来事しか再生できない。
対象を土地ではなく人にすることで、運用の幅が広がるというわけだ」
「……でも、それって……本人の同意が必要では」
「必ずしも必要じゃない。極論、死んで『物体』となっていても運用は可能だ。むしろ、そっちの方が分かりやすい」
プルミエールの顔色が変わった。こういうことに対する耐性は、彼女にはない。恐らく、一生付きそうもないだろう。
「……誰かを殺せ、とでも??」
「意識を失っている状態であればいい。要は、物体に近い状態であればいいんだからな。同意があれば当然可能だが」
「なら、ベーレン侯に使えばいいじゃないか。同意は当然得られるだろう?」
デボラの言葉に少し考えた後、ジャックが否定した。
「いや、ジョイスの肉体は朝方の状況に戻っている。つまり、この肉体は『乗っ取られた』時のことを『覚えていない』。だから、真相を探りたいならば……」
「俺の嫁、ってことたい」
「そうなるな。だが、良いのか?」
「ちょっとやそっとじゃ死なんちゃ。遠慮せずやっていいたい」
「となると……」
ジャックが俺を見た。
「荒事になりそうだな」
「あ、くれぐれも殺しだけはやめてくれんか。極力、誰も傷つかんようにしたいんよ」
「分かってるさ、ベーレン侯」
373 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/11(日) 20:47:07.83 ID:Plru0K4UO
#
そして俺たちはモリブスの市街地に来た。2回の「時間遡行」で疲弊しているデボラと、万一の時の守りに必要なシェイドは残している。
強行突破という手はなくはない。ただ、犠牲が出る可能性も決して低くはない。俺一人ならそれでもいいが……プルミエールとエリザベートがいる以上、あまり無茶もできなそうだ。
「……誘き出すしかないか」
「誘き出すって、ベーレン侯の奥さんを?」
「そうだ。ただ、『憑依』の条件が分からない以上、できるだけ慎重にやる必要がある」
どうにも手段が思いつかない。搦め手は苦手だ。
エリザベートが何かに気付いた。視線の先にいるのは……猫?
「あの子、使えないかな」
「え?」
「どこまで『憑依』の効力があるのかは分からない。でも、ふと思ったんだ。『何でベーレン侯は銃を使ったのか』って」
「何でって……」
プルミエールは首を傾げている。確かに、言われてみれば妙だ。
「ベーレン侯って、幻影魔法の達人なんでしょ?あんな直接攻撃しなくても、もっと上手いやり方だってあるはず。
あなたもそれっぽいことできるじゃない。『幻影の霧』、だっけ?」
「あれは幻影魔法というより、精霊魔法と精神感応の合成に近いけど……でも、確かにもっと簡単に私たちを襲えたはず」
「そう。つまり、『憑依』している間はその人の能力は使えない。恐らく、『中枢』はすごく単純な指令しか『衛星』に出せないんじゃないかな。逆に言えば、私の能力とかに気付くことはない」
「……!!そうか、だからあの猫を使って……」
エリザベートが頷いた。
「もちろん、普通にやってたらまず誘き寄せるなんてできないわ。でも……」
エリザベートが計画を話し始めた。これは一種の賭けだ。しかし、成功すれば……誰も傷付けず、彼女を生け捕ることができる。
「できるのか?」
「最初のとこさえ上手く行けば、多分。問題は使っている間、私の意識が失われるということだけど……多分、効力範囲は広がってるとは思う」
「なるほど、そういうことか。とすると、自動的に配置は決まるな」
「うん。私とプルミエールはワイルダ組に行く。あなたは、これを持ってここで待ってて」
エリザベートが黒い球を俺に手渡す。
「了解だ」
374 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/11(日) 20:47:46.55 ID:Plru0K4UO
#
彼女たちが去って半刻。弱っていた件の野良猫が、ベーレン侯の私邸に入っていくのが見えた。
回復魔法でもかけてもらったのだろうか、多少は元気そうになっている。猫の首輪には筒のようなものがある。あれが肝だ。
中には、手紙が入っている。脅迫状だ。
「ベーレン侯は預かった。夫人独りで迎えに来られたし」
これに釣られるのかどうか。書かれていることは確かに事実ではあるが。
ベーレン候とラスカ夫人との関係は良いと聞いている。普段ならば……あるいは「憑依」の範囲が限定的ならば、出てくるはずだ。
しかし、もし罠と気付かれたら……別の方法を考えねばならない。その場合、警戒心が高まった相手に仕掛けることになる。成功の公算は、さらに薄くなるだろう。
俺は雨の中、身動きせずにただ待った。南国でも、雨の冷たさは体力を奪う。あまり長くはいられない。
……中年の婦人が門から出てきた。あれか。
俺は「加速」を使おうとマナを溜めた。修練のおかげで、「5倍速」を使える回数は増えている。大丈夫だ、賭けには勝っ……
375 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/11(日) 20:48:24.97 ID:Plru0K4UO
ゾクン
悪寒が急に走った。何だ?
チラリと後方を見る。刹那。
ドゴオオッッッ!!!
376 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/11(日) 20:49:36.44 ID:Plru0K4UO
俺の右に、巨大な質量が振り下ろされた!!?右手は……ある。何とか交せた、か??
「チッ」
後方に跳ぶ。振り向くと、ラスカ夫人は馬を寄越すよう指示しているようだった。目の前にいるのは……女??
「……はじめまして。エリック・ベナビデス」
顔は外套で見えない。だが、俺の名を知っていることからして、ただ者ではないのは明白だった。
そして、右手には……女が一人で扱うことなどできなそうな、巨大な斧。
377 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/11(日) 20:50:15.79 ID:Plru0K4UO
こいつが「シェリル」なのかは分からない。ただ、確実に言えるのは……こいつとやりあっていては、ラスカ夫人を取り逃がすだろうということだ。
俺は覚悟を決めた。
「加速(アクセラレーション)5!!!」
反転し、一気にラスカ夫人に迫る。速度で振り切る!!
「重力波(グラビディ)」
ズンッッッ
「ぐおっっ!!?」
身体が急に、鉛を仕込んだ服を着たかのように重くなった。気を抜くと、地べたに這いつくばりそうになる。何をされたっ!?
「行かせるわけにはいかないのです。『魔王』エリック」
何者だ!?今の魔法は……そして、こいつの素性は??
378 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/11(日) 20:50:46.69 ID:Plru0K4UO
ラスカ夫人がこちらに気付いた。彼女は既に馬上の人だ。このままでは取り逃がす!!
俺は瞬時に考えた。この危地を脱するには、「アレ」を使うしかない。
しかし大丈夫か?周囲への被害は?そして、俺の身体は?
選択肢は、どうもなさそうだった。何より、この魔法の効果下では、「5倍速」ですら十全に動けそうもない。
ならばっ!!!
379 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/11(日) 20:52:00.91 ID:Plru0K4UO
「加速(アクセラレーション)20、『閃』!!!!」
380 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/11(日) 20:52:32.64 ID:Plru0K4UO
風景が一瞬のうちに切り替わる。身体はクソ重いままだが、それでも普段の「5倍速」ぐらいの速度では動けているようだった。
馬を蹴り飛ばし、鞍の上にいる夫人を小脇に抱える。懐から「転移の球」を取り出し、地面へと投げ付けた。
もう一度後方を見る。女は、斧の刃を大地に当てた。
「震えなさい、『エオンウェ』」
やはりあれは遺物かっ!!!身体が、さらに重くなる。
馬とそれを牽いてきた従者は、既に何か巨大なものに踏み潰されたかのように肉塊へと姿を変えていた。
俺も……もちろん夫人も、このままでは同じ目に遭うっ!!
地面に、黒い穴ができた。俺は半ば倒れるように、その中へと身を投じる。
381 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/11(日) 20:53:00.65 ID:Plru0K4UO
女が、外套を上げた。見えたのは……妖艶に歪む、褐色の笑みだ。
382 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/11(日) 20:56:14.13 ID:Plru0K4UO
第19-1話はここまで。推理小説テイストのはずが、少し予定が変わりました。
19話は多分3〜4回です。次回はプルミエール視点にあるでしょう。
383 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/11(日) 21:08:26.70 ID:Plru0K4UO
技・魔法紹介
「閃」
現在のエリック最大の切り札。
簡単に言えば「20倍速」による体当たりだが、移動速度が音速を大きく超えるため、その破壊力は尋常なものではない。
また、「音速剣」同様衝撃波も発生する。エリックの質量による上乗せもあり、「音速剣」よりさらにその影響は広範に及ぶ。
半面、肉体にかかる負担は尋常ではない。エリックが使うのを躊躇っていたのはこのため。
さらに、その衝撃波の破壊力も大きく、一種の無差別攻撃手段でもある。一般人が巻き込まれれば死は免れない。
これもエリックが「最後の手段」としていた理由だった。
ただ今回は、女の「重力波」の影響で移動速度が大きく減じられていたため、威力は遥かに減じられている。衝撃波も発生していない。
このことを見越した「閃」の使用であったとも言える。
なお、女の重力波はランパードのそれよりも威力は大きい。「加速」を使わないならエリックも肉塊になるのは必至であった。
(ラスカ夫人が無事なのは、エリックが触れているためである。これにより彼女も「加速」の効果を受けている)
384 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/13(火) 21:51:36.25 ID:ARENFlNKO
第19-2話
385 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/13(火) 21:53:53.24 ID:ARENFlNKO
天井に黒い穴が空いた。次の瞬間。
ズドオオオオンンンッッッ!!!!!
2つの塊が、猛烈な勢いで「落ちてきた」!?
ベッドが粉々に壊れる。そこにいたのは……
「グハッッッ!!!」
「エリック!!?」
慌てて駆け寄ると、エリックが気を失っている中年女性を抱きかかえていた。
激しく「落ちた」せいか、彼があちこちから血を流しているのが分かった。
「……俺は、後回しだ。まずは女を……」
「後回しって……何があったの??」
「……待ち伏せ、されていた。それも、途轍もない凄腕だ……シェリル本人、かも……ゲフゲフゲフッ!!」
エリックが血を吐く。……大変だっ!!
「エリザベート、治癒魔法使える??」
「少しは!でも、これじゃ……」
「丸薬の残りがあるから、それも使うわ!!先にエリックを治す、いいわね?」
「……馬鹿が……」
憎まれ口を叩く彼の口を拭い、例の丸薬を取り出す。残りはもう1粒しかない。
でも、これを使わないといけないのは間違いなかった。そうしないと、死にはしなくても……治るまでには、相当かかる。
「飲み込める?」
「……分か、らん……」
目が虚ろになっている。これは想像以上に良くない。早く飲ませなきゃ……!
386 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/13(火) 21:55:16.94 ID:ARENFlNKO
私は咄嗟に丸薬を唇に咥える。そしてそれを彼の口に合わせ、舌で押し込んだ。
「むぐっっ!!!?」
「んっ……んんっっ!!」
舌から、熱い鉄のような味がした。彼は最初拒んでいたけど、舌で丸薬を受け取り……ゴクンと飲み込んだ。
唇を離す。口は、彼が吐いた血で濡れていた。汚れるのも気にせず、それを拭う。
「プルミエール……」
「エリザベート、出血とかは?」
「う、うん。……大分、止まってきた。骨がどうなってるかは分からないけど」
女性……多分ラスカ夫人だ……には目立った外傷はない。ここから落ちた時の衝撃は、全部エリックが肩代わりしたのだろう。
バタバタと、ラファエルさんたちが部屋に入ってきた。
「どうしたっ!?」
「至急寝床を2つ確保して下さい!!」
「分かったっ」
エリックが私を見た。
「……俺より、ラスカを……詳しくは、あとで、話す」
「うん」
彼が意識を失ったのが分かった。あの「霊癒丸」の効き目は、自分でもよく分かってる。3刻ぐらい寝れば、きっと体力は戻るだろう。
「エリザベート、エリックは任せたから、私はこっちをやる」
「う、うん」
ラスカ夫人を寝かせると、私はすぐに詠唱を始めた。土地の代わりに人を媒体とする……言われてみれば、確かに原理は同じだ。
巻き戻す時間は……とりあえずは今朝。そこから、3時間ぐらいまでを3倍速で見る。これでいいはずだ。
387 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/13(火) 21:56:17.61 ID:ARENFlNKO
水晶玉に光景が浮かび上がった。ラスカ夫人の視点であるらしい。彼女もオーガとの混血なのだろうか、随分視点が高いことに気付いた。
修練の成果か、かなり疲れは少ない。思っていたよりは楽な気がする。
しばらくは、何事もなく過ぎた。家事を人任せにしない人らしく、使用人に混じって洗濯などをしているようだった。
異変は、水晶玉の時間で「1時間」ほど経って起きた。客人があったようだ。
『ラミレス家からの使者、ですか』
水晶玉から、声が響く。声はまだ小さくて、聞き取るのがやっとだけど……これも、あの修練の成果かかな。
『はい。……様の……ご要望で。ジョイス様に……お会い……と』
声は途切れ途切れだ。それでも、言ってることの大枠は分かった。「中枢」は、ラミレス家にいる。
『お断りします。主人は職務で多忙です故』
『ジョニィ様の……聞けないと?』
『本日の予定は、全て一杯なんです。恐縮ですが、緊急というならジョニィ・ラミレス様ご自身でいらっしゃられるのが筋では?』
使者は黙ると、おもむろに近付く。
『な、何ですか。……きゃあっっ!!?』
視界が一気に反転する。押し倒された、と分かったのはすぐだった。
388 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/13(火) 21:57:22.40 ID:ARENFlNKO
若い男の顔が目の前に近付き……すぐ離れた。
『……よろしいですね?』
『……分かりました』
……何が起こったのだろう?しかし、今「憑依」されたのは、間違いない。
「キス……」
「え」
エリックに治癒魔法をかけながら、エリザベートが呟いた。
「キスよ。多分、一瞬でも触れたら発動するんだ。ベーレン候があっさり『乗っ取られた』理由が分かった」
その通りだった。ラスカ夫人はすぐに地下室に行き、ベーレン候にキスをした。ベーレン候は用心深いらしいけど、夫人からのこうした求めは普段通りだったのだろう。だからあっさりかかったんだ。
そこからは予想通りだ。ベーレン候は乗っ取られ、一直線にジャックさんの家に向かう。ラスカ夫人はその間、キスで邸宅を全てシェリルの支配下に置いてしまった。
確かに恐るべき力だ。でも……
「キスに気を付ければいいって程度なら、多分……」
「うん、そこまで脅威じゃない。でも……」
薬で眠るエリックを見た。そう、その程度なら彼は普通に何とかするはずだ。
でも、あの様子は……明らかに、追い詰められてた。しかも、あんな重傷を負うほどに。
エリックの「加速」は、かなり使い勝手のいい魔法だ。どういう原理かは分からないけど、速く動けるだけでなく細かい動作もできるようだった。
攻撃に使えば打撃力を高め、守備に使えば大体の攻撃は避けられる。そう言えば、ランパードさんが稽古で「ちっとも当たる気がしねえから『加速』はやめてくれねえか」と愚痴ってたっけ。
だから、相手が余程の相手じゃない限りは、こんなことになるはずがない。それこそ「クドラク」……ファリスさんぐらいでなければ。
……ファリスさんぐらいでなければ??
389 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/13(火) 21:58:21.83 ID:ARENFlNKO
そう言えばさっきエリックは……襲ったのは「シェリル本人かも」って言っていた。まさか、そんなことが??
「ねえっ、ランパードさんはシェリルってずっと幽閉されているって言ってたわよね!!?」
「そのはず。お母様の『千里眼』の目を盗んで、行動なんてできないはずだから……。だから、さっきのエリックの言葉はあり得ないの、絶対に」
エリザベートの顔が真っ青になっている。その表情は、エリックを襲ったのがシェリルではあり得ないことを示していた。
でも、エリックを追い詰めるなんて、そう簡単にできることじゃない。付き合いがそんなに長くはない私にだって、そのぐらいは分かる。
……だったら、自分の目で確認すればいい。私には、できる。
今、エリックは眠っている。「追想」を使うにはお誂え向きだ。
390 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/13(火) 21:59:26.20 ID:ARENFlNKO
#
ラファエルさんが別室のベッドに彼を寝かすと、私はすぐに詠唱を始めた。「戻す」時間は短いのでさほど苦でもない。水晶玉に、彼の見ていた景色が浮かび上がる。
……外套の女が、そこにいた。胸の大きさで、それが女だと分かった。
異常に大きな斧を持っている。あんなものを軽々使えている時点で、明らかに常人じゃない。
『震……さい、『エオンウェ』』
女が言うと、急に視界がブレた。あれは、多分「遺物」だ。それも、相当に強力な。
「『エオンウェ』?エリザベート、知ってる?……エリザベート??」
エリザベートから、感情が抜け落ちていた。見てはならない何かを見たかのように。
「ねえっ、どうしたのよ??」
「……これ」
一瞬だけ、女の顔が見えた。歪んだ笑いの、女の顔が。
はっきりと見えなかったので、一度「巻き戻す」。そこにいたのは……褐色の肌のエルフ。
「……ダークエルフ???」
エリザベートが頷いた。
「ダークエルフが、外をうろつけるはずがない。でも、でもお母様が見逃すはずなんてっ!!」
「落ち着いて!!シェリルと決まった訳じゃないでしょ??」
「でも……これは間違いないの。そう……間違いなくこれは……」
ダークエルフ。そして、それは……シェリルしかいない。
「六連星」が自ら、エリックを始末しに出向いてきた。状況は……物凄く悪い。
そして、ランパードさんが動けない理由も分かった。下手に動こうものなら、殺されるからだ。
なら、今彼はどこにいる?考えろ。考えるんだ、私!
ニャア
窓の外で黒猫が鳴いた。血の気がさらに引いていく。
391 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/13(火) 22:01:43.69 ID:ARENFlNKO
しまった!!もう、私たちがいる場所も見つかってしまった!?
そう思った瞬間、黒猫は窓の隙間から入ってくるとクルッと一回転して……男の子の姿になった。肩の力が抜けていく。
「シェイド君!!?」
「良かったにゃ、不安だったからご主人に少し様子見てこいって言われたけど、上手く行ったみたいにゃ」
「そんなことより!!シェリルがここに来てるみたいなの!!エリックは深手を負ってるし……」
「……シェリル?」
私は水晶玉をシェイド君に見せた。彼は怪訝そうに首を捻る。
「これ……多分ダークエルフじゃないにゃ」
「え?」
「うっすらと身体の周りにマナが見えるにゃ。多分、僅かだけど幻影魔法で認識をずらしてるにゃ。
肌の色を変えてる可能性が高いにゃ。シェリルとは別の個体にゃ」
「でも、この強さは……」
「トリスのことは知らんにゃ。貧乳、そんな使い手トリスおるにゃ?」
エリザベートが力なく首を振った。悪口を言われたのに全然反応しないなんて、彼女らしくもない。
「……にゃあ。しかし、こいつが遺物持ちなのはただ事じゃないにゃ。多分、『中枢』じゃないと思うけどにゃ」
「どうして分かるの?」
「そりゃモリブスにある遺物なんてボクでも分かってるにゃ。で、『エオンウェ』なんて知らないにゃ。つまり、こいつは余所者にゃっ」
口調のせいで軽く聞こえてるけど、早口で捲し立てるシェイド君の言葉からははっきりとした焦りが感じられた。混乱してるんだ、彼も。
「『中枢』はあくまでモリブスの人ってこと?」
「そうじゃなきゃベーレン候の喉元まで食い込めないにゃ。で、こいつはその協力者、あるいは上司」
「ジョニィ・ラミレス……は男性よね」
「にゃ。でも、ジョニィは大の色狂いにゃ。よくモリブスの花街に来てるらしいにゃ。夫婦関係は確か冷めきってたはずにゃから……」
エリザベートが急に頭を上げた。
「そうか!花街に『中枢』が……!!」
「それだ!でも『憑依』された人が多すぎて脱出できなくなってる……」
「娼婦にとってキスは当たり前だから、急速に『憑依』の範囲は広がるわ。で、ラミレス家を支配し、ベーレン候まで……」
「始末が悪いにゃ。エリックは……」
ベッドに寝かされている彼を見て、シェイド君が顔をしかめた。
「さっきのにやられたにゃ?」
「うん……動けるようになるまでもう少しかかると思う」
「分かったにゃ。とりあえず、『エオンウェ』が何か調べてくるにゃ。ボクが戻るまで何とか耐えろにゃ!!」
392 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/13(火) 22:03:31.40 ID:ARENFlNKO
#
「……そうか」
それから2刻。一通り説明を聞いたエリックが小さく言った。
目覚めてから少したったけど、顔色はまあまあ良さそうだ。ラスカ夫人はまだ眠らされている。シェイド君はまだ戻ってこない。
「うん。あれはシェリルじゃないみたい。でも……」
「間違いなく、強者だ。不意を突かれてなくても……自信はない、な」
エリックが唇を噛む。こんな悔しそうな彼も珍しい。エリザベートが、彼を見た。
「でも、どうであれ……花街に行かないと始まらないよ。行かなきゃ、ビクターを助けに」
その時、外が急に騒がしくなった。
「カチコミだぁっっ!!!」
窓の外を見る。そこには、数十人の人とエルフが押し掛けていた!!!
393 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/13(火) 22:05:47.92 ID:ARENFlNKO
第19話はここまで。次回は大体戦闘シーンです。
「シェリル」ですが、実は既に存在だけは作中に出ています。種明かしの一部は次回。
394 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/13(火) 22:06:17.63 ID:ARENFlNKO
失礼しました。第19-2話です。
395 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/13(火) 22:21:35.94 ID:ARENFlNKO
魔法紹介
「憑依(ポゼッション)」
対象に自己の意識を乗り移らせ乗っ取る魔法。エルフの中でも限られた者しか使うことができない。
また、乗っ取っている最中は本人の意識は消えている。つまり、本体が無防備なため安全を確保した上でないと使えない。
通常は小動物を対象にすることが多く、主に偵察や諜報のために使われる。
エリザベートの憑依はかなり強力なもので、一定の条件で人間相手にも使用できる。
また、視覚や聴覚などの感覚を一時的に「共有」することまで可能。ただ、これには相手の同意が必要である。
また、使用には対象に10秒ほど触れ続けねばならない。多くの場合、動物相手には「魅了(チャーム)」を併用することになる。
強力ではあるが制限が多く、必ずしも万能ではない。
シェリルの「憑依」は対象が無制限である一方、支配範囲が限定的などエリザベートのそれとは全く別の魔法のようである。
その真相は現在不明。ただ、「中枢」と呼ばれる存在を介して憑依対象が広がる特性があるようだ。それは伝染病に近い性質があると言えよう。
396 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/15(木) 19:21:14.27 ID:tce8OdH5O
第19-3話
397 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/15(木) 19:22:17.44 ID:tce8OdH5O
「逃げろっっっ!!!」
俺は飛び起きると、プルミエールの手を掴んだ。
「えっ」
「裏口だっっ!!!ラファエルっ、家具かなにかで入口を封鎖だっっ!!」
「なっ……!!?」
「つべこべ言わずにとっととやれっっ!!『乗っ取られて』も知らんぞっっ」
階段を駆け降りると、既に玄関付近は混沌の最中にあった。マイカというオーガが力任せに殺到する人々を薙ぎ倒しているが、このままではもって数分か。
「極力殺すな!口の辺りだけはしっかり覆え、口付けされると乗っ取られるっ!!」
「わ゛、わがっだ」
奴が長身で大分助かった。しかし、いかに相手が丸腰の一般人でも、このまま行けばワイルダ組も乗っ取られるだろう。
裏口を開けると、もう数人そこにいた。当て身ですぐに昏倒させたが、あっという間に次が来る。想像以上に統率が取れていてキリがないっ!!
プルミエールとエリザベートは、明らかに足が遅い。肉体能力だけなら、この2人はそこいらの小娘並みかそれ以下だ。
2人を抱えて「2倍速」で逃げるしかない。問題は、それができるかだ。
その時、俺の前にラファエルがやってきた。
「エリックの旦那、俺も行くっすよ」
「ワイルダ組はどうするんだっ??」
「さっきの話、大体聞こえてましたから。頭を倒せば元に戻るっしょ?
それに、病み上がりだけどウィテカーもいるっす。何とか持ちこたえられると信じます。とにかく、旦那たちを花街に連れていくのが第一っす。その後は、俺がワイルダ組を守るので」
そう言うと、ラファエルはエリザベートを背に乗せた。
「そこの娘さんは、旦那が」
「分かったっっ!!!」
「え、ちょ、ちょっと!?」
プルミエールを背負うと、彼女がすっとんきょうな声を上げた。豊かな胸が背中に当たるが、それを気にしていられる状況じゃないっ!
「加速(アクセラレーション)2!!」
一気に駆け出す!コボルトのラファエルも、平気で付いてくる。脚の速さなら、亜人でも随一なのがコボルトだ。
襲い掛かろうとする連中は、軽く跳ね飛ばす。立ち塞がる連中を蹴りつけていると、花街の妖しい香辛料の香りが強くなってきた。
「俺はここまでっす!!あとは頼みましたぜ旦那ぁ!!」
「助かったっ!!ワイルダ組を頼むっ!!」
398 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/15(木) 19:24:42.57 ID:tce8OdH5O
花街の入口でエリザベートを下ろすと、ラファエルは風のように消えていった。
モリブスの花街は、ベルバザスやロックモールほどの規模ではない。しかし、売春は無頼衆にとっていい「しのぎ」だ。勢い、娼館の数は他国に比べ多い。
この中から……「中枢」とランパードを見付け出せと??
「エリザベートっっ!!!」
「分かってる!!!」
エリザベートが精神を集中し始めた。エリザベートの感知魔法はかなりの精度と聞いている。ランパードを見付け出したら、一旦ジャックの所に退いて仕切り直すしか……
「おおおおおおおお」
「きききき……きき……」
「何これっっ!!?」
奇声をあげながら、娼館からワラワラと娼婦たちが出てきた。動きはトロいが……多いっ!!!目視できるだけで20、いや30人はいる!!!
手を前に出しているが……これではまるで屍人(グール)だ。いや、あるいは本当にそうなのか??
「エリザベート、まだかっ!!?」
「黙ってて、集中できないっっ!!!」
個人は問題じゃないが、集団で四方を囲まれるのは……最悪だ。被害を承知で本気を出すか??
逡巡していると、プルミエールが急に詠唱を始めた。
「『幻影の霧(ミラージュ・ミスト)』!!!」
俺たちの周囲を、白い霧が包む。そうか、これならっ!!
娼婦たちが次々と霧に入っては動きを止める。根本的な解決にはならないが、しかし十分だ!
「時間は稼いだわ!!エリザベート、どうなの!!?」
「……!!!10時の方角に……1、2……!!?」
彼女が青ざめる。何に気付いた??
「……どうしたの?」
「嘘……そんなっっ…………!!!」
霧がゆっくりと晴れていく。霧の効果で倒れている娼婦たちの向こうにいたのは……3つの人影。
1人は見たことがない顔だ。若い小柄なエルフの女……あれが「中枢」か?
そして、その奥にいるのは……外套で隠れてはいるが、多分さっきの女か。もう一人は、背の高さと体つきからして、男か?
……まさか。
「ビクターッッッ!!!!」
399 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/15(木) 19:26:25.16 ID:tce8OdH5O
エリザベートの悲痛な叫びにも、男は反応しない。前に出ているエルフの女が、クスリと笑った。
「お初にお目にかかりますわ、エリザベート第三皇女」
「ふざけないでっっ!!ビクターを、返しなさいっっ!!!」
「返せ、と言われても、ねえ。ね、シェリルお姉様」
女が外套の女にしなだれかかった。女が外套から顔を出す。長い金髪に褐色の肌。エルフだから外見年齢はあてにならないが、存外に若い。
「さすがエリック・ベナビデス。よくここが分かりましたね」
「……まあな、『シェリルもどき』」
「シェリル」の顔から表情が消えた。
「……『もどき』?」
「幻影魔法で肌の色を弄っているな。貴様も『中枢』か」
「くく。クククク……ハハハハハッッッッ!!!」
心底愉快そうに「シェリル」が嗤う。
「何がおかしい」
「面白い冗談ですね、エリック・ベナビデス。ですが、それに答えることはありません」
「シェリル」が斧を構えようとする。
「加速(アクセラレーション)5っっ!!!」
一気に間合いが詰まる。これを交わせるかっ!!!
400 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/15(木) 19:27:31.55 ID:tce8OdH5O
ギィンッッ!!!!
「なっ!!?」
高い金属音が響く。「シェリル」の隣にいた男が、剣で受けたのだ。
馬鹿なっっ!?
男はすかさず鍔迫り合いから喉笛を狙った一撃を繰り出す。俺は咄嗟に後方へと跳ねた。
あれは、本当にランパードなのか?奴は確かに手練れだ。しかし、その本領はむしろ魔法との組み合わせにある。
近接戦闘では「加速」を使わない俺にすら手を焼く程度だ。「5倍速」の俺の攻撃なぞ、受けられるわけがない。……そのはずだ。
そもそも、ランパードはなぜ今姿を現した?「憑依」されていたとして、なぜ「シェリル」は使わなかった?
クスクスとシェリルの隣の女が嗤う。
「ふふふ、さすがの魔王も混乱してますわ、ねえ、お姉様」
「そうですね。でも、種明かしはしてあげません」
穏和な笑顔と共に、「シェリル」が斧を地面に立てた。まずいっっ!!!
401 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/15(木) 19:28:09.62 ID:tce8OdH5O
「震えなさい、『エオ……』」
「させないっっ!!!『幻影の矢(ミラージュ・ボルト)』!!!」
プルミエールが何かを「シェリル」に向け飛ばした。それをシェリルは斧で受ける。
「……無駄な足掻きを……!!?」
一気に3人の周りに霧が拡がった。あれは、まさか!!?
「プルミエール!!!」
「エリック、ここは逃げた方がいいわ!!多分、何とかな……」
「ならないわ」
霧が一瞬のうちにかき消された。……そんな、馬鹿な。
「シェリル」がクスクスと笑う。
「驚きました。幻影魔法を込めた魔術矢を放ち、『何かしらに当たったら』幻影を見させる霧を発生させるわけですね。
さすがクリスが育てた天才。私がこれを使わなかったら危なかった」
彼女が首飾りを見せた。
「『パランティアの欠片』。おあいにくさまですね、魔法攻撃はこれで吸収できるのです」
「あ……ああっっ……」
プルミエールが崩れ落ちるのが見えた。エリザベートはまだランパードが「乗っ取られた」衝撃から立ち直れていない。戦況は……絶望的だ。
402 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/15(木) 19:29:23.94 ID:tce8OdH5O
……残された手段は、3つ。まず、「音速剣」を使う。当たればまず勝てるが、当たらなければ俺のマナは枯渇する。それに、ランパードも恐らくは死ぬだろう。「閃」を使うのも同様の理由でダメだ。
とすると、残された手段は……ここからの逃走。
戦力の差が、あまりに大きすぎる。被害拡大を覚悟で、一か八かジャックの家に戻るしかない。
……しかし、それが可能なのか?
「何余所見してるんです!!?」
女が鞭で攻撃してきた。迅いっっ!!!
「ぐっ!!!」
何とか避けたが体勢が崩れた。そこに、再びランパードが尋常ならぬ速度で襲い掛かる。その一撃を、俺は辛うじて交わした。
「逃げ回っていては『ソーン・ウィップ』の餌食ですよ!!」
ビシッ、とエルフ女の鞭が地面を叩く。避けた先で倒れていた娼婦の首が飛んだ。
こいつも手練れかっ!?反動を承知で「2倍速」を使い続けているが、とてもじゃないが2人を同時に相手しきれない!
そして……再び「シェリル」が微笑みながら斧を地面に当てる。血が一気に引いた。
「では、皆さんお別れですね」
ちょっと待て、全員まとめて殺すつもりか??……狂っている。
403 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/15(木) 19:31:26.06 ID:tce8OdH5O
刹那、視界の端に小さな人影が見えた。それも……2つ。何か、見たこともない二輪の乗り物に乗っている。
404 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/15(木) 19:32:00.87 ID:tce8OdH5O
「間に合ったにゃっ!!!」
一人はシェイドだ。その前にいる、小柄な人影は……
そいつはおもむろに、外套のフードを外した。黒髪の……こいつも女か?
そして、すかさず懐から銃を抜いた。
「そこまでよ、『テイタニア』」
「「教授っ!!!?」」
プルミエールとエリザベートが、同時に叫んだ。……教授?
「シェリル」の笑みが、消えた。
「アリス・ローエングリン…………!!!!」
こいつが、アリス・ローエングリン?テルモンに向かっていたと聞いていたが……なぜここに。
405 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/15(木) 19:32:40.65 ID:tce8OdH5O
「シェリル」が、無表情で彼女を見つめる。アリスの銃口は、ぶれない。
「『エオンウェ』を戻しなさい。発動したら、撃つ」
「……どちらが早いですかね?」
「どうかしらね。ただ、これでこちらが『有利になった』」
「有利?数は圧倒的にこちらですよ?」
そう嘲笑う「シェリル」の背後から、ふらりと1人の娼婦がやってきた。その手には……雨で濡れて鈍く光る、短刀。
406 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/15(木) 19:33:08.04 ID:tce8OdH5O
「かかったな」
ドスッッッ!!!
その刃は、「シェリル」の脇腹を貫いた。
407 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/15(木) 19:35:02.52 ID:tce8OdH5O
第19-3話はここまで。
アリスたちが乗っているのは、バイクのような何かと理解していただければ幸いです。
この世界には、アルベルトの「モニター」のような文明レベルを逸脱した「秘宝」が複数存在しています。これもその一つです。
408 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/15(木) 19:48:46.69 ID:tce8OdH5O
武器・防具紹介
「ソーン・ウィップ」
2級遺物。モリブスの娼館協会に伝わるものである。能力はマナを打撃力へと変換するというもので、力の弱い娼婦でもならず者を撃退できるという意味で格好の武器。
今回は「シェリル」からの魔力供給を受けた上でなので、かなり常軌を逸した強さになっている。
キャラ紹介
ラファエル・ワイルダ(26)
デボラの義弟。兄のマルケスとは10歳ほど離れていた。
体育会系でハキハキした性格。明るく素直な舎弟気質である。歳上から可愛がられるタイプ。
身長187cm、82kgと大柄。エリックとはそう歳が離れてはいないが、実兄の仇を討ってくれたこともあり懐いている。
脚は速く、荒事にもなかなか強い。
409 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/15(木) 21:01:13.13 ID:wkMHugriO
なお、ソーン・ウィップの元ネタは薔薇棘◯◯ですが、某漫画を想起させてしまうため敢えて英語表記にしています。
410 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/10/15(木) 22:28:29.61 ID:6zBFLtLI0
乙
411 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/16(金) 18:51:35.46 ID:fQT6VlPqO
第19-4話
412 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/16(金) 18:52:02.24 ID:fQT6VlPqO
その時、時間が止まった。
今目の前で起きていることが、理解できない。いきなり「シェリル」の後方から現れた娼婦が、彼女を刺した。何が起きたの?
「ぐ……ぐおぉぉっっ!!!」
「シェリル」は肘打ちで娼婦を引き剥がした。娼婦はそのまま数メド先に吹っ飛ぶ。
ポタポタと赤い血が雨で濡れた地面へと垂れていく。致命傷かは分からないけど、これが深手なのは私にも分かった。
「あ……貴女はっっ!!?」
かすれた「シェリル」の声に応じるように、ゆらり、と娼婦が立ち上がる。口から流れる血を拭うと、ニヤリと笑った。
「この時を待っていたぜ……『シェリル』。お前が来たお蔭で計画の変更を、余儀なくされたがな……」
その口調は、まさかっ……!!?
「ビクターッッ!!?」
413 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/16(金) 18:53:52.20 ID:fQT6VlPqO
「おいおい、ネタバレはやめてくれよ……もう少し混乱させたままでいさせてほしかったが」
ランパードさん!!?じゃあ、今立っているのは……?
「……まさか、貴方っ!!?」
「そう、『憑依』だよ。条件付きで発動する、特殊な術式を使った。多少後ろめたかったが、まあそれはいい」
短剣を「ランパード」さんが構える。ギリッ、と「シェリル」の隣にいたエルフの女性が歯噛みしたのが分かった。
「『人形繰り(マリオネット)』が、甘かった??」
「いやあ完璧だったさ、リリス。伊達にお前さんにモリブスの任務を預けてたわけじゃねえよ。しかも『シェリル』の力まで上乗せされてたからな……事前の対策なしじゃ詰んでた。
正直、『六連星』の一角がいたのは大誤算だったぜ……心配かけたな、姫」
「ううんっっ!!」
泣きながら彼女が首を振る。「シェリル」はというと、傷口に手を当ててはいるけど、まだ立っている。回復魔法、それも、相当強力なやつをかけているようだった。
彼女が「ランパードさんの身体」を見た。
「……まさか、この身体は」
「ああ、ただの『脱け殻』だ。お前さんに会って、咄嗟に『罠にかかったふり』をしたというわけだ。
……しかし、幽閉されているはずの『シェリル・マルガリータ』の正体が、あんただとは思わなかったぜ……」
空気が、重く、冷えていくのが私にも分かった。「シェリル」からの殺気が強まったのだ。
それに構わず、「ランパード」さんが言う。
414 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/16(金) 18:54:18.90 ID:fQT6VlPqO
「そうだろ?『魔女テイタニア』。いや『三聖女』が一人『テイタニア・ランドルス』」
415 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/16(金) 18:55:25.51 ID:fQT6VlPqO
「「え」」
「何っ!!」
エリックも叫ぶ。「三聖女」って……「サンタヴィラの惨劇」の、生き証人じゃないっっ!!?
「……その名は捨てましたわ」
「だろうな。一つ言えるのは、お前はテイタニアであってシェリルでもある。シェリルの意思はあるんだろうが、お前自身の自我も感じる」
「それに、答える、義理は……ないっっ!!!」
ブォン、と斧が振り下ろされた。「ランパード」さんはそれを辛うじて交わす。
「……っぶねえ。この身体じゃ厳しいな……。お前が手負いで助かったぜ」
「……マリアの走狗がッッ!!皆殺しに……」
「エオンウェ」が地面に突き立てられた瞬間……「シェリル」が、身を大きく捩った。
バォンッッッ!!!!
銃声と同時に、遥か向こうで何かが壊れる音がした。娼館の壁が、粉々になっている。
私やエリザベートはもちろん、エリック、そして「リリス」と呼ばれたエルフも身動きが取れなかった。
突然の出来事に対する驚きだけじゃない。教授と「シェリル」の圧力が、凄すぎるからだ。
教授が静かに告げる。
「……さすが、よく避けたわね。でも、次は当てる」
416 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/16(金) 18:56:06.27 ID:fQT6VlPqO
「シェリル」が険しい表情で辺りを見渡した。
「……これ以上、ここにいるのは危険なようですね。リリス、あとは頼みましたよ。『増援』、そろそろでしょう?」
「ええ、お姉様。彼らは私が必ず」
「私は退きます」
短く答えると、「シェリル」は教授を睨んだ。昏く、憎悪のこもった漆黒の瞳で。
「……アリス、貴女は私が必ず……この手で殺す」
そう言うと、彼女が何かを取り出した。すぐに、その前に空間の歪みができる。
「……逃がすかっ!!」
一気にエリックが間合いを詰める!しかし、その一閃が届く直前に……「シェリル」は姿を消した。
教授が忌々しそうに、彼女が消えた虚空を見つめる。
「取り逃がした、わね。……その台詞、そっくり返すわ『裏切り者』」
417 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/16(金) 18:57:03.59 ID:fQT6VlPqO
「『裏切り者』??」
「説明はここを切り抜けてから。そろそろ、来るわ」
花街の入り口から、10人ほどやってくるのが見えた。あれは……!!?
「ラファエルさんにウィテカーさんっっ!!?」
やった!という安堵は、次の教授の一言ですぐに消えた。
「あれが『増援』ね」
リリスと呼ばれた女が、ニィと口の端を上げる。
「そう。私の『お人形』。ランパードの身体も、まだ操れますよ。お姉様ほど上手くはないけど」
「人の身体だからといって無茶しやがって……っっ!!?」
ビシイィィ、と「ランパード」さんの前に鞭が振り下ろされる。
「貴方にしてはあっさりやられたと思ったんです。やはり貴方は、警戒すべきだった」
「今までの経験上、シェリルの『中枢』は『人形繰り(マリオネット)』を使ってくると知ってるからな。……まさに『禁術』だぜ。
だが、種が割れてりゃ、対応できる魔法でもある……っと」
立て続けのリリスの攻撃を、「ランパード」さんは辛うじて避けていく。
「『シェリル』……いや、テイタニアの力で『中枢』になっても、戦闘能力自体が高まったわけじゃねえな。動きが甘めえ」
「いつもいつも偉そうにっっっ!!!」
ビユッッという風切り音がここまで聞こえた。それと同時に、ランパードさんの身体の方も「彼」に向けて突進していく!
キィン
「お前の相手は、俺だ」
418 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/16(金) 18:58:08.32 ID:fQT6VlPqO
刃はエリックの短剣で受けられた。すかさず蹴りを放つけど、それは空を切る。
「おいおい、加減してくれよ?殺すと俺まで逝く」
「知らんな。にしても」
彼らの周りを、7人ぐらいの娼婦たちが取り囲む。どうするの?
「プルミエールッッ!」
教授が叫ぶ。そうだ、こっちにも人が来てるんだった!!
一斉に、ワイルダ組の人たちが襲い掛かってくる!
特にラファエルさんは速いっ!最優先で止めないと……!!
「ぐおおおおっっっ!!!」
まるで剣のような爪が、目の前に迫る!
「『幻影の矢(ミラージュ・ボルト)』!!」
彼の顔に矢が直撃する。「うおおおおっ」という叫びと共に、ラファエルさんは踞った。
でも、その背後からは……デボラさんの弟が!?
ボゴォッ
誰かが彼を吹き飛ばす。……え。
「シェイド君!!?」
「何ぼーっとしてるにゃ??まだまだ来るにゃ!!」
そう言うと、シェイド君はオーガの大男を右拳の一撃で昏倒させた。魔法で膂力を大幅に高めてると、私は直感した。
「う、うんっ」
魔力はかなり使っちゃってるけど、何とかしなきゃ。私は出力を抑えた「矢」を次々と放っていく。
それにしても……強い。向こうで大勢を相手に立ち回っているエリックやランパードさんはもちろんだけど、シェイド君もこんなに強かったんだ。
そして、何より……
「『石の弾(ストーン・バレット)』」
教授の周囲で浮いていた幾つもの石礫が、まるで弾丸のように放たれた。それらは的確に、ワイルダ組の人たちや娼婦の脚に当たっていく。
致命傷じゃない。でも、動きを大きく制限するには、十分な打撃だ。この人たちに罪はないから、足止めに特化してるんだ。
ただの、優しくて優秀な指導教官だとばかり思っていた。しかしこれは……
間違いない。アリス・ローエングリンは、とても戦い慣れている。
419 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/16(金) 18:58:39.71 ID:fQT6VlPqO
「何者なんだろう……?」
エリザベートが呟いた。そう、彼女がただの学者じゃないのは、もう間違いない。でも、今はこの危地を抜け出すのが先だ。
鍵を握るのは……やはり。
エリックをチラリと見た。息は荒く、酷く疲弊している。
極力操られてる人たちを傷付けないように戦ってるみたいだけど、あれは相当疲れるんだ……!
何より「ランパードさんの身体」……娼婦たちだけならなんとでもできただろうけど、それの攻撃は相当に激しい。
もちろん、それはランパードさんも同じだ。こっちはもう少しで片付きそうだけど、彼らがもたないかもしれない!
「さすがに……もう限界の、ようですね」
勝ち誇ったようにリリスが言う。「ランパードさんの身体」も、止めを刺さんと突きの体勢になった。……まずいっ!!!
その時、ずっと身を屈めていたエリザベートが私に囁いた。
「ごめん、貴女の身体を貸して」
「え」
「いいから貸して!!」
向こうではリリスが鞭を振り上げた。もう考えている、余裕なんてない!!
「分かったっっ」
次の瞬間、私は意識を失った。
420 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/16(金) 19:08:47.14 ID:fQT6VlPqO
第19-4話はここまで。
次回で一応19話は終わりです。多分かなり短めのエリザベート視点になります。
421 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/16(金) 19:33:00.39 ID:fQT6VlPqO
魔法紹介
「石の弾」
大地精霊魔法。石の弾を作って放つ基礎的な魔法だが、使い手が達人なら極めて強力な魔法にもなる。
アリスは10数個の弾を高速で放つことで、複数対象の足止めを行った。
加減しているため殺傷能力は抑えられているが、その気になれば本物の弾丸同様に貫通することも可能。
もちろん、石の弾を巨大な岩と化して放つこともやろうと思えばできる。
「膂力(エンパワード)」
肉体強化魔法。一時的に剛力を身に付けることができる。
魔法としては初歩だが、こちらも使い手によっては強力なものに化ける。シェイドの得意魔法の一つでもある。
なお、体術は我流+エリックの指導によるもの。エリックにはさすがに劣るが、それでも魔法なしのランパードよりは強い。
422 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/16(金) 21:53:39.56 ID:dqLnEAoQO
第19-5話
423 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/16(金) 21:54:22.95 ID:dqLnEAoQO
私の視界が切り替わった。本体は無防備になるけど、今更そんなことは言っていられない。
プルミエールの魔力は枯渇しかけている。これでは、十分な魔法なんて撃てはしない。だけど、私が「憑依」すれば……!!
今日はずっと守ってもらってばかりだった。ビクターを助けるためにここに来たはいいけど、ほとんど何の役にも立ってない。
それがずっと悔しくて、情けなかった。だから、これは……私の「わがまま」でもある。
そして、これから……私がこの魔法を研究対象として選んだことが、正しかったと証明するんだ。
私は、1ヶ月前のことを思い出していた。
424 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/16(金) 21:54:49.85 ID:dqLnEAoQO
#
「実用性、ですか?」
紅茶を飲みながら、アリス教授が頷いた。
「そう。確かに既存の『憑依』を改良させるのは面白いわ。ただ、人間相手の『憑依』は人道的な問題もある。『面白い』以上の実用性が必要ね」
「実用性……既存の魔法を高次のものへと発展させるだけじゃダメなんですかね?」
「それじゃ教授連の審査は通らないわ。『改良することでどのような社会的貢献につながるのか』を突き詰めないと」
私はうーんと唸ってしまった。そうか、それだけじゃ不足なのか。
「諜報活動がしやすくなる、では?」
「確かに政府……特にトリスにとっては有益でしょうね。でも、魔法は権力者のためにあるんじゃないの。普通の民衆にとって役立つものでないと」
「そうですか……むむむ」
アリス教授がティーカップを置いて微笑んだ。
「まあ、私ならこうするという答えはあるけど。あと少し考えれば、答えは見えるはずよ?」
「えー、教えてくださいよぉ」
「ダメ。それは自分で考えなさいな」
クスクス笑いながら、教授はお茶うけのクッキーを摘まんだ。もう少し、かぁ……何だろう?
425 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/16(金) 21:55:30.80 ID:dqLnEAoQO
#
あれからずっと考えてたけど、答えは出なかった。でも、今なら分かる。あの「シェリル」が見せてくれた。
エリックのあの鋭い剣撃を、ビクターの脱け殻は受けていた。普段の稽古ではかなり押されてたのに。
本気のエリックの攻撃を受け止められたのは何故?
……そう、「憑依」と共に魔力を送り込んで、肉体能力を高めてたからだ。あのリリスという女も、それに近いことができているようだった。
つまり……「憑依」することで魔力を与えることができる。そして多分、同意した相手なら……本人しか使えない魔法だって使えるはずだ。
魔力賦与、それが隠れた……そして「人のためになる」この魔法の使い途。そして、これを使って……ビクターを救う!
プルミエールの「記憶」を使って詠唱する。マナの練り方も、彼女の肉体が覚えている。そしてそこに……今日はほとんど使っていない、私の魔力を上乗せすればっ!!
426 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/16(金) 21:55:58.76 ID:dqLnEAoQO
リリスという女が鞭をエリックに向けて振り下ろし、「ビクターの身体」が本物の彼を突かんとした瞬間、それは完成した。
「『幻影の矢(ミラージュ・ボルト)』ッッッ!!!」
427 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/16(金) 21:56:28.05 ID:dqLnEAoQO
「え」
女は魔法の発動に気付いた。魔法の矢は僅かに逸れ……
パァンッッッッ!!!
「ビクターの身体」の所で弾けた。
そう、交わされる可能性があるのは分かってた。だから、これは……狙い通りだ。
「………!!!??」
「ビクターの身体」は踞る。精神は乗っ取られてるけど、それを支配しているリリスには少なからぬ影響があるはずだ。
そして……一瞬の隙さえ作れればっっ!!!
428 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/16(金) 21:57:05.40 ID:dqLnEAoQO
「よくやったっ!!」
エリックが最後の力を振り絞り、リリスの懐に潜り込む。
ドンッッッッッッ!!!!!
「ぐ…………は…………」
渾身の当て身。そして、リリスは崩れ落ちる。
429 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/16(金) 21:57:32.05 ID:dqLnEAoQO
決着したのは、すぐに分かった。
「……ん……く……」
「え……ここ、どこ?」
「嘘、何で私、こんなところに!!?」
次々に娼婦たちが正気を取り戻していく。リリスが気絶したから、魔法が解けたんだ。
私は、プルミエールの身体のまま、その場に座り込んだ。訳もなく、涙が流れてくる。
……やっと、終わった。
430 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/16(金) 22:03:38.36 ID:dqLnEAoQO
第19-5話はここまで。
次回は色々種明かしです。幾つかの伏線が回収されます。
なお、今回の大まかな位置関係(最終局面)はこんな感じです。
ワイルダ組一行
アリスとシェイド
娼婦たち プルミエールとエリザベート 娼婦たち
娼婦たち エリック 「ビクター」 娼婦たち
リリス ビクターの肉体
戦っているのは大通りと思ってください。
431 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/16(金) 22:14:49.58 ID:dqLnEAoQO
魔法紹介
「人形繰り(マリオネット)」
「憑依」の発展版でシェリル・マルガリータ(テイタニア・ランドルス)の18番。キスをした相手を、簡単な命令に従わせるだけの「人形」と化す。
シェリル(テイタニア)が行った場合は会話などもできる程度には自我が残せる。リリスだとゾンビのようにしか操れない。
操れる対象は相当広く、シェリルなら数百人を支配下に置ける。リリスでも30人ぐらいは動かせる。
この際に魔力を分け与えることで、対象の強化も可能。ランパードの場合はまさにそうだった。なお、効果が切れると反動は重い。
用語紹介
「中枢」
シェリル(ランドルス)は「憑依」の強力版(詳細不明)を使うことで、ある特定の行為をした相手を「中枢」と呼ばれる存在とできる。
「中枢」はシェリル(テイタニア)に強烈な崇拝心を抱くが、ある程度の自我は残している。
過去の「中枢」がシェリルの名を騙ったのは、彼女からの命令である。
そして、この際「中枢」は大きく元から強化される。その際に彼女から受け取った魔力と共に「人形繰り」が使えるようになる。
リリスは本来そこまでの凄腕でもなかったが、シェリル(テイタニア)によってかなりの戦闘力を身に付けていた。
432 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/19(月) 18:20:16.82 ID:tjvlTkr2O
第20-1話
433 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/19(月) 18:21:06.46 ID:tjvlTkr2O
「んー!やっぱりシェイドの料理は美味しいわねぇ」
教授が美味しそうに「レー」の匙を口に運ぶ。真っ赤なその見た目からは、とてもそれが食べ物だとは思えない。
「えっと……それ、辛くないんですか?」
「辛いわよ?でも、疲れを取るには食べなきゃ。特に、エリック君、だっけ?貴方は特に食べた方がいいわよ、昨日相当無茶したでしょ」
エリックは無言でお米とともに「レー」を口にする。
「……旨いな。新しいレシピか」
「にゃ。南ガリアから『トマの実』が流通するようになったから使ってみたにゃ。見た目ほど辛くはないから、プルミエールさんも食べるといいにゃ」
本当に大丈夫なのだろうか。恐る恐る口に運ぶ。
…………
「辛っ!!?」
エリックが呆れたように息をつく。
「つくづくお子様舌だな。こんなので音を上げていたら話にもならんぞ」
「いや、ちょっと……これは大人でも無理よ、そう思わない?エリザベート」
モグモグと口を動かしながら、ふるふると彼女は首を振る。
「おいひいよ?最初だけだほ」
「え、エリザベートまで??」
「いい加減モリブスの味にも慣れてくれないとな。やっと修練に専念できるようになったわけだからな」
ジャックさんも苦笑する。私は渋々、もう一度「レー」を口にした。……確かに、辛いだけじゃなくてその奥には深い甘味がある気がする。我慢すれば、食べられないこともないかな……
「んぐっ。ビクターにも食べさせてあげたいけど、あの分じゃしばらくはかかりそうですね」
そう。この食卓には彼の姿はない。襲撃を受けたワイルダ組の対応に当たっている、デボラさんもだ。
434 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/19(月) 18:22:10.16 ID:tjvlTkr2O
ランパードさんは、あの後すぐに元の身体に戻った。
ただ、「シェリル」……いや、テイタニアの「人形繰り」で無茶な動きをさせられたせいか、筋の腱とかがあちこち千切れてしまっていたらしくしばらくは安静にしなければいけないらしい。
花街での戦いから、一晩が明けた。やっと、少しは安心できる状況になったみたいだ。
あの後すぐにベーレン候が駆けつけ、事の収拾に当たった。幸い、あれほどの大規模な騒動だったにもかかわらず、死んだ人はいなかったという。
あの中では比較的疲労が軽かったエリザベートを中心に、警察への説明が行われた。こういう時に「トリス森王国第三皇女」という肩書きは絶大であったらしく、驚くほど好意的に取り調べは終わった。
エリックはというと、「君がいると話が厄介になる」と教授によっていち早くジャックさんの家に戻されていた。
もちろん、ランパードさんを別にすれば彼の疲弊具合は相当のものだったから、多分それもあるんだろう。
リリスという女は睡眠魔法をかけられた上でひとまず確保されている、らしい。ただ、「『憑依』で操られていただけだろう」ということだから罪に問われることもないみたいだけど。
後で彼女に何があったかについては、私が行って調べることになっている。「シェリル」について、何か分かればいいのだけど。
ただ、その前に……色々、教授には聞きたいことがある。この人は、一体何を知っていて、そもそも何者なんだろう?
435 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/19(月) 18:23:53.84 ID:tjvlTkr2O
「お、来た来た」
教授がパンと手を叩いた。目の前に運ばれたのはプリン。普通のより黄色く見える。
「『レイ芋』を練って練り込んだにゃ。これも南ガリア産にゃあ。コクがあって美味しいにゃ」
「しばらく来ないうちに、南ガリアとの交易は随分進んだのね。ジョイスさんもやるわねぇ……んっ、美味しいっ!」
私も口にしてみる。お芋の甘さが口に広がって、とても濃厚な味わいだ。
砂糖はそんなに入ってないみたいだけど、それでもしっかりとした甘さを感じる。焦がした砂糖のソースが、それを引き締めているのもいい。
「本当に美味しいですね!シェイド君、これどこで習ったの?」
「ふふん、秘密にゃ。でも後で教えてあげないこともないにゃ。1対1……」
ドンッ
机を叩いてエリックが睨むと、シェイド君から冷や汗が流れた。
「じょ、冗談にゃあ……」
「……ふん」
ジャックさんと教授が、同時に深い溜め息を漏らした。
「シェイド、貴方そういうところ直ってないのねぇ。ジャックも何やってるの」
「どうにもな……生来の気質としか言いようがないな」
「そう簡単に諦めないでよ。シェイドの性根、今度私が叩き直してあげようかしら?しばらくここにいるし」
「……!!?そうなんですか」
「ええ。……ジャックの身体、そんなに永くないみたいだし」
「え」
食卓が重い空気に包まれた。当の2人は、平然としたものだけど……
436 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/19(月) 18:24:47.31 ID:tjvlTkr2O
「……そうなんですか」
「まあな。若い頃の無理が祟った、というべきかな。……コフコフッ、『魔素』が、俺の身体を蝕んでいたらしい」
「『魔素』?」
「高濃度のマナ……お前らの修練とは比べ物にならんやつだ……それを浴び続けていると、身体が徐々に狂っていく。
この超高濃度のマナを『魔素』という。俺が車椅子になった原因が、それだ」
教授が静かに同意する。
「まあ色々無茶をしたからね、お互い。私も多分、そう遠くない未来に発症するんでしょうね」
「え……!?」
「やぁよ。私はまだ大丈夫だって。ただ、ジャックは……」
「そうだな。明日明後日ということはないが、いきなり病状が急速に悪化しても驚きはない。だから、俺の身が朽ちる前に、お前たちに色々遺しておきたいというわけだ」
ジャックさんの表情は穏やかだ。もう、きっと覚悟は決まっているんだろう。
エリックが小さく息をついて苦笑した。
「プルミエールたちが、最後の弟子というわけだな」
「知ってるだろうが、俺は弟子を取らんぞ。お前はケインのことがあったから別だがな。だから唯一にして最後、というわけだ」
教授の目が鋭くなった。
「でも、そうのんびりもしてられないわよ。ミカエル・アヴァロンは今、ロックモールにいる。いつまでそこにいるかは分からない」
437 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/19(月) 18:25:43.81 ID:tjvlTkr2O
ロックモール。モリブスとテルモンの国境にある街だ。私は行ったことがないけど、「絶頂都市」という別名がある。
西のベルバザス、東のロックモールと言われる娯楽と色欲の街だけど、私には一生縁がないと思っていた。
「どうしてそんなことを知ってるんですか」
「だって、確認したもの。アヴァロンがあそこにいることは、間違いない。少なくとも昨日時点では」
「……??ちょっと待ってください。早馬でもロックモールからここまでは、3日はかかりますよ?」
エリザベートが言う通りだ。そんなことは、できるわけがない。
しかし、教授の言葉は予想を遥かに上回っていた。
「いえ、その気になればテルモンからここまで1日で来れるわ。シェイドはあれに乗ったから分かるでしょ?」
「……にゃ。テルモンまでの距離は、ざっくり500キメドにゃ。人の脚では頑張っても10日、早馬でも1週間はかかるにゃ。
でもあの……何て言ったかにゃ、『バイク』にゃ?あれなら可能にゃ、恐ろしい速さだったにゃ」
「そういうこと。まあ、移動してるのを見られたら、明らかに不審な何かだけどね。……話がズレたわ」
教授は紅茶を口にする。
「とにかく彼はロックモールにいる。『シェリル』もといテイタニアが敗れたのを知ったら、またこちらに来るかもしれない。
そうでなくても、早めにロックモールに行かないと彼に去られてしまう可能性は高いわ。だから、ここに残れるのは精々数日」
「それは理解したが……奴はロックモールで何を?禁欲を旨とするユングヴィ、それもイーリスの原理主義派からしたら決して相容れない都市のはずだ」
「詳しくは私にも分からない。ただ、魔術師が随分といるようだった。何かやろうとしてるんだと思う」
ジャックさんが頷いた。
「本来は俺が行くのが筋だが、この身体だ。それに、何にせよサンタヴィラに行くならロックモールは通る。お前らを鍛えた上で送り出さねばならんが……」
ちらり、とジャックさんがエリザベートを見た。
「エリザベート。お前らは国に帰らねばならんらしいな」
438 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/19(月) 18:26:18.17 ID:tjvlTkr2O
「えっ!!?」
驚いた。そんな素振りは、今朝も全然……
「ごめんなさい、プルミエール。お母様からさっき連絡があったの。簡単な説明はジャックさんにしたけど、要は『シェリル』の件で一度国に戻らないといけないの」
申し訳なさそうにエリザベートが下を向く。確かに、昨日の一件はそれだけ重大なものではあったけど……
「でもちょっと待って??ここからトリスって……歩きだと1ヶ月近くかからない??」
「ああ、それなら私の『バイク』を貸すわ。あれなら3日もあれば大丈夫。アーデンの森だけは通り抜けるのが手間だけど」
「教授が乗ってたアレ、ですよね?そんなに簡単に動かせるものなんですか?」
「あれは運転者の魔力を食って動く『秘宝』。貴女の『番』なら、そう問題ないと思うわ。走行の安定については、機械が勝手にやってくれるから」
「は、はぁ……まさか、それも教授の発明なんですか?」
ウフフ、と教授が笑う。
「さすがに無理よ。教授連に見付からないよう、ずっと隠してたの。運転者の魔力を食うように改良したのは私だけど」
「どこでそんなものを」
「それは内緒。……ただプルミエール、貴女とエリック君だけじゃロックモールに行くのは危ないと思うわ。ということでシェイド、同行してくれる?」
「はいにゃ!!おっぱ……や、何でもないにゃぁ……」
エリックに睨まれたシェイド君がさらに冷汗を流した。……大丈夫なのかな、この子。
「ま、ロックモールから戻ったら性根から鍛え直すからそのつもりでいて頂戴。
……プルミエール、私に訊きたいことは山ほどあるんでしょうけど、それはビクター・ローエングリン卿が起きてからでいいかしら。彼が一緒の方が、話が進みやすいから」
「はい」
時計は朝の9の刻を示そうとしている。モリブスの中心部に行く時間が迫っていた。
439 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/19(月) 18:28:58.73 ID:tjvlTkr2O
第20-1話はここまで。次回は視点をエリックに変えます。
なお、トマの実=トマト、レイ芋=サツマイモです。プリン含め、かなりの食文化は現実のそれと重なっています。
なぜそうなっているかにはちゃんと設定がありますが、分かるのはずっと先でしょう。
440 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/19(月) 18:29:46.62 ID:tjvlTkr2O
なお、次回は若干の性描写があります。ご注意ください。
441 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/19(月) 18:53:04.27 ID:tjvlTkr2O
アイテム紹介
「バイク」
「秘宝」の一つ。見た目は大型バイクだが、動力源がガソリンではなく魔力であったり、ハンドル・バランス補正などある程度の自動運転機能を備えている点は異なる。
元はもう少し現実世界の二輪車に近かったが、アリスが手を加え現状のそれになった。
最大時速は200kmだが、十分な道路舗装がされていないこの世界ではそこまで速くは走行できない。
それでも移動手段が基本徒歩と馬車しかないこの世界の文明レベルから見れば、明らかに逸脱した移動速度である。
アリスがどのようにこれを入手したかは現在不明。ただ、アリスは明らかにこうした「秘宝」の扱いに習熟している。
その理由の一端は、近いうちに明らかになるかもしれないし、明らかにならないかもしれない。
442 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/19(月) 20:57:54.38 ID:tjvlTkr2O
>>438
訂正。ビクター・ランパード卿でした。
443 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/21(水) 19:09:48.40 ID:mjsf9+/tO
第20-2話
444 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/21(水) 19:10:20.16 ID:mjsf9+/tO
リリス・リビングストンは拘束衣に身を包んで寝かせられていた。俺が気絶させた後、即座にかなり強い睡眠魔法をかけられたままだ。
幸い、デボラならベーレン候同様に「治療」はできるはずだ。あまり「巻き戻す時間」が長くなければ、だが。
「……辛そう……」
「同情は後にしろ。先にやるべきことをやれ」
「……分かってるわよ」
プルミエールは「追憶」を彼女の身体にかけ始めた。差し当たり、俺がファリスを殺した翌日の昼……アヴァロンがエストラーダ候を「消して」からの記憶を見ることにする。
「きゃっ!!?」
水晶玉には汗だくの男の裸が見えた。どうやら事を致している最中のようだ。
『はあっ、はあっ』
『もっと!もっとですわ……!!』
プルミエールが目を覆う。
「な、何でこんなのがっ!?」
「こいつはモリブスの娼館協会の会長だぞ?客を取ってもおかしくはないだろう」
「で、でもっ!……こんなの見るの、初めてで」
「……ふん。『早送り』すれば済むだろう」
プルミエールは顔を真っ赤にして水晶玉に映る映像を先に進めた。
こいつが処女なのは容易に想像がつくが、それにしても免疫がないな。……まあ、俺もそう経験が多い方でもないが。
それにしても、昨日あんな大胆なことをしておいてこれとは……やはり、大した意味はないのか。俺は軽く息をついた。
水晶玉の中ではさっきの男が去り、リリスが身を清め始めた。さっきの嬌声が嘘のように、鏡に映る彼女は醒めた表情をしている。
「……ふと思ったのだけど、この人ってそこまで歳でもないのに、そんなに偉いの?」
「エルフは長寿かつ老けにくいからな。どこの街でも花街の元締めは大体エルフだ。多分こいつ、80歳近いぞ」
「えっ……でも、どうして」
「エルフは子供ができにくいからな。元来好色なのもあるが、血を繋げるために娼婦になるのも少なくない。
そして、世界各地の花街の娼婦を『草』とし、情報収集をしているのがランパードというわけだ。……呼ばれたな」
リリスは身支度をして客を迎えに行く。その先にいたのは……
『ご指名頂き、ありがとうございます。……『シェリー』様」
「『シェリル』!!?」
445 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/21(水) 19:13:55.64 ID:mjsf9+/tO
プルミエールが思わず大声をあげた。肌の色は白く、長い耳もないが、それは間違いなくあいつだ。
「馬鹿が、起きるだろうがっ」
「でも、ここって娼館でしょ?何で女性の……彼女が」
「娼館に女でも来ることがないとは言えないが……そうか、相手がエルフならあり得る」
「え?」
「エルフには両刀が少なくないからな。娼婦なら、当然対応できるはずだ」
そして、ここまではリリスは正気だったことも分かる。恐らく、「シェリル」の支配下に置かれたのはこの時だ。
『さすが、モリブスの『魔姫』。聞こえに違わぬ美しさですわ』
『お褒めに頂き光栄です。……にしても、女性のお相手は数年振りです……上手くできるかしら』
『うふふ。『普段通り』でいいのですよ?』
そう言うと、「シェリル」は彼女に口付けた。舌を挿れられたのが、すぐに分かった。「憑依」されたか。
なるほど、花街ばかりが「シェリル」に狙われているわけだ。自然に、魔法の発動条件を満たせるのだから。
「切っていいぞ。いつまで戻せばいいのかは、大体分かった」
「……うん……えっ」
プルミエールは「追憶」を続けたままだ。水晶玉の中では、2人の女が絡み合い始めた。さっきと違って声は熱っぽく、本気なのが分かる。
「……女同士の睦み合いに興味があるわけじゃないだろう?」
「いや、違くて……」
「シェリル」の股間からは、男のそれが生えている。エルフにはそういう魔法があるらしいから、それ自体に驚きはない。
プルミエールが驚いていたのは、その右腕だ。昨日は手袋で気付かなかったが……これは。
「義手か」
「うん。でも、これって……」
「……『秘宝』?」
そうだ。肘から先が、全て銀色の金属になっている。こんな精巧なものを作れる職人がいるのだろうか?
だが、合点が行く所もある。あの重そうな「エオンウェ」を片手で軽々扱える時点で、尋常ではなかったのだ。
「秘宝」とは、この世には有らざる力を、使用者にもたらすものであるらしい。「遺物」が武器や防具の類なら、「秘宝」はその道具版だ。
ただ、遺物以上にその存在は知られていない。俺もその存在は御伽噺の中にしかないと思っていた。
ジャックは恐らく色々知っているのだろうが、俺が「秘宝」の実物を見たのはアリスの「バイク」が初めてだ。そんなものが、そうゴロゴロあるとは……
水晶玉からは「お姉様、お姉様ぁ……!!」と喘ぎ泣く声が聞こえる。これ以上は俺も変な気分になりそうだ。
「……止めてくれ」
プルミエールは顔を赤くしながら頷いた。アリスなら、何か知っているはずだ。あの女も、謎が多過ぎる。
446 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/21(水) 19:14:38.94 ID:mjsf9+/tO
#
リリスのことはデボラに任せ、俺たちは一度ジャックの家に戻った。「4日前まで戻すのは相当難儀だねぇ」ということだったが、何とかしてくれるはずだ。
エストラーダ候の家の跡地については、後に回すことにした。昨日のこともあり、プルミエールもさすがに疲れている。
「よう、リリスの様子は?」
ランパードが松葉杖をついて出迎えた。心配そうにエリザベートが横で支えている。
「一応、経緯は分かった。客として来た『シェリル』にやられたらしい」
「……やはりな。まあ、悪い奴じゃねえんだ。寛大な処置を頼みたいところだが」
「そういう方向性らしいな。アリスは」
厨房からエプロン姿の彼女が顔を出した。
「どうしたの?」
「色々訊きたいことがある。あの『シェリル』という女、そしてお前自身についてだ」
「まあちょっと待ってなさい。『パンの実のケーキ』が焼き上がるから、お茶でもしながら話しましょ?肩肘ばかり張ってると、疲れるわよ?」
奥からはシェイドの声も聞こえる。どうやら教えながら作っているらしい。
「……のんびりしたものだな」
「あなたもその仏頂面やめればいいのに。……もったいないわよ」
「何がだ」
「……!!な、何でもよっ」
プルミエールが顔を赤くした。エリザベートとランパードがニヤニヤしている。
「……何がおかしい」
「いやあ、素直になった方がいいよ?エリック」
「……は??」
顔の温度が一気に上がる。いかん、さっきの睦み合いを見てしまったからか、どうにも調子が狂っている。
そもそも昨日の昼、口移しに丸薬を飲まされたのがおかしかったのだ。本人にその気があるのかないのか、ハッキリしてくれないと……困る。
「ちょ、ちょっと!!?」
「んふふ、プルミエールも正直に言えばいいのに。お姉さんには大体分かってしまうんですねぇ」
「な、何がっ」
「そりゃ決まってるでしょ?エリックを……あ」
向こうでアリスが微笑んでいる。……何か知らないが、異常な圧を俺でも感じた。
「エリザベート、そこまでにしなさい。ケーキが焼けたわよ」
「は、はいぃ……」
エリザベートが一発で大人しくなった。居間からは、芳ばしい匂いが漂っている。
俺は少し安堵した。……彼女の気持ちを聞くのが、怖いのか?それとも……
447 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/21(水) 19:16:41.33 ID:mjsf9+/tO
#
「久し振りの教授のケーキ、本当に美味しいですっ!!」
「ふふ、ありがと。食材、本当に増えたわねぇ。このポックリとした味わい、流行るんじゃないかしら」
目の前に出された「パンの実のケーキ」は、確かに旨い。ふんわりとした素朴な味わいだが、コクもある。パンの実を裏漉ししたクリームが、旨味をさらに引き立てる。
甘いものは決して好きではない俺だが、これなら十分に食べられる。何より、深煎りのコーヒーとの相性が素晴らしい。
「にゃ!今度コンキスタ通りのケーキ屋の子に、レシピ教えるにゃ!」
「それをダシにするつもりならダメよ」
「にゃぁ……ボクに自由はないのかにゃ……」
「ジャックだけの時に散々好き放題したでしょ?貴方もちゃんと躾なさいな」
「……面目ない」
こんなジャックは初めて見た。口許が思わず緩む。
「何が可笑しい」
「いや、珍しいものを見たんでね」
「お前もいつかこうなるさ」
「……は?」
「まあそれはいい。アリスに質問があるんだろう?いつかは知る話だ、俺の方からも説明するが」
アリスが真顔になり、小さく頷いた。
「私に話せる範囲で話すわ。何でも言って」
真っ先に手を挙げたのは、ランパードだ。
「いきなり引っ掛かるな。『話せる範囲』ってことは、言えないこともあるってことだよな?」
「さすがランパード卿、鋭い質問ですね。厳密には、『推測は話さない』ということです。私も確信が持てていないことが、多々ありますから」
「何に対しての確信だ?」
「『六連星』の真の狙い。そして、テイタニア・ランドルスとシェリル・マルガリータとの関係。後者については、マリア女王の方が知っているでしょうね。だから私が推測を話すべきではない」
「前者はどうなんだよ」
ジャックが割って入った。
「それは、『サンタヴィラの惨劇』の真実に深く関わっていると推測する。ただ、これは俺たちにもよく分からない。
一つ言えるのは、真実を暴かれるのを連中はこの上なく恐れているということだ」
「それは、『三聖女』テイタニア・ランドルスにも関わることですか?」
プルミエールの質問を、アリスは肯定した。
「彼女は多少なりとも真実を知っているでしょうね。だからこそ、貴女たちを狙った」
「でもおかしくないですか?何故、『三聖女』が……」
俺も口を挟む。
「そうだ。それに、奴の右腕は……義手だった。恐らく『秘宝』の」
「斬ったのは多分、貴方のお父様……ケイン・ベナビデスね。そして、彼は私たちの仲間だった」
……何?
448 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/21(水) 19:17:18.34 ID:mjsf9+/tO
「……父上とジャックが友人だったのは聞いていたが、『仲間』?」
ジャックが煙草を深く吸った。
「その通りだ。それにリオネル・スナイダとパメラ・スナイダ。この5人でサンタヴィラやオルランドゥ大湖にある遺跡の調査を行っていた。
ケインは立場上、後援者という立ち位置だったがな。それでも、サンタヴィラの『ガルデア遺跡』についてはサンタヴィラ王国と協力して色々動いていたらしい。
丁度その時に、『サンタヴィラの惨劇』が起きている。原因は不明だがな」
アリスが話を続ける。
「そして、その生き残りが『三聖女』よ。1人目がサンタヴィラ王国王女にして現アングヴィラ王国救護院院長、バーバラ・グリンウェル。
2人目がアングヴィラ王国の『4勇者』、ヘンリー・スティーブンソンの妻、エレン・シェフィールド。……彼女は10年前に亡くなったけど。
そして最後が、サンタヴィラで名声を得ていた『魔女』テイタニア・ランドルス。
3人は『サンタヴィラの惨劇』後、悲劇の象徴として祭り上げられた。それは知ってるわね」
「さすがにな。……ただ、色々解せねえな。三聖女の残り2人はエレンが死んだ後は、表舞台に出てないよな。
バーバラは慈善活動に専念ということで理解できるが、魔術研究で隠居していたはずのテイタニアが何故『シェリル』として出てきた?
何より、昨日あんたが呟いた『裏切り者』という言葉だ。元はあんたらと協力関係にあったってことか?」
「……その通りよ」
ランパードの言葉に、コーヒーをアリスが一口飲む。その目には、深い翳りが見えた。
「『ガルデア遺跡』には、多くの『秘宝』や『遺物』が眠っていた。ただ、罠も苛烈で、協力者なしでは踏破は到底できそうもなかった」
「協力者?」
一瞬、彼女が黙った。
449 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/21(水) 19:18:13.87 ID:mjsf9+/tO
「ええ。……その協力者こそ、テイタニア・ランドルス。
そして、遺跡の水先案内人が……私の姉、エレン・シェフィールド」
450 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/21(水) 19:20:04.23 ID:mjsf9+/tO
今回はここまで。次回はプルミエール視点です。
次回でモリブス編は終わりになるはずです。まだ全体の1割強のイメージですね。
451 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/21(水) 19:52:06.81 ID:mjsf9+/tO
用語紹介
「秘宝」
太古の文明で使われていたと思われる一連のアイテム。「遺物」は武器や防具が中心であり、その点で異なる。
また、「遺物」は魔力を帯びており、利用者に特定の魔法に近い何かしらの能力を賦与するが、
「秘宝」の場合魔力を帯びているものは少ない(魔力で動くものはある)。
見た瞬間に現文明と明確に違うことが分かる作りをしているものが大半である。「バイク」は典型。
いわゆるオーパーツであり、極めて希少。遺物以上に確認例が少なく、エリックの立場でも御伽噺上の存在としか認識されていない。
一部の古代遺跡で発掘事例があるらしいが、そのような遺跡の存在は秘匿されている。
キャラ紹介
リリス・リビングストン
女性。77歳。金髪碧眼のエルフであり、人間で言えば外見年齢は30代前半〜半ば。身長158cm、体重50kg。
モリブス娼館協会の会長であり、モリブス滞在歴は50年近くの古株である。そのキャリアと高い魔力を買われて現職に就いてはや10年余。トリスのスパイ組織「草」のモリブスにおける責任者でもある。
「魔姫」の異名を持つ技巧派だがプライドも高く、年下で貴族のランパードに使われることは快く思っていなかった様子。
プライドの高さもあり未婚。同性愛者寄りの両性愛者であるのも一員で、それがテイタニアに狙われる要因ともなった。子供は現在いない。
厳しいが面倒見は良く、娼婦たちからの信頼は厚い。彼女が無罪放免になりそうなのは、娼婦たちからの嘆願も大きかった。
452 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/10/22(木) 08:20:25.24 ID:wJidL4hT0
乙乙
453 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/22(木) 21:53:59.26 ID:D30CV/NDO
第20-3話
454 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/22(木) 21:54:54.91 ID:D30CV/NDO
「……えっ!!?」
思わず声が漏れた。さっきから色々驚いてばかりだけど、教授が……「三聖女」エレン・シェフィールドの妹??
「ちょ、ちょっと……そもそも、エレン・シェフィールドって……宿屋の娘じゃ」
「冒険者御用達のね。姉さんはその主人の元に嫁いだの。あそこには、私やジャック、そしてケインさんもお世話になったわ」
ジャックさんが、遠い目で煙草を灰皿に押し付けた。
「そうだな。……エレンは『三聖女』になってから、人が変わったようになってしまったが。一切俺たちとの接触を絶ってしまった」
「……最期以外はね。そして、その果てに命を絶った。ヘンリー・スティーブンソンを道連れに」
カラン、とランパードさんがお酒の入った器を落とした。口はあんぐりと開かれている。
「……初耳だぞそれは。彼らは、流行り病で死んだと……」
「表向きはね。『4勇者』の一人が、『三聖女』に殺されたなんてことをアングヴィラが……『勇者』アルベルト・ヴィルエールが公にできるはずがないもの。
その直前、オルランドゥにいた私に遺書が送られて来たの。……『救ってあげられなくて、ごめんなさい』とあったわ。そして、ヘンリー・スティーブンソンを殺すということも。
姉さんが正気に戻ったのか、機を伺ってたのかは分からない。でも、とにかくその後すぐに2人が亡くなったのが報じられた。遺書の内容とは合致するわ」
「……そういうことか」とランパードさんが溢れたお酒を拭き取りながら言った。
「道理で因縁がありそうだったわけだ。そして、姉の死にテイタニアが絡んでいると思っているわけだな」
「ええ。どういう関わりかは分からない。でも、あいつが私たちを……ケインさんを裏切ったのは間違いないわ。
15年前、あいつと対峙したことがあるからそれは分かってる」
「リオネルとパメラを探してる時、だな。まだその頃は……」
ジャックさんに教授が頷いた。
「まだ『シェリル』は名乗ってなかったわね。『六連星』に加入したのは、多分その後」
2人は一度戦っていた……だから彼女が義手ということを知ってたんだ。
でも、逆に色々疑問もわいてくる。どうしてテイタニアは教授を憎んでいるんだろう?そして、どうして……テイタニアは魔王ケインを裏切ったのだろう?
エリックの顔が真っ赤になっている。怒りを懸命にこらえているのが私にも分かった。
455 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/22(木) 21:55:45.62 ID:D30CV/NDO
「なるほど、見えてきたな。……テイタニアは、秘宝を独り占めしようとしたわけだ、父上を……『サンタヴィラの惨劇』を利用してっっ!!!」
「……そうかもしれない。でも、利用したのは多分あいつだけじゃないわ」
私はハッと気付いた。……そういうことか!!
「教授、ひょっとしたらアングヴィラ……あるいは『六連星』は、秘宝を独占しようとしてるんじゃ!?」
「その可能性は大いにあるわ。でも、そうだとしてなぜ『サンタヴィラの惨劇』が起きたのかは分からない。
ガルデア遺跡はケインによって破壊されてるわ。だから、これ以上の発掘はできない。『秘宝』や『遺物』を独占しようとしたなら、この結果は彼らにとっては不都合なはず」
「……そうなんですか?」
「ええ。私が確認したから間違いないわ。理性を失い、完全なる『魔王』と化した彼が、なぜそんなことをしたかは分からない。あるいは、正気がどこかに残ってたのか……それは貴女でなければ、きっと分からないでしょうね」
教授が私をじっと見た。……ひょっとして、私が「追憶」を生み出すことは、彼女によって仕組まれてた?
青ざめる私に気付いたのか、教授が苦笑した。
「心配しなくても、貴女の心を誘導したということはないわ。私には精神感応魔法の資質はないもの」
エリックが教授を鋭い目で見た。
「だが、ジャックが俺をプルミエールの所に寄越したのは、お前の意思もある。違うか」
「それは否定しないわ。何より、彼女には『騎士』が必要だから。
……貴女を狙っているのが本当は誰か、感付いているんでしょう?プルミエール」
456 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/22(木) 21:56:51.29 ID:D30CV/NDO
ドクン
鼓動が速くなった。そう、その可能性は考えないようにしていた。そんなはずはない、そう思い込もうとしていた。
彼は私の恩人だ。父親代わりでもあり、師でもあった。私に魔法の素質を見出だし、オルランドゥ魔術学院にも通わせてくれた。
彼なくして、今の私はなかった。……先生が、私を殺そうとしているなんて……思いたくない。
457 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/22(木) 21:57:39.67 ID:D30CV/NDO
「そんなっっ!!!先生はっ、そんな人じゃっっ!!!」
教授が静かに首を振った。
「もはや確定的よ。『六連星』の背後には、『4勇者』の生き残り……『勇者』アルベルトと『大魔道士』クリスがいる。
『サンタヴィラの惨劇』が仕組まれたものなのは疑いない。そして、それによって彼らが守ろうとしたものを暴けば……世界は壊れる。少なくとも、彼らはそう考えてる」
「まあ、そもそも『魔王ケイン』が虚像だったとなれば、世界各地の魔族弾圧の正当性が失われるからな。それだけでも無茶苦茶なことにはなるだろう。
お前の『追憶』は、色々な意味であいつらには害悪でしかない。……認めたくないだろうが、それが現実だ」
教授とジャックさんの言葉に、私は何か言い返そうと口を動かした。……でも代わりに流れるのは言葉ではなく……涙だ。
そうだ。そんなことは、とっくに分かっていた。
でも、彼が私に向けた優しさは、嘘じゃなかった。間違いなく、本物の優しさだった。
あの日々は短かったけど、とても幸せな日々だった。
それを否定したくない。でも……私がこのままエリックと共に行くのだとすれば……先生と戦わなければならなくなる。
じゃあ、一人で戻るの?そうなれば、無力な私は殺される。
行くも退くもその先は……地獄だ。
458 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/22(木) 21:58:16.79 ID:D30CV/NDO
「うわああああっっっっ!!!!!」
「ちょっと、プルミエールっっ!!?」
立ち上がり、部屋を飛び出そうとした。誰にも会いたくなかった。ただ、1人で泣きたかった。
459 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/22(木) 21:58:53.20 ID:D30CV/NDO
刹那。
パシッ
「え」
頬に、熱い痛みが走る。平手打ちされたのだと、しばらくして気付いた。
目の前には、いつの間にかエリックが立っている。出口を塞ぐように。
460 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/22(木) 21:59:50.65 ID:D30CV/NDO
「黙れ『小娘』」
「…………」
「逃げて泣いて、それで何が始まる?選ぶ道は1つしかない。戦うしかないんだよ」
「あなたに先生の何が分かっっ」
「分からねえよ。だが、俺たちにとって信じられるのは、あやふやな『記憶』じゃない。ただの『事実』だ。
無味乾燥で、残酷で、容赦のない『事実』だ。辛かろうと何だろうと、それと戦わないと生きられない。……違うか??」
エリックの言葉は正しい。でも……あまりに……
「これが受け入れがたい『正論』だってことは、俺も分かってる。そして、それは俺が強いから言えるんだと、お前は思ってる。だが、それは違う」
「何が違うのよっ!!!」
エリックの目が潤んだのが分かった。
461 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/22(木) 22:01:43.97 ID:D30CV/NDO
「……俺にも経験があるからだ。受け入れたくない、残酷な『事実』を認めなければならなくなった経験が」
「そんなことがっっ…………」
……ある。
そうだ。「サンタヴィラの惨劇」。その真実がどうであれ……彼の父親「魔王ケイン」が、数千、いや数万の罪なき命を奪ったという、事実。
そのことを、幼い頃の彼は……受け入れたのだ。いや、受け入れざるを得なかったんだ。
462 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/22(木) 22:02:18.52 ID:D30CV/NDO
私はその場に崩れ落ちた。……そう、私ができることは、一つしかない。そのことを、私は悟った。
「ううっっ…………ううっ…………!!!」
もう、覚悟はできた。先生と……アングヴィラ王国宰相、クリス・トンプソンと戦う覚悟は。辛いけど、現実と向き合わなければ……!!
肩に、手が置かれたのが分かった。
「地獄なら、俺が付き合ってやる」
私は顔を上げ、エリックに向けて小さく頷いた。
463 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/22(木) 22:03:05.86 ID:D30CV/NDO
「……まあ、『騎士』としては及第点ね」
教授が苦笑している。
「ごめんなさいね、プルミエール。貴女にとっては厳しいことを言って」
私は袖で涙を拭った。
「いえ……いいんです。もう、大丈夫です」
「……その言葉が聞きたかった。一つ、大事なことを言い忘れたわ。多分だけど、エストラーダ候は生きている」
「……え?」
「……何?」
教授が首を縦に振った。
「ロックモールを通りがかった時、ミカエル・アヴァロンの魔力を感じたわ。
そこで少し調べたら、彼らしき人がアヴァロン大司教と一緒にいるのを見たという人がいた。それが本当ならだけど、彼はまだ、消されてはいない」
ジャックさんがフォークをケーキに刺し、ニヤリと笑った。
「どうする?ロックモールを素通りした方が安全だが」
「行きます」
もう私に、迷いはない。
464 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/22(木) 22:06:15.69 ID:D30CV/NDO
第20-3話はここまで。次回からロックモール編です。
なお、「4勇者」のうち存命しているのはアルベルトとクリスだけです。
ヘンリーは今回分かったようにエレンに討たれ、本編未登場の1人はサンタヴィラの惨劇後に亡くなっています。
465 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/22(木) 22:18:36.99 ID:D30CV/NDO
キャラ紹介
エレン・シェフィールド
女性。享年29歳。アリスとは2歳差である。
元より優秀な冒険者であったが、重傷を負い早くに一線を退く。その際、冒険者御用達の宿の若主人、トーマス・シェフィールドに嫁いだ。
以後は妹のアリスたちを後方支援していた。ガルデア遺跡に立ち入った経験が何度もあるため、水先案内人として重宝されていたようだ。
サンタヴィラの惨劇における動向は現在不明。この際に夫のトーマスを亡くし、未亡人となっている。
惨劇後は、「三聖女」として惨劇の語り部となる。悲劇の象徴として祭り上げられていたが、その顔はどこか感情をなくしたようだったとも伝えられる。
アリスやジャックとの連絡も全て絶ち、惨劇後ほどなく4勇者の一人、ヘンリー・スティーブンソンと結婚。1女をもうける。
結婚生活がどのようなものであったかは伝えられていない。少なくとも、表向きは平穏であった。
惨劇から10年後、ヘンリーを刺殺。そして自ら命を絶った。その事実を知るのは、極々限られている。
表向きは、流行り病による死亡とされ、共に国葬で送られた。
466 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/24(土) 22:27:38.46 ID:bALXQCzKO
第21話
467 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/24(土) 22:28:21.39 ID:bALXQCzKO
「どうもお世話になりました」
私は深く頭を下げた。馬には既に荷物は積んである。エリックは既に馬上の人だ。
数日間、教授も交えて厳しい修練をしてきた。ある程度の手応えは感じている。疲労も、昨日の休養日で大分取れたと思う。
「いいのよ。私も久々に貴女たちに教えられて楽しかったわ」
「ひぐっ、教授ぅ……」
エリザベートが教授に泣き付く。彼女は笑って頭を撫でた。
「別に今生の別れでもないでしょう?特に貴女は」
「でも……トリスで何があるか分かりませんし……」
「……そうね。『シェリル』については、私も知りたいし。……聞いているんでしょう?マリア・マルガリータ」
「え」
ニコリと教授がエリザベートに笑いかけた。
「どうしてそれを」
「彼女の魔法……いや、『秘宝』も使ってるのかしら。『千里眼』については、さすがに知ってるわ。トリスとしては最高機密なんでしょうけど」
ジャックさんが頷く。
「全貌を知ってるわけじゃないがな。特定の相手の視野などを共有するとは聞いている。エリザベートも似たようなのは使えるな」
「まあ、お前さんたちならバレていると思ってたけどな」
「バイク」に跨がりながら、ランパードさんが肩を竦める。
「そこまで織り込み済みか、ランパード卿」
「俺に女王陛下の深い御心は分からんよ。向こうからこちらには何もできねえしな。
ただ、戻ったら何かしらの動きはあるはずだ。『シェリル』がどの程度関与しているのかいねえのか、多分調査は始まってる」
「ブロロッ」と「バイク」から低く重い音がした。ランパードさんは僅か数日で、これを乗りこなせるようになったらしい。
「じゃあ姫様、後ろに乗ってくれ」
「……うん」
エリックがランパードさんを見た。
「そっちの用件が終わったら、どうする」
「多分俺に出されるのは、テイタニアの討伐指令だ。エリザベートを連れていくかは知らねえ。危ねえ橋を渡るから、俺としては国許に置いときたいが」
「嫌よ。貴方についていくもん」
ランパードさんの腰に、エリザベートが後ろからぎゅっと抱き付いた。
「……とこれだ。まあ陛下もエリザベートには甘いからな」
「そうか。まあ、近いうちに会うことになりそうだな。生きていれば」
「お互いな。じゃあ、世話になったな!また会おうぜっ!!」
ブロロロロ…………
2人を乗せた「バイク」が急速に小さくなっていく。私たちも、そろそろ出なければいけない頃だ。
468 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/24(土) 22:29:33.58 ID:bALXQCzKO
「行っちゃいましたね」
「ええ。そうだ、プルミエール。貴女にはこれを」
教授が懐から何かを取り出した。……これはっ!!?
「ちょ、ちょっとこれって……」
「ええ、『魔導銃』よ。私が使ってたのだけど、餞別としてあげるわ」
「そ、それって、すごく貴重なものじゃ」
「大丈夫、身を守る手段なら他にもあるから。むしろ貴女にはそういうのないし、ちょうどいいと思うわ」
手渡された銃は、ずしりと重い。これ、扱いきれるのかな……
「魔力に比例して威力が増すから、今の貴女なら結構なものになってるはずよ。むしろ、全力で撃たない方がいいかも。被害が大きくなるから」
「わ、分かりました。大切に使います」
「そろそろ行くにゃ!夕方までに宿場町に着かないとにゃ」
外套を被ったシェイド君が言う。馬に乗ろうとした時、向こうから誰かが馬でやってくるのが見えた。
「……あれって」
「ちょっと待ちな!!」
あの長い銀髪に狐のような耳……デボラさんだ。
469 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/24(土) 22:30:03.72 ID:bALXQCzKO
「どうしたんですか?」
「組のことはしばらくウィテカーとラファエルに任せたよ。……あたしもロックモールに連れていってくれないかい」
「えっ」
戸惑う私をよそに、教授は「いいわ」と微笑んだ。
「人が多い分には安心だし、貴女も時々修練を手伝ってくれたから。狙いはやっぱり」
「ミカエル・アヴァロン。あいつが父さんと母さんの仇かは分からないけど、何か知ってるのは間違いないからね」
「……そうね。ただ、くれぐれも無理はしないで。……貴女は、歳の離れた妹のようなものだから。ジャックも、いいでしょ?」
「ああ。ロックモールには、多少は土地勘があるだろう。そいつらを導いてやってくれ」
「任せときな」
ニヤリとデボラさんが笑う。
「エリックもいいだろ?」
「ああ。向こうの事情は、商売柄知ってるんだろう?」
「まあね。うちは女衒はやっちゃいないけど、用心棒系の依頼は結構あるからね」
「やったにゃ!!!」とシェイド君が声をあげた。
「お姉様も一緒にゃ!!これで勝った……」
「何が勝ったって??」
睨まれたシェイド君が冷や汗を流しながら震える。そういえば、部屋を覗こうとした彼が思い切り蹴飛ばされてたっけ。
「な、何でもないにゃあ……やっぱ怖いにゃあ……」
「デボラ、私の代わりにシェイドを頼んだわよ。舐めたことしたら半殺しで構わないから」
「ひうっ!!?アリス様、容赦や慈悲はないのかにゃ……」
「ないわ」
デボラさんが彼に近付いて、顔を近付ける。
「あたしに手を出そうとしたらマジで殺すから。そのつもりでいな」
「にゃぁ……」
エリックが溜め息をついた。
「まあ、デボラが一緒なら安心だな。ジャック、色々世話になった。また会いたいものだが」
「俺の寿命が尽きてなければ、な。……次会えるのはいつの日やら」
「そうだな。まだ目的地までは遥か遠い。次に会う時は、サンタヴィラの真実を伝えに行く時だな。数か月後か、1年後か」
「まあその時を楽しみに待ってるぜ、アリス共々。それまでは生きなきゃな」
ニヤリとジャックさんが笑った。教授も笑顔で手を振る。
「じゃあね。良い旅を」
「本当に色々、ありがとうございました!!行ってきます!!」
私は馬に乗り、深く頭を下げた。
470 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/24(土) 22:31:04.70 ID:bALXQCzKO
#
2人に次に会うのは思いもかけない形だということを、この時の私たちは知らない。
#
471 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/24(土) 22:31:45.60 ID:bALXQCzKO
#
モリブスからロックモールまでは丸3日かかる。幸い、モリブス領内では私たちの安全を確保してくれるようにすると、ベーレン侯が確約してくださった。
「シェリル」、もといテイタニアの襲撃の件で、ラミレス家もベーレン侯に大きな貸しができたという。「統領選当選がほぼ確実になったことを考えれば、この程度でも安いものたい」だそうだ。
私たちは最初の宿場町、サンティアナに着いた。交易路らしく、大荷物を馬車に積んだ商人が目立つ。
「賑やかなものですね。バザールみたいなのもある」
「南ガリアの農作物の評判はいいからね。テルモンでは高く売れるのさ。とりあえず、飯にするよ。酒はイケるかい?」
「はいっ!実は結構好きなんです!エリックもいいわよね?」
「構わん」
「ボクはお酒あんまりなのでいいかにゃ?」
「いいさ。とりあえずあそこにしようか。うちのもんも使っているとこさ」
デボラさんを先頭に入る。酒場は商人と護衛の傭兵で一杯だ。
「らっしゃい。注文は」
「『テキ』のソーダ割りを3杯、ココのミルク割りを1杯。ツマミにボガードのサラダ、鶏のティッカ焼き……辛いのはプルミエールがダメだから……茄子の挽肉詰め辺りでいいかね。
それと、ロックモールの最新事情を知りたいねぇ。変わりはないかい」
「……あんた、ワイルダ組のデボラ大姐か。外套で気付かなかったぜ」
「いいんだよ。で、どうなんだい?」
主人と思わしき口髭の男が、辺りを軽く見渡した。
「……テルモンの奴らはいねえな。ならいいか。テルモンとゴンザレス家との関係が、最近悪化してる」
「元からそんな仲は良くないだろ?」
「今回はちと違うらしい。テルモン領側の連中が軍隊を派遣してるって話だ。ここ数日のことだ」
「どういうことですか?」
デボラさんが振り向いた。
「ロックモールは世界二大歓楽街の一つさ。テルモンとモリブスの共同統治ってことになっててね。博打をテルモンの軍閥が、色事をモリブスのゴンザレス家が仕切ってるのさ。
一応持ちつ持たれつでこれまでやってたんだけどね。ゴンザレス家が1年前にベーレン侯に弓引いてからは大分押されてるんだよ」
「……あの時のことだな」
エリックの言葉に、デボラさんの表情に翳が差した。
「……まあね。あたしの旦那が殺されたのはその時さ。エリックのお陰でゴンザレスの乱は収まったわけだけど……ここで辛気臭い話をするのはやめとくかね。
とにかく、ゴンザレス家はあれで大分弱体化したんだ。もちろん、あたしたちワイルダ組には特大の貸しがある」
「ロックモールの花街が大分テルモンの影響を受け始めてるという話は聞いたことがあるな。そういうことか」
「まあね。ああ、もちろんあんたが気に病むことはないよ。ゴンザレス家の連中は、命があるだけまだマシと思うべきさ。
ただ、そうなると困ったね……軍隊まで来てるとなると、ゴンザレス家の庇護もそんなに当てにできそうもないってことか」
472 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/24(土) 22:32:35.56 ID:bALXQCzKO
「そうなのにゃ?」
いつの間にかミルクのようなものが入ったグラスを手にして、シェイド君が言った。
「ロックモールでは奴らに働いてもらうつもりだったんだ。でも、軍隊が来ているってことは、あまり期待できないかもしれない」
「軍隊は、俺たちに対する備えだろう?」
「多分ね。それと同時に、ゴンザレス家に圧力をかけてるのさ」
主人が私たちにお酒のグラスを手渡した。
「何やら訳ありみてえだな。まあ、くれぐれも気をつけな。厄介事に巻き込まれたくねえなら、ロックモールは素通りすることを勧めるぜ」
「生憎、そういうわけにもいかな「何でダメなんだよっっ!!!」」
激しい叫び声に、私たちはそっちの方を見た。酒場の隅で、若い男の人が傭兵の胸倉を掴んでいる。
「金なら幾らでも出すっ!!だからお願いだ、俺に雇われてくれっっ!!!」
「無理なものは無理だ。命は惜しいんだよ、他当たんな」
「100万ギラでもかっ!!200、いや300万でもっ……1000万!!!どうだ!!?」
「命の値段としては安すぎだな」
傭兵は見るからに歴戦の強者っぽいけど、男の人は随分と若い。私よりは下、見た目だけならエリックより少し上といったぐらいか。男の人はその場に崩れ落ちる。
最初は興味なさそうにしていたデボラさんが、急に目を見開いた。
「……驚いたねぇ……あそこにいるのは、まさか」
「……!!!ああ、そうだ。間違いない」
「エリック、知ってるの?」
エリックは「テキ」を一口飲んだ。
「ああ。あいつは、ゴンザレス家『現当主』。カルロス・ゴンザレスだ」
473 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/24(土) 22:35:57.28 ID:bALXQCzKO
第21話はここまで。新キャラ登場です。
「テキ」は大体テキーラと同等のものです。ココのミルク割りはほぼマリブミルクです。
モリブスの食文化はメキシコ+インドと考えて大体間違いありません。
テルモンはドイツ辺りの食文化になります。
474 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/24(土) 22:46:38.24 ID:bALXQCzKO
都市紹介
「絶頂都市」ロックモール
海に面した大娯楽都市。年中温暖であり、単純な娯楽・風俗都市ではなくリゾート地としての顔も併せ持つ。
テルモンとモリブスの国境にあり、両国の共同統治ということになっている。
賭博はテルモン軍閥、性風俗はモリブスのゴンザレス家の管轄である。
両国にとっては貴重な観光収入源であり、近年は遥か遠方のアトランティア大陸の富裕層も相手にしている。
成立の経緯は定かではないが、200年ほど前から現状の統治体制であったようだ。
温泉地としても名高いため、元は湯治場だったのではという推測がある。これを利用したユングヴィ教団直営の病院もある。なお、特権階級御用達である。
華やかな表の顔とは裏腹に、実権争いは絶えない。
特に1年前のゴンザレス家によるクーデタ未遂後は急速にテルモンの勢力が伸びており、そのパワーバランスは崩壊しつつある。
街の中央には、シンボルである巨大樹「女神の樹」がある。稀にできる実は万病に効く薬になるという伝説があるが、その真実を知る者は「ほぼ」いない。
475 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/10/25(日) 04:51:45.17 ID:tyz4vGADO
乙乙
476 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/27(火) 19:54:53.85 ID:kXxvSfJ/O
第22話
477 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/27(火) 19:55:57.99 ID:kXxvSfJ/O
俺はカルロスに近付く。外套のフードを取ると、すぐに奴の顔が強張ったのが分かった。
「……『魔王』エリック……!!?」
「あたしもいるよ」
デボラの姿を見て、カルロスの歯がカチカチと鳴った。まだ、そこまで怯えているのか。
「……デボラ・ワイルダ!!?な、何だよっ!!もう、ケリは付いたじゃないかっ!!」
「何だい、そんなに怖がるものかい?安心しな、旦那のことはあんたの父親を討ったことで終わってるよ。あんたには何の罪もないし、取って食いやしないさ」
「じゃ、じゃあ何でここにっ!!?」
俺の後ろからプルミエールが顔を出した。
「どうしたの?知り合いなのは分かったけど」
「前に少し話したが、デボラの旦那がこいつらの傘下の『無頼衆』に殺されてな。仇討ちしたわけだが、こいつはその倅だ」
「えっ……」
カルロスは俺を睨んでいる。驚愕と恐怖、そして憎悪が入り交じっているのが俺にも分かった。
本来、面倒事に首を突っ込むのは俺の主義ではない。だが、こいつにとって俺は仇だ。いかなる理由があれ、多少の負い目はある。
俺は改めてカルロスを見た。上等に仕立て上げられたはずの服は汚れ、あちこちが解れている。どこかから必死で逃げてきたのだろう。
「ちょっと野暮用でな。これからロックモールに行く」
「何だって!!!」
カルロスの目の色が変わった。
「本当にロックモールに行くのかっ」
「……?そうだが」
「俺も一緒に連れていってくれっ!!!金なら幾らでも出す」
尋常ならぬ血相だ。さっき主人が言っていた、主導権争いに絡むことか?
「金には困ってな「話を聞かせて」」
プルミエールが割り込んできた。
「プルミエール」
「そのぐらいはいいでしょ?昔あなたたちに何があったかは、詳しく知らないけど」
「そうさね。訳ありなのは確かみたいだ。困っているなら誰にでも手を差し出すのがうちの流儀だしね。いいだろ?エリック」
「……好きにしろ」
俺は軽く息を付く。店主が「奥の部屋を使いな」と合図した。
478 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/27(火) 19:56:50.14 ID:kXxvSfJ/O
#
「うん、美味しいにゃあ。この鶏がまた病み付きになりそうな味だにゃ」
鶏のティッカ焼きを頬張りながらシェイドが言う。それを無視して、デボラが訊いた。
「で、どういうことだい?ロックモールから逃げてきたって感じだけど」
「ああ……でも、彼女を助けたいんだ。でも、俺だけじゃ……」
「彼女って、恋人さんですかぁ?」
とろんとした目でプルミエールが言う。初めて会った時もそうだったが、存外こいつは酔いやすいな。その割に潰れにくいようだが。
「あ、いや……どうだろう。でも、俺にとっては……大切な人なんだ」
「なるほど、その人のことが好きなんですねぇ。詳しく話してくれますか?」
カルロスが視線を落とす。
「……彼女と出会ったのは、1ヶ月ぐらい前だ。たまたまロックモールの視察に来ていた俺は、花街の入口で男たちに囲まれている彼女に出会ったんだ。
花街での無理な勧誘はご法度だ。男たちはテルモン系の連中だったが、俺が名乗ると手を引いたよ。そして……俺は……」
「一目惚れしたってわけね。それがどうかしたのかい?あんたなら囲っちまうことは簡単じゃないか。
それとも何かい、その子はテルモン皇室のお姫様で、引き裂かれそうにでもなったとか言うのかい?」
「わ、分からないんだ」
「は?」
デボラがグラスを下ろす。カルロスは唇を噛んだまま俯いたままだ。
「彼女は、『私をしばらく守ってくれませんか?』とだけ言ってきた。俺も快諾したよ。
そして、しばらくロックモールで過ごしたんだ。……夢のような日だった。けど」
「テルモンが攻勢をかけ、あんたは逃げ出し、彼女は捕らえられた。まあよくありそうな話だねえ。
でも、なんでその娘をテルモンは捕らえたがってたんだい。それが分からないことには何とも言えないねえ」
「……それが分かれば苦労はしないさ。ただ、ユングヴィ教団の連中もいた」
479 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/27(火) 19:58:33.97 ID:kXxvSfJ/O
「「何!!?」」
俺とデボラの声が重なった。カルロスの女の話なぞ微塵も興味はないが、ユングヴィが絡んでいるなら話は違う。何故なら、その先には……
「アヴァロン大司教絡みか?」
「知らないよ。そもそも何でそんな小娘を狙うんだい?娼婦への勧誘にしろ、ユングヴィは色事は禁忌のはずだし」
「もう少し訊いてみましょうよ。どんな子なんですか?」
プルミエールが真顔になる。カルロスの顔が赤くなった。
「そっ、その……歳は16、7ぐらいだと思う。名前はメディア。深い緑の髪で、翠色の目をしてる。小柄で、少し胸は大きく……」
「おっぱいにゃ!!」
ゴツン、とデボラが拳骨をシェイドの脳天に振り下ろした。「酷いにゃぁ……」と奴が頭を抱える。
「続けな」
「はにかんだ笑顔が、とても美しい子なんだ……まるで、花のような……。きっと彼女も、俺のことを……」
シェイドが頭をさすりながら起き上がる。
「いたたた……本当にお姉さん、容赦ないにゃあ。でもそこが好きだにゃ。
で、ちょっと気になることがあったにゃ。『緑髪』って言ったにゃ?エルフじゃないにゃ?」
「……ああ、うん。そうだ」
「『女神の樹の巫女』の昔話、知ってるにゃ?」
俺とプルミエールは首を振る。デボラだけは「ああ、あれかい」と手を静かに叩いた。
「ロックモールに伝わる御伽噺だね。女神の樹から巫女が遣わされ、出会った男と恋に落ちるって話か。
しばらく一緒に幸せな時を過ごすけど、干魃が起きて急に巫女は姿を消し、雨と共に二度と現れなかったっていうよくある話さ。それと一体、何の関係があるんだい?」
「それ、実際にあった話を元にしてるにゃ」
「……は??」
「今から150年ほど前に、緑髪の少女がロックモールに現れたにゃ。彼女は万病を治す癒し手だったとされてるにゃ。そして、テルモンのロックモール総督と恋に落ちたにゃ」
「何でんなこと知ってるんだい?」
フフン、と得意気にシェイドが鼻を鳴らした。
「ご主人の蔵書は、結構目を通してるにゃ。それぐらいでないと、ご主人の跡は継げないにゃ」
そうだ。こいつはこう見えて魔術師としてはかなり能力が高い。家事は料理以外まるでできないが、ジャックが手元に置いているのはそういうことだ。
ジャックが整理整頓できないのもあるが、彼の家が散らかっているのはこいつが魔術書を乱読しているからに他ならない。
戦闘能力自体も高いが、地頭だけならこの中でも間違いなく一番だろう。
「話を続けるにゃ。御伽噺の通り、干魃があって少女は消えたにゃ。違うのは、その後にゃ。実は2人には子供ができていて、癒し手としての能力からその娘はユングヴィで高位まで登りつめたらしいにゃ。
これはご主人の『ロックモール史書』に書いてあった話にゃ。そこそこ信憑性はあるにゃ」
480 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/27(火) 19:59:37.61 ID:kXxvSfJ/O
「それがそのメディアって子と関係があるってわけ?」
モグモグとサラダを頬張りながらプルミエールが訊く。
「分からないにゃ。でも緑髪はエルフ以外にほぼ見ないにゃ。そしてユングヴィ教団絡みということで連想しただけにゃ。ただの偶然かもしれないにゃ。
カルロスだったかにゃ?何か他に思い付くことはあるにゃ?」
「……そう言えば、俺が熱を出した時……看病してもらったな。彼女が出した薬を飲んだら、すぐに全快したっけ」
「なるほどにゃあ。……まあ、何かしらある子とボクの勘は言ってるにゃ」
「そうなると、アヴァロンとの関係だねえ。たまたまなのか、絡みがあるのか……」
首をかしげるデボラに、カルロスが呆れたように言った。
「……ちょっと待てよ。あんたら、ロックモールに何しに」
俺はデボラと顔を見合わせた。正直、こいつを助ける義理はないし、目的を言う意味もない。
俺としてはアヴァロンを殺すのが第一だ、その上で、可能ならロペス・エストラーダを救出する。こいつに構っている余裕はない。そのはずだった。
ただ、カルロスの女がユングヴィ絡みではという話は引っ掛かる。こいつに協力する意味が、ひょっとしたら……
「決まってるじゃないですか、あのアヴァロンを倒しに……むぐっ」
俺は慌ててプルミエールの口を押さえた。眼鏡が外れそうになる。
「何言っているんだ馬鹿がっ!!」
「んぐっ、だって事実でしょ?隠しててもしょうがないじゃない。彼を放ったままロックモールに行く気?」
連れていく利点がないと言おうとしたが、そうとも言いきれない。そして、こいつを連れていくなら俺たちの目的はいつか話さねばならないことだ。
「え……今倒しにって」
「文字通りの意味だ。最近までロックモールにいたなら知らないかもしれないが、エストラーダ候が行方不明になった事件があってな。
この件とアヴァロン大司教は絡んでいる。というか、犯人だ」
「……は?」
デボラがそれに続ける。
「その後に大規模な争乱が花街であってねえ。その首謀者にも奴はちょいと噛んでるんだ。つまりは、奴はモリブスにちょっかいを出したのさ。それも悪質な、ね。
だから一応、この件はベーレン候からは黙認してもらってる。まあ、他にも色々あいつを殺したい理由はあるけど、それはあんたには関係ないから言わないよ」
「まあ、そんなとこだ。そしてお前に協力するのは、俺たちの目的にとって全くの無意味でもなさそうだ。
俺たちにお前が恨みを持っているのは知っている。それは仕方がない。だが、お前が望むなら手を貸してもいいとは思っている」
カルロスがまた唇を噛む。10秒ほどの沈黙の後、顔を上げた。
「お前らを許したわけじゃないっ。けど……父上が討たれた理由も、理解はしている。
……恥を忍んで言う。俺に協力してくれ」
「条件がある。相手はお前が思うよりずっと強大だ。だから、絶対に前に出るな。そして、女の件が片付いたらロックモールから逃げろ。分かったな、小僧」
481 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/27(火) 20:00:21.99 ID:kXxvSfJ/O
カルロスは小さく頷く。デボラが、少しだけ笑った。
「ってことで、もう少し話を聞こうか。あんたたちが襲われた経緯が分からないと、何ともできないからね」
「襲われたのは、一昨日だ。夜、急に奴らはやってきた。『メディアを引き渡せば何もしない』と……
でも、そんなことできるわけがない!だから俺は裏口から逃げたんだ。彼女と、5人も護衛を連れて」
「でも追い付かれた」
「……意味が分からなかった。闇に紛れて逃げたのに、次々と……護衛が倒れていくんだ。怖くて、ただ馬を走らせた。
ロックモールを出れるかと思った時、目の前に男が立ち塞がってた。月明かりの下だからはっきりとは見えなかったけど、多分黒と緑の斑模様の服に、赤い……細長い何かを持ってた。
護衛たちを殺したのは、こいつだと直感したよ。そしてそいつは……ニヤリと笑ってこう言ったんだ。『女を置いて行けば何もしないぜぇ』と」
「何者だ?」
俺の問いに、震えながらカルロスが首を振った。目が潤み始めている。
「分からない……でも、あんな恐怖を感じたのは初めてだった。そしてメディアは……『ごめんなさい』とだけ残して去ったんだ……ウグッ……!!」
「それだけですか?他にも気付いたことは」
しばらく黙った後、カルロスが口を開いた。
482 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/27(火) 20:00:49.74 ID:kXxvSfJ/O
「そういえば……名前を、名乗ってたと思う。確か……『ハーベスタ・オーバーバック』」
483 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/27(火) 20:06:23.82 ID:kXxvSfJ/O
第22話はここまで。次回から本格的にロックモール編……と行きたいですが、間に22.5話を挟むかもしれません。
行方不明だったオーバーバックが現れた経緯はどこかで触れるべきなので、22.5話ではないにしてもその辺りの事情は説明します。
484 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/27(火) 20:27:44.72 ID:kXxvSfJ/O
キャラクター紹介
カルロス・ゴンザレス(19)
男性。176cm、68kg。彫りが深めの青年であり、やや垂れ目で黒い短髪。
寄ってくる女性は多いが、本人は堅物であり財産目当ての女には辟易している。
モリブス7貴族の末席、ゴンザレス家の現当主。父親のロドルフォは1年前にエリックによって殺害されている。
ゴンザレス家はロックモールを地盤としており、権益も持つ名門であった。
ただ、野心家のロドルフォがベーレン候に対しクーデターを決行。
この前段階として傘下のチャベス組をワイルダ組にけしかけ、組長のマルケスを殺したのが運のつきだった。
逆鱗に触れたデボラがジャックに協力を依頼。代理として送られたエリックがロドルフォを殺害することでこの一件は手打ちとなっている。
当時カルロスはロックモールにおり、クーデターのことは一切知らなかった。
後にエリックやデボラが暗躍していたとチャベス組の生き残りから聞いたため、父の仇として恨みを持っている。
ただ、ロドルフォが相当無理筋なクーデターに出たことについては疑念を抱いており、その過程でマルケス・ワイルダを殺害したのは悪手とも認識している。
このため、殺してやりたいほど恨んでいるというほどでも実はない。
性格はやや直情的で純情。また、すぐに金で解決したがる傾向がある。
戦闘能力は乏しいが、商売の才覚は相応にあるようだ。
485 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/10/27(火) 20:49:23.10 ID:kXxvSfJ/O
なおオーバーバックの持っている武器はアレです。
486 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/01(日) 21:02:44.62 ID:7lCLmiUQO
第23-1話
487 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/01(日) 21:04:10.25 ID:7lCLmiUQO
「ハーベスタ・オーバーバック」……聞いたことがない名前だ。私はもちろん、エリックもデボラさんも、そしてシェイド君も首を捻っている。
「誰にゃそいつ」
「俺が知るかっ!……ただ、間違いなく……只者じゃない。それは俺にすら分かった」
「テキ」を一口飲んで、デボラさんがふーっと息を吐いた。私の酔いも、大分覚めてきている。
「赤い何か、ねえ。武器、あるいは『遺物』かい」
「ボクは分からないにゃ。一応、『遺物大全』は一通り読んだけど、ちょっとピンと来ないにゃ。ただ……」
「銃の類いだな。馬に乗っていたのを次々殺したという辺り」
エリックにシェイド君が頷いた。
「魔法かもしれないけど、そうかもにゃ。ただ、銃の『遺物』は知らないから、多分未確認のにゃ。もちろん、それが『遺物』って保証もないにゃ」
「とにかく、覚えておく必要はありそうだねぇ……」
アヴァロン大司教の仲間だろうか?それとも、もっと別の誰か?
分からないけど、やっぱり簡単にはいきそうもない。
「ま、考えてもしょうがないさ。とっとと引き揚げて寝る……」
「待て。俺はあんたらは知っている。だが、この眼鏡の女と亜人のガキは誰だ?あんたらの仲間みたいだが」
カルロス君の言葉に、シェイド君が不快そうに笑った。
「ガキにゃ?お前より年上にゃ、敬語使えにゃ」
「何っ!?偉そうに言ってんじゃな……」
「ちょ、ちょっと!!喧嘩は止めなさいって」
シェイド君がぷくっと膨れる。
「む。締めてやろうと思ったけどプル姉さんの言うことなら従うにゃ」
「は!?何様だっっ!?」
「ボクの名はシェイド・オルランドゥにゃ。大魔法使い、ジャック・オルランドゥの弟子にして養子にゃ」
「……え?」
エリックが呆れたように首を振った。
「弟子も養子も自称だろう」
「に゛ゃっ!?でも、大体その通りにゃ?」
「まあ、好きに言えばいい。ああ、こいつの腕が立つのは本当だ。手を出すなら命の覚悟ぐらいはした方がいい」
カルロス君は唖然とした様子だ。ちょっと空気を変えなきゃ。
「えっと、私はプルミエール・レミュー。オルランドゥ魔術学院の学生……をやってました」
「あ、ああっ。よ、よろしく頼む」
デボラさんがやれやれと苦笑した。
「ま、自己紹介はそこまでだね。明日も早いから、今日はここでお開きにするよ。部屋割りは男女別でいいね?」
「えー、お姉様と一緒じゃな……何でもないにゃぁ……」
睨まれたシェイド君が小さくなった。
「カルロスはどうするんだい。仇のあたしらと一緒が嫌というなら無理強いはしないよ」
「……背に腹は変えられない。頼む」
488 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/01(日) 21:05:48.09 ID:7lCLmiUQO
#
「大丈夫なんでしょうか」
シャツ一枚のデボラさんが振り向いた。
「大丈夫って、なんだい」
「カルロス君です。……仇なんですよね」
ハハハとデボラさんが笑った。
「まあ事実だけどね。あいつには殺されるだけの理由があったし、そのことはあいつも分かってるさ。
子供だから一言言わずにいられないだけさね。前にも似たようなことがあったけど、親父と違って分別はある子だよ。
それに、あたしもエリックも負い目には感じてるんだ。どんな理由があれ、あの子の親父を殺したのはあたしらだしね」
「なら、いいんですけど」
デボラさんがニヤリと笑った。
「大丈夫って言えば、あんたはいいのかい?」
「え?」
「部屋割りさ。エリックと一緒の方が、よかったんじゃないのかい?」
「うえっ!!?あ、いや……そういう、関係でもないですし……」
「もう、お互い素直になんな。何か昔のあたしと旦那を見てるみたいだよ」
「そうなんですか?」
デボラさんが遠い目をした。
「旦那は無口な人でね。想いを口にするのが下手な人だった。あたしもそんなに器用な方じゃなかったからね。くっつくまでには色々あったもんさ。
あんたらが互いを気にしてるのは、分かりやす過ぎるくらい分かりやすいよ。そういう関係になった方が、この先を考える上ではいいと思うんだけどねえ」
そうなんだろうか。彼の気持ちも少しずつ見えてはきたけど……
そもそも、私自身の感情がよく分からない。彼には恩もあるし、悪い人でないのもさすがに分かってる。
ただ、男女の仲になるのがどうなのか……いい加減、彼に訊くべきなんだろうか。
「まあ、あんたらのことだし、野次馬が口を挟むことでないけどね。それに、あたしらにとって恋やら何やらよりも、今は優先すべきことはある」
「……そうですね」
布団を被り、目をつぶる。彼は今、どう思っているんだろう。
489 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/01(日) 21:08:20.22 ID:7lCLmiUQO
#
モリブスを出て3日目の昼。巨大な樹が、遠くに見えてきた。あれが「女神の樹」か。
「……大きいですね」
「高さは数百メドはあるらしい。木陰はいつも暗いから、幹に近いほど裏の世界になるんだ。娼館や賭場は、そっちの方にある」
「そういうことだね。普通の旅人は周辺の温泉に泊まるか、金があれば海に行くね。
で、あんたは追放されてるんだろ?どこか行くあてはあるのかい」
カルロス君が黙った。
「海側に別荘がある。そこも抑えられてたらお手上げだけど、あそこの存在はゴンザレス家の親族しか知らないはずだ」
「大丈夫なのか?」
「……まあいざとなれば旅人のふりをしてやり過ごすしかないさ。俺の顔は周辺部ならそう知られてないし。お前らは……まあ全員目立つけど」
シェイド君の目が輝いた。
「海にゃ!?おっぱい……」
「はないぞ。砂浜はかなり遠いからな。父上は書斎代わりに使われていた。静かなところさ」
向こうから10人くらいの人たちが、馬に乗ってやってきた。バザールの商団かしら。
「おお、ロックモールに行きなさるか」と、向こうから声をかけてきた。
「何だい?モリブスの商人と見受けたがね。帰りかい」
「いや、門前払いを食らった。昨日テルモンの連中が大勢やってきてな。ロックモール市は連中に占拠された。
モリブス側から入るのは査証が必要なんだそうだ。ただ、昨日の今日でそんなのが手に入るわけもねえしな……商売あがったりさ」
商人はうんざりしたように荷物を見ると、「じゃあな」と立ち去っていった。
「査証……そもそも、ロックモールが占拠されたこと自体モリブスには伝わってないだろうからねえ。……そういうことかい」
「どういうことです?」
デボラさんが苦笑した。
「ベーレン侯はある程度こうなることを読んでたわけだね。あたしらがアヴァロンを狙うことで混乱が生じれば、そこが突破口になるということか」
「でも、ロックモールが封鎖されているならどうやって中に入るんですか?」
「そこだねえ。カルロス、いい案はあるかい?」
「……ロックモールは城壁で覆われているわけじゃないが、モリブス側から入れる道は3つしかない。
そこに兵士を置かれたら、強行突破以外は手がないな……いきなり騒ぎを起こしたら、メディアを奪い返すなんて無理だと思う」
「あんたしか知らない道があるとか、そういうことはないかい?」
カルロス君が辛そうに首を振る。
「……そんな都合のいいことはないさ。いきなり躓くなんて」
「まあ、正面からやるしかないな。手早く終わらせる」
エリックの言う通り強行突破自体はできるだろう。ただ、「騒ぎにならずに」となると難しい。
その時、シェイド君がニマッと笑った。
「僕の出番のようにゃ」
「え?」
「僕が何者か、プル姉さん分かってるかにゃ?」
「……あっ!!」
「そうにゃ。猫になれば簡単に入れるにゃ。そこから査証を盗んでくるにゃ。ついでに中の様子も見てくればなお良しにゃ」
なるほど、確かにその通りだった。ジャックさんの下にいただけあって、女の子追ってるだけの子じゃないんだな。でも……
「結構危険だよ?あんた、本当に大丈夫なのかい」
「デボラ姉さんはこの前のボクの勇姿を見てないのにゃ。まあ心配しないでにゃ。皆はティアナの街で待機してるにゃ」
トン、と自信ありげに胸を叩くと、白い煙とともに彼は黒猫の姿になった。
「じゃ、行ってくるにゃ」
490 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/01(日) 21:09:03.97 ID:7lCLmiUQO
用語紹介
「天使の樹」
ロックモールのシンボルであり、ランドマークであり、繁栄の源でもある巨大樹。高さは500メートル、それによって作られる木陰は半径2kmにも及ぶ。
幹のすぐ下は毎日夜のような暗さであり、それが賭場や娼館にとっては都合の良い環境を作り出していた。幹に近いほど裏の世界に近いとされている。温泉など一般人向けの施設は外周部に多い。
いつからそれがあったかは定かではないが、少なくとも300年前にはその存在が確認されている。
実はほとんどつけないとされており、万病に効くなど様々な言い伝えがされている。そのどれが正しいのかは不明。
また、「女神の樹の巫女」の物語など、女神の樹にまつわる昔話や寓話も多い。その中の幾つかは事実に基づくものであらしいが、誰が作者も定かではない。
491 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/01(日) 21:09:49.96 ID:7lCLmiUQO
第23-2話
492 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/01(日) 21:11:13.30 ID:7lCLmiUQO
自分で言うのも何だけど、ボクは誤解されやすい。
この語尾のせいなのだろうか。ボクは元は「偽猫デミキャット」だった。偽猫には言葉を話せるのもいるけど、声帯の関係上どうしても「〜にゃ」と言ってしまう。
その時の癖が、御主人によって人化術を身に着けた後もどうしても残ってしまったらしい。最初の1年は直そうと努力したけど、やめた。
多分直そうと思えば直せたんだろう。でも、ボクはそうしなかった。面倒だったのと、この語尾と見た目を使って道化じみた振る舞いをした方が楽だったからだ。
御主人がそれを苦々しく思っているのは知っている。久々に会ったアリス様もそうだ。
でも、長年染みついた習性は捨てられない。それに、捨てる必要もなかった。こうしていれば、女の子にはちやほやされたし。
「お馬鹿でちょっと被虐趣味があって、見た目がかわいい亜人」として振舞うことに、ボクは満足していた。
しかし、変わる時が来たのかもしれない。否、道化としての仮面をそろそろ捨てる日が来たのかもしれない。
エリックたちの旅が、並々ならぬ覚悟で進んでいることは理解できた。デボラさんもそうだ。
そして、ボクだけが……覚悟がない。
御主人とアリス様がボクをエリックたちに付かせたのは、それに気付いていたからなんだろう。
なぜそんなことをわざわざしたのか。……理由は薄々分かっている。
もう、御主人は永くない。まだまだ生きるみたいなことを言っているけど、ずっと傍で仕えてきたボクには分かる。
夜、ひっそりと自室に消音魔法を張っている意味。
「静かでないと眠れない」何て言ってたけど、あれは大嘘だ。一晩中続く咳を、エリックたちに聞かせたくなかったからだ。
それに、あの煙草。普通の煙草じゃない。肺を中心とした胸の痛みを軽減する、超強力な鎮痛剤だ。
もちろん、それはエリックですら知らない。アリス様はさすがにすぐ気付いたようだけど。
そう、これはボクがオルランドゥ家を継げるか否かの試験なのだ。
そして、このままでは試験にボクは受からない。
軽く査証を奪ってくるって言ったけど、それは簡単なことじゃない。中の偵察はなおさらだ。
ただ、危険に怯えてもボクは変わらない。せめて、形だけでも……彼らに並びたいのだ。
ボクは猫の姿に「戻り」一目散に「女神の樹」の中心へと向かった。
カルロスの言う通りなら、そこにはロックモール統治府があるはずだ。
493 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/01(日) 21:12:10.12 ID:7lCLmiUQO
#
(これは厳しいにゃ)
街中にはあちらこちらに重装備のテルモン兵がいた。胸の紋章がフレスベルグ皇室のものだから間違いない。
血生臭さはないけど、賑やかであるはずのロックモールの目抜き通りは緊張感から閑散としていた。
あと、所々にユングヴィ教団の人間がいる。全員に共通しているのは、あの首飾り。どうやら、あれが「査証」のようだ。
中心部に行くに従い、物々しさは増していった。そして幹の真下に、荘厳で豪華な建物がある。……これが多分、ロックモール統治府。
実は、ロックモールには一度も行ったことがない。ただ、統治府が超特権階級御用達の賭場と娼館を兼ねているらしいという噂は聞いていた。
賭場街と花街のちょうど中間にある、この統治府に誰がいるのか。それだけは見極めないと。
(よっと)
バルコニーに登り、窓から中を見る。貴賓室のようだ。
そこには一人……緑髪の少女が座っている。
494 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/01(日) 21:13:49.05 ID:7lCLmiUQO
人の姿に戻ろうと思ったけど、ボクは思いとどまった。何故なら、少女の目には……あまりに「何もなかった」から。
確かに見た目は整っている。おっぱいもそこそこある。ただ、あまりに……人間味がない。そう、まるで植物か何かのような……
彼女がボクを見た。ゆっくりとこちらに近づいてくる。
逃げるべきか留まるべきか、ボクは躊躇した。逃げることを選択しようとしたその時、ボクは呼び止められた。
「あら、猫ちゃん……かな」
逃げようと思えばすぐ逃げられただろう。しかしボクは動かなかった。いや、動けなかった。
この少女、恐らくメディアという子だろうけど……普通じゃない。感情が、すぐには分からないのだ。
それだけじゃない。……香水か体臭か何かの、この匂い。甘い匂いが、ボクの身を封じた。
ボクはそのまま彼女に抱っこされ、頭を撫でられた。胸には、査証の首飾りがある。
「うふふ、かわいい猫ちゃん。人に慣れてるのかな」
メディアと思われる子は静かに微笑む。
このまま普通の猫のふりをしているのが、一番安全だ。……だけど、これはよく考えれば千載一遇の好機でもある。
無害なふりをするのは、やめろ。
495 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/01(日) 21:15:55.06 ID:7lCLmiUQO
「メディアさんだにゃ」
居心地の良い胸の中から抜け出し、ボクはくるんと一回転して亜人の姿になった。
「……どうして私の名を?」
「カルロスさんからの使いだにゃ。あなたを救うお手伝いをしているにゃ」
「カルロスさんの?」
初めて感情が見えた。僅かな喜びと、僅かな驚きだったけど。本当にこの人、カルロスの恋人なのかな?
そもそも、猫が亜人になるのを見てもそんなに驚いていない。不自然なほど、超然としている。
とりあえず、ボクは頷いておいた。
「にゃ。あなたにもう一度会いたいって。そもそも、あなたを連れ去ったのは誰にゃ?ユングヴィの誰かかにゃ?」
「……そっとしておいて。私はここで死ぬ定めなのだから」
「……にゃ??」
「彼は確かに大切な人。一緒に過ごしたかった。でも、彼の言うことが確かなら……」
「彼??」
外から靴の音が聞こえた。
「メディア、そこに誰かいるのですか」
まずいっ、これ以上ここにいるのは……自殺行為だ。
「いいえ、誰も」
「そうですか。入りますよ?」
「少し待っていただけますか。身支度を」
ボクは猫の姿に戻り、彼女の肩に乗った。そして早口で囁く。
「その首飾りだけもらえるかにゃ?」
「これは構わないわ。不要なものだから」
小声で言うと、そっとメディアがボクの首に査証をかけた。
「バレないかにゃ?」
「これを気にしているのはテルモンの人だけだもの。『彼』には関係ない」
「ありがとにゃ。また会うかもにゃ」
ボクは窓から一目散に逃げだした。
……「彼」……多分あれは、ミカエル・アヴァロンだ。
496 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/01(日) 21:16:47.91 ID:7lCLmiUQO
アヴァロン大司教が彼女をなぜ必要としているのだろう?必死で逃げながら、ボクは考えを巡らせていた。
これはただの推測だ。でも、メディアから受けた超然とした印象からして、このぐらいしか可能性がない。
メディアは、「女神の樹」の巫女なのではないか?
そもそも、「女神の樹」の巫女というのが何者なのか、ボクは知らない。人間ですらないのかもしれない。
一つ言えるのは、ユングヴィの連中……あるいはアヴァロン大司教が、彼女を必要としているのだろうということだ。
街の出口が見えてきた。ここを抜ければ、とりあえずは安心……
ゾクン
背後から、物凄く嫌な予感がした。刹那。
ボクの右肩を、灼熱の何かが貫いた。
497 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/01(日) 21:17:50.03 ID:7lCLmiUQO
用語紹介
「査証」
要するにビザ。ただ、この世界では写真技術がほぼなく、画像化はそれなりに高度な魔法使いでないとできない。
このため、ある程度高級な宝飾品を以て身分証明としている。大量に配る必要がある場合は、特殊な細工を施した宝飾品で代替しているようだ。
もちろん、盗難などによるなりすましを防ぐため、本当に重要な場合は魔術的措置を施される場合も少なくない。
ただ、今回の場合は占領から間もないため、そのような措置は取られなかったようだ。
498 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/01(日) 21:18:19.18 ID:7lCLmiUQO
今回はここまで。更新遅れて申し訳ありませんでした。
499 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/11/02(月) 14:33:43.15 ID:k8JFv33DO
乙乙
500 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/08(日) 21:58:05.76 ID:MGCdRfMlO
※今回は一部安価要素が入ります。
※今回のみ、コンマ判定を入れます。
(これに伴い、なろうの更新は後日になります)
501 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/08(日) 21:58:39.17 ID:MGCdRfMlO
第23-3-1話
502 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/08(日) 21:59:16.39 ID:MGCdRfMlO
「様子はどうだ」
応接間に入ってきたデボラがふうと息を吐いた。
「傷は塞がっているけど、出血がかなり多かったからねえ。今日は動けないね」
「……そうか」
窓から潮風が入ってきた。ロックモールの常夏の気候でも、このおかげで氷結魔法は必要なさそうだ。
俺たちは、何とか商人団を偽装してロックモールに入ることができた。その最大の功労者は、まだ眠りについている。
503 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/08(日) 22:02:00.37 ID:MGCdRfMlO
#
査証をぶら下げたまま、黒猫の姿のシェイドが俺たちの前に現れたのはつい1時間ほど前のことだ。右前脚は付け根から取れかかっていた。血まみれでほとんど死にかけていたが、気力だけで辿り着いたらしい。
「どうしたっ!!?」
「撃たれた……にゃ。多分……」
「いいからしゃべるなっ!!デボラっ!!」
無言で彼女が「時間遡行」をかける。撃たれてまだ間もなかったからか、脚自体はすぐにくっついた。
「……あいつだ。オーバーバックという男」
「……狙い撃ち、されたにゃ……それと……メディアは、統治府にいる、にゃ」
「何だとっ!!?」
シェイドが小さく頷く。
「多分……彼女にゃ……」
「どういうことだ」
シェイドが目を閉じた。
「シェイド君っ!!!」
「……心配しなくて大丈夫さ、脈はある。出血多量でとりあえず気を失っただけだね。例の薬は?」
「一応、何個か追加してもらいました」
「分かった。あとで飲ませれば死ぬことはないと思う。にしても……」
俺はデボラの方を見た。
「若干不可解だな」
「え??どうして」
「まず、メディアという女だ。どうして統治府にいるのか?カルロス、彼女はそんなに重要人物なのか?」
カルロスが弱々しく首を横に振る。
「知らないんだ。俺は、彼女の身の上を聞いたことがない。話したがらなかったんだ。俺は、それでもいいと……」
「だろうな。ただ、ユングヴィ絡みということぐらいは分かる。つまり、アヴァロン大司教が一枚噛んでいる可能性があるな」
「馬鹿な!!そんな大物が、なぜ彼女に」
「俺には分からん。その点については、シェイドが起きてから話を聞くとするか。もう一つ解せないのは、シェイドを生かしておいた意味だ。オーバーバックというのが何者か知らないが、多分殺そうと思えば殺せたはずだ。敢えて生かしておいたようにも見える。その意味が分からない」
プルミエールが少し考えている。
「……多分、警告じゃないかしら。これ以上この件に首を突っ込むな、という」
「猫の姿のシェイドを警戒していた、ということになるぞ」
「でもそれぐらいしかない気がする。何にしても……」
「想像以上の大事だな。……それでも、女を取り戻したいのか」
カルロスは「無論だ」と即答した。
「俺にとっても、彼女にとっても……互いが一番大切な人だ。救わないと」
青いな、という言葉を俺はすんでのところで飲み込んだ。それは事実かもしれないが、それが何かを変えることもある。
それに、俺だって「真実を知りたい」という単純な動機だけでここまで来ている。感情の力は、馬鹿にできないのだ。
「でも……どうするの?」
「一度、カルロスの別荘に行く。問題は、オーバーバックという男だが……」
「それは任せて。幻影魔法で気配はある程度遮断できるから」
「……!!できるのか」
「ジャックさんの下で修練したのは、あなただけじゃないのよ?私も色々覚えたんだから」
ニッ、とプルミエールが笑う。前はこんなに自信を持ってなかったと思うが、少し変わったな。
「分かった。信用するぞ」
「うん。それで、一つ提案があるんだけど……」
プルミエールが俺にある考えを打ち明けた。……もし可能なら、面白いかもしれない。
504 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/08(日) 22:02:42.68 ID:MGCdRfMlO
#
プルミエールがカルロスと一緒に応接間にやってきた。手には幾つかの衣装がある。
「子供の頃の服がまだあった。ネーナ婆の物持ちの良さには驚くな」
「本当にいいものは、数十年使えるものですよ。貴方の服も、かつてご主人が着ていたものです。
世継ぎがお生まれになった時のために、それも取っておいたのですよ」
厨房でスープを作りながら、老婆が微笑んだ。
「……世継ぎか。いつか見せたいものだな」
「お坊ちゃまなら、遠くないうちに見せられますよ。私が生きているうちに」
「……そうだな」
プルミエールが衣装を置いた。確かに、上等に仕立てられたものらしいのは見て分かる。
「幻影魔法を使った変装術は、ランパードさんから原理は教えてもらったわ。
耳の形と肌の色を変える程度しかできないけど、それでも格段にあなたと見抜きにくくなると思う」
「なるほど……デボラ、お前はどう思う」
「悪くないと思うね。私やプルミエールは、変装してもなお目立つ。何より、ロックモール中枢部には女に飢えた連中ばかりだからね。襲われても逃げられるとは思うけど、騒ぎにはなる。
あんたが単独で行くのは、そう悪いことじゃないと思うね。問題は、その見た目だけど」
その通りだ。俺の外見は、せいぜい14、5のガキだ。もっと下に見られるかもしれない。
少なくとも、酒と博打と女の街、ロックモールには不相応だろう。
「……道に迷ったという体裁を取るか」
「それしかないねえ。で、どこに行くんだい?」
俺はチラリとプルミエールを見た。どこか不安そうな顔をしている。
「……賭場街だな。花街に行ったところで相手にはされないだろう。何より、人が多く集まるからな」
「それが賢明だねえ」
プルミエールがほっとした様子になった。心配しすぎだ。
「でも、賭場街に行ってどうするんだ?まさか、博打を……」
「種銭ならあるさ。道に迷った貴族のボンボンが馬鹿ヅキで勝ちまくれば、嫌でも誰かが注目する。そこを突破口にするつもりだ」
「勝ちまくればって……自信が?」
「伊達にお前より10年近く生きているわけじゃないさ」
カルロスの心配は当然だろう。だが、賭け事はジャックに一通り仕込まれている。というより、あいつの退屈しのぎの相手をさせられていただけだが。
それでも疑いなくジャックは一流の博徒だ。モリブスでジャックの世話になっていた時、腕に自信がある博徒が何人もあいつに挑むのを見た。しかし、その全てにジャックは勝っている。
俺はその域にはないが、普通の相手なら負けることはない。それだけの自信はある。
505 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/08(日) 22:03:11.61 ID:MGCdRfMlO
#
「……これで8連勝かよ」
計画は順調だった。何も知らないガキのふりをし、賭場に「迷い込み」、幸運だけで勝ったようにみせかける。
これが続けば、間違いなく支配人がこちらに来るだろう。俺を締めに来るか、本気で身ぐるみはがすために。
その時が交渉のタイミングだ。「モリブスの貴族」ということにしておけば、向こうの目の色も変わるだろう。
「運がいいだけですよ」
「……馬鹿ヅキかよ。ガキに舐められるのもいい加減にしてもらいてえが」
周囲の目が苛立ちと怒りに染まり始めていた。賭場の「親」は何度か俺をはめようとしているが、その度に巧い具合に降りて出血を最小限にとどめている。
この「テル・ポルカ」はカードを使った遊戯だが、単なる運任せでは勝てない。そして、そのことをほとんどの博徒は知らない。
重要なのは確率と席ごとの行動。そして賭ける額とその時期。ジャックはそれを体系立てていた。知識量の差が、そのまま圧倒的な勝率となっていたのを、俺は知っている。
「クソッ……小僧、まだ続けるよな?」
「あっ、はい。この遊戯って楽しいですね」
「……楽しいだけで終わると思うなよ。ちょっと待っていろ」
「親」役が奥へと引っ込んだ。支配人と思われる男の怒声が響く。
そして、身なりのいい初老の男がやってきた。口は微笑んでいるが、目は一切笑っていない。この男が、支配人か。
「君、随分勝っているそうじゃないか。どうだね、ここで大きく勝負してみないかい?」
「えっ……ちょっと、怖いんですけど」
「ふふ、しかし勝てば君は一晩のうちで大金持ちだぞ?どうかね」
俺は悩んでいるふりをしてみせた。……食いついた。
問題は、この男がどれだけの情報を持っているかだ。この賭場が、テルモン政府直轄の運営とは知っている。テルモンの、あるいはアヴァロンの意図を知ることができるか……?
506 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/08(日) 22:03:45.89 ID:MGCdRfMlO
「やめとけぇ」
上の吹き抜けの方から声がした。少し甲高い、男の声だ。
「え」
「そいつ、ただのガキじゃねえぜぇ。見たところ、ゲームの本質をよく理解しているなぁ。あんたで勝てる相手じゃ、多分ねぇ」
「……どういうことですか」
「まあ、そいつは俺に任せなぁ。せっかくだから、俺が直接相手してやんよぉ」
支配人の顔が青ざめている。……何者だ?
507 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/08(日) 22:04:19.57 ID:MGCdRfMlO
と思ったその時、上から誰か飛び降りてきた。黒い服に、黒いグラスの眼鏡。短い黒髪は、後へと撫でつけられている。
「よぉ」
「……おま……貴方は、どなたですか」
思わず素が出そうになった。明らかに、身に纏う空気が、常人のそれではない。
「名乗るほどの名はねえがよぉ、ハーベスタと呼んでくれ。ただの観光客だぜぇ」
ハーベスタ!!?
背中に冷たいものが、一気に流れる。こいつがシェイドを撃ち、カルロスの護衛を射殺したという……ハーベスタ・オーバーバックか!!
508 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/08(日) 22:05:08.52 ID:MGCdRfMlO
オーバーバックは、ニヤァと笑った。
「こいつとはじっくりサシでやりてぇなぁ……支配人さんよぉ、奥の部屋、借りていいか?『親』はあんたがやってくれ」
「え」
「なあに、純粋に勝負を楽しみてぇだけさぁ。ただ、そこで見たり聞いたりしたことは一切口外無用だぁ……」
「はっ、はいっ!!!分かりましたっ!!!」
オーバーバックが俺の方を向いた。余裕以上に、得体の知れなさを感じる。
「じゃあ行くかぁ」
「……はい」
オーバーバックについていくと、豪奢な貴賓室に通された。貴人用の賭場、と言ったところか。
扉が閉まり、オーバーバックが俺の向かいの席につく。そして身を乗り出して話を切り出した。
「さて……猫被るのはやめようぜぇ。何者だぁ?」
「……お前に名乗る意味も義理もない」
「だろうなぁ。だが、薄々見当は付くぜぇ。……エリック・べナビデス」
極力動揺を表に出さないよう、「誰だそいつは」と白を切った。しかしオーバーバックは「やれやれ」と首を振る。
「他の連中なら誤魔化せるだろうがよぉ、俺の目は欺けねぇ。多分、魔法とやらで偽装してるなぁ?
その肌の色と耳からして、まず間違いなく魔族だぁ。そして、無知なガキを騙ってここに来た意味……情報収集だろぉ?」
「……やるか?」
「いや、俺にそのつもりはねぇよぉ。ここで騒ぎ起こしても仕方ねぇしなぁ。俺は『魔王退治』に興味はねぇ」
「だがシェイドを撃ったな」
オーバーバックが肩をすくめた。
「アヴァロンの奴の所にいたらしいんでなぁ。あの小娘に用があるならやめとくのが正解だぜぇ」
「……どういうことだ」
オーバーバックが支配人を見た。
「そこから先は、こいつで決めようじゃねぇかぁ。『テキサス・ホールデム』……ここじゃ『テル・ポルカ』とかいうらしいなぁ」
「……何?」
「勝負に勝つごとに、1つ情報を教えてやるよぉ。負けたら、そこで打ち切りだぁ。ああ、有り金は元手を置いて出ていってもらうぜぇ」
「……いいだろう」
金は惜しくない。勝負に勝てば、こちらが知りたいと思う情報を教えてくれるのだ。むしろ、これは好機……!!
オーバーバックが、眼鏡を外した。……白目??盲人かっ!?
「ああ、気にすんなよぉ。ちゃんと『見えてる』からよぉ……じゃあ、始めるぜぇ?」
509 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/08(日) 22:08:15.35 ID:MGCdRfMlO
※オーバーバックへの質問内容を幾つか挙げます。
3票先取の多数決とします。
1問目は強制的に成功します。2問目以降にオーバーバックが答えるかは(厳しめの)コンマ判定次第です。
質問候補は以下の通りです。
1 メディアという女は何者だ
2 エストラーダ侯はどこにいる
3 アヴァロンがここにいる理由
4 テルモン政府はなぜここを制圧しようとしている
5 オーバーバックの正体
510 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/08(日) 22:23:52.39 ID:MGCdRfMlO
※2300までに票が入らない場合はやり方を変えます。
(回答数をコンマによるランダムで決めます。優先順位は秘匿)
511 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/11/08(日) 22:43:41.35 ID:0qU0qSYj0
1
512 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/08(日) 23:55:01.58 ID:MGCdRfMlO
とりあえず1から入ります。
コンマ下が75以上なら2問目質問可能です。
00のみほぼフルオープンとします。
513 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/11/08(日) 23:58:31.16 ID:nK2pzAkDO
はい
514 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/13(金) 20:47:15.23 ID:IYt6kOGhO
第23-3-2話
515 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/13(金) 20:48:16.74 ID:IYt6kOGhO
「支配人……オーティスだったなぁ。ヒラで頼むぜぇ」
こくんとオーティスと呼ばれた男が頷く。俺とオーバーバックの前に2枚のカードが配られ、5枚のカードがその間に伏せられた。
カードを見る。……2枚とも「聖剣」だ。考えられる上で最強の組み合わせ。これで負けるはずがない。
オーティスがまず、5枚のうち2枚をめくる。黄色の2と赤の聖剣。既に「3枚組」が完成している。俺は平静を装った。
「先攻は」
「お前からでいいぜぇ」
一応、俺にチップは20枚配られている。一気に大きく張ってもいいが、オーバーバックは警戒するだろう。降ろすのも勝ちではあるが、ここは……
「3枚」
「そこそこ大きく出たなぁ。手が入ってるなぁ?」
「……いきなりチマチマしても仕方ないだろう。乗るか」
「レイズ……ってここでは『上乗せ』だったなぁ」
ここでか。向こうにも手は入っているのかもしれないが、「聖剣」の3枚組にはまず勝てない。4枚組になることだって、十分ある。
向こうの考えは甘い。所詮この程度……
「……10枚だぁ」
「何っっ!!?」
馬鹿なっ!!?まだ2枚しか開示されてない状況で、これは無謀だ。どういうつもりだっ!?
「くくっ……不安が手に取るように分かるぜぇ……さて、3枚目頼むぜぇ」
オーティスが3枚目をめくる。青の王だ。色は場に出ている「赤の聖剣」と同じ。俺にはあまり関係はないが、もう一枚王が出れば「王宮」が手役で完成する。
「どうするぅ?」
「……2枚だ。合わせて、12枚」
「レイズかぁ。いいねぇ、生きがいいぃ……」
オーバーバックがニヤリと笑う。
「フォールド、降りだぁ」
516 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/13(金) 20:48:51.35 ID:IYt6kOGhO
「……何??」
「この勝負は譲るぜぇ。サービスだぁ」
……無謀な賭けに出ておきながら、自分から降りるだと!?
「何を考えている」
「若人へのプレゼントさぁ……ああ、オーティス。足りねえチップは、俺の右腕を担保だぁ。10枚ほど貰えるかぁ?」
「なっ!!?」
「状況はお前が有利だぁ。俺は弾が足りてねえからなぁ」
ニヤニヤとオーバーバックが嗤う。そこには焦りも虚勢もない。本当に余裕があるのか?
「しかし、オーバーバック様……」
「殺されてえのかぁ?」
「ひっ!!?準備いたしますっ!!」
そう言うとオーティスはチップを取りに部屋を出た。オーバーバックは中から鍵をかけると、身を乗り出す。
「で、何を訊きたい?」
訊きたいことは腐るほどある。オーバーバックの正体、エストラーダ候の行方。しかし、今は……
「メディアという女、何者だ」
オーバーバックは「やはりなぁ」と口の端を上げた。
「何でお前があの女を嗅ぎ回るのかはさっぱり分からねえがよぉ。……あの猫と組んでるわけだなぁ」
「お前に言う義理はない」
「まあせっかくだから、それは不問としてやるよぉ。で、メディアという女のことだなぁ?
実は俺も詳しくは知らねぇ。俺はこのせ……いや、この街についちゃほとんど知らねえからなぁ……」
「しかし、俺よりは知っている」
ククク、とオーバーバックが嗤った。
「違いねぇなぁ。あの女、人間じゃねぇらしいなぁ」
「……魔物の類いか」
「さぁなぁ。ただ『女神の樹』の『一部』だって話だぁ。その体液は、万病の薬となるとか聞いたぜぇ」
「それがアヴァロンの狙いか?」
奴が肩を竦める。ドンドン、とドアを叩く音が聞こえた。
「オーバーバック様」
「せっかくだから、あと5分待てよぉ」
オーバーバックが酒らしきものを口にした。「椰子酒」か。
「……アヴァロンには雇われた立場だからなぁ。せっかく博打と女を楽しんでたら、奴が戻って来て俺を見つけやがったぁ。
テルモンに行ってたって聞いたから油断してたぜぇ……」
「なぜアヴァロンがここに?」
「それは次の勝負に勝ってからだぁ」
517 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/13(金) 20:49:21.97 ID:IYt6kOGhO
女神の樹の一部?巫女とは違うのか?それに、万病の薬……それがアヴァロンの狙いだとしても、テルモン兵を使ってここを制圧する意味は謎だ。
ただ、エストラーダ候がここにいる理由は少し見えてきた。今はこの世にいない娘、ファリスを救うにはこれしかないと言われたのだろう。
プルミエールの「追憶」では、「急ぎで来てもらいたい場所がある」とだけ告げられていたようだが……
「せっかくだから、残りのカードも開けるかぁ」
おもむろにオーバーバックが残り2枚のカードを開けた。黄色の5。そして……黄色の聖剣。
俺は息をついて手札を晒した。
「聖剣の『4枚組』だったな。どちらにせよ、結果は……」
「ククク……命拾いしたなぁ」
「……何?」
心底愉快そうに、奴が手札を見せる。それは……黄色の3と、黄色の4。
つまり、奴の手札は……
「ストレートフラッシュ……ここじゃ『同色順列』だったかぁ?
良かったなぁ、俺が勝負してたら、お前は負けてたぜぇ」
「馬鹿なっ!!?」
「馬鹿も何もねぇよぉ。この結果は必然だぁ。……さあ、次行くかぁ。今度はわざとは負けねぇ」
奴の余裕は、本物だったとでもいうのか?そして、まだ伏せられていたカードの中身を知っていたとでも?
あり得ない。こんなことが、あっていいはずがないっ!
オーバーバックが鍵を開けた。
「さあ、2回戦だぁ」
518 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/13(金) 20:49:51.38 ID:IYt6kOGhO
用語解説
「テキ・ポルカ」
ポーカーの一種、テキサスホールデムに非常に近いカードゲーム。Aが聖剣である以外はほぼカードもトランプ同様である。
エリックが言う通りツキ任せのゲームと思われがちだが、実は非常に深い戦略性に満ちたゲーム。
エリックはジャックから教えてもらったが、当のジャックはアリスよりは弱い。
オーバーバックがなぜこれを知っていたかは現状では謎である。
519 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/13(金) 20:50:55.73 ID:IYt6kOGhO
第23-4-1話
520 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/13(金) 20:52:05.12 ID:IYt6kOGhO
エリックが戻ってきたのは、何かあったんじゃないかと皆が……そして私が心配しだした頃だった。時計の針は10の半刻を指している。
「……今帰った」
「エリック!!」
思わず玄関まで駆け寄る。身なりはきれいなままだ。けど、表情は明らかに冴えない。「チッ」と彼が舌打ちをした。
「……どうしたの」
「いや……久々にコテンパンにやられただけだ」
「え」
「心配するな、最低限の収穫はあった。それと……シェイドを撃った男に会ったぞ」
「本当なのっ!?」
エリックが忌々しげに頷いた。
「傷を与えるどころか、有り金全て巻き上げられたがな……とにかく、皆を集めてくれ。シェイドは」
「……今起きたにゃ」
上から声がした。シェイド君が、デボラさんに支えられている。
「シェイド君っ!?」
「大丈夫、にゃ。……今の話、本当にゃ?」
「ああ。そっちの話も聞かせてくれ。メディアについては、最低限の情報は仕入れてきた」
「……そうにゃ。ボクも、色々気付いたことがあるにゃ」
ゆっくりと階段を降りてくる。居間から、カルロス君も顔を出してきた。
「メディアについて何か分かったのか!!?」
「ああ。平たく言えば、彼女は人間ではない、らしい」
「え」
衝撃を受けているカルロス君をよそに、シェイド君が「だろうと思ったにゃ」と呟いた。
「表情含め、受けた印象が人間のそれじゃなかったにゃ。魔獣とも違うにゃ」
「ああ。『女神の樹』の『一部』らしい。まるで……」
「昔話の巫女にゃ。でも人間じゃないというのは……」
「オーバーバックも知らないようだ。ただ、体液……多分、涙や血含めて……『万病の薬』らしいな」
カルロス君が「……え」と漏らした。
「……どうした」
「あ……いや。……彼女は、俺と……その、そういうことをするのを、すごく嫌がってたんだ。『まだ早い』って……」
「別に不自然でもないだろ?女ってのは、惚れた男でも……いや、惚れた男だからこそ、簡単に股は開かないものさ。
まだ出会って1ヶ月だろ?むしろ、恋人になるのが早すぎる……」
「いや、確かにちょっと変にゃ」
521 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/13(金) 20:53:00.08 ID:IYt6kOGhO
デボラさんの言葉をシェイド君が遮る。
「え?」
「オーバーバックの言っていたのが本当なら、それは多分全ての体液が含まれるにゃ。
唾液も、汗も、愛液も……薬なら、進んで飲ませたがるはずにゃ。でも、メディアのやっていたのは逆にゃ」
「薬じゃないってこと?」
「断言はできないにゃ。ただ、それがアヴァロンの目当てなのは間違いないにゃ。そして……」
「エストラーダ候がここにいる理由も合点が行く。アヴァロンは、ファリスの薬が手に入ると言ってここに彼を連れてきた。
ただ、ファリスが死んだのはアヴァロンなら知っているはずだ。つまり、エストラーダは騙されていることになる」
「どうしてそんなことを……」
エリックが首を振った。
「分からん。明日、また情報を集めに出るしかないな。しかし、どうすれば……」
「あたしがやるよ」
デボラさんが手を挙げた。
「えっ……!?」
「ここには護衛依頼で何回か来てるからね。シェイドの具合も落ち着いたし、あたしが出た方が具合がいい。まあ、変装ぐらいはした方がいいけどね」
「ボクも行くにゃ」
「シェイド君!?」
「オーバーバックの気配は、何となく分かったにゃ。次は撃たれないにゃ。
デボラお姉様が撃たれるようなことがあったら大変にゃ」
デボラさんがふうと息をついた。
「……まあ、仕方ないねえ。……で、オーバーバックという奴は、何者だったんだい」
「……分からん。色々謎だらけだが……一つだけ言えるのは、あいつは只者じゃない」
苦虫を噛み潰したようにエリックが言う。こんなに悔しそうな彼は初めて見たかもしれない。
「どういうこと?」
「……俺は、『一度も』勝てなかった。一度だけ、お情けで勝たせてもらっただけだ。
後は、全部あいつの掌の上だった。いい手が入ってもそれ以上の手で潰される。ブラフをかけても見透かされる。
『テキ・ポルカ』であんなに負けたのは……ジャック相手にだってない。イカサマもしていないようだった……あまりに、現実離れした強さだった……」
「……そんなに強かったのかい」
「ああ。理不尽なほどに」
ふうむ、とデボラさんが手を顎の辺りにやった。
「……あんたが『テキ・ポルカ』で強いのはよく知ってるよ。あたし含めて、うちのもんじゃ誰も勝てなかった。ジャック先生ほどじゃないけどね。
そのあんたがそこまで言うのは、確かに只事じゃないねえ」
「奴はあれを違う名前で呼んでいた。『テキサス・ホールデム』と。デボラ、聞いたことは?」
「ないねえ。……シェイド、あんたは?」
「……御主人なら知ってるかもにゃ。でも、それは置いとくにゃ。
とりあえず、外見の特徴だけ教えてくれにゃ。見たらすぐ逃げるにゃ」
「ああ。……服は普通の服だった。盗賊が着ているような、薄茶の上下だ。髪は黒く、短い。そして……黒い眼鏡をかけていた。その下の目は白だ」
シェイド君が訝しげに首を捻る。
「白目?盲人かにゃ?」
「いや、完璧に見えていたようだった。ただ、黒い眼鏡も白目もかなり目立つ。それは確かだ」
「にしても、なぜあなたに危害を加えなかったのかしら」
「……アヴァロンには雇われていると言ってた。もちろん、俺のことも知っていた。だが、俺を殺すことには興味がないらしい。完全に他人事だったな」
色々妙な人らしい。シェイド君を撃ったけど、殺そうとしたわけでもないみたいだ。悪い人ではないのかな。
「……まあ、考えても仕方ないにゃ。今日はシャワーでも浴びて寝るにゃ。デボラお姉様も一緒に寝……あたっ」
「馬鹿言うんじゃないよ。そんな口が叩けるなら、もう大丈夫だね」
「2階に3部屋ある。俺は下で寝るから、適当に割り振ってくれ。まあ、女は女で寝るのが普通だと思うが」
「……と言ってるけど、どうするかい?」
522 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/13(金) 20:54:58.85 ID:IYt6kOGhO
※多数決です。この晩を
1 デボラと過ごす
2 エリックと過ごす
2票先取です。内容がやや異なります。
また、第24話の視点も後程多数決を取るつもりです。
523 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/11/13(金) 21:07:08.17 ID:wUhKcM+O0
1
524 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/11/13(金) 21:17:29.09 ID:vqleIYfDO
1
525 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/14(土) 19:59:01.38 ID:OmOMbSvFO
第23-4-2話
526 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/14(土) 20:00:00.65 ID:OmOMbSvFO
「そうします」
エリックの様子が気になったけど、そっとしておこう。私が声をかけて、どうなるって話でもなさそうだし。
#
「……ふう」
お湯につかり、私は軽く息をついた。お風呂は外にあって、海を見ることができるようになっている。
温泉を引いているらしく、お湯は白く濁っている。疲れが芯から溶けていく気がした。
「入るよ」
後ろから声がした。デボラさんだ。胸は大きいけど腹筋は締まっていて、鍛えているのがよく分かる。……私のポヨポヨした身体とは、随分違うなあ……
「あっ、はい。どうぞ」
「フフ、遠慮しなくていいんだよ。……久々にロックモールに来たけど、やっぱり温泉は格別だねえ」
「護衛とかで、よく来てたんですよね」
「ああ。ゴンザレス家にも世話になったことがある。何であの親父が豹変したのかは、未だによく分かってないんだけどね」
「そうなんですか?」
デボラさんの表情が暗くなった。
「……突然だったからね。旦那……マルケスはカルロスの父親を護衛し終わった帰りに、後ろから刺されたのさ。ゴンザレス家の傘下、チャベス組の連中にね。
そして、連中はベーレン家とモリブス政府に牙を剥いたのさ。ロックモールの独立を叫んで、ね」
「……何でそんなことを」
「……さあね。ただ、万病の薬ってのが本当なら、それを狙っていた可能性はあるかもしれないね……」
彼女はお湯を掬い、それを顔にかけた。
「1年前から、メディアさんは狙われていた?」
「どうだろうね。あんたの魔法なら、少しは分かるかもしれないけど。ただ、どこでいつまで時を戻せばいいのやら。
そもそも、そんな娘が1年間どこにいたのかも謎だね。一度、メディアに会ってみないと」
「でも、どうやって」
「そこだねえ……まあ、行ってから考えるさ。情報が色々足りなさすぎるしね。
それにしても、いいのかい?エリックを放っておいて」
「ひあっ!!?な、何ですか急に」
ニヤニヤとデボラさんが笑う。顔の温度が急に上がった気がした。
「あんだけ凹んでるエリックはほとんど見たことがないからねえ……てっきり、今日は傍にいるものだと思ってたよ」
「……心配じゃない、と言えばそうですけど……どんな声をかけていいのか、分からなくて」
「同じ空間にいるだけでも意味はあるものさ。まあ、あんたの言うことも分かるけどね。
あいつは下手に触るとへそ曲げるからねえ……」
確かに、エリックが怒る時は一気に沸騰する印象がある。
普段は落ち着いていて紳士ですらあるけど、触れられたくない部分には絶対に立ち入らせない、壁みたいなものが彼にはあった。
そういうのは、乗り越えるべきものなのだろうか。それとも、そこは触れないままにするのがいいのだろうか。……私には分からない。
527 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/14(土) 20:00:32.21 ID:OmOMbSvFO
にゃあ、と猫の鳴き声がした。……シェイド君?思わず辺りを見渡すと、デボラさんが「ククッ」と笑った。
「大丈夫だよ。あいつじゃない」
「でも……」
「意識が戻ってから少し話したんだよ。……オーバーバックに凹まされたのは、エリックだけじゃないってことさ。
あいつがあたしたちと一緒に来た理由も聞いたよ。意識を失ってる間、『これじゃダメにゃ』と譫言をずっと言ってた」
言われてみれば、おちゃらけたことを今日のシェイド君は言ってない。デボラさんに支えてもらってた時も、前なら胸を触ろうとかしてたはずだ。
「……変わろうと、してるんですかね」
「多分ね」
デボラさんはそう言うと、海をじっと見つめた。
もう、日付は変わろうとしている頃だろう。長い一日が、やっと終わろうとしていた。
528 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/14(土) 20:00:58.87 ID:OmOMbSvFO
#
翌日、デボラさんにある事実が突き付けられることを、この時は誰も知らない。
529 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/14(土) 20:01:24.31 ID:OmOMbSvFO
第23-4話はここまで。更新ペースは大分戻ります。
530 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/14(土) 20:01:51.18 ID:OmOMbSvFO
用語解説
ロックモール温泉
ロックモールに沸く温泉。白濁しており、皮膚病や美肌に効果があるとされる。
その他内臓病にも効くとの評判は高い。一説には「女神の樹」の加護であるとも言われている。いつから湧いていたかは不明。
なお、飲用しても効果はある。煮詰めたものは媚薬としての効用もあり、これがロックモールを「絶頂都市」足らしめたと言えるだろう。
なお、煮詰めた高濃度の温泉にはもう一つの使い方がある。静脈注射することで爆発的な力を得るという麻薬である。
ただ反動も大きいため、実際に使われることは現在ではほぼなくなっている。抗争の際に鉄砲玉に射たせることはなくはないようだが。
531 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/14(土) 21:16:44.74 ID:OmOMbSvFO
予告していた通り、多数決を取ります。
24-1話の視点は……
1 デボラ
2 シェイド
3 一度敵サイドに振ってほしい
一応3票先取とします。
532 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/11/14(土) 21:36:20.93 ID:HAV//eQt0
2
533 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/14(土) 22:18:37.89 ID:OmOMbSvFO
上げます。
534 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/11/14(土) 22:29:12.94 ID:sExZvgpDO
3
535 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/15(日) 00:16:28.41 ID:OR/RQwq/O
0000になったので、2か3で決戦投票とします。
2票先取です。
536 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/11/15(日) 00:31:17.02 ID:rBnoP7Mu0
2
537 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/11/15(日) 00:33:19.22 ID:l4BDo9kko
3
538 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/11/15(日) 08:24:39.32 ID:BgM8hp3DO
3
539 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/16(月) 20:24:31.04 ID:6z/X/rfuO
第23.5話
540 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/16(月) 20:25:31.89 ID:6z/X/rfuO
「ご苦労様です」
私の前に、朝食が並べられる。芋を蒸し、裏ごししたものに塩を振ったもの。
そしてケルの葉にオリーブ油を軽く振ったもの。そして、トリス名産の大豆のケーキ「トフ」だ。
味はどれも薄味だが、しかし十分な栄養価を持つ。毎朝同じ食事だが、食の楽しみなど私には無縁だ。
客間にいるのは私だけだ。一人で食事をするのも、もう20年以上になる。
私には家族など要らない。ただ、神のみ傍にいればよい。
手を合わせ、世が太平であることへの祈りを強く念じた。
朝6の刻ちょうど。私、ミカエル・アヴァロンの一日はこうして寸分変わらず始まる。
541 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/16(月) 20:26:19.18 ID:6z/X/rfuO
#
食事が終わり、まずやるのは説法だ。それは旅先においても変わりはしない。
テルモンのユングヴィ教徒は皆敬虔だ。モリブスの不信心な連中とは違い、皆静かに聞いている。
そして水浴びをした後、身支度を整えて職務に入る。8の半刻。これもいつも通りだ。
職務はいつも、補佐のユリウスが持ってくる書類に沿って行われる。
まずは……彼女の様子を見ることからだ。統治府の4階の貴賓室に、彼女はいる。
「失礼しますよ」
「……はい」
彼女はただ窓際にたたずんでいた。
「お変わりは?」
「いえ、特に」
「そうですか。……『女神の雫』は」
「まだできません。あと、数日」
「分かりました。静かに待ちましょう」
貴賓室は整然と片づけられている。彼女は食事も何も必要としない。水と日光。それさえあれば生きていけるという。
彼女に感情はあるのだろうか。ふと、そんな考えが頭をよぎった。
彼女は、後数日すれば処刑される定めだ。
「女神の雫」さえ手に入ればいい、というわけではない。むしろそれは副産物に過ぎない。
彼女が生きていることは……いや、彼女が誰かと子を為すことは、大いなる災厄に繋がりかねない。
それは、150年前の教訓だ。そのことをユングヴィ教団はよく知っている。あるいは……彼女自身も。
「……怖くはないのですか」
「何がですか」
「死ぬことです。神に召されることを受け入れているということでもないでしょう」
一瞬、メディアの動きが止まった。
「……母なる大地に戻るだけですから」
……わずかな感情の揺らぎがあった。彼女を想う、あのゴンザレス家の青年が理由か。
それは、恋慕なのか。それとも……種を残そうという本能なのか。どちらにしろ、それは絶たれねばならない。
「そうですか。とにかく、お待ちしておりますよ」
部屋を出て、私は静かに息を付く。彼女の存在を早いうちに知れたのは幸甚だった。テルモンから急いで引き返した甲斐があったというものだ。
あと数日。あと数日でイーリスは救われるだろう。そして、未来の災厄も絶たれる。これを神に感謝せずして、何を感謝しようというのか。
笑みが思わずこぼれたのに気付き、私は咳払いする。次の目的地では、こんな表情は禁忌だ。
向かう先は、統治府の3階。そこには、もう一人の客人がいる。
542 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/16(月) 20:26:55.64 ID:6z/X/rfuO
#
「失礼します」
先ほどとは打って変わって、荒れた様子の部屋だ。部屋の隅で、年老いた男……エストラーダ侯の目が光った。まるで幽鬼のように。
「……できたのですか」
「いえ、まだ。あと数日と」
「あと数日!?それまでに、ファリスが死んだら……!!?」
私は彼に近寄り、手を頭の上に乗せた。気付かれぬよう、鎮静化の魔法をかける。
「大丈夫です。私たちが必ず見つけ出しますから」
「……本当でしょうな」
疑念が強まっている。言葉巧みにやり過ごしてもう2週間近くが経つが、さすがにもう限界か。
もし既にファリスが(恐らく)死んでいることを告げれば、彼の刃は私に向くだろう。
ネリドと一緒に、彼を消してもよかった。しかし、彼の娘に対する執着は利用できる。
そう考え、彼だけは生かしておいたのだった。……ある薬を投与しながら。
良心の呵責はない。所詮、モリブスのユングヴィ教徒は邪教徒だ。邪教徒は人ではない。家畜以下だ。
ただ、家畜と違って利用価値も場合によってはある。エストラーダ侯が、まさにそれだった。
もし、エリック・べナビデスとプルミエール・レミューがロックモールに来たならば……エストラーダ侯は、彼らを討つための刺客足り得る。
そう思って彼を残したが、動きは一向になかった。
シェリルがしくじったのは聞いている。そして、アリス・ローエングリンが来たらしいことも。
彼女は危険だ。ただでさえ危険なのに、ジャック・オルランドゥの元に戻ったのは非常に危うい。下手にモリブスには手を出せなくなった。
だとしたら、べナビデスとレミューが来るのを迎え撃つ方が得策だ。私がロックモールに戻ったのは、メディアの件だけでなく彼らへの対応も理由と言える。
それだけに、エストラーダ侯を抑えるのが限界に近付いているのは正直よろしくない。
「処分」を視野に入れるべき時が来てしまったのかもしれない。
……あと1日が限度か。そう思いながら、私は首を縦に振った。
「私が約束を違えたことなどございましたか?」
「……信頼しておりますぞ、大司教殿」
部屋を出ようとしたその時、外から禍々しい気配がした。……これは。
543 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/16(月) 20:27:23.04 ID:6z/X/rfuO
私は溜め息をついてドアを開ける。果たして、その男は階段を塞ぐように立っていた。
「……オーバーバックさんですか。今までどこに」
「お前の言う通りの『鼠狩り』さぁ」
「仕事はしているのでしょうね」
ニヤリと彼が嗤った。
「それだがなぁ……2ついい知らせがあるぜぇ。まず、お前が追っていた『魔王エリック』と、昨晩会ったぜぇ」
「何ですって!!?」
やっと来たか!ロックモールを通らずに皇都に着くのはかなり難しい。険しい山を越えねばならない上、補給もままならない。
女連れならば、確実にここを通るはずだと踏んでいたが……
そして、オーバーバックが魔王と会ったということは。
「始末はしたんでしょうね」
「いやぁ。少し遊んでそれきりだぁ。せっかくだから、長く遊び相手になってほしいからなぁ」
「……舐めているのですか」
激しい落胆と怒りが沸いてきた。世界を災厄から遠ざける機会をおめおめと逃すとは!
オーバーバックを睨み付けると、彼はその笑みを深くした。
「舐めてねえぜぇ?そもそも、俺とお前の関係は何だぁ?上司と部下かぁ?
違うなぁ、ただの契約関係だぁ。そしてそこには、『エリック・ベナビデスを消す』は入ってねぇ……」
「それでも六連星の一員か」という言葉が出かかって、私はそれを必死で抑えた。
確かにオーバーバックは六連星だ。しかし、その意思は誰にも縛れない。たとえ、アルベルト王でも。あるいはハンプトン卿でも。
彼の力は、あまりに強大だ。六連星に入れたのは、この男が危険すぎるから味方に引き入れたという理由以上のものはない。
そして、他の六連星と違い……この男には、世界を守ろうとする意思は全くない。
ただ、好きな時に飲み、好きな時に博打を打ち、好きな時に女を買う。その意思を縛るには、あまりにこの男は強大なのだ。
「分かってるなぁ、大司教さまぁ……俺にとっては、『記憶』がどうだとか関係ねぇんだよぉ……ヒリヒリするような勝負ができればそれでいぃ……。
せっかくだからもう一つ教えてやるよぉ。多分だが、カルロスってガキと魔王は組んでるぜぇ」
「……本当ですか??」
「ああ、恐らくなぁ。だが、俺はこれ以上タッチしねぇぜぇ?『狩り(ハント)』以外に、今の俺の興味はねえからよぉ」
何という僥倖!!世の災厄を、2つ同時に取り除ける好機が舞い降りるとは!!
やはり、神は私を愛しておられる。何と素晴らしき日か。
「……ええ、いいでしょう。好きになさい」
「ククク……じゃあ、俺は消えるぜぇ」
トントントン、とオーバーバックが階段を降りる。私はエストラーダ候に向けて振り返った。
「貴方に、向かってほしい所があります」
544 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/16(月) 20:27:50.52 ID:6z/X/rfuO
キャラ紹介
ミカエル・アヴァロン(47)
男性。181cm、63kgのやせ形。細目で短い白髪頭で、いつも穏やかな微笑みを湛えている。
イーリス聖王国のユングヴィ教団大司教。東の原理主義派(元教派)を束ねる。
温厚で几帳面だが神経質。常に同じ時刻に同じ行動をすることを旨としており、全ての欲は不要と断じている。
金にも美食にも女性にも関心がなく、清廉潔白が服を着て歩いているような男。愛するのは神のみと公言して憚らない。
とはいえ、厳格ながら人格者でもあり、人望は厚い。
ユングヴィ教団の教えに徹底して忠実な男でもあり、殺人や姦淫などは決して行わない。
ただ、自らの手を下さないやり方で都合の悪い人間を「消す」ことはある。
また、世俗主義派を邪教徒と捉えており、表面上はともかく内面では人として扱っていない。
「人でない者」、つまり敵に対しては徹頭徹尾冷酷であり残虐である。そのため、イーリスには彼を恐れる人も少なくない。
戦闘能力は白兵戦については低い。ただ、魔力は甚大であり当代でも屈指の存在なのは疑いない。
アヴァロンの過去については一切不明。ただ、神への絶対帰依を誓う理由はそのあたりにあるようだ。
545 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/16(月) 20:28:33.64 ID:6z/X/rfuO
今回はここまで。シェイド視点→プルミエール視点と続く予定です。
546 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/11/17(火) 17:40:57.47 ID:/TdwIN4DO
乙乙
547 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/18(水) 22:58:29.08 ID:lSBzGI7SO
第24-1話
548 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/18(水) 22:59:52.34 ID:lSBzGI7SO
統治府に近付くに従って、兵士の数が増えてきた。一昨日より多いかもしれない。
「そんなにあの娘が重要なのかねえ」
「よく分からないにゃ。殺す相手を守る意味はもっと分からないにゃ」
ボクらはプルミエールの魔法で人間に化けていた。持続時間はほぼ半日。魔法が解けるまでは、ボクらは姉弟か親子にしか見えないだろう。
魔法がかかっているとは言っても、デボラさんの胸は相当に目立つ。周囲の男たちの目がそっちに行くのは気に食わない。
「よう姉ちゃん。幾らだ……」
言い寄ってきた男の首筋に、短剣が突き付けられた。
「売りもんじゃないよ。『蜻蛉亭』はどっちだい」
「ひいっっ!!?あ、あっちだ。その物騒なもんをしまってくれっ」
デボラさんが鞘に短剣を納める。さすがに抜刀が速いな。
「『蜻蛉亭』?」
「ああ。一度主人の護衛を受けた所でね。あたしに貸しがあるはずさ。
1度しか行ったことがないから、場所の記憶は曖昧だけどねえ」
「なるほどにゃ。でもそこで情報貰えるのかにゃ?」
「統治府に娼婦を派遣する高級娼館だからね。まあ何かしら中の様子は分かるだろうさ」
統治府から200メドほどしか離れてない場所に、それはあった。蔦まみれの不気味な館。あれが「蜻蛉亭」らしい。
549 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/18(水) 23:00:23.05 ID:lSBzGI7SO
#
「お嬢様、『蜻蛉亭』に御用で?」
館の呼び鈴を鳴らすと、執事風の初老の男が出てきた。
「主人のカサンドラはいるかい。デボラ・ワイルダが来たと言えば分かるはずさ」
「……お待ちを」
5分ほど待つと、ボクらは中に通された。化粧水の濃い空気が鼻を付く。外観はああだけど、中は豪奢でいかにも娼館という感じだ。
「御主人、客人に御座います」
「通して」
執務室兼私室と思わしき部屋に入ると、初老の婦人が髪を櫛でとかしていた。顔には皺も少し見えるけど、十分現役で通りそうなほど美しい。
おっぱいも大きそうだし、あるいはここで得意客を取っているのかもしれないな。ボクは熟女趣味じゃないからちょっとお断りだけど。微かに甘い匂いもする。
婦人が顔を上げると、訝しげな表情になった。
「……本当にデボラ?」
「ちょっと狙われててねえ。耳は魔法で隠してるんだ」
「……その声と顔立ち、言われてみればデボラ・ワイルダね。変装は弟の……誰だっけ」
「ウィテカーさ。今日はいないけど、まあそんなとこさね。半年ぶりだけど、健勝そうで何よりだよ」
「お蔭様でね。貴女に命を救われたからこそ、私の今はある。ジャレッド、お茶を」
「畏まりました」
男が去っていく。
「しかし、急な訪問ね。貴女に護衛の仕事を頼む予定は今のところないわよ?
それとも何かしら、その可愛らしい男の子を、私にくれるとでも?」
思わずブルッと身震いした。カサンドラという女(ひと)はかなり綺麗だけど、さすがにボクの守備範囲じゃない。
「ははは、そういうわけではないさ。ちょっと、貸しを返して貰いたくてね」
「貸しを返す?」
「ああ、大したことじゃないさ。統治府で何が起きてるか、分かるかい?ここからも娼婦を送ってるんだろう?」
男がお茶を運んできた。それを一口啜ると、ふうとカサンドラさんが溜め息をつく。
「私には何もできないわ。統治府相手の商売は開店休業状態。ここ数日の物騒な動きと関係があるのかしら」
「多分大有りさ。どうなんだい」
「ユングヴィの偉いのが来てるって話。ユングヴィは私たちを目の敵にしてるから」
デボラさんがボクを見た。やはりあれはアヴァロン大司教だったか。
「誰かの出入りは?例えば、緑色の髪の女とか」
「……ちょっと分からないわ。あと数日で統治府での商売は通常通りになるって聞いたけど、情報はそれくらい。私にできることはないわ、申し訳ないけど」
「そうかい」
デボラさんが辺りを軽く見渡した。……微かに音が聞こえる。喘ぎ声だろうか。
「……ところで、テルモンの連中が随分来てるみたいだねぇ。結構な人数じゃないかい?」
「……何が言いたいのかしら」
カサンドラさんが眉を潜めた。デボラさんは肩を竦める。
「いや、これだけ来ると連中相手の商売は儲かってるんだろ?ここも満室みたいじゃないか。
それとあんた、すぐにここにあたしらを入れなかったね。客、ついさっきまで取ってたんじゃないかい?多分、テルモンの高官……違うかい」
「……目ざといわね」
彼女が苦笑する。そうか、彼女は商売上不利になる行動ができないわけか。だから、協力を拒んでいる……
550 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/18(水) 23:01:28.86 ID:lSBzGI7SO
「というわけで交渉さ。あたしらはあそこにいる人物に接触したい。統治府には関与できなくても、さっき言ったテルモンの高官からなら何とかできるだろ?」
「口利きをしろってことね。……そうね、不可能じゃない。でも、多少の面倒は伴うわね。報酬は?」
「命を救った貸しがあるだろ?まあ、それに加えて、モリブスの花街からこっちに何人か送れなくはないね。給金を弾むという条件で」
「いつからワイルダ組はそっちにも手を出しているのかしら?用心棒なら分かるけど」
「まあ、色々花街はあたしらに貸しを作ったからね。質は保証するさ」
ふむ、ともう一度カサンドラさんがお茶を飲んだ。
「……分かった。3時間後、もう一度ここに来て。これからもう一人、テルモンの第4皇子を客として取るの。彼経由で話を附けられる」
「第4皇子……随分年下だねぇ」
「ふふ、可愛い坊やは好きなの。母親の愛情に飢えた坊やは特に。……そうそう、その坊やを多分使うことになるけど、いいかしら?」
「……ボクかにゃ?」
フフフ、と妖しい笑いをカサンドラさんが浮かべた。
「ええ。ユングヴィは姦淫は禁じているけど、色事は禁じてないのよ。貴方なら、多分気に入る人がいるわ」
……そういうことか。ボクはげんなりした。
「……ここは、男娼も扱ってるのにゃ?」
「あら、子供なのによく知ってるわね。この子、何者?」
「ボクは「それは詮索しないでおくれ。まあ、信頼は置ける奴さ」」
ボクの言葉をデボラさんが遮った。……確かに、身の上を明かさない方が正解か。
ただ、ボクを男娼として送り込むというのは正直勘弁だ。ボクはデボラさんに耳打ちした。
(男の相手なんて死んでもゴメンにゃ)
ボクは確かに見た目がいい。女装だって多分似合うだろう。ただ、男に犯されるなんてまっぴらゴメンだ。
デボラさんは少し目を閉じた後、微かに笑った。
(大丈夫、考えがある。抱かれる必要なんてないから安心しな)
(本当にゃ?)
(あたしに任せな)
「相談は終わったかしら?」
デボラさんが頷いた。
「ああ。3時間後だね」
「ええ。その子も一緒にお願い」
551 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/18(水) 23:02:24.95 ID:lSBzGI7SO
#
「考えって何にゃ?」
ボクはかき氷が乗った匙を口に入れた。ロックモール名物らしいけど、マゴの実から取った蜜とあいまって実に美味しい。モリブスに戻ったら作ってみよう。
デボラさんはグバのジュースを飲むと、周囲をうかがって小声になった。
「渡しとくよ」
「……これって」
デボラさんが、懐から何かを取り出す。
手渡されたのは、黒い球だ。受け取ってすぐ、それがいかに危険なものか察した。
「そう、爆裂魔法を込めた『爆弾』だよ。魔力を通せば、離れた場所でも起爆できる」
「何でそんなものを持ってるにゃ?危ないにゃ」
「何が起こるか分からないからね。ロックモールにあいつがいると聞いて、組から持ってきたのさ。籠城したのを炙り出すためには、必要になると思ってた。
あたしの魔力を通さない限り爆発はしないから安心しな」
「……見えたにゃ。ボクはこれを置いたら、すぐに猫になって逃げるにゃ。そしてそれを受けて起爆すれば……」
「統治府は火事になり、アヴァロンはメディアを連れて出てくる。そこをエリックたちと叩く。どうだい?」
確かに、筋は通る。アヴァロンが「グロンド」を使って逃げるかもしれないけど、やってみる価値はありそうだ。
しかし……この作戦には、一つ見落としがある。
「オーバーバックはどうするにゃ」
デボラさんが言葉に窮した。あの男は、どこにいるのか分からない。そして、間違いなく只者じゃない。
「……それだね。敵はアヴァロンだけじゃない。炙り出しても、オーバーバックってのに守られていたら簡単じゃないのは分かる」
「対策が必要にゃ。あいつを引き離さないと……」
「賭場にいるって言ってたね。そこで何とか……え?」
デボラさんの表情が固まった。信じられないものを見たように、口がポカンと開けっ放しになっている。
ボクも振り向いて彼女の視線の先を見た。
……馬鹿なっっ!!?
カフェの入口に、黒い眼鏡の男がいた。短い黒髪に、黒と緑の斑の服。その異様な出で立ちから、客がざわめいた。
あの外見……間違いない。オーバーバックだ。
552 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/18(水) 23:02:56.47 ID:lSBzGI7SO
奴は一直線にこちらに向かってきた。ニヤニヤとした、気持ち悪い笑みを浮かべながら。
逃げるかどうかを逡巡する暇もなく、奴はボクらの隣の席に座った。
「暑いなぁ」
……気付いている?それともただの挨拶?
デボラさんが探るように言う。
「……まあ、 南国だからねえ……何か、用かい」
「ククク……いいねぇ、すぐ逃げないのは修羅場潜ってるなぁ」
「……あたしらを狙って来たのかい」
微かに声が震えている。
そもそも、どうしてボクらがここにいることを奴は知ったんだ?
それに答えるかのように、ニタァとオーバーバックの笑みが深くなった。
「品定めさぁ……。面白い気配を感じたんでなぁ。雑魚ならすぐに狩るつもりだったが、これは『太らせて』から狩るのが正解だぁ……」
何を言っている??確実に言えるのは、こいつはボクらの居場所を何かの方法を使って知っている、ということだ。
……冷や汗が額を伝ったのが分かった。
オーバーバックが、不意にボクの方を見た。
「……にしてもお前。回復が早いなぁ。殺さない程度に加減はしたが、腕取れてるかと思ってたぜぇ」
……!!?ボクの正体を、こいつは知ってる!!?
「……どうして分かったにゃ」
「俺には真実が『見える』んだよぉ。どんな魔法も、俺の前では無意味だぁ。
……せっかくだから、注文するぜぇ。焼きビーフン……はねぇなあ。この『パンシート』にするかぁ。一応、麺類らしいしなぁ」
まるでボクらがいないかのように、オーバーバックは気ままに振る舞っている。「殺そうと思えば殺せる」とでも思っているのか?
「何が望みにゃ」
「あぁ?さっき言っただろぉ、品定めってなぁ。あとは改めて警告だぁ。
緑髪の女には手を出すなぁ……依頼主からの依頼でなぁ、そこだけは契約上果たさなきゃいけねぇんだよぉ」
「契約主……アヴァロン大司教にゃ?」
「さあなぁ……ただ、俺の契約にはお前らを消すことは含まれていねぇ……何もしねぇんなら、将来性に免じて見逃してやるよぉ」
ガタン、と急にデボラさんが立ち上がった。目の前のかき氷は、すっかり溶けてしまっている。
「……行くよ」
「……分かったにゃ」
もちろん、アヴァロン大司教の件を諦めたわけじゃない。ただ、この場は早く立ち去りたかった。
エリックの言う通り、この男は……危険だ。底が全く見えない。
「おうおう、せっかくだから名物の『パンシート』でも見ていけよぉ。
……というか狐の女ぁ。お前、どこかで見たことがあるなぁ」
「知らないね」
オーバーバックの笑みが、さらに深まった。
「いやいや、会ったことがあるぜぇ……ああそうだ、あれは15年前だぁ。確か、名前は……パメラ」
553 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/18(水) 23:03:51.84 ID:lSBzGI7SO
デボラさんが驚きをあらわにして振り返った。パメラ??確かそれは……
「何であんたが、母さんの名を……」
「そうかぁ、親子かぁ。似てるはずだぁ、マナの感じも気配もぉ……」
「あんたっ、母さんを何で知ってるっ!!!」
「ククク」と愉快そうに……いや、恍惚に満ちた様子でオーバーバックは口を開いた。
嫌な……とても、嫌な予感がする。
「俺が殺った、最強の相手の一人だったぜぇ……あれは愉しかったぁ……」
554 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/18(水) 23:04:21.85 ID:lSBzGI7SO
「貴様ぁっっっ!!!!!」
デボラさんは懐から銃を抜こうとする。しかし、それより遥かに速く……どこからか取り出したか分からない長銃を、オーバーバックはデボラさんの鼻先に突き付けていた。
「見逃してやるって言ったのによぉ……残念だぜぇ」
つまらなそうにオーバーバックが呟く。……そして。
555 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/18(水) 23:04:48.23 ID:lSBzGI7SO
バァンッッッ!!!
銃声が、響いた。
556 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/18(水) 23:05:38.27 ID:lSBzGI7SO
キャラクター紹介
ハーベスタ・オーバーバック(年齢不詳、30代?)
男性。短い黒髪にサングラス、迷彩服を好んで着る。身長183cm、体重78kg。見るからに鍛え上げられた身体を持つ。
服装は明らかに北ガリア大陸のどこの国とも違う。南ガリアやアトランティア大陸でも同様の出で立ちはない。
鼻はそれほど高くはなく、常にニヤニヤと笑っている。どこか間延びした喋り方が特徴。
北ガリアの秩序維持を担う組織「六連星」の一人だが、立ち位置は他の5人とは大きく異なるようだ。
契約を重視し、契約外の行動は極力避けている様子が伺える。戦闘狂のようだが、「獲物は太らせてから狩る」が信条でもある。決して話が通じない男ではない。
趣味は博打とB級グルメ。盲人のようにも見えるが、目は見えているようだ。本人曰く「真実が見える」というがその真意は不明。
武器は深紅の長銃「紅蓮」。その戦闘能力は極めて高いが、その素性含め一切が謎に包まれている。
557 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/18(水) 23:08:18.50 ID:lSBzGI7SO
第24-1話はここまで。24-2は予定を変更してプルミエール以外の人物からの視点とします。
パンシートはフィリピンの焼きそばパンシットカントンに近いものです。
ロックモールの食文化は東南アジアのそれをイメージしてもらえば大体合っています。
なお、オーバーバックの発言からは随所に単語など違和感があるかと思われます。
これについてははっきりとした理由があります。明らかになるのはずっと後ですが。
558 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/18(水) 23:17:07.03 ID:lSBzGI7SO
なお、オーバーバックのCVは故野沢那智さんをイメージしてもらえば多分大体合っています。
559 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/11/18(水) 23:18:38.13 ID:trYrx1zF0
乙
560 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/22(日) 14:04:35.53 ID:Y/Qr2n33O
第24-2話
561 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/22(日) 14:09:09.65 ID:Y/Qr2n33O
子供の頃見たあの光景を、あたしは未だにハッキリと覚えている。
父さんと母さんは、家を空けることが多かった。
2人と過ごした時間より、ジャック先生やアリスさん、あるいはベーレン候の家族と一緒だった時間の方が長かったかもしれない。
それでも、寂しさは感じなかった。一緒にいる時は、できる限りの愛情を注いでくれたから。
どこかの遺跡に向かう2人を、精一杯手を振って送り出す。それがあたしとウィテカーにとっての1週間の始まりだった。
父さんたちは、冒険から帰る度に嘘みたいな土産話をしてくれた。
とてつもなく巨大で知恵のあるドラゴン。ひとりでに動く、機械の兵士。機械が勝手に掃除をしてくれる不思議な邸宅……
どこまで本当なのか、当時のあたしには分からなかった。でも、真偽なんてどうでもよかった。
世の中は謎に満ちていて、だからこそ面白い。
きっと、父さんと母さんはそれを伝えたかったんだと思う。
そんな2人が、冒険先にあたしたちを呼ぶことはほとんどなった。
ただ、一度だけ連れていってくれた場所がある。モリブス南西部の、サンターナ山地だ。
丸3日かけて、あたしたち一家は山地を探索した。巨狼や二角熊のような、獰猛な魔物にも出合った。
すごく怖かったけど、どこか安心してもいた。父さんたちが守ってくれたから。そして、山地の奥にそれはあった。
『……うわぁ』
そこにあったのは、一面の花畑。花は全て、虹色に輝いていた。
『きれいでしょ』
母さんが穏やかに言う。
『うんっ!!すごくきれい……何て花なの?』
『名前はないわ。私たちが見付けた。ね、リオネル』
父さんが頷く。
『ああ』
『これ、皆に見せてあげたいなあ。ジャック先生やアリスさんにも』
『そうだな。だが、彼らはともかく、世の中には知られてはいけない花でもある』
『どうして?』
母さんが、足元の小石を花畑に投げ入れた。その刹那。
石が落ちた辺りが、一瞬のうちに黒く染まった。
『……え』
『花が『攻撃された』と感じたの。そして、花は猛毒を放つ』
父さんが何かを呟く。すると、花は元の虹色に戻った。父さんは「すまなかったな」と足元の花を軽く撫でた。
『この花畑は生きている。もし、大勢の人がここに来れば、ここは荒らされてしまうだろう。
そして、大勢の人が死ぬ。この花の毒によって』
『そうね。……知られることが、必ずしもいいこととは限らない。世界は美しいけど、封じられた方がいい事実もあるの』
父さんと母さんが、一瞬悲しげな表情になった。
『どうして父さんたちは、あたしたちをここに連れてきたの?』
『そのことを教えるためだよ、デボラ、ウィテカー。お前たちにも、きっと分かる時が来る』
父さんたちが、何を伝えようとしたのかは未だにハッキリとは分からない。
ただ、あの花畑の美しさは、きっと一生忘れることはないだろう。
562 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/22(日) 14:09:48.74 ID:Y/Qr2n33O
#
何で、こんなことを思い出しているんだろう?
目の前には、銃口があった。……ああ、そうか。
これが、走馬灯か。
……父さん、母さん。ごめん。
ウィテカー、後は頼んだよ。
唇を噛むと、目の前を何かが通った。……そして。
バァンッッッ!!!!!
銃声。
563 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/22(日) 14:10:33.25 ID:Y/Qr2n33O
……あたしの意識は、まだある。
腰の辺りを、誰かが強く抱き締めていた。
「限界突破(リミットブレイク)!!!!」
視界が一気に上へと移る。天井に当たると思った瞬間、目には家々の屋根が広がっていた。
「え」
ドスン、と衝撃が走る。シェイドが、私と一緒に屋根に降りたと認識するまで数秒かかった。
「逃げるにゃ」
「……は?」
「いいから逃げるにゃ!!!ボクにおぶさるにゃっっ!!!」
よく事態が飲み込めないまま、シェイドに背負われる。すると、風のように彼は屋根の上を走り始めた。……迅いっ!!
後ろから追ってくる気配はない。でも、彼は屋根から屋根へと飛び移る。私をおぶった状態で。……こんな力が、どこにあったのだろう?
不意に、彼が態勢を崩した。地面へと落ちそうになったのを見て、私は彼から離れる。そして、今度は私がよろめく彼を抱いて飛び降りた。
「ぐっ!!!」
肩と腰に強い痺れを感じた。いくら小柄でも、人を抱きながら数メドの高さから跳ぶのはさすがに厳しい。
シェイドはというと、はぁはぁと荒い息をついている。あたしを救うために、かなり無茶をしたのは明白だった。
「……ちょっと待ちな」
手を彼の額に当てる。恐らく、さっきの「限界突破」とやらは、相当に体力とマナを消費する魔法だったはずだ。
とすれば、これで何とかなる。手が黄色く光り始めた。
564 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/22(日) 14:11:06.61 ID:Y/Qr2n33O
「……くっ……にゃっ!!?」
シェイドの目に精気が戻ってきた。彼は慌てて飛び起きる。
「何やってるにゃ!!逃げなきゃ……」
「多分、もう大丈夫さ。『時間遡行』で肉体を少し元に戻したから、体力やマナと同時に記憶も戻っちゃったみたいだね」
周囲を見渡す。「蜻蛉亭」のすぐ近くだ。
「……すまなかったね……あたしのせいで、こんなことに」
「いいにゃ。ボクに親はいないけど……ご主人やアリスさんが殺されてたら、同じことをしたと思うにゃ」
「ありがとう……一生恩に着るよ」
「ボクこそにゃ。あれは切り札だけど、反動も大きいにゃ。
……治してくれて本当に助かったにゃ」
ニッと笑うシェイドの頭を、思わず撫でた。
「意外といい奴だね、あんた」
「じゃあ後でおっぱい……あだっ」
あたしはシェイドの頭に拳骨をくれてやった。
「冗談とは分かってるけど、そんな余裕はないよ。これから、どうするんだい?
エリックたちと合流しようにも、大分距離がある。何より、オーバーバックと次に会ったら……」
「……エリックたちとは後でにゃ。今戻ったら、まとめて一網打尽にされかねないにゃ」
「なら、どうしてここに……あっ」
そうか、闇雲に逃げてた訳じゃないのか。蜻蛉亭には、今テルモンの皇子がいる。オーバーバックが何者かは知らないけど、あそこにいれば少なくとも暴れることはできない……!
あたしの様子を察したのか、シェイドがニヤリと口の端を上げた。
「さすがデボラ姉さんにゃ。理解したみたいだにゃ」
「時間には少し早いけど、あそこで待つことはできる。オーバーバックに気付かれたとしても、皇子の手前荒事には及べない……考えたね」
「にゃ。むしろ問題は帰りにゃ。あいつはボクらを見逃すとは言ってたけど、どこまで本当かは謎にゃ。こればかりは運否天賦にゃ」
運次第、か。でも、選択肢はない。
「行くよ」
あたしは「蜻蛉亭」の呼び鈴を鳴らした。
565 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/22(日) 14:11:41.60 ID:Y/Qr2n33O
魔法紹介
限界突破
肉体能力を爆発的に引き上げる魔法。肉体強化魔法を得意とするシェイドの切り札でもある。
筋力や動体視力、反射能力が通常の数倍になるため、エリックの「加速」に近い効果が期待できる。
違うのは、筋力自体も跳ね上がっているため一撃の効果は「加速5」よりはずっと高い点。
また常軌を逸した跳躍などは「加速」ではできない利点でもある。
半面、「加速」ほどの速度では動けない。また、音速を超えることによる衝撃波の発生も不可能である。
持続時間は2分ほどであり、終了後は反動で動けなくなる。「加速『閃』」を使ったエリックのように、本来は数時間マトモな行動はできない。
「時間遡行」でこのデメリットを打ち消せるデボラとの相性は非常に良いと言えるだろう。
なお、使用時には若干の溜めが要る。
オーバーバックに不穏な気配を感じたシェイドは、事前準備を済ませていた。
このため、銃が出た瞬間に「限界突破」を発動。銃を跳ね上げて天井に穴を作らせ、そこから脱出ということをやってのけている。
566 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/22(日) 14:18:56.60 ID:Y/Qr2n33O
第24-3話
567 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/22(日) 14:19:41.75 ID:Y/Qr2n33O
窓からの潮風が、私の髪を揺らした。陽射しは強いけど、このお蔭で存外過ごしやすい。
エリックは静かに本を読んでいる。シェイド君たちが出かけてから、ずっとこんな具合だ。
「あいつ、意外と読書家なんだな」
お茶を飲みながらカルロス君が言う。窓際にいるエリックは返事を返さない。
「確かに……時間があると寝ているか本を読んでるかですね。魔術書が多いですけど」
「……そうなのか」
複雑そうな表情で彼がエリックを見る。私はカップを置き、窓際に向かった。
「何の本を読んでるの?」
「これだ」
「……『マイク・ダーレン自伝』?マイク・ダーレンって、確か」
「ダーレン寺開祖だ。武の真髄を振り返りたい時には、いつも読むようにしている」
「私も読んでいい?」
エリックは一瞬無言になった。断られるかと思ったけど、机に積まれている中から一冊の本を渡された。
「これなら理解しやすいだろう」
「あ……ありがと」
手渡された分厚い本には「放浪記」とある。どういうことだろう?
「開祖ダーレンが世界各地を回った時の旅行記だ。武人でなくても、暇つぶしにはなる」
マイク・ダーレン。300年前にロワールに武人たちの聖地「ダーレン寺」を開いた伝説の人物だ。
その人物像は謎に包まれている。こんな自伝があることなんて、初めて知った。
「開祖ダーレンって、どんな人だったのかしら」
「武人にして魔術師、哲学者にして冒険者だったらしいな。本来は皆伝を受けていないと読ませてはいけないが、この際いいだろう」
「え」
「まあ読めば薄々分かる」
羊皮紙に書かれた文字はかなり達筆だ。ただ、読みにくいというわけでもない。
文章自体も小説家が書いたかのように滑らかで美しい。情景が目に浮かぶかのようだ。
中身は当時の世界各地の情勢や風物、人々の営みを中心に書かれている。時折挟まる武術への考察が非常に面白い。
300年前も、世界はあまり今と変わらない。貧富の差や権力者の横暴、それでも生き抜こうとする庶民のしたたかさ。
そして、ダーレンという人は常に弱者の側に立っていた人だったらしい。
興味深く読んでいくと、ある所で手が止まった。
「……え?」
568 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/22(日) 14:20:16.19 ID:Y/Qr2n33O
私が目にしたのは、「サンタヴィラ滞在の項」という章だ。
かなり頻繁に訪れているらしく、馴染みの宿に泊まった辺りの情景からその章は始まっていた。
そして、彼がここに来た目的。それは……
「気が付いたか」
エリックが私を見た。
「……うん。開祖ダーレンって、遺跡の探索も行ってたのね」
そう、彼が訪れていたのは「ガルデア遺跡」。魔王ケインが、正気だった時に調査を行っていたという遺跡だ。
「そうだ。そして、そこから先数ページが破られている」
「……!!本当だ……」
「ああ。何か、誰かにとって不都合なことが書かれていたのだろうな。『放浪記』には破られたページが幾つかあるが、中でもこの項が一番多い」
「何でだろう……まさか」
エリックが頷いた。
「父上の件と関連があるのかもしれないな。これが世に出回っていないのも、あるいはそういうことなのだろう」
誰が一体ページを破ったのだろう?あるいは、「サンタヴィラの惨劇」の真相を知る人物が、ダーレン寺にいるのだろうか?
569 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/22(日) 14:21:11.30 ID:Y/Qr2n33O
もやもやした気持ちを抱えていると、玄関の方から声が聞こえた。
「今帰ったよ」
「お帰りなさい!どうでした」
居間に現れたデボラさんとシェイド君は、どこかすっきりしない表情だ。
「いい話と悪い話がある。いい話は統治府に潜り込めるめどが一応立ったということ。悪い話は、オーバーバックに襲われたってことだね」
「何っ!!?」
エリックが立ち上がった。シェイド君が険しい表情になる。
「エリックの言う通りだったにゃ。あいつはボクらの手に負えないにゃ。しかも、どうやってるか知らないけど、ボクらがどこにいるかを把握できてるみたいだったにゃ」
「……よく無事だったな」
「それはボクも驚いてるにゃ。帰りにもう一度襲われるかもとは思ってたけど、その気配すらなかったにゃ。
『何もしなければ見逃してやる』という言葉がどこまで本当かは知らないけど」
エリックが腕を組んだ。
「どういうことだ?」
「『契約』、とか言ってたね。あたしらを殺すことは、それに含まれてないと。
あくまでメディアを守ることだけが目的みたいだった」
「契約……相手はアヴァロンだな。そこまでして『万病の薬』とやらが欲しいのか?」
「さあね。ただ、恐らくはオーバーバックは、アヴァロンの警護までは任されてない。
あんたはアヴァロンを狙ってるんだろう?メディアにさえ手を出さなければ、多分上手く行く」
カルロス君の顔色が変わる。
「ちょ……ちょっと待てよ!!?じゃあ何か?メディアは見捨てるのか??」
「……オーバーバックをどうにかしなきゃいけないにゃ。デボラ姉さんにとってあいつは仇だけど……」
「仇?」
どういうことだろう?デボラさんの表情は沈んでいる。
「あいつは、母さんを殺したのは自分だと言った。多分、父さんも……。
ただ、相対して分かった。今のあたしやシェイドじゃ、そしてエリックでも、あいつは倒せない。本気で来られたら、多分……」
「……やはりか。メディア奪還は諦めて、アヴァロンの確保だけ考えた方が……」
「ふざけるなっっ!!!」
カルロス君が叫ぶ。
570 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/22(日) 14:21:40.12 ID:Y/Qr2n33O
「体よく利用しておいてそれか!!?俺にとって、彼女が戻らなかったら何の意味もないっっ!!
所詮貴様は魔王ケインの息子だな、父さんを殺したのもどうせ報酬目当て……」
「……話は最後まで聞け」
「!?」
彼の喉元に短剣が突き付けられている。エリックが低い声で続けた。
「本来ならお前の女を救う義理はない。だが、受けた恩は無下にするなというのが父上の教えでな。
ここを使わせてもらっているだけでも借りはある」
シャキン、と短剣が鞘に納められる。
「理性的に考えたら、お前の女を無視した方がずっと安全だ。だが、俺の信念上そうも言ってられない。お前もそうだろう、デボラ?」
「まあね。そんなことしたら、父さんや母さん、そして旦那に憑り殺されてしまうよ。
でも、オーバーバックをどうにかしないと、話は先に進まない。誰かいい案、あるかい?」
皆、口を閉じてしまった。エリックやデボラさんすらお手上げの相手だ。……正直、倒す方法なんて……
「倒す」方法?
いや、違う。倒す必要がないとしたら?
私とエリックの目的も、カルロス君の願いも、オーバーバックを倒さずとも実現はできる。
彼が手を引いてくれるために、必要なことは……
「契約」……ひょっとしたら!?
私は手を挙げた。
「一つ、考えがあるの」
571 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/22(日) 14:22:12.16 ID:Y/Qr2n33O
用語紹介
ダーレン流
マイク・ダーレンにより約300年前に始まった武術の一派。
己の肉体のみを武器としているが、魔法と組み合わせた攻撃も行う。
実践重視であり、ロワール公国軍は皆大なり小なりこれを修めている。
総本山はロワール北部のダーレン寺。「政武分離」を掲げるロワール公国だが、その影響力は極めて大きい。
武術として強力であるというだけでなく、その哲学含めて信奉者は多い。
北ガリア大陸各地にダーレン寺の分寺があり、ユングヴィ教団と並ぶ宗教勢力としても存在している。
その教えは内省的かつ禁欲的。他者救済に重きを置くのがユングヴィであれば、自己救済・自己研鑽を目的とするのがダーレンと言える。
この教義の違いのため、ロワールとイーリスの間ではしばしば宗教戦争が勃発している。
とはいえ、ここ20年は互いに魔族という共通の仮想敵を持っているため小康状態のようだ。
開祖マイク・ダーレンの人物像については謎が多く、数多くの伝説がまことしやかに流れている。
その多くは説話として残っているが、歴史的資料は極めて少ない。エリックが持っている「マイク・ダーレン自伝」は複製ではあるが、それでも超希少である。
これをエリックが持っている理由は現在のところ不明。ただ、エリックが数少ない「皆伝」の保持者であるのは間違いないようだ。
572 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/22(日) 14:26:01.53 ID:Y/Qr2n33O
今日はここまで。更新遅れ申し訳ありません。
マイク・ダーレンは「オルランドゥ大武術会」の同名人物とほぼ同じです。
ただ、彼が辿った人生まで同じとは限りませんが。
次回からロックモール編の本番です。
573 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/11/23(月) 02:16:46.83 ID:clGPlxwDO
乙
574 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/25(水) 23:17:29.93 ID:dbHTZ14LO
第25-1話
575 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/25(水) 23:18:50.81 ID:dbHTZ14LO
「……これが、ボク、にゃ?」
下がスースーする。姿見の向こうには、薄手のワンピースに身を包んだ少女がいた。
「へえ」とデボラさんが感嘆したように言う。
「よく似合ってるじゃないか。プルミエールの助けがあるとはいえ」
「……複雑な気分にゃ」
「蜻蛉亭」の従業員の腕は、すこぶる良いらしい。何でも女主人のカサンドラさんが、化粧術に精通しているからなのだそうだ。
彼女の実年齢を聞いて少々驚いたけど、あの肉体とこの化粧があれば客は確かに取れるだろう。
「うふふ、誇っていいわよ?それだけ素材がいいということだもの。
正直、即うちで雇いたいくらい。そのつもりはなあい?」
「遠慮するにゃ」
「あらら、つれないわね。じゃあデボラ、この子を一晩預けてくれないかしら?とても愉しい夜になると思うのだけど。もちろん、その子にとっても」
「それも断るね。そこまで暇でもないんだ」
「む、残念ねえ。その子もまだ若いんだから、悦楽の真髄を味わうには早い方が良いと思うのだけど」
正直に言えば少し心が動かされたけど、それはおくびにも出さないでおいた。
実年齢を知らなかったら「お願いするにゃ」とか口走っていただろうけど、さすがにちょっと離れすぎている。彼女が老いにくいエルフでないのは、結構残念なことだ。
「それにしても、何で女装しなきゃいけないのにゃ」
「向こうの要求よ。そういうのが好きな殿方は、決して少なくないの。しかもこれほどの見た目麗しい子は本当に希少なのよ。つくづく残念。
彼をたまに貸してくれたら、ワイルダ組にさらなる便宜を図れるのだけど」
「まあ、それは今度別の形で報いてやるさ。時間は、10時からだったかい。聖職者も随分と朝からお盛んだねえ。
しかも原理主義のイーリス派だろう?アヴァロン大司教にバレたら、控えめに言って即破門だろうに」
カサンドラさんが肩をすくめた。
「側近だから彼の予定は把握しているのだそうよ?それで無理矢理時間を作って、女装させた御稚児趣味に走るのだから業が深いわ」
「禁欲主義のなれの果てということかい。まあ、お蔭でつけ込む隙ができるわけだけどねえ」
ボクは小さく頷いた。
「確認にゃ。まず統治府に潜り込んだら、客と接触。準備と称して部屋を抜け出し、爆弾を設置。
そして猫に化けて逃げる……これでいいにゃ?」
「ああ。前に話していたのと違うのは、あんたが『限界突破』を使ってメディアごと逃げること。
メディアが死んでは意味がないからね。あんたのあの力なら、多分いけるはずさ。
オーバーバックが来たら、あたしとエリック、プルミエールが引き受ける。そこに片が付き次第、アヴァロンに対応する……」
「そのためにはオーバーバックの射撃をどうするかにゃ。初撃を避け、奴と話ができる状況を作れれば……」
「勝機はあるね」
カサンドラさんが呆れたように首を横に振った。
「にしても、アヴァロン大司教に喧嘩を売るなんて、あなたも無謀ねえ。まあ、テルモンの支配下にはいるのはこちらとしても御免だけど。
税金、酷いらしいからねえ。あの暗愚なゲオルグ帝からナイトハルト伯に世が変われば……」
「言っても詮無きことさ。それに、あたしらの目的は世直しじゃない。
詳しくは言えないけど、正直ただの私情だよ。まあ、ベーレン侯の依頼もあるけどね」
「まあ、何だっていいわ。商売しやすくなる方を、私は選ぶ。だから協力した」
「そして失敗は許されない、ね。まあ承知しているさ」
デボラさんが不意に、ボクを軽く抱き寄せた。
「……頼んだよ」
「分かったにゃ」
576 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/25(水) 23:20:17.69 ID:dbHTZ14LO
#
統治府の中は、まるで豪奢な宮殿だった。宮殿なんて行ったこともないのだけど。
特権階級御用達の娼館や賭場を兼ねているというのも納得だ。ボクは2階の奥の部屋に通された。
「失礼しますに……ます」
思わず語尾が変わりそうになったのを、必死で直した。部屋の奥のベッドには、30前後の男性が座っている。
「おお……これは可憐な」
てっきり脂ぎった中年が出てくるかと思っていただけに、ちょっと拍子抜けした。身なりには清潔感のある、顔立ちの整った男だ。
「本日の伽を務めさせていただきます、シェイラと言います。よろしくお願いしますに……ます」
「ははは、緊張しているのかな。さあ、こっちへ」
男はボクを呼び寄せると、隣に座るよう促した。……いきなり押し倒されるようなら、然るべき対応を取らせてもらう。
「は、はあ」
「新人と聞いているからね。そこまで無茶はしないよ。それにしても、本当に可憐だ……。今までの男の娘の中でも、ちょっと図抜けている」
「お、お褒めに預かり光栄です。……確か、ユリウス様、ですか」
「ああ。今日はしっかり癒してくれたまえ。そうだな、まずは按摩でもしてもらおうか」
「え?」
「気苦労が絶えなくてね。15分ほどでいい。伽はその後で構わないさ」
変わった男だ。余程疲れているのだろうか。
「ではうつぶせになっていただければ。……どうかされたのですか?」
「ははは、まあね……厳しい上役を持つと、こうでもしないとやってられないのさ」
上役……ミカエル・アヴァロンか。
「厳しい、のですか」
肩を揉みながら訊く。
「ああ。……うん、実に具合がいい。本職が按摩だったりするのかな?」
「お戯れを」
御主人にいつも按摩を頼まれているせいだろう。こういう時に役立つとは思わなかったが。
ユリウスという男は、ふうと息を付いた。
「……猊下は全てにおいて正しい。しかし、正し過ぎる。それに外れた者は、決して許されないのさ」
「罰、ですか?」
「ならいいのだけどね。消えるんだよ。いずこへと」
……「グロンド」を使っているんだ。ボクの背筋に冷たいものが流れた。粛清か。
「消える、と」
「ああ。理由は不明、どうやっているかも分からない。でも、とにかく『消える』」
「今こうしているのも、危ないのでは?」
「大丈夫。猊下は3階にいらっしゃる。客人と話されているらしい。時間になるまで、猊下は決してその予定を曲げない。つかの間の自由、ということだよ」
客人?メディアは4階のはずだから、エストラーダ侯が3階にいるのか。しかし、彼を匿う理由はよく分からない。何を考えているのだろう?
「客人、ですか」
「ああ。どうにも猊下の御心はよく分からない。……腰の辺りも頼むよ」
ボクは腰に手を移した。
「御心?」
「ああ。モリブスの邪教徒を保護したのもそうだが、あの緑髪の少女だよ。破滅を招くなら、即殺せばいいものを」
577 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/25(水) 23:21:38.95 ID:dbHTZ14LO
……破滅??
「どういうことですか?」
「ああ、喋り過ぎたな。……まあ、私も詳しく知らないんだがね。何せ、150年ぶりのことだから」
150年……前に、「女神の樹の巫女」が現われた時に、何かあったのだろうか。
「その時に何があったのですか」
「ああ。伝説でしかないけどね、『女神の樹の巫女』の子供が、人を食い始めたんだそうだ。
で、手に負えなくなったんで当時の大司教が封印したとか聞いてる。……ああ、この話は内密にしてくれよ。私も消されてしまうから」
……!!!
体温が一気に下がった気がした。……そういうことか。
このユリウスという男の言葉に、どれほどの真実味があるかは知らない。しかし、メディアの言葉にやっと合点が行った。
もしそれが本当なら、彼女とカルロスは……絶対に結ばれてはいけない。
しかし、もう一つの疑問は残る。ユリウスは、それについては多分答えを知らない。
それは、「なぜすぐにメディアを殺さなかったのか」という問いだ。彼女の体液から取れる薬ができるまで、待っているとでもいうのか。
今すぐ動いた方がいい、とボクの本能が告げた。できるだけ早く、メディアに会わないと。
「……ちょっと、小用を足してもいいですか」
「ん?構わないよ。戻ったら、伽としようか」
好色な目で、ユリウスがボクを見る。そっと重ねられた手を振りほどこうとする誘惑に、ボクは何とか耐えた。
もう、彼に会うことはないだろう。多分。
部屋をそっと出る。その刹那、禍々しい気配を上から感じた。……何だこれは??
578 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/25(水) 23:22:44.56 ID:dbHTZ14LO
オーバーバック?いや、あいつとは違う。この気配は……魔物にむしろ近い。
ボクは周囲を見渡し、まず化粧室に入った。爆弾を置くと、猫に姿を変えその窓の隙間から外に出る。
気配がしたのは、東側の方だ。こちらは西側だから、ちょうど逆。見に行きたいという欲求はあったけど、本能がそれを押し留めた。
それに構わず、4階のバルコニーへと駆け上がる。
果たして、そこにはメディアがいた。
その手には、前に来た時にはなかった緑色の大きな宝石が握られている。
カリカリと窓をひっかく。彼女がわずかな驚きとともに、ボクを迎え入れた。
「……あなたは」
「君を迎えに来たにゃ、カルロスが待ってるにゃ」
「……!!カルロスが……」
「ここはもうすぐ火事になるにゃ。その前に逃げるにゃ」
「……私は、ここで死ぬべき定め。ここに残るわ」
ボクの中に、迷いが生じた。ユリウスの言っていたことが本当なら、世界にとって彼女は確かに生きてはいけない存在なのかもしれない。
ただ、子をなさなければ大丈夫だとすれば……
「それは本心かにゃ?」
「……」
禍々しい気配は、さらに強まっている。これ以上ここに残るのは危険だと、獣としての本能が訴えかけていた。
「もしここで死にたいならそれはそれでいいにゃ。でも、君が少しでも生きたいと願うなら、ボクと一緒に逃げるにゃ」
ボクは宙返りをして、再びヒトの姿に戻った。幻影魔法の効果は切れているけど、この際それはどうでもいい。
ゾグンッ
下から、誰か来る気配がする。1人……いや2人??
579 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/25(水) 23:23:16.00 ID:dbHTZ14LO
ボクはメディアに手を差し伸べる。
「いいから来るか、来ないか、どっちなんにゃっ!!!」
メディアが逡巡する。小刻みに震えた手が、少しだけ前に出た。
ボクはそれを掴み、魔力を溜める。
ドアがノックされるのと、魔力が十分練られるのと、ほぼ同時だった。
「限界突破(リミットブレイク)!!!!」
彼女を抱いて、ボクは窓を破る。それが合図となって、館から轟音が響いた。
580 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/25(水) 23:23:47.16 ID:dbHTZ14LO
キャラクター紹介
ユリウス・ストロートマン(31)
男性。ユングヴィ教団イーリス聖教会の司教。
名門の子として生まれ、修道院でエリート教育を受ける。優秀ではあるが、過度に禁欲的な生活の反動から性的嗜好が歪んでいる。
もっとも、これ自体はユングヴィ原理主義派には少なからずあることであり、同性愛趣味は過度でなければ問題ないというのが一般的であった。
問題は、ユリウス・アヴァロンはそれすら禁忌として厳に禁じたこと。
禁忌を破った教徒は幹部であろうと文字通り「消されて」おり、一種の恐怖政治に近い状態となっている。
このため、異性愛だけでなく同性愛も地下に潜った状態でなければ行えない状況となっている。
ユリウスはその優秀さからアヴァロンからある程度の行動の自由を得ており、時折男娼を買うことでその欲求を満たしていた。
とはいえ、締め付けの強化から直近の禁欲期間は数カ月にも及んでおり、それが彼をして統治府内での買春という相当にリスキーな行為に走らせたといえるだろう。
本人は極めて紳士的であり温厚。外見の良さもあり、男女問わず好意を持たれやすい人物。
恋愛経験は年下の修道僧相手に何度かあったが、締め付けの強化に伴い別れている。
581 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/25(水) 23:24:41.81 ID:dbHTZ14LO
失礼しました。上の記事でユリウス・アヴァロンとあるのは「ミカエル・アヴァロン」の間違いです。
582 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/25(水) 23:26:19.90 ID:dbHTZ14LO
第25-2話
583 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/25(水) 23:26:49.42 ID:dbHTZ14LO
統治府から誰かが飛び出したのが見えた。シェイド君だ。
それを確認し、デボラさんが目を閉じ集中する。やがて、統治府から爆音が聞こえた。
被害を小さく留めるために、威力は小さめに抑えたという。ここまでは計画通りだ。
「ここまで、シェイド君たちが来れるでしょうか」
「……さあね。だけど、そうしてくれないと話にもならない」
シェイド君とメディアさんと思われる影は、屋根から屋根へと猫の……いや、豹のように飛び移っていく。凄まじい迅さだ。
まだ、オーバーバックと思われる人影は見えない。私たちがいるこの路地まで、距離はもう50メドもない。大丈夫、行けるはずだ。
様子を見ようと路地を出た刹那。
ドグン
……重く、気味の悪い気配を向こうから感じた。そこには……深紅の銃を担いだ、黒と緑の男。
584 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/25(水) 23:27:37.42 ID:dbHTZ14LO
彼が、私を見て嗤った。
「やはりなぁ……雁首並べて、一網打尽だぁ」
銃がシェイド君に向けて構えられる。……まずいっっ!!!
「加速(アクセラレーション)5!!!」
オーバーバックに向けて駆け出す黒い影が見えた。こういう時のために潜んでいた、エリックだ。
「おぉ」
オーバーバックはすかさず標的を変える。白い閃光が、エリックの至近距離で放たれた!
ヴォン
「嘘っ!!?」
思わず叫んだ。銃から放たれた閃光は、向こうの家の壁を粉々に砕いた。……何という威力。
いや、驚くべきはそこじゃない。あの至近距離で、弾丸を避けたエリックがおかしい。「加速」をかけているからといって、あんなことが常人で可能なの?
「はっ!!いいねぇっ!!」
エリックの拳を、オーバーバックは銃身で受ける。エリックは思わず後方に退いた。
「くっ……」
「いやぁ、愉しいねぇ……もう少し熟れてからの方が食べ頃だがぁ……」
「……止まりなさい」
私は、震える手でアリス教授から貰った「魔導銃」をオーバーバックに向けた。彼が呆れたように笑う。
「おいおい姉ちゃん、そんなへっぴり腰じゃ俺は撃てねぇぜぇ……」
「やってみないと、分からないわ」
シェイド君たちが路地に辿り着く。「ここは任せたよ」と、デボラさんが息が上がっているシェイド君を引っ張った。
「……随分、悠長なんだな」
睨み付けるエリックに、オーバーバックが銃口を向ける。私への警戒が解かれてないのは、すぐに分かった。
「そりゃなぁ。そこから逃げるのは、転移魔法でも使わないと無理だぁ……お前らを片付けてからでも、十分間に合うぅ……」
悔しいけど、オーバーバックの言う通りだった。「転移の玉」は稀少品で、アリス教授をもってしても簡単には作れないとのことだった。
「あなたたちにも持たせられればよかったのだけど」と、心底申し訳なさそうにしていたのが目に浮かぶ。
ただ、もし使っていたらオーバーバックはすぐに私たちを殺し、デボラさんたちを追っただろう。
彼は、私たちがどこにいるのかを把握できる。それが本当なら、逃げを打つ意味はない。
私は呼吸を整えた。……大丈夫、分かってたことだ。
585 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/25(水) 23:28:04.77 ID:dbHTZ14LO
「オーバーバックさん。……提案があるの」
「んん?命乞いかぁ??」
クックックと、オーバーバックが笑う。
「……私たちと契約を結ばない?」
586 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/25(水) 23:28:36.88 ID:dbHTZ14LO
「ほぅ??」
これは、賭けだった。正攻法で行っても、オーバーバックを倒せる見込みは多分ない。
私は彼に会ったことがなかったけど、エリックやシェイド君の口振りからこの男の危険性は何となく分かった。
そして、逃げても無駄だ。その上でアヴァロン大司教を捕らえ、かつメディアさんを救うなら……これしかない。
オーバーバックが、契約という言葉を使っていたのが肝要だった。この男の行動原理は、契約だ。まるで傭兵のように動くなら、雇い主を私たちに変えればいい。
問題は、対価だ。金なら、エリックが持つ宝石がある。どれほどの価値があるのか正確には分からないけど、少なくとも1000万ギラ以上はあるはずだ。
それ以外のものを……例えば、私の貞操を求められたら?分からない。ただ、穏やかに済む対価を私は願っていた。
もう一度呼吸を整え、私は口を開く。
「……あなたが、メディアさんを守るという契約を結んでいるのは知ってる。だから、それに上書きする形でこちらも契約を結ぶわ。
……『私たちに危害を加えない』という契約を」
オーバーバックの口の端が上がった。
「対価は何だぁ?俺は金じゃ動かねぇ……女も、名誉も要らねぇ」
「……!?じゃあ、何を対価にあなたはアヴァロン大司教と」
「お前らにそれが払えるとは思えねぇ……」
ズォンッッ!!!
オーバーバックのマナが、一気に膨れ上がった!まずいっ!!……私の賭けは、失敗に終わったんだ。
私は魔導銃を握り直す。こうなったら、できるだけ足掻くしか、ない。エリックの表情の険しさが増した。
ごめんなさい、教授。エリザベート。
そして……ごめんなさい。エリック。
587 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/25(水) 23:29:03.52 ID:dbHTZ14LO
覚悟を決めた瞬間、オーバーバックのマナが萎んだ。……どういうことだろう?
「いや、待てよぉ?……お前が、プルミエール・レミューかぁ?」
「……え、ええ。だとしたら?」
オーバーバックの顔から、初めてあの気味が悪い笑みが消えた。
「……なるほどなぁ……あるいは、お前らに乗る方が正解かぁ?」
「何を、言ってるの」
口の中が乾く。再び、オーバーバックがニヤリと笑った。
「俺の記憶を調べろぉ……今すぐでなくていぃ……」
588 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/25(水) 23:29:34.49 ID:dbHTZ14LO
「え?」
思いもかけない言葉に、私は固まった。エリックが、掠れた声で訊く。
「……どういうことだ」
「俺には記憶がねぇ……15年前からの記憶が、一切だぁ。
だから、俺はそれを取り戻すために、アヴァロンたちと契約を結んだぁ……
だが、その女なら確実に俺の『記憶』を取り戻せるはずだぁ。それが、1つ目の対価だぁ」
「……まだ対価が?」
「この場でお前らを見逃し、債務不履行になるのを上回るには、それなりの対価が要るぅ……
お前らが、もっと強くなったら、俺と戦えぇ……期限は、俺と次に会う時だぁ」
エリックが、私を見た。これは、その場しのぎに過ぎない。そう訴えていると、すぐに察した。
ただ、1つ目の対価は不可能じゃない。今の私が「追憶」で遡れるのは10年前までだけど、もう少し頑張れば15年前の記憶は分かりそうだ。
問題は、2つ目の対価。要は、「オーバーバックに殺されろ」ということだ。しかも、次にいつ会うかなんて、分かったものじゃない。
私は、目をつぶった。……ここが、正念場だ。
589 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/25(水) 23:30:07.22 ID:dbHTZ14LO
「……いいわ。でも、条件がある」
「条件ん?」
「ええ。今の私じゃ、15年前にあなたに何があったかは分からない。だから、時間をちょうだい。……そう……1ヶ月ぐらい」
「1ヶ月ぅ?」
私は頷いた。このまま行けば、サンタヴィラまで大体そのぐらいで着く。どちらにせよ、それまでには20年前まで「思い出せる」ようになっていなければならないのだ。
オーバーバックは渋い顔になった。
「……3週間だぁ。そこまで待てねぇ……」
思わず唾を飲み込んだ。
「……いいわ」
「プルミエールッッ!!?」
エリックが叫ぶ。オーバーバックの笑みが深くなった。
「いいぜぇ……!!契約、成立だぁ……」
向こうから、人々の叫び声が聞こえる。統治府から、人が逃げ出しているのだろう。その中に、アヴァロン大司教もいるはずだ。
オーバーバックが、パチンと指を鳴らす。しばらくして、彼の後ろに黒い空間の歪みができた。……転移魔法?
「俺はしばらく消えるがぁ、せっかくだから一つ情報をくれてやるぅ……
俺をやり過ごしたからといって、安心しないことだぁ。『怪物』が、まだ残ってるぜぇ……」
「何っ!!?」
「クックック……俺とやるまで、死んでくれるなよぉ。そして、殺しがいのある獲物になれぇ……」
そう言い残し、オーバーバックは消えた。
それとほぼ同時に……禍々しい気配を、私は感じた。今まで感じたことのないような、おぞましい気配を。
590 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/25(水) 23:30:37.78 ID:dbHTZ14LO
「誰かぁっっ!!!娘が、娘がぁっっ!!!」
「逃げろぉっっ!!!喰われ……があああっっっ!!!」
悲鳴が、ハッキリと聞き取れるほどに大きくなった。……何かが、近付いてきている!!?
「……逃げる、にゃ」
シェイド君が、路地から出てきた。
「え?」
「何かは分からないにゃ……でも、とにかく逃げるにゃっっ!!!」
エリックが、シェイド君の言葉を無視して叫び声がする方に駆け出す。
「エリックッ!!」
「お前らは先に逃げろ!!」
「そんなことを……」
遥か向こうに、2人の人影が見えた。遠くて顔までは見えない。
しかし……そのうちの1人からは、無数の細長い……触手か枝のようなものが生えているのが分かった。
それが次々と人々を捕まえている。……何なの、あれは??
591 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/25(水) 23:31:07.49 ID:dbHTZ14LO
「……何てことを」
緑髪の少女が、強ばった表情で呟いた。
「何なんだいあれはっっ!!?」
デボラさんの叫びに、彼女は弱々しく首を振る。
「……多分、あれは……私の前に来ていた客人。私の血で……人にあらざる者に変わってしまった」
「……え」
私は向こうを振り返る。……そんな、馬鹿な。
あれが、エストラーダ候だと言うの??
592 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/25(水) 23:32:01.89 ID:dbHTZ14LO
キャラクター紹介
カサンドラ・アーヴィング(49)
女性。高級娼館「蜻蛉亭」主人。普段は茶色の髪を上にまとめている。
50近いが、その肉体と技巧、そして卓越したメイクで未だに客を取っている。目尻に皺はあるものの、30半ばでも十分通用する程度には若々しい。
すっぴんでもかなり美しいが、それを他人に見せることはまずない。
年少の、できれば10代の客を好んで取る傾向にある。いわゆるショタコンであり、現役を続けているのは実益も兼ねている。
娼館の主人としては優秀で、目利きには定評がある。また、やむにやまれぬ事情から娼婦や男娼に落ちた者には手厚い保護を与えている。
実はモリブス出身ではなくテルモン出身。ただ、反皇室側の人間でありモリブスのワイルダ組(引いてはベーレン家)との関係が深い。
テルモン皇室からの刺客をデボラが撃退したことで、その関係性はさらに強まった。
なお、年齢上後継者を探しているがなかなか見当たらない様子。
593 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/25(水) 23:32:44.20 ID:dbHTZ14LO
今日はここまで。カサンドラは再登場の機会があるかもしれません。
594 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/11/26(木) 12:14:06.58 ID:XT5o9q4DO
乙です
595 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/11/27(金) 00:24:53.98 ID:qrUUkpVDO
乙
596 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/30(月) 22:01:14.16 ID:KnL3hUx3O
第25-3話
597 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/30(月) 22:02:33.37 ID:KnL3hUx3O
「エストラーダ候……」
プルミエールが呟く。あれが、か?
2人の男まで、まだ50メドほどある。ただ、どちらがエストラーダかは大体分かった。
法服に身を包んでいるのがアヴァロンだろう。とすると、もう片方……ボロボロの服で、背中から枝か何かを生やしているのが、エストラーダか。
俺は彼には会ったことがない。ただ、保守派ではあるものの比較的マトモな男とは聞いている。今の、まるで怪物じみた人物とは、全く重なりあわない。
ビシュウッッッ!!!
遥か向こうから、枝が投げ槍のように飛んできた!?それはプルミエールに向かっていく。……まずいっ!!
ザンッ
「え」
「言ったはずだ、早くしろっっ!!ここは俺が何とかするっっ!!」
追撃のように向かってくる「枝の触手」を、俺は短剣で叩ききる。
「……分かった」
一瞬躊躇した後、プルミエールが頷く。去り際、「死ぬんじゃないよ」とデボラが言い残した。
もちろん、死ぬつもりはない。俺が逃げるだけなら、多分「加速」を使えば容易いことだ。
ただ、ここで足止めしないと、身体能力は普通の女に過ぎないプルミエールは危うい。まして、あのメディアという女が戦えるとも思えない。俺が時間を稼ぐだけ稼がないと……!
遥か向こう、アヴァロンが不機嫌そうに顔を歪めたように見えた。エストラーダは無差別に「枝の触手」を伸ばし、逃げ惑う人々を絡め取っている。
そして、絡め取られた人々は……
「がああああっっっっ………」
10メドほど先で、枝に捕まった男がみるみるうちに萎んでいく。よく見ると、あちらこちらに皮と骨だけになった死体が散乱していた。
「チッ」
捕まったら死ぬ、ということか。それにしても、これは……惨い。惨すぎる。
俺の腹の中から、灼熱の何かが込み上げてきた。
「アヴァロォォォンッッ!!!!」
叫びと同時に触手が5本飛んできた。俺は「2倍速」を発動し、それを交わす。服が、僅かに破けた。……2倍じゃ足りないか!?
「加速(アクセラレーション)5!!!」
俺は5倍速に切り替えた。前は精々数秒しか持続できなかったが……今なら、30秒は持続できる!!
10本以上の触手が、一気に俺に襲い掛かる。1本の動きは「遅い」。しかし、数があまりに多い。
剣を振るい枝を叩き斬りながら、俺はジグザグに動いて一気に距離を詰める。
残り40メド……30……20……10…………!!!
アヴァロンの顔が、ハッキリ見えた。その顔は驚きで見開かれている。……獲れる!!
598 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/30(月) 22:03:31.38 ID:KnL3hUx3O
刹那、俺の視界が塞がれた。エストラーダが背中から生えていた枝を束ね、丸太のようにして俺に打ち付けてきたと知ったのは、その寸前だった。
「ぐおっっ!!!」
俺は大きくしゃがんだ。頭の上を、巨大な何かが通りすぎる。
そして、俺は短剣を構えて距離を取った。「加速」は一度解除している。
「驚きましたね。今のを避けるとは」
遥か向こうで、ガラガラガラと建物が壊れるのが見えた。さっきのヤツが当たったのか。
「アヴァロン……なぜこんなことをしているッッ!!!」
「貴方も含め、神の教えに反する者の『救済』ですよ……それより、オーバーバックさんはどうしました」
アヴァロンの額には皴が寄っている。怒りを必死で押し殺しているかのようだ。
エストラーダが再び触手を動かそうとしているのを、奴が手で制した。
「生憎だったな。奴は寝返った」
「……!!?馬鹿なっ!!!」
「信じるか信じまいが、お前の勝手だ。少なくとも、ここからは手を引いた。あとは、お前らだけだ」
アヴァロンの顔が紅潮した。
「……だからあの男を引き入れるのに、私は反対したのです……とにかく、貴方にはここで『消えて』頂きます」
アヴァロンの手が振り下ろされた。それを合図に、エストラーダが触手とともに俺に襲い掛かる!!
ビュンッッ!!!ビヒヒュンッッ!!!!
高速の鞭打が、風切り音を上げる。「5倍速」を発動しつつ、俺はそれを何とか交わす。
速度はさほどでもない。しかし、やはり問題は手数だ。そして、5倍速を解いた瞬間に……恐らく、俺は捉えられる。
アヴァロンが杖……恐らく「グロンド」を構えたのが視界のの隅に見えた。魔法の効果範囲は分からないが、あれに巻き込まれたら終わりだっ!!!
逃げる余力を考えると……「音速剣」を使えるのは、実質1回。今撃つべきか?それとも……
ビシイッッ
「グアッッ!!?」
触手のうちの1本が、かすかに俺の手首に当たった。短剣が、カランと地面に転がる。
ニヤリ、とアヴァロンが笑ったように見えた。……舐めるなっっ!!!
599 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/30(月) 22:04:02.71 ID:KnL3hUx3O
「加速(アクセラレーション)7、『乱』!!!!」
音速手前まで抑えた速度で、俺は間合いを詰めた。アヴァロンを庇うようにエストラーダが立ち塞がり、「枝の触手」を束ねた盾を作る。しかし、この程度!!!
ドグォォォ!!!
拳に鈍い手応え。それと同時に、「盾」は木っ端微塵に吹き飛んだ。
アヴァロンまでは、もう残り3メドもない。この「速度」で奴が対応できるはずもない!!!
600 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/30(月) 22:04:46.38 ID:KnL3hUx3O
カッッ
黄色い光が、一瞬放たれる。
その直後……奴とエストラーダの姿が、消えた!?
「……驚きましたよ」
視界の向こう、20メドほど先に、奴らはいた。転移魔法?こんな一瞬で??
……いや、違う。魔法じゃない。奴は、「グロンド」の力を自分に向けた。それで、緊急回避したわけか!?
アヴァロンは、実に忌々し気な目で俺を見た。
「ただ単に『速く動ける』魔法じゃないですね?もしそうなら、エストラーダの攻撃をほとんど見切っているのはおかしい」
「……詐欺師や奇術師が種を明かすと思うか」
「ごもっとも」
「エストラーダに何をした」
エストラーダは、人形のようにアヴァロンの前に立っている。理性がないのは明白だ。
「先ほどの台詞、そっくりお返ししますよ」
テルモン兵が集まってきた。……攻めるべきか、退くべきか。
左足に体重を乗せる。……「閃」は使えない。
多分2人を殺せるだろうが、周辺への被害は大きい。何より、逃げるだけの体力もなくなる。
「音速剣」の射程でもない。とすれば、もう一度「5倍速」で近づくしかない、か。
行くことを決断した時、アヴァロンが腕時計を一瞥した。そして、「グロンド」が再び光る。
「……まだ、『調整』が不十分なようですね。それに、オーバーバックさんの裏切りで予定が狂いました。もう、退く時間です。
……必ず、貴方を殺し、彼女を取り戻します。予定は、全て忠実に遂行されねばならない」
調整?そう思う間もなく、2人は光の中へ消えた。
601 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/30(月) 22:05:13.66 ID:KnL3hUx3O
「何をしているっっ!!」
テルモン兵が俺に詰め寄ってくる。俺は「5倍速」を使い、その場から一気に離れた。
「え!?」
「消えた!!?」
風景が風のように流れる。プルミエールたちは、多分カルロスの家へと向かったはずだ。
俺の中には、アヴァロンたちを取り逃がした屈辱より、アヴァロンが退いたことへの疑問が渦巻いていた。
確かに、あのままやっていたらどちらが勝っていたかは分からない。
いや、俺の余力からすれば、長期戦に持ち込めば恐らく奴らが勝っていたはずだ。だから、俺は短期決戦を挑もうとした。
なのに、アヴァロンは退いた。……エストラーダは、完全な状態ではない?
まだ疑問はある。アヴァロンが、無軌道な殺戮に動いた意味だ。
原理主義派の中でも、過激派は世俗主義派を邪教徒だとみなしているのは知っている。そして、原理主義派にとってロックモールという街はそれ自体が禁忌の塊だ。
だからと言って、罪なき人々を殺す意味は何だ?あるいは、そこまでアヴァロンは狂っているのか?
とりあえず、幾許かの時間はできた。あのメディアという女が、その答えを持っているとすれば……一度、ちゃんと問いたださねばならない。
602 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/30(月) 22:05:49.60 ID:KnL3hUx3O
技紹介
「乱」
エリックの魔法「加速(アクセラレーション)」の7倍速。音速手前まで速度を落とすことで、周辺に被害を与える衝撃波の発生なしに行動することができる。
ただ、非常に繊細な調整が必要なため、修行前では使いこなせていなかった。
音速手前まで加速されることで、打撃の威力も相当程度高まっている。これを「乱打」することで、相手を圧殺するのが本来の骨子である。
なお、本編では一瞬のうちに10発ほどを「盾」に打ち込んでいる。現状での持続時間は10秒程度。
603 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/30(月) 22:06:39.85 ID:KnL3hUx3O
第25-4話
604 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/30(月) 22:07:07.24 ID:KnL3hUx3O
「メディアっ!!!」
カルロスの別荘に着くや否や、彼はメディアの方に駆け寄った。そして、感極まったように彼女を胸に抱く。
「……良かった……本当に……!!」
「……ごめんなさい。私、言っていないことが……言えなかったことが、たくさんある」
「いいんだ……君が戻ってきただけでも、俺は……」
カルロスが涙をゴシゴシと拭いて、あたしを見た。
「……心底恩に着る。あんたは親父の仇だけど……もう、いい」
「……問題は、これからだと思うけどねえ」
逃げ去り際にちらっと見えた、あの惨劇。エストラーダ侯に、一体何があったのだろう?
あんなことになった以上……もう、ただじゃ済まない。既にベーレン侯の元には、軍の派遣を要請する早馬が飛んでいるはずだ。
そして、それにこのメディアという女は、恐らく深く関わっている。これで「めでたしめでたし」となることは、まず考えられない。
「まず、エリックを待つにゃ。あいつなら、少なくとも逃げ切れると思うけど……」
シェイドの言う通りだ。あいつの「加速」は恐ろしく汎用性が高い。どういう原理かは分からないけど、認識速度まで加速されているようだった。だから、防御に徹すればそう簡単にはやられない。
1年前にカルロスの父親を討った時、「回転銃」の銃弾の雨を容易く潜り抜けていったのを思い出す。
「あ」
プルミエールが街の中心部の方を見た。エリックが、息を切らしながらこちらに走ってくる。
「エリック!!」
着くや否や、エリックは力尽きたように崩れ落ちた。それをプルミエールが抱きかかえる。
「……大丈夫、だ。魔力を、使いすぎた、だけだ」
「アヴァロン大司教と、エストラーダ侯は」
「……逃げた。まず、少し、休ませてくれ……色々、話したい、ことがある」
メディアが視線を落とした。感情が薄い子だと思っていたが、その行動からは幾許かの後悔のようなものが見えた。
……さて、鬼が出るか蛇が出るか。
605 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/30(月) 22:07:51.35 ID:KnL3hUx3O
#
「さあて、色々聞きたいことはあるんだけど……まずはあんたが本当は何者か、だねえ」
メディアの表情は乏しいけど、僅かに沈んでいるようにも見える。
カルロスが、彼女の右手に自分の手を重ねた。
「……メディア、俺は大丈夫だから」
微かに彼女が頷く。
「まず確認にゃ。君は、『女神の樹の巫女』。それで合っているにゃ?」
「……それが本当は何者なのか、あなたは知っているの」
「……あ、言われてみればにゃ。古い歴史書の、断片的な記述でしかボクも知らないにゃ……」
「でしょうね。都合の悪い箇所はユングヴィ教団が徹底して消したから」
「……解せんな。なぜユングヴィの連中が絡んでくる?」
体力回復の薬湯を飲みながら、エリックが訝し気にメディアを見る。
「ユングヴィが絡む理由は多分分かるにゃ、ボクを呼んだユリウスって男から聞いたにゃ。
150年前に、『女神の樹の巫女』の子供がユングヴィ教団の幹部まで登り詰めたって話はしたにゃ?その子供が、大量殺戮を行ったらしいのにゃ。
ただ、何がどうなってそんなことになったかは知らないにゃ。君は何か知ってるにゃ?」
「……ええ。それには、私の正体を言わなければいけない」
「正体?」
チラリ、とメディアがカルロスの方を見た。
「俺は大丈夫、覚悟はできてる」
「……ありがとう。まず、私は人間じゃない。あの、『女神の樹』の一部」
「……『一部』?」
「ええ。私……『女神の樹』は、繁殖する相手を持たないわ。同族に雄体はいないし、受粉もできない。
ただただ長い間、孤独に生きるより他ない生命。ただ、それでも本能が、子を残そうとすることはある。
そういう時に私が生まれるの。『雌蕊』として」
「『めしべ』?何だそれは」
ポンとシェイドが手を叩いた。
「学術書にあったにゃ。植物は、雌蕊に花粉を受粉することで繁殖するにゃ。……ああ、つまり」
「ええ。私は、ヒトの精を受けるための器。そして、子を為したら消える運命」
606 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/30(月) 22:09:18.48 ID:KnL3hUx3O
「……!!そんなっっ!!?」
ガタン、とカルロスが立ち上がった。
「……ああ、そういうことかい。あんたがこいつに抱かれなかった理由は」
こいつはこいつなりに、カルロスを愛しているのだろう。だからこそ、永遠の別れに繋がる行為を避けていたわけか。
「……それもある。でも、あと2つ理由がある」
「2つ?」
「ええ。まず、私の体液は強力な薬になる。原液を直接飲めば、人外の力を得られるほどに。
そして、続けて飲み続ければ……人の姿を失い、『雌蕊』を守るための騎士となるわ」
「……まさかっ!!?」
プルミエールが顔面蒼白になった。メディアが顔を伏せる。
「……ええ。あなたたちが見た、あの男性。彼は、私の血を飲んでしまったのだと思う」
「血?」
「あのアヴァロンという司教に囚われ、私はまず指を切られたわ。そして、血を採取された。
150年前にあったことは、ユングヴィの中では語り継がれていたみたい。前の『私』の伴侶が、私の死後に怪物と化したことを含め」
ドンッ
激しい音がした。エリックが、薬湯の入った陶器を机に叩きつけたのだ。
「外道がっ……!!アヴァロンは、初めからそのつもりでエストラーダを生かしておいたわけか!!
奴は血を得るために、お前を捕らえた。違うか」
607 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/30(月) 22:10:09.76 ID:KnL3hUx3O
そういうことか。……確かに、反吐が出る。
アヴァロン大司教の人となりは、薄っすらではあるけど聞いていた。
教義に忠実で温厚篤実、弱者に手を差し伸べる聖人。
……ただし、敬虔な信徒相手に限る。
モリブスの世俗派を、奴は獣より下の存在としか見ていない。
そんな奴が、モリブスの世俗派の長であるネリドと一緒にエストラーダ邸を訪れていたという時点で何かを察するべきだった……!
メディアが、軽く首を振る。
「それはあると思う。でも、それだけじゃない」
「もう一つの理由……子供が、大量殺戮を行ったという話にゃ?」
シェイドに、小さく彼女が頷いた。
「150年前、何が起きたかという記憶は『本体』を通して知っているわ。そして、『本体』は当時の『娘』と精神的に繋がっていた。
何が起きたかは、詳しくは分からない。でも、『女神の樹』はヒトから樹の姿に変わる時に、多量の生命を必要とするわ。多分、その時に……」
「生命としての本能、というわけにゃ。……そして、アヴァロンはその可能性を摘もうとしたわけにゃ」
「ええ。あの人は、邪悪ではない。少なくとも、本人は正しいことをしているとしか思っていない。
そして、世界のことだけ考えるなら、それは正しい。私は……子を為してはならぬ運命(さだめ)」
「ふざけるなっ!!!」
カルロスが立ち上がった。
608 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/30(月) 22:10:49.85 ID:KnL3hUx3O
「君はどう考えているんだ!!世界のことなんて、そして今後のことなんてどうでもいいっ!!
君の、本当の気持ちを知りたいんだよ!!」
メディアが言葉に窮した。会ってから僅かの時間しか経ってないけど、この娘は無感情じゃない。少しだけど、感情はちゃんとある。
長い沈黙の後、彼女の目から涙が一筋流れた。
「……分からない。これが『本体』の本能なのか、それとも私の感情なのか。
でも……許されるなら……私は、カルロスともっと一緒にいたい。でも、そんなこと……できるはずもない」
「メディアっ……!!」
カルロスが、彼女を胸に抱いた。
……若さだねえ。ただ、感情だけではどうしようもないことは、ある。
「じゃああんたはどうすればいいと思うんだい?清い関係を一生続けたまま、遠くに逃げるのかい?」
「……いや、アヴァロン大司教は討つ。……話はそれからだ。とにかく俺にも、何か手伝えないか??」
「……あんたは、その子の側にいてやんな。それがその子のためにもなるはずさ」
カルロスは、前線には出せない。アヴァロンたちをここで迎え撃つことになるだろうけど、迂闊に彼を晒せばまず狙われるだろう。
それに、彼女の精神を安定させる要因にもなる。多分、これが最適だろうね。
ところが……シェイドが納得していないように首を捻った。
「……どうしたんだい?」
「いや、あまり良くない予感がするにゃ。根拠はないにゃ、ただ……」
「ただ、何だい?」
「誰かもう一人、2人についているべきだと思うにゃ。万一の時の備えにゃ」
「まあ、そうだねえ……」
そうなると、アヴァロンとエストラーダ相手に3対2か。ただ、あの怪物と化したエストラーダ相手にこれは少し難しいかもしれない。
それに、テルモン軍とユングヴィ教徒もいる。味方ごと殺したアヴァロンに、どれだけ付いてくるかは別としてもだ。
あたしは悩んだ挙げ句、結論を下した。
「いや、2人の所まで辿り着けないようにすればいいさ。テルモン軍への工作は、あたしがやっとく」
「どうするにゃ」
「カサンドラを通してみるさ。第4皇子が彼女の客として来たからね、そこから頼み込んでみるよ。
さすがにアヴァロンの今回の所業は、テルモンとしても看過できないはずさ」
「……分かったにゃ。ボクも同行していいかにゃ?」
「構わないよ」
609 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/30(月) 22:11:16.74 ID:KnL3hUx3O
#
この時下した選択を、あたしは後悔することになる。
610 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/30(月) 22:11:44.18 ID:KnL3hUx3O
キャラクター紹介
メディア(?)
女性。長い緑髪と白い肌で、どこか超然とした印象を与える。
基本的には無表情に近いが、感情がないわけではない。人間性は僅かながらにある。
その正体は「女神の樹」の「雌蕊」。樹本体から分離し、人間に擬態することで男性の精を受ける。こうすることで、次世代の樹を生み出す。
子供は女性しか生まれない。成人と共に樹に形を変え、周辺の生命エネルギーを吸い取ることで成長する。
そして、その際には甚大な被害が発生する。これが150年前にイーリスで起きた事件の真相である。
この際に、当時の大司教が「グロンド」を使って僻地に樹を飛ばしたことで一応の決着を見ている。
女神の樹の自意識としては、自己の生殖本能が人類にとって害であることを認識しており、それはメディアにも受け継がれている。
そもそも女神の樹自体が現在進行形で僅かながらもロックモール住民の生命を吸うことで存在しているため、人に危害を加えかねない繁殖の帰結は望ましいものではないという意識があるようだ。
メディアが自分の死に対して諦観していたのは、これが理由である。
とはいえ、人間的感情がないわけではないでもなく、カルロスに対する恋慕の感情もまた本物である。
この結末がどのようになるのかは、現状では全くの不明である。
なお、彼女の存在をアヴァロンがどうして知ったのかは別途明かされることだろう。
ちなみに、メディア自身の実年齢は1歳である。その1年で彼女が誰の元にいたのかは、まだ明かされていない。
611 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/11/30(月) 22:13:22.60 ID:KnL3hUx3O
今日はここまで。
次回ですが、少し思案中です。以下のどれかから多数決で選ぼうと思います。
なお、大筋に影響はありません。
1 このまま26話へ(戦闘メイン)
2 エリックとプルミエール
3 アヴァロンの現状
3票先取とします。
612 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/11/30(月) 22:28:11.36 ID:iPz53eh10
2
613 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/11/30(月) 22:53:03.48 ID:TITpAFaDO
2
614 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/12/01(火) 00:11:21.13 ID:uDSzzSe+0
2
615 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/01(火) 09:31:17.04 ID:iyEjcrKOO
2とします。
展開上一度アヴァロン側は書かなければならないことが判明したので、そっちはさらっとやります。
616 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/04(金) 21:54:39.25 ID:bvl3ZNmeO
第25-5話
617 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/04(金) 21:55:33.73 ID:bvl3ZNmeO
海が良く見える岩場に、彼は腰掛けていた。ザザァ……と波の音だけが聞こえる。
「エリック、そろそろ時間」
「……もう、か」
潮風が、彼の赤みがかった髪を揺らした。月光に照らされた彼の顔は、普段よりずっと精悍に見える。
「何か変わったことは?」
「いや、何も」
アヴァロン大司教の夜襲に備え、私たちは交替で見張りをしていた。彼が最初で、私が2番目だ。
夜目が利くシェイド君がその次で、最後がデボラさんという順番になっている。
「くれぐれも、無理はするな。多少は場数を踏んだとはいえ、お前1人で戦いは……」
「分かってる。怪しい気配があったら、すぐに家に戻って対応、でしょ?」
「ああ。向こうの人数にも依るが、基本は逃げだ。テルモンの支援を受けられるのは、明日からだからな」
デボラさんとシェイド君が、夕方にテルモン軍と話を付けてくれたのは大きかった。
テルモン軍にも犠牲者がおり、大司教への不信が出始めているという。「少なくとも大司教の確保までは協力しよう」ということらしい。
それでも、ユングヴィの神官兵はまだいる。彼らがどれだけいるのかは知らないけど、一気に来られたら厳しい状況には変わりないのだ。
「そうね。じゃあ、あとは私に任せて。まだ疲れ、抜けてないんでしょ?」
「いや……少し俺も残る」
「え」
「嫌か?」
私はブンブンと首を振った。嫌なはずがない。ただ、予想だにしなかっただけだ。
ポンポン、と彼が岩場を叩いた。ここに座れ、ということみたい。
「……いいの?」
「そこにずっと突っ立ってるつもりか?」
私はおずおずと座った。何か、心臓の音がうるさい。
エリックは何も話さず、私の方も見ずに月をじっと見ている。警戒はまだ解いてないみたいだけど、何か話してくれればいいのに。
私はというと、会話のきっかけを掴めずにいた。エリックは、何のために残ったんだろう?
618 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/04(金) 21:56:04.10 ID:bvl3ZNmeO
沈黙を破ったのは、彼の方だった。
「……どうするんだろうな」
「えっ」
「カルロスとメディアのことだ。全部終わって、奴らが生き延びれたとして……そこに未来はあるのか?」
「未来って……一緒に生きられるんだから、あるに決まって」
「いや、違う。カルロスは男で、メディアは女だ。人外だとしても。
そして、互いに想い合っている。そういう男女が、全く触れ合わずに生きることなどできるのか?」
できる、と言いかけて私は口をつぐんだ。前の私なら、躊躇わずそう言っていただろう。でも、今の私は……違う。
隣の少年に、もっと触りたい。触ってほしいと思っている。許されるなら、その先まで。
彼は意識しているか分からないけど、口付けだって交わしている。あの感触は、まだ忘れてはいない。
だから……カルロス君とメディアさんが繋がれた枷が、あまりに重いことを私は理解してしまった。
そう、愛し合っている2人は、1つになりたいと思うはずだ。それが決して許されないとしたら?
エリックが溜め息をついた。
「……分かったみたいだな」
「そんな……!!じゃあ、どうすればいいのよ……」
「それに答えが出ているなら、ここに残りはしないさ」
彼は足元の小石を拾い上げ、海へと放り投げた。
「俺は男だ。だから、カルロスが自分の欲求に耐えられるとは、そんなに思っていない。
まして20になるかどうかのガキだ。普通に考えたら、好き合ってる女がいたらヤりたくて仕方ないに決まってる」
「じゃあ見捨てろって言うの??」
「……いや、それはできないし、したくもない。だから上手い解決法がないか、あの話を聞いてからずっと考えていた」
「だから、私に?」
彼が頷いた。
「もしお前がメディアなら、どうする?」
「私がメディアさんなら?」
「ああ。俺は女じゃないからな。それはお前の方がきっと良く分かる」
私が彼女なら……どうするだろう?
619 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/04(金) 21:56:52.61 ID:bvl3ZNmeO
決して結ばれることはできない。それはカルロス君の破滅だけでなく、多くの犠牲を招きかねないからだ。
なら、彼に抱かれるのを拒みつつ、一緒に生きられるだけで良しとするの?それはそれで、生き地獄を彼に味わせることになる。
とすれば……私なら、きっと身を引く。トンプソン先生のように、精神感応魔法に長けているわけじゃないけど……できれば、彼の記憶を消した上で。
傷付くのは、自分だけでいい。彼には、自分のことは忘れてもらって幸せに生きてほしい。……そう考えるんじゃないか。
でも、じゃあメディアさんはどうするのだろう?自ら命を絶つのだろうか。自分の生死には頓着がなさそうな人だ、そうするかもしれない。
もし、記憶を消す手段があるとしたら……
私は首を強く振った。そんな結末は、あっちゃいけない。
620 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/04(金) 21:57:25.79 ID:bvl3ZNmeO
「どうした?」
「ううん……ちょっと。嫌なことを考えちゃって」
「……そうか」
エリックが、もう一度足元の小石を投げた。さっきより強く。
「2人は、どこまで分かってるんだろう」
「さあな。カルロスは多分、そこまで考えていないだろう。ただ、メディアは違うはずだ。
だから、意図してあいつを遠ざけていた。そんな気がする」
「……!でも、さっきは……」
「ああ。あの娘もカルロスに惚れている。会えば耐えられなくなると、知ってたんだろう。
あるいは、無感情に見えるのも演技かもしれない。自分を騙すための」
「……本当に、何もできないの?例えば、彼女を人間にするとか……」
荒唐無稽な思い付きだった。それができれば、どんなに幸せだろう。
でも、そんな奇跡は起きないのを、私は知っている。エリックも、不快そうに顔を歪めた。
「……できるわけがないだろう。そんな、お伽噺じみたことが……」
その時、エリックの表情が固まった。
621 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/04(金) 21:58:20.31 ID:bvl3ZNmeO
「どうしたの?……まさか、アヴァロンが来たとか」
「いや……違う。お伽噺じゃない。不可能じゃないぞ、それは」
「え?」
「魔物が人間になった例を、俺たちは知ってる」
「えっ、誰なの?」
エリックがニヤリと笑った。
「察しが悪いな。シェイドだ」
622 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/04(金) 21:58:49.52 ID:bvl3ZNmeO
「ああっっ!!!」
私は思わず叫んだ。そうだ、シェイド君はもともと偽猫(デミキャット)だった。それがアリス教授によって亜人の姿になれるようになったんだった。とすれば……
「鍵はアリス教授が握っているわけ?」
「そうなるな。まあ、それも全部アヴァロンたちを何とかした上でのことだが」
エリックが立ち上がり、うーんと伸びをした。
「2人には、このことを話すの?」
「いや、全部終わってからだ。第一今日はもう遅い。……やはり、残って良かった」
「え?」
「お前のおかげだ。俺だけじゃ、こんな考えにはたどり着けなかったからな。……見張り、よろしく頼む」
エリックは微笑むと、ポンと私の肩を叩いて家の方に消えていった。
#
そして……夜が明けた。長い1日が、始まろうとしていた。
623 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/04(金) 21:59:41.56 ID:bvl3ZNmeO
用語紹介
偽猫(デミキャット)
猫に良く似た魔獣。人里周辺に住んでおり、農作物を荒らす害獣として知られる。猫との違いは尻尾が2本ある点にある。
7〜8歳児並みの知能を持ち、とても悪戯好き。簡単な言葉を話す個体もいる。
好事家の中には偽猫をペットとして飼う者もいる。ただ、とにかく悪戯好きのため、飼い慣らすのは苦労するようだ。
戦闘能力も魔獣としては高めのため、冒険者でも中級以上ないと戦闘は回避すべしというのが定評である。
シェイドはもともと偽猫としてはかなり知能が高く、それが魔術生命体にする一助になったようだ。
なお、シェイドは悪戯好きではないが、その欲求が大体(巨乳の)女性に向いているもよう。
624 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/04(金) 22:00:08.49 ID:bvl3ZNmeO
第26-1話
625 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/04(金) 22:00:54.94 ID:bvl3ZNmeO
目が覚めて時計を見る。5と半刻。枕は変わっても、寸分違わないことに私は満足した。
ここには信徒はいない。いるのは私と、「魔法環」で拘束されているエストラーダだけだ。
残る血はわずか。完成前に彼を解き放ったのは、私らしからぬ失敗だった。
闖入者の存在に気付いた時、私は行動の予定を早めてしまった。メディアと、「女神の雫」を奪われるのを避けるためだ。
しかし……相手の力量は、私の想定を上回っていた。……何たる失態。
しかも、こういう時のために「契約」を結んでいたはずのオーバーバックが寝返ったのは、完全に考えもしていなかった。
626 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/04(金) 22:01:21.83 ID:bvl3ZNmeO
……許されない。
許されない許されない。
許されない許されない許されない許されない。
627 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/04(金) 22:02:03.06 ID:bvl3ZNmeO
全ては、予定通り、予想通りに行われねばならない。こんなことはあってはならぬ。断じて。そう、断じて。
掌に熱い痛みを感じた。血が一筋、流れている。拳を握りすぎたらしい。
……いけない、怒りを、外に出してはならない。神は、それをお許しにはならない。
そもそも、最初に予定を破ったのは、私だ。その後の一連の「予想外」は、全て戒律を破った私への天罰なのだ。
大きく呼吸をする。大丈夫、全て問題ない。心の在り方も、平時に戻った。
メディアと「女神の雫」は、すぐにでも取り戻せる。オーバーバックにしても、そもそも信頼などしていなかった。
まずは盗人たちを討ち、その上で彼女を殺す。ロックモールの邪教徒どもは、その上で浄化してやればいい。予定は狂ったが、台無しになったわけではない。
私は最後の血の瓶を手に取り、自我を失ったエストラーダに与えた。もう、口で飲ませなくてもよい。ただかけるだけで、植物のように吸収するのだ。
「……………カァァァァ…………!!!」
叫びと共に彼の身体が桃色に輝いた。……よし。これで昨日のようなことはあるまい。
エリック・ベナビデスが退いてくれたのは幸甚だった。
あの時、もうエストラーダは動けなくなっていた。私が戦えば問題なかっただろうが、私が自ら手を下すのは教義に反する。
時計は6の刻に近付いていた。ここには、食事番の信徒はいない。だが、何も問題ない。
私は部屋の片隅にある銀色の大きな箱……「冷蔵庫」を開けた。そこには、蒸し芋の裏ごしとケルの葉のサラダ、そして「トフ」が入っている。
事前に命じておけば、これは必ず望み通りの物を時間通りに作ってくれる。冷えているのは、この際やむを得ない。予定通りの時間に、予定通りのものが食べられることが何より大事だ。
食事の後は説法。聞く者が邪教徒のエストラーダだけであっても、時間通りにこなさねばならぬ。ロックモールの「浄化」と、盗人たる魔王の討伐は……それからだ。
628 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/04(金) 22:02:36.44 ID:bvl3ZNmeO
ジリリリリ!!!
「モニター」の近くから音が鳴る。……耳障りな音だ。
しかし、これが……「電話」が鳴ることはほとんどない。誰だ?
私は受話器を手に取った。
「……もしもし」
『やはりいたかよ』
「……!!デイヴィッド・スティーブンソン!!?」
629 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/04(金) 22:03:12.71 ID:bvl3ZNmeO
あまりに予想外の声に、私は絶句した。なぜ彼が?
そして……なぜ私がここにいることを知っている?
……気に食わない。心底気に食わない。現状は、あまりに想定を外れている。
そんな私を嘲笑うように、スティーブンソンは「ククッ」と嗤った。
『さぞ腰を抜かしてるだろうなあ、偽善者の司教さんよ。まあ隠す理由もねえから種明かししてやる。『シェリル』の『パランティア』だよ』
「何ですって」
『あんたの戻りが遅いから念のため『見たら』この有り様だ、そうだ。で、俺にお鉢が回ってきたってわけだな』
「……彼女自身が来ればいいでしょう」
『ところがそうも行かねえ。トリスで『本体』がヤバくなりかけてな、『主端末』ごと逃走中だ。まあ、亡命先はうちの国だろうよ。
そんなわけで、俺がそっちに向かうことになったってわけだ』
「貴方自身の任務は?アリス・ローエングリンを追っているんでしょう」
『ああ、『それも兼ねて』だ。モリブスのジャック・オルランドゥのとこを急襲したが、藻抜けの殻でな。どこかに消えやがった。
とすれば、魔王御一行がいるここが目的地と踏んだ。援軍が来て嬉しいか?』
「手出しは無用です。予定にない」
カカカカカと、耳障りな笑いが受話器から響いた。目の前にいたら、躊躇わず「グロンド」を握っていただろう。
『と言うだろうと思ったぜ。まあそっちはそっちでやりな。俺は勝手にやらせてもらう、魔王狩り含めてな』
「……それが言いたかっただけですか」
『いや……ハーベスタ・オーバーバックの件だ。なぜ裏切られた?』
スティーブンソンの声が低くなった。
630 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/04(金) 22:03:47.93 ID:bvl3ZNmeO
「私の知ったことじゃない」
『にしてもだ。俺たちは15年も、『契約』であいつを縛り付けてきた。逆に言えば、15年は従順だった。それが何故急に心変わりする?』
「……待たせ過ぎた?」
『それなら不平不満は言ってたはずだ。それに、極力そうならないように、あいつにはでき得る限りの自由を与えていた。
さらに言えば、あいつには多分、普通の時間の概念がない。1年も15年も似たようなものだ。……何かやらかしたな?』
いや、そんなはずはない。むしろ、相当気を遣っていた。だから、魔王は余程の「好条件」を出したはずだ。
強敵と戦う機会?魔王たちと戦うという話なら、こちらもいつだって命じられる。それは決定打じゃない。
……
…………まさか。
「プルミエール・レミュー……」
631 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/04(金) 22:04:19.95 ID:bvl3ZNmeO
『…………!!!それか!!!』
「ええ。彼女の『追憶』が、人に対しても使えるなら……人の記憶を思い出させるものならば……寝返りは、あり得る」
そうだ。彼女の魔法は、土地の記憶を呼び起こすものとばかり思っていた。クリス・トンプソンの情報からも、そう判断していた。
しかし、もし人の失われた記憶も取り戻せるなら。「自分が何者かを調べる」ということを契約の対価とする私たちより、遥かに彼女は優位に立つ。
そして、オーバーバックの正体は……
ゾクンッ
凍り付くような悪寒。もし、彼が自分が何者かを思い出せば……世界は破滅へと近付くと、私は確信した。
「サンタヴィラの惨劇」と同じか、あるいはそれ以上に……この真実は「知られてはならない」。
632 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/04(金) 22:04:47.05 ID:bvl3ZNmeO
『……まずいな』
「ええ。本当に始末すべきは、彼女だった」
『了解だ。俺も極力急ぐ』
電話がブツリと切れた。時計はもう6の刻。朝食を取るべき時間を過ぎている。
「……忌々しい……!!!!」
私は椅子を蹴り上げた。あらゆることが、予定通りになっていない。心底忌々しい……!!
彼らがどこにいるか、凡その見当は付いている。襲撃予定は朝の9の刻。
予定された、平穏で無駄のない日々を取り戻すのだ。
633 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/04(金) 22:05:13.55 ID:bvl3ZNmeO
用語解説
「冷蔵庫」
秘宝の一つ。我々が知る冷蔵庫とかなり近いが、動力源は謎。温度調整は任意でできる。
また、事前に命令した食事を自動で作り、冷蔵庫で保存する機能もある。食材がどこから来ているのかは謎だが、かなり幅広い注文に対応できるらしい。これがロックモールにある理由は現状では不明。
なお、アヴァロンがいる場所は以前六連星のリモート会議が行われた場所でもある。
これがある部屋は、ロックモール市街からやや離れた場所にあるようだ。
634 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/04(金) 22:06:23.44 ID:bvl3ZNmeO
今日はここまで。次回以降は戦闘シーン多めです。
なお、この「冷蔵庫」は過去作に近いものが出ています。
635 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/12/04(金) 22:30:43.23 ID:/QifgMJn0
乙
636 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/08(火) 21:56:45.08 ID:NFy1JhCKO
第26-2話
637 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/08(火) 21:58:37.50 ID:NFy1JhCKO
「思っていたよりは寄越したものだねえ」
目の前には重装備のテルモン兵が7人。小隊長と思われる男が、兜を片手にあたしとシェイドの所に来た。
年齢は40ぐらいか。無精髭で武骨な印象を与える。場数はそれなりに潜っているようだ。
「カルツ・ヴェルナーだ。シュヴァルツ第4皇子の命でこちらに参上した」
「ああ、よろしく頼むよ。にしても、思ったよりちゃんとした援軍で驚いたね」
「皇子の命だからな。モリブスとはあまりいい関係ではないが、テルモンがモリブスを攻撃したという風説が流布されれば国益に関わる。
何より、昨日の殺戮。こちらも6人が死んだ。ユングヴィには適切な回答を求めたいものだが」
「なるほどにゃ、ロックモール制圧はユングヴィの意向が強いということにゃ?」
「と聞いている。彼らからの要請を受け、皇帝陛下が我々を送ることを決断された。
まあ、陛下の御心は分からないが、シュヴァルツ皇子はそもそも乗り気ではないよ」
「だろうねえ」
もしテルモンが本気でロックモールを制圧しようというなら、皇子は娼館に通わないだろう。
利権拡大を狙ったテルモンが、アヴァロンの誘いに乗ったというのが妥当な読みか。
問題はアヴァロンだ。あいつはメディアを奪うためなら手段を選ばない。
さらに、エリックが言っていた「救済」の言葉も気になる。ユングヴィ教に背くとして、この街そのものを破壊しつくそうとしている可能性すらある。
シュヴァルツ皇子の説得には、この仮説が効いた面もあった。あたしたちにとっても、そしてテルモンにとっても、アヴァロンは敵なのだ。だから、この男たちを寄越したのだろう。
「街中の警備はどうなってるにゃ」
「万全だ。しばらく戒厳令を敷くということにはなってい……」
あたしの視線の向こう。防風林に隠れる形で、何人かの人影が見えた。
そしてそこから放たれたのは……緑色の「枝の槍」。
「伏せなッッ!!!!」
ザクッッ!!!!
「グハッ!!?」
血飛沫が、あたしの頬にかかった。数十メド先から放たれた「槍」の何本かが、反応が遅れたテルモン兵の胸を貫いたのだ。
やられたのは、3人か。さすがに隊長のヴェルナーは避けている。
「なっ!?」
「家の中に逃げなっ!!あたしたちが対処するっ!!」
「しかし……」
「しかしもクソもないよ!!死にたいのかいっ!?」
ヴェルナーが家に向かって駆け出すのと同時に、防風林から、5人の人影が現われた。アヴァロンとエストラーダ侯、そしてあとの3人は教団の兵士か。
「愚かな……あの皇子は、神に逆らう選択をしたようですね」
「……どこの神様かねえ」
あたしは銃を構える。杖を構えたアヴァロンが、一瞬光ったように見えた。
「来るよ!!!」
あたしとシェイドも、家の方に走る。それから程なくして、何者かが近くに現れる気配があった。
シャアアアアッッ!!!
「枝の触手」が、あたしたちに襲い掛かる。来やがったね!!
638 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/08(火) 21:59:49.89 ID:NFy1JhCKO
「加速(アクセラレーション)5」
ザンッ!!!ザンザンザンッ!!!
千切られた「触手」が宙に舞う。あたしたちの後方に、エリックが飛んできたのだ。そして……
ゴウッッ!!!
「なっ!!?」
激しい振動。振り向くと、エリックとアヴァロンの間に、大きな陥没ができていた。
「次は外さない」
家の陰から、プルミエールが「魔導銃」を握って現れた。……役者が揃ったね。
「……無駄な足掻きを」
アヴァロンが、少し距離を取った。それを守るかのように、エストラーダ侯が無数の触手を背中から生やして立ちはだかる。
教団兵は家の方に向かっているけど、そこはヴェルナーらテルモン兵の生き残りに任せるしかない、か。
パウッ!!!
アヴァロンに向けて放った魔弾は、エストラーダ侯の「枝の盾」に防がれた。盾は激しく砕かれたけど、すぐに元通りに修復される。これは埒が明かないね。
ダッッ!!!
エリックが短剣でエストラーダ侯に斬りつける。「それ」は剣を触手で受けつつ、後方から別の触手が彼を掴もうとした。
「させないにゃ!!!」
シェイドがそれを蹴り飛ばす。アヴァロンが、さらに距離を取ろうとしたのが見えた。
「逃げる気かいっ!!!」
奴が杖を構えた。転移?いや、違う。これは……
「光の矢(セレスティアルアロー)」
上空に、強大な魔力を感じた。……こいつはまずいっ!!!
639 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/08(火) 22:00:36.89 ID:NFy1JhCKO
ゴウッ!!!
あたしの横を、魔力の塊が通り抜ける!!!アヴァロンはすんでのところでそれを交わした。上空の魔力は、霧散したようだ。
「よくやったよ!!」
プルミエールが「魔導銃」を放ったのだ。彼女が銃を構えながら、ゆっくりとこちらに近付いてくる。
「大丈夫ですか」
「ああ……あれはやばかった」
忌々しそうにアヴァロンがこちらを見る。エストラーダ侯とエリック、そしてシェイドは少し離れた所にその戦いの場を移していた。あの手数に接近戦で対応するには、2人に任せた方がいい。事前に取り決めた通りだ。
そして、アヴァロンに対峙するのは……あたしとプルミエールだ。迂闊に近付けば、「グロンド」の「転移」の餌食になるからだ。
それにしても、さっきの「光の矢」……溜めが必要な魔法だったようだけど、あれはエストラーダ侯を含めた、あたしら全員を消し去りかねないほどの威力だったかもしれない。
魔法使いとしての純粋な力量も、相当高いのはもはや疑いない。軽い震えを、背中に感じた。
「……皆殺しにするつもりかい」
「正当防衛なら、神もお許しになるでしょう」
「……どこが正当防衛だよ」
この男の身体能力そのものは、そこまで優れてはいないはずだ。だから、あたしとプルミエール2人で銃を撃ちまくれば、アヴァロンを殺すことはさほど難しくないだろう。
……でも、それを躊躇させる何かがある。いや、既に罠を張っているかもしれない。
アヴァロンが「グロンド」を構えた。……「瞬間移動」でも使うつもりかい!?それとも「光の矢」?
あたしはその刹那、違和感を覚えた。さっきは身体が光っていた。しかし、今は……光っていない。
その杖の先は、プルミエールに向けられている。まずいっ!!!
「歪めなさい、『グロンド』」
640 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/08(火) 22:01:31.89 ID:NFy1JhCKO
「え」
彼女の前に、黒い歪みができた。木の葉がそこに吸い込まれていく!?
「どきなっ!!!」
プルミエールを突き飛ばす。右足が、何処かに吸い込まれていく感覚がした。その先は……とてつもなく冷たい。
「ぐうっっっっ!!?」
「デボラさんっ!!」
プルミエールが、歪みの中に魔弾を放つ。「コォォォオオ…………」という魔獣か何かの叫びが聞こえると、吸い込む力が急に弱まった。
右足を引き抜く。氷の欠片が、ビッシリとついている。恐らくあのまま放っておいたら、あたしは吸い込まれて魔獣の餌食になっていたわけか。
仮に魔獣を倒せたとしても、酷寒で死ぬ。……いい神経してるじゃないか。
チッ、とアヴァロンが舌打ちをした。
「余計な真似をしますね……貴女、お会いしたことは?」
「ないね。だけど、初対面だけどあんたから胸糞の悪さしか感じないね」
「邪教徒が良く言います……ああ、なるほど。そういうことですか」
ククク、と愉快そうにアヴァロンが嗤う。酷く不快だ。
「何がおかしい」
「いえ……既視感の正体が分かったので。なるほど、オーバーバックが貴女たちを……いや、貴女を見逃したわけだ」
「……?」
「判断の早さと洞察力は父譲り、見た目は母譲り、ですか。なるほど、貴女も生かしておくと厄介になりそうだ」
何を言っている?父さんと母さんのことを、アヴァロンがなぜ知っている?
嫌な想像が、頭に浮かんだ。血が沸騰しそうに沸き立つ。
「オーバーバックが父さんと母さんを……リオネル・スナイダとパメラ・スナイダを殺したのは……あんたも噛んでるね」
アヴァロンの笑みが深くなる。
「彼の元にお二人を『案内』しただけですよ」
641 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/08(火) 22:01:59.25 ID:NFy1JhCKO
ゾワッッッ
激情に任せ、あたしは引き金を引く。次の刹那……
バァンッッッ!!!
あたしの右肩が、砕けた。
642 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/08(火) 22:02:31.23 ID:NFy1JhCKO
武器・防具紹介
「冥杖グロンド」
特級遺物の一つ。発動により自己とその周囲の物質を転移する力を持つ。
溜めの時間に応じて転移範囲は変えることができるが、最大で半径50メドぐらいまでの転移が可能。
転移先は実際に行ったことがある場所でなくても地図の座標がある程度分かれば指定できる。
都合の悪い人間を魔獣の巣があり酷寒のイーリス北西部「ガルバリ山脈」の山中に連行するのがアヴァロンの常套手段である。
そして連行した後にすぐに自分だけ逃げることで、「自分の手を汚すことなく」始末するわけである。
基本的に自己の周囲に領域展開し自分ごと移動するが、視界の届く範囲に転移の歪みを作り出すことも可能。
この場合、自分から入るように誘い込むか、あるいは吸収能力を持つ魔獣の住処を転移先にすることになる。
今回は後者。発動をいち早く察していなければプルミエールは「吸い込まれていた」であろう。
643 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/08(火) 22:02:58.51 ID:NFy1JhCKO
第26-3話
644 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/08(火) 22:03:48.82 ID:NFy1JhCKO
「あああああっっっっ!!!!!」
叫びに思わず視線を移した。崩れ落ちるデボラさんが見える。
「デボラさんっっっ!!!」
彼女の危機はすぐに分かった。激しい出血。すぐ手当てしないと……!!!
ビュンッッッッ!!!
その刹那、触手の鞭打がボクを襲う。飛び退くと、頬に熱い痛みを感じた。……危なかった。
一撃はそれほど速くもないけど、手数がとにかく多すぎる。反動の大きい「限界突破(リミットブレイク)」なしでやるのは、限界だった。
エリックすら交わすのに精一杯だ。そして、手数に押されてボクらはエストラーダの本体にすら辿り着けていない。あの、エリックをもってしてもだ。
「限界突破」は、切り札としてギリギリまで温存しておくつもりだった。エリックも「音速剣(ソニックブレード)」は使っていない。
人外と化したエストラーダは、まだ底を見せていない。早めに手札を晒すのは自殺行為だ。そう、御主人やアリスさんには教わっている。
でも……使うなら、今しかないっっ!!!
エリックと目が合う。「行け」と視線で分かった。
「限界突破(リミットブレイク)ッッッ!!!!!」
645 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/08(火) 22:04:33.86 ID:NFy1JhCKO
アヴァロンに向けて走り出す。その直後、後方から気配を感じた。
ビシイッッッッ!!!
脚を薙ぐような触手。ボクはそれをすんでの所で跳んで避ける。「主人」のアヴァロンには近付けさせない、というわけか。
だけど、もうすぐ間合いだ。あと一歩踏み込めば……
アヴァロンがニィと笑った気がした。
寒気を感じ、ボクはデボラさんたちの方に退いた。
「限界突破」を解く。一瞬しか発動していないのに、酷く怠い。
「貴方ですか?例の盗人は」
「お前、何かしてるにゃ?」
「それを漏らして、何の得になりますか?」
違いない。ただ、見当は付いている。会話をしているのは、デボラさんの治療時間を稼ぐためだ。
奴の方は良く見ていない。ただ、詠唱はなかったはずだ。無詠唱でも使え、かつ魔法の発動を悟られないようにする魔法は、そうない。
「魔法障壁」なら、発動が分かるだろう。それが反射効果まで持つものなら、なおさらだ。それを無詠唱で行うのは、御主人ですら無理だ。
つまり、奴が使っているのは……「目には目を(アイフォアアンアイ)」。自分が受けた傷を、相手にそのまま返す呪法だ。
646 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/08(火) 22:05:15.35 ID:NFy1JhCKO
……聖職者が聞いて呆れる。だが、その欠点から無詠唱で使うのは難しくはない。
奇妙なのは、アヴァロンが無傷な点だ。別の魔法を使っているのか……いや、あの法衣だ。多分、あれも遺物だろう。
攻撃を無力化するとなると、1つしかない。「大高僧モーロックの法衣」だ。「遺物大全」に、確かあった。
高速で思考を巡らせながら、ボクはアヴァロンに悟られぬよう治癒魔法をかけていた。さほど程度の高いものじゃないけど、止血の役には立つ。
(悪い、ね……また下手を、打った)
弱々しく見上げるデボラさんに、ボクは小さく首を振った。
あそこで撃つのは当たり前だ。ボクだって、あいつが「モーロックの法衣」を着ていると分からなかったら、同じ行動を取る。
……変だ。じゃあ何でさっき、エストラーダに受けさせた?
いや、それだけじゃない。プルミエールさんの銃も避けている。つまり、いつでも傷を反射できるわけじゃない?
アヴァロンはもう次の攻撃体制に入っている。……そういうことか!!
647 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/08(火) 22:05:46.71 ID:NFy1JhCKO
治癒魔法で、体力はさらに消耗している。「限界突破」の残り発動時間は、せいぜい10秒。
……その間に、決着を付ける。プルミエールさんに、一瞬視線を送った。彼女が察してくれるかは、賭けだ。
「うおおおっっっっ!!!」
大地を強く蹴る。アヴァロンが一瞬たじろいだ。
「チッ」
「グロンド」に集まっていた魔力が薄らいだ。恐らく、「状態(モード)」を変えたのだ。
「高僧モーロックの法衣」は、特級ではなく一級遺物だ。「大全」にはその詳しい理由が書かれていなかったけど、無条件で攻撃を遮断できるほど、都合のいいものじゃないのは理解した。
つまり、攻撃時にはその効力を発動できず、逆に守備時には攻撃できない。
とすれば、アヴァロンが次に取る手は何だ?一回ボクに攻撃させて、反射で苦悶している所でじっくり殺すだろう。いや、そこで全員転移させて、魔獣に殺すよう仕向けるか。
なら……「攻撃しなければいい」。
648 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/08(火) 22:06:25.21 ID:NFy1JhCKO
ボクは態勢を低くし、両腕で奴の脚を狙った。殴るのでも、突くのでもない。そのまま倒し、奴と「グロンド」を引き離すのだ。
アヴァロンとの距離が3メドほどになった時、奴の顔色が変わった。悟られたかっ!?
「エストラーダッッッ!!!」
叫びと共に、「枝の触手」が一気に伸びてくる。これまでとは全く比較にならない程の速度っ!!
ボクは右拳でそれを弾く。アヴァロンが実に忌々しそうな表情で再び間合いを取り、「グロンド」を突き立てた。
「つくづく予定に合わぬ行動をするっっ……!!」
鞭打の手数が一気に増していく。ボクは、それを避け続けた。
攻撃なんて、とてもじゃないけど無理だ。やはり、まだ本気じゃなかったか。
アヴァロンの杖が、黄色く光り始めた。
それとほぼ同時に、急に身体が重くなる。「限界突破」の効力が、切れたのだ。
だけどボクに驚きや落胆、そして絶望はない。
なぜなら、それは……「予定通り」だったから。
649 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/08(火) 22:06:53.25 ID:NFy1JhCKO
「失せなさ……」
「それは、こっちの、セリフにゃ……」
光が満ちようとした、その瞬間。アヴァロンの頭が、白い霧で覆われた。
「『幻影の霧(ミラージュ・ミスト)』ッッッ!!!」
650 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/08(火) 22:07:59.17 ID:NFy1JhCKO
武器・防具紹介
「高僧モーロックの法衣」
一級遺物。見た目は白い法衣にしか見えない。ユングヴィ教団に「グロンド」と共に伝えられる神宝であり、歴代の大司教に受け継がれるものである。
魔力を通すことで着用者に与えられる全ての物理・魔法攻撃を無力化できる。ただし、一定の集中が必要なため、発動中に他の魔法を使うことは至難である。
アヴァロンは平行して「目には目を」を自らにかけているが、普通はこれすらまず実行できない。
必然的に、攻撃や激しい運動をする場合には発動を解く必要がある。防御に徹すれば完全無欠だが、さりとて万能でもない。
また、シェイドが試みたようにタックルによるテイクダウンなどへの防御効果は薄い。
仮にそのまま持ち上げられ、海に投げ捨てられればアヴァロンは普通に死ぬ。あくまで直接攻撃にしか効かない能力である。
そして、状態異常を防ぐ力もない。この点をシェイドは看過していたわけである。
651 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/08(火) 22:08:45.24 ID:NFy1JhCKO
今回はこれまで。26話は多分7〜8部構成です。
次でようやく折り返しになります。
652 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/12/10(木) 00:14:24.05 ID:OUMdxgbDO
乙乙
653 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/10(木) 23:08:43.02 ID:6QjOvduJO
第26-4話
654 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/10(木) 23:09:10.27 ID:6QjOvduJO
霧に包まれた瞬間、目の前が虹色に光った。そこにいたのは……神であった。
長く清らかな黒髪に、慈愛に満ちた微笑み。手を広げ、私を温かく抱いて下さろうとしている。……何という至上の幸福!!
ああ、ようやくお会いできた。涙が溢れそうになる。
それと共に、強烈な違和感を覚えた。
……何故私は、神にお会いできたのだ?
一途な祈りが通じたのか?それとも、たゆまぬ修練の成果か?
否、この程度で神は私を「お許しにならない」。
私は、一度だけ手を血に染めている。その罪は、一生かけてようやく贖えるものだ。
だからこそ、私は一念に神にその身を捧げ続けた。神の教えを広めるために、ありとあらゆることをやった。
しかし、まだ足りぬ。
足りぬ足りぬ足りぬ足りぬ……!!!
655 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/10(木) 23:09:40.24 ID:6QjOvduJO
#
「うおおおおおっっっっ!!!!」
裂帛の気合いと共に、私は幻想の神を打ち破った。そして代わりに目の前にあったのは……銃口。
「……まだ殺しはしません」
ゴウッッ!!!!
「グロンド」を握っていた右腕の先が、消し飛んだ。
「ぐあああっっっっ!!!じゃ、邪教徒風情がっっっ!!!!」
「……自分に背く者は、全て邪教徒なのですか?……哀れですね」
眼鏡の女……プルミエール・レミューが憐憫の目で私を見た。……何と言う屈辱……!!
「お前たちは、自分たちが、何をしようとしているのか……分かっているのかっ!!?その行いは、神に背き、世界を破滅へと導くものだぞっ!!?」
「分かりません。1つ言えるのは、多くの関係のない人々の命を奪った貴方こそ、神に背く邪教徒であるということです」
「笑止っ!!邪教徒は人に非ずっ!!何より、命を奪ったのはあの邪教徒の成れの果てだっ!!」
「……詭弁も、いいところにゃ」
ゆらりと、亜人の少年が立ち上がった。疲弊しているのか、大分ふらついている。
「お前は、生きてはいけない存在にゃ。……デボラさんには悪いけど、代わりに仇、取らせてもらうにゃ」
レミューが私の額に銃口を向ける。……その手は震えていた。
「……プルミエールさん」
「ええ、分かってる」
……予定外、それも最悪の予定外だ。ここで終わるとは……
もはや「グロンド」も使えない。ここで、神に召されるのか……
刹那、視界の端にエストラーダの触手が見えた。
……否。まだ、神は私を見捨ててはいない。
「『騎士』よ、我が身を守りたまえッッッ!!!」
叫ぶと一瞬のうちに、私の身体は樹の枝で覆われた。
エストラーダは、エリック・ベナビデスに決定打を打ち込めないでいた。こちらの援護に少し回ったことで、徐々に劣勢にもなっていたようだ。
このままでは、どちらにしても終わりだろう。だとすれば……これしかない……!!
意識が、身体が溶けていく。……エストラーダに、生命を吸われているのだ。そして、魔力も、意識も……
その行き着く先は。
656 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/10(木) 23:10:47.62 ID:6QjOvduJO
……
…………
視界が切り替わった。見下ろす先には、魔王エリックがいる。
全て、予定通りだ。私は満足して、新たな身体の口の端を上げた。
『さあ、神にその身を捧げなさい』
657 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/10(木) 23:11:23.46 ID:6QjOvduJO
キャラクター紹介
「エストラーダ」
メディアの血の摂取で怪物となったエストラーダ候。既に自我はほとんど失われ、血を与えたミカエル・アヴァロンを護り、奉仕する存在へと成り果てている。
基本的にはアヴァロンの意のままに動き、無数の枝の「触手」で攻撃、「補食」する。
枝に捕まった者は生命を吸われ、息絶える。それが「エストラーダ」の養分となるのである。
勢い、その身体の維持には相当数の「養分」が必要である。このため、「完成体」となってもその寿命は基本的に短い。
本文の描写で対エリックはまだ省かれているが、手数こそ多いもの速度は遅く、2倍速で対応できる程度ではある。
また、アヴァロンの意識と切り離された場合、自我が薄いため十全な能力は発揮できない。アヴァロンの呼び掛けに応じた時に速度が速まったのは、再びリンクが張られたからである。
とはいえ、圧倒的な手数と防御能力に対しエリックも決め手を欠いており、「音速剣」の使用を検討している最中に今回の「同化」が発生してしまった。
なお、プルミエールは殺害を一瞬躊躇っていたが、アヴァロンの「同化」は反応不可能な速度で行われたため、彼女を責めるのは酷というものだろう。
同化後にエストラーダ候の自我がまだあるかは不明。
658 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/10(木) 23:12:24.22 ID:RHoKoq5QO
第26-5話
659 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/10(木) 23:13:40.93 ID:6QjOvduJO
エストラーダ候の背中から伸びる、歪んだ幹。その先にアヴァロン大司教の上半身がくっついている。
その異形の怪物を見た時、私は激しい絶望と後悔に襲われた。
人を殺すのは、初めてだった。エリックと一緒に行動するようになってからも、私自身が直接誰かを傷付けたことは、ない。
だから、目の前にいた男が、どんな鬼畜であろうと……それを撃つことに対して躊躇がなかったかと言われたら、それはきっと、違う。
でも、それでも即座に撃たなきゃいけなかった。それが、こんな事態に繋がってしまったんだ。
「……プルミエールさんは、悪くないにゃ」
シェイド君が、呟いた。
「あの速度では、誰も反応、できないにゃ。それより、エリックを……」
「シェイド君!?」
彼が崩れ落ちる。その瞬間、激しい衝撃を私は感じた。
「きゃああっっっ!!?」
3メドほど、シェイド君ごと飛ばされただろうか。右腕の上が、激しく痛む。シェイド君は無事みたいだけど、それでもかなり身体を強く打っているようだった。
『……まだ加減が上手く行かないですね。当てたつもりだったのですが』
私は、アヴァロンの右腕……というよりは巨大な「幹」の風圧が、私を薙ぎ倒したのをようやく理解した。
……風圧だけであの威力?直撃なんてしたら……
いや、怖がってる場合じゃない。悔やんでる場合でもない。
シェイド君は限界だ。デボラさんは立ち上がったけど、右肩を押さえている。あんな短時間で、治るわけがない。
右手を曲げる。痛いけど、骨は折れてない。エリックを助けられるのは、私だけだ。
「シェイド君、デボラさんを連れて家に逃げて」
「家に?……ああ、そうだにゃ。了解にゃ」
シェイド君が、よろめきながら走り始めた。もちろん、ヴェルナーさんたちの支援という意味もある。でも、それだけじゃない。
カルロス君とメディアさんが隠れている地下室。そこには、崖の方に抜ける隠し通路がある。
多分、彼らはそれを使って逃げているはずだ。そして、直接戦えなくなったら、彼らに追い付き、守ってあげる。
ある程度状況が煮詰まった時にはそうすると、事前に決めていた。
『逃げるつもりですか?』
巨大な幹が、シェイド君に向けて振り下ろされる。
「させないっ!!!」
「魔導銃」が火を吹き、幹に直撃する。
それを破壊するまでは至らなかったけど、それでも大きく向きを変えることぐらいはできた。
ズォォォォンンッッッッ!!!
巨大な地響きが耳を突いた。
「助かったよ!!」
シェイド君と合流したデボラさんが叫ぶ。2人は、家の中へと消えていった。
660 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/10(木) 23:14:28.11 ID:6QjOvduJO
『……そういうことですか。まあ、予定に変更はありませんが』
エリックはというと、激しくエストラーダ候の触手とやりあっていた。触手の攻撃は激しさを増している。……見るからに厳しそうだ。
「エリック!!!」
「来るなっ!!!お前も逃げろッッ!!!」
見たところ、アヴァロンとエストラーダ候は繋がっているけど、動きは独立したもののようだった。
細かい、無数の「枝の触手」はエストラーダ候。そして、幹による攻撃はアヴァロン。つまり、私がここを去れば……1対2でエリックは戦うことになる。そんなのは無茶だ。
「でもっ!!?」
「でももこうもないっ!!巻き添えを食らいたいのか阿呆がっ!!!」
そうか!エリックの「加速」は、10倍速以上だと周囲に被害をもたらしかねない。
彼が本当の全力を出すには、私は邪魔でしかないのだ。
でも、この怪物に果たしてそれが通用するの??
そもそも、アヴァロンの力量を私は……いや、私たちは見誤っていた。隠密魔法で気配を消し、シェイド君を囮に「幻影の霧」を当てる。その狙いは、見事に当たった。
でも、彼はあっさりと幻術から抜け出した。それだけ、彼のマナは膨大なのだ。
さっきから、アヴァロンは力任せの攻撃しかしていない。でも、これで魔法が使えたら……
私は、ふと「グロンド」が転がっていた地面を見た。……ないっ!!?
661 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/10(木) 23:14:55.23 ID:6QjOvduJO
『早速ですが、まずはさっき逃げたスナイダ夫妻の娘と、亜人の盗人から消えて貰いましょうか。ついでに、メディアも。
『女神の雫』は大変惜しいですが、後で取りに行けば十分でしょう』
幹の先には……「グロンド」があった。……そんな。
「やめてええええええっっっっ!!!!!」
次の瞬間。別荘は、光に包まれて……消えた。
662 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/10(木) 23:15:35.84 ID:6QjOvduJO
キャラクター紹介
「アヴァロン」
「エストラーダ」と一体化した姿。背中の辺りから生えた高さ4mほどの幹の先端に、上半身裸のアヴァロンがくっついた異形と化している。
そこからは腕のような巨大な幹が左右に生えている。「腕」の先端には枝があり、これで物を取ったりすることが可能。
自我を保っていられるのは、本人が持つ巨大な魔力による。なお、エストラーダから生えている枝は操作不能であり、あくまで動かせるのは幹部分だけである。
言ってみれば、2つの意思が1つの身体を共有し、それを分割して動かしているというべきかもしれない。
通常の攻撃手段は幹を使い殴るのみ。ただ、その攻撃力は計り知れない。
また、「グロンド」を手にしたことで強力な魔法攻撃も可能となっている。
なお、燃費は極めて悪い。
663 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/10(木) 23:16:03.29 ID:6QjOvduJO
第26-6話
664 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/10(木) 23:16:41.58 ID:6QjOvduJO
別荘が消えた瞬間、さすがの俺も崩れ落ちそうになった。……最悪だ。
プルミエールは責められない。彼女は、もともと戦闘慣れしていない。そういう奴でもない。
本当なら、のんびりとオルランドゥ魔術学院で魔法研究に生涯を捧げるはずの女だ。心根も真っ当な、こういう修羅場にいてはいけない類いの人物だ。
それに、何よりアヴァロンは強大に過ぎる。こうなる前に、俺がエストラーダを討たねばならなかった。
「音速剣(ソニックブレード)」や「閃(フラッシュ)」の発動を躊躇していなければ……こうはならなかったはずだ。
ただ、もし発動していたら、プルミエールたちは無事では済まなかったかもしれない。どちらが正しかったのか、俺には分からない。
一つ言えることは……絶体絶命ということだ。
665 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/10(木) 23:17:28.70 ID:6QjOvduJO
満足そうに嗤うアヴァロンの顔が、急に渋くなった。
「……!??……おかしいですね」
……間に合ったのか。俺は大きく息をついた。まだ、最悪ではない。
恐らく、アヴァロンは誰を転移させたかというのを把握できるのだ。
そして、転移した中に……多分、シェイドやデボラ、そしてメディアたちはいない。
俺は短剣を構え、エストラーダと向き合う。まずは、こいつを何とかしないといけない。
ビヒュンッッッ
「ぐっ」
触手を横っ飛びに交わす。攻撃は相変わらず激しい。だが、2倍速でも避けられなくもない。
元は普通の男であるエストラーダの攻撃は、ある程度は読める。速度もさほど速くもない。
ただ、触手を斬ってもすぐに再生される。そして、本体に近付こうとすると触手の盾で防がれる。それを破壊しても、すぐに別の盾が現れ、キリがない。
「音速剣」の使用を躊躇っていたのは、奴の再生速度と余力を読みきれていなかったのもある。もし「音速剣」を使って仕留められないなら、その時こそ本当の終わりだ。より危険性が高い「閃」は尚更だ。
666 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/10(木) 23:18:09.56 ID:6QjOvduJO
……何か妙だ。
エストラーダがアヴァロンを吸収した時の触手は、恐ろしく速かった。アヴァロンの意思が反映されていたにせよ、だ。
あの速度で攻撃されていたなら、2倍速じゃ太刀打ちできない。30秒しか持続できない5倍速か、さらに持続時間が短い「乱」を使うしかなかったはずだ。
そして、今2人は一体化している。アヴァロンの意思が、こちらにさらに反映されていても不思議ではない。
にもかかわらず、俺はまだ攻撃に対処できている。いや、むしろ……遅くすらなっている。
導き出せる答えは1つ。
エストラーダにはまだ自我が残っている。そして、それはアヴァロンに僅かながらでも抵抗している。
とすれば……自我を完全に取り戻せば!!?
667 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/10(木) 23:18:49.97 ID:6QjOvduJO
そのためにはどうすればいい。自分が、ロペス・エストラーダであると思い出させるには……
激しい攻撃のさなか、まだ愕然としているプルミエールが見えた。アヴァロンが幹の腕を振り上げ、止めを刺そうとしている。
「加速(アクセラレーション)5!!!」
大地を思い切り蹴り、プルミエールのもとに向かう。俺が彼女を抱いて逃げるのと、奴の攻撃が再び空振り地面を揺らすのとは、ほぼ同時だった。
『つくづく無駄な足掻きを……』
「何を呆けているっっっ!!」
「でも、皆……」
「多分無事だっ!!俺を信じろっっ!!」
青ざめながら、プルミエールが頷く。豊かな胸元に、首飾りが見えた。
……いや、これは違う。金属を紐で繋いだだけの代物だ。確か、これは……
……そうか。これがあった。
668 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/10(木) 23:19:16.96 ID:6QjOvduJO
「プルミエール、これは……ファリスが持っていたアミュレットの欠片か?」
「え?」
「今すぐそれに『追憶(リコール)』をかけろっ!!物にかけた場合、手にした者にその『物の記憶』を思い出させる効果があったはずだっっ!!」
「で、でも、なんでっ!?」
「エストラーダを正気に戻すためだっっ!!ファリスが死んだ夜のことを、『思い出させろ』っ!!」
「でも、そんな時間なんて」
「俺が何とかするっっ!!!いいからやれっっ!!!」
プルミエールが、戸惑いながら詠唱を始めた。修練の結果、こいつの魔力もかなり向上している。1分足らずで、詠唱は終わるはずだ。
だが、1分という時間をアヴァロンが許すはずもない。
だから、そのための「加速」だ。
俺はプルミエールの頭に手を乗せる。そして、「10倍速」を発動した。
マナの残量からして、「音速剣」を1度撃つのが限界だ。だが、これくらいしかもう思い付かない。
669 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/10(木) 23:19:44.69 ID:6QjOvduJO
#
俺の「加速」は、動きを速める魔法ではない。
自分と、自分が触れた物の「時間を加速する」魔法だ。ベナビデス王家の血族だけが使える、秘術でもある。
2倍速なら、周囲の2倍。5倍速なら、周囲の5倍の時間の中を、俺は動ける。俺以外の世界で起きていることは、全てその分ゆっくりと動く。
命のない物の時間は加速させやすい。物を枯らしたり、朽ちさせたりするのは比較的楽だ。
だが、命があるものだとかなり疲弊する。ジャックの元での修練がなければ、2倍速すら大変だっただろう。……だが、今なら。
670 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/10(木) 23:20:32.45 ID:6QjOvduJO
#
視界の端で、ゆっくりと「グロンド」が光るのが見えた。まずい。詠唱が終わりきる前に撃たれたら、さすがにどうしようもない。
早く終わってくれ……その想いは通じた。
「終わった!」
「よくやった!!」
俺は紐の部分を持ち、「5倍速」に切り替えてエストラーダに向かう。「グロンド」を発動しかけたアヴァロンが、一瞬怪訝そうになった。
『…………?』
エストラーダの触手が5本、俺に襲い掛かる。それを他愛もなく避け、俺は欠片をエストラーダに投げ付けた!
「キシャアアアアアッッッ!!!」
奇っ怪な叫びと共に、巨大な「枝の盾」が現れる。しかし、「5倍速」で投げられた欠片は、それを易々と砕いた。
……そして。
ダンッッッッ!!!
身体に、欠片がめり込む。エストラーダの動きが、止まった。
671 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/10(木) 23:21:01.79 ID:6QjOvduJO
『……何を』
……ア
…………アア
『……………アアアアアアア!!!!!』
エストラーダが吼えた。何かに苦しむかのように身をよじらせ、そして踞る。目からは、赤い涙が流れていた。
エストラーダは、「思い出した」のだ。自分が何者であるかを。そして、同時に娘が何者であったかも、その末路も、あるいは……死ぬ間際の想いも……全て知ることになった。
672 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/10(木) 23:21:31.94 ID:6QjOvduJO
『なっ!!?』
アヴァロンの「幹」が大きく揺れる。それは、根本から折れようとしてた。
自我を取り戻しつつあるエストラーダが、アヴァロンを拒絶し始めたのだ。
そして、この瞬間こそ……俺が狙っていたものだ!!!
右手を、短剣の束にかける。狙いは上方の、アヴァロンの身体。失敗は、許されない。するつもりもない。
エストラーダの枝を踏み台にして、俺は飛び上がる。……今だ!!!
「音速剣(ソニックブレード)!!!!」
…………ザンッッッッッッ!!!!!
『え』
間の抜けた声と共に、アヴァロンの身体は……上下に両断された。
673 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/10(木) 23:21:58.56 ID:6QjOvduJO
魔法紹介
「加速」
エリックら魔族の王にしか使えない魔法。名前からすると動きを加速させているように見えるが、その実は「自分の時間を加速させる」魔法である。
このため、発動中は周囲の動きがスローモーションになる。例えば2倍速なら半分、5倍速なら5分の1の速度になる。故に攻撃の回避は容易になる。
しかも自分の拳や剣の速度は加速されているため、威力は跳ね上がる。攻防両面で極めて強力な魔法であると言える。
ただ、それ故に魔力の消費も激しい。エリックが乱発できているのは、彼の才能と修練の結果である。
現状20倍速までは可能だが、10倍速以上の攻撃だと音速を超えるため衝撃波による周辺被害が発生する。このため、10倍速以上を発動した状態での攻撃は一瞬しかできない。
ただ攻撃を伴わないなら、今回のように10倍速を使うことは不可能ではない。
なお、極めた先には別の効果もあるらしいが、その領域に達したとされるのはエリックの父ケイン程度である。
触れた物の時間を加速させる効果もある。第3話の終わりに死体を塵にしたのはこれである。
命がない物の加速は容易いらしく、100倍速ぐらいはできるようだ。半面、(植物含め)命がある物に対する難度は高い。
674 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/10(木) 23:23:54.12 ID:6QjOvduJO
今回はここまで。諸々の伏線回収回でした。
なお、ファリスの死体の処理にも「加速」を使っています。
第26話はあと2パートです。短めになるはずです。
675 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/12/11(金) 15:13:44.31 ID:0E97GYNT0
イナズマイレブンの安価SSもあるので読者はどんどん参加してくださいね
676 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/11(金) 15:19:20.73 ID:gNj1/M8DO
注:イナイレの安価はやっていないので誤爆かと思われます。念のため。
677 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/12/11(金) 15:56:42.05 ID:FFhfEo9DO
乙です
678 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/12/14(月) 16:30:36.55 ID:9GqEijSDO
乙乙
679 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/15(火) 18:56:16.39 ID:CRgXx40Z0
てすと
680 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/15(火) 18:57:04.08 ID:CRgXx40Z0
第26-7話
681 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/15(火) 18:58:10.44 ID:CRgXx40Z0
視界が、ゆっくりと落ちていく。何が起きた?
…………ドスン
地面に叩き付けられる衝撃。声を出そうとしたが、なぜか何も出てこない。
私の身に、何があった?エストラーダが急に喚いたかと思った瞬間に、私の前に魔王が出てきた。そして、これだ。
私は、何かの攻撃を受けた。それだけは分かった。
そして、この状況は私の予定にはない。本来なら、プルミエール・レミューはガルバリ山中に送られ、魔獣ノーサの餌食になっていたはずだった。
魔王エリックも同様だ。あの小柄な身体で、私に勝てるはずもない。そのはずだった。
視界が、急速に暗くなっていく。
神は、私をお助けにならないのか?
682 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/15(火) 18:59:01.91 ID:CRgXx40Z0
#
私は、12の時からずっと、一念に神に祈りを捧げ続けた。自らの贖罪のために。
そう、私は母を殺した。ユングヴィの神学校へと通わせるため、折檻を加え続ける母を殺した。
母は悪魔に魅入られていた。しかし、悪魔払いはその筋に任せるべきであった。自ら行ったことで、私は深い禁忌を犯した。
だが、母は自殺……狂死として処理された。私がそう装ったからだ。
そして、それを幸いに、私は神に強く帰依するようになった。自らのために、そして神のために。
祈り続けていれば、我が罪は浄化され、神の御心が私をお救いになる。そう信じて35年以上生きてきた。
果たして強い神への想いは、自らを高みへと押し上げた。だが、足りない。私をお救いになった神への感謝は、こんなものでは足りない。
皆に救いを。そして、それを拒む愚者には裁きを。信じ続けた果てに、神はおわすのだ。
683 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/15(火) 18:59:57.60 ID:CRgXx40Z0
#
しかし、神の姿は、未だ見えない。私は腕を天に伸ばした。
ああ、我が神よ。私は自らを、貴女に捧げ続けました。せめて、どうか一目でも……!!
「かみ、よ……」
『神はもういない』
どこからか、声が聞こえた。
「え」
『神はもういない。お前はそこで、朽ちていけ』
今際の際に聞こえたその声は……20年前に死んだはずの、魔王ケインのものだった。
……そんな。こんなことが、あっていいはずがない……!!
私の祈りは、神への想いは、一体……!!!
ぐしゃり
それきり、私の意識は、永遠に途絶えた。
684 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/15(火) 19:00:40.88 ID:CRgXx40Z0
キャラクター紹介
カエラ・アヴァロン(享年35)
ミカエル・アヴァロンの母。夫はアヴァロンが4歳の頃に流行り病で死んだ。
上級貴族の娘であり、ユングヴィの上級司教であった夫が亡くなるまでは幸せな家庭を築いていたようだ。
ただ、夫が亡くなったことへのショックと、子育てのストレスから精神が崩壊。過度に教育と神への帰依をアヴァロンに押し付けるようになった。
耐えきれなくなったアヴァロンは、12歳の時に彼女を殺害。ただ、衝動的なものではなく、ある程度計画的に自殺に見せ掛けていたようである。
なお、アヴァロン自身の記憶も自己正当化のためかなり歪められている。
アヴァロンの性格の一端が幼少期の虐待にあったのは疑い無い。
ただ、独善的で狡猾な性格は、母親殺害時には既にできていたようである。それは彼女の殺害により、より深刻なものとなったと言えるだろう。
なお、アヴァロンはこの後神童として異例の出世を果たす。
20年前の時点では「六連星」ではなかったが、それでも各地の首脳と会える程度の地位にはあったようである。
685 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/15(火) 19:01:39.08 ID:CRgXx40Z0
第26-8話
686 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/15(火) 19:03:04.99 ID:CRgXx40Z0
ぐしゃり
エリックがアヴァロンの頭蓋を踏み砕いたのが見えた。巨大な幹は白い石のようになり、既にさらさらとした砂になり始めている。
「エリック!!」
「もう、大丈夫だ……」
はぁはぁと、肩で息をしている。彼の元に走り、崩れそうになっているのを支えた。
「本当に、大丈夫なの」
「かなり、無茶をしたが、な。……あいつらの、後を追う……」
近くで、何か動く気配がした。……白髪になり、枯れ果てたようにしわくちゃになっている、エストラーダ候だった。
「えっ」
「……君、たちは」
枝に寄りかかり、手を伸ばそうとしている。……意識があったんだ。
そしてようやく、私はエリックの意図を正確に理解した。ああそうか、ファリスさんのアミュレットの欠片は、彼の記憶を呼び戻すために使われたのだ。
あの混乱の中、言われるがままに「追憶」を掛けていたけど……とすれば。
「エリック、逃げないとっ」
「いや、もうエストラーダに、そんな力は、ない。それに……」
小さくエストラーダ候が頷いた。
「ファリスは、逝ったのだな。自らの、意思で」
「そうだ。怪物になり果てた自分を、知られたくない、と」
「……私にも責任が、ある」
「え?」
エストラーダ候が苦笑した。
「アヴァロンが、ネリドと私の前に現れたのは……1ヶ月と少し前、だ。その時、私は……クーデターの計画を、持ち掛けられていた。そして、君たちの排除も。
それに向けて、隠密裏に動いてもいた。思えば、アヴァロンは……あの指輪のことも、知っていたのだろう。そして、計画を知ったファリスが、どう動くであろうかも……グフッ」
「エストラーダさんっ!!」
「もう、いい。寿命が来ているのは、分かる。それに、ファリスの想いも知った……これ以上の殺戮を犯さずに、済んだ……アヴァロンは」
「死んだよ。俺が殺した」
満足そうに、彼は微笑む。
「……そうか。アヴァロン大司教からは、ファリスの居場所を、君らが知っていると聞かされていたが……私は、いいように使われていた、わけだな」
「ああ。だが、落とし前はつけさせた」
「そうか……プルミエール君、だったな。……これを」
胸に刺さっていた金属の欠片を取り出すと、エストラーダ候は穏やかな声で私に言う。
「ファリスのことを……忘れないでくれ。もう、君だけが……彼女と心通わせた人間、だ」
「……はいっ」
目から涙が溢れ出す。……ファリスさんは、エストラーダ候には普通に生きていて欲しかったはずだ。……こんな結末なんて、ない。
私の思考を読んだかのように、エストラーダ候は首を横に振った。
「私のことは、いい。狂人に踊らされただけのこと、だ」
彼は、ロックモールの青空を見上げる。雲一つない、透き通るような空だ。
「……ファリス、今逝こう。愚かな父を、赦してくれ」
カァァァッッ
不意に一瞬、金属が赤く、温かく光った。
687 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/15(火) 19:03:38.67 ID:CRgXx40Z0
これが何だかは、正確には分からない。でも、多分……ファリスさんの答えなんだ。
根拠はないけど、なぜかそう思えた。
エストラーダ候の身体が、白い石に変わっていく。そして、端から砂となって、砕けていった。
彼は、穏やかに笑った。
「……そうか。ありがとう……」
それが、エストラーダ候の、最期の言葉だった。
688 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/15(火) 19:04:22.05 ID:CRgXx40Z0
#
私はエリックを支えながら、なくなった別荘へと向かう。崖を見ると、階段が下まで続いていた。
私は涙を拭う。皆に、追い付かなくちゃ。
「……歩ける?」
「何とか」
海岸伝いにずっと歩けば、通りに出る。逃げる場合は、そこで落ち合う手筈になっていた。
もう、大丈夫だろう。転ばないように、慎重に一歩ずつ階段を下っていった。
その時だ。
ズズンッッッ!!!!
向こうから、地響きのような音が聞こえた。そして、そこから感じられたのは……強大で邪悪な、2つの魔力。
「……何っ?」
「何だ、これはっ」
砂浜の向こうから、誰かが走って来るのが見えた。……デボラさん??
「来るなっ、引き返しなっっ!!!」
「ど、どうしてですかっ??アヴァロンは、もう……」
「それどころじゃないんだよ!!!」
心を落ち着けるように、大きくデボラさんが深呼吸する。顔色は、顔面蒼白だ。
「カルロスが…………怪物になっちまった」
689 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/15(火) 19:05:39.91 ID:CRgXx40Z0
第27-1話
690 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/15(火) 19:06:44.17 ID:CRgXx40Z0
「どこだっ、探せっっ!!」
男たちの声が、遠くに聞こえた。地下室には、厳重に鍵をかけている。だが、いつまでもつのか。
エリックたちが簡単にやられるとは思わない。未だにいけすかないが、あいつの腕は確かだ。デボラ・ワイルダもいる以上、助けはいつかは来るはずだ。
問題は、それまでここがもつかどうか。召使のザンダを家に帰しておいたのは、正解だった。
「邪魔だぁっっ!!」
別の誰かが入ってくる気配があった。ワイルダが事前に手配していた、テルモン兵か。
メディアを見る。表情はさほど変わらないが、視線は沈んでいる。短い付き合いだけど、彼女の感情はなんとなく分かるようになっていた。
俺は手を彼女のそれに重ねる。
「……行こう」
「え」
「逃げは早めに打った方がいい。アヴァロン大司教も戦闘に手一杯で俺たちのことまで気付かないはずだ」
分厚い樫の扉の向こうからは、剣戟の金属音と叫びが聞こえてきた。戦況は、ここからじゃ分からない。でも、先手を打つことの大切さは、親父を反面教師にして知っている。
親父がどうやって討たれたかは、伝聞でしか知らない。ただ、「高速回転銃」を手にして傲り、悠長に過ごしていた所をエリックたちにやられたとは聞いていた。
地下室の片隅の床には、金属の扉がある。それは、有事の際にと先祖が作った、抜け道に通じる扉だ。
ゴンザレス家は、しばしば密談にこの別荘を使っていたという。それにはちゃんとした理由があった。
まず、街からここまではほぼ一本道で、誰かが来たのを見付けるのが容易い。そして、いざという時はここから崖下まで降り、砂浜伝いに歩けば街道に出れるようにもなっている。
俺は先人に心から感謝した。それを今こそ使わせてもらう時だ。
「うおおっっ!!!……はあっ、はあっ……開いた」
扉は錆び付いていたが、何とかギィという気持ち悪い音と共に開いた。潮の匂いが一気に広がる。
「行こう」
小さく頷くメディアの手を取り、階段を降りる。段々と光が強くなっていく。
そして、開けた先には……足を踏み外せば遥か下の海に落ちてしまいそうな、長い階段が崖に張り付いていた。
……ゴクリ
ボロボロのロープを頼りに、くりぬかれた階段を慎重に降りる。上からは、誰か女の叫び声が聞こえた。……急がないと。
降りた時には、酷く疲弊していた。メディアはというと、心配そうに俺を支えていた。
……情けねえな、守るべき女に支えてもらってるんじゃ。
「大丈夫、急がないと」
「……うん」
俺たちが下にいると悟られないように、小走りで砂浜を駆ける。昨日の騒動で戒厳令でも出ているのか、普段なら水着の男女で溢れている海水浴場には人影もまばらだった。目立たず動けるのは幸運だ。
とりあえず、何かあったら「蜻蛉亭」まで逃げろとは言われている。あそこには、テルモンの皇子がいると聞いていた。テルモンの連中に頼るのは少し癪だけど、四の五の言っていられる状況じゃない。
……ゾクン
背中に寒気が走った。メディアを見ると、凍り付いたように立ち止まっている。
691 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/15(火) 19:07:43.96 ID:CRgXx40Z0
「どうしたんだ?」
「……ダメ、戻らないと」
「何でだよ……」
彼女が向こうを指さした。15メドほど先に、皮鎧を着た、短い金髪の男がいた。腰からは、やたらと長い剣の鞘がぶら下がっている。
俺は戦いの訓練を受けているわけじゃない。でも、そいつが只者じゃないのは、すぐに分かった。
「……逃げよう」
彼女が頷いたその瞬間、俺たちの横を何かが通り過ぎたのが分かった。
ザンッ
ドゴォという地響きとともに、後にあった椰子の樹が倒れた。……え??
「逃げようとしても無駄だ。次は当てる」
「……誰だよ、お前は……」
「アングヴィラ王国近衛騎士団団長、デイヴィッド・スティーブンソン。エリック・べナビデスとプルミエール・レミューの居場所はどこだ?」
692 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/15(火) 19:08:40.93 ID:CRgXx40Z0
……メディアが狙いではないのか?そもそも、はるか西のアングヴィラの近衛兵団団長ともあろう者が、わざわざ単騎でエリックやプルミエールさんを狙うなんて……
金髪の男は、深紅の大剣を地面に突き刺して言う。
「居場所を教えれば見逃してやるよ。俺はその『女神の樹の巫女』には興味がないんでな……」
「……何でエリックたちを。アヴァロン大司教とは、仲間なのか」
「仲間……というより同盟だな。ただ、互いにやることは干渉しないことになってる。ま、『魔王エリック』と『魔女プルミエール』を殺したいのは同じだが。
お前があいつらと一緒にいたことは知ってる。素直に吐きな」
俺は悩んだ。エリックたちには恩もある。ただ、あいつが親父の仇であるのには変わりない。
ここであいつらを売っても、問題はないんじゃないか。俺にとって大事なのは、メディアとこの街を抜け出して逃げ切ることだ。
「あ、あいつらは……」
「駄目」
メディアが、鋭い目で俺を見ると、小さく首を振った。
「あなたは、そういう人じゃない。それに、教えてもきっと……彼は私たちを殺す」
「え」
もう一度、デイヴィッドと名乗る男を見る。……目の底に、深い闇が見えた気がした。
……確かに、こいつの言うことを信じられる保証はない。
……俺は悩んだ。行くも地獄、退くも地獄。そして、俺には……力がない。
「どうしろと言うんだ」
「私に任せて、あなたは逃げて。『あなたは助かる』」
分かったと言いかけて、俺は強烈な違和感を覚えた。「あなたは助かる」?つまり、自分を犠牲にすると?
ダメだ、それだけはダメだ。彼女には、生きてもらわないと意味がない。2人で生き残らないとダメだ。
でも、どうすればいい?目の前の男は、間違いなく強い。エリックならともかく、俺でどうにかなる相手じゃ……
俺の頭の中に、恐ろしい考えが浮かんだ。
693 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/15(火) 19:09:27.77 ID:CRgXx40Z0
……そうか。これなら彼女を守ることができるかもしれない。とりあえず、2人で生き残るとしたら、これしかない。
俺は、メディアをおもむろに抱きしめた。そして……
「……ごめん」
そう一言言うと、俺は彼女の唇を奪った。そして、舌を深く挿し入れる。
欲情のためじゃない。彼女の唾液を、体液を摂取するには……これしかなかったから。
「むっ……!!?むちゅっ……」
「駄目っ!!!んんっ……それは、んぐっ、それだけは……!!!」
身体が一気に熱くなる。そして、頭が俺のものじゃないかのように、急速にめぐり始めた。
694 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/15(火) 19:10:27.28 ID:CRgXx40Z0
背中が、熱イ。両腕ガどこマでも伸びテイク。
そうダ。メディアヲ守ルには……ヒトであルコトヲ、ヤメレバイイ。
「WOOOOOOOO!!!!!」
俺の……カルロス・ゴンザレスの人としての意識は、そこで途絶えた。
695 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/15(火) 19:11:10.23 ID:CRgXx40Z0
場所紹介
「ロックモール・イリア海水浴場」
ロックモールの一大名所。富豪の高級別荘が立ち並ぶ一角にある。一般人には解放されておらず、特権階級の憩いの場である。
近くには温泉を活用した「ロックモール総合病院」もある。ここはユングヴィの世俗派が運営する病院であり、アヴァロンら原理主義派との関りは薄い。
なお、イリアとは先代の「女神の樹の巫女」の名である。
人がほとんどいなかったのはカルロスの推測通りであり、テルモン主導で戒厳令が出されたため。
なお、デイヴィッドは「アングヴィラ近衛騎士団団長」であるため、ユングヴィ教団を警戒するテルモンの兵士たちからはスルーされている(というよりテルモンへの協力者と騙っている)。
696 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/15(火) 19:12:16.03 ID:CRgXx40Z0
第27-2話
697 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/15(火) 19:12:58.93 ID:CRgXx40Z0
「……これは酷いにゃ」
別荘に入るなり、強い血の臭いが鼻についた。玄関先には事切れたテルモン兵が横たわり、その少し向こうにはユングヴィの神官兵が腹を剣で貫かれていた。
内部ではかなり激しい戦闘があったみたいだ。数の上ではこちらが有利だったはずだけど、エストラーダの攻撃を食らったのも確かいたはずだから、全体としてはそう戦力は変わらなかった、ということか。
「気を付けな……まだ、いるかもしれない」
デボラさんにボクは頷く。彼女の顔色は青白いままだ。出血は何とか止めたけど、骨までは治せなかったかもしれない。ボクも限界だけど、残党がいたらボクが戦うしかない。
ゴトッ
抜け道がある地下室に向かおうとすると、何かが倒れる音がした。そこに向かうと……
「ヴェルナーさん、かにゃ?」
頭から血を流しながら立ち上がろうとするヴェルナーさんが見えた。その横には、ハンマーと神官兵の死体が転がっている。
「……アヴァロン、は」
「まだにゃ。向こうでボクらの仲間が戦ってるにゃ。ボクらはカルロスを追うにゃ……歩けるにゃ?」
「かたじけない……こいつら、魔法か何かで強化されてやがった……ただの神官兵と見て、侮ってたよ……」
地下室の扉を開けようとしたけど、しっかりと鍵がかかっていて開かない。中に人の気配はなさそうだ。
「デボラさん、銃を」
「魔導銃」を受け取り、できる限りの出力で放つ。轟音と共に、扉は砕けた。
「大丈夫、かい?」
「……もう余力はほぼないにゃ。でも、行かなきゃ」
案の定、カルロスとメディアは逃げた後だった。どのくらい前に逃げたかは分からないけど、急いだ方がいいと本能が言っていた。
その次の瞬間。
ゾワッ
外から、恐ろしいほどの魔力の高まりを感じた。……まずいっ!!
698 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/15(火) 19:13:55.30 ID:CRgXx40Z0
「走るにゃっ!!!」
抜け道に至る扉を確認し、2人を支えながら駆ける。扉を閉めるのと、光と共に何かが消える気配がしたのは、ほぼ同時だった。
「なっ……!!?」
「多分、アヴァロンの魔法にゃ。ボクらを消そうとしたのにゃ」
「『消す』?」
「いいから急ぐにゃ、あの2人だけじゃ身は守れないにゃ」
ふら付きながらも崖を降り切る。カルロスたちの姿は、まだ見えない。
「……上手く、行ったかね」
「分からないにゃ」
彼らが神官兵に捕まらないとは言い切れない。ただ、数はずっとテルモン兵の方が多い。多分大丈夫だろうという、うっすらとした推測はあった。
ただ、どうにも嫌な予感が消えない。砂浜を歩きながら、足がどんどん重くなるのが分かった。理屈じゃない、本能が何かを訴えかけている。
街道が、向こうに見えた。……その時。
ぞわわわわっっっ
強烈なマナ……いや、邪気!?それも、2つ???
699 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/15(火) 19:14:30.23 ID:CRgXx40Z0
「何だいこれはっ!!?」
「行くにゃっ!!ヴェルナーさんは、ここで待ってるにゃ!!」
「し、しかし」
「あなたの傷が一番深いにゃ!何かあったら逃げてにゃ!!」
首を縦に振る彼をしり目に、ボクは気力を振り絞って走る。全身が軋んで、すぐにでも倒れ込みそうだ。でも、この中で何とかできるとしたら、ボクしかいない。
そして、ボクが見たものは。
ぞわわわわっっ!!
エストラーダ候と同じように背中から無数の「枝」を生やす、カルロスの後ろ姿だった。そして、彼と対峙しているのは……深紅の大剣を振るう剣士。
「邪魔だあっっ!!!!」
ブンッという風切り音が、ここまで聞こえた。切り落とされた枝の付け根から、間髪を置かず新しい枝が生えてくる!?
「WOOOOOOOO!!!!」
獣のような咆哮。そして、彼がメディアを胸の中に抱きながら戦っていることに、ボクは気付いた。
「カルロスっ!!?」
「ダメっっっ!!!」
メディアの叫びが聞こえると同時に、「触手」が3本、ボクの方に飛んできた。……しまった、反応が……
700 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/15(火) 19:15:12.34 ID:CRgXx40Z0
「何ぼーっとしてるんだいっ!!!」
後ろからボクについてきていたデボラさんが、左腕だけで僕を抱えた。勢いあまって倒れたボクらの頭上を、触手が通り過ぎる。
「……あ」
「呆けてるんじゃないよっ!!あれは、もう『カルロス』じゃないっ!!今すぐ戻って、エリックたちに伝えにいくよっ!!」
……デボラさんの言う通りだ。多分、あれは……メディアに近づく人間を全て「敵」と認識しているんだ。こうなった以上、ボクらにできることは、ない。
起き上がって後退しても、「触手」の追撃はない。「カルロス」と戦う男が、ボクらの味方とも思えない。……退く以外に、道はなさそうだ。
「……分かった」
ボクらは、ふらつく足で走り出す。ボクもデボラさんも、正直体力は限界だ。それでも、気力を振り絞らないと。
「彼」がどうなるかは、ボクには全く分からない。ただ、エストラーダと同様殺戮を引き起こすなら……誰かが止めないとダメだ。
じゃあ、それは誰だ?エリックにそこまでの余力が残っていることを、ボクは心から祈った。
……そして、多分それはただの願望であることも、ボクは知っている。
「ぐあっ……」
「シェイド!?」
砂に足を取られた。これ以上は……走れそうもない。猫の姿になった所で、この足場の悪さではエリックたちのところまでは戻れない……か。
「デボラさん、任せたにゃ。ボクは少し……休むにゃ」
「……分かった」
彼女も右肩を負傷してて、全く万全じゃない。ただ、戦闘するならともかく、体力的にはまだボクより余裕はある。ボクにできることは、ただ……これ以上の襲撃がないのを祈るだけだ。
701 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/15(火) 19:16:05.25 ID:CRgXx40Z0
サクッ
誰かの足音がする。砂浜にはほとんど人はいない。ヴェルナーさんが、30メドほど離れた木陰で休んでいるのが見えるぐらいだ。
ボクはそのまま寝てしまいたいという欲求を振り払い、身体を起こす。もしさらに追っ手がいるなら……ボクは、ここまでだ。
サク、サクッ
疲れで視界が不鮮明だ。誰かが近付いているのは分かるけど、まだはっきりとは見えない。
「……誰、にゃ」
その顔が見えそうになった瞬間、ボクの視界が白い霧のようなもので覆われた。
「……!!?」
身体から、力が抜けていく。そしてボクは、そのまま意識を失った。
702 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/15(火) 19:16:53.18 ID:CRgXx40Z0
キャラクター紹介
カルツ・ヴェルナー(35)
男性。テルモン王国のシュヴァルツ第四皇子付きの騎士。身長178cm、78kgの筋肉質で短い黒髪。眼光鋭く、無精ひげの無骨な男。老け顔。
下級貴族の出だが、その剣術の腕を買われ第四皇子とはいえ皇室付きの騎士にまでのし上がった。
決して剣術の技巧は優れていないが、愚直な太刀筋で相手を消耗させ、頑強な肉体に任せて肉を斬らせて骨を断つ戦術を得意とする。
その剣同様、本人も不器用な職人肌。命令を忠実、着実に不平を言わずこなすため、皇室の信頼は厚い。
皇弟ナイトハルト・ヴォルフガングから召し抱えの話もあったが、シュヴァルツ皇子付きになってまだ1年ということもあり固辞している。
なお、意外にもグルメであり、こっそりと各地のレストランの記録を付けている。あくまで備忘録であり、人に見せるものではないとのこと。
何度も縁談が来ているが、任務以外では口下手なのと強面な外見が災いし未だ独身。
本人は独身であることに負い目や焦りを感じていないというが、ロックモールで主人が娼館に入り浸っているのを見て少し心が揺らいでいる。
703 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/15(火) 19:18:40.51 ID:CRgXx40Z0
今回はここまで。
ちょっと息抜きに番外編でもやろうかと思っています。
なるべくぬるーいやつです。(人口が減っている中あるのかは知りませんが)何かリクエストがあればどうぞ。
704 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/12/16(水) 23:58:41.02 ID:mx1fXFSDO
乙
有りすぎて迷うから選択方式にしてくれ
705 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/17(木) 08:53:38.69 ID:k1echxTrO
>>704
とりあえず考えているのはこの辺りです。
1 プルミエールの酒品評会
2 ヴェルナーのレストラン探訪
3 エリザベートとランパードの道中記
他に何かあれば考えます。27話はあと3、4パートで終わるはずです。
706 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/12/18(金) 16:48:46.02 ID:aOJnNIGDO
1だな
707 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/12/28(月) 00:09:30.93 ID:g6U9DEhfo
待ってる
708 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/29(火) 21:31:36.75 ID:Dh94pGk20
大分お待たせしました。息抜きパートを作ろうと思案中なのですが、シナリオになかなかそれらしき区切りがつきません。
イメージとしては次の次の章ぐらいにそういう余裕ができそうなのですが、少々お待ちください。
とりあえず、投下します。
709 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/29(火) 21:32:11.39 ID:Dh94pGk20
第27-3話
710 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/29(火) 21:33:13.36 ID:Dh94pGk20
私がこの世に「生まれ落ちた」のは、1年前だ。
女神の樹の下にいた私を拾ったのは、ユングヴィ教団の老司教、オフィーリア・アーヴィングだった。
彼女は統治府での執務の帰りに、たまたま私を見つけたのだ。
『あなたを守らないと』
開口一番、彼女は言った。
『どうしてですか』
『あなたが『女神の樹の巫女』だから。あなたの存在を知ったら、利用したり、殺そうとしたりする人がすぐに現れる』
私は驚いた。私の中にある「樹の記憶」から、利用されたりすることがあるだろうことは知っていた。そして、「私の娘」が犯してしまったことから、危険視する人がいるだろうことも理解していた。
でも、私を見てすぐに「女神の樹の巫女」だと彼女が理解したのは、さすがに予想外だった。傍から見たら、裸で横たわっている変な女にしか見えないはずだ。
『なぜ分かったのですか』
『無駄にこの街で70年以上生きているわけじゃないのよ。それに『女神の樹』については、こちらでも色々調べているの。
上に話をするととても面倒なことになりそうだから、私のところで止めているのだけどね』
『……なぜ、私を助けようと』
『過去の『巫女』の末路は知っているわ。その誰もが、不幸せな結末になった。
最初の巫女は悲恋の結果ここに根を生やし、2人目は慰み者となった挙句に命と引き換えにこの街を作った。そして3人目になってやっと子を成すことができたけど、その子は惨劇を引き起こしてしまった。
あなたの意識がどれなのか……あるいはその全てなのかは分からない。でも、私はあなたに『普通の女性』として生きてもらいたいの』
『え』
『それが神の教えだから。私の個人的な想いもあるけど、それはまたいつか、ね。ついてらっしゃい、とりあえずその恰好を何とかしないといけないわ』
711 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/29(火) 21:33:50.63 ID:Dh94pGk20
#
オフィーリアさんはロックモール郊外の彼女の私邸に、私を匿った。そして、人としての生き方や知識を色々と教えてくれた。
彼女は、ユングヴィ教団のロックモール支部を束ねる人だった。一応原理主義派に属しているけれど、心情的には世俗派に近いらしかった。
ロックモールにある病院の院長も兼ねていて、いつもとても忙しそうにしていたけど、とても親切で温厚な人だった。
そして、私が「人」として生きていく道はないか、こっそりと探してくれていた。
それは悲しいかな、ついに見つけられなかったのだけど。
家族のことを一度だけ聞いたことがあるけど、とても寂しそうな顔になったので慌ててやめた。
人には、触れられたくない過去があるのだと、その時知った。
とても、幸せな時間だった。多分、先代たち含めても、一番幸せだったかもしれない。
712 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/29(火) 21:34:41.62 ID:Dh94pGk20
#
それは、ほかならぬユングヴィ教団によって壊された。私の存在が、どこからか漏れたのだ。
そして、オフィーリアさんは自分の命と引き換えに……私を逃がした。カルロスと出会ったのは、その夜のことだ。
713 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/29(火) 21:35:20.44 ID:Dh94pGk20
#
最初は、当面の隠れ蓑としてしか、彼のことを考えていなかった。でも、彼は真っすぐで、優しかった。
そう……先代たちが愛してしまった男たちのように。
そして、私もまた、彼に惹かれてしまった。
それがただの本能なのか、それとも私の「記憶」によるものなのかは分からない。でも、それが誤ってると知っていても……想いは強くなってしまった。
だから、あの日……私が浚われたことはむしろ僥倖だったのかもしれない。多分、私の方が耐えきれなくなっていただろうから。
結ばれることは、何かしらの破滅に繋がる。そう理性では分かってた。
オフィーリアさんからも、「もしその時が来たら、まずゆっくり考えなさい」と釘を刺されていた。
この身体である限りは、誰も愛することはできない。……分かってたはずだった。
だから、アヴァロンに連れ去られ、「女神の雫」を作れと命じられても、私は抵抗しなかった。
ああ、これでよかったのだ。先代たちのような「過ち」を、繰り返すことはない。……そう思い込もうとした。
714 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/29(火) 21:35:58.45 ID:Dh94pGk20
#
ああ、なのに。分かっていたのに。
私は、愛されたいと思ってしまった。だから、カルロスのキスを……受け入れてしまった。
715 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/29(火) 21:36:26.04 ID:Dh94pGk20
#
彼の胸に抱かれながら、私は悔恨の念でいっぱいになっていた。
でも、涙は、流れない。すごく泣きたい気分なのに、泣けないのだ。
……ああ、私は所詮「魔物」なのだ。それを実感し、さらに悲しくなる。代わりに、強く握った手のひらから緑色の「血」が滲むのが分かった。
頭上では、彼の「触手」が必死に私を守っているのが分かった。深紅の大剣の男の剣戟は凄まじく迅く、そして重い。私でもそれが分かった。
剣の一振りで、幹のような「触手」が何本も斬り飛ばされていく。
「邪魔だってんだろうがぁっ!!!!!」
ヴォン
剣から放たれた衝撃波が、私とカルロスを襲う。ボロボロになったカルロスが、残り少なくなった「触手」で盾を作った。……しかし。
バキィッッッ!!!
それは他愛もなく砕け散る。触手の隙間から見える男の顔は、まるで悪鬼のようだ。
地面に剣を突き刺してからの男の攻撃は苛烈だった。明らかに、人間を超越した何かだった。いや、本当に彼は人間をやめかけているのかもしれない。
あの剣が「遺物」と呼ばれるものであることは薄々分かった。
……あれは、ヒトが持っていいものじゃない。ヒトを確実に狂わせるものだ。理屈ではなく、本能で私はそのことを知っていた。
でも……私は、何もできない。……あまりに、無力だ。
胸に抱いている、宝石をちらりと見る。これを使えばきっと、この危地を脱することができるだろう。
でも、それはカルロスが否定したやり方だ。彼の想いを裏切ることになる。……それだけは、できない。
手のひらから、一筋緑の血が流れた。こうやって彼にわずかずつ力を与え続けているけど……もう、限界だ。
「終わりだっっっ!!!!!」
ザンッ!!!
最後の盾も破られた。カルロスは干からび、崩れ始めている。
…………ごめんなさい。私になんて、会わなければ…………
堅く目を閉じる。……このまま、カルロスと一緒に斬られるのだ。
716 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/29(火) 21:37:07.92 ID:Dh94pGk20
「なっ!!?」
その時、男が飛びのくのが見えた。……何だろう?エリックさんたちが来たのだろうか。
ガチャッ
顔を上げる。そこには、見たことのない鎧を着た、2人組がいた。顔は、異形の兜に覆われて見えない。
717 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/29(火) 21:38:10.95 ID:Dh94pGk20
「……誰だ、貴様らは」
「別に名乗るほど大した者じゃないよ、デイヴィッド・スティーブンソン」
青い鎧の声の主は、若い男性のようだ。
「チッ」
大剣の男が剣を薙ぐ。その衝撃波を、もう一人が容易く掌で弾き返した。
「攻撃は効かないわよ。こちらからの有効打も、多分ないけど。
でも、この子たちを守ってエリック・ベナビデスたちが来るのを待つことくらいはできるかな」
もう一人の、赤い鎧の中は女性みたいだ。デイヴィッドと呼ばれた男の顔が歪む。
そして、大剣を再び地面に突き刺した。
「……魔王が来るまで温存しとくつもりだったが……使うしかねえなぁ!!……轟け、『スレイヤー』ッ!!!」
深紅の剣が、赤い光を纏う。天まで届こうかという光と共に、その斬撃は振り下ろされた。
……しかし。
ズォンッッ!!!!
青い鎧の男性が、それを全身で受け止めた!??
「うおおおおっっ!!!!!」
パァンッッッ!!!!!
甲高い破裂音。男が、呆気に取られたような表情で彼を見つめる。
718 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/29(火) 21:38:38.03 ID:Dh94pGk20
「……マジ、か??」
鎧は真っ二つに割れた。しかし、男性は苦笑いを浮かべ、傷一つなく立っている。赤い髪の、精悍そうな人だ。
「あーあー……『パワードスーツ』が破壊されるとはねえ……こりゃ、シュトロートマンさんにまた小言言われそうだな」
「あーあーじゃないわよ、ブラン……。それが壊されること自体、相当想定外なんだから。
でも、もうあなたに打つ手はないかな。その遺物を『解放』すれば皆殺しにできるだろうけど、あなたも死ぬ。つまり『詰み』ってやつ?」
デイヴィッドが何か唱えるのが分かった。背後に、空間の歪みができる。
「……悪いが、逃げさせてもらうぜ」
「逃がすかよ!!!」
ブランと呼ばれた男性が、銃を抜こうとした。デイヴィッドは剣を振るい、彼を妨害しようとする。
衝撃波を、赤い鎧の女性が身をもって防いだ。
「あっぶないわね……ここまでで、良しとしましょ?」
デイヴィッドは、空間の歪みに消えようとしている。
「……テルモンの、反皇帝派かっ!!!」
「ご存知のようで光栄ね、アングヴィラの近衛騎士団長様。ま、またお会い……はしたくないわね」
反皇帝派??そんなのが、なぜここに……??
そして、デイヴィッドはいずこへと去った。
「大丈夫??」
「え、ええ。……あなたは」
女性が兜を脱ぐ。長く黒い髪の、快活そうな女性だ。
「私は、クロエ。クロエ・シュトロートマン。アリス・ローエングリン教授からのお願いで、ここに来たわ」
719 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/29(火) 21:39:03.61 ID:Dh94pGk20
キャラクター紹介
オフィーリア・アーヴィング(享年73)
女性。ユングヴィ教団のロックモール司教であり、教団が運営する病院の院長でもあった。
実質的なロックモールの顔役であり、テルモンとモリブスの両国の勢力を取りまとめられるだけの人物であったと言える。
元は娼婦であったが、身請けした貴族が夭折したのを受けて帰依。以来「聖母」として人々の信頼を集めた。「蜻蛉亭」のカサンドラも、彼女の影響を強く受けている。
テルモン系の人間ではあるが、心情的には反皇帝派であり、その関係上モリブスの世俗派との交流もあったようである。
その人望と政治手腕からテルモン皇室、イーリスの原理主義派からは危険人物とされてきた。
彼女には政治的野心が乏しかったが、アヴァロンは彼女を排除する切欠をひたすら欲しがっていたようである。
果たして、野心ある若い神父の手によりメディアの情報がリークされ、これを口実に彼女は邪教徒として殺された。反論の余地もなく、一刀両断であったようである。
なお、メディアを人間に戻す方法は色々と探していたようだ。
実はアリスとシェイドの存在にも辿り着いており、亡くなる直前には会う約束も取り交わしていた。
もし彼女の死がなければ、メディアはアリスの元にいた可能性が高い。
720 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/29(火) 21:39:47.81 ID:Dh94pGk20
第27-4話
721 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/29(火) 21:40:21.81 ID:Dh94pGk20
……誰だこいつは。
目の前にいる異形の2人を見て、さすがの俺も動きが止まった。
男は上半身こそ普通だが、下半身には見慣れない意匠の甲冑を着けている。
女はもっと異様だ。赤い、似たような甲冑だがやたらと曲線的で、継ぎ目が見当たらない。こんな防具は、見たことがない。
「主役登場、ね」
女が笑う。そこに敵意はない。それだけは分かった。
……ただ、この状況を整理できない。カルロスは枯れ果て、いるはずのデイヴィッドはどこかへ消えている。メディアは無事なようだが……
何がここで起こった?
722 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/29(火) 21:41:27.02 ID:Dh94pGk20
#
そもそも、ここに来るまでがおかしかった。
デボラに案内されるまま、限界に近い身体を何とか動かして俺たちは砂浜を走った。
途中、木陰で休んでいるヴェルナーを見つけた。息があることを確認し、もう少し先へと進む。
「シェイド!!?」
デボラがうつぶせに倒れているシェイドに駆け寄る。その表情は、すぐに安堵へと変わり、やがて疑念へと変わった。
「……どうした?」
「いや、寝てるだけさ。……でも、『マナが戻っている』」
「何?」
「こいつもギリギリで動いてたからね。だから、ここであんたらを呼びに行くのを託されたんだ。
『少し休む』って言ってたから、意識を失っているのはいいんだ。でも、体力もマナも回復しているなんて、あり得ない」
「……誰かが回復魔法を??」
後ろからプルミエールが割り込んできた。デボラは首をひねる。
「どうだろうね。というより、睡眠魔法(スリープ)もかけられてる気がする。
あたしはここで少しシェイドの様子を見るよ。あんたらは先に行ってな。あたしじゃ、あいつらとは戦えない」
「あいつ『ら』?」
「深紅の大剣を持った男さ。間違いなく『使う』」
ぞわっと背が逆立つ錯覚がした。……あいつだ。
「……デイヴィッド……!!」
「やはり、知ってたね」
「……万全でないと、戦える相手じゃない。無理そうなら、すぐに全力で逃げる。
カルロスについては……運を天に任せる以外にない」
オルランドゥ魔術都市から出た際、デイヴィッドはまだ実力を隠していた。
もしあそこで本気を出されていたら……どちかが死んだはずだ。
そして恐らく、それは俺の方だっただろう。「閃」は、プルミエールがいる以上使いようがなかったからだ。
逃げる体力は残っているか?数秒ぐらい、「5倍速」を発動できる程度はある。ただ、誰かを守るのは……無理だ。
「プルミエール、お前はここにいろ」
「……分かった。無理は、しないで」
「そのつもりだ」
俺は小走りで街道へと向かった。……戦闘は、もう終わっている?
723 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/29(火) 21:42:12.94 ID:Dh94pGk20
#
……そして、俺はこの2人と出会った。
メディアが抱いているのは、干からび骨と皮だけになりつつあるカルロスだ。まだ息はあるのだろうか。
「……主役、だと?」
「そう。アリス教授からの依頼でやってきたってわけ。ああ、さっき彼女には自己紹介したけど改めて。
クロエ・シュトロートマンよ。よろしく」
差し出された手を握るべきか、俺は躊躇した。敵意はないが、本当に信用できるのか?
男が肩を竦める。
「その格好じゃ怪しまれるだろ。『パワードスーツ』、解除しないと」
「あ、それもそうね」
女が左手首に触れると、甲冑は煙のように消えた。女はごく普通の町人姿になる。……こんな魔法、見たことがない。
「何をやった、そして何者だ?」
「あー、これ?装備を解除したの、魔法じゃないわ。まあ説明が長くなるけどそれは置いとくわね。
私はカール・シュトロートマンの娘。パパの名前は聞いたことあるでしょ?」
「……テルモンの反皇室派の長か?確かに、アリス教授は協力関係にあるとは聞いていたが」
「そ。で、今手が離せないってことで、私たちが代わりにね。というか、この子大丈夫?」
メディアが悲しげに首を振る。
「……私のために……力を使いきった。もう、このままじゃ」
男がカルロスに駆け寄る。すぐに渋い顔になった。
「……確かに、これはまずいな」
「何とかできそう?」
「さっきの子供はただの過労だから良かったけど、こっちは深刻だね。……一応薬一式はあるけど、見たところ老化の進行だから気休めにしかならない」
「……そうか。彼、あなたの大切な人なんでしょ?」
コクン、とメディアが頷く。
「もう、どうしようも……」
「苦痛なく逝かせることならできるけど。延命を望むなら、一応応えられる」
……こいつら、医者か何かか?シュトロートマンの娘が、そんな大層な奴だとは聞いたことがない。
「延命?」
「といっても数日。最期のお別れぐらいは言えると思うわ」
メディアは悲しそうに俯き、胸元から緑の宝石を取り出した。
「……これを使えば、彼は助かる」
724 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/29(火) 21:42:43.15 ID:Dh94pGk20
「……あなた、それって」
「『女神の雫』。私の生命の結晶。そして、『願い』を一つだけ、叶える力を持つの」
男の目が見開かれた。
「伝承は、マジだったのか!!?」
「……伝承?」
「ああ。ユングヴィに伝わる話だ。『巫女は命と引き換えに『女神の雫』を産み出し、それをもって干天に慈雨を降らせた』とね。
150年前、怪物となり倒れた夫の願いを聞き入れ、巫女は雨を降らせたのさ。
自分を我が物にしようとした豪商と、ロックモールの一部を水没させるだけの豪雨をね。
そして、その引き金となったのが、その宝石って話だ。娘を逃がした時に、もう覚悟は決まっていた……と解釈されてる」
「随分詳しいのね」
男が苦笑した。
「まあ、一応イーリスの人間だしな。……エリックが来たということは、アヴァロンは」
「俺が殺した」
「そうか。親父に代わって礼を言うよ。まだ、残党は多いが……」
「親父?」
「ああ、俺の紹介がまだだったな。ブラン・コット。親父はイーリスの第一師団団長だ。俺は放逐された身だがな」
イーリスの第一師団団長の息子?それが、なぜシュトロートマンの娘と……一体、何が起きている?
クロエがメディアを見つめた。
「……それを使えば、あなたは死ぬ。でも、彼は助かる。そういうことね」
「……私は、所詮ヒトじゃない。そして、誰かを愛することも許されない。……ならせめて、この命は彼を助けるため……」
「……ダメ、だ」
掠れた声。カルロスが、口を開いた。
725 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/29(火) 21:43:33.08 ID:Dh94pGk20
「……あなた、それって」
「『女神の雫』。私の生命の結晶。そして、『願い』を一つだけ、叶える力を持つの」
男の目が見開かれた。
「伝承は、マジだったのか!!?」
「……伝承?」
「ああ。ユングヴィに伝わる話だ。『巫女は命と引き換えに『女神の雫』を産み出し、それをもって干天に慈雨を降らせた』とね。
150年前、怪物となり倒れた夫の願いを聞き入れ、巫女は雨を降らせたのさ。
自分を我が物にしようとした豪商と、ロックモールの一部を水没させるだけの豪雨をね。
そして、その引き金となったのが、その宝石って話だ。娘を逃がした時に、もう覚悟は決まっていた……と解釈されてる」
「随分詳しいのね」
男が苦笑した。
「まあ、一応イーリスの人間だしな。……エリックが来たということは、アヴァロンは」
「俺が殺した」
「そうか。親父に代わって礼を言うよ。まだ、残党は多いが……」
「親父?」
「ああ、俺の紹介がまだだったな。ブラン・コット。親父はイーリスの第一師団団長だ。俺は放逐された身だがな」
イーリスの第一師団団長の息子?それが、なぜシュトロートマンの娘と……一体、何が起きている?
クロエがメディアを見つめた。
「……それを使えば、あなたは死ぬ。でも、彼は助かる。そういうことね」
「……私は、所詮ヒトじゃない。そして、誰かを愛することも許されない。……ならせめて、この命は彼を助けるため……」
「……ダメ、だ」
掠れた声。カルロスが、口を開いた。
726 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/29(火) 21:44:12.83 ID:Dh94pGk20
(二重投稿失礼しました)
「君、は、生きなきゃ、いけない……人間になる、方法は、アリスって人が、知ってる、んだろう……」
「……カルロス」
「俺の、ことは……いいんだ。君を、守れた、だけで……」
ブランが首を振った。
「もう喋るな。寿命が……」
「俺は、満足、だよ。メディア、君は、君の人生を……」
俺は唇を噛んだ。……安い悲劇だ。こんな結末を見たかったわけじゃない。
アヴァロンは討ち、エストラーダ候も塵に帰った。だが、この2人を守れなかったことは……痛恨の極みだ。
確かに、2人を守ることは、俺の宿願とは何の関係もない。だが、父上の教えには背く。
「頼まれたことは、最後まで遂行しろ。それが君主たるものの務めだ」。父上は、事あるごとにそう言っていた。
俺は、魔族を統べる君主たらねばならない。見捨てることは、決してできない相談だった。
……何か、できないのか。本当に、打つ手はないのか。
メディアがクロエの制止を振り切り、宝石を強く握る。
「……嫌。あなたの記憶を消してでも……!!!」
その時、向こうからプルミエールとデボラの姿が見えた。
…………それだ!!!
「加速(アクセラレーション)5ッッッ!!!!」
727 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/29(火) 21:45:21.99 ID:Dh94pGk20
宝石が砕かれようとした瞬間、俺は力尽くでそれを奪う。そして叫んだ。
「デボラッッ!!!『時間遡行』を!!!」
「えっ!!?」
「今なら間に合う!!余力は!?」
「ほとんどないけど……」
俺はクロエとブランを見た。
「今から治療をやるっ!!今から来る亜人の女に、体力回復の治癒魔法を!!あとはあいつが何とかするッッッ!!」
「え」
「いいからすぐにだ!!できるんだろ、強力な治癒(ヤツ)!」
そうだ。シェイドの様子からして、あいつの体力を回復させたのはこいつらのうちのどちらかだ。
なら、その力を借りれば……デボラの魔力を回復させれば、「時間遡行」で「干からびる前の」カルロスに戻すことは、多分できる!
一瞬呆気に取られていたクロエが「ああ」と呟いた。
「あれは魔法じゃないわ。薬を霧状にして、ついでに眠らせただけよ。寝ないと体力は戻らないから。でも、お望みとあらば……」
彼女は一瞬のうちに、赤い甲冑姿になった。そして何か操作すると立て続けにデボラとカルロスに霧を放つ。
「あ……か……」
「デボラさんっ!!?」
崩れ落ちるデボラを、プルミエールが支えた。カルロスもまた、ガクッと首が横に倒れる。
「とりあえずお望み通りにね。ここじゃ目立つから、少し場所を移動しましょうか」
728 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/29(火) 21:45:57.49 ID:Dh94pGk20
アイテム紹介
「女神の雫」
「女神の樹の巫女」がその生命力を注いだ結晶。砕くことで、巫女が願った「奇跡」を起こすことができる。
奇跡の力は相当に強く、死者蘇生など世界の理をねじ曲げることまで可能。ただ、世界の征服や破滅など大それたものはできない。
結晶は硬く簡単には砕けないが、巫女だけは簡単に破壊することができる。
なお、破壊すると巫女は死ぬ。いわば心臓のようなものである。
女神の樹の巫女の体液は直接飲むとエストラーダやカルロスのように人外化を引き起こすが、一定以上希釈すればまさに万病の薬となる(そして強烈な媚薬ともなる)。
このため、生殖という役目を終えた巫女は利用されるのを防ぐため「女神の雫」を作るのである。いわば、自決装置のようなものである。
もっとも、それ自体に奇跡という副次的な効果があるため、かえって狙われる理由になっているのだが。
メディアについて言えば、彼女は早い段階で死を覚悟していた。
「同じ死なら人の役に立つ死を」ということで、アヴァロンに言われるまま雫を生成していたというわけである。
なお、アヴァロンの願いについては次回ブランが明かすことになるだろう。一応、私利私欲ではない。
729 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/29(火) 21:46:45.77 ID:Dh94pGk20
第27-5話
730 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/29(火) 21:47:12.76 ID:Dh94pGk20
「……落ち着いたか」
「そうみたい。デボラさん、さすがに疲れて眠ってるわ」
私はゆっくりと扉を閉めた。……やっと、一息つける。
私たちは、「蜻蛉亭」にいた。娼館の部屋を病室代わりに使わせてもらえることになったのだ。
カサンドラさんは「お代は頂くわよ」と言っていたが。魔族であるエリックの姿を見ても嫌な顔をしなかった辺り、やっぱりいい人なんだろう。
カルロス君の処置は、一応無事に終わった。
デボラさんの付き添いで見ていたけど、「時間遡行」の過程で例の「触手」が背中から生えて来た時にはさすがに焦った。エリックを呼びに行こうと思ったくらいだ。
でも、もともと深い眠りに入ってたらしく、暴れることは幸いなかった。何でも、あのクロエさんという人の薬が効いていたらしい。
カルロス君の生命力はかなり失われているらしい。デボラさんからは「流れた血は元に戻せない」とは聞いていたけど、それと同じ理屈のようだ。
あのデイヴィッドには随分触手を斬られていたみたいだ。どうもその影響があるんじゃないかという。
それでも、彼が一命を取り留めたのは確かだ。
今、カルロス君はメディアさんが看病している。
まだ乗り越えなきゃいけない障害は幾つもあるだろうけど、一先ず大きな山は越えたんじゃないか。私はそう思った。
シェイド君はというと、猫の姿に戻ってまだ寝ている。私はもちろん、エリック以上に体力を酷使したのだろう。
そもそも、シェイド君にとって亜人の姿は仮初めのものだという。その状態を維持するだけでも、結構な体力を使うのだと聞いたことがある。
彼がいなければ、私たちがアヴァロンに勝つことはなかっただろう。いや、これは皆の勝利なのだ。
思い切り喜びたかったけど、そんな気力もないほど、皆疲れ果てていた。
とりあえず柔らかなベッドで、早く寝たいな……
でも、生憎そうもいかない。下には、私たちを待っている人がいる。
クロエさんとブランさんだ。
731 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/29(火) 21:47:50.03 ID:Dh94pGk20
#
1階の応接室に入ると、彼らが落ち着かない様子で座っていた。
「娼館なんて初めてだけど、こんな感じなんだな。もっとゴチャゴチャしてると思ってた」
「来る必要もないでしょ……あ、来た来た」
私たちは、彼らの向かいに座った。
「ごめんなさい、やっと処置が終わって……。お待たせしました」
「いえいえ、お気遣いなく。あなたのことは、アリスさんから聞いてるわ。今までで一番の学生だと」
「そんな……お世辞ですよ」
コホン、と隣から咳払いがした。エリックも相当に疲れているらしい。
「手短に頼む。正直、結構限界だ」
「そうね、申し訳ない。私たちがアリス・ローエングリン教授からのお願いで来た、とは言ったわね」
「ええ。でも、なぜあなた方が教授と知り合いなんですか?
確かに、反皇室派を支援しているとは聞いてましたが」
「厳密には『反皇帝派』ね。皇室にもマシなのはいるから。
アリス・ローエングリン教授……そしてジャック・オルランドゥ氏は私たちの協力者であり、皇帝に対抗する力を与えてくれるパトロンなの」
「……解せんな」
エリックが会話に割り込んできた。
「まず、一介の学者がテルモンの件に首を突っ込む理由が分からない。
それに、ブランだったか?お前はイーリス出身で、テルモンの件なぞどうでもいいだろう」
「……そもそも、何で私の父が反旗を翻したか、知ってる?」
「いや」
「皇帝ゲオルグの圧政が理由なんじゃないですか?」
私の言葉に、クロエさんが小さく首を縦に振る。
「それはもちろんある。でも、もっと大きな理由がある。
父はテルモン南西部にある小都市、ヘイルポリスの領主だった。そして、ヘイルポリスには小さな遺跡があるの」
「遺跡?」
「そう。『断絶の世紀』は知ってるでしょ?私たちの世界には、『500年前から過去の記録が一切ない』。
ただ、その手掛かりとなる遺跡は幾つか世界に存在する。ヘイルポリス遺跡もその一つ」
「断絶の世紀」はもちろん知っている。ただ、「遺物」や「秘宝」がその手掛かりになりうるものだとは聞いていた。
ただ、どこから出土したのかというのまでは知らない。
……何か、ざわざわしたものを胸の内に感じる。なんだろう、これ。
732 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/29(火) 21:49:22.91 ID:Dh94pGk20
私は動揺を悟られぬよう、努めて静かに訊いた。
「教授が昔冒険者をやっていたのと、関係があるんですか」
「もちろん。彼女とジャック・オルランドゥ氏は、その発掘作業に携わってた。父もそれを後援していたの。
でも、皇室はそれを潰したかった。だから、3年前にヘイルポリスを襲撃したのよ。何とか死守できたけども」
「どうしてですか?ただの遺跡の発掘作業じゃ……」
その時、「まさか」とエリックが呟いた。
「……狙いは」
「ええ。遺跡に眠る『秘宝』や『遺物』。それを独占するつもりだったんでしょうね。
あれは、使い方によってはとてつもなく危うい。あなたたちは、身をもってそれを知っているはず」
……そういうことか!!鈍い私でも、やっと分かった。
今テルモンで起きていることは、ただの反乱じゃない。強大な武力をどちらが握るかという争いなのだ。
そして、遺跡ということは……
「『サンタヴィラの惨劇』とも、関係がある話なんですね」
「恐らくは。あなたが考える以上に、『秘宝』や『遺物』は世界を変えかねないの。それも、根本から」
「お前たちが着ていたあの鎧も『遺物』か」
ブランさんが肩を竦めた。
「いや、『パワードスーツ』は『秘宝』の方だよ。というか、よく誤解されるんだけど武具だからといって『遺物』とは限らないんだ。
その魔力の源となる『魔洸石』が含まれているか否かが大事でね。あれは、人の精神に重大な影響を及ぼすのさ。
パワードスーツの動力源はあくまで着用者本人の魔力と『電力』。至って平和な代物だよ」
「そんなものを、どうしてお前たちが?その遺跡からの出土品なのか」
「ご名答。で、俺はイーリスの反ユングヴィ教団派としてクロエたちに協力する立場ってわけだ。
まあ、こいつとはガキの頃からの腐れ縁なんだけどな」
クロエさんがやれやれと溜め息をつく。
「『幼馴染』と言ってくれないかな?ま、それはともかく。
私たちがここに来たのは、ヘイルポリスにいるアリスさんとジャックさんの支援をお願いしたいからなの」
「……え??教授たちは、モリブスにいるはずじゃ……!!?」
「襲撃の気配があったからなのかな。数日前にヘイルポリスに『転移』してきたのよ。ジャックさんの容態も良くないみたいでね……
あなたたちのことは、大分気にしてた。そして、ミカエル・アヴァロン大司教の動向も。
でも、彼女は動けなかった。『本当にごめんなさい』と、言伝を預かってるわ」
襲撃……多分、あのデイヴィッドだ。私たちは出くわさなかったけど、2人からカルロス君が戦っていた相手が彼であることは聞いていた。
それにしても、新しい情報が多くて頭が混乱する。というか、私の失われた記憶とも、何か関係があるんじゃ……
私は首を振った。きっと、考え過ぎだ。
「『支援』ということは、何かに巻き込まれているのか?」
クロエさんが頷いた。
「ええ。ヘイルポリスは今、テルモン軍によって襲撃を受けてるわ。
相手は……皇弟ナイトハルト・ウォルフガング。そして父とアリスさんは、その防衛に回ってる」
「そこで、俺たちの力を借りたい。そういうことだな」
「ええ。あなたの目的が、『サンタヴィラの惨劇』の真実を暴くことにあるのは知ってる。
だから、無理にとは言わない。でもさっきプルミエールさんが言ったように、決して無関係じゃない」
エリックが私の目を見た。答えは決まっている。
私はクロエさんに頷いた。
「やります」
733 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/29(火) 21:50:01.59 ID:Dh94pGk20
武器・防具紹介
「パワードスーツ」
「秘宝」の一つ。全身鎧であり、滑らかな意匠を含め明らかに既存の鎧とは一線を画している。
その防御性能も破格であり、「スレイヤー」の力を解放した一撃も一応耐えることができる(ただし受ければ破壊される)。
外見は「アイアンマン」のそれをもう少し曲線的にしたものと考えればよい。クロエやブランの持つもの以外にも、1、2点存在する模様。
なお、左手のバックルに収納することができる。質量は約1kgと軽く、女性のクロエでも問題なく扱える。
本人の魔力に応じて身体能力を引き上げる効果もある。電力はサポート動力程度。兜内部は全方位モニターとなっており、周辺状況を分析するようにできている。
ブランが言う通り「秘宝」と「遺物」の最大の違いは「魔洸石」を内蔵しているかどうかに左右される。
パワードスーツにも「魔洸石」を内蔵する強化版があるようだが、それが現存するかは不明。ただ、あるとすれば間違いなく「特級遺物」だろう。
734 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2020/12/29(火) 21:50:53.90 ID:Dh94pGk20
今日はここまで。明日で大体追いつきます。
735 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/12/30(水) 01:52:14.76 ID:yvLieVxDO
乙乙
736 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2021/01/11(月) 18:23:07.72 ID:m+vxd/s9o
第28-1話
737 :
◆Try7rHwMFw
[sage]:2021/01/11(月) 18:23:41.06 ID:m+vxd/s9o
テスト
738 :
◆Try7rHwMFw
[sage]:2021/01/11(月) 18:24:45.95 ID:m+vxd/s9o
「随分慌ただしいねえ。あんたもまだ回復してないんだろ?」
デボラが苦笑した。右肩は石膏で固められている。
「急いだ方がいいみたいだからな。一応、クロエたちの薬のお蔭で多少は体力は戻っている」
日はまだ低く、涼しさまで感じる。ヘイルポリスまでは2日ほどの道のりだが、それでも早いうちに出た方がいいということだ。
そう、俺たちはヘイルポリスへと向かうことになった。ジャックとアリスを救うためだ。
プルミエールがザックを担ぎ直した。向こうでは、クロエとブランがもう発つ準備をしている。
「デボラさんたちは、しばらくここに?」
「まあね。モリブスから軍隊が来るから、今回の件の説明をしなきゃいけない。一応、一部始終を説明できる立場にはあるからね。
それに、この肩じゃ足手まといになりかねない」
デボラの視線が、プルミエールから俺に移る。
「……アヴァロンの件、本当に心から恩に着るよ。仇の一人を討ってくれた……何と礼を言えばいいのか」
「それはいい。俺だってお前には随分助けられたからな」
「……ふふ、そうだね。『前と同じ御礼』は、できそうもないしね」
意味深に笑うデボラに、プルミエールはきょとんとしている。
「シェイド君も残るの?」
「にゃ。ご主人のことは気になるけど……エリックほど体力が戻ってるわけじゃないにゃ。行くなら万全にしてからにゃ」
「じゃあ、後で合流だね」
「そうなるにゃ。デボラ姉さんも行くにゃ?」
デボラが拳を握ってみせた。
「そうだねえ……まだ、仇は討ったわけじゃない。オーバーバックは、あたしがこの手で」
「蜻蛉亭」から、メディアと車椅子に乗ったカルロスが現れた。
「……もう、行くのか?」
「ああ。メディアを人間にするのはしばらく待ってもらうことになるが、大丈夫か?」
「信じて待つよ」
カルロスがメディアを見上げた。彼女は静かに微笑む。こんな表情もできるのかと、俺は少し驚いた。
「くれぐれも、肉体的接触は避けろ。性交なぞもっての他……」
「んなの肌身に染みて分かってるよ。それにこの身体じゃ、そういうのは無理だ」
クスクス、と後ろでプルミエールが笑う。
「……何がおかしい」
「いや、お母さんみたいだなあって」
少し、顔が熱くなった。
「……っ!ま、まあいい」
「ははは……無事を祈るよ」
「私からも、ささやかですが祈りを」
2人と握手をする。「そろそろいいかな?」と、クロエの声がした。
「分かった。……行ってくる」
4人が手を振る。次に会えるのは、いつだろうか。
739 :
◆Try7rHwMFw
[sage]:2021/01/11(月) 18:25:25.18 ID:m+vxd/s9o
#
「存外『魔王』も感傷的なんだねえ」
馬上のクロエがニヤリと笑う。
「……ふざけろ。気のせいだ」
「ロックモールを離れてから、チラチラ『女神の樹』を振り返ってたじゃない。まあ、心残りがあるのは分かるけど」
「うるさい」
横のプルミエールがクスクス笑った。
「……何がおかしい」
「ううん、何も。……戦況は、どうなんですか」
「私たちが出た時は、膠着状態だったと思う。皇弟ナイトハルトが直々に出てくるのは始めてじゃないけど、父には北部の『イミル関』で痛い目に以前遭わされてるから」
「痛い目?」
トントン、とクロエが左手首の腕輪を叩く。
「『パワードスーツ』。ナイトハルトも遺物『グングニル』持ちだけど、父の守りは崩せなかった。手間取っている間に、崖上からの集中砲火を食らって撤収、というわけ。
イミル関は皇都とヘイルポリスを繋ぐ要所なの。今も、多分あそこで止まってる」
「でも、俺たちの支援が必要なのはどういう意味だ?」
ブランが気まずそうに頭をかく。
「アヴァロンによってユングヴィの神官兵が動員されてね。それで皇都での陽動が上手く行かなかった。
アヴァロンは死んだらしいけど、その腹心のアウグストは健在だ。こいつも何考えてるか分からないけど、ナイトハルトと組んだのは嫌な予感がするな」
「アウグスト?」
「そう、アウグスト・フェルナンデス。あいつは基本イーリス内部でしか動いてなかったし、知らなくて当然か。
アヴァロンの恐怖政治の一翼を担った奴だよ。異教徒や魔族の弾圧ではアヴァロン以上に苛烈かもしれない。
アヴァロンが行方不明になった情報がすぐに入るとも思えないけど、知ったらどうするかは読めないね」
……アヴァロンみたいなのがまだいるのか。神への盲信は害悪でしかないな。
「つまり、そいつが来るまでにナイトハルトを撃退すればいいわけだな?」
「そういうこと。ゲオルグが直接来たらまた厄介だけど」
「詳しい話は現地で、ということだな」
にしても、切迫した状況であるはずなのに、2人には妙な余裕がある。信用してないわけじゃないが、何か引っ掛かる。
「どうしたの、エリック」
「いや……何か、な」
視線を前に向けると、ポプの並木が見えてきた。今日の宿場である、エルファンが近いようだ。
740 :
◆Try7rHwMFw
[sage]:2021/01/11(月) 18:26:06.23 ID:m+vxd/s9o
#
「……えっ?」
「ん?部屋は2部屋だよ。私はブランと、であなたたちと」
エルファンの宿のカウンターの前。プルミエールが口をパクパクさせたまま固まっている。……さすがにそれは聞いてない。
「……どういう意味だ」
「あ、そういう関係じゃ『まだ』ないの?アリスさんからはそう聞いてたけど」
「違うっっ!!!どうしてそんな適当な……そもそも、お前らは一緒でいいのか?」
「そりゃねえ。もう20年もいれば家族同然だしね」
「……はあ」
溜め息をつくブランの頭を、クロエが軽くはたく。
「何嫌そうな顔してんのよ」
「どうせ主導権はそっちなんだろ、知ってる。暴君の『姉』を持つと疲れるよ……」
「ほう、そこまで搾り取られたいの?」
今度は俺が溜め息をついた。「そういう関係」か。
にしても、こんな緊張感がないやり取りをできるのはやはり妙だ。
「……分かったから騒ぐな。今日はそういう部屋割りでいい。まだ日は高いから、少しぶらついてくる」
「了解。7の刻までに戻ってくればいいわよ」
宿を出た俺の後を、プルミエールがついてきた。
「ちょっと、幻影魔法は?ただでさえ目立つんだから……」
「……おかしいと思わないか」
「え?」
「あの2人、あまりに余裕がありすぎる。まるで、『何も起こらない』のを知ってるかのように。
そもそも、最初からしておかしい。カルロスがやられそうになった所に都合よく現れたらしいが、そんな偶然があるのか?」
「まさか、疑ってるの?」
クロエたちは多分、敵じゃない。俺たちを殺そうとするなら、単に油断した所を背後から刺せばいい。
ただ、何か裏がある。あるいは、この件自体が何か別の意図があるのじゃないか?
「……分からん。考えすぎかもしれないな」
俺は、今の推測を話すのはやめることにした。まだ早い。
そもそも、クロエとブランはさほどプルミエールと歳が変わらないだろう。せいぜいクロエが俺と同じ程度のはずだ。
未熟だから、緊張感なくいちゃつける。その可能性も、なくはない。
プルミエールがはぁと息をついた。
「色々この数日あったし、疲れてるのよ。少し湖畔を歩いて、ゆっくりしましょ?」
「……そうするか」
プルミエールが不意に俺の手を握った。体温がぶわっと上がるのが分かる。
「何だそれは」
「え、嫌だった?」
「嫌じゃないが……」
「ならいいじゃない。サラファンって、ちょっとした避暑地だし」
辺りを見ると、確かに家族連れや恋人同士が多い。
オルランドゥ大湖のほとりにあるこの宿場町は、テルモンからの観光客が多いのを俺は思い出していた。
だとしたら、恋人を「演じた」方が不自然ではない、のか。
「分かったよ」
741 :
◆Try7rHwMFw
[sage]:2021/01/11(月) 18:26:33.85 ID:m+vxd/s9o
#
「〜♪」
プルミエールは上機嫌で鼻歌を歌っている。こいつもこいつでどうにも調子がおかしい。
「よくそんな気楽でいられるな」
「エリックが根詰め過ぎなのよ。そりゃ、私だって不安だけど……でも、少しくらい気晴らししないと、疲れちゃうから」
「そんなものか」
「そんなものよ」
オルランドゥ大湖に、日が沈もうとしている。茜色が湖面に照らされ、何とも言えない美しさだ。
不意に、プルミエールを見る。頬が僅かに朱が差しているように見えるのは、俺の気のせいだろうか。
「プルミエール」
「……ん?」
ドクン
その微笑みに、俺の鼓動が高まった。……何だこれは。そもそも、なぜ俺はプルミエールの名を呼んだ?
「……どうしたの?」
「い、いや。何でも……」
いけない。これじゃ俺は、まるで見た目通りの、思春期のガキじゃないか。
何か言わなければ。言葉を探すが、全然出てこない。焦りがさらに沈黙を深める。
プルミエールの顔が、気持ち近くなっている。え、待て、何だこれは……
苦し紛れに視線を外した。……その先にいた人物を見て、俺は固まった。
まさか。こんな所にいるはずがない。
短い黒髪に痩せた長身。耳こそ長くないが、それは……あの男に瓜二つだ。
「……ランパード?」
「え?」
プルミエールが俺の視線の先を見た。ランパードそっくりの男は、黒い髑髏があしらわれたシャツを着て、釣りに興じている。
そして、俺たちの存在に気づいたのか、ニヤリと笑った。
「よう、お二人さん。何か用かい?」
「あ……ランパードじゃない、のか?」
「ランパード?知らねえが……ほうほう」
男は釣竿を置くと、こちらに近付いてくる。俺はプルミエールの前に立った。
敵意はない。マナも感じない。ただ、他人の空似というには、似すぎている。
男は頭をかきながら苦笑する。
「いや、すまねえな。実に面白いマナだったんでな。デートの邪魔なら、消えるぜ」
「……お前、何者だ?」
男はふむ、と宙を眺め、「やっぱこれだな」とひとりごちた。
「俺は、ランダムだ。よろしくな」
742 :
◆Try7rHwMFw
[sage]:2021/01/11(月) 18:27:05.85 ID:m+vxd/s9o
都市紹介
エルファン
モリブス南部の宿場町。人口は1万人程度で、やや高地にある。オルランドゥ大湖のほとりにあり、風光明媚なことから高級避暑地としての人気が高い。
温泉こそないが、上流階級の家族や若者には人気。ただ、物価は高く中間層以下にとっては高翌嶺の花の街でもある。
このため、宿場町としてはエルファンではなくそこから5kmほど先のデミファンが使われることが多い。こちらは商人御用達の普通の街。
領主の娘であるクロエは、当然のようにエルファンを宿泊地として選んでいる。
治安はよく、湖の魚介類を生かした料理が人気。ブドウ酒も良質であり、貴族からの人気は高い。
ただ、異種族への差別感情も強い。プルミエールが幻影魔法でエリックの見た目を変えようと焦ったのはこのためである。
なお、ヘイルポリスに入るルートは2つ。北部のイミル関から入るルートか、湖沿いに入るルートである。
皇都に近いのは前者だが難所でもあり、侵入は困難。また、湖沿いのルートも守りは堅く、ここから攻めるのも容易ではない。今回は後者を使ってヘイルポリスに入ることになる。
743 :
◆Try7rHwMFw
[sage]:2021/01/11(月) 18:28:14.42 ID:m+vxd/s9o
第28-2話
744 :
◆Try7rHwMFw
[sage]:2021/01/11(月) 18:28:49.94 ID:m+vxd/s9o
……誰だろう、この人。
甘い時間を邪魔された憤りより先に、私が感じたのは違和感だった。
ランダムと名乗る男性の見た目は、ランパードさんそっくりだ。耳がエルフのそれだったら、確実に私も間違えていただろう。
でも、それ以上に不思議だったのは、彼が纏う空気だ。マナが凄くあるわけじゃない。ただ、どこか現実離れしている。髑髏のシャツも、見たことがない意匠だ。
「名前を聞いたわけじゃない。だから、何者だと聞いている」
差し出された手を無視してエリックが言う。ランダムという人は、うーんと唸りながら頭を掻いた。
「それが分かりゃ苦労はしねえんだよ。俺自身よく分かってねえんだから」
「何?」
「記憶喪失なんだよ。15年前からずっと、な。ただ、幸い酒と料理の知識だけはあったからな。それを生かして、ここでレストランをやってる」
彼が湖畔の小屋を指差した。
「『アンバーの隠れ家』ってんだ。飯時には早いが、どうだ?
せっかくいい雰囲気の所邪魔したから、お代はまけとくぜ」
「……ビクター・ランパードという人はご存じですか。あなたにそっくりの、トリスの貴族です」
「俺にか?いや、聞いたことがねえな。そいつ、エルフなんだろ?他人の空似じゃねえか?
世の中には自分と同じ顔が3人いるというしな」
私はエリックと顔を見合わせた。彼に敵意はない。でも、明らかに何か、浮世離れしたものを感じる。
「お前、魔術の心得が?」
「あー、何か分かるんだよ。そいつがどのぐらいのマナを持っていて、どんな奴か。多分、生まれつきだな。
で、お前さんたち2人は俺が今まで感じたことがないマナがある。量とかじゃなく、『色』がな。
あ、名前聞き忘れてたぜ。兄ちゃん、名前は?」
「……!!お前、俺が子供とは思わないのか」
「や、そんなマナを子供が持ってたらおかしいだろ?30前ぐらいか、ざっくり。で、名前は?」
「……エリック、とだけ言っておく」
ランダムさんの表情が、一瞬固まった。僅かに目が潤むと、それをゴシゴシと擦った。
「あ、何だこれ……おかしいぜ。妙に目が湿ってやがる。……会ったことは、ねえよな?」
「……お前によく似た男にならあるが」
エリックも戸惑っている。本当に、何者だろうこの人。
「……まあ、いいや。飯、ただにしてやるよ。どうだい」
「いいんですか?」
「おう、お前さんたちならいいぜ」
「じゃあ、あと2人増えても大丈夫ですか?」
745 :
◆Try7rHwMFw
[sage]:2021/01/11(月) 18:29:47.79 ID:m+vxd/s9o
#
「あ、戻ってきた」
宿に着くと、ちょうどクロエさんたちがフロントに出てきたところだった。湯浴みの後なのか、2人とも髪が濡れている。
「……随分暢気なもんだな」
「もっと肩の力を抜いたら?少なくとも、『今日は』何も起こらないはずだし」
……何で言い切れるんだろう?確かにクロエさんたちは戦いに慣れてそうではあるんだけど。
疑問を口に出しかけたけど、とりあえずやめた。確かに、私もエリックも、難しく考える癖があるのは確かだし。
「今日のご飯って、予定あります?」
「ん、ないけど。プルミエールさんは、ここに来たことってあるの?」
「いえ、初めてなんですけど。さっき、ある方から自分の店に来てくれって。お代はタダでいいそうです」
ブランさんが渋い顔になった。
「タダ?本当に大丈夫かそれ。店の名前は?」
「はい、『アンバーの隠れ家』って」
「ウッソだろ!!?」
彼が驚きで叫んだ。クロエさんも口をあんぐりと開けている。
「それ、エルファンでも滅多に予約が入らない超人気店だよ……」
「そうなんですか?」
「皇族や貴族でも簡単に予約が取れないって話。父さんは1度行ったことがあるらしいけど……どうしてそんなことに?」
私はさっきの出来事を話した。「へえ」とブランさんが呟く。
「俺は知らないけど、ビクター・ランパードってトリスの貴族とそっくりなのか。それが縁と」
「店主がどんな人か知らなかったけど、ちょっと変わった人なのね。確かに名前が幾つもあるとか、正体不明とかいう噂はあったけど。
でも、こんな機会なんて二度とないだろうから、乗ってみようかな」
そこまで凄い人なのか。とてもそうは見えなかったけど……
エリックが何か考えている。
「どうしたの?」
「いや、何で俺を見て涙ぐんだのか、よく分からなくてな。少なくともあの男、ただの料理人じゃないぞ」
「うん……確かに。マナの『色』とか言ってたし」
どういうことなんだろう?とりあえず、行けば何かわかるのかな。
746 :
◆Try7rHwMFw
[sage]:2021/01/11(月) 18:30:24.30 ID:m+vxd/s9o
#
「おー、よく来てくれたな」
店に入ると、さっきと同じ髑髏のシャツ姿で、ランダムさんが出迎えに来た。
既にテーブルには料理が用意されている。……5皿?
「あ、俺も一緒に飲もうと思ってな。今日は貸し切りだ」
「どうしてそこまで?」
「んー、気分だな。今日予約してた客には、頭下げて別の日にしてもらったよ」
「……気分、な」
エリックが訝しげにランダムさんを見る。彼は「ハハハ」と快活に笑った。
「まあいいじゃねえか。酒も用意してあるぜ。エルファンの貴腐ワインから行こうじゃねえか。あ、酒は皆行けるかい?」
「はいっ!是非」
「俺はそこまで強くないが……まあいいだろう」
クロエさんたちも問題ないみたいだ。テーブルに着くと、ランダムさんがワインを開ける。
ふわりと、甘いハチミツのような香りがここまで広がってきた。
「凄い……!!これが名高い、エルファンの白ワインですか?」
「おう。白じゃなくって貴腐ワインだがな。貴腐ワインは知ってるか?」
私は首を振った。クロエさんは口をあんぐりと開けている。
「話には聞いたことがあるわ。ブドウをカビさせて作るワインが、最近できたって……まさか、それ?」
「おう。というか、俺がやり始めた。これをやると糖度が跳ね上がるんだよ。
甘味を凝縮するという意味じゃアイスワインも近いが、こっちの方がより風味が豊かだ」
「よくそんなこと思いつくわね……さすがは『アンバーの隠れ家』の主人」
「ハハハ、たまたま『知ってた』だけさ。じゃ、まずは乾杯と行こうか」
黄色い液体の入ったワイングラスを掲げ、ランダムさんが「出会いに乾杯!」と叫んだ。
グラスを合わせてワインを飲む。……何これっ!!
「うわっ!!甘いっ!!!」
「ちょっとこれ凄いな。砂糖かハチミツ入れたんじゃないのか??」
驚くブランさんに、ランダムさんがニヤリと笑う。
「ところが完全にブドウだけだ。食前酒にはちょうどいいだろ?
テーブルにある前菜はこいつに合わせている。ブルーチーズのソースを使った夏野菜のテリーヌだ」
貴腐ワイン?テリーヌ?聞いたことがない言葉ばかり出てくる。最高級レストランって、こんな感じなのかな。
前菜に手を付けた。野菜の甘さを癖のあるソースが引き立てる。その風味をワインがさらに強めている。間違いなく美味しい。
ただ、この料理の味わい、どこかで……
「ん?嬢ちゃん、口に合わなかったか?」
「いえ、とても美味しいんですけど。どこかで食べたことがあるなあって。
……あ、オルランドゥのカトリさんと、ウカクさんのお店だ」
そうだ。チーズの使い方が、とてもよく似ている。あそこもチーズを使った料理が売りだった。
ランダムさんが驚いたように目を見開く。
「驚いたぜ、そいつらは俺の弟子だな」
「そうなんですか??」
「ああ。俺は弟子とか取らねえんだけどな。そいつらは別だ。元気してるか?」
「はいっ!あそこも色々お酒が置いてあって、いつも通ってました」
「おお、そうか。ってことは嬢ちゃんは、魔術師関係者だな」
言葉に窮した。あまり、私たちの旅の目的を人に話すべきじゃない。
747 :
◆Try7rHwMFw
[sage]:2021/01/11(月) 18:30:51.77 ID:m+vxd/s9o
「え、ええ、まあそんなところです」
「心配すんなよ、訳ありなのは初見で分かってる。お前さんたちが連れて来たそのカップルも、まあまあ只者じゃないな。
例えばそこの黒髪の姉ちゃんが左腕に着けているのは、ただの腕輪じゃない。違うか?」
クロエさんが思わず左手首を隠した。
「なっ!!?」
「ハハ、だから心配すんなよ。皇室の連中にチクるつもりはねえよ」
「……本当にお前、何者だ?記憶喪失なのも、嘘か」
エリックの言葉にどこからかワインの瓶を取り出して、ランダムさんは静かに首を振った。
「や、それは本当だ。嘘をつく理由がねえよ。ただ、何となくそいつの『マナ』……さらに言えば人格とかが分かる。生まれつきだろうな。
料理もそうだ。もともと、俺には知識があった。ないのは、記憶だけだ」
「取り戻したいとは思わないのか?」
エリックがちらりと私を見た。15年前……今の私では難しいけど、もう少し成長すればできなくはない。
ランダムさんは肩を竦める。
「いや、今の生活には結構満足してるんだよな、これが。昼は魚を釣って、時には山で狩りをする。
それを使った料理で皆に喜んでもらう。それだけで十分なんだよ。金も名誉も、なぜか欲しいとは思わねえんだ。……ただ」
「ん?」
「……いや、言ってもしょうがねえんだがな。1つだけ覚えていることがあるんだよ。それは、『エチゴ』という男を追えってことだ」
「『エチゴ』?」
「そう。名前しか分からねえ。なぜ追わなきゃいけねえのかも。ただ、記憶を取り戻さない方がいい気もしててな」
ランダムさんはワイングラスをあおった。……記憶を取り戻したがっていたオーバーバックとは、正反対だな。
「ま、とにかくこうやって若いのと酒が飲めるだけで幸せだぜ。ワインもスピリッツも、北ガリアだったら大体いいのを取り揃えてるぜ。ドンドン呑んでくれ」
748 :
◆Try7rHwMFw
[sage]:2021/01/11(月) 18:31:20.99 ID:m+vxd/s9o
#
夕食はとても楽しく、和やかに進んだ。エリックが魔族であることはすぐに見破られたけど、特に詮索されることもなかった。
何より、料理は本当に絶品だった。湖で取れた「イール」という魚を焼いたものに濃いソースをかけたものや、山で獲れた野鳥のスープなどはきっと忘れられない。
そして、お酒。どのお酒も本当に美味しく、料理と一緒に合わせるとそれがさらに引き立つのだ。タダだからいいけど、一体どれぐらいのお値段なんだろう……考えると酔いが醒めそうだなあ……
クロエさんは甘え上戸らしく、ブランさんにやたらとしなだれかかっている。やっぱりこの2人、恋人同士なのかな。
エリックはというと、ランダムさんに色々食材について訊いている。お酒はそんなに飲んでないけど、そっちに興味があるのね。
「……なるほど、木の実のソースか。そういう使い方があるんだな」
「野趣を楽しみつつ臭みも消せるからな。森の食材には森の食材を合わせる、鉄則だな。
にしても、お前さんたちただの観光客じゃねえよな?多分、あの姉ちゃんはシュトロートマン家の人間だろ」
「え、分かってたの?」
「以前一回うちに来たことがあるだろ。今へイルポリスがきな臭くなってるから、さしずめその2人は援軍ってとこか」
「そこまで知ってたのね」
ニヤリとランダムさんが笑う。
「まあ、年の功ってやつだな。ま、俺がとやかく言える立場じゃねえし、どちらの肩を持つつもりもねえが……気を付けな」
「もちろんそのつもり……」
ランダムさんがクロエさんに首を振り、自分の左手首を指さした。
「違う、そいつだよ。俺にはそれが何か分からねえが、人には過ぎたる力じゃねえのかな?
そういうのは、できるだけ使わねえ方がいい。まあ、『目には目を』ってことで使わなきゃいけねえんだろうが」
「なっ……」
「気を悪くしたらすまねえな。それに、こいつは俺の直感だ。間違ってるかもしれねえ。
ただ、何か良からぬ予感がするんだよ。……気を付けな」
クロエさんは不服そうにランダムさんを見ている。なぜそんなことを言ったのだろう。その時の私には、分からなかった。
「ま、悪かったな。そろそろ締めにするから、別の酒を用意するぜ」
749 :
◆Try7rHwMFw
[sage]:2021/01/11(月) 18:31:54.94 ID:m+vxd/s9o
#
このランダムさんの忠告を、私たちはヘイルポリスに着いてから思い出すことになる。
それも、嫌と言うほど。
750 :
◆Try7rHwMFw
[sage]:2021/01/11(月) 18:32:32.65 ID:m+vxd/s9o
キャラクター紹介
ランダム(年齢不詳)
男性。体つきや顔など、ランパードに酷似している。エルフ特有の耳があれば、ほぼランパードと思われる程度。ただし、本人たちに面識はない。
15年前に記憶を失い、エルファンの街に辿り着いた。そこでレストラン「アンバーの隠れ家」を開店。本人の豊富な知識や陽気な人柄もあり、瞬く間にエルファン、そしてテルモンを代表する名店となる。
ジビエを中心とした料理であり、その調理方法は特殊にして多様。素材の野趣を生かすその料理は皇室や貴族からの評価も高いが、召し抱えの要請はことごとく断っている。
無類の酒好きでもあり、新しい醸造法の開発などテルモンに与えた恩恵は大きい。ただ本人は「自分が飲むためのもの」としているが。
マナの質を読み取る特殊能力がある。本人の性格、果ては血筋まである程度は判断できるようだ。
それがなぜ自分にあるのかはよく分かっていない。ただ、本人の嗜好に合った料理を出すという点で、仕事には役立っている。
記憶をなくしているが、過去にはこだわらない性質。その他謎ばかりだが、本人は当面一料理人のままでいいと考えているようだ。
外見年齢は30前後。ただし15年前から一切顔立ちが変わっていない。
旧シリーズのランダムとの関係性は、現在不明。
751 :
◆Try7rHwMFw
[sage]:2021/01/11(月) 18:34:52.01 ID:Zpt9ZdPfO
一時中断。
752 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2021/01/11(月) 18:43:22.31 ID:Zpt9ZdPfO
sagaにするのを忘れていました。
753 :
◆wCAPYNYM6w
[saga]:2021/01/11(月) 21:16:13.64 ID:b5rhOPz3O
テスト
754 :
◆wCAPYNYM6w
[saga]:2021/01/11(月) 21:16:45.87 ID:b5rhOPz3O
第29話
755 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2021/01/11(月) 21:24:57.70 ID:b5rhOPz3O
「アンバーの隠れ家」から戻ってから、微妙な空気が続いている。帰り道も、皆どこか言葉少なだった。
それは部屋に戻った今でも続いている。
「どうしてあんなこと言ったんだろうね」
プルミエールが髪を梳きながら言う。やはり、引っかかっていたか。
「あのランダムという男が何者かは分からん。ただ、率直に言えば俺にも違和感があった」
「違和感って、クロエさんたちのこと?」
「ああ。彼らを信用してないわけじゃない。敵でもないと思う。ただ、あまりに都合が良すぎる」
「都合?」
「ああ。なぜ、絶妙の時機にカルロスたちの所に現れたのか?不思議に思わなかったか」
プルミエールが手を止めた。
「そりゃ……運が良かったからじゃ」
「そこだ。俺は運をそんなに信じてない。運だと思っている物事の背後には、必ず何かがあるはずだ。
あいつらには感謝している。ただ、ランダムが初対面の人間に無意味に警鐘を鳴らすような、思慮のない男とは思えないんだ」
「……確かに」
「『パワードスーツ』、だったな。『遺物』じゃないと言っていたが……何か問題があるんだろうか」
「どうだろ……明日クロエさんたちに訊いてみるしかないんじゃないかな」
「そうだな。明日も早い、今日はもう寝るぞ」
「……うん」
何か、俺たちは根本から勘違いしている気がする。
そもそも、ジャックとアリスがヘイルポリスに行った意図は何だ?父の友人だからといって、無批判に信用しすぎてはいなかったか?
とにかく、ヘイルポリスに行かないと話にならない。目で見たものしか、信用してはならない。
それは、俺がプルミエールと一緒にいる理由でもある。
756 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2021/01/11(月) 21:30:17.18 ID:b5rhOPz3O
#
エルファンからヘイルポリスまでは、オルランドゥ大湖沿いに馬を走らせ半日程度だ。
シュトロートマンの勢力が強い地域であるらしく、この方面から攻められる心配は薄いのだという。
それにしても、クロエたちは相変わらず暢気なものだ。まるで小旅行から帰ってくる程度のノリだ。どう切り出せばいいか……
「クロエさん、ところでそれ、ヘイルポリスの遺跡から出土した、って」
プルミエールから先に彼女に話しかけてくれた。正直、助かる。どうも俺はこういうのが苦手だ。
「……あ、『パワードスーツ』?うん、そうだけど」
「その遺跡ってどんなものなんですか?何か気になっちゃって」
「あー、昨日のランダムさんの言葉が気になってるのか……」
ちらりと彼女がブランを見る。ブランは小さく頷いた。
「あんたらなら言ってもいいだろ。ヘイルポリス南部にある小遺跡さ。そんなに深度はないけど、それでも出土品は結構あってね。こいつだけじゃなく、幾つか『秘宝』が見つかってる。
んで、アリスさんは『まだ奥があるんじゃないか』って疑ってる。あの人、オルランドゥの教授じゃなくって冒険者が本業なんじゃねえかな」
「かもね。昔、ジャックさんも来たことがあったって聞いてる。父だったら、もっと詳しく知ってるかも」
父上も、何か絡んでいたりするのだろうか。あるいはデボラの両親も。
「俺からも、いいか?」
「ん、いいわよ」
「お前らがカルロスを助けたのは、偶然じゃないな」
2人の表情が凍った。図星か。
「……どうしてそう思うの」
「あまりに時機が良過ぎる。そして、今の余裕。そんな魔法があるとは思わないが……未来が読めているのか?」
ふう、とクロエが息を付いた。
「……さすがね。といっても正確じゃないんだけど」
「どういうことだ」
「ヘイルポリス遺跡の最奥には、ある装置があってね。私たちじゃ使えないけど、アリスさんは使える。と言っても、この前来た時に使えるようになったのだけど。
『1週間ぐらい先までの未来が予測できる』んだって。それもかなりの精度で」
「何!!?」
「嘘っ!!?」
俺とプルミエールの声が重なった。そんな馬鹿げたことができるわけが……
「……まあ、そう思うのが当然だよね。私たちも、カルロス君を助けるまでは半信半疑だった。
あの時刻、あの場所にスティーブンソン近衛騎士団団長が現われた時、正直震えたわ。ね、ブラン」
「ああ。それで、俺たちもアレ……確か『スパコン』だったか。その『予言』を信じるようになったってわけさ。
ヘイルポリスを出る時に、アリスさんから1週間は皇弟ナイトハルトの動きがないとは聞いてたからな。しばらくの身の安全は濃厚と判断してる」
……なるほど、やはり種があったか。しかし……これは。
「人智を逸してます、ね……」
プルミエールに先を越された。そう、その通りだ。ランダムがああ言った理由も、少し分かる。
そんな「神」に近い力を、アリス・ローエングリンは扱えるのか?それは、間違いなく為政者からしたら……脅威でしかない。
「そうね。『秘宝』は、私たちが及びもつかない可能性を持っている。
だからこそ、皇帝ゲオルグの圧政から人々を解放する可能性がある。そうは思わない?」
「……かもしれませんね」
プルミエールは、何か考えている。この女は考えに甘い所はあるが、決して馬鹿ではない。
そして、俺の中にも疑念が生まれた。父上が「サンタヴィラの惨劇」を起こした理由は、何だ?
遥か向こうに、尖塔のようなものが見えてきた。あれが、ヘイルポリスか。
757 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2021/01/11(月) 21:30:43.44 ID:b5rhOPz3O
#
「父様、クロエ・シュトロートマンただいま戻りました」
ヘイルポリスの古城に入ると、長髪の初老の男が奥から現れた。温厚そうだが、どこか厳粛な空気を纏っている。
「君が、『魔王』エリック・ベナビデスか」
「ええ。あなたが」
「左様。ヘイルポリス領主、カール・シュトロートマンだ。ここに来てくれて幸甚に思う。
その女性が、プルミエール・レミュー嬢だな。話はアリス・ローエングリン教授から聞いているよ」
「お会いできて光栄です、陛下。教授は」
「北部のイミル関だ。私は一旦こっちに戻ってきたが、彼女はまだあそこだ。オルランドゥ卿もそこだが……」
「容態が良くない、とは聞いています。大丈夫なんですか」
シュトロートマンが口を濁す。
「……とてもそうは見えない。ただ、考えがあってイミル関にいるのだとは思う。幾つか、『秘宝』も持ち込んでいるようだし、全く無策とは考えにくい」
……「秘宝」か。何か、胸騒ぎがする。
「その『秘宝』が何かは、ご存知なのですか」
「いや……あれを扱えるのは、ローエングリン教授だけだ。こちらとしては、ひとまず彼女に任せるしかない。今までも、彼女には色々助けられてきたしな」
プルミエールに視線を送る。彼女が小さく頷いた。
「私たちをイミル関に連れて行ってくれませんか」
「無論だ。ただ、今日はもう遅い。宿を取っているから、そこで休むといい。
それにしても、エリック君、だったな。やはり、ケイン殿とよく似ている」
「……やはり父上をご存知でしたか」
「会ったのは、私がごく若い時の一度きりだったが。先代皇帝シャルルについて諸王会議に出た時に、な。立派な方だったと記憶しているよ。
『サンタヴィラの惨劇』の話を聞いた時は、耳を疑ったものだ」
「父上は、ジャック・オルランドゥ卿やアリス・ローエングリン教授とも懇意でした。その点について、話を聞いたことは」
「……そうなのか。初めて聞いたよ」
俺は軽く落胆した。シュトロートマンは、あまりジャックやアリスの素性について詳しく知らないらしい。
「とりあえず、簡単な祝宴の席を設けている。よかったら、どうだ。昨晩の『アンバーの隠れ家』ほどのものは出せないと思うが」
「いえ、ご相伴に預からせて頂きます」
758 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2021/01/11(月) 21:31:24.48 ID:b5rhOPz3O
#
翌日のアリスとの再会が、思いもよらぬ形になることを、この時の俺はまだ知らない。
759 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2021/01/11(月) 21:45:47.13 ID:0XZYkCiFO
ちょっと回線の調子が良くないですね……
もう一度中断します。
760 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2021/01/14(木) 05:27:08.79 ID:64v9BhkDO
乙
ちょっと気になる事が一つ
カール・シュトロートマンは領主とあるが王か否か
王なら陛下で貴族なら殿下か閣下
761 :
◆Try7rHwMFw
[saga]:2021/01/15(金) 16:37:09.56 ID:s0ydGNtFO
>>760
多分単純ミスですね。すみません。
ヘイルポリス周辺は半独立状態ではありますが、あくまでシュトロートマンは貴族です。
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