【モバマス】時子「30mmの彼方から」

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1 : ◆Ava4NvYPnY [saga]:2018/11/03(土) 16:18:30.41 ID:1iL2fWn50
モバマスSSです
地の文・少しの独自解釈あります
口調等おかしいかもしれませんが、見逃してください

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1541229509
2 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 16:26:09.54 ID:1iL2fWn50
初めてハイヒールを履いた日のことは、鮮明に覚えている。

爪先のほんの少しの窮屈さと、ふわふわとした頼りなさ。

それ以上に激しい高揚が、全身を貫いたのだった。

だから、気付くことができなかったのだ。

私のいるこの世界が、いかに偽物で溢れかえっているのかに。

3 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 16:33:39.97 ID:1iL2fWn50
――――
――

この業界に足を踏み入れて二ヶ月が経つ。

毎日のようにあるダンスレッスンやボイスレッスンの成果が、確実に自分のものになっている実感があった。

自分のできなかったことが、一つ、またひとつと無くなっていくことに、安堵にも似た喜びを感じる。

財前家の女として産まれた以上、私は一定の水準を満たしていなければならない。

今はまだ候補生で、安心していられるような立場ではないのだと自分を戒める。。

私はまだ、アイドルではないのだと。

4 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 16:37:17.59 ID:1iL2fWn50

会社の敷地内に建てられている寮の屋上から、往来のほうへ視線を放る。

ふ、と息をつき、私は目を細めた。

?「どうしたんですか、こんなところで黄昏れて」

背後で声が響く。

時子「チッ……見ていたのね」

後ろに立っていたのは、事務員の千川ちひろだった。スカウトされてここに来たときから、どういうわけか何かと声をかけてくる。

ちひろ「こんな遅くに考え事ですか。明日は大学の授業があるんですよね」

学生である以上、その期の講義計画はプロダクションに提出しなければならない。そんな性ではないと知っているために、あの男――この事務員の同僚は、余計に嬉々として講義登録票を回収していった。
5 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 16:38:14.07 ID:1iL2fWn50

時子「盗み見なんて、躾がなってないわ」

ちひろ「候補生の子の管理は、事務員の業務の一つですから」

私の悪態に、彼女は嫌な顔一つしない。

まるで、一過性の反抗期を見守るかのような顔つきでするりと躱されてしまう。

……そもそも、このプロダクションには癖の強い人間が多すぎる。

猫耳だの、わけのわからない言葉を話すゴシック風の子だの、着ぐるみを着た幼女だの……

それら雑多なものと同じにされるのは心外だが、私個人のことについてやかましく言われないぶん、大学にいるよりも楽だった。
6 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 16:39:28.20 ID:1iL2fWn50

――さすが財前家のご令嬢。なんでもこなされますね。


――お見事です、時子さんに敵う相手なんて、他のどこにも……


蝶よ花よと育てられ、与えられ、その全てにおいて頂点を手にした私にとって、周囲からの賞賛など煩わしいものでさえあった。

ちひろ「わたしは、事務員として候補生の時子ちゃんの面倒をみる義務が……」

時子「アァン?」

ちひろ「時子ちゃ――」

時子「あ?」

ちひろ「……時子さんのご機嫌はいかがと思って、お尋ねしたんですよ」

時子「……ふん、わざわざこんな屋上まで来て、ご苦労なことね」

時子「おおかた、屋上の鍵を閉めに来たみたいだけど」

ちひろ「ばれちゃいましたか」

彼女はそう言って、私の隣にやってきた。

7 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 16:40:54.95 ID:1iL2fWn50

時子「相変わらず派手な制服ね……そんな目に痛い服、いったいどこに売ってるのかしら」

ちひろ「ふふ、よく言われます。でも案外、着心地は良いんですよ?」

時子「……見ればわかるわ」

色こそ正気を疑うものだが、素材や作りはよく洗練されている。長い間着用していても簡単にはくたびれない、良いものであるということは初めて会ったときからわかっていた。

ちひろ「ちなみにこの色はプロデューサーさんのセンスですよ。眠くても目が覚めるって」

時子「……ほんと、とんだ変態ね、あの男は……」

時子「従順な下僕になるとあの豚が言ったから、主人になって躾けてやる契約をしたのに、二か月もこの私を放っておくなんて……」

ちひろ「候補生のうちは、あまりプロデュースできることはないですからね……」

ちひろ「でも、レッスンの内容を考えているのはプロデューサーさんですし、きちんとトレーナーさん達に進捗を確認したりしていますから、もし会ったらお礼――ご褒美をあげてもいいと思いますよ?」

時子「……ふん、考えておくわ」
8 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 16:42:40.11 ID:1iL2fWn50

時子「それで? 鍵を閉めるんじゃなかったの?」

私は扉を指さしながら、彼女を一瞥する。

ちひろ「そうですね、時子さんがお戻りになってくださったら、いつでも」

くすくすと笑いながらそう答える彼女に、私はわかりやすく舌打ちをする。

時子「そ。じゃあ、もう少しここでゆっくりさせてもらうわ」

ちひろ「ご一緒しますよ。お話でもしませんか?」

時子「何か面白いことでも話してくれるんでしょうね」
9 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 16:44:22.84 ID:1iL2fWn50

ちひろ「面白い話……時子ちゃ……時子さんがスカウトされたときなんて、面白かったですよ」

時子「……」

ちひろ「あのとき言った言葉、今でもそう思ってますか?」

時子「当然よ――よく覚えてる。二言はないわ」

二ヶ月前のできことだ。私がこの世界に飛び込んだ日。

まるで数時間前のことにように思い出される。

それは、決してあの出会いが鮮烈だったからではない。

過ぎたことを忘れるには、この世界はあまりに緩慢で、退屈だからだ。

10 : ◆Ava4NvYPnY [saga]:2018/11/03(土) 16:49:42.95 ID:1iL2fWn50

――――――
――――
――

何もかもがいつも通りだった。

大学へ行き、講義を受け、取り巻きたちを適当にあしらい、大学を出てジムでメニューをこなして帰路につく。

いつもと違ったことと言えば、ジムで気の抜けた顔をした男に好意を告げられたことくらいだろうか。

あのジムでよく見かけたから、それなりの身持ちではあるのだろうが、彼の下卑た笑顔を見た瞬間、何かが偽物だと感じて黙殺した。

道行く人々は、楽しげに言葉を交わしながら思い思いの時間を過ごしている。

見た目だけのバッグ、スマートさを失った革靴、品のない光を跳ね返すアクセサリー。

騙そうという作り手の意思すら感じるそれらが、私は好かないのだ。

そんな中、一組の男女が目に入った――というよりは、一人の女性に。

時子「なにかしら、あのふざけた服は……」
11 : ◆Ava4NvYPnY [saga]:2018/11/03(土) 16:51:48.64 ID:1iL2fWn50

黄緑の事務服を着た女性。その傍らには、普通のスーツを着た二十代半ばの男性だ。

時子「……世の中にはとんだ変態もいるものね」

恐らく会社の飲み会の罰ゲームか何かだろう。まだ夜も遅くないのにご苦労なことだとため息をつきながら、私はその場を去ろうとする。

そのときだ。


?「落としましたよ」


誰かの声がした。
12 : ◆Ava4NvYPnY [saga]:2018/11/03(土) 16:55:02.98 ID:1iL2fWn50

私は黙って振り返る。さっきの、黄緑女の横にいた男性だ。

下を見遣ると、なるほど確かに私のハンカチが落ちていた。いつもなら取り巻きが我先にと拾いにかかるのだが、当然その男性はそんなことをしないだろう。

男「ハンカチ、あなたのですよね」

何も言わない私に首を傾げながら、彼はハンカチを拾い、こちらに差し出した。

時子「……」

気にくわない。この私が、拾ってもらったのだという立場が、なぜだか許せない。

ジムであんなことがあったからだろうか。それとも、相手が女性に謎の服を着せて喜ぶ変態だからだろうか。
13 : ◆Ava4NvYPnY [saga]:2018/11/03(土) 16:57:38.73 ID:1iL2fWn50

同じようにただ黙って彼を睨めつけていると、彼は何を思ったか、ほんの少し頭を垂れ、捧げるようにハンカチを私の前へ差し出した。

一瞬呆気にとられ、変な感覚が全身を走った。私はなるべくその様子を見せず、冷たく言い放つ。

時子「……どうも」

あまり愛想を良くして、調子に乗られても迷惑だ。

……なのに、相手はこちらから視線をはずそうとしない。

時子「下衆い視線でじろじろと……不躾な目で見る人ね。何か?」


男「ああ、すみません。ただ……良い靴ですね」


14 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 16:59:58.22 ID:1iL2fWn50

時子「靴?」

私はもう一度視線を落とし、自分の靴を見た。

……普通のハイヒールだ。

男「よく似合ってます。ハイヒールは、7cmが一番女性を綺麗に見せるらしいですね」

男「あなたのそれも7cmのものですね。でもそれだけじゃなく、きちんとあなたに見合っている」

時子「……」

男「すみません、申し遅れました、私、美城プロダクションでプロデューサーをしている……」

女「ちょっと、プロデューサーさん? いつまでお話を……もしかしてスカウトですか?」

プロデューサー、とやらが言い終わらないうちに、緑の女性が割り込んでくる。

女「わたし、事務員の千川ちひろと言います。突然で申し訳ないんですが、もしアイドルに興味がありましたら、ぜひ事務所でお話を聞いてくださいませんか?」
15 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 17:05:29.12 ID:1iL2fWn50

ちひろ「断っていただいても、全然かまわないので!」

時子「……ふん、別にかまわないけれど。先に一つ貴方に言っておいてあげる」

私はプロデューサーと呼ばれた彼を正視する。

時子「貴方の下につくつもりはないわ。私をアイドルにしたいだなんて言う変態の下にはね」

時子「私がアイドルになるときは――私が貴方のご主人様になるときよ。私が貴方を躾けてあげる」

ちひろ「……はい?」

時子「私はアイドルになりたいわけじゃない。ただ、楽しそうだと思ったから、貴方たちに乗せられてあげる。金のために働くなんて馬鹿みたい。所詮は暇つぶしよ、私がこの世界で生きていく間のね」

財前家である私が彼らに使われるなんて、あり得ないことだ。立場は、わからせておくべきだろう。

そんな、一般的に見れば突拍子もないことを言っているであろう私を見据え、彼は「それでは事務所に」と笑った。


――
――――
――――――
16 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 19:18:54.60 ID:1iL2fWn50

時子「アイドルなんて遊びよ。金のために働くなんて馬鹿みたい。所詮、この世のすべては生きてる間の暇つぶしに過ぎないんだから」

スカウトされた直後、彼と彼女の目の前で放ったこの言葉は、彼らにとってとても鮮烈だったらしい。

かたちだけの偽物、意味を欠いた贋作の蔓延るこの世界は、あまりにフラットで息が詰まりそうなのだ。

誰もが一生懸命になって、金を稼ぎ、生きるためにアイドルをやっていたとしても、私はそうではなかった。この気持ちは、今でも変わっていない。

真剣にレッスンに取り組んでも、それだけが生きる道ではない。

ちひろ「あれを聞いたとき、びっくりしたんですよ? 雰囲気からしてお嬢様なのはわかってましたけど、本当にそんなことを言う人がいるなんて」

ちひろ「あのとき、よく事務所に来てくれましたよね」

時子「……本物をわかる人間の話を、無碍にはしないわ」


17 : ◆Ava4NvYPnY [saga]:2018/11/03(土) 19:21:04.75 ID:1iL2fWn50

ちひろ「本物、ですか?」

あのとき彼は、私の靴を見て私に見合っている、と言った。

私が作らせた、特注の一級品だ。あのとき、ブランドの既製品はいくつも身につけていた。どのアイテムにもそのロゴは入っていたが、あのハイヒールだけはそんなものは表には出させなかった。

ちひろ「意味がどうであれ、プロデューサーさん、アイドルになれそうな子はみんな欲しくなるって言ってましたから、そういう意味では、ちゃんと時子ちゃんの心を掴めたんですね」

時子「……ふん」

時子「そんなことより、不愉快よ、この話。私を楽しませてくれるんじゃなかったの?」


ちひろ「そうですねえ、あ、そういえば初仕事、決まりそうですよ」


18 : ◆Ava4NvYPnY [saga]:2018/11/03(土) 19:22:28.25 ID:1iL2fWn50

――さすがに、虚を衝かれた。

時子「……どんな?」

ちひろ「まだ具体的なことは何も。ただ、年末――というか、クリスマスの時期に合わせてライブをやるのは知っていますよね」

ちひろ「そのときに、時子ちゃんをお披露目する段取りで進んでます」

時子「……っ、」

ちひろ「普通ならバックダンサーなどで舞台慣れさせてからのデビューになるんですが、時子ちゃんはあまりにも華々しすぎるので、他のアイドルの子の曲か何かをカバーしてもらうことになりそうです」

ちひろ「もちろん、ソロになるので、相応の覚悟をしておいてください」

私だって、この会社に入って二か月目とはいえ、クリスマスの時期に開催されるイベントがいかに大きいかはわかっている。そんなときに、私が?
19 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 19:23:22.86 ID:1iL2fWn50

ちひろ「まぁ、まだ仮ですけどね」

ちひろ「もしかして、怖いですか?」

時子「そんなわけ……っ」

思わず声を荒げた私に、彼女は「さすがですね」と呟いた。

時子「私は、すべてにおいて頂点をとってきた。今回もそう――」


ちひろ「それは、自信ですか?」


私の声を遮って、彼女はそう私に問うた。

時子「……は?」
20 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 19:25:08.75 ID:1iL2fWn50

反射的に威圧的な態度をとってしまった私に対して、彼女は臆することなく笑みを浮かべたまま、

ちひろ「それは、自信なんですか?」

彼女は、底の知れない笑みを湛えたまま、私にそうたたみかけた。

時子「黙りなさい」

冷たくそう言い放ち、彼女に背を向ける。

ちひろ「プロデューサーさんは、見込みのある候補生の子を大舞台でデビューさせるのが趣味なんです」

時子「……ふん、下僕にしては良い趣味をしてるわね。せいぜい私の姿を目に焼き付けるが良いわ」

かすかに手が震えているのがわかった。

それは、決して寒さのせいじゃない。

時子「……これが自信かと訊いたわね」

私は一度下唇を強く噛み、視線を落とした。胸の中に渦巻く気持ちの悪い感情は、その程度の痛みでは消えてくれない。

時子「……そうね。これは自負。二度と野暮なことは訊かないで頂戴」

震えを振り払うように手を振りながら、私は屋上をあとにした。

21 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 19:25:51.12 ID:1iL2fWn50

――寮にしてはやけに広い廊下。凝った装飾。

ここにいるのが夢を売るアイドルだとわかりきっているからこその、金の使い方だろう。

だが、こんなものは偽物にすぎない。

壁紙を剥がせば灰色が顔を覗かせるし、ガス灯を模した照明も、その中はただの白熱電球だ。

何もかもが偽物に見える。

面白そうだと飛び込んだこの世界も、見飽きた嘘の塊にすぎなかった。

時子「こんなもの、暇つぶしにもなりやしない」

そう呟いたその声は、僅かにかすれていたような気がした。
22 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 19:27:26.53 ID:1iL2fWn50

初仕事の詳細が決まった。

12月24日のクリスマスイブ。数億の金が動く、あまりに大きな舞台だ。詳細が明かされてから、私以外のアイドルたちも背筋が伸びているようだった。

P「時子さんには、こちらの曲を演ってもらいます。それほど動く振り付けではないので、覚えやすいかと。しばらくは専属のトレーナーさんに入ってもらう形になりますね」

時子「一曲だけかしら? 私にかかれば、すぐに覚えてしまうと思うけれど」

P「ええ、まずは専念して頂くという形で。時子さんの実力を疑うわけではないですが、きっと苦労なさると思います。頑張ってください」

スカウトしてきたときこそ低姿勢でアプローチをかけてきたものの、やはり仕事となると彼にも威圧感が宿る。

彼の敬語は、こちらを敬うようなそれではなく、業務を円滑に進めるためのものだった。
23 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 19:28:53.33 ID:1iL2fWn50

時子「チッ、気にくわないわね」

P「なにかご不満がありましたか?」

時子「その態度よ。私の下僕になるという契約で入ったはずよ。躾がなっていないわね」

私の言葉に、彼は苦笑いを浮かべた。ばつの悪そうな表情の彼に、私は再び舌打ちを飛ばす。

P「決して焚き付けているわけではないんですが、今の時子さんはまだ候補生の段階です。12月24日でのデビューを以て、自分のプロデュース対象に入ると言いますか……」

時子「下僕の分際で、主人である私を騙したの?」

P「管轄が違う、というわけでもないんですがね。一応自分の立案したライブでのデビューですし、面倒を見ないというわけでもありません。ただ、デビュー日などを公開する関係で、ライブが終わるまでは、手続き上プロダクション直轄の養成所が時子さんの所属になります。一応、説明の書類はお渡ししましたが……」

P「時子さんが24日のライブを通して、アイドルになってもいいと思って頂けたのなら、是非自分を使ってくださいね。初仕事が最後の舞台になる子も、ゼロではない業界ですから」

そう言って彼は、手慣れた様子で握手を求めた。

それを払いのけ、私は彼を睨む。
24 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 19:30:12.02 ID:1iL2fWn50

時子「……あのとき、なぜ声をかけたの。貴方ごときに扱えるような女じゃないことくらい、わからなかったのかしら」

P「まあ、毛色は違いますね」

P「でも、だいたい時子さんと同じです。もっと世界を面白いものにしたくて、俺はプロデュースをやってます。時子さんも、この世界を退屈に思ってるでしょう」

P「アイドルはきっと、時子さんに向いています」

私のことを全て知ったかのようなその口ぶり。だが、それに反発させない威圧が、今の言葉には確かに滲んでいた。


――挑発されている。暇を潰させてやる代わりに、まずやり遂げろと。

25 : ◆Ava4NvYPnY [saga]:2018/11/03(土) 19:31:20.54 ID:1iL2fWn50

時子「フン、せいぜい、自由なこの時間を満喫しておくことね。イブが過ぎたら、ゆっくりとしつけてあげる」

苛立ちをぶつけるように残したその言葉が、廊下に響く。

残響を背にして私はその場を立ち去る。


気にくわない。


あの目。


アイドルを使って、世界を面白くする――あまりに荒唐無稽で身の程知らずな願い。

何もかもを欲しがる彼は、決して満たされることのない、貪欲な生き物だ。


そう、まるで、常に飢え続ける豚のようだと、私は思った。
26 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 19:32:23.29 ID:1iL2fWn50

時間の流れが速い。

公演までは二ヶ月を切っている。それなのに、私は――

トレーナー1「ダメだ財前、やり直しだ。その動きは歌にあわない」

トレーナー2「なんていうかな、一つ一つの動きが、バラバラなんだよ。二人羽織みたいだ」

トレーナー3「うーん、もう少し感情を込めて歌ってくれるかな」

やり直しの毎日だった。

休憩の合間に覗いた他アイドルたちは、順調にレッスンをこなしているようで私の数倍先を行っている。彼女たちよりも演出量は少ないはずなのに、私だけが同じ場所で足踏みをしていた。

自動販売機で水を買い、仰ぐ。安っぽい味が頬の内側に残った。
27 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 19:33:27.04 ID:1iL2fWn50

――このくらいできないでどうする。

――財前の娘だろう。

――全然なってない。こんなのじゃよそ様に紹介できない。


時子「……黙りなさい」

朧気な記憶を振り払うように、私は瞑目しながら呟く。

時子「……嫌なことを思い出したわね」

財前の娘として。

このくらいがどうしてできない。

今も時折耳にする、あの声。

私は努力してきた。全てにおいて、財前の名に恥じぬように。

だからこそ、私は何においても他を制するほどの実力を手にしたのだ。

スポーツや教養だけでなく、社交界において常識とされる趣味まで何もかも。

本物を見極め、偽物を排し、それなりの審美眼も養った。

その中には歌も踊りもあった。そこでも当然、私は上り詰めたのに。


時子「そんな私が、どうして……っ」


?「あ、あの、大丈夫ですか……?」

28 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 19:34:21.55 ID:1iL2fWn50

不意に、背後から声がかけられた。

時子「……何かしら」

?「いえ、何か、思い詰めた空気だったので……」

振り返ると、私と同じ練習着を着た少女が立っていた。少し上気した顔を見ると、私と同じようにさっきまでレッスンを受けていたのだろう。

時子「何も聞いていなかったでしょうね。聞いていたのなら忘れなさい、すぐに」

私が立ち上がると、彼女は怯えたように肩をふるわせた。

まゆ「ま、いえ、わたしは、佐久間まゆ、です。財前時子さん、ですよね」

そう名乗った彼女は、こちらに深くお辞儀をした。
29 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 19:35:53.43 ID:1iL2fWn50

時子「……よく知っているのね」

まゆ「はい。クリスマスのイベントで、時子さんの前にステージに立っているのがまゆなんです。もしかすると、少しだけでも、一緒にステージに立てるかもしれないですね」

彼女はそう言って無防備に笑った。私がどんな人間かも知らない彼女は、穏やかな笑顔で当日のことを語っている。

不快にならない距離感で、決してこちらには深く足を踏み入れないように。

その阿るようなやり方が、あの日々を思い出させるようで余計に――

時子「不愉快だわ」
30 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 19:36:42.75 ID:1iL2fWn50

口に出ていたとわかったときは、しまった、と思った。

彼女の笑みが凍り付くのが傍目にわかった。

まゆ「ま、まゆ、何か変なこと、言いましたか? ごめんなさい、緊張とか、不安とか、たくさんありますよね……気がつかないで……」

時子「……」

P「まゆ、そろそろ時間だぞ……あれ、時子さん」

慌てふためくまゆに何と声をかければ良いか決めかねているうちに、彼がスケジュール帳を持ちながら現れた。

まゆ「ぷ、プロデューサーさん」

P「どうしたまゆ、何かあったのか?」

まゆ「い、いえ、何も」
31 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 19:37:54.96 ID:1iL2fWn50

時子「……私が彼女にひどいことを言ってしまったのよ。悪かったわね」

告げ口をするような人間でもないだろうが、問題は早々に解決した方が良い。彼女は恐らく、年下とは言え先輩だ。共演もあり得るのなら、下手な波風を立てるのは得策ではない。

P「練習も厳しくなってきた頃合いでしょうし、うまくいかないこともあるでしょう」

彼はまっすぐに私を見てそう語った。

前にも、彼はそう言っていた。きっと私が苦労するだろうと。

時子「何も知らないくせに……」

子供のような癇癪をそんな呻きに乗せてしまう自分が、あまりに情けない。

いろいろなことを覚えて、努力して、何もかもを勝ち取ってきた。

アイドルだってそのはずだった。それなのに、全くうまくいかない。

トレーナーの言っていることが、自分の身体にうまく落とし込めない。

32 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 19:38:52.22 ID:1iL2fWn50

P「スカウトした自分が言うのも何ですけど、もしも無理そうなら、遠慮せずに自分に言ってください。デビューは必ずその日でないといけないわけではないですし、まだ調整もききます」

時子「何を……っ、豚の分際で見くびらないでくれるかしら。私は――、」

時子「私は、財前の、娘よ」

口を衝いて出てきたその言葉が、やけに自分の胸に突き刺さる。

P「あなたなら、きっとやり遂げられます」

そう言った彼は、まゆにこれからのスケジュールを簡単に伝えてその場を後にした。

私と、彼女だけが残される。

不満げな表情を浮かべている彼女は、やはり不服そうな口ぶりで私に話しかけてきた。


まゆ「どうして、プロデューサーさんにあんな酷い言い方をするんですか……?」
33 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 19:40:02.40 ID:1iL2fWn50

時子「それであなたに、何か不都合があるのかしら?」

まゆ「あります」

きっぱりと言い放った彼女に、私は一瞬でも戦いた。

まゆ「プロデューサーさんは、まゆをアイドルにしてくれた人です。あの人が傷つく姿を、まゆは見たくありません」

まゆ「まゆは、プロデューサーさんのためにアイドルをしているんです」

彼女のその言い方が、嫌に耳に障った。

時子「聞いてあきれるわね。拾ってもらえたから、それに恩義を感じて尻尾を振るの? そんなの、何も考えない人形と同じじゃない」

まゆ「同じじゃありません」


まゆ「まゆは、まゆが望むとおり、あのひとが喜んでくれるまゆになりたいんです」


時子「……っ、」

声が出なかった。目の前の少女が叫ぶその意味は、あまりに重い。

言葉の一つ一つはあまりに単純だ。

だが、そこに込められた彼女の気持ちだけが、ただまっすぐで、健気で、理解できないものだった。
34 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 19:40:45.16 ID:1iL2fWn50


ちひろ「どうですか、時子ちゃん。実物を目にすると、アイドルになる実感がわくんじゃないですか?」

まゆとの邂逅から三週間が経ち、イベントも一ヶ月後に迫ってきた。

今日は衣装合わせで、多くのアイドルたちと一緒にロッカールームに集まっていた。

時子「……よくできているのね」

近くでは見たことのなかったアイドルの衣装というものを見て、私は感嘆する。素材こそ本物の良品よりも粗悪なものだが、作りは丁寧で試行錯誤の跡が見て取れた。

ちひろ「ええ、ありがとうございます。時子ちゃんがパーティなんかで着るような服の布だと、衣装一着あたりのお値段がとんでもないことになりますから、かなり安い生地になってしまって……」

ちひろ「でも、他の子たちの衣装と比べたら、時子ちゃんのこれは数倍くらいお金がかかってますよ」

時子「……そう」
35 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 19:41:49.73 ID:1iL2fWn50

いくら安物でも、そう言われるとどうしてか悪い気はしなかった。

だが当然、どうして、という疑問もわいてくる。そういう質問を気軽にできないのが、自分の性格の嫌なところだった。

ちひろ「やっぱりクリスマスにデビューですし、それに初めての衣装って、やっぱり大切なものだから……ちゃんと残るものにしたいじゃないですか」

衣装箱に入れられた小物を取り出して検品しながら、ちひろはそう呟く。その背中は楽しそうに弾んではいるが、その声色は僅かに暗い。

ちひろ「着てみてください、きっと似合うはずですよ。なんたって、あのプロデューサーさんもデザインに協力してくださってますから」

時子「貴方の服をデザインしたあれが……? それを聞いて余計に不安になったわ……」

だが実際に袖を通してみると、想像していたよりもずっと動きやすい作りだった。おそらくこれも、機能性を確保するために随所に工夫が凝らしてあるのだろう。

事務員に視線で感想を求められたが、鼻を鳴らして一蹴しておいた。
36 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 19:42:40.66 ID:1iL2fWn50

姿見に映った自分の姿を見ると、自分が自分でない錯覚さえ抱く。

ちひろ「着てみると、やっぱり時子ちゃん綺麗ですね。アイドルになった感じ、ありますね」

時子「ふん、当然でしょう」

ちひろ「ふふ、服は変わっても、時子ちゃんはやっぱり時子ちゃんですね」

ちひろ「あ、そうだ、靴の方も確認しておかなきゃですね。踵の部分が結構高いんですけど、大丈夫そうですか?」

別の箱から取り出した靴を確認する。派手な装飾はあるが、基本は普通のハイヒールだ。

ちひろ「7cmのヒールですから、歩きにくいことはないと思います。いつも履いていらっしゃいますよね。ただ、これで実際に踊ったりしますので、これからのレッスンにはこれと同じ高さの靴を履いてもらうことになります」

そう言いながら、彼女が私の足に靴を嵌めてくれる。いつもパーティで履くのと同じ感覚だ。


慣れた感覚。

だが、これを履いてダンスができるかと言われれば、今の私には首を縦に振ることはできない。

トレーナーからある程度の良しはもらっているが、彼女たちの顔色から、それが妥協や諦観であることは明らかだった。
37 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 19:43:33.73 ID:1iL2fWn50

鏡に映った、自分の像。

今までとは違う自分。

時子「こんな仰々しいもの……偶像なんて、いったい誰が魅入るのかしら」

時子「熱狂する愚民たちは、アイドルの何を見て心を動かされるのかしら? こんな姿は所詮、偽物にすぎないのに」


ちひろ「だったら、時子ちゃんはアイドルになれますね」


38 : ◆Ava4NvYPnY [saga sage]:2018/11/03(土) 19:45:45.55 ID:1iL2fWn50

突として、痛いほどの静寂が広がった。

時子「――は?」

息継ぎをするように漏れた声が、自分の鼓膜を刺す。

鏡越しに、彼女と目が合った。

いつもと同じ笑顔が鏡の向こう側から覗き込んでいる。

ちひろ「偽物は、アイドルにはなれませんから」

ちひろ「時子ちゃんは、偽物なんかじゃないですもんね」

時子「……アァン?」

凄んでいるはずが、うまく表情を作れない。

力を入れているはずの眉根にも、瞼にも、そして喉にも。

まるで、自分がばらばらにされているようだった。
39 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/11/03(土) 19:46:23.07 ID:yPO1HskWo
このやり手っぽいP見たことあるな
前にkwsmさんのSS書いた?
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