春を売る、そして恋を知る

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15 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/08/19(月) 19:34:41.60 ID:NFiIwucU0
>>14
ハルさん→ユズさん
の間違いです。。
16 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/08/19(月) 20:02:25.05 ID:NFiIwucU0
彼が部屋に入ると、私はいつも通り腕を組もうと彼の横に並ぶ。そっと彼の袖に触れた。

「あ……いや、そういうのじゃなくて」

そういうのじゃない、というのがどういうのじゃないのか分からないけれど、腕を組みたくはないらしい。

彼の希望を察して、私はそのまま並んで彼をソファに案内する。

「おかけになってお待ち下さい。あ、お飲み物はどうされます?」

お客さんにしては珍しく、彼はビールを求めた。アルコールが入ると感度が悪くなる、イキづらくなる、キスするときに酒臭いと申し訳ない。理由は人それぞれだけど、少数派であることは間違いない。

「はい、少々お待ち下さい」

応えて、冷蔵庫から一本ビールを出した。プルタブを開けて彼に差し出す。

「未成年じゃないの? 部屋にビールがあるなんて不良少女じゃん」

と彼は笑った。私の年齢十代としか公表していないはずなんだけど、顔つきか何かで察されたのだろうか。

そこには反応をしないように努めて、「どうぞ」と口をつけるように勧めた。
17 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/08/19(月) 23:28:56.61 ID:NFiIwucU0
彼はそれを受け取って口に含むと、結構な量を一度に飲み干した。酔っ払ってしまうのではと私が心配してしまうくらいには、勢いよく。

ぷはぁ、とまるで演技のようにわざとらしく息を漏らして、彼は缶をテーブルの上に置いた。

そのタイミングで、私は彼の前に跪く。

「失礼します」

一声かけて、ベルトのバックルに手を伸ばしたところだった。

「あ、いやいやだからそういうのじゃなくて」

またも制止されてしまった。

「え、しないんですか?」

ここで脱がせて即尺、というのがルールだとオーナーからは教え込まれている。それに、彼にそれをするなという指示も、特にない。

戸惑った表情で彼の顔を見上げると、「とりあえず、隣に座ってもらおうか」と声を掛けられた。

舐められるより先に、キスをしたかったのかな?

隣に座って彼に顔を近づけると、「いや近い近い、キスしちゃうからやめてくれ」と戯けられてしまった。

「え、お客さん? ですよね?」
18 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/08/19(月) 23:36:31.79 ID:NFiIwucU0
「そうだよ。アイアム、ユアゲスト。私は、あなたの、お客さんです」

わざとふざけた素振りで彼は言った。

「それじゃなんで嫌がるの?」

ここがどこかを知らないはずがないのに。東京で、いや日本で最高の娼館と称されている中の、更に上層階に住む私。お金を払えば抱ける私をそうしたいと願っても、叶えられない人の方が多いともオーナーには教えられた。

なのに、私の目の前にいる男は、自ら私に会いに来て、なのに手を出そうとはしてこない。

「逆に聞くけど、セックスしたいの?」

名前も知らない彼にそれを問われて、私は答えに詰まってしまった。

決して行為は嫌いではない。気持ちいいこともあるし、私を大切に扱ってくれる。

だけども、特別それを今求めているか言われても、そういうわけではない。

お腹が空いていないのに、目の前にタルトを出されても食べられないのと同じだ。

仕事だから、自分に必要が無くても義務でしてしまうもの。

それが私にとって、この部屋での行為の全てだった。
19 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/08/19(月) 23:49:10.73 ID:NFiIwucU0
「したいわけじゃ……ないけど」

「じゃ、良いじゃん」

そして彼は再びビールの缶を手に取り、ぐっと煽って飲み進めた。どこか無理をしているように見えてしまうのは気のせいだろうか。

「えーと……まどかちゃん、は、何、えーと、好きなこととか趣味とかあんの?」

やたらと途切れ途切れな言葉を不審に思って彼の顔を見ると、もう真っ赤になっていた。酔っ払ってしまうには早すぎる気もする。お酒に弱いのであれば、ビールなんて飲まなければ良かったのに。

自分の趣味を改めて考えてみると、これだということが特に思いつかない。そもそも、ビルの外のことを知らなさすぎる。化粧品はユズさんに教えてもらったもの、服は買っても見せる相手がいないし出かけられない、携帯やスマートフォンは不要だと持たせてもらえない。

要約すると、趣味らしい趣味は思いつかなかった。

「趣味……うーん……」

「無いなら何かさ、こう、あの、好きなこととか、好きなものとか」

好きな人、であればユズさんとすぐに答えられるのに。たまにユズさんと見る映画やドラマは面白いけれど、見ているときよりも感想を話し合っている時の方が好きだし。

好きなこと、好きなものと考えていると、不意に言葉が漏れた。

「……タルト」

「は?」

訝しげに、彼は疑問を投げ返した。

「エッグタルトが好きなんです。甘いやつ」
20 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/08/20(火) 00:05:09.04 ID:MEC1zLhn0
「なるほどタルト……どんなのが好きとかあるの?」

奉仕をしようとした時よりも嬉しそうに、彼は問いを重ねてきた。

タルトについてなら、いくらでも語ることができる。理想の生地感、甘さ、フルーツタルトなら何が良いか。

ユズさんじゃないけれど、私にとっての楽しみはそれくらいなのだ。

「へぇ……勉強になった。ありがとう」

「初めてこんなにタルトについて説明したよ」

お客さん相手に、ついため口になってしまう程には熱中していたらしい。慌てて言葉を付け足した。

「いえ、すみません」

「何が?」

今度は彼が戸惑った。説明をすると、「いいよため口で。敬語の方が嫌だ」と求められた。

それからも、彼は私に色んなことを聞いてきた。休みの日は何をしているのか、本を読むのは好きか、どんな映画をよく見るのか。自分でも理解していないことを訪ねられると、私が結論を出せるまで彼は黙って待ってくれた。

彼自身のことは何も話さず、ただ私のことを知りたがった。

他のお客さんとも、もちろん行為以外に会話もする。でもその内容は殆どが自慢や愚痴と、彼ら自身に関わることで、私のことを知りたがる人はあまりいなかった。

結局、彼は私に指一本触れることがないまま、時間を迎えようとしている。
21 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/08/20(火) 00:14:50.50 ID:MEC1zLhn0
「本当にしないの?」

脱ぐ気配すらなく、ただ私の話を聞く彼に、心配になって問うてみた。

たぶん、してもしなくても彼がオーナーに支払うお金は変わらない。そしてそれは、間違いなく高価であるはずなのだ。

そのうちの一部が私のお給料になるというのであれば、私も彼を満足させたうえで対価を受け取りたい。

「うん、話してる方が楽しいし」

私の最後の足掻きもそんな風に返されると、もう抵抗をすることはできなかった。

結局、彼をドアの向こうに案内するまで、私と彼は触れあうことがなかった。

「楽しかったよ」

「こちらこそ楽しかったです。えーと……」

見送りにまで来て、彼は自分の名前を名乗ってすらいなかったことを思い出したらしい。

「ハル。ハルって呼んで」

「うん、ハルさんだね。ありがとう、ハルさん」

本当なら、ここで別れを惜しむキスが正しい手順なんだけど。求められてないような気がして、小さく手を振った。

それに応じて手を振り返す彼は何だか可愛くて、少し素の笑顔が零れてしまった。
22 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/08/20(火) 00:15:50.85 ID:MEC1zLhn0
今日の更新はここまでです。
本格的に話を動かしていきます。
23 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/08/20(火) 13:10:03.71 ID:PkdnkLwlo
あつおつ
24 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/08/20(火) 19:41:06.38 ID:6vvZN4lBO
「珍しい人だね」

翌朝、起きて早々にユズさんの部屋を訪ねて報告をした。

「まどかを見て手を出さないなんて、不能なんじゃないの」

「そんな感じでもなかったけど」

彼女にお客さんに抱かれなかったことがあるかと尋ねると、返事はノーだった。

「だって、エッチするためにお金払って来てるわけでしょ? それで、ブスが来て萎えたとかなら分かるけど、あんたを見て耐えられるなんて男じゃないよ」

私が男だったら部屋に入るなり襲ってるわ、と彼女は笑った。

「ありがと。私も男だったらきっとそうだよ」

「うそ、両思い? 禁断の恋?」

おふざけモードに入ったので、そこからは反応しないように心がけた。ノってしまうと、キスでは済まないかもしれない。

「何、気になるの? その人」

「気になるっていうか……うーん」

何と言えば誤解が無く伝わるだろうか。彼女の言うところの気になるは、きっと異性として。

でも、私の抱いているそれは、そうじゃない気がする。そもそも、一度会っただけで異性を意識するなんてあるのだろうか。

「そういうのじゃ、ない」

「本当に?」

意地悪そうに、楽しそうに笑いながら、ユズさんは私に確認してきた。

「でも、また会えたら良いなとは思ってるでしょ?」

「それは……うん」

少なくとも、昨日の去り際に伝えた「楽しかった」は私の本心で。だから、彼に会いたいという気持ちは嘘じゃない。

それを耳にしたユズさんが嬉しそうに「初恋に期待だね」なんて言うもんだから、優しく頭を叩いてやった。いーっだっ。
25 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/08/20(火) 19:42:15.07 ID:6vvZN4lBO
>>23
ありがとうございます。
コメント頂けるのが一番執筆意欲に繋がります……!
26 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/08/24(土) 00:57:23.01 ID:1gO4UVyBO
ユズさんに煽られはしても、一度来たお客さんにまた会えるとは限らない。

彼が来てくれたら良いな、とは思いつつも、少なくともそれは近い未来だとは思っていなかった。お金だってバカにならないだろうし。

だから、一週間後に彼が来たときは驚いた。

「や、お久しぶり」

初めて会ったときと同じ、軽薄な笑みでハルさんは扉の向こうから現れた。

「こんばんは。久しぶり……かな?」

首をかしげると「可愛すぎか〜」とネタのように笑われた。

「いやいや……あ、中にどうぞ」

また、手を繋いでも良いかなと悩みながら彼を眺めていると、その手には紙袋があって。

「お荷物、お持ちしますね」

と、それをこちらに渡すように手を伸ばした。
27 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/08/24(土) 12:41:03.55 ID:1gO4UVyBO
「あ、これ、まどかちゃんに持って来たんだ。一緒に食べようよ」

そう言って、幾分大きな紙袋を渡された。袋の中を覗いてみると、小さな紙箱がいくつか入っていたけれど、重さはあまりない。

「これって……」

期待する目で彼を見ると、頬を掻いて照れ臭そうに言った。

「うん、タルトなんだけどさ。どこのが良いか分からないし、秘書の子たちにおすすめを聞いて手当たり次第」

「やったー! ありがとう!」

やっぱり、やっぱり!

タルトがいっぱいということも嬉しいけれど、彼が私のことを覚えてくれていたことが何より嬉しい。

「あ、おかけになってお待ちください! お飲み物は? ビールですか?」

「や、タルト食べるし……コーヒーある?」

「はーい! ホットですか? アイスですか?」

ユズさんが持ってきてくれたコーヒーメーカーのスイッチを入れて、豆を見ながら彼に問う。

「アイスで。ていうかすごいね、本格的だ」

彼はソファに腰掛けることなく、こちらに近づいて来て私の様子を眺める。ミルで豆を挽くところを見て、彼は感嘆していた。

「ペットボトルとか缶コーヒーじゃないんだ」

「ここ、どこだと思ってます?」

そこんじょそこらの風俗店じゃないんですよ、とは言えなかった。ここ以外のことは知らないけれど、ここじゃみんなそうしていると聞く。ここで飲むコーヒーは、もしかしたら日本で一番高いコーヒーかもしれない。
28 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/10/22(火) 23:41:37.15 ID:alVkC+dyO
「コーヒー屋さんなの?」

「それ、どこまで本気で言ってます?」

相変わらず、今日も行為をするつもりはないのだろうか。別に、それ自体は嫌いじゃないから求められても構わないのに。

「冗談だよ。でも、コーヒー楽しみだな。こんな可愛い子に淹れてもらうの、初めてだから」

「いれるのはコーヒーだけで良いんですか?」

冗談めいた口調で彼に下ネタを投げかけると、飄々とした口調のままに返された。

「うーん、あとはミルクもお願いしようかな」

「あはは、かしこまりました」

何とも掴めない人だ。グラスに氷を入れて、コーヒーを注ぐ。淹れたての香ばしい匂いがグラスから漂ってくる。

「お待たせしました」

店員さんを気取った言葉でカップを彼の前に置いて、私は隣に腰掛ける。

「何か変」

「えっ?」

「いや、ほら、普通こういう時って向き合って座らない?」
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