【たぬき】小早川紗枝「古都狐屋敷奇譚」

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252 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2018/10/30(火) 22:45:12.26 ID:Ot3H6Rrq0

「諸君は何故、我が娘に固執する? 諸君と娘は住む世界が違う。こうまでして連れ戻そうとする理由は何だ?」

 理由ねぇ。
 損得を勘定に入れてるんだとしたらお門違いもいいとこだ。

 一から十まで筋道立てて説明できる気もしない。だって理屈なんて無いんだから。

「……あたしにもわからない、ってんじゃダメ?」
「戯けたことを」

 狐が前脚を払った。

 ばしっと衝撃が走ってのけぞる。赤牡丹の簪が吹っ飛ばされて転がった。
 娘がずっと付けているものと色違いのそれが、狐は気に入らないらしかった。

「……っ!」

 巨大な前脚で押さえつけられる。
 床に押し倒される形になり、あたしは肺の中の空気を「かはっ」と吐いた。

253 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2018/10/30(火) 22:46:27.79 ID:Ot3H6Rrq0

「これだからな。人間はこれだから。愚にもつかぬ感情で動く。だから低俗だというのだ」
「そりゃあ……阿呆だからねぇ」

 やばい、流石にちょっと苦しいかも。
 狐が鼻先を近づけ、冗談みたいにでかい牙をくわっと剥いた。頭からバリバリ食われるかもしんない。

「どうせなら、踊らなきゃ。みんな同じ阿呆だもん。面白いことやって、新しいこと初めて……」
「もうよい、黙りたまえ。我々は諸君とは違う」


 圧迫感に顔を歪め、あたしはそれでも不敵に笑って強がる。

254 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2018/10/30(火) 22:50:24.66 ID:Ot3H6Rrq0

「……確かに。でもそんなにお偉いお狐さんなのに、人を化かすのは得意でも化かされるのには慣れてないの?」
「なに?」
「気付かない? あたしはすぐ気付いたけどなぁ。それとも、あんまり腹が立って目が曇ってたとか?」

 何を言っているのかわからないという顔。
 獣にも表情があるのだ。なんかちょっと可愛いかも。

 ポケットに手を突っ込み、中身を狐に見せてやる。


「ちなみに、本物の簪はこっちね」


255 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2018/10/30(火) 22:55:41.66 ID:Ot3H6Rrq0




 ポンッ!!



256 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2018/10/30(火) 22:57:00.05 ID:Ot3H6Rrq0

 畳に転がった偽簪が、ソーダの栓を抜くような音で元に戻る。

 美穂ちゃんは脇目も振らずに走り出した。
 狐が唸る。行かせるもんか。両手両足で前脚を掴んで引き留める。

「やったれ美穂ちゃん!!」

「紗枝ちゃんを返してもらいますっ!!」

 美穂ちゃんは祠に飛びつき、鏡を取り出して――

 石造りの狐像に、思いっきり叩きつけた。
257 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2018/10/30(火) 23:00:11.90 ID:Ot3H6Rrq0


 鏡が割れる。


 同時に、今いる座敷も砕け散った。
 あたしも狐も美穂ちゃんも重力の無い虚空に投げ出される。
 狐の屋敷は跡形もなく消え、360度全天に広がるのはただ形の無い光達。

 金や銀や紅や墨や蒼や碧や黄や紫や――絢爛の蒔絵を鍋に放ってぐりぐり書き混ぜたような、極彩の「色」の洪水だ。

「ぽこーっ!?」
「鏡を砕くなどと……この、ど阿呆め!!」

 座敷が色に満たされる。どちらが上か下かもわからなくなって、美穂ちゃんも狐もどこかに飛んでいっちゃった。

258 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2018/10/30(火) 23:02:50.28 ID:Ot3H6Rrq0

   〇


 落ちてるのか、上昇してるのかもわからない。
 さんざめく色彩は美しくて、まるで万華鏡の中を泳いでいるみたいだった。

 どれほど視線を巡らせても、紗枝ちゃんの姿を見つけることはできない。

 ひっくり返って混沌になった結界の只中を流れ、遥か彼方に光が見えた。
 外の光だと直感した。
 結界は壊れ、中にいた者は一人残らず放り出されるってことだろう。自動的に外に出られて、一件落着?

 紗枝ちゃんを見つけてないのに?

 色んな助けを得たとしても、結局はそれが人間の限界ってわけ?


「冗っ談じゃない、ここまで来て……っ!」


 人事を尽くして天命を得て、走って走ってまだ足りなくて。
 だからって諦めてたまるか。

259 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2018/10/30(火) 23:05:39.52 ID:Ot3H6Rrq0

 続く行動は、本能に近い閃きによるものだった。

 右手で頭を掴む。指の間を流れる髪は、秋空に冴える月のような銀。


 これはもともとあたしの色じゃない。
 元はあの子の髪の色。
 あの子がくれた、仙気の色だ。

「ここに少しでも残ってんなら、今すぐ応えて!!」

 念じる。こういう力の使い方なんて欠片も知らない。
 だからただ、念じる。願う。ありったけの心で志す。


「あたしは! 友達を!! 連れ戻しに来たんだ!!!」

260 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2018/10/30(火) 23:09:56.85 ID:Ot3H6Rrq0

 指先に光が絡んだ。その色は銀。

 体から抜けた仙気の残滓が煌めき、纏う右手をいっぱいに伸ばす。


 その指先が束の間、仙狐の理に触れた。


 絢爛たる色に干渉する。触れて選び、動かせる。ほんの僅かな間だった。
 一つ一つが目も眩みそうなほどに美しかった。
 そんな中で、あたしは青を見つけた。迷わず選び、掴み取った。

 自分で選んだ簪の色なら、よく知っているから。


 青牡丹の彩から眩い光が広がって、全身を包み込んだ。

261 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2018/10/30(火) 23:12:29.09 ID:Ot3H6Rrq0

  ◆◆◆◆


 気が付けば――

 あたしは、よく晴れた空の下に立っていた。
 周りには緑。どうやら小高い丘の上らしい。

 ……はてさて、どこに行き着いちゃったもんやら?
 突っ立ってるわけにもいかないので歩いていると、目の前に誰かが立っているのが見えた。

 着物と黒髪、大きな耳と尻尾……!


「紗枝ちゃ……っ!!」

 って、あれ?
 なんかちっちゃくない?

262 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2018/10/30(火) 23:14:05.12 ID:Ot3H6Rrq0

 紗枝ちゃんで間違いない、と思う。
 でも小さい。ていうか幼い。5歳くらい?

 紗枝ちゃんは目をまんまるにして、そこの茂みにぴゃっと隠れようとした。

「ちょ、ちょっと待って!」

 追っかけて襟首をキャッチ。

「うー! う〜!」

 紗枝ちゃんはじたばた暴れて抵抗する。
 間近に見る人間が怖くて仕方ないという感じだった。
 綺麗な黒髪は、揺れる端から銀色の光をちらつかせた。仙気に染まりきらない幼狐の毛なんだと思った。

 今目の前にいるのは、紛うことなく幼き日の紗枝ちゃんだ。

263 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2018/10/30(火) 23:16:36.83 ID:Ot3H6Rrq0

   〇

 なんとか落ち着かせて聞けば、紗枝ちゃんは舞の練習をしているとのこと。

「うち、うまくでけへんの」

 古びた扇子を持って、はらり、ひらり。
 けどやっぱりと言うべきか素人丸出しで、ぎこちない未熟な動きだった。

 どうして小高い丘の上かというと、ここから見下ろせるものに答えがある。

 公園でお子様向けの日舞の体験会が開かれているのだ。
 子供達は楽しそうだった。芸妓のお姉さんに合わせて、笑い合いながら舞いを学んでいる。

 紗枝ちゃんはそれを遠くから盗み見て、真似っこをしているだけだった。

 ずっと、ひとりぼっちで。

264 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2018/10/30(火) 23:19:40.53 ID:Ot3H6Rrq0

「……あっちに混ぜて貰わんの?」
「あかん。おとうはんにしかられてまう」

 ふるふる首を振る紗枝ちゃんは、同い年くらいの子供達を遠い目で見守っていた。
 決して遠くはないのに、絶対に手の届かないものを見る目だった。


「それに、うち、きつねやもの。みんなこわがってまう」


 ……ん〜。

 扇子を胸に抱いて黙りこくる紗枝ちゃんに、明るく声をかける。

「じゃさ、おねーさんが教えたげよっか」
「え?」

 ええの? と目が言っている。
 あたしは快く頷いて、扇子を受け取った。

265 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2018/10/30(火) 23:22:50.13 ID:Ot3H6Rrq0

「――わぁ、わぁっ!」

 手本を見せるあたしの周りを、紗枝ちゃんがぱたぱた走り回っている。
 大興奮だった。好奇心たっぷりの目で、こっちの動きを色んな角度から観察している。

「すごいすごい! おねえはんは、舞がおじょうずなんやねぇ!」
「あはは、まさか。にわか仕込みだよ」

 あたしだってアイドルになってから齧ったくらいだもん。
 友達に上手なのがいてね。
 その子の舞を見て、色々教えて貰ったりもして。

「うちもおねえはんみたいになれますやろか?」
「うんうん楽勝楽勝。君だったら、あたしくらい簡単に追い抜けちゃうよ」
「えへへぇ、こんこんっ」

 嬉しくてたまらないといった顔で鳴く紗枝ちゃん。
 もっと見せてもっと教えてとのおねだりに応じて、二人っきりの日舞体験会はしらばく続き――

266 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2018/10/30(火) 23:28:17.21 ID:Ot3H6Rrq0

   〇

「おおきに! おおきにな!」

 門限が近いという紗枝ちゃんは、あたしを何度も振り返りながら手を振った。

「うち、たんと練習します! おねえはんみたいに、きれぇに舞えるようになりますさかい!」
「がんばってねー! 楽しみにしてるよー!」
「うん! そのときは、うちもおねえはんと舞うんや!」

 すぅーっと息を吸い込んで、紗枝ちゃんは叫んだ。


「きっと、きっといっしょにしようなぁ!!」


267 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2018/10/30(火) 23:29:21.36 ID:Ot3H6Rrq0


 全て夢なのかもしれない。狐が見せた幻なのかも。

 あるいは狐の操る時空間がよじれて、変なところに繋がってしまったとかかも。

 なんでもいいと思った。

 あの子と交わした約束を、あたしはきっと、忘れずにいよう。

268 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2018/10/30(火) 23:31:28.32 ID:Ot3H6Rrq0

  ◆◆◆◆


 ――うちがまだちっちゃな仔狐やった頃、舞を教えてくれたお姉はんがおってなぁ。


 ――それがあんまり楽しかったから、今でもやめられへんのよ。


 ――あのお人は今、どこで何してはるんやろ――――



  【 後編 ― 終 】

269 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/10/31(水) 00:03:40.61 ID:bFa+Xrzn0
泣いた(語彙力)
270 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2018/10/31(水) 00:35:10.94 ID:c+/SOnOx0

  【 終章 : あの日の約束が、色褪せないように 】

  ◇周子◇


 目が覚めると、座敷だった。

「……っ!」

 跳ね起きる。出られなかった? 今どうなってる?
 慌てるあたしはしかし、様子が変わっていることに気付く。

 風が吹き込んでいる。

 清爽な朝の風だった。見れば開け放たれた障子の向こうは青空で、空気はやわらかな金木犀の香りがした。どこかで鳥が鳴いている。
 スマホを見ると、午前7時。正常に一秒ごとの時を刻んでいる。

 夜が明けた。ここは外の世界なんだ。

271 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2018/10/31(水) 00:41:46.07 ID:c+/SOnOx0

「ずいぶんぐっすり眠ってはりましたなぁ」

 口から心臓が飛び出るかと思った。
 見るとあたしの後ろ(つまり寝てた時は頭のすぐ上あたり)に、紗枝ちゃんがちょこんと正座していた。

「紗枝ちゃん……」

 いつも通り、寮で毎朝顔を合わせるのと同じ調子で、彼女はそこにいる。
 相変わらずの濡れ羽色の髪に、朝でもきっちり着込んだ和服。頭には青牡丹の簪が揺れていて。

 紗枝ちゃんは何も言わずあたしの頭に視線をやった。

 前髪をつまんでみる。銀色だったあたしの髪は、端々まで元の餡子みたいな黒に戻っていた。

「ああ……これ? イメチェンしようと思ってさ。あはは」
「ええ。よう似合うてはると思います」

 ふっと笑い、少しの沈黙。
 紗枝ちゃんは穏やかな、何かとても大きなものを降ろした――あるいは失った――かのような、透明感のある表情だった。

272 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2018/10/31(水) 00:44:18.83 ID:c+/SOnOx0


「どこへなりと行くがいい、と言われました」


「……そっか」
「お母はんもお口添えしてくれはったんよ。ここまでやり遂げたんやから、もうええやろうって」
「で、お父さんは?」
「それはもう、カンカンどす」

 うへぇ。

「人と狸に化かされるとは情けない。修行のし直しや……って、みんな連れて山へ帰ってもうた」

 やった……ということで、いいんだろうか。
 まだ心の半分が夢にぷかぷか浮いている。無限の座敷、砕けた万華鏡の色彩、でかい狐、小さい狸…………あ!!

「美穂ちゃん! 美穂ちゃんはどうなったん!?」
「夜明けに、たぬき姿で伸びてはるところをお父はんが咥えて持ってきはりました。これはもう、降参やいうことでええと思います」

 袖で口元を隠して、紗枝ちゃんはくすくす笑った。
 その笑い声がなんだかとても久しぶりなように思えた。

「でも……うちの見間違いやったかもしれへんけど。お父はん、ちょぼっと楽しそうだったんよ」

273 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2018/10/31(水) 00:45:58.15 ID:c+/SOnOx0

 また雀が鳴いた。庭から通り抜ける風に、い草の匂いがほのかに沸き上がった。
 ここは多分、「表」の狐屋敷だろう。とても清潔で殺風景だけど、そこかしこに狐の気配が染み付いていた。
 このご立派なお屋敷を元にして、裏の大結界を築き上げたんだろう。

 もっとも、それはまんまとご破算。

 狐は修行のし直しと、山へ戻って……。


「うちは置いてかれてもうた。本当に本当の勘当や。これでもう何者でもない、ただ一匹の狐どす」

 悲しいことだとは思っていなさそうだった。
 嬉しいことかもわかっていないようだった。
 ただ何か、とても大きな縛りから解き放たれたことへの、実感の薄さと戸惑いが先に立っているんだ。

 檻から出た狐は、十月の空の青さにただ、途方に暮れていた。

274 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2018/10/31(水) 00:48:05.26 ID:c+/SOnOx0

 あたしは立ち上がってお尻をぱんぱん払う。んっと大きく伸びをして、紗枝ちゃんに手を差し伸べた。

「帰ろっか」

 紗枝ちゃんは眩しげにあたしを見上げて、呆けたように何も言わない。

「…………うち、」
「帰ろうよ。あたしが連れてってあげる」

 気楽な感じに笑ってみせる。こちとら遊び人、自由の御し方なら心得ているつもりだ。
 ちょっとキザっぽいけどそこはそれ。さっきまでがシューコちゃんらしくなかったのだ。あたしらしく在ってこそのあたしだもんね。

 紗枝ちゃんは手を虚空に泳がせ、少し迷って、あたしの手を取った。

275 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2018/10/31(水) 00:50:14.80 ID:c+/SOnOx0

   〇

 誰もいない屋敷を出て、見上げるほど立派な棟門を抜けると、みんなが待っていた。
 なんだかトライアスロンでも完走してきたみたいにボロボロにくたびれている。

 ……まあ、それはあたしも似たようなもんか。

「おやまぁ、みなはんお揃いで……」

 紗枝ちゃんが一歩前に出て、そのまま突っ立っていた。
 知らないうちに増えている。プロデューサーさん、美穂ちゃん、芳乃ちゃん、蘭子ちゃん……楓さんに奏ちゃん、フレちゃんに志希ちゃんに美嘉ちゃんも。
 それに見慣れない眼鏡っ子と小さな女の子とお姉さんがいて、黒猫が一匹と、なんと大福まで来てるじゃん。


「えろうすまへんなぁ、お騒がせしてしもて。わざわざ東京まで来てもろて……大変なことに巻き込んでもうた」

 彼らの正面に立ち、紗枝ちゃんはどうにか微笑もうとしていた。

「……うち、ひどいこと言いました。あかんなぁ。みんなに迷惑かけて……うち、どんくさやから、うまく立ち回れへんで……堪忍、堪忍え……」

276 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2018/10/31(水) 00:51:48.33 ID:c+/SOnOx0
 ×東京まで
 〇東京から

 です。すみません。
277 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2018/10/31(水) 00:54:58.98 ID:c+/SOnOx0

 長くはもたなかった。
 紗枝ちゃんの声は次第に震え始め、俯いた顔が長い髪に隠れる。

「…………ええんやろか。だって、うち……ええのかなぁ。うち、は……」

「小早川紗枝さん」

 紗枝ちゃんが顔を上げると、プロデューサーさんはもう目の前に立っていた。
 両手に持つのはいつもの名刺。

 職業病なら仕方ないというもので、彼は少し畏まった様子でこう言った。 


「アイドルになりませんか?」


278 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2018/10/31(水) 00:56:38.17 ID:c+/SOnOx0

 小さな手が、震えながら名刺を受け取る。
 誰もが固唾を飲んで見守っていた。一番ドキドキしてるのは名刺を渡した本人だったかもしれない。
 スカウトを受けた女の子は、手の内の名刺をまじまじと見て。

「喜んで、お受けします」

 泣きながら、叢雲が晴れるように笑った。
 ぽろぽろこぼれる涙は、けれどなんだか快くて、あたしは流れるに任せればいいと思った。

 空は快晴。こぼれる端から光の礫となる涙。


 晴れた日に降る不思議な雨を、「狐の嫁入り」と呼ぶんだそうだ。

279 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2018/10/31(水) 00:59:24.80 ID:c+/SOnOx0


  ◆◆◆◆


「……済んだか」

「そのようですねえ」

「まったくしょうむない。毛玉と人間風情が、何を揃ってわちゃわちゃやっておったのか」

「そんなことを言って、先生もあの人の挨拶には満更ではなさそうだったじゃありませんか。美女には弱いんだからなあ」

「やかましい。儂は偉いのである。偉い儂に手土産を持ちに参るのは当然である」

「まこと仰る通りで。――そういえば、今日の昼から円山公園で宴会をするそうですよ。一足早い紅葉狩りです」

「儂は行かんぞ。狸どもは何かにつけてどんちゃん騒ぎおることよ」

「なにせ、狸はみんな阿呆ですから」


  ◆◆◆◆

280 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2018/10/31(水) 01:01:18.05 ID:c+/SOnOx0

  ◇美穂◇


 公園の広場にはたくさんの人やたぬきが集まっていました。

 京都に来た事務所のみんな、手伝ってくれたみんな、迷惑をかけてしまったみんな……。
 そうした全員を呼んで一堂に会しています。

 並べられた長机の上には偽電気ブランの列。大瓶がずらりと並び、日光を受けてきらきら輝く様は壮観でした。
 更には幾つもの大鍋でおでんがぐつぐつ煮え、飴色に輝いてお腹の虫を誘惑します。
 お供となるのは目も眩むほど山積みにされたおにぎりです。お茶もあります。


「え〜、それでは〜♪」
「京都探訪お疲れ様&迷惑をかけてごめんなさいパーティーということで……」

 楓さんとプロデューサーさんがグラスを持って音頭を取ります。
 この大量の偽電気ブランは、お詫びということで二人がポケットマネーで買い上げたものでした。

 ……お詫びというのは半分口実、もう半分は楓さんの強い希望らしく、プロデューサーさんはちょっとげっそりしています。

 たぬき達は大瓶の行列を見てころっと機嫌を直してくれました。
 なんだかんだで、おいしいお酒と食べ物を頂ければなんでもいいという種族的性格というものがあるのです。


「かんぱーいっ!」

281 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2018/10/31(水) 01:15:16.15 ID:c+/SOnOx0

   〇

 宴が始まりました。
 山盛りおでんに偽電気ブラン、ほかほかおにぎりに濃いめのお茶。
 あっという間に場はほぐれて、にぎやかな昼日中の宴席となりました。


 にゃー。

「お、大福」
「あらぁ、えらい大きゅうなって〜」

 大福ちゃんが周子ちゃんと紗枝ちゃんのもとに駆け寄ります。
 久しぶりでも二人のことは覚えているのでしょう。喉をごろごろ鳴らしながら、周子ちゃんの膝の上でうにゃんうにゃん転がりました。

「……………………大福………………嬉しそう…………」

 いつの間にか雪美ちゃんとペロちゃんもすぐ後ろにいました。周子ちゃんびっくり。

「ん!? あ〜……え〜と……あ! お得意さんの佐城さんちの娘さん!?」
「………………うん」
「わーマジか。滅多に顔出さないから思い出すまでに時間かかったわ! え、でも何でここに……」
「佐城はんのお宅いうたら、ここらでは珍しい化け猫の血筋やったんちゃうかなぁ」

 えっ。
 周子ちゃんが目を丸くします。

「なーんか他のお宅と雰囲気違うなぁと思ってたら……そうきたか。化け猫は初遭遇やわ……」
「…………にゃおん」
「みくちゃんが見たらなんて顔するかな」

282 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2018/10/31(水) 01:17:33.83 ID:c+/SOnOx0

「お、やってるね〜」

 とふよふよ浮いてくるのは、夏美さん。偽電気ブランのグラスを持ってゴキゲンです。

「うわ! 天狗!? 本物!?」
「まぁ〜。絶対に出くわすなって、お父はんが言うてはりましたわ」
「あはは、残念でした! 相馬夏美よ。狐屋敷に迷い込んだのがただの人間って、楓ちゃんが言ってたのはほんとだったのねぇ」

 夏美さんは周子ちゃんの顔をまじまじと見て、続いて紗枝ちゃんに目配せして楽しそうに頷きます。

「うん、二人ともいい顔してる! 今度飛行機乗る時は連絡してね、サービスしちゃうから」
「サービスって……飛行機?」
「私、普段はCAやってるの。自分じゃ飛べない高度まで行くのって楽しいのよ? それに走るのもね!」

 天狗らしからぬ気さくさに、二人はぽかん。こんなタイプの天狗は珍しいのかもしれません。
 でも私が初めて出会った天狗は彼女なので、天狗はいい人だと思います。お茶とお酒でかちんと乾杯しちゃったりして。

283 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2018/10/31(水) 01:38:56.48 ID:c+/SOnOx0

   〇


「それで……周子ちゃん? えっと、その髪」

 私が切り出すと、実は全員タイミングを伺っていたらしいことがわかりました。
 事務所のみんなの視線が周子ちゃんの頭に集まります。

 彼女の髪は、綺麗さっぱり黒一色に染まっているのです。

「これねぇ、戻ったみたい。昔は黒髪だったって言わなかったっけ?」
「俺は見たことあるな」
「なにやら懐かしき気持ちになりましてー」
「よもやその髪に、狐の魔力を蓄えていようとは……っ」

「え、そうだったの!? アタシ何があったのかと思った!」
「オセロでひっくり返されたみたいね」
「じゃあじゃあ、もっかいひっくり返したらシューコちゃん銀髪になるのかなぁ?」
「試してみる価値はあると見た!」

「やめんかーい」

 迫る志希ちゃんをぶぎゅると押さえ込む周子ちゃん。ノリは全くいつも通りなのに、黒髪というのが不思議な気持ちです。

284 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2018/10/31(水) 01:40:37.75 ID:c+/SOnOx0

「……でもま、みんなびっくりするかもね。アイドル塩見周子は銀髪で通してきたわけやし」
「別に構わないぞ? イメチェンってことにすればいい。無理に弄れば髪が痛むだろ」

「ん……いや。やっぱしブリーチしよかな」

 前髪をいじいじしながら、周子ちゃんは目を細めます。

「相方が黒髪なんやし、あたしは前の色の方が映えるじゃん?」

 ……おお〜。

 という空気が辺りに満ちて。

「……いやいやいや、そんな感心されてもだね。ええやん元に戻すってだけの話で! 逆に恥ずかしいわ!」
「ふふっ。周子ちゃんのイキな計らいに、みんなイキを呑んだんですよ♪」
「楓さん絶好調すね……」
「サエちゃん的にはそこらへんどう〜?」

 フレデリカちゃんに、紗枝ちゃんはいつも通りの笑顔です。

「せやなぁ。ぶりーちしはるんやったら、一回親御はんに相談してみるべきなんやないかなぁ」
「あ、そうそう周子ちゃん! 私達周子ちゃんの実家にお世話になってっ」
「汝が育ちし神殿にて寝食を共にしたわ!」
「マジかっ!」

 のけぞる周子ちゃん。箸でつまんだおでんのコンニャクが落ちて、お椀の湖にぽちゃんと落ちます。

285 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2018/10/31(水) 01:42:23.46 ID:c+/SOnOx0

「……あー、そっか実家か。あたしどうすっかなぁ」
「それについては、ご両親よりお手紙を託されておりますー」
「え、うそ」

 芳乃ちゃんが懐からすっと封筒を取り出しました。ずっと持ってたのかな。
 中身には便箋が一枚きりでした。周子ちゃんは上から下までしげしげ読んで、ほうっと息を吐き出します。

「周子ちゃん……ご両親は、なんて?」

 私を見返す彼女の顔は、なんだか晴れやかでした。


「簡単だったよ。自分の道を見つけたんなら、極め尽くすまで帰ってくんなって」


 きっとお父さんのメッセージなんでしょう。職人らしい、簡潔で力強い言葉でした。
 紗枝ちゃんは楽しそうにくすくす笑います。

286 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2018/10/31(水) 01:44:05.50 ID:c+/SOnOx0

「なんや、せやったら周子はんも追い出されっぱなしやないの」
「ほんとだよ。芸能極め尽くすなんてどんだけかかるんだか。こりゃ東京に骨を埋める覚悟しなきゃかなぁ」
「うちも屋敷には帰れへんしなぁ。なぁプロデューサーはん?」
「ンぶっ」

 大根を齧りながら偽電気ブランをちびちび飲んでいたプロデューサーさんが咳き込みます。

「なぜそこで俺に振るのか」
「いやぁ、なんや責任取ってもらわなあかんかなぁ〜思て。もとはといえば、うちらを東京に呼んだんはあんたはんやもの」
「いいと思わん? 一家に一台シューコちゃん。ご飯の味見とかできちゃう」
「今なら狐も一匹ついてきますえ〜♪」

 通販みたい。……って!

「だ、ダメっ! ダメだよ!?」
「あらぁ? うちらがプロデューサーはんに厄介になるかもーいう話に、どないして美穂はんが口を挟むんやろ〜?」
「ありゃりゃ、なんか駄目な理由あんの? なになに〜?」
「も、もうっ二人ともぉ〜〜〜〜っ!!」

 けらけら笑う二人。みんなも笑います。ほ、ほんとにもうっ!
 周子ちゃんと紗枝ちゃんはすっかりいつも通り。快い安堵が満ちて、美嘉ちゃんがほっと一息つきました。


「……でも、良かった。二人とも帰ってきてくれたんだね」
「もっちろん。相変わらず好き勝手させて貰うわ」

 周子ちゃんは本当に楽しそうでした。紅葉の舞う公園で、黒髪を揺らして歌います。

「いつでも波風立てるよ〜♪ ずんずん立てるよ〜♪」
「いつでも平和を乱すよ〜♪ がんがん乱すよ〜♪ どす〜♪」
「こえーよ!? 何そのハタ迷惑な歌!?」

287 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2018/10/31(水) 01:46:13.57 ID:c+/SOnOx0

  ◆◆◆◆

  ◇周子◇


 まさに宴もたけなわ。締めにはまだまだ早い。
 わいわい楽しむみんなを見て、あたしは思い立って立ち上がった。

「紗枝ちゃん」
「はい?」

 モチ巾着をはふはふ頂いていた紗枝ちゃんがきょとんと顔を上げる。

「いっちょ、踊ろうか」

 あんむ。
 咥えた巾着をごっくり呑み込んで、紗枝ちゃんは笑んだ。

「うふふっ。どないしはりましたの、急に……」
「合わせたくなったんよ。練習がてらってことで……どう? 嫌?」
「嫌なわけあらへん」

 さらっと答えて、嬉しそうに立ち上がる紗枝ちゃん。
 何を踊るかは打ち合わせをするまでもなくご承知のこと。

288 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2018/10/31(水) 01:48:50.52 ID:c+/SOnOx0


 ――きっと、きっといっしょにしようなぁ!!


 結局あれは夢だったんだろうか。
 彼女は覚えてるんだろうか。
 いや、どっちでもいい。つまりは二人が「そうしたい」と思うことが大事なんだ。


「そんなこともあろうかと!!」

 うわぁびっくりした!
 例のツインテ眼鏡っ子がウキウキでリモコンを動かし、ウサウサ蠢く謎のメカが運んでくるは謎のスピーカーとちょっとした舞台。

「ステージを披露するならそれなりの設備があるべきだろう。ということで、私特製のミニステージを用意してきたぞ!」
「ちなみに音源は俺のスマホに入っているので、接続して流せるらしい」

 お、アリなん?
 という目で見ると、アリだぞ、とサムズアップしてみせた。
 関係者を抜きにすれば狸と天狗と猫だ。ギリギリでセーフなのかもしんない。
 赤ら顔の彼の後ろで、同じく赤ら顔の楓さんがぷかぷか浮いてけらけら笑ってる。

 ……予想以上に賑やかなことになりそうだ。

289 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2018/10/31(水) 01:51:00.53 ID:c+/SOnOx0

「いける、紗枝ちゃん?」
「心配無用どす。体が鈍ってへんか、確かめなあかんしなぁ♪」

 やんややんやと囃し立てる狸達。拍手する事務所のみんな。猫の群れは丸くなったまま目だけを開き、天狗はカメラを構えている。

 それと――
 あちこちの茂みから、興味深げな視線が注がれている。
 人じゃない。犬猫でも狸でもない。

 一目見ようと、「彼ら」も思っているんだろう。

 上等じゃないか。プロデューサーさんの合図を受けて最初のポーズを取る。

 直前に目配せすると、紗枝ちゃんはにんまりと会心の笑みを浮かべていた。全部承知の上らしい。

290 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2018/10/31(水) 01:51:40.38 ID:c+/SOnOx0


 始まった。


 歓声と音楽が咲いて、お昼時の円山公園はちょっとしたステージに変貌する。
 黒髪の小早川紗枝と、黒髪の塩見周子。あたしはすぐに染めるから、これが一度きりのプレミアムライブだ。
 これからも何度となく同じ舞台に立つのだろう。色んな曲を歌い踊り、あたしらの道を究めていくんだろう。

 宴は広がっていくだろう。人も集まってくる。もしかしたら人以外のものも集まってきて、大騒ぎになるのかもしれない。

 楽しい。それでいい。

 気が付けばいつだって、面白き日々だ。


 〜おしまい〜

291 : ◆DAC.3Z2hLk [sage saga]:2018/10/31(水) 01:58:50.50 ID:c+/SOnOx0
 おしまいです。
 独自要素とクロス要素が合わさって、だいぶややこしい話になっていたと思います。
 作中の思わせぶりな描写は全て「有頂天家族」の小ネタとお思い下さい。
 長々とお付き合い頂きまして、本当にありがとうございました。
292 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/10/31(水) 02:03:45.77 ID:bCmvB/U30
おつでした
本当に楽しかったですぽこ
293 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/10/31(水) 02:04:45.64 ID:bFa+Xrzn0
長い期間連載お疲れ様でした!!!
周子の日々が退屈なものから面白いものになって本当に良かった
294 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/10/31(水) 02:24:44.44 ID:KtDox6VDO


どたばた劇もしんみりもこなせるたぬき話に感謝

さて、登場人物はまだまだ増えそうですね
295 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/10/31(水) 02:51:06.67 ID:UHVwi49oO
おつ
296 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/10/31(水) 04:08:07.75 ID:JjjefOAho
乙でした〜
京都オールスターズ編、凄く楽しかったです!
雪美ちゃんと夏美姐さんはスカウトはしないのかな?

暴走カート…そういや夜市のアインフェリアとスウィッチーズはまだアイドルじゃなかったんでしたね
297 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/10/31(水) 06:22:58.22 ID:NFvad0l1o

毎度設定やシナリオの練り込みがすごいな
298 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/10/31(水) 06:53:04.24 ID:NFIbq0Tho
299 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/10/31(水) 13:14:17.05 ID:YetLR0c3O
楓さんは天狗でいいんだよな?
300 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/10/31(水) 14:56:20.36 ID:TJd8/z0PO

本当に良かったよ
301 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/10/31(水) 23:23:41.81 ID:EIl3aEiGo
めちゃくちゃ面白い

ほんと、どうやったらこんな話書けるんだよ…
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