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静香千早「「アライブファクター」」 【ミリマス】
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1 :
◆0NR3cF8wDM
[saga]:2019/06/29(土) 23:28:12.02 ID:PusMuPT6O
昼と夜の隙間を貫くような、冷たい風だった。
肘の辺りをさすりながら、静香は舌を唇へとやった。
意識してのことではなかった。乾燥を覚えた時、あるいはそれ以外の時にも、静香には自分の唇を舐める癖があった。
元々は、友人や相棒がよくやる仕種だっただろうか。癖がうつる、というのはどうやら本当のことらしい。
――余計に乾燥するから感心しないわ。
いつか言われたことを思い出す。
コートの右ポケットには愛用のリップクリームが転がっている。以前は女の子らしく鞄の中の更にポーチの中に携帯していたのだけれど、いつの間にかそこが定位置となってしまった。
つつ、とクリームを滑らせる。ぱっぱっ、と唇を合わせて軽く馴染ませる。
わざとらしいくらいの清涼感。
すっ、と鼻が通るような、その瞬間が静香は嫌いではなかった。
ふぅ。
一つ、大きく息を吐く。
――その程度なの、静香。
突き刺すような視線が、静香を冷たく焦がしている。
本番の日が、近付いていた。
SSWiki :
http://ss.vip2ch.com/jmp/1561818492
2 :
◆0NR3cF8wDM
[saga]:2019/06/29(土) 23:32:20.00 ID:PusMuPT6O
◇
「静香、新曲だ」
未来、翼、それに静香の三人、レッスンまでの時間を控え室で過ごしていた。
プロデューサーの言葉はいつも唐突だ。静香は改めてそう思う。
「わー! 静香ちゃん、新曲だって! すごいすごーい!」
と、まるで自分のことのように嬉しそうな未来。
「えー! プロデューサーさん、静香ちゃんだけですかー?」
ずるいずるい。口にするのは翼。
そんな二人の様子に、プロデューサーは、悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「今回は、な。未来と翼の新曲についても、実は、もう動き出してるから」
期待して待っててくれ。
やったー、と二人手を合わせて喜ぶ未来と翼。
そしてそんな二人を見ながら楽しそうなプロデューサー。
未来と翼は良い。でも、大人であるはずの彼のそんな茶目っ気が、静香はあまり好きではなかった。
3 :
◆0NR3cF8wDM
[saga]:2019/06/29(土) 23:33:39.10 ID:PusMuPT6O
「……プロデューサー、新曲の話を聞かせてください」
「悪い悪い。今回静香に歌ってもらうのは……」
「「もらうのは?」」
「そういうのいいですから。未来と翼も簡単に乗せられないの」
「「はーい」」
「ぐ……」
相変わらず子どもっぽい。
静香は心の中でため息をつく。
まったく、この人はいつになったらしっかりしてくれるのだろう。
……やる時はやる人だということぐらいは、分かっているのだけど。
「静香、今回は、またデュオ曲を用意した」
「デュオ……『D/Zeal』の時みたいに、ですか?」
「そうだ。相方は――千早」
今度は、さらりと、爆弾を落とした。
4 :
◆0NR3cF8wDM
[saga]:2019/06/29(土) 23:35:23.70 ID:PusMuPT6O
「へ?」
静香が呆気に取られた声を出す。
今、プロデューサーは何と言った?
相方は、千早?
千早って、あの、千早さん?
と、二人で?
「千早さんと!? すごい! すごいすごーい!」
「静香ちゃん、千早さんに憧れてるって言ってたもんね! いいないいなー」
「え、ええええええええええ!?」
静香の絶叫が、劇場内を駆け巡った。
5 :
◆0NR3cF8wDM
[saga]:2019/06/29(土) 23:36:20.99 ID:PusMuPT6O
◇
大丈夫。
事前にしっかり練習してきた。
楽譜も完全に頭に入れて、ピアノでも弾けるようになった。
『D/Zeal』での経験もある。
初めての二人揃ってのレッスンを前にして、静香は、言い聞かせるように一つ一つ自分の行いを確認した。
今の自分を千早に見てもらう。
そして、あわよくば、認めてもらうんだ。
どきどきと共に、わくわくとした感情を確かに静香は覚えていた。
6 :
◆0NR3cF8wDM
[saga]:2019/06/29(土) 23:37:16.49 ID:PusMuPT6O
ガチャ、と扉の開く音がした。
振り向くと、そこにトレーニングウェアを着た千早の姿があった。
――空気が、違う。
「ごめんなさい、遅れたわ」
「い、いえ、まだ時間前ですし……」
千早が入って来た瞬間から、ピリピリとした何かを、静香は感じていた。
いつもの千早さんじゃない?
一人黙々とストレッチを始める千早に声をかけようとしたけれど、結局、それは叶わなかった。
ちらちらと様子を窺う静香に、千早が気付いていないとは思えなかった。普段の彼女なら、そんな静香に一声二声とかけて緊張を解してくれるはずだった。
7 :
◆0NR3cF8wDM
[saga]:2019/06/29(土) 23:38:26.85 ID:PusMuPT6O
レッスンコーチ、そしてプロデューサーが入室する。
千早が立ち上がり、一礼。
静香も慌ててそれに続いた。
「今度の曲は、ライブが初披露となる。その意味が、分かるな?」
プロデューサーの言葉に、
「はい」と、千早。
「は、はい」と、静香。
「コーチには、普段以上に厳しく、とお願いしてある」
「望む所です」
「が、頑張ります」
よし、とプロデューサーが頷いた。
コーチが二人の前に出る。
「始めよう。如月、最上、もちろん、準備はできているな?」
唇が冷たい。
静香の瞳が、怯えるように揺れている。
8 :
◆0NR3cF8wDM
[saga]:2019/06/29(土) 23:40:46.35 ID:PusMuPT6O
◇
「……で、あたしの所に相談に来た、と」
「……はい。すいません。ジュリアさんもお忙しいのに」
「バカ、謝んなって。ユニットとしての活動は多少減ったとはいえ、シズは今でもあたしの相棒なんだから」
「ジュリアさん……ありがとうございます」
千早と二人でのレッスンは、なかなか静香の思うようには進まなかった。
萎縮している、という自覚はあった。そうして歌えば歌う程に、千早との差が感じられて、更に自分が小さくなって行くような悪循環に陥っていた。
「心配しなくても、チハは、あいつは、シズのことを認めてるよ」
「で、でも、レッスン中、全然声もかけてくれなくて……それに……」
9 :
◆0NR3cF8wDM
[saga]:2019/06/29(土) 23:41:50.09 ID:PusMuPT6O
――その程度なの、静香。
初日のレッスン終了後、千早からかけられた言葉が、鋭い視線が、頭から離れない。
10 :
◆0NR3cF8wDM
[saga]:2019/06/29(土) 23:44:02.83 ID:PusMuPT6O
「期待の表れだって言っても、シズは納得しないよな?」
「……すいません。どうしてもそうは思えなくて」
これまでの優しい千早とのギャップが、静香を悩ませていた。
自分が悩む時にはいつもアドバイスをくれた。導いてくれた。
その千早が、今は、無言で自分を見つめている。
何か、千早の気に入らないことをしてしまったのではないか。そもそも、最初から自分の力量に納得していないのではないか。
やっぱり、
「やっぱり、千早さんは、ジュリアさんとの方が――」
「ストップ。シズ、その先は言っちゃダメだ。絶対に」
「あ……ご、ごめんなさい……」
謝ってばかりだ。
静香は思う。
「まったく、チハもチハだぜ。シズをこんなに悩ませて……」
「いえ、千早さんは……」
「はぁ。不器用なんだよな、あいつ」
バカみたいに。
ジュリアの言葉に、静香は答える術を持たなかった。
11 :
◆0NR3cF8wDM
[saga]:2019/06/29(土) 23:46:52.17 ID:PusMuPT6O
◇
「しーずーかーちゃん!」
何をするでもなく、控え室で物思いにふける静香に声をかけたのは、春香だった。
「春香さん?」
「新曲の具合はどう?」
「……ええと、その……」
上手く行っていない、と正直に答えることはできなかった。
「……なんて。ごめんね、ちょっとだけ、ジュリアちゃんから聞いてるんだ」
「ジュリアさんから?」
「うん。それで、静香ちゃんとお話がしたいなって思ったの」
春香と千早が親友同士の関係であることは、身内を飛び越えて、ファンにまで知られていることだった。
その春香が、自分に話がある、という。
静香がつい姿勢を正して身構えてしまったのも、無理はないことだっただろう。
12 :
◆0NR3cF8wDM
[saga]:2019/06/29(土) 23:47:57.27 ID:PusMuPT6O
「待って待って。違うの、そんなに堅苦しいことじゃなくて」
あわあわ、と慌てるように春香は続けた。
「えーと、そうだ、ちょーっと待っててね。すぐ戻るから」
言うと、春香は、控え室を飛び出し、
……あいたっ!
そんな声を響かせながらどこかに消えた。
「春香さん……?」
何だったのだろう。
まったく事情を飲み込めない静香の元に、春香が戻ってきたのは宣言通り、すぐのことだった。
片手に、美希の手を引いて。
「ほら、美希、美希連れてきたから! 大丈夫だよ!」
更によく分からなくなった。
何が大丈夫なのだろう。
13 :
◆0NR3cF8wDM
[saga]:2019/06/29(土) 23:48:54.90 ID:PusMuPT6O
「もう、春香、何なの?」
「美希も知ってるでしょ? 今度の千早ちゃんと静香ちゃんの新曲!」
「それは、知ってるけど……」
「そ、それで、私一人だと静香ちゃんも話し辛そうだったから、美希がいれば」
「あ、分かった。また春香がお節介焼こうとしてるの」
「お節介って……ち、違わないけど、違うから!」
もはや、静香の混乱は極まっていた。
春香の言葉も、美希の言葉も、何一つ頭には入ってこない。
14 :
◆0NR3cF8wDM
[saga]:2019/06/29(土) 23:50:35.99 ID:PusMuPT6O
「あ、あのね、静香ちゃん!」
と、春香は静香に再び切り出す。
「は、はい」
「静香ちゃんから見て、千早ちゃんってどういう女の子、かな?」
「それは……」
少し、考えてから、静香は続ける。
「歌が上手で、凜としていて、それに気配りもできて、いつも優しい、私の憧れの先輩で……」
「へぇ」と、面白そうに聞いているのは美希だった。
「なるほどなるほど」
嬉しそうに、春香が頷く。
15 :
◆0NR3cF8wDM
[saga]:2019/06/29(土) 23:56:26.03 ID:PusMuPT6O
「千早ちゃん、優しいよね」
「はい」
「でも、今の千早ちゃんは、優しくなくて……」
「……」
静香は沈黙で返答する。
「……でもね。それが、千早ちゃんなりの優しさなんだよ」
優しくないのが、優しさ。
「……ごめんなさい、よく、分かりません」
「ええと、これ以上は出来れば静香ちゃん自身に気付いて欲しいっていうか……美希は、分かるよね?」
「春香は回りくどいって思うな」
「うぐ」
16 :
◆0NR3cF8wDM
[saga]:2019/06/29(土) 23:57:56.78 ID:PusMuPT6O
「あのね、静香」
と、今度は美希が静香に語りかける。
「千早さん、怖いよね」
「……はい」
「ミキもね、その気持ち、すごく分かるの」
「え? 美希さん……が?」
おおよそ何をやっても人以上にこなしてみせる美希のことを、静香は天才だと思っていたし、世間からの評価もそういったものだった。
そんな美希が、慕っているはずの千早のことを怖い、と言う。
「ミキならこれぐらいできて当然だって、千早さん、平気で決め付けてくるの。ぼーじゃくぶじんって思うな」
美希は続ける。
「それで、できたらもちろん褒めてくれるんだけど、次の時はもっと上になってて、もうキリが無いの!」
静香にも、少し、分かる気がした。
自分にも、他人にも、求めるものが高い。それが静香の知る千早だった。
「怖い人なの、千早さんは」
怖いと言いながら、でも、美希は笑って。
「そんなぼーじゃくぶじんな千早さんを、ガッカリさせたくない。結局いつもそう思っちゃうのが、本当に怖いところなの」
ずるいよね。
美希の言葉に、何を言うこともできず、ただ、こく、と頷いた。
17 :
◆0NR3cF8wDM
[saga]:2019/06/30(日) 00:26:21.87 ID:+e3phmGi0
◇
ステージの裏は、様々な音に溢れていた。
今まさに舞台から流れてくる歌声、音楽。ファンの声援。そしてそれを支えるスタッフの細かなやり取り。行き来激しくいくつも重なる足音。出番を終え抱き合うアイドルと、迫る自曲を小さく口ずさむアイドル。
その喧騒が、静香は嫌いではなかった。
ライブという非日常の世界の中に、自分が確かに存在しているのだと実感する。
用意された椅子に浅く座り、目を瞑り、その一つ一つの音に耳を傾ける。
そうしてから、今度はその全てを排して奥へ奥へと意識を集中させる。
歌えるだろうか。
小さくない不安が、未だ、静香の中を燻っていた。
結局、千早とは満足に話ができないまま、今へと至っていた。彼女は意識的に静香のことを避けているようだった。
これまで、ライブの前には必ず優しい言葉をかけてくれるのが、如月千早という先輩だった。
千早ちゃん、優しいよね。
春香の言葉を思い出す。
静香ならやれるわ、大丈夫。
憧れの人からの一言にいつも救われ、前を向くことができた。
18 :
◆0NR3cF8wDM
[saga]:2019/06/30(日) 00:27:12.99 ID:+e3phmGi0
しかし、今回は、違う。
千早さん、怖いよね。
美希の言葉を思い出す。
その程度なの、静香。
射抜くような目だった。
憧れの人を、初めて怖いと思った。
手の震えを自覚する。冷たい。脚に、喉に、唇にまでその震えは伝わっていく。
19 :
◆0NR3cF8wDM
[saga]:2019/06/30(日) 00:28:40.97 ID:+e3phmGi0
「3分前です。準備をお願いします」
スタッフの言葉に、はっと目蓋を開ける。
ネガティブな感情も、身体の震えも一向に収まりそうにはない。
それでも、出番が来たのならばファンの前で歌わなければならない。そういう世界の、そういう存在に、静香はなったのだから。
立ち上がる。
深呼吸を一つ。
二つ。
顔を上げる。
前を向く。
「…………千早、さん」
あの人の姿が目に入った。
凜、と千早は立っていた。ステージから漏れ聞こえる熱気に向き合うように、受け止めるように、あるいは立ち向かうように。
静香が、憧れた、如月千早だった。
その強さを美しいと思った。羨ましいと思った。
遠い。
そう感じた。
20 :
◆0NR3cF8wDM
[saga]:2019/06/30(日) 00:29:55.98 ID:+e3phmGi0
と。
不意に、千早が振り返った。
視線がぶつかる。
こつ、こつ、こつ。千早はゆっくりと静香の方に向かってくる。
まっすぐに、静香を見つめていた。
その瞳から、静香は逃げたかった。でも、逃げたくなかった。
そこから逃げてしまえば、二度と自分はアイドルも千早の後輩も名乗れないような気がした。
千早の足が止まる。
肩と肩とがぶつかりそうな距離だった。
「……千早さん」
耳元で何か優しい声をかけてくれるのだろうか。
淡い期待が無かったと言えば嘘になる。
しかし、千早は――
――ばし、と力強く、静香の背中を叩いたのだった。
思いがけない衝撃に、よろめきそうになる。
千早さん、と声をかけ、意図を伺おうとして、
21 :
◆0NR3cF8wDM
[saga]:2019/06/30(日) 00:31:13.59 ID:+e3phmGi0
「本気でかかって来なさい、静香」
22 :
◆0NR3cF8wDM
[saga]:2019/06/30(日) 00:32:10.32 ID:+e3phmGi0
静かな、だが、確かな熱のこもった千早の一言が。
静香を、まっすぐ、貫いた。
23 :
◆0NR3cF8wDM
[saga]:2019/06/30(日) 00:32:59.46 ID:+e3phmGi0
こつ、こつ、こつ。遠ざかる千早の足音が聴こえる。
30秒前です。促すスタッフの声もどこか遠く。
背中から、そして胸の辺りから、熱い何かが全身を駆け巡るようだった。
身体の震えは相変わらずだったけど、それはさっきまでの冷たい震えとは違う何かだった。
意識したわけでもないのに、口角が上がっていた。
ぺろ、と唇を舐める。
あの千早が、憧れた人が、言ったのだ。
本気でかかって来い、と。
ただ、自分のみに向けて!
どうして忘れていたのだろう。
『D/Zeal』としてジュリアと向き合った時、確かに抱いたはずの感覚を、ようやくにして静香は思い出した。
あの時と同様、いや、それ以上に好戦的な気持ちがふつふつと湧いて来る。
本気でぶつかってやる。
やってやる。
負けない。
絶対に負けない。
例え、あなたが相手だって――
24 :
◆0NR3cF8wDM
[saga]:2019/06/30(日) 00:41:09.83 ID:+e3phmGi0
◇
観客から見て左側から千早が、右側から静香がゆっくりと姿を見せた。
二人の、否、千早の登場に、小さなざわめきが起こる。
ただそこにいるだけでファンに特別な何かを思わせる、それがライブにおける歌姫如月千早という存在だった。
千早に注目が集まる。
予想していたことだった。当然のことだった。普段なら嬉しいとさえ感じることだった。
だけど、静香は、
それを、初めて、悔しいと思った。
「私たちの新曲です」と、千早。
「聞いてください」と、静香が続ける。
前口上は、ただ、それだけで。
25 :
◆0NR3cF8wDM
[saga]:2019/06/30(日) 00:41:51.18 ID:+e3phmGi0
静香千早「「アライブファクター」」
26 :
◆0NR3cF8wDM
[saga]:2019/06/30(日) 00:42:20.48 ID:+e3phmGi0
二人の声が重なり、
蒼の光と音楽が、会場を満たして行く。
27 :
◆0NR3cF8wDM
[saga]:2019/06/30(日) 00:42:55.06 ID:+e3phmGi0
……すげぇ。
誰かの声が漏れた。
……なんだ、これ。
別の誰かが呆然と呟いた。
そして、それは、会場の総意に近いものだった。
歌いだしは静香。
第一声、否、第一音から、観客を圧倒する力強い歌声だった。
一部ファンの間で「蒼の系譜」「千早の後継」と囁かれる彼女の実力は、先の『D/Zeal』としての活動も含めようようにして認められたものではあった。
しかし、今の静香は、その誰の想像をも上回る。
千早が続く。
765プロの、日本の歌姫と名高い彼女の歌声は、静香に劣らぬ強さを感じさせる、ファンの期待する声色そのものであった。
二人の歌声が重なる。
互いの存在を確かめあうような、あるいは牽制しあうような。
ちらちらと互いを意識しながら、二つの声を収束させていく。
静香が歌う。
千早が歌う。
二人の歌声が再び重なりあう。
……千早ちゃんが……押されてる?
ぽつり。ふと、誰かが驚愕と共に漏らした。
殊に、歌という分野において、如月千早は絶対的な存在だった。
歌唱力に優れたアイドルは数多あれど、一般に、歌姫と称されるのは千早ただ一人。
その千早が、今、確かに、最上静香という後輩のアイドルの歌声に押されていた。
信じられない。信じたくない。そう思う観客は一人二人ではなく。
一方で、千早が、笑みを浮かべたことに気付いた観客も少なくなかった。
間奏が入る。
静香と千早の視線が交錯する。
珍しく……本当に珍しいことに、千早が率先して観客を煽った。
静香も少し遅れてそれに続く。初披露のはずの曲に、会場は異様な盛り上がりを見せる。
もっと熱を。
蒼く冷たい熱を――
28 :
◆0NR3cF8wDM
[saga]:2019/06/30(日) 00:44:03.52 ID:+e3phmGi0
間奏が終わり、今度の歌いだしは、千早。
直前、横目に静香を見やってから、
――とん、と千早が翔んだ。
そうして、抑えきれない激情を無理やり押し留めるように、深く着地をする。
膝が地面に着きそうな程の低い体勢から、一度下げた頭を正面の客席へと向ける。
顔つきが、違った。
修羅のような、敵(かたき)を捉えた武人のような、おおよそアイドルには似つかわしくない獰猛な眼光。
その第一声、第一音に、観客は――そして静香は、魂を掴まれるような衝撃を受けた。
誰の記憶の千早にも無い、どこまでも荒々しく力強い歌声、いや、叫びだった。
全方位へと向けられた刃が会場を切り裂いて、ざわめきさえも立ち消える。
不器用なんだよな、あいつ。
それが、千早ちゃんなりの優しさなんだよ。
怖い人なの、千早さんは。
ああ、確かに、あなたは――
千早の歌声に誰もが声を飲み込んでしまった中で、
しかし、静香は、
同じく、雄叫びのような歌声で応えてみせた。
千早の苛烈な一振りに対し、怯むことも無く果敢に噛み付いていく。
あの千早が、遠い憧れだった如月千早が、形振り構わず静香に対している。そのことが、言葉にならない程嬉しかった。
ぺろ、と唇を舐める。
自然と、ギアが上がった。
これ以上は無いと振り絞っていた歌声の、更に向こう側へ。
引かない。
負けたくない。
私の本気で、あの人に――
29 :
◆0NR3cF8wDM
[saga]:2019/06/30(日) 00:44:59.01 ID:+e3phmGi0
……闘ってる。
誰かが小さく呟いた。
聞こえた人間の全てが同意するものだった。
デュオだった。
だが、デュオと表現するのが躊躇われるような二人の歌唱だった。
もはやそれは、歌を介した闘いだった。
本来ならばあるまじきことに、観客さえも意識することなく、ただただ互いに歌という暴力で殴り合っているような光景だった。
二人が中央へと歩み寄る。
歌声が、重なる。
二倍どころではない。共鳴する。三倍にも四倍にも感じられる声の圧力。
びりびりと身体の真ん中にまで響く歌声だった。割れんばかりの、とはよく使われる表現ではあるが、本当に物理的に会場が割れてしまうのではないか、観客にそう思わせる程の圧倒的な力強さだった。
盛り上がる程に冷たくなっていくような、異様な興奮が彼らを包みこんでいた。
如月千早の相手役としての最上静香。当初そう考えていたファンでさえ、ここに至って、二人は「如月千早と最上静香」として、対等の立場でステージに立っているのだと理解した。
静香の刃は、確かに千早へと、観客へと届いていた。
如月千早をも超え得る存在。
とうとう、最上静香はそう認められたのだった。
30 :
◆0NR3cF8wDM
[saga]:2019/06/30(日) 00:45:42.37 ID:+e3phmGi0
『君に 憧れ』
そう、いつも静香の視線の先には千早がいた。
歌に憧れた。凜とした姿に憧れた。
そんな風に、いつか、自分もなりたいと思った。
だけど、どこかで、決して、届かない遠い存在なのだと決め付けていた。
でも、それは。
勝手な思い込みで。
手を伸ばせば届く距離で、貴方は――
『君を 待ち焦がれ』
――私に向かって、手を差し伸べてくれていた
31 :
◆0NR3cF8wDM
[saga]:2019/06/30(日) 00:46:15.02 ID:+e3phmGi0
……がんばれ。
その呟きは、果たしてどちらに向けられたものだっただろうか。
互いの汗さえ降りかかりそうな歌い合い、殴り合いだった。
きっと、本来の振り付けも、立ち位置さえも乱して、千早と静香はそれぞれの中にある感情をぶつけ合っていた。
歌の、闘いの終わりは近いようだった。
一心にペンライトを振るファンがいた。
両の手を合わせ祈るように見守るファンがいた。
頬を流れる涙を拭うこともできず立ち尽くすファンがいた。
二人の歌声が共鳴する。
千早が、静香が、今日最大の気勢をもって呼応する。
既に互いを見やることさえ無く、ただ己が魂を主張するような叫びを振り絞る。
ここが決着だと誰もが確信に似た予感を覚える。
ロングトーン。
千早の声が伸びていく。
静香の声が伸びていく。
会場を越え、どこまでも、二人の声が――
32 :
◆0NR3cF8wDM
[saga]:2019/06/30(日) 00:46:53.12 ID:+e3phmGi0
◇
ステージの裏にいてさえびりびりと響くような歓声は、まだしばらく収まることはないように思えた。
冷ややかな熱が身体に残っていた。
とくんとくん。心臓のリズムが、震える指先にまで伝わってくるようだった。
「静香」
離れていても通るその声に、静香は振り返った。
「……千早さん」
こつ、こつ、こつ。
ゆっくりと、千早が静香へと向かって来る。
こつ、こつ、こつ。
静香も、ゆっくりと千早へと歩み寄る。
静香は、今度はしっかりと千早を見据えることができた。
競演前、そして競演中の険しさを感じさせない、柔らかな表情だった。
千早が握手を求める。
静香は、笑顔でそれに応じた。
両の手で握り締めた千早の右手は、思いの外小さくて、でも、とても重く感じられた。
33 :
◆0NR3cF8wDM
[saga]:2019/06/30(日) 00:47:22.82 ID:+e3phmGi0
「ありがとう」
耳元で囁くように、千早は言った。
そのたった一言に、一体どれだけのものが込められていたのか、静香には想像もつかない。
だけれど、その感謝は、紛れも無く千早から静香へと向けられたもので、静香が自身の力で勝ち取ったものに違いなかった。
共に歌った今だから分かる。千早には千早なりの何かがあって、彼女はそれを静香にぶつけたのだ。静香が、そうであったように。
34 :
◆0NR3cF8wDM
[saga]:2019/06/30(日) 00:47:58.51 ID:+e3phmGi0
「千早さん」
伝えたいことがあった。
「千早さんは、私の憧れです」
伝えたいことができた。
「でも、ライバルでありたいって。そう思いました」
「そう」
千早が笑みを見せる。
「――でも、千早さんは、憧れでいてください」
「……え?」
怪訝そうな千早に、静香は続けた。
「もっともっと成長して、いつか、私は千早さんを超えてみせます。でも、千早さんは絶対に超えさせないでください。やっぱり千早さんは凄い。私ももっと頑張らなきゃ。そんな千早さんであり続けてください」
そんな、矛盾だらけで、どこまでも自分勝手な意見を。
静香は、楽しそうに言うのだった。
35 :
◆0NR3cF8wDM
[saga]:2019/06/30(日) 00:48:27.27 ID:+e3phmGi0
呆気にとられたのは千早だった。
少しの間、静香の言葉を反芻して、それから千早は苦笑いを浮かべた。
「……今日の静香にそう言われるのは、正直、かなりのプレッシャーなのだけれど」
恐らくそれは本心であったのだろう。
引きつったような笑み。そんな千早の表情を見るのは初めてだった。
「やれって私を煽ったんです。千早さんだって、やってください」
悪戯っぽく、静香が笑った。
一瞬、きょとんとした顔を見せた千早が、今度は明確に表情を綻ばせた。
ここに至って、もはや千早は負けを認めるしかなかった。
「ええ。ふふ、そうね、静香にだけ無茶をやらせるのはフェアじゃないわね」
「そうです。千早さんは――」
いつか、画面の向こうの輝きに惹かれた。
同じ世界に立って、それはもっと大きなものになった。
手の届く距離にまで来て、でも、それはやっぱり変わらずに、
静香の、心の真ん中にある。
「――私の、憧れなんですから」
36 :
◆0NR3cF8wDM
[saga]:2019/06/30(日) 00:49:00.49 ID:+e3phmGi0
◇
今か今かとうずうずしながら見守っていた未来と翼を先頭にして、十を越えるアイドルたちが静香と千早の元へと駆け寄って行く。
辿り着くなり、もみくちゃにされる二人の様子を見ながら、美希は、あはっと笑った。隣には春香と、すぐ傍にプロデューサーとジュリアの姿もあった。
「髪の毛直すの大変そうってカンジ」
「そうだね。あはは、メイクさんは……わ、流石、もう道具持って待機してる……」
「……春香は、行かなくて良かったの?」
「千早ちゃんとは、この後ゆっくりお話できるから」
「まさかの惚気だったの……」
「そ、そんなのじゃないけど……でも、美希の方こそ、良かったの?」
「ミキは……今はこうして、見てたい、かな?」
「そっか。……ねぇ、美希。ちょっと、羨ましいね」
「うん。すっごく、羨ましいの」
37 :
◆0NR3cF8wDM
[saga]:2019/06/30(日) 00:50:05.00 ID:+e3phmGi0
「……おいおい、ハル、美希」
「なぁに、ジュリアちゃん?」
「なんなの、ジュリア?」
「……お二人さん、今、自分たちがどんな顔してるか、分かってるか?」
38 :
◆0NR3cF8wDM
[saga]:2019/06/30(日) 00:50:43.54 ID:+e3phmGi0
ふふっ。
あはっ。
「プロデューサーさん」
「プロデューサー」
「次は、私の番ですよね?」
「次は、ミキの番だよね?」
静香と千早が巻き起こした冷たい炎が、燻り続けている。
39 :
◆0NR3cF8wDM
[sage saga]:2019/06/30(日) 00:52:18.49 ID:+e3phmGi0
以上です。
お付き合いいただき、ありがとうございました。
参考
HOTCHPOTCH FESTIV@L!! アライブファクター
765の先輩組後輩組が共にステージに立った最高のライブなのですが、
amazonに限定版が7点だけ残っているようです!
お値段なんと16,343円!
0.18529478天井!
これは完全にお得!!
コメンタリーも是非ご覧ください!!
40 :
◆NdBxVzEDf6
[sage]:2019/06/30(日) 01:15:18.35 ID:6qxDGfjWO
ミリマスでこういう千早SSは珍しいけどこの曲に合う話でよかった
乙です
>>2
最上静香(14) Vo/Fa
http://i.imgur.com/shRbIcW.jpg
http://i.imgur.com/v0ZXkwf.png
春日未来(14) Vo/Pr
http://i.imgur.com/iuy368T.jpg
http://i.imgur.com/aQyOApp.jpg
伊吹翼(14) Vi/An
http://i.imgur.com/r3Qhgty.jpg
http://i.imgur.com/QWjS9EX.png
>>6
如月千早(16) Vo/Fa
http://i.imgur.com/fRks4gt.png
http://i.imgur.com/RFRxkra.jpg
>>8
ジュリア(16) Vo/Fa
http://i.imgur.com/hiMDmRw.png
http://i.imgur.com/iT7Xn9F.png
>>11
天海春香(17) Vo/Pr
http://i.imgur.com/f6ombAr.png
http://i.imgur.com/7RYWSze.jpg
>>12
星井美希(15) Vi/An
http://i.imgur.com/EIm0YCz.jpg
http://i.imgur.com/Q849Ekn.jpg
「アライブファクター」
http://www.youtube.com/watch?v=-v0xmhTutgI
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