【モバマス】時子「30mmの彼方から」

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40 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 19:47:16.34 ID:1iL2fWn50
――

初めてハイヒールを履いた日のことは、鮮明に覚えている。

僅か12歳の頃だ。童話に出てくるような、赤い靴だった。

その頃から背の高かった私は、当時にしては高すぎる7cmのヒールを履いて、社交界に飛び出したのだ。

私は、快く世界に迎えられた。

今までに培った教養が、技能が、趣向が、潤滑剤となって人々の心にしみこんでいった。

私が財前の娘として表に出ることで、必要なこともさらに増えた。

美しく歩くこと。

美しく話すこと。

美しく笑うこと。

美しく泣くこと。

美しく在ること。

どれも難しいことではなかった。

周りには、それができる、それをさせてくれる本物ばかりだった。

7cm背伸びして見えた世界は、あまりにも煌びやかで私の心をくすぐったのだ。

だけど。


その世界を覗くために背伸びをしなければならなかった私は、果たして本物だったのだろうか。

――
41 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 19:51:40.88 ID:1iL2fWn50



トレーナー「財前! 昨日言ったことがまたできていないぞ。遅れている。うまくやろうとしなくていい、自然にやるんだ」

時子「……」

トレーナー「お前らしさってのを、みせてやるんだ」

トレーナーの声が、意識の中をすり抜けていく。

あの日、あの事務員に言われたことがずっと心の奥に刺さっているせいだ。

――偽物は、アイドルになれない。

アイドルは偽物だ。私にはそれがわかる。

あの佐久間まゆというアイドル。彼女は確かに、偽物だった。

距離を測り、勝手に私という人間のどこまで踏み込んで良いかを探って、心地良い位置に佇もうとする。そこで、穏やかに手を振ろうとする。

それが、心底不愉快だ。

私の不調を悟ったのか、トレーナーは一度肩の力を抜き、こちらにタオルを投げた。

トレーナー「いったん休憩にするか、財前」
42 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 19:52:52.64 ID:1iL2fWn50

時子「……」

何も言わずに部屋を出た私を、トレーナーは呆れたように見送っていた。

トレーニングルームを出て当てが在るわけではないが、あの場所にはいたくなかった。


……家を出たときもそうだった。


これ以上あの空間にいれば何かが壊れてしまいそうで、それが怖くなってあの家から距離をとったのだ。

時子「……どうして、私が」

こんな惨めな思いをしなければならないのか。

どこかすぐ近くで、誰かのレッスンの音が聞こえる。ハイヒールの踵が、フローリングを叩く音がする。

軽い音だ。そして、テンポの揃っていないばらばらな音。

時子「……全然、音楽になってない――」

覗き込んだルームから見えたのは、あのアイドルだった。



時子「佐久間、まゆ……」
43 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 19:56:12.78 ID:1iL2fWn50

自分の歌を歌いながら踊っているのか、私のレッスンよりもずっと厳しそうだった。

やらなければならないこと、覚えなければならないこともずっと多いだろう。

偽物のくせに、

アイドルのくせに、

それなのに、


時子「なんて、綺麗な――」
44 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 19:57:03.38 ID:1iL2fWn50


本物だ、と思った。


あの踊りは、まごうことなき彼女のものだ、と。

自分のような、全てがちぐはぐな動きではない。彼女が作り出す動きとして、歌として、もっとも佐久間まゆらしい動きで、声で、空間を魅了していた。

ダンス中の彼女と目が合う。

まゆ「時子さん」

私に気付いた彼女は、トレーナーに一言断ってから私の元へ駆け寄ってきた。
45 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 19:58:30.88 ID:1iL2fWn50


まゆ「どうかされましたか?」

時子「……なんでもないわ」

まゆ「そ、そうですか……あ、あの、もうすぐ本番ですけど、何か困ってることとか、ないですか……? もしかしたらお話を聞くくらいなら――」

時子「だったら」

私の焦燥を含んだその声に、彼女はびくりと肩をふるわせた。

その華奢な彼女に、私は問う。

時子「だったら、教えてもらえるかしら?」


時子「貴女にとって、アイドルとは何なの?」
46 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 19:59:10.17 ID:1iL2fWn50

彼女は視線をそらさない。

まっすぐと私を見据え、

まゆ「まゆにとってのアイドルは、まゆの全部です」

その腑抜けた答えに、突発的な苛立ちが募る。

時子「……またそんな答えを。アイドルなんて、都合の良い部分を見せるだけの偽物に過ぎないでしょう? なのに、それが全てだなんて、どれだけ浅い生き方を――」


まゆ「そんなものはどうでもいいです」


時子「……は?」
47 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 20:00:32.90 ID:1iL2fWn50


どうでもいい? 何を言っている。

自分が生きるこの世界そのものが、金と私欲を覆い隠すだけのはりぼてかもしれないのに?

まゆ「アイドルが本物かどうかなんて知りません。どうでもいいことだと思います」

まゆ「だけどまゆは、まゆの全部をアイドルにして、みんなにそれを見てほしいんです」

まゆ「大切な人には、本物のまゆ以外は、好きになってほしくない」

滅茶苦茶だ。

アイドルが偽物であるか本物であるかなど気にしない。

大多数、或いは誰かに好きになってもらうために演じ、そしてその姿は決して偽りたくない――?

そんな、そんな、

望んだ自らを、そのままに受け入れてもらえるなんて、

時子「そんな、傲慢なことが――」

私の呻きに、彼女はなおも目をそらさない。

どこか遠くを見つめるような、虚ろな、穏やかな、夢を見るような双眸で、


まゆ「許してもらえるまで、愛するんです」
48 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 20:05:34.57 ID:1iL2fWn50



――自分の中にあった違和感。

自分が自分ではないような感覚。

私の中の経験が、身体が、私のものではなかったあの不和。

その正体が、わかってしまった。

あの家から逃げ出すことで知らない振りをしてしまった事実。


時子「……私が、本物じゃ、なかった」


それを思い知らせてくれた彼女の元をあとにして、呼び止めるトレーナーも振り払って、私はただ、あの事務員の元へ歩を進めた。
49 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 20:08:34.61 ID:1iL2fWn50

私は本物を着た人形だった。

本物がわかるだけの、ただの偽物に過ぎなかったのだ。

だが私はここにいる。

偽物を認めない、そんな私が。

佐久間まゆの言葉が頭の中で反響する。


――自分という存在を受け入れてもらえるまで、ずっと愛を捧げる。


いいや、そんなやり方は。

蝶よ花よと育てられ、あらゆる分野で頂点をとった私が、愛されるまで愛するなど、


――そんなやり方は認めない。


だから、ドアを開き、私は彼女に言い放つ。



時子「ちひろ。必要なものがあるの。這いつくばってでも準備なさい」
50 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 20:09:38.20 ID:1iL2fWn50

――――
――


騒がしい鳴き声が、耳を刺す。

あともう数十歩、脚を進めればステージに出てしまうほどの距離。

階段を数段上ったところで、佐久間まゆが観客たちに愛を振りまいている。

ちひろ「緊張していませんか、時子ちゃ……時子さま?」

時子「何をどう見れば、緊張しているように見えるのかしら?」

ちひろ「一応おたずねしますが、それは自信ですか?」

時子「私が私であることに、覚悟が要ると思う? 考えてからものを言いなさい」

私のその言葉を聞いて、彼女は安心したように笑った。
51 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 20:12:18.50 ID:1iL2fWn50

ちひろ「トレーナーさんたちからの報告を聞いて、はじめのうちは冷や冷やしていたんですよ。間に合わないんじゃないかって」

ちひろ「だけど、突然歯車がかみ合ったみたいに良くなって……初めて舞台に立つ人とは思えないって」

時子「……初めて?」


私は、かつての自分の姿を思い出す。

赤いハイヒールを履いて財前の娘として名乗りを上げたときのことを。

ちょうどあれも、クリスマスイヴの日だったか。

あの日からずっと、私は演じ続けてきた。

取り巻く者どもが私にそうしたように、私も財前の人間として望まれるように演じていたに過ぎなかったのだ。

それに気付くまで9年だ。9年かかって、私はようやく、本物になれた。これが初舞台と呼べるほどの浅さはない。

時子「無様な姿なんて、見せるわけないでしょう」
52 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 20:20:08.26 ID:1iL2fWn50

ちひろ「その言葉、プロデューサーさんにも聞かせてあげたかったですね」

時子「そういえばあの豚は……私を置いてどこをほっつき歩いているのかしら?」

ちひろ「プロデューサーさんなら、舞台の下手側で待機しています。時子ちゃんの姿は絶対に見ないと怒られるって言ってましたから」

時子「ふん、わかってるじゃない。一瞬でも目をそらしたら容赦しないわ」

そう言いつつ、私はステージの上に視線を投げる。

ピンクのフリルを身に纏って、甘い声で歌を歌う彼女。

彼女は本物だ。

アイドルと自己の境界に、差を全く感じていない。自分の全てを、アイドルというもので成形している。

だが、それがアイドルなのだろう。

ちひろが言っていた言葉が、今になってようやく理解できた。

偽物はアイドルになれない。

本物を貼り付けた偽物程度では、人の心に触れることすら敵わないのだ。

この事務員はもしかすると、私のその浅さに気付いた上で、わざと「アイドルになれる」などと言い放ったのではないだろうか。
53 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 20:20:54.90 ID:1iL2fWn50

時子「……あなたも、本物なのかしらね」

ちひろ「何がですか?」

時子「……何でもないわ。派手な色の腰巾着かと思っていたら、想像よりは使えそうだと思っただけ」

ちひろ「……あ、もしかしてあれのことですか? ぎりぎりになって時子ちゃんが欲しいって言ってきた……」

時子「あれも、よく間に合わせたわね。褒めてあげる。どうせ無理だろうと思っていたから」

私がそう言い放つと、彼女はなぜかばつの悪そうな顔をした。
54 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 20:22:58.69 ID:1iL2fWn50

ちひろ「時子さんにお渡ししたあれ、実は……もともとプロデューサーさんが用意させていたものなんです。時子ちゃんが、きっと必要だって言ってくるだろうから揃えておいてくださいって」

ちひろ「半信半疑だったんですけど、本当に言ってきてくれたからびっくりしちゃいました」

その言葉には、さすがの私も驚きを隠せなかった。

私の突然の思いつきを、あれは予想していた――?

時子「あの豚は……いったいどういう奴なの」

ちひろ「プロデューサーさんですか? うちの会社きっての超敏腕プロデューサーですよ。200人近いアイドルを同時にプロデュースする、正直得体のしれない人です」

そう言って彼女は、くすくすと笑う。
55 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 20:23:40.81 ID:1iL2fWn50

時子「200人……?」

ちひろ「しかも、時子ちゃんみたいにすぐスカウトしちゃうので……どんどん増えていくばかりです」

ちひろ「この世界はもっと楽しくなる、って言って、少しでも気になる子がいると声をかけてしまうみたいで……」

時子「この世界は、もっと楽しくなる……」

時子「気にくわないわね、その言葉」

私のその呟きが、向こう側からの歓声に掻き消された。

出番が近い。ステージの上から、あのアイドルが視線を送っていた。
56 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 20:26:23.24 ID:1iL2fWn50

――気にくわない。

あの豚が、暇を持て余す主人を差し置いて、世界を楽しくしようだなんて。

階段に脚をかける。踏み出した一歩の感触が、いつもとはまるで違う。

心地の良い感触が、全身を痺れさせた。

時子「フン、やっと、面白くなるのね」

あのとき用意させた靴。用意させられたハイヒール。

高さ10cmの、ほんの少しだけ背伸びした、新しい私の一部。
57 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/11/03(土) 20:28:27.06 ID:AH2JngTaO
かっこいい
58 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 20:28:30.01 ID:1iL2fWn50

ああ本当に、なんて気にくわない。

主人である私が、豚なんかに望まされるなんて。

だから今度は、私の番だ。

あの子のように、愛されるまで愛し続けるなんて、そんなまわりくどいやり方は私じゃない。
59 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 20:29:26.44 ID:1iL2fWn50

刮目なさい。

貴方の主人が、豚どもに望ませる姿を。

全てを望ませ、そして与え、さらに掌握するこの私を。

7cmの高さからは見えなかったこの光景。

プラス30mmの彼方から、私は全てを支配する。

下僕どもの欲望も、その快楽も――


時子「さあ、愉しませてあげる」


決して、飢えさせてなどやるものか。
60 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 20:30:09.94 ID:1iL2fWn50

以上になります

読んでくださった方、ありがとうございました!
61 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 20:33:53.99 ID:1iL2fWn50
>>39
コメントありがとうございました
すみません、それは私ではないです
そちらのほうも読んでみたいですね
62 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/11/04(日) 03:11:38.24 ID:Owg0dQQw0
乙!
面白かったわ!
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