傘を忘れた金曜日には.

Check このエントリーをはてなブックマークに追加 Tweet

802 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/22(月) 00:52:49.90 ID:zLydDmoho

 七月の末近い土曜日に、茂さんは俺を車に載せてある場所へと連れて行ってくれた。

 高速道路を二時間走った先には、見渡す限りの森と山があった。
 
 俺と茂さんはふたりで森の中へと入り込み、そこでひとつの廃墟を見た。

 草花の気配が古びた建物に侵食して、割れた天窓から差し込む光に、割れたコンクリートの隙間に咲いた花が照らされていた。

「ここだよ」と彼は言った。

「ここがモデルだったんだ」

 どうしてそこに、俺を連れて行きたかったのか、茂さんは話してくれなかった。
 あのとき、あの絵の中で、茂さんは俺の背後に何かを見ていた。

 それはひょっとしたら、かつての自分の姿だったのではないか。
 そんな想像をしたけれど、俺にはどうせ本当のことはわからない。

 何を言いたくて俺をそこに連れて行ったのか。
 ただ、自分がそこに行きたくて、誰かを道連れにしたかっただけなのか。

 本当のことなんて、どうせ俺にはわからない。
 それでいいのかもしれない。

 その森の茂みのなかで、俺は跳ねる二匹の動物の影を見た。
 そこになにかの面影を重ねたけれど、それは単なる俺の感傷なのかもしれない。

803 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/22(月) 00:53:56.45 ID:zLydDmoho

 真中にも釘を差されたけれど、俺は毎夜ノートに向かって自分の文章を書こうとすることをやめなかった。
 
 文章を書けるようになりたい。少なくとも、みんなが書ける程度のものを書けるようになりたい。
 その欲望は、いつしか最初の理由や目標なんて置いてきぼりにして、欲望だけになってしまったような気がする。 

 書きたい、書きたい、という、欲望だけになってしまったように思える。

 純佳はそんな俺に呆れてため息をつきながら、ときどきコーヒーを差し入れてくれる。

 そして朝になると起こしてくれて、弁当まで作ってくれている。

「そろそろ妹離れしてくださいね」
 
 なんて純佳は言う。

 それでも「そうだな」と頷くと、少し寂しそうな顔をするのだ。

 書くのに疲れて窓の外を見てみると、空にはぽっかりと月が浮かんでいる。
 いつか見たときのような恐れのような気持ちは、今は綺麗になくなってしまっている。

 そのたびに俺は何かをなくしたような気持ちになって、なんだか自分が長い夢を見ていたような気分になるのだ。
 あるいは、こんな日常さえもが、ただの夢なのかもしれない。

 本当と嘘の区別なんて、どうせ俺たちにはつきやしない。

 だったら、気にするだけ無駄だ。
 
 そんな夜でも眠ってしまえば朝が来て、杞憂だと言わんばかりにあたりまえの明日がやってきた。

804 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/22(月) 00:55:09.21 ID:zLydDmoho

 部活をサボって屋上で昼寝をしていたある日、真中が勝手にそばにやってきて、寝そべった俺の頭を勝手に自分の膝の上にのせた。

「なんだよ」

「なんでもないよ」

 気にしないで、と真中は笑った。

 感情表現が豊かになった真中は、近頃めっきりモテるようになった。

 嘘から出た真で恋人になった俺としては頭の痛い事実だが、今のところ、不届き者は現れていない。

「もしそんなことになっても、せんぱいじゃ相手が悪すぎるよ」

 と、真中が照れもなくそんなことを言うので、

「そりゃあ買いかぶり過ぎだろう」というと、そうではない、と首を横に振って、

「せんぱいは手段を選ばないから、かわいそう」

 手段を選ばない。まあたしかに、そうなのかもしれないな、と俺は思った。
 
 その日はとてもいい天気で、俺はそれが、世界の終わりか始まりか、そのどちらかのようにさえ思えた。
 
 けれどそれはあくまでも、どこまでも地続きの日常の一端で、
 だから俺はほっとして、真中の膝の上で眠った。

「夏だね」

 と、真中がそう呟くのが聞こえて、俺は思わず笑ってしまった。

 いつのまに、こんなに明るいところまで来ていたんだろう。

 
805 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/22(月) 00:56:17.49 ID:zLydDmoho



 夏休みに入ってすぐのある日、瀬尾がみんなに召集をかけた。

 みんなというのは文芸部のメンバーだけでなく、ましろ先輩やちどりや怜、更にはさくらまでもを含む『みんな』だった。

 真中とちせが誘ったというので、コマツナまでが来ていたくらいだ。

「お邪魔してよかったんですかね」とコマツナが遠慮していた様子だったが、気にするような奴はひとりもいない。

 瀬尾が俺たちを呼びつけたのは、今となっては廃校寸前というくらい生徒数が減少してしまった小学校、
 の、旧校舎だった。

 野草の生い茂るグラウンドと、周辺を囲うような雑木林のせいで、あたりから隠されているような気さえする。

 俺と大野は瀬尾に言われて背負っていたリュックサックを下ろすように命じられた。
 彼女はその中からいくつものおもちゃの水鉄砲を取り出した。

「……それは、なに」

「水鉄砲」

「見ればわかる」

「見てわかるなら、しようとしてることもわかるはず」

「……何歳だよ」

「楽しそうでしょ?」

「正気か?」
 
 と言って周囲を見ると、みんなはやれやれという顔をした。

「……なんで誰も文句言わないんだ?」

「三枝くん以外、みんな何するか知ってたからね」

「……こいつら全員ノリノリなの?」

 試しに周囲を見てみると、それぞれがそれぞれに自分の得物に手をつけていた。

806 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/22(月) 00:56:44.01 ID:zLydDmoho

「……なんだってこんなこと」

「楽しそうでしょう?」

「そりゃ……」

「ね、三枝くん」

「ん」

「もっと、楽しんだほうがいいよ」

 そう言って、瀬尾はからりと笑う。
 
 もう、むこうに逃げ込んでいたときの瀬尾とは違う。
 こんなこと、たしかにちどりは言い出さないだろう。

 瀬尾はもう、瀬尾青葉になったのだ。

「……本気かよ」

「チーム戦。じゃんけん、グーパーね」

 それで俺たちは、日が暮れるまでずぶ濡れになって踊るみたいに遊ぶことになった。
 その日は綺麗に晴れていて、俺達は馬鹿みたいに笑った。

 帰り道の途中で、不意の夕立ちに降られても、俺たちはとっくにずぶ濡れだったから、馬鹿みたいにはしゃいだままだった。
 
 たぶん、この日のことを思い出すとしたら、俺はきっと、その、雨に濡れた瞬間のことを、思い出すんじゃないだろうか。
 ずっとあとになって思い出す瞬間があるとしたら、きっと、そういう瞬間なんじゃないだろうか。

 みんなの濡れた髪や服や、遠くの山に被さる黒い雲の隙間の夕焼けのことなんかを。

 やがて、ずっとずっとあとになって、何もかもが過ぎ去ったあとに、ふと思い返すのだとしたら。


807 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/22(月) 00:57:11.33 ID:zLydDmoho



 部室の隅の戸棚の中に、俺達の書いた『薄明』も並べられる。
 これからも俺たちは『薄明』を並べるだろう。

 そのたびに、いくらかの注意を要するかもしれない。
 その懸念はあるけれど、俺はあまり悲観も心配もしてはいなかった。

 いつか、この『薄明』を他の誰かが読むことになるのだろう。

 俺たちがそうしたように、いずれ誰かの目に留まるのだろう。

 それはべつに、俺達の痕跡になるとまでは言えないだろう。
 佐久間茂の『薄明』のような例もあるのだから。

 それでもこれを読んだ誰かは、俺達がここにいたのだと想像するのだろうと思う。

 誰かがこれを見つけるだろう。

 この古い戸棚は化石を隠した地層のように堆積していく。

 それはかつて現在だったもの。更に前には未来だったもの。そして今となっては過去になってしまったもの。
 これから過去になっていくもの。

 俺たちは、そのときちゃんと、誰かにとっての何かになれるだろうか。 
 そんなことを、俺はときどき考える。

808 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/22(月) 00:57:43.92 ID:zLydDmoho




 たとえば当たり前に季節が変わり、
 船が積荷を載せ替えるように、人々が入れ替わったとしても、
 また桜が咲いて、その中で誰かが孤独だったとしても、
 あるいは、孤独であるからこそ、誰かが彼女を見つけるだろう。


809 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/22(月) 00:58:18.56 ID:zLydDmoho




「もう部活決めた?」

「まだ」

「いろいろあって悩んじゃうよねえ。文化系だっけ?」

「ん。美術部か、写真部か……文芸部にしようかな、と」

「ふうん。なんでその並び?」

「……サボりやすそうだし」

「あはは。文芸部って言えば……この学校の文芸部、変な噂があるんだって」

「噂?」

「なんでも……桜の精霊が……」

「ええ、このご時世にそんな噂?」

「でもなんか、先輩たちが話してるの聞いたんだもん。見える人もいるんだって」

「ふうん……。まさか、信じてる?」

「んー。わたしは自分が見たものしか信じないからなあ」

「友情も愛情も信頼も? 寂しい生き方だね……」

「こら、勝手に人を寂しいやつにするな。そういう意味ではない」

810 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/22(月) 00:58:47.78 ID:zLydDmoho

「わかってるよ。……あ」

「ん。どったの」

「校門のところ。誰か立ってる」

「ん?」

「ほら。桜の下……」

「……どこ?」

「え?」

「誰もいないよ……?」

「……そう、なの?」

「うん」

「気のせいかな……」

「……ひょっとして、からかってる?」

「まさか。……早く行こう。移動教室、遅れちゃうよ」


811 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/22(月) 00:59:50.53 ID:zLydDmoho




 文芸部室の壁には、一枚の絵が飾られている。

 淡いタッチで描かれたその絵は、線と線とが溶け合いそうになじんでいて、ふちどりさえもどこか不確かだ。
 けれど、描かれているものの境界がぼやけてわからなくなるようなことはない。

 鮮やかではないにせよ、その絵の中には色彩があり、陰影があり、奥行きがあった。
 余白は光源のように対象の輪郭をぼんやりと滲ませている。
 その滲みが、透明なガラス細工めいた繊細な印象を静かに支えていた。

 使われている色を大別すると、三種になる。青と白と黒だ。
 絵の中央を横断するように、ひとつの境界線がある。
 
 上部が空に、下部が海に、それぞれの領域として与えられている。

 境界は、つまり水平線だ。空に浮かぶ白い雲は、鏡のような水面にもはっきりとその姿をうつす。
 空は澄みきったように青く、海もまたそれをまねて、透きとおったような青を反射する。

 海と空とが向かい合い、それぞれの果てで重なり合うその絵の中心に、黒いグランドピアノが悠然と立っている。
 グランドピアノは、水面の上に浮かび、鍵盤を覗かせたまま、椅子を手前に差し出している。

 ある者は、このピアノは主の訪れを待ち続けているのだ、と言う。
 またある者は、いや、このピアノの主は忽然と姿を消してしまったのだ、と言う。そのどちらにも見えた。

 その絵は、世界のはじまり、何もかもがここから生まれるような、無垢な予兆のようでもあったし、
 何もかもがすべて既に終わってしまっていて、ただここに映る景色だけが残されたのだというような、静謐な余韻のようでもあった。

 そこに映る景色には、誰もいない。今はもう誰もいない。

 けれどそれは、たぶん絶望ではなかったのではないか。今になって、そんなことを思う。
 そこには誰かがいたのかもしれないし、これから現れるのかもしれない。

 だからこそ、この絵は、予兆のようでも余韻のようでもあるのかもしれない。

 たとえばすべての部品が入れ替わってしまった船があるとしても、
 その船を形作ってきた部品たちが、朽ちてしまったとしても、これから朽ちていくとしても、
 それは存在しなかったわけではない。

 たとえ描いた人間がそう思っていなかったとしても、そういう嘘を、信じてもいいような気がしている。

812 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/22(月) 01:00:16.76 ID:zLydDmoho
おしまい
813 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/04/22(月) 01:07:28.17 ID:HRfqi1PA0
乙でした
怜の案内人のこととかってよく読み返したらわかるんだろうか
814 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/04/22(月) 06:47:12.95 ID:D+ZRSQp00
1年間、ここの更新を確認するのが日課でした
おつかれさまでした
815 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/04/22(月) 06:48:55.68 ID:2q9uPnj20
おつでした
816 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/04/22(月) 08:17:24.70 ID:9DNGlqwnO
乙でした〜
まだ理解できなかったところがあるので
読み返します〜!
あと最後の方の後日談っぽい感じが良かったです!
817 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/04/22(月) 16:53:24.99 ID:4zgMi7zSO
818 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/04/22(月) 20:16:24.47 ID:2zM9mCL8O
おつです。
いい作品を読ませてもらって感謝です。ゆっくり読み返しますわ。
819 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/04/22(月) 23:51:22.91 ID:SBeiMLGB0
おつです。お疲れ様でした!
820 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/04/23(火) 00:40:25.88 ID:Ap7DvQ/Lo
おつです。
平成最後の名SSをありがとうございます。
821 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/04/23(火) 00:48:12.15 ID:0NhWc7w90
おつでした。書いてくれてありがとう。
822 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/04/23(火) 18:55:05.75 ID:iiyQ+TdOO
おつ
823 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/04/25(木) 04:41:11.54 ID:Mbgu3+v2O
出遅れた!終わっとるやんけ!
リアルタイムで追えて良かったです。
お疲れ様でした
824 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/06/29(土) 19:46:39.17 ID:Qp0aUxZmo
また気が向いたら書いてください
応援しています
584.45 KB Speed:0.3   VIP Service SS速報VIP 更新 専用ブラウザ 検索 全部 前100 次100 最新50 新着レスを表示
名前: E-mail(省略可)

256ビットSSL暗号化送信っぽいです 最大6000バイト 最大85行
画像アップロードに対応中!(http://fsmから始まるひらめアップローダからの画像URLがサムネイルで表示されるようになります)


スポンサードリンク


Check このエントリーをはてなブックマークに追加 Tweet

荒巻@中の人 ★ VIP(Powered By VIP Service) read.cgi ver 2013/10/12 prev 2011/01/08 (Base By http://www.toshinari.net/ @Thanks!)
respop.js ver 01.0.4.0 2010/02/10 (by fla@Thanks!)