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【ミリマスSS】かつて守るべきものだった者
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38 :
◆uYNNmHkuwIgM
[sage saga]:2020/06/12(金) 22:27:36.27 ID:BHjCA0Mo0
可奈さんの笑顔は、俺の記憶の中の笑顔と同じだった。俺が小さい頃、姉さんに連れられて何度か765プロシアターに行ったことがある。記憶の中の可奈さんは、いつも楽しそうに歌ってて、いつも笑顔で幸せを振りまいていた。
俺が一人で留守番できるようになったくらいから、シアターには遊びに行っていない。だから可奈さんに会うのは、かれこれもう10年ぶりくらいになるのだろうか?テレビで見てるから俺は今の可奈さんのことをわかるけど、可奈さんが俺を見るのはめちゃくちゃ久しぶりなはずだ。
そんなことを考えていると、可奈さんが尋ねてきた。
「ねぇ、りっくん休憩ってもらえる?お話ししたいことがあるんだ。」
そのままの笑顔で俺にお願いをした可奈さん。反射的に俺の右頬がピキッとひきつる。まぁ..このタイミングで可奈さんが来たってことは、姉さん絡みだよね...。
39 :
◆uYNNmHkuwIgM
[sage saga]:2020/06/12(金) 22:29:04.90 ID:BHjCA0Mo0
マスターから休憩を許可してもらい、可奈さんの目の前に座る。裁判の被告ってこんな気持ちで法廷に立つのかな、なんてちょっと気後れしてしまう。
「隠し事は得意じゃないから、先に言うね。今日私は、志保ちゃんのお願いで来ました。」
あぁ、やっぱり。どうも始めから俺がここで働いていることを知ってたようだったし、何しろこのタイミングの良さは偶然とは考えにくいですよね。
「それで、お話ってなんでしょう?」
可奈さんは大きく口を開けて、パンケーキを頬張る。テレビのグルメレポートでは絶対に見られない、可奈さんの素の食事風景。
ちょっと待ってとジェスチャーで合図をして、もぐもぐとパンケーキを咀嚼する。ゴクッと飲み込んで、可奈さんが俺の問いに答えた。
「りっくんがなんで志保ちゃんに怒ったのか、原因を聞いて欲しいって言われたんだ。」
40 :
◆uYNNmHkuwIgM
[sage saga]:2020/06/12(金) 22:31:17.29 ID:BHjCA0Mo0
うぅ...それはなんともストレートなお願い...。たじろいだ俺の様子を見て、可奈さんは言葉を続けた。
「大変だったんだよ。久しぶりに志保ちゃんと地方ロケに行ってね、夜に飲みに行ったらもう志保ちゃん荒れに荒れてたんだから。」
はぁ...と何か遠いところをみてため息をひとつつく可奈さん。姉さん相当迷惑をかけたみたいだ...。
「志保ちゃん沢山飲んじゃって、顔真っ赤にしながら延々と相談してきたんだよ。最後の方グスグス泣いてたし。」
うーん...姉さんが荒れてる原因は俺なのだから、間接的に可奈さんに迷惑をかけて大変申し訳ないという気持ちとともに、信じられない気持ちもある。
姉さんはわりとお酒が好きみたいで、家でもよく飲んでいる。けれど、お酒に酔っていつもと違う姉さんになったことを見たことがない。家ではセーブしているのだろうか?
「あまりにその志保ちゃんが見てられなくてね、断れるわけなかったよ。それで、今日ここに来ました。」
私のターンはこれで終わりというように、可奈さんはもう一口パンケーキを頬張った。あーんと大きな口を開けて、嬉しそうに咀嚼をする。こういうところは、記憶の中の可奈さんそのままだ。
41 :
◆uYNNmHkuwIgM
[sage saga]:2020/06/12(金) 22:32:27.09 ID:BHjCA0Mo0
あ!と閃いた顔をして、可奈さんは咀嚼の速度をあげた。ごくんと飲み込んで、少し急ぎすぎたのか胸の辺りをトントンと叩いた後、俺に告げる。
「大事なこと言うの忘れてた。別に志保ちゃんのために来たからって、志保ちゃんの肩を持つってわけじゃないからね。きちんと話を聞いて、志保ちゃんが悪かったらそう言うから、安心してね。」
「りっくんがこんな頃から知ってるし、りっくんは私にとっても弟みたいなものだから。」
そう言って可奈さんは両手で50センチくらいの幅を作ってみせた。いや、初めて会ったときの記憶はないですけど、そこまで小さい時ではない気がしますよ。
42 :
◆uYNNmHkuwIgM
[sage saga]:2020/06/12(金) 22:33:34.00 ID:BHjCA0Mo0
「何があったかは、だいたい姉さんから聞いてますよね?」
可奈さんは、フンフンと鼻息を荒くして大きく頷いた。可奈さん、話を聞いてくれるのはありがたいですけど、そこまで前のめりに来られるとちょっとたじろいでしまいます。
そんな可奈さんの様子に少し心が軽くなり、思いの外言葉はスルッと出てくれた。
「姉さんに言われた『ちょっとのお金』って言葉が、俺には耐えられなかったんです。俺なりに、頑張って稼いだお金だったから。」
「身勝手ですよね?いらないって言われてるのに勝手に押し付けて、自分はダメだってわかってるのにそれを言われてキレるなんて。」
可奈さんは俺の話を聞いて、考えているようだった。10秒、20秒と沈黙の時間が過ぎていく。時計の秒針が進むごとに、罪悪感がモヤモヤと立ち込める。
あぁ、こんな話に可奈さんを巻き込んで申し訳ない。可奈さんは優しい人だから、こんなどうしようもない俺にかけるべき優しい言葉を探してるんだと思う。できるだけ柔らかく、遠回りの言葉を。
時計の秒針が一周し分針が動き出したあたりに、可奈さんは言った。
43 :
◆uYNNmHkuwIgM
[sage saga]:2020/06/12(金) 22:34:50.61 ID:BHjCA0Mo0
「良かった〜。」
へ?あまりに予想してた反応と違うので、呆気にとられてしまう。なんでそんなふにゃっとした安心した笑顔なんですか可奈さん?今の話に良かったとこありました?
「は〜、緊張が解けたらお腹減っちゃった〜。すみませ〜ん、パンケーキおかわり5段重ねでお願いしま〜す。」
「へ?......はいよ!」
可奈さんの注文に応えたマスターの声は、驚いたのか少し上ずっていた。どうやらこっそりこっちの様子を窺っていたようだ。
可奈さんは鼻歌を歌って、ニコニコと上機嫌顔。確かに、さっきまでとは様子がまるで違う。緊張が解けたって本当みたいだ。なんで俺の答えでそんなに上機嫌になったのか、あまりに不可解なので尋ねてみることにする。
「あの、緊張が解けたってどうしてです?俺、悩んでること話しただけなのに。」
可奈さんは上機嫌のまま答える。
「だって〜、りっくんの悩みは大好きなお姉ちゃんみたいになりたいのに、なれないって悩みでしょ?別に志保ちゃんのこと嫌いになったってわけじゃないから、良かった〜って。」
可奈さんフィルターを通すと、俺の話はなんとも恥ずかしい話に聞こえてくる。いや、実際にそうなのかもしれないけれど。
44 :
◆uYNNmHkuwIgM
[sage saga]:2020/06/12(金) 22:35:57.69 ID:BHjCA0Mo0
「そう考えると、志保ちゃんの言葉はちょっとデリカシーがないかな〜?きちんとりっくんが頑張ってること、認めてあげるべきかな〜。」
「でも、りっくんも悪いかな〜。自分の思ってること、志保ちゃんに伝えてないでしょ?だから、志保ちゃんもああいうこと言っちゃったんだと思うよ。」
これは完全に図星だった。俺の抱えている、抱え続けたモヤモヤを姉さんに話したことは一度もなかった。無理もないだろう?あなたみたいになりたくて、でもなれなくて、惨めなんですって本人に言えるわけがない。みっともないし。
モヤモヤしてる俺を見て、可奈さんはクスッと笑って言葉を続ける。
「姉弟ってすごいね、昔の志保ちゃんを見てるみたい。」
45 :
◆uYNNmHkuwIgM
[sage saga]:2020/06/12(金) 22:37:05.73 ID:BHjCA0Mo0
「昔の姉さん」その言葉を聞いて思い出した。そういえば、プロデューサーさんが言っていた、「姉さんは初めから強かったのか」という問い、ズルのような気もするけど、可奈さんなら答えを知ってるかもしれない。
「可奈さんは、姉さんは初めから強い人間だったのだと思いますか?」
可奈さんは顔の前でバッテンを作って答える。
「今の状況を考えるとね、それは私が答えちゃダメかな。きちんと自分の話をして、志保ちゃんの話を聞きなさい。」
返ってきたのは、ほぼプロデューサーさんと同じ言葉だった。はぁ...これはいよいよ覚悟を決めないといけないみたいだ。
「わかりました。姉と話をしてみます。」
その言葉を聞くと、可奈さんはパンっと両手を胸の前で叩いて心から嬉しそうな笑顔になった。
「うん、それがいいと思うよ。あと、もうひとつ。志保ちゃんみたいに強くなれないっていうのが、りっくんが一番悩んでることなんだよね?それについて、お姉さんから一言。」
コホンと一言咳払いをして、可奈さんは言った。
「大丈夫だよ。だって今のりっくん、昔の志保ちゃんにそっくりだもん。だから大丈夫。志保ちゃんの親友の私が言うんだから、間違いない!」
可奈さんの言葉は論理的ではないけれど、その笑顔がその声色がそれを信じさせてくれる説得力を持っていた。ここまで言われては、ウジウジと縮こまっているわけにはいかない。
「はい、ありがとうございます。」
46 :
◆uYNNmHkuwIgM
[sage saga]:2020/06/12(金) 22:38:22.60 ID:BHjCA0Mo0
それから可奈さんはニコニコとパンケーキを平らげ、満足そうに帰って行った。「またくるね〜」とご機嫌だったので、また新たな常連客を獲得できたのかもしれない。
「陸くん、ちょっといいかな?」
閉店後の掃除をしていると、マスターが真剣な顔で俺に言葉をかけてきた。いつものマスターと空気が違う。張り詰めるような緊張感が店を支配している。
どうしたのだろう?バイトを始めてから一度も、こんなに真剣な顔で話をされたことはない。頭をグルグル回転させて、マスターがこんな顔をする理由を探す。
ひとつ思い浮かんだのは、クビになるかもしれないということだった。ここ最近、いろいろありすぎて全然寝られていないから、仕事は雑だったかもしれない。
そこまで考えて頭の中で別の考えが浮かぶ。いやいや、確かにたまにフラッとしたり、足元がおぼつかないって時もあったけど、致命的なミスはしていないはずだ。だから、いきなりクビは考えにくい。
鈍い頭をこれ以上グルグル回転させても、残念ながら他の考えは思いつかなかった。頭の回転が止んだ頃合いに、マスターは深く息を吸った後、こう言った。
47 :
◆uYNNmHkuwIgM
[sage saga]:2020/06/12(金) 22:39:23.86 ID:BHjCA0Mo0
「確かにニコニコさんもすっごく可愛いと思うんだけど、やっぱり陸君にお似合いなのは隅子さんだよ。仲直りした方がいいよ。」
...へ?どうやらマスターはありもしない三角関係を妄想し続けて、俺にアドバイスをくれているようだった。確かにあるよね、現実的でなくても空想し続けてると、だんだん現実じゃないかって誤認すること。
あーあ、緊張して損した。肩にこもってた力が抜ける。その瞬間、地面がぐわんと揺れた。今まで床だったところが、グニャグニャと曲がる感覚が襲ってきて、その場に倒れ込んだ。
見えてる景色は普通なのに、感覚だけがグルグルと渦を巻いている。マスターの大きな声が聞こえるのだけど、どこから聞こえているのかはわからない。
立ち上がろうとしても、すぐにグニャグニャした床に足をとられて転んでしまう。肩にあったかい感触がして、そっと床に寝かせてくれた。多分マスターだと思って、そっちを向こうとした時、プツンと意識が途切れた。
48 :
◆uYNNmHkuwIgM
[sage saga]:2020/06/12(金) 22:41:47.70 ID:BHjCA0Mo0
「りっくん、ごはんだよー。」
部屋の外から姉さんの声がする。俺は読んでいた漫画を放り投げて、階段を降りてリビングに向かう。テーブルにはサラダにチキン、ケーキなんかも用意されていた。そうだ、今日はクリスマスだ。
「りっくん、メリークリスマス。」
赤いサンタの帽子をかぶった姉が、ふにゃふにゃの笑顔で俺に言った。
「姉さんもメリークリスマス。でも姉さんさぁ、いい歳になって家族と過ごすクリスマスってのもどうかと思うよ。早くいい人見つけなよ。」
姉はぷーっと頬を膨らませて、俺の発言に抗議をする。
「仕方ないでしょ?社会人になるとね、職場の人としか会わないの。ウチは殆どの社員が女性だから、出会いもないんだってば。」
そこまで言って、姉は「あっ!」と何かを思い出した顔になったかと思うと、すぐにニヤニヤとした顔に変わった。
「でもー、りっくん私が高校生の時、家に彼氏連れてきたら、めちゃくちゃ動揺してたよね?はー、シスコンりっくんがお姉ちゃんの結婚を邪魔するのー。」
だだだだだだだだ誰がシスコンじゃい!だったら俺も言い返してやる。
「それをいうなら、姉さんが大学生の時、俺が彼女と遊園地でデートしたら一日中尾行してたじゃん!いい加減ブラコン治して結婚しろよ!」
姉さんはさっきよりも頬を大きくする。姉さんは気が優しすぎるからいつも口喧嘩に勝てないのに、学習せずに俺にちょっかいをかけてくる。
49 :
◆uYNNmHkuwIgM
[sage saga]:2020/06/12(金) 22:42:48.61 ID:BHjCA0Mo0
「こらこら喧嘩しないの、お父さんももう帰ってくるから、テーブルに座って待ってましょう。」
そう言って、母さんが俺と姉さんの間に入る。言い合いは一旦やめにして、テレビを見ながら父さんの帰りを待つことにする。
テレビではアイドルが歌っていた。めちゃくちゃカッコよくて、思わず聞き入ってしまうほどの力強い歌。
「この人すげー歌上手いな。誰だっけ?」
俺が尋ねると、姉さんは即答した。
「最上静香。カッコいいよね、芯の通った女性って感じで憧れちゃう。」
姉さんはキラキラした目で、はーっと感嘆のため息をつきながらテレビを見ている。
姉さんは昔アイドルに憧れていた。けれども、憧れていただけだ。優しすぎて競争が苦手な姉さんが、常に競争し続けないといけない世界で生きていけるわけがない。それは姉さん自身がよくわかっていた。
50 :
◆uYNNmHkuwIgM
[sage saga]:2020/06/12(金) 22:44:05.66 ID:BHjCA0Mo0
テレビから流れてくるアイドルの歌に耳を傾けていると、玄関が開く音がした。ドタドタドタと大人の男性の足音がして、ガチャっとリビングの扉が開く。
「ただいまー、メリークリスマス。」
そう言った男性はサンタクロースの格好をしていた。けれど、何故か顔にモヤがかかっていて、表情がよく見えない。
「おかえり!お父さん。」
「おかえり、あなた。」
姉さんと母さんが男性に言うように、俺も「おかえり」と言おうとした。けれど、どうしても声が出せない。あれ?どうして?
3人は俺の様子に気がつかず、いつものように談笑をしていた。それはとても幸せな風景。それを眺めていると突然、そこから切り離されるようにガクンと世界が揺れる感覚がした。
51 :
◆uYNNmHkuwIgM
[sage saga]:2020/06/12(金) 22:45:12.94 ID:BHjCA0Mo0
気がつくと俺は庭にいた。中ではさっきまで俺が座っていたテーブルに、俺が座っているのが見える。知らない庭に、知らないリビング、知らない家。
ふと横を見ると姉さんがいた。俺はすぐに気がついた、これは中にいる姉さんと違う姉さんだ。姉さんはチラリと家の中を一瞥し、ふっと軽く微笑んだ。
それから俺の方をまっすぐ見つめて、ギュッと両手で俺の手を握った。その体温は、とても懐かしくて、とても温かかった。
そして、フィルムの切れた映画のように、プツンと意識が途切れた。
52 :
◆uYNNmHkuwIgM
[sage saga]:2020/06/12(金) 22:46:28.60 ID:BHjCA0Mo0
目蓋を開けると、真っ白な天井が見えた。消毒液の匂いがツーンと鼻を刺激し、ここが病院なのだと気がついた。ぼやけた頭が徐々に覚めていき、右手がさっきまでみていた夢のように温かいことに気がついた。
右手の方を見ると、両手で俺の手を握っている姉さんがいた。下を向いて目を瞑って必死に祈っている姉さんは、まだ俺が目を覚ましたことに気がついていないみたいだ。
姉さんをびっくりさせないよう、小さな声でそっと呼びかける。
「姉さん...おはよう...。」
窓の外はまだ暗いので、俺が倒れてから数時間くらいしか経っていないと思うけど、どんな言葉をかけていいかわからなかったので、おはようと言ってみた。
姉さんは顔を上げて、俺の方を見る。目がひどく充血していて、顔は青白く、頬には何本も涙がつたった跡が見えた。
「りっくん...大丈夫なの!?頭痛くない!?めまいはしない!?」
取り乱した様子の姉さんを出来るだけ安心させたくて、笑顔で答える。
「うん。どこも痛くないし、めまいもないよ。」
それを聞くと姉さんは声をあげて泣き始めた。迷子の少女がお母さんを見つけたときみたいに、安堵に包まれたような泣き顔だった。
53 :
◆uYNNmHkuwIgM
[sage saga]:2020/06/12(金) 22:47:39.41 ID:BHjCA0Mo0
それから医者と看護師さんが駆けつけて、病状を説明してくれた。恐らく疲れと睡眠不足で一時的に自律神経系のバランスが崩れただけで、明日には問題なく退院できるようだ。
「今日は早く上がれたから、家で晩ご飯作ってたの。そしたら店長さんから電話が来てね。病院まで付き添ってくれたのも店長さんみたい。とっても心配してくれて、私が病院に着いたら必死に謝ってくれたわ。」
「お母さんには私から連絡して、すぐに駆けつけてくれた。お医者さんの説明を聞いたら安心して、今は陸の着替えを取りに帰ってる。」
売店で買ってきてもらったおにぎりを食べながら、俺が寝ている間の出来事を姉さんから聞く。マスターや母さんにもかなり心配と迷惑をかけてしまった。特にマスターには大変申し訳ない気持ちになる。謝らないといけないのはこっちなのに。
母さんが帰ってくるまで、姉さんと2人。こんな事態を招いてみんなに心配と迷惑をかけてしまった原因は、俺のこの腹の底にある。だから、きちんとそれを終わらせないといけないと思った。
「姉さん、聞いてくれる?俺の話。」
姉さんは真剣な顔で、首を縦に振った。
54 :
◆uYNNmHkuwIgM
[sage saga]:2020/06/12(金) 22:49:06.46 ID:BHjCA0Mo0
あれはいつだったろう?俺と母さんは、あるテレビ番組の密着取材を受けたことがある。番組のタイトルは『北沢志保 悲劇のアイドルの奮闘』。
よくあるドキュメンタリー風のバラエティだ。芸能人の過去の悲劇を勝手に掘り起こして、こんな境遇でも頑張りましたと締めるあの手の番組。
今思うと、プロデューサーさんがそういう仕事を姉さんに勧めるはずがない。きっと、どこからか噂を嗅ぎつけたテレビ局が、強引に姉さんを巻き込んだ番組なんだと思う。
あの頃の俺はそんなことを疑いもせず、姉さんの凄い姿をみんなに知ってもらおうといろいろと話した記憶がある。でも、出来上がった番組の締めの言葉を見たとき、俺は愕然とした。
『北沢志保は苦しいアイドルとしての戦いを、家族のために耐え抜いている。本当は得られるはずだった、普通の女の子の幸せを捨てて。』
スタジオでは泣いている芸能人も何人かいる。俺はその言葉と、その人たちを見て知ってしまった。
姉さんは、小さな俺を守るためにいろんな幸せを捨ててしまったこと。姉さんは、俺のせいで不幸になってしまったこと。
55 :
◆uYNNmHkuwIgM
[sage saga]:2020/06/12(金) 22:50:36.03 ID:BHjCA0Mo0
だから、俺は強くなろうと決めた。姉さんみたいに強くなって、一人でも大丈夫になって、もう姉さんを不幸にしないと決めた。
でも、俺には何も出来なかった。今手元にあるのは、意味のない意地とちっぽけのバイト代、そんなもの何もないのと同じだ。
その自分を認められなくて、目をそらして、最後には八つ当たりした。そんな情けない話。それが俺の話。
「だから、本当に今日までごめんなさい。」
56 :
◆uYNNmHkuwIgM
[sage saga]:2020/06/12(金) 22:51:43.29 ID:BHjCA0Mo0
深々と頭を下げる頭上から、姉さんの優しい声が聞こえる。
「話してくれてありがとう。頭を上げて。」
その声に促されて頭を上げる。姉さんは柔らかく微笑んでいた。そして姉さんが話を始める。俺が初めて聞く、姉さんの心の中の話。
「陸は信じられないかもしれないけど、昔ね、私はすごく甘えん坊だったの。」
確かに俺には信じられない。姉さんが母さんに甘えているところなんて、俺は一度も見たことがない。
「お父さんがいなくなって、悲しかった。本当に。でも、泣いてばかりじゃダメだって思ったの。それで決めた。私が家族を守るって。」
「だから私は甘えることをやめて、頑張り続けた。家族を守れるような人になるために。」
「中学生の時にアイドルになって、そしてまだ芸能界にいる。そうね、私は普通の女の子が持っている幸せを、持っていないのかもしれない。」
57 :
◆uYNNmHkuwIgM
[sage saga]:2020/06/12(金) 22:52:59.35 ID:BHjCA0Mo0
そこまで姉さんは話して、すーっと息を吸う。気持ちを込めるように、ゆっくりと。そしてその気持ちを言葉にして形にする。
「たしかに辛いことはたくさんあったけど、でも、私は一度も自分が不幸だなんて思ったことなんてない。ずっと幸せだよ。だって、私にはお母さんと陸がいる。」
あの番組の中、姉さんはずっとそう言っていた。しかし、番組はそれを強がりだと認識し、一層「不幸な北沢志保」の健気さを演出した。
俺も同じことを思っていた。姉さんは理不尽な重荷を背負わされ、それを健気に一人で背負いきった強い人だと思っていた。
「確かにアイドルを始めたきっかけはお金のためだった。そのせいで、いろんな衝突もあった。だけどね、それは始めだけ。」
「だんだんアイドルをやっていくうちに、私は変わっていった。たくさんの仲間と競争したり団結したり、そうしていくうちに、私はアイドルに夢を見るようになった。」
「だからね、私は確かに普通の女の子の幸せを持ってないのかもしれないけど、私にしかない幸せをたくさん持ってると思う。」
「私は誇らしいの。陸が私を『自分を守ってくれる強い人』って言ってくれたことが。そうなれるよう、頑張ってきたから。」
「でもね、そうなれたのは私が頑張ったからだけじゃない。陸やお母さんがいてくれたから、私は自分で誇れる私になったんだと思う。私がそうしたように、陸も私も守ってくれてたの。」
「だから、自分には何にもないなんて悲しいこと言わないで。陸、ありがとう、私の弟になってくれて。」
58 :
◆uYNNmHkuwIgM
[sage saga]:2020/06/12(金) 22:53:52.18 ID:BHjCA0Mo0
姉さんは始めから幸せで、ずっと幸せで、今も幸せだ。姉さんの心の中を聞いて、ようやく気がついた。俺は最初から間違っていて、その間違いに気がつかないまま、間違い続けていたのだと。
一人で自分には罪があると思い込んで、一人でその贖罪のために空回って、そして周りに心配をかけた。とても間抜けで、恥ずかしい話だ。
間違ったのなら訂正をしないといけない。向き合って、省みて、悔やんで、正しい答えを探しなおさないといけない。
その一歩として、俺は積年の思いを込め、姉さんに言った。
「姉さん、こちらこそありがとう、俺の姉でいてくれて。」
59 :
◆uYNNmHkuwIgM
[sage saga]:2020/06/12(金) 22:55:11.90 ID:BHjCA0Mo0
「じゃあ、隅子さんにコーヒー1つよろしくね。」
あれから数日が経った。退院して喫茶店に顔を出し、マスターに謝られる前に俺は全力で謝罪をした。マスターは笑顔で許してくれて、一安心した。
あれ以来、俺はシフトを減らしてもらった。今はその時間を勉強に充てている。これで今度の期末試験は、グーンと成績が伸びるに違いない。
「いや、マスターあの人の正体知ってますよね?」
マスターは俺のツッコミに答える。
「まぁ、この歳になると一度定着したことを切り替えるのが難しいんだよ。」
姉さんはまた俺のバイト日に合わせて喫茶店に来るようになり、マスターはそれがとても嬉しいみたいだ。いやでも、なんで姉さん俺のバイト日正確に知ってるんですか?
「陸君、隅子さんのこと大事にしなよ。あんないいお姉さん、なかなかいないんだから。」
マスターはコイバナをしなくなった代わりに、しきりにこういうことを言うようになった。姉に迷惑をかけた身としては本当に耳が痛いのだけど、本当のことなので仕方がない。
「はい。笑顔2割増でサービスしておきます。」
60 :
◆uYNNmHkuwIgM
[sage saga]:2020/06/12(金) 22:56:22.79 ID:BHjCA0Mo0
姉さんのテーブルに珈琲を置き、約束通り2割増し笑顔で言葉をかける。
「どうぞ、ごゆっくりおくつろぎください。」
姉さんは満足気に珈琲を受け取り、あざとさマシマシのアイドルスマイルと共に言葉を返す。
「ありがとう。ねぇ店員さん?一緒にお話してくださらない?だって、店員さん素敵なんだもん。」
その瞬間、ピキッと店内の空気が凍るのがわかった。店内を見渡すと、他のテーブルの女性の視線が、全部こっちに集まっている。
姉さんは、刺すような笑顔で全ての視線に対抗していた。それを見て思い出す言葉がある。確か、姉さん前に「周りのテーブルの女共にはわたさない」みたいことを言っていたな。
まさか、姉さんがいちいち俺にちょっかいをかけて来ていたのって、俺をからかうためだけじゃなくて、周りのテーブルに牽制するためって意味も...。
61 :
◆uYNNmHkuwIgM
[sage saga]:2020/06/12(金) 22:57:11.36 ID:BHjCA0Mo0
そこに至った時点で、俺は考えるのをやめた。増量した分の笑顔を差し引いて、姉さんに言葉を返す。
「いえ、仕事中ですので、申し訳ございません。」
姉さんは俺の背中で他のテーブルから表情が隠れる位置にそそそと動き、素でむすーっとした顔になって言う。
「もぅ、いっつもそればっかり。はいはい、わかりました。でも、今度は一緒に珈琲飲もうね、りっくん。」
この人、からかいと牽制だけでもなくて、ホントに一緒に珈琲が飲みたいって願望もあったのか...。いろいろと言いたいことができてしまったが、とりあえずはこの一言。
「だから、りっくんはやめろ。」
E N D
62 :
◆uYNNmHkuwIgM
[sage saga]:2020/06/12(金) 22:57:58.74 ID:BHjCA0Mo0
参考
TRYangle harmony内での雨宮天さんのトーク
live the@ter harmony03 絵本/北沢志保
アイドルマスターミリオンライブBlooming Clover
63 :
◆uYNNmHkuwIgM
[sage saga]:2020/06/12(金) 22:58:58.87 ID:BHjCA0Mo0
終わりだよー(◯・▽・◯)
北沢家にこれからもたくさんの幸せが降り積もりますように。
64 :
◆uYNNmHkuwIgM
[sage saga]:2020/06/12(金) 22:59:54.59 ID:BHjCA0Mo0
あとひとつ、
投稿前にコメントをくれた美奈子Pに感謝します。
65 :
◆NdBxVzEDf6
[sage]:2020/06/12(金) 23:03:26.17 ID:oyXVuVPy0
こういう未来もいいねぇ
乙です
北沢志保
http://i.imgur.com/b9hqpu8.png
http://i.imgur.com/TlZ28eO.jpg
>>37
矢吹可奈
http://i.imgur.com/x1Dioqg.png
http://i.imgur.com/1qJgUVy.jpg
>>62
「絵本」
https://www.youtube.com/watch?v=FMl9sfvqfjM
66 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/06/13(土) 10:41:25.30 ID:yZrNd+9DO
(*>△乙)<ナーンナーンっっ
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