【ミリマス】育「ドラマ こんじき雛」

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23 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/03/29(日) 16:50:00.79 ID:O0jAO63X0
村の子どもA「うぇぇぇん……」

村の子どもB「いやだあああ! 放してえええええ!!!」

桃子「フンッ……小便臭い小童どもが。好きなだけ喚くがいい」


育「待て!」

桃子「ん?」

育「栗色の髪に二本の角……お前が芙美台山の蘇芳童子か」

桃子「その覇気、そして儂に凛と立ち向かう勇ましい目……やはり見立てどおりだったか。獲物自らぬけぬけと現れおるとは」

育「何が言いたいか知らないが、その子らを放せ! さもなくば拙者がお前を叩き斬る!」

桃子「ほぅ……もちろん構わんぞ。儂はこんな雑魚どもに興味はないからのう。ほれ、行くがよい」ポイッ

村の子どもA・B「うわぁぁぁん!育吾郎〜!」ダッ

育「お前たち、早くこっちに――」
24 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/03/29(日) 16:50:29.06 ID:O0jAO63X0
桃子「そう……こんな雑魚ども、どうなろうと儂の知ったことではない」カッ

エミリー「あっ、危ない!」

ドガァン!

村の子どもA・B「ぎゃああああ!!」

エミリー「ああっ!」

育「そんな……おい、二人ともしっかりするんだ! ぐっ……こんな小さい子になんてことを!」

桃子「フフッ、一度安心した顔が絶望に堕ちる有様……まあ雑魚にしては悪くない寸劇を見せてもらったぞ」

育「許さない……お前は拙者が必ず叩き斬る!」

桃子「いいだろう。かかって来るが良い。どのみち貴様に儂を倒すことは絶対に叶わん。なぜなら貴様は最初から儂の掌の上にあるのじゃからな」

育「なんだって?」
25 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/03/29(日) 16:51:39.17 ID:O0jAO63X0
桃子「言葉通りじゃ。最初から――10年前、母親の腹の中におるときからもう決まっておったのだ。貴様が儂に食われる運命はな!!」スッ

ゴゴゴゴ…

育「なっ、体が動かない……力が抜けて……刀が……」カランッ ドサッ

エミリー「育吾郎さま!!!」

育「エミリー殿……この子らを連れて、早く……逃げ、て……」


村人A「おい、どうした?」

村人B「待て、あれって……」

村人C「ひぃっ!」

ひなた「どうしたんだい? あ、ああ……」

エミリー「みなさん、大変です! 鬼が現れてこの子たちが襲われて……育吾郎さまが連れて行かれそうなんです! 助けてください!」

村人D「なんだって!?」

村人E「そうか、育吾郎は11歳……」
26 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/03/29(日) 16:52:41.36 ID:O0jAO63X0
桃子「やれやれ。ようやく村人どものお出ましか」

エミリー「さあ、これだけの数の人がいて逃げられると思わないことです。早く育吾郎さまを放しなさい!」

桃子「五月蠅いやつめ。異人の娘か。儂に楯突くのなら好きにするがいい。だがこの腰抜けの村人どもが貴様の味方をするかのう?」

エミリー「どういう意味ですか?」

桃子「儂がこの村の小童を喰らい、そして山の池が赤く染まる。それがこの村唯一の恵みじゃ。そんなことがもう何百年と続いておるのだ」

桃子「学のない村人どもでもわかるんだろうな。自分たちが、鬼である儂のもたらす恵みの残渣を啜ることでしか生き長らえん無力な家畜であることをな!」

エミリー「なっ……美里恩村のみなさんを馬鹿にしているのですか!? みなさん優しくて素敵な方ばかりです。あなたなんかに愚弄されて黙っておられるわけがありません。ねぇ、みなさん――」

村人たち「……」

エミリー「みなさん、どうして何も反論しないのです? このままでは育吾郎さまが連れて行かれてしまいます。早く鬼を止めないと……」

村人たち「……」

ひなた「……」

エミリー「ひなたさん……」

ひなた「ひっ……!」
27 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/03/29(日) 16:53:12.12 ID:O0jAO63X0
エミリー「ひなたさんと育吾郎さまはお友達なんですよね。このまま黙って見ているだけでいいのですか」

ひなた「エミリーちゃん……」

村人G「ひなた、わかっておるな?」

ひなた「うぅ……」

エミリー「そんな、どうして……」

桃子「フンッどうじゃ。これがこの村の憐れな人間どもの実情なのだ。理解したのなら貴様も郷に従い、この食物連鎖を受け入れることだな」パァァ

育「」ゴゴゴゴ…

エミリー「だ、だめです……育吾郎さま!」

桃子「安心しろ。儂がこいつを喰らうのは、儂の妖力が骨の髄まで浸透し極上の味に仕上がってから。それまで三晩かかる。心の準備くらいならさせてやれる」

桃子「それまでに貴様はどんな選択をするか……尻尾を巻いてこれを受け入れるのか、それでも尚この小童を取り戻しに儂の元へ現れるのか。フフッ、楽しみにしておるぞ」

ヒュンッ
28 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/03/29(日) 16:53:50.23 ID:O0jAO63X0
エミリー「……ひなたさん、すぐにこの子たちの傷の手当てを」

ひなた「う、うん……」

チャッ

エミリー(育吾郎さまの落とした愛刀……お借りいたします)

ひなた「エミリーちゃん、どこへ行くんだい?」

エミリー「鬼を討ち払うためには鍛錬が必要です。これからお殿様のところへ参りご教授いただくことにします。育吾郎さまは必ず、私が村へ連れ帰ってみせますから」

村人H「だ、ダメじゃ! 人質を取り戻せば、鬼がくれる赤い水が手に入らず染め物が作れなくなる。村は破滅じゃ!」

村人I「それに剣の心得もない娘さん一人であの恐ろしい鬼を倒すなど無茶じゃ! あんた、死ぬつもりかい!?」

エミリー「やってみなければわかりません。いずれにせよ私はこれから三日間で、できる限りを尽くすつもりです」

エミリー「勝手なのは承知です。ですが育吾郎さまさえおられれば、鬼の力に頼らずとも美里恩村はやっていけるはずです。みなさんどうか私を止めないでください。失礼します」

ひなた「エミリーちゃん……」
29 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/03/29(日) 16:54:28.07 ID:O0jAO63X0
――茉莉城


まつり「ふむ……育吾郎が山に棲む鬼に連れ去られ、三日後には喰われてしまうと……」

エミリー「そうです。事は急を要します。お殿様はご存じないかもしれませんので説明いたしますと、芙美台山に棲む鬼というのは――」

まつり「いや、それについては余も存じ上げておるのじゃ。……じいよ。あれを持って参るのじゃ」

ガラッ

家臣「殿、こちらご所望の巻物にございます」

まつり「ふむ。ではこれをエミリーに」

家臣「かしこまりました。――ご客人、こちらを」スッ

エミリー「ご丁寧にありがとうございます。これは……巻物、ですか?」

まつり「うむ。絵巻物と呼ばれるものなのじゃ。エミリーよ。読んでみるのじゃ」

エミリー「申し訳ございませんお殿様。私、言葉は話せるのですが、読み書きはまだ自信がなく……」

まつり「それもそうか。では余が声に出して読むとするのじゃ」
30 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/03/29(日) 16:55:08.22 ID:O0jAO63X0
昔々のことです。小さな鬼がひとりで野山を歩いておりました。

この鬼は地獄で仲間ともめ事を起こしたため、住処を追われ、たったひとり地上をあてもなく彷徨っていたのです。

ひとりぼっちの鬼はお腹を空かせていました。獲物である人間を食べなければ、餓死してしまいます。

しかし歩けども歩けども、どこにも人間はいません。やがて鬼は歩く力も尽きて、その場に座り込んでしまいました。

ずっとずっと寂しい思いをしてきた鬼は心も体も疲れ果て、涙もとうに枯れていました。

すると――。

「やぁやぁ、娘っ子がこんなところでひとりぼっちでどうしたんだい?」

声をかけたのは、近くの村に住む男の子でした。

彼は名物のない寂れた村の人々に少しでも楽な暮らしをしてもらおうと、毎日わらじや笠を作っては一山越えた先の町へ売りに歩いていたのです。

お腹が空いて返事のできない様子を見かねた男の子は、手持ちの荷物から乾飯を取り出して、水でふやかせて鬼に差し出しました。

「ほら、これをお食べ。喉も渇いているだろう。水も全部飲んでくれ。おらは平気だ。この程度、家まで我慢すればいいさ」

男の子はそう言ってにっこり微笑みました。しかし鬼は男の子の顔を黙って見つめたまま、乾飯も水も口にしようとしません。
31 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/03/29(日) 16:55:40.97 ID:O0jAO63X0
不思議がって尋ねてきた男の子に、鬼は答えました。

「儂は飯も水も口に入れん。その代わり、お前が欲しい。このままお前さんが帰ってしまえば、儂はここでひとりぼっちじゃ」

「のうお前さん、儂の婿にならんか? さすればわしは見返りに、そこに見える三角池の水を真っ赤に染めて差し出そう」

「その水で染め物を作れば、きっと高く売れる。村人みんなが豊かに暮らせるだろう」

鬼がそう言うと、山の麓にある三角池がたちまち鮮やかな赤色に染まりました。

驚いた村人の一人がそこにボロ巾をくぐらせてみると、あら不思議。見違えたように綺麗な赤い布になったではありませんか。

これには村人も大喜び。男の子の両親も、息子を快く婿に送り出してくれました。

こうして男の子は鬼の夫となり、共に山へ行くことになりました。

「これでそなたとわしはずっと一緒じゃ。何があっても、わしの元を離れるでないぞ」

鬼は安心しました。これでもう、お腹も心も寂しくありません。
32 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/03/29(日) 16:56:11.23 ID:O0jAO63X0
しかしそれでも鬼は生きているのでだんだんお腹が空いてきます。だんだん寂しくなってきます。

けれどもこの村にはいつの時代も、優しい男の子がいます。彼らが婿に来てくれるから、鬼は寂しくないのです。

だから鬼は感謝の思いを込めて村人たちに真っ赤な池の水を贈るのです。

鬼はいつまでも彼らとずっと一緒。寂しい思いをすることはもう二度とありません。

だって、みんながいるから。


めでたし、めでたし――。
33 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/03/29(日) 16:56:40.33 ID:O0jAO63X0
エミリー「……なんですか、このお話は」

まつり「鬼に息子を食われた母親がいつしか創作し、次の標的の母親へと伝え受け継がれていったという物語なのじゃ。他の藩でもお伽噺として親しまれているそうなのじゃ」

まつり「実際村には恵みがもたらされておる。心優しき男の子は村を救った英雄ともいえよう。そう捉えれば、この物語もある意味では的を射ているのかもしれんのじゃ」

まつり「他方、このように考えでもせねばとても気持ちを整理することなどできない、そんな遺された者の心を慰めるために創り出された、優しき嘘の物語とも呼べるのじゃな」

エミリー「……恐れながら申し上げます。お殿様は、どういったご了見で私にこんなお話を聞かせたのですか。これを聞けば私が納得して引き下がるとでもお考えでしょうか」

家臣「この者、殿に向かって……!」

まつり「待て。――エミリーよ、続けるのじゃ」

エミリー「私は受け入れられません。育吾郎さまは、鬼の餌になるためにこの世に生を受けられたわけではないはずです」

エミリー「価値観の異なる人同士が手を取り合える世の中を作りたい――育吾郎さまは、そんな夢を私に話して聞かせてくださいました」

エミリー「異人である私が美里恩村で健やかに過ごすことができるのも、そんな夢を叶えるべく邁進されている育吾郎さまがおられるからです。私は育吾郎さまに、まだ何も恩を返せていません」

エミリー「お願いいたしますお殿様! どうか、私に鬼を討ち取るすべをご教授いただけませんか? 藩で最も偉大なお方であるお殿様なら、きっとご存じと思い、馳せ参じました」

エミリー「決してたった三日の鍛錬で強くなれるなどと自惚れているわけではございません。それでも私は、育吾郎さまの未来をこの手で護りたいのです」
34 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/03/29(日) 16:57:11.23 ID:O0jAO63X0
まつり「ふむ。エミリーよ。余が見込んだとおりじゃった。大和撫子とはかくあるべきという姿、見せてもらったのじゃ」

まつり「これからの時代、女性たちがそなたのように強く凜々しく美しく輝けるよう、余も大名として精進せねばならぬのじゃ」

まつり「エミリーよ、そなたはまことに天晴なのじゃ!」

エミリー「そ、それでは――」

まつり「しかし、余は大名といえどただの武士。強い魔を祓う力は持ち合わせておらんのじゃ。だが伝手ならある。そなたに知り合いの祈祷師を紹介するのじゃ」

エミリー「ありがとうございます!」

まつり「……ところでエミリーよ。天晴とは、そなたの故郷の言葉でなんというのじゃ?」

エミリー「えっと……申し訳ございません。アッパレとは、どういった意味の言葉なのでしょうか」

まつり「そうじゃなぁ。先ほどのように相手を賞賛する際に使う言葉なのじゃが――そうじゃ。字にすると『天が晴れる』と書くのじゃ」

エミリー「天が晴れる……なるほど! それでしたら、こんな言葉がございます――」
35 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/03/29(日) 16:57:47.50 ID:O0jAO63X0
――翌朝


紬「あなたがエミリーさんですね。お話は伺っております」

エミリー「お初にお目にかかります。祈祷師さまでいらっしゃいますね。よろしくお願いいたします」

紬「こちらこそ。……ふむ。見たところ、あなたには霊能力などの特殊な素養は備わっておられないようですね」

エミリー「ええ。私はごく普通の人間で間違いないでしょう。これまでそのような力とは無縁で過ごしていました」

エミリー「無論そんな私がたった二日で鬼を退治するほどの力を身に着けられるなどと、思い上がった考えを抱いているわけではありません」

エミリー「ですが、それでも行動したいと思いました。これは私の願い。お殿様にも手出しは無用とお伝えいたしました。誰に頼るでもなく、他ならぬ私が刀を取り立ち向かうべきことなんです」

紬「それほど強い思いをもって取り戻したい人がいると……そういうことなのですね」

エミリー「祈祷師さま、私はどんな厳しい修行にも耐え抜いてみせます。ですからどうかご教授ください。私に、育吾郎さまを鬼から取り戻すすべを」

紬「あなたの思いはよく理解できました。ええ。私なら力になれるはずです」
36 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/03/29(日) 16:58:19.91 ID:O0jAO63X0
エミリー「それでは、まずどのような修行から入ればよろしいでしょうか」

紬「いいえ。厳しい修行は必要ありません。そもそも鬼とは地獄の住人。私のような祈祷師であっても単独で挑めば勝ち目はないでしょう」

エミリー「そ、そんな!」

紬「ですが鬼と育吾郎さんを引き離す方法ならあります。そしてその術は、私では効果が得られません。あなただからこそ使える術です」

エミリー「私だからこそ……? 教えてください。それはどのような術ですか?」

紬「使うかどうかは、あなたの判断に任せます。そうですね……この術に必要な技能があるとすれば、覚悟でしょうか」

エミリー「覚悟、ですか?」

紬「はい。大切な人を守るため、他の何かを捨てる……そんな強い覚悟です」
37 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/03/29(日) 16:58:51.70 ID:O0jAO63X0
――期限の晩、美里恩村 長老の家


ひなた「……」

長老「……」

村人J「ひなたや、何も言わんでもわかるな。鬼を退治するのをやめるよう、エミリー殿を説得するんじゃ」

ひなた「……」

村人K「どうしたひなた。返事をせんか」

ひなた「長老……みんな……悪いけど、あたしにはそれはできないべさ」

村人L「な、なんじゃと!?」

ひなた「蘇芳童子の蘇芳の染め物は、美里恩村の名物だべさ。10年前、兄ちゃんが喰われたときに作られた染め物は今も売れ続けて、だからあたしらは今日もどうにか暮らしていける」

ひなた「お前の兄ちゃんは村のみんなの英雄なんだって、みんなそう言ってあたしや家族を励ましてくれてきたよね」

村人M「ひなた……」

ひなた「あのお伽噺が広まったおかげで、色んな地方の人が染め物を買ってくれてる……美里恩村のことも鬼のお伽噺の村だって知ってもらえてる。お話に感動したって言ってくれるお客さんもいるべさ」

ひなた「でも、どんなに染め物が売れても、お伽噺が有名になっても、みんなそれしか眼中にない。誰も兄ちゃんのことを知らないし、知ろうともしてくれないんだ」
38 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/03/29(日) 16:59:34.61 ID:O0jAO63X0
ひなた「10年前に貯めておいた在庫もあとわずか……それが売れたら、もう兄ちゃんが遺してくれたものは村から一つ残らず消えてしまう」

ひなた「長老、みんな……本当にこれで良いと思ってるのかい? それでも育吾郎さんを、兄ちゃんと同じ目に遭わせるのかい?」

ひなた「あたしの兄ちゃんが命を投げ打って守りたかった村は……こんな村だったのかい?」

長老「……」

村人N「ぐっ……」

村人O「ひ、ひなたよ、村のしきたりに従わねばどうなっちまうか、お前さんの歳ならもうわかってるはずじゃろ?」

村人P「そ、そうじゃ! 村八分じゃぞ! こいつはお前さんだけの問題じゃない。おとっつぁんやおっかさんだってただじゃ済まねえんだぞ」

長老「皆の衆、静まるのじゃ」

村人Q「ちょ、長老……?」

長老「しきたりとはそこに住まう人が生活のために作るもの……じゃが人を縛り不便をもたらす機能だけが残ったのなら、もはや枷でしかない。人が人の営みに支配されては本末転倒じゃ」

村人R「長老……しかし、鬼を討つってことは、三角池の赤水を、蘇芳の染め物を手放すってことですぞ」

長老「育吾郎が美里恩村の将来を案じ、色々と思案しておることは儂も知っておる。この村で誰よりも村の今後を考え行動を起こそうと奮闘しておるのが育吾郎じゃ」

ひなた「あ、ありゃあ、ばれてたのかい」

村人S「だけども、染め物なしにこれからどう生活していくんです? 育吾郎が立派になって村を豊かにしてくれるまで我慢するんですかい?」
39 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/03/29(日) 17:00:16.21 ID:O0jAO63X0
長老「儂が今日まで生きてきたこの美里恩村の良きところは、村人が皆博打などを好まぬ堅実な働き者ばかりなところじゃ」

長老「人が未来を見通すことはできぬ。じゃが若者の未来を信じることは愚かな賭けじゃろうかのう」

村人たち「……」

長老「儂の老いた目がまだ物事の正鵠を射抜けているのなら、少なくとも育吾郎を信じることを博打とは呼べぬはずじゃ。なぜなら育吾郎という若者は、それだけの信頼を皆に見せておるからだ」

村人T「だ、だがこれから鬼を討つとしても……エミリー殿に助太刀できるほど肝の据わった者が村にいるのかい」

村人U「男連中は老いも若きもみんな蘇芳童子に怯えて生きてきたんじゃ。おらもみんなも、兄弟や友達が山に連れて行かれるところを見ちまってるんだから……」

長老「どんなに力の弱い人間にもできることならある。何かを成そうと奮闘する者を信じて見守ることじゃ。堅実に、こつこつとな」

ひなた「そ、それじゃあ……」

長老「ひなたよ、エミリー殿を激励するのじゃ。きっと喜んでくれるはずじゃ」

ひなた「は、はい! ありがとねぇ、長老」タタッ

村人V「……良かったんですか、長老」

長老「ああ。世は諸行無常。元より本来変わらねばならんはずのものを放置したままあの世へ行くのは心残りじゃったからのう」

村人W「それで、育吾郎が密かに思案してることって何なんです? 長老はご存じなんでしょう」

長老「ほっほっほっ。皆の衆、これから忙しくなるぞ。まあ10年に一度あれだけ大量の機織りをこなしてきた者たちじゃ。きっと良い結果をもたらせるじゃろう」
40 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/03/29(日) 17:00:56.11 ID:O0jAO63X0
――芙美台山麓


エミリー「……」

エミリー(育吾郎さまの愛刀……今の私にはとても心強いです。どうか私を導いてください)

エミリー「いざ、参りましょう」


ひなた「エミリーちゃーん!」

エミリー「ひなたさん!」

ひなた「はぁ、はぁ……間に合った。エミリーちゃん……その、あたし……こんな大変なときだってのに、何もできないで……」

ひなた「せっかく今まで剣の稽古をつけてもらってきたのに、あたし鬼が来てからずっと、怖くて家の中でずっと震えてたんさ……」

ひなた「なんのために稽古を受けさせてもらったんだろうね。こんなんじゃ、死んだ兄ちゃんにも笑われてしまうわ……」

エミリー「ひなたさん……いいえ、ご自分を責めないでください。ひなたさんは、争い事を好まない穏やかな心の持ち主……お兄さまもそれをよくご存じなはずです」

エミリー「ひなたさんのように優しい方に争い事を強いるような世の中になってはならない……育吾郎さまもそうおっしゃっていました」
41 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/03/29(日) 17:01:32.22 ID:O0jAO63X0
エミリー「大丈夫です。私が必ず、育吾郎さまをこの村へ連れ戻してみせます。どうか見守っていてください」

ひなた「だけども、あたしにもエミリーちゃんの力になれることがないかと思って……それで、これを」

エミリー「これは……お守りですか?」

ひなた「兄ちゃんの形見なんだ。いつもあたしが肌身離さず持ってるんだけど、今はエミリーちゃんが持っていてほしいんだ」

エミリー「ありがとうございます、ひなたさん。とても心強いです」

ひなた「そ、そうなんだろか……」

エミリー「ええ。ですからひなたさんたちは、育吾郎さまの帰りを待っていてください。そして戻られた育吾郎さまと共に、素敵な村を作っていってください」

ひなた「……エミリーちゃん、まさか――」

エミリー「一緒にお野菜の世話をしたこと。折り紙を折ったこと……ひなたさんと過ごした時間はずっと忘れません。どうか、お元気で」ペコリ タタタ…

ひなた「エミリーちゃん! ……行ってしまったべさ。そんな、まさか鬼と差し違えるつもりで……」
42 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/03/29(日) 17:01:58.21 ID:O0jAO63X0
まつり「いや、それだけはさせんのじゃ」

ひなた「あ、あなたは?」

まつり「ふふっ。余は通りすがりの貧乏旗本の三男坊、徳田松之助なのじゃ。心配せんでも、エミリー殿の身は余とこちらの祈祷師の先生が守るのじゃ」

紬「ええ。ですからあなたは村のみなさんがこれ以上動揺なさらぬよう、みなさんの傍にいてあげてください」

ひなた「わ、わかったべさ。けども……お兄さん、立派なお馬さんをお持ちなんだねぇ」

まつり「ほ? これは借り物の馬なのじゃ。とにかくそういうことなのじゃ。よろしく頼むのじゃぞ」

ひなた「は、はぁ……」

パカラパカラ…


紬「恐れながら……お殿様、あなたは本当に身分を隠される気がおありなのですか? 貧乏旗本がこんなに美しい白馬に乗れるはずがないでしょう」

まつり「はて。普段城下ではこう申せば誰も疑わないのじゃが……変なのじゃ」

ルミちゃん「ヒヒーン!」
43 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/03/29(日) 17:02:39.19 ID:O0jAO63X0
――芙美台山、中腹


エミリー「おや?」

ヒラヒラ

エミリー(桃の花びら? まるで私を誘うかのように……鬼の妖術でしょうか。ここは、ついて行ってみましょう)

ヒラヒラ

エミリー(花びらが木の根の隙間に……鬼はこの奥ですね)

ギュルルル ギギギ…

エミリー「! 私が入った途端、木の根の門が閉じて……逃げ場はない、ということですね。元より逃げるつもりなどありませんが」

???「カタカタ……」

エミリー「!? なんですか」

人骨たち「カタカタ……」

エミリー「ひぃっ! こ、これはまさか……鬼に喰われた方々のご遺骨……」
44 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/03/29(日) 17:03:12.07 ID:O0jAO63X0
人骨たち「カタカタ……!」ブンッ

エミリー「くっ、どうか鎮まりください。私はあなた方に危害を加える気はありません」

エミリー(可哀想に。成仏できず、ずっとここを彷徨っておられるのですね……おや?)

とある人骨「カタ……カタッ」ピタ…

エミリー(この仏さま、急に攻撃を止められました。よく見ると他の方々より、まだ骨が新しいような……もしや)

エミリー「あなた、これに見覚えがあるのですね?」サッ

とある人骨「!!」ガガガ

エミリー「つまりあなたは、ひなたさんのお兄さま」

他の人骨たち「カタカタ……!」ブンブンッ

エミリー「ひなたさんのお兄さま、どうかお願いです。みなさんを落ち着かせていただけませんか? お守りはお返しいたしますから」

とある人骨「カタ…カタ…」スタスタ

エミリー(今です! 鎮魂のお札をみなさんに――)
45 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/03/29(日) 17:03:41.83 ID:O0jAO63X0
とある人骨「カタ…カタ…」

エミリー(ひなたさんのお兄さまが、みなさんを堰き止めてくださっている……?)

エミリー「ありがとうございます。みなさんの御霊は、のちほど村の方々が必ず供養してくださるはずです。それまでどうか待っていてください」タタタ



……


まつり「いかがなのじゃ?」

紬「いいえ。どれほど外側から念を送ろうともびくともしません。この折り重なった木の根自体が、強力な結界として機能しているのでしょう」

まつり「かの鬼がこの山に何百年と棲んでおるのなら、そこに生えた木々は鬼の支配下にあるも同然、ということなのじゃな」

紬「そう考えるのが妥当でしょう。これより祭壇を組んでより強力な祈祷を行います。ただ、門がいつ開くかは保証しかねます。その間もしエミリーさんに危機が迫っても助太刀できません」

まつり「月がもうこんなに高く……エミリーがここに入ってから随分経ってしまったようなのじゃ」

まつり「もどかしいが、今は見守りそして信じるときなのじゃな。エミリーが育吾郎を心から信じておるように」
46 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/03/29(日) 17:04:12.40 ID:O0jAO63X0
――芙美台山、最深部


エミリー「……」

桃子「まさか本当にここまでやってくるとはな。褒めてやらねばならんのう」

エミリー「約束通り育吾郎さまは返していただきますよ。そしてあなたの首は私がもらい受けます。お覚悟を」

桃子「フン。貴様にも見えるじゃろう。儂の玉座に並べられた骸の数々。皆儂が喰らってきた麓の村の小童の成れの果てじゃ」

桃子「同時に、あの何の取り柄もないつまらん村に幾多の恵みがもたらされた証でもある」

エミリー「何を言いますか。あなたがそれだけ多くの人を殺めてきた証の間違いでしょう」

桃子「何度も言わせるな。あんな村、儂がおらねばとっくの昔に滅んでおったのだ」

エミリー「そうでしょうか。育吾郎さまがおられさえすれば、美里恩村があなたの呪縛に囚われる時代は終わることでしょう」

桃子「信じておるのか?」

エミリー「ええ。私は信じています。育吾郎さまは将来立派な武人へと成長され、必ずや美里恩村をあなたの手に頼らない素晴らしい村へと発展させることでしょう」

桃子「くだらん。こやつがそんな偉人になるとなぜ言い切れる? 儂を倒せば恵みは奪われ、あの村は滅びる。貴様は村の者どもに災いをもたらそうとしているのだぞ?」

桃子「儂と貴様、あの村にとって害獣なのは果たしてどちらじゃろうのう?」
47 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/03/29(日) 17:04:41.18 ID:O0jAO63X0
エミリー「私をうろたえさせようとしても無駄です。力を誇示して人を弄び跳梁跋扈す悪しき鬼――私はあなたのような卑怯者の言葉を聞く耳など持ちませんので」

エミリー「それとも、私に倒されるのがそんなに怖いのですか? 人を喰らう鬼が、私のような者を恐れる理由などないはずですが」

桃子「ちぃ……小娘の戯言と放っておけば好き放題ほざきおって。定められた事柄は一つだけ……あの村は儂に飼い慣らされることでしか存在できぬ。今までもこれからもな!」

エミリー(よし。そのまま私の挑発に乗りなさい。そうすれば決着もすぐに――)

桃子「来い、髑髏ども」

エミリー(えっ――)

人骨たち「カタカタカタ…」

エミリー「そんな……! みなさんの御霊は先ほど確かに鎮めたはず……」

桃子「笑わせてくれる。持ち主の消え失せた空っぽの骨に霊魂もクソもあるか。こんなもの儂の妖力で動くだけのただの人形に過ぎん」

エミリー「……許せません。あなたは何の咎もない人の、その亡骸までをも冒涜するというのですか!?」

桃子「――殺れ」

人骨たち「カタカタ……!」ダッ
48 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/03/29(日) 17:05:17.83 ID:O0jAO63X0
エミリー(迂闊でした。これは想定外です)

エミリー「くっ……!」ヒュイン

桃子「どうした? 躱してばかりではないか。その立派な刀でひと思いに斬ってしまえば良かろう。儂は構わんぞ? こんな玩具、替えならいくらでも効くのだから」

人骨たち「カタカタ……!」ブンッ

エミリー「きゃあっ!」

桃子「まさか、できぬのか? 無理もないか。なにせ貴様の惚れた男も夜明けにはこうなるのだからな!」

エミリー(やはりあの絵巻物のお伽噺は虚構だったのですね。この鬼は、村人や喰らってきた人たちを餌や道具としか思っていない……)

エミリー(おかげで躊躇う必要などないと改めて理解できました。私が成すべきことはただ一つ……!)

人骨たち「カタカタ……!」ドカッ バキッ

エミリー「うぅ……みなさん、どうか……鎮まりください……」ヨロ

桃子「憐れよのう。道具でしかないと説明してやったというのに、それでも呼びかけ続けるとは……これが情に絆される人間の性か」
49 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/03/29(日) 17:05:44.18 ID:O0jAO63X0
育「ぐ……」

桃子「――ん?」

育「……」

桃子「気のせいか。儂の妖力が染み渡る中で、自我を保てるわけがないのだからな」

人骨たち「カタカタ……!」ドゴッ グシャッ

エミリー「う、うぅ……」

エミリー(なんとか、なんとかしてこの状況を打破しないと……。ひなたさんのお兄さまはここには来ていない。なら、止める方法は必ずあるはず……)

桃子「どうじゃ、痛むか? 無抵抗に殴られ続ければ、いずれ貴様も倒れてしまうぞ。さあ、余計な情など捨ててとっとと斬ってしまえ」

エミリー「……育吾郎……さま……」ドサッ カランッ

桃子「無様じゃのう。一度も振るうことなく刀を取り落とすとは。異人が付け焼き刃で侍の猿真似など、似合わぬことをするから――」


ドゴッ!!


桃子「がはっ……こいつ、なぜ動ける!?」
50 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/03/29(日) 17:06:23.93 ID:O0jAO63X0
育「……お前……よくも、エミリー殿を……」

桃子「おのれ、家畜の分際で儂に逆らうなど……身の程を知れ!!!」カッ

育「うわあ……あ……」バリバリ ガクッ

エミリー「育吾郎さま……!!」

桃子「そうだ。そうやって跪きながら、家畜らしく儂の血肉になる刻を待っておれば良いのだ。……ん?」

育「はぁ……エミリー殿に……手を、出すな……」

桃子「まだ立ち上がるか。この死に損ないめ。――髑髏ども、その娘はもういい」スッ

人骨たち「カタカタ……!」ガシッ

育「ぐ……放、せ……」

桃子「そうじゃ。そのまま夜明けまで小童を黙らせておけ。……異人の娘よ、先ほど貴様がこいつらを斬らずにおいてくれたおかげじゃ。感謝するぞ」ニヤ

エミリー「はぁ……はぁ……」
51 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/03/29(日) 17:06:54.52 ID:O0jAO63X0
桃子「折角じゃ小童。冥土の土産としてその目に焼き付けておくがいい。貴様を助けに参じたばかりに、この娘が儂に取り殺される様をな!」ガシッ

育「や、やめろ……ぐあっ……」カタカタ

エミリー「あぁ……」

桃子「フンッ。……今の貴様なら腕一本で充分じゃ」ググッ…

エミリー「う……」

桃子「安心しろ。じき楽になる」

ブンッ ドスッ

桃子「何――?」

エミリー「はぁ、はぁ……この機をずっと覗っていました……」

桃子「ほう……小太刀と、おまけに飛び退ける体力まで隠しておったか。だがこの程度の反撃で振り解こうとも結果は同じじゃ。時間稼ぎにもならんぞ」

エミリー「いいえ。これで、王手です……」

桃子「何だと?」
52 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/03/29(日) 17:07:31.06 ID:O0jAO63X0
育「エミリー殿……? 何を……」

エミリー「育吾郎さま……あなたと過ごした時間は、ずっとずっと私の宝物です……」シュッ

桃子「小太刀で自らの腕に傷を? 貴様、一体……」

エミリー「悪しき鬼よ。あなたに僅かでも傷を負わせることさえできれば……私の勝ちです」スッ

桃子「なっ……その術は、まさか」

エミリー「呪術、別れの鋒――」
53 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/03/29(日) 17:08:03.72 ID:O0jAO63X0
〜〜回想〜〜


紬「こちらが呪術に必要な経を彫り込んだ石です。まずはこれをあなたに……」

エミリー「石……ここに鬼を封じるのですね」

紬「ええ。ではこれから手順を説明します。よく聞いていてください」

紬「まずは――ほんの一滴で構いません。育吾郎さんの刀で鬼に一撃を見舞い、刀身にその血をつけてください」

紬「続いてその刀であなた自身に傷を入れ、刀身を血で染めてください。術を使うあなたと、対象の鬼、両者の血で染まった刀をこの石に突き立てるのです」

紬「そうすれば術が解けない限り、件の鬼は育吾郎さんはおろか、美里恩村にさえ一切近づくことができなくなります」

紬「ただしその効果の持続は術をかけた本人……すなわちエミリーさん、あなた自身に懸かっています」

エミリー「私に、ですか?」

紬「この術はその昔、ある高僧が生涯唯一愛したという恋人を救うために編み出したとされるもの……相手を想う強い気持ちがあるからこそ、強い力で魔を封じることができたわけですね」

紬「彼は恋人に取り憑いた強力な魔物をこの術で引き剥がし、引き換えに死ぬまで恋人に触れることも会うことも、一度もなかったといいます」

紬「別れの鋒……誓った別れを放棄すれば、その強力な呪いも解けてしまう。彼は別れを選び続けることで恋人を死ぬまで守り通した――これはそういう術なのです」


〜〜〜〜〜〜
54 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/03/29(日) 17:08:40.77 ID:O0jAO63X0
桃子「ぐぁぁあぁぁ……!」ガクッ

ゴゴゴゴ……

桃子「貴様……封印の術だと……!? ……おのれェェェ!!」

エミリー「これであなたはもう育吾郎さまに触れることはおろか、美里恩村に近づくこともできません」

桃子「……馬鹿め。その術を使うことが何を意味するか、わからぬのか? 貴様は儂にかけた呪縛と引き換えに、この小童や村に近づくことはできなくなるのだぞ」

育「なんだって……? エミリー殿、そんな……」

エミリー「ええ。この鬼の言うとおりです、育吾郎さま。けれど構いません。私の願いはあなたを……あなたの描く明日の世界を、鬼の魔の手からお護りすること」

エミリー「それが叶うのであれば、私の心の内の事情など安いものです。この一生をかけて、必ずや育吾郎さまを護り通してみせます!」

育「心の内って……」
55 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/03/29(日) 17:09:17.29 ID:O0jAO63X0
桃子「愚かな人間が自惚れた戯言を……面白い。いいだろう。貴様は必ずや寂しさに負け小童と再会し、術は解ける。それが人間の奸しき性というもの。さすれば儂は舞い戻り、この小童を喰うだけじゃ」

エミリー「悪しき鬼よ。どんな言葉で惑わそうとも私は迷いません。さあ、私がここを去れば術は発動します。その永き静寂の中で、あなたが踏みにじってきた数多の命と向き合い続けなさい!」

育「待って、エミリー殿……!」

エミリー「いけません、育吾郎さま。私はもう、振り返ることはできません。その覚悟を決めて、ここにやってきたのです。どうか私の我儘を、お許しください」

育「それでは、拙者は君に何を返せばいいんだ……君の覚悟と想いに報いることができるのか……?」

エミリー「いつの日か、あなたが話して聞かせてくれた素敵な世が訪れると信じて、遠くから見守っております。……さようなら」

育「エミリー殿……」


桃子「再会すれば惚れた男はたちまち死ぬ。二度と会わねば村は滅び男は路頭に迷う……フン。なんと馬鹿な娘よ……」

シュウウウ……
56 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/03/29(日) 17:10:01.48 ID:O0jAO63X0
――数時間後


育「う……」

まつり「ほ? 気がついたのじゃな」

育「わっ、殿!? どうしてここに」

まつり「エミリーからは手出しは無用と言われておったのじゃがな。とはいえ放っておくわけにもいかずここまで参じたのじゃが……」

まつり「生憎鬼の住処への入口は結界で幾重にも閉ざされていてな。結局エミリーが奴を封じるまで、余はどうすることもできんかったのじゃ。情けないのじゃ。しょんぼり殿なのじゃ」

育「そうだ! 殿、エミリー殿は……今どちらに」

まつり「本人からこの藩を離れたいとの申し出があったもので、余の旧知の藩主である天州殿の元に引き渡すことにしたのじゃ」

育「天空守様のところへですか。やっぱりエミリー殿は、もう戻らないつもりで……」

まつり「余の城で匿うという手段もあると申したのじゃが、本人が聞かぬものでな。そなたの息吹を感じられる場所にいると決意が揺らぐやもしれん、ということなのじゃろうな」

育「そうですか……」

まつり「幸い天空藩には隠れ吉利支丹も多いし、天州殿の人脈ならエミリーのご両親の行方もじきにわかることじゃろう。ちなみに天州殿自身もまた吉利支丹なのじゃ」

育「ええっ!? ……お言葉ですが殿、今の幕府の求心力はどうなっているんですか」
57 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/03/29(日) 17:10:28.80 ID:O0jAO63X0
まつり「古くさい価値観やしきたりは崩壊しつつある、ということなのじゃ。親藩大名から余のような者が現れている時点で窺い知れることなのじゃ」

育「た、確かに」

まつり「そんなわけでエミリーの今後については心配はいらぬのじゃ。それよりも育吾郎よ、余に何か申したいことがあるのではないか? 顔に書いておるのじゃぞ」

育「殿……ご無礼を承知で、お願いがございます。拙者に、異国の学問を学ばせていただけませんか」

育「拙者は、エミリー殿の思いに報いたいのです。いつか異国の人と手を取り合い心を通じ合わせられる世が訪れるよう、武士として一生をかけて尽力したいのです」

まつり「育吾郎よ、その言葉を待っておったのじゃぞ。余の改革にもそなたのような若い力が必要なのじゃ。今後も勉学と鍛錬に励み、必ずや立派な武人となるのじゃぞ」

育「はい!」

まつり「いやはや、まこと天晴――そうじゃ。育吾郎よ、エミリーの故郷の言葉では“天晴”をこう言うらしいのじゃ」

まつり「グッデイ・サンシャイン!とな」

育「グッデイ・サンシャイン!ですか。すてきな響きですね。うん……ずっと覚えておこう」
58 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/03/29(日) 17:11:07.27 ID:O0jAO63X0
まつり「しかし子どもの骨がこんなにも……これから皆を供養してやらねばならんのう」

育「ええ。……あれ? この仏さんが首に提げているのって、ひなた殿のお守りだ」

まつり「そういえば山へ登る前、エミリーが村娘からお守りを受け取っているのを見たのじゃ」

育「他の仏さんよりも骨が新しい……きっとこの方がひなた殿の兄上に違いない。そっか。エミリー殿が見つけてくれていたんだ」

まつり「これで皆ようやく村に帰れるのじゃな。さあ、育吾郎も早く戻って皆に元気な顔を見せるのじゃ」

育「ええ。そうさせていただきます」

まつり「おや、もう日の出なのじゃ。ほ――」

育「わぁ……」

まつり「驚いたのじゃ。辺り一面、満開の桃の花でいっぱいなのじゃ。これも鬼を封じた効果か」

育「とってもきれいです。そうか。鬼の城は、桃の木が折り重なってできていたんですね」

育(エミリー殿とは、これからもこの太陽の光の下で繋がっていられる……だからどうか見ていてね。君が叶えてほしいと言ってくれた世界を、きっと作ってみせるから)

育「桃の花――そうだ。殿、もう一つお願いを申してもよろしいですか」
59 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/03/29(日) 17:11:42.94 ID:O0jAO63X0
――その頃


紬「本当にこれで良かったのですか?」

エミリー「はい。私が選んだ道です。後悔はありません」

紬「こうなってしまっては、もう手紙を送ることもできませんよ」

エミリー「手紙のやり取りを続ければ呪術の効力が薄まりやがて解けてしまう、という話でしたね……なら最初からしない方がいいはずです」

紬「しかし……」

朋花「あら〜茉州殿から聞いていた以上に強情な娘さんのようですね〜」

紬「お殿様」

朋花「ようこそ、我が天空藩の船へ。あなたがエミリーさんですね〜」

エミリー「天空藩のお殿様ですね。よろしくお願いいたします」

朋花「いかにもです。さて、茉州殿からお話は伺っています。結論から言いましょう。あなたのご両親は無事です。つい先日より我が藩で医師として働いてもらっていますよ〜」

エミリー「ほ、本当ですか!? ありがとうございます!」
60 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/03/29(日) 17:12:19.90 ID:O0jAO63X0
紬「良かったですね、エミリーさん。……しかし茉莉藩でもあの藩との交渉には難儀していたそうですが、よく身柄の引き渡しに応じてくれましたね」

朋花「そこに関しては我々の方が畑だということです。我が天空武士団を舐めてもらっては困りますよ〜」

紬「……エミリーさん、これからはこれからで何かと大変でしょうけど、どうか達者で暮らしてくださいね」

エミリー「は、はい。もちろんです。育吾郎さまに負けないよう、私も信念を持って生きて参ります」

紬「ええ。以前よりも成長なされたあなたとの再会を、ご両親も待ちわびておられることでしょう」


こうしてエミリーは天空藩で両親と再会し、また共に暮らせるようになった。

やがてエミリー一家はその時代の日本の医学発展に多大な功績を残し讃えられ、その後惜しまれながらも故郷イギリスへと帰って行った。
61 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/03/29(日) 17:12:50.79 ID:O0jAO63X0
――それから50年後


エミリーの孫「おばあさま、ただいま!」

エミリー「おかえりなさい。日本への旅は楽しかったかしら?」

エミリーの孫「はい! おばあさまから聞いていたとおり、とっても素敵な国でした! ねぇおばあさま、私ジャパンでとても面白いものを見つけてきたんです」

エミリー「面白いもの?」

エミリーの孫「おばあさまが私に話して聞かせてくださっていた、雛人形というものなのですが――ほら!」

エミリー「!! これは――」
62 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/03/29(日) 17:13:59.16 ID:O0jAO63X0
エミリーの孫「とっても可愛らしいですよね。この女性のほうの人形は、『こんじき雛』と呼ばれているそうです。なんでも、ある地方で縁起物とされているそうで」

エミリーの孫「伝承によると、とある村でのちに村の英雄となられた方の命を救った少女がいたそうです。曰く、その少女は金色の髪をした異国の人であったと……」

エミリー「……」

エミリーの孫「村ではその少女の勇気を讃え、村の女の子たちが強く凜々しく美しい女性に育つよう願いを込めて、こんじき雛を飾るようになったそうですよ」

エミリーの孫「それに聞いてください♪ 私、このお雛様にそっくりだって褒められてしまったんです。まったく、ジャパンのみなさんはお世辞がお上手なんだから――」

エミリーの孫「――おばあさま? どうされたのです。どうして泣いているのですか?」

エミリー「いいえ。なんでもないわ。ふいに、遠い日の出来事を思い出してしまって……そうですか。ちゃんと実っていたのですね。私のあのときの気持ち……」

エミリーの孫「思い出話ですか? ぜひ聞きたいです! おばあさまは今の私くらいの歳の頃、ジャパンで過ごしていたんですよね」

エミリー「ええ。そうね……では話してみようかしら。太陽の昇る国で出逢った勇ましいお侍さんの話……私の初恋の話をね」


おわり
63 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/03/29(日) 17:14:26.89 ID:O0jAO63X0
ありがとうございました。
64 : ◆NdBxVzEDf6 [sage]:2020/03/29(日) 17:26:59.47 ID:I97PAPAs0
ここの先輩劇中劇のヒール役板についてきたな
乙です

>>1
エミリー役 エミリー(13) Da/Pr
http://i.imgur.com/nCfM0Zo.jpg
http://i.imgur.com/ILZiQFy.jpg

>>3
中谷育吾郎役 中谷育(10) Vi/Pr
http://i.imgur.com/URuX0bd.png
http://i.imgur.com/DbdHIxE.png

>>6
ひなた役 木下ひなた(14) Vo/An
http://i.imgur.com/tusAMxG.jpg
http://i.imgur.com/Wn8buxu.jpg

>>11
徳川松利役 徳川まつり(19) Vi/Pr
http://i.imgur.com/s3X9XYA.png
http://i.imgur.com/nC8gxdQ.jpg

>>23
蘇芳童子役 周防桃子(11) Vi/Fa
http://i.imgur.com/Q2JWB2C.jpg
http://i.imgur.com/3lWdMKy.png

>>35
祈祷師役 白石紬(17) Fa
http://i.imgur.com/ZekW9X1.png
http://i.imgur.com/6M8RxhB.png

>>59
天州役 天空橋朋花(15) Vo/Fa
http://i.imgur.com/6eFMDSP.jpg
http://i.imgur.com/E3hYPoe.jpg

>>57
「グッデイ・サンシャイン!」
http://youtu.be/XGCS8UBJe8I?t=79
65 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/03/29(日) 17:45:26.78 ID:bGGdBUnDO


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