【たぬき】高垣楓「迷子のクロと歌わないカナリヤのビート」

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110 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/28(金) 00:18:22.57 ID:XbZcdmSM0

「すみません。ただ、なんというか……その。アイドルは、リスクが大きくて」
「リスクなんて、どこで活動しても同じじゃないですか」
「違います! アイドルは、違うんです。あれは……明日には、何が起こるかわからない。そんな世界でしょう」

 リスクこそ大敵だ。地ならしの済んでいない道を避けるのもひとつの選択だろう。
 考えうる限り最も大きな失敗を、一度この目で見てきたんだ。
 
 熟慮に熟慮を重ねた結果だった。

 なのに千川さんは、複雑そうな表情を変えることがない。

「……そんなPさん、初めて見ましたよ」

「え……」
「私には、あなたが何かを恐れているみたいに見えます」

 予想だにしない切り込み方に、一瞬硬直する。
 だけどこれが最適解に違いない。
 どう思われようと、ここまで来たらやるしかないんだ。

111 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/28(金) 00:19:27.05 ID:XbZcdmSM0

 千川さんはそれ以上、何も言おうとしなかった。
 あとは実物を見てわかってもらうしかない。書類をまとめ、会釈して事務所を後にする。

「最後に、もう一つ聞いていいですか?」

 ドアを開けた時、後ろから千川さんの声がかかった。

「……何です?」
「その企画が本当に走り出したら、Pさんはどうするんですか?」

 愚問だ。それこそ考えるまでもない。

「どうもしません。最初のきっかけを作って、ベテランにパスするだけです」

 イメージ的に。諸々の手続き的に。
 ここから先、一切のノイズがあるべきではない。身の程をわきまえなければならない。

 なんとなればこの346の城において、俺はただの使用人でしかないのだから。

112 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/28(金) 00:19:59.96 ID:XbZcdmSM0

「高垣さんの今後の活動に、俺が介入するべきじゃないんですよ」

 ――「するべきじゃない」だと?
 ――「するのが怖い」の間違いじゃないのか、臆病者め。

 脳裏をよぎる自分の声に耳を塞ぐ。もう前しか見ていない。


「……そこに、あなたがいないんじゃありませんか」


 彼女の呟きはドアに阻まれ、俺の耳には届かなかった。

113 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/28(金) 00:22:27.43 ID:XbZcdmSM0

  ◆◆◆◆


 モデル部門の高垣楓を、一時アーティスト部門で活動させる。


 企画の要はそこにあった。

 目星はついている。数々の歌手を大成させたベテランの音楽プロデューサーが我が社に在籍している。
 そのうち一人とは面識もあった。確か彼は今、育てきった担当アーティストにセルフプロデュースを任せ、一時に比べて手が空いているはずだ。
 アイドル部門に負けないよう、そちら方面の盛り上がりも欲しいに違いない。
 高垣さんは絶好の才能。まさに金の卵だ。

 モデルから電撃転向、音楽シーンに彗星のように現れた歌姫。
 話題性は十分だろう。高垣さんのネームバリューは既に社内外で無視できないほど大きい。
 いかにも異色な転身だが、勝算は十二分にある。
 潮目を見ればモデル部門に戻ればいい。退路は十分に確保しているし、そうなった場合でもモデル活動に箔が付くだろう。


 まだみんな知らないだけだ。彼女の歌声がどんなものなのか。

114 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/28(金) 00:24:32.83 ID:XbZcdmSM0

 あなたは、ただのモデルに甘んじていていい人ではない。
 その歌を広く世間に知らしめるべきだ。
 一過性の、一山いくらの芸能人なんか目じゃない。間違いなくショービズの歴史に深い爪痕を残せる。

 一声歌えば、きっと誰も、あなたのことを忘れない。

 まさに、美しい城の歌姫に。いかに時代が変わろうとも、永く記憶に残り続ける「解けない魔法」に。
 いつか見た悪い夢も払拭する、褪せない色を、もしかしたら――。

 半分は願望に近かった。

 けれど、そういう存在になれると思ったから。


 次に会った時、俺は高垣さんに全てを話した。
 あとは彼女の了解だけだったし、決して悪い話ではない。モデル時代の何倍、いや何十倍ものギャラが入るに違いない。

 きっと受けてくれるはずだ。これまでになく熱を持った俺の説明を、高垣さんは静かに聞いていた。

115 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/28(金) 00:29:46.54 ID:XbZcdmSM0



 すべて聞き届け、にっこり笑って答える。


「まっぴらごめんです♪」


116 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/28(金) 00:30:33.65 ID:XbZcdmSM0

  ◆◆◆◆


「……お〜〜いPよぉ。なぁに辛気くせぇツラしてんだお前よぉ」
「いや、ていうかペースおかしくないか? なんかあった……?」

「…………なんでもないっす」

 飲んだくれている。
 せっかく都合の合ったタクさんとヨネさんを前にしても、気分はいっかな持ち直さなかった。
 さすがに放っておけず、タクさんが冗談めかして水を向けてくる。

「ひょっとしてアレか? 振られたか?」
「ぶッッ」
「ちょっ、タクさん!?」

 彼としても軽い気持ちで言ったに違いないが、思いのほかそれが刺さった。
 いや振られたとかではないんだが。
 いやいや言いようによってはそうでもあるかもだが。
 そこらへんのアレコレが逆流して、むせた酒が鼻にまで入った。

117 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/28(金) 00:37:12.99 ID:XbZcdmSM0

 言い訳無用の有様に、言った方がむしろ恐る恐る、

「…………え〜とあの、図星スか? マジのやつ?」
「タクさん、今のはマズかったって……! オレも一緒に謝るからほら……!」
「いや……いいんです大丈夫です。想像してる通りじゃないけど、まあ、似たようなモンです」

 二人揃って「あらら〜……」って顔をされた。

「……まあ元気出せや。女なんて星の数だぜ」
「い、いやオレもさ、よく子供っぽく見られてさ! 振られる気持ちもわかるっていうか、わは、わはは!」

 気遣いがやたら染みる。
 だからではないが、ついつい疑念が口をついて出てしまった。

「……何が、いけなかったんだろう」
「ん〜〜〜まあ大体カネじゃねぇの、オンナってなそのへんシビアだからよ。それかアレだな、ナニの具合が」
「タクさん!」
「ひががががが痛(ひた)い痛い痛いなにひやがんだヨネてめへぇぇえ」

118 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/28(金) 00:45:40.69 ID:XbZcdmSM0

 金? 金は問題ない。これほど良い儲け話も無い。
 実力への不安など言うも愚か。あんなに綺麗な歌声は今まで聞いたこともないんだ。
 一体、何が嫌だったのか――――


 ――カナリヤというあだ名は、彼女が歌うのをやめたことから付いたの。

 
 総代の……柊志乃さんの言葉が、脳裏に蘇る。
 あの夜は酔っていたせいで深く考えもしなかった。

 高垣さんは、歌うのが嫌いなんだろうか?
 だとしたら何故?
 あんなに……聞き惚れるような、素晴らしい声を持っているというのに。
 他の客だって魅了された。彼女を知る人は、みんな彼女の歌を心待ちにしていた感じでさえある。

119 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/28(金) 00:51:31.28 ID:XbZcdmSM0

「聞いてみないと……」
「ん? お? 何を?」
「なあPさんさ、あんま引きずるもんじゃないって。な? ほらオレたちも付き合うからさ」
「おーそうだそうだこの後吉原行こうぜ吉原、俺様が奢ってや……おい聞いてんのか? ……あ、寝てる」

「…………」

 聞いてみないと。
 それだけを思いながら、沼のような眠りに落ちて、この夜は終わった。

120 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/28(金) 00:58:32.33 ID:XbZcdmSM0

  ◆◆◆◆


 高垣さんとはあれ以来会っていない。

 もともと頻繁に会う約束を交わすような間柄ではなかった。日常的に連絡を取り合うわけでもない。
 それにあんなことがあった後だから、なんとなく顔を見せるのは憚られた。

 そこで俺は、別の場所に目を向けた。

 夜市だ。

 本人でなくとも、高垣さんのことをよく知る人たちなら。
 たとえばそう、柊さんだったら詳しいかもしれない。
 そうして、高垣さんが歌わない理由、あるいは過去、彼女が何を思うかなどを知ることができれば。

 断られたんだからさっさと引き下がるなんて考えは、どうしたことか、その時はさっぱり無かった。


 かくして俺は仕事終わりに夜の街に繰り出し、例の「夜市」を探してみるのだが…………。

121 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/28(金) 00:59:48.02 ID:XbZcdmSM0

「…………見つかんねぇ!!」

 というか、いつどこでどれくらい行われているのか。
 そんなことさえも知らないままだったのだ。

 それに行き先だって謎にもほどがある。
 あの地下鉄の謎空間、記憶にある限りの道筋をトレースしてもさっぱりだったし。

 いよいよ往生した。
 そもそもからして、こっちは凡人。
 高垣さんに手を引かれなければ、不思議のフの字にもまるっきり縁がないんだと思い知らされて、


「あら?」

122 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/28(金) 01:00:22.36 ID:XbZcdmSM0

 聞き覚えのある声に、振り返る。
 街灯に照らされた道の向こう、買い物袋を提げた女性が立っている。

 その姿に見覚えがあった。想起されるのは、酔っ払いの頭にもくっきり残った、かぐわしいコーヒーの香り。

 彼女は――


「……マスター?」
「ええと……クロさん、で良かったのよね?」

123 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/06/28(金) 01:01:16.50 ID:XbZcdmSM0
一旦切ります。
ちょっと引っ越し等色々あって更新滞っておりました。すみません。
ぼちぼち再開していきたいです。
124 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/06/28(金) 01:47:46.61 ID:2pURxWKMo
何となく瞳子さんっぽい雰囲気
125 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/06/28(金) 02:20:47.88 ID:xLIUuY4DO


さぁ最後までラストスパートです
126 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/07/06(土) 16:55:11.10 ID:uX8bu3fGO
 そういえば、童謡のカナリアは「なぜ歌を忘れたのか」がはっきりしてないんだよな。
 それ(≒楓さんが歌を捨てた理由)を明らかにしないままただ思い出させることだけを目的にして立てた計画がうまくいく道理はなかろう。
127 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2019/07/07(日) 22:18:01.34 ID:BmYrOlBS0

 マスターが言うには、夜市の開催には「サイン」があるのだという。


 それは十分な観察力と、ある種の慣れが無ければ見抜けない。

 たとえば、意味ありげにこちらを見て鳴く黒猫。
 風の流れと真逆に飛ぶ一枚の枯れ葉。
 海でもないのに聞こえる波音。
 同じ方向を見ている電線のスズメ。

 そうした少しずつ生じた綻びのような常識の「ずれ」を追えば、果てに入口があると。

128 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/07(日) 22:19:46.92 ID:BmYrOlBS0

「見方がわかれば、そんなに難しくはないの。私でも追えるくらいだから」

 赤く色づいた並木道がライトアップされている。
 どこかから金木犀の香りがする中で、マスターは迷わず歩を進めた。

 彼女もちょうど夜市に行くところで、買い物袋は向こうで作る軽食の材料だという。
 歩みはやがて路地へ入り、狭い路地を右へ、左へ……。
 進んでいく中、マスターが肩越しにこちらを振り返った。

「それにしても、今日は一人なのね。カナリヤさんは一緒じゃないの?」
「ああ、いえ、なんというか」

 ありのまま説明するのも気恥ずかしくなり、

「……色々ありまして、はい」

 誤魔化せたつもりだが、マスターは何をどう解釈したのかくすくすと笑った。

「二人とも、隅に置けないのね」
「ぬぁ!? ち、違いますからね!? そういうのじゃなくて……!」

 何を言っても柳に風だった。
 すっかり自分の中で何か結論を出してしまったらしく、マスターはどこか上機嫌そうに歩を進める。

129 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/07(日) 22:22:26.02 ID:BmYrOlBS0

「けど、良かった」
「何がですか?」
「カナリヤさん、あまり人付き合いが得意な方ではないから。あなたみたいなお相手ができて嬉しいと思うの。大事にしてあげてね?」

 だからそういうのでは。
 なおも反論しようとしたところ、マスターが夜市へ通ずる扉を開く。
 今回のそれは、路地の奥の奥にぽつんと鎮座する稲荷明神だった。


 小さな祠の軋む木戸を開けば、その向こうには提灯が並ぶあの参道。

 二度目だが、また唖然とした。多分何度訪れても慣れない気がする。
 街中で突如出現した異空間に踏み入り、マスターはこちらに手を差し伸べる。


「総代に用があるんでしょう? こっちが近道よ、ついてきて」

 頷いて手を取り、色鮮やかな夜の中へ。
 彼女の手は暖かく、ほっそりしていて、けれど少し荒れていた。
 傷付いて分厚くなった表皮と、ところどころにできたタコ。働き者の手だ、と俺は思う。

130 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/07(日) 22:26:40.09 ID:BmYrOlBS0

   ○


 あの巨大な桜は、十月を過ぎても満開だった。
 永遠に咲き誇ったままなのかもしれない。

 柊志乃さんはその根元近くのカフェテーブルで、一人優雅にワインを嗜んでいる。


「あら……。今日は、一人で来られたの?」

 柊さんは意外そうな顔をする。
 続いて視線がマスターに移って、それで合点がいったようだった。

「私が案内しました。あなたに用があるようだったから……」
「そうだったの。優しいのね」
「放っておけなかっただけですよ」

 眉をハの字にして、どこか困ったように笑むマスター。
 小さく俺に「頑張ってね」と言い残し、自分の仕事に戻っていく。
 その背中に一礼して、俺は柊さんと正対した。


「聞きたいことがあるんです」

131 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/07(日) 22:29:04.10 ID:BmYrOlBS0

 ここ数週間で起こったことを、全部話した。
 俺の決意。進めていた企画。その理由と思惑。

 もちろん、けんもほろろに断られたことも。

 彼女はどうして歌を嫌うのか。あれほどの才能を持ちながら、自ら望んで持ち腐れているのは何故か。
「歌わないカナリヤ」と旧知らしき柊さんならば、あるいは知っているのかもしれない。

 柊さんは最後まで黙って話を聞いていた。

 やがてグラスのワインを軽く回し、上品に口に含んで、語り始める。


「彼女の歌には、魔力があるのよ」

 最初はもののたとえだと思った。
 けれど、ただそれだけとは断言しきれない得体の知れない説得力もあった。

「楓ちゃんの声は、耳にする者すべてを引きつける……人も、鳥獣も、虫魚も草木も、みんな。
 だからこそ誰も放っておかないの。誰もが何度も聞きたがり、あるいは独占したがり……あるいは、利用したがる」

 最後の方は、明らかに俺を見ながら言っていた。

「り、利用だなんて、俺はそんな……!」
「本当にそう言い切れる? 俗物的な私利私欲のためではないとしても、あなたの行動は本当に『楓ちゃんのため』にしたことなの?」

132 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/07(日) 22:32:58.63 ID:BmYrOlBS0

 即答は……できなかった。

 ただ、彼女の才能を惜しく思ったから。
 存分に発揮できる場所を用意して「あげたかった」。
 そうすることで俺自身が彼女にどうこうとか、何か美味い汁を吸おうだなんて思ったことはない。だが。

 そこに、自分自身のエゴが絡まないだなんて、心の底から言えるだろうか。


「私が言いたいのはね、クロさん。人には人の、相応の居場所があるということなの」


 いつの間にかワイングラスは空になっていた。
 柊さんは俺から視線を外さぬまま続ける。

133 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/07(日) 22:38:04.02 ID:BmYrOlBS0


「彼女は人の身ながら人の手に余る。神業、あるいは魔性のそれよ。だから歌さえ自ら封じたの」


「すべてを受け入れるこの夜市でさえ、あの子の居場所にはなりえなかった。あなた一人の手に負えないのは当然のことよ」


「だから、クロさん。楓ちゃんのことは放っておいて。どうか、好きにやらせてあげて欲しいの」

134 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/07(日) 22:39:43.78 ID:BmYrOlBS0

 幼子を諭すような、ひどく淡々とした口調。
 落ち着き払った彼女の姿に、似ても似つかぬ男の顔がダブる。

 同じような語り口で、同じようなことを言ったあいつの顔が。

「それは……ただの、諦めでしょう」

 十年前の古傷から、血の滲むような呪詛が漏れる。 

「諦めは悪いことではないわ。少なくとも、しがらみを振り払って、前へ進むひとつの契機にはなる」
「そんなのは詭弁だ!」

 がたんっ!

 蹴倒した椅子が地面に転がる。倒れる音が存外に大きく響いたが、気付きもしない。
 周囲の客も、こちらを見守るマスターも、冷たい目をした眼前の柊さんさえも、俺には気にする余裕が無い。

「居場所なんてどうにでもなるでしょう!? 能力さえあればそんなものいくらでもついてくる! わからないんですか!?」

135 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/07(日) 22:41:34.49 ID:BmYrOlBS0

 一気にまくし立て、肩で大きく息をする。
 柊さんはそれでも微動だにしなかった。
 琥珀色の瞳が下からこちらを見据え、心の裏側までも見透かして告げる。

「いいえ。居るべき場所は、その人自身の心で見つけるものよ」
「……それがもし、見つからなければ?」


 グラスを弄ぶ柊さんの表情には、遠く離れた友を想うような、穏やかな諦念が宿っている。


「どこかここではない遠くに、飛んでいってしまうのではないかしら。空に帰る天女みたいに」

136 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/07(日) 22:42:46.54 ID:BmYrOlBS0

 俺はもう何も言わずに踵を返した。
 話を続けようにも、無意味な気がした。彼女と俺とでは議論が平行線どころか、そもそもの論点から違う。

 去り際の背中に、柊さんの声がかかる。


「またいらっしゃい。ここは、あなたのような子のためにある場所だから」

137 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/07(日) 22:45:11.33 ID:BmYrOlBS0

  ◆◆◆◆


「人が悪いんですね、総代」

「そうかしら? 私はいつも通り飲んでるだけよ」

「本当に関わらせないつもりなら、カナリヤさんの歌を聴かせなかったはずでしょう?」

「…………」

「私も、諦めは悪いことではないと思います。それで別の生き方を見つけられるのなら……」

「……季節と同じよ。移ろいを受け入れて、その時々に咲く花を楽しめばいい。みんな難しく考えすぎだわ」

「ふふっ。神代桜と共にあるあなたが言いますか?」

「いやだわ、あまりいじめないで。志乃ちゃん泣いちゃう」


「楓ちゃんに言われたの。もし自分が抑えきれなくなったら、彼を頼むって」

「それでも、もしかしたら、と思っているんでしょう」

「……半々といったところね。何のことはないわ。結局、私も諦めきれていないのかも……」


  ◆◆◆◆

138 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/07(日) 22:48:59.51 ID:BmYrOlBS0

 やっぱりもう一度説得しよう。
 そう決意してからがまた大変だった。

 高垣さんは相変わらずモデル部門にいて、今何をしているのかを確かめるのは難しくなかった。

 ……だからといって、捕まえられるかどうかは別の話だ。

 そもそも高垣さんのプライベートを知っている人がまずいない。
 仕事が終わればふらっと消えて、のらりくらりと他者を躱す。

 スケジュールも微妙に合わず、掴めそうで掴めない尻尾の先を必死で追い続ける気分だ。

139 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/07(日) 22:50:15.02 ID:BmYrOlBS0

「ああもう! あの人野良猫かなんかか!?」
「苦戦してますねー」

 コーヒーカップを両手で持ちながら、千川さんはすっかり静観の構えだ。

「というかまだ諦めてなかったんだ。意外とガッツありますね」
「……そんなんじゃないです。ただなんというか、もう一回話くらいはしておかないとですね」
「そですか。Pさんが必死になってるとこ見るの初めてだから、なんか新鮮というか、割と笑えますね」

 こ、この女……。

 このところアイドル部門へのアシストに回ることが多い千川さんは、毎日の仕事をだいぶエンジョイしているっぽかった。
 デスクにアイドルグッズすげえ増えてるし。もはや半分ただのファンだろ。

140 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/07(日) 22:53:14.81 ID:BmYrOlBS0

「――これは極秘ちひろ情報なんですけどね」

 と、千川さんがデスクのうちわを手にする。

「高垣さんの居場所、知ってるかもしれない人がいるんですよ」
「! だ、誰ですか?」
「んーでもなー。個人情報ですからねー。それに私もちょっとお話した程度の人ですしー」
「教えてください。このままじゃ埒が明かん」

 ふふんと含み笑いを漏らし、うちわをはためかす千川さん。
 既に軌道に乗ったいくつかのアイドル部署では、所属するアイドルのグッズも結構な数出ている。

 彼女の顔は、そのうちわに描かれていた。多分ライブで配布されたグッズの余りだろう。


「第一芸能課の、川島瑞樹さんです」

141 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2019/07/07(日) 22:57:16.19 ID:BmYrOlBS0
一旦切ります。
更新遅くなってしまいすみません。秋はもうちょっと続きます。
142 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/07/09(火) 22:41:34.79 ID:aPnPrAGk0
期待
143 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/07/09(火) 23:39:27.38 ID:mvAMl0kZ0
期待
144 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/07/10(水) 10:52:11.92 ID:85s6qKmhO
>>132〜137
 ……志乃さんならまあそう言うだろう。女神サクヤヒメ(推定)だし。
145 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2019/07/14(日) 00:42:11.60 ID:TmI5fe2I0
 
  ◆◆◆◆


「楓ちゃん? ああ、何度か一緒に飲んだことがあるわね」


 川島さんとは、高垣さんを捕まえるより遥かに楽に接触できた。

「一度雑誌の撮影で一緒になったことがあってね。ほら私大阪から来たじゃない?
 あの子和歌山が地元だから、近いねーって意気投合したのよ」

 めちゃくちゃ気さくな人だった。おっそろしく話しやすい。
 菓子折りのひとつでも手渡すつもりだったのだが、「やっだぁそんなの気にしないでいいのよぉ!」ときたもんである。

 というか高垣さん、和歌山だったのか。全然意識したことがなかった。

146 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/14(日) 00:44:16.21 ID:TmI5fe2I0

「だけど、実家の話はしないわねぇ」

 地元トークはちょいちょいやるものの、彼女は話の核心には触れようとしないそうだ。
 川島さんは実家のことや関西あるあるを喋るのだが、高垣さんは「家」に話題が移ろうとするとスイッと話題を変えるのだという。


「なんだったかしら。確かすごく古いお屋敷だって聞いたけど……そこまでが限界ね。すらっと話が逸れて、おしまい」

 和歌山は土地の大部分が山間で占められ、古くから「木の国」と呼ばれているという。
 そこの旧家となれば、それこそ山岳の一つや二つは持っていたっておかしくなさそうだ。

 確かに高垣さんから故郷の話を聞いたことは一度も無い。
 けれど敢えて聞き出すものではないし、なんとなくそういうものだと思っていたのが正直なところだ。


 さて肝心の居場所なのだが、川島さんさえ掴み切れていないようだった。

 相談の結果、高垣さんのいそうな場所をいくつかリストアップしてもらった。
 確実ではないが十分だ。あとはタイミングの問題だろう。

147 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/14(日) 00:46:00.44 ID:TmI5fe2I0

 それからまた少し話し込んだ。
 持ち前の話しやすさもあってか、初対面なのにまったく緊張することがない。

「――あ、君って年下なの? あらやだ。職場の人が年下ってこと結構増えてきたわねー」

 川島さんの経歴は異色だった。
 アイドルになる前は大阪の準キー局で女子アナをしていたというのだから驚きだ。
 人気だってあったらしい。安定も安定、ド安定の仕事じゃないか。


「前の職場に不満があったわけじゃないのよ。人前で話すのは好きだし、人間関係も良かった。大阪だって好きだしね」
「でしたら、どうして?」
「うーん……なんて言えばいいのかしら」

 川島さんは少し考え込んで、

「見てみたくなったのよ」
「見て……?」


「新しい景色っていうのかな。こう……自分が立てる、自分だけの居場所から」

148 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/14(日) 00:56:59.38 ID:TmI5fe2I0

「自分だけの、居場所……」
「そ。人は誰だって自分が主人公だし、挑戦に年は関係ない。でしょ?」

 川島さんは、茶目っ気たっぷりにウインクをしてみせた。

「あとはうちのプロデューサー君が熱くてねぇ。彼が大阪出張の時に出会ったんだけど、是非とも新しい挑戦をしてみませんか! って。
 それで私、こらもう応えなあかん! ってね。あっ関西弁出ちゃった」

 それでも、やはり気になる。
 聞けば聞くほど疑問は膨らむ。気付けば俺は無遠慮に尋ねていた。

「あの……失礼かと存じますが、不安はありませんでしたか?」
「ん?」
「既に生活基盤はできていたわけでしょう。それもかなり安定した仕事だ。一度それを全部捨てて、東京で一からやり直すことは……。
 芸能……特にアイドル業は水物です。縁起でもないことを言うようですが、『もしも』を考えたことは……?」

 ビンタの一発や二発は喰らうつもりでいた。
 いくらなんでも絶賛売り出し中のアイドル相手に、口が裂けても言っていいことではない。
 川島さんはしかし、怒る風でも、まして悩む風でもなく、あっけらかんと答える。

149 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/14(日) 00:58:03.50 ID:TmI5fe2I0

「そうね。今は永遠に続くものじゃない。お肌と同じね。いつかは陰るし、シミやソバカスだってできちゃう」

「だったら……」

「でも、だからって何もしない理由にはならないでしょう?」

 川島さんの声は柔らかだった。
 俺ごときがするような心配などは、既にその思いがけず小柄な体に、すべて呑み込んでいるようだった。


「それも全部含めて挑戦だもの。言ったでしょ? 人生っていうのは、みんな自分が主人公!
 できる努力をし尽くして、それで思いっきり自分の足で立てたら、あとはもう何が起こっても笑い飛ばしてやるだけよ」


150 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/14(日) 00:58:40.66 ID:TmI5fe2I0

 強い人だ。
 346のアイドル部門に……第一芸能課に、この人がいるなら。
 俺の中で、何かひとつ大きなものが解れたような気がした。

 話を終え、深々と一礼する。

 ……俺は俺のすべきことをせねば。
 間違っても主人公とは思わないが、使用人なりに必要な務めを。

「今日はありがとうございました。その……アイドル活動、頑張ってください。陳腐なことしか言えませんが、応援してます」
「ありがと♪ いやーそれにしても若いわねー青春ねー。君もいろいろ大変だと思うけど、ファイトっ!」


 …………なにか勘違いされているような気もするが。

151 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/14(日) 01:00:48.74 ID:TmI5fe2I0

  ◆◆◆◆


 結局、最終的には足で稼いだ。
 川島さんと作ったリストを参考に、心当たりのある居酒屋、無い居酒屋、銭湯に健康ランド、近郊の温泉地。
 片っ端から当たってそれでも外し、迷子みたいに途方に暮れた時。

 しとしとと、秋雨の振る心細い夜だった。
 高垣さんは存外に近いところで見つかった。

 数か月前の春、酔っ払いの俺が通りがかった、神田川にかかる大きな橋。

 その欄干の上に。

 最初との違いは、彼女が背中ではなくこちらを向けていたということ。

 相も変わらず細いヒールで、通りがかる人々に何故か気付かれもせずに。
 ビニール傘に街灯の光を照り返し、最初から俺のことを見ていた。


「……高垣さん」
「こんばんは、Pさん。お久しぶりですねぇ」

152 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/14(日) 01:02:18.13 ID:TmI5fe2I0

   〇


 そこそこ遅い夜だった。

 川面に吸い込まれゆく雨粒を見ながら、桟橋に隣り合って座る。
 冬ももう近く、雨は触れたら震えそうなほどに冷たい。これが雪に変わる日もそう遠くはあるまい。


「ええと」
「はい」
「あれから、色々考えたんですけど」

 傘を打つ雨音を聞きながら、ぽつぽつと順を追って話した。
 うまいセールストークなどできるはずもないので、これまで俺が考えたこと、話したこと。
 あなたの足跡を辿りながら何を思い、どういうつもりであなたを探していたのか。

「――確かに新しい挑戦です。今までとは勝手が違う。けど、高垣さんならできると信じます」
「……」
「ご自分の歌が嫌いだということ、柊さんから聞きました。それでも言います。あなたの歌を必要としてる人は、必ずいます」

 その歌が、誰かの救いになるのかもしれないなら。
 やはりそのままにしていていい才能ではない。

 俺の右手側に座り、高垣さんはしばし黙っていた。

153 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/14(日) 01:03:53.23 ID:TmI5fe2I0

 ややあって虚空を見上げ、不意に切り出す。

「――どこか、『ここではない』という思いがいつもあるんです」

「……はい?」
「体が、まだ……何かを、追いかけたがっているような」

 青い左目は揺らぐ川面を写し取る。まるで仙人みたいな静謐な表情に、泣きぼくろが不思議と目に焼き付いた。

「時々、見つけることもあります。ここならいいのかもという場所を。だけど長続きしなくて。
 どこか空虚で、なんだか寂しい……私以外のみんなが逆さまになって、違う場所を見ているような」

 瞳が、こちらを向いた。

「あなたが示すその場所は、私を閉じ込める鳥籠ですか?」
「……違います! 俺はただ、あなたに相応の活躍の場を用意したくて……!」
「嘘。私がいないと困るって顔。このままじゃいけないんですか? 私はあなたのただのお友達にはなれませんか?」

154 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/14(日) 01:04:28.85 ID:TmI5fe2I0

 義理は、無い。
 職務とは関係無い。
 益も期待しちゃいない。
 このままではよくないと説くに足る合理的理屈がひとつも無い。

 だとすれば、俺がここまでこの人に執着する「理由」とは、何か。


「私が欲しいんですか?」


155 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/14(日) 01:05:47.94 ID:TmI5fe2I0

「……なんですって?」

「ほらまた、悲しそうな顔。本当のところを聞かせてください。あなたは、自分が寂しいだけじゃないんですか?」

 傘が傾く。高垣さんが体ひとつ分、こちらに近付く。
 高垣さんは笑っていた。 
 その美貌から目が離せない。

「歌やアイドルなんて建前。本当は、ずっと傍にいてくれる誰かが欲しいだけ」

 幼子に言い聞かせるような声色が染み込む。
 その声に耳を傾けていると、雨音さえも遠くなって。

「自分が見つけて、自分から決して離れない。夢でも幻でもない、あなただけのお人形が。……違いますか?」


 人形の夢を見る。
 埃を被った、かわいそうな彼女たちの夢を。
 あの人たちはもういない。消えてしまった。

 十年前から変わることなく、ショーウインドウの前に立ち尽くす少年は何を思っていたか。
156 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/14(日) 01:08:21.07 ID:TmI5fe2I0

「素直に言ってください。そういうことでしたら、お答えするのは簡単なことです」

 高垣さんの指摘に、何故だか反論できなかった。
 自覚が無かった。俺は、「そう」なのか? ここまでがむしゃらだったのも、必死にこの人を追いかけたのも。

 傘と傘がぶつかり、水滴を散らして二人の後ろに倒れる。頬を濡らす雨の冷たさも感じない。

 初めてこの人と出会った時も、そういえば濡れていた。俺は川に落ちて。彼女は涙を流して。
 あの時からだったろうか。
 一緒に酒を飲んで、それから度々会って。くだらない話を何度もして、花火を見て、夜市に行って、

 彼女の歌を聞いて。


 あの頃からずっと「悲しそうな顔」をしていたと高垣さんは言う。
 だとしたら、俺が本当に望んでいたことを、この人は俺よりもよく知っていたのだろうか。

「ほら、言って? 傍にいてって。そうしたら……私も誓ってあげますから」


 もう、声と共に甘い吐息が届く距離だった。

 鼻と鼻がやわらかく触れ合う。前髪が絡み合い、二人の距離はほとんどゼロになる。
 唇が唇に近付いて、そのまま――

157 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/14(日) 01:09:37.33 ID:TmI5fe2I0





「……………………あんた高垣さんじゃないな?」




158 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/14(日) 01:10:55.22 ID:TmI5fe2I0


 雨と夜のせいで、今の今まで気付きすらしなかった。
 至近距離で見つめ合う、ネオンと雨の乱反射を写し取ったその、綺麗な瞳。


 両方とも、青い色だった。

159 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/14(日) 01:14:05.69 ID:TmI5fe2I0

 今にも唇が重なる距離。
 真っ赤な舌先をちろりと出して、「その女」はぞっとするほど妖艶に微笑んだ。


「いいえ。間違いなく高垣ですよ――私も、ね」


 瞬間、天地がひっくり返る。
 重力が逆巻くような異様な感覚の中、全身が桟橋から離れていた。

 感じるのは、しかと繋がれた細く白い手。その冷たさ。

 女に引き上げられ、俺は空へと落ちた。


160 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2019/07/14(日) 01:14:47.93 ID:TmI5fe2I0
一旦切ります。
161 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/07/14(日) 01:50:31.48 ID:arg3PlPno
空へと落ちた

すげえ表現だな
鳥肌立ったわ
続きが待ち遠しい
162 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/07/14(日) 07:37:50.09 ID:8TNXiAAYo
一旦おつ
こう来たか
163 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/07/14(日) 10:52:22.21 ID:n+fnB2x0O
 楓さん…、もうそこまで【降魔】したペルソナに引きずられて……。
(この時期だと妖鳥バーあたりか?)
164 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/07/14(日) 16:11:39.13 ID:MCMjtS2t0
待ってる

165 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2019/07/27(土) 15:59:56.76 ID:aiDwMVos0

  ◆◆◆◆


 気を失っていたようだ。
 水の中を漂っているような浮遊感がある。
 けれど呼吸はできて、冷たくも暖かくもない風が全身を洗う感覚。

 目を覚ます。


 俺は、逆さまになって空に浮いていた。


 頭の上に広大な山林。足の下に遥かな空。
 空には雲ひとつ無く、太陽も月も星も無く、墨絵のようなモノクロームの世界だった。

 昼も夜も無い。明らかにさっきまでいた神田川の桟橋ではない。

 そればかりか、現実かどうかすら定かではない。
 これは夢か? それとも「夜市」みたいなよくわからない異空間なのか?

166 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:00:58.36 ID:aiDwMVos0


「『楓』は」


 混乱する俺の耳に、涼やかな声が滑り込む。
 あの、青い眼をした女が、いつの間にか目の前にいた。

 逆さまに浮遊しながら、目線の高さは同じ。
 まるで透明の床を歩むように、一歩一歩確かな足取りで近付いてくる。

「『楓』は、可哀想な子です。とても不器用で……臆病で」

「……何者なんだ、あんた」

 小首をかしげる女。
 色を失ったこの世界で、彼女の青い双眸だけが炯々と輝いていた。

167 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:02:30.61 ID:aiDwMVos0

「言ったでしょう。私も『高垣楓』ですよ」
「違う。俺はあんたなんか知らない」
「本当に? これまで一度も会ったことがないと、確信を持って言えますか?」

 だって――女は細い指で自らの唇を割り開き、ぬらつく舌を出してみせる。

「キスまで気付かなかったくせに」
「なっ」

 咄嗟に手の甲で口を隠した。触れてはない、はずだ。ギリギリで。
 今更になって頬が熱くなるのを感じる。そんな様を見て、女はころころ笑った。
 普段の高垣さんとは違う、悪戯っぽさと稚気を含んだ、年端もいかない少女のような貌だった。

「私はあなたを知っています。春からずっとこの目で見ていましたから」
「しかし……」
「花火。一緒に見ましたよね?」

 脳裏に夏のある日の出来事が浮かぶ。
 空を飛ぶ高垣さん。引き上げられる俺。乱舞する花火の光。

168 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:06:03.09 ID:aiDwMVos0

 ――寂しいんですか?
 ――……え?
 ――そういう顔。今もです。なんだか、帰り道を忘れちゃった迷子みたい。
 ――寂しいなんて……俺は、一言も。

 ――わかりますよ。だって私も――


 屋上での、会話。


「私も。私たちも、寂しかった」

169 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:06:42.32 ID:aiDwMVos0


 あの時、青い眼がこちらを見ていた。

「そんな時、あなたに出会いました。私が流す涙の理由を聞いてくれました」

 涙が流れるのは、いつも青い眼からだった。


「夜空が綺麗な時や、楽しい時や、嬉しい時。自然と涙がこぼれます。
 それが永遠ではないと知っているから。楓は、誰ともそれを分かち合えないと知っているから。
 ……私が教えた歌を、あの子は封じてしまったから」

 今、両目の青がまっすぐ俺を射ている。
 無邪気に見開かれた双眸は、獲物を前にする猛禽のそれに似ていた。


「ねえ。だから、一緒にいませんか?」

170 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:07:47.95 ID:aiDwMVos0


 風が逆巻く。
 遥か頭上の木々が一斉にざわめき、黒い紅葉を雲霞のように吹き散らした。


「……!!」
「歌を聴かせてあげましょう。優しく抱いてあげましょう。望むことをなんでもしてあげましょう。
 だから代わりに、あなたの全てを、私たちにください」

 無邪気な笑み。
 上昇して渦を巻く木の葉の竜巻が、二人の周囲を完全に閉ざす。

 一歩、女が踏み込んで、鼻先に立った。

「ここには光も闇もありません。誰にも置いていかれたりしません。
 いなくなってしまった人たちのことを思い悩む必要もありません。
 だって私たちがずっと傍にいるんですもの」

171 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:08:51.47 ID:aiDwMVos0

「待ってくれ。だったら、外のことはどうなる!?」
「なぜ気にするんです? 目を背けていたんでしょう? 諦めたような顔をして、ほんとは何一つ諦められないのに」
「それは、自分の身の程を知っていたから……!」
「本当は怖かったんですよね。あなたにも古い傷があるんですよね? 触れることすら痛いから、ごまかすことしかできなかったんですよね」
「違う!! 俺は、俺はあいつみたいになりたくなかっただけだ!!」

「ほら」

 笑顔。

 モノクロームの薄闇の中、ぼうっと浮かび上がる青色の燐光。

「あなたも、可哀想な人だから。見たくないものを見続けてしまうから。
 ……だから私が、代わりにその目を塞いであげるんですよ」

 手が伸びる。ぞっとするほど冷たい掌が俺の頬を撫で、目を塞ぐと、闇。
 深い闇。
 安堵する闇。

 笑い声だけが思考を埋める。鼻歌が聞こえる。すべてを忘れ去った時、そこにあるのは安息だろうか。

172 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:09:33.09 ID:aiDwMVos0

 違う。

 嫌だ。やめろ。やめてくれ。
 こんなものは安らぎじゃない。ここにいてはいけない。


 だってまだ、泣いているじゃないか。



『……やめてください、姉さん』



 どこかから、震える声がして。
 次の瞬間、重力が戻る感覚があった。

173 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:12:28.83 ID:aiDwMVos0

   ◆◆◆◆


 細い雨が降っていた。
 背中が凍えそうなほどに冷たい。
 どうやら、雨に濡れた地面に横たわっているようだった。

 頭にだけ、温かくてやわらかい感覚。

 なんだろうと思って見上げると、高垣さんが俺を見下ろしていた。


 目覚めてみれば、ここは元の桟橋。傘を差した高垣さんの膝枕。


「……Pさん」

 彼女の手が頬を撫でる。暖かかった。
 逆光で表情がほとんど見えなくとも、その手の感触で確信した。

 彼女は、俺が知ってる高垣楓さんだ。

 川面に反射したネオンが彼女の顔を照らす。
 
 瞳の色は、両方とも碧色だった。

174 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:13:37.77 ID:aiDwMVos0

「何が……起こって……」

「彼女に会ったんですね。……ごめんなさい。私の責任です。抑えることが、できませんでした」

 そんな顔をしないで欲しかった。高垣さんらしくない。
 そう思うのと同時に、この人が「彼女」と呼ばわる何者かの正体が気になって。

「あの女は……何者なんですか?」

 問いを受けて、高垣さんは複雑な顔をした。
 自分のことを聞かれたような。
 とても遠い世界の何者かについて聞かれたような。

 
 ややあって、ゆっくりと語りだす。


「私の、双子の姉です」

175 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:14:35.44 ID:aiDwMVos0


  ◆◆◆◆


 ご存知でしょうか?

 私の故郷……和歌山は、修験道の聖地だということを。


 そこは神が住まい、精霊の宿る異界。
 千年以上前から、身分を問わずあらゆる人々の信仰を集める、日本最大の霊場です。


 その霊脈の要所に構えられた神社を、熊野三山。

 三重、奈良、和歌山をまたぐ長い長い参詣道を、熊野古道といいます。

176 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:15:49.53 ID:aiDwMVos0

 かつてこの道を切り開いたのは、厳しい苦行の道を修めた山伏たちでした。
 それが時代を経るにつれて整えられ、市井の人々、あるいはやんごとなき身分の方々も詣でるようになったそうです。

 山伏たちは熊野を重要拠点とし、彼ら独自の文化と勢力を築き上げていきました。
 彼らの主な役目は、熊野三山の統括や、山を訪れる参詣者の先導……。

 そうした役職を持つ人々を、熊野別当と呼びます。

 彼らは熊野一帯で絶大な権力を誇りました。霊的、あるいは宗教的に絶対的な立ち位置にあり、時の帝とも通じていたといいます。
 そして熊野の神仏を奉じ、祈り、祀り、力を得ました。

 時の動乱や権力争いによって組織は形骸化し、今や史書の中のみの存在となりましたが……。


 ええ。

 高垣は、その別当の傍流に連なる家です。
177 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:16:46.43 ID:aiDwMVos0

 熊野古道には参詣者が数多く訪れますから、彼らを導く役目は必要です。
 高垣は代々その任を担い、熊野の地に親しみ、栄えてきました。

 ……もっとも、それも室町時代の中期ごろまでの話です。

 高垣は、徐々に没落していきました。
 詳しい原因は伝わっていません。参詣者の減少、時勢の激動、別当そのものの終焉……そんなところでしょうか。

 当時の当主は考えました。

 いかに家を残すか。
 紀伊の地に打ち立てた当家の権威を、どのようにして保つか。
 傍流とはいえ熊野別当、その血を絶やさぬ為にはどうすべきか……。

178 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:17:47.53 ID:aiDwMVos0


 結論はこうです。

 神を造ろう、と。


179 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:19:20.00 ID:aiDwMVos0

 神仏習合にて「権現」と呼び称されるようになった熊野の祭神ですが、紀伊山地はそれ以前から神秘の場所。
 人々の宗教体系からは外れた「まつろわぬ神々」もまた存在します。

 高垣は人の身でありながらその輪に加わり、異界の加護を受けようというのです。


 ――「素材」に選ばれたのは、当時7つになる前だった、双子の姉妹でした。


 双子とは、普通の肉親よりも繋がりの深い関係です。
 同じ血を分けるだけでなく、二つの身体(うつわ)に一つの魂を分けた、文字通りの一心同体。
 当主……つまり姉妹の親は、神域に娘二人を連れていき……

 姉の方を、贄に捧げました。

180 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:21:24.88 ID:aiDwMVos0

 ……「熊野」の語源は「隈野」、すなわち「地の果て」を意味します。

 伊勢が表とすれば熊野は裏、死者の国。古来より霊魂が集まる場所とされてきました。
 遺体を山岳の麓に葬った時、魂は山を登り、頂に到達して神となる――そうした山岳信仰が由来となっています。
 いわば、再生の地だったのです。

 双子の片割れは「そちら側」に渡り、もう片割れはこの世に残る……

 そうして、二人はひとつとなります。

 生きながら、魂の半分は神域に在る。いわばそれは、半神半人の存在と言えましょう。

181 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:22:26.72 ID:aiDwMVos0

 ――以後、高垣は盛り返しました。
 人が集まり、幸運に恵まれ、信仰もお金も嫌というほどもたらされ、現代に至ります。

 それもこれも、新たに打ち立てた「半神」のもたらす恵みによって。


 ……ですが、それが魔道でなくてなんだというのでしょう。

 古くから熊野にある家々は、今や「高垣」の存在を固く秘します。
 ある家は言います。高垣は、神を宿した家だと。
 またある家は言います。高垣は、鬼の棲まう家だと。


 私から言わせれば、そのどちらでもありません。

 結局のところ、ご先祖は信仰そのものではなく、家のため……ただ我欲のためにそのようなことを行いました。
 そんなことをするのは、どこまでいっても「人」です。

 人以外の、何者でもありませんよ。
182 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:23:56.24 ID:aiDwMVos0

  ◆◆◆◆


「それからというもの、高垣の家には双子が生まれるようになります」


 俺の頬に両手を添え、寝物語のように紡がれる言葉の数々は、まるで実話とは思えないものだった。
 だが彼女が話しているのは、遠い昔話ではない。彼女自身と地続きの「今」の話だ。

「五十年に一度、あるいは百年に一度……。不定期ですが、決まって『娘』が。
 その度に、同じ場所へ参り、片方を贄とします。姉妹が七つになる前に」


 ――楓ちゃんは人間よ。私が保障するわ。

 ――彼女は人の身ながら人の手に余る。神業、あるいは魔性のそれよ。

 柊さんの言葉が脳裏に蘇る。
 荒唐無稽と誰が切り捨てられるだろうか。この目で見たことが、すべて嘘偽りない真実だ。


「七つで消えた彼女の名は、樒(しきみ)といいます。
 歌が上手で、明るくて、いつも私を引っ張ってくれる……自慢の姉でした」

183 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:25:19.97 ID:aiDwMVos0


 そして、真実であればあるほど。

 穏やかに語る彼女の姿が、たとえようもなく孤独に思えた。


「『高垣楓』とは、ですから、器の名前なんです。
 容れるモノが無ければ空っぽな、ただのお人形」


 雨は降り止まない。川面と雨滴に散らされたネオンが、彼女の顔をまだらに照らす。

184 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:26:21.22 ID:aiDwMVos0

「人は私を通して、色んなものを見ます。信仰、理想、羨望、嫉妬……あるいは、遠い過去の後悔」

 ぎくりとした。

 高嶺の花とは、往々にして見る者の様々な認識を投影するものだ。
 強固に積み上げられたイメージの鎧が、その人の実情を覆い隠す。
 本人が望むと望まざるとに関わらず。能力や容姿といった外面的要素に、他人が張り付けていった値札の数々。

 トップモデル。夜市の歌姫。憧れの美女。神に近い何か。

 他人を前にした時、彼女は常に「何者か」であることを強いられる。

 俺自身、彼女にそれを求めてはいなかっただろうか。
 歌や実力といった付加価値に魅入られながら、その奥にある「高垣楓」をどれほど知っていたというのだろう。

 高垣さんは己がそう在ることを受け入れていた。

 諦めのためか。生い立ちのせいか。


 身の内に神を宿して、多分ずっと遠い場所から、人の輪を見つめるだけで。

185 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:29:03.55 ID:aiDwMVos0


「……こんな話をしたのは、志乃さん以外にはあなたが初めてです。
 姉は……樒は、あなたに何か、私たちと似たものを感じたんだと思います」


 頬に触れていた手が離れる。
 高垣さんはそっと俺から離れ、傘を差してくれた。慌てて膝立ちになり彼女と向き直る。

「だから、これ以上一緒にいることはできません。……あなたまで、連れていかれてしまいますから」

 高垣さんは最初から、俺が見ているような領域の人ではなかった。

 彼女の笑顔はひどくぎこちない。全て打ち明けるだけでも相当の勇気を要しただろうことがわかる。
 一介のサラリーマンにこれ以上何ができるというのだろう。
 俺の手には余る――柊さんが言う、まさにその通りの事態じゃないか。

 だけど、何か考える前に動き出していた。

 足を一歩前に、手を伸ばして。
 理屈とか損得ではない、もっと根本的な感情のうねりに押されて、目の前の人を行かすまいと。

 その一歩から先が、嘘みたいに遠いことを知る。

186 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:30:12.22 ID:aiDwMVos0

 高垣さんが浮き上がる。雨を浴びながら重力から解き放たれ、もう二度と届かないところまで。
 泣きぼくろを備えた左眼がちかりと輝き、神性の青を帯びる。


「高垣さん!!」
「さようなら」


 冷たい風をひとつ起こし、高垣楓は目の前から消えた。
 碧色の右目から、一筋の涙を流しながら。

187 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:30:44.18 ID:aiDwMVos0

  ◆◆◆◆


「ん?」

 気が付けば、橋のたもとにいた。
 とっぷり夜も更けた時間帯だ。雨も降ってるし、寒いし。


 ……ていうか、なんでこんなところにいるんだっけ?


 何か用があった覚えは無い。帰り路とも正反対だ。
 ……参ったな、何も思い出せないぞ。微妙に頭がクラクラする。今日って誰かと酒飲んだりしたっけ?

188 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:32:09.33 ID:aiDwMVos0

「って、なんだこりゃ」

 さっきから普通に差している傘だが、どう見ても俺のものではなかった。
 コンビニで適当に買ったビニ傘よりもよほど上等で、しかも多分、女物だった。
 どういうことだろう。酒に酔った挙げ句の傘泥棒なんて笑えないぞ。

 周囲をきょろきょろ見渡してみても、元の持ち主らしき人はどこにもいなかった。
 途方に暮れた。かといって、そこら辺にほっぽって帰ってしまえばそれこそ傘泥棒の所業だ。

 少し迷い、今日のところはひとまず持ち帰ることにした。
 覚えていないだけで職場の誰かから借りたのかもしれない。心当たりのある人に尋ねてみて、どうしても見つからなかったら交番に届ければいい。

「…………帰るかぁ」

189 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:32:56.98 ID:aiDwMVos0

 
 誰かと会っていた気がする。

 誰なのかはわからない。


 地を這う冷たい風に身震いした。風は足元から背中のあたりを這いあがり、ずっと上空に吹き抜けて消えた。
 その頃にはもう思い出せない何かより、明日の仕事のことに思いを馳せていた。

190 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:34:10.18 ID:aiDwMVos0

  ◆◆◆◆


 かえちゃん、泣いたらあかんよ。
 うちはええ。カミサマのひとつになるんや。なんにも怖いことなんかないよ。

 ……でも……しいちゃんがおらんの、うち、いやや。

 なん言うとるの。うち、ずっとかえちゃんのそばにおるよ。
 かえちゃんの中に入って、ずうっと守っちゃる。

 ……でも……でも……。しいちゃんがおらんと……うち……なんにもできんもの。

 ほな約束しよか。
 うちがな、かえちゃんのそばにいてくれる人、見つけちゃる。
 かえちゃんのこともうちのことも全部知って、ほんでもそばにいてくれる人を、なっとか見つけちゃる。

 ……ほんまにおるんかなぁ。

 おるよぉ。きっとおる。せやさかい、それまでの辛抱や。
 かえちゃんもあんじょうしっかりするんよ。ええね?

 ……うん。

 それまで、もう一つ歌を教えちゃる。そいを歌って、きばるんよ。

191 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:35:54.58 ID:aiDwMVos0

   〇
 

 ええ。覚えていますよ、姉さん。

 ですが、この身にまつわる因業を、一体誰に背負わせられるでしょう。

 これは重荷です。表の世界を生きる人々には、決して押し付けてはならないモノなんです。

 私はいいんです。あなたさえ一緒なら、それで満足なんですよ。樒姉さん。


「歌を……忘れた……カナリヤは……後ろの山に……棄てましょか……」

『いえいえ……それは……かわいそう……』

「歌を……忘れた……カナリヤは……背戸の小薮に……埋めましょか」

『いえいえ……それは……なりませぬ……』


 ――――泣いたらあかんよ、かえちゃん。うちが代わりに泣いちゃるけ――――


  【 秋 ― 終 】
192 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/07/27(土) 16:36:56.95 ID:aiDwMVos0

※樒(シキミ):

 関東以西の山中に自生する、マツブサ科シキミ属の常緑小高木。
 古来より神仏事に用いられ、特有の芳香があり、花は墓前や仏壇の供花となる。

 花、葉、茎にいたるまで樹木全体に毒を持ち、特に果実は致死性の猛毒を秘める劇物。
 そのことから「悪しき実」と呼ばれ、転訛して今の名が付いたと言われる。


 静岡県、鹿児島県、和歌山県南部などに主な産地を持つ。

 花言葉は「甘い誘惑」「援助」「猛毒」。
193 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2019/07/27(土) 16:38:29.51 ID:aiDwMVos0
一旦切ります。
更新クッソ遅れて申し訳ありません。そろそろ終わりに向かいます。
194 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/07/27(土) 16:40:06.53 ID:iqDq5e9eo
天狗かと思ってたが、もっと高位のぞんざいなのかな?
195 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/07/27(土) 16:40:12.58 ID:j0X2rTAOo
待ってます
196 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/07/27(土) 16:46:26.74 ID:XBm/6btW0
双子の片割れが贄っていうのは割りと伝承としては聞く話
197 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/07/27(土) 16:46:58.97 ID:WjiTqCp1o
寺生まれシリーズのよしのん完全体みたいな感じかな?
198 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/07/27(土) 20:32:39.22 ID:QNi70RGTo
唐樒なら時子様が大量に使ってそうだけど
樒は劇薬
199 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/07/27(土) 20:49:44.00 ID:N2QhRuGDO
たしか、神様に捧げるのが榊なら、こっちは仏様だっけ


あと、戦国時代とかにはトリカブト同様に兵糧丸に使われていたらしいね(食中毒に効果があるとか)
200 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/07/27(土) 23:55:13.32 ID:uIvwTs58o
よしのんと歌鈴の合わせ技では?
201 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/07/28(日) 18:11:13.40 ID:9Mt7mmtnO
 ……ああ、そりゃ最愛の家族が目の前で封神されるのを見ているしかできなかったんじゃなあ……。
202 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/08/04(日) 21:36:40.33 ID:Lkqfr4n00
ラストがどうなるのか全く読めないな
203 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2019/08/22(木) 00:10:22.51 ID:rmOYl90d0

  【 冬 : 君と出会う 】


 転げ落ちるように冬になった。

 このところは気温の低下と日没の早まりがはなはだしい。
 急激に深まりゆく冬の気配に押されて、会社は徐々に慌ただしくなっていく。

 特にアイドル部門は、年越しニューイヤーライブの準備に大忙しだった。

 舞台芸能はどこもそうだが、裏方にとっては準備期間こそ本番。
 アイドル部門で働く人々は今日この時が戦場とばかりに社内外を駆け回り、「アイドルの舞台」を一つ一つ構築していく。
 部門に所属するアイドルたちも毎日がレッスンの連続で、レッスンルームが空いている時間が無い。

 一年の集大成。春から駆け抜けた新規アイドル部門の、ひとつの結実。

 そのような意味を込め、川島瑞樹率いる第一芸能課を筆頭として、みんながラストスパートをかけていた。
 厳しい寒さをものともせず。同じ方角を見て、一直線に。


 俺は――

204 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 00:11:23.76 ID:rmOYl90d0

   〇


「聞きました、Pさん?」

 会社の事情通こと千川さんが、隣のデスクから耳打ちしてくる。

「はい?」
「高垣さん。今年いっぱいで辞めるそうじゃないですか」

 ……?

 いまいちピンと来ていない俺に、千川さんは何故か信じられないという顔をした。

「高垣さんですよ! 今モデル部門がてんやわんやなんですよ?」

 高垣さん。高垣楓さん。
 知らないかと言われれば、そりゃ知ってるが。

「ああ……確かモデル部門の花形でしたっけ。辞めちゃうんですか? どうして?」
「どうして、って……」

205 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 00:12:18.83 ID:rmOYl90d0

 こっちとしても意外ではあったのだが、千川さんには俺のその反応こそが予想外だったようだ。
 人目を憚るように周囲を見渡し、誰も聞いていないことを確かめて、ずいっと顔を寄せてくる。

「だからそれを聞いてるんじゃないですか……! Pさん何か知らないんですか? 急すぎるでしょ!?」

 そんなことを言われても。
 モデル部門の人の進退をただのアシスタントが知るわけもない。
 あちらにヘルプに出たことは何度かあるけど、トップモデルなんて名簿と写真の中の人でしかないのだ。

「……Pさん、何かあったんですか?」
「何もありませんけど……千川さんこそ、どうしたんですか? 疲れてません?」
「いえ、――いえ。なんでもありません。取り乱してすみませんでした」

 俺の目に嘘が無いことをようやく納得してくれたらしい。
 千川さんは何か言いたげな雰囲気を強引に飲み下して、無理やり気味に会話を打ち切った。
 わけがわからない。
 ひょっとして何か行き違いがあるのではと思ったが、俺自身に『心当たりがまったく無い』ため、どう確認を取ればいいのかもわからなかった。

 ……高垣楓さん。

 名前だけ知っているその人に、俺は会ったことがない。
 なのに何故か、名前の響きだけが頭の中に強く残った。
206 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 00:13:12.51 ID:rmOYl90d0

  ◆◆◆◆


 そういえば、今年ってどんなことしてたっけ。
 振り返れるほど上等な経歴ではなかったように思うが。
 事務処理にアシスタント、その他諸々お城の雑用。それくらいのものじゃなかっただろうか。

 そうだ、アイドル部門ができて、それには極力関わらないようにしていた。
 幸いそっち方面からの仕事は来ていないと思うが、そういえば同僚が二人、プロデューサーに転向して……。

 あとは……なんだったっけ。

207 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 00:19:03.69 ID:rmOYl90d0

   〇


「はぁ〜ダレた……地獄のスケジュールだぜマジで……」
「年越しまでは踏ん張りどころだからなぁ……」

 このところは気軽に飲み会も開けなくなった。
 事務所の廊下でコーヒー片手に、タクさんヨネさんと近況報告がてらの世間話をしている。

 夏ごろから自分の部署を持つようになった二人は、もちろんニューイヤーライブの戦場ど真ん中にいた。
 スタドリを空ける本数もうなぎ上りだという。これもプロデューサーの宿命というやつか。

「頑張ってください。俺も応援してますよ」
「まぁ、ここまで来たからにはやるけどよ。アイツらもそれなりにサマになってきたみてぇだし」
「そういえば、Pさんは? 何かやってたんじゃないのか?」


 高垣楓。


「……え? いや、俺はいつも通りですけど」

 一瞬、頭の中にまた「その名前」が浮かんだが、何も言わなかった。
 どうしてこれほど引っかかるのかもわからなかったから。
 ヨネさんは不思議そうに首を捻る。

「あれ? そっちはそっちで、何かしてるって聞いてたような……」
「聞き間違いじゃないですか? それか人違いとか」
「何お前ヒマなの? じゃあ俺んとこ手伝ってくんね? レッスン場押さえんのも一苦労でよ」
「いやいやこっちも普通に仕事ありますからね!?」

208 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 00:20:22.35 ID:rmOYl90d0

 彼らの仕事ぶりは素直に尊敬している。
 入社当初から知っていたから、一部署を任されるまでになった躍進は本当に嬉しい……めちゃくちゃ忙しそうなのはともかくとして。
 あやかりたい気持ちはあるが、今の自分で満足している気持ちもまたある。

 346プロの使用人。それでいい。何の不満も無い。けれど……

「けど……」
「ん? 何か言った、Pさん?」
「……何かが。何か……足りない、ような」


 ――体がまだ、何かを追いかけたがっているような。


 考えて言ったことではなかった。
 自分の中の何かが突発的に膨れ上がって、言葉が口をついて出た。

 タクさんがサングラス越しの目をきょとんとさせる。

「何かって何だよ?」
「いや……それが、よくわからないんですけど」
「ずいぶんフワッとしてんな……疲れてんじゃねぇのか? 休み取るか?」

 いかん無用な心配をさせてしまった。
 深い意味なんて考えもしていない……はずだ。けれど、それが妙に重く腹の底に居座る。

209 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 00:24:48.87 ID:rmOYl90d0


「『何かが足りない』……って時は、たぶん、自分が動かなくちゃいけない時なんじゃないかな」


 ヨネさんが、缶コーヒーを片手にぽそっと呟いた。

「ヨネさん?」
「ああいや、なんとなく思ったんだ。Pさん、自分でもよくわかってないんだろ?
 そういうことあるよなって。理屈じゃないんだよな。俺も何度かそういう話をしたことあってさ」

 彼の部署はジュニアアイドルがメインとなっている。
 だからだろうか、ヨネさんは理屈や損得じゃない「感覚的」な話を整理するのに慣れているようだ。
 子供は正直だし、多感だ。けれどその感性を言語化できるほど精神が成熟していない。そこに道筋を示すのも、プロデューサーの役目だ。

「結局、何が足りてないのかは自分にしかわからないんだよな。だから、動くしかないんだ。
 思い付くことを試してみて、なんでもいいから一歩前に進めば、足元が見えてきて……
 自分に足りないものが、輪郭だけでもわかるんじゃないかと思う」

 続く言葉に耳を傾ける。
 彼は、「プロデューサー」の顔をしていた。


「それで多分、同じような思いを持ってるのは一人じゃない。
 だから自分だけでもそれに気付けば……似たような誰かの穴を、埋めてあげられるんじゃないかって」

210 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 00:25:25.18 ID:rmOYl90d0

 ヨネさんは言い終えた後、照れたように「なんてな」と付け加える。
 思いがけず真面目っぽい空気になり、沈黙が降りた。

 ふと、タクさんがポケットからスマホを取り出して、何かの再生ボタンを押す。

『同じような誰かの穴を、埋めてあげられるんじゃないか……みたいな』

「って!! なんで録音してるんだよ!?」
「いや、なんかイイこと言ってんなぁと思って……」

 消してくれ、いーや消さない、今度の飲み会でネタにする、とかなんとかわちゃわちゃやり始める二人の横で、俺は考え込んでいた。
 いつしかコーヒーは空になっていた。
 空き缶を指で弾いたように、ヨネさんの言葉は思いのほか自分の中で響いている。

 似たような誰か。

 それは、誰だろう。本当にいるのだろうか?

 どうすれば、足りない「何か」に気付けるのか?
 嫌いなアイドル。人形の夢。いつも通りの仕事。近付く年の瀬。
 ヒントが、どこにも見つからない。

211 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 00:26:58.89 ID:rmOYl90d0

  ◆◆◆◆


 芸能事務所において、世間一般で言う「楽しいイベント」は「超忙しい時期」と同義だ。
 師走とはよく言ったもので、偉い人から下っ端までそこらじゅうを走り回る勢いで働いて働いて働いて。
 クリスマスにもまたイベントがあり、最初から予定もクソもない社畜には余暇を気にすることもなく、事務所に泊まり込んで。
 てっぺん回った頃に千川さんが買ってきたファミチキでせめてものクリスマス気分を味わったりして。

 そして、アイドル部門の年越しニューイヤーライブが近付く。

 もう総動員だ。当然俺も駆り出され、アシスタントとして会場をあちこち走り回ることとなる。
 本番は近い。イコール今年ももう終わるってことで。


 ――高垣さん。今年いっぱいで辞めるそうじゃないですか。


 目まぐるしい業務の中で、千川さんの言葉が脳裏に蘇る。
212 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 00:28:22.05 ID:rmOYl90d0

  ◆◆◆◆


 その日は、朝からちらほらと雪が降っていた。


 年の瀬。346プロアイドル部門の本年の総決算、年越しニューイヤーライブの当日だ。


 最終的な段取りを何度も確かめ、ゲネを終えて意気軒高のアイドル達。
 大きなドーム型ホールを貸し切り、戦場のような事前準備を終えた後、スタッフ達も完全に覚悟が決まっている。

 そのある意味最前線、物販ブースに俺はいた。
 吐き出す息が雲のように白い。スタッフジャンパ―を羽織っていても身を差すような寒さだが、「寒い」などと口に出す暇さえ無かった。
 開場前から既に長蛇の列。ずらっと並べた長机にグッズを山積みにしてお客さんを捌く捌く。
 時間があっという間に過ぎて、気が付けば休憩所のベンチでくたばっていた。

「…………凄いな」

 交代要員に後を任せ、独りごちる。

 凄い客数だった。あれほどの人々がみんな、346プロのアイドル達を見に来ているのだ。
 俺はずっと、アイドル部門をできる限り見ないようにしていた。
 だから364のアイドルブランドの成長をはっきり目の当たりにするのは初めてで、情けない話だが今さらながら度肝を抜かれた。

213 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 00:29:39.53 ID:rmOYl90d0

 と、見慣れた同僚が戦場帰りみたいな顔でやって来た。

「ウス」
「タクさん。どうも」
「わりーな手伝わせちまって。お前こういうの苦手なんだろ?」

 すぐ隣に座り、タクさんは胸ポケットから慣れた手つきで煙草とライターを取り出す。

「仕事ですから。……あと、喫煙所外ですよ」
「げっ、ここダメなのかよ! ったく最近じゃどこもかしこも分煙分煙ってなぁ……」

 346プロも近年分煙化が進み、社屋の各所に喫煙ルームが作られていた。
 そういえば今西部長も結構なスモーカーだったなと思い至る。彼も似たような愚痴をこぼしているのだろうか。

「舞台の方は整いましたか?」
「んまぁ、やるこたやったな。こっから先はアイツらの出番だ」

 一見するといつも通りの調子だが、彼の横顔には充実感が見て取れる。
 残るはアイドル達の本番のみ。細工は流々、仕上げを御覧じろ……という感じだ。


「どうですか、プロデューサーの仕事は」
「んぁ? あンだよ藪から棒に」
「タクさん、最初はやる気なさそうだったじゃないですか。見違える勢いですよ、今。自覚ありません?」
「あ〜〜〜〜、まァな……」

214 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 00:32:33.16 ID:rmOYl90d0

 火を付けていない煙草を一本咥え、唇でプラプラさせながら、タクさんは言葉を探す。

「アレだよ。猫拾うみてぇなモンだ」
「猫?」
「最初はそんな気無かったのに、どんどんでっかくなりやがる。何すっかわかんねーから目も話せねぇし、ああだこうだ世話してくっと色々覚えてきて……」

 タクさんは「はっ」と笑った。自らの担当アイドルのことを思い出したか、それともなんだかんだで励んでいる己への自嘲か。
 いずれにせよ、彼は楽しそうだった。

「……で、気が付きゃこっちが引っ張られてんだ。いつの間にかここまで来ちまってた」
「いい子じゃないですか」
「バッカお前、いい奴なもんかよ。たまにグーが出るんだぞあのバカ」

 グーは辛いな。二人して笑う。ちょっと徹夜テンションみたいなものが入ってる。
 これを越えれば、晴れて年明けだ。そして無事越えられるかどうかについて、タクさんはまったく心配していない。

「……好きなんですね、猫」
「あぁ?」
「信頼し合ってる。いい関係だと思いますよ、俺は」
「はっ、なぁにが。……けどま、お前がそう思うんなら、そうかもな――――」

215 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 00:33:50.90 ID:rmOYl90d0

 と。
 タクさんが急に正気に戻り、ババッと周囲を見渡す。
 休憩所に俺達以外いないことをしつこく確かめ、声をひそめて言う。

「…………おい、今俺が言ったこと誰にも話すなよ」
「は? なんでまた」
「いいから! アイツらに聞かれたら何言われるかわかったもんじゃねぇ!」

 よくわからんが大変らしい。
 今の話は内緒にしておくと約束すると、タクさんは身の縮むような溜め息を吐いた。

「俺もヤキが回ったぜ、まったく……。こんなんガラじゃねぇって思ってたんだけどな」
「いいことでしょう。人は変わるってことですよ」
「そういうモンかねぇ……」

 人は変わる。
 それはそうだ。
 本心からそう思っているのに、口から出る言葉が自分でも驚くほど空疎に感じられた。
 だったらお前はどうなんだとどこかの誰かが言っている気がする。
 いいや、俺は変わりようがない。何を得てもいないし、失ってもいない……はずだ。

216 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 00:34:32.02 ID:rmOYl90d0


「あ、そうだ。いっこ大事なこと言い忘れてた」

 と、タクさんが唐突に切り出す。
 大事なこと?
 たまたま同じ休憩所に来たんじゃなかったのか。意外に思う俺に、タクさんはもっと意外なことを言った。


「第一の川島サンが、お前のこと探してたぞ」

217 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 00:36:06.05 ID:rmOYl90d0

  ◆◆◆◆


「ごめんなさいね、忙しい時に呼んじゃって」
「いえ、そんな。むしろそちらの方が、本番前で大変なのでは……」
「そっちは大丈夫よ、仕上がってるから。ちょっとだけ時間貰ったの」

 アイドル部門、第一芸能課の川島瑞樹さん。
 今回のライブでもメインMCを務める、まさにプロジェクトの牽引役だ。
 そちらに意識を向けずにいた俺でも名前は聞いたことがあるし、今や会社のエントランスホールには彼女のポスターがでかでかと飾られている。

 けど、どうしてそれほどの人が、俺を名指しに?


 ――初対面だろ?

218 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 00:36:57.07 ID:rmOYl90d0

「楓ちゃんの話、聞いた?」

 まただ。また高垣楓さん。

 あの人のことは知らない。会ったこともないんだ。
 ところが同じく初対面の筈の川島さんまでも、俺に高垣さんの話を振ってくる。

 ……何故か、頭が痛む。

「ええ、まあ……。あの、」
「あーいや、いいのよ皆まで言わないで。お互い大人だもの。私も細かいことは聞かないわ」

 こっちが聞きたいのだが。
 既に衣装に着替え、開幕を待つばかりの川島さんは、それでもわずかな時間に俺を呼んだ。
 そこに大した意味が無いと思うほど馬鹿ではない。だが心当たりがない。

 川島さんは残り時間を急かすスタッフに一言謝って、こう言い添えた。


「……ただね。もうちょっとだけ待って欲しいって、言ってあるの」
「待つ……? 高垣さんにですか?」
「ええ。本当は辞め次第、東京を出るつもりだったみたいだけど……今年いっぱいまでは待って欲しいって」

219 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 00:38:36.00 ID:rmOYl90d0

 何か。

 頭の奥で、妙に疼くものがある。

「このニューイヤーライブを見て欲しい。私達の集大成を見てからでも遅くない、って。だってこのままじゃ寂しすぎるでしょ? 私だってあの子の友達だったもの」

 俺は彼女を知っている。いや、テレビや写真で嫌というほど見たのだが、本人を前にして、改めて感じるものがある。
 この人と会話をしたことがある。
 それも、俺の方から接触を図る形で。

 ……何故? いつ、何のために?


「……だから、楓ちゃんはこの会場のどこかにいると思うの」

220 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 00:39:44.35 ID:rmOYl90d0

 このことを、川島さんは他の誰にも教えていないようだ。
 そういう口ぶりだった。とっておきの秘密を、こっそり伝えるような。

 だけど……それを木っ端のアシスタントに話して、一体どうするつもりなんだ?

 俺にできることなんて無い。今だってそんなこと初めて聞いたんだ。

 あの時も、あなたに頼らなければ、あの人を見つけることすらできなかった……

 あの時って、いつだ?

221 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 00:40:38.31 ID:rmOYl90d0

「――すいませーん! そろそろスタンバイお願いしまーす!」
「あっ、はーい今行きまーす!」

 スタッフに応じる川島さん。いよいよ本番は近い。
 そういうことだから、とウィンクして背を向ける彼女に、なんと言っていいかわからない。

 がんばってください?
 ありがとうございます?

 いや、違う。違う――――


「高垣さんは!」


 思いがけず大きな声が出た。川島さんだけでなく、その向こうのスタッフも驚くほどに。

「高垣さんは……何か、言っていましたか!? 自分のことや、なんでもいい、何か気になることは……!」

222 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 00:42:36.08 ID:rmOYl90d0

 どうしてそんなことが気になるのだろう。
 川島さんは立ち止まり、またほんの少しだけスタッフに合図して、天井を仰ぎ……

「…………これは、言わないつもりだったけど」

 何かを、決意した。

「楓ちゃんね。君のこと、よく話してたのよ」

「……俺のことを?」
「こんな人がいて、こんな場所で飲んで、こんなことをした。こんなことを話して、こういうことをした……って」

 振り向く彼女の笑顔は、優しかった。
 その時、確信があった。川島さんは俺のことを、俺が思うより前から知っていたのだ。
 こちらから接触する前に。
 高垣さんの話から……いわば「友達の友達」みたいな距離感で。

 だから最初に会った時、あんなに親しげだったんだ。

 ……頭の中で、何か大きな前提が崩れ去ろうとしているのを感じる。
223 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 00:43:54.47 ID:rmOYl90d0

「楽しそうだったわ。だから、あの子にとってあなたがどんな存在であれ、きっとすごく救われた時間だったと思うの」

 会場全体が動き出している。走り回るスタッフの気配、入場する観客の気配、腹の底に響く会場BGM。
 集結するアイドル達の気配。自分が行かなければ始まるまいに、川島さんは俺一人に何か、大切なメッセージを残そうとしている。


「『私と似ているのかも』……なんて、いつか言ってたわ。私から言うのも変かもしれないけど、あの子と一緒にいてくれて、ありがとう」
 

 そうだ。

 いつも夜だった。


 暗い夜の中にぽっと灯る光があった。見てしまったが最後、目を逸らすことはできなかった。
 春のまだ肌寒い夜、夏の乱舞する光の夜、秋の冷たい雨の夜。あれは――――

224 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 00:44:33.48 ID:rmOYl90d0


「!!」

 急に、耐えがたいほどの頭痛に襲われる。
 視界が大きく揺らいだ。記憶に蘇った「ある筈の無い夜」、経験した覚えのないそれらの中に、鮮やかな光の残影を見出した時……


「――ちょっと! 大丈夫!?」


 気が遠くなり、闇に閉ざされた。

225 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2019/08/22(木) 00:47:39.84 ID:rmOYl90d0
一旦切ります。
またも間が開いてしまってすみません。
今月中には完結させるつもりで進行します(なんとか)(多分)(おそらく)
226 :sage [sage]:2019/08/22(木) 01:17:44.28 ID:Nm5wFHKP0
今月あと10日切ってますが
年内に終わるかな(白目)

ジュニア相手だと感覚的に話す
なるほどと思った
227 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/08/22(木) 03:18:22.96 ID:jtF2jSbDO
たくみんも感覚的だよね

あと一週間で終わる?
228 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2019/08/22(木) 23:45:20.82 ID:rmOYl90d0

  ◆◆◆◆


 いつも、人形の夢を見る。
 だけど今回のはいつもと違った。

 あるのはたった一つの人形だった。

 頑丈な鍵付きのショーケースに仕舞われ、埃ひとつも被らないまま、人形はそこにある。
 誰もが彼女を通り過ぎる。その美しさに束の間目を奪われ、口々に褒めたたえながら、通り過ぎていく。
 鍵など誰も持っていない。もしかしたら、そんなもの最初から無いのかもしれない。

 人形はショーケースの中に在り続ける。

 誰にも触れられないまま。ただひたすらに「美しいもの」として。

229 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 23:46:01.12 ID:rmOYl90d0

   〇


 目が覚めると、医務室だった。
 改めて検査してみても、体には何ら異常なし。働きすぎで目が回ったのだろうと医療スタッフに言われた。

「……すみません、こんな時に……」
「いえ、いいんですよ。体を大事になさってください」

 一礼して医務室を去ろうとしたところ、スタッフがメモ用紙を一枚渡してくれた。
 川島さんの書き置きのようだった。

 そうか、あの人にも心配をかけてしまった。後日お詫びしなくては……。
 いや、今はそれよりも。

 目覚めた瞬間から気付いている。
 会場の果てから果てまで行き渡り、外にまで響いて、今も足元をはっきり揺らす巨大な震動がある。


 音楽と、人の歓声だ。

230 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 23:47:28.37 ID:rmOYl90d0

 廊下に出たらそれは更に強くなった。壁に貼られた会場案内図を参考に、イベントホールへの経路を探す。

 ――ちょっと待て、行く気か?
 頭の隅で声がする。今まさに行われているものが何なのか、知ればこそ理性の一部分が叫ぶ。
 ――わざわざ見る気か? 何の為に?
 言い訳じみた思考と裏腹に、体は早足で廊下を進む。震動は近くなり、高らかに歌う女性の声や、合わせて轟くコールまでもはっきりと聞き分けられる。

 分厚い防音扉に手をかけて、ほんの数秒、考える。


 ――アイドルなんて嫌いなんじゃなかったのか?


 嫌いさ。その在り方が、夢に対する現実の残酷さが大嫌いだ。
 だけど、彼女達はここにいる。

 今。

 川島さんや、タクさんやヨネさんや、千川さんやみんなが作り上げたものの最前線に、今立っている。
 たとえこれが一夜の夢だとしても、その夢に懸けて進み続けてきた者達の存在は嘘じゃない筈だ。


 その一端に。輝きに、ほんの一瞬だけでも触れてみたいと思うことは、罪なのか?

231 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 23:48:45.07 ID:rmOYl90d0


 折りたたんでポケットに仕舞った、川島さんの書き置き。

 その文面が脳裏に蘇る。


『あんまり無理はしないでね。――先にステージで待ってるわ!』


 迷う理由は無い。

 体重をかけ、重い扉を、一気に開ける――

232 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 23:50:38.27 ID:rmOYl90d0





 たちまち、音の洪水に晒された。





233 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 23:51:57.99 ID:rmOYl90d0

 目の前には、きらびやかな光の海があった。

 観客たちが掲げるペンライト。闇を貫くレーザーライト。リズムに合わせたストロボフラッシュ。

 そして、浮き上がるように照らされた遠くのステージ。大きなモニター。そこに映る笑顔。

 全てが混然一体となって、会場そのものを熱狂の渦としている。


 夢でも見ているのではないかと思った。
 扉一枚壁一枚で、まるで別世界だった。
 俺が踏み込んだのはいわゆる天井席の隅っこ。ステージは遠いが、だからこそドーム状の会場が一望できる場所だ。
 客席中を染め上げるライトの波が、ざわめき、打ち寄せ、大きな流れとなるのが手に取るようにわかる。


 かわいらしい歌ならピンクに、颯爽とした歌なら青く、のんびりした牧歌的な歌ならば黄色や緑に――

234 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 23:54:22.16 ID:rmOYl90d0


『オラァ!! まだまだ終わりじゃねーんだろうなぁ!?』

 ――ワアアアアアァァァァ……!!!


 一発、殴りつけるようなギターが炸裂し、会場はいきおい燃えるような一面の赤へ。

 あ、そうくるか! なるほど、あの布陣ならここでキメキメのロックナンバーもいけるんだな。
 会場の空気が一気に変わった。面白い構成だ。あの子は確か、タクさんのところのアイドルだったろうか?

 雄々しいサウンドが嵐のように去っていき、彼女が背中を見せた時、間髪入れず次のイントロが乱入をかける。
 舞台に立つのは、なんとジュニアアイドル。それも一人だ。ポップで明るい曲調が流れ、オレンジの花畑が咲き誇る。

235 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 23:55:37.66 ID:rmOYl90d0


「おお……」


 ――面白いな。テンションを維持したまま、雰囲気がガラッと変わった。この次はどうなるんだ?
 ――やられた! 別のジュニアアイドルが合流したんだ。ユニット曲だ! これが本命だったんだな!
 ――会場全体が燃え尽きたみたいになったら、次はバラードだ。休憩時間? とんでもない。あの人が歌に込めるエネルギーを見てみろよ。
 ――おっと、その次はクール系か! また流れを変えてきたな。となると後はスタイリッシュ路線で……。
 ――えっ、何、ここでそういうノリ!? コミックバンドじゃないんだから!
 ――いや、そうだ、バンドなんかじゃない。アイドルだ。アーティストでもない。どんなノリもお手の物じゃないか。
 ――次はどうなる? ソロか、ユニットか? それとも全体曲? 川島さんの出番はまだか? もう終わっちゃったのかな――

236 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 23:56:24.18 ID:rmOYl90d0



 俺なら。

 俺なら、どうする?



237 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 23:57:36.45 ID:rmOYl90d0

 もし自分がセトリを組む側に回ったら、こういう曲の次はどう繋げるだろう?

 そうだな、ここで一つ可愛い路線の曲も欲しいな。聞く人の心が蕩けるような、胸を疼かせる恋の歌なんかを聴かせてみたい。

 デュオ曲も楽しそうだ。ミステリアスなもの、ロックやメタルな色が強いもの、ダンスミュージック的なのもアリじゃないか?

 で、いいタイミングでユニット曲を挟む。ストレートなクールさもいいし、踊りだしたくなるような情熱的な曲もきっとハマる。

 ユニットといえば人数でも変わるな。ひとつのコンセプトでピシッとまとめたのもあれば、あえて自由にやらせるようなやつも。

 個々人の個性がぶつかり合って、そこから生まれる新しい色もあるはずだ。

 あと、そうだ、和風! 和風曲が無いじゃないか。あれ、要所に配置すればピシッと決まるんだ。なんとしても適任が欲しいよな。


 で、クライマックスは全体曲で盛り上げて。メドレーか、バラードか。最後の最後は思いっきり明るいのがいいな。


 それから――始まりと終わりに、何か。


238 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/22(木) 23:59:27.30 ID:rmOYl90d0


 幕開けを希望と期待で照らし、清々しさやほんの少しの寂しさと共に幕を閉じる……そうした、一連の物語を彩るような。

 これは一人でいい。
 いわば語り部だ。舞台に咲いた大きな夢を導き、締めるような存在。

 大きなジグソーパズルの、中心となるピース。たった一つで、だからこそ不可欠な、そんな誰かの歌が――



 歌が、聴きたい。



239 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/23(金) 00:01:54.53 ID:CdWzRgmY0



「なんで忘れてたんだ」



 呟きは歓声に溶けた。

 刻一刻と進む新年に向かい、会場は一塊の熱狂となって突き進む。
 だけど俺は、まったく別のことを考えている。

240 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/23(金) 00:03:43.78 ID:CdWzRgmY0

 今この瞬間だけ、俺は舞台を忘れた。乱れ舞う光も、響き渡る歌も。モニタに大写しの川島さんの笑顔も。
 会場中をぐるっと見渡した。川島さんは言ったんだ。あの人がこの会場にいる筈だって。だけど見つけられるか?
 観客の顔なんてペンライトその他の光に塗り潰されて見えやしない。そんな中で、広いドーム会場にいる一人の顔を見分けられるのか。

 関係ない。川島さんはいるって言ったんだ。だったら絶対どこかにいる。
 視線を巡らす。黒く蠢く人の山に色を探す。一人一人の顔なんて豆粒ほどにも識別できない。けど、そうせずにはいられなくて。


 俺は、それを奇跡とは思わなかった。


 当たり前だ。奇天烈な事態になんてもう何度も遭遇してる。空を飛ぶ女、謎の夜市、永遠の桜、神のような何かの話。
 そうしたものを経験しておきながら、今ここにある一時の偶然に今さら驚嘆してはいられない。

 観客席を照らす一瞬のストロボ。その照明の先に、背が高い女性が一人いた。
 俺と同じく、天井席の隅っこ。ドームを見下ろす場所に、遠慮がちにぽつんと立ちすくむその姿が。

 目が合った。

 相も変わらず見惚れるほど綺麗な、紺と碧のオッドアイ。「一人」の中に「二人」存在する魅惑の瞳。
 アッシュグレイの髪がライトワークを受けて妖艶に輝く。

 瞬間、彼女はそっと目を伏せ、何事かを呟いて陰に紛れる。

241 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/23(金) 00:05:58.79 ID:CdWzRgmY0


 ――ごめんなさい。


 そんなことを言われた気がした。
 冗談じゃない。
 外へ通ずる扉を体当たりの勢いで開く。
 出てみればそこは当たり前の廊下だった。別世界のように静かだ。
 考える前に走り出す。一般開放されていない非常口を除けば、出口は限られている。


 ――会ってどうする?

 また頭の中のつまらない奴が文句を言う。

 どうもこうもあるか。
 今、やっと答えが見つかりそうなんだ。細かい理屈なんてどうでもいい。ただ、今あの人を見逃したら、俺はきっと一生後悔することになる。

 走り出す背に、MCの川島さんの声が響く。


『ありがとーっ! みんなの笑顔、大好きよーっ!!』


 笑顔。まだ見ていない笑顔。声に背中を押される。
 歓声が足元を揺らす。全速力で、走る。走る、走る、走る――

242 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/23(金) 00:08:34.01 ID:CdWzRgmY0
 
「きゃっ!?」

 曲がり角で人とぶつかった。

 すみません、と言った後で気付く。
 千川さんがびっくりしてこっちを見ている。

「……って、Pさん!? 倒れたって聞いたけど、体の方は……」

 大丈夫なことは見れば明らかだ。
 そんな意外と健康な男がライブ中に全力疾走して何をするつもりか。千川さんは信じられないという顔をした。

「ど、どこへ行くんですか? ライブまだ終わってませんよ!?」

「――違う……」

 息が整わない。
 ぜいぜい言いながら、絞り出す。


「違います。まだ俺には、始まってもいないんだ……!!」

243 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/23(金) 00:12:40.97 ID:CdWzRgmY0

 夜は遅い。会場を出ても、ライブの音響は全身を揺らす。
 冬の夜中は、嘘だろってくらいに寒かった。


 真っ暗な大晦日、白い雪が降り続けている。

 時刻は午後11時半。会場ではカウントダウンに向け、ボルテージが上がり続けている頃だろう。


 まだだ。まだもう少し。
 俺の手には、秋の暮れに忘れ去られた女物の傘があった。
 雪が降っていたから。予報によれば、夜に近付くにつれて強くなるとのことだったから。
 いつも使うビニ傘でもよかったけど、今日に限り、これを持っていった方がいいような気がしていた。

 奇跡ではない。

 高垣さんの残した傘を差して、激しさを増した雪の中を駆け抜ける。


 時計の針が、12時を差す前に。

244 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/23(金) 00:26:49.12 ID:CdWzRgmY0

  ◆◆◆◆


 大晦日の夜は驚くほどに騒がしかった。
 右も左もお祭りムード。街頭モニタを見てカウントダウンを待つ人々でごった返す。

 あの人はどこへ行った? 終電はまだある。ならとりあえず最寄りの駅か?
 
 いや、そんな簡単に捕まる人じゃない。
 そういえば律儀に電車に乗るとこなんて見たことないぞ。

 じゃあどこだ。どこへ行けば?

 大通りに出た瞬間、うんざりするほどの人ごみに呑み込まれる。右も左もわからなくなる。
 諦めるな。
 ここで足を止めればそれこそ全部終わりだ。
 考えろ、考えろ、考えろ――
245 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/23(金) 00:27:53.64 ID:CdWzRgmY0



 ちぃんっっ――――




 不意に、風鈴のような音がした。

 グラスの縁を、指で弾く音だった。

 その音が波紋のように周囲に染みわたり、気が付けば、周囲の人影がぱったり消え失せていた。

246 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/23(金) 00:29:43.17 ID:CdWzRgmY0


「ごきげんよう、クロさん」


 歩道沿いのオープンテラスに、いつの間にかその人はいた。
 いつものようにワイングラスを片手に持ち、首元から赤い宝石のネックレスを提げて、優雅に足を組む女性。
 彼女のことも、俺は思い出している。


「……柊さん」

 あんなに人で溢れる大通りは、今や俺とこの人の二人だけ。

 背後にはいつの間にか、例の巨大な桜が聳え立っている。

 激しさを増した降雪に、春の花弁が混ざる。

247 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2019/08/23(金) 00:31:00.15 ID:CdWzRgmY0
一旦切ります。ぼちぼちクライマックスです。
248 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2019/08/23(金) 00:46:26.48 ID:CdWzRgmY0
あとすいません、今さら修正ですが

>>210
『同じような誰かの穴を、埋めてあげられるんじゃないか……みたいな』

『似たような誰かの穴を、埋めてあげられるんじゃないかって』

でした。録音しているという設定だったのに文面が違いましたね、すみません。
249 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/08/23(金) 19:46:49.28 ID:itry+d1+o
もう泣きそう
250 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2019/08/31(土) 23:07:24.96 ID:zSc+xtMY0

「驚いたわ。自力で思い出すなんて想像もしてなかったから」
「知ってたんですか?」
「ええ、私は楓ちゃんに関することは全部知ってるもの」

 高垣さんは何らかの力で、俺から記憶を奪ったようだ。彼女と、彼女にまつわる出来事のすべてを。
 柊さんはそれも承知の上だったのだろう。
 だとしたら、今ここに来た理由はひとつ――


「ごめんなさい。あなたとあの子と会わせるわけにはいかないの」


251 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/31(土) 23:09:06.97 ID:zSc+xtMY0

 やはり。理由だけ聞いておきたい。

「……何故?」
「住む世界が違うのよ。あなたはもう、樒ちゃんのことも知ってるんでしょう?」

 覚えている。高垣楓の双子の姉、今なお彼女に宿る青い目の女。
 神に近いものだとすれば、間違いなく凡人の手には負えない。
 高垣さんを深く知る柊さんが見ればこそ、俺と彼女がいかに遠いかを理解しているのだろう。


「悪いことは言わないから、引き返しなさい。楓ちゃんの心配は要らないわ。あの子はまた、自由になって――」
「なって、どうするんですか」
「……」
「あのまま、独りぼっちでいるんですか?」

252 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/31(土) 23:09:53.48 ID:zSc+xtMY0

 住む世界が違う。確かにその通りだろう。
 高垣楓は、きっと余人の誰にも到達しえないずっと高みにいる。

 穢されず侵されず、而して触れられず、理解されることもなく。

 高く高くまで飛んでいって、ある時ふっと消えてしまうのだ。
 俺達凡人はその去り際にすら気付かず、誰もいない夜空を見ては「どこへ行った?」と首を傾げるだけ。

 かの人はそうして誰も届かない場所に在り、たった一人で涙を呑む。

 その理由さえ知られぬままに。

 ……だけど、一度でも知ってしまえば。


「寂しかったと、確かに言ったんだ。あれはお姉さんの言ったことだけど、高垣さんの本音でもあった筈です。なら……!」
「身の程を知りなさい」

 表面上は穏やかなまま、柊さんの纏う空気がガラリと一変した。
 その底冷えするような圧は、彼女が確かにあの「夜市」の総代であると実感させられる威厳に満ちていた。

253 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/31(土) 23:17:47.53 ID:zSc+xtMY0

「野良犬に餌をあげるのとはわけが違うの。これ以上深入りすれば、あなたは間違いなく戻れなくなる。楓ちゃんの為を思うなら、あの子が悲しむようなことはやめなさい」

 喉元に刃を突きつけられているにも等しい。
 ここは既に「大晦日の大通り」ではない。柊さんが端から端まで掌握する一種の異界だ。
 次の瞬間に何が起こるかなど、ただの人間には想像もできない。まして彼女の忠言を跳ねのけてしまえば……

 だが。

「あなたは、ひとつ勘違いをしてます」
「……?」
「高垣さんの為、じゃない。俺の為だ。俺がそうしたいから、追いかけるんだ」

 能力、ビジネス、適材適所、リスクがどうとか、相応しいとか相応しくないとか。
 そういう建前は、もういい。要らない。自分を安全圏に置きたいがためのしゃらくさい言い訳でしかない。

 変わりたくないと思っているうちは、何も変えることができないから。

「俺は絶対に高垣さんに会いに行きます。誰に嫌がられても。……そうして、ちゃんと伝えたいことがある」

254 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/31(土) 23:18:49.29 ID:zSc+xtMY0

 柊さんは、しばらく黙っていた。
 ほんの数秒ほどだろう。けれど主観的には気の遠くなるような沈黙を経て、彼女はグラスのワインを飲み干した。

「決意は、固いのね?」

 沈黙を肯定とする。
 柊さんはグラスを置き、穏やかに微笑した。
 その顎がわずかに頷いたように見えた。

 認めてくれたのだろうか?

 一瞬思ったのは、しかし甘い考えだと知る。


「なら、これが最後のお邪魔虫」


 もう一度、ちんっっ――とグラスが弾かれた。

255 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/31(土) 23:20:29.41 ID:zSc+xtMY0


 途端に生ぬるい風が吹いた。冬には似つかわしくない、花の香りを含んだ風が。
 風は一気に強くなり、数秒もしないうちに目も開けていられないほどとなって渦を巻く。

 反射的に我が身を庇い、一瞬閉じた目を開いて、その瞬きで世界が変わったことを知る。


 花弁が舞っている。


 薄いピンク色の、指に乗る大きさの、仄かな香気を纏わせる、本来春にしか存在しない筈の――桜。

 まるでそれは壁のように俺の前後左右を埋め尽くし、1メートル先も見通せない雲霞となって道を閉ざす。


 積乱雲にでも飛び込んでしまったかのような気分だ。
 花弁は夜になお色鮮やかで、よく見れば今も降り注ぐ粉雪が混ざっている。ピンクと白。文字通りの花吹雪だった。
256 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/31(土) 23:25:24.01 ID:zSc+xtMY0


『正しい道を見つけてごらんなさい』


 どこからか、柊さんの声。


『脱出する方法は二つ。楓ちゃんへ通ずる道を見つけるか、それともあなたが心の底から諦めるか』


『どちらかでなければ、永遠にそこから出ることはできない』


『……安心して。その中で、時間は無いようなもの。すべてはあなた次第よ、クロさん――――』

257 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/31(土) 23:27:21.67 ID:zSc+xtMY0

 最低限の条件だけを通達し、柊さんの声が遠ざかる。
 俺の意思を尊重した上での、これが最後の譲歩なのだろう。

 忽然と現れ、常人にはまるでわからない「法則」を示し、指先一つで超常へ叩き込む。
 越えるかどうかは神のみぞ知る。人の器量でどこまでいけるか。
 柊さんも「そういう」存在なのだろう。今更疑うまでもない。提示されるのは徹頭徹尾あっちの都合だ。

 嫌というわけではない。慣れたし。
 運命みたいなもんと思えば諦めもつく。

 だが、こっちにはこっちの都合があるのだ。
 神様も妖怪も伝説も知るか。
 
258 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/08/31(土) 23:28:51.44 ID:zSc+xtMY0
 

 ――あんたが選んだアイドルだろうが!

 ――最後まで責任持つってくらいのことが、どうして言えないんだ!!


 ずいぶん前、実の親父にそんなことを叫んだ奴がいた。
 十年近く経っても、もっともらしく分別をわきまえた振りをしていても、ずっと忘れることができずにいた。
 凡人からは凡人の答えしか出ない。
 だけどそれこそが、結局のところは、偽らざる本音だから。

「上等だよ」


 もう二度と、「寂しい」と言わせたくはない。

259 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2019/08/31(土) 23:33:37.47 ID:zSc+xtMY0
一旦切ります。すみません、リアルでバタバタしていて更新が遅れました。
次で冬終わります。
アニバーサリーまでに完結できるかな……(白目)
260 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/09/01(日) 06:35:35.91 ID:ZaU/ye2DO


……これは背中を押すため、こっひにえっちなことしてこないとな
261 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/09/01(日) 21:21:56.33 ID:Gd6k0lW1o
一旦乙
P本人の素性の方も少しずつ明らかになってるね
262 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2019/09/03(火) 01:14:46.15 ID:/BT2JQWN0

  ◆◆◆◆


 どれほど歩いただろう。

 景色はずっと桜吹雪。壁やら障害物の類もありはしない。

 手には高垣さんの傘。一応差してはいるものの、降り積もる花弁と雪が重くて、定期的に傾けなければ持っていられないほどだ。

 こうなると方向感覚と時間間隔すら薄れて、自分がどこを向いているのかもわからない。
 もし桜が消えれば、そこは無限に広がる平坦な砂漠なのかもしれない――そんな錯覚すら抱くほどだった。

「はぁ、はぁ……ふぅ……くそっ」
 
 いったん足を止めて深呼吸する。春と冬の混ざり合った奇妙な空気が鼻に抜ける。

 正しい道を見つけるか、心から諦めない限り、ここから出られることは永遠に無い。柊さんはそう言った。
 ことによると、永遠にこの桜吹雪を彷徨い続けるかも。なかなかぞっとしない想像だった。

「……よ、し……っ」

263 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/03(火) 01:16:31.29 ID:/BT2JQWN0

 頬を張り、軽くストレッチをする。
 長く止まっていると余計な考えばかりが浮かぶ。
 弱い気持ちを振り払うためにも、歩き続けるしかなかった。止まらないでいるうちは、少しでも近付いていると思おう。

 さて、どこへ行こう。ヒントも目印も無い異空間の中、桜と雪のカーテンを手でかき分けるようにして歩く。

 と――

 目の前に、人影がちらついた。

「!! 高垣さ――」

 もつれるように駆け寄って、別人だと知る。

 差した傘の上に、雪と桜が降り積もっている。
 高垣さんより少し低いが、女性にしては高めの身長。すらりと細い体。
 ウェーブのかかった長い髪に、どこか憂いを湛えた静かな瞳――


「……マスター?」


 夜市の「マスター」は、俺を見て微笑した。

264 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/03(火) 01:17:29.66 ID:/BT2JQWN0

「こんばんは、クロさん」
「どうして……ここに」
「あなたの様子を見て欲しいって、総代に頼まれたの。どこかで途方に暮れてないかってね」

 その時、情けないことに、俺は心から安堵した。

 ずっと張りつめていた緊張の糸が切れてしまった。

 まだ見捨てられていなかったと、戻ろうと思えば戻れると。
 それは甘い毒のような安心だった。

 たった一瞬でも「疲れ」を自覚してしまった時、驚くほど足が重くなる。
 これほど疲弊していたのかと、我ながら戦慄するほどに。
 身の縮むようなため息が出て、それきり、前にも後ろにも進めない。

265 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/03(火) 01:18:32.88 ID:/BT2JQWN0

 頭ではわかっている。
 つまるところ彼女は、柊さんの仕向けた最初で最後の罠であり――

 一方で、間違いなく助け舟そのものでもあった。


「もう、いいのよ。無理をしなくても」


 傘を持っていない方の手が差し伸べられる。
 桜の地獄に差し込んだ、ただ一筋の蜘蛛の糸だ。

「あなたはよくやったわ。誰もクロさんを責めたりなんかしない。だから……これ以上、自分を削ることはやめて」

266 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/03(火) 01:19:18.13 ID:/BT2JQWN0

 手を取れば、帰れる。いつもの日常に。
 何らおかしなことも起こらない、見たくないものは見ずに済む、自分だけの静かで平坦な人生に――


「……ごめんなさい。俺、その手は取れません」


 絞り出した声は、自分でもわかるくらいに震えていた。
 足だってそうだ。今すぐ座り込んでしまいたい。彼女の手はきっと暖かいだろう。二人分の傘はどれほど広いだろう。
 けど、今マスターの手を取ることだけは、駄目だ。

267 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/03(火) 01:20:25.23 ID:/BT2JQWN0

「……いいのね?」
「はい。自分で決めたことですから」

 誰に許されなくとも、何に背こうとも。自分自身の弱い心にだって例外じゃない。
 出しかけた手を引っ込め、一歩後ずさる時、マスターはほんのわずかに笑みを深めていた。

 心から嬉しそうな――何か、とても眩しいものを見るような、そんな目だった。


「アイドルのことは、まだ嫌い?」
「え」


 この人にその話をしただろうか?
 覚えがない。なぜ知っているのか問いたいところだが、あの夜市の関係者ならば知っててもおかしくないのかもしれない。

268 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/03(火) 01:21:18.01 ID:/BT2JQWN0

「いえ。……というより……」

 返事は、驚くほどスルッと出た。
 脳裏に思い浮かぶのは、今もきっと盛り上がっているであろう年越しライブの様子だ。

 あのステージを思い出すと心が躍る。
 ……とても懐かしい色の光だった。


「最初から、嫌いなんかじゃなかったんです」


「なら、どうして?」
「面白い話じゃありませんよ」
「そんなことないわ。聞かせて」

 自戒。
 あるいは、遠い日の回顧。

「……俺は、アイドルが好きでした。みんなキラキラしていて、見ているだけで楽しくて。けど……楽しいだけじゃないんだって、知ってしまって」

 憧れだった。
 プロデューサーの父親は、誇りでさえあった。
 あの頃は、いつか訪れる現実の流れになど気付きすらしなくて。

「……寂しかったんです。なんか……十年前から、取り残されちゃったみたいで」
「あなたは、ずっとそう思ってたの?」
「いや……ちょっと、違う。違うんだ。俺だけじゃない。俺よりも、もっとずっと辛い思いをした人達が……」

269 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/03(火) 01:22:48.19 ID:/BT2JQWN0

 父親の進退やアイドル業界の裏事情や、勝つか負けるかなんてこと、本当はどうだって良かった。

 きらきら輝くあの人たちは、一体どこへ行ってしまったんだろう。
 泣いてはいないか。寒くないだろうか。寂しい思いをしてはいないだろうか。
 どこかに、安らげる場所を見つけられただろうか。

 それが、それだけがずっと気がかりで――


「――クロさんは、優しいのね」
「そんなことありません。情けなくて、未練がましいだけですよ」
「優しいわ。だって今、『そうさせたくない』人がいるんでしょう。その為に走ってるんでしょう?」

 彼女の声は、まるでずっと昔からの友への語りのように、穏やかだった。
 それは俺の心の一番奥にある、小さく冷たくて硬い最後のしこりを、たった一言で氷塊させた。

 ずっと迷子だった。

 何がしたいのか、どうすればいいのかわからなくて、あの日の残光に勝手に怯えて。

 だけど……それも無駄ではなかったと、目の前の人に肯定してもらえたような気がした。

270 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/03(火) 01:24:13.64 ID:/BT2JQWN0

「……ありがとうございます。気が楽になりました」
「行くのね?」
「はい」

 抱えていたのは、十年越しの余計なお世話。百も承知だ。だけど忘れられないものは仕方ないだろう。
 時間がかかりすぎた。いい加減腹はくくった。
 忘れられなければ、ずっと背負って歩くだけだ。

「……総代には私から言っておくわね。あなたが無事に出られることを祈ってるわ」
「あ……ちょっと待ってください!」

 別れる前に思い立ち、マスターを呼び止める。
 最後に、お願いしたいことがあった。

「どこへ行けばいいか、教えてくれませんか?」

「……誰かに答えを聞くのは反則よ? それに、私も正解を知ってるわけじゃないわ」

「それでいい。どこでもいいから、俺はあなたに決めて欲しいんです」


 何故そんなことを言ったのか。
 行き先に迷ってヤケクソにでもなったか。
 自分でもわからない。

 だけど、この人が示す方角へなら、脇目も振らず走り抜けられる自信があったから。
 根拠など一つもなくとも、確信に近い思いがあったから。

271 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/03(火) 01:25:32.19 ID:/BT2JQWN0
 
 マスターは少し考えた。
 やがて傘を閉じ、風に舞う花吹雪に総身を晒す。

「――今からこの傘を倒すわ。倒れた方角が、あなたの向かう先」

 そうきたか。
 立てられた傘は、運命を決めるにはいかにも頼りなく思える。

「私自身は選ばない。あなたにも決められない。いわば運みたいなもので決めるの。……それでもいい?」

 すぐさま頷き返す。
 それじゃあ――と、軽い合図と共に、傘がマスターの手を離れる。

 細い傘は風に煽られ、ゆらり、ふらり、と頼りなく揺れて……
 ちょっとびっくりするほどの間を置き、倒れた。

 俺から見て、右斜め後ろの方角。

272 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/03(火) 01:26:31.99 ID:/BT2JQWN0

「ありがとうございます!」

 礼を告げ、一散に走る。
 さっきよりもずっと足が軽い。傘が示す方向へ、一ミリもぶれずに走り抜けられる自信がある。

 考えてみれば簡単なことだった。
 360度平坦な桜吹雪の道は、どこを選んでも正解なんてわからない。
 どうせ正解がわからないのなら、こっちがやることは一つ。
 ただ、迷わなければいい。


 短いがとても安心する時間だった。迷いを振り切るに充分すぎる。

 マスターは遠ざかる俺の背を見送り、互いの姿が見えなくなる直前――

273 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/03(火) 01:28:35.71 ID:/BT2JQWN0




「がんばってね、P君」




 弾かれたように振り返る。

 そう呼んでくれる声の響きを、知っている。

 呼ばれたのは一回だけだ。
 だって、直接会ったのもたったの一回なんだから。
274 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/03(火) 01:29:44.71 ID:/BT2JQWN0

 どうして今まで気付かなかったんだ。

 忘れていない筈じゃないか。親父に連れられて見せてくれた、あのはにかんだ顔を。
 今にして思えばどうして会わせてくれたのか。
 小さな事務所だったから、プロデューサーの息子に顔くらい見せようって計らいだっただろうか。

 ちゃんと覚えてるんだ。
 サインだって貰ったんだ。
 今でも実家の額縁に飾ってある筈じゃないか。
 だけどあの時の俺は、同年代のアイドルの子があまりにも眩しくて、ろくに話さえもできなかった。


 俺だって、この人のファンだったじゃないか。


「……瞳子ちゃん?」


 服部瞳子。


 名前だけがずっと心の奥底に焼き付いて離れないでいた。
 その幻影に囚われて、今の姿に気付かないなんて馬鹿な話があるか?

275 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/03(火) 01:31:17.55 ID:/BT2JQWN0

「振り向かないで。待たせてる人がいるでしょう?」

「瞳子ちゃん……! お、おれ、今まで……っ」

「いいの。私、嬉しいのよ。また元気なあなたに会うことができて」


 霞む視界の向こうに、彼女の笑顔がぼやけていく。
 見えなくなってしまうのは、桜のせいか、それとも自分のせいだろうか。

 熱く滲む景色の中、瞳子ちゃんは、俺が行くべき方角をまっすぐに指差した。


「私は大丈夫よ、P君。あなたの場所を見つけたら……その時にまた、お話しましょう」


 ああ、話そう。きっと長い話になる。
 その時はコーヒーを淹れて欲しい。あれはすごくおいしかったから。

 ……けど、それは今じゃない。

276 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/03(火) 01:31:49.14 ID:/BT2JQWN0

 踵を返す。もう振り返らない。
 代わり映えのしない吹雪の中に、はっきりと一筋の道が見えた気がした。

 それがどこに繋がるとしても、果てにはきっと、目指すものがあると信じた。

 走る。

 走る……

 走る………………

277 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/03(火) 01:33:00.33 ID:/BT2JQWN0

  ◆◆◆◆


 身を切るような北風と、雪と、光に浮かされた明るい闇の中にいた。

 走って走って、気が付けば飛び出ていた。
 もう桜の花弁はどこにも無い、何もかも元通りな、大晦日の夜中だった。

 出られたんだ。

 ていうかどこだここ。

 路上……でもない。公園っていうのでもないし。妙に開けた場所で、風ばかり強くて、遠くには夜景がちらつく。
 
 ――ワァァァァァァ……!!

「うおっ!?」

 足元が揺れて仰天した。地震かと思ったが違う。
 それは大勢の歓声で、しかも真下から聞こえた。
 地面はどうやら鉄か何かみたいで、油断すれば滑ってしまいそうだし、微妙に歪曲していた。

278 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/03(火) 01:33:58.55 ID:/BT2JQWN0

 ……これ、ドームの屋根か? 年越しライブ会場の?

 灯台下暗しというか、なんというか……上だけど。
 見つからないわけだ。柊さんが介入しなければ、俺は街中を探してどんどん遠ざかっていたかもしれない。

 十メートルくらい先の小さな人影に、俺はとっくに気付いていた。


 ほら。
 こんなところに、一人ぼっちで座って。

279 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/03(火) 01:37:39.42 ID:/BT2JQWN0

 地上では、人々を魅了するカリスマを発揮して。空とか飛んで、いつも泰然としていて。
 そうかと思えば妙ちくりんなジョークで笑って、酒をぐいぐい飲んで、好き勝手にこっちを振り回して。
 怖いものなんて何もありませんって顔をして……それでも。

 一人でいる時は、ずっとそうしていたのか?

 細い体を小さく折り畳み、ぎゅっと両膝を抱えて。
 すぐ背後に迫る孤独から身を隠すように。
 誰にも見つからず、気付かれもせず、人々の歓声を遠く聴きながら。


 歩み寄って、傘を差し出した。
 もともと相手の傘だ。
 綺麗な髪に雪を積もらせていた彼女は、夢から覚めたような顔をして、こてんと顔を上げる。


 目が合う。

 何か言われる前に、こちらが口を開く。

 きっとこれから何度も繰り返す言葉の、それが最初の一声だった。

280 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/03(火) 01:38:19.16 ID:/BT2JQWN0




「アイドルになりませんか?」




281 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/03(火) 01:39:31.87 ID:/BT2JQWN0

 二色の目が、丸く大きく見開かれた。

「…………だけど、私は……あなたを、連れ去ってしまいます」

「違う。あなたがじゃない。俺が、あなたを連れて行くんだ」

 雪は降り続ける。重く足元を揺らす音や歓声も今や遠い。

「約束する。そこは、すごく楽しい場所になる。そうしてみせる。あなたと俺だけじゃない、これが最初の一歩です。
 毎日がお祭りみたいで、退屈してる暇も、寂しいだなんて考える暇もないんだ」

 闇の中でもなお映える瞳が、それぞれの色にいっぱいの夜を写し取っている。
 諦めと、最後の一線での拒絶を宿して。
 
「……いいんでしょうか。私も、姉さんも、そんなことをしてもらえるような……」
「逃げないでください!」

 高垣楓の方が、びくんと大きく跳ねた。

282 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/03(火) 01:40:35.29 ID:/BT2JQWN0

「俺ももう逃げません。あなたが何者だろうと構わない。お姉さんも同じだ!
 全部あなたの一部です! 何が起こっても、みんなまとめて連れて行ってやる!」

 堰を切ったら止まらない。心の奥底で溶けたものが濁流になり、声となって迸り出る。
 ……だから。
 
「だから、行くな」

 月の無い夜で良かった。灯りが遠い屋根の上で良かった。
 お前が言うなと、言われそうだったから。


「どこにも行くな……! こんなところで、泣くなよ!!」

283 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/03(火) 01:41:32.04 ID:/BT2JQWN0



 ――かえちゃん。
 ――見つかったねぇ。



 どこかから、優しい声がした。目の前の人と同じ声だった。
 残響が風に溶けて消える頃、高垣さんは立ち上がっていた。

 なんて顔をしてるんだ、と思った。

 だけどこれもまた、高垣楓という人の本当の姿なのかもしれない。

284 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/03(火) 01:42:18.64 ID:/BT2JQWN0


「――っ」

 息を呑み、呼吸を整える。
 それを待つ。高垣さんは喉元を軽く押さえ、ためらうように小さくかぶりを振る。

「――〜〜〜〜……っ」

 ただ、待つ。一つの傘の下で、高垣さんは唇を引き結び、真面目な顔を作ろうとする。
 だけど、無理だった。
 とうとうくしゃくしゃになる。いつもの涼しげな美貌はどこへやら、まるでそれは幼い女の子のようだった。
 やっと見つけてもらった迷子みたいに、けれど視線だけは決して外さずに。

 青と碧の両目から、大粒の涙をぽろぽろ零しながら。



「はい」


285 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/03(火) 01:42:55.79 ID:/BT2JQWN0


 ――ワアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!


 うわびっくりした!!
 真下から、今度こそ爆発のような歓声が巻き起こる。それは屋根を突き破って二人を打ち据え、高く高く雪の空にまで轟いていく。
 一瞬、二人してぽかんとした。高垣さんに至っては涙を拭うことも忘れていた。

 …………あ。

 腕時計を見てやっと気付く。

 年が、明けたんだ。たった今。

286 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/03(火) 01:44:54.37 ID:/BT2JQWN0

 屋根の上のなにやら間抜けな沈黙をよそに、下は下でこれでもかと盛り上がっていた。
 見つめ合うことしばし。新年なら、何はなくとも言わなきゃならない気がして、

「……あけまして、おめでとうございます?」

 それがなんかツボに入ったのか、高垣さんは「ぷふっ」と口元を押さえて。


「――おめでとうございます」


 涙を流したまま、綻ぶように笑った。


 12時を回った時計の針は、当たり前だが、進み続けている。


  【 冬 ― 終 】
287 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2019/09/03(火) 01:46:14.50 ID:/BT2JQWN0
一旦切ります。
次回エピローグです。
288 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/09/03(火) 06:20:02.48 ID:IAkZOk24o
一旦乙です
やはりマスターはあの人だったか
再スカウトはどうなのかな
289 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/09/03(火) 07:07:19.87 ID:fFqMwXjDO
実は既にスカウト済みだったりして
290 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2019/09/05(木) 00:52:23.97 ID:9I+qLSeE0

  【 いつも : ここにいる 】


「――――もしもし、母さん?」


「ああ、いや、大したことじゃないんだ。うん。うん、元気。仕事? 仕事は……まあ」

「あのさ。親父、そっちにいる?」

「うん、じゃあちょっと換わってくれるかな。少しでいいから――」


「…………久しぶり」

「別に、今更どうこう言うつもりじゃない。けど……けど、一応さ。報告っていうか」


「俺、アイドルのプロデューサーになるから」


「それだけ。……ああ。わかってる」

「いや、いいんだ。伝えときたかっただけだから」


「ああ。――じゃあ、また」

291 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/05(木) 00:56:59.24 ID:9I+qLSeE0

  ◆◆◆◆


 大体いつも企画書に手こずる。
 今日も今日とて、深夜の会社。必死こいてPCと向き合う俺のデスクに、すっと影が差した。

「じゃんっ♪」

 見上げると、コンビニ袋を持った千川さんが。

「……千川さん。……スタドリでしたら間に合って」
「何言ってんですか、夜食ですよ夜食。何か食べとかないと倒れちゃいますよ」

 中には最寄りのコンビニで買ったらしきおにぎりやサンドイッチが入っていた。ありがたい。
 給湯室でインスタントの味噌汁を作って一休みしていたところ、千川さんがぽつりと切り出した。

「それにしても、びっくりしちゃいました」
「え?」
「まさかほんとにプロデューサーを目指すなんて。Pさんあんなこと言ってたのに」
「それはまあ、色々ありまして」
「あ、さてはこの間のライブでついにアイドルの良さに気付きましたね? ていうかあの後どこ行ってたんです?」

 話していいのか悪いのか。
 鮭おにぎりをアツアツの味噌汁で流し込み、適当にはぐらかして作業に戻る。
 千川さんは何が楽しいのか、隣のデスクから頬杖を突いて俺の仕事を見守っている。

292 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/05(木) 00:57:55.50 ID:9I+qLSeE0

「ねえ」
「はい?」
「Pさんは、どんなアイドル事務所を作りたいんです?」

 どんな、か。
 ビジョンというか、コンセプト、もっと言えばビジネスプランの話でもある。
 無策で突っ込んでどうにかなる世界でもない。もちろん幾つか考えているが、何より――

「――誰かの、居場所に」

 考えてのことではない。
 言葉が口をついて出て、止まらなかった。


「ファンもアイドルも……いつも、いつでも、自然な笑顔でいられる。そんな……誰かの居場所になれるような、そういう事務所を、作ります」


293 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/05(木) 00:58:53.85 ID:9I+qLSeE0

 抽象的に過ぎるだろうか。展望としてはどうにもふわっとしている。
 だけど思い付いてしまったのだから仕方が無い。
 
 千川さんは少し驚いたように目を丸くして、

「……ふふっ」

 やおら、自分のパソコンを立ち上げた。

「資料、送ってください。私も手伝います」
「は? いや、悪いですよそんな」
「いいから。そのペースだと明日に間に合わないでしょ」

 そう、決戦は明日だ。
 本当ならもっと余裕を持ちたかったところだが、アイドル部門の統括――今西部長が直近で空いているのが、その日しか無かったのだ。
 ありがたい。ここは甘えさせてもらおう。

「すみません、それじゃお願いします」
「はーい。うふふ、後で何奢ってもらっちゃおっかな〜♪」

 ……やっぱり裏あったわ。

294 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/05(木) 01:00:00.08 ID:9I+qLSeE0

  ◆◆◆◆


「ふんふん。なるほど……ね」

 正直、採用面接の時よりも緊張する。
 今西部長のオフィスに通されて、俺は彼が出来立てホヤホヤの企画書に目を通していくのを固唾を飲んで見守っている。

「――最初は驚いたよ。あんなに渋っていた君が、まさか自分から部署の立ち上げを希望するとはねぇ」

 しみじみと、部長。穏やかな目尻には何かを懐かしむような気配があった。

「勝手なことを言って申し訳ありません」
「いや、構わないよ。意気を示すのに早いも遅いもないからね。優秀な人材であれば、うちはいつでも大歓迎だ」

 もちろん、彼の発言には含意がある。
 優秀な人材であれば――裏を返せば、そうでなければ要らん、ということ。ごく当たり前の話だ。

 部長は眼鏡の奥の温和な瞳を、一瞬ぎらりと閃かせた。

「さて……当アイドル部門は、ありがたいことにどこも多忙だ。君がそこに食い込めるか、我々の時間を消費させるに足る人材なのかだが――」

 息を呑む。

 ここからが本番だ。

295 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/05(木) 01:01:11.94 ID:9I+qLSeE0

 そこから鬼のようなダメ出しが始まった。企画内容の現実性、将来性、短期長期の展望と具体的なスケジュールの詰め方。
 こちらとしても頭を絞ったつもりだが、相手は海千山千の古強者。隙だらけも甚だしいと言わんばかりの突っ込みはぶっちゃけこれまでの出来事の中でも一番キツかった。
 しかしこっちも気圧されてはいられない。冷静で的確な指摘に一つ一つ答え、一歩も退かぬ構えで喰らい付く。

「しかし、君はこれをどう――」


「いいと思います」


 書類をまとめ、部長の隣に座る大柄な男が口を挟んだ。
 部長の直属の部下だという彼は、俺やヨネさんやタクさんからは先輩にあたる人だ。

「……笑顔というところが、特に」

 そう言う本人は巌のような表情筋をピクリとも動かさないのだが、だからこそ滲み出る説得力みたいなものがあった。
 今西部長は言葉を切り、困ったように笑う。

「うーむ……私もそれで締めようと思っていたのだが、どうも先を越されてしまったようだ」
「……申し訳ございません」
「構わんよ。後はどう細かいところを詰めるかというだけの話だったからね」

296 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/05(木) 01:08:48.36 ID:9I+qLSeE0

「え……と。それでは……?」
「コンセプトは良い。君の発想に欠けているのは、我が社の設備や人材、コネクションをどう効率的に使うかという視点だよ。プロデューサーを名乗る以上、そこを外してはいけない」
「ご存知の通り、弊社は業界の各所に太いパイプを持ちます。独力にこだわらず、使えるものをフルに活用してこそ、かと……」

 要するに――と、部長はペンを軽く振った。熟練の魔法使いのような手つきで。

「明日にでも走り出せるかどうか、という話だ」
「……!」

 張り詰めていた空気が、部長の笑顔でゆるっと弛緩した。
 その一言で、足先から脳天にまで煮え滾るような達成感が満ち満ちた。

「ごく個人的な感想としては、君がその気になってくれてとても嬉しく思う。アイドル部門へようこそ」
「わからないことがあれば、ご質問ください。お力になれるかと思います」
「ありがとうございます!!」

 椅子を蹴倒す勢いで立ち上がり、深々とお辞儀をする。
 やった。
 いや、これからだ。まだ何も成し遂げてはいない。だが、ひとまずは、壁を越えた。最初の壁を。

 まずはより具体性を詰めた企画書の作り直し。部長には認めて貰えたが、正式の社の会議を通るかどうかはまた壁だ。
 いや、やってみせよう。まだ始まってもいないのだから。

297 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/05(木) 01:10:19.56 ID:9I+qLSeE0

「どういう心境の変化があったのかは、敢えて聞かないよ。ただもう一つ……君の最初の一手を聞いておきたい」
「最初の一手、ですか?」
「今になって飛び込んでこようと言うんだ。何か秘策があるんじゃないかね?」

 秘策というほどのものでは。
 けれど、最初のアクションはもちろん考えている。


「モデル部門の高垣楓を、うちに引き抜きます」


 部長のペンが落ちた。
 隣の先輩もぽかんとしている。
 これまで聞いたどんな展望よりも信じられないという顔で、部長は一言、ぽつりと。


「……本気かね?」


298 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/05(木) 01:11:45.54 ID:9I+qLSeE0

  ◆◆◆◆


 ここでアイドル高垣楓の初仕事を紹介しておこう。

 346プロオリジナル推理ドラマ、「元婦警探偵サナエの事件簿 〜からくり地獄温泉の罠〜」。
 役柄は、舞台となる旅館の新人従業員。

 被害者役である。なんかの巻き添えで開始20分くらいで死ぬ。

 それはもう楽しそうに死んでいた。
 何度リテイクを喰らったか知れない。放映当初はモデル界で名の知れた「あの高垣楓」がこうなるものかと、社内外で物議を醸したようである。
 モデル部門にも話は通しておいたが、「働きすぎてついに正気を失ったか」と囁かれてもまったく文句の言えない所業であった。
 クランクアップ後にロケ地の温泉に浸かり、日本酒を傾けながら彼女は言ったものだ。

 ――たまには、死ぬのもいいものですねぇ。

299 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/05(木) 01:13:55.89 ID:9I+qLSeE0

   〇


 それから、色んなことがあった。
 本当に、数え切れないくらいの色んなことが。



「今日付けでこの部署の専属アシスタントとなりました、千川ちひろです。よろしくお願いします♪」
「はい、こちらこそよろし…………は?」

 うちの部署が記されたナンバープレートを掲げ、見慣れた事務員がにんまり笑っていたり。


「おッッッッッ前マジ早く言えそういうことはマジでお前!!!」
「高垣!? 高垣楓ってあの!? Pさんマジで引き抜いちゃったのか!!?」
「痛い痛い痛い折れる折れる折れる!!」

 馴染みの居酒屋で、同僚たちに祝福だかリンチだかわからないやつを受けたり。


「それでそれで、結局どうなったの? 君と楓ちゃんはどういうアレなの?」
「な〜によもう隅に置けないわねぇあの子も! ほらほらお姉さん達に白状しちゃいなさい黙秘権は認めないわよ!」
「いやだからそういうのじゃありませんて近い近い近い近い」

 何かの折の飲み会で、川島さんら先輩アイドルに厄介な絡み酒を喰らったり。

300 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/05(木) 01:15:24.53 ID:9I+qLSeE0

「君のお父上から電話があったよ」
「それは……仕事についてでしょうか?」
「いいや、ただの近況報告さ。色々と懐かしい話をした。……元気そうで何よりだ」

 激務の合間に、部長と缶コーヒーの乾杯をしたり。


「時にはこのように街に出て、スカウトを行うこともあります」
「なるほど……」
「これにはお伝えできるノウハウはありません。ただ、直感だけが頼りとなります。貴方の目で、輝きの原石を見つけ出してください」
「わかりました。当たって砕けろの精神ですね。……あと」
「はい……?」
「……後ろでこっちガン見してるの、警察の巡回じゃありません?」
「!?」

 スカウトの心得を実地で教わっていたところ、ポリスのお世話になりかけたり。


「なるほど。君が新しく設立された部署のプロデューサーか」
「よ、よろしくお願い致します。私は――」
「いや、いい。有能であれば名前は嫌でも覚える。今後とも励みたまえ」
「はい! ……え? な、何ですかこれ?」

 会社の偉い人から、なんか飴貰ったり。

301 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/05(木) 01:19:52.26 ID:9I+qLSeE0

 始まりは、デスクの他にはダンボールばかりの、資材倉庫再利用の地下オフィス。
 デビュー当初の高垣さんの仕事は主にバラエティ、旅番組、街頭で着ぐるみを着て風船を配ったりも。
 
 彼女は、自ら進んで「高垣楓」を崩していった。

 美しく、近寄りがたい高嶺の花。そんなイメージを放り捨て、ただ一人の、等身大のアイドルであろうとした。
 俺はそれを全力でサポートした。とにかく何でも仕事を持ち込んだ。クイズ番組で駄洒落を飛ばした時はさすがに血の気が引いたが。


 そういう風にして、季節は巡る。

302 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/05(木) 01:21:19.51 ID:9I+qLSeE0

  〇


 または、忙しさもほんの少し落ち着いた、いつかのある夜のことだったり。


 高垣さんはその夜、上機嫌だった。
 ローカルCMの仕事を一件終え、その流れで久しぶりに飲んでいた。

「夜桜」
「はい?」
「綺麗ですねぇ。八分咲きといったところでしょうか」

 見上げる先には、街路樹の桜。柊さんが従える「あれ」ほどではないが、かなり立派だ。
 冬は終わり、もうすっかり春になっている。
 風は花葉の香りを含んで、酒に火照った顔を涼しく撫で去っていく。

 最初に会った時みたいだなぁ、ということをなんとなく思った。

「昨日、モデル時代からお世話になってる美容師さんと会ったんです」
「そうなんですか?」
「そうなんです。――前より、よく笑うようになったと言われました」

303 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/05(木) 01:22:15.85 ID:9I+qLSeE0

 確かに、高垣さんはこのところよく笑う。時にはふっと穏やかに、時には子供みたいにけらけらと。
 そうした予測不可能な天真爛漫さがウケて、今では若年層のファンも相当数ついている。

 彼女自身が元から持っていた魅力の一部だ。アイドルの仕事は、単にそれを引き出しただけに過ぎない。

 子供っぽくも、神秘的に。「高垣楓」は、そのどちらの面も併せ持つ。どちらか一方だけではいけないのだ。
 そうでしょう――と、俺は彼女の左側の青に内心で語りかける。

「楽しいから、ですね。楽しいんです。私、いま――楽しいなぁ」

 夜空に向かって歌うように告げて、高垣さんはふと足を止める。

「今まで……ずっと、何かを、追いかけていた気がします」
「はい?」
「それが今、何だったのか、わかってきたような」

304 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/05(木) 01:22:51.47 ID:9I+qLSeE0

 彼女は自分で自分の顔に触れた。
 目を閉じて、顔の左側。泣きぼくろを備えた左眼のあたりを撫で、形のいい柳眉、まぶた、長い睫毛にそっと触れて。

 そこに宿る大切なものと、言葉を介さず語り合う気配。

 しばしの間を置き、目を開く。

 まっすぐに俺を見据える瞳は、どちらの色も、どこまでも穏やかだった。


「今なら、歌えそうです」


305 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/05(木) 01:26:18.69 ID:9I+qLSeE0

  ◆◆◆◆


 高垣楓のステージは、街角のごく小さなものだった。

 CDショップのささやかなイベントスペース。ミニライブといった感じで、50人も座れれば上等な方だろう。
 実はずっと待っていた。彼女に歌の仕事はいくつか来ていたのだが、これまでは全て断ってきていた。

 本人が「歌いたい」と言うまで。

 曲を用意して会場を手配し、トレーナーさんを付けてスケジュールを組み、セッティングは当の高垣さんが呆気にとられるくらいのスピードで進む。
 当たり前だ。一分一秒が惜しい。
 他の誰よりも、俺自身がどれほど聴きたかったと思ってるのか。


 会場の入りは、まあまずまずといったところ。
 新人アイドルのデビューと聞いて来た人、たまたま通りかかった人、モデルの高垣楓を知っていた人。
 ほとんどの人は半信半疑。どんなもんかと思っているだろう。暇つぶしくらいのつもりで来ている人もいるだろう。

 彼らは幸運だ。
 これから、最初の証人になるだろう。のちのち自慢できるぞ。あの高垣楓の生歌を最初に聴いたってな。

306 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/05(木) 01:27:18.95 ID:9I+qLSeE0


 舞台が始まる。

 まばらな拍手。

 ステージ衣装を着込んだ高垣さんが、おもちゃみたいな舞台に立って。
 お客さんの一人一人の顔を見て、一礼。

 空気が変わる。彼女は微笑んでいる。

 マイクを握って、息を吸い込み――――



 歌う。



307 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/05(木) 01:28:59.33 ID:9I+qLSeE0

  ◆◆◆◆

 ―― 夜市 桜舞う境内


「ああ……聞こえているわ、楓ちゃん、樒ちゃん」


「…………本当に、いい歌」


「ふふ……ワインでも贈ろうかしら。あの子がデビューした、この年に生まれたものを……」 


308 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/05(木) 01:29:33.43 ID:9I+qLSeE0

  ◆◆◆◆

 ―― 夜市 参道


「あ……♪」


「カナリヤさん、そっちに行ったんですね」


「うん。暖かな、いい風……。素敵な写真が撮れそう♪」

309 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/05(木) 01:30:07.05 ID:9I+qLSeE0

  ◆◆◆◆

 ―― 鹿児島 とある離島


「……ふむー?」


「今、因果のよじれが、どこかにー……」


「……ああ。なつかしき風を感じましてー」


310 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/05(木) 01:30:57.30 ID:9I+qLSeE0

  ◆◆◆◆

 ―― ゆめのなか


「んー…………」


「おうた……ゆらゆら……ぽわぽわ……」


「ふわー……」


311 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/05(木) 01:32:06.41 ID:9I+qLSeE0

  ◆◆◆◆

 ―― ???


「あら? この気配……」


「わぁ……♪ 幸せの流れが、下に注いでますね〜」


「う〜ん……ちょっと遊びに行っちゃおうかしら。ふふっ♪」


312 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/05(木) 01:33:04.82 ID:9I+qLSeE0

  ◆◆◆◆


 裏方まで届く歓声は、小さなハコにはまるで見合わないものだった。
 人はとっくに席を溢れ、フロアを埋め尽くすほどに集まっている。客も、店員も、その音に釘付けだった。
 
 渦中の歌姫は挨拶もそこそこに、逃げるように舞台を後にした。

 引き止める声もあっただろう。彼女が何者なのか知らない客も多かっただろう。
 この出来事は、後に「高垣楓の歌い逃げ」として伝説化することとなる。


「はぁ、はぁ、はぁ……っ」

 帰ってきて息を切らす彼女は、決して嫌だからそうしたのではない。

 どうしようもなかったのだ。身の内に膨れ上がる熱を。
 自分の意思で、自分の歌を歌い上げたその昂揚を。

 歓声はまだ鳴りやまない。顔を上げる高垣さんの額には、玉の汗が浮かんでいた。

313 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/05(木) 01:34:15.29 ID:9I+qLSeE0

「Pさ――」

 ふらっ――

「……! 高垣さん!」

 咄嗟に、よろけた体を受け止める。
 彼女の体は熱かった。

 汗ばむ肌に、熱を帯びた息。けれど辛そうではない、むしろ力強い息吹を感じさせる。

 高垣さんの全身に、まだステージの残響が染み渡っている。
 今の彼女は、神でも仏でもない。
 走り出したばかりの、ただの新人アイドルだ。

「高垣さん。……楓さん」
「……歌、が」
「はい」
「楽しかったんです。みんな、笑っていて。私も……姉さんも」
「はい」
「私……ここに、いたいと思えました。ねえ……『プロデューサー』」

 俺の腕の中で、楓さんが顔を上げる。汗で額に張り付いた汗が生々しい。
 互い違いの色の瞳が、どちらも眩しいほどに輝いていて。

314 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/05(木) 01:35:17.56 ID:9I+qLSeE0

 そして彼女は、優しく笑った。


「私を見つけてくれて、ありがとう」


 そんなの。
 それを言うなら、あべこべだ。
 順序が違う。そのすれ違いがなんとなく「らしい」なと思って、笑ってしまった。
 俺から言わせてもらえば、だってそれは。

「……君が、俺を見つけてくれたんじゃないか」

 あの「人形の夢」は、もう見ない。
 何よりも救い出されるべきだったのは、自分だったのだと思う。

 一年前の春に、あの橋の上で君と出会ってから。

315 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/05(木) 01:36:40.04 ID:9I+qLSeE0

  ◆◆◆◆


 この事務所は、そういう風にして始まった。
 最初は殺風景だったオフィスルームも、徐々に物が増えてきて。
 俺と楓さん、ちひろさんの三人だったのが、新しいアイドルもどんどん加わってきて。


 どこからか、失せ物探しが得意な少女がやって来て。

 やたらツキのいいお茶目なお姉さんが舞い込んで。

 努力家のカリスマハーフ悪魔が加わって。

 自称ネコチャンアイドル(人間)が殴り込んできて。

 すったもんだの末に、ふわふわねむねむな女の子を保護して。

 全裸で震えている女の子を保護したと思ったら本物のサンタで。

 いつか夜市で出会った「写真屋さん」と再会して。

 キュートな笑顔が素敵な頑張り屋さんを迎え入れて。

 犬の散歩をしていたクールな花屋の娘さんをスカウトして。

 明るく元気でパッション溢れる女の子を見出して。


 それから――――

316 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/05(木) 01:38:01.37 ID:9I+qLSeE0
  
   〇


 言っちゃなんだがお上りさん丸出しだった。
 新宿駅の東口広場でデカいリュックを背負い、人ごみに惑う女の子を見つけた。

 最初は親切心からだった。外回りで見かけてしまい、なんか放っておくのも憚られて。
 あの、お困りですか――などとお決まりの声をかけようとして。

「ぽこっ!? ななな、なんでしょうかっ!?」


 あ。


 この子だ、と思った。

 前置きはいらない。名刺を出して、その子に差し出す。
 目をまんまるに見開くその子から、陽だまりのような匂いを嗅いだ気がした。

 だからではないが、確信に近い思いで、言う。

317 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/05(木) 01:39:12.89 ID:9I+qLSeE0



「君、アイドルになってみないか?」



 いつも、いつでも、誰かのそばにいるように。



 〜はじまり〜

318 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/05(木) 01:56:00.13 ID:9I+qLSeE0

〇おまけ 〜 現在:エピローグ


 部署は大きくなった。

 それなりに自信もついた。

 これ以上は無い。と思う。
 頃合いだ。この機を逃してなんとするか。
 決戦の時は近い。おれはやるぜおれはやるぜ。よし今だ、行け今こそ、男を見せろさあさあさあ。


「それで、電柱の陰に20分ですか」
「心の準備をしてるんですよ!」
「そうですか。あら、向こうからおいしそうなもつ焼きの香りが……」
「ああ待って待って行かないで一人にしないで」

 楓さんを必死に引き止める。今行かれたらマジでどうしていいかわからない。

「そんなこと言って、これで何度目ですか?」
「う……いや……それは、言わないでくださいよ」

 あの日から、一度も顔を合わせたことがない。
 理由はただ一つ。「合わせる顔」を整えたかったからだ。

 要するにただのカッコつけだ。そんなのわかってる。が、無手で飛び込んだらそれこそどうなるかわからない。

 伝えたいことなんか、山ほどあるんだ。

319 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/05(木) 01:57:25.41 ID:9I+qLSeE0

「ずっと、スカウトしたかったんでしょう?」
「……はい」
「それなら迷う必要はないじゃないですか。今がその時、ですよ」
「…………はい」
「私の時みたいに、ぐわーっと行っちゃえばいいんです。とーこさんに、とっこーですよ」

 そうか! ……ん? 特攻?

「特攻ってそれ玉砕するやつじゃ」
「あ、赤のれんが私を呼んでます。ちょっと行ってきますね♪」
「ちょおおおおおいおいおいおいそんな殺生な!! マジで一人で行けってんですか!?」

 軽やかに背を向けて、楓さんはウインクした。青い方の目が、いたずらっぽく輝いた。

「向こうで待っていますね。あの時みたいに」

 言うが早いか、霞みたいに消えてしまう。


 ……………………。

320 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2019/09/05(木) 02:01:12.80 ID:9I+qLSeE0


「ふぅぅ〜〜〜〜っ…………」

 何度目かもわからない深呼吸。

 彼女の店は、一応わかっている。教えてもらったから。
 けど入るのはこれが初めてだ。
 俺が店を訪れる時は、彼女に名刺を渡す時だと。そう決意していたから。
 今更何を怖がる。熊本で空を飛んだり、京都でみょうちくりんな結界に閉じ込められたりしたんだ。

 そういうスチャラカなプロデューサー業を越えての今だろう。

 もう、いつかの迷子ではないだろう。


「…………よしっ」

 腹をくくる。大股で歩を進める。

 俺は名刺を一枚取り出し、その喫茶店のドアを、勢いよく開けた。




321 : ◆DAC.3Z2hLk [saga]:2019/09/05(木) 02:07:22.62 ID:9I+qLSeE0
これにて完結です。
字数&期間ともにクソ長いところをお付き合いいただき、本当にありがとうございます。
かなり独自色が強く、これまでのものとも違ったノリのお話でしたが、少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。

各登場人物につきましては、この世界線でのひとつの創作とユルくお考えください。

ありがとうございました。
322 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/09/05(木) 02:39:28.18 ID:ZyQXyL8Vo
乙ゥ〜
素晴らしいですわね
323 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/09/05(木) 04:50:25.43 ID:e6rEtLfqo
乙でした!
PがアイドルLOVEになるまでの成長物語、楽しませて頂きました

やはり服部さんもスカウトですか。繭娘さんが色々とヤキモキしそう
元OLの人や元秘書の人も来たりするんでしょうかねえw
324 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/09/05(木) 06:55:09.13 ID:gi5oBT4o0
乙でした。
責任者はどこか⁉︎
(タイトル的に)
325 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/09/05(木) 07:02:57.35 ID:VUZbe63mo
どこから来たんだこずえと茄子は
瞳子さんのその後も気になるねえ
乙でした
326 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/09/05(木) 10:04:27.27 ID:4LfM9L6XO
長編お疲れ様でした!
よーし、一気読みじゃあ
327 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/09/05(木) 10:41:02.20 ID:eOXwM1jDO


さて、こっひを凌辱してきますか

蛇足ですが、特攻と玉砕は似て非なるものですぜ
328 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/09/05(木) 20:08:18.42 ID:OZ6PI646o
名作たぬき劇場にまた新たな一ページが刻まれたな
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