傘を忘れた金曜日には.

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675 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/03/17(日) 11:29:03.48 ID:CSFZJr2GO

ニヤニヤする
676 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/20(水) 00:35:35.25 ID:5P8sYMU/o





 部室に行くまでのあいだ、真中はずっと俺の制服の裾を掴んですぐ後ろを歩いた。


677 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/20(水) 00:36:33.31 ID:5P8sYMU/o



 部室についてからも、真中は制服の裾を離さなかった。
 
 大野と瀬尾と市川は既にそこにいて、それだけで察したみたいに何も言わなかった。

「歩きにくい」

「恥ずかしいの?」

「それもある」

 なんて会話を、俺は沈黙が広がる文芸部室のなかで繰り広げなければいけなかった。

 俺は荷物を机の上に置いてから、部室の隅の戸棚に近寄る。
 
「どうしたの?」

「調べ物」

 そう言って俺は『薄明』の平成四年版を手に取る。

 茂さんが作り上げた架空の書物、架空の文芸部、架空の歴史。
 今から俺はそれを足がかりに、大掛かりな嘘をつかなければならない。

678 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/20(水) 00:37:01.86 ID:5P8sYMU/o


 手にとって読んでみても、やはりそれをひとりの人間が作り上げたのだという感じはしなかった。
 収められている文章はどれもこれも巧拙や筆致に差異があるように見える。

 つまり、彼はそれほどの書き手だったということだろう。

 それだけのことが俺にできるだろうか?

 わからない。

 とはいえ、今重要なのは、そんなことではない。

 問題はひとつ。

 佐久間茂が作り上げたこの『薄明』のなかに、どんな物語が隠されているのか、だ。

 なのだが。

「……真中」

「ん」

「近い」

「うれしい?」

「……」

 うれしくないこともなかったが、集中できない。

「今日はあっついねー」と瀬尾があからさまにわざとらしいことを言う。

「夏だからな」と大野が答えた。
 
 市川は黙ってノートに絵を描いている。

679 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/20(水) 00:37:34.16 ID:5P8sYMU/o

 ……とりあえず、『薄明』に視線を下ろす。

 平成四年度に発行された部誌は全部で四冊。
 春季号、夏季号、文化祭特別号、冬季号。

 そのうち、佐久間茂という名前があるのは、春季号と夏季号のふたつのみ。
 以降のふたつには彼は参加していない、ことになっている。

 読むものが読めば、春季号と夏季号に佐久間茂が寄稿した文章は盗作だとはっきりわかる。
 だからこそ、茂さんは、佐久間茂の名前を文化祭特別号以降には載せなかった。
 
 この一連の捏造された事態にはひとつのメッセージがあるように受け取れる。

 これは、『佐久間茂の作品は盗作である』という宣言だ。

 そして、佐久間茂の作品というのは、この四冊の『薄明』を指し示しているともとれる。

 何の盗作なのか?
 
 もちろん本人に聞くのが早いけれど、既に俺はその答えを知っている。
 
『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』。

 彼は、ボルヘスのあの短編の着想を模倣し、それによって架空の部員たちの存在を捏造した。

 これはもちろん、本来ならば紙の上で起きただけの出来事にすぎない。
 けれど、本当にそれだけで済んだのだろうか。

680 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/20(水) 00:38:00.65 ID:5P8sYMU/o

 机の上に並べた『薄明』に順番に目を通しながら、俺は考える。

 佐久間茂の想像に過ぎない『むこう』は、その存在を現実に映し出し、今にまで影響を与えている。
 それによって、瀬尾青葉がこの場にいて、さくらが生まれ、カレハも生まれた。

 だとすれば、佐久間茂が捏造したこの部員たちは、現実に何の影響も与えなかったのだろうか?

 もちろん、部員たちが本当に生み出されたというようなことはなかっただろう。……おそらく。
 少なくとも茂さんは、そんなことを言っていなかった。

 だが、他の部分はどうか?

 たとえば、茂さんが言っていた、この部誌に仕込まれた『物語』。

 たとえばそれが、なんらかの形で現実に影響を与えたということは、ないだろうか?

 たとえばそれが……。

 ──さくらはいつのまに、守り神なんかになっちゃったんだろうね?

 他の何かと噛み合ってしまった、ということは、ないだろうか。

681 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/20(水) 00:38:33.51 ID:5P8sYMU/o

 じっくりと目を通しているうちに肩が凝ってくる。
 そもそも俺は文章を読むのが得意ではない。

 こんな調子でやっていけるかどうか不安だけれど、俺は約束してしまった。

 さくらの居場所の作り方なんて、正直なところ見当もつかない。

 そもそも、どうなったらさくらの居場所ができたことになるのかもわからない。

 それでも俺は大言壮語を吐いてしまった。今更飲み込み直すこともできない。

 少なくとも……彼女が甲子園を見に行けるくらいにはしてやらないといけない。

682 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/20(水) 00:39:53.56 ID:5P8sYMU/o

 と、少し休憩しているところで、真中がじっと俺のことを見ていることに気づく。

「……なに」

「なんでもない」

 なんとなく変な気分で、俺は両手を机の下に垂らすように伸ばした。

 すると真中は、不思議そうな顔で俺の手の甲に指先で触れた。

 ほんの少しなぞるような感触に、肌がざわつくみたいに動揺した。

 何かを言いそうになったけれど、どうしてか声を出せない。
 周囲の様子をうかがうと、みんなそれぞれが別々のことをしていて、こちらを気にする様子はない。

 真中もまた、みんなの様子をたしかめたあと、静かに俺の手に視線を戻して、指先だけでたしかめるように俺の手を撫でた。
 
 俺が文句を言わないのを見て取ると、真中の指の動きはそれまでよりも大胆なものに変わった。
 手の甲全体を手のひらで包むように動かし、かたちをたしかめるように何度も往復する。

 くすぐったい。

 彼女はテーブルの上に載せた本をもう片方の手でもって、何食わぬ顔でそちらに視線を向けている。

 負けてたまるか、いや、何に負けたことになるのかはわからないけれど、などと考えながら、俺は視線をページに戻す。
 真中はまるで俺の我慢を試すみたいにしばらくその動きを続けた。
 
683 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/20(水) 00:40:49.40 ID:5P8sYMU/o

 
 やがて彼女の指先が、俺の手のひらの内側に忍び込んでくる。
 彼女の指が、俺の指の一本一本の根本の間を、爪の先でひっかくみたいにくすぐる。
 
「……」

 当然、俺は集中できないけれど、真中は片手で器用に文庫本のページをめくった。
 指先が絡められる。

 ああもう、と俺は思った。

 彼女の指と指の間に、自分の指を滑り込ませ、黙らせるみたいに握ってやると、一瞬真中が驚いたのが手のこわばりだけでわかる。

 それでも真中はかたくなに手を離さず、顔色も変えない。
 こういうことに関しては、真中は慣れきっているのだ。

 それは俺だって同じだ。数年間ずっと、葉擦れの音が聞こえ続けるなかで生活してきたのだから、さして難しくない。
 そのはずだ。

 真中はしばらく、俺の手の中でじたばたあがくみたいに指先を動かしていたけれど、やがて諦めたみたいにされるがままになった。
 ようやく静かになった、と思って、俺と彼女は互いの手のひらをそのままに、それぞれに文章を読み始めた。

 
684 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/20(水) 00:41:17.02 ID:5P8sYMU/o




 佐久間茂の文章の物語。仕掛け。

 それはさして難しい秘密ではなかった。
 別人名義の編集後記や、ところどころの短編小説や散文に、その影を推し量ることができる。

 当然、さまざまな人間が書いた文章という体裁なので、全体像を把握することは難しい。
 
 それでもはっきりと、隠された物語を見つけ出すことはできた。

 それは、『守り神』についての話だった。
 人と人とを結ぶ縁の神。

 少女の姿をした神様は、普段は制服姿で生徒たちの間に隠れ、ひっそりと人々の縁を結ぶ手伝いをしている。
 彼女は誰からも見ることができず、彼女の声は誰にも聞こえず、彼女は学校から出ることができない。

 校門近くの大きな桜の樹。その樹の精だという噂もある。

 その精霊の噂話が、あたかも本当に生徒のあいだでまことしやかに語られていたかのように、ところどころで触れられている。

『さくら』はましろ先輩の空想の友達だ。それはたしかだろう。
『さくら』を連れたましろ先輩が『むこう』に行ったことでカレハが生まれたのだとしたら、そうだ。

 だとすれば、『さくら』が生まれたのは……。

 佐久間茂の書いた『薄明』。
 ましろ先輩の『空想の友達』。
 そして、『夜』と『むこう』。

 その三つが複合的に絡み合った結果なのではないか。
『夜』によって叶えられた『むこう』。そこに踏み込んだ『ましろ先輩』。その『空想の友達』。
 そしてその『空想の友達』、眠っていた空想の友達が、ましろ先輩がこの学校に入学したことで、
『守り神』としての形を持って再構成された。

 ──わたしはこう思ってる。さくらはあの学校にずっと居たわけじゃない。
 ──あの学校にずっと居た、という記憶を持って、ある日突然あらわれたんだって、そう思ってる。

 やはり、ましろ先輩が言っていたとおりなのだろうか。

685 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/20(水) 00:41:55.26 ID:5P8sYMU/o

「……いや」

 と、思わず独り言を言うと、瀬尾がちらりとこちらに視線をよこした。

「なんでもない。少し考え事だ」

「……そ?」

 納得のいかないような顔だったけれど(俺は瀬尾に隠し事ができないらしいので仕方がない)、あえて何も聞いては来なかった。

 ……だとすると、カレハはどうなる?

 カレハが生まれたのは、ましろ先輩がむこうにいったとき、そのはずじゃないか。

 ……。
 けれど……。

 そもそもカレハは、どうして、瀬尾がいなくなった頃に、俺の前に姿を見せたんだろう。

 むこうの俺は、六年前からずっと、あの場所に置き去りだったはずだ。
 そのときからカレハが居たなら、カレハが俺の前に現れるのは、もっと前でもよかったはずだ。

 だとすると、こうだ。

 まず、『俺がさくらを見つけた』。
 
 そして、『カレハがむこうの俺の前に現れた』。

 カレハもまた、ずっとあっちに存在していたのではなく……。
 俺がさくらを見つけたから、俺の前に現れることができるようになったんじゃないのか?

 ……さすがに、頭が混乱してきて、パイプ椅子の背もたれに体重を預けて息をつく。

 この仮定が本当だったところで、どう判断したものか。
 ふと、真中が俺の手をぎゅっと握った。俺はされるがままにしておいた。

686 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/20(水) 00:42:22.38 ID:5P8sYMU/o
つづく
687 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/03/20(水) 00:51:19.82 ID:hZv4zwpOo
おつおつ
続きが気になる
688 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/03/20(水) 10:08:34.49 ID:B6sQ61W+0
おつです
689 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/03/20(水) 22:37:06.01 ID:36JIBwBg0
おつです
690 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/27(水) 22:36:50.49 ID:zBDZg6OAo





「ね、三枝くん。お願いがひとつあるんだけど、いいかな」

691 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/27(水) 22:37:17.74 ID:zBDZg6OAo



 部活を終えて帰ろうという段になったとき、瀬尾にそう声をかけられて、俺はいくらか面食らった。

「いいけど……なに?」

 瀬尾はほんの少しためらいがちに、俺の近くにいた真中を見る。
 真中の方はそのまま瀬尾を見返していた。

「……お願い?」

 なんとなく硬直した空気をいさめるつもりで俺が聞き返すと、瀬尾はこくんと頷いた。

 うなずいてからも、瀬尾は言いにくそうにもじもじと視線をそらしている。
 瀬尾が俺に頼み事をするのも珍しいが、こんなふうに落ち着かない様子でいるのも珍しい。

「お願いって?」

「えっとね……」

「うん」

「……せんぱいって」と、黙っていた真中が口を挟んだ。

「ん」

「青葉先輩にはやさしいよね」

「……」

 俺と瀬尾はそろって真中の方を見た。

「……なんでそうなる」

692 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/27(水) 22:37:44.97 ID:zBDZg6OAo

「だって、そんな感じするし」

「そんなことないと思う」

 と、瀬尾と俺の声は揃った。

「……失礼なやつだな」

「や、べつにそういう意味じゃなくて……」

「どういう意味だよ」

「三枝くんはみんなに優しいじゃん」

「……」

 俺と真中は顔を見合わせた。

「……せんぱい、どんな弱みを握ったの?」

「俺はどんな人間だと思われてるんだ?」

「……わたし変なこと言った?」

 瀬尾は不思議そうに首をかしげた。
 
「変というか……」

 俺が何かを言うのも違う気がして、話を戻す。

693 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/27(水) 22:38:15.70 ID:zBDZg6OAo


「で、結局お願いってなに」

「あ、うん」

 そこで瀬尾は真中の方をちらりと見た。

「……わたし、邪魔?」

「邪魔だってさ」

「や、や。邪魔ってことはないけど」

「いい。せんぱい、今日は先帰るね」

「はいはい」

 俺のうなずきを待たずに、真中はあっさりと去っていった。
 相変わらずのペースで、かえって面食らってしまった。

694 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/27(水) 22:38:47.56 ID:zBDZg6OAo


「……えっと、ふたり、どうしたの?」

 瀬尾にそう訊ねられても、俺はうまく答えられずに肩をすくめるしかない。

「どうというか……まあな」

「あらためて付き合うことになったの?」

「そう言っていいものか」

「よくわかんないね」

「複雑なんだ」

 まあとはいえ、事実だけを言えば、俺から告白したようなものか。
 
「よかったの? 帰らせちゃって」

「真中がいたら話しづらい話題なんだろ」

「そうだけど……」

「変な気を使うな」

「……さっきまでベタベタしてたくせに」

 それはまあ、そうなのだろうけど、ここで真中を追ったところで、良いビジョンがあまり見えないのが不思議なところだ。

『今日は先に帰るね』と真中は言った。
 
『また今度一緒に帰ろう』という意味だろう。

 経験上、そういう意味だと思う。

 それからたぶん、このあとに起きることも聞かれるのだろう。
 不思議なものだ。

695 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/27(水) 22:39:28.41 ID:zBDZg6OAo


 と、思っていたところで、携帯がポケットのなかで震えた。

 真中から、

「ばか」

 と来た。

「……」

 ごめんと返すと、またすぐに、

「節操なし」

 と来る。

「はくじょうもの」

「うわきもの」

「ごめんて」

「ゆるす」

 許すんだ。

 良い子かよ。

「良い子」

「えへへ」

 ……えへへってなんだ。誰だこれ。

696 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/27(水) 22:40:03.26 ID:zBDZg6OAo

 とりあえず対応に困ったので、返信をせずに携帯をしまう。

 それから瀬尾のほうに向き直った。

「それで?」

「あ、うん……。連れてってほしい場所があるんだ」

「……ふむ」

 まあ、ちょうどいいと言えばちょうどいい。
 俺も瀬尾に話さないといけないことがある。

 ちせと、ましろ先輩。
 それから……市川にも。

 とはいえそれはひとつひとつだ。

「じゃあ、とりあえず行くか」

「……うん」

697 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/27(水) 22:40:35.59 ID:zBDZg6OAo



「……えと、ね」

 校門を抜けたところで、瀬尾は言いにくそうに口を開いた。

「どうした」

 と訊ねても、やっぱり困ったような顔をするだけだ。

 甘えるような目でこちらを見ている。
 
「なんだよ」

「ちょっとまってね」

 と言って、瀬尾は深呼吸をした。

「まだ、迷ってる部分もあって……」

「……ふむ」

「えと……」

「うん」

 こんな瀬尾も珍しいな、という気持ち以上に、もっと不思議な違和感のようなものがある。
 この感覚を俺は知ってる。

「……『トレーン』」

「え?」

「『トレーン』に、連れて行ってほしいの」

698 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/27(水) 22:41:06.63 ID:zBDZg6OAo

 ああ、そうだ、と俺は思った。
 
 今の瀬尾は……さっきの言葉も、そうだ。

 ちどりに似ている。どことなく。

「ほんとはすごく迷ってるの」

「……だろうな」

「だけど、でも……そうしないと、進めない気がする」

 進むって、どこに。

 そう訊ねたかったけど、やめた。

「だけど、ひとりじゃいけない。だから……」

「俺に付き合えって?」

「……だめかな」

「……駄目じゃないよ、べつに、もちろん」

「そ、そう?」

 瀬尾がいいなら、いいのだろう。

「瀬尾は……」

「ん」

「すごいな」

「……なに、急に」

「あとで牛乳プリン買ってやるよ」

「……それ、約束だからね」

「俺は嘘をつかない」

「……それは嘘」

 瀬尾はぎこちなく笑った。
 
699 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/27(水) 22:42:02.76 ID:zBDZg6OAo
つづく
700 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/03/27(水) 22:48:49.95 ID:dLSrOJbU0
おつです
701 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/03/28(木) 00:08:15.15 ID:FYh3U4650
おつん
702 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/03/28(木) 16:48:26.65 ID:aAjGkucG0
おつです
703 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/02(火) 23:12:22.89 ID:DGAy5fz9o




『トレーン』の扉を開けるといつものようにベルが鳴る。

 夕方の店内には、何人かの客の姿があった。応対をしていたマスターは、ちらりとこちらに目を向けると静かに笑った。

「いらっしゃい」

 瀬尾は俺の背中に隠れ、店内の空気をたしかめるように呼吸をした。

「どうも」とだけ声をかけて、俺は奥のテーブル席へとむかう。
 瀬尾は黙ったまま俺を追いかけた。

 席についたところへ、いつものようにちどりがやってきた。

「いらっしゃい、隼ちゃん」

 そう言って、いつものように俺を見てから、瀬尾の方へと視線をうつし、
 その表情が不可解そうに揺れた。

 なにか不思議なものを見たような、
 そんな顔だ。

「……あ、えと。お友達ですか?」

「ん。まあな。……忙しそうだな」

「ええ、まあ、いつもよりは、少し」

「そうか」

「注文は……」

「ブレンド。瀬尾は」

「あ、同じで」

「かしこまりました」

 そう言って、ちどりは小さくお辞儀して去っていく。

704 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/02(火) 23:13:12.56 ID:DGAy5fz9o

「……」

「ずいぶん緊張してるな」

「まあ、ね」

 来たいというから連れてきたものの、俺は瀬尾が何をするつもりなのか知らない。
 ちどりはもちろん、茂さんも瀬尾の存在を知らない。
 
 茂さんなら、瀬尾を見れば何が起きたかを感づくだろうか。

 それもそうかもしれない。
 俺はひょっとして、瀬尾をここに連れてくるべきではなかったのか。

 ……いや。

 瀬尾青葉の判断は、瀬尾青葉の判断だ。

 俺がどうこうできるものじゃない。

 ましてやそれは、ややこしい変な出来事のせいで制限されていいものでもないはずだ。
 おそらくは。
705 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/02(火) 23:13:51.17 ID:DGAy5fz9o


「……」

「なんか、顔赤いな」

「ん。や、まあ……」

「どうした」

「や。……ほんとに敬語だったなあって」

 恥じ入るみたいに、瀬尾はテーブルに両肘をついて顔を手のひらで覆った。

「……なんでおまえが恥ずかしがる」

「……三枝くんにはわかりませんことよ」

「そりゃ、べつにいいけどな。いいじゃないか、敬語」

「そう?」

「似合ってる」

「そうですか?」

「……」

「……」

「似合わないな、不思議と」

「不思議ですね……」

 ちょっとやけになっているみたいだった。

706 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/02(火) 23:14:19.30 ID:DGAy5fz9o

「それで……?」

「ん……」

「どうする気でここにきたんだ」

「ん。まあ、いろいろ考えてたんだけど。ひとまず……忙しそうだし、あとにしよっか」

「……」

 忙しそうだし、というからには、やはりちどりと話したいのか。
 いや、話してみたいのか。

 それはそう、かもしれない。

 瀬尾にとってちどりは可能性そのものだ。

「それより、三枝くんこそ、わたしになにか話があるんじゃないっけ」

「……俺、そんなこと言ったっけ?」

「あれ、言ってないっけ?」

「まあ、あるのはホントだけどさ」

 言ってなかったとしても、瀬尾とももう長い付き合いだ。
 こいつなら見透かしてもおかしくないかもしれない。

 今となっては瀬尾は、俺を取り巻く状況について、いちばん知っている人間だとも言える。

707 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/02(火) 23:14:50.03 ID:DGAy5fz9o

「さくらのことだ」

「さくら……」

 瀬尾は、一瞬きょとんとした顔になって、

「あ、さくら!」

 と、声をあげた。周囲の客がこちらに視線を寄せてくる。俺は唇の前に人差し指を立てた。

「声が大きい」

「ごめんなさい」

「素直でよろしい。覚えてるみたいだな」

「ん。今の今まで忘れてた。戻ってきてから、わたし、姿を見てないよ。……見えなくなっちゃっただけ?」

「いや。たぶん、姿を見せてないだけだろう」

「……そうなの?」

「ああ。さくらはいる」

「……そっか。すっかり、頭から抜けてた。……うん。さくらね」

「そう。さくらのこと」

「……さくらが、どうかしたの?」

「ま、いろいろあったんだけど、ややこしいから過程は省略する」

「省略するんだ」

「説明が面倒でな」

「……ま、三枝くんらしいけどさ。それで?」

708 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/02(火) 23:16:03.05 ID:DGAy5fz9o


 説明、そう、説明だ。
 それが必要だ。……俺に、できるだろうか。

 そもそも俺は、自分が何をしようとしているのか、ちゃんと理解できているのだろうか。

 目的。

 さくらの居場所を作る。

 手段。

“夜”を利用する。

 さくらの居場所をこの世界に書き足す。

「……『薄明』を作りたい」

「……ん。なに、突然」

「フォークロアを作る」

 俺の言葉に、瀬尾は目を丸くした。

「ごめん、順番に説明してくれる?」

「……だよな」

 まあ、仕方ない。話せる部分だけ、話してしまおう、と、そう思ったところで、声をかけられた。

709 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/02(火) 23:16:41.51 ID:DGAy5fz9o

「おまたせしました。ブレンドふたつですね」

 ちどりがやってきた。

 俺と瀬尾が話している間に、客は少しずつ減っていた。
 周囲を見ると、いくらか落ち着いた雰囲気だ。

「……あの、鴻ノ巣ちどり、さん?」

 不意に、瀬尾がそう声をかけた。

「……あ、はい」と、戸惑ったふうに、ちどりが返事をする。

「あの、わたし、瀬尾青葉っていいます」

「……あ、はい。はじめまして、ですよね」

「……うん。三枝くんから、いつも話は聞いてる」

「……ほんとに?」

 と、なぜかちどりは俺を見た。

「なんで」

「だって、隼ちゃんが誰かにわたしの話をするなんて、思えないです」

「……」

 たしかに、と思うと同時に、瀬尾が『たしかに』という顔をした。

「……や、まあな」

「三枝くんとは文芸部で一緒で、いろいろ話をしてるうちにね」

710 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/02(火) 23:17:18.87 ID:DGAy5fz9o

 そんなふうに誤魔化しながら、瀬尾はちどりに笑いかける。
 やっぱりいくらか、緊張した様子だ。

 それにしても……ふたりはやっぱり似ている。
 瓜二つ、とまでは言わない。

 それでもやはり、似ている。

「前から、ちどりちゃんに興味があったんだ」

「興味……ですか」

「うん。あのね、もしよかったら……わたしと、友達になってくれない?」

「……ともだち、ですか?」

「うん。……駄目かな」

 ちどりは、いくらか戸惑った顔を見せた。

 無理もない、といえば、無理もない。
 初対面の相手に、そんな言い方をされたら、普通はそうなる。

 でも、

「駄目なんてこと、ないです。隼ちゃんのお友達なら、大歓迎です」

「……」

 瀬尾は恥ずかしそうに目を覆った。

「どうした」

「や……自分のことじゃないのに、この無垢な信頼が恥ずかしい」

「……そう言われると俺のほうが恥ずかしい気がしてくるな」

「えっと?」

「あ、ごめんね。……うん。じゃあ、わたしと、おともだちになってください」

 そんなふうに瀬尾は、ちどりに手をさしだした。

 ちどりはその手を受け取った。
 
711 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/02(火) 23:18:05.04 ID:DGAy5fz9o





 
 瀬尾とちどりが話をするのを聞きながら過ごして、店を出たとき、まだ外は明るかった。
 夏が近い。

 俺は瀬尾に訊ねずにはいられなかった。

「どうしてだ?」

「ん」

 少しほっとした様子の瀬尾を見て、俺は不思議に思う。
 どうして、ちどりと友達になりたかったんだろう。

 それは瀬尾にとって、もしかしたら、とても残酷なことなんじゃないか。

「……わたしはさ、瀬尾青葉だからね」

「……うん」

「瀬尾青葉だから。鴻ノ巣ちどりじゃない。でも、なんだか、こうしなかったら、いつまで経ってもわたしは、本当の意味でわたしになれない気がする」

「……よく、わかんないな」

「わかんない、かもね。『三枝くんの幼馴染』に興味があったのも本当だし……でも、ちょっと説明がむずかしいかな」

「うん」

712 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/02(火) 23:18:31.91 ID:DGAy5fz9o

「わたしは……わたしとして生きる。だから、鴻ノ巣ちどりは、ちどりちゃんは、わたしのともだち」

「……」

「だめかな?」

「……いや」

 俺がどうこう言うことじゃない。
 きっと、たくさん考えたんだろう。

 ああでもないこうでもないと、もがいてあがいた結果なんだろう。

 だとすれば、それを俺が認めるとか認めないとかいう次元の話じゃない。
 
 瀬尾青葉は瀬尾青葉として生きる。

「……ホントはずっと、悩んでたんだ。鴻ノ巣ちどりとしての記憶を持ってる自分が別人として生きるって、絶対変だから」

「……」

「でも、決めた。『それ』を含めて、わたしはやっぱり瀬尾青葉なんだって」

「……そっか」

「今、わたしがここにある。そこに至るまでのすべてがぜんぶわたし。そう思ったらすっきりしたから」

 だからだろう。
 瀬尾の表情が澄み切って見えるのも。

713 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/02(火) 23:19:21.81 ID:DGAy5fz9o


「だからね、“隼ちゃん”」

「……」

「これからもよろしくね」

「……まあ、好きに呼べよ」

「つめたーい。わたしのこと好きって言ってたくせに」

「なんだそれ、記憶にねえよ」

「覚えてないの?」

「いつの話だ」

「ずっと昔」

「そっか」

 ここに至るまでのすべて。

 経験。
 記憶。
 歪み。
 痛み。
 ありとあらゆる感情。

 今ある混乱。 
 そのすべてが自分であるならば……。

714 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/02(火) 23:19:49.97 ID:DGAy5fz9o

「大丈夫だよ。柚子ちゃんとのこと、邪魔したりしないから」

「そんな心配、してない」

「……そう?」

「ああ」

「ちょっと残念かも」

「なんで」

「隼ちゃんには、わかんないですよ」

「……」

「……なに?」

「いや、ちょっと今……」

 ちどりみたいだった、と、またそう言ったら怒るだろうか。

715 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/02(火) 23:20:28.92 ID:DGAy5fz9o

「ちどりちゃんみたいだった?」

「……うん」

「それはそうだよ」

 と、瀬尾はなんでもないように言う。

「それを含めて、わたしはわたしだからね」

 瀬尾青葉は本当に、強い人間だと思った。

「それで……さっきの話だけど」

「ん」

「フォークロアを作るって?」

「……ああ」

 そうだな、
 その話を始めなきゃいけない。

 他のことはすべて、もう、一段落した。
 最後の仕上げをしなきゃいけない。

716 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/02(火) 23:20:55.44 ID:DGAy5fz9o
つづく
717 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/04/02(火) 23:36:28.06 ID:sv9LSuKLo
ちどりと青葉が会うのドキドキした
乙乙
718 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/04/03(水) 07:36:23.61 ID:WMGt4U9+0
おつです
719 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/04/03(水) 22:39:47.31 ID:qSiUdSAW0
おつです
720 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/04/04(木) 02:31:47.89 ID:7l+6ad+Io
721 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/05(金) 01:37:39.98 ID:iNQmpNLTo




 佐久間茂はあの森を作った。
 
 夜の力を借りて。

 夜は現実に影響をきたした。
 その結果、『薄明』を通じてさくらが生まれた。

 これが最初の仮定。

 そしてこう続く。

 仮に『薄明』がさくらのディティールを作り上げたのならば、
『薄明』によってそれを書き換えることは可能ではないか。

 佐久間茂がデミウルゴスなのだとしたら、夜はデウス・エクス・マキナだ。

 これはもはや呪術的儀式に近い。

 佐久間茂の『薄明』、その『後日談』を描くことで、『さくらのディティールを書き換える』。

 矛盾なく、さくらを揺らがせないように、慎重に。
 さくらを今のさくらのままで保ちつつ、さくらを書き換える。

 そのためには、佐久間茂がそうしたように、
『薄明』を作らなければいけない。

『薄明』そのものを物語にしなければならない。

 そのとき夜は、昼の世界に静かに侵食するだろう。

『薄明』。

 夜明け前のほのかな明かり。

722 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/05(金) 01:38:12.56 ID:iNQmpNLTo

 


「……突拍子もないこと考えるね」

「まあな」

「本当にできると思う?」

「わからん」

「でも」

「ん」

「おもしろそう」

 そう言うと思った。

723 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/05(金) 01:38:56.24 ID:iNQmpNLTo




 『薄明』平成四年春季号

 目次

 
 1.小説

『ゆりかごに眠る / 赤井 吉野』
『白昼夢  / 佐久間 茂』
『空の色 / 弓削 雅』
『悲しい噂 / 酒井 浩二』
『ひずみ / 峯田 龍彦』
『ハックルベリーの猫 / 峯田 龍彦』
『許し / 笹塚 和也』



 2.散文

『ちょうどいい季節 / 酒井 浩二』
『神様の噂 / 赤井 吉野』
『偏見工学 / 峯田龍彦』
『恋人のいない男たち / 笹塚和也』 

 3.詩文

『冬の日の朝に思うこと / 赤井 吉野』
『夕闇 / 弓削 雅』
『たちまちに行き過ぎる / 弓削 雅』
『成り立ちについて / 弓削 雅』
『作り方 / 佐久間 茂』


 編集:赤井 吉野  弓削 雅
 表紙:赤井 吉野


 編集後記:赤井 吉野

724 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/05(金) 01:39:52.24 ID:iNQmpNLTo




 『薄明』平成四年夏季号

 目次

 1.小説

『ふんわりとした音 / 赤井 吉野』
『水の上 / 佐久間 茂』
『茜色には程遠い / 弓削 雅』
『もしもあなたがいなくても / 弓削 雅』
『真実 / 峯田 龍彦』
『日々かくのごとし / 峯田 龍彦』
『白線捉える / 峯田 龍彦』
『永遠の途中 / 笹塚和也』

 2.散文

『猫と犬について / 赤井 吉野』
『屋上遊園地について / 赤井 吉野』
『天気について / 赤井 吉野』
『縁結びの少女 / 赤井 吉野』
『幽霊の所在 / 峯田 龍彦』
『無限の猿と踊る / 佐久間 茂』


 3.詩文

『白衣 / 弓削 雅』
『風遥か / 弓削 雅』
『鈴の音 / 弓削 雅』

 編集:赤井 吉野 弓削 雅
 表紙:赤井 吉野
 

 編集後記:赤井 吉野 

725 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/05(金) 01:40:37.10 ID:iNQmpNLTo



 瀬尾と別れたあと、俺は結局、『トレーン』の店先に居た。
 俺がやろうとしていることは、正しいことなのか、可能なことなのか。

 そんな考えが浮かんでは消えていく。
 
 そんなとき、不意に、見知った姿を通りの向こうに見つける。
 彼女は軽く手をあげてから、静かに歩み寄ってきた。

「やあ」と彼女は言う。

「やあ」と俺は返事をする。怜だった。

「最近はよく見るな」

「思ったより簡単にこっちに来られることに気付いたものだからね」

「そうか。何よりだ」

「うん。たったこれだけの距離だったのにな」

「……?」

 その響きになにか変なものを感じて、俺は思わず眉をひそめた。

「べつに深い意味はないよ。……さっき、誰かと一緒みたいだったけど」

「ああ、さっきまで……」

「……瀬尾、青葉さん?」

「……だな」

「……ねえ、隼。どうして彼女がちどりにそっくりなんだって、教えてくれなかったんだ?」

「……」

「彼女は、ちどりだよね」

 さて、どう答えたものか。
 けれど本当は、悩むようなことでもなかった。


726 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/05(金) 01:41:05.82 ID:iNQmpNLTo

「ちどりと言えば、ちどりだが……」

 怜が何かを言い出すよりも先に、言葉を続けた。

「今は、瀬尾青葉だ。本人がそう言ってる」

 怜は、なにか承服し難いような顔をしたが、やがて頷いた。

「なるほど。……どうして彼女はここに?」

「ちどりと、友達になりたかったらしい」

「……」

 今度こそ、いよいよ納得がいかないような顔を、怜はする。
 どうしてだろう。

 いつもより、どこか感情的に見える。

「そっか」

 とだけ言うと、怜は店内へのドアの取っ手を開いた。

「隼は帰るの?」

「そうだな。考えなきゃいけないこともあるし、遅いと純佳が心配する」

「そっか。……ね、隼」

「ん」

「瀬尾さんは強いね。ちどりも、きっと」

「……まあ、そうだな」

「ぼくは……」

「……ん」

「……」

「怜?」

「いや……」

727 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/05(金) 01:41:58.07 ID:iNQmpNLTo


「言いかけてやめるなよ。怜、悪い癖だ」

「隼には言われたくない。ただ、なんとなくね……」

「なんとなく、なんだ」

「ぼくは……昔から、ちどりになりたかったんだ」

「……どういう意味?」

「いや。……なんでもない、忘れてよ」

 そう言って、怜は、今度こそドアを開けた。

「あ、怜」

「……なに?」

「ひとつ、聞きたかったんだ。おまえ、最初に“むこう”の話をしたときのこと、覚えてるか?」

「……えっと、学生証の話をしたとき?」

「そう。そのとき」

「あのときがなに?」

「覚えてるか? おまえ、言ってたよな。“案内人がいた”って」


728 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/05(金) 01:42:28.52 ID:iNQmpNLTo

 ──怖い思いはしたから気をつけてたんだ。本当に危ないところには、近付かないようにしてた。案内人もいたしね。

「……そんなこと、言ったっけ?」

「ああ。あの案内人って、誰のことだったんだ?」

 ましろ先輩ではない。
 佐久間茂でもない。
 おそらく、カレハでもない。誰もそんな話はしていなかった。

 だとしたら、怜の案内人は、誰だったんだ?

「……えっと、思い違いじゃないかな。そんなこと、言った覚えがないんだけど」

「……そう、か?」

「うん。ぼくはむこうにいるときは、いつもひとりだったし」

 ……でも、それでは話が通らない、ような気がする。
 が、本人にそう言われては、確かめようもない。

「それだけ? ぼくは行くけど」

「……あ、ああ」

「じゃあね、隼」
 
 最後、怜は俺の顔を見なかった。
 そんなこと、今まではなかった。
 
 それなのに俺は、怜に対して何を言えばいいのかもわからない。
 怜のことを、自分がどれだけ知っているのか。

 そんなことを、どうしてか、考えてしまった。

729 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/05(金) 01:43:09.10 ID:iNQmpNLTo




 隼はきっと、気付かないだろう。
 おそらくこの事実はぼくの中でしか存在できない。
 
 砂浜に書いた文字のように、やがては波にさらわれて消えていくだろう。
 
 誰にも確かめられないし、誰にも知ることができない。

 誰も気付かない。

 ぼくをぼくと呼ぶこのぼくが、泉澤怜なのだと、みんなが信じている。

 このぼくがここにあることは……ぼくがぼくを獲得した結果だと、誰も知らない。

 それでいい。

 隼はぼくを探偵と呼ぶ。ぼくは隼を詐欺師と言う。

 けれど本当は違う。
 
 本当の詐欺師は探偵のような顔をしているものだ。

 そんなことを隼は知らなくていい。

 ぼくは、ちどりになりたかった。
 隼になりたかった。
 
730 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/05(金) 01:43:34.96 ID:iNQmpNLTo



「……それで?」

 と、市川鈴音は言った。
 渡り廊下のベンチに腰掛けて、市川鈴音は本を読んでいる。『ゴドーを待ちながら』だ。

 部誌を作る、と俺は言った。瀬尾に話を通した以上、あとは部員を説得するだけだ。

「市川、絵が描けるだろ」

「そりゃ、描けるけど……」

「表紙」

「……もう、期末だよ。部活動休止期間」

「関係ない」

「なくない。なんでそうなるの?」

「まあ、なくはないか。いや、でも、ちょっと描いてほしいんだよ」

「そう言われても……ううん、描くぶんには、いいんだけど、なんで急に?」

「必要だと思う」

「……前作ったときは、なかったよね?」

 たしかに、前回作ったときは、なかった。
 とはいえ、これは儀式だ。

「描いて欲しい絵がある」

「……」

731 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/05(金) 01:44:04.54 ID:iNQmpNLTo


 市川は、静かに考え込んだ。やはり、説明しないわけにはいかないのだろう。

「……なあ、市川」

「ん」

「前から思ってたんだけど……」

 彼女は俺を見ようともしない。ずっとページに目を落としている。

「おまえ、"むこう"に行ったことがあるな?」

「……」

 ようやく彼女は俺を見た。

「……どうして?」

「見たからだよ」

「……」

 さくらを連れ戻しにいった、あの日。

 帰り際、俺は渡り廊下で人影を見た。
 最初はただの気のせいだと思った。

 でも、それだけのはずがない。

 市川鈴音の姿をあのタイミングで幻視するなんておかしな話だ。

732 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/05(金) 01:44:31.80 ID:iNQmpNLTo

 思えば、市川は最初からおかしかった。

 俺が部誌に寄せていた文章、そのなかの、"むこう"に近い風景の描写。
 それを彼女は「実話か」と訊ねた。

 そんなわけがない、と俺は答えたけれど、そもそもの話……。

 どうしてあんな馬鹿げた風景を、こいつは"実話"だなんて思えたんだ?

 そう思った瞬間、あれが単なる幻だったとは思えなくなった。

 思えば市川は、やけに"むこう"の話に対して理解が早かった。

「……隼くんは、探偵みたいだね」

「俺は探偵にはなれない」

「そうかもだけど」

「……で?」

「……どうかな」

「……どうかな、って、どうなんだよ」

「わかんないの」と市川は言った。

733 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/05(金) 01:45:09.07 ID:iNQmpNLTo

「わたしは夢に見てるだけ」

「夢?」

「うん」

 珍しく、真摯な声音だった。
 そのせいで俺は、それ以上の追及ができない。

「……夢、か」

「うん」

「……そっか」

 なら、言っても仕方がない。

「ま、いいや」

「……ん。描いてほしい絵って?」

 訊ねられて、俺は少しだけためらった。
 けれどたぶん、必要なものだろう。

 たぶん、その絵は、描かれるべきだろう。


734 : ◆1t9LRTPWKRYF [saga]:2019/04/05(金) 01:45:36.15 ID:iNQmpNLTo
つづく
735 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/04/05(金) 02:13:07.06 ID:X67qyF8J0
乙です。
736 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/04/05(金) 07:18:53.63 ID:a3QCfA1F0
おつです
737 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/04/05(金) 13:12:44.46 ID:FzCrcLhvO
738 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/04/05(金) 21:13:05.09 ID:aoQsTvLco
おつおつ
続きが気になりなる
739 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/04/05(金) 23:40:05.58 ID:JCf+zWWr0
おつです。
740 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/10(水) 23:08:07.07 ID:1j+CnVDuo




 期末テストが終わって、夏休みが目前に迫った頃、俺達は部誌を完成させた。

 突貫と言えば突貫だったけれど、瀬尾と真中は協力的だったし、市川も拒みはしなかった。
 そうなれば大野だって付き合いはいいやつだし、その上ちせも引き込めたことが大きかった。

「それにしても」と瀬尾は言った。

「三枝くんがこんなにやる気になる瞬間を生きてるうちに見られるなんてね」

 茶化すみたいなそんな言葉が、やけに照れくさかった。

 文芸部には少しだけ変化があった。

 真中と俺の関係性が変わったこともそうだけれど、そのうえ、ちせが入部することになった。
 
「なんとなくですけど、必要な気がするので」

 と、彼女は言った。それはたしかにそのとおりだと俺は思う。
 ちせがいないと、俺の計画していることは、ほんの少しだけ面倒が増える。

 
741 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/10(水) 23:08:40.61 ID:1j+CnVDuo

「でも、こんなことで本当にうまく行くんでしょうか」

 と、ちせはそう言った。

 何のために部誌を作ろうとしているのか、それを知っていたのは、俺と瀬尾とちせだけだった。

 理由は単純で、この三人にはさくらが見えるから。

 以前、ちせがさくらと顔を合わせたとき、ちせにはさくらが見えていた。

"むこう"に行った人間にはさくらが見える。それが俺の仮説だった。

 そして瀬尾とちせに対して、俺はいくらかの説明をした。

 結果として、それが上手く行ったかどうか、効果はまだ掴めない。

 ひとまず今は、それも一段落したので、俺は少し羽を休めることにしていた。

742 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/10(水) 23:09:20.25 ID:1j+CnVDuo




 放課後、屋上に寝そべって昼寝をしていると、「サボりですか」とさくらがやってきた。

「がんばったんだから、少しくらいサボったって、バチは当たらない」

「ま、そうかもですけど」

「……」

 なんだろう。
 何かを言えるような気がしたんだけど、何も思い浮かばない。

 どうしてだろう。


743 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/10(水) 23:09:50.39 ID:1j+CnVDuo



 『薄明』夏季特別号。


 目次


 0.部誌発行にあたって 
『物語の影響 / 瀬尾 青葉』
『概略 / 三枝 隼』

 
 1.小説

『涼やかな午後 / 大野 辰巳』
『寝顔 / 真中 柚子』
『湖畔 / 瀬尾 青葉』
『朝靄 / 瀬尾 青葉』
『塔  / 市川 鈴音』
『夜霧 / 宮崎 ちせ』
『幽霊のよまいごと / 宮崎 ちせ』
『あなたがそこにいなくても / 宮崎ちせ』
『白日 / 三枝 隼』


 2.散文

『平成四年に発行された部誌『薄明』に関する調査と仮説 / 三枝 隼』
『噂話の効用 / 瀬尾 青葉』
『ファンタジーと現実との対照 / 宮崎ちせ』
『桜の少女についての再考 / 三枝 隼』
『わたしたちの不確かな現在 / 瀬尾 青葉』

 3.詩文

『成り立ちについて / 瀬尾 青葉』
『作り方 / 宮崎 ちせ』
『薄明 / 三枝 隼』


 編集:瀬尾 青葉 三枝 隼
 表紙:市川 鈴音


 編集後記:瀬尾 青葉

744 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/10(水) 23:10:17.26 ID:1j+CnVDuo




 俺の考えは、さくらの存在が佐久間茂の作った『薄明』に根ざしているという仮定から始まる。
 だからその詳細をさくらに話すわけにはいかない。

 誰かの書いた文章が自分の存在を生んだかもしれないなんてこと、さくらは知らなくていい。

 まず第一に必要だったのは、佐久間茂がさくらについてどのような『設定』を用意していたかを確認することだった。

 それはそんなに難しいことではない。『薄明』を確認すればいいだけだからだ。

「でも、本当にそれだけでいいのかな」

 と瀬尾は言っていた。

「部誌に書かれてる以外の設定もあるんじゃないの?」

 そうだとしても、佐久間茂に確認すればいい。それはそうだが、俺は別の理由からそっちを無視した。
 仮に薄明に描かれている以外の情報がさくらの存在に反映されるとしたら、さくらの存在はもっと揺らぎやすく曖昧になる。

 噂話だって変化する。茂さんがさくらのことを忘れることもあるだろう。
 にもかかわらず存在し続けているのは、さくらが『薄明』に依拠しているからだ。

 と、仮定しないかぎり、そもそも俺の解決法も成立しないのだが。

 はっきりいって、根拠があるわけではない。
 
 単に、『これで駄目なら他の方法を試すしかないから、とりあえずやってみるしかない』という理由だ。

745 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/10(水) 23:10:44.90 ID:1j+CnVDuo

「そのために……この『薄明』を使うんですか?」

 平成四年に作られた『薄明』を見て、ちせはいかにも不思議そうな顔をした。
 無理もないと言えば無理もない。

「もし仮にこの『薄明』がさくらを規定しているとしたら、この『薄明』に書かれている情報は無視できない」

「……まったく別のお話を作ることはできないんですか?」

「できなくはないが」

 仮にそれをしてしまったら、今度はさくらではない別の存在が生まれることもありえるだろう。
 もっと言えば、いまいる『さくら』が根っこから変化してしまうこともある。

 それでは意味がない。

 であるなら、『佐久間茂の薄明』を前提にして、そこに情報を付け足すことでさくらに変化を与えなければいけない。

「そんなこと、できるんですか?」

 できるかどうかはわからない、と俺は答えた。

 それはそうか、という顔を、ちせも瀬尾もしてくれた。

746 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/10(水) 23:11:10.65 ID:1j+CnVDuo



 そして俺たちは、『平成四年に作られた薄明において語られた噂話』を検証するという体裁を使った。

 佐久間茂の『薄明』においては、噂話の真偽は曖昧に、あくまでも『そういう噂がある』というふうに語られていた。
 その噂は今現在この校内で流布している噂話の原型になっている。

 桜の樹の精。
 縁結びの神様。

 その物語を『検証する』というかたちで、俺達はそれを作り変えることにした。

 これに関してはひとつアイディアがあった。

『聞き取り調査』だ。

 平成四年に作られた『薄明』の中で『神様』と『縁結びの少女』について書いていたのは赤井吉野という生徒だった。

 俺たちは、赤井吉野という少女──というのは文体からの想像だが──に、さくらについて直接質問しにいった。

 つまり、

『現在流布されている噂話の原型を知っている相手へ聞き取り調査を行い、その詳細を確かめた』。

 さて、とはいえもちろん、『赤井吉野』という生徒が実際に『薄明』を作るのに参加していたわけではない。
 佐久間は『幽霊部員だらけの文芸部』を利用して部誌を作ったのだ。

 けれどだからこそ、『赤井吉野』という生徒は、当時の卒業アルバムにはちゃんと載っている。

 だから、あくまでも、『赤井吉野に聞いた』というかたちで、『さくらについての情報』を書き加えたのだ。
 
747 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/10(水) 23:11:47.93 ID:1j+CnVDuo

・赤井吉野はさくらを見たことがある。
・それは『薄明』を作り上げたあとのことである。
・よって平成四年の『薄明』に描かれた情報は真実というよりは推測であった。
・その少女は時折人前に姿をあらわす。
・彼女は人と人との縁を繋ぐことを楽しみにしている。
・自分がどうしてそんなことをしているかはわからない。
・誰かが必要としたとき、彼女は姿を見せる。
・こっそりと人々の手伝いをしている。
・ある一時期、文芸部は彼女のために恋愛相談所として機能していた。
・文芸部の部室には当時使っていた相談用のボックスが置かれていた。
・それは今現在も残っているはずである。
・赤井吉野自身も勘違いしていたが、彼女は校内から出ることもできるし、望んだ相手と会うこともできる。
・実際、卒業してから彼女が会いにきたといっていた人間もいる。
・彼女は寂しがりなので、相手をしてあげると喜ぶ。

748 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/10(水) 23:12:38.12 ID:1j+CnVDuo



 俺と瀬尾とちせ、それから暇をしていたましろ先輩は、日曜大工をして木製の箱を作り上げた。

 ちょうどよく古びた木材を釘で打ち合わせて。

 そして「古くなっていたものをキレイにした」風に見えるようにしてから、文芸部の部室に置いた。

「なにこれ?」と大野に聞かれたとき、
「調べ物をしているうちに見つけた。文芸部の部室にあったらしい」と伝えたところ、
 大野は疑いもせずに「ふうん」と言った。

 あまり興味のないことなら、人はその真偽を疑わない。

「本当にこれでいいのかな?」と瀬尾は言った。

「さあ?」と俺は答えた。

「でも……」とちせは笑った。

「なんだか、楽しいですね」

749 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/10(水) 23:13:03.74 ID:1j+CnVDuo




「隼!」

 と、声がして、俺は昼寝を邪魔された。

「……なんだよ」

 体を起こすと、さくらが息を切らせて(息が切れるのか。初めて知った)俺のそばにきていた。

「どうした」

「ちょっときて! きてください!」

「どこに」

「校門です!」

 そう言ってさくらはぱっと姿を消した。

 あいつはそれで済むかもしれないが、こちらは階段を降りて渡り廊下を歩いていかなきゃいけないのだ。
 とはいえ、言われたとおりにすることにした。

 近くに置いていた鞄を背負って、靴を履き替えて外に出ると、さっきまでより遠くなったはずの夏の日差しがやけに近く感じる。

 校門のそば、桜の樹。

 そこに彼女は立っている。

750 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/10(水) 23:13:35.32 ID:1j+CnVDuo

 歩み寄ると、今までに見たことがないくらい浮かれた表情で、彼女は得意げに笑った。

「ほら! 早く!」

 俺が近付くと、彼女は俺の手をとって走り出した。

 校門を抜ける。……ここまでは、いつもどおり。
 以前、学校を出るまでの坂道で、さくらを見たことはある。
 このあたりまでは、彼女は前から来ることができた。

 その先。

 坂道を嬉しそうに下っていくさくらを見ながら、俺はもう何が起きたかを理解できていた。

「そんなに走るなよ」

 周囲からはどんなふうに見えるんだろう。俺が手を前に出したまま走っているように見えるんだろうか。
 それもまあ、今は別にかまわない気がする。

 さくらは止まることなく走っていく。息を切らして、楽しそうに笑っている。

「どこまで行く気だ?」

「ちょっとそこまでです!」

 一応鞄を持ってきて正解だった。

 さくらは坂道を下り切ると、どうだと言わんばかりに俺に向き直った。

「どうですか!」

「……なにが」

「この坂道、前まで、下りきれなかったんです」

「……」

「この坂道、わたしには、終わらない坂道だったんです。それが、ほら!」

751 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/10(水) 23:14:05.92 ID:1j+CnVDuo

 道の先の交差点のコンビニに近付くと、さくらは入り口で何度か跳ねた。
 すると自動ドアが反応する。

「……おいおい」

 そりゃまずい、と思って、俺も入り口に近付いて、何気ないふうに入店する。

 するとさくらもついてきた。

「ほら! ほら!」

 さくらは嬉しそうに笑っているけど、俺はさすがに返事ができない。

 ポケットから携帯を取り出して耳にあてる。

「よかったな」

「はい!」
 
「上手くいってよかったよ」

「どんな魔法を使ったんですか?」

「たいしたことはしてない」

「嘘です」

 まあ、ほんのちょっと悪いやつと契約したくらいだ。

「悪いやつ?」

 そうだ。心が読めるんだった。

「ま、追って沙汰があるだろう」

 それだけ言ってから、俺は適当に飲み物を二本買った。店を出て片方をさくらに渡すと、彼女は物珍しそうに受け取る。

「いったい、どうやったんですか」

「知らぬが仏だ」

「……これは、大きな借りができてしまいましたね」

「大げさだな」

752 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/10(水) 23:14:38.68 ID:1j+CnVDuo

 彼女はペットボトルをしげしげと眺めている。

 蓋を開けるのを実演してみせると、おそるおそるといった具合に自分でもやりはじめた。

「お、おお」

「初めてか」

「はい。こんなふうになってたんですね」

「うむ。祝杯である」

「はい、乾杯」

「かんぱーい」

 といって、俺達はボトルを打ち合わせた。店先に誰もいなくてよかった。

 このようにして、嘘から生まれた真を、新しい嘘で書き換えた。

 毒をもって毒を制し、嘘をもって嘘を制する。

 俺にできるのはこのくらいだろう。

753 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/10(水) 23:15:19.88 ID:1j+CnVDuo



『薄明』の表紙は、市川に頼んで、その絵の構図を俺が指定した。
 それは、ひとりの少女が坂道の下から──つまり、学校の敷地の外から、学校を見上げている様子だ。
 
 容姿は俺が可能な限りの注文を入れて、さくらに近いようにしてもらった。

 事情を知らない市川は、

「こういう子が好みなの?」

 と不審そうな顔をしたが、面倒だったので、

「そういうことだ」

 と適当に返事をしておいた。

 そして今、その絵と同じ光景が、俺の目前に広がっている。

「めでたしめでたし」

 と俺は呟いた。
 
 さくらは楽しそうにまた笑った。


754 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/10(水) 23:15:49.47 ID:1j+CnVDuo
つづく
そろそろおわりたいです
755 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/04/11(木) 00:37:00.26 ID:+/5m/pBX0
おつおつ
756 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/04/11(木) 01:15:21.77 ID:I+cIz9XxO
757 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/04/11(木) 07:18:14.00 ID:N6XyIpstO
おつです
758 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/04/11(木) 23:49:58.15 ID:2VbMBPYC0
乙です
759 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/20(土) 23:54:15.53 ID:GpXAKj/vo




 真っ暗なところにひとりで立っている。左右には壁があり、少し低い天井がある。
 あたりの空気は湿気と黴の臭いに侵されている。足を一歩踏み出すと、石を叩く靴音が聞こえる。
 それがやけに響いていた。

 切れかけた裸電球が等間隔でぽつぽつと薄暗く通路を照らしている。

 その明滅の隙間に、通路の先の暗闇がぽっかりと口を開けている。
 背後を見ても同じ様子。自分がどちらから来て、どちらに向かっているのか、もうわかりそうもない。

 しばらく俺は立ち尽くし、そしてやがて歩き始めた。

 時間の感覚がなく、どれだけ歩いても一瞬だという気もするし、ずいぶん長い間歩いてきたという気もする。
 ただ電灯が明滅している。

 そして俺はそれと出会う。それがそこにあることを俺はあらかじめ知っていた。

 だから俺は挨拶をする。

「やあ」

「やあ」

 とそれは返事をした。

760 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/20(土) 23:54:43.39 ID:GpXAKj/vo

「調子はどうだい?」

 と“夜”は言った。

「どうだろうな」と俺はとぼけて見せた。

 夜は黒い竹編みの椅子に悠然と腰掛けていた。
 
 彼の姿を俺は初めてみた。それで驚いた。
 俺は彼の姿を知っている。

「おまえのおかげで助かったよ」

 と彼は言った。

「……おまえを助けた覚えはない」

「いずれわかるさ」

 はっきりと、彼は笑みをつくる。

「……が、それは今じゃない」

「……でも、こちらこそ助かった」

 一応、礼を言うことにした。

「ありがとう。おかげで書き換えられた」

 彼はおかしそうに笑う。

「……本当にここまでするとは、思っていなかったけどな。たぶんおまえは才能があったんだろう」

「才能?」

 才能。俺には無縁なものだ。

761 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/20(土) 23:55:14.63 ID:GpXAKj/vo


「……でも、本当にこれでよかったのか?」

 そう、夜は俺に訊ねた。

「……どうだろうな」

 俺は、
 他にどうしようがあったんだ? と、
 そう訊ねかけて、やめた。

 その言い方は、誰かに責任を押し付けているような気がしたから。

「自分では気付いていないだろうが……おまえは佐久間茂にはできなかったことをした」

「……?」

「おまえは世界を書き換えた」

「それは……茂さんだってしたことだろう」

「違うね。あいつは書き足しただけだ。おまえは書き換えた。その差は大きい」

「……」

「あいつはこの世に暗がりを作った。けれど、それは所詮、粘土のように夜をこねくり回しただけのことだ。
 おまえはけれど、夜を昼に滲ませた。おかげで扉が開かれた。
 あの女に負けたときはこれで終わりかと思ったが、俺にもようやく運が回ってきた」

「……」

 こいつは、
 何の話をしてるんだ?

「けれどまあ……それは、おまえとは直接関係ない。とにかく、感謝するよ」

「……」

「二度も俺の力を使いやがったんだ。普通なら代償を求めてやるところだが……お釣りが来るくらいだ」

「……何を言ってる?」

「礼を言ってるのさ」

762 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/20(土) 23:55:41.46 ID:GpXAKj/vo


「違う。“二度”って……何の話だ?」

「……なんだ、覚えてないのか。人間ってのは、不便なもんだな」

「……」

 二度。
 二度?

「……なるほどな。おまえはどうやら本当に才能があるらしい。自分で書き換えた物語を、自分で信じ込んでいるわけだな。
 それでこそ、というところではある。本当の嘘つきっていうのは、自分がついている嘘を信じ込まなくちゃいけないもんだ。
 しかし……凄まじいな」

「……」

「なあ……おまえ、自分で疑問に思わないのか?」

「……何がだ」

「宮崎ましろ。泉澤怜。鴻ノ巣ちどり。瀬尾青葉。市川鈴音。佐久間茂。そして、おまえ。
 夜の世界、おまえが神様の庭と呼んだ世界。どうしてそこに関係している人物が、おまえの周辺で完結してるんだ?」

「……」

 疑問に思わなかったわけではない。
 
 ましろ先輩、瀬尾、俺。どうしてあのとき、むこうに行った人間が、揃ってこの高校の文芸部に入部したのか。
 そして、どうしてそこに、佐久間茂が通っていたのか。

 神様の庭の夢を見るという市川鈴音が、どうして文芸部に入部していたのか。
 
 どうしてこんなにも完結した関係性の中に、そんな出来事が起きたのか。

 まるで誰かが、

「……まるで、誰かが書いた物語みたいだと思わないか?」

763 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/20(土) 23:56:08.25 ID:GpXAKj/vo


 そんな言葉が。
 馬鹿らしいと笑えないのは、どうしてだったのか。

「おまえは何を言ってるんだ?」

「佐久間茂がどうして『薄明』で遊んだか、覚えてるか?」

 どうして。
 どうして、だったっけ。

「……“どうして?”」

「おまえはどうして、真中柚子をそんなに欲するんだ?」

「……」

「おまえのなかには矛盾した感情がある。
 ほしいものがひとつもないという感情。真中柚子を烈しく求める感情。
 どうしてそんなことが成立する? その矛盾には何か……明らかに、秘密がある」

「……」

「だが、まあ、俺も山師だ。だからおまえのその程度の嘘くらい、なんとも思わない。
 この世界は苦痛に満ちていて、柔らかな光はいつも暗い痛みに押し潰される。
 これから先、どんな光を手にしたって、きっと、それはすぐに失われてしまう。
 そのなかにあって……おまえの嘘は、実に俺の好みだった」

「……待て、おまえは、何を言ってる?」

 二度……俺は、『夜』を使った?
『書き換えた』?

「面白い見世物だったよ、三枝隼。ずいぶん凝ったシナリオを作ったもんだ」

「……」

「おまえのおかげで、俺は自由だ」

 不意に頭上の電球が明滅し、
 もう一度点いたときには、夜の姿はそこにはなかった。

764 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/20(土) 23:56:35.35 ID:GpXAKj/vo




 ねえ、せんぱい、本当にわたしのことを捕まえていてくれる?


765 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/20(土) 23:57:04.89 ID:GpXAKj/vo




 おまえを居なかったことになんかしない。
 おまえがいなくならなきゃならないような世界なら、そんなの、世界のほうが間違ってるんだ。

 おまえを傷つけるだけの世界なら、俺が全部書き換えてやる。


766 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/20(土) 23:58:02.18 ID:GpXAKj/vo






 不意に目をさますと、俺は眠っていた。目をさましたのだから、当たり前といえば当たり前だ。
 でも、いつから眠っていたのか、わからない。

 何か夢を見ていたような気がするが、はっきりとしない。

 体を起こすと、屋上だ。見慣れた屋上。俺だけが鍵を持つ、秘密の場所。

 昼寝をしていたらしい。

「隼さん、またサボりですか」

 ドアが開く音が聞こえて、そちらをむくと、ちせが立っている。

「……ああ」

 むっとした顔のちせを眺めながら、俺は返事をする。

「もう。大野先輩も青葉さんも怒ってますよ」

「怒らせときゃいいんだよ。第一、部誌だって出来上がったんだし、顔出す理由もそんなにないだろう」

「でも……」

 ちせは何かを言いたげに俺の方を見た。

「……隼さん、ひとつ聞きたかったんですけど」

「ん」

767 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/20(土) 23:58:34.07 ID:GpXAKj/vo

「隼さんが書いた小説のタイトル。あれって、どんな意味があるんですか?」

「ん。読んでわからなかった?」

「はい、まあ……」

「つまりさ……次の日が土曜日で休みだろ」

「……?」

「だから、ずぶ濡れになって踊ろうって意味」

「……よくわかんないです」

 俺は起き上がって空を仰いだ。

 瞬間、
 空が拉いだ。

768 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/20(土) 23:59:02.44 ID:GpXAKj/vo
つづく
769 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/04/21(日) 00:25:15.54 ID:nBjw/t4Oo
おつです。
770 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/04/21(日) 00:26:46.92 ID:nMQdOy3D0
おつん
771 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/04/21(日) 06:49:04.54 ID:91kAx3ZY0
おつです
772 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/21(日) 21:54:21.70 ID:hfXGEpDLo



「兄、起きてください」

「……」

「兄。起きてください。もう起きる時間ですよ」

「……ん。あと五分」

「そんな定番の寝言言う余裕があるなら起きてください」

「……ねむい」

「もう。夜遅くまで起きてるからですよ。昨夜は何してたんですか」

「……ちょっと」

「ちょっとじゃないです。ほら、起きないと恥ずかしいことしますよ」

 恥ずかしいことってなんだ。
 恥ずかしいことってなんだろう。

 興味を引かれて寝たふりを続けると、純佳の声がすっと近付いてきた。

 耳元で、

「起きてください」

 と、囁かれる。
 こそばゆい。

 そのまま黙っていると、湿った柔らかい感触があって、思わず俺はからだをびくりとさせて目を開いた。

773 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/21(日) 21:55:35.91 ID:hfXGEpDLo

「……なにをしたいま」

「耳をなめてみました」

「なめるな」

「目がさめましたか?」

「おかげさまで」

「じゃあ、早く着替えて降りてきてください。お味噌汁さめちゃいますから」

「……わかったよ」

 平気な顔で純佳が部屋を出ていく。

 どうしてこんな育ち方をしてしまったやら。

774 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/04/21(日) 21:56:10.10 ID:hfXGEpDLo



「もうすぐ夏休みですね」

 ダイニングテーブルを挟んで朝食を一緒にとりながら、純佳はそんな世間話をはじめた。

「何か予定は?」

「特には……バイトくらい」

「ですか。柚子先輩とは出かけないんですか?」

「ああ……どうだろうな」

「他人事みたいですね」

 そんなつもりはないけれど、そういう癖がついてるんだろう。

「なんだか……兄は最近、元気そうで何よりです」

「……そう?」

「はい」

「そう見えるなら、そうなんだろうな」

「うん。そうだと嬉しいです」

 そんなふうに思ってくれる人なんて、きっと長く生きていても、そんなに多くはないだろう。
 それだけで、やっぱり俺は恵まれている。

 さくらがいつか言っていた通りに。


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