白雪千夜「私の魔法使い」

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62 :16/27  ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 20:36:13.27 ID:ldlfMP+C0

 アニバーサリーイベントのメインを飾る舞台を、プロデューサーは観客席から全容を眺めることにした。

 なにせ9人がステージに上がるのだ。事務所の方針でユニットは多くとも5人で結成されるため、こんな機会はなかなかこない。自分が手掛けた企画でもないので、1人のファンとして楽しめる数少ないチャンスでもある。

 周りは多くのファンで埋め尽くされ、推しているアイドルの話や今回初めて知って好きになったアイドルの話、どれもこれもが歓喜の色に満ちている。
 どうしても知名度では劣ってしまう『Velvet Rose』の話題が聞こえてこないか、親バカの心境で耳を傾けながらその時を待っていると、いよいよ開幕の時間となった。

 今日一番の歓声が湧き上がる。暑さも上塗りにするほどの人々の熱気が立ち込める中、9人のアイドルたちが出揃った。

センターの美嘉が音頭を取っており、彼女のMCで観客のボルテージも最高潮に達し、頃合いと見るや演奏が流れ出す。あまりの盛り上がりに演奏が聴こえなくはならないか心配になった。

 ちとせと千夜は端ながら隣同士に配置されている。ちとせの体調も問題はなさそうだが、まさかあの後本当に美嘉の血を吸ったわけじゃないよな、と思えるほどには元気そうだ。この舞台を心から楽しんでいる、そんな輝きを放っている。

 千夜はどうだろう。合宿中に千夜はこのステージに向けて自身の持つ色、個性について悩んでいた。あれから自分なりの答えを見出せたのか、舞台の上の彼女を目で追いかける。

「……あの様子なら大丈夫、だよな」

 ちとせの隣で千夜もまた、舞台を楽しめていることが伝わってきた。表情はまだ硬いながらも、ありのままこのステージを織りなす一つの色、個性、輝きとして溶け込んでいる。

 そして美嘉、アナスタシアも自分の管轄から離れたところで、輝きは失われていなかった。

 その光を失わせてしまうことに恐怖を抱き、目を背けてきたプロデューサーに、こんなことを言う資格はないだろう。それでも目の前に広がる光景が滲んで見づらくなる前に、どうしても言葉にしておきたかった。

「……みんな、凄く眩しいよ」



63 :16/27  ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 20:37:51.48 ID:ldlfMP+C0

 メインステージも大盛況となり、大きな余韻を残しながらアニバーサリーイベントは幕を閉じた。

 軽く挨拶回りをし――アイドルを引き継いでもらっている同僚には何度も頭を下げつつ――今は選抜メンバーの販売ブースのあった付近でベンチに座っている。

 出店が飲食物中心だったせいか、少しだけ散乱していたプラスチック容器のゴミがイベントの終わりを告げているようで、哀愁が漂っていた。

 ぼんやりと一日を振り返る。かつて受け持っていたアイドルも、今をついてきてくれるアイドルも、そうでないアイドルも含めてみんなが輝いていた。何度でも胸がいっぱいになる。

 しかしぼちぼちイベント会場から出ていかなくてはならない。事務所に戻ろうとベンチから腰を上げたタイミングで、千夜からメールの着信が入った。

「そこで待て、か。何だろう、勝手に帰るなって意味? それともどこかで見てるのか……?」

 疲れているだろうし、話なら明日にでも聞くから早く帰って休むように。また寝坊するぞ

 と打ち込んで返事を送信したところで、何やら2人分の呼び声が聞こえてくる。
 何事かと携帯電話のディスプレイから目を離すと、美嘉とアナスタシアが小走りに近寄ってきていた。

 美嘉とは休憩コーナーでばったり、アナスタシアは女子寮住まいだが仕事が重なっていたため、先日の千夜の協力者として顔を見せたのが、担当を外れてから最初の顔合わせであった。アナスタシアに至ってはろくに話も出来ていないままだ。

 ……思えば、会わないようにしていた人に会っているのだから、千夜に拉致された意味は半分以上失われている。だがあの時のアナスタシアの笑顔を見て、少しだけ救われたような気がしたのは事実だった。

 疲れているだろうに、肩で息をしてでも会いに来てくれた2人の呼吸が落ち着くのを待つ。千夜のそこで待てとは、こういう事だったらしい。

 千夜はわざと美嘉やアナスタシアに接触させてきたのだ。そしてそれは単なる嫌がらせなどではなく、彼女たちとプロデューサーを思ってのことに違いない。
 いつの間にか、彼女たちの前でも心がほんの僅かに軽くなっている。

「……ふぅ。今日ぐらい……いいよね? ていうかそのケータイまだ使えるんだ、自分の分くらい機種変えなよー」

「アーニャはこれ、好きでしたよ? プロデューサーと、みんなとだけお話しできる、魔法が掛かってますね」

「いや、それアドレス帳……まいっか。アタシもなんだかんだ気に入ってたしね★ 時代に取り残されてる感じが、なーんかかわいいっていうか?」

「……好き放題言ってくれるなあ。いいだろ、安かったし」

「値段だったの!? もっとこう、こだわりみたいなのがあると思ってたのに!」

「カメラ、上手く写りません……。プロデューサーは写真、あまり好きじゃないですね?」

「手振れ補正とか無いからなあこれ。俺は一般人だから、万が一にも映り込むわけにいかないの。知ってるぞー美嘉、寝落ちしてた俺をそれで撮ろうとしたの。というか撮ったの」

「げっ、バレてたかぁ……いいじゃん! 結局起きちゃって何写ってるかわかんないからデータ消したし!」

「綺麗に撮れてても消させてたよ。……えっと、今日はお疲れ様でした」

 雑談にゆっくりと花を咲かせてもいられない状況なので、この辺りで切り替える。

 美嘉とアナスタシアがわざわざ顔を見せに来た理由はわかっていた。イベントが終わった直後なのだ、気付かない方がおかしい。
 自分たちの機会を振ってまで千夜は2人を送り寄越してくれたのだ、感謝しなければ。

「プロデューサー」

 切り出したのはアナスタシアの方だった。いつも純粋で真っ直ぐな瞳が、何かを期待するように言った。

「私たちの、今日のステージ……どうでした?」

 アナスタシアも美嘉も、プロデューサーの言葉を待っている。いくら手応えを感じ、一点の陰りも無い舞台を演じられたつもりになれたとしても。
 そんな2人に、今は自分のもとを離れた星々に、プロデューサーは万感の思いを込めて素直な感想を述べる。

「……最高だった!」


64 : ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 20:39:11.60 ID:ldlfMP+C0
16.5/27


「どんな話をしてるんだろうね、魔法使いさんたち」

 美嘉さんとアナスタシアさんをあいつと引き合わせるため、会場内に残されたあいつの足取りを追ってようやく突き止められた。
 2人ともあいつに会いたがっていたのは、態度を見ていて察するにあまりある。

 なんとか美嘉さんの今のプロデューサーに挨拶していたらしいことを聞きつけ、会場内に残っていると信じてスーツ姿を探し始めた。
 そう何度も呼びつけたくはなかったし、探していることを疑われるのも煩わしいので、見つけた時はほっとしたものだ。

 ……それにしても、プロデューサーという人種はいついかなる時もスーツのジャケットを脱いではならないのだろうか。事務所の方針? おかげで何度もぬか喜びさせられた。

「千夜ちゃんはいいの?」

 いいの、とは。帰る前に一言ぐらい、あいつから今日の感想を貰わなくていいのか、という意味だろう。

「私たちはいずれ、嫌でも顔を突き合わせることになりますから。でも、あの人たちは……」

 アナスタシアさんにはあいつのことを聞かせてくれた恩義もある。これぐらいしなければ、割に合わないはずだ。
 そしてあいつも……これぐらいのことをしなければ、自分から会おうとはしないのだろう。面倒なやつだ。

「うん、いい子いい子♪ 頑張ったね、千夜ちゃん」

 お嬢さまが頭を撫でてくれる。嬉しくあるものの、私の勝手でお嬢さまを付き合わせてしまい申し訳なくなる。
 と、そこへあいつに渡された携帯電話がメールを受信した。送り主は1人しかいない。

「あいつからです。……疲れているだろうし、話なら明日にでも聞くから早く帰って休むように。また寝坊するぞ、だと……?」

「あははは♪ 今日もぐっすり眠れるといいねっ!」

「屈辱だ……。お嬢さま、同じ醜態は晒しませんのでご安心を」

「えー? たまには千夜ちゃんのこと起こしてあげたいのになぁ」

「だから寝坊しろというのも難しい注文ですが……。お嬢さまが、そうお望みとあれば」

「それなら今日は、夜のお散歩に出かけよっか。浜辺じゃなくていつものコースで」

 浜辺というのはわからないが、お嬢さまがここまで1日を活動的に過ごそうとしていることに違和感を覚える。

「……お身体の方はよろしいのですか?」

「動けるうちに動いておかないと、なんだかもったいなくて。いいでしょ、千夜ちゃん?」

 調子が良いのは見ていればわかる。しかし何事もいつかは終わりがくるのだ。
 何となく、お嬢さまが生き急いでいるような――そんな、心を蝕んでくる雑念を振り払うために、気付いた時にはお嬢さまの手を取っていた。

「止めても行こうとするのでしょう? ついていきますよ、どこへなりとも」

「わお、大胆♪ でも……これなら並んで歩きやすいね」

 いつかの帰り道を思い出しながら、少しの間お嬢さまと手を繋いで歩く。昔はもっとこうしていたような気もするが、よく思い出せない。

「……あのさ、千夜ちゃん」

 もうじき空が闇に染まろうとしている。
 雲一つない天気だったから、今宵の月はお嬢さまと私を煌々と照らしてくれることだろう。

「今日も楽しかった。明日も楽しくなると、いいね」

 月よりも儚げに微笑むちとせお嬢さまに、私は――ありのままの私が、答える。

「……うん」



65 : ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 20:39:57.78 ID:ldlfMP+C0
17/27




 先に吉報を持ち帰ってきていたちとせと2人で、千夜の帰りを事務所の部屋でソファに座り待ちわびること数十分。噂の人は何一つ表情を変えずに帰還した。

「……戻りました」

「おかえり千夜ちゃん、どうだった?」

 ユニットを組むことが伝えられた直後の頃に何度か受けたオーディションでは、いくら落ちようが気にした素振りも無かった千夜である。
 とせはちとせで軽い貧血を起こしてしまったりと、体調を理由に振られることもあったので特に引きずってはいなかったが。

「採用だそうです。拍子抜けですね」

「おお、やったな! ……それにしても、もうちょい嬉しそうにしてくれてもいいのに」

「合否が通達される前に結果がわかってしまった、とまでは言いませんが……その。以前よりも変わったことが多くて」

「千夜ちゃんもなの? 私もなんだか物足りなかったな」

「お嬢さまも、ですか? ……まずはおめでとうございます」

 主人もまた凱旋してきたことを悟り、プロデューサーにも伝わるレベルでようやく千夜も嬉しそうにしていた。

「揃って受かって良かったよ。しかも一発目からだからな」

 ひとまずちとせのそばに千夜を座らせ、オーディションの様子を細かく2人に聞いてみることにした。

「それで、前と比べてどうだった?」

「名乗る前からこちらを知っていたかのような、そんな扱いでした」

「一緒に受けた子たちも、私を見るなり引いちゃったみたい。どうしたんだろうね?」

 新人ながらアニバーサリーイベントのメインを飾ったのだ、その反響たるやプロデューサーにも計り知れない。

 事務所の看板を背負って立っていたも同義だが、あまり気負いさせないように取り計らったのは正解だった。もっともこの2人なら、舞台に臨む際の緊張や不安とは無縁かもしれないが。

「アイドルとして世間に認識され始めたってとこだな。これから忙しくなっていくよ」

「映画の撮影ってどんな感じなのかな? ふふっ、ワクワクしてきちゃった♪」

「役名からして端役の端役ですが、私には相応しい。学べることもあるでしょうし」

「おお……千夜が向上心を見せてくれるなんて、泣いていい?」

 指摘されて気付いたのか、千夜ははっとしてから悔しそうに歯噛みしている。

「……お嬢さまとまたいつ並び立つ時が来てもいいよう、経験を積んでおきたいだけです」

「またまたあ、本当はちとせみたいに楽しんでるんじゃない?」

「……。いけませんか?」

「えっ、あ……」

 唇を尖らせた千夜からの予期せぬ反論に言葉が詰まる。楽しめているならそれに越したことはない。ちとせから託された願いのこともある。
66 :17/27  ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 20:41:03.79 ID:ldlfMP+C0
「大変、よいことと、存じます?」

「ふっ、この程度の演技でも騙せるものなのか。勉強になりました」

「あっこら、俺を使って演技力を試すなよ!」

「あはは♪ 千夜ちゃんの勝ちー!」

 千夜を引き寄せて撫でくり回すちとせ。怒るつもりは毛頭ないが、その気も失せていく2人のじゃれ合いっぷりに微笑ましくなる。

「お嬢さま、そろそろご勘弁を……」

「そう? じゃあ次は魔法使いさん、こっち来て」

 ちとせにしてはあっさりと千夜を解放し、代わりに自分の膝をぽんぽん叩く。

「たまにはこういうご褒美もいいでしょ?」

 慣れたつもりの誘惑に抗うため、ぐっと息を呑む。ちとせの蠱惑的かつ艶めかしい太ももで膝枕をされようものなら、たちまち彼女の虜となりそうだ。

「……千夜がいる時にしかぶら下げない餌に、食いつくと思う?」

「そんなに物欲しそうな目で見てるくせに。あは♪」

「ちとせまで俺をからかうのか……」

「……本気だよ。魔法使いさんになら、私……」

 さも恋焦がれているかのような上目遣いに視線すらも釘付けにされ、精神的な逃げ場が失われていくのを感じた。

 おふざけと頭で理解していながら、心を支配されていく感覚はさすがちとせの得意分野だ。油断すると言いなりになりかねない。

「千夜、頼む。俺が我慢できなくなる前に……!」

「見るに堪えませんね」

 冷え切った声と同時にプロデューサーの顔面へ何かが噴射された。目に染みるものでも瞬間冷却するものでもなければ、虫除けのような薬品が散布された感じもない。

「た、助かった……危ない危ない」

「むー、つまんないの」

 そう言ってむくれるちとせがどこまで本気なのかいよいよ迷宮入りしたので、ひとまず放っておくことにした。

「矜持を持っていれば、手を出すようなことはないと思うのですが。まったく嘆かわしい」

「面目ない……。ってそういえばどこも何ともないけど、俺に何使った?」

 千夜が持っているそれには、大きくO2と書いてある。

「酸素? 酸素スプレーとはまた、何で持ってるんだ? ハイキングでも行くのか?」

「これは……別に、ただの戯れです。それに酸素だって高濃度のものを吸入し続ければ中毒を引き起こしますよ」

「怖っ!? まだコールドスプレーのが幾分マシだよ!」

「……。冗談です」

 そうこぼす千夜が冗談にしては浮かない顔をしていたのは、どうしてなのか。千夜がそんな顔をする原因は一つしかない。
 プロデューサーは既にけろりとしているちとせのことが、別な意味で頭から離れなくなった。



67 : ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 20:42:06.52 ID:ldlfMP+C0
18/27




 学校の用事でちとせが遅れるとの連絡が入り、千夜だけでレッスンをこなしていた。映画の撮影に向けてビジュアルレッスン重視のカリキュラムを行わせている最中だ。

 ちとせは体力こそついてきてはいるが体調によるところも大きく、ダンスレッスンの不安定さは諦めざるを得ない。それ以上にボーカルレッスンとビジュアルレッスンはトレーナーにも評判なほど上達が早いため、得意不得意がはっきりしてきた。

 一方千夜はというと、主人に振り回されて仕方なく事務的にレッスンをこなしていた頃とは雲泥の差で、優秀な子とちとせが語るのも頷けるポテンシャルの高さを発揮している。

 今は出来ることが増えていくことに喜びを見出したらしく、以前と比較してさらに吸収力が高い。

 そんな千夜の様子を見にレッスンルームへ来てみると、休憩時間だったのかトレーナーの影は無く中にいたのは千夜一人だった。

「お疲れ様です♪」

 ばたん。

 半分開けかけたレッスンルームの扉を閉め、はてあんな見たこともない満面の笑みをむけてくれた少女は誰だったかと思いにふける。このレッスンルームを使用しているのは白雪千夜という名のアイドルのはずだが。

 悩んでいると中にいた人物のほうから扉を開かれ、そこにいたのは紛れもない仏頂面の少女だった。

「おい、何か言え」

「さっき千夜の他に誰かいなかった?」

「ばーか」

 奥へと戻っていく千夜に付き従う形でプロデューサーも中に入ると、肩をすくめながら千夜が釈明する。

「ファンを喜ばせる演技を教わったので実践してみれば、これがお前好みの挨拶でしたか。以後、しないように気をつけます。絶対にしませんが」

 ここまで明確な拒絶のオーラを出されては、もう一回と言いかけた口をつぐむしかなくなった。

「……まあ、ファンにはそうしてくれるならいいよ。一応俺もファン1号ではあるんだけど」

「私の最初のファン? とんだ物好きがいたものです」

「そういうこと大っぴらに言っちゃだめだからな!? いや、むしろ千夜のファンにとってはご褒美かも?」

「私は何だと思われてるんだ……」

 呆れっぱなしの千夜だが、今はまだちとせとの関係性に惹かれたファンのほうが断然多い。

 もっと多くの人から千夜個人に目を向けてもらうためにも、ちとせとばかり仕事を組ませるわけにはいかなかった。

「千夜はどういうアイドルを目指したい?」

「唐突ですね」

「そんなことないよ。自分がどう見られているか、気になってきてるんだろうし」

「……どういう、と言われても。お前が私の好きなようにやらせているのでしょう?」
68 :18/27  ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 20:43:14.98 ID:ldlfMP+C0
「うん、だけどいつもちとせと一緒とは限らない。僕ちゃんとしてじゃない時のアイドル白雪――いった、ごめん! 口が滑った!?」

 うっかり禁句を言ってしまい、ぐりぐりと胸元を押し潰される。ちょうど懐中時計がしまってあったところを押されたため威力は絶大だった。千夜も手に違和感を覚えたようだ。

「そう呼んでいいのはお嬢さまだけとあれほど……。それより、何を隠し持ってるんですか」

「まあ気付いたよな……大したものじゃないよ」

 敢えて隠し通す理由もなく、慣れた手付きで懐中時計を取り出した。
 腕には時計も着けており、携帯電話だってある。このご時世にこんなものを持ち歩く必要はない。千夜もそれくらいはとうに察している。

「……? 動いていないように見えますが」

「ああそうさ。これは動いていないのを確認するために持ってるんだから」

「変なやつだとは思っていましたが、まさかそこまで酔狂だとは」

「ほっとけ。いいんだよ、これはこうじゃないと」

 千夜の前ではあるが、手にした懐中時計を覗き込む。こうする度に千夜やちとせの姿まで思い出すことにならないよう、祈りを込めて。

「……その顔」

「ん?」

「いえ、何でも……。大事な物なのでしょう、さっさとしまったらどうですか」

 急に視線を背ける千夜の振る舞いが気になりつつも、会話を途切れさせてしまった要因を懐にしまう。

 交わそうとしていた議論に話を戻そうとした時、ちとせがレッスンルームに訪れた。用事を済ませて事務所に来ていたようだ。

「ごめんね、遅れちゃって。聞いてよ千夜ちゃん、魔法使いさんもー」

 機嫌が悪い、というよりは納得いかないといった様子のちとせ。千夜みたいに演技で反応を窺おうとしている素振りではなかった。

「進路希望調査、っていうの? アイドルって書いて提出したら先生に呼び出されちゃった。酷いと思わない?」

 そうだそうだと言ってやりたい気持ちもあるが、プロデューサーとしては非常に答えづらい内容である。どんなに輝かしい今を歩んでいたとしても、咲き誇っていられる期間は人生80年の時代では短すぎるのだ。
 
 芸能界で活動し続けようにも、異なる肩書で再出発となるアイドルがほとんどだ。

 そもそも堅実に遠い将来まで見据えるのであれば、芸能界という特殊な世界で生きていくことにまだとりわけ実績のないちとせへ教師として待ったを掛けるのは、何もおかしいことではない。

「ちとせならいずれ女優とか歌手への転向もありそうだけど、今の段階でアイドルじゃそうなるよな」

「魔法使いさんも先生の味方するの? んもうしっかりしてよ、私たちのプロデューサーなんでしょう?」

「人生まではプロデュースしてやれないしなあ……あ、家督を継ぐとかそっちはどうなの?」

「私が継いでもなぁ……アイドルしてるより楽しければ考えなくもない、かな」

 そこで会話が途切れる。しまったと心の中で口を押えてももう遅い。それはちとせにとっては遠すぎる未来のことにまで至る話題だった。
69 :18/27  ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 20:44:39.62 ID:ldlfMP+C0
 先が長くないというのはちとせの自己判断でしかないとはいえ、未来は誰にもわからない。佳人薄命という言葉もある。か弱い身体で生きてきたちとせだからこそ感じる、迫りくる死への予感があるのかもしれない。

 千夜には先が長くないということを隠している手前、話題運びとしては二重に失態を犯している。どうにか切り替えなくては。

「……お嬢さまは」

 気まずい空気を打ち破るように口を開いたのは、千夜だった。

「いずれどなたかとご結婚なさるとかは、考えていないのですか?」

 不安げながらもひどく真面目な千夜の質問にポカンとしているちとせ。

 プロデューサーは晩餐会の夜に自分が千夜と話したことを思い出す。家を継ぐ、という話から千夜も思い出したのだろう。

 黒埼家がどれほどの名家かは詳しく知らないが、千夜がいつも呼んでいる通りちとせは立派なお嬢様だ。

 容姿も家柄も揃っていると自負しても事実なので嫌味になり得ないちとせなら、引く手あまたに違いない。

 現代にもまだ政略結婚なんてあるのだろうか。そんなのんきなことを考えていると、

「くふっ、千夜ちゃ、ごめ……ふふ、あはははははは♪」

 耐えようとしても無駄だったらしく、敢え無くちとせダムが決壊した。

「……お嬢さま、そこまで笑わなくても……」

 何がおかしくて主人が自らのお腹を押さえて笑っているのか、千夜には合点がいっていないようだ。
 ひとしきり笑って息を整え、それでもまだこみ上げてくるものを押し込もうとしながら、ちとせはなんとか喋ろうとする。

「うん、でも、千夜ちゃ、かわ……、くくっ」

「かわ?」

「千夜ちゃん、可愛い! そんな捨てられそうな、子猫みたいな目されたら……あーん、もう1回見せて♪」

 そうしてされるがままになる千夜と、まさしく猫可愛がりするちとせ。もはや気まずさなどどこ吹く風だ。
 しばらく2人のじゃれ合いを見ていると、満足したのかちとせは動きを止めて静かに目を細めた。

「……どこにも行かないよ。千夜ちゃんが大事なものをたくさん見つけられるまでは、ずっと。ずーっとね」

 優しく囁くその声は、千夜から完全には不安を取り除かなかった。

「お嬢さま……」

「あ、私より先に結婚しちゃってもいいんだよ? 絶対祝福してあげるから、はいお終い♪」

 ちとせは本音とも冗談ともつかない調子のまま千夜を解放する。
 千夜は追いすがろうとするも、もうすぐレッスンが再開される頃合いらしくトレーナーが帰ってきていた。

 プロデューサーはそのままレッスンを見学することにし、2人のビジュアルレッスンの邪魔にならないよう眺めている。

 ちとせの演技が真に迫っていくほどに、先が長くないという告白もどうか演技であるように、そんなことを考えながら。



70 : ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 20:46:08.36 ID:ldlfMP+C0
19/27



 悪い予感とはどうにも当たるように世界は構築されているのか、時間になっても事務所に訪れない2人を定期報告に来ていたちひろと待ち呆けていると、僅かな時間差でメールが2通届いた。

「ちとせちゃんからですか?」

「そうみたいですね、えっと……うおっ、千夜からもだ」

 まずはちとせの方から確認する。今日は行けそうにない、という旨の謝罪が書いてある。
 これだけでも十分だというのに、千夜からのメールはプロデューサーの想像力を瞬時に掻き立てらせた。

「助けて……ほしい?」

 この6文字を千夜はどんな心境で送信したのか、ちとせは大丈夫なのか。考えるより先に身体が自分のすべき行動を取っていた。

「ちひろさん、俺行ってきます!」

「行くって、どこに向かわれるんですか!?」

「ちとせと千夜のいるところです!」

 書きかけだった企画書も定期報告に来てくれていたちひろも置き去りにして、急いで事務所を出てタクシーを拾う。運転手に行き先を聞かれ、ようやく2人がどこにいるのかを知らないことに気が付いた。

 自宅ならいいが、病院ともなればお手上げだ。とにかくちとせの家を目指し、その間にどこにいるのか聞けばいい。送り迎えに家まで上がっているおかげで自宅の場所はわかっている。

 運転手に道のりを手早く説明し、タクシーが動き出してから居場所の特定を試みる。電話でなくメールで連絡を寄越したのなら、メールで返すべきだろうか。

 ……そこで、ちとせ自身からメールが届いたことを思い出す。悪い方へと流されていっていたイメージがプラスとまではいかないにしろ、だいぶ緩和されてきた。

 冷えていた血の巡りに熱が戻ってきた気がして、落ち着いて居場所を尋ねる相手を選ぶ。自宅であればすぐに応対できるのは千夜だけだろう。

「……助けてほしい、か」

 千夜へメールを返してから、言葉の真意に目を向ける。

 ちとせにしかわからないほどの千夜の雰囲気の差があったように、千夜にだけわかるちとせの雰囲気の差があり、それが深刻なものだと勘付いてしまった、とか。

 長い間、共に生活をしている2人だからこそなせることもある。

 時間を置かずに千夜から返信が届く。タクシーが行き先を変更する必要はなさそうだ。

 到着するまでの間、懐から懐中時計を取り出して確認する。2本の針は、いつものように12時を告げたまま――動いていない。



71 :19/27  ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 20:47:50.73 ID:ldlfMP+C0

 タクシーを降りたプロデューサーはエントランスのインターホンで千夜にロックを解除してもらい、晩餐会のあった夜を思い出して土地勘の薄い建物を進む。

 エレベーターで目的の階層に着くと、千夜の姿はなかった。部屋番号は覚えているし、2人で往復した記憶を遡れば迷わず真っ直ぐに辿り着いた。

 ノックすると、すぐにドアが開いた。いつもより生気は感じられないが、それは確かに見慣れた学生服姿の千夜だった。

「……来てくださったんですね」

 声まで覇気が無く、目を離せば消え入りそうな儚さが見ていて心苦しい。まるで今日、事務所に来れなかったのは千夜に原因があったかのようだ。

 しかしそうでないことは、玄関にあった場にそぐわない靴で他に来訪者が来ていることからも窺い知れた。身内の方か、それとも医者だろうか。

「呼んでくれたらどこへだって駆けつけるよ。ちとせは?」

「お嬢さまはかかりつけのお医者様に診ていただいているところです。……中へ、どうぞ」

 招かれるがままリビングへ通され、適当にソファへ腰を下ろす。ここから夜景ではない景観を拝むことになるとは思っていなかった。

 千夜は何も言わず、プロデューサーの隣へと座る。隣同士だというのに、随分と見えている景色は違うようだ。

「……何があった?」

「……恐らく想像通りです。朝から気分が優れないご様子ではありました。事務所に向かおうと支度をすませていたら、突然……」

「ここ最近なかったもんな。ダンスレッスンだって、騙し騙しやってるって言ってたけど……体力が付いてきてたのは本当だったはずだ」

 仕事をこなしていくうちに、ちとせの体調は良い方向へ振れていっていた。それはただの偶然で、そう思い込もうとしていたのはプロデューサーだけではなかったということか。

 ……果たして本当に偶然だったのだろうか。出会った頃のちとせを思い浮かべながら、千夜に気になっていることを尋ねた。

「千夜は診察を見守ってなくていいのか?」

「お嬢さまは……あのお医者様に診ていただいている時だけは立ち会わせてくれません。そして終わってからこう言うのです。『何でもないよ、すぐに良くなるから』……と」

「…………そっか」

「確かにいつも回復するのに時間は掛かりませんでした。だからといって……今度もそうだという保障は……」

 肩を震わせながらいつになく弱い部分をさらけ出している千夜を、励ましてやれる手立てを考える。

 プロデューサーは自分の手のひらを数度見つめた後、膝の上で普段の手袋のまま握り拳を作っていた千夜の手の上に、そっと重ねてみる。蒼白な顔色からも手袋越しに冷たさが伝わってくるかのようだ。

 手の冷たい人は心が温かいと聞く。千夜に宿り出したという炎は、今この時も消えずに彼女を温めてくれているのだろうか。

 すると千夜は、黙って俯いたまま空いているもう片方の手を、さらにプロデューサーの手に重ねた。

 冷え切った心で自分から暖を取ろうとしてくれているなら、独りで凍えなくて済むようにいくらでもこうしていてやりたいと、そう思った。

 しかし、奥から部屋のドアの開く音がすると同時に、その手はするりとプロデューサーからすり抜けた。遅れて立ち上がり、音の方へと振り返る。

「お待たせ千夜ちゃん、あれ? 魔法使いさんも来てたの?」

72 :19/27  ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 20:49:19.45 ID:ldlfMP+C0
 寝間着の上に何かを羽織っただけのちとせの姿は、もはや主しか見えていない千夜の影にほとんど隠れている。部屋から一緒に出てきた人がかかりつけの医者だろう。

 ちとせのような金髪の女性で、少なくとも日本人ではなさそうだ。古くからの知り合いなのだろうか。会釈をしてみると、事務的に返してくれた。

「お身体の具合はどうなのですか? ちとせお嬢さま!」

「あん、心配しないで。何でもないよ、すぐに良くなるから」

 落ち着かせるようにちとせは千夜の頭を撫でてやっている。その横顔を比べてみると、やはり千夜の方が顔色は悪い。どちらが倒れたのか勘違いしそうだ。

 ちとせは千夜を心配させまいと出てきたのだろう。医者はちとせと日本語じゃない言語で一言二言交わし、すぐにその場を後にしようとする。

 見送るように千夜は医者に付いていこうとして、そこでプロデューサーの存在を思い出したのか千夜がちとせの前に陣取った。

「お前……そんなにお嬢さまの寝姿を見たいのですか」

「あ、ごめん……外見てるから。ほんとごめん!」

 全力で視線を逸らすと、背を向けたプロデューサーへちとせのフォローが入る。

「これぐらいあなたなら今さら気にしないけど、ごめんね魔法使いさん。レッスンもそうだし、横にならなきゃだから相手してあげられないや」

「とんでもない、安静にしててくれ。俺もすぐ帰るから!」

「それはだーめ。あなたを呼んだのは私じゃないもの。そうでしょ?」

 最後は誰に向けられた言葉なのか、悪戯っぽく笑ってからちとせが部屋に戻っていくようなドアの音がする。それから2人分の足音が近づいては遠ざかっていった。

 残されたプロデューサーは千夜が戻ってくるのを待つしかなく、所在無げにまたソファへと座る。容態の説明を受けているのか、千夜はすぐには戻ってこなかった。

 その間に、ちひろへちとせの無事を連絡しておくことにする。きっとちひろも心配しているだろう、だが千夜の方も気になるのでいつ事務所に戻るかまでは触れなかった。

「……お待たせしました」

 隣で肩を震わせていた時よりは血色が良くなってきた千夜が、おずおずと戻ってくる。

「落ち着いたみたいだな。よかったよかった」

「コーヒーでも飲みますか? ……無理にとは言いませんが」

「ああ、是非いただくよ」

 ここで帰ってはちとせにも申し訳が立たない。ちとせのことはもちろんだが、千夜に助けを求められてここにいるのだ。決してちとせの人前には出られない恰好を拝みに来たわけでもない。

 千夜も千夜なりに引き留めようとしている。気勢をそがれたままよりか、いつもの素っ気なさが今はありがたい。

 しばらくして、千夜がコーヒーを運んできてくれた。差し出されたそれは事務所でたまにありつけたものとは違う味わいだ。とても美味しい。

 そしてすっかり千夜にとってお決まりになったプロデューサーの隣に座り、顔を突き合わせる形を避けたままの会話が始まる。

「忘れなさい」
73 :19/27  ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 20:51:28.34 ID:ldlfMP+C0
「えっ」

「さっきは……その、私もどうかしていた」

 忘れろとは手を重ね合わせたことだろうか。それともちらりと見えたちとせの寝姿だろうか。

 私も、と言っているのだから前者であろう。その前提で千夜の話に耳を傾け直す。

「一番おつらいのはお嬢さまだというのに……独りになってしまった時のことを思い出すなんて……」

「千夜はちとせが倒れる度に、その、思い出してたの?」

「いえ、そんなことは。久し振りだったから……油断していたのかもしれません」

「勝手にどこにも行かないってちとせも言ってたじゃないか。信じなきゃ」

「…………。世界は、そこまで綺麗に出来てなどいない」

 5年前、12歳の少女がその身一つを残して全てを失い、今を生きている。

 そんな彼女だからこその重みが含まれていた。否定できる材料は持ち合わせていない。

「お前もそれぐらいわかっている、のでしょう?」

「ん、俺?」

「その胸にしまってある物、それを見ていた時のお前は……。あの人たちといる時と、同じ顔をしていたから」

 あの人たち。これは以前プロデューサーが受け持っていたアイドルたちのことだろう。

 美嘉やアナスタシアたちと共演することになり、行動を共にしていくうちに何か聞いているのかもしれない。

そうでなくとも、千夜はプロデューサーがなぜそのアイドルたちから離れているのかは聞き及んでいる。

「……そうだな」

「お前とあの人たちとの間にある物語は深くは知りません。興味は……まあ、多少は」

「いつかみんなを紹介するよ。俺たちのあの部屋で」

「その前に、約束してください」

 ちとせとも出会った頃から約束をしている。アイドル活動を続ける上での約束だが、3つ以上に増えることはないままだ。

「あの人たちに見せる顔を……いつか、私にまで向けることが無いように」

「……勝手に離れるなってこと?」

「どうしてわざわざ確認するために言い直すんでしょうね。ばか」
74 :19/27  ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 20:52:16.18 ID:ldlfMP+C0
 最後の微妙に聞き慣れたものじゃない響きの言葉が気になり、千夜の方を向いてみる。すると千夜もこちらを見ていたのか視線が合い、とっさに反対側へ向かれてしまった。

「……」

「……」

 なんだろうかこの空気は。助けてほしい、の真意もまだ千夜から聞けていないし、立ち去るにはまだ早い。

「あー、その……俺を呼んだのって、どういう?」

「察しなさい」

「無茶言うなあ……。うん、そうだな」

 ちとせは休んでいる。眠っているのだろうか。すぐに良くなりそうな気配ではあるが、これから千夜だけレッスンに連れていくわけにもいかない。

 ちひろなら気を利かせてトレーナーに事情を説明してくれていそうだが、あとでどちらにも謝らなくては。

 それに、このまま事務所へ戻って千夜を独りにしてはいけない。今日ほど強く思ったことはなかった。

「じゃあ俺、代わりに買い出しにでも行ってくるよ。栄養が取れそうな食べ物とか欲しいもの全部、教えてくれ。その間に千夜はちとせを看病してるといい、ああでも眠ってるのかな……とにかくそばにいてやってくれ」

「それがお前の答えですか。……まあ、悪くはないです。たまには気が利くんですね」

「たまにはね。それが終わって、落ち着いたら事務所に戻るよ」

「欲しいもの、か。滋養のある食事……どうしよう」

 渡してある携帯電話を開き、メールをリスト代わりにするつもりのようだ。

 スマートフォンとは違いディスプレイをなぞっての操作ではないので、手袋を着用している千夜でもすぐに操作出来るのは意外な利点だった。

「もう行ってるぞ、店に着くまでには送ってくれ。途中でよく見掛けたあの店でいいよな?」

「ええ、そこで。頼みましたよ」

 文章を打ち込んでいる時からもちょくちょく感じていた千夜の視線を背中で断ち切り、後ろ髪を引かれながらちとせの家を出る。

 買い物をして戻ってくるまでの間、千夜から送られた救難信号を適切に受け取れているか、それだけを延々と自問自答していた。



75 : ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 20:53:20.19 ID:ldlfMP+C0
20/27



 頬を撫でていく風がすっかりと涼しいではなく寒いといえる時期になり、日が沈むのも早くなってきた。事務所の部屋の窓を閉め、ソファでくつろいでいたちとせと主人の世話をする千夜に改めて向き直る。

「どうかな、今年を締めくくる最後の舞台。スケジュールは調整してあるけど……」

 ちひろとも話していた、年末にあるイベントの件について2人に打診していた。

 他の事務所も交えたアイドルたちのLIVEパフォーマンスを競う大会、その新人戦にちとせと千夜を『Velvet Rose』として送り込みたい。個人での仕事も入ってきている中、そのためにレッスンを組まなくてはならなくなる。

 元々決まっていたようなものだが、ここにきてちとせの体力を憂慮して踏み止まっているのだ。もちろんそれはちとせも千夜も察していた。

「千夜ちゃんと2人でステージに立つ、今年最後のチャンスなんだよね?」

「そうなるな。事務所からも2人は期待されてる」

「なら、私たちに聞く必要はないんじゃない?」

「お嬢さま……よろしいのですか?」

「うん。出たいよ、千夜ちゃんと一緒ならなおさら」

 その一言で出場は決定事項となった。千夜もちとせを気遣ってはいるが、本心としてはちとせと同じ気持ちなはずだ。

「本当は本来の役割配分でパフォーマンスしてもらいたかったけど、負担を減らすためにデビューの時と同じでいこうと思う。いいね?」

「私は構いません。お嬢さまも、どうか」

 優雅な微笑みは鳴りを潜め、考える素振りを見せるちとせ。自身の身体のことは自身が一番理解しているだろう、その上でちとせは一歩立ち止まる。やり切れない思いが伝わってくる。

「……足を引っ張るのは私の望むところでもないしね。そうしよっか」

「足を引っ張るだなんて、私はそんな……」

「いいの。ワガママ言ってみたところで、カラダは誤魔化しきれないもん。だったら私に出来ることを精一杯やらなきゃ」

 表面上はいつものちとせになっていたが、内心悔しさを滲ませていることは千夜でなくともわかってしまう。わかってしまったから、プロデューサーは敢えて見ない振りをする。

「よし、じゃあ年末はその方向で。頼んだぞ2人とも、ユニットとしての仕事も入れて、しっかり宣伝しないとな」

「……」

 千夜がこちらを見て何かを言い掛けてやめたのも見逃さなかったが、それを今ここで触れるのはやめておいた。


76 :20/27  ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 20:54:52.66 ID:ldlfMP+C0
「入れ込み過ぎじゃないですか、プロデューサーさん」

 後日、定期報告に来ていたちひろがたしなめるように、プロデューサーへ忠告する。

 ちとせはオフ、千夜は現場まではついていったのだが外せない別件があり、途中で千夜を残して事務所へ戻らざるを得なかった。

 仕事が終わり次第帰るようにとタクシー代を渡してあるが、気になって集中出来ていないのを咎められたのかもしれない。

「ちとせちゃんも千夜ちゃんも放っておけないのは分かります。ですが……最近また、お顔が怖くなってきましたよ」

 老けるとは言わないちひろの優しさが染み渡るが、そう言われたも同義である。

「う……そうですか。俺もまだまだですね」

「プロデューサーさんがあの子たちを心配しているように、あの子たちもプロデューサーさんのことをちゃんと見てるんですから」

「そうは言っても、難しいですよ」

「差し出がましくてすみません。でも、私にはプロデューサーさんの方が……心配です」

 去年のプロデューサーの顛末を誰よりも近くで見届けてきたちひろには、これから起こりうる事態をどうしても想定してしまうようだ。

 今度ばかりは逃げ出さない。そのつもりで頑張ってきたものの、何が起きるかは誰にもわからない。ちとせと千夜それぞれへの不安の種が尽きないのも事実である。

「まあ、そんなプロデューサーさんだからみんなも、迎えが来るのを待っててくれてるんでしょうね」

「ちひろさんも、俺のこと……」

「私はアシスタントですから。それでも出来ることは限られていますが」

 あくまでプロデューサーを支え、時に背中を押すくらいしか出来ない、とちひろは困ったように笑ってみせた。

「でも、もう2回もあの子たちの家に行ったことがあるなんてみんなが聞いたら、どうなるでしょう?」

「2回!? ……知ってたんですか」

 晩餐会に招待、いや招集されたことはちひろには黙っていた。ちとせか千夜、どちらかが吹き込んだことになる。ちとせだろうか?

「この前の件は仕方ないですが、オフの日に出掛けるのも頑なに断っていたプロデューサーさんが、ねぇ?」

「ちひろさん、顔が怖いです……。それにみんなとも結局、何度か連れ回されたじゃないですか」

「……あれ、そうでしたっけ? 私が覚えてる限りではそんなこと」

「ああああっと、俺の勘違いでした! なるべく断るようにしていきますから!」

 ちひろが不思議そうな顔をしたので、慌てて訂正する。妙な誤解を招いていないといいのだが。

「いえ、立場上そうしてくださいとしか私からも言えませんが……。どうしても必要な時間ってあると思うんです」

「……そう、ですね」

 晩餐会の夜を思い起こせば、2人との距離も近づけたように感じられた。ちとせの照れたような笑顔、千夜の手を振り返してくれた姿。あの夜でなければそうもいかなかっただろう。

「私が言いたいのは、出来れば均等にそういう時間を過ごしてあげてほしい。それだけなんです」

「? 入れ込むなって最初に言ってくれたのに?」

「ですから、特別扱いはタブーってことですよ。じゃないとみんなをお迎えした時、大変なことになりますので♪」
77 :20/27  ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 20:55:51.80 ID:ldlfMP+C0
 ちとせとはまた違った笑顔を絶やさないちひろだが、その笑顔がただただ無性に不吉なものだと第六感が告げてくることがある。まさに今がそうだった。

「……でも、必要な時は見逃さないであげてくださいね。それについては私も目を瞑りますから」

「前より一緒に居られなくなったはずなのに、どこから見てるんですか……」

「秘密です♪ それではそろそろ、私も行かないと。プロデューサーさん、失礼しますね」

 持参してきた資料の束をまとめ、席を立つちひろを視線で見送る。ドアの前でぺこりと一礼してから去ろうとするちひろの足が、ドアも半開きの状態で止まった。

「どうしたんですか?」

「ふふっ、何でもありません。プロデューサーさんにお客さんみたいですよ」

 それだけ言い残して去っていくちひろと入れ替わるように、黒い影が中へと入ってくる。今日はここには来ないはずの千夜だった。

「どうしたんだ? 帰るように言わなかったか」

「ええ、お前は確かにそう言いました。だからこれは私の……気まぐれです」

 なかなか視線を合わせようとしない千夜が気になり、プロデューサーもデスクを離れ近付こうとすると、手のひらを見せるように千夜は腕を地面と平行に上げた。そのままでいい、という合図だろう。

「気まぐれついでに、お前に頼みがあります。聞いてもらってもいいですか」

「うん? 改まってどうしたんだよ、聞くにきまってるじゃないか」

 携帯電話では駄目だったのだろうか、と考えるも今回も大事な話なのかもと思い直す。

 もしくは先日呼び出したことを気にして自分からやってきたのだろうか。プロデューサーにはあまりみせないが、千夜には妙に律儀なところがある。

「……2度は言わない。よく聞いてください」

 ふぅ、と短く息を吐いてから、やっと千夜が視線を合わせてくれた。涼やかな紫の瞳にどことなく熱を感じさせながら。

「付き合ってくれますか」

 …………。

「え?」

 どこかでちひろが怖い笑顔を浮かべてこちらを覗いているような、そんな錯覚がした。



78 : ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 20:57:03.25 ID:ldlfMP+C0
21/27



 駅前とはまた鉄板な待ち合わせ場所だが、他に良い場所も思い当たらなかったので千夜と意見は一致した。

 そしてこれまた鉄板ではあるが、今日は学校帰りの千夜の買い物を付き合わされている。

 今頃ちとせはレッスンに励んでいるだろう。そんな中で事務所を抜け出して千夜と買い物とは、心が痛みっぱなしだった。

 しかしこれもちとせのためであり、そこだけは弁解の余地は残されている。今日買いに来たのは他でもない、ちとせの誕生日プレゼントなのだ。

 千夜だけでは決められなかったらしく、2人で共同のプレゼントを贈ることにはなった。

 だが渡す相手はアイドルでありお嬢様、ともすれば渡して喜んで貰えるプレゼントなど限られてくるだろう。一般人の懐事情で用意できるものなど、ちとせなら簡単に手に入るからだ。

 つまりはそうじゃないもの、お金では用意できない付加価値が必要になる。千夜もそれぐらいは理解していたが、そこで終わらないのが千夜だった。

 千夜が選んで渡す物なら、ちとせは大喜びしてくれそうなものだ。

 まだ1年と付き合いのないプロデューサーでも思いつくが、己を無価値と断じてきた千夜にはどうしてもその発想に至らなかったらしい。その千夜が、ちとせに何かを贈ろうとしている。

 今まではいつも以上に腕によりをかけた料理を作っていたようだが、小食のちとせではせっかくの料理も満足に楽しみ切れない。より喜んで貰えるよう、第三者の意見を参考にしたい――そう言われてしまっては、誰がこの切なる願いを断れようか。

 せめて怪しまれないよう、ちとせが帰宅するまでには千夜を家に帰したい。

 千夜がオフでちとせとプロデューサーの都合の合う日を数えると、ちとせの誕生日までには今日しかなかった。

「……だっていうのに」

 駅を間違えたかと思うほど、千夜らしき姿がどこにも見当たらなかった。

 どちらも互いを捜し歩いてるから見つからないのだろう、そう考えて周辺マップが記載された掲示板を眺めながら待つことにする。それでも声が掛からず待ちぼうけていると、見知らぬ少女が隣に立って動かないことに気が付いた。

 どこか見覚えのあるキャスケット帽子と眼鏡でプロデューサーの目線からでは表情は窺えないが、学生服に赤いカーディガンを羽織って佇まいは女子高生のそれだ。少し大きめのカバンを携えた白い手も印象的で、雪のように綺麗だった。

「……ん? まさか……」

「この程度の変装でも効果はあるようですね」

 ふっとこちらを見上げた顔は、探し求めていた張本人、白雪千夜だ。

 自らのプロデューサーをも騙し通せるのであれば、効果は折り紙付きといえる。この場合は見破れなかったプロデューサーへの落ち度はどれほどであろうか。千夜は呆れているようだ。
79 :21/27  ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 20:58:12.56 ID:ldlfMP+C0
「いや、そうだよな……。格好を気にするよう口を酸っぱくしてたのも、とりあえず事務所に残ってた定番の帽子と眼鏡を渡しておいたのも、俺だ」

 学生服で気付いてもよかったはずだが、違う印象の色が加わるだけでこうも千夜とは結び付かなくなるとは。普段のトレードマークともなっている黒い手袋が無いのも大きい。

ファンに私服姿まで知られていることはそうないだろうが、普段のカラーを変えることも提案しておいてある。いつも黒い装いに身を包ませている千夜が赤いカーディガンとは、さすがに他の色の服も持っていたようだ。

「……これでお前も共犯だ」

 ちとせから黙って拝借したらしい。そのためのカバンか、事情が事情だけに千夜の苦悩が窺える。

 せっかくなら学生服も別な物にしてほしかったが、家に戻っている時間も惜しまれる。

「さてと、どうしようか。ふらっと歩いて良さそうなもの探してみる? 俺は考えてきたけど、すぐに行く?」

 全て委ねられてしまっては千夜が贈るという意義も薄れてしまいかねない。

 時間をあまり掛けてもいられないが、一緒に悩む時間もまたちとせの喜ぶ顔を見るためには欠かせない要素だ。

「……許される限りは、探して歩きたい。お嬢さまに喜んでいただけるなら」

「そっか。それなら気ままにぶらつくか」

 こうして千夜と2人、街中をうろついてみることになった。






「ちとせの趣味……えっと、美味しいものを食べることと月光浴、だったっけ」

 事務所からも通知されているちとせのプロフィールには、そう書いてあったはずだ。

「美味しい食べ物は千夜の手料理でいいとして、月光浴に使えるプレゼントって何だろうな」

 周囲にどんな店があるのか黙々と確認するばかりで中に入ろうとはしない千夜に、雑談も兼ねて何かを閃くきっかけになりそうなことを口にしてみる。

 しかしプロデューサーの思惑は外れ、千夜は何を言い出すんだと言わんばかりに振り返った。

「私の料理でいい、とはどういう了見ですか」

「え? だって美味かったじゃないか」

「お前の舌が肥えていないのは伝わりました。……私が作るものよりも、もっと世の中にはお嬢さまのお気に召すような食べ物で溢れているでしょう」

「それだって、ちとせがそうしようと思えば毎日食べられるんじゃない? でもちとせは毎日千夜の作るご飯を食べてる。仕事の関係で外食する機会は増えたかもしれないけどさ」

「私も研鑽は積んできているつもりではいますが、それでも掛けられる手間や食材には限界があります」

「その限られた中でちとせを満足させられるってだけでも、俺には偉業だと思うよ。俺と違ってちとせの舌は肥えてるだろうし」

「……そう、ですか。私今、褒められてるんですね」
80 :21/27  ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 21:00:00.53 ID:ldlfMP+C0
 褒められた人間のする表情にはとても見えない千夜だが、お世辞と取ったりしないだけマシにはなっていた。

 いや、そうではない。自己評価の低い人ほど誉め言葉を素直に受け取れず、何か裏があるのだと勘繰る傾向にあると聞いた覚えがある。

 千夜の場合は自己評価が低いどころか無だった。無の場合はどうなってしまうのだろう。

「……お前にはそろそろ、手の内を明かしてやるとします」

「え、なにそれ」

「私が何をお嬢さまから持たされているのか、気にしていたでしょう」

「あー……いいの?」

 別に教えてくれなくてもちとせと千夜に手は出さないし、誰かに出させるつもりもないので、手放しの称賛に対する対価としては釣り合わない。ただ今までのことを考えれば、対価として受け取っておくほうが千夜もやりやすいだろう。

 円滑な会話のためにも、大人しくその手の内とやらを明かしてもらうことにした。

「実際何を持ってるんだ?」

「スプレーの類は……いいか。防犯ブザー、スタンガン、ボイスレコーダー、盗聴器発見器――」

「ちょっ、待った待った。そんなのまで持ってるの?」

 途中から女性の護身用に持ち歩かせるものという趣旨から外れていっている。防犯グッズには変わらないのだが。

「もちろん常に携帯しているわけではありません。お嬢さまもどこまで本気なのやら」

「ふぅん…………あの、スタンガンって、今持ってる?」

「そこは……伏せておきます」

「何でだよ! 嫌なこと聞いちゃったじゃないか!」

「……ふふ。冗談です」

 怯えるプロデューサーを横目にくつくつと笑う千夜。笑い方こそ気になるが、確かに千夜は笑っていた。

 スタンガンを受けるとこのぐらいの衝撃で済むのだろうか。食い入るように見ていると千夜もその視線の意味に気付いたようで、顔を見られまいと反対側を向かれてしまった。

「……今、笑ってたよな?」

「幻覚だ」

「いやいや、絶対笑ってたって!」

「そういうことにしないと気が済まないのですか?」

「済まないというか、なんというか。俺の前で笑ってくれたなら、嘘でも嬉しいよ」

 笑顔を見せてくれるようになっただけで、距離が縮まった気になれる。アイドルとしてファンに笑顔を向けられるようになれば多くのファンも喜ぶだろう。

 ちとせだけが知っている千夜の笑顔を取り戻せたら――その時は、誰よりもちとせが喜んでくれるに違いない。

 などと考えていると、やれやれといった感じで千夜が溜息を吐いた。

「私は私以外にはなれない。仮にお前の前で笑っていたとしても、それはきっと、私なのでしょう。嘘だと思いたいならそれでも構いませんが」

「ははっ、素直じゃないな」

「従順な私をお望みで?」

「いいや、このままでいい。千夜の好きにしてくれ」

「そうさせてもらいます。……これからも、ずっと」
81 :21/27  ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 21:01:10.09 ID:ldlfMP+C0
 ちょっとだけ歩くのが速くなった千夜の後をついていくと、途端に急ブレーキが掛かり危うくぶつかりそうになる。

 何かを見つけたのか一点に集中された千夜の視線の先には、ゲームセンターのクレーンゲーム、の景品、の中にある千夜に教えた緑色の物体があった。似たような黒いのと桃色のまである。

「……ぴにゃこら太、実は気に入ってたの?」

「ノーコメントで」

「そこは素直になった方が得だぞ? どれ、ちょっとやってみるか」

「は? お前、今日の目的は遊びに来たわけでは」

「だって千夜、考え込むばかりで店に入ろうともしないだろ。俺はもう決まってるから、せめてどの店に入るとか決まるまでは挑戦させてくれ」

「む……。ふん、勝手にすればいい」

 そう返されると弱いのか、千夜もそれ以上は何も言ってこなかった。

 たまに低く唸りながら熟考する千夜を尻目に、プロデューサーはいつぶりとも覚えていないクレーンゲームにコインを投入する。

 千夜がプレゼントの方向性だけでも決めるのが先か、不細工な顔の人形を手に入れるのが先か。それとも、プロデューサーの財布が空になるのが先か。

 時間とお金が浪費されていく中、つい熱中してしまい20を超えてから数えてない何度目かの挑戦で、周囲の店の確認から戻ってきたらしい千夜がついに痺れを切らした。

「お前……下手ですね」

「貯金箱って言われるだけあるな……。まあいい、こういう時にだけ使える技があるんだ」

「技? 現実逃避してもお金は帰ってきませんが」

「逃げっちゃ逃げなんだけど、戦略的撤退? えっと、すみませーん」

 プロデューサーは近くを通った店員に声を掛け、交渉の末に狙っていたぴにゃこら太人形を取りやすい位置へ置き直してもらった。

 なお、途中から千夜のアドバイスという名のリクエストにより、緑ではなく黒色の目つきが悪いぴにゃこら太人形が今回の獲物だ。

 千夜に引き取られていったものとサイズも似ていて、カバンにも余裕がありそうだし持って帰るのに苦労はしないだろう。

「そんなやり方があるんですね」

「何度か近くを行ったり来たりしてたからな、あの店員さん。苦戦してるとこ見せてからじゃないと使っちゃいけない最終手段ってこと」

「そんなことをわざわざお前に教える物好きな方も、やはり実力は同程度なのですか?」

「……どうだったかな。だいぶ昔に教わったから、教えてくれた人も俺に教えたなんて覚えてないよ――っと。はい取れた」

 これで取れなきゃどうやったら取れるんだ、というギリギリまでサービスしてくれた店員に感謝しつつ、景品である黒いぴにゃこら太を引っ張り出して千夜の前に差し出した。

「……何の真似だ」

「あげるよ。というか千夜、まだ決まらないのか?」

「! ま、まさかお前……これをお嬢さまに……!?」
82 :21/27  ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 21:02:18.87 ID:ldlfMP+C0
 これを誕生日に贈られて喜ぶ人もいないことはないのだろうが、少なくともちとせはそちら側ではない、ような気がする。千夜からの贈り物であれば別だが。

「違うって! 千夜にあげるってば。いらない?」

「私に厄介払いさせるつもりなら断ります」

「あ、そう? もしかして前持ってったやつ、捨てちゃった?」

「さぁ、どうでしょうね」

 はぐらかすところを見ると、なんだかんだ持っていてくれているようだ。そもそも気に入っていないなら目を引かれたりしないのに、ひねくれているからこその素直さだった。

「じゃあもう一度頼むよ。気に入らないなら捨てていい。でももしそうじゃないなら、そうだな……1匹だけってのも可哀想だから、こいつを仲間に入れてやってくれ」

 そうして再び手渡すと、今度はためらいがちに受け取ってくれた。

 まじまじと見つめているが、すぐに本来の目的を思い出したのか黒いぴにゃこら太を抱きかかえるように持ち替えて、小さな声で言う。

「……貰っておいてあげます。どうも」

 カバンにはまだ入れないつもりらしい。やはり気に入っているようだ。

「こちらこそ。で、ちとせのプレゼントはどうする?」

「決められそうにないので、先にお前の案を示してもらいましょう。お前の案に乗せられるか、考え直すかはその後決めます」

「……日が暮れそうだもんな。じゃあ行こうか、店はどの辺だったかな」

 歩き出すプロデューサーの背中を、片手で人形を抱いた千夜が追う。

 目的地に着くまで千夜が横に並ぶことはなく、言葉を交わすことも無かったが、居心地は不思議と悪くはなかった。





「……お前には失望した」
83 :21/27  ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 21:03:24.36 ID:ldlfMP+C0
 店に着くなり、目付きの悪い1人と1匹に睨まれてしまう。さっき出会ったばかりの人形にすら非難されてしまうとは。

「え、だめ?」

 プロデューサーが千夜を連れてきたのはアクセサリー店だった。

 千夜には黙っているつもりだが、ここへはちとせの仕事に付き添った折、偶然見つけたちとせに入ってみようとせがまれて立ち寄ったことがある。

 そのため一般人には手が出せないほどの高級店でもないのだが、その方が気軽に身に着けてくれそうだから、とちとせは楽しそうに見て回っていた。

「ここにお嬢さまが気に入るようなものは……たとえあったとして、お嬢さまであれば簡単に手に入る。そんなものを贈っても意味がないと言ったでしょう」

「意味ならあるよ」

 アクセサリーをあれこれ手に取り、身に着ける人に似合うかどうか悩んでいるちとせを近くで見ていて感じたことがある。

「千夜の料理と一緒だ。予算はともかく、限られた中でちとせのことを精一杯考えて、似合いそうなものを選ぶ。そうやって贈られた物にしかない価値が、絶対にあると思うんだ」

「……。私が選び、贈ること……それこそに、価値が?」

「贈り物ってそういうものだろ。同じものを俺と千夜があげたとしても、ちとせは千夜から貰った物の方が嬉しいに決まってるし。……いいから中に入ろう、俺たち共同のプレゼントなんだからここからは千夜の出番だからな」

 半ば強引にでも千夜を店内に連れていこうとしたが、そうする必要はなさそうだった。

 気後れしながらも、千夜は徐々に覚悟を決めた目付きに変わる。

「……そういえば、そういうことにしてありましたね。お前の言い分ではお前が加わると贈り物の価値が減ってしまいそうですが」

「そこは足し算でいこうか? ここまで来たのに泣くぞ、俺」

「半分冗談です」

「もう半分は!?」

「ふふ。今一度、お前の甘言に乗せられてやるとします。これでお嬢さまを失望させたら……わかっていますね?」

「そこはほら、千夜の選んだセンスが悪いってことで」

「…………」

「あからさまに動揺するのもやめよう? 大丈夫、千夜なら出来る。ちとせのことを一番知ってる千夜なら。よっ、僕ちゃん! ぐふぅっ!?」

「その名で呼ぶなと……これでも持って黙っていなさい。お嬢さまに相応しいものを、選んでみせますから」

 カバンと黒いぴにゃこら太を鳩尾に押し付けられ、呼吸が止まりかけたプロデューサーを無視して千夜は店へ入りアクセサリーを物色し始める。

 こういう場に行き慣れていないのか、選ぶという行為が不得手なのか、それとも素手で触ることに抵抗があるのか。真剣な眼差しとは裏腹に動きはぎこちないながらも。

 ある程度は絞れたようで、立ち止まる場所も限られてきた。そこで千夜が手に取っていたものを見て、やはりちとせのことは千夜に任せるのが正解だと確信した。

 千夜が手に取っていたそれは、ムーンストーンのアクセサリーだった。


84 : ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 21:04:16.74 ID:ldlfMP+C0
22/27



「お誕生日、おめでとうございます。黒埼ちとせさん」

「んー、硬過ぎない?」

「そう? じゃあ……ちとせ! 生まれてきてくれてありがとう!」

「今度は無理してるー」

「無理って。えっと、ならどう言えばいいんだ……?」

 魔法使いらしい誕生日の祝い方、との無茶振りに応じるためまずは挨拶から入ってみるプロデューサーだったが、誕生日に魔法使いらしさをどう表現したらいいのか見当もつかなかった。

 黒埼家で開催されたささやかな誕生日パーティーに当然のように出席を余儀なくされ、都合3度目の訪問となる。ちひろに合わせる顔がない。

「いっそ引っ越してくればいいんじゃない? 空き部屋あるか聞いてあげよっか?」

「俺がこのマンションに住んだら破産だよ……」

 下々には下々の住む世界があり、お嬢さまにはお嬢さまの住む世界があるのだ。

 自宅のリビングからこれだけの夜景を好きなだけ展望できる生活は、どうにも慣れそうにない。特別な日にだけで十分だ。

「その特別な日に何も用意してくれてないとは思わなかったなぁ」

「いや、ちとせさん? 気持ちだけで充分って言ってくれたじゃないですか」

「魔法使いさんは好きな女の子にしかプレゼントしてくれないんだ。ふぅん……」

「人聞き悪いなあ。悪かったって」

露骨に拗ねているちとせも珍しい。いつもの調子ならわかっててやっているようにしか見えないのだが、全てを見透かすかのような紅い瞳にも不調な時があるということか。

 プレゼント自体は用意してある。しかしそれは千夜が持っているので、今現在プロデューサーがちとせへ渡せる物は無い。屁理屈だが嘘はついていないのだ。

 魔法使いらしい誕生日の祝い方というのも、機嫌を損ねてしまったちとせによる無茶振り以外の何でもない。主人の誕生日パーティーに相応しい晩餐を千夜が作り終えるまで、魔法使いは針の筵がお似合いだとでも言いたげだ。

「あーあ。千夜ちゃんが羨ましい」

「ん? 何でだよ」

「だって千夜ちゃん、いつの間にか3つもプレゼント貰ってるし。前のも合わせると4つ?」

 ぴにゃこら太の生存の裏が取れたのはいいとして、残り2つは身に覚えがない。あるとしたら変装用に渡したキャスケット帽子と眼鏡くらいか。

「魔法使いさんを見倣ってあの子を着飾らせてあげたかったのに、先まで越されちゃった。傷つくなぁ」

「メイド服があるだろう。先なんて越してないよ」

「それはお仕事用だから着てくれてるんだよ。あれを着せる発想は……うん、そこは魔法使いさんに感謝してるけどね」

 ちとせは千夜に関して無理やり自分好みに染めることをよしとしない。自ら着飾るようになってほしいのだろう。お忍びモードでこっそりちとせのカーディガンを拝借した千夜だ、黒い服以外には持っていなくてもおかしくない。
85 :22/27  ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 21:11:28.23 ID:ldlfMP+C0
「知ってる? あの子、帽子と眼鏡を掛けて夕飯のお買い物とかしたりするようになったんだ。気に入ってくれたのかな? それとも……誰かさんの影響?」

 2人でプレゼント選びに行ったことがばれたかと思い心臓が一瞬跳ね上がったが、もしそうならもっと悪戯っぽい目をしてからかってくるところだ。

 それにしても、飾り気のさらさらない千夜がどうしたというのだろう。

 変装のつもりなら、多少は2人一緒に外で歩いても大丈夫そうだ。プロデューサーが気付かなかったぐらいだったわけで。

「アイドルだしそういう意識は大切なんじゃないか? ちとせだって気を付けなきゃ」

「そうじゃなくて! ……それもあるけど、おかげで捗っちゃった♪」

「捗ったって……メイド服の時みたいにまたプレゼントしたの?」

「だって、とりあえずって感じのデザインだったからつい。どうせならもっと可愛くて似合う方がいいでしょう?」

 それらを渡した本人に駄目出ししている状況であることを、ちとせは忘れているのだろうか容赦がない。

 あり合わせを渡したことはその通りなので、非難は甘んじて受け入れるプロデューサーだった。

「目立たれても本末転倒だけど……まあ、ちとせが楽しそうで何より」

「あー、魔法使いさんも千夜ちゃんと同じこと言うんだ。……本気で拗ねちゃうんだからっ」

 仲間外れにされていると感じたのか、むくれたちとせにそっぽを向かれてしまった。

 どうにもちとせの機嫌を損ねてしまいがちになっている。逆に言えば、今まで機嫌の悪いちとせをあまり見てこなかった。

 今回とは別に、ちとせにも何かプレゼントした方が良さそうだ。プロデューサーとしては、千夜にあげたくて渡したのはクレーンゲームで取った黒いぴにゃこら太だけである。

 とはいえちひろが言っていた、平等にとはこういうことだったのかもしれない。今は離れたみんなのこともある。アイドルとしてプロデュースするのとは異なる難しさだ。

 そこへようやく千夜が現れてくれた。このまま2人でいると本日の主役の機嫌をどんどん悪くさせかねない。

「お嬢さま、準備が整い……お前。お嬢さまに何をした」

「あーん千夜ちゃん助けてぇ? 魔法使いさんが私をいじめるー」

 よよと泣き崩れるような素振りで千夜に抱き着くちとせ。わざとらしい演技なのだが、千夜の目は本気だった。

「違うんだ、話をしてただけだって! 最近千夜がよく帽子と眼鏡掛けてるって話を聞いてただけだぞ」

「なっ!? ……お、お前ぇぇええええ!!」

「何で俺なの!?」

 僅かに顔を赤らめた千夜からのプレッシャーが凄まじい。もし怒りの色に染まっていたとしても、なぜ怒っているのかもわからない。なんとも理不尽だ。

「くふっ、あはははは♪ ご、ごめんね、私一人じゃもったいないなくて、つい喋っちゃったの」

「お嬢さまも、お戯れはほどほどに……」
86 :22/27  ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 21:12:35.99 ID:ldlfMP+C0
 普段から帽子と眼鏡を身に着け出したことをそんなに知られたくなかったのだろうか。

 気にはなるも、命は惜しい。プロデューサーはこのささやかなパーティーを穏便に終えて無事に帰れることだけを人知れず願った。

「あ、そうだ。千夜ちゃんシェフの年に1度の特別ディナーをいただく前に、ちょっと待ってて」

 言うなり自室へと消えていくちとせが、何かを手にしながらすぐに戻ってきた。その手にあるものは、プロデューサーもことさら最近よく目にしている。

 千夜もちとせの持っているものに気が付いたらしく、息を呑んだようだった。

「これ、千夜ちゃんに受け取ってほしいの。似合うと思って探したんだ」

 ちとせはアクセサリーをしまうためのケースを千夜の前に差し出し、自らケースを開けてみせる。中にはネックレスが入っていた。

「あは、びっくりした? サンストーンっていうんだって。私にとって、あなたはずっと……ねぇ、どうかな?」

 千夜が驚くのも無理はない。今日はちとせの誕生日であり、どうせならとその本人が大好きな少女を驚かせようと贈ったものは――

「……千夜ちゃん? どうかした?」

「い、いえ…………。お嬢さま、どうか……そのままでお待ちいただけますか?」

 千夜からの視線をプロデューサーは首肯で返し、千夜もまた自室へと引っ込んでいく。

 ちとせはこれから何が始まるのかわからないといった様子で、キョトンとしながら千夜が戻るのを待っている。今夜ばかりは紅い瞳も先を見通せないようだ。

 はたして、部屋から出てきた千夜の手にもまた、ちとせが持っているものと同じケースがあった。

 どういうことなのか、とちとせからプロデューサーへ向けられた視線には、後頭部の辺りを軽くかいて返すことにする。

 いろんな感情がない交ぜになった表情を浮かべながらも、確かな足取りで戻ってきた千夜はちとせがしたのと同じように、自分が用意していたケースを開けてみせる。中にはやはり、ネックレスが入っていた。

「ムーンストーン、というようです。月の輝きのように美しいと、感じたので……お嬢さまにお似合いかと思いました。お気に召せばよいのですが……」

 反応が思わしくなければどうしよう、そう心許なさげにしている千夜をちとせは、ゆっくりと全身で包み込んでいた。

「……千夜ちゃんが、選んでくれたの?」

 涙にかすれそうな声を聞いて、ようやく千夜も身体から力が抜けたようだった。

「私がそうすることで、喜んでいただけると……教えてくれた者がいるので」

 優しい声色で千夜は返事をする。

「そっか……。それなら、お礼を言わないとね」

 一旦千夜を解放し、ちとせがプロデューサーへと振り向く。

 潤んだ瞳を順に拭ってから、とびきりの笑顔でちとせは言った。

「素敵な魔法をありがとう、魔法使いさん」



87 : ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 21:14:08.36 ID:ldlfMP+C0
23/27



 事あるごとに千夜から贈られたムーンストーンのネックレスを着けているちとせとは対照的に、ちとせから贈られたサンストーンのネックレスを千夜は着けたがらなかった。

「大事にしまっておきたい気持ちはわかるよ。わかるけどさ……」

 ちとせが毎日の挨拶代わりに泣きついてくるので、不憫で仕方がない。

 その様子を傍から見るとプロデューサーがちとせに酷いことをしているかのようなので、どちらかと言えばその方が問題だった。

「私もお嬢さまを哀しませるのは本意ではない。ですが……どうしても……」

 恐れ多さが上回ってしまい、千夜としても何とかしたいとは思っているようだ。

「メイド服の他にも、帽子とか眼鏡とか貰ったんだろう? そっちはどうなんだよ」

「それはお嬢さまの戯れあってのことなので……。あれは私のためだけに選んでいただいた贈り物で、そのありがたみも今ならわかるから。つまりはお前の魔法のせいだ」

「魔法……ね。俺のせいかー。ならしょうがないねー」

「ふざけているのですか」

「ええ……」

 千夜とはもう何度目かになる事務所の部屋のソファに並び座っての話し合いは、困難を極めようとしていた。

 テーブルには千夜の淹れてくれた紅茶があり、それがまた絶品なので当人同士の問題だからと投げ出すことも出来ないでいる。

 ちとせはレッスン中で、千夜は体力作りのトレーニングを終えてちとせと帰宅するため戻るのを待っている最中だ。

 ちとせが戻ってくることでも千夜の相談には乗れなくなるが、恐らく次の機会を虎視眈々と狙ってくるだろう。それなら早いうちに解決してしまいたい。

「とはいってもなあ。一応持ち歩いてはいるの?」

「…………」

「ああ、厳重に鍵までかけて引き出しの奥とかに大切に保管してるやつか」

「っ、何故わかった」

「重い! ちとせはなあ、気軽に着けてほしいからってお嬢様パワーは使わずに、ちとせにとっては小遣いにも満たないだろうアイドルの給料からあれを選び抜いたんだぞ!」

「やめろ! そんなこと聞かされたら……ますます……」

 落ち込み加減といい、顔を両手で覆う千夜は外見からしてほとんど黒色に包まれていた。千夜の予算も貯まっていた使用人としての給料ではなく、アイドルとしての給料から出ている。

 また一つ特別な思い入れが付け足されてしまい、泥沼へと嵌っていた。

「ごめん。余計なこと言った」

「……いえ、それはそれで……良いことを聞きました。お嬢さま……」

 ちとせに対しての照れもあったのか、隠れた顔がなかなか出てこない。

 千夜の気持ち一つでどうにかなる問題なので、プロデューサーが出来ることはあまりなかった。それでも何とかしなくては2人のアイドル活動にも影響が及びかねない。
88 :23/27  ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 21:15:25.26 ID:ldlfMP+C0
「逆に考えてみよう。どういう時なら着けてもいいって思える?」

「どういう時、か。そうだな……。お嬢さまは可能な限り、私の贈ったものを身に着けてくださっている。お嬢さまと並び立てる時であれば、私も……気兼ねしないかもしれない」

「というと、ユニットとしてステージに上がった時だけ? 1年に何回、何時間着けられるかどうかだな……」

「それだけあれは私にとって特別なのです。……お前がいなければ、こんな悩みも持てなかった」

 ようやく顔を出した千夜から非難の色は見られなかった。アイドル活動を通して得られるものがあったなら、プロデューサー冥利に尽きる。

「じゃあ手始めに次のステージで着けてみようか? 衣装と合うか確認してさ」

「具体的に示されると心の準備が……」

「デビュー舞台でも緊張してなかったくせに。ちとせにも伝えとくから」

「待ちなさい。お嬢さまにはまだ内密に、気を持たせて失望させるわけにはいきません」

「もうとっくに失望してるんじゃないの? 僕ちゃんが全然身に着けてくれそうにないから」

「その名で……くっ、お前ぇぇええ……!」

 いつもなら食って掛かるところをもの凄い形相で睨みつけるだけに留まっている。反論出来なかったのだろう。

「まあ、ちとせに見放されるってことはないだろうけど、せっかくプレゼント出来るまでになったんだから最後まで喜ばせてやりなよ」

「それが出来れば苦労はしていない! お前は知っていたんだろうが、お嬢さまから戯れ以外であのような物をいただくことになるとは思わなかった。ただでさえ価値のない私が恐れ多くも、お嬢さまに贈り物をすることでいっぱいだったというのに……」

「それに関しちゃ千夜も大変だったのはわかる。でもな、千夜だってちとせをもっと喜ばせてやりたいだろう?」

「当然です。あの方もこういう時だけは私に命じてこないのですから。それともこれも戯れなのか……?」

「いや、本気だと思うぞ。自分から着けてほしいんだって。毎日あれを相手する身にもなれよ、気の毒で見てられない」

「お嬢さまをあれと呼ぶな。それにこの件は、私たちをこんな風に変えていったお前にも責任はあるはずだ」

「俺を巻き込むのやめない? いくら俺のせいにしたって、千夜がちとせの期待に応えられるかは別問題なんだから」

「……お前は私を見捨てるつもりなのですね。お前を魔法使いと信じてみてもいいと、思っていたのに」

「こういう時だけしおらしくしても、もう通じないからな」

「ちっ。お前も成長するのですね、良いことです」

「俺もう仕事戻っていい?」

「……そろそろお代わりが必要でしょう。何杯にしますか」

「複数確定なのか……何杯分こうしてるつもりだよ」

「私をその気にさせるまでです、さあやってみせなさい。お前は私の……プロデューサー、なのでしょう?」

「あーーもう、卑怯だぞ! こうなりゃ紅茶でも何でもいくらでも持ってこい!」

「まだ通じる手もあるようですね。覚えておきます」

「……500円だっけ、これで手打ちにしないか」

「そんなサービスは取り扱っていないと言ったはずですが」

  「……あのさぁ」

「千夜の淹れてくれる紅茶もコーヒーも美味しいよ。いくらでも飲んでいたい、それは本当。でも俺にも仕事が残ってるんだ」

「ふむ。では、私と仕事のどちらが大切なのですか?」

「仕事も千夜のことなんだよ! どっちもか仕事を捨てるかならどっちも取るわ!」

「ならこのままでいいですね。まったく余計な問答でした」

  「……おーい、千夜ちゃーん。魔法使いさーん」

「あのなあ……その気にさせるったって、どうすればいいんだよ。ユニットでの仕事を増やせってこと?」

「お嬢さまとの仕事は望みますが、それだけではありません。さあ、手腕が問われていますよ」

「なんで千夜が偉そうなんだ……。うーん、千夜をどうにかするよりもちとせに頼んだ方が早い気がしてきた」

「お前! お嬢さまに変なことを吹き込もうというなら、今ここで排除します」

「うわっ、久し振りに構えたな!? って、それそこの流しにあったアルコール除菌スプレーじゃないか! 置いてこいそんなもの、というか何で持ってきてるんだよ!」

「ご期待に沿えたつもりですが。では観念してもらいま……あっ」

  「……がぶっ」
89 :23/27  ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 21:16:11.85 ID:ldlfMP+C0
「ぎゃあっ!? えっ、ちとせ? 何してるんだよ!?」

「やっと気付いてくれたぁ……」

 首筋に痛みは感じないまでも、何かを突き立てられた感触と微かな薔薇の香りに振り向くと、ちとせがものの見事にふてくされていた。

 千夜も目を丸くしているということは、示し合わせての連係プレイではないらしい。

「楽しそうにお喋りしちゃってさ……仲良しなのはいいけどね」

「こいつと仲良くなった覚えは……それよりお嬢さま、まだレッスンの時間のはずですがお身体の具合でも?」

 紅茶のお代わりを淹れるくらいの猶予は残されていたはずなので、レッスンが早く終わったというよりも中断して帰されたといった方が正しそうだ。

 よく見ると顔色は悪くなさそうだが、覇気というべきかオーラというべきか、人目を引かせるちとせ独特の存在感が薄まっている気がする。とにもかくにも元気がない。

「えっと、とにかく座ったら? 俺の後ろなんかに立ってないで」

「ううん、今日はもう帰らせてもらったからすぐ出ていくつもり。それより1つだけ、千夜ちゃんも……聞いて?」

 思えば誕生日パーティーの時にも予兆はあった。自宅で倒れた時といい、一時的なものかと見過ごしていたことを後悔する。

 弱々しく微笑むちとせに花弁が散っていくような儚さがつきまとい、何となくこれからプロデューサーと千夜に伝えようとしていることの予想がついた。

 この世界は、そこまで綺麗になどできていない。いつか千夜が言っていたのを思い出す。

「……騙してこれてたのに、カラダが言う事を聞いてくれなくなっちゃった。次の舞台……私、出られないや」


90 : ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 21:17:31.56 ID:ldlfMP+C0
24/27



 ただならぬ悲壮感をひた隠しにしている千夜のレッスン風景を見学しながら、邪魔にならないよう、そして聞かれないようちとせとプロデューサーは小声で密談していた。

 ちとせがいないのでは意味がない、『Velvet Rose』として出るわけにはいかないと意固地になった千夜を説得したのはちとせだ。

 ユニットとして一番近くではなくとも、千夜がアイドルとして活躍しているところを見たい。千夜がアイドルをする枷にはなりたくないと、ちとせは千夜にお願いしていた。

 千夜はそれを命令として受け取ることで、なんとかレッスンにありついている。ちとせの身を誰よりも案じているからこそ、自分を律するためにそうするしかなかったのだ。

 ちとせも千夜がそうするだろうと承知した上で、お願いという形にこだわっている。

 千夜も薄々はちとせのことを察していた。誕生日プレゼントに踏み切れたのもそれがあったからかもしれない。

 ここにきて一気に事態が表面化してしまい、心の整理も追いついていないだろう。

 千夜にとって何を優先すべきなのか。大事な人に寄り添いたいが、それがちとせのためにならないのであれば、と。

 心のままに動けるほど、千夜はちとせからは離れられてない。結び付きだけで言うなら、アイドル活動を経てより強固なものになっている。

 大事な人が今苦しんでいるなら、それも無理からぬ話だが。

 少しでも心配を掛けないよう、そして何もしてあげられないならせめてそばにいたい、そう申し出たちとせの身体の調子は見るからに悪そうだ。千夜も何度も止めたという。

「ごめんね、やっぱり足引っ張っちゃった」

「そんな……。ここまでこれただけでも、快挙だよ」

 春先に出会ってからというもの、ユニットデビューを経てからの2人は新人とは思えないほど活躍が目覚ましかった。

 彼女たちのポテンシャルと、プロデューサーとしての働きが上手く噛み合った結果だとちひろは称賛してくれていたが……。

「俺の方こそ、頼ってばかりだった。初めて会った時から……ちとせに……」

「その顔も久し振りだね。また老けちゃって、竜宮城からの帰りに開けちゃいけない箱でも開けたの?」

「……そんなに老けて見える?」

「うん。長い間、ずっと頑張ってきたのにもう歩けなくなっちゃったんだなって。あなたに会った時、そう思ったんだ」

「お見通しか……。それなら、俺のことも――」

 言い掛けて、ちとせの細い指に唇を軽く押し当てられ、その先の言葉を紡ぐことを防がれる。

「それはいいよ。魔法使いさん嘘が下手だもんね。覚えてる? 私とした約束」
91 :24/27  ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 21:18:43.44 ID:ldlfMP+C0
「……ああ。アイドルを続けるためにちとせを退屈させない、ちとせに嘘をつかない。もっと増えていくかと思ってたのに、2つのままだった」

「それだけ私が求めていたことを、あなたはやってくれてたんだよ。私のことも、千夜ちゃんのことも」

「そうだと……いいんだけど」

「自信持って。だから私、アイドルのままでいたい。あなたがくれた夢を見ていたいから、あなたに嘘をつかせたくないの」

 柔らかく笑みをこぼすちとせを、プロデューサーは直視できない。

 気遣うようにちとせは視線を元に戻し、レッスンをこなす千夜のことを愛おしそうに、しかし哀しげに見つめていた。

「最近、2人きりの時でもあまり笑ってくれなくなっちゃった。あの子……私がいなくても、大丈夫かな」

「そんなこと……言うなよ」

「私もあなたに嘘はつきたくないから。思ってたより、早かったのは残念だけど」

「そんなに悪いのか?」

「夏を過ぎた頃から、ちょっとずつ自分のカラダじゃなくなっていくみたいだった。でもアイドルをしてたからそうなったなんて、あの子に思わせたくないじゃない?」

 デビューしたての頃はいくらか体調を良さそうにしていたが、あの時は千夜の見立てからも本当に調子が上向いていたはずだった。

 アイドルを続けていたせいでちとせの身体は悪化してしまったのだろうか。

 レッスンや仕事をちとせの限界を超えてこなさせていたというなら、酷使させたプロデューサーのせいでもある。

「だから思い詰めないで。そうと決まったわけじゃないし、私が選んだ道だもん。止めたってアイドルは続けてたよ。私が持てあましそうなハードな仕事だって、させないよう気遣ってくれた」

「それは……。それぐらいしか、してやれなかった。俺はちとせのこと、千夜のことだってまだ何もわかってやれてないのに」

「私だってあなたのこと、知らないことだらけだよ? だからおあいこ、ねっ」

 敢えて踏み込まず、知らないままでいてくれようとするちとせにプロデューサーは掛ける言葉を失っていた。

 それほどまでに、ちとせが天命に従おうとしているのが伝わってくる。今からでも何かしてやれることはないのだろうか。

「…………そうだ。何か、プレゼントしないと。今のままじゃ千夜と不平等、だよな」

「あは、いいの? それじゃあ……私の言うこと、聞いてくれるかな」

「何でも言ってくれ。出来る限り、いや、絶対叶えるよ」

「そうそう、その調子♪ ……いつか、あなたにしか出来ないお願いをする時が来ると思う。その時に伝えるから、待ってて?」

「待ってるよ。待つけど、早く身体を治して千夜の隣に立ってくれよ。2人が並んで立つ舞台、まだまだ観ていたいんだからな。プロデューサーとしても、1人のファンとしても」

「うん……そうだね」

 ちとせは肯定も否定もせず千夜を見守っていた。

 かつて太陽のように輝いていたという、闇に沈まぬよう大切にしまってきた少女から、今度は自分が笑顔を奪ってしまいかねないことを、自分の身体のことよりも恐れながら。



92 : ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 21:20:03.90 ID:ldlfMP+C0
25/27



 スケジューリングされていた仕事をなんとかこなしきったちとせに、内々でアイドル活動の休止が決定した。

 学校には通えているようだが、かかりつけの医者からもドクターストップをついに言い渡されたようだ。

 そんなちとせからは千夜を支えてやるようにと強く頼まれている。これはちとせと約束した言うことを聞く内ではないが、頼まれずとも全力でサポートするつもりだ。

 それぐらい、今の千夜は見ていられなかった。出会った頃のよそよそしさで溢れていた千夜の方がまだ近付きやすいとさえ感じる。

 どう励ましてやればいいかわからない。声を掛けたところで、気休めはいらないと突っぱねられるかもしれない。

 ちとせの件で白紙が続く手帳をどう埋めていくか、それだけでも千夜とは意思疎通を図りたかった。

 デスクを立ち、座る者のいなくなった特等席に物寂しさを覚えながら、千夜と深く話し合う時のように空いているソファへ腰を下ろす。

 千夜はちとせのため、事務所に留まる時間を最低限に抑えている。

 ここで待っていても千夜とは挨拶だけ交わし、そそくさとレッスンへ行ってしまう。携帯電話を使うこともためらわれた。大事な話をするなら、千夜にはやはり隣で聞いてもらいたいからだ。

 如何ともしがたくしていると、まだレッスンの始まるまで遠い時分から千夜がやってきた。当たり前のように感じていたことだったはずが、今はひどく懐かしい。

「……どうも」

「うん。おはよう」

 元々用があったのかはわからないが、デスクではなくソファに座っていたプロデューサーを見て逡巡した後、千夜は黒いコートを衣紋掛けにやってから隣に座ることにしたようだ。

「……」

「……」

 沈黙が続く。ついこの間までは会話がなくとも居心地は悪くなかったというのに、どうしてこうも変わってしまったのか。理由がはっきりしているからこそ、やるせなさが募っていく。

「あの……」

「あのさ……あっ」

 それは千夜の方も感じていたようで、思わず隣を振り向くと目が合った。

 千夜はしばし固まってからそっと視線を逸らし、その先に主のいない特等席が映ったのか下へ下へと首が傾いていく。主に使われるのを待つクッションが物寂しそうに横たわっていた。

 俯いた千夜にプロデューサーはなんとか言葉を絞り出す。
93 :25/27  ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 21:21:01.45 ID:ldlfMP+C0
「……千夜は、元気か? 疲れてるんじゃないか」

 ちとせのことに触れないのも不自然だが、実際千夜も心身ともに参っているはずだ。

「お前の方こそ……。お嬢さまも、心配しておられた」

「ちとせが俺を……」

「私たちのことで老け込んでいるだろうからと。それで、様子を見に……来てみたらこれだ」

 事務所へ早くに到着したのは千夜の意志でもあるらしい。千夜にまで心配をかけさせていては世話がない。

「そのために早く来てくれたのか?」

「お嬢さまには私がいる。いざとなれば黒埼のおじさまやお医者様だって……。それに比べてお前はどうだ」

「千夜が、いるな。今だけは」

「……ちひろさんもいるでしょうに。私はお前の世話まで焼いてる暇はない」

「それなのに、来てくれたんだろう? ありがとう」

 つんけんしつつも、余裕のない中わざわざ気遣って来てくれた千夜に心を打たれ、ついプロデューサーはそんな健気な少女の頭を撫でていた。

 こんなことで慰めになるとは思っていない、むしろ千夜なら振りほどいて文句を言ってくるところだ。だが千夜は何も言わず、黙ってされるがままになっている。

 手袋の上からとはいえ手を重ね合った時を数えれば、千夜にプロデューサー自らが触れたのは2度目である。状況も状況だけに、そこに付け込んでいると思われてはいないだろうか。

 急に気後れしてきたプロデューサーの手はぎこちなくなり、やがて撫でるのを取りやめる。それを見計らったように千夜は溜息を吐いた。

「はぁ。言ってませんでしたね。私は触れられるのが嫌いです」

「うっ……やっぱりそうだったのか、ごめん」

「まったくだ。私に触れていいのはお嬢さまただ1人、と……そう思っていた」

 下を向いていた千夜は顔を上げると、真っ直ぐにプロデューサーを捉えた。

「私に温もりを与えてくれるのは、お嬢さまだけ。そう思っていたのに」

「千夜……?」

「……思っていたのに!」

 抑えきれなくなったのか、千夜は顔を強張らせながら声を荒げていた。
94 :25/27  ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 21:21:54.45 ID:ldlfMP+C0
「なのにお前は、私に消えない炎を灯した。お嬢さまが主役でそれを支えるのが私の人生……そんな物語でよかったはずなのに。お前は私に、お嬢さまに! 心が燃え盛るような新しい物語をくれた……!」

 プロデューサーの胸元に手を付き、そのまま頭も埋もれさせていく千夜。悲鳴にも似た叫びがプロデューサーの芯まで穿っていく。

「これからだっていうのに! 私に生きる意味をくれた人に、私は何もしてやれない……。どうして私の周りからは、大切なものが燃え尽きていってしまうんだ……!」

 苦しくならないよう、優しく千夜の肩を抱き寄せる。その程度では千夜からこぼれだした感情は止まらない。

「もう何も失いたくない……。失うくらいなら、最初から何もいらなかった。でも、もう戻れない……! 温かさを知ってしまったから。私が……自由に、私らしくあれそうな場所まで、導いて……くれたから!」

 ちとせから託された願いは、叶おうとしていた。しかしそれを叶えるために必要な最後のピースは、ちとせ自身が千夜を見届けることに他ならない。

 今ここでちとせがいなくなれば、変わりかけている最中の千夜は独りでも歩いていけるだろうか。ちとせの代わりになれないことはプロデューサーもわかっている。

「どうしたらいい……? あの方がいない世界で、この物語を続けたくない……続けられない。でもここで手放してしまったら、私に温もりをくれる人は本当に……誰もいなくなってしまう」

 ちとせがいなくなってしまえば、千夜は主人を失った従者として、ファンも世間も見ることだろう。その目で見られ続けることに千夜は、きっと耐えられない。

今のままでは自分自身すら主人の影を追い続けてしまい、取り戻せないもので常に心を支配されてしまう。失くした痛みが身に染みている千夜には酷なはずだ。

 孤独の闇を知る少女に、下手な嘘では夢を見せてなどやれない。

「会いに行くよ」

 震える肩を抱き寄せる手に力を込めて、プロデューサーは続ける。

「たとえ千夜がアイドルを辞めることになっても、また……独りになったとしても。絶対に会いに行ってやる。約束だ」

「…………」

「独りになんてさせてやらないから。俺は魔法使いだぞ? それぐらい出来なくて何が、魔法使いだ」

「…………」

「いいか、君の心に炎を灯した犯人は俺だ。俺なんだろう? 責任は最後まで負わなきゃいけない……千夜だったら、そう思うはずだ。違うか?」

「…………」

「だから、その……えっと、千夜? そろそろ……反応が、欲しい」
95 :25/27  ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 21:23:05.31 ID:ldlfMP+C0
「……。もう少し、言い方は……なかったのですか?」

「いいんだよ! ここで格好がつく人間だったら、1人で老け込んだりしてないさ」

 抱き寄せるのをやめ、千夜の顔が見えるように胸元からゆっくりと離した。

 目は赤くなっていたが潤んではいない。哀しみの涙に濡れてしまえば、せっかく灯った炎も消えてしまいそうな、そんなか細さを千夜はプロデューサーに隠そうとはしなかった。

「やりたいようにやればいい。ちとせが心配なら、そばにいてやっていい。ちとせに届けたい想いがあるなら、ステージの上で表現してやれ。ちとせもそれを……望んでるから」

 千夜が千夜らしくあることが出来れば、ちとせの願いは果たされる。

 太陽のようだという千夜を知るのはちとせだけだ。次のLIVEでそれを引き出せるかは、わからない。ちとせあっての自分、という意識が変わらないままではそれも難しい。

 千夜は『Velvet Rose』としての出場に反対していた。ちとせがいなければ、たとえ2人のための楽曲で舞台に上がろうとその名は語りたくないのだろう。

 2人で築いてきたものなら、1人でも背負えるはずだ。ちとせが欠けて名乗れないようでは、自身をちとせの添え物のように思っているということになる。

「……お嬢さまのためにも、私が1人で……舞台の主役として立たなければ、いけないのですね?」

 大きな舞台に千夜が1人で臨むのは初めてとなる。ちとせの添え物……脇役で居続けようとしたままでは、主役のいないステージではLIVEを満足にこなしきれない。

 ちとせが隣で、あるいは観客席からでもいい。ちとせに千夜らしく輝く瞬間を見届けてもらうために。そして千夜が千夜らしくあれるように。

 プロデューサーが2人に対して望むのは、それだけだ。

「何を今さら! 俺にとって最初から君は、誰とも比べられない、誰のおまけでもないたった1人のアイドルだよ。ちとせと一緒じゃなくたって、俺は白雪千夜のファン1号なんだから」

「……。ファンに応援されてしまっては、応えるのがアイドルの務め。……そういうことですか」

「わかってるじゃないか。ちとせが早く同じところに帰ってきたくなるような、そんな凄いLIVEをみせてやってくれ。安心しろ、俺もずっと後ろについてる……だから」

 ちとせが望んでいることは、言葉にしなくても千夜にはわかっているはずだ。

 1人でも輝けるところを見せれば、ちとせの体調が良くなるわけじゃない。

 しかし誰よりも千夜を案じ、自分がいなくなった後の千夜をプロデューサーに託してまで、ちとせ自身が千夜に望んできたものはたった1つ。

「千夜の……輝き、本番でちとせに届けられそうか?」

「やってみます。私のファンも、そう望んでくれるから。……ばーか」

 僕ちゃんではない、太陽のように輝いていた少女の笑顔を、取り戻せるように。


96 : ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 21:24:01.31 ID:ldlfMP+C0
25.5/27



 覚悟は決まった。あとはやるべきことをやるだけだ。

 物がまた増えてきた自室で、私は1人誓いを立てる。お嬢さまの戯れに従い振り回されてここまできたが、この誓いだけは自分の胸の内から湧き上がったものだ。

 舞台の上だけでいい。僕としてではなく、お嬢さまに相応しい私になれる瞬間があるというのなら。

 たとえ1人になろうとも、輝いてみせよう。それを証明しなくては。

 ……そう意気込んでみても、私は世界が綺麗になどできていないことを知っている。

 心の炎に従おうと熱くなっている私と、しのび寄る孤独の闇に冷めていく私。今の私は大きく揺れている。穏やかに過ごせればそれでよかった日々は、遠い昔のようだ。

 これも全て、あいつのせいだ。そして……あいつのおかげだ。

 今の自分をあいつに出会う前の私が見たらどう思うだろう。とても同一人物には思わないかもしれない。

 それだけ、夢を見なくなった私に心地よい夢を見せてくれている。このままお嬢さまと2人で、この夢が覚めなければいいのに。

 いつか終わりは来るものだ。いつ来るかもわからない。その時までに、少しでも失わずにいられるよう、どうにか何かに残せないものだろうか。

 お嬢さまの綺麗なお姿、声、温もり、そして思い出。この胸にだけしまい込むには足りなさすぎる。いなくなってしまった後のことなど考えたくない。考えたくはないが、世界がそういう風にできているのなら、どうしようもないではないか。

 せめて何か、お嬢さまに気付かれないよう、お嬢さまのことを少しでも残しておけるような、何かはないか。

 こんなことを目論んでいる時点で不敬であり、不吉なのはわかっている。それでも……冷えていく心が温もりを求めて、何かにすがりたがっている。

 物の増えてきた自室を見回す。不細工な人形では癒し切れない闇に染まりかけながら、私はあるものを思い出す。

 それは以前、あいつと出会う前からお嬢さまに押し付けられていたものだった。


97 : ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 21:25:03.56 ID:ldlfMP+C0
26/27



「緊張してる? それとも……ふふ。女の子の部屋に入ってくるなんて、魔法使いさんは悪い人だね」

「ちとせが呼んだくせに……」

 4度目となる黒埼家への来訪は、千夜の送り迎えをする名目のまま事務所の車でちとせを会場まで送り届けるために、迎えに行った時のことだった。

 出来る限り近くで千夜のステージを見守りたい、そんなちとせの付き添いとして迎えに上がったものの、大事な話があるからと家の中まで通されたのだ。

 千夜は既に会場入りしており、出番まで待機している手筈になっている。

 ちとせをギリギリまで家で休ませ、待ち時間を負担させないよう千夜に頼まれていたのだ。あの千夜からちとせを任されたのは、大義といってもいいだろう。

 しかしあろうことか、ちとせはどうしても自室で話したいと言い出した。千夜が不在で内緒話もないだろうが、気は引けながらも招かれるままちとせの部屋に入れてもらう。

 赤を基調として彩られ、格式高そうな調度品が所々見受けられる空間は女の子というよりも、吸血鬼の姫君が住まうに相応しいとプロデューサーは感じた。

「ねぇ、それよりもっとこっちに来て。そんなところじゃ聞こえないよ?」

 自分の座っているベッドの隣へ来いと、身支度が済んでいるちとせが手招きしている。

 声は届いているだろうに、だがここまで来ておいて遠慮することもない。素直にちとせの隣へ座らせてもらうことにする。ベッドはとてもふかふかで寝心地は良さそうだ。

「これでいい? ……やっぱり落ち着かないなあ」

「あは♪ 魔法使いさん可愛い」

「仕方ないだろう。それで、どうしたの。吸血鬼のお姫様が魔法使いと密会したくなった?」

 天下の往来よりかは、密会する場所としてだいぶ様になっただろう。

「そんなところ。時間ないし、あの子を待たせちゃ悪いから単刀直入に言うね」

 ちとせはプロデューサーの顔を覗き込むように見つめている。隣に座っているのが千夜ならば、せいぜい横目の端で様子を探りながらたまにちらっと振り向いて確認する、その程度なのでなんだか新鮮だった。

「あの子のこと、好き?」

「……千夜のことか?」

「他に誰かいる?」

「そりゃそうだけど……」

「私は好きだよ。一番大切な宝物だもん。あ、二番目はあの子が贈ってくれたこの子ね」

 首に飾られたムーンストーンのネックレスを、ちとせは柔らかい手付きで胸元に押さえる。

「女の子が大好きなあなたを見倣って、私もあの子のことをあなたにも、みんなにも好きになって欲しい。ずっと大切にしまっていたら後悔しただろうな」

「……そうだな」
98 :26/27  ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 21:26:20.28 ID:ldlfMP+C0
「それじゃあ今度はあなたの番。千夜ちゃんのこと、好き?」

「それは……」

 調子が戻っていないとしても、この瞬間だけは紅い瞳から逃れられない。そんな予感がした。

「……ああ、好きだよ。不愛想でちとせ想いなあいつを放ってなんかおけない」

「他には?」

「他に? 他にって」

「聞きたいな。あなたがどんな風にあの子を見てきたのか」

「……そうだなあ。ちとせにしか興味ないって顔してたのに、次第にアイドルを楽しむようになってくれたところとか」

「もっと」

「ちゃんと周りのことは見えていて、ここぞって時に俺のことも気遣ってくれたりしてさ」

「もっともっと」

「意外と……変わった趣味を持ってるのかもな。ぴにゃこら太とか」

「ふふっ、驚いちゃったな。突然持って帰ってくるんだもの、あんなに自分の物を持ちたがらなかったのにね」

「失くしたくないんだよな、千夜は。嫌っていうほど失くしてきたから」

「うん……」

「近付き過ぎて、離れてしまった時のことを考えるのが怖くって。だから会ったばかりの俺にあんな態度を取ってたんだ。……これは思い上がりかな? まだお前、だもんな」

「そんなことないよ。それにあなたのこと、とっくに魔法使いだって認めてくれてるでしょう?」

「ああ。俺を魔法使いと認めてくれた。だから俺は……千夜のためならもう一度だけ歩ける。ちとせしか知らない千夜の笑顔も見てみたいしな」

「……そっか。伝わったよ、あなたがあの子を大好きだってこと。妬けちゃうくらいに……だから、任せられる」

「そう? 俺は――」

 再び、ちとせの細い指がその先を言わせまいと唇を塞ぐ。

 ちとせのことだって好きだと、どうしてか言葉にさせてもらえなかった。

「はい、お終い♪ あなたはあの子のこと、しっかり見ててあげなきゃ駄目なんだから。魔法使いさん?」

「……そう、だな」

「それと、前の子たちとの浮気もほどほどにね? へーんーじーはー?」

「? えっと……はい」

 今度は言わされてしまった。ちとせは時刻を確認したかったのか一度だけ枕元の方へと振り返り、何でもないようにプロデューサーへと向き直る。
99 :26/27  ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 21:27:34.03 ID:ldlfMP+C0
「そろそろ、行こっか。私をエスコートしてくれる?」

「……ああ。魔法使いなんかでよければ」

「魔法使い兼、馬車のお馬さん兼、王子様役、だね。これからも大変そう♪」

「これ以上は勘弁してくれよ? さあ行こう」

 ちとせに手を差し出すと、重ねるようにちとせも手を置いてくれた。身支度は済んでいるので、途中何度か名残惜しそうに振り返るちとせとそのまま外へと向かった。

 停めてある車まで足取りを合わせながら連れていく。千夜が待機している会場はそう遠くないので、時間にはまだまだ余裕があった。

 千夜がいれば助手席に乗るのは千夜なのだが、今回はいないため本人の希望もありちとせを乗せる。白い息で手を温めながら、普段と違うシチュエーションにちとせもはしゃいでいた。

「ふぅん、こういう風に見えてたんだ」

「景色か? そんなに変わらないと思うけど」

 エンジンを掛け、暖房を動かしてから車を発進させる。ちとせは外の風景ではなくプロデューサーを見ていた。

「あなたの横顔だよ。ここからじゃなきゃよく見れないもの。あの子にもこんな特等席があったんだ」

「……千夜ってそんなに、俺の顔見てた?」

「気付かなかった? って当たり前か、前を向いてなきゃいけないもんね」

「……俺の顔なんか見てて楽しいのかな」

 くすくすと笑うちとせ。千夜のことなので、緊張のあまり四苦八苦している運転手の有り様をこっそり楽しんでいたのかもしれない。

「でも、魔法使いさんも上手くなったなぁ。初めて乗った時はドキドキしちゃった」

「……散々送り迎えさせてくれたからな、得意じゃないのは変わらないけど」

 会話までとなるとワンテンポ遅れてしまうが、赤信号に遮られるまで実のある返事が出来なかった頃と比べれば、いくらか様になったといえる。

「ねぇ、あなたのお城に寄ってもいい? 大事な物を置いてきてるんだ」

「……今からか? そうだな……行き掛けだし、ちょっとくらいなら」

 慣れてきたとはいえ運転の最中であり、プロデューサーはとりあえずこの場はちとせに従うことにした。

 はたして、あまり顔も出せなくなっていたちとせが置きっぱなしにしていた荷物などあっただろうか、そんな事も深く考えずに。




「あは、なんか懐かしい。そんなに来てなかったっけ? 相変わらず寂しいなぁ」

 事務所の部屋に着くなり、代わり映えしないだろう部屋をちとせは隅々まで見て回っている。自分が使っていた、特等席へ改装したソファの上にあるクッションまで入念に確認していた。

「余計なことしてないで、ちとせの置き忘れはどこにあるんだ? 千夜も待ってるんだから」

「はーい。……その前に、魔法使いさん」

 穏やかな眼差しでちとせはプロデューサーと向かい合う。口元は絶えず微笑みを携えながら。

「言うこと聞いてくれる約束、今からお願いするね」

「こんな時に?」

「こんな時だから、かな。あなたに持っていてほしいものが3つあるの」

「3つも? そんなに俺に何を……」

「大丈夫、かさばらないから。いいから手を出して」

 そう言うと、ちとせはあろうことか千夜から贈られたムーンストーンのネックレスを外し、大切そうにプロデューサーへと差し出した。
100 :26/27  ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 21:28:29.61 ID:ldlfMP+C0
「これ、あの子に届けてほしいんだ。持っててくれるだけでいい、私の代わりにこの子が千夜ちゃんのそばにいてくれたらなぁって」

「自分で渡せばいいじゃないか……そのぐらいの時間は」

「いいからいいから♪ あなたに預けておけば安心できるから、ね?」

 ちとせにとって千夜の次に宝物だったはずのネックレスだ。傷でもつけないよう丁重に預かって、懐中時計が入っていない方の内ポケットにしまい込む。

「それじゃあ次、きっと……必要になると思う。だから渡しておくね」

 そうして差し出されたのは、何かの鍵だった。

「ちょっ、これちとせの家の鍵じゃないだろうな!?」

「そうだよ? 千夜ちゃんも持ってる合鍵。これさえあればもういつでも私と千夜ちゃんの家に入れるでしょう? ……使わずに済むならそれでいいんだ。でも、そうじゃないなら……」

「……預かるだけ、だからな。ちとせの気が済んだら返すよ」

 言うことを聞く約束とはいえ、なぜこんな物まで持たせておこうとするのかわからない。ちとせは何を、どこまで念入りに見据えているというのか。

「それで、もう1つは何なんだ? ここに置いてあるんだろう?」

「うん。ちゃんとあったよ、それは千夜ちゃんのステージが終わったら渡してあげて」

「待った。何でそんな物、ここに置いて行ったりしたんだ」

「家に置いておいたら見つかっちゃうかもしれないから。いい? 絶対に渡してよ?」

「わかったわかった。終わってからだな、ここまで来たらとことん付き合うよ。どこにある?」

「それはね……私の使ってたクッションの中に入ってる。良い隠し場所でしょ?」

「……よく思いついたな」

 千夜もプロデューサーも、主のいない特等席を無闇にいじったりはしていない。

 そこに居るべき人へ思いを募らせることはあっても、近付こうとはしなかった。だからこそ今まで隠し通されていたのだが。

「クッションの中、調べていいんだよな」

「うん、それが最後だから。……今までありがとう、魔法使いさん」

 聞き取れないほど先細っていく声を背に、プロデューサーはちとせの使っていたクッションを調べてファスナーを開け、手を入れてみる。

 手触りの心地良い素材の中に入っていた、異質なものを掴む。出てきたのは白無地の封筒だった。手紙が入っているのだろうが、それはまるで――遺言書でも入っているかのような。

「おいちとせ、これは」

 何なんだ、と紡ぐはずの言葉はいつまでも出てこなかった。

 ちとせがいたはずの空間に……誰もいない。影も形も、跡形もなく消え去っていた。

 部屋のドアが開閉する音もしていない。消え去る、そう表現する以外にどうすれば、クッションを調べる短い間に人がいなくなるとでもいうのだろう。

 確かに言えるのは、それが可能だったとしても、とても人間業ではない。

「…………ちとせ。君も、やっぱり……」

 千夜が待っていることも忘れて、ちとせがさっきまで居た場所を見つめることしかできないでいる。

 そんなプロデューサーを包み込むように、ちとせが好きだった薔薇の香りがどこからともなく微かに漂っていた。


101 :26/27  ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 21:30:11.30 ID:ldlfMP+C0
 多くの出演者とその関係者が慌ただしく入れ替わっていく中、1人静かに千夜は控え室で自分の出番を待っていた。

 『Velvet Rose』としての出場登録は変更されないままきており、初めてその名を見聞きする聴衆には千夜1人が舞台に出ても、違和感を抱かないだろう。

 それでも千夜はちとせの分まで舞台に立とうとしている。2人のための楽曲は随分と1人用にアレンジされてレッスンしてきたが、その心までは変わらない。

 間もなく出番が来る。プロデューサーは千夜に何から伝えるべきかわからないまま、ちとせから千夜へと渡されたものだけは届けようと、放心していた自身を置き去りにするように千夜のもとへ駆け付けた。

「はぁ、はぁ…………ごめん。遅くなった」

「……来ないものかと、思いました。ばか」

 落ち着いているように見えても、千夜はちとせのことでただでさえ心細くしている。そんな千夜を元気づけるように、ちとせから贈られたサンストーンのネックレスが煌めいていた。

 千夜は待ち人の顔が見れたことで、少しだけほっとしたようだった。

「お嬢さまはどちらに?」

 千夜が真っ先に聞いてくるだろうことへの返す言葉も、プロデューサーには用意出来ていない。はぐらかすように、プロデューサーはちとせから預かった大事なものの1つを内ポケットから取り出す。

「それは……!」

「ちとせから……千夜にって。せめてこのネックレスが千夜のそばにいられたら、って……ちとせが」

「……そう、ですか」

 それ以上は追及せず、代わりに千夜はプロデューサーへと懇願する。

「着けてもらっても、構いませんか?」

「ああ……ちとせも喜んでくれるよ」

 慣れない手付きで、プロデューサーはムーンストーンのネックレスを千夜に掛けてやる。チェーンの長さが程よく噛み合い、千夜の首元は衣装の上で綺麗に太陽と月の光が同居していた。

「お嬢さまも、これで舞台に……。準備は整いました。お嬢さまの分まで輝いてみせましょう」

「その意気だよ。……なあ、千夜」

 ちとせがいなくなった。その事実が伝わる前に、プロデューサーは千夜に聞いておかなければならないことがある。

 これから舞台へと上がる千夜に余計な感情を芽生えさせたくはないが、帰ってきたらもう1つの預かりものを渡すことになっている。そこで千夜も、きっと真実を知ることになるのだろう。

 冷静でいられるのは今しかない。プロデューサーの並々ならぬ佇まいを察してか、千夜は告げられようとしている言葉を待つ。

「もし、失くしたものを取り戻せるかもしれないなら……千夜は、どうする?」

「…………」

「絶対に取り戻せるとは限らない。それでも足掻いて、足掻き続けて、いつか取り戻すことを夢見て……。そんな夢でも、見たいと思うかな?」

 何故このタイミングでそんなことを聞いてくるのか。腑に落ちなくて当然の問いに、千夜は毅然と返していた。

「……私の魔法使いがそう望むのなら、共に見るのもやぶさかではありません」

「本当……か?」

「きっと良い夢になると、信じられますから。……これでいいですか?」

 意図の読めない質問を律儀に、そして全幅の信頼を寄せて千夜は返答する。

 それはプロデューサーにとって充分過ぎる答えだった。時として枷ともなり得たアイドルからの信頼を、再び手放さなくてはならなくなろうとも。

「ごめんな、大事な時に変なこと聞いて。もう……大丈夫だ」

「まったく、変なやつだ。そんなだから……変えられてしまった。私も、お嬢さまも」

「……ああ」

「時間のようです。……見ていてくださいね、プロデューサー」

「……、ああ!」

 太陽と月の輝きを胸元に煌めかせ、控え室を出ていく千夜の背中を見送る。

 周囲の喧騒もどこか遠くのことのように感じ、無音の世界と錯覚しながら懐の懐中時計を恐る恐る取り出してみる。動かないはずの時計の針は、ついに、動き出していた。


102 : ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 21:31:45.36 ID:ldlfMP+C0
27/27



 事務所の自室で1人、プロデューサーは茫然自失になりながらデスクで千夜からの連絡を待っていた。

 ちとせから託されたもう1つの大事な物。千夜に宛てられた手紙を会場から撤退する際に渡してから、1日が経過していた。

 千夜のLIVEパフォーマンスはレッスンでも見られなかったほどの素晴らしいものだった。

 1人用に組み直されていたはずのダンスや歌唱のところどころに、ちとせを彷彿とする優雅な笑みや気品を浮かばせて、2人で舞台に立っているような気にさせられたのだ。

 長年の付き合いが為せる業なのか、それともちとせが本当にそばに付いていてくれたのか。

 極めつけは、プロデューサーも見たことのない千夜の笑顔がステージを彩っていた。

 ちとせに届けようとしていた笑顔は、ちとせの思い出として刻まれていた太陽のような輝きを、どこまで取り戻したものなのか。それを教えてくれる人はもう、いない。

 そんな最高の舞台を1人で創り上げて帰ってきた千夜に待っていたのは、プロデューサーからの称賛ではなく、残酷な報せであった。

 LIVEを終えすぐにでもちとせのもとに向かおうとする千夜へ、プロデューサーは何も告げられないまま封筒を手渡す。

 尋常でない気配を察してか読む前から陰り始めた千夜の面持ちは、やがて絶望に染まっていく。アイドルの絶望、プロデューサーがアイドルたちを輝かせてきた裏で、何度も経験してきた光景だ。

 光を失い、笑顔を失う。共に歩んできたアイドルに一番してほしくなかった顔をさせてしまっている。

 ちとせがいなくなったことで、こうなることは予測していた。それでも現実を突きつけられると頭が真っ白になる。

 千夜の場合、アイドルとしても1人の少女としても輝いていけたはずなのに。

 ちとせが消えてしまった原因はわからないままだが、もしアイドルを続けたからこうなってしまったというなら、なんという皮肉だろう。

 手紙を読み終えるなり、自分の荷物を粗暴に手にして千夜は衣装のまま走り去っていく。追い掛けたかったのに、身体がとっさに動かない。

 いつかちとせが倒れたというメールを受け取り、何も考えず飛び出していった身体を凍り付かせてしまうほど、プロデューサーもまた希望を失っていた。

 絶望の淵に追いやられていったかつてのアイドルたちの影も重なり、夢を悪夢へ変えてしまった魔法使いに何が出来るというのか。

 そう自分を責めながら、小さくなる背中を目で追うことしか出来なかった。

 千夜をそうさせた手紙に何が書いてあったのかは、想像はつくが具体的にはわからない。

 わかることがあるとすれば、ちとせはプロデューサーのすぐそばで消えるようにいなくなった、それだけだ。
103 :27/27  ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 21:33:21.09 ID:ldlfMP+C0
 そうして千夜までもいなくなってから、何度も連絡を取れないか持たせてある携帯電話へメールも電話も試してみたが、千夜からの応答はまだ無い。

 回収してある千夜が会場に残していったものはちひろに管理してもらい、いつ千夜が事務所に戻ってきてもいいよう、会場を後にしてから今に至るまでプロデューサーは事務所の部屋で待機している。

 さっき夜が明けたばかりのはずが、既に西日が差し込んできていた。

 懐から時を刻むべく動き出した懐中時計をもう何度目になるのか手に取り、どうしてちとせはいなくなってしまったのか振り返ろうとした時。ふと、ちとせから渡されたものを思い出す。

「……そういえば、もう1つ……」

 ちとせから渡されたものは3つあった。手元に残ったちとせの家の鍵だけはプロデューサーに持たせるためにちとせから託されている。

 ちとせが何かを見据えて、これを持っていてほしいと渡してくれたのなら、使いどころは今しかない。

 家に帰っているのならひとまずは安心だ。だが、その昔ちとせが目の当たりにしたという、千夜が闇に沈んでいってしまうのを誰の手も届かないところで迎えてしまっていたら。

 とにかく千夜を独りにさせてはいけない。連絡もつかないのだ、他に手掛かりもなければそれに賭けるしかない。

「待ってろよ……千夜」


 ちとせの家までの道のりは完璧に覚えている。早く向かってやらなければと、気持ちがはやる。だがここで何かあってはいけない、平常心で運転出来る自信は無かったのでタクシーを拾って急いでもらうことにした。

 1分、1秒でも早く着くことを願いながらようやく2人の住むマンションの前まで来ると、財布に入っていたお札を丸ごと運転手に握らせてエントランスに急ぎ、インターホンで呼び出してみる。
 が、応じる気配は一向になかった。

 それならと、ちとせから渡された鍵でオートロックを解除し中へ進んだ。ホテルのロビーのような空間からエレベーターへ一直線に向かい、彼女たちの住んでいる階層のボタンを押す。

 目的の階に着くまで待っている間、昨日も訪れたばかりのはずがやけに別世界のように感じられた。千夜は家にいるのだろうか。ちとせは……家にいないのだろうか。

 はやる気持ちを抑え、迷わずちとせの家がある部屋の前までたどり着く。念のためノックをしてみるが、やはり反応は返ってこない。

 ここに千夜がいなければ、お手上げだ。千夜から連絡をしてこない限り、どこにいるのか追い掛けることもままならない。どうかここにいてくれるよう、プロデューサーは祈るように渡された鍵を使わせてもらう。

 真っ先に玄関にある靴を見やると、普段履いていたちとせの分も千夜の分も置いてなかった。衣装のまま帰ってきているとしても、それすらもない。ここにはいないのだろうか。

「千夜、俺だ! いないのか!?」

 いきなり押し入ってきたのがプロデューサーであるとわかるように、声をあげながら中へ入る。見慣れたリビングはカーテンが閉め切られ何の音もなく、人の気配も――

「……千夜?」

 いや、いる。足元まで衣装姿のままの千夜が、手紙を手にしたままフローリングに力なくへたり込んでいた。

 ゆっくりと近付くと、ようやく誰かが家に入ってきたことに気付いたのか、千夜は俯いていた顔をはっと上げた。
104 :27/27  ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 21:34:29.27 ID:ldlfMP+C0
 そこにいたのが求めていた人物ではなかったからか、とっくに涸らしていただろう涙の跡にまた雫が流れていく。頬をつたった涙が2つのネックレスへとこぼれていく。

「…………。お前がここに来たということは……お嬢さまはもう、戻ってこないのですね?」

 掠れ切った千夜の声が胸に深く突き刺さる。憔悴しきった目の前の少女が、昨日あれだけのLIVEをこなしたアイドルとは到底思えない。

 千夜はちとせがいなくなったことだけは理解しているらしい。そして、それの証左となったのがプロデューサーの到来、そのような口ぶりだ。ちとせはどんな手紙を書き残したのだろう。

 プロデューサーはどう返したものか言葉に詰まる。目を離した隙に消えた、なんて本気で信じる人間はいない。ただの人間であれば、だが。

「……そうだ。ちとせはもう、帰ってこない」

「…………どうして、ですか」

「俺だって聞きたいよ。でも」

「どうして私に、何も言ってくれずに……。私はまだ、あの人に何も……」

 嗚咽を漏らす千夜に近寄り、どうするべきか迷ってから、そばに座り込んで頭を撫でてやることにした。

 それが発端となり、千夜はプロデューサーの胸元を頭で埋めると、両腕でしがみついて声を上げて泣き始める。

 残された僅かな温もりをどこへも行かせまいと込められた力は、千夜の細腕のどこにあったのか。涸れ果てているだろう涙がとめどなく流れることは無かったが、千夜はそれでも泣き続けた。

 夢を見せた結果がこれなのか。千夜が泣きやむまでの間、何度も繰り返してきた自責を再び繰り返す。

 ……悪夢でしかないなら、この夢は今にでも覚めなければならない。

 魔法使いと呼んでくれた2人の少女のためにも、プロデューサーは千夜を離し、代わりにある物を取り出す。

「これな、動き出しちゃったんだ。千夜の手で止めてくれないか?」

「……?」

「頼む……。俺が千夜に掛けてやれる、最後の魔法だから」

 千夜の頭で取り出せなかった、懐の懐中時計を千夜に持たせる。こんなものをどうするのかと問われる前に、魔法という言葉を口にして。

 仕掛けを教え、回ってしまった針を逆に回転させていく。動き出してから1日と数時間は過ぎているので、長針が12時を3回まわったところで止めさせた。

「あとはここを押せば……夢は覚める」

「……夢?」

「悪い夢からは、覚めなきゃな」

 戸惑う千夜の手に自分の手を重ねたプロデューサーは、そのままある部分を押し込ませる。

 刹那、ステージ上のライトにも匹敵する眩い光が辺りを包み込み、全てを白が飲み込んだ。

 千夜に夢を見せるきっかけとなった、あの瞬間まで時を遡る。この行為を人は魔法と呼ぶかもしれない。これを行使する者もまた、魔法使いと呼ぶのだろう。

 形は違えど、魔法使いと呼んでくれた少女のために、プロデューサーは再び過去に戻ってやり直す。絶望を希望へと変えるために許された、己が使える唯一の魔法をもって。

 そうして意識すらも白に飲み込まれていく中、遠くで千夜の呼び声が、聞こえてきたように感じた。



105 : ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 21:35:41.54 ID:ldlfMP+C0
27/0



 白へと落ちていった先には、黒が待っていた。

 正確には夜の世界だ。頭がぐらつきながら、桜もこれから色めこうとしている気候を肌で感じ、だんだんとはっきりしていく視界には――

「……ねぇ、聞いてる? ボーッとしないで」

 聞き覚えのある声の主は、いなくなったはずの少女のものだった。

 何もかもが灰色に見えていた世界で出会い、言葉を交わし、再びアイドルのプロデューサーとして歩むきっかけをくれた少女の名を、忘れるわけがない。

 そして――千夜と出会うきっかけをくれたのも、彼女だ。

「ああ、聞こえてる。……黒埼ちとせ、さん」

 少女の名を口にすると同時に、微笑みはそのままに紅い瞳がプロデューサーを射抜く。初対面のはずが名前を知られていたとなれば、警戒もするだろう。

 このリスクがあるため本来は様子を探り、それまでの会話の流れを掴むまで相手のことを知らない前提で話さないといけない。

「ふぅん……様子がおかしくなったと思ったら。本当は知ってて私に近付いたんだ」

 背筋がたちまち凍っていく。声だけでこんなにも相手を圧倒する迫力が出せるとは。

 しかし、怯むわけにはいかない。これもちとせの新たな一面を引き出す好機だったと捉えよう。

「知ってるよ。知ってきた、と言うべきか」

 紅い瞳を真正面から見つめ返す。意味深な物言いに興味を持ってくれたのか、下がっていた周囲の気温が上がったように感じた。

「……あなた、面白いこと言うね。私の何を知ってきたというの?」

 答えた内容によっては何をされてもおかしくない、という雰囲気を残して尋ねられる。

 はたしてプロデューサーはちとせの何を知ってきたというのか。お互いに踏み込まないまま別れることになったではないか。

 ちとせについて知っていること。確かに言えることがあるとするなら、それは彼女が大切にしていたもののことだけだ。

「太陽、みたいだった女の子のために、自分の命を燃やしていること……ぐらいなら、知ってる」

 ちとせと過ごしてきた時間は、千夜のためにあったといっても過言ではない。

 だが、ちとせの願いだったかつての千夜を取り戻すためには、ちとせの存在が必要だとわかってしまった。

 ちとせにはあんな風に消えてもらっては困る。千夜が自身を取り戻すまで、どうかそばにいてほしい。

 ちとせがアイドルを続けていけるように、ちとせのことを知らなければ。光明が見出せるとすれば、それしかない。

「……ふふっ」

 千夜のことを触れられ意表を突かれたのか、目を丸くしていたちとせがやっとプロデューサーに審判を下したようだ。

「……あはははは♪ そんな口説き文句、どこで覚えてきたの? 私にしか通じないんじゃない?」

「いいんだよそれで。そのために戻ってきたんだ」

 射抜くような視線は解除され、朗らかな笑い声に場の空気が弛緩していく。

「今度は推理ゲーム? くすっ、戻ってきた、かぁ」
106 :27/0  ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 21:37:03.67 ID:ldlfMP+C0
 一転して、あの全てを見透かすような瞳になった。やっと記憶にあるちとせの雰囲気に近付いてきたが、それはそれで緊張する視線でもある。

「大丈夫、もう取って食べようなんて思ってないから。そんな寂しそうな顔されてても美味しくなさそうだし、ねっ」

 早くも見透かされたものの、この瞳さえあれば何とかなるような気がしてくる。何とかしなくては、悪夢は覚めないままになってしまう。

 ……取って食べるとは文字通りの意味なのだろうか。得体が知れないままなのはいろいろよくない、そう直感するプロデューサーだった。

「なあ、君の……その。正体? 教えてくれないか?」

「なぁに? もう知ってるんじゃないの?」

「何となくは。本当にそうなのかまでは聞かなかったし、確かめようもないから」

「なら、あなたの考えてる通りで合ってると思う。それよりも……今度は私の番ね」

 楽しそうなちとせを見ているだけで、この時まで戻ってきたかいがあったというものだ。

 順番とばかりにちとせは同じ質問を返した。

「あなたは何者なのか。これから知っていけばいいかと思ったけど、ショーの始まりは突然なんだもの。ねぇ、今ここで教えて?」

「当ててみたら?」

「……予言者、ってわけじゃなさそうだし、私を捕まえに来た危ない人! って感じなら、そんな顔しないよね」

 よほど顔に出ているのだろうか。これがそのうち老け込んだ、に変わっていくことは経験から学んできた。実際に戻ってきた分は老けているので間違いではないのだが。

「もしかして、魔女さんの知り合い?」

「その魔女さんがどんな人か知らないけど、似たようなものかな」

 プロデューサーは懐から懐中時計を取り出す。針は12時で重なったまま動かない。

 新しい思い出となった2人の少女と過ごした日々を、再びこの時計に刻まれる時がこないことを信じて。

「魔法使い、だよ。ろくでもない夢を無かったことにするしか出来ない、最低の……ね」


107 :27/0  ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 21:38:16.62 ID:ldlfMP+C0


 翌日、プロデューサーは朝早くから事務所の自室に訪れていた。

 部屋にアイドルの痕跡が何もなくなった時間へと戻ってくるのはこれが初めてなので、失ったものの大きさに胸が押し潰されそうになる。何度失くしては拾い上げてきたかも覚えていない。

 いや……本当は覚えている。それだけ失いかけた輝きを、やり直すことで取り戻してきた。敏腕プロデューサーなどではなく、ズルをしていただけなのだ。

 プロデューサーとしてアイドルに夢を見せ、魔法使いとして悪夢をなかったことにする。

 1度夢から覚ましたアイドルには、もう同じ手は使えない。目覚めている相手を再び夢から覚ますことは出来ないからだ。

 そうしてついにはやり直せなくなり、袋小路へ追い込まれた挙句、自らの手で光を失わせることを恐れて逃げ出した。

 誰もがやり直しの利かない人生を歩んでというのに、1度頼ってしまえば抜け出せない。魔法も夢も似たようなものだ。

 そんな時に出会ったのが、黒埼ちとせだ。

 初対面でちとせもまた常人ならざる存在であろうと予感だけはしており、アイドルとしての魅力はもちろんのこと、自ら陥った状況を変えてくれることを勝手に期待していた。

 打開する方法は何でもよかったが、彼女を――そして千夜を、やり直さずに一人前のアイドルとして成長させプロデューサーとしての自信をつけること。

 置き去りにしてきたアイドルたちを正面から迎えに行けるようになるとすれば、それが絶対条件だった。

 その条件が満たされる前にちとせは消えてしまい、千夜の絶望を引き金に過去へと戻ってきた。

 プロデュース自体は上手くいっていた……のだろうか、それもちとせに委ねられている。

 あとはちとせを何とかして消えさせない。その方法を探しながら、もう1度だけ彼女たちをプロデュースする。

 そのための仕込みをしにわざわざ早くから事務所の自室に来ている。千夜はちとせの指示でここへ来るはずだ。その前にやっておかなければならないことがある。

「……はは。あの時の俺を撮ってたのか、千夜」

 ちとせと千夜に渡していた携帯電話の初期化をするべく、デスクに保管してあるそれらを充電して中身を確認してみる。

 千夜の携帯電話の方に、遠巻きながらクレーンゲームをしているプロデューサーの画像が保存されていた。

 夢を見ない機械には魔法が通じないらしく、アイドルたちが記録したプロデューサーに関する映像や音声データが残ってしまうのだ。

 わざわざ独自に用意した携帯電話を持たせていたのは、このために尽きる。こうして管理するためだ。

 覚ましたはずの悪夢の内容に触れてしまえば、どうなるかわからない。思い出したところで内容が悪夢なのだから、思い出さないに越したことはないはずだ。

 それに加え本物の魔法の存在を知られることにもなる。知られたところでもう1度掛けてやれもしない魔法に、何の意味があるかは未知数だが。これなら魔法なんてないと思ってもらった方がまだ夢があるだろう。

 アイドルに良い夢を見せるため、魔法使いは今度こそ唯一使える魔法を捨てて、プロデューサーとして魔法を掛ける準備を進める。

 これからここに来るアイドルにも、立ち直るきっかけをくれたアイドルにも、待っててくれているアイドルたちにも、もっと大きな夢を見せるために。


108 : ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 21:40:31.07 ID:ldlfMP+C0
27/0.5



 お嬢さまの指示により、足を運んだ先は芸能事務所だった。

 何の前触れもなくアイドルになったと昨晩に宣言され、私を戯れに巻き込むためこんなところまで行ってこいという。いつものことながら、勝手なものだ。

 私に拒否権はないので、否が応でもアイドルとやらになることは決定している。突き返されたらその時はその時だ。どうせお嬢さまが何とでもしてしまうに違いない。

 せいぜいお嬢さまがこの戯れに早々に飽き、平穏な日々に帰れたらいい。私はお嬢さまの僕であり、アイドルなど務まりようもないのだから。

 そんなことを考えていると、いつの間にか指示された部屋があるところまで来ていた。

 ……初めて訪れた割には、スムーズに辿り着けたものだ。ここが目的地だとわかっていたかのような、そんなはずはないか。さっさと中に入ろう。

「失礼します」

 ドアを開けると、広さの割には物の少ない空間が広がっていた。

 人が集うにしてももっと小規模の部屋を使えばよさそうなものだが、事務所とはそういうものなのかもしれないと納得することにした。

 その閑散とした部屋の中にあるデスクから1人、スーツ姿の男性がこちらを見ていた。突然の珍客に驚いているかと思えば、どうもそうではないらしい。

 どこか遠くを見据えて懐かしむような、寂しげな目。初めて会う人間にするような顔をしていなかった。

 私はどうしてか彼にそんな顔をしてほしくないようで、胸の辺りがじわりと小さな炎でも灯ったように切なくなる。なんだというんだ……これは。

 よくわからない感情に振り回されてはいけない。彼ももう、そんな顔はしていない。

 私にはここに来た理由がある。大切な人の望みを叶えるため、為すべきことを為そう。

「お嬢さまよりここへ行けと言われました。だから来た。それだけです」




109 : ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 21:51:50.55 ID:ldlfMP+C0
なんとか生誕祭に間に合わせたかった……疲れた……

なんでこんな長くなっちゃったんだろう……千夜好き……ちとせも好き……

一応続きとか考えた上でのこれなんで、余力があれば11/10までにまた書きたいですね

それではここまでお読みいただけた方、本当に、本当にありがとうございました
110 : ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 21:52:44.23 ID:ldlfMP+C0
あ、それと別スレ放置したままでした……ごめんなさい
111 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/02/05(水) 00:55:39.17 ID:0Jdck1vAO
乙。
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