白雪千夜「私の魔法使い」

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1 : ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 19:21:00.45 ID:ldlfMP+C0
・モバマスSS

・誕生日おめでとう

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2 : ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 19:24:57.61 ID:ldlfMP+C0

??/??



   たまに見る夢は、炎が荒れ狂う夢だった。

   たいせつなものが、燃えていく夢。
   私の全てを焦がして、焼き尽くす。
   だから、私はなにも求めない。いつか燃えてしまうなら。

「――悪い夢は、覚めなきゃな」

 優しい声でそう告げられると、辺り一面を真っ白な世界が覆いつくした。

 これは夢なのだろうか。私が見る夢にそんな光景は出てこないはずだ。

 凍らせていた心を溶かす魔法の炎をくれた人は、悪い夢は覚めなきゃと言った。

 あの炎が荒れ狂う夢は私だけのものであり、私だけを苦しめるものならば。

 この白い世界がもたらす先には、どんな夢が待っているというのだろう。

   でも、形のないものなら
   もし、ずっとこの胸に灯る炎なら……。

「――――」

 声が出ない。出そうとした自分の声が聞こえてこない。

 それでも私は叫んでいた。この胸に灯ったあたたかな炎までも、どうか白く塗り潰されないように。
3 : ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 19:27:17.51 ID:ldlfMP+C0
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「ここが、魔法使いさんのお城?」

 その広さに見合わないたった2人分のデスクを見ながら、鮮やかなブロンドをたなびかせる少女は使う者が久しくいないソファへ腰を掛けると、他に目を引く物もなく期待外れとでも言わんばかりに顔を曇らせた。

 閑散としたこの部屋の主である魔法使いことプロデューサーは、機嫌を損ねないようローブでも黒帽子でもなくスーツ姿を引き締めながら答える。

「ちょっと広過ぎる、かな? ははは……」

 かつて十数名を超える少女――アイドルたちが集っていたものだが、彼ともう1人を残し他に誰かが入室する様子はここ数ヵ月見られない。

 不満そうにしているブロンドの少女へどう言い聞かせたものか考えていると、隣に座りもせず彼女の傍らに甲斐甲斐しく控えていた短い黒髪の少女が割って入った。

「お嬢さま、このような場所まで華やかである必要はないかと」

「えー、そうかなぁ? これじゃ千夜ちゃんの部屋みたいだよ、寂しくない?」

「私は必要なものさえあれば良いのです。お気に召さないのであれば、内装をお嬢さま好みに替えさせましょう」

「あは♪ それいいね、構わないかな魔法使いさん?」

 返事を待たずして、欲しいものを指折りに数え出すブロンドの少女――黒崎ちとせは、早速あれやこれやと自ら千夜ちゃんと呼ぶ黒髪の少女――白雪千夜に相談している。

 そう呼ばれるだけあるお嬢様然としたちとせは、人目を惹くには充分過ぎる美しい容貌を備えている。クォーターらしく天然で金髪に紅い瞳を持っており、スタイルの良い身体を着飾る装いは袖をだぶつかせてはいるが、はっきりとどこかのご令嬢だとわかった。

 そんな彼女に付き従う千夜は、主人よりも細身な身体を黒い学生服に黒いインナー、黒い手袋に黒いタイツと、短く清楚に切りそろえられた黒髪も相まって、黒一色に身を包んでいる。
 紫色の瞳は己が主人しか捉えていないのか、せっかくの凛とした容姿をなかなか正面から拝ませてはくれないでいる。

 そんな2人に部屋の主たる地位が早くも揺るがされようとしていた。
 プロデューサーはしばらくぶりにこの部屋で響く少女たちの、主にちとせの快活な声が途切れるのを申し訳なく思いつつ遮った。
4 :1/27  ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 19:28:58.23 ID:ldlfMP+C0
「あの、その話はそちらで進めてくれて一向に構わないんだけど、今日はそのために来たわけじゃないだろう?」

 とある芸能プロダクションの中の一室、わざわざお茶会でも開くために招待されたとは2人も思っていまい。いや、その方がちとせへのウケは良かったかもしれないが。

「ん、そうだね。あなたが案内してくれるんだっけ」

「自由に見てきてもらってもいいよ。ここに来るまでによっぽど見るものもあっただろうし。俺も、その間に資料整理しておくから」

「だってさ。どうする千夜ちゃん?」

「お嬢さまのお好きなように。確かにこんな所よりかはお嬢さまの気を引くものも、多少はございましょう」

 千夜の物言いに何やら棘を感じ、先日出会ったばかりとはいえ少女たちとの距離を測りかねているプロデューサーは、ひとまず2人の興味の先が無駄に広い建物内の各施設へ向いてくれそうなことに、こっそりと安堵の息を吐く。

 ちとせはまだ友好的だが、スカウトした時に取り付けられた約束を破ったらどうなるか。千夜に至ってはたまに敵意にも似た冷たい鋭さが言葉の端々や態度に見受けられている。
 幸い2人は長い付き合いらしく、そのやり取りからどんな子たちなのか様子を見たいところだった。

「じゃあ魔法使いさん、案内よろしくね♪」

「ええっ!? この流れで……?」

「その方が愉しそうだもの。それに、私あなたに言っておいたと思うけどなぁ」

 ちとせとは2つの約束事がある。より正確にいうと2つの約束で済んでいる。
 これから先いくら増えていくかは予測もつかないが、私を退屈させないこと、私に嘘をつかないこと、この2つが彼女をプロデュースする上で課された当面の条件だ。

「えっと、退屈だった?」

「ううん、そっちじゃなくて――そのお仕事、今やらなきゃいけないこと?」

 案内役を遠慮させるための方便だった資料整理はとっくに終わっている。クスクスと妖艶に笑う紅い瞳の奥は全てを見透かしているかのようだ。

「……わかった! じゃあ、行こうか。これからよく使うことになるところからでいいかな」

「そこのあなた」

 これまでプロデューサーのほうを向こうともしなかった千夜が唐突に口を開く。
 涼やかな紫色の瞳に見据えられたプロデューサーは、未だ千夜に歓迎されていないことを目線だけで思い知った。

「……いや、お前くらいでいいか。お前」

「お、お前……」

 出会って3日と経っていない年下の少女からの呼称として些か寂しいものがあるのでは、と彼女にとってのお嬢さまであるちとせに視線で訴えてみるが、返ってきたのはこちらの出方を窺おうとする眼差しだった。

 微笑みは絶やさず、何かを見定めようとしているように。
 もしかして千夜の人当たりはこれが平常なのだろうか、と半ば諦めて千夜に向き直る。

「あー、うん。何かな?」

「あまりあちこちお嬢さまを連れ回さないように。もしお身体に障るようなことがあれば、分かっているな」

 1年間の休学を要したというちとせの身体はどこまで耐えられるものなのか、早々に見極めなければならない懸案事項ではある。何より下手を打てばこちらもただでは済まさないといった迫力だ。

「大丈夫だよ千夜ちゃん、今日は調子が良いし。せっかくなんだから楽しまなきゃ♪」

「お嬢さまがそうおっしゃるのであれば。……何をしている、早く案内とやらをしなさい」

 2人の少女から翻弄され放題となっている現状に、暖かな陽光が桜を薄桃色へと色めかせる春の昼下がり、1人吐息が青く染まるプロデューサーであった。
5 :1/27  ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 19:30:27.52 ID:ldlfMP+C0


「――で、この辺は主にヴォーカルレッスンで使われてる。ここなら今は、うん。使われてないみたいだし、入ってみる?」

「ねぇ魔法使いさん、会いたくない人でもいるの?」

 千夜の目もあり医務室を始めとして淡々と案内をこなしていると、何の布石もなくちとせが意味ありげに呟く。
 洞察力の賜物なのかそれとも勘か、どちらにせよ彼女に嘘はつけないことは身に染みている。

「……どうしてそう思うんだ?」

「ふふ、なんでかなぁ。余計なものまで見えちゃうことがあるんだよね」

「そう? 会いたくない人は、いないよ」

「そっか。ごめんね、変なこと訊いちゃって」

 特に深入りすることもなくちとせは素直に引き下がった。今度こそ嘘はついていないが、何かを感じ取っていたらしい。

「もとより落ち着きがあるようには見えませんでしたが」

「千夜、フォローになってないぞ」

「したつもりもありませんので」

 すげなくそっぽを向く千夜。それともからかわれていたのだろうか。

「こほん。ちとせは、疲れてない? 下にはテラスがあるから案内がてら休憩も出来るけど」

「まだ、いいかな。千夜ちゃんは?」

「私は別に。大体は把握しましたので、今日の目的を考えればそろそろ帰ってもよいのではないでしょうか」

「あん、もうお腹いっぱいになっちゃった?」

「これ以上の案内に必要性を感じませんから。それにお嬢さま、あの何もない部屋を改装するおつもりなのでしょう?」

「本当にやるんだ……いや、いいんだけどさ」

 どうにも徹底的にちとせ好みへ変えられてしまいそうな予感が働き、そこで働くには場違いな空間へ変貌した職場をつい想像してしまう。
 俗世のお嬢さまは容赦がない、そんな偏見がプロデューサーの中にはとっくに芽生えている。

「あは、ならちょっと下見に戻ろっかな。それにまだ紹介してもらってない人もいるしね」

「……今ならいるかも。じゃあ一旦戻ろう」

 デスクが2人分とあれば、部屋に通う者が少なくとも2人いることは明白だろう。
 あの部屋に活気があった頃、ほとんど常駐してアシスタントをしてくれていた女性がいる。彼女を紹介して今日はお開きだろうか、などと考えていたところで、まさに部屋へ入ろうとしている彼女と鉢合わせになった。

「あら、プロデューサーさんお戻りですか?」
6 :1/27  ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 19:32:12.48 ID:ldlfMP+C0

「ちひろさんこそ。まあ中に入りましょう」

 見慣れた朗らかな笑顔も引き連れ、揃って帰還する。初の顔合わせとなる3人の紹介はそれからだ。

「あー、こちらが千川ちひろさん。俺だけじゃないけど、いろいろとアシスタントをして下さっている方だ」

「よろしくお願いします♪ 黒崎ちとせさんと、白雪千夜さんですよね」

 初顔合わせのはずが名前と顔も一致しており、いったいいつ資料に目を通したのかわからない仕事の早さである。

「……白雪です。よろしくお願い致します」

 気のせいかちひろさんには丁寧に応対する千夜と、その隣で何がおかしかったのかちとせは軽く笑いを堪えていた。

「ちひろさん、か。ふふっ、ちーちゃんだね」

「? ああ、名前ですか。昔はそう呼ばれたこともありましたねぇ。お2人も?」

「私はそうでもないけど、千夜ちゃんはたまに私が。ね、ちーちゃん♪」

「紛らわしいのでいつも通りお呼びください。千川さんも、困るでしょうし」

「私のことはちひろでいいですよ。何ならちーちゃんでも♪」

「あはっ、よろしくねちひろさん。それにしても、こんな可愛い人をはべらしてるなんて魔法使いさんも隅に置けないなぁ♪」

 すっかり意気投合する3人のちーちゃんの輪に入る隙はとうにない。
 アイドルを迎える上で彼女らと歳も近く、同性であるちひろの存在には助けられている。今回ばかりは深く実感した。

「今日はまだお客さんですし、何か飲み物を淹れてきますね。座って待っててくださいな」

 もちろんプロデューサーさんも、と付け加えて簡易的な作りの給湯室へと消えていくまでちひろを目で追い、それからちとせと千夜が使用しなかったもう片方のソファへと腰を落とす。

 興味が尽きないのか、ちとせだけはちひろがいるであろう給湯室のほうへと目をやったままだ。

「アシスタントって言ってたけど、まさか魔法使いさんの小間使い、みたいなものじゃないよね? どういうお仕事をされてるの?」

「アシスタントはアシスタントだよ。……うん、アシスタントだな」

「答えになってないけれど……私にとっての千夜ちゃん?」

「ちとせにとっての千夜がどういう存在かはよく知らないが、多分2人の考えてるようなものじゃない。だからそんな嫌そうな顔するな、千夜。ここは仕事場だから!」

 実際に初対面の頃からアシスタントとしか聞かされておらず、普段の仕事ぶりを見ていても事務員とはまた似て非なるもののようで、どう説明したものか難しくはあった。
 あらぬ疑いが掛かる前に、間違っても爛れた関係でないことは宣誓しておく。
7 :1/27  ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 19:33:15.00 ID:ldlfMP+C0

「……千川さんを見ていれば分かります。これぐらいで狼狽えないでください、みっともないですよ」

「あのなあ……でも、そういやちとせにとっての千夜ってどうなの? 知り合い、じゃ片付けられないレベルなのは見てればわかるけど」

「千夜ちゃんは私の僕(しもべ)ちゃんだよ。言ってなかった?」

「僕? しもべ……召使いとか、それこそ小間使いなのか?」

「察しが悪いな。私はちとせお嬢さまに仕える者です。それ以上でも以下でもない」

「そうか……うん、2人は特別な関係だということで」

「話を切り上げようとしていますね? ちゃんと理解できているのか怪しいものですが」

「追々理解させてもらうよ。なんだか疲れてきた……」

「あは、これから私達のために働いてもらおうってところなのにもう疲れちゃうの? だらしないなぁ」

「みなさんすっかり仲良しですねぇ」

 淹れたてのお茶を運びながらちひろが戻ってきた。今度こそ会話は途切れ、それぞれにお茶を配っていくちひろが今は救世主以外の何者にも見えない。

 ちひろへ軽く礼を言うちとせに、ぺこりと頭を下げる千夜。この素直さをこちらへ向けてもらえるようになるまで、どれほどの時間が掛かるだろうかと漏れそうな溜息をお茶と一緒に飲み下す。

 それからはちひろを交えての必要書類の確認、またそれぞれ未成年であるため保護者の方々に連絡を取りたい旨を伝えるも、その辺は私に任せての一点張りなちとせに言葉通り任せざるを得なかった。

 そもそもちとせと千夜は日本で数年ほど二人暮らしを続けているらしい。

 いよいよもって特別な、というよりは特殊な関係性であることが窺い知れる。だからといってどうということはなく、むしろ売り出す上で強力なアピールポイントになるかも、ぐらいにプロデューサーは留めておいた。

 すべきことを済ませ、建物内の案内よりもこれからどうこの部屋を飾るかが目下の目標となったちとせと千夜は、今日のところはこのまま帰宅するようだ。

 「またね、魔法使いさん」と魅力たっぷりのウィンクを残して去っていくちとせと、「それでは」と短く告げ主人の後を追う千夜。4人でもまだ広すぎる部屋に静寂はすぐ訪れた。

 ふと、残された者同士、目が合った。

 ちひろとは長い付き合いだ。長く思っているのは恐らく自分だけだと承知しながら、それでも部屋に2人取り残された状態で気まずさを一切感じない程度には、信頼を寄せている。

「相変わらず、どうやったら見つけられるのか不思議なくらいの子たちでしたね。プロデューサーさん?」

「今回は特別ですよ。見つけたというか、引き寄せられたというか、そんな感じです」

「……また、担当を受け持てるようになったんですね。みんなもきっと応援してくれますよ」

「…………。すみません、いろいろ押し付けちゃって。みんな、どうしてますか?」

「それは、ご自身で確認してきたほうがよろしいのでは?」

 あくまで優しく、しかし甘えさせるでもないちひろに返す言葉も無く、代わりにプロデューサーはスーツの懐にしまっていた懐中時計のようなものを取り出した。仕掛けられた2つの針が動くことはなく、これでは時計と呼べる代物ではない。

 それでもこれを眺めている間だけは、遠ざかっていく過去を真っ直ぐ振り返られる。何か大切なものを思い起こそうとする度にしてしまう、癖のようなものだ。

「ちひろさん。あの2人共々、よろしくお願いします。今度こそ――頑張りますから」

「こちらこそ、よろしくお願いしますね。まだ以前のようにはお側にいられないでしょうけれど、私もプロデューサーさんの帰りを待っていましたから」

8 : ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 19:34:22.10 ID:ldlfMP+C0
2/27


 ぱたり、と。

 2人の初めてのレッスンは、基礎を一通りさらっとこなしてもらう程度の軽いものを用意していたつもりだった、のだが。

 最後のダンスレッスンに入ってからのちとせは最初こそ楽しそうにしていたものの、自分がいつ倒れるか判っていたかのように、本当に「ぱたり」と言い残してそのまま起き上がらなくなった。

「わっ、ちとせ!? おい大丈夫か!」

 いつの間にか千夜がちとせに寄り添い楽な姿勢にさせている。いつも優雅な微笑みを絶やさないちとせもこの時ばかりは表情をうっすらとゆがませている。

「……これぐらいしょっちゅうだから、慣れてるんだ……ごめんね、最後まで出来なくて」

「お嬢さま、すぐに医務室で横になりましょう。お前! 見てばかりいないでお連れしなさい、今ばかりはお嬢さまに触れることを許します」

「わかった! えっと、すぐそこだから、ちょっとごめんな」

 上半身を抱き起こすまでが千夜の細腕では限界らしく、後を引き取ってちとせをそっと抱き上げると、もともと軽そうではあるがやはりそこまでの重さを感じなかった。

 レッスン着が何とも独特でへそ出しでもあるため、多少の接触は不可抗力だと頭で言い訳しつつちとせを運び出す。

 第一に医務室の場所を覚えようとしていた黒ジャージ姿の千夜は、さすがと言うべきかそのまま医務室まで先導しドアを開けて待機している。ちとせがこうなることを想定済みだったのだろう。

「すみません、急いで診て貰いたいのですが!」

 ちとせをベッドに預け、事務所の常駐医に後を託す。
 当人が倒れ慣れていたとしても、気が気でない思いばかりは千夜と共有できそうだ。ちとせよりも千夜のほうがよほど苦しそうな顔をしていた。

 そんな顔をされては、千夜だけでもレッスンを再開しようなどと言えるはずもなく、千夜を置いて帰りを待っているトレーナーの元へ戻ろうとすると、

「待って。千夜ちゃんも……お願い」

「お嬢さま!?」

 置いていくつもりがここから千夜を連れ出せというちとせに、千夜も困惑を隠さない。

「せっかく来たんだもん。この子の面倒も見てあげて、ね?」

「……千夜さえよければ。無理にとは言わない」

「私は……お嬢さまがそう望むのなら、この者と共に行きます」

 決して本意でないことは誰が見ても明らかだった。それでも自分の意志よりちとせの意志を尊重した千夜は、名残惜しそうに仕えるべき主へ背を向ける。

 それならと千夜を連れてレッスンルームに戻り、残りのカリキュラムをこなさせることにする。楽しみながらだったちとせとは対照的に、これまで事務的に黙々とレッスンをこなしてきた千夜はことさら機械と化していた。

 身体の動き自体は初めてとは思えないほどの身のこなしを見せていたが、心ここにあらずでは本当に機械と同じである。

 全ての工程を終えると、千夜はトレーナーへの礼は欠かさず、しかし足早にちとせのいる医務室へ向かっていった。

 さぞやりづらかっただろうトレーナーへ労いの言葉もそこそこに、プロデューサーも後を追う。ちとせの体調も心配だが、むしろ千夜のほうこそ気掛かりだった。

「あ、魔法使いさんも来てくれたの? さっきは驚かせちゃったね」
9 :2/27  ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 19:36:00.59 ID:ldlfMP+C0
 遅れて医務室に入るなり、血色が少し良くなったように見えるちとせは一見何でもなさそうだ。話によると軽い貧血を起こしたらしく、休んだおかげでもう起き上がっていても平気だとか。
 しかしこの調子が続くようでは――と思案するまでもなく、千夜が何かを言いかける。

「お嬢さま……」

「そんな顔しないで。今日はたまたま倒れちゃったけど、気持ちよく歌えたし、身体も少し動かせて私は楽しかったよ。千夜ちゃんは?」

「私は、その……わかりません」

「そっか。もっと面白くなるように魔法使いさんにお願いしないとね♪」

 アイドルをする以上、歌と踊りがついて回ることはちとせも知っている。それでも前向きに楽しもうとしている姿は、どこか儚げに映った。

 一方、千夜からはレッスンをこなす上での感情が読み取れない。楽しいのか、つまらないのか、それすらも無くただ言われるがままやらされている。ちとせが倒れてからはさらにそんな調子だった。

 どう声を掛けたものか、とにかく見守っていた立場としての務めだけは果たさなければ。プロデューサーは今日のレッスン光景を思い出す。

「えっと……ちとせ。さっきは綺麗な歌声だった、もっと聴いていたくなったよ」

「そう? 歌でも魔法使いさんを魅了しちゃったかな。ふふっ」

「千夜もそう思うだろう?」

「お嬢さまならそれくらいは当然です。無論私も、お嬢さまの歌声は美しいと思います」

「千夜の歌声だって、俺は好きだぞ」

「……は?」

 ちとせに掛かりきりになっていた千夜がようやくこちらを向いた。何を言い出すんだこいつは、とでも言いたげだ。

「いや、は? じゃなくて。そりゃ感情の欠片も歌声に乗ってなかったけど、この声が気持ちを乗せていけたらどうなるか、俺は気になったけどな」

「あ、私も私も。千夜ちゃんの歌声なんて滅多に聴けないもん、なんだか得しちゃった」

「お嬢さままで……ああ、これがお世辞というやつなのですね。褒めるなら私でなくお嬢さまを褒め称えなさい」

「そんなことないのにー。ねぇ魔法使いさん、千夜ちゃん可愛かったでしょう?」

「それは……まだ判断材料が不足してるかな。もっといろいろ見せてもらわないと。あ、でもダンスは良かったぞ。確かに運動神経は良さそうだ」

「ほらほら千夜ちゃん、褒められてるよ♪」

「はぁ。好きにしてください。お前、私はいいからお嬢さまのことで他に何かないのですか?」

 煩わしそうにしつつも、ちとせのことを聞いてくるあたりプロデューサーとしての意見を求めてきている。従者としてもやはり主人の評価は気になるのだろう。
10 :2/27  ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 19:36:48.92 ID:ldlfMP+C0
「そうだなあ。言うだけあって、人を魅了する素質が備わり過ぎてて怖い。俺は今、とんでもない逸材を世に放とうとしてしまってるんじゃないだろうかって、そう思うよ」

「急に頭が悪くなったような物言いですね。言わんとすることだけは、まあ、伝わりますが」

「もっと具体的に褒めてほしいんだけどなぁ。お前は人を魅了するって昔から言われてるから、なんだか新鮮味がないし」

「お前、この道のプロならば的確にお嬢さまを称えなさい。今すぐだ」

「今日だけじゃ褒めようがないって! ……今後の日程だけど、レッスン内容はちとせ用に考えておく。だから、これに懲りずにまた来てくれるかな?」

 ここを乗り越えなければ2人をプロデュースすることは叶わない。何気なく次のことを促してみるが、大きな分水嶺であることに違いはなかった。

 内心祈るように2人の返事を待っていると、それが杞憂であったとすぐに気付かされる。

「当然でしょ。まだ舞踏会にも辿り着けてないのに、ここで引き返すなんて勿体ないよ」

「お嬢さまが望む限り、私はどこまでもお供するのみです」

 ちとせさえその気なら千夜も続けるつもりはあるようだ。ちとせのように楽しんでくれたら言うこと無しなのだが、今は2人がアイドル活動を続けれくれるだけでよしとしなければ。

 プロデューサーは思い描く。2人が舞台の上で綺麗に咲き誇っている姿を。そのための魔法使いであらねばと。

「なんか悪そうな顔してるね、魔法使いさん。楽しそう♪」

「見るに堪えません。お嬢さま、あれは放っておいて今日は帰りましょう。ご自愛ください」

「……聞こえてるぞ」

 皮算用より前に、まずは信頼を寄せられるよう努力せねば。そう考え直したプロデューサーだった。


11 : ◆KSxAlUhV7DPw [sage]:2020/02/04(火) 19:37:51.57 ID:ldlfMP+C0
3/27

 レッスン場へ足を運ぶと、ちょうど小休憩の頃合いの千夜が静かに休んでいた。

 ちとせには用事があるとのことで、1人でレッスンに臨む千夜を見ていてほしいと頼まれている。頼まれずともそうするつもりではあったのだが。

 ちとせと違いアイドル活動に乗り気でない――ようにしか見えない千夜は、しかしトレーナー曰くレッスンそのものに手を抜いている印象はないそうだ。
 ただただ事務的に、主人がそう望むから行っている。そこに千夜の意志は介在していない。

 そんな千夜をどう見守ることがちとせにとっても良いのか、難しい課題だった。

「千夜、調子はどうだ?」

 こちらの存在を認めた千夜が、ちらとだけ目線をやる。

「特に問題はありません。そちらこそ、随分暇なのですね」

「ははは、俺が忙しくなるのは千夜にかかってるからね。当然ちとせもな」

「お嬢さまはともかく、私に期待するのは間違っています。私は所詮、お嬢さまの戯れに付き合っているだけに過ぎないのですから」

「戯れ、か。2人は何かする時、いつもそんな感じなの?」

「……」

 考える間を置いて、やがて千夜は言葉を紡いだ。

「お嬢さまが望むなら、それに従うのが私の役目。お嬢さまがそれに飽きてしまわれれば、私にとってのそれも無かったことになります」

「いや、無かったことにはならないだろう……」

「従者とはそういうものです。お嬢さまの戯れに振り回されることが楽しく感じたとしても、お嬢さまが楽しいと感じられなければ意味がない」

「うーん……。千夜って、ちとせのために生きてるって感じだな」

「そうですが、なにか」

 今までになくはっきりとした口調で、千夜は自身の存在意義を宣言する。

「私に価値はありません。ただお嬢さまに仕えさせていただくこと、それだけが私の人生ですから」

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