【艦これ】山城「不幸のままに、幸せに」

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98 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/12(土) 09:53:50.76 ID:L3t7G6Qz0

 苦しく死ぬか、楽に生きるか。

「どうして楽に生きようとしない」

「……」

 射抜くような視線に晒されて、私は自らの心、芯がひりつく錯覚に陥る。
 なぜ。どうして。
 艦娘なんかこれきりやめてしまって、北国の小さな会社で事務仕事をしつつ、旦那と子供に囲まれる生活があったっていい。それはとても魅力的に思えた。過去の私からしてみれば、望外の幸せな……。

「復讐か。姉や友人を殺した深海棲艦が、切り捨てた上層部が、憎いか」

 憎い? 憎い……そう。そう尋ねられれば、首を縦に振るしかない。

 けれど違う。

「違うわ」

 私は、

 胸の内が燃えている。
 ひりついていたのは視線に晒されていたから? それとも、炎に炙られていたから?

「私は、このままでは終われないと思ったの」
99 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/12(土) 09:54:26.40 ID:L3t7G6Qz0
―――――――――――
ここまで
100 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/10/12(土) 11:52:38.50 ID:5yVX7lkro
お疲れ様です
101 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/10/12(土) 12:12:03.19 ID:fHZFAsA+o
おっつ
102 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/10/12(土) 21:58:05.70 ID:ELCwzXNXo
乙です


あな恐ろしや、やはり山城は「成って」しまっていたか
103 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/12(土) 23:02:21.53 ID:L3t7G6Qz0

「そもそもてめぇはまだ終わってない。これから始まるんだ。これから」

 後藤田提督は言う。それは、私には、これから北国での新しい人生が待っていることを指しているのだろう。
 そうかもしれない。確かにそうだ。だからこそ私は「終われない」という表現を使っているのである。私と提督の認識は殆ど同一で、唯一そこだけが異なっている。

 姉さまはいつも儚い笑みを浮かべていた。不幸な人生に疲れ切った、気を抜けばぽとりと地に落ちてしまいそうな、満開の椿にも似た笑み。私にはわかる、あれは諦念なのだ。諦めてしまえば、受け流してしまえば、どんな境遇も辛くはないのだという。
 泣きたくなる処世術。私はそのたびに姉さまの手を無言のうちに握って、「ちょっと山城、手が、手が痛いわ」だなんて言われても聞き入れなかった。

 死の間際、あのひとは何を考えていたのだろう。やはり儚い笑みを浮かべながら、あぁ不幸だわ、なんて思っていたのだろうか。諦念のうちに、深海へと沈んでいったのだろうか。

 私には、それはできそうにない。

 このままでは終われない。

104 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/12(土) 23:03:01.54 ID:L3t7G6Qz0

「このままでは新しく始めることさえできません。
 私の知らないところで私の人生を決められて、導かれるままについていく……それは敗北だわ。まったき負け犬の姿。私が私自身の不幸に負けた、そんなことを認めるわけにはいかないの。いかないのです」

 敗北が恥なのではない。敗走が恥なのでもない。戦わなかったことが恥なのだ。

「そっちか」

 ふうぅ、と提督が煙を吐く。ポケットから取り出した携帯灰皿に先端を擦り付ける。

「怒りだな。てめぇは怒っているわけだ。なるほどな。クソッ」

 怒り。そう言われて、その言葉はしっくりように感じられた。きっと私はこれまでずっとこの身の境遇や不幸に対して怒りを覚えてきたし、これからも怒り続けていくのだろう。
 この世に神様はいる。なにより艦娘であるこの身にこそ、艦船の神は宿っているのだから、私を――私たちを不幸に貶めている酷い神だっているに違いない。艦娘を辞めるということは、そんな腹立たしいやつに首を垂れることに等しいのだ。

105 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/12(土) 23:03:40.09 ID:L3t7G6Qz0

 業腹だわ。あぁ、なんて業腹!

「私はこの身の不幸を乗り越えて、人間としての尊厳を回復しなければいけない。与えられる運命をただ座して待つような女じゃあないの」

 不幸のままに幸せを掴みとらなければならない。

「お願いよ。お願いします。私をあなたたちの仲間にしてください。陸に降りて、新しい人生を歩むのは、勿論眩しいくらいに魅力的だけれど……私には、まだ早い。まだ私は自分の足で立てていない。立ちたいの。口を開けて、餌が流れてくるのを待つような、そんな生き方はしたくないのよ」

「……」

「……」

「……」

 眼を細めたり、開いたりして、私を窺う後藤田提督。陽光に眩惑されているわけではない。こちらを値踏みしているのだ。

106 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/12(土) 23:05:22.86 ID:L3t7G6Qz0

「山城一等海士」

「はい」

 野太い声が私の名を呼ぶ。

「艦種は戦艦か」

「はい」

「歴は?」

「二年と僅かです」

「具体的に」

「二年と……二か月」

「そうか。見ろ」

 立ち上がり、空中が二度叩かれると、バーチャル・ディスプレイが現れた。数度ポップアップに触れて、複数の画面が映像に変わる。
 一面の青――海の色。水飛沫。

 すぐにわかった。これはあの五人が見ている景色と同期しているのだ。

107 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/12(土) 23:05:58.06 ID:L3t7G6Qz0

 既に彼女たちは接敵、交戦していた。ヲ級を筆頭に、重巡、軽巡、駆逐の群れ。
 不知火が魚雷を発射しながら、追随するように速度を上げる。ポーラの火砲が軽巡の頭を正確に打ち抜き、行動停止に。その隙間を不知火は駆け抜けて、一閃、駆逐を吹き飛ばす。
 孤立した不知火を追うイ級たちを、大鷹の放った戦闘機がきっちり仕留めていく。ヲ級も杖を振るい、丸い悪鬼の群れを召喚したが、大淀とグラーフが既に立ちふさがっていた。

「……凄い」

 思わず見入ってしまう。

 不知火の機動はまさに機に敏く、一瞬の判断と行動の正確性が尋常ではない。砲撃。殲滅。離脱。三つの動作をワンセットで繰り返す機械のようだ。
 そうやってかき乱した敵群の隙を衝き、まとめて吹き飛ばすのはポーラの役目。天使のような笑顔で瞳孔だけが開き切り、瞬きの暇さえ惜しいとばかりに、絶え間ない砲撃で打尽にしていく。

108 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/12(土) 23:08:56.40 ID:L3t7G6Qz0

 グラーフはヲ級と物量でぶつかりあっている。腰に結わえられたポーチからカードを数枚ずつ取り出し、消耗の度合い、空中戦での優劣、弾幕の濃淡を見ながら、適宜艤装のホルダーへと差し込み実体化、射出していく。
 対して大鷹は質と精密性で攻めていた。驟雨のような弾幕、蝗害さながらに黒く染まった空、その間を十機の戦闘機が最高速度のままに駆け抜けて、一目散に敵を目指す。十本の指でそれぞれを立体的に操るその手腕は、人間業ではない。

 そして戦場の全てを操っているのが大淀そのひと。味方四人に指示を出しながら、自らも最適な場所へと位置どることで、敵すらも含めた全体の配置、誰と誰が戦うのかさえコントロールしていた。

 五人は敵群に壊滅的な打撃を速やかに叩き込み、最早脅威ではないことが明白になると、即座に転回して救助者の捜索へと舵を切る。

109 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/12(土) 23:12:21.76 ID:L3t7G6Qz0

「あいつらについていける自信はあるか」

「あります」

 即答。
 嘘だ。本当は、少しだけ、慄いている。

 だけどそれでも。

「私は負けない」

 誰にだって。
 どんな不幸にだって。

「……どちらにせよ」

 ため息をつく後藤田提督。

「北大付属病院で精密検査は受けてもらうぞ」

「それって……」

「そこまで言われて断る理由もねぇからな。その代わり、きちんと戦力になってもらう。不甲斐ないザマ見せるようなら、即座に陸へ上がってもらうからな」

「ありがとう」

「礼を言われるほどじゃあねぇよ。
 ……後藤田一だ。階級は少尉。これからよろしく頼むぜ、嬢ちゃん」

「山城よ。階級は一等海士。こちらこそ、よろしくお願いするわ」

 嬢ちゃん、と呼ばれるほどの年齢でないことは黙っておくとして。

110 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/12(土) 23:13:36.52 ID:L3t7G6Qz0

 私はそれから交戦規定や契約書類、または過去の戦闘記録などをどっさりと渡された。まだ体は本調子ではない。海は出られるが、連携の訓練などもしていないのに、すぐ任務に就けとは後藤田提督も言わない。
 少なくとも精密検査が済むまでは彼ら、CSAR「浜松泊地」のルールや戦術を学ぶことこそが、私にできる精一杯の努力だろう。

 それから三時間後、帰還した五人はひとりの救助者を担ぎ上げていたが、彼女たちの顔は重苦しかった。

「……」

 帰還中に息を引き取ったのだという。

「……」

 遺体は水葬とした。弔砲を大淀が撃つのを、私は遠巻きに見ている。
 彼女たちの手際は随分とよい。

 不幸だわ、と姉さまが言う。

 怒りの炎がちりり、胸を焦がした。
111 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/12(土) 23:14:18.85 ID:L3t7G6Qz0
――――――――――――
ここまで
112 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/10/13(日) 13:18:13.58 ID:jFScMsXso
113 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/14(月) 21:33:40.58 ID:UFSxYV+50

 誰一人として泣いていなかった。泣いてなぞいなかった。
 泣いていないだけではあった。

 私はCTスキャンの中でじっとしながら、最近はことあるごとにあの日の、あのときのことばかり考えているような気がして、身震いをする。秋の早朝のような寒気が体の内と外を取り巻いている。
 そういうものだ、と知った口を利くのは簡単だった。大罪でもあった。

 世の中に不幸は蔓延っていて、成せずに潰えた成すべきことのなんと多いことか。そんならしくもないことを考えるたびに脳裏によぎる光景――前へ前へと進むたびに一層強く吹き付ける北風。岸まで押し戻そうとする海流。
 知った口を利こう。そういうものだと。

 CSARはそういうものだし、私の人生はそういうものだし、そもそも全てにおいてそういうものだ。
 だから麻痺する。慣れる。いつしか涙は出なくなり、へいちゃらな顔をしてその脚で映画だって見に行ける。「真実の愛」をCMで連呼していたフランス映画。きっとあの恋人たちも、いつかは別れる。

 怒り。

114 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/14(月) 21:35:40.68 ID:UFSxYV+50

 後藤田提督は私が怒っているのだと言った。その表現は腑に落ちて、もし真実だとするのならば、きっと私は諦めが悪いのだろう。諦めの全てを姉さまに吸い取られてしまったのだろう。だからこうも怒れる。
 この世に蔓延る不幸の数々に我慢がならない。

 大丈夫ですか? どこか痛みますか? 看護師が私の顔を見て、心配そうに言った。無意識のうちに顔を顰めてしまっていたかもしれない。かぶりを振って、大丈夫ですと答える。
 検査結果は数日のうちに出るそうだ。異常は無自覚だけれど、無自覚な異常のほうが恐ろしい。

 病院を出ると大淀がベンチに座っていた。紙パックのフルーツ牛乳を、凹ませたり膨らませたりしている。随分と暇を持て余している御様子。

「終わりました? どうでした、検査」

 大淀は近くにあった屑籠へと紙パックを投げた。シュート、と呟きながらの投擲は、きれいな放物線を描き、しかし外れる。首をかしげながらてくてく歩いていって、結局自分の手で叩き込んだ。

115 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/14(月) 21:37:27.34 ID:UFSxYV+50

「窮屈だったわ。身動きもあまりとれなかったから」

「そうですか。体の調子はどうです? 生活に支障なくとも、本調子ではないですか?」

「そうね。でも、こればかりはどうにもね。動かなければ動かないで、余計鈍ってしまいそうだし……」

 手を握り、開く。問題はない。肩も、肘も、膝も、足首も。ただ、ときたま大きく呼吸をすると、咽てしまうことがあった。

「これからどうしますか? 予定していた時間までは少しあります。札幌駅や狸小路やらで時間を潰すのはありですが」

「出発は、明後日、だったかしら」

「はい。現在、母艦『しおさい』は室蘭から函館に移動しています。札幌からは電車で三時間といったところでしょうか。生活必需品を揃えるよう、後藤田提督からは仰せつかってます。あ、勿論経費で落ちますんで、ご心配なく」

 大淀は眼鏡のブリッジを中指であげた。出処の不明な自信が顔面に貼りついていた。

116 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/14(月) 21:39:47.43 ID:UFSxYV+50

「買い物は最後にするわ。重たい荷物を持っての移動は避けたいし」

 そもそも、物欲は少ない方だ。幼少のころから欲しいものが手に入ることは稀だった。私も姉さまも、暇を紛らわすのはもっぱらふたり遊びで。
 と、ぐうぅ、大淀の腹が鳴った。盛大に。
 彼女は誤魔化さずに、寧ろ破顔一笑して、「なら、早めの昼食と洒落込みましょう」と言ってのける。私の手をとって辺りを見回し、適当なファミレスを見つけると、ずんずんと進んでいく。

「ここは私の奢りです。なんでもどうぞ」

「そんな、悪いわ」

「いえいえ。新しい仲間に、乾杯というやつで」

 仲間。耳がこそばゆくなる響き。
 顔が熱い。大淀の顔を直視しづらくなって――恥ずかしい台詞を容易く言ってのける彼女のせいでもあるし、自らの赤い頬のせいでもある――私はメニューへ目を落とした。

117 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/14(月) 21:46:28.23 ID:UFSxYV+50

「なら話が早い。国村一佐はガチガチの現場主義者ではありますが、かといって彼の独断専行を許さない派閥も確かに存在しています。空軍に手を借りるなんてもってのほかだ、なんて輩も。
 そこで私の出番というわけです。艦娘という存在が、決して海軍の手から離れないように、空軍の手に渡らないように、目を見張らせろと……眼鏡を光らせろと」

 くふ、と大淀はまたも笑う。

「……それを公言しても大丈夫なの?」

 話を聞く限り、スパイというか、空軍である後藤田提督たちとは相反する立場のようだけれど。

「海軍の目論見は当然ですよねぇ。だから空軍も、後藤田提督も、当然それくらいはしてくるだろうと思っています。その時点で私の役目なんて終わったようなもんです。
 そして上のやつらは、少し目が悪い」

 眼鏡のブリッジを中指で上げる。癖なのだろうか。

「人選ミスですよ。私なんか」

 口を水で湿らせて、大淀。
118 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/14(月) 21:47:25.87 ID:UFSxYV+50

「上層部に与したところで給料がちょろっと上がるだけじゃないですか。特別褒賞が出て、徽章を貰って? はっ! ばからしい。いらねーって話ですよ。いや、落ちてる金は拾う主義ですけどね。
 いいじゃないですか、CSAR。私はその理念に、主義主張に、ひどく共感を覚えています。後藤田提督は一癖以上あるとはいえ有能です。派閥争いでぽしゃらせるには、少しばかり惜しさが勝る」

「裏切ったということ?」

 なんという胆力だろうか。
 私のそんな、呆気にとられた質問に、大淀は本日何度目かわからない莞爾とした笑いを作る。

「あはっ! 人聞きの悪いことを言いますね! ちょっとだけ、ほんのちょーっとだけ、この軽巡大淀、上層部の期待外れに無能だったというだけのお話です」

 と、そこで食事が運ばれてくる。和膳定食とハンバーグ。肉汁が鉄板に炙られる芳しい香りが一気に充満し、ともなって私も自らの空腹を自覚する。
 箸、ナイフとフォークをそれぞれ手に取って、目の前の食事に集中する。

119 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/14(月) 21:58:01.64 ID:UFSxYV+50

 大淀が肉を一口大に切っていく。ちょうどいいミディアムレア。薄く桃色の内部からは、切ったそばから肉汁が溢れ、照明を反射しててらてら光っている。
 フォークでそのうち一つを刺して、口へと運んだ。そのまままるっと一口で。

「それに、思いませんか?」

 眼鏡の奥の瞳は笑っているが、獰猛の色が隠せていない。

「人が死んだら、寝覚めも悪い。食事の味も感じない」

「……」

 豚の生姜焼きを口に運ぶ。甘辛い。鼻へと通る生姜の爽やかさ。五穀米の風味とバラエティに富んだ触感が心地よい。
 きっとそれは、私が死を乗り越えつつあるということなのだ。大淀の言葉が正しいとするのならば。
120 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/14(月) 21:59:52.93 ID:UFSxYV+50
――――――――――――――
ここまで

長らく付き合ってくださっている方々はご存知かもしれませんが、設定厨なので、
こういうだらだら設定を開陳しているだけの話が好きです。

ちなみにストリーの目途はついていません。のんびりお付き合いくださいませ。
121 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/10/14(月) 23:09:45.89 ID:CEJt07udo
おつ
潜水艦から見てる
122 : ◆yufVJNsZ3s [sage saga]:2019/10/15(火) 01:58:02.25 ID:ZRvbolp/0
>>121
ありがとうございます。今すぐにギャルゲーシリーズと単発作品も網羅しましょう。
123 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/10/16(水) 03:49:46.26 ID:4lvS3kWIo
没になったトラック島は壊滅しましたからみてる
124 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/10/17(木) 13:51:23.60 ID:blhg1PulO
ギャルゲーから
全部すき
125 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/19(土) 01:02:58.20 ID:oirXOrgR0

「……」

 紺色のスクール水着を身に着けた少女たちが、私たちの目の前に立っていた。一人の男を囲むように――護るように、一部の隙もなく。
 その佇まいは一見すると傅く下女のようでさえあるのに、私は熱気にも似た空気の泥濘に囚われて、微動だにできない。手のひらが汗ばむがそれさえも拭えず

 八畳か十畳かそれくらいの広さのレンタルオフィス。その男は安っぽい椅子に背を預け、さわやかな笑みを浮かべている。随分と美形で、広報官がどこかの芸能事務所から連れてきたと言えば信じてしまいそうになるくらいだが、けれどその笑みの奥底は知れない。
 私たち「浜松泊地」のメンバーは、後藤田提督を先頭に、壁を背にして直立している。両足の踵をつけ、背筋をぴんと張り、間違っても不敬のないように。

126 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/19(土) 01:03:38.70 ID:oirXOrgR0

「後藤田、元気か。調子はどうだ」

「可もなく不可もなく、と言ったところです」

 恐らく後藤田提督の方が年齢は5、6も上だろう。ただし三尉と一佐、階級の差は歴然としている。空と海という管轄の違いはさして垣根の役割を為さない。
 とはいえ、その関係性はどこか気軽さもあった。男は軽く提督へと話しかけるが、そこにはきちんとした敬意が払われているように感じられたし、提督も敬語で応じこそするけれど、あくまで形式的なものに過ぎない。

「また新しい艦娘を拾ったんだってな。その後ろの美人がそうか」

「てーとく」

 側近のうちの一人、桃色の髪の少女がじろり、睨みつけた。男は喉の奥で笑う。

「悪い悪い、怒るなよゴーヤ。冗談だ」

「ったく」

 眼鏡の少女が額を抑える。桃色の少女が腕を組む。瞳に星の散った少女があくびを噛み殺す。紅色の少女が大きく嘆息。
127 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/19(土) 01:09:03.23 ID:oirXOrgR0

 その一連のやり取りは、きっと五人の間でのみ通じる符丁のような何かだったのだろう。わたしと姉さまが目配せで意図を伝え合っていたように、そうやって五人は互いの絆を確かめ合っているのだ、そんな気がした。
 彼女たち全員の薬指には指輪が輝いている。

「ま、新入りに話があるのは本当だ。おれは国村。国村健臣。名前くらいは聞いたことあるだろう? ……というのは少し自信過剰にすぎるか」

 反応していいものだろうか? 周囲を窺うと、後藤田提督から大淀、大鷹まで、みんなが私を見ていた。
 唾を呑みこんで、半歩前に出る。

「いえ、お名前だけなら何度も」

「そうか。おれも随分と有名になったもんだな」

「有名税もだいぶ払ってるでち」

「まぁそう言うなよ。たま……田中のおっさんの後釜ってだけで、敵が多くっていけねぇ」

「ちなみに、そこのコンセントんとこに盗聴器仕掛けられてたのね」

「やっぱりか。確認させといてよかったな」

「どうします? このレンタルオフィスの法人、裏とりますか?」

「どうせ小金もらった従業員の仕業でしょ。わかりっこないわよ」

128 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/19(土) 01:12:22.20 ID:oirXOrgR0

「お前ら少し黙ってくれ。おれは『浜松泊地』に用があって、北海道まで来たんだ。
 んで、新入り、CSARにはもう慣れたか?」

「いいえ、残念ながら、入って日が浅いので」

「いずれ嫌でも慣れる。それこそ『残念ながら』だが、おれは人遣いが荒い方なんだ。悪く思うなよ。おれのせいじゃない。おれに仕事のやり方を教えてくれた野郎のせいだ。
 おっと、失礼。話が脱線したな。なに、難しい話じゃねえ。軽い説明なら後藤田やらお仲間からあったろうが、決して忘れて欲しくない本懐というものもあってな」

 本懐。CSARの? それとももっと政治的ななにか?
 わからない。この国村一佐という男の、それこそ本懐が読み取れない。真意を探ろうとしているうちに、気づけば手のひらの上で踊らされているのではないか、そんな疑念。いや、探ろうとする行為そのものが既に呼び水?

129 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/19(土) 01:13:32.04 ID:oirXOrgR0

「勘違いしないで欲しいんだが、CSARは単なる救助作業じゃあない。勿論、誰かを救うことは名誉なことで、重要なことだ。だが、本懐はそこになく……つまりおれたちは、大人の都合で誰かが犠牲になるのを防ぎたいわけだ」

「……」

 私は心の中でいま彼の言った言葉を反芻し、肚の中へと納めて、どうして後藤田提督と親密なのかを理解した。似たような言葉を、先日、私は甲板の上で聞いている。

 大人の都合。犠牲。
 このひとは、私がそうやって使い潰されそうになって、沈みかけ、拾われて、そうした紆余曲折の結果としてここに立っていることを知っているのだろうか? ……知っているのだろう。無根拠にそう感じた。同時に、それは随分とおかしな話であるようにも。
 現場主義者の国村健臣。それはきっと彼にとっては都合が悪い立場のはずだ。わざわざ風上を向いて歩いているようなもの。何が楽しくて、あるいは何が楽しくなくて、そんな真似をしているのか。

130 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/19(土) 01:18:48.77 ID:oirXOrgR0

「……っ!」

 つい覗き込んでしまった彼の瞳の色を見て、背筋が凍りそうになる。
 眼を逸らしてからしまったと息を呑む。けれど彼はにやり、意地の悪そうな笑みを浮かべるばかり。

「ゴーヤ」

「なぁに」

「『おれ』は狂っているか? 『俺』もまた狂ってんのかな?」

「たまにそーゆーわけわかんないことを言わないで欲しいでち」

「悪い悪い。んで、なぁ、新入り。他人のために頑張ってくれよ。自分のために頑張ると、人間、とかく手を抜きたがる生き物だ。理屈と膏薬はどこにでもつく。自分に言い訳をするのは簡単だからな」

「……善処します」

 言って、疑問が浮かぶ。他人のために。誰のために?
 私にはもう、そんな相手なぞどこにもいやしないというのに。

131 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/19(土) 01:19:49.25 ID:oirXOrgR0

「んで、後藤田よぅ。目的の用事なんだが」

「はい」

「『イベント』の予兆が感知された。お前らにも当然出張ってもらうことになる。忙しくなるから覚悟しておいてくれ」

「イベント、ですか」

 僅かな逡巡、思案の間を挟んで、後藤田提督。

「……眉唾だとばかり思ってましたが」

「深海棲艦が徒党を組んで襲ってくるだなんて、気軽に話せる内容じゃねえよ。ただでさえ色々うるせぇんだ。戦争をやめろだの、艦娘の労働環境がどうだの……敵と和解できないのか、だの。ひひひっ」

 深海棲艦という存在、艦娘の在り方、敵対路線――どんなに最善を尽くそうと試みたところで、反対する派閥は必ず出てくる。それも同じ組織の中からではなく、市井の一般人の中から。
 私たちは既に辟易し、耳を塞いでいるそれら外野の声を、さすがに上層部はまるきり無視はできないのだろう。少なくとも、「意見を参考にします」というポーズはとっておかなければならない。

132 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/19(土) 01:26:45.25 ID:oirXOrgR0

 そんな中でのイベント――私も後藤田提督ときもちは同じだ。まさか本当に、深海棲艦による統率のとれた襲撃があるだなんて。

「そんな顔をするんじゃねぇよ」

 自分のことを言われたのかと思い、はっとする。しかしどうやら違ったようだ。というよりも……大淀にはじまり、大鷹、不知火、グラーフ、なんとポーラまで、信じがたいといった表情を浮かべている。後藤田提督だって。
 もしかしたらこんな表情は見慣れているのかもしれない国村一佐は、酷く不愉快そうに笑った。

「散々、深海棲艦は意識も命もない化け物だ、なーんてのたまってきてたのに、今更混乱の種なんか蒔くわけにはいかねぇよ。信じられないか?」

「頷き難いのは事実ですが、そこを問うのが仕事ではないんで」

「大人の態度だな。ありがたい。
 規模に関しては不明だが、予定では鎮首府一つ、泊地二つが合同で邀撃にあたる算段をつけている。お前ら『浜松泊地』には、通常通りの任務……つまり救難救護を頼みたい」

「敵の数、質、目的、全て不明ですか?」

「深海棲艦のことが明瞭になったことなんざ一度もねぇよ。そうだろう?
 ただ、これは脅かすわけじゃあねぇが、最悪のパターンだと……トラック、聞いたことくらいはあるだろう」

133 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/19(土) 01:27:14.86 ID:oirXOrgR0

「あぁ……」

 ため息にも似た声を出す後藤田提督。わかる。私でさえも、その遠い南洋の泊地のことは、聞き及んでいる。
 数年前に深海棲艦の襲撃にあって滅んだという泊地。まさかそれがイベントによるものだったなんて。

「詳細は秘匿回線で共有するが、あんまりのんびりもしてられんみたいだ。近々でブリーフィングも控えている」

「わかりました。しかし、秘匿回線を使うのなら、わざわざ北海道まで来る必要はなかったのでは?」

「あぁ? そりゃあお前、あれだよ」

 どれだ?

「新人の顔も見たかったし、こういう重要な話は、最初だけでも対面しておくほうが後々いい方法に進みやすい。それに……」

 国村一佐は周囲をちらり、見回す。何があるでもないというのに。
 いや、違う。彼の周囲には少女たちがいる。手塩に育てたという噂の、はじまりの潜水艦、その四人が。

「こいつらが旅行に行きたいとうるっさくてきかねぇんだ」

134 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/19(土) 01:28:06.97 ID:oirXOrgR0
―――――――――――――
ここまで
135 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/10/19(土) 11:52:32.88 ID:y9q/Soqeo

国村さぁぁぁぁん
136 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/10/19(土) 15:38:16.83 ID:khZpo2XRo

「イベント」、なるほど「イベント」ね
137 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/23(水) 02:10:07.92 ID:0ARiWsal0

「……この仕事も難儀ですね」

「どうした、唐突だな」

「常に哲学は個人の頭の中に、ポン、渦巻いているらしいぞ」

「そもそも山城、お前、実戦まだじゃねぇか」

「しないに越したことはないでしょうリーチ」

「『しないに越したことはないでしょうリーチ』ってなんだ、淀の字」

「期待値的にはすべきだぞ。なぁ?」

「当然だグラ子。裏も乗るしな」

「いえ、まさにその通りで」

 私は手元の牌に目を落とした。牌姿は正直にいってよくない。十順目を過ぎてなおリャンシャンテン……素直にベタオリが正道なのだろうが、現物は二つきり。どこまで安牌でしのげるか。
 とりあえず現物だ。三萬を切る。

「チー」

 すかさずグラーフからの鳴き。二風露目だ。迷わずの打八索は生牌で、聴牌気配が濃厚。もし和了されるとしてもグラーフのほうが傷は浅そうに思える。

138 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/23(水) 02:11:40.30 ID:0ARiWsal0

「仕事がなくていいものなのかな、と思ったの。こんな」

 対子の北を切る。声はあがらない。セーフ。

「船の中で麻雀なんかやって」

 グラーフがツモり、手牌を倒す。タンヤオ、ドラ1。500・1000。
 親っかぶりだ。連荘の目はなかったとはいえ、こうやってこつこつと削られるのが一番きつい。点数は17800でラス、トップは33500のグラーフ。満貫直撃で逆転圏内ではあるが。

「だけど、大淀の言うとおりなんだわ。『便りがないのがよい便り』というか……暇ということは、平和ということなのよね」

 こんな、暇を持て余して麻雀に興じることができるくらいには、いまの私たちには余裕があった。自由もまたあった。
 北海道を出立して幾日か経ったけれど、緊急の要請がかかることは一向になく、台風の接近による天候の不順も相まって、岩手のあたりで停泊を余儀なくされている。外に出たところで寂れた港があるばかり。必然的に引きこもらざるを得ない。
 こうやってのんびりとしていられるのは仮初の平和に過ぎないのだろう。こうしている間にも、きっと、世界のどこかで誰かが苦しんでいる。泣いている。不幸な目に遭っている。この安寧は単なる無知に他ならないのだ。

139 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/23(水) 02:13:38.90 ID:0ARiWsal0

 だから、知覚できない以上は、この世界は平和なのである。麻雀に興じられる程度には。
 
 そうなのだろうか? そうなのだろう。それは随分と利口な――「お利口さん」な判断のように思えてしまって仕方がない。

 姉さまの、諦念に満ちた笑顔が、脳裏にちらつく。

 誰かを救うために自らを犠牲にする必要はないと提督は言った。普く正しさを凝縮したような言葉。ただし、それは後藤田一という男の言葉ではないように感じた。あくまでCSARを預かる「後藤田提督」の言葉なのだと。
 本心はなかったとしても、蓋し至言ではある。私だって誰かの身代わりになりたくて入隊を希望したのではない。
 自分の手に余ることを望んでも零れ落ちていくばかり。それもまた後藤田提督が私に言ったことだ。過去や未来、あるいは期待や誇りを胸に抱き、人は死地へと飛び込んでいく。しかしできないことはできない。高潔な志は最後のひと踏ん張りを与えてくれるが、互いの力量差をひっくり返すほどではない。

140 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/23(水) 02:15:17.17 ID:0ARiWsal0

 拳を握りしめる。
 不幸というこの困ったやつを、力いっぱい殴りつけたとして、玻璃のように砕けてくれるものか?

「山城」

 声をかけられてはっとする。オーラス、一巡目。まだ私は手をあけてもいない。

「……これは」

 十種十一牌。南、白、そして九筒だけが欠けている。ドラは發で、それが二枚。

 最後にこんな爆弾を寄越してくれて。
 倒して流したところでどうにもならない。どうせラスなのだから、前に出るしかない。
 とはいえ聊か判断に困る。欲しいのはあくまで満貫直撃、あるいは倍満ツモ。役満は少しばかり贅沢に過ぎる。特に国士なんて警戒される可能性は高いのだ。

 ドラの發が二枚あるのもまた難しい。早い順目で鳴ければドラ3狙いもできるが、この局面でドラが簡単に出るとは思えない。流局すればいいだけのグラーフは硬く打つはずだし、大淀も牌は絞る方だ。頼みの綱は提督だけ。
 そしてドラ3を目指すのであれば、この牌姿は単なるゴミに等しい。混一を絡めても跳満止まり。

 とりあえず、急かされるように二策を切る。

141 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/23(水) 02:16:35.13 ID:0ARiWsal0

 2着の大淀は28100点、3着の提督は20600点。大淀は5200出上がりでもだめだし、1000・2000ツモでもだめ。1300・2600以上がトップ条件。提督は満貫をツモれば2着には浮上できるものの、それは私も状況は同じで、苦しい勝負と言っていい。
 さて、どうするか。こんなところで引いてきた――この半荘で初めての――赤五萬を憎々しげに眺めての逡巡。
 この役満風な配牌は罠なのではないか? くそったれな神様が不幸な私に見せつけた偽りの甘露なのではないか? 国士無双は難しく、それならば満貫ツモ、あるいは大淀かグラーフからの出上がりを期待したほうが、まだ上がり目は有りそうな気がする。
 その可能性を追求するならば、この赤五は重要だ。發が暗刻にならずともドラ2赤1で満貫がとれる。ダマテンにならないのは痛いが……。

142 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/23(水) 02:18:06.78 ID:0ARiWsal0

「戦争の最中にも一過性の平和はあります。台風の眼のような」

 大淀は手牌をかちゃかちゃと弄びながら、薄く笑う。

「戦いなどないほうがいいのは当たり前ですが、戦いなどないのが当たり前という認識は、極めて深刻な誤謬を我々に齎します。備えた上での平和なのです。平和の上に胡坐をかいて、備えないなどもってのほか」

「おう、淀の字、急にどうした」

「いえ、山城さんが随分悩んでいるみたいだったので」

「我々艦娘は、随分れっきとした備えだからな」

「えぇそうです、グラーフさん。我々自身が戦いから眼を背けるのは敵前逃亡に他なりません。致命的な……名誉を傷つける敗北です。負け犬と呼ばれてもおかしくはない」

「私は負け犬にはならないわ」

 赤五を切る。僅かに三人の顔色が変わる。

143 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/23(水) 02:19:05.90 ID:0ARiWsal0

 私はやはり怒っているのだろう。ありとあらゆる、様々なことに。身の回りに普く不幸や、助けられなかった誰かや、これからまみえる戦火に包まれた海に。
 生きることは辛いことの連続だった。ただ、それでも、辛いことに慣れたことは一度もなく、そして生きたくないなんて思ったことも一度たりとてない。負けてばかりの人生だが、人生と敗北を等号で結びつけるような人間ではない。

 苦しく死ぬか、楽に生きるか。

 後者を選ぶには、私は少し、不幸に過ぎた。

 きっとこの怒りをぶつける矛先を探しているのだ。
 頭上の拳を振り下ろし、勝ち取ってこその人生なのだ。

 目指すは役満、国士無双。

 ツモは進んでいく。河は二段目へと差し掛かり、山も半分近くが消えた。發は出ない。シャンテンも変わらない。發、東、一萬が対子の十種十三牌。残るは白、南、九筒。

「クソ、どうする……?」

 提督が唸る。舌打ちをして、手牌をじっと眺め、そして一枚に手を懸けた。

「どうだっ」

 發。

144 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/23(水) 02:20:51.13 ID:0ARiWsal0

 視線が吸い寄せられる。手が止まる――止まってしまう。まずい。大淀とグラーフがこちらを見る。ばれた。發が手元に二枚あること、そして何より、僅かな逡巡を。
 発声を迷ったということは、まだ聴牌してないということである。役満の気配はそれだけで他家の動きを止める。が、それはこちらが聴牌している「かもしれない」からこそ作用する。
 なんてことだ。自分で自分に怒りが向いた。この卓における私の脅威は消滅した!

 ここぞとばかりに大淀が白、そしてグラーフも合わせての白。ドラ表示牌が白なので、あと一枚。
 私のツモ――發。發! どうする? どうする!?
 發ドラ3だと満貫止まり。混一、あるいは対々をまぜて跳満。だめだ、足りない。ツモってもグラーフは捲れない。二着で満足するか? できるのか?

 指先が汗で滑る。

「私は負けない」

 ツモ切り。あくまでゴールは決まっている。

 勝ち負けとは結果だけで論ずることのできることではない。たとえ今負けていても、不幸の最中であったとしても、勝利を、幸福を希求しもがくこと、その姿勢、それこそがこの山城という女の道程に他ならない。
 血を吐きながら、這いつくばって、無様に、みっともなく。

 私は幸せを目指す。怒りに身を焼きながら前へと進んでやる。

145 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/23(水) 02:21:27.74 ID:0ARiWsal0

「ツモ切りってことは、ひとまずこれで安心だな」

 そう言って、提督の手から放たれたのは、無情な白。
 ほっと弛緩した空気が流れる。これで私の役満の目は消えた。グラーフも、大淀も、私を意識から外そうとしている。蚊帳の外に置こうとしている。

 許せない。

 させるものか。

 大淀が怪訝そうな目でこちらを窺っている。私の目に、闘志が宿っていることに気付いたのだろう。
 私にはまだ道が残されていた。混老七対子、リーチ、ツモ、裏裏で倍満。目指すべきは勝利、勝利するにはそれしかない。

 ツモ牌は北。これで四対子。残りのツモは九回。間に合うか?

 大淀が聴牌気配。しかし点数が足りていないのか、あるいはこちらを警戒しているのか、特に動きはない。提督もツモが悪いのか先ほどからツモ切りを続けている。
 グラーフは完全にベタオリに入っており、私たち三人の捨て牌から通りそうな牌をひたすら切り続けている。

146 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/23(水) 02:22:57.14 ID:0ARiWsal0

 残り七巡。ツモは中。
 残り四巡。ツモは九策。

「っ!」

 張った。混老七対子、待ちは西。山には、一枚。可能性はある。

「リーチ」

 打、九筒。発声はない。
 千点棒が小気味よい音を立てて卓へと転がる。

「クソ、だめだな」

 提督は、恐らく対子落としなのだろうか? 三萬を切った。名実ともに降りたのだ。

「リーチですか」

 大淀が言う。

「なら、足りますね。その三萬、ロンです」

 断么九、一盃口、赤。5200。

「御無礼」

 大淀は悪魔のような顔で笑った。
147 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/23(水) 02:24:07.78 ID:0ARiWsal0
――――――――――――
ここまで
謎の麻雀回。

なんか、こう、艦娘たちの日常をだらだらと書いていきたい。
もうちょっと漫画とかが書けたらなぁ。
148 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/10/23(水) 07:54:03.80 ID:DniX85fHO
こういうのも好きよ
乙乙
149 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/12/13(金) 00:01:21.83 ID:UUi0rN470
やっと追いついたー 次の更新はいつかな?
150 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/19(水) 21:15:54.79 ID:5AFgp54J0

「だめだだめだ。大淀、ちっとは手加減しろよ、素寒貧だ」

「いいじゃないですか。たんまりもらってるんでしょう? 『上官殿』」

 牌を倒しながら、後藤田提督は自らもまたカーペットの上に倒れた。その口調は投げやりと勝算が半分ずつで、大淀は上半身を彼へと僅かに寄せると、にんまり笑う。
 グラーフがこれまでの点数をまとめている。大淀が独走状態でトップ。グラーフは小勝ちにとどまったが、チップの枚数は誰よりも多い。三位が後藤田提督、四位が私だが、チップを加味すればトントンと言ったところか。

 私はとりあえず、誰かが崩してくれることを期待して万札を二枚出した。懐は痛いが、不思議な、不思議と、満足感があった。高揚感もまた。
 もし誰も見ていなければ、私も後藤田提督のように空を仰いでいたかもしれない。

 同じように万札をテーブルへと置き、彼は立ち上がる。

151 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/19(水) 21:16:23.89 ID:5AFgp54J0

「余った分は呑みにでも使え」

「だめです」と、大淀。「賭け事での勝ち負けはきちんとしませんと。その上で、奢ってください」

「相変わらず細けぇやつだ。なら、戸棚の日本酒、四合瓶のほうな、あけちまってくれ。悪い酒じゃないんだが、少し甘口すぎたな」

「命令とあれば」

「んで、代わりと言っちゃなんだが、片付けは頼む。仕事からは逃げられんらしい」

 こめかみを押さえて……恐らく通信が入っているのだろう。
 私ですら気づいたそのしぐさ、大淀とグラーフが気づかないはずもなかった。一瞬で目の色が変わる。紫電が走る談話室の空気。踵を軽く浮かせ、号令ひとつで射出される火の玉のひとのかたちがそこにはある。

「落ち着け」

 短く、後藤田提督はまずそれだけを言った。

「血に飢えた狼か、てめぇらは」

「必要とあらば」

 即答の主はグラーフ。怜悧な彼女はいつもの毅然さをそのままに、顎を上げる。相手を真っ直ぐに射抜く。

「私たちにこの生き方を与えてくれたのは、他ならぬ提督、あなただろう」

152 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/19(水) 21:16:51.89 ID:5AFgp54J0

「安心しろ、救難じゃあねぇ。事務仕事だ」

「急を要する事務仕事、ですか。プリントの提出期限が過ぎていましたか?」

 笑う大淀は、その実笑っていない。グラーフも変わらず後藤田提督の機微を見逃すまいとしている。

「当たらずとも遠からず、だな。先週の予算審議で、うちの活動内容に指摘が入ったらしくてな」

「監査でも入るのか?」

「そういうわけじゃねぇが。ま、最近は少なくなってた縄張り争いだよ。海軍だけで十分だと、そういうことらしい。会敵回数と戦闘規模、負傷者の数、弾薬や油の消費……そりゃあ、失敗した作戦を除いて計上してんだ、当然だわな」

 その声には怒りよりも呆れが強く浮かんでいたように思う。
 よっこいせ。おじさん臭い掛け声で後藤田提督が腰を起こすと、釣られるようにグラーフも立ち上がった。

「データのまとめや資料作成くらいは手伝おう」

「悪いな、グラ子」

「なぁに。私たちは一蓮托生なのだ、そんな言葉など聞きたくないな。
 それでももし提督、あなたに慮る気持ちがあるというのなら、今度酒でも奢ってくれればいい」

「はは。覚えておくさ」

「頼んだ。いい店を見つけたんだ」

153 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/19(水) 21:17:23.27 ID:5AFgp54J0

 そう言って二人は部屋を後にした。かつん、こつん、廊下に反響する二人分の足音。

「……」

「……」

「ねぇ」

 零れた私の言葉を大淀は聞き逃さないでいてくれたようだった。すぐに「なんです?」と返ってくる。

「グラーフって」

「それ以上は、野暮ってもんですよ」

「いや、でも、あれで隠してるつもりなの?」

「えぇ、まぁ。本人的には?」

 好意を。

 私は見た。見てしまった。後ろに回した手、その指が、もじもじと乙女の喜びを示していたのを。
 色恋とは縁遠い世界にいたせいか、私自身そういうのにとても疎いから、もしかしたら間違っているのは私のほうなのかもしれないけれど。……グラーフはいまにもスキップしていきそうに思えた。
154 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/19(水) 21:18:14.92 ID:5AFgp54J0
 年の差はかなり離れているが、それが大した障害になるようには見えない。なんなら「艦娘」というこの身のほうがよっぽどだろう。顔の好き嫌いは十人十色だから捨て置くとして、性格に関しては文句のつけようもない。
 真っ直ぐな人は心地いいものだ。あの人はぶれずにこちらを想ってくれるし、こちらがぶれないことを知れば、尊重してくれもする。たった数週間、同じ船に乗っていただけの私でさえそうなのだ。グラーフ、彼女の心境やいかに。

「うふふぅ、いーいですよねぇ、あーゆーのぉ」

 頬を赤く染めてポーラが立っていた。紅潮は、しかし、恋の話に現を抜かしているからではもちろんない。豊満な肢体に押し付けられたワインのボトルはそろそろ底が尽きそうだ。グラスさえ持っていない。まさか、喇叭?
 私のそんな疑問へポーラは親切にマルをくれた。目の前で実演してみせて、壁へと背中を預ける。

155 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/19(水) 21:19:04.27 ID:5AFgp54J0

「来たばっかりのころ、わぁ、もう、ずーっと、こう、こうだったんですからぁ」

 眉を吊り上げてみせる。寡黙なしかめっ面。

「ドイツ軍人はみんなそうなんですかね? いや、軍人とはかくあるもの、なんでしょうか」

「そんなにひどかったの?」

「上司の命令はぁ、ぜったーい! なんでーす」

 相変わらずふわふわほわほわした調子でポーラ。

「そんなのつまんないじゃないですかぁ? ねー? 山城さんもそう思いますよねーえ?」

 私は大淀を見た。海軍のスパイを、同時に空軍の頼れる味方を。
 選ぶことができる、というのは大切なことだ。そこには当然苦しみも併存している。選択に限らず、私たちの全ての行為には責任が伴い、痛みも生まれ、だからこそ踏み出す一歩が力強くなるのである。
 大淀は選んだ。不知火と大鷹も、全てを失ってなお戦いに身を投じることを選んだ。ポーラは……。

156 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/19(水) 21:20:43.01 ID:5AFgp54J0

「?」

 ついに空になったボトルの底を天へと向け、数滴、舌の上へと落とす。

「……」

 私だって、海の上に残ることを選んだ。選んだのだ。そう、私が。誰に強制されたわけでなく、他ならぬ自分自身で。
 このまま負け続けるわけにはいかなかった。不幸せに甘んじるわけにはいかなかった。
 幸せは勝ち取るものだ。少なくとも、私にとっては。勝ち取ってこそ。自らが手を伸ばし、掴んだものにこそ、至上の幸福が宿っている。だから私はいまここにいる。こうしている。生きている。

 もしも全てが終わった暁には、私にも恋ができるだろうか? あのグラーフのように、姉さま以外の誰かのことを想って、澄み渡る笑顔を浮かべることができるだろうか?
 あるいは、誰かの隣を歩きたいと、そう思えるときが来るのだろうか?

157 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/19(水) 21:21:52.17 ID:5AFgp54J0

「だいじょーぶ、ですよぅ」

「……人の心を読まないでくれる?」

「ぜーんぶうまく行くんですから。そーゆーことにしときましょー。ね? だって、ヤじゃないですかぁ、肝臓のこと気にしてお酒飲むのって」

 ボトルの口を一舐めして、うふふ、と笑う。

 リズムを崩されている、と思った。まるでなんにも考えていないような彼女の、まるでなんでも見通しているような瞳が、どうにも恐ろしさを伴って私に飛沫を降らせているらしい。
 大淀はやれやれといった調子で牌とマットを片付けにかかる。私も手伝おうとした矢先、卓の手前、結局テンパイ止まりだった逆転手が眼に入った。

 これが未来の私である可能性は大いにあった。
158 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/19(水) 21:22:41.98 ID:5AFgp54J0
―――――――――――――――
ここまで。リハビリ

頑張らなくても書けるようになりました(なります)

待て、次回。
159 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/02/19(水) 23:24:12.63 ID:GhjYyNvy0
更新嬉しい
待つぞ次回
160 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/02/19(水) 23:36:09.49 ID:5dL7xoVoo
舞ってる次回
161 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/02/19(水) 23:48:55.85 ID:9aQaBcf6O
ヒャッハー更新に感謝、次をじっくり待つぞ
162 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/02/20(木) 08:54:06.84 ID:8yqurxRgo
乙乙
めちゃくちゃ待ってたから更新されて凄く嬉しい
163 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/24(月) 21:19:50.82 ID:cZJ7+2AW0

 波を切り、風を切って、船は悠々と進んでいた。私は甲板で行き先を見ている。何もない海原を。
 平和な海だった。水平線の上に僅かな積雲が積み重なっているばかりで、空は遠近法によってその青さをどんどん薄めていく。
 それは喜ばしいことだった。そのはずだった。医者や警察は暇であればあるほどいい。兵士もまた然り。だから、私がこうして甲板でのんびりしていられるということは、世の中が平和な証左でもある。

 髪の毛が乱れる。風が体温を奪う。体がぶるりと震えたので、そろそろ頃合いか、踵を返して鉄扉を目指した。

 体内で熱が渦巻いている気がした。

 それは後藤田提督が言うには「怒り」なのだ。私は姉さまのように諦めを無駄に抱いては生きられない。胸に怒りを抱いて生きていて、深海棲艦も、海軍も、この世に普くありとあらゆる不幸も、とかく私を苛立たせる。
 脚を向けた談話室では大鷹がノートに書き取りをしていた。離れたソファでは不知火が文庫本を読んでいる。

164 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/24(月) 21:20:19.05 ID:cZJ7+2AW0

「どうしましたか? 誰かお探しで?」

 活字から視線を逸らして不知火。私は小さく頭を振った。

「いえ。手持無沙汰で、どうもね」

 後藤田提督の旗下に就き、「浜松泊地」の一員となって既に二週間ほどが経過したが、CSARとしての活動はその間に一度もなかった。
 無論遊んでいたわけではない。細々と体の検査はあったし、そうでなくとも条約や作戦行動についての知見は得なければならなかった。彼女たち仲間と呼吸を合わせるための演習も何度も行った。
 わかっている。戦いの最中に何ができるかは、戦いの前に何をしてきたかに大きく左右されうる。実戦にすぐに出たがるのは新参兵にはありがちで、ゆえに彼らはすぐに死ぬ。そして私はとっくに新参を過ぎてしまっている。

 心臓が大きく脈を打った気がした。
 血潮の熱さが体表にまで伝わっている錯覚。

 いや、あるいは、錯覚ではないのかも。

165 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/24(月) 21:20:44.66 ID:cZJ7+2AW0

「そうですか。本ならいくらか貸せますが」

「大丈夫、気持ちだけありがたく受け取っておくわ」

 不知火はちぃとも気を害した様子を見せず、また「そうですか」とだけ呟き、活字へと目を戻す。
 大鷹のほうは勉強のようだった。艦娘の就学形態は様々だ。大きな港湾に拠点があるのならそこから直接学校に通うこともできる。そうでなくとも、中規模以上の鎮首府であれば、サテライト授業は大抵どこでも完備している。
 ここは船の上だからまず間違いなく後者だろう。宿題か、予習か。どちらにせよ微笑ましいことだ。

『あぁ、もしもし』

 後藤田提督の声が脳内に響く。それは私だけではなかったようで、不知火も、大鷹も、電撃が走ったように立ち上がった。

『客だ。後部第一甲板、緊急の梯子に取り付いている』

166 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/24(月) 21:21:11.66 ID:cZJ7+2AW0

 客? 客だって?
 ここは海の上なのだけれど。
 ……というか、取り付いている?

 え?

 一瞬敵襲かとも思ったが、それにしては後藤田提督の声に緊迫感がない。不知火と大鷹も、当意即妙といったふうでぱたぱた部屋の外へと駆け出していく。

「あ、あのっ。山城さんもっ」

 大鷹が振り返って声をかけてきた。

「集合です、全員集合! あの、そういう決まりになってます!」

「わかったけど……どういうこと? 客って、誰? ここは海の上でしょう?」

「そんなの関係ないです。だってわたしたちは、ほらっ、艦娘ですからっ。
 青葉さんが、あの、わかりますか? 『艦娘通信』の、青葉海士長が来てくれたんですよっ!」

167 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/24(月) 21:22:26.52 ID:cZJ7+2AW0

 艦娘通信。

 私は当然その単語に訊き覚えがあった。というよりも、艦娘をやっている人間で知らないのなら、そいつは間違いなくモグリだろう。
 広報課が発行する無味無臭な、ともすれば戦意高揚のためだけのビラとは異なる、血の通った広報新聞。日本中を縦横無尽に駆け回り、南はトラック、北は小樽まで、手当たり次第に記事にしていく……。
 なるほど、そう考えれば新たに発足したCSARへの取材なんてぴったりではないか。空軍と海軍、その微妙な関係のはざまで広報課が仕事をしないのならば、万雷の拍手ととともに取材へとやってくるのはさもありなん。

 艦娘、青葉。

 薄い紫色を基調とした彼女は、首からぶら下げた威圧感のある一眼レフ、そして年季の入った肩掛け鞄といった軽装で、よいしょ、梯子を上り終えた。
 足元が濡れている。まさかと思ったが、航行している状態からそのまま飛びついたらしい。なんて超人技だ。

168 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/24(月) 21:22:56.45 ID:cZJ7+2AW0

 艦娘通信。

 私は当然その単語に訊き覚えがあった。というよりも、艦娘をやっている人間で知らないのなら、そいつは間違いなくモグリだろう。
 広報課が発行する無味無臭な、ともすれば戦意高揚のためだけのビラとは異なる、血の通った広報新聞。日本中を縦横無尽に駆け回り、南はトラック、北は小樽まで、手当たり次第に記事にしていく……。
 なるほど、そう考えれば新たに発足したCSARへの取材なんてぴったりではないか。空軍と海軍、その微妙な関係のはざまで広報課が仕事をしないのならば、万雷の拍手ととともに取材へとやってくるのはさもありなん。

 艦娘、青葉。

 薄い紫色を基調とした彼女は、首からぶら下げた威圧感のある一眼レフ、そして年季の入った肩掛け鞄といった軽装で、よいしょ、梯子を上り終えた。
 足元が濡れている。まさかと思ったが、航行している状態からそのまま飛びついたらしい。なんて超人技だ。

169 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/24(月) 21:24:18.79 ID:cZJ7+2AW0

 既に私と大鷹以外が整列していた。対面するように後藤田提督。その後ろに、大淀、グラーフ、ポーラ、不知火。なんとポーラは酒瓶を抱えていない。

「ご、ごめんなさいっ」

 慌てて並ぶ。踵をつけ、爪先の開きは三十度。

「国村さんから話は聞いている。ありがとう。よく来てくれた」

 国村一佐が?
 いや、それもまた納得のいく話ではある。CSARの根回しをしたいのならば、政治的なレベルと同じように、現場のレベルにも悉皆周知しておくのは合理的だ。
 ようは既成事実を作ってしまえばいい。既に深く根ざしてしまったシステムを消失させるのは並大抵のことでは済まない。属人的な存在から脱するには、広報がもっとも手っ取り早い。

「いえ。こちらこそ、国村一佐の新たな試み、それを独自に取材できるのは喜ばしいことです。任務もまた献身的だ。実は、お話はかねがね国村のほうから伺っておりました。酷く厄介な立場にいるということも。
 この青葉、そして艦娘通信、微力ながらお手伝いさせてください」

 敬礼。背筋をまっすぐに、中天へと向けて。
 こちらも合わせる。

170 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/24(月) 21:25:41.33 ID:cZJ7+2AW0

「さて、青葉海士長殿とも無事合流を果たすことができた。もしかしたら突然のことに戸惑いを覚えている者もいるかもしれない。今後の作戦について話そう。
 我々『浜松泊地』は、今後『イベント』の対処にあたる基地の援護へと向かう。海域は現状不明だが、台湾付近、あるいは南下しフィリピン周辺である可能性が高い。一度神戸に停泊し、そこで必要物資を各自で用意、出発する予定だ。
 神戸着は明朝6時前後を想定、出発は24時間後の明朝6時。そこから作戦海域までは、途中会敵を挟まなければ、一日半で到着する見込みになっている。……何か質問は」

「援護ですかぁ? イベントの対処、じゃなくてぇ?」

 ポーラの発言の内容には全員が首肯した。誰もが気にかかっていた表現――もしくは、意図的に引っかかるようにされたのかもしれない。
 後藤田提督の返事もまた想定されていたかのように素早かった。

171 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/24(月) 21:26:19.38 ID:cZJ7+2AW0

「対処は複数の基地が合同で行う。佐世保が指揮系統を担うかたちで、パラオ、呉から戦力をいくらか集めるようだ。航空戦力は岩国からも募る。
 繰り返しになるが、俺たちの任務はあくまで救難救助。火器の使用は許可されているが、突出した独断専行は認められない」

「台湾、あるいはフィリピン沖……東シナ海からインド洋までというのは、聊か範囲が広いのではないか?」

「現時点での海域予想がそうだというだけだ、グラーフ。最初は広く浅く配置し、敵の出現頻度や規模にあわせて適宜狭めていくということらしい」

「なるほど。ちなみにその『イベント』予想の正確性はどれほどなんだ?」

「さぁな。少なくとも、トラック泊地強襲の予想は的中させたそうだが」

 トラック空襲――一度滅んだトラック泊地は、二度は滅ばなかった。大規模な敵襲を邀撃したという噂は聞いていたが、そんな裏があったとは。

172 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/24(月) 21:26:49.74 ID:cZJ7+2AW0

「……」

 少しばかり青葉の顔がこわばっていた。どうやら私以外に気づいてはいないようで、しかしそれも私と目があった途端に、すぐ曖昧な笑みへと変化してしまう。

 一際強く海風が吹いた。後藤田提督はあっさりと踵を返し、船内へと手招きする。

「少し外は寒ィな。わざわざ立って話をすることもねぇだろう。青葉海士長には船内の案内もしなくちゃならんし」

「階級はいりません。青葉、で結構です」

「……そうか、助かる。お前らも、折角有名人と会えたんだ、聞きたいこともあるだろう。青葉、いくらか付き合ってもらってもいいか?」

「はい、勿論です。こちらから皆さんに訊きたいことも、山ほどありますんで」

 足音の反響する船内を歩きながら、後藤田提督はグラーフと作戦に至る背景を話し、大鷹、不知火、ポーラは青葉と愉快そうにやり取りをしている。
 私がぼうっとその背中を見ていると、大淀はわざと足取りを緩め、こちらの隣につく。

173 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/24(月) 21:27:15.15 ID:cZJ7+2AW0

「どうしましたか?」と彼女は問うた。
「不思議なものね」と私は応じた。

「怖いのに、愉快で仕方がないのよ」

 これから先に待ち構えているであろう私の人生が、不幸が、なぜだかとびきり輝かしい光に思えて、最早この昂ぶりを抑える術がわからなかった。
174 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/24(月) 21:28:30.77 ID:cZJ7+2AW0
―――――――――――
ここまで。

もうプロットとか忘れてるぜ。

待て、次回。
175 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/02/25(火) 04:54:48.46 ID:+rMyXzX8o
176 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/02/25(火) 13:33:10.81 ID:hTLFgIDMo
蒔ってる次回
177 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/25(火) 23:46:01.31 ID:OpIC7hvy0


 ぎらぎらと照りつける苛烈な陽光。なんとか耐えつつ、私たちは冷房のいくぶんか効いた建屋へと、まるで流浪の民のような足取りで入っていく。
 海沿いは普通潮風のために体感温度はすこぶる気持ちいいはずなのに、やはり関東のほうとは気候が違うからか、直射日光が痛みさえ伴っていた。変な形で日に焼けてはいまいかと、私はわかるはずもないのに、手で首の後ろを拭う。

 後藤田提督は半袖でこそあったけれど、ぴしりと第一ボタンまでとめていた。金色の階級章がきらきらちかちか、光を反射して輝いている。海帽はひさしの部分が黒い。熱を吸収して熱くならないのだろうか、と思った。
 艦娘はその身に神を降ろし宿している。所謂「神様の加護」というやつで、並大抵の環境変化などはへいちゃらなはずなのだが、さすがに紫外線にまで無敵とはいかないようである。

178 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/25(火) 23:46:39.05 ID:OpIC7hvy0

 タオルで汗を拭う後藤田提督、そして私たちの前に、一組の男女が姿をあらわした。

「……」

 舌の上で電気が弾けた。眼の表面がやたらに渇き、意識的に数度、まばたきをする。
 脚の親指に力を籠める。大地はちゃんとそこにある。

 周囲をこっそり窺えば、どうやら私だけではないようで。

「……」

 人数分の沈黙。しかし、現れた二人は我々にまったく無頓着なのか――それとも、最早慣れっこなのか―――ひまわり畑のような笑顔をこちらへと向けていた。

「遠路はるばるようこそお越しくださいました! 長い旅路でお疲れでしょう! 本当ならすぐにお部屋へ案内したいところですが、申し訳ない、少しお時間を頂戴いたします!」

「こっちこっち! みんなが待ってるっぽい!」

 既に顔と名前の予習は船上で済ませてあった――今回の作戦で総指揮を執る、佐世保鎮首府の代表である、三神提督。そしてその筆頭秘書艦である、駆逐艦・夕立。

179 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/25(火) 23:47:47.80 ID:OpIC7hvy0

「……行くぞ」

「……はい」

 後藤田提督に声を掛けられ、私たちはそこでようやく自らの身体の自由を得る。

 私は夕立という少女の背中へと目をやった。

 べっとりと、どす黒い、錆びた血の色が貼りついている。

 いや、背中だけではなかった。肩、胸元、そして首筋から頬、額に至るまで、飛沫がそこかしこに付着しているのだ。
 その正体を私は知っていた。私たちは知っていた。深海棲艦の体内を循環する、命脈としての汚れた油に他ならなかった。
 なんら珍しいものではない。変哲のある代物ではない。だって彼女もまた艦娘なのだから。

 だのに。

 なんだ。
 なんなんだ、あれは。
 まだ年若い少女特有の無邪気さ、天真爛漫さ。そして狂った野犬のような血と死の臭い。それらが両立するだなんて。

180 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/25(火) 23:48:52.15 ID:OpIC7hvy0

 そして彼女の隣を歩く三神提督も、まるで意に介した様子を見せないのがまた恐ろしく在った。普通は一度身を清めさせるべきではないのか? 入渠させるべきではないのか? 後藤田提督が第一ボタンまで閉めているように。

 深海棲艦の尽滅を誓う防衛省、その嚆矢となった二つの鎮首府である呉と佐世保。あまりにも住む世界が違うと感じてしまうのは、いや、もしかしたら、私の身の上が余りにも不幸すぎるだけかもしれないが。
 そうであってくれと半ば願いながら周囲を伺うも、どうやら私はそこまでは不幸ではなかったらしい。

 眩暈のままに通された部屋は、応接室と呼ぶには僅かに広く、会議室と呼ぶには少々手狭な、中途半端な部屋だった。「ロ」の字型に並べられた長机に、それぞれ数人ずつがついている。

 誰何の必要はなかった。やはり、資料で見知った顔だった。

181 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/25(火) 23:50:40.38 ID:OpIC7hvy0

「……杉崎だ。所属は呉」

「同じく、呉から来ました。筆頭秘書艦の加賀です」

「パラオの敦賀徳一郎。階級は一佐」

「戦艦、霧島です。よろしくお願いします」

「後藤田だ。本隊は空軍特務七班、現在の所属は無し。CSARを預かっている。……後ろの六人がメンバーだ。全員、挨拶を」

 後藤田提督に促されるままに名乗っていく。品定めをされているような、算盤を弾かれているような、そんな不快感が拭えない。
 少なくとも、歓迎はされていないようだった。理由はいくつもあるように思われたけれど、比重の同定は難しそうだ。単に空軍と海軍という派閥の溝であるかもしれなかったし、戦わない艦娘というイレギュラーへの戸惑いなのかもしれなかった。
 もしかしたら、見捨てたはずの艦娘が地獄の淵から戻ってきたことへ、恐怖しているのかも?

182 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/25(火) 23:54:18.52 ID:OpIC7hvy0

 大丈夫、大丈夫。そう自分に言い聞かせる。
 怒りはある。収まるどころか募るばかりだ。いまも私の胸の内で、煌々と、轟々と、天高らかに火の粉を巻き上げる篝火。だけれど、違う。目の前の彼ら彼女らは違う。
 私は私と敵対する全てが敵だとは思わない。

 戦いの次元は最早そんなところには存在しないのだ。

「これで今回の作戦の首脳が勢ぞろいしたことになりますね。ぼくはこの佐世保を預からせてもらっている三神と申します。で、この子は筆頭秘書艦の夕立です。ほら、夕立」

「よろしくね! みんなで頑張って、この作戦を成功に導くっぽい!」

 まばらな拍手。打っているのは三神と後藤田の二人を除けば、霧島、青葉、ポーラ、大鷹だけ。

 そうして簡単なブリーフィングを挟んだのちに解散となった。内容としては予習してきたものと大して相違なかったが、どうやら状況は私が考えていたよりも逼迫してはいないらしかった。

183 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/25(火) 23:56:48.77 ID:OpIC7hvy0

 私たちの参加する作戦の概略はこうだ。台湾付近において敵集団の動きが活発になる兆候が見られたため、事実確認および緊急性が高いと判断した場合に先手を打ってこれを撃滅すること。
 また、敵集団による九州沿岸、あるいは沖縄、パラオ、ないしトラックへ攻撃性の高い移動が認められた場合、即座に防御網を構築し、これを邀撃すること。
 仮に緊急を要しない場合であったとしても、可能な限りに置いて敵集団の活性化の原因の調査、解明にあたり、今後の本土防衛の糧とすること。

 私はてっきり開戦の日がすぐそこまで迫っているものだと思い込んでいたのだが、まずは事実確認かららしい。よく考えれば当然の話であるが、その段階でCSARが出張るという必要性が想定の範疇外だったのだ。
 その件については大淀と不知火が説明してくれた。つまりは、いきなり現れた「自称・味方」を信用できるかという問題に帰結する。

 なんて馬鹿らしい話だろう。

184 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/26(水) 00:03:19.36 ID:qvCJo9Rv0

「悲しい話ですね。志を同じくした仲間さえも、時間という篩にかけねば信用できないというのは」

 青葉は呟く。

「でも、どうでしょう? 同じ組織に所属しているという理由だけで盲目的に信用してしまうのも、健全とは言い難いのでは?」

 不知火のその笑みは極めて自嘲的だった。大鷹も目を伏せる。
 私も含めてみんな仲間に見捨てられた身の上だ。防衛省や沿岸警備部や、特殊遊撃作戦任務群のことなどは、古傷を抉る思い出にしかならない。
 どちらの論にも一理ある。その上で私は「くだらない」と切って捨てることができそうに思えた。だってそうではないか。過去に囚われるばかりの人生なんて、不幸極まりないだろう。

 そうでしょ、ねえ。
 姉さま。

「そうですかね。……そうですね」

 青葉はまた呟いた。先ほどよりも小さく、消え入りそうな声で。

 
185 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/26(水) 00:05:09.93 ID:qvCJo9Rv0
―――――――――――
ここまで。

書けるところを書けるぶんだけ。
186 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/02/26(水) 00:15:36.15 ID:V6mPFPEGO
乙、筆が乗ってる時に突っ走るのは良いことだよ、案外そんな時の方が面白いモノが書ける
187 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/03/05(木) 04:16:44.89 ID:rKFui6ino
おつおつ
188 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/03/08(日) 11:01:18.31 ID:d80kTEDO0

 佐世保鎮首府はとにかく巨大だった。広大だった。
 護岸工事が為された岸部のすぐそばには中枢施設が三棟建っている。それぞれが四階建ての集合住宅ほどは有りそうなサイズで、渡り廊下によって繋がり、鳥瞰すれば「コ」の字型になっているのがわかるだろう。

 開いた部分から建物を見て左側が佐世保鎮首府の艦娘たちの宿舎である。一階が玄関と浴場、談話室を兼ねた食堂となっており、二階以上は全て居室。二人部屋が十八、一人部屋が十二あるそうで、割り当ては階級によって決まっているらしい。
 中央、「本館」と呼ばれる棟は文字通り業務の中枢を担っている。ここには会議室や執務室、資料室などが存在し、私たちが最初通された部屋もこの棟だ。階級の高い人間も来るからなのか、設えが見るからにきちりとしているのが見るからにわかる。
 最後の棟には訓練機能と就学機能が集約されており、購買や食堂もここにある。サテライト学習機能を備えた教室や、提携を結んだ大学の論文を閲覧できるシステム、学習補助教員も週に三回来ているという。

189 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/03/08(日) 11:02:21.47 ID:d80kTEDO0

 こんなしっかりとした施設を建ててペイできるのだろうか? そんな考えを持ち込むのは、もしかしたら資本主義に毒されているのかもしれない。国防は政治経済と切っても切り離せない関係だけれど、政治経済によって国防の揺らぐことはあってはならないことだと思う。
 恐らくこの佐世保という鎮首府は実験施設でもあるのだ。より艦娘を効率よく運用し、兵器として転用させる方法を、上層部は日夜探っているに違いない。有用性を判断されたものだけが、全国の前線基地へと膾炙する。
 海軍の敵は何も深海棲艦ばかりではない。空軍も言ってしまえば――悲しいことに――そうなのだろう。だから大淀がいる。そして技術供与を受けている神祇省相手にも、対抗意識を燃やしている。

 愚かな話だ。そう断じてしまうのは、私が単なる一介の兵士であり、政治や権力と距離を置いた民衆でしかないからだろうか? 誰が、どこが、国防の最たる担い手であるかなんて、どうでもいいことだろうと思ってしまうのは。

 そんなだから。

190 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/03/08(日) 11:02:55.17 ID:d80kTEDO0

 じじ、じっ、じりっ、じりじじ、じじぃっ。

 脳内で砂嵐が吹き荒れる。
 考えるな。考えてはいけない。
 怒りに呑まれてしまうから。

 そんなだから、私たちは見捨てられたのだ。
 「失敗」の烙印を恐れた奴らの手によって。

 ぎゅっと握りしめた右手、その人差し指を掬うかのように、そっと柔らかい感触が添えられた。思わず愕然とした気さえして、振り向いた先には大鷹が儚く微笑んでいる。

 大丈夫ですか? と、聞かれた気がした。

「大丈夫よ」

 答えても、大鷹は小首をかしげるばかりだが、幸いなことに手は離さないでいてくれた。

 三棟から少し離れて巨大なクレーンの突き出たドック、電子錠とパスコード認証によって固く閉ざされた研究所、運動用のトラックなど至れり尽くせりだ。海へと視線を回せば演習のためのブイがそこかしこ。
 私たち来客が寝泊まりする別棟も近くにあり、花壇の草花がつつましやかに、けれど確かな手入れをもって出迎えてくれている。

191 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/03/08(日) 11:04:19.94 ID:d80kTEDO0

 出入りしている業者の詰所、防災倉庫、あるいは資材庫など、説明を受けながら鎮首府内を回るだけでもゆうに一時間は経過してしまっていた。夕張は先頭を歩きながら快活に、こちらを見ながら後ろ歩きで、捲し立てるように言葉を紡ぐ。
 私たちは所属ごとに塊になりながら歩いていた。「浜松泊地」、呉、パラオの順番だ。さきほどの顔あわせの時にはいなかった、呉とパラオの残りの五人もいる。やはりどこも六人一組で作戦にあたるようだ。

 夕張が私たちを案内するのは、勿論私たちが作戦終了までこの佐世保に厄介する以上は当然なのだが、それ以上に牽制の意味を込めているように感じられた。
 「近づくな」という言葉の意味は単純ではない。親切心から来ているのでなければ、そこには言外の忠告を孕む。詮索するな、ここは私たちの庭なのだから、という。
 西側の防風林、その奥にある有刺鉄線を備えた塀を見ながら、私は考える。
 
192 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/03/08(日) 11:15:48.58 ID:d80kTEDO0

 
 あぁくだらない。私は意識して大鷹の、言葉遊びではないけれど、まるで太陽にも似た温度の手のひらを確かめた。
 派閥やら、利権やら、面子やら、そういった面倒くさいモノモノが世の中にはたくさんある。それら全てが悪で不必要だと断言できるほどには私は青くも熟れてもいない。しかし、かといって、許容できるほどのおおらかさもない。
 作戦を成功に導くことこそが第一義。でも、防衛省にも国にも忠誠を誓ったことは一度たりともなくって。

 姉さま。
 あなたの分まで幸せに生きてみせます、幸せになってみせます、そんなのはあまりにも陳腐だけれど。
 たとえ空気を求めて喘ぐ無様な姿であってもいい。それでも光を希求するように、私は生きていきたい。

 生きていきたいのだと、つい最近知った。

 不幸の最中であったとしても、幸せになろうとすることはできるはずだから。

193 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/03/08(日) 11:16:25.36 ID:d80kTEDO0

 視界の中では青葉が夕立と交渉していた。「もう少し」だとか「そこをなんとか」だとか聞こえてくる。大方鎮首府の中の写真をどれだけ、どこまで撮ってもいいかを確認しているのだろう。

 誰もが幸せになりたいのだ。なりたがっている。けれど、希求……そう、希求だ。希う。あるいは恋のように、激しく燃え盛る心の火炎を宿す人間が、どれほどいるか。
 たとえばいま盛り上がっている青葉と夕立、彼女たちにも彼女たちなりの幸せのかたちがあって、それを求めているはずだ。果たしてその恋は身を焼き焦がすほどなのか。

 手のひらの暖かさを感じる。

 たいよう。

「あなたは幸せになりたいと思う?」

「えっ?」

 素っ頓狂な声。当たり前か。
 ごめんなさい、変なことを訊いたわ。そう返すのが自然で理想だった。しかしなぜだか私はそうせずに、

「幸せよ」

 と念を押してしまう。

194 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/03/08(日) 11:17:45.72 ID:d80kTEDO0

 大鷹は歩みを止めないままに私の指を数度ぎゅ、ぎゅと握る。その存在を確かめるように。そうして、いつになく真剣な面持ちで、言う。

「なりたいです。なりたくて、たまりません」

「……」

 そう。
 なら、それは、きっと、恋ね。希っている違いないわ。

「で、でも。きっとみなさん同じなんだと思います。おんなじ。卑下するつもりじゃありませんけど、やっぱり、普通は艦娘になんてなりませんから」

「悉皆検査が義務付けられても?」

 現代に甦った徴兵制とみなされる向きもある艦娘の悉皆検査であるが、仮に素質ありと判断された場合でも、入隊は決して義務ではない。血と油にまみれた戦いに報いるだけの報酬は提示され、あとは本人と家族の意志次第。
 私と姉さまには拒否する選択肢なんてなかった。不幸な境遇が変わらないのなら、せめて少しでもいい待遇を選ぼうとしただけだった。

195 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/03/08(日) 11:18:56.53 ID:d80kTEDO0

 まぁ、でも、大鷹の言葉はそういうことなのだろう。そういう意味なのだろう。
 同じ。おんなじ。
 きっと殆どの艦娘が、望んで艦娘になろうとしたわけではなくて――なんらかの事情に背中と足の裏を炙られて、その結果艦娘に身を窶しているに違いない。

 私たちの前では夕張と青葉の話にようやく決着がついたようだ。夕張はこちらへ向き直って、海の方を親指で示す。

「日没まではもうちょっと時間があるっぽい。夕食は、今日は豪勢にパーティだって話だから、それまでにお腹を空かせておくのも悪くないと思う」

「や、どもども、青葉です。『艦娘通信』という個人紙を発行していて、このたびは国村一佐の推薦もあり、作戦の従軍記者として参加することになりました。よろしくお願いします」

 国村という名前を出しただけで、僅かに艦娘たちの間にどよめきが走る。興味を示す者。露骨に顔を顰める者。反応は様々だ。
 恐らく青葉は意図的に彼の名前を出したのだ。周囲の反応を窺い、誰がどの派閥で、どんな思想を持っているのかあたりをつけるために。同時に自らの後ろ盾を明確にすることで、いらぬいざこざに巻き込まれないようにするために。
 青葉は続ける。

196 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/03/08(日) 11:20:05.23 ID:d80kTEDO0

「深海棲艦の存在、そして艦娘の奮戦が公にされ、広く支援を募られるようになってから数年が経ちます。そうですね、かの『鬼殺し』で一悶着あったころでしょうか。しかし、いまだ我々艦娘は、大手を振って地元に凱旋できる身分ではない。所詮汚れ仕事の請負人です。現代に甦った徴兵制の犠牲者です。深海棲艦を撃ち殺す調和の破壊者とまで。
 悔しい話じゃあないですか! この青葉が今回記事にするのは、決して作戦行動が全てではありません。『艦娘』として働くみなさん、そして『人間』として生きるみなさんを活き活きと描き出す記事にしたいと考えています。
 よろしくお願いいたします」

 お辞儀。

「と、言うわけで」

 夕張は笑った。口の端から涎が一滴、糸を引いて地面へ垂れる。
 その目は爛々と輝いている。

「今から演習場で、親睦でも深めよう?」
197 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/03/08(日) 11:23:11.35 ID:d80kTEDO0
―――――――――――
ここまで。

前作、前々作を読んでるのが前提とか、もう一見さんのことを考えるつもりが微塵もなくて草。

待て、次回。
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