【艦これ】神風「最初の一人」

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321 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/07/12(日) 03:51:06.30 ID:N7J8Cfyv0
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男「よし」

準備運動が終わった。

久々なのでラジオ体操なんかをやってみたのだが思いの外動きを身体が覚えていて驚いた。

時刻は朝の五時半。総員起こしの六時までまだ時間はある。鎮守府は眠ったままだ。

昨夜緋色も風呂に入った後何事もなく寝てくれた。

寝巻きのつもりで持ってきていたジャージはこの時期の朝には少し寒かったが動けば問題ないだろう。

鎮守府の港側は昼夜を問わず一定の艦娘がいるのでそこを避けて回るか。

小さいと言っても一つの鎮守府だ。それでもジョギングに十分な広さはある。

自分の体力を確かめるため少し軽いペースで走り始めた。
322 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/07/12(日) 03:51:35.15 ID:N7J8Cfyv0
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男「あ」

大鳳『え』

目が合った。

走り始めて一分も経たずに。

多くの艦娘が寝泊まりし執務室などもある鎮守府で一番大きい建物。その裏にまわろうとした所だった。

茶色の入った黒髪。もみあげの長さが特徴的なショートボブ。服装は、詳しくはわからないが陸上選手などがしている露出度の高いピッチリしたものだ。ブルマではないのは分かる。

腕を振り準備運動をしている姿からこれからジョギングをしますというのが察せられる。

大鳳『』

男「」

大鳳『あー、えっと。ご一緒します?』

少し恥ずかしそうにそう提案する彼女から敵意は感じなかった。
323 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/07/12(日) 03:52:14.51 ID:N7J8Cfyv0
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男『何時もこうやってジョギングを?』

大鳳『はい。課長さんもですか?』

男『最近運動不足を痛感してね。鍛える、という程でなくとも健康体ではいたいからジョギングをしようと思いたって』

大鳳『なるほど』

装甲空母大鳳。比較的小さいと知ってはいたがこうして並んで走ると想像以上だ。叢雲より少し上くらいの身長だろうか。

男『しかし、その、意外だな。ジョギングをしている、艦娘がいるとは』

大鳳『よく言われます。なんでそんな事してるのかって。実際運動としての意味は無いですしね』

そう言って少し困ったように笑う。

艦娘に肉体的な能力の向上はない。

あまり前と言えば当たり前だ。鍛えたら船の馬力や砲の火力が上がった、なんて事はありえないのだから。

彼女達の訓練は砲撃の精度や波風を読んだ速力の出し方、回避運動の方法等の動作の練度を上げるものであり、それこそが彼女達のステータスと言える。

着任したての大鳳と歴戦の大鳳でもそのスペック自体はなんら変わらないのだ。問題はそれを使って何ができるか、だ。
324 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/07/12(日) 03:53:02.52 ID:N7J8Cfyv0
大鳳『私、走るのが好きなんです』

男『ほう、ジョギングが、趣味か』

大鳳『ジョギングというより運動が、ですかね。この身体で海で戦う以外の動きができるのが、なんだか楽しくって』

男『それは確かに、珍しい』

楽しい、と言ってから大鳳のペースが少し上がった。一応合わせてペースを上げたが、もう既にきつい。かなりきつい。久々に運動するやつのペースじゃない。

大鳳『課長さんはジョギング好きですか?』

男『き、嫌いでは無いはずだ』

畜生流石艦娘。こうして走ってるのにまるで座って話してるかのように普通に喋ってきやがる。

大鳳『あ!』キキッー

大鳳が突然ブレーキをかけた。

大鳳『すみません!その、少し休憩しますか?』

優しい気遣いだ。だが、

男『それは、有難いが、少し歩こう』ゼェゼェ

大鳳『休まなくても大丈夫でした?』

男『えっと、だな。人間は激しい運動の、後にな、急に止まると、心臓に悪い』

大鳳『へぇ。それはいい事を聞きました』

いい事?何がだ?

そう聞こうかと思ったが心臓と肺がそれを許してくれなかった。
325 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/07/12(日) 03:54:06.38 ID:N7J8Cfyv0
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港とは逆の森に面する方にあったベンチに座る。もっとも森は壁に阻まれてあまり見えないが。

朝の湿気でじんわりと湿ったベンチがなんとも言えない不快感を与えてくる。

男『』チーン

が、それよりも疲れた。

大鳳『お水持ってきましょうか?』

項垂れる俺をに鳳は心配そうに話しかけてくる。こうして座ってようやく目が合うくらいだな。

…緋色の方が胸あるな。待てそうじゃない。

男『いや大丈夫だ。久々の運動で少し身体が驚いてるだけだ』

大鳳『あ〜機関部とかも放っておくとダメになりますものね』

男『お、おう』

機関部…人間の俺には全く共感できない。

男『こりゃ帰ったら朝風呂かな』

既に背中にじんわりと汗を感じる。もう少し薄着でも良かったか。
326 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/07/12(日) 03:54:56.61 ID:N7J8Cfyv0
大鳳『…』ジーッ

男『どうした?』

依然情けなく項垂れている俺を大鳳がしゃがみこんで覗き込んでくる。

大鳳『いえ!大した事じゃないです!すごい汗だなぁと』バッ

かと思うと急に思いっきり後退りして距離をとる。

男『何もそんなに離れなくても。く、臭かったか?』

大鳳『そういうわけではなくて…なんというか、距離感と言いますか、間合い?がよく分からなくて』

そう言って一歩だけ、恐る恐る踏み出す。

それは初めて猫や犬を目の前にしてどうしていいかと慌てる子供のようだった。

無理もない。慣れていない艦娘にとって人間とはそういうものなのだろう。

男『フフッ』

大鳳『えっ!なんで笑うんですか!?』ガーン

男『いや悪い。昔の事を思い出してな』

かつて初めて艦娘に触れた時、あいつから見た俺もきっとこんな感じだったのだろう。

そう思うとおっかなびっくり近づいてくる大鳳が妙に可笑しかった。
327 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/07/12(日) 03:55:58.34 ID:N7J8Cfyv0
ようやく隣に座った大鳳が流れる汗をじっと見つめてくる。

男『汗って珍しいか?』

大鳳『確かに私達は汗とかかきませんしね。でもそれよりも、同じなんだなって思ったんです』

男『同じ?何がだ』

大鳳『提督と』

そりゃ同じく人間だしな。どう意味だ?

あまり突っ込む話題でもないと思って話をそらす。

男『いつも一人でジョギングを?』

大鳳は動きたくてうずうずしているのか座ったまま足をブラブラとさせながら話す。

大鳳『毎日走っているのは私だけですね。決まった曜日に長良ちゃんとか朝霧ちゃん達。たまに川内さん達や駆逐艦が数人』

男『意外といるんだな』

大鳳『動く事で体を起こす、というのに丁度いいんだそうです。川内さんみたいに有り余る衝動を発散させに来る方もいますが』

男『何処の川内も同じか。島風なんかはどうだ?』

大鳳『あの子はどうして皆が全力疾走しないのか本気で納得いってないみたいで』

男『島風もブレないなぁ』
328 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/07/12(日) 03:56:35.78 ID:N7J8Cfyv0
大鳳『一時期提督もジョギングをしていた事があって、その時は結構いたんですけれど』

男『あぁそれで俺と同じだと。しかし彼もジョギングを』

大鳳『本当に一時的でしたけれどね。仮にも提督だと言うのにあんまりにも貧弱だから、と叢雲が無理やり色々と鍛えようとした事があって』

男『うわぁ。さぞスパルタだったろう』

大鳳『それはもう。内容自体は提督の体力レベルに合わせてましたけど、ともかく引き摺ってでもやらせていましたから』

男『想像に難くないな』

大鳳『結果一週間と経たずに提督が音を上げて。その分仕事を頑張りだしたので叢雲も諦めたんです』

男『諦めたのか。てっきり無理矢理でもやらせるものと』

大鳳『それくらい提督の拒否反応が凄かったんですよ。大好きだった唐揚げが喉を通らなくなったそうですし』

なんかそれ前にも聞いたな。唐揚げ嫌いにそんな理由があったとは。
329 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/07/12(日) 03:57:19.75 ID:N7J8Cfyv0
大鳳『一年前の事なのにもう随分昔の事のように感じます。あの時もこうやって』

男『お、おい?』ドキッ

大鳳が俺の身体に顔を近づけ匂いを嗅ぐ。小柄な女性に匂いを嗅がれるというなんだ、なんだこの状況。

ただでさえ今の大鳳の服装は非常に露出が多い。失礼な感想かもしれないが陸上選手はよくこの格好で人前に出れるものだ。

大鳳『私達からはしない匂いです。でもどこか知っている匂い』

男『海の男達か』

大鳳『血なまぐさいよりはいいでしょう』

男『…さてもう一走りするか』

大鳳『もういいんですか?』

男『あぁ』

走ってもいないのに鼓動が早くなる心臓をとりあえず抑えたかった。

大鳳『でしたらその前に一ついいでしょうか』

男『なんだ?』

大鳳『その、汗を!舐めてみてもよろしい、でしょうか』ズイッ



男『はい?』
330 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/07/12(日) 03:57:59.27 ID:N7J8Cfyv0
大鳳『ですから、課長さんの汗をですね』
男『いやいやなんでだ!なんで汗を舐める!?』

大鳳『大した意味は無いんです。興味本位というか』

大した意味があろうがなかろうが汗を舐めるってどういう事だ。

男『いや流石にそれは…』

大鳳『すみません。やっぱり失礼だったでしょうか』シュン

男『んー失礼かと聞かれると、あまりにも予想外すぎて最早そういう次元じゃないというか…なんでまた?』

大鳳『以前飛龍さんが言ってたんです。提督の汗は海みたいにしょっぱかったって。それが気になっていて…』

男『…なら提督に提案してみたらどうだ』

大鳳『そ、それは!恥ずかしいデスシ…』カァァ

あ、そういう恥じらいはあるんだ。

ビビって離れたかと思えば至近距離で匂いを嗅いだり、確かに距離感の取り方がめちゃくちゃだ。価値観がよくわからん。

このままだと本当に舐められかねないのでとりあえず走ろう。
331 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/07/12(日) 03:58:38.71 ID:N7J8Cfyv0
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大鳳『もうすぐ六時ですね』

男『あぁ、そろそろ戻ろうか』ハァハァ

大鳳『明日も走りますか?』

男『身体が持てばそうしたいな』

想像以上に鈍っていた身体が今日一日でこの疲労を回復できるかはちょっと怪しい。

大鳳『こうして誰かと走っていると、あぁちゃんと地に足が着いてるんだなあって実感できるので、出来ればまたご一緒させて下さい』

男『大事なのか?誰かと一緒というのが』

大鳳『海だとこんなに近くに並んで航行は出来ませんから。この身体で陸を歩けるからこそなんです』

そう言って大きく伸びをする。

脇…じゃない。

腕や足、腰や腹。どこを見てもとても軍人とは思えないほど華奢だ。引き締まってはいる。だがやはりこれでは陸上選手とすら言えないだろう。

そんな身体で、海を渡り戦場を駆け抜けている。

男『なるほど。善処するよ』

その助けになるなら、ジョギングくらい軽いものだ。

男『なら、約束ついでにひとつ聞いてもいいか?』

大鳳『いいですよ?私で答えられることなら』
332 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/07/12(日) 03:59:29.06 ID:N7J8Cfyv0
男『こんなことを聞くのは失礼だとは思うんだが、その、どうして"人間"と走ろうと?』

大鳳『あ〜、そこですか…そうですよね』

少し寂しそうな表情が返ってくる。だから聞きたくなかったのだが、しかしここはハッキリさせておきたい所でもある。

大鳳『私ここに着任してまだ日が浅いんです。と言っても一年半程前ですが。その、人間は確かにあまり好きとは言えません。でも他の皆さんや、加賀さんみたいに蛇蝎の如く人間を嫌う程の理由はまだないんです』

確かに新米であればそれだけ人との関わりは少ないだろう。あの距離感の取れなさもそれか。

それより今加賀を殊更強調して言ったな。正規空母加賀。要注意かも知れないな…

大鳳『それに、私達空母には飛龍さんがいるじゃないですか』

男『あぁ。なんとなく分かったよ』

大鳳『ふふ、凄いですよねあの人』

男『それには同意だな』

大鳳『飛龍さんだって嫌な思いはしているはずなんです。でもあの人はいつだって人間の事を信じてる。確かに私だって人間が皆私達を忌み嫌っているとは思いません。

でもわざわざ人間の肩を持とうとも思いませんでした。何処にいるかも分からない優しい人間を信じる理由がないですからね』

それはきっと正しい。

人間が艦娘に抱く恐怖にも似た感情は迫害だとか差別と言った類のものではない。

生物的な本能。"これは違う"という拒否反応。

それがない者が、まともな感性が壊れているものこそが提督と呼ばれるある種の才能を持った人間なのだから。

大鳳の言う"優しい人間"なんてのは本質的には存在しないのかもしれない。
333 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/07/12(日) 04:00:26.75 ID:N7J8Cfyv0
大鳳『人間の事を話す時の飛龍さんはいつもキラキラとした目で、まるで水平線の向こうを見るかのように私には見えないどこか遠くを見ているんです。それが、私の憧れなんです』

男『確かに。あいつの価値観は変わっている。あんな艦娘に出会ったのは初めてだ』

大鳳『だから応援してますよ。貴方の事も』

男『俺も?』

大鳳『提督とは違うけれど、貴方もまた変わった人間です。だから飛龍さんや緋色ちゃん、そして私達にとってこの出会いがいいものでありますように』スッ
男『え』

一瞬何が起きたか分からないほどスムーズにこちらに近づいてきた大鳳がそのまま背伸びをし、疲れて立ち尽くしていた俺の首筋に流れる汗をペロリと舐めた。

男『お!おま!?』

大鳳『あ、本当にしょっぱいんですね。でも海ほど濃くは無い』

男『』

大鳳『不思議ですね。私達からはそんなもの生まれないのに。それでは課長さん、また明日』

男『…オウ』

大鳳が駆けて行く。




男「風呂入ろ」
334 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/07/12(日) 04:01:23.95 ID:N7J8Cfyv0
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秋雲「え、で、何?朝から上司に競技用ユニフォームという中々フェチ度の高い服装の小柄な少女に汗を舐められた事を相談された私はどう反応を返したらいいわけ」

男「やめろ反復するな」

画面の中の秋雲が凄い冷たい視線を送ってくる。

朝風呂に入り自室に戻った俺はとりあえず秋雲と話す事にした。

秋雲「課長はホントさあ…動揺してるのは分かるけどとりあえず頭乾かしたら?」

男「そのうち乾くだろ」

秋雲「まだ少し涼しい時期だし湯冷めするよぉ。あ、緋色ちゃんはまだ寝てるの?」

男「あぁ。起床時間は過ぎてるけど、昨晩風呂に入ったせいで寝るのが遅かったしもう少し寝かせておこうと思う」

秋雲「別に艦娘なら寝たっていう事実があれば睡眠時間なんて気にしなくていいと思うけどね」

男「…緋色はまだ"艦娘かどうか"すら定かじゃないよ。名前が見つかるまで油断はできな」

秋雲「言うと思った。で、要件は?まさか舐められて興奮したとか脇フェチでしたとかいう告白が目的じゃないでしょうねえ」

男「違うわ」

先の出来事が頭から離れないからとりあえず誰かに話してしまいたい、というのは確かだが。
335 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/07/12(日) 04:03:09.43 ID:N7J8Cfyv0
男「艦娘にとって匂いというのがどういう意味を持つのか気になってな」

秋雲「あぁ、そこか。確かに匂いって今までになかった観点よねえ」

男「ちなみにお前はどうなんだ?匂いとか」

秋雲「"今の私"にわかると思う?」

男「…だな。何か匂いに関連する物を少し調べたりして欲しい」

秋雲「はいは〜い。それじゃ課長、ハーレム目指して頑張ろぉ!」

男「誰が目指すか」

秋雲「あーそうだ忘れてた!昨日のお風呂イベントは何か面白いことあった!?」

画面から飛出てくるんじゃないかという程顔を近づけて興奮気味に聞いてくる部下。

男「大変だったよ…全裸で、いや全裸なのは当たり前なんだが、脱衣場に俺がいるにも関わらず普通に出てくるしな」

秋雲「どうだった?ロリっ子の全裸」

男「思い出させるな…まあ自分がロリコンの変態じゃないと分かったのは安心したが」

秋雲「え…課長ロリコンじゃないの…?」

男「なんでそこで驚くんだよ!?」

秋雲「いやぁてっきりロリコンだからこの秋雲さんを手篭めにしたのかと」

男「何が手篭めだ勝手に話を盛るな。でもやっぱ裸を見たという事実はこう凄い罪悪感がな…」

秋雲「真面目ねぇ…でも同じロリ体型なのに大鳳にはときめいたんだ」

男「ときめいてねえって」
336 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/07/12(日) 04:03:44.94 ID:N7J8Cfyv0
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叢雲『アナタ、朝大鳳とジョギングしたそうね』

男『情報早いなおい』

緋色の部屋に朝食を持ってきてくれた叢雲が早速話題を振ってきた。

叢雲『空母と駆逐の情報伝達の速度は凄いわよ。砲弾並みね』

男『それは恐ろしい…』

緋色『課長さんジョギングしてたの?』

男『あぁ。身体が鈍ってたからな』

緋色『へ〜いいなぁ』

叢雲『ジョギングか、ありかもね』

緋色『本当!?』

叢雲『考えとくわ。運動は大事だものね』

そう言いながら机に朝食を並べていく。

飛龍なんかは運ぶの楽だからと丼物や麺類ばかりだが叢雲は毎回和食を持ってくる。こだわりなのだろうか。
337 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/07/12(日) 04:04:36.07 ID:N7J8Cfyv0
男『いい匂いだ』

今日の魚は鯵か。

叢雲『護衛の代金に貰ったりしてるのよ。今日のは釣れたて』

緋色『本当にいい匂い!ん?』

男『どうした?』

緋色『…ん?ん〜』クンクン

目を瞑り子犬のように鼻で匂いを辿っている。

男『?』

叢雲『一体何が…え』

少し辺りを嗅ぎ回り、最終的に叢雲の目の前でピタリと止まった。

叢雲『?』チラリ
男『?』チラリ

思わずお互いに目を合わせる。一体どうしたんだ?

緋色『なんだかいつもと違う匂いがする』

叢雲『え?』

男『違うってどんな?』

緋色『う〜ん…上手い言葉が見つからないのだけれど、そうね。いつもは海の匂いなのよ。飛龍さんや江風もそう。それに焦げ臭い感じの匂いや、鼻につく変な匂い。でも今日は嗅いだことない匂いなの』
338 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/07/12(日) 04:05:07.71 ID:N7J8Cfyv0
叢雲『匂いって言われてもねぇ』クンクン

男『今朝は何食べたんだ?』

叢雲『まだこれからよ。それまでだって特にいつもと変わった事はー…ぁー…』

男『叢雲?』

緋色『?』

フリーズした。叢雲がフリーズした。それに心無しか顔が青ざめているような。

叢雲『用事思い出したわ』スッ

男『え、おい』

叢雲『それじゃ召し上がれ』バタン

追求したらコロスとでも言わんばかりの勢いでドアを閉め出ていってしまった。

緋色『…えーっと、いただきます?』

男『あぁ、うん。食べようか』

なんだったんだ?
339 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/07/12(日) 04:05:46.35 ID:N7J8Cfyv0
しかし匂い、また匂いか。

男『なあ緋色、俺ってどんな匂いがする?』

緋色『匂い?んー…男の人の匂い、かしら』

男『…臭い?』

緋色『臭くはないわよ。でも皆と違って、変わった匂いだわ』

加齢臭?加齢臭か!?いやまさか、俺はまだおじさんて歳じゃねえ。断じてねえ!!

緋色『そうだ!私は?私はどんな匂いがする?』

男『緋色の、匂い?いやそれはちょっと』

緋色『なんでよ、気になるじゃない』

男『う…』

だって匂い嗅いだらこう、犯罪臭がするし…緋色からじゃなく俺から。

緋色『ほら』

食事の並べられた机の前に行儀よく正座した緋色が目で早くと訴えかけてくる。

腹を括るか…考えてみりゃ別に理由があってやるわけだし、何かいかがわしいと考えるからそう思えるんだ。

緋色の、文字通り緋色の髪に顔を近づける。

男『…』クンクン
緋色『どう?』

男『シャンプーの匂いがする』

緋色『あー』
340 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/07/12(日) 04:06:19.95 ID:N7J8Cfyv0
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男『そろそろお昼だな』

緋色『疲れたぁ…』

艦娘になる為、という名目の勉強会はある意味順調だ。緋色が意識を失う事はほとんど無く、抜け落ちていた知識などを補えている。

最も肝心な記憶の方はサッパリだが。

男『昼食までまだ時間があるな。休憩にしよう』

緋色『ふわぁい』

ぐったりと
机につっぷす
ピンク色

男『歴史嫌いか?』

緋色『嫌いではない、と思う。でもどこの国でも戦争は嫌よ』

日本史から遠ざけ世界史に触れさせてみたが、戦争というだけで精神的に負担になっているのだろうか。

男『これが終わったら緋色の興味ある歴史にするか』

緋色『私古墳とかはにわがいいわ!』

男『中々微妙なところ突いてくるな』
341 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/07/12(日) 04:07:05.37 ID:N7J8Cfyv0
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緋色に教材代わりのタブレットを渡し部屋を出る。意外にも読書好きなのか電子書籍を暇さえあれば漁っている。

男『さぁて』

今の時間なら昼食には間に合うだろう。端末を取りだし電話をかける。

叢雲『もしもし…何かあった?』

俺からの唐突な電話に真剣な声になる叢雲。

男『大丈夫だ。緋色の事じゃない。その、少し電話を借りたくてな』

叢雲『電話を?』

鎮守府で外と連絡を取る手段は制限されている。この端末も連絡ができるのは鎮守府内だけだ。その為外に電話をするには借りる必要がある。

叢雲『そうねぇ。ビーチ、って言っても分からないか。前に見せたPCとかゲーム機が色々置いてあった場所があるじゃない?みんなのたまり場でビーチって呼ばれてるのだけれど、そこに電話があるわ』

男『何故ビーチ…いやしかし、そのだな』

叢雲『ま、そんなたまり場にアナタ一人が行くってのはちょっと問題よね』

男『あぁ。また瑞鶴辺りに睨みつけられたらたまらん』

叢雲『それとも、そういう回線じゃかけたくない相手、なのかしら?』

男『んー微妙なところだな』

叢雲『微妙って何よ微妙って』
342 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/07/12(日) 04:07:39.20 ID:N7J8Cfyv0
鎮守府の数少ない外と繋がる回線は当然監視されている。機密が漏れたりしたら事だし当然ではある。

だからまあ内緒話には向いてない。

叢雲『執務室に行ってちょうだい。司令官の部屋に電話があるわ。最もこっちだって監視はあるけれど』

男『それで十分だよ。ありがとう』

電話を切り執務室に向かう。お昼前という事もあって建物の中に艦娘の姿は殆どなかった。
343 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/07/12(日) 04:08:11.22 ID:N7J8Cfyv0
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提督「おはようございます、と言うべきですかね」

男「どちらでも構いませんよ。しかし…」

提督はデスクで作業をしていた。していたのだが、

男「何やってるんです」

提督「ほら、もうそろそろ梅雨じゃないですか」

男「えぇ。確かにもう何時梅雨入りが発表されてもおかしくは無いですね」

提督「そうなると駆逐艦なんかがよくこれを持ってくるんですよ。ですからお礼にコチラもこれをあげようと思いましてね」

男「…てるてる坊主を」

提督「はい。とりあえず20個くらい作ろうかなと」

男「てるてる坊主を」

提督「ちゃんと作ろうとすると意外と難しいんですよねぇ」

これは流石にサボりじゃなかろうか。俺がとやかく言うことではないが。
344 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/07/12(日) 04:08:45.88 ID:N7J8Cfyv0
男「えっと、今回は電話を借りたくて来たのですが」

提督「叢雲から聞きましたよ。そこの扉から私の部屋に入って向かって右の所にあります。ご自由にどうぞ」

男「え、部屋入ってしまっていいんですか」

提督「構いませんよ?見られて困るような部屋でもないですし。あーでもベッドの下はNGで」ハハハ

男「はぁ」

ベッドの下?掃除してないのだろうか。だとしてもそんなとこ覗く奴いるのか?

執務室の奥にある扉を開け部屋に入る。

簡素な部屋だ。ビジネスホテルの一室といったイメージになる。

ベッドに小さなデスク、本棚とクローゼット。あくまで寝るだけの場所、ということか。

脇にあった電話を手に取り番号を押す。

今回は別に盗聴なんかを気にする必要は無いだろう。
345 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/07/12(日) 04:09:18.50 ID:N7J8Cfyv0
繋がった。

「」

男「もしもし?」

「ふぁい、もひもひ」

男「おい今何食ってる」

「モグモグ」

男「…」

「ゴックン お饅頭です」

男「今お昼だぞ…」

「ほら、ウチの子達結構な頻度で各地に飛んでて、その都度お土産買ってくるのでタイミングが合うとお菓子が沢山溜まるんですよ」

男「だからって今食う事はないだろ。身体に悪いぞ多分」

「大丈夫ですよ。一応そこそこ丈夫ですし、あれから身体が成長する様子もないので気にしてません」

男「さいで…で、一つ聞きたい事が出来たんだが今いいか?しーちゃん」

しーちゃん「大丈夫です。食べながらでよければ」

男「いや食べるのは一旦やめろ」
346 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/07/12(日) 04:09:56.53 ID:N7J8Cfyv0
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しーちゃん「ふむ、"匂い"ですか」

男「あぁ。これまで気にした事は無かったんだが、しーちゃんは何か心当たりとかないか?」

しーちゃん「秋雲さんには聞いたんですか?」

男「アイツは、ほら、分からねえって…」

しーちゃん「なるほど。そうですねえ、匂い…心当たりはありますね」

男「本当か!」

しーちゃん「はい」ビリビリ

男「…次はなんだ」

しーちゃん「シューアイスです。ちょうど良い感じに溶けてますねぇ。一応私達グッズとかも出してるので出来れば食べ物なんかとコラボしたいと考えたりはしてるんですけど、これが中々上手くいかないんですよ」

男「なんでだ?」

しーちゃん「食べ物っていうのは人の生活にモロに関わる部分ですからね。そういう所に艦娘が関わるのを良しとする人は少ないんです。あとは利権絡みですねぇ」

男「なるほどね、って今はそれはいいんだよ」

しーちゃん「冷たっ!まだ溶けきってなかった…」
347 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/07/12(日) 04:10:34.30 ID:N7J8Cfyv0
男「で!心当たりって!」

しーちゃん「私達三課は当然というか人と関わることが多いです。そうやって人と仕事をして帰ると、たまにあるんですよ」

男「何が」

しーちゃん「この前そちらに伺った北上さんなんかもそうですね。他の娘が人と接触して帰ってきた時言うんです。"人と合ってたの?"って」

男「!」

しーちゃん「そういう娘達に色々聞いたこともあります。でも皆あやふやな感じで、そういう気がした、そんな匂い、気配がしたとか言うんです」

男「匂いに限らないのか」

しーちゃん「私の見解としては、匂いではなくそれに準ずる何か。彼女達艦娘しか感じ取れない感覚的な物じゃないかと」

男「それは人と会った時だけなのか?」

しーちゃん「今のところ、私が知る限りはですが」

男「ふむ」

人と会う、か。この鎮守府で人と言うと俺か提督しかいない。

しかし提督だとしたら秘書艦の叢雲は常にそういう匂いがするんじゃないだろうか。

俺、はないだろう。接触する機会はどう考えても提督より少ない。その密度も。
348 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/07/12(日) 04:11:08.29 ID:N7J8Cfyv0
男「北上なんかが何か感じ取った時の"人と会う"ってのは具体的にどんなレベルの接触なんだ?」

しーちゃん「そうですね…」ウーン

しーちゃんが何やら考え込む。

考え込んでるのか?聞こえないようにお菓子食ってんじゃねえだろうな。

しーちゃん「この前そっちの鎮守府に行って貴方に会った時なんかも言われましたよ」

男「俺?」

あの程度の接触で匂いがするなら叢雲はやはり常にそういう匂いがするはずだ。そもそもあの時は緋色もいたし。

男「ぁぁああ分からん。艦娘ってのは本当に分からん」

しーちゃん「頑張ってくださいね。調査員さん」

男「声援より応援が欲しいな。誰か空いてる人員いないのか?」

しーちゃん「ウチもカツカツなので」

男「あれ、というか緋色の名前知ってるのか」

しーちゃん「報告者には目を通してますから」

男「相変わらず情報の早い事で」

しーちゃん「それではまた、息災で」

男「あぁ、ありがとう」
349 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/07/12(日) 04:11:49.63 ID:N7J8Cfyv0
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

緋色の部屋に戻りながらしーちゃんの話を頭で反復する。

男「匂いかそれに近い何か、か。少なくともそういった感覚があるのなら緋色はある程度艦娘としての力や感覚はあるわけだ」

そこは少し安心出来る。

緋色の部屋の前まで来て中から飛龍の声がした。どうやら今日の昼食の当番は飛龍らしい。

男「…」

そっとドアに近寄り耳を澄ます。些か罪悪感を覚える行為ではあるが緋色がどういった反応をしているのか気になるのは確かだ。

緋色『じゃあ飛龍さんも釣るの?』

飛龍『私は釣りはからっきしなのよねぇ。蒼龍によく飛龍は大雑把過ぎるって言われる』

緋色『あー』

飛龍『しちゃう?やっぱ納得しちゃう?』

緋色『はい…』

飛龍『ま、これも私の持ち味って事よ。大胆さなら負けないわ』

大雑把から大胆に変化した。こういうのは捉え方にもよるから間違いではないが。

しかし二人きりでも思ったより緋色は飛龍と仲良くしているようで安心した。
350 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/07/12(日) 04:12:32.01 ID:N7J8Cfyv0
緋色『うーん、飛龍さん今日は潮と、焦げ臭い?』

飛龍『え゛嘘!?取れてない!?今日午後は出撃ないからちゃんとお風呂入ったんだけどなあ…どれくらい臭う?』

緋色『えっと、鼻に来る感じじゃないんです。私もちょっとなんて言ったらいいか分からなくて』

飛龍『…あ〜そういう奴か。そっかそっかぁ緋色ちゃんそういうタイプか』

緋色『タイプ?』

飛龍『大丈夫大丈夫。それ匂いじゃないから、多分ね。でもこの手の話は私イマイチわかんないよのね』

緋色『今朝、叢雲の匂いも少し変だったの』

飛龍『叢雲も?ん、しかも今朝?』

緋色『うん。初めてする匂いだった。叢雲にそれを話したら、なんだか慌てて出て言っちゃって』

飛龍『ブッ』

緋色『飛龍さん!?』

飛龍『待って…ククク、一分待って…フフッ』

そこから本当に一分近く擽りの拷問にでも耐えるかのような声が続いた。
351 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/07/12(日) 04:13:21.81 ID:N7J8Cfyv0
飛龍『まずね、匂いに関してはあまり言及しない方がいいわね』

緋色『いけない事だったかしら…』

飛龍『んーこれに関しては叢雲が気にするかどうかの問題だから緋色ちゃんは悪くないわよ』

緋色『ならどうして?』

飛龍『叢雲はねぇ、十中八九昨晩提督と寝たのよ』フフフ

緋色『ねた?』

提督とねた。ねた?

寝た!?

衝撃で思わず身体が強ばる。つい身体を揺らして扉がガタと音を立てるくらいには。

男「ヤベ」
飛龍『てーーい!!』バン

反射的に扉から離れた瞬間勢いよく開いた。

男『…』

飛龍『…』

男『…』

飛龍『キイテタ?』

男『キイテタ』

飛龍『oh…』

緋色『あ、課長さんおかえり〜』
352 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/07/12(日) 04:14:10.92 ID:N7J8Cfyv0
飛龍「課長さん」

飛龍が顔をずいと寄せて、わざわざ人間の言葉で俺に話しかけてくる。

飛龍「今の話絶対叢雲にしない事。いい!?」

男「お、おう、分かってるって」

飛龍「頼むからねぇ。これバレたら私死んじゃうから多分」

男「そんなにか」

飛龍「ぶっちゃけ叢雲の事に関しては皆結構察してるのよ。今朝だってまた変な寝癖残ってたり服もシワシワだったりとかでさ」

男「…」

全然わからなかった。一目見てそれが分かるのもどうかと思うが、そういう所はやはり艦娘ど同士、女同士だからこそなのだろう。

飛龍「特にその、課長さんにバレるってのは叢雲的に結構大ダメージっていうかね、うん」

男「まあそうだろうな。分かった気をつける」

緋色『二人ともお昼ご飯食べないのー?』

飛龍『食べるー!』
353 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/07/12(日) 04:14:48.72 ID:N7J8Cfyv0
男「待ってくれ、一つだけ」

飛龍「何?」

男「結局匂いって何なんだ?」

飛龍「私もね、そういうのがわかるって訳じゃないから聞いた話なんだけど、なんでも"情景"って表現が一番近いそうよ」

男「情景…」

提督と叢雲の、情景?

…深く考えるのはよそうかな。
354 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/07/12(日) 04:20:52.61 ID:N7J8Cfyv0
しーちゃんはお菓子好き

艦娘は何処まで人間の機能を有して何処から人間では無くなるのか。
今回は艦娘に食べたり出したりという生物的なサイクルは無いという話。
それはそうとなんでも今回の大規模作戦非常に札が多いそうですね。
ウチはどの道足りないのでいいのですが。
355 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/07/13(月) 20:48:45.72 ID:vts/MIQxo
おつです
艦娘と人間の種族としての違いに丁寧にフォーカスした続きの気になる話

むらむら叢雲
356 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/08/03(月) 03:20:22.50 ID:Lcr1vf/j0
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

叢雲『ただいま』

提督「おかえりー」

叢雲『…何してるの』

提督「てるてる坊主をね。お、これはいい感じ」

よしこいつには後で然るべき処置を行おう。

でもその前に

叢雲『課長、電話借りに来たわよね』

提督「あぁ来たよ。五分くらいの短い会話だったけどね」

てるてる坊主作りに夢中な奴の時間感覚は宛に出来ないわね。

叢雲『どんな様子だった?』

提督「様子?別にいつも通り、あーでも終わった後なんだか釈然としないって顔してたかな」

叢雲『へぇ、そう』

提督「そうだ。叢雲も作るかい?てるてる坊主」

叢雲『パス。アンタが仕事に取り掛からない限り雨は降らなさそうだもの』

提督「え、どういう意味」
357 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/08/03(月) 03:21:03.65 ID:Lcr1vf/j0
叢雲『なんでもないわ、それじゃ』

提督「えー」

叢雲『…もうひとついい?』

提督「まだ何か?」

叢雲『私って、臭う?』

提督「におう?え、匂い?匂い…考えた事もなかったな」

叢雲『って事は特にないって事よね!』

提督「まあそうなる、かな。仮に今何か匂いがするなら僕と同じ匂いなんじゃない?それだと僕には分からないかも」

叢雲『確かにそうね…』

提督「後はほら、僕の布団の匂いとか。でもアレ昨日干してくれてたしなぁ。太陽の匂いかもね」

叢雲『そうであると祈っておくわ…』

もし私達には分からない匂いが付いていたらどうしよう…最悪実は皆にバレてました〜なんて事に…

一旦この事は置いておこう。
358 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/08/03(月) 03:21:55.08 ID:Lcr1vf/j0
執務室を後にする。

あの男は確かに司令官の部屋から電話をかけた。時間も決して長くはなかったでしょう。

端末を取り出して連絡先を選ぶ。

叢雲『もしもし、夕張。今空いてる、わよね?』

夕張『はいって言わないと怒られる圧を感じた』

叢雲『当たり前でしょう。この時間仕事は入れてないはずよ』

夕張『プライベート中ですぅ』

叢雲『なら丁度いいわ。仕事よ』

夕張『プライベートって答えたのに間髪を入れず仕事しろと言われた』

叢雲『必要な時に必要な事をするのが私達の仕事でしょ。司令官の部屋の電話、ログを私の端末に送っておいてちょうだい』

夕張『急ぎで?』

叢雲『どれくらいかかるの?』

夕張『ログだけならすぐにでも。中身はちょっとかかるかも』

叢雲『なら取り急ぎログだけでもお願い』

夕張『例の映像とこっちと、どっちが優先?』

叢雲『支障がないならこっちで。頼んだわよ』ピッ

あの男のかけた連絡先。それだけで非常に価値がある。

そういえば司令官はなんか釈然としない顔とか言ってたわね。

一度様子を見に行こうかしら。
359 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/08/03(月) 03:22:48.65 ID:Lcr1vf/j0
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

叢雲『あら、また電話かしら?』

男『違うよ。御手洗に行くだけだ』

丁度緋色の部屋から出てきたところに出会した。

叢雲『いまあの娘は?』

男『海について勉強中。準備が出来たら海に出れるんだろ?そのために』

叢雲『なるほどね。準備の方は順調よ。明後日、くらいかしらね』

男『それは重畳。緋色に用か?』

叢雲『ちょっと様子見に』

男『なら、はい』カチャ

叢雲『ん』

私に鍵を渡してそのままスタスタとトイレに向かう。

鍵か。あの娘に随分と甘いように見えるけどこうして今でもしっかり鍵をかけていく。私なんかは別に鍵がなくてももう大丈夫なんじゃないかと思ってるのに。

彼だからこそ分かる危険性があるのか、それとも他の理由か。

叢雲『悩んでも分かるわけないか』ガチャ
360 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/08/03(月) 03:23:32.57 ID:Lcr1vf/j0
緋色『ん、あら?課長さん?』

叢雲『勉強は順調そうね』

緋色『あっ叢雲!丁度良かったわ』

叢雲『丁度良かった?何かあるの?』

緋色『うん。大した事じゃないんだけど。叢雲は何か用?』

叢雲『貴方の様子を見に来ただけよ。それと海に出るって話、明後日位にはいけそうよ』

緋色『ホント!?やった!』

叢雲『その為にもしっかり勉強しなくちゃね』

緋色『はぁい』

叢雲『でも勉強って何やってるの?』

緋色『今は法律よ』

叢雲『あぁ、そうね。それがあったか』

車両に道路交通法があるように船にも海上交通安全法がある。

海なんて広いのだから大丈夫だろうと考える人は多いらしいが海は一つ一つのスケールが陸とは大違いになる。大型船が沈もうものならどれだけの被害になるか。

加えて深海棲艦への対応や艦娘の海上での扱い、船との違いや規則。それらはここ数年で漸く法律でキッチリと定められた。
361 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/08/03(月) 03:24:17.41 ID:Lcr1vf/j0
緋色『覚える事が結構多いわよね』

叢雲『船だけの時は少なかったのだけれどね。今は細かい所まで法律で決められているから』

緋色『これなんか随分最近に出来たものみたいだけれど、これからも増えるのかしら』

叢雲『でしょうね。特に私達の扱いなんかは今もあちこちで揉めてるし、選挙で大きく取り上げられる題材でもあるもの』

緋色『…なんだか大変ね』

叢雲『まあそうね。別にどうでもいい、と言いたいところだけれど、こっちが必死に戦ってる後ろでギャーギャーと言い争ってるのは正直気分悪いわね』

緋色『叢雲?』

叢雲『!ごめん、忘れて』

緋色の心配そうな表情で我に返る。またこれだ。すぐカッとなるのは悪い癖よ叢雲。

叢雲『ところで緋色の用って何?』
362 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/08/03(月) 03:24:51.67 ID:Lcr1vf/j0
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

緋色を海に出すとして先導は誰が良いだろうか。

そんなことを考えながらトイレを出て廊下を歩く。

叢雲が理想ではあるがアイツも秘書艦だ。そこまで時間を割くのは難しいだろう。となるとやはり江風か。

んーあまり江風の人となりを知らないからなんとも言えない所はあるが、あまり適任とは思えないんだよなぁ。

他にも協力的な艦娘がいればいいが。

増えていくばかりの課題に頭を悩ませながら緋色の部屋の扉に手をかける。

しかし僅かに開きかけた扉から聞こえて来た声に思わず手を止めてしまった。


緋色『提督と寝たってどういう意味なの?』


男「」
363 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/08/03(月) 03:25:30.37 ID:Lcr1vf/j0
緋色ぉぉぉぉ!!??

なんで聞いた!?直で!何で!?飛龍に叢雲には言うなって言われて…言われ…

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

飛龍「今の話絶対叢雲にしない事。いい!?」

男「お、おう、分かってるって」

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

言われてねえ!!!あの時俺が盗み聞きしたせいで緋色に忠告してないんだ!!

ど、どうする…

僅かに開けた扉の隙間から中の様子を見てみる。

叢雲『』

固まってる。

こちらに背を向けて座っているから顔は見えないが十中八九固まってる。

緋色もそんな叢雲を不思議そうに見つめている。

そっと扉を閉め今来た廊下を戻る事にした。

絶対に、絶対に今聞いてしまったと悟られるわけにはいかない。
364 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/08/03(月) 03:26:12.92 ID:Lcr1vf/j0
トイレの前まで戻ってきたがどうしようかこれ。正直混乱していて考えがまとまらない。

すると緋色の部屋の扉が物凄い勢いで開いて叢雲が飛び出してきた。

男「やっべ」

どうしよう。どうすんのこれ!?

廊下にいる俺を見つけるやいなや叢雲が全力ダッシュで詰め寄ってくる。

男「うわっ!?」

ぶつかるかと思った衝撃を直前で綺麗に殺してそのまま俺の胸ぐらを掴んできた。

圧倒的身長差にも関わらず俺を僅かに屈ませたその小さな手の力はとてもさからえる物じゃないと本能が訴えていた。

叢雲『どういうことよ!!』

男『な、何が!?』

叢雲『とぼけないで!アンタが漏らしたんでしょ!』

男『ちげえ!俺じゃねえ!!』

ここままこの真っ赤な青鬼に絞め殺されるんじゃないかと割と本気で思った。

もはやいい訳ではなく命乞いの気分だ。
365 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/08/03(月) 03:28:43.68 ID:Lcr1vf/j0
が、

叢雲『…へぇ、漏らしたってなんの事か分かってるわけ』

男『は?………あ』

やっべぇ…テンパって口走ってしまった。というか叢雲が恐ろしいほど冷静だった。

叢雲『つまり知っているのはアナタと緋色…いや、そもそもなんで…飛龍!?』

男『』

今なお顔は真っ赤なのに推理がどんどん進んでいる。この文字通り脳ミソが複数あるかのような思考は流石艦娘だ。

よく見れば頭のあのアンテナみたいなやつが紅く光っていて僅かに煙まで出ている。フル回転してるようだ…そして

叢雲『…ねぇ』

もう殆ど泣いてると言ってもいいような顔で最後の推測を確かめてくる。

叢雲『誰が何処まで知ってるの』ウルウル

男『お、俺は飛龍から聞いただけだからなんたも…』

もうこれは話すしかないな。
366 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/08/03(月) 03:29:24.50 ID:Lcr1vf/j0
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

叢雲『緋色の言ってた匂いの事を飛龍に話したわけか』

男『そしたらピンと来たみたいでな。その提督と、って話を』

叢雲『…そう』

いちいち目を逸らされるのはこっちも精神的にきつい。

男『あー!でも飛龍は口外するなって必死に言ってきたから多分広めてるわけじゃないと思うぞ!』

叢雲『ホント!?』

男『あぁ。緋色には言い忘れてたようだが…』

叢雲『そうよね、あの子も別に軽薄って訳じゃないのだし』

そうかなぁ。

それ以前に飛龍以外にも普通に気づいている娘は多いって話もしてたが、言わないのは嘘じゃないからセーフだ。
367 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/08/03(月) 03:30:04.91 ID:Lcr1vf/j0
叢雲『でも結局匂いってなんなのかしら』

男『飛龍は何か知ってるみたいだったぞ』

叢雲『飛龍が?』

男『緋色の事をそういうタイプかって言ってたし、匂いの事も情景だとかなんとか。聞いた話らしいが』

叢雲『なんだか余計分からない言い方ね』

男『だよな。緋色は俺からは男の人の匂いがするとか言ってたよ。緋色からはシャンプーの匂いがした』

叢雲『昨晩入ったばかりだものね』

男『となると叢雲のも案外シャンプーとかの匂いだったりするのかもな』

叢雲『シャンプー?なんでよ』

男『そりゃあ、そのほら、風呂入るだろ?』

叢雲『入るけど、昨日の夕方よ?流石に匂いは残らないでしょ』

男『え、入ってないの?』

叢雲『え?私朝風呂の習慣はないわよ』

男『え゛』

叢雲『な、何よ?どういう反応なのそれ』

マジか?もしかしてそのまんまなのか?いやしかしそれは流石に臭うだろ…
368 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/08/03(月) 03:30:42.41 ID:Lcr1vf/j0
男『だってほら、提督とー、寝たんだろ?』

叢雲『…ウン』

男『だからほら、臭いとかがこう、な?』

叢雲『何よ!ただ寝ただけでそんなに匂いがつくはずないじゃない!なんなら今ここで嗅いでみなさいよ!別に変な、変な匂いしないわよね…?』ヤケクソ

男『…あれ?』

叢雲『ハッ!そういえば緋色もなんか匂いがどうとか言ってて、まさか本当に匂う…?』

男『???』

叢雲『え?』

男『提督と寝たんだよな?』

叢雲『だからそうだって言ってるじゃない!』

男『ぐ、具体的には?』

叢雲『はあ!?寝る以外に何があるのよ!!』

男『』

叢雲『』ゼェゼェ

男『ごめんちょっと待って』
369 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/08/03(月) 03:31:21.56 ID:Lcr1vf/j0
飛龍はなんて言ってたっけ。

提督と寝た。それだけだったはず。

つまりそれはそのままの意味だと。

寝るに寝る以外なんの意味があるというんだ常識的に考えろははは

男『ごめん。多分これは俺が悪い…あまり認めたくはないが』

叢雲『なんなのよもう…』

お互いにようやく落ち着きを取り戻してきた。

叢雲『緋色になんて説明しようかしら…』

男『そのまま一緒に寝ましたって言えばいいんじゃないか?』

叢雲『嫌よそんな恥ずかしい事!アナタに知られてるのも正直そこそこ恥ずかしいのよ…』

そりゃ見た目は子供とはいえ大の大人と同じ布団でってのは恥ずかしのか。

しかし待てよ?さっきの反応からして叢雲は男女の営みについて全く知らなそうだ。なら

男『そんなに恥ずかしがることか?』

叢雲『アナタには分からないでしょうね。だからまあそこそこなのよ。恥ずかしさは』
370 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/08/03(月) 03:31:56.39 ID:Lcr1vf/j0
男『それについて詳しく聞きたいんだが』

叢雲『聞いてなかったの!?恥 ず か
し い の !これ以上話す理由はないわ』プイッ

男『緋色の為だ』

叢雲『なんでそこであの娘が出てくるのよ』

男『緋色もよく寝てる。というか意識を失ってるわけだが、艦娘にとって睡眠はそれと同じことだろ?だから叢雲が睡眠において何か意味を持っているなら参考までに聞かせて欲しいんだ』

叢雲『…』

叢雲がじっと見つめてくる。

賢い目だ。俺の言うことは十全に理解しているだろう。

それから暫く迷うように目を動かし、やがて下を向きながらポツリと漏らした。

叢雲『アンタのせいよ』

男『俺の?』
371 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/08/03(月) 03:32:40.88 ID:Lcr1vf/j0
叢雲『私達にとっての睡眠は確かに人間のそれとは違うわ。人間はほら、脳を休めるとかなんとかって』

男『まあそんなところだ。脳ミソは容量が消して多くはないらしいからな。日毎にメンテして記憶を整理しないとすぐダメになる。夢もその影響で見るらしい』

叢雲『でも私達は違う。少なくとも数日間寝なくても万全に動けるわ。考えてみれば当たり前の話よ。海上に出た船が夜だから寝ますなんてことは無いでしょ?船員は互いに休息を取り合うけど船は常に動き続けてる』

右脳だけ寝かせて左脳で動く、なんてどこかで聞いたような話を艦娘は本当にできる。それも左右なんてレベルでなく。

叢雲『私達は船だもの。ならその船が眠る時って何時だと思う?』

船が眠る時。

海の底で、記憶の中で、なんて。

男『修理する時、とか?』

叢雲『60点。ま、及第点ね』

男『模範解答は』

叢雲『人が乗っていない時』

誰も乗っていない空っぽな船か。
372 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/08/03(月) 03:33:32.74 ID:Lcr1vf/j0
叢雲『船が船として活動するのは人が乗っている時だけよ。今でこそ様々な役割があるけれど根本的に船は人を乗せ運ぶものなのよ』

男『つまり寝てる艦娘は人のいない船…』

空っぽの船。空洞で伽藍堂で、何も無い。

叢雲『意識を失うってそういう事よ。私達は寝ている時人としての部分が限りなくゼロになる。おかしな話よね。船としては寝ているのに逆説的に殆ど船になるのよ。何も言わない、何も思わない、何も感じない空っぽに』

男『それは意図的に出来るのか?』

叢雲『慣れれば。個人差はあるけれどね。未だに"寝付き"の悪い娘はいるもの』

男『なるほどね。それが艦娘の"寝る"という事か』

ならば海の底で眠るという表現は正しくその通りなのだろう。もはや目覚めることがないという点を除けば艦娘にとって眠るというのは陸だろうと海底だろうと大差はない、のかもしれない。

男『だがそうなるとますます分からないな。それが眠るという事なら提督と寝る理由はなんだ?』

叢雲『それは…』

再び顔を赤くして俯く。しかし直ぐに顔を上げ意を決したように俺を見据えて言った。

叢雲『それは、本当に眠ってしまうのが怖いと、嫌だと、思ってしまったからよ』
373 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/08/03(月) 03:34:11.24 ID:Lcr1vf/j0
叢雲『眠る事に違和感を覚えたことは無かったわ。そういうものだと理解していたから。司令官に言われて人間のように日毎に寝るようにしたところでそれは同じ。毎日メンテナンスをしている、くらいの感覚よ』

男『毎日眠るようにってのは最初から?』

叢雲『殆どそうね。一応マニュアルでは一週間毎にメンテナンスとなっているのだけれど、司令官がそんな私達を見て毎日寝ようって』

男『マニュアルか。一応そういうのは書いてあるんだな』

と言っても確かあれは目安。守らなくてはいけないルールではなかったはず。だからそうでない鎮守府も多いのだ。

叢雲『ちなみに一週間って数字は何か根拠があるのか知ってる?』

男『状況によって、つまりストレスの大小で変わるらしいがただ普通に暮らしているだけなら二週間が不眠の限界値らしくてな。出撃等のストレスを考慮して一週間を基準にしたんだろう』

叢雲『ふぅん…そ』

恐らくあえてつっこまなかったのだろう。

なんで二週間が限界だと分かるのか。限界を超えるとどうなるか。

最もこれに関しては俺も知らない、知りたくもない。
374 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/08/03(月) 03:35:12.12 ID:Lcr1vf/j0
叢雲『これでも初期艦だもの。そうやって毎日毎日寝てると意識を落とすのに随分慣れてね。ある日たまたま司令官が執務室のソファで昼寝をしている時、まああれよ。魔が差したの』

叢雲の視線がブレる。

俺ではなくどこか遠くを見ている。いつかの記憶を見つめている。

叢雲『気持ちよさそうに寝ていた。人は夢を見るというのは教わっていたから気になったのよ。司令官の隣に寄り掛かるように座って、私も意識を落とした』

きっとその時はまだ恥や照れはなかったのだろう。

叢雲『空っぽになるはずだった。でもそうじゃなかった。司令官の鼓動が私の中に響いたの。それは波や機関部や砲撃や砲弾や魚雷や雨や風や、海で出会った何よりも響いたの

まるで司令官を乗せているような感覚だった』

男『乗せる、か。俺らには分からない感覚なんだろうなあ』

叢雲『ええそうね。人間には分からないわよ絶対』

そう断言する叢雲はどこか誇らしげだった。

男『それでその心地良さが気に入ったから提督と?』

叢雲『そうね。でも本音はもう少し後ろ付きよ』
375 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/08/03(月) 03:36:51.60 ID:Lcr1vf/j0
叢雲『あの暖かさを失うのが怖くなったのよ』

さっきも言っていたな。

本当に眠るのが怖い、と。

叢雲『薄らだけど覚えてる。いつかの私もきっとその温もりを抱いて海に出ていたのよ。でも今は違う。今の私達の中にあるのは全て過去だから。司令官のような、あの鼓動のような今がないの』

少し悲しげにそう言うと俺の右手をそっと掴んで自分の胸に押し当てた。

男『お、おい!?』

慎ましやかではあるがそこに確かに存在する柔らかなそれはそれでいてしっかりと弾力があり手の中にすっぽりと
叢雲『まだ響いてるでしょ?鼓動が』

男『うぇ!?お、おう。響いてる、な』

まだ?まだってなんだ?

叢雲『これは私のじゃないわ。私達のは記録を再生しているだけの乾いたものだもの。司令官のは違う。アナタもそうだけど、今を少しづつ刻んでる音だから。止まるまでは、暖かく響き続けてる』

男『…あぁ、そういえば艦娘は寝ている時心音がしないんだったな』

寝ている時は停止している時だから。機関部や動力部と同じで、停止する。

叢雲『今私の中に反響してる暖かいのは司令官のなのよ。まだ過去じゃない鼓動なの』

叢雲の胸から手を離す。心音は、聞こえなくなった。

叢雲『勿論これもずっとじゃないわ。私のよりずっと鮮明だけれど所詮は反響。段々弱くなっていくの。だから、その、定期的に司令官と、司令官を、抱かせてもらってるの…』

この抱くも文字通りの意味なんだろうな。あるいは人間には想像もつかない何かの比喩か。
376 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/08/03(月) 03:38:05.86 ID:Lcr1vf/j0
男『ならやっぱり別に恥ずかしがらなくてもいいんじゃないか?』

叢雲『恥ずかしいわよ。だって私、自分の中にある過去よりも今の温もりを選んでしまっているんだもの』

男『難しいな、艦娘の考えは』

叢雲『だから言ったでしょ。人間には理解し難い価値観よこれは』

男『そのようだ』

叢雲『まあこれは私が恥ずかしいというだけで、というより秘書艦として示しがつかないって感じよ。多分皆にバレたとしても何か言われたりって事はない、と思うわ』

男『結局自分の問題か。真面目だな叢雲は』

事実皆にバレているようだが何も無いということはそういう事なんだろう。
377 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/08/03(月) 03:38:41.84 ID:Lcr1vf/j0
叢雲『以上よ。質問はもう受け付けないわ』

男『ありがとう。恥を忍んで教えてくれて』

叢雲『わざわざ言わなくていいわよ。人間であるアナタ相手ならそこまでじゃないわ』

男『もう何年も関わってると言うのに、艦娘ってのは分からないことだらけだ』

叢雲『というか私達の睡眠についてあまり知らなかったのね』

男『俺が本来見るはずなのは艦娘の過去だからな。名前を探し当てるってのはそういう事だ』

叢雲『ならこれは個人的な趣味ってことかしら』

男『否定は出来ないな…さて後は緋色にどう説明するかだな』

叢雲『そこはまかせるわ』

男『おい当事者』

叢雲『話してあげたんだからそれくらいは頑張ってちょうだい』

男『分かったよ』

叢雲『それじゃ』

ヒラヒラと気だるげに右手を振りながら去っていく叢雲の背中は、しかし不思議と何か憑き物でも落ちたかのような感じがした。

男「そういや最初俺のせいとか言ってたけどどういう意味だったんだ」

あの分じゃ聞いても答えてくれなさそうだし、今は緋色の事に集中するか。
378 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/08/03(月) 03:40:03.64 ID:Lcr1vf/j0
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

叢雲『はぁ…』

話してしまった。

緋色の為とは言うけれどそれでもやっぱりアレは話したくはなかった。

でも、話した事で少し気が楽になったという事実もまたどうしようもなく存在していた。

あんな話他の娘には言えないし、司令官にだって言えない。

それが外部の人間になら話せたというだから変な話ね。最も彼も私達に関わっているだけあってただの人間と言うには少し変わっているけれど。

そう。変わってる。何かは分からないけれど。

ともあれこれで今まで溜め込んでいた物が少し吐き出せたのかもしれない。

叢雲『あら?』

端末を見てみると夕張から報告が来ていた。流石に速いわね。

そこには司令官の電話のログがあった。今日使用された一件の電話番号。

私はその番号に見覚えがあった。
379 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/08/03(月) 03:42:46.13 ID:Lcr1vf/j0
私は彼を信用している。そう言ってしまってもいいだろう。

でもそれとこれとは話が別。

私は秘書艦としてこの鎮守府を、司令官を守る義務がある。

進路を変更しながら夕張に連絡を取る。

叢雲『もしもし、例の映像だけど。あぁそう、流石ね。今から行くわ』

真っ直ぐと工廠へ向かう。
380 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/08/03(月) 03:46:58.85 ID:Lcr1vf/j0
e6がキツすぎるので友軍待ち

艦娘にはえ、そこ?みたいな所に物凄く意味を見いだして欲しいという話です。
船って結構音が響きますからね。
私が一番一緒に寝たいのは瑞鳳です。
381 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/08/03(月) 05:41:51.77 ID:Y+H2J/KDO
おつ
ホントに人間じゃないんだなあと
仮に性行為の概念を教えても理解出来ないんじゃなかろうか
382 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/08/03(月) 12:37:59.09 ID:oF9u5tTxO
おつ
意味まではわかっても意義は理解できなさそう

僕は那珂ちゃんさん!
383 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/08/10(月) 19:28:08.29 ID:/h7AUsa60
今回も面白かった
続き待ってる
384 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/08/23(日) 03:51:29.45 ID:CXWxGkuX0
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

叢雲『おまたせ』

工廠。

鎮守府で最も大きな施設。

本来の鎮守府なら船のドックなんかが一番大きいのかもしれないけれど、艦娘である私達には人間サイズで十分。

そうなると例え人間サイズとはいえ兵器の開発や整備等色々な設備が必要になる工廠が必然的に最も大きな施設になる。

夕張『待ってましたとも。ほらほらエアコン効いてるから来て来て』

鎮守府における工廠は様々な役割がある。

一口に兵器開発といっても魚雷や電探、大小様々な口径の砲や艦載機まで。どれもオリジナルとは比べ物にならないほど小さいが如何せん種類が多い。おまけにそれらの改修、整備までしなくてはならない。

その為工廠は細かく区分けのようなものが自然と出来上がる。

施設に入ってすぐ右は機銃、左は小口径。港から反対側になる奥の方には艦載機。大口径の物は港から直接運びやすいように海の方にある。

魚雷は一度事故があったので少し開けた、隔離された場所に…

そんなまるで何かの展示会の様相を呈している工廠には当然区画毎に隙間が存在する。

そんな隙間を彼女は、彼女達は利用している。
385 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/08/23(日) 03:54:39.96 ID:CXWxGkuX0
叢雲『こんな所にエアコンなんてつけた覚えないわよ』

畳三畳、いや二畳程の隙間にいた。

椅子と机、モニターやらの機材。さながら秘密基地ね。

区画とは言うけれど別にしっかりと壁で遮られているわけじゃない。それでもここだけはじっとりとした蒸し暑さがなく程よい涼しさになっていた。

夕張『隣の冷却用の奴をちょーっと弄ってこっちにまわしてるだけよ。セーフセーフ』

叢雲『今使う必要のない電力が無駄になっている時点でアウトよ』

夕張『PCの冷却用に!』

叢雲『なら下にだけ空気を送りなさい』

夕張『熱いと作業効率が落ちる!』

叢雲『人の死体は冷たくなるそうだけど艦娘もそうなのかしらねー』

夕張『きゃー冷たい目〜』
386 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/08/23(日) 03:55:35.06 ID:CXWxGkuX0
閑話休題。

叢雲『別に私達汗かかないんだしいいんじゃないの?』

夕張『それはそうだけど、やっぱりこのしっとりとした感じは嫌なのよねぇ』

まあそこら辺をどう考えているかまで文句を言う気はないけれど。

叢雲『それで。準備は出来てるんでしょうね』

夕張『そこはバッチし。でもその、本当にやるんですか?』

叢雲『やるわよ』

夕張『今更感はありますけど結構やばいレベルでプライバシーの侵害ですし、何よりあの人鎮守府とは別管轄の、はっきり言ってヤバい所と繋がってそうな人じゃないですか。バレたらどうなるか…』

叢雲『プライバシーに関しては申し訳ないとは思うけれどね。バレたら云々は盗撮してる時点でもうアウトよ。毒かどうかは分からないけれど後は皿ごと飲み込むまでよ』

夕張『おぉ流石流れと勢いで盗撮を命じただけある』

叢雲『…』
387 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/08/23(日) 03:56:37.89 ID:CXWxGkuX0
そう。流れと勢いだった。

これに関しては今でもかなり後悔してるし今ではかなり反省している。

最初あの男の部屋に盗聴器を仕込もうと考えたのは実際に会ってからだった。

一目見て、やはり信用出来ないと思った私は夕張と明石に頼んで盗聴器を用意してもらった。

それを部屋に仕込んでおしまい。それだけだった。

バレた。

迫真の演技と巧妙な技でこれは完璧だと、さながら映画で見たスパイの気分で得意げに工廠に戻った私に夕張はそう伝えてきた。

はっきり言って恥ずかしさと悔しさで頭がいっぱいになった。あーまた恥ずかしくなってきた。

ともかく人間如きにあっさりと看破されたことに納得のいかなかった私は冷静さを失ったのだ。

部屋がダメならトイレだ!風呂だ!

あの時は本気で言っていた。付き合わせた夕張達には申し訳ないと思っているけれどともかくそうしてあの長屋にいくつかの盗撮用のカメラなどが仕掛けられた。
388 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/08/23(日) 04:00:00.94 ID:CXWxGkuX0
勿論仕掛けてから何があった訳では無い。そりゃあ男のトイレとか風呂とかを撮ってどうするんだという話だ。

映像なんかを管理している夕張も気を使ってかそれ以降私に盗撮に関して報告したりはしなかった。

今朝までは。

なんでも鎮守府のカメラと同じ人の顔を判別するシステムを使っていたらしく今朝二人が一緒にお風呂入ってるという報告が入ったのだ。

夕張からのメッセージは変態が出たという内容の報告だったのでとりあえず経緯を説明してその誤解は解いた。アレは私のワガママでもあったし…

でも映像は気になった。あの男が緋色とどう接しているか。お風呂という特殊な状況でのそれが気になったので私は夕張に映像を見せるように頼んだのだ。

夕張『あ、椅子一個しかない』

叢雲『じゃあアンタは立ってて』

夕張『ヒドッ!?』

叢雲『ウソよ。お互い小柄だし一つでも座れるでしょ』

夕張『は〜い』
389 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/08/23(日) 04:00:31.28 ID:CXWxGkuX0
夕張『二人が映ってる時間は一時間弱』

叢雲『長くない?』

夕張『飛ばし飛ばしでパッと見た感じ着替え中に色々あったみたいです。そこら辺はネタバレなのでお楽しみに』

叢雲『お楽しみにって、そういうのじゃないんだけれど』

夕張『それじゃ行ってみましょうか』

叢雲『…』

夕張『…叢雲?』

叢雲『え?あぁ、お願い』

夕張『何かあったの?』

叢雲『何でもないわ』

夕張『? それでは』

最大で六人程度の人間が同時に使う事を想定した共同の風呂。その小さく質素な脱衣所の角から見下ろす形で仕込まれたカメラの映像がPCの画面に流れ出す。
390 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/08/23(日) 04:03:58.27 ID:CXWxGkuX0
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

男「…」

目の前に緋色が寝ている。

勉強中に意識を失ったのだ。久々だったので少し慌てながらもとりあえずベットに仰向けで寝かせた。

この程度なら直に目を覚ますだろう。

相変わらず椅子もなく机だけの部屋で床に座りベットに横たわる眠姫を眺める。

緋色の胸元が静かに上下する。

艦娘も呼吸はする。

ただそれは心臓の動きや肺の機能、血液循環などが複雑に絡み合った生命活動の一つとしてではなく、例えば犬のロボットにその方が自然だからと尻尾を振る機能をつけるかのような、人らしくあるためのアクセサリのようなものだという。

こうして心音を止め寝ている時にもそれが止まらないのもただ止めていないかららしい。今ここで緋色の口を塞いだり首を絞めても息が止まるだけでなんら影響はないという事だ。

男「気持ちよさそうに寝てる、ように見えるんだがなあ」

そういえば先程叢雲と話していた時は冷静ではなかったせいか思い出せなかったがしーちゃんも睡眠について言っていたな。

例え睡眠を取らなくても入渠の時などに眠ると。誰も乗っていない船のように、意識と言うより人の部分を落とすと。
391 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/08/23(日) 04:04:45.94 ID:CXWxGkuX0
しーちゃんは言っていた。自分にはそれはもう出来ないと。

出来なくなる事がある。それが緋色にも言えることなら、緋色もまだ油断はできないという事だろうか。

男「…意外とあるよなぁ」

なんだか億劫になってきて思考を逸らす。

風呂の時も思ったが、とはいえ秋雲もこれくらいだったよな。この体型だと普通くらいなのだろうか。

いやそれよりも気になる事がある。

緋色の胸と水平になるように目線を合わせてじっと見つめる。

確かに上下はしているがそれは呼吸の影響だ。俺が観測したいのは心臓の鼓動だ。
392 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/08/23(日) 04:05:58.34 ID:CXWxGkuX0
男「横から見てもわからんよなぁ」

試しに下を向いて自分の胸を見てみるがやはり胸の動きに区別はつかない。

心臓の部分に触れて確かめるか?いや流石にそれは色々とアウトだよなぁ…

そうだ。確か首筋とか手首で脈を測ったりするんだよな。それなら問題ない。

男「…」

緋色の首筋に伸ばした右手が止まる。

何かを思い出していたような気がする。

ただそれをハッキリとさせる前に伸ばした手を静かに上下する左胸の方へと動かした。

そっと、呼吸の邪魔にならないように右手を乗せる。

小さくて、
柔らかくて、
暖かくて、
そして、

静かに脈打っていた。




酷く後悔しながらそっと手を離した。
393 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/08/23(日) 04:06:49.74 ID:CXWxGkuX0
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叢雲『…』

夕張『…』

画面の中で彼は全裸の緋色を出来るだけ見ないようにしながら着替えを促して脱衣場を出ていった。

律儀というか真面目というか、どう考えても不可抗力だし、そもそも私達相手にそう気にすることでもないだろうに。

でもまあそんな事はどうでもいい匙の範疇だ。

叢雲『どう思う?』

夕張『どうって言われると、えっと、ちょっと予想外というか』

叢雲『これがさっき言ってたネタバレの内容じゃないの?』

夕張『ざっと流し見しただけなので最後のドタバタくらいしか見てませんよ』

なるほど。音声までは聞いていなかったという事ね。

叢雲『つまりこれを見るまで気づかなかった、痕跡はなかったって事よね』

夕張『はい…』
394 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/08/23(日) 04:07:44.87 ID:CXWxGkuX0
この映像は偶然とはいえ確実に彼にはバレていない。ならばフェイクの可能性はない。そもそもこんなフェイクをする理由がない。

事実だ。今し方目にした映像は間違いなく事実で、そしてだからこそ信じられなかった。

叢雲『"誰と、どうやって通信をしたって言うのよ"』

夕張『…』

鎮守府は外と通信は出来ない。

唯一の回線は全て監視されている有線のみ。

また周りの山々や海からの無線も遮断されているし、出来たとしても確実に痕跡が残るはず。

だというのに一体どうやって…?

夕張『耳につけていたのはワイヤレスイヤホンでしょうね。本体は多分、例の箱』

叢雲『なら、あの大仰な箱は"その為"のものだって事になるわね。そういうのって可能なの?』
395 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/08/23(日) 04:09:10.18 ID:CXWxGkuX0
夕張『ん〜、そういう質問には正直"不可能とは言いきれない"としか答えられないんですよね』

叢雲『煮え切らない返答ね』

夕張『例えば鎮守府は外との通信、つまり電波なんかはシャットアウトしてはいます。でもそれって壁で覆ってるわけじゃなくて網を張ってるイメージなんです。

普通なら捕まります。たとえ抜けられたとしても抜けたという痕跡が残ります。でも絶対に穴がなく、また通り抜ける手段がないとは言いきれないんです』

叢雲『技術的な問題ってこと?』

夕張『今この瞬間にも技術は進化してますからね。仮に昨日までは完璧だったとしても今日には抜ける手段が見つかっているかもしれません。

この手の話はなんでもありですからねぇ。実は抜けられますって言われたらそれまでですし。完璧なのはオフラインにする以外ないです』

叢雲『なら特定するのは難しそうね』

夕張『そうですね。それに有線の方だって怪しいもんです』

叢雲『どうして?あっちは網と違ってわかりやすい一本道なわけでしょ?』

夕張『この前課長さんは情報部の人と繋がりがあったって言ってましたよね』

叢雲『えぇ』
396 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/08/23(日) 04:09:58.35 ID:CXWxGkuX0
夕張『通信システムやらを構築、保守をしているのがそこなら隠し通路や抜け穴なんかがあってそこを利用している可能性があるんですよ。そしてこれもまた確認するのは至難の業です』

叢雲『そういう事…さっき送って貰ったログ。あの電話番号ね、その情報部のしーちゃんのものだったのよ』

夕張『え゛、マジ?』

叢雲『マジよ。前に名刺を見せてもらった事があるのよ。どうせダミーの電話番号だと思っていたけれどあの番号と同じだったわ』

夕張『となるといよいよ難しいですねぇ。下手に追ったらこっちが見つかりますよ。リスク高すぎます』

叢雲『アンタが言うなアンタが』

夕張『てへ』

叢雲『ったく。これ、音声をもっと鮮明にしたり出来ないの?』

夕張『技術的には可能だと思いますけど、私にはそれがないので。ソフトとか探せばもしかしたら?』

叢雲『そこまではしなくていいわ』
397 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/08/23(日) 04:10:54.31 ID:CXWxGkuX0
脱衣場で、しかもすぐ隣に緋色もいる。低く小さい声の部分はほとんど聞き取れなかった。

それでも聞き取れたいくつかの部分から感じたのは、いつも通りという事だった。

私や緋色、飛龍や江風なんかと話している時の彼と同じような話し方だ。

とても何かスパイのような活動をしているようにはみえない。

だけど、だけれども、彼にそんなつもりはなくても電話の相手はそうでないかもしれない。

電話の相手。

叢雲『"秋雲"って言ってたわよね』

夕張『はい。考えられる相手は、鎮守府ではなく例のしーちゃんの情報部三課所属の秋雲とかですかね』

叢雲『秋雲っていたかしら。診察やメディアへの露出なんで見かけたことはないけれど』

夕張『裏方かもしれませんよ。構成員が把握出来ない以上可能性でしかないですけど』

叢雲『そうね。あるいは彼と同じく調査員として秋雲がいるのか』

"課長"というのは部下がそう呼んでいるからと本人が言っていた。その"部下"が秋雲の可能性はある。

夕張『基本的に鎮守府以外での艦娘の保有は認められてないはずですけどね』

叢雲『しーちゃんの所だって鎮守府じゃないもの。例外はあるわよ。そもそもそんなの上の都合でどうとでもなるわ』

夕張『全ては可能性。現状じゃ議論しても無駄ですかね』

そうだ。全ては可能性。確証は何もない。
398 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/08/23(日) 04:11:25.62 ID:CXWxGkuX0
叢雲『方法は不明。でもなんであれあの箱からどうにかして外と通信しているのは確かよね』

夕張『それについてはほぼ間違いないと思います』

叢雲『なら、鎮守府と外とに網を張るのではなく箱に網を張るのは出来る?』

夕張『それは…出来ます。防ぐのではなく痕跡を探るためって事ですよね』

叢雲『えぇ。まずはそこから始めましょう』

夕張『そうなると…バレるわけにはいかない…ふむ、ルーターは長屋から遠いし…』ブツブツ

叢雲『あー待ってストップ』

夕張『へぁ?』

叢雲『とてもデリケートな問題よ。慎重にいく必要がある。急いだって仕方ないわ。とりあえずは緋色の艤装の件やいつもの業務を優先してちょうだい。この件は時間を見つけじっくりとお願い』

夕張『了解しました』
399 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/08/23(日) 04:12:06.25 ID:CXWxGkuX0
叢雲『とりあえず戻るわ。執務室空けちゃってるし。また連絡する』

夕張『この映像どうします?消す?』

叢雲『カメラ仕込んでる時点でバレたらアウトだもの。映像消したところで仕方ないでしょ』

夕張『それもそうね。ではしっかり保存しておきます』

叢雲『頼んだわ』

夕張『最後にもうひとついい?』

叢雲『…何?』

夕張『これって提督にナイショって事よね?』

部下としてではなくいつもの口調で聞いてくる。夕張はここら辺の線引きをしっかりしている。

叢雲『えぇそうよ。これは秘書艦という立場からの命令じゃない、秘書艦だからこその個人的な判断、頼みよ』

夕張『つまり〜給料外の労働よね?』

叢雲『うっ、そういうとこホント抜け目ないわねぇ。いいわ、何が望みよ』

夕張『いやぁ実は試したい兵装があって〜明石とも話してたんだけれどちょぉっと規定外の物になりそうで〜申請出来ないから弾薬ちょろまかして欲しいなぁって〜、ダメ?』

叢雲『………私が許せそうな範囲だと思えるなら詳細送ってちょうだい』

夕張『ッシャア!』ガッ

叢雲『まだいいとは言ってないわよ!』

頼りになるけど、悩みの種でもあるのよねこの娘ら…
400 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/08/23(日) 04:14:24.24 ID:CXWxGkuX0
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

工廠を後にする。

叢雲『さぁて切り替え切り替え』

一旦この事は忘れておこう。

あの男と対立するのが目的ではない。緋色を助けたいという気持ちは同じなのだから。

最終的にそうなるとしても、今はまだ考える必要は無い。

端末で時間を確認する。もうすぐ演習が終わる時間だ。

一度執務室に戻っててるてる坊主を作ってるバカを叩きに行こう。

…バカ司令官。

あの能天気な平和ボケはきっと今の私の行動を良しとしないでしょう。
401 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/08/23(日) 04:27:01.03 ID:CXWxGkuX0
燃料20万溶かしたけどE6終わった…

艦娘同士での喋り方、つまり敬語やさん付けの基準は人によって解釈にかなり差があるのではないかと思います。
見た目の年齢に沿うのが自然にも思えますが戦艦を駆逐艦が呼び捨てという例もありますし。
史実での階級や親しさ、鎮守府内での練度や着任日順等々色々な解釈があって面白い点です。
402 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/08/23(日) 11:36:36.99 ID:Lrqaf7xzo
お疲れ様でした…本当に……
二次創作の腕の見せ所ですよね>艦娘同士の呼称問題
公式はあるとはいえ全て網羅している訳ではないですし
個人的には姉妹艦の場合をあれこれ考えるの好き
403 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/09/22(火) 00:46:53.22 ID:PYziUX8s0
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例の映像見た翌日。

私は朝餉の後に長屋に寄ってみた。

叢雲『あら?』

緋色の部屋を扉の覗き穴から見てみるとどうやら一人だけのようだった。

何やら真剣に机の上のプリントと向き合っている。

隣の部屋の前に移動して控えめにノックをする。

『どうぞ〜』

すっかり聞き慣れた声に許可を貰いドアを開ける。
404 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/09/22(火) 00:47:35.72 ID:PYziUX8s0
男「叢雲か。どうした?」

叢雲「緋色、今何やってるの?」

男「問題集、法律のな。記憶力の方は心配ないが状況判断は慣れが必要だからな」

叢雲「なるほどね…」

男は自室のベットでタブレットを操作していた。ベットの隅にはスマホ。

そしてベットの向かいに例の箱が鎮座している。

男「…気になるか?」

叢雲「嫌でも目に入るでしょこれは。異質よ異質。ま、床が抜けてないようで安心したわ」ヤレヤレ

男「それに関しては俺も安心したよ。といってもある日突然って可能性は捨てきれないが」

叢雲「その場合は何処に請求したらいいのかしら」

男「んー、個人で弁償かなぁ」

適当に話題を逸らす。この箱の存在を気にしていると悟られるわけにはいかない。もっとも今どうこうするつもりは無いけれど。
405 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/09/22(火) 00:48:06.98 ID:PYziUX8s0
叢雲「…緋色の部屋に居なくていいの?」

男「あ、あぁ。解いてる途中だからな、邪魔しちゃ悪いだろ」

叢雲「そ」

彼はそう言ってタブレットに視線を戻す。まるで何かから逃げるように。

昨日から、昨日からだ。昨晩の報告会の時から彼は変だった。何処か逃げ腰というか及び腰だった。

まるで初めて深海棲艦(ヤツら)と対峙した新兵のように。

盗撮がバレた?いやそうは見えないわね。もう少し注意深く観察する必要がある。

叢雲「緋色の航行の件だけど、午後からで問題ないそうよ。準備は出来てるって」

男「そうか。良かった」

とてもほっとしたという顔をする。

叢雲「実際やってどうなるかは出たとこ勝負になるけれど」
406 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/09/22(火) 00:48:37.33 ID:PYziUX8s0
男「そこは仕方ないさ。それで教官というか、指導役は誰が?」

叢雲「私よ」

男「叢雲が?」

叢雲「あら、不満なの?」

男「まさか。ただそこまで時間を割いてもらえるとは思わなくてな」

叢雲「今日は秘書艦休みなの。だから業務は午後の緋色指導一つだけってわけ」

男「そういや交代制だって言ってたな。代わりは誰が?」

叢雲「加賀」

男「ほう…」

何か反応が硬いわね。会ったことないのだから当然か。
407 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/09/22(火) 00:49:13.73 ID:PYziUX8s0
叢雲「さてと、緋色の部屋に行ってもいい?」

男「構わないが、何か用なのか?」

叢雲「気になったから顔を見たいだけ」

男「それでも助かるよ。せっかくの休暇に悪いな」

叢雲「忙しい秘書艦を休むってだけで私は休みじゃないわよ。あの娘の様子を見るのも立派な仕事だしね」

男「なら、ほい」チャリ

あっさりと私に鍵を渡してきた。

男「頼んだよ。と言っても試験中だから邪魔はするなよ。後…一時間ちょいで終わるからそしたら俺も行く」

叢雲「ええ、まかせなさい。それと、最後にひとついい?」

男「ん?」

叢雲「なんで寝ながらやってるの」

男「筋肉痛がな…」

罰が悪そうにそっぽを向く。いつかの司令官と同じような反応ね…
408 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/09/22(火) 00:49:46.19 ID:PYziUX8s0
部屋を出て隣の扉に鍵をさす。

しかし妙ね。何かあったのかしら。

最初に何か慌てたように"緋色の邪魔になるから"とか言ってたくせに私が部屋に行くと言ったらあっさりと承諾した。

一体どういうつもりなのやら。

叢雲『お邪魔するわよ』ガチャ

緋色『おはよ〜先生』

完全に先生で定着してしまった。別にいいのだけど。

緋色『今日はなんの用で?』

叢雲『何もないわよ。ちょっと様子を見に来ただけ』

緋色『あら、そうなの…』

叢雲『なんでそこで残念そうな顔するのよ』

緋色『えっと、お勉強サボれるかなぁって思って』

叢雲『ダァメよ。試験中なんでしょ?集中なさい』

緋色『はぁい』
409 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/09/22(火) 00:50:21.61 ID:PYziUX8s0
緋色『ねぇ先生』

叢雲『何?』

緋色のベットに腰掛け端末で文面を考えていると緋色が話しかけてきた。

緋色『課長さんには会った?』

叢雲『えぇ。隣で作業してたわよ。筋肉痛とか言ってたわ』

緋色『他には?』

叢雲『特に何も』

緋色『そぅ…』

不満そうな声を漏らしつつもテストに戻る。

この娘も気づいているのだろう。今日の彼が少しいつもと違う事に。

考えすぎ、なのだろうか。気分が悪いとか、筋肉痛のせいとか、そんなことかもしれない。

何にせよ今日は午後の事に集中すべきだろう。
410 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/09/22(火) 00:50:59.46 ID:PYziUX8s0
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

緋色『終わったぁ!』

叢雲『お疲れ様。課長呼んでくるわね』

緋色『いいわよそこまでしなくても。扉の方で声を出せば気づくわ』

叢雲『私もそろそろ戻るもの。ついでよついで』

緋色『ありがとう。ならお言葉に甘えるわ』

叢雲『あら、何リラックスしてるのよ』

緋色『へ?』

叢雲『試験時間はまだ15分あるわよね』

緋色『え゛知ってたの』

叢雲『見直しする事。基本よ』

緋色『はぁぃ…』

不満げに頬を膨らませるピンク玉。

いずれこの娘と並んで海に出る日も来るのだろう。そう思うと生まれたばかりの妹のようで、いっそう愛おしく思えた。

叢雲『頑張って』

ピンク玉の頭を撫でて部屋を出た。
411 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/09/22(火) 00:51:29.63 ID:PYziUX8s0
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時刻はヒトサンマルマル。

昼食を食べた後だった。

緋色『ほら、早く行きましょう』

男『!』パッ

俺の手を掴もうとして伸ばされた緋色の手から思わず腕を引いてしまった。

緋色『…課長さん?』

不満げに、不安そうにこちらを見上げる。無理もない。緋色からすれば全く意味のわからない行動だろう。

だけど、だけれど俺は、これ以上緋色に触れるべきじゃないんだ。

男『なんでもないよ。行こう』

昼食を終えてすぐ、叢雲に指定された場所に向かう。

食べてすぐ運動というのは身体に良くないと言うが今回運動するのは俺でなく緋色だ。艦娘であれば大丈夫だろう。
412 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/09/22(火) 00:52:12.67 ID:PYziUX8s0
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叢雲『集合時間五分前。流石ね』

緋色『えっへん』ドヤサ

鎮守府には港と呼ばれる艦娘達が帰投、出撃する為の設備がある。役割としては港だがそこは艦娘、実際の港とは異なる機能を持つ。

そんな港から工廠を挟んだ鎮守府内で海に面した箇所としては一番端にある場所。そこが集合地点だった。

叢雲『さて、おおまかな説明は予め聞いていると思うけれど改めて説明するわよ』

緋色『はい先生』ビシッ

叢雲『今日は教官よ』

緋色『はい教官』ビシッ

カラッと晴れた青空と並ぶ穏やかな海を背にして立つ叢雲とその前に敬礼をして立つ緋色。

身長にさほど差がないのですごく微笑ましく見える、とは口が裂けても言えない。

しかし叢雲の横にあるのはなんだ?布で覆われているがこれが今回使う艤装なのだろうか。

それにしては大きい。

叢雲『まず二人に紹介するわ。今回の協力者』

などと考えていると叢雲の言葉を合図に布がバッと飛んでいく。
413 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/09/22(火) 00:52:52.77 ID:PYziUX8s0


夕張『そう!この夕張よ!!』シュバ



緋色『』ポカーン
叢雲『…』
男『…なんだこれ』
叢雲『どうしてもこれやりたいって』
男『あぁそう』

夕張『あ、あれぇ…なんか反応が芳しくないぞ〜…』

布の下から出てきたのは軽巡夕張だった。オレンジのネクタイに灰色のスカート、見ていて心配になるほど露出したお腹。改二だろうか。

目の前にピンクと水色と緑色の三色が並んだ。

夕張『え〜というわけで兵装実験軽巡夕張。よろしくね』

緋色『あ、はい、よろしくお願いします』

飛龍、江風と来てだんだんと慣れてきたのか意外とあっさり夕張と握手する緋色。いい事なんだろうけどあんまり慣れて欲しくない気もする


男『ん?そっちは?』

夕張の後ろに何かがあった。

叢雲『夕張、ここからの説明はアナタに任せるわ』

夕張『ラジャりました』
414 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/09/22(火) 00:53:42.96 ID:PYziUX8s0
夕張『さてさて、事前に説明があったと思うけど今回緋色ちゃんには艦娘としての航行をしてもらいます』

そう言って後ろにあったそれを持ち上げた。

夕張『そしてこれが!今回の訓練の要である艤装です!』

緋色『これが、艤装…』

男『吹雪型の物か。ん、でもなんかちゃっちいな』

夕張『さっすが課長さんよく分かってるぅ。これは訓練用に簡略化された物なんです。最低限の機能だけを有してます。普通の艤装を車とするならこれはゴーカートってとこですかね』

緋色『わざわざ私の為に?』

夕張『いやいや、チューニングはしてあるけどこれ自体は元々ある物なのよ。艦娘にも最初上手く航行出来ないって娘はたまにいるから』

男『そうなのか。知らなかった』

夕張『特に問題になることも無いですからね。一ヶ月もかからずマスターできるんで現場に居なきゃ知らないのも仕方ないですよ』

現場の悩みか。

艦娘はその特殊性からマニュアル化し辛い場面が多く、現場に判断が委ねられる場合が殆どになる。

きっとこういった問題は他にも沢山あるんだろうな。
415 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/09/22(火) 00:54:31.39 ID:PYziUX8s0
夕張『それじゃさっそく装着しちゃいましょう』

緋色『は、はい』

叢雲『大丈夫よ。艤装って言ってもホントに訓練用の簡素な物だから。リュックを背負うようなもんよ』

夕張『じゃあまずはこれを肩に背負ってー、そうそう。サイズもぴったしね。後は腰にこれを』

緋色『付けるもの多いのね』

夕張『装備する訳じゃなくて背負うだけだもの。安全対策として色々あるのよ』

叢雲『どう?キツかったり緩かったりしない?』

緋色『んー多分丁度、かしら』

夕張『あ、叢雲。結局FRCは何色にするの?』

叢雲『青でいいんじゃない。モクは切ってある?』

夕張『バッチリよ。DCと補助だけ』

叢雲『ハタハタ付いたままだけど』

夕張『え、私付ける派』

叢雲『えそうだったの?ん〜まいっか』

緋色『???』

緋色が助けを求めるような目で俺を見つめてくる。

すまん。俺も専門用語はサッパリなんだ。
416 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/09/22(火) 00:55:01.97 ID:PYziUX8s0
叢雲『よしOK。行きましょ』

緋色『うん、じゃない。はい!』

叢雲に手を引かれて階段へ向かう。どうやらそのまま海まで伸びているらしい。

緋色は慣れない背中の艤装で少し歩きづらそうだ。

男『ああして艤装を背負うとちゃんと艦娘なんだと再認識できるな』

夕張『私達の半身みたいなものですからね、艤装は』

半身。その通りだろうな。

だから今の緋色は本来の半分以下の存在でしかないわけだ。

夕張『課長さんって艤装の事どれくらい分かります?』

男『姿形程度なら。さっきみたいな実際の機能や中身になるとサッパリだ』

夕張『あら、調査員というからてっきりお詳しいのかと』

男『詳しい所は部下に任せたりしてるからな。名前を探すだけなら見た目で十分だったし。少なくとも今までは』
417 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/09/22(火) 00:55:38.95 ID:PYziUX8s0
夕張『そっかぁ残念』

男『なんでだ?』

夕張『外の技術者と話す機会って中々ないんで、詳しい人だったらなぁと勝手に期待してまして』

男『その手の知識も覚えようとはしてるんだがな。如何せん実際に触れたりしない立場だと中々難しくてな』

夕張『興味があるなら色々と教えましょうか?マニュアルとかありますし』

男『そんなのあるのか?』

夕張『近年鎮守府はどんどん増えてますからね。古参の鎮守府のデータをまとめてマニュアル化する事で全体の効率や戦力の向上を図ってるんですよ』

男『現場も進化してるんだなあ』

夕張『いつまでも私達相手に分からん分からんじゃこの先もたないですからね。ちなみに発案は件の東京の英雄みたいですよ』

男『あぁ、まあそうだろうな』

夕張『凄いですよねぇあの人。若くてイケメン!しかもスケートもできるとか』

男『それは初めて聞いたな』

夕張『流石に最後のは眉唾ものですけど』
418 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/09/22(火) 00:56:14.07 ID:PYziUX8s0
夕張『ところで緋色ちゃんの近くにいなくてもいいんですか?』

男『それは、ほら、これは艦娘としての訓練だからな。俺じゃなく鎮守府の仲間とやるってのが大事なんだ』

夕張『ふむ、それもそうですね』

嘘じゃない。その通りだ。

緋色に必要なのは鎮守府であり同じ艦娘であり、提督という存在だ。

俺であっちゃダメなんだ。

夕張『あ、そろそろですね』

男『あぁ』

海の方へ近寄る。階段を下りずに緋色達を見下ろす形で。

叢雲は先に階段を降りそのまま海に浮かんだようだ。

緋色はそんな叢雲の両手を握り今まさに階段を一歩下へ、つまり海面に足をつけようとしていた。

緊張で身を強ばらせている緋色に叢雲が優しく何かを話している。

両手を握りリードする叢雲とへっぴり腰で足を踏み出す緋色の二人を見て昔スケートをしたことを思い出す。

あの時もああやって先生に滑り方を教わったなぁ。
419 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/09/22(火) 00:56:44.77 ID:PYziUX8s0
緋色が海へと足を入れた。

チャプンと、そんな水溜りに足を踏み出したような音を想像してしまう程あっさりと彼女は浮いた。

当然のように。そしてやはりそれは当然なのだろう。

夕張『…めっちゃりきんでますよ?』

男『え?』

言われて気づいた。いつの間に手をぎゅっと握り締めていた。全身の力が少しづつ抜けていく。

夕張『心配でした?』ニヤリ

夕張が何か嬉しそうにこちらを見てくる。

男『まあ、そりゃな』

夕張『大丈夫ですよ〜。沈んだりしませんって』

男『分かっていてももし浮く事が出来なかったらと考えちまうんだよ』

緋色は叢雲に引っ張られてゆっくりと階段から離れていく。

僅かとはいえ揺れる海面と背中の艤装でバランスが中々取れないのか始終フラフラしていた。
420 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2020/09/22(火) 00:57:17.89 ID:PYziUX8s0
夕張『課長さん、叢雲が今何をしているかって分かります?』

男『何って、緋色を引っ張ってる?』

夕張『どうやって?』

男『…後ろ向きで?』

夕張『じゃあその後退がどれくらい凄いことか知ってます?』

男『?』

夕張『ふっふ〜ん分からないですよねそうですよねぇ』

物凄く得意げな顔をされた。

夕張『技術担当として、緋色ちゃんにも関わることですし一度しっかり説明致しましょう』

男『お、おう』

しかし後退?よく分からんな。
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