七尾百合子「恋に恋して、大騒ぎ」【ミリマスSS】

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1 : ◆kBqQfBrAQE [saga]:2019/06/30(日) 11:37:48.59 ID:WHh6WAPF0

ミリマスSSです。
一応、地の文形式。



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2 : ◆kBqQfBrAQE [saga]:2019/06/30(日) 11:40:19.85 ID:WHh6WAPF0

 ありふれた終わり方とは、どういうものだろう。

 物語ではハッピーエンドがそれに当てはまるかもしれない。だから、ある作家が「幸せな結末で終わる偉大な話はない」と言ったのだろう。
 
 しかし、なかなか不思議なものだ。現実世界において、ハッピーエンドで終わる出来事は少ない。とりわけ恋愛ではなおさらだ。青春時代に好きになった人と、そのまま死ぬまで永遠に結ばれるなんて話は滅多にないし、そもそも、好きになった人と一瞬でも恋人同士になることすら叶わない場合が大半だ。
 
 となると、私たちが生きる世界での、ありふれた終わり方というのは、何も成就しない悲しい結末とみなすべきなのかもしれない。

 それ故に、たとえありふれた終わり方だとしても、幸せな結末を迎える物語を私たちは求めるのだろう。

3 : ◆kBqQfBrAQE [saga]:2019/06/30(日) 11:43:53.70 ID:WHh6WAPF0

 教会で神父の前で永遠の愛を誓うと、パイプオルガンと女性らの讃美歌が荘厳に響いた。
 
 二人の門出を神様は祝福し、契りに立ち会う友人や家族も祝福する。ときに笑顔で、ときに涙で。もしかしたら、その涙は「私が好きだった彼をあの女に取られた!」などという後の祭りのような血涙かもしれない。とはいえ、結婚式では喜びに満ち溢れている。特に今その瞬間に夫婦になった当事者二人にとって、その喜びはひとしおだろう。

 白いタキシードを不格好に身に付けた男性は照れ臭そうに笑っている。一方、純白のウェディング・ドレスに包まれた私の友人は喜びを噛み締めるように微笑んでいた。

 教会の椅子に座っていた私と友人たちは、彼女のこれからの幸せを心の底から祝福した。しかし、同時に、壇上で幸福を振りまいている二人を羨ましく思った半分、齢二十五にして身を固める気配もない自分自身を情けなく思った。
 
4 : ◆kBqQfBrAQE [saga]:2019/06/30(日) 11:44:41.60 ID:WHh6WAPF0

 女子は男子の家に入りて、というような風習は取り払われつつあるようなこのご時世だが、婚姻という男女の契りをして幸せオーラ全開である二人の姿を見せつけられると、好きな男性と結ばれるというものは、やはりいいものだと改めて考えさせられる。一度は夢見た、白馬の王子様とのロマンスを妄想、もとい、想像する。でも、考えさせられるだけだ。相手がいないのだから。運命の人には出会っていないから。本当に好きだと思える人に、いまだ出会えていないから。
 
 でも、運命だと思った人はいた。
 
 ありふれた終わり方で結末を迎えてしまうなら、私なりに書き換えてみようと試みたこともあった。

 七尾百合子、二十五歳。職業、アイドル。今はちょっとした執筆業もしている。彼氏イナイ歴は年齢に等しい。結婚願望は無し。嘘。アリです。特に今は千倍増しにありますとも。 

 ああ、私も運命の人と結婚したいなぁ......。したいなぁー!!

5 : ◆kBqQfBrAQE [saga]:2019/06/30(日) 11:45:23.31 ID:WHh6WAPF0

 結婚式後の二次会も終わると、辺りはすっかり真っ暗になっていた。人もまばらな通りの中を、私たち三人はパンプスの細い靴音を鳴らしながら闊歩していた。

「あぁ。ミクちゃんのドレス姿、キレイだったなー」
 
 思わず私から野太い声が出た。中学校からの友人のウェディング・ドレス姿を思い出すと、彼女を心の底から綺麗だと思ったと同時に、羨望の気持ちも混じったからだ。昼から飲み続けた酒が喉を焼いたことも、原因かもしれない。

「ちょっと百合子ったら、やめてよ。おじさんみたいな声だったよ?」

「でも、本当に綺麗だったよね。エリもそう思ったでしょう?」

 私の野太い声に笑っていたイブキちゃんが、エリちゃんに問いかけた。

「まあ、それは本当にそう思ったけど。でも、あのミクがねぇ」

6 : ◆kBqQfBrAQE [saga]:2019/06/30(日) 11:46:07.07 ID:WHh6WAPF0

 私たち四人は、中学と高校が同じで、ずっと仲良しのグループだった。みんな図書委員だった私たちは読書が好きで、偶然にも同じシリーズの本が好きだということで、すぐに意気投合した。クラスはバラバラだったが、昼休みには一緒になって固まって弁当を食べたり、本のことを話したりしたものだった。

 それから私がアイドルになると、それまでは私のことなんか微塵にも興味のなかった人たちが、さも昔からの友人であるかのように振る舞ってきた。陰で妬んだりする人もいた。そうした人の感情の醜さに、私が傷つき悩んでいると、三人は親身に相談に乗り、ずっとそばにいてくれた。私のアイドルとしての仕事が多忙となり、時折しか学校に顔を出せなくなった時にも、彼女たちは変わらず私を迎え入れ、私と他愛のない話をして過ごした。

 そんな彼女たちに、私はどれほど救われたことか。私は感謝してもしきれないし、心の友を持つことができて本当に良かったと心底思った。そして、別々の大学に行こうと、様々な社会の道に進もうと、私たち四人はずっと四人なのだと思っていた。

 ミクちゃんの結婚は、その矢先の出来事であった。

7 : ◆kBqQfBrAQE [saga]:2019/06/30(日) 11:46:36.98 ID:WHh6WAPF0

「しっかしイケメンだったねぇ、あの旦那さん」エリちゃんがため息を交らせて言った。「しかも射止めた相手が外資系企業のホープときた」

「そんな人と、どこで出会ったの?」

 イブキちゃんが尋ねた。

「ほら、言ってたじゃん。「共通の知人の紹介」って」

「あー、そうだったね」

「それでも合コンとはいえ、そんな彼を射止めちゃったのはスゴいよねぇ」

「いいなぁ。ホント、私もそんな出会いがあったらなぁ……」私は大きくため息をついた。

「ゆりゆりも、すぐいい相手が見つかるよ」

「そうそう」

「二人に言われたって、何の慰めにもならないよ!」

 この二人も、すでに彼氏がいて良好な関係が続いている。イブキちゃんに至っては、両方の親の公認も受けていて、もう結婚も秒読みだ。

「えへへ……、ごめんね?」

「うわぁん! みんながドンドン遠くに行っちゃうー!」

 まさにその通りだ。私だけが大人になれないで、そのまま時が止まったかのように、足が止まったかのように、取り残されているようだ。焦りはあるかと問われたら、むしろ焦りしかない。


8 : ◆kBqQfBrAQE [saga]:2019/06/30(日) 11:47:31.85 ID:WHh6WAPF0

「あー、私も結婚したいー!!」

 私の悲鳴にも近い叫びが通りに虚しく響いた。

「でもさ百合子、良い人いないの? 芸能人なんだし、私たちよりはよっぽどイイ男がいるでしょう?」

「そうよ。ゆりゆりは綺麗なんだしさ」

「いませんよーだ。いたら、こんな愚痴言わないよ」

 実際、言い寄ってくる男性の芸人とかアイドルもいた。でも、ほとんどがタイプではなかった。そろそろ選り好みするような立場ではないのだろうけど、一度も男性と付き合ったりしたことがないと、結婚ということも考えてしまうし、そうなると交際のハードルがなおさら高くなる。要するに、妥協したくない、ということだ。しかし、そんな綺麗事を吐いてばかりだと結婚はますます遠のくし、いわゆる喪女――もう既に片足を突っ込んでいるような気もするが――への道まっしぐらのような気がして、日に日に焦りは募るばかりだ。

9 : ◆kBqQfBrAQE [saga]:2019/06/30(日) 11:49:06.45 ID:WHh6WAPF0

 そもそも、あまり他人を恋愛感情として気にすることがなかった。でもそれは、男性に興味がなかった、ということではない。むしろ興味津々だった。興味関心しかなかった。世界を救うヒーローや、謎めいた雰囲気を漂わせる男、ちょっとドジだけど好きな女の子を全力で愛する青年など、私は本の中で色んな男性に出会った。本の中には男女が事を行う描写もあったから、愛し合う男女は何をするかも知っていたし、想像しては悶々とすることもあった。

 しかし、邪なことは抜きにしても、本を通じて私には理想の恋愛ともいえるものが蓄積されたおかげで、理想の男性像に対する要求が高くなったのかもしれない。求めてしまうのはいわゆる運命の白馬の王子様だけれども、残念ながらそんな王子様には、本当に好きだと思える人には、いまだお目に掛かれていない。
 

 いや、ただ一人いた。この人こそ私の運命の人だと思った人が。
10 : ◆kBqQfBrAQE [saga]:2019/06/30(日) 11:50:27.54 ID:WHh6WAPF0

「あっ、そうだ! プロデューサー! 百合子、あなた昔、プロデューサーのこと......」

「ち、ちょっとエリ! その話題は!」

「......あっ」

 エリはあからさまに「しまった」という顔をした。

「大丈夫、気にしないよ」私は二人にニコニコ顔を向けた。「でも、何だかまだまだ飲みたくなってきちゃったな」

 この近くによく知ってるバーがあると二人に提案した。

「ゆ、ゆりゆり、あなた二次会でも結構飲んでたでしょ?」

「ほろ苦い初恋思い出して、百合子さんは傷心しちゃった」

 私が唇とツンと尖らせると、二人は苦笑した。

「ほらぁ、やっぱり気にしてるじゃん! 何かユラァってしてる! ユラァって!」

 私は真っ黒な笑みをたたえて応えた。いわゆる暗黒微笑だ。この歳になって暗黒微笑とか、考えるだけでも痛々しいのかもしれないが、半ばやけっぱちの私はそうした羞恥心をどこかへ打ち遣った。

「わ、私、明日は彼氏とデートだから、早く帰りたいなーって」

「じゃあなおさら連れていかなきゃ!」

「もう、ゆりゆりの鬼!」

11 : ◆kBqQfBrAQE [saga]:2019/06/30(日) 11:51:17.68 ID:WHh6WAPF0

 渋る二人の手を取ると、二人は観念したように私について来た。二人に悪いなと思う気持ちはあったけど、この後一人で寂しく過ごせるほど私の心は強くない。多少強い酒をもって、心に沸き立つ濁りを洗い流したかった。

 そうだ、ただ一人の男性とは、私をアイドルの世界に導いてくれたプロデューサーさんだ。彼は一番私の思っていることや、理想を怖いくらいに分かってくれた。私は勝手に運命の男性だと思い込み、彼に対して想いを寄せ、そして、その恋は破れた。

 ああ、あの失恋の日を次第に思い出す。そうだ。十年近く前の出来事だ。ぼんやりとしていた記憶が、だんだんと輪郭を帯びてきた。渚に吹く風の涼しさや、枕を濡らした昼間の暗さを、一陣の風が過去のページをめくるように、記憶からはっと呼び覚まされる。
恋に恋していたあの日々だ。

 そして、恋に恋したその先に何があるのか、私は知ってしまった。


 きっかけは、アイドルになってから半年が経とうとしている頃だった。

12 : ◆kBqQfBrAQE [saga]:2019/06/30(日) 11:53:33.79 ID:WHh6WAPF0

**********


 最初に出会ったときは、ちょっと歳の離れたお兄さんかな、という印象だった。


 プロデューサーというのはどのような人なのだろうか。あのトップアイドル集う765プロダクションだから、プロデューサーも戦場帰りの元傭兵のようなコワモテの男性なのではないかと、人見知りな十五歳の私は不安に思っていた。しかし、現れたのは優しそうな男性でホッとしたことを覚えている。とはいえ、最初に受けた印象はそれだけで、よく恋愛小説で見かけるような雷を受けたような衝撃であったり、一目で運命を悟る、なんてことは全くなかった。

13 : ◆kBqQfBrAQE [saga]:2019/06/30(日) 11:54:38.43 ID:WHh6WAPF0

 歌もダンスもからっきしダメな私だったが、彼は私の苦手を克服できるよう、親身に支えてくれた。特に私はダンスが苦手で、基本のステップを会得するだけでも一苦労だった。

「プロデューサーさん、下手でも絶対に笑わないでくださいね?」とダンスレッスンのとき、彼に言ったことがある。

「笑わないさ。だって、百合子は一生懸命にやってるんだろ? そんな努力を笑うことなんてできないよ」

 彼はそう言って微笑んだ。

 私の努力を見てくれてるのだと思うと、大きな心の支えになったし、何よりも嬉しかった。それからも、彼は辛抱強く私のレッスンに付き合った。私が居残りでレッスンをするときには、彼は嬉々として付き合い、一緒にステップの確認をした。次第に私のダンスが上達すると、彼は私のことのように喜んでくれた。私も、彼の期待に応えられるよう、ますますレッスンにのめり込んだ。

14 : ◆kBqQfBrAQE [saga]:2019/06/30(日) 11:55:42.79 ID:WHh6WAPF0

 面白い人だと思った。他人のために時間を割き、とことん意向を汲んで、その人のために動こうとする。根から優しい人なのだろう。だから、彼は心の底から褒めてくれるような気がしたし、そんな彼に褒められるのが私はとても嬉しかった。

 思えば、このときから感情の変化があったのかもしれない。私の彼に対する気持ちが明確になるには、そう時間がかからなかった。いつから異性として好きになったのだろうか。

 好きだと自覚したのは、何かにつけてプロデューサーさんと結びつけて物事を考えていると気付いたときであった。面白い本を読んだり、楽しい出来事に遭遇すれば、真っ先に彼へ伝えたいと思い始めていたし、家で過ごしていると、今彼は何をしているのだろうと気がかりになった。

 極めつけは、友人三人と話していると、「百合子って最近、アイドルの話になるといつもプロデューサーさんを話題にするよね?」と意地悪な笑みを浮かべながら指摘されたときだ。私は直ぐに否定したけれど、私のあまりの焦りように、彼女たちは私の真意にますます勘付いたようだった。

15 : ◆kBqQfBrAQE [saga]:2019/06/30(日) 11:57:07.28 ID:WHh6WAPF0

 それだけではなかった。彼のプロデューサーとしての手腕は、私を立派なアイドルへと変身させた。

 シアターでの公演で初めてセンターに選ばれ、私が不安とプレッシャーで押し潰されそうになったときも、救ってくれたのは彼だった。彼はまるで魔法使いのようであった。「百合子が願えば、ステージ上で主人公になれるんだ」という言葉は私の大きな支えになったし、今でもよく覚えている。センターというものにとてつもなく抽象的な重責を抱えていた私に、大きな自信を与えてくれたのであった。お陰さまで、初のセンター公演も成功に終わり、少しずつ、アイドルとしての私に自信が付くようになった。

 本の世界しか知らなかった私が、主人公として現実の世界に飛び出した瞬間だ。

 変わろうとする私の背中を支え、押してくれたのが彼であり、そんな彼を私はますます好きになってしまった。

16 : ◆kBqQfBrAQE [saga]:2019/06/30(日) 11:58:36.16 ID:WHh6WAPF0
 プロデューサーさんのことが好きだと気付いてからは、私の好きだという気持ちは風船のようにますます膨らんだ。何かにつけて彼と一緒の時間を過ごしたり、行動したいと思った。

 アイドルとしての活動が軌道に乗り始め、仕事や営業も増えたことで、彼と一緒に仕事場に行ったり、一緒に帰ったりする機会も増えた。仕事をちゃんとこなせば彼は褒めてくれたし、行き道や帰り道では他愛のない会話をして過ごすのが嬉しくてたまらなかった。

 私は彼のことをもっと知りたかったし、彼に私のことをもっと知ってほしかった。家に帰ると彼との会話を思い出しては反芻し、レッスンが上手くいって私を褒めてくれたりしたときには、自室のベッドで足をバタつかせて悶えることもしばしばあった。


 会話では、本についての話題が多かった。私の好きなものだ。そんな私の好きを、私の好きな人と共有できる喜びよ! ああ、どんなに幸せなときであったであろうか。

17 : ◆kBqQfBrAQE [saga]:2019/06/30(日) 11:59:49.23 ID:WHh6WAPF0

「百合子。この前貸してくれた本、読んだよ。面白かった」

「わあ、本当ですか?」

 私がプロデューサーさんにしばしば本を貸すからというのも、本の話題が真っ先に会話の種となった理由の一つだ。彼に本を貸すことになったのは、私が本についての話を熱弁するうちに、彼が「読んでみたくなったから、貸してくれないかな」とお願いしてきたのがきっかけだ。

「うん。そうだな......。特に、運転手さんの正体が分かる話が面白かったよ。思わず唸っちゃってさ」

「そうなんです! 私もあのお話が大好きなんです! 普段は表情を変えることないあの運転手さんが途中から落ち着きを失い始めて、主人公が事件を解決すると運転手さんの様子がおかしくなった理由も、彼女の秘密も明らかになって! 才色兼備なスーパーウーマンだった運転手さんが、これまで一体どんな苦悩を抱えて生きてきたのだろう、って想像するともう......!」

「おーい、早く戻ってこいよー」

「あっ。す、すみません、つい......」

 思わず、昭和初期へ意識をタイムトリップするところであった。彼は大げさに私の目の前で手を振って、私を現実に連れ戻す。

「でも確かに、あの世界観は行ってみたいと思ってしまうよな。最終回の後を想像すると暗くなってしまうけど」



18 : ◆kBqQfBrAQE [saga]:2019/06/30(日) 12:00:45.34 ID:WHh6WAPF0

 本の世界に没入する私の悪い癖も、彼は認めてくれた。本を読んでいると、私は周りが一切見えなくなる。何度も話しかけられない限り、本の世界の旅から戻ることはなかった。

 おまけに、「図書館の暴走特急」の二つ名を与えられていた私には妄想癖も――今も根強く残るが――あった。想像の翼と言えば聞こえは良いが、その翼を広げ過ぎてあらぬ方へ飛び去り、そのまま妄想の世界から戻ってこないこともしばしばだった。この妄想癖は、友人ら四人で同人誌を作成したときに大いに役立ったのだが、この話はまた別の機会ということにしよう。

 それだけではなかった。色々と周りに迷惑をかけているのだろうと思っていた私の妄想癖も、彼は「百合子の強みだ」と言ってくれた。そんな風に言ってくれたのは彼が初めてだったし、私が短所だと見做していたことを長所だと考える観点には驚かされた。

 新しい自分を彼が見つけてくれたようで、嬉しい半分、何だかこそばゆい心地もした。

19 : ◆kBqQfBrAQE [saga]:2019/06/30(日) 12:03:28.19 ID:WHh6WAPF0

「そうだ」プロデューサーさんがデスク脇に置いていたカバンを持って来た。「あった、あった。はい、今回はこれを持って来たよ」

「わあ、ありがとうございます!」

 彼は、私が貸した本とともに、一冊の本を私に手渡した。

 本を貸すうちに、私は彼がお薦めする本を読みたくなった。彼もよく本を読むようで、私の要望に快く応じてくれた。私と彼が読む本はジャンルが違った。私はいわゆる冒険やファンタジーものであったり、推理小説やホラーを中心に読んでいたが、彼は歴史小説やノンフィクション小説を好んで読んだ。

「以前、プロデューサーさんが貸してくれた本も面白かったです」フランスに渡った日本人の美術商と、今や誰もが知るあの画家とその弟の交流を焦点に当てた物語だ。「彼らの交流がとても美しくて、でも儚い結末を迎えることになって。最後は泣いてしまいました」

「気に入ってくれて何よりだよ。今回も同じ作者の本にしてみたんだ。サスペンスものだから、百合子が好きかもしれないぞ?」

「わあ、楽しみです!」

 私は表紙に描かれた、ピカソのモノクロの大作を眺めた。まじまじと見つめていると、彼はくすりと笑った。

20 : ◆kBqQfBrAQE [saga]:2019/06/30(日) 12:04:33.00 ID:WHh6WAPF0

「百合子は楽しいときには、本当に楽しいって顔をするよね」

「そ、そうですか? でも、楽しいって気持ちはちゃんと出さないと、心の底から楽しめないと思うんです」

 プロデューサーさんはなるほど、と得心が行ったように笑った。

「なんだか、百合子らしいや。でも、そうやって幸せそうな表情観てると、こっちも嬉しくなってくるよ」

「あ、ありがとうございます。えへへ......」

 私は熱くなった頬を掻いた。

21 : ◆kBqQfBrAQE [saga]:2019/06/30(日) 12:05:25.96 ID:WHh6WAPF0

 彼が貸してくれる本は、趣向が違うからというのもあって、普段の私ではあまり手にすることのない本が大半だった。しかし、どれも私の興味を引き出す絶妙な本だった。

 今になってよく分かることだが、他人に自分自身の好きな本を進めるというのは非常に難儀なことだ。その本のことをいくら私が好きだとしても、他人の心の琴線に触れるとは限らないし、押し付けになってしまうこともあり得る。しかし、彼から借りた本は、一度読み始めると読み終えるまで没頭してしまうような、どれも私の想像の翼を広げてくれるようなものばかりだった。

 そんな難儀なこととは当時の私は一切気付かず、私とプロデューサーさんとの間で、本の貸し借りがしばしば行われた。私は彼と交換日記をしているような心地がして、次はどんな本を彼に貸そうか、彼は私にどんな世界を見せてくれるのか、楽しみで仕方がなかった。何よりも、彼の知っている世界を私も触れることができることに、私の心はいっぱいに満たされた。

 一方で、事務所で本を読んでいないときには彼の一挙手一投足が気になり、ついつい彼の方に目を向けていた。彼が私の視線に気付き、私の方に顔を向けようとすれば、私はすぐさまに視線を逸らしてさも何事もなかったかのように振る舞った。思えば彼にはバレバレだったのだろうが、当時の私は完璧に誤魔化し通せていると確信していたものだった。


22 : ◆kBqQfBrAQE [saga]:2019/06/30(日) 12:06:00.83 ID:WHh6WAPF0

 彼への私の恋心は、傍から見れば分かりやすかったようである。感情が顔に出やすいから、仕方なかったのかもしれない。

 ある日、レッスンを終えて事務所に戻ると、プロデューサーさんが杏奈ちゃんと話していた。

 ゲームと本という点では異なるが、いかにもインドア派なである雰囲気に、私は出会った当初から杏奈ちゃんに対して親近感を抱いていた。さらに、同じオンラインゲームが好きだということが分かり、それからすぐに仲良くなった。事務所で会ったときは大抵おしゃべりするし、家に帰って時間があるときにはゲームの中でも再会する。

 杏奈ちゃんとプロデューサーさんの会話は盛り上がっていて、私が戻ってきたのも気付いていないようであった。普段であれば、私も会話に参加するものだが、二人の間には何だか近寄りがたい、親密な雰囲気があるように思えた。談笑する二人の姿をみるうちに、私の心は次第にささくれるような感じを覚えた。

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