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白雪千夜「足りすぎている」
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97 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 00:40:53.93 ID:1/ZkFkMM0
――?
理由になっていない。凛さんともあろう人が、随分と具体性に欠く、ナンセンスな回答だ。
「そういうものとは?」
「だからさ……」
頭を少しクシャクシャと掻いて、開き直るように鼻で一つ息をついた。
「上手く言えないし、合理的な理由なんて無い。
あの時は、たまたま私がそういうのを発揮して、気づいて、そうしたってだけ」
「……たまたま、ですか」
「千夜はきっと、信じられないって言うと思うし、私にもまだ信じられないけど……
ライブってたまに、そうなんだよ」
凛さんがある作品の前で足を止めた。
98 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 00:42:41.94 ID:1/ZkFkMM0
彼女に倣い、私もそのバレエダンサーが描かれた絵画を見上げる。
ドガだろうかと当たりをつけてみると、案の定そうだった。
たぶん、思考の置き場に困った彼女が、適当な対象としてこれに視線を預けているに過ぎないと思った。
「自分でも信じられないような力が、急に働くんだ。
それはたぶん、このステージを成功させたい、絶対失敗なんてさせたくないっていう、潜在的な強い気持ち……。
あるいは、お客さんからもらえる力もあるのかも知れない。
美嘉も言ってたけど、ステージって、私達アイドルだけじゃなくて、お客さん達と一体で作るものらしいから」
かぶりを振って、顔を上げる。
その真っ直ぐな横顔は、適当な言い草で私の質問をやり過ごそうとしているのではない、彼女の真摯な想いが感じられるものだった。
「強いて理由があるんだとしたら、そんなところかな」
99 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 00:44:03.05 ID:1/ZkFkMM0
「分かりました」
「ほんとに分かってる?」
「いえ、分かっていません」
「だと思った」
フフッ、と年相応に吹き出す彼女の笑顔に、私もつい頬が緩む。
理解のできないことに、いちいち心を惑わされるのは合理的ではない。
そういう私のスタンスを、今ではアーニャさんだけでなく、プロジェクトの皆が認識していた。
分からないことは無視、だけど――。
凛さんの口から、そういう抽象的な話が出てきたことは、ちょっと興味深い、かな。
「ところでさ、千夜」
「何でしょう」
「ちとせは、今日呼ばなくて良かったの?」
「……もちろん、お誘いしたかったのですが、ご都合がつきませんでした」
「そうなんだ……忙しいのかな」
少し落胆しながら、凛さんは顎に手を添えて何か思案している。
100 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 00:45:07.66 ID:1/ZkFkMM0
そう――付き添える時間を割かれているのは、私の方だけではない。
最近では、お嬢様の方も、ご不在の時が多くなっている。
長らく候補生の身に甘んじていたが、アイドルとしていよいよ始動し始めたということだろうか。
そうであるならば、早く見てみたいという気持ちは純粋に強い。
私に対してさえ、一定の物好きが集まる業界だ。
お嬢様の美貌であれば、ファンの獲得などずっと容易いに違いない。
ただ、気になることがある。
お嬢様は私と同様、シンデレラプロジェクトのプロデューサーたるアイツにスカウトされ、この事務所に来た。
一方で、アイツの口から、お嬢様を担当することになった旨の話は聞いていない。
アイドルの活動を始めたのだとしたら、お嬢様は一体、誰が担当しているのだろう?
「あっ」
凛さんが、ふと何かを見つけて足を止めた。
「どうかされましたか?」
「ほら、あそこ」
101 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 00:47:48.78 ID:1/ZkFkMM0
彼女が顎で指した方を見ると、アイツとアーニャさんだ。
通路の脇に退いて、電話で何やら話しているアイツを、アーニャさんが不思議そうに見つめている。
ほどなく電話が終わり、その場に合流した私達の下へ、アイツが戻ってきた。
「申し訳ございません。
急遽、事務所に戻る用が出来てしまったため、私はここで失礼させていただきたいと思います」
熊の様な巨躯で、丁寧に腰を折る。
何度も見てきた姿ではあるが、コイツのアイドルに対する慇懃さは、少し過剰なのではないかと度々思う。
「白雪さんも、お誘いいただいておきながら、誠に恐縮です」
「お前は元々誘ってなどいません。どうぞお構いなく」
「はい」
では、と再び小さく頭を下げ、アイツは大きな脚を大股に歩き、足早に私達のもとを去って行った。
「一体、何があったのでしょう」
「ふふっ……それより、千夜」
「何ですか?」
102 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 00:49:21.31 ID:1/ZkFkMM0
「何か、千夜とプロデューサーのやり取りってさ……ヘンだよね」
「ヘン?」
首を傾げる私に、凛さんは苦笑しながら手を振るう。
「だってさ。お前呼ばわりもそうだけど、結構キツい言い方に聞こえるのに、プロデューサーも普通に返してるし」
「ダー。リンも、そう思っていましたか。
チヨとプロデューサー、何だか、信頼感があって、楽しそうです」
「いや、信頼というものでは……」
一体何を言っているんだろう、この人達は――。
「あ、ほら。首を掻いた」
――凛さんに指摘され、無意識で首の後ろに回していた手を引っ込める。
「プロデューサーと一緒、ですね?」
「……次に進みましょう」
せっかく美しいものを観賞しに来ているのだ。
くだらない話に付き合うより、これを楽しむ方に時間を費やす方がはるかに有意義である。
後ろの二人が、小さく笑い合っているのが聞こえる。
不可解だな。実に、不可解極まりない。
103 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 00:50:53.30 ID:1/ZkFkMM0
観賞が終わり、三人で事務所に立ち寄った。
特に用は無かったのだが、アイツのことが気になると二人が言い出したため、様子を見に行くことになったのだ。
だが、シンデレラプロジェクトの事務室に行くと、そこにアイツはいなかった。
それどころか――。
「ちょ、ちょっと! 何をするんですか!?」
みくさんの、少しヒステリックな声がこだました。
普段もそれなりに騒がしい人ではあるが、李衣菜さんに怒る時のような賑やかな調子は、微塵も感じられない。
引っ越し業者らしき真っ青な作業着に身を包んだ男の人達は、困ったように頭を掻いている。
「何と言われましても、ここを片付けろという依頼があったもので……」
そう説明する間も、何人もの作業員達が事務室に出入りし、中にあったものを次々に運び出していく。
104 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 00:55:17.77 ID:1/ZkFkMM0
プロジェクト解体の危機にある、とアイツから聞かされたのは、その日の夕方だった。
346プロの事務所棟の地下。
物置として放置されていた、埃まみれの部屋にメンバーの皆が集められた。
ひどく無念そうに頭を下げ、険しい顔をしながら、アイツは口を開いた。
「先日、我がプロダクションのアイドル事業部に、新しい常務が着任しました」
ソイツの話によるところでは、こういう事らしい。
アイドル事業部の新たな統括重役として就任した美城常務というのは、会長の娘であること。
親のコネや欲目によるものではなく、海外のグループ会社を立て直した辣腕ぶりを買われ、就任したらしいこと。
業績が伸び悩む346プロの経営状況を一目した美城常務から、全てのプロジェクトを解体し、白紙に戻すとの宣言があったこと。
「ちょ……ちょっと待ってよプロデューサー!
私達、最近すっごく調子良かったじゃん! まるで失敗してるみたいな言い方はヒドくない!?」
未央さんの言い分は、もっともだと思った。
いくら会社の代表に近い立場とはいえ、昨日今日来たばかりの人に、知った風な口を聞かれる筋合いは無い。
「もちろん、私も反論をしました。ですが……」
曰く、これまでのプロデュース方法では、効率が悪いということらしい。
会社の財政的な面だけでなく、この業務を司るスタッフ――すなわち、プロデューサーや事務員達にとっても。
105 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 01:01:11.62 ID:1/ZkFkMM0
政府によって働き方改革なるものが提示され、昨今では某広告会社の社員の過労死がニュースでも取り沙汰された。
労働者の待遇改善と心身のケアは、経営者側にとって喫緊の課題であるという。
特に、業界でも大手の346プロは、その性質上マスメディアに対する露出も多く、揚げ足取りに近いスキャンダラスな追求がいつあってもおかしくはない。
クリーンなイメージを保つためには、ホワイトを演出する必要がある、ということのようだ。
「つまり、プロデューサーさんのやり方を、常務は否定したんですか?
私達に親身に尽くしてくれた、プロデューサーさんを……」
美波さんの呆然とした、消え入るような言葉が、ひんやりとした物置部屋にひっそりと霧散する。
私のプロデューサーは、コイツだけだ。
だから、一般的なプロデューサーがどういう性質のものかを私は知らない。
しかし、正すべき点が全く無いとは言いがたいが、コイツは常に私達のことを考え、私達のためになることの最適解を常に講じてきたことは、私にも分かる。
劣悪な労働環境があったとするならば、確かにそれは礼賛されるべきものではないだろう。
だが、コイツの心意気までをも否定することはいかがなものか。
「別にいいんじゃない、どっちでも」
106 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 01:02:52.20 ID:1/ZkFkMM0
気の抜けた、しかし思いも寄らない意見が飛び出した方へ目を向けると、杏さんだった。
「え、あ……杏ちゃん、何言ってるのぉ?」
「要するにその常務って人は、杏達の活動の仕方に文句を言ってるだけで、アイドルとしての活動そのものを止めろって言ってるんじゃないんでしょ?」
部屋にいる全員の、ともすれば非難にも似た視線を一身に受けながら、泰然としたものだ。
愛用のぬいぐるみに埃がつかないよう、両手でそれを抱え、しかし怠そうに欠伸をかいている。
「働き方改革大歓迎。労働の効率化は良いことだよ。
効率的ってのがローコスト・ハイリターンを意味するんだとしたら、346プロは即戦力を求めている。
だから、一応の実力を獲得した杏達を簡単に手放すことはしないでしょ。杏は別に手放してくれていいんだけど」
「で、でも!
シンデレラプロジェクト、一緒にやれなくなっちゃってもいいの!?」
「一生会えなくなるわけじゃないんだし、同じ仕事してればどうせまたいつか一緒になる時もあるんじゃない?
そこまで悲観するような話じゃないと思うけど」
107 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 01:05:08.36 ID:1/ZkFkMM0
――杏さんの言い分は、理にかなっている。
というより、反論する必要が無いもののように思われた。
少なくとも、私の当初の目的は、お嬢様に言われたとおり、アイドルをこなすこと。
たまたま配属された先が、このシンデレラプロジェクトであっただけで、これにこだわる理由は無い。
「千夜は、その辺どう思う?」
不意に杏さんが私に話を振った。
いや、不意に、ではない――。
最近分かったことだが、彼女は無能な怠け者を装っているように見えて、その実非常に聡明で狡猾だ。
自ら省エネ運転を公言するくらいである。決して無意味で無駄な行動はしない。
私に話を振ったのは、何事にも合理性を求める私の考え方を熟知しているからだ。
自分のスタンスを、私なら否定することはないだろうと、杏さんは考えている。
「私は」
皆が私の言動を、固唾を呑んで見守っている。
ふと、隣に立っているアーニャさんにチラッと視線を向けると、非常に心配そうな表情をしているのが見えた。
108 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 01:08:23.29 ID:1/ZkFkMM0
「……まだ解体されるべきものではないと考えます」
一斉に、皆が安堵のため息を漏らす。
へぇ、という杏さんの値踏みをするような声も、その中に混じって聞こえた。
私は、アイツに向き直った。視線が絡む。
「お前は、私やお嬢様と約束しましたね?
私、いえ……私達がトップアイドルとなれるよう、善処をすると」
「はい」
「つまり、私達はまだ道半ばです。
望まれた成果が達成されないのであれば、私はお前や346プロに対し、契約不履行の事実を訴えることになる。
その常務に従い私を相手取るか、私との約束を守って常務に刃向かうか……。
お前にも、どちらかを選ぶ自由は許されましょう。どうぞ好きに」
コイツは、首の後ろを掻いた。
だが、どういうことだろう。
苦笑している。珍しいパターンだ。
「どちらかと言えば、白雪さんを相手にする方が、恐ろしいですね」
その言葉を聞いた美波さんの表情が、見る間に明るくなる。
「プロデューサーさん……それじゃあ!」
「シンデレラプロジェクトの活動計画をベースとした新規の企画案を作成し、常務に提出致します。
常務のプランと対立する形となりますが、より良い改善策は歓迎すると常務も仰っていたので、勝算はあるかと」
109 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 01:10:19.71 ID:1/ZkFkMM0
「やったぁーー!!」
物置部屋が歓声に包まれる。
まだプロジェクト存続が決まったわけでもないので、ぬか喜びになり得る可能性は否定できない。
だが、気づくと私は、アーニャさんと手を取り合っていた。
「チヨ、ありがとうございます」
「感謝をされる筋合いなどありませんよ」
「ニェット。チヨがプロデューサーを、脅かしたから、ですね?」
微笑みかけるアーニャさんに、私はかぶりを振り、鼻で小さく笑った。
「そのような事を言われるのは、心外です」
「フフッ♪」
「杏ちゃんも、プロジェクトを抜けたかったら抜けてもいいんだよ〜?」
意地悪く杏さんを肘で小突くのは、未央さんだった。
ニヤニヤしている辺り、本心でないのは自明だ。
「だから杏はどっちでもいいんだってば。千夜の反応は予想外だったけどね」
「私は客観的な事実を言ったに過ぎません」
「まぁ、そういう事にしておくよ」
110 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 01:12:37.76 ID:1/ZkFkMM0
当面の活動拠点として、この物置部屋を使っていくことになった。
プロジェクト存続に向けて動き出した私達の最初の仕事は、部屋の掃除だ。
「千夜ちゃん、普段やってくれてばかりだから、今回は休んでくれてもいいわよ」
「ありがとうございます。掃除は、少々苦手なもので」
「えっ、千夜ちゃん、お掃除苦手なんですか?」
卯月さんが驚いた様子で私を見る。
「黒埼に仕えている間は、それが仕事でしたので、四の五の言っていられなかっただけのことです」
掃除というのは、やればやるほど新たな汚れが見つかり、キリが無くなっていく。
どこまでやれば良いという終焉が見えないものは、私にとって付き合い辛い対象だ。
機械に任せようと、黒埼の屋敷でルンバを一度操作した時のことを思い出す。
あれは、どうしようもない代物だったな。痒いところに全く手が届かない。
お嬢様の気まぐれで買われたは良いものの――。
――――。
突然、背筋が凍る感覚が我が身を襲った。
「……ねぇ、プロデューサー」
皆と掃除をする手を止め、凛さんが後ろを振り返る。
アイツは、部屋の一角でノートパソコンを広げていたが、その作業の手を止めた。
「常務って人のプランと対立する、って言ってたけどさ……
それ、どういうことなの? その常務のプロジェクトと、私達が戦うってこと?」
111 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 01:15:00.14 ID:1/ZkFkMM0
アイツは、急に苦しそうな表情で押し黙った。
先ほどまで明るくなってきていた部屋の空気までもが、急激に陰鬱になっていく。
しばらくして、アイツは自分のバッグから書類を一枚取り出し、凛さんに手渡した。
「まだ、明確に争うと決まったわけではありませんが……」
「……プロジェクトクローネ?」
なるほど、一方的に全てのプロジェクトを白紙にするだけではなく、常務には新規プロジェクトの案があったらしい。
コンセプトは、
「かつてのアイドル全盛期を彷彿とさせるスター性、別世界のような物語性の確立」
「お城のような煌びやかさ」
とある。
その下には、プロジェクトのメンバーが列記されているようだ。
――――。
112 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 01:16:23.61 ID:1/ZkFkMM0
・速水奏
・塩見周子
・宮本フレデリカ
・一ノ瀬志希
・城ヶ崎美嘉
・鷺沢文香
・橘ありす
・アナスタシア
・渋谷凜
「え、ちょ、ちょっと待って!? 何でアーニャとしぶりんが……!」
もちろん、動揺しているのは未央さんだけではない。
なぜ、既にシンデレラプロジェクトに所属している者までもがメンバーに選ばれているのか。
しかし、私をさらに動揺させたのは、そこに記された最後のメンバーだった。
・神谷奈緒
・北条加蓮
・大槻唯
・黒埼ちとせ
113 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 01:17:25.52 ID:1/ZkFkMM0
「…………お嬢様?」
・黒埼ちとせ
「ち、チヨ……」
私は目を疑った。何度も何度も見直した。
だが、当たり前のことだが、書いてあるその名は、いくら読み返しても一向に変わることは無かった。
114 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 01:19:41.22 ID:1/ZkFkMM0
今日はここまで。
続きは明日の昼過ぎ頃に投下したいと思います。
残りは大体6割ほどになります。
115 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2019/11/23(土) 02:02:15.04 ID:Ciyf02Q+o
久しぶりだなこういう本格的なifストーリー
白も黒も乗務好みではありそうだが、黒の方がお好みか
116 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2019/11/23(土) 02:08:14.99 ID:j4LoI85co
>>115
まあ見た目で言えばフレちゃん同様華はあるからな>ちとせ
117 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2019/11/23(土) 02:29:51.26 ID:wcPio3dq0
スレタイを見て足りないものの作者かなと少し思った
118 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2019/11/23(土) 07:07:50.34 ID:84v7ORkt0
乙!
続き期待
119 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2019/11/23(土) 11:27:51.81 ID:6WH6qbJhO
【決講】可奈「飛べ飛べ神鳥〜♪る〜ぐ〜ちゃん〜♪」
https://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1574466531/
120 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 13:56:23.88 ID:1/ZkFkMM0
* * *
こんにちは。
また、私と一緒に遊んでくれるの?
あそこの丘、もう紅葉は終わったけれど、落ち葉がフカフカだから、きっと楽しいよ。
え、違う?
従者――そうなんだ。
もう。パパの言うことも、当てにならないんだから。
何でも言うことを聞いてくれるの?
うーん、それじゃあねぇ――あなたの命を、私にくれる?
あはは、そんな困らないで。
今のは私がイジワルしたかっただけ。ごめんね?
でも、軽々しく「何でも」なんて言葉、使わない方がいいよ?
何にでも限界というものが、どうにもできないものがあるんだから。
私の身体が、そうであるように――。
――――
121 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 14:04:12.83 ID:1/ZkFkMM0
* * *
アーニャさんと凛さんの『プロジェクトクローネ』への配属は、シンデレラプロジェクトからの脱退を前提とするものでは無かった。
当人の意向を個別に聞き、希望があれば兼任という形で所属することも可能らしい。
しかし、いくら強制でないとはいえ、常務が提唱するプロジェクトへの配属を断るという選択は、実質的に不可能であろうというのが、アイツの見解だった。
それについては、私も否定はしない。
元々、そういうしがらみを避けたくて、契約時はアイツに雇用形態を確認したものだった。
今となっては、結果的に隷属する形になってきているが、そんな事はどうでもいい。
私が問題とすべきは、当然に別の所にあった。
「あ、千夜ちゃん!」
レッスン室を飛び出し、医務室への廊下をひた走る。
また、お嬢様が倒れたらしい。
頻度で言えば、この程度はよくある事――。
だが、これは決して看過できる事ではない。
息が整うのも待たず、ほとんど衝突せんとする勢いそのままに、私はそのドアを開けた。
「お嬢様!」
122 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 14:08:45.35 ID:1/ZkFkMM0
「にゃはははー♪ ちとせちゃん、騙されたと思ってあーんして、あーん」
「えぇー? それ、ヘンなの入ってるでしょう」
お嬢様が横たわるベッドに、数人が群がっている。
あの人達もアイドル。それも――。
一ノ瀬志希さんと、宮本フレデリカさん――。
「やだなー、眠らなくても疲れなくなる魔法のオクスリだよ?」
「志希ちゃん、言い方!」
「チトセちゃーん☆ チトセちゃん、こっちのフレちゃんのお水ならどう?
おフランスから遠く離れた、東京の由緒ある地で作られた魔法の聖水、源泉掛け流しだよー♪」
「いやそれモロに普通の清涼飲料水やん」
城ヶ崎美嘉さん、塩見周子さん――。
「うーん、志希ちゃんのヘンなお薬よりかは、フレデリカちゃんのがいいかなー」
「ワァオ☆ じゃあこのコップに入れるねー、あ、でも宮本的にはもう一つアクセントがほしいかもー。シキちゃんお薬ちょうだい?」
「はーい♪」
「いや入れるなっ!!」
「あら」
くだらないやり取りを傍からボーッと眺めていると、横から声を掛けられた。
123 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 14:10:50.82 ID:1/ZkFkMM0
「あなたは確か……白雪千夜、だったかしら」
「速水奏さん、ですか」
「シンデレラプロジェクトの人に名前を覚えてもらえているなんて、光栄ね」
嫌でも覚える、という言葉は、すんでの所で飲み込んだ。
常務が提唱するプロジェクトクローネの看板ユニット『LiPPS』。
そのリーダーである速水さんは、プロジェクトの実質的なまとめ役であり、もはや顔とも言える存在だ。
なるほど。同い年とは思えない大人びた美貌もさることながら、肝が据わっている。
この人達が、私達シンデレラプロジェクトの――。
「あまりそう、敵意をむき出しにされても困るわね」
「そんなつもりはありません」
「あ、千夜ちゃん」
お嬢様が私に気づき、手を振った。
「ありがとう、来てくれたんだねー。
フレデリカちゃんと志希ちゃんの特製ジュース、千夜ちゃんもどう?」
「さり気なく毒味させようとしてんな、この子」
「周子ちゃん鋭い」
「お嬢様、なぜ……」
ゆっくりとベッドに近づく。
「なぜ、そのような無茶をなさるのですか」
124 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 14:14:45.05 ID:1/ZkFkMM0
お嬢様は、お身体が決して強い方とは言えない。
事実、これまでにも346プロのレッスン中に倒れてしまったことは何度もある。
私は、部屋にいる他の人達を見返した。
睨みつけたと言っても良い。
「あははは、あのぉ〜……ち、千夜ちゃ〜ん、あんま怖い顔してると福が逃げるよー?
って、そういや初対面だよね。初めまして、LiPPSの色白担当です」
「存じています、塩見周子さん。
あなた方が今日、お嬢様と同じレッスンを受けていたことも」
ご自身だけでなく、お嬢様の周りの人間も、既にその体力の程は承知しているはずだ。
限界を見極められるだけの――行き過ぎたレッスンを止めるだけの条件は、優に揃っている。
「千夜ちゃん、ごめん……」
真っ直ぐな、それでいてひどく申し訳無さそうな声は、城ヶ崎美嘉さんだった。
シンデレラプロジェクトにおける私達の仲間、莉嘉さんの実の姉だ。
先日のサマーフェスでは、全体曲に入る前のMCを上手く行ってくれたこともあり、私達にとっても頼れる存在ではあった。
「本当なら、アタシ達がちゃんとちとせさんを止めなきゃいけない立場なんだけど……」
「ううん、いいの美嘉ちゃん」
ベッドの上で横たわるお嬢様が、優しく首を振った。
「千夜ちゃんには悪いけれど、これからも同じようなことが起きると思うから、気にしないでいいよ」
125 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 14:20:16.91 ID:1/ZkFkMM0
「き、気にしないで、って……!」
お嬢様の無理な相談は今に始まったことではない。でも、今のはあまりに――!
「やはり君か、黒埼ちとせ」
激昂する寸前だった私の背後、医務室の入口に立っていたのは、灰色のスーツを着た背の高い女性だった。
ウェーブがかった長髪を束ね上げ、真っすぐと、かつ豪然たる姿勢でその場に佇んでいる。
「私は君に無茶をしろと命じた覚えは無い。
レッスンを行う度に医務室の世話になるようでは、スタッフにとっても気が気で無くなるな」
「それは私が一番よく分かっていること。
今度のフェスで、私が結果を出さなくてはならないことも、ね」
「フン」
お嬢様との会話の内容と、その態度で察しがついた。
この人が、美城常務か。
アイドル事業部、並びにプロジェクトクローネの、総責任者――。
126 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 14:22:39.65 ID:1/ZkFkMM0
「君は?」
私の存在に気づいた常務が、顔をこちらに向けた。
「白雪千夜と申します。シンデレラプロジェクトに所属しています」
「名前は知っている。なぜ君がここに来ている」
「お嬢様の従者だからです」
常務は鼻を鳴らした。
「なるほど、それなら君からも彼女によく言い聞かせてほしい。
プロジェクトの目玉となる大事なアイドルが本番前に潰れてしまうことは、私にとって本意ではない」
「ふふ……妬いちゃうわね?」
常務の言い草に、速水さんが肩を揺らした。
「何が言いたい」
「まるで、私達が目玉ではないみたいに聞こえたものだから」
「我がプロジェクトのメンバーは皆、当然に家族とも言える存在だ。
勝手に被害妄想をされては困るな」
「そうだとしても」
腕を組みながら部屋の壁に背を預け、速水さんは常務を真っ直ぐに見据えた。
不敵の一言に尽きるその表情は、およそ新人アイドルが上役に向けて出せるオーラではない。
「ちとせに対する346プロの力の入れようは、他のアイドル達の比ではないんでしょう?」
127 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 14:26:54.75 ID:1/ZkFkMM0
「……どういうことですか?」
話の趣旨がつかめないでいると、何がおかしいのか、猫のような笑い声を上げながら一ノ瀬さんが部屋の中央に躍り出た。
「犬が飼い主側をランク付けしていることがよく話題になるように、動物っていうのは何かにつけて順位を付けなきゃ気が済まないんだって。
そうすることで初めて群れの中での従属の関係性とか自分の分、つまり立ち位置や実在性を確認することができるんだよね。存在の証明ともゆー。
人間社会で言えば、親は子供を、先生は生徒を、上司は部下を、あるいはそれぞれその逆を……芸能界、取り分けアイドルの世界はひょっとしてその最たる例なんじゃないかにゃ?
常務の立場としてはそりゃあ万物平等公平無私を唱えるほかは無いかも知れないけど、どこかでホンネの部分を曝け出さない限り、ヒトたるべきアイドルはヒトならざるキミらの人形でしかなり得ないと思うなー」
「えぇー、シキちゃんお人形になっちゃうの?」
「にゃははー全身フル稼働1/1サイズだよー♪」
「やったー☆ 由緒ある魔法の宮本水で育てなきゃー!」
「人形の概念壊すのやめて……」
「あ、えーとね千夜ちゃん、一応あたしの方から説明すると」
一ノ瀬さんと宮本さんが好き勝手にはしゃいでいるのを無視して、塩見さんが私に声を掛けた。
あしらい方に慣れている辺り、こういうやり取りは日常茶飯事らしい。
「961プロの、玲音さんっていうアイドルいるでしょ?」
128 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 14:30:09.85 ID:1/ZkFkMM0
「……申し訳ございません。不勉強で」
「うっそ、オーバーランク知らん?
ははぁ〜、あたしも自慢できたもんじゃないけど、千夜ちゃんも存外マイペースだねー。まぁいいや」
ケラケラと愛想良く笑って、塩見さんは続ける。
「今度のフェスで、ちとせちゃんが歌う曲、玲音さんの曲なんだって。
何て言ったっかな、『アクセルレーション』だっけ?
つまり、961プロとの事務所の垣根を越えた一大コラボ企画。しかもすんごいエラ〜い人の曲。
だから346プロとしては余計に失敗が許されないってわけ。
でいいんだよね、奏ちゃん?」
「私じゃなくて、常務に直接聞いてもらえないかしら」
「えぇー、あたしあんま怖いの苦手やし」
軽い調子で言っているが、どうやらお嬢様を取り巻く環境は決して軽いものではないらしい。
新任常務のメンツをかけた新規プロジェクトの駒の一つとして、お嬢様はあてがわれただけのものと思っていた。
だが、他事務所の、それも聞く限りでは業界のトップに君臨するアイドルの曲を借りるという。
もし失敗しようものなら、業界内における346プロの信用は地に落ちる。
お嬢様は、常務だけでなく、346プロの期待を一身に背負うことを承知し、これを成功させようと過酷なレッスンに身を投じている。
129 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 14:32:13.59 ID:1/ZkFkMM0
「そう、だから」
城ヶ崎美嘉さんが、言葉を継いだ。
「アタシ達も、本当はちとせさんが無茶をするのは、黙って見てられないの。
でも、ファンの人達の事を考えたら、次のフェスがすごく重要なイベントになる、絶対成功させなきゃって思うと、どうしてもダメって言えなくて……
常務には、アタシにやらせてとも言ったんだけど、でも」
「城ヶ崎美嘉、君には既にイメージがある。
余所の曲を軽率に歌って、君が培ってきたものを失わせることは得策ではない」
常務は、部屋にいる私以外の全員を見渡した。
「君達を始め、プロジェクトクローネには私が見出したそれぞれの役割、持ち味がある。
そこに優劣はない。一ノ瀬志希がふざけたことを言おうとも、それは各自認識してほしい」
「ふざけたってヒドーい」
「……なるほど、よく分かりました」
頭の中はひどく静かだ。
でも、腹の底は久しく感じていなかった怒りがこみ上げてくる。
「経営者の立場として、そういう建前をとることを良しとしたあなたの考えが」
130 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 14:34:47.02 ID:1/ZkFkMM0
何が労働環境の改善だ。
確かに常務は「無茶をするな」と言うだろう。
だが、無茶をしなければ到達できないレベルを要求されていたのでは、使われる側のやるべき事は変わらない。
その結果、仮にその者が潰れたとしたら、経営者は「それを命じた覚えは無い」「勝手にやったことだ」と言い逃れる寸法だ。
つまり、常務が行っていることは、改善とは名ばかりの責任放棄に他ならない。
まして、それをお嬢様に対して仕向けるなど――!
「そういうわけだから、千夜ちゃん」
お嬢様の、妙にのんびりした調子の声で、我に返った。
「私も、自分のことはよく分かっているから、心配しないで。
本当にダメな時は、こうしてダメって言って休むから。
千夜ちゃんがいるシンデレラプロジェクトみたいに、私もこうして色んな子達と仲良くできて、楽しいの。
だから、千夜ちゃんも、自分のことを優先して、お互い楽しんでいこう? ねっ?」
「お、お嬢様……」
131 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 14:42:44.44 ID:1/ZkFkMM0
「チヨちゃん、ギューン☆」
「うひゃあ!?」
急に抱きつかれ、後ろを振り返ると、宮本さんだった。
いつの間に背後に回ったのか、この人は。
「チヨちゃん、心配しちゃう気持ちも分かるけど、フレちゃん達も一緒だから安心してね。
楽しいことが大好きな気持ちは、シンデレラプロジェクトの子達とギリギリ同じくらい、アタシ達も持ってるんだー☆
チトセちゃんが本番もちゃーんと楽しくなれるよう陰日向に海越え山越え春はみやもと的にガッチリサポートするよー♪
ね、カナデちゃん?」
宮本さんが同意を求めると、速水さんは壁に背をもたれたまま、フッと肩を揺らした。
まるで女優のような仕草に目を奪われていると、いつの間にか一ノ瀬さんが私に顔を近づけ、鼻を鳴らしていた。
「んふふ、千夜ちゃんもなかなかユニークな匂いを持ってるねー」
「ゆ、ユニーク? 匂い?」
「いかにも建前を是としてそうな子が、常務の建前に真っ向から異を唱えるその胸中や如何ほどかにゃ、って思ってさ。
仲良くできそうで安心したよ。キミはまだホントの部分を隠してる。ないすとぅーみーちゅー、はろーわーるど、にゃははー♪」
132 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 14:44:50.19 ID:1/ZkFkMM0
宮本さんといい、速水さんといい、強い個性にあてられて目眩をしそうな所にコレだ。
理解できないものへの思考はシャットアウトしたいのに、目の前の彼女はお構いなしに私の視線を釘付けにする。
「取り繕わないハダカの部分に訴えかけて初めて人の心は動かせる。
曝け出そう、解放しちゃおう。内なる本能を認識して初めてあたし達は生を得るんだよ。
建前だけで乗り切れるほど簡単じゃなくない? アイドルって。だからあたしはここにいるの」
――本当の部分?
まるで私がウソを言っているかのような言い草に、少し胸がざわつく。
「もういい、そこまでだ」
常務が手を叩いた。
「黒埼ちとせ、君はスタッフの言うことをよく聞いて、着実な快復に努めなさい。
他の皆も、予定されたレッスンメニューを消化していないままだろう。しっかり整理体操をしておくこと。
いいか、くれぐれも無茶なことはするな。これは命令だ」
「要求レベルを下げる気はないようね」
速水さんがポツリと言った皮肉に、常務は何も言葉を返さず、部屋を後にしていった。
133 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 14:47:56.15 ID:1/ZkFkMM0
「……トレーナーは、チヨのこと、心配していました」
寮の屋上の手すりにもたれながら、アーニャさんはボンヤリと俯いていた。
生憎の天気であり、夜空を見上げても薄曇りを通して月明かりが辛うじて確認できる程度だ。
通り抜ける風も冷たく乾いており、秋の終わりをいよいよ近く感じさせる。
たとえ星が見えなくとも天体観測をしたいと、今夜彼女が言ったのは、私と話をしたかったからだという。
それは私も同じだった。
「私のことなど、どうでもいいです。それより」
私はアーニャさんの背を見つめる。
少し肌寒いせいか、いつもよりも少し小さく見える気がする。
「アーニャさんは、プロジェクトクローネに参加するのですか?」
少し間を置いて、彼女の頭がほんの少しだけ、縦に揺れた。
「リンも、やるって、言ってました」
134 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 14:50:15.77 ID:1/ZkFkMM0
「そうですか」
「イズヴィニーチェ……ごめんなさい」
「何を謝ることが?」
私はアーニャさんの隣に歩み寄り、手すりに手を置いた。
「アーニャさんに、お願いしたいことがあります」
「……チトセ、ですか?」
「はい」
私は、プロジェクトクローネのメンバーに選ばれていない。
希望すれば合流できる可能性もあるとアイツは言うが、選ばれた者とそうでない者がいるという事実が何を意味するのか、理解できないほど私は愚かではない。
それに、シンデレラプロジェクトの皆を――。
いや、それ以上を言うのは、決断をしたアーニャさんや凛さんに失礼だ。
「私よりも、アーニャさんの方がお嬢様と一緒にいられる時間が増えることが想定されます。
どうか、お嬢様が無茶をなさるようなことがあれば、アーニャさんにも止めていただきたいのです」
アーニャさんは、何も言わない。
遠くに煌々と広がるビル群の光を、黙って眺めている。
「凛さんは、神谷さんや北条さんとのトリオユニットでの活動を予定されているとお聞きしました。
お嬢様と同じソロ同士、アーニャさんであれば、お嬢様と同じレッスンを受けることも多いのではと思います」
135 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 14:55:41.74 ID:1/ZkFkMM0
「……イズヴィニーチェ、チヨ」
アーニャさんは、小さく首を振った。
「それはたぶん、アーニャには、難しいですね」
「なぜですか」
私はつい声を荒げた。
心根が優しく、いつも相手を気遣ってくれる彼女からの予想外の返答に、動揺を抑えることができない。
「どうかお願いです。
お嬢様に関することを誰かにお願いしたい、頼りたいと思うこと自体、私にとっては初めてなのです」
「ンー……理由は二つ、あります」
アーニャさんはフッと空を見上げた。
頭の中で、私を説得するための言葉を整理しているのだろうと思った。
「まず、これからのチトセの、レッスンメニューは、特別です。
961プロの、レオンの曲を歌うの、とても大変ですね。
アーニャは、一緒に特別なレッスン、受けることができません」
オーバーランク――つまり、並び立つ者がいない領域のアイドルの曲を借りるのだ。
アーニャさんの話では、その玲音なる人の特別レッスンを受けることもあるのだという。
二人は意気投合、というより、玲音さんがお嬢様をいたく気に入ったこともあり、企画自体はスムーズに進んでいるらしい。
問題は、どこまで完成度を高められるか――つまり、お嬢様の頑張り次第ということだ。
136 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 14:57:39.48 ID:1/ZkFkMM0
「で、ですが……!」
無茶なお願いであろうと何とかしてほしい。
いや、しなければならないのだ。
私はアイドルである以前にお嬢様の従者。
お嬢様の身の安全の確保は、私にとって第一に行わなくてはならないこと。
あの人は、人形である私に生きる意味を与えてくれた、大切な方なのだ。
「お嬢様のお身体に、何かあってからでは遅いのです。
ご自身が自称されているように、お嬢様のお身体は決して強いものではありません。
せめて、レッスン以外の所で一緒の時間を作るとか、できる限りのケアを……!」
「一緒の時間……」
アーニャさんは、こちらに顔を向けて、ニコリと笑った。
「それなら、たぶんできます」
「良かった……」
「でも……チトセを止めることは、できません」
寂しそうな笑顔のまま、アーニャさんは俯いて首を振った。
「どうして……?」
「アーニャは、チトセを止めたいと、思わないからです」
137 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 15:01:33.93 ID:1/ZkFkMM0
――言っている意味がまるで分からない。
この人は、ひょっとして私に喧嘩を売っているのか?
親しくしてくれる人からの決して無視できない一言に、私は身を強張らせた。
星空のように綺麗なその瞳を真っ直ぐに見据える私は今、どんな表情になっているだろう。
「チヨ……話をしても、いいですか?」
「話?」
「ちょっとだけ、昔の話……それと、アーニャがアイドルになった理由」
以前、聞いたような気がしたが、ふと思った。
そうだ。
あの時は確か、アーニャさんがレッスンを頑張る理由について聞いただけだ。
出来なかったことが出来るようになれば、ご両親が褒めてくれると――確か、そういう話だった。
「チヨに聞かれて、アーニャは、ちゃんと答えていませんね?」
――まただ。
この人は度々、寂しそうな、何かを我慢するような笑顔をこうして私に向ける。
「……お願いします」
そう言うと、彼女は「ダー」と頷き、胸に手を当てた。
138 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 15:04:25.67 ID:1/ZkFkMM0
「チヨ……アーニャは、日本人です」
?
――え、そこから?
「……知っています」
「フフッ、そうですね。
アーニャは、北海道で生まれました。
日本で生まれたアーニャは、日本人です。でも……」
胸に当てた手をスゥッと下げて、アーニャさんは俯いた。
「ロシア人のパパと、日本人のママ……アーニャに会う人は、みんな、外国の人だと思います。
それは、仕方がないです。
アーニャは言葉、上手くありません。見た目も、日本人らしく、ないですね」
「過去に何かご苦労が、あったのですか?」
「ンー……」
アーニャさんは、首を傾げながら、ちょっと困ったような顔をして虚空を見上げた。
その姿を見て、ふと気づいた。
日本語が下手だからではない。
優しい彼女は、聞く相手が不快にならないような言葉を、とても丁寧に探している。
「そうですね……とても、大変でした。
初めましての人と、うまく話せなくて……悲しくて、寂しかった」
139 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 15:10:27.66 ID:1/ZkFkMM0
「……確かアーニャさんは、幼少期はロシアで過ごされたと」
「ダー」
彼女が日本語を自在に扱いきれない理由の一つは、それだ。
「生まれて、小さい時にすぐ、ロシアに行きました。
ロシアの時は、パパのロシア語と……ママの日本語も、教えてもらいました。
でも……10歳のアーニャが、北海道に戻った時、どちらも上手では、ありません。
日本語も、ロシア語も……ヘンな言葉しか、使えなくて、皆、アーニャを避けましたね。
怖い子、冷たい子……皆、そう言いました」
「アーニャさん……」
豊かな愛に育まれた、元来心の温かな人だと思っていた。
彼女にも背負ってきた過去があり、辛い経験を乗り越えて今の優しさがあるということか。
つまり、どこかで転換期があったはずだった。
暗い過去を払拭し、明るい感情を持てるきっかけとなった出来事が。
私の心情を察するかのように、アーニャさんは私の目を見つめ、フッと笑った。
少し、表情が明るくなった気がした。
「チヨ……たぶん、アーニャに何があったのか、知りたいですね?」
「えぇ、その通りです」
「とても、優しい人に出会いました」
140 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 15:15:45.94 ID:1/ZkFkMM0
アーニャさんは、私から視線を外し、手すりを掴んでその先を見つめた。
「一人ぼっち……小樽で運河を、ボーッと眺めていたアーニャに、声を掛けてくれた女の子がいました」
「小樽、ですか……」
「ダー♪」
その女の子はアーニャさんの二つ年上で、アーニャさんの知識ではほとんど理解ができない日本語だったという。
よほど北海道訛りの強い子だったのだろうか。
「でも、色々なお話、してくれました。
言葉は分からなくても、明るい笑顔で、楽しそうに話すのを見て、アーニャも、楽しくなりました」
「分からなくても、ですか?」
「ダー。アーニャの手を引いて、いっぱい色々な所へ連れて行って、遊んでくれました。
とても寒い日だったけど、さよならをする頃には、体も心も、ポカポカですね」
良い人に巡り会えたのだなと思う。
名前も顔も知らないどころか、言葉さえ分からない他人と四六時中遊び倒すなど、よほどの暇人か奇人――。
「その時、アーニャは、教えてもらいました」
こちらに振り返り、ニコリと笑う。
「アーニャは、色々な子と、お話するようにしました。
言葉は、ンー……あまり、伝わっていなかったかも、ですね。でも、たくさん話しました。
そうすると、友達、たくさんできました。アーニャも、皆も明るくなって、とても嬉しかった。
寂しかった時には、皆近づいてくれなかった。でも、それはアーニャが、寂しかったから、ですね?」
141 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 15:19:34.71 ID:1/ZkFkMM0
「それは、何よりです」
「アーニャの、恩人です。
あの子にもらった明るい、優しい心を、アーニャはずっと、大切にしています」
――――。
実に良い話だ。だが――。
なぜか先ほどから、素直にアーニャさんの話に傾聴しきることができない自分がいる。
胸がざわつく――。
「それで、その……たとえば、アーニャさんのその……」
「はい」
「その子に元気づけてもらった、その経験を、誰かにも与えたいという想いから、アーニャさんはアイドルを……?」
「ンー……それも、無いことは、無いですね。
でも、きっかけはちょっと、違います。アーニャも、スカウトでした」
眉根を寄せて、悩ましそうに苦笑している。
「アイドルが何をするのか、分かりません。でも、プロデューサー、とても熱心でした。
ストラースチ……情熱、ですね。この人の情熱、どこに向かうのか、とても興味ありました。
大好きになれた、北海道の街……離れたとしても、私の知らない世界、見たいです」
騙されている、乗せられているとは、考えなかったのか――そう聞こうとしたが、飲み込んだ。
彼女はきっと、人を疑うことを知らない。
それは、すごく危ないことなのに。
「ンー……チヨはアーニャを、心配してくれています」
「えっ?」
142 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 15:21:52.35 ID:1/ZkFkMM0
驚く私を見て、アーニャさんはクスッと笑った。
「スパシーバ、チヨ。
でも、人を疑うより、信じる方が、楽しいですね?」
「信じた末に、裏切られることになったとしても、ですか?」
彼女の言っていることは、詭弁だ。
あるいは、無知であるが故の夢想。
世の中、良い人間ばかりとは限らない。
「信じることを決めたのは、アーニャです。
だから、裏切られて、悲しい思いをしたとしても、それはアーニャのせい、ですね」
アーニャさんは、かぶりを振った。
「アーニャは、ワガママです。自分で決めたい……誰かのせいにしたくない。
誰かの助けになったとしても、誰かに傷つけられたとしても、自分の気持ちで、受け入れたい。
アーニャのいる世界は、アーニャの足で歩きたいです」
アーニャさんの瞳は、私を真っ直ぐに見つめていた。
その気迫から、私にその言葉をしっかり届けたかったのだろうという意志は明確に感じ取ることができ、実際それは、私の心に強く突き刺さった。
決して平坦では無かった過去。
それでも「我」を見出すことを選択した今。
彼女は、常に黒埼家に依存してきた私の生きてきた世界とは、全く違うところにいる。
「だから、チトセを……そうしたいと、自分で決めたチトセを、アーニャは応援したいです」
143 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 15:25:10.11 ID:1/ZkFkMM0
「お嬢様を、応援……」
アーニャさんは頷いた。
「チヨの言うこと、分かります。
アーニャもチトセは、とても心配です。倒れちゃうの、怖いですね。
でも、アーニャ達が止めたら、チトセは、傷つくと思います。
心に傷を……ずっと治らない、深い傷を」
「アーニャさん……」
彼女は、冗談を言うような人ではない。
とても真面目で、素直で、純情で、心根の優しい人。
なのに――。
「何で、そんなことを言うんですか……」
なぜそんな、訳の分からないことを言って、私の心をかき乱すのか。
悲しそうな表情をして言うくらいなら、なぜそれをわざわざ呼び出して私に伝えるのか。
胸の中で渦巻く、怒りとも悲しみともつかない暗く重たい感情に煩悶していると、携帯が鳴った。
凛さんからのメールだった。
美城常務とのミーティングに、お嬢様が姿を見せていなかったとのこと。
部屋にいるはずのお嬢様と、連絡がつかないらしい。
144 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 15:27:26.68 ID:1/ZkFkMM0
合い鍵を使って部屋に入ると、奥に向かう廊下は真っ暗だった。
電気をつけ、居間へと進むと、お嬢様は座椅子に腰を下ろし、背の低い丸テーブルに顔を埋めて眠っていた。
「お嬢様……」
テレビが付いたままになっている。
画面が灰色な所を見ると、おそらくDVDか何かを観ていた最中だったらしい。
レッスンを終えて自室に戻り、それを最後まで観ることなく、疲れきって眠ってしまったのだろうか。
「お嬢様、お身体に障ります。ベッドで寝ましょう」
「んぅぅ〜……」
何とか体を起こし、肩を担いでベッドに寝かせた。
この間、二人でライブのDVDを観た時は、お嬢様が私に布団をかけてくださったことを思い出す。
「ちよちゃん……」
「はい、白雪です。何も気にせず、どうかゆっくりお休みになってください」
「ちよちゃん……」
起きた訳ではないようだった。
うわ言のように私の名を数度口にした後、そのまますぅすぅと、再び眠りについていく。
145 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 15:29:32.97 ID:1/ZkFkMM0
やはり、綺麗なお顔をされていると、改めて思う。
こんなご無理をなさらずとも、お嬢様は十分美しい。
ふと、アーニャさんの言葉を思い出した。
お嬢様のフェスに向けた努力は、美城常務からの一方的な指示だけでなく、お嬢様ご自身が望んで決めたことであると。
確かに、あの人はそう言っていた。
なぜ、お嬢様はそのような過酷な道を――。
――部屋の空気が澱んでいる。
「少し、空気を入れ換えます」
ベランダ側の掃き出し窓の上部にある小窓を少し開ける。
サァッとカーテンがなびき、部屋の中に冷たく澄んだ空気が入ってきた。
少し乾燥しすぎてしまうな。もう少ししたら閉めよう。
手袋と、身にまとったインナーを、知れずキュッと握りしめる。
冬は、とかく空気が乾燥するから嫌いだ。
私の故郷、北海道ほどではないにせよ――いや、それを思い出すからこそ、冬は好きになれない。
146 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 15:33:41.43 ID:1/ZkFkMM0
本州の、とりわけ雪とは無縁の地域に住む人がよく誤解をするのは、雪国は空気が乾燥することはないのではないか、ということだ。
雪という水分にあれだけ覆われているのだから、本州と比べれば、空気には湿気があるのではないかと。
しかし、そうではない。
本州の雪と北海道の雪は、大きくその性質が異なる。
大気中に含まれる水分量が限界を超えると、雨となって地上に落ちる。
それが一定の気温まで下がれば雪になるというのは誰もが知るところであり、当然にそれは本州も北海道も変わらない。
双方で異なるのは、気温差である。
北海道はその土地の性質上、あまりに気温が低いために、そもそも大気に含むことのできる水分量が極端に少ないのだ。
言い換えれば、空気中に水分が存在できないほどに寒いのであり、その乾燥具合は本州の比ではない。
翌週は、東京に季節外れの大寒波がやって来ると、連日ニュースで大騒ぎしている。
それほど寒い日であれば、東京でも雪になるかも知れないが、それはいわゆる“ベシャ雪”と呼ばれる、水分を多量に含んだもの。
飽和水蒸気量の少ない北海道の、乾いた冷たいそれに比べれば、さぞ温かな雪になるだろう。
大気のキャパシティを超えた水分が、地上に落ちる。
空気が乾燥する冬は、嫌いだ。
――?
ふと、付きっぱなしだったテレビを消そうとした手が止まる。
147 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 15:36:51.50 ID:1/ZkFkMM0
お嬢様は、何をご覧になっていたのだろう。
無粋な真似とは思いつつ、リモコンを操作して音を消し、巻き戻して再生ボタンを押した。
「……これは」
アイドルのライブのDVDだった。
随分と、引きの画だな。客席側から撮ったものらしいが、手ぶれも激しいし、画質もそれほど綺麗じゃない。
まるで一昔前のホームビデオのような映像だ。
だが、よくよく目を凝らしてみると、どうも見覚えのあるステージであることに気づく。
そして、その上にいるのはアーニャさんと――私。
「誰が、こんな映像を……」
明らかにこれは、先日のサマーフェスだ。
なぜか、急に私の方へズームされていく――恥ずかしい。
しかし、察しがついた。
おそらく、これは黒埼のおじさまが撮影したものだ。
たぶん、スマートフォンではなく、昔から使用されているご自身のビデオカメラで。
おじさまのカメラは、即興ラブライカの後、そのままシンデレラプロジェクト全員でのステージを残している。
しかし、フォーカスするのは専ら私の姿ばかりだ。
凛さんが私をさり気なく助けたシーンも、バッチリ映っている。
おじさまが、私を――そして、お嬢様も、私のことを――。
148 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 15:38:45.37 ID:1/ZkFkMM0
「……千夜?」
振り返ると、凛さんが部屋の入口に立っていた。
手には、お見舞いの品と思われる小包と、クリアファイルに入った書類が握られている。
「凛さん……」
「勝手に入っちゃって、ごめん。
携帯とチャイム、鳴らしても反応が無かったから。
今日あったクローネのミーティングの資料、ちとせにも渡しておきたかったんだけど……寝てるね」
「はい」
私はその場に立ち上がった。
「お嬢様はご覧のとおり、お疲れのようです。
どうか、ご無理をなさることが無いよう、凛さんからも改めてお嬢様にお伝えいただけると助かります」
「…………」
返答が無い。黙って俯いている。
だが、私の願いを受けた凛さんの反応は、アーニャさんのそれとほとんど同じだったと言える。
149 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 15:40:59.73 ID:1/ZkFkMM0
「凛さんも、ですか」
「え……?」
「あなたなら、理解を示してくれると思っていました」
「あ、ちょっと千夜……!」
このままこの場にいると、私は凛さんにあらぬ言葉をぶつけてしまうだろう。
彼女を説得することが不可能だと悟った私は、足早にその場を後にして、逃げるように隣の自室に駆け込んで鍵を閉めた。
「なぜ、皆してお嬢様を……」
尊重とか応援とか言いながら、結局はお嬢様と関わり合いたくないだけではないのか。
彼女達は、常務という大きな力を持つ者に逆らい、事務所内の居場所を脅かされたくないのだ。
私だけがお嬢様の御身を案じている。私こそが。
やはり、私がいないと――。
「……あ」
150 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 15:42:47.86 ID:1/ZkFkMM0
しまった。
お嬢様の部屋、小窓を開けっ放しにしていたのを思い出した。
後で閉めようと思っていたのに、凛さんに気を取られてしまい、すっかり失念してしまっていた。
急いで戻りたい所だが、また凛さんと鉢合わせになるのも煩わしい。
二の足を踏んでいた所へ、声が聞こえた。
千夜の言うことも、正しいよ――。
「! ……」
外から聞こえてくるらしい。
私はそっと窓を開け、ベランダに出た。
「体を壊したら、元も子もないんだから……あまり、頑張ればいいってものでも、ないと思う」
やはり、凛さんの声だ。
換気のために開けた小窓から、話し声が聞こえてくる。
私は、ベランダの隔て壁のそばに立ち、そっと息を殺して聞き耳を立てた。
151 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 15:49:30.32 ID:1/ZkFkMM0
「でも、凜ちゃんは千夜ちゃんのお願いに「いいよ」って言ってあげなかったね」
「…………」
「あはは、ゴメンゴメン。気を悪くしないで。
私を思ってのことだったって、分かってるよ。
千夜ちゃんに何も言わなかったのも、本当は同意したい気持ちと、私を尊重したい気持ちが綯い交ぜになって、整理がつかなかったからでしょう?」
お嬢様、起きていたのか――。
それに凛さんも、本当はお嬢様がご無理をなさっていることを、快く思っていないらしい。
「いや……ちとせの気持ちも分かるんだよ。でもさ」
「凜ちゃん、千夜ちゃんに言っていたでしょう?」
「えっ?」
「アイドルのライブは、信じられないような力が働くものなんだ、って……。
それ、本当なんだなぁって、千夜ちゃんのステージを見て分かったの」
体が強張る。
お嬢様が、私のステージを見て、一体何を――?
「あ、凜ちゃんが千夜ちゃんを助けたのを指してそう言ってるんじゃないよ?
私は、あんなに楽しそうな千夜ちゃんを見るの、初めてだった……ううん、久しぶりだった、だね。
自分は無価値だと公言して憚らなかったあの子が、良い仲間を持って、すごい力を発揮しているのを、肌で感じることができたの。
黒埼家に仕える以外の生きがいを、千夜ちゃんに与えたくて、魔法使いさんの力を借りてアイドルという情熱の火種をあの子に示したんだけど、それは上手くいったみたい。
フフッ……そう、うまくいき過ぎたの。まさかその炎が、誰かに燃え広がるものだなんて知らずにね」
152 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 15:56:51.91 ID:1/ZkFkMM0
「ちとせは、千夜のようになりたいって思ったの?」
「私、ワガママだったみたい。
欲しい物なんて無かったのに、叶う事なら自分の思うように生きたいと思ったの。
あの子が見たものを、私も見てみたい。ライブで得られる信じられない力、私も感じたいし、千夜ちゃんにも勝ちたいの。
分不相応だなんて、笑わないでね。夢を見るのは自由、でしょう?
千夜ちゃんも凜ちゃんも、自分だけ良い思いをして、私には「無理をするな」だなんて仲間外れにするの、人が悪いんだから、フフッ♪」
「ちとせが辛い思いをすると、千夜が悲しむから……」
「それは分かってる。呪わしいほどに弱い自分の身体も、私が一番……。
でも、私はアイドルを止める気はないよ。
千夜ちゃんを焚きつけておいて、自分だけ何も遺さないままなのは、格好がつかないもの。
何としてでも、アイドルとしてのあの子に勝つか……せめて、あの子に並ぶくらいにならないと、顔向けできないかなって、ね。
あ、千夜ちゃんには言わないでね、今の」
「分かってる……これ、薬。志希が真面目に作った、って。
ここに置いておくね……本当に、身体だけは壊しちゃダメだよ」
「ありがとう、凜ちゃん。
そこの窓、閉めてくれる? 千夜ちゃんが開けてくれたまま、忘れちゃったみたい」
「あ、うん」
カチャン――。
という音がして、それ以降、話し声は聞こえてこなかった。
153 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 15:59:06.74 ID:1/ZkFkMM0
――――。
私のステージが、事の発端だったというのか。
常務の過度な期待があったとはいえ、その身を削ってでもステージに立つのだという決意をお嬢様がされたのは――。
あのご様子だと、お嬢様は本当に壊れるその日までレッスンを止めることは無いだろう。
私が経験したと空想している、得難き力――それに夢見て邁進し、勝手に私をライバルと決めつけるお嬢様を説き伏せることは極めて難しい。
私が、アイドルを続けている限り。
アイドルである私に立ち向かうことがお嬢様のモチベーションに繋がっているというのなら、私の取るべき手段は一つだ。
154 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 16:02:03.85 ID:1/ZkFkMM0
* * *
「レッスンをサボってまで話をしたいっていうから、何事かと思ったけど、そういう話ね」
昼下がり、346プロ内にあるカフェで、ため息が一つ生まれて消える。
私としてはそれなりの覚悟を持って連れてきたものの、この人が普段通りにボンヤリしているせいで、あまりシリアスな空気が流れない。
「こういう事を相談できるのは、杏さん以外にいないと思ったので」
「杏だって、まだやったことも無いのに相談されても困るんだけどねぇ」
「いえ」
私はかぶりを振った。
アドバイスを期待して、あまり親しくできていない彼女をわざわざ誘ったのではない。
「杏さんなら、私の決断を否定しないだろうと思ったのです」
「つまり杏に背中を押して欲しかったってことね。千夜はいい性格してるよ」
「……そうですね」
杏さんの言う通りだ。
辞めたいのなら、誰に相談するまでもなく勝手に辞めればいい。
行動を起こす前にこんな事を他人に話すのは、そうしないと踏ん切りを付けられない自分がいるからだった。
「私は、お嬢様やアーニャさん、他の皆さんとは違います。
自分の道を自分で決めることができない、弱い人間です」
155 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 16:04:24.75 ID:1/ZkFkMM0
「その辺は杏には分かんないけど、まぁいいんじゃない?
でも、プロデューサーにはちゃんと自分から言った方がいいよ」
「それは、言われるまでもありません」
「はいはい」
鼻で笑い、杏さんは目の前のオレンジジュースを吸った。
「辞めたらさ、後でどんな感じかを杏にも教えてよ。
今度杏も辞める時の参考にしたいし」
「……杏さんは」
俯いて、膝の上に置いた手をギュッと握りしめた。
一体、何なのだろうな、この――。
「辞めようと思ったことは、無いのですか。
普段、あれだけ「働きたくない」などと文句を言って、サボって、逃げて……でも、肝心な所ではしっかり仕事をして」
劣等感、とは少し違う――憧れ、あるいは後悔だろうか。
私には、彼女のように上手く泳げなかったという、無念さ――。
「なぜ、杏さんはアイドルを続けるのですか……?」
156 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 16:08:03.77 ID:1/ZkFkMM0
「辞めようと思えばいつでも辞められるからね」
素知らぬ顔で彼女は答えた。
ストローから口を離し、椅子の上であぐらを半分かいて店の天井を仰いでいる。
定規のアイツとはまるで正反対だ。
「そんなこと考えてダラダラ続けてたら、逆に辞める方が面倒くさくなってきちゃってさ」
「辞める方が、面倒?」
「うん」
これは誰にも言わないでほしいんだけど、と前置きを加えて彼女は続ける。
「辞めたらうるさく言う人がいるでしょ? きらりとか未央とか……あぁ、千夜ならアーニャかな。
そういう連中にやいのやいの文句言われるくらいなら、惰性で今の状況を続けてた方がリスクは少ないかなって。
今も杏的には忙しいけど、適度にサボれるし、プロデューサーも杏の性格見越して仕事の量を調節してるんだとしたら大したもんだよね」
「つまり……シンデレラプロジェクトの皆さんに不和を与えないことを、杏さんは重要視していると?」
「そういう勘違いをする人がいるから、誰にも言わないでって話。
……って、あぁ、辞める千夜には関係ないか」
面倒くさそうに手を振り、再びオレンジジュースを手に取った。
「杏がどうってより、今は千夜の話でしょ。
ちとせのためになると思って辞めるんだって千夜が決めたんだったら、それでいいんじゃない。
まぁ杏の見立てでは、千夜が辞めてもちとせはアイドル辞めないと思うけどね」
157 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 16:10:57.76 ID:1/ZkFkMM0
「どういうことですか?」
「だって、アイドルとしての得難き経験とやらをちとせが欲してるなら、アイドル辞めるわけないでしょ。
目標としていた千夜が辞めて、多少モチベーションが下がるくらいはあるかも知れないけど」
――反論すべき点が見つからない。
この人は実に聡明だ。常に端的で、言動に迷いが無い。
「でもそれはちとせにしか分からない話で、杏が我知り顔で言えることでもないしね。
ところでさ、千夜は辞めたらどうするの?」
「……えっ?」
私としたことが、346プロを辞めた後の事を全く考えていなかった。
当然に、私は寮を出なければならなくなる。
そうすると、ひとまず黒埼の屋敷に戻って――。
「……黒埼家の従者に戻るだけです。
学校も、遠いですが、そこから通うことになるかと」
「ふーん」
一瞬、瞳の奥を見透かされたような気がした後、彼女は鼻で小さくため息をつき、腕の中の人形を軽く撫でた。
「まぁ達者でやればいいさ。
この際だから言うけど、杏は千夜のことあんまり得意じゃなかったよ」
「奇遇ですね。それは私もです」
フッ、と知らず笑みがこぼれる。
「こんな事を言うと、おそらく杏さんは怒るかと思いますが……
同族嫌悪に近いものだったと、今では思います」
158 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 16:12:56.10 ID:1/ZkFkMM0
合理的な思考に、どこか通ずる部分があった。
異なるのは、ポテンシャル――彼女は、近道を可能にするだけの力がある。
私は言われた通りのことしかできず、それでいて客観的な思考を盾にして本音を隠す卑怯者だ。
あの日、一ノ瀬さんが言っていたことが、少し分かってきた気がする。
「いや……合ってるよ、同族嫌悪」
「えっ?」
顔を上げると、杏さんは頬杖をつきながら、どこか据わりが悪そうに窓の外へ視線を投げていた。
「千夜みたいな子がいたら、杏もがんばんなきゃいけないし……
張り合える子がいなくなって、ようやくラクが出来そうで清々できるよ」
大きなため息を吐いた後、彼女は椅子から飛び降りた。
「あー良かった良かった。
あ、ここの会計はプロジェクト宛てに領収書を菜々さんに書いてもらえれば大丈夫だから。
あとよろしくね、それじゃ元気で」
大袈裟な欠伸をこれ見よがしにかきながら、杏さんはペタペタと小さい体を揺らして出口の方へ歩いて行った。
159 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 16:14:38.77 ID:1/ZkFkMM0
――彼女は実は、優しい人なのかも知れない。
同族嫌悪などと言ったのは謝るべきだった。
だが――まぁいいか。
あとは、アイツに断りを入れる、その前に――。
やはり、お嬢様と話をするべきだろう。
お嬢様が辞めないのであれば、私が行動を起こす意味が無い。
――意味が無い?
私は、アイドルを続けたいのか――?
一人かぶりを振り、余計な雑念を払う。
私は伝票を持って席を立ち、杏さんが言うところの安部菜々さんを頼ることなく、会計を済ませた。
これから辞める身で、これ以上346プロの世話になることもない。
160 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 16:21:25.45 ID:1/ZkFkMM0
普段は昼のレッスンを行う間の寮がこんなに静かだとは、それをすっぽかすまで知らなかった。
すっかり見慣れた部屋の、ドアの前に立つ。
呼び鈴を押しても、電話をしても、やはりと言うべきか、応答は無かった。
この部屋に入るのも、今日が最後かも知れないな。
「……失礼致します」
部屋の中は、ひっそりとしていた。
まだ日が暮れるまで1〜2時間はある。
電気をつけなくとも、カーテンを開けると陽光が部屋中を明るく照らし、改めて主の不在を私に知らしめる。
ここで待とう。
もし万が一お嬢様が倒れたという連絡を受けたとしても、寮からスタジオ棟の医務室へは走って5分もあれば行ける。
「……むっ」
見慣れないDVDケースをテーブルの下に見つけた。
中身は空だ。ラベルも無い。
既にセットされているのだろうか?
161 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 16:24:50.93 ID:1/ZkFkMM0
お嬢様には失礼だが――電源をつけ、再生ボタンを押した。
「これは……」
青紫を基調としつつ、虹色に煌めく絢爛でワイルドな衣装。
オレンジ色のポニーテールが、軽やかかつダイナミックに舞う。
髪留めといい、およそ蝶をモチーフにしたであろう意匠が目立つものの、その威容と気迫は気高き獅子を思わせた。
なるほど、『レオ』――間違いない、この人が玲音だ。
画面の下部に、曲名が表示されている。
観客のボルテージは、始まる前からクライマックスを迎えたかのような盛り上がりようだ。
差し詰め代表曲なのだろう。
曲名は『アクセルレーション』――塩見さんが言っていた名前と同じ。
――――。
息をするのも忘れるほど、私は画面に――彼女のステージに魅入っていた。
これを、お嬢様がやるのか。
162 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 16:28:58.08 ID:1/ZkFkMM0
業界に入ってまだ日は浅いが、一目でレベルが違うと分かった。
表情はおろか、指の先の一瞬にまで機微を感じさせる表現力。ターンのキレ。声の伸びと張り。
彼女のパフォーマンスの隅々が、一挙手一投足が、今日まで私自身がトレーナーから指摘されてきたことを遙かに超越しきっている。
だが、彼女の凄さは教科書に即した完成度の高さだけではない。
何よりも、この玲音さんは――観客と一体になっている。
エンターテイナーとして観客を楽しませようという精神を、ひしひしと感じる。
およそ全てのアイドルファンに愛される存在であり、彼女もまた全てのファンを愛する人なのだと、そのステージを見て分かった。
果たして、お嬢様にこれと同じステージができるだろうか――?
お嬢様には失礼だが――おそらく、不可能だろう。
これは、玲音さんの献身的な姿勢と、それ以上に彼女自身がこれまでに培ってきた非常な努力を感じさせるものだ。
アイドルを始めてたかだか数ヶ月、それも並みの体力を持ち合わせていない者が、軽々しく比肩できる厚みではない。
――分不相応だなんて、笑わないでね。
「……!」
――夢を見るのは自由、でしょう?
163 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 16:34:23.62 ID:1/ZkFkMM0
「…………お嬢様……」
城ヶ崎美嘉さん、アーニャさん、凜さん――。
彼女達の気持ちが、今、痛いほどに分かった。
無理だけど――止めることは、できない。
第三者の勝手な都合で、その人の夢を潰すことは、とても――でも。
「私は……」
アイドルである以前に、黒埼家の――お嬢様の、従者だ。
お嬢様の御身の安全を守ることが、私の最低限の務め。
でも――お嬢様がステージに上がったら、どうなるのだろう?
本当に、玲音さんが全て勝っているのか?
お嬢様が勝っている部分など何一つ無いと、それを見ずして言い切れるだろうか。
何より私は――。
164 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 16:37:15.48 ID:1/ZkFkMM0
見たい。
ステージの上で、この曲を歌いきり、およそ信じられないくらいキラキラに輝くお嬢様を。
観客からの大歓声に、満面の笑顔で手を振るお嬢様を。
「私は、どうしたらいい……」
誰もいない部屋で、一人途方に暮れていると、呼び鈴が鳴った。
「ッ……!?」
ひょっとして、お嬢様!?
いや、落ち着け。自分の部屋に入るのにいちいち呼び鈴を鳴らす人がどこにいる。
「チトセちゃーん! チトセちゃーん!」
「フレデリカさん、ちょっと、近所迷惑ですから……!」
「やっぱり出ないよぉ、およよよ……哀れ宮本のフレンチボイスでは掠りもしないのであった。
んじゃ、ここはフミカちゃんとありすちゃんにバトンタッチ☆ ささ、ノックノックしるぶぷれ〜♪」
「わ、私が、ですか……?」
「文香さん、相手にしなくていいです。
あとフレデリカさん、私は橘ですっ! 何度言ったら分かるんですか!」
「ワォッ☆ 橘氏、なかなかボイスがビッグデリカだねー♪」
165 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 16:40:06.49 ID:1/ZkFkMM0
随分と騒々しいな。
会話の内容からして、おそらく――。
私は、ドアをそっと開けた。
「あっ」
「ンンー? チトセちゃん、ちょっと小っちゃくなっちゃったね?」
「貴女は、確か……」
「白雪千夜と申します」
そう言って、私は目の前の三人を見渡した。
宮本さんと――鷺沢文香さんに、橘ありすさん。
やはり、プロジェクトクローネの人達だ。
「申し訳ございませんが、お嬢様はここにはいらっしゃいません。
まだ、レッスン中なのではと」
「あれ? おかしいですね」
ありすさんは手に提げたバッグからタブレットを取り出し、幾度か操作をして首を傾げた。
「どうかしたの、ありすちゃん?」
「橘です。クローネの予定表を見ているのですが、ちとせさん、今日は午前中にはレッスンを終えて、午後は大きな予定が入っていません」
166 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 16:43:02.32 ID:1/ZkFkMM0
サッとこちらに見せてきた画面を確認する。
プロジェクトクローネ総勢13名のメンバーそれぞれの予定が示された横使いのスケジュール表は、確かに、お嬢様の午後の空白を示している。
「ご予定が無いのであれば、ちとせさん、こちらにお戻りになるかと思ったのですが……」
「どこか遊びに行ってるのかなー? あ、アーニャちゃんも午後オフだね」
二人だけでどこかへ遊びに行く――いや、それはあまり考えにくい。
これまでお嬢様からもアーニャさんからも、特にそういう話を聞いたことが無かったからだ。
一方で、アーニャさんには、レッスン以外の所でお嬢様と一緒の時間をできる限り作るようお願いし――。
――!
「……あの、白雪さん、何か…」
「今日は何日でしょうか」
「え? ……わっ!?」
半ば引ったくるように、橘さんのタブレットを掴んだ。
スケジュール表の日付を急いで確認する。
――やはり。
何ということだ!
167 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 16:46:13.55 ID:1/ZkFkMM0
「し、失礼します!」
「ひぁっ、し、白雪さんちょっと!?」
引っかけた靴を履き直す時間すらもどかしい。
お嬢様の部屋の片付けも、ドアの鍵も、まるで無視してしまうほどに、私は頭が真っ白のまま寮の出入口へと走った。
「チヨちゃーん! 1階のトイレは今使えないよー!? シキちゃんがぃ……!」
角を曲がり、宮本さんの底抜けに明るい澄んだ声が遠くに響いて、彼方に消えた。
「はぁ……はぁ……!」
本当に私は、どうかしている。
今日は11月10日。
自分のことばかり考えて、お嬢様の誕生日すら忘れるなんて!
寮にもレッスン室にもいないのなら、今日は屋敷に戻っているはずだ。
急いで私も向かわなくては――!
「……えっ!?」
168 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 16:50:20.52 ID:1/ZkFkMM0
寮を飛び出し、その先の門へ向かう足が止まった。
見慣れた黒い定規が――アイツが、門の前に立っている。
「白雪さん、お待ちしていました。どうぞこちらへ」
「な、何をしている。
私は急いでいるんです、お前に構ってなどいられ……!」
「黒埼さんの屋敷へは、私の車で向かいましょう」
「!?」
少しずつ息が整ってくる。
よく見ると、門のそばの駐車場にはいつもコイツが送迎で使用する車が置いてあり、その後部座席には――。
アーニャさんが手を振っていた。
「白雪さんとアナスタシアさんをお連れするよう、黒埼さんより仰せつかっております。
一緒の時間を作るよう白雪さんに頼まれた旨を、アナスタシアさんが伝えたところ、黒埼さんが彼女も誘われたとのことです」
「え、あっ……」
呆然と立ち尽くしていると、アーニャさんが後部座席のドアから飛び出し、助手席側に回ってそのドアを開けて手招きをした。
「ダヴァーイ、チヨ♪
チヨはプロデューサーの助手席、好きですね?」
169 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 16:54:23.39 ID:1/ZkFkMM0
都心部から黒埼の屋敷へは、車で1時間半ほどかかる。
幹線道路を使えば、近くまでは比較的一本道で行けるが、その先は細い山道を慎重に上る必要がある。
346プロの寮に越してからも、お嬢様と二人でタクシーを利用して帰ることは何度かあったが、どの運転手もその道を嫌がっていた。
車の中は、しばらく無言だった。
後部座席にいるアーニャさんは、いつもはこういう時に色々な話題を振ってくれるのに、今日は何も言わない。
どんな様子で座っているのか、後ろを振り返ってみたい気持ちを、先日穏やかでない言葉をぶつけてしまった後ろめたさが邪魔をする。
後ろめたいといえば、コイツだ――。
コイツも、岩のようにデカい手でハンドルを握り、黙って前を見つめている。
ついに、私は根負けした。
「何も、言わないのですか……」
今日のレッスンをすっぽかした私に、言いたいことが無いはずは無い。
私に、そんな筋合いが無いのは分かっているのに――自分の気持ちを隠しているコイツに、イライラしてしまう。
そんな手前勝手な自分自身にも――。
170 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 16:57:18.10 ID:1/ZkFkMM0
「レッスンのことであれば、気に病む必要はありません」
嫌味も抑揚もまったく感じられないトーンのまま、コイツは続ける。
「もちろん、望ましいことではありませんが……
調子が悪かったり、気分が沈んでしまったりすることは、誰しもあることです。それにより、つまずいてしまうことも。
ナーバスになってしまったとしても、どうか大目に見てほしいと、今日、双葉さんもそう仰っていました」
「いつも自堕落なあの人が言っても、説得力がありません」
「いえ」
短い、しかしハッキリとした否定が聞こえて、思わず隣を振り向く。
「双葉さんが大目に見てほしいと仰ったのは、あなたのことです、白雪さん」
「……私を?」
双葉さんの、去り際の後ろ姿が脳裏に蘇る。
素っ気ない様子で大きな欠伸を掻きながら、面倒くさそうにカフェの出口へ向かう背中――。
「先ほど、寮を飛び出してきた白雪さんを見て、その意味が分かった気がします」
171 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 16:59:33.38 ID:1/ZkFkMM0
「知った風なことを」
私は小さくため息をついて窓の外へ顔を背けた。
「お前は、私がどれほどお嬢様のことを案じているか、分かっていないのです」
「……白雪さんには、お話していなかったかと思いますが」
車はようやく山道に入った。
今日は、季節外れの寒波が関東を直撃するという。
ひょっとすると、山間部は雪が降るかも知れない。
「私は、自分の担当アイドルを潰したことがあります」
身体が強張ったは、悪路のせいじゃない。
後部座席で、アーニャさんが小さく声を上げたのが聞こえた。
「自分のエゴを押しつけ、苦しめた……もう二度と、担当アイドルに同じ事はするまいと、心に誓いました」
172 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 17:03:14.33 ID:1/ZkFkMM0
いつの間にか凝視していた私の視線に、チラッと送ってきたコイツの視線が一瞬だけ絡んだ。
「私だけでなく、シンデレラプロジェクトの皆も、よく分かっています。
白雪さんが黒埼さんの事を、とても大切に思われていることを」
「私のお嬢様に対する気持ちが、エゴだとでも言いたいのですか?」
唐突に自分語りをしたかと思えば、その次は説教か。
結構なことだ。
「余計なことを話している暇があるなら、屋敷へ急いでください」
「白雪さんは、黒埼さんが今、屋敷で何をされているか、ご存知ですか?」
「えっ?」
おそらく、聞き間違いではないだろう。
クスッと小さく笑う声は、アーニャさんのものではなかった。
「今日は、黒埼さんが私達に手料理を振る舞われるとのことです」
173 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 17:06:42.70 ID:1/ZkFkMM0
「……えっ!?」
なぜ!?
お嬢様ご自身の誕生日だ。お祝いされる側がホストに徹するのはおかしい。
というより、私やアーニャさんだけでなく、一緒に向かっているコイツの分もか!?
「わぁ、それはプリヤートナ、とても楽しみです♪」
「の、暢気なことを言っている場合ではありません!」
早く、お嬢様の下へ――私が――!
「白雪さんが黒埼さんをお想いになられているのと同じように」
道がだんだん開けてきた。
もう一つカーブを曲がれば、屋敷が見えてくる。
「黒埼さんも、白雪さんのことを案じています。
だから、黒埼さんは私に、「あなたを頼む」と……
今日のことだけでなく、シンデレラプロジェクトに入る事になった時から、ずっと彼女は、私にお願いし続けてきました」
174 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 17:08:23.56 ID:1/ZkFkMM0
すっかり見慣れた門が自動で開き、ゆったりと開けた車寄せにコイツの運転する車が滑らかに吸い込まれていく。
「今日はどうか、黒埼さんのお話に、耳を傾けてあげてください」
――お嬢様の仰ることを無碍にしたことなど無い。
いつだって私は、あの人の言うことを聞いてきた。
だから私はアイドルをやっている。
だが――コイツが今言った事に、堂々と反論する気になれないのはなぜだろう。
車を降り、アーニャさんと並んで玄関ドアに向かうと、扉が開き、中からお嬢様とおじさまが和やかに出迎えた。
175 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 17:14:00.18 ID:1/ZkFkMM0
ゆっくり話をする間もなく、お嬢様は「準備があるから」と、私達をリビングに案内した後、そそくさと台所へ引っ込んでしまった。
意味ありげにアーニャさんやアイツと目配せをしていた辺り、この場にいる人達は、おじさまも含め、予め今日のことを了解していたように見える。
皆が申し合わせていたのは、ひょっとして私のことだったのではないか――そのような考えは、果たして飛躍だろうか。
アーニャさんと私、アイツが並んで席に着き、おじさまが向かいに座る。
ひたすらに冷えた今日の天気のことなど、しばらく談笑したのち、ようやくおじさまが核心に迫りそうな話を切り出した。
「ちとせと千夜が、今度、346プロさんのフェスというものに出場すると聞きました」
アイツは頷いた。
「弊社は年に二回、夏と冬に、ファンの方々向けの感謝祭と称して、フェスを開催します。
ちとせさんと白雪さんだけでなく、こちらのアナスタシア他、弊社の精鋭並びに新進アイドル達が揃い踏みする、一大イベントです」
「聞くところによると、ちとせと千夜は、別のプロジェクトというものにそれぞれ所属していると」
おじさまがテーブルの上で両手を組み、少し身を乗り出した。
「何と言いますか……ちとせが今日、千夜に勝ちたいと、よく言っていたもので……
その、二人が何か戦うとか、競争するようなイベントだったりするのでしょうか?」
176 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 17:16:15.42 ID:1/ZkFkMM0
お嬢様は、そこまで私のことを――。
今日、どんな顔をしてお嬢様とこれから話をするべきか気を揉む私を尻目に、コイツは首を振った。
「他社さんと協働で開催するフェスの場合は、ライブバトルと称し、観客の方々からの投票形式によって、その出来を競い合うこともあります。
ですが、これは社内イベントであり、アイドルを含む事務所のスタッフが一丸となって行うものです。
弊社としましても、同じ事務所内のアイドル同士で対立感情を煽るようなことを、メリットとして捉えることはありません」
お前、夏の合宿の時は違うことを言っていなかったか?
そう横槍を入れてやりたい気持ちを、グッと飲み込んだ。
コイツにも、冗談で済むレベルとそうじゃないものの線引きがあるのだろう。
だが、コイツの今の話には、正しくない部分が半分以上はあることを私は知っている。
確かに、明確なライブバトルとして銘打たれたものではないが――実質的には、今度のフェスは戦いだ。
私達シンデレラプロジェクトと、常務が率いるプロジェクトクローネ。
どちらがより観客の心を掴めるか――つまり、私達と常務のどちらが正しいかを決する舞台となる。
引いては、シンデレラプロジェクトの存続を賭けた舞台。
お嬢様も、理解していないはずはない。
177 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 17:19:25.86 ID:1/ZkFkMM0
「それなら良かった」
そうとも知らず、おじさまは椅子の背にもたれ、ふぅと息を吐いた。
「私はてっきり、ちとせと千夜が仕事の関係で喧嘩でもしたのかと心配で」
「おじさま。お嬢様は、私のことを一体なんと?」
「ん? いやなに、今日はとびきりに千夜のために腕を振るってやるんだって、息巻いていたよ、ワハハハ」
こう言っては失礼だが、暢気に笑っているおじさまが、何だか腹立たしい。
私は今もこうして焦燥を募らせているというのに。
「チトセの料理、とても楽しみです。チトセは、何を作りますか?」
アーニャさんもまた、あまり重要そうでない話題に目を輝かせる。
――いや、ちょっと気になるが。
「ハンバーグを作ると言っていたよ」
「オォー、プロデューサー、ハンバーグ大好きですね♪ 今日は皆で……アー……」
「? アーニャさん、どうかしましたか?」
部屋の中をキョロキョロと見回して、アーニャさんが気まずそうにおじさまを見つめた。
「チトセのママは……お出かけですか?」
良からぬ想像をしたであろう彼女とは対照的に、おじさまは和やかに笑った。
「妻とは、あの子がまだ生まれて間もない頃に別れたんだ」
178 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 17:24:04.28 ID:1/ZkFkMM0
「アー……それは、ごめんなさい」
「あぁいやいや、謝らなくて大丈夫だよ」
アーニャさんを慰めるように、おじさまが言葉を続ける。
「お互い、家が大きすぎたんだろうね。
彼女は大企業の一人娘で次期跡継ぎ。私も、欲しくもない伝統と格式を背負わされた身だった。
黒埼家という、歴史が長いばかりでとっくにカビが生えた家柄を。
だから、結婚をしてもお互い別姓のまま、お互い仕事に追われて暮らしていたのだけど……」
「ちとせさんがお生まれになられてから、状況が変わったと?」
慎重に探るアイツの一言に、おじさまは「そうです」と首肯した。
「あの子にどちらの姓を名乗らせるかで、両家が大喧嘩をしたのです。私と妻を放ってね。
いっそ別姓をやめようという話もあったが、黒埼になれば向こうの会社名も変わるから、納得してもらえるはずがない。逆も同様です。
話はいつまで経っても平行線のまま。だから、私と妻はよく話し合い、離婚をしようという判断に至ったのです」
それは、私も知らなかったことだった。
この家に、おじさまの奥様がいらっしゃらない事は、従者として不可侵の領域であると思い、触れてはこなかった。
179 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 17:27:39.21 ID:1/ZkFkMM0
ただ、と言って、おじさまは努めて明るい調子で話を続ける。
「円満離婚、と言えば良いのかな。彼女も経営者なだけあるから、聡明かつ理知的でね。
話し合いはすこぶる建設的に進みました。もちろん、ちとせのために我々ができる最善策についてです。
結果として、親権は私が預かりましたが、彼女に面会の制限は設けていません。いつでも遊びに来てほしいと言ってあります」
「ですが……」
言いかけて、慌てて口をつぐんだ。
しかし、遅かったらしく、おじさまは私を見てニコリと笑っている。
「そう。千夜が今口を挟んだように、彼女はまだこの家に来たことがありません。
一方で、要らないと言っているのに、定期的に養育費を振り込んでくれているようです。
あの子に無用な伝統を背負わせまいと、本家とは断絶した私にとって、経済的援助はありがたいのですが、男としては情けないばかりで、ハハハ」
「そんなにチトセを大事にしているなら、なぜ、チトセのママは、会いに来ないですか?」
アーニャさんがもっともな疑問をぶつけると、おじさまは肩をすくめた。
「私に遠慮しているのかも知れないね。あと、この家もアクセスが悪いし。
ただ、この間海外からこっちに帰ってきて、東京の本社で働くという話は聞いていたから、これからは会う機会も出てくると思うよ」
「それは、良かったです」
アーニャさんはホッと胸をなで下ろした。
でも、おじさまの今の話は、少し不可解な気もする。
これまで訪れたことが無かったのに、東京で勤めるようになっただけで、会う機会がゼロから増えるものだろうか?
180 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 17:30:25.54 ID:1/ZkFkMM0
そんな私の勝手な心配は余所に、アーニャさんは期待に胸を弾ませるようにウキウキとした声で話をする。
「ロシアでは、よくホームパーティーをします。
パパとママも、アーニャも大好きな人達、たくさん呼んで、みんな楽しいです。
今日も、チトセのホームパーティーに呼んでもらえて、とても嬉しいですね」
「ちとせからも、アーニャさんのことはよく聞いていますよ。
千夜と二人、とてもお世話になっていて、しかもこんな可愛い子をお招きできて嬉しいなぁ」
「ワァー♪」
「ふふっ、いいなぁ楽しそうにお話してて」
すぐさま、声のした方を振り返る。
お嬢様が料理をカートに乗せて、こちらに歩いてきていた。
「まぁ、今日は私がホストだから、どうぞくつろいでいってね」
「お、お嬢様っ」
思わず立ち上がり、お嬢様の下へ駆け寄る。
「私がやりますから、どうか…」
「ダ〜メ♪」
悪戯っぽく私の肩をポンと押すように叩いて、お嬢様は微笑む。
「私がやりたいの。
今日は私の誕生日。だから、好きなようにさせて?」
181 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 17:35:25.56 ID:1/ZkFkMM0
着席した私達の目の前に、料理が並ぶ。
と言っても、ワンプレートだけだ。スープも、ご飯やパンすらも無い。
「これだけかい?」
おじさまが訪ねると、お嬢様は悪びれずに「うん」とだけ答えた。
お嬢様の手料理――ついぞ記憶に無いが、想像していたものとあまり変わりは無かった。
お祝い事の時にしか使わない高級なお皿には、所々焦げたり崩れたりした、頼りないハンバーグが乗っている。
あまり煮詰めていないであろうソースもベチャベチャで、付け合わせのニンジンやクレソンも何だか素っ気ない。
アーニャさん達のものと比べても、盛りつけの見栄えはそれぞれ皆バラバラのようだった。
だから私がやると言ったのに――。
いや、お嬢様の誕生日を忘れるという大失態を犯し、準備をできなかった私に、文句を言える筋合いは無い。
ただ――。
「魔法使いさんも、ハンバーグお好きでしょ?」
席に着かず、ニッコリ笑うお嬢様に対し、アイツは気まずそうに首の後ろを掻く。
「パパも、アーニャちゃんも……千夜ちゃんも、ほら、遠慮なくどうぞ♪」
182 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 17:38:19.90 ID:1/ZkFkMM0
「お嬢様……申し訳ございません」
私は、膝の上に置いた手を握りしめ、俯いた。
「お気遣いいただきながら、やはり……これは、私がいただくわけにはいきません」
「チヨ……?」
「うん、知ってるよ」
お嬢様のあっさりした声が、妙に白々しくリビングに響いて消える。
「千夜ちゃんは私の従者だから、でしょう?」
「そうです」
どういう風の吹き回しかは知らないが、お嬢様は今日、ご自身の誕生日でありながら、ホストに徹している。
お嬢様が振る舞う手料理を――施しを受けるのは、ゲストだ。
だが、私はゲストではない。
従者が主のゲストとして施しを受けることは許されない。
もしそれを許容してしまったら、その瞬間、黒埼家の従者たる私のアイデンティティは崩れる。
それを知っていながら、お嬢様はなぜ――。
「なぜお嬢様は……私にこのようなことをなさるのですか……」
よりにもよって、私の存在意義を奪うようなことを、嬉々として行うなんて。
気まぐれにしても、これはあんまりだ。
183 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 17:40:37.39 ID:1/ZkFkMM0
「なぜって、決まってるでしょう?」
ガックリとした態度を見せてしまう私を尻目に、お嬢様は愉快そうに胸を張ってみせる。
「これが私の望んだことだもの」
真意を推し量りかねる私に、構わずお嬢様は続ける。
「たぶんだけど、千夜ちゃん、アイドルを辞めるつもりだったでしょう」
「えっ!?」
アーニャさんがこれまでに見たことも無いような速さでこちらを振り向くのが、視界の端に見えた。
アイツも、岩のような体が少し動いたように見える。
「……どうしてそれを?」
「なんとなーく、ね。千夜ちゃん、考えることが分かりやすいもの」
私は、誰よりもお嬢様のことを理解している。
そう思っていたが――逆のことは、考えもしなかった。
おじさまの隣からゆっくり歩みを進めながら、お嬢様はまるで詩を詠むようにボンヤリと言葉を繋ぐ。
「今日の誕生日に、私が本当に欲しかったもの……それはね」
その足は、私の席の真向かいで止まった。
「千夜ちゃんの解放」
184 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 17:42:56.70 ID:1/ZkFkMM0
「……解放?」
「黒埼家の従者という呪いからの、ね」
――それはつまり。
「私にここを出ろ、と仰るのですか?」
「千夜ちゃん、この家に来たときのこと、覚えてる?」
――――。
「……忘れました。
私の人生は、黒埼家に仕えたその時から始まったもの。
それ以前のことを、今さら思い出す価値などありません」
「そんなこと言わないで」
「えっ?」
185 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 17:49:45.38 ID:1/ZkFkMM0
珍しく怒気のこもったお嬢様の声に、驚いて顔を上げた。
「同年代の友達がいなかった私に、北海道の白雪のおじさまとおばさまは、この屋敷へ遊びに来てくれる度に私を可愛がってくれたよ。
そして、その女の子も。
お庭に連れ出して、一緒にお花を摘んだり、落ち葉を投げ合ったり、夏は蝶々を捕まえて、冬は雪玉をたくさん作って、鼻の頭を真っ赤にして笑う子が、私は好きだった。
誰かに照らしてもらわないと輝けない月が私なら、その子は太陽。ルーペンスの天使みたいな、キラキラの笑顔で笑ってくれる子だったの。
でも」
お嬢様の顔が、少しずつ歪んでいく。
こんなにも悲しそうな、お嬢様の表情を見るのは初めてだ。
私が覚えている――もとい、記憶に残している限りでは。
「悲しい出来事が、その子を変えてしまった。
太陽は沈み、明けない闇へと落ちていく……それは、私にとって耐えられない。
だからパパにお願いして、その子を私のそばに引き寄せて、呪いをかけたの。
誰にも奪われないよう、私のものにして、大切に、大切にしまって……でも」
「おやめください」
つい声を荒げてしまった。お嬢様の言葉を遮るなど――。
だが、それ以上の言葉は許容できない。
186 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 17:52:30.20 ID:1/ZkFkMM0
「私は黒埼家に拾われて幸せでした。
お察しの通り、私がアイドルを辞める決意をしたのは、お嬢様からアイドルを引き離すためです。
このまま無茶なレッスンを続けていては、お嬢様のお身体はいずれ壊れてしまいます。
私に生きがいを与えてくれたお嬢…」
「誰かに与えられる生きがいじゃなくて」
今度は私が言葉を遮られる番だった。
私のことで、こんなに必死になられるなんて――。
「私は、もう一度、太陽が昇る時が見たくなったの。
私からアイドルを取り上げるためにアイドルを辞める? それは違う……逆なんだよ、千夜ちゃん。
私が私だけの道を歩めば、千夜ちゃんは千夜ちゃんの人生を生きられる。
そう思ったから、私はアイドルを続けるの。
千夜ちゃんにアイドルを続けてもらえるように……また、あの素敵な姿で皆を、私を明るく照らしてもらえるように。
だから」
ゆっくりと大きく息を吸い、お嬢様は目を潤ませながらニコリと微笑んだ。
「もう一度、友達になりましょう、千夜ちゃん。
主と従者ではなく、対等の……一緒に遊び回っていたあの頃の私達に、これは帰るための儀式。
今日、私の誕生日というこの日に、その素敵なプレゼントを私に与えてほしいの」
187 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 17:54:29.92 ID:1/ZkFkMM0
「……お嬢様」
「お嬢様、も止めよう?」
フフッ、と肩を震わせて、お嬢様は照れ臭そうに鼻をかいた。
お嬢様も、非常な覚悟で今日を迎えたのだな。
かつては自分のものにすることで守ろうとした私を、今日、お嬢様は手放す決意をした。
私に、自立を促すために――。
改めて、目の前の不格好なハンバーグを見つめる。
この施しを受ければ、私はこの家の従者ではなくなる――。
「もう冷めちゃったかな。長々と話し過ぎちゃった、ごめんね」
「いえ」
私はお辞儀をして、手を組んだ。
「いただきます」
それまでのやり取りもあり、おじさまも、アーニャさんもアイツも、私が最初に手をつけるのを待っているようだった。
ひょっとしたら、これが最初で最後になるかも知れない、お嬢様の手料理。
その味は――。
「どうかな?」
188 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 17:56:51.78 ID:1/ZkFkMM0
「……まずいです」
「やっぱり?」
案の定ボソボソしている。玉ねぎどころか、つなぎに小麦粉もパン粉も入っていないのではないか。
ソースも、醤油を水で伸ばしたかのようなシャバシャバとボンヤリした味わいで、中途半端な塩味が見事に口当たりを邪魔している。
一応食べてはみるものの、大きさや火の通りが不揃いのニンジンも、何故かベチョベチョに煮つめてしまったクレソンも、無い方がまだマシだ。
私の第一声を聞いて、他の皆が恐る恐るそれを口に運ぶ。
「これは……」
「ンー……」
「……味見はしたのかい? ちとせ」
皆一様に顔をしかめているのが何だかおかしくて、思わず私は吹き出してしまった。
「ちょっと! 千夜ちゃん笑わないでよ、これでも一生懸命作ったんだから」
「すみません」
コホンと咳払いをして、私は顔を上げた。
「今度、美味しい作り方をお教えしますよ、“ちとせさん”」
私のその一言に、彼女は飛びきりの笑顔をパァッと咲かせて「うんっ」と大きく頷いた。
結局、その日のハンバーグは、それぞれ半分以上ずつ残したプレートをアイツが全て平らげて事なきを得たのだった。
189 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 17:59:54.17 ID:1/ZkFkMM0
「白雪さんが、そのように思い詰めていたとは気づかず……申し訳ございません」
「いえ……私の方こそ、話をしませんでしたから」
コイツの慎重な運転で、暗い山道を下っていく。
「それに、私が勝手に考えていたことです。お前が気に病むことではありません」
泊まっていけばいいとおじさまは仰ってくださったが、お嬢様とああいうやり取りをしてなお、黒埼家の世話になるのは気が引けた。
コイツも、事務所に残してきた仕事があるという。
「すみません、アーニャさん」
「シトー?」
「今日一日、付き合わせてしまいました。
アーニャさんだけでも、泊まっていただくようお願いするべきでしたね」
「ニェット、チヨ……とても大事な日に、アーニャも一緒にいることができて、嬉しいです。
今日はチトセだけでなく、チヨの誕生日、ですね?」
190 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 18:01:01.81 ID:1/ZkFkMM0
――私の誕生日、か。
アーニャさんも、時折こうして洒落たことを言う。
それなら――そうだ。
「お前」
「はい」
「少し、寄りたい所があります。
この車で連れて行くことは、お願いできないでしょうか?」
「分かりました」
コイツは二つ返事で平然と答えた。
「お前、私がお願いしておいて何ですが……仕事は大丈夫なのですか?」
「緊急性の高いものは、それほど残しておりません」
ひょっとしたら――コイツにも、悪いことをしたのかも知れないな。
191 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 18:05:21.03 ID:1/ZkFkMM0
道順を示しながら向かった先は、黒埼家から山道を少し下った先にある小高い丘だった。
車を下の広場に止め、落ち葉が降り積もる小道を上ると、直にその上から緑に覆われた山々と、麓の街並みが遠くに見える。
だが、それは昼間の話。
夜にここに来るのは初めてだったが、時々つまずきながらそこに上っても、見晴らせるのは申し訳程度にチラホラ見える街の明かりだけだ。
おまけに今日は天気も悪く、アーニャさんの好きな星も見ることができない。
この時期としては観測史上最強の大寒波と言うだけあって、気温も真冬のように寒い。
だが、それでもここは、私にとって今日来るべき特別な場所だった。
「私が黒埼家に仕える前……よく連れられて、お嬢様と遊んだ丘です」
降り積もる落ち葉を、何となしに踏みしめる。
そうそう、ここの落ち葉を投げ合いっこしていたら、小さい虫がその中にくっついていて、お嬢様を泣かした事があったっけ。
「おじさまと……私の両親に、連れられて」
感慨が無いと言えば、嘘になる。
まさかこんな気分で、もう一度この地に来ることになるとは思わなかった。
192 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 18:06:56.62 ID:1/ZkFkMM0
かぶりを振って、足元の落ち葉を一度、軽く蹴っ飛ばしてみる。
戯れにはしゃいでみるのは――柄にも無くセンチメンタルな気分に浸るのは、今の私にはこの程度で十分だ。
「黒埼家から決別……もとい、自立をするに当たって、過去を一度、清算するべきかなと、思ったもので」
これ以上、ここにいたら凍えてしまう。
空気も随分、乾燥してきた。
「寒い中、付き合わせてしまいすみません。行きましょう」
車に戻ろうと、後ろを振り返る私の足が止まった。
目の前には、アーニャさんとアイツが、ジッとこちらを見て立っている。
「あ、あの……?」
「チヨ……」
193 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 18:11:15.86 ID:1/ZkFkMM0
アーニャさんは、それ以上何も言わない。
ただ、いつかの時と同じように――何か言いたいことがあるはずなのに、それを必死で我慢するような――。
しかし、今日のそれは笑顔ではなかった。
今にも泣き出しそうな、星空ではなく、氷のように寂しそうな瞳。
彼女の隣に立つアイツも、無言で立ち尽くし、私に何かを促している。
過去の清算、か――。
そうだな。この先、こんな気分に浸る機会はもう無いかも知れない。
「少し、話をしても良いでしょうか。
ちょっとだけ、昔の話……」
返事は無い。
だが、それが肯定を示す沈黙であることは、彼らの表情を見て分かった。
私は振り返り、遠くに広がる街の灯りを見つめた。
そして、その遙か北の先にある、私の生まれ故郷を。
「私は孤児です。
12の時に、天涯孤独の身となりました」
194 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 18:17:20.83 ID:1/ZkFkMM0
冷たく澄んだ風が、頬を切り裂く。
あの日の小樽も、これよりもっと乾いた空気だったのだろう。
「その日、私は外に出ていて、日が暮れて帰った時には、家がありませんでした。
出かける頃にはまだあったはずの家が、骨組みだけを残して、燃え尽きていたのです。
警察の話では、放火とのことでした」
背後でアーニャさんが息を呑むのが聞こえた。
私との視線が、交わることはない。
「私はともかく、両親は、恨みを買うような人ではありませんでした。
放火した犯人は、隣の家と、間違えたのだそうです。
彼が務める会社の役員が、私の家の隣に住んでいました」
会社の中で冷遇され、虐げられ、解雇された恨みを、顔も知らない上役にぶつける。
過労死するほど仕事があり、自殺するほど仕事が無いと言われるこの国で、そのような事例はどれほどあるだろう。
「近所の人達による根も葉もない噂話、消防隊や警察から聞かされた出火原因、犯人の供述、新聞やニュース……
誰の、どの話にも、当時の私が理解できるものは何一つありませんでした。
不条理で、理不尽で、まともに向き合い納得をしていたら、私の心は狂ってしまう。
だから……」
「……無視をした、ですか?」
195 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 18:20:02.58 ID:1/ZkFkMM0
修復不可能な傷を受けた心は、そのまま放っておくと他の部分まで侵食し、壊死してしまう。
当時の私は、おそらく無意識的にそう考えたのだろう。
だから、切り落とした。
悲しみも、それまでの思い出も、丸ごと投げ捨てると、私の心は文字通り軽くなった。
「実際に、家を燃やす炎を、この目で見たわけではありません。
ただ、それでも夢を見ます。炎が荒れ狂う夢……大切なものが、燃えていく夢。
いずれ失われていくものであるなら、何も求めないのだと、心に決めました」
我ながら、人の生存本能というのは大したものだと思う。
おかげで私は、負の感情に心を腐らせることなく、今も生きている。
この目に映るもの、触れて感じるものから主観を排した今では、致命的な痛みや苦しみを感じることなど無い。
そして、何よりありがたいのは、そのような人形と化した私にさえ、生きる意味を与えてくれる人がいたことだ。
「黒埼のおじさまと私の父は、古くからの友人同士だったようです。
私の境遇を知ったおじさまは、私を黒埼の屋敷へと招き入れ、そこで二年間過ごしました。その後、ルーマニアへ……。
私に良くしていただいたお嬢様は、私にとってかけがえのない、恩人と言うべき方です。
故に、アイドルになることも、アイドルを続けることも、お嬢様に依存した故の成り行きに過ぎません」
196 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/11/23(土) 18:22:43.76 ID:1/ZkFkMM0
お嬢様、か――自嘲じみた笑みが独りでに零れる。
「そう……私は、ちとせさんに依存しきっていました。
あの人の従者でいることが私のアイデンティティであり、存在の証明だった」
後ろに向き直り、黒い定規を見つめた。
コイツは、私が考えるよりもずっと、私のことを見てくれていたのかも知れない。
「お前の言うとおりだったのかも知れません。
あの人を想う私の気持ちは、真の意味での献身ではなく、従者としての存在意義を保つための私のエゴだった……それは、否定できないでしょう。
私には、何も無かったのですから」
空恐ろしくなり、膝が震えそうになるのを必死で堪える。
「無価値の私は、従者という誰にでもできる役割に自分の分を見出し、これを盾にして逃げていました。
かつてお前が言った、一歩を踏み出し、広がった世界で可能性に出会うということは、私にとってどれほど恐ろしいことだったか……。
しかし、私はもう、黒埼家から解き放たれた……自分の足で歩き、自分の価値を作り上げるというのは、気が遠くなるほどに非常なことです。
何も無い私が、憧れの対象だったちとせさんに対峙できるようになるために、お前の力を貸してください」
「何も無いなんて……言わないでください」
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