白菊ほたる「恨みます、プロデューサーさん」

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67 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/12(日) 00:40:53.52 ID:w6V3e5/y0


 海に面していた足場が、突如として崩れたのだ。


 普段なら、持ち直すことはできただろう。

 でも、手に持っていた鱗を無意識に守ろうとして手が使えなくて。


「っ!!」


 滑り落ちた先は海ではなかった。岩場と海の合間に、僅かな砂場があった。

 そこに滑り落ちたのだ。大きく手をすりむいてしまっていた。

 それでも立ち上がろうとして、足首に大きな痛みが走った。


 以前に捻挫した場所だ。

 お医者さんから、もしかしたら癖になるかもしれないと注意を受けていた。そこを再び捻挫してしまったのだ。

 痛みに顔をゆがめる。それから、足にかかる水しぶき。




 私は急に、泣きそうになってきた。寂しさや、色々な想いから。


 イベントに成功した高翌揚感はもうなくて、惨めさが心を支配していた。

 上手く進めてるはずなのに、なにもうまく行っていないじゃないか。

 それを知らしめるために、神様は私にこんな仕打ちをしたんじゃないか。

 両手をグッと握りしめ、痛みをこらえる。

 何度も何度も深く呼吸をして、嫌な考えを頭から追い出す。

 そうしているうちに、私は少し落ち着いてきた。




 結局、鱗もどこかに落としてしまっていた。


(戻らなきゃ……)


 裕美ちゃんや千鶴ちゃんが心配してるかもしれない。


 プロデューサーさんは……どうだろう。

 お酒を飲んでたし、私のことなんか今は頭にないかもしれない。きっと今も、会場の中で飲んでいるのだろう。





68 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/12(日) 00:42:00.18 ID:w6V3e5/y0



(だからって、心配させていい訳じゃ……ないよね……)


 私の仕事、プロデューサーの仕事。

 プロデューサーの仕事は、アイドルのプロデュース。アイドルの子守じゃない。


 私が勝手に拗ねてるだけなんだから、プロデューサーさんに迷惑を掛けちゃ駄目だ。


 痛みにこらえながら立ち上った。

 高さでいえば、一メートル少し。上がれない高さではない。そう思って岩場に手をついて。


 私が落ちた衝撃で、岩場は緩んでいた。

 大丈夫だと思った岩がゆっくりと転がり落ちて。


 私はとっさに身を引いた。



 次の瞬間に巨大な岩がぼこりと取れて、海に落ちた。

 水しぶきとともに、大きな音を立てて。まるで人が落ちたみたいな音だった。



 そのしぶきが、私に思いっきりかかった。

 ここまで来ると、辛さよりも呆れが先になって、私は息をついた。





「ほたる!」




 波打ち際の孤独を突如打ち砕いた声に、私は耳を疑った。しかも声の主は。




「プロデューサーさん?」






69 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/12(日) 00:43:18.16 ID:w6V3e5/y0




「ほたる?! どこだほたる!!」


 岩場のむこうに小さな人影が見えた。

 ここからでもはっきりと分かるほど、必死に周囲を探している。私は手を挙げて大きく腕を振り、居場所を知らせる。



「こ……ここです……プロデューサーさん」

「ほたる!」


 近づいてきたプロデューサーさんを見て、私は言葉を失った。

 そんな表情のプロデューサーさんは初めてだったから。


 おびえるような顔。まるで今にも泣きだしそうで。




 私を見つけたことに、心から安堵しているようで。



「ほたる、ほら……手を伸ばして」


 私は言われるがまま両手を伸ばすと、それを掴んで、抱き上げるようにプロデューサーさんは持ちあげた。


 そうかと思うと、彼は膝をついたまま私を抱きしめる。私が痛くなるほど強く、強く。



「良かった……無事でよかった……」

「プ……プロデューサーさん……」

「海に近づくなって、言っただろう」

「ごめんなさい……」



 嗚咽にも似た息遣いのプロデューサーさんに、私はなにも言えなくて。

 しばらくは、彼のなすがままになっていた。





70 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/12(日) 00:44:22.30 ID:w6V3e5/y0




 やがて、ゆっくりと彼が体を離す。


「さあ、戻るぞ」

「はい……」


 立ち上がろうとしたけど、私は足に感じた痛みに顔を小さく言葉を漏らした。


「大丈夫か、どこかぶつけたのか。岩場で切ったり……」

「いえ……そうじゃなくて。少し足を捻っちゃって。前と同じ所を……」

「足を?」


 彼は屈むと、足首を確かめる。私は少し顔が熱くなった。


「少し腫れてきてるな。おぶってやる」

「えっ?」


 驚いている私をしり目に、彼は私にしゃがんで背を向けた。



「ほら、早く」

「いや……いいです……大丈夫ですから」


「足を怪我してるんだ。大丈夫なわけないだろ。ライブ後だ。疲れてて足元も覚束ないだろ。帰る途中にまた捻って、悪化したらどうするんだ」


 私としては気恥ずかしさが強かったけど、疲れているのは確かだし、プロデューサーさんの行っていることは尤もに思えてきた。



「……それじゃあ」


 私は恐る恐る、プロデューサーの背中に抱き着く。彼はちょっと反動をつけて、立ち上がった。おんぶしてもらうなんて、いつぶりだろうか。気恥ずかしさもあったけど、その背中に身を預けると、不思議と心が落ち着いてきた。


 彼はゆっくりと歩き出す。




「夜に出歩くだけで危険なのに、こんな足場の悪い場所だったら尚更だ」

「ごめんなさい……」

 私だけが悪いとは思えなかったけど、なんだか否定する元気はなかった。

 心から心配してくれていたのは本当で、それをとやかく言いたくはなかったから。






71 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/08/12(日) 00:44:34.67 ID:lUmDDB0H0
なっが
72 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/12(日) 00:45:06.61 ID:w6V3e5/y0




「自分の運の悪さは自覚してるんじゃなかったのか」

「プロデューサーさん……前はそんなの自意識過剰って言ってませんでした」

「鞍替えしたんだ。傍に居続けてな。ほたるに起きた全部が全部がほたるのせいじゃないが……少しはな。でも大体は、他人が自分の責任をほたるに擦り付けているんだ」


「プロデューサーさんは、違うんですか……」


「……さあ」彼は少し言葉を途切って、小さな沈黙の後。


「かもな」


 その呟きは、さざ波に消え入りそうなほど小さくて。



 意地悪な質問をしてしまった。

 小さな後悔が胸に浮き上がったけど、その後悔を口にするのが私は嫌で。

 返事をするかわりに、抱きしめる力を少しだけ強めた。





73 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/12(日) 00:45:58.29 ID:w6V3e5/y0



 
 早朝、私たちは帰りのバスを待っていた。その間、彼は海に目を向けていた。



 私はひっそりと彼の横顔を盗み見る。彼の瞳に浮かぶのは憧れでも憎しみでもない。







 そんな彼の瞳が、私はとても気がかりだった。





74 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/12(日) 00:47:05.52 ID:w6V3e5/y0




 それから数日後、私は事務所にやってきていた。

 ボイスレッスンをこなした後――本当はダンスレッスンの予定だったけど、それは暫く禁止――プロデューサー室へ向かった。

 私のプロデューサーさんの部屋とは、別の部屋。


 ドアをノックすると、明るい声が招き入れてくれた。

 部屋に入ると、デスクに座っていた関ちゃんプロデューサーが朗らかに微笑んだ。



「あら、ほたるちゃん。足の具合は大丈夫?」

「はい。そこまで酷くなかったので」

「良かった。ひろみんとちづちづも気にしてから」

「あの、少しお時間ありますか」

「ん? うん。丁度ひと段落ついたところだから。お茶淹れようと思ってたの。ほたるちゃんも飲む?」



 私がうなずくと、電子ポットから急須にお茶を注いだ。それから二人分の器を取り出す。


「ティーバックとか紙コップの方が楽なんだけど、やっぱお茶は急須とお椀。こればかりは譲れないんだよね」

 関ちゃんプロデューサーは端においてあった折り畳み椅子を出して私に勧めてきた。私がそこに座ると、目の前にお茶の入ったお椀と、袋のおせんべいを置いてくれる。


「それで、なんの用」


 砕いたおせんべいの欠片をつまみながら、関ちゃんプロデューサーが促してくる。




「プロデューサーさんのことです」





75 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/12(日) 00:47:48.96 ID:w6V3e5/y0




「……アタシじゃなくて、あいつの方だよね」


「教えてください。プロデューサーさんになにがあったんですか」


 関ちゃんプロデューサーの顔に、微かに皺が寄った。

 お椀を手に取ると、ゆっくりとすすりながら椅子の向きを変えて思案していた。私はお茶も飲まずに、答えを待った。




「逆に聞くんだけど、どこまで知ってるの」

「昔もプロデューサーをやっていた、ということぐらいです」

「そっか」


 関ちゃんプロデューサーは黙り込むと、小さく頭を掻いた。背もたれに沈み込み、深く息をつく。

 決心がつかないのか、何度もお茶を傾けて、どれほど時間が経ったのだろうか。

 また、息をついた。

「そうだよな。どうせいつかは知ることになるだろうし……あいつ等より、アタシから説明したほうがいいか」



 関ちゃんプロデューサーは椅子を元に戻すと、私と正面から向かい合う。




 そして口を開いた。




「あいつはな、家族を二回失ったんだ。奥さんと、それと娘さんを」








76 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/12(日) 00:52:19.67 ID:w6V3e5/y0



「うちの会社のアイドル部門はまだ小さくてね……こう言っちゃなんだけど、今みたいにこんなデカくなるなんて、誰も思ってなかった。アタシたちだってね。でもあいつは違った。世界一のアイドル事務所にしてやるって意気込んでたよ」


 プロデューサーさんと関ちゃんプロデューサーは、同じ時期にこの事務所に入社した、同期だった。


「そんなあいつが初めて担当したアイドルはね、控えめだけど明るい良い子で、それに雰囲気があった。なにより歌がうまくてね。聞いたことない?」


 関ちゃんプロデューサーは歌を口ずさんだけど、私は首を振った。

 「世代じゃないもんね」と、彼女は寂しく笑った。



「そこまで有名って訳でもないし。でも歌声が綺麗だったんだ。澄み渡るようで優しくて。アイドルらしくないと言えばそうだけど、アタシは好きだったな。社内でも期待をされたんだけど……そんなときに病気が見つかってね」



 癌だった。

 それも喉に出来る癌。薬や放射能治療で、なんとか抑える事が出来たけど、彼女は歌えなくなった。



「綺麗だった声が潰れてね……売出し中のアイドルにとっては致命的だった。結局、引退することになって」


 プロデューサーさんは治療中も、そして引退した後もずっと彼女の傍に居た。

 信頼は愛へと変わり結婚することになった。

 子供も生まれて、幸せそうだったという。

 プロデューサーさんは結婚した後も、しばらくはプロデューサー活動を続けていた。だけど。



「奥さんがね、癌が再発したんだ。気づいた時には他の場所にも転移してた」


 プロデューサーさんは仕事を辞めて、彼女の看病に専念することになった。




 再発してから半年後、奥さんは息を引き取った。





77 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/12(日) 00:53:31.20 ID:w6V3e5/y0




 残された子供と共に、彼は知り合いのつてを頼りに海の見える町に引っ越した。


 そこで小さな会社の事務の仕事を見つけ静かに暮らしていたが。


 関ちゃんプロデューサーは言葉を止めた。苦々しい表情を顔に浮かべながら。




「事故があったんだ。娘さんが海に落ちたんだ」


 自販機で飲み物を買うために、目を離した隙だったという。

 気づいた時には、彼女の姿は無くなっていた。


 遺体は見つからなかった。

 まるで泡となって、世界から消えてしまったみたいに。




 それ以来、彼はめっきり変わってしまった。仕事も辞めて家に引きこもった状態が続き。


 日雇いの仕事をしながら、酒に溺れる日々だったと言う。



「それに見かねた……親類がね。うちの部長に頼んだんだ。また雇ってくれないかって。部長もあいつのことは気にかけていたし。あいつ自身、何度か拒否したらしいが、説得されてね。結局仕事に復帰することになった」


 私は話してくれたことにお礼を言った。


「いや、いいんだよ」


 帰りの電車のなかで、私はスマホで聞かされた名前を検索した。

 いくつかの記事やサイトがヒットして、一番上のサイトを開いた。

 引退を知らせる、本当に小さな記事。病気のことはどこにも書かれていなかった。

 きっと隠していたのだろう。画像に映ったその顔にどこか見覚えがあるように思えて、でも誰かは思い出せなかった。
 




78 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/12(日) 00:54:27.74 ID:w6V3e5/y0




 
 手を止めたプロデューサーさんは、机の向こう側から一枚の紙を渡してきた。

 来月のスケジュールだ。

 次に事務所に行ったのはスケジュールを受け取る為だった。

 個人のスケジュールは専用のサイトからみることができるのだけど、なぜか私はログインできなくて、メールで画像を添付しようとしても、いつも破損データになってしまうから、手渡しでもらうようにしていた。


 手にしたスケジュールを見て、私はちょっと感動する。

 前はレッスンを示すマークばかりだったのに、仕事を示すマークが着実に増えていた。



「どうしたんだ、ほたる」


 スケジュールを見つめている私が気になったのか、プロデューサーさんが訪ねてきた。


「御仕事が……増えてるって思えて……」


 言葉にするだけで、私は自然と笑みが零れてきた。


「ほたるの努力のお蔭さ」

「プロデューサーさんがいてくれたからです」


 彼はニコリともしなかったけど、小さく頷いてみせた。それから、パソコンの画面に視線を戻す。

 いつもならこれで私は退出するのだけど、今日はその場を動かなかった。

 言わなければならないことがあったから。


「……あのプロデューサーさん」

「どうしたんだ」



「私……聞きました。プロデューサーさんになにがあったか」





79 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/12(日) 00:55:37.02 ID:w6V3e5/y0




 キーボードを打とうとしてた手が止まり、プロデューサーさんが顔を上げた。

 無言で伺ってくるプロデューサーさん。私は言葉を続けた。



「奥さんと……娘さんになにがあったかも……」

「誰から聞いたんだ」



 関ちゃんプロデューサーの名前を挙げると「そうか」と、小さく呟いた。


 彼は落ち着きの無さそうに指で机を叩いていたけど、深く息をついた。

「だからって、それを理由で仕事の手を抜いたことはないつもりだ」

「それは分かってます。さっきも言ったじゃないですか。私がここまで来られたのは、プロデューサーさんのお蔭だって。本当に感謝してます」


「じゃあ、それがどうかしたのか」



 彼の口調は微かに厳しくなった。怒りなのか、悲しみなのか。私には分からなかった。


「どうって訳では……ただ、私が知ったことを知っていて欲しかったんです。私が知っているとことをプロデューサーさんが知らないのは……なんだか、嫌だったんです」



 うまく言葉にできなかった。そのことはプロデューサーさんにとってはとてもではないが無視できないことで。

 きっと、誰にも触れてほしくない傷口で。

 でも私は、知ってしまって。



 きっと後ろめたかったのだ。プロデューサーさんに対して。

 口にしたところで、なにかが変わる訳ではない。変わる理由はない、と思う。


「じゃあ、プロデューサーさん、お疲れ様です。次のお仕事は……ラジオですよね」

「ああ、そうだな」


 私は小さく頭を下げて、部屋を出ようとした。


「ほたる」


 振り返った私を、プロデューサーさんはじっと見つめていた。

 何を言おうとしたのか、私には分からなくて。きっと彼は、言いたい言葉を飲み込んだ。



「……次は、明後日だな」

「はい。よろしくお願いしますね」


 そうして今度こそ、私は部屋を出た。





80 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/12(日) 00:56:41.45 ID:w6V3e5/y0




 それからは、私は順調に仕事が増えていった。

 共演が多いのは裕美ちゃんや千鶴ちゃんだけど、他の人との共演も増えていった。

 同じ事務所でいえば、森久保ちゃんやクラリスさん。

 前の事務所で一緒だった相場さんとも一緒になって、懐かしいなんて言いあった。泰葉ちゃんとも、一緒になる機会があった。


 仕事は順調だけれども、だからといって私の運の風向きがよくなったかと言われれば、そうでもなく。




 例えば、こんなことがあった。






81 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/12(日) 00:58:31.13 ID:w6V3e5/y0



 ある田舎でのロケのこと。ロケ用のバスが遅れていて、余裕もあったし、歩いてむかうことにしたのだ。


「あっ」


 私は目の前にぽとりと落ちた水滴に気づくと、空を見上げた。

 太陽が隠れていなかったから気づかなかったが、空はすっかり雲に覆われていた。

 プロデューサーさんも空を見上げていた。


「目的地までもう少しだから、持ってほしいんだが」

「私のせいで、降られそうですね……」

「ほたるのせいじゃないが……降られるだろうな」


 なんて言っているうちに、またぽつりと一滴。


「今日……降らないってお天気予報で言っていたのに……」

「そうだが……安心しろ」


 プロデューサーさんは、鞄から折り畳み傘を取り出した。ボタンを押すと全自動で開くタイプの傘だ。


「抜かりはない」

「流石プロデューサーさん」


 感嘆している私に、プロデューサーさんもまんざらではない様子でカバーを外しながら、ボタンを押して。


 ポン。っと勢いよく伸びたかと思うと。

 傘の軸の部分が止まるべきはずのところで止まらず、そのまま飛んで行った。

 傘の部分は開くこともなく、コロコロと脇の茂みに転がっていった。

 呆然としていた私とプロデューサーさん。その直後に、遠慮のない土砂降りが降ってきた。私とプロデューサーさんは降られるがまま顔を合わせていたけど。



「……走るぞほたる」

「は……はい……!!」



 ロケ現場に着くころにはすっかりずぶ濡れになっていた。




82 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/12(日) 00:59:26.80 ID:w6V3e5/y0



 今のはあくまで一例で、他にも色々あったけど……それでも、仕事を続けることが出来ていた。

 そしてとうとう。


「CDデビュー……ですか?」

「ああ」


 向かいのソファーに腰かけていたプロデューサーさんが、企画書を差し出してきた。


 私は胸の高鳴りを感じながら、企画書に目を通していく。

 聞いたことのある作曲家と作詞家の名前。レコーディングスケジュール。

 そして発売記念イベント。

 イベントの会場の名前に、私は覚えがあった。


「プロデューサーさん、この会場って本当なんですか?」

「ああ、もちろん」

「でも、ここって……かなり大きいハコですよね」


 私なんかのCD発売記念イベントで行うには、大きすぎるほどのイベント会場だ。


「なにか不安でもあるのか」

「……こんなところ、私が埋められるんでしょうか」



「出来るさ」


 プロデューサーは、言い切った。


「出来ると思ったから、その場所を俺は選んだんだ」


 その言葉は、私の不安を完全に拭い去ることはできなかったけど。


 それでも、プロデューサーさんに私は少しでも答えたくて、静かにうなずいた。





83 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/12(日) 01:01:10.98 ID:w6V3e5/y0

 
 レコーディングは進んで、イベントも告知されて。その宣伝にいろんな番組に出る機会があった。

 その中には、裕美ちゃんの番組も。

 裕美ちゃんの初めての冠ラジオ――番組内のミニコーナーだけど、初冠であることは間違いない――の栄えある初ゲストとして私が選ばれたのだった。


「改めて、おめでとう。ほたるちゃん」


 収録前の控室、裕美ちゃんの言葉に、私は笑みが浮かんだ。


「ありがとう。裕美ちゃんのお蔭だよ」

「そんな、私なにもしてないよ」

「裕美ちゃんがイベントの司会に選んでくれたから、今の私があるんだもん。だから、裕美ちゃんのお蔭だよ」

「そんな…ほたるちゃんが頑張ったからだよ」

「私だけじゃないよ、裕美ちゃんや千鶴ちゃん。それにやっぱりプロデューサーさんのお蔭」

「ほたるちゃん、変わったよね」

「そう……かな」

「うん……特にほたるちゃんとプロデューサーの関係。前よりすごく仲良くなってる」

「そうかな……そうだといいな」

「そうだよ、きっと」


 収録も無事に終わり、夕暮れの中、私とほたるちゃんは一緒に帰っていった。



「あーあ、ほたるちゃんのイベント。私も観たかったな」

「仕方ないよ、二人とも別のお仕事があるんでしょ?」


 私のCD発売記念イベントの日、裕美ちゃんと千鶴ちゃんはお菓子のプロモーションイベントの予定が入っていた。


「ほら、私の時はほたるちゃんが傍に居てくれたでしょ。それがすっごく心強くて、私もそうしたいって思ってたのに」

「大丈夫だよ、ずっとそばにいてくれてるもん」


 そういって、私は首からかけていたペンダントを持ちあげた。裕美ちゃんから貰ったペンダントは、いつも肌身離さず持っていた。


 なくすこともなく、ずっと。




84 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/12(日) 01:02:47.61 ID:w6V3e5/y0



「そうだ。渡しそびれるところだった」


 裕美ちゃんは鞄から小さな封筒を取り出した。


「これって……?」

「開けてみて」

 開くと、中から出てきたのはペンダントだった。

 扇状の薄いプラスチック、青から白へのグラデーションが入り、細かい気泡がアクセントになっている。

 それはまるで、小さな海だった。


「新しいペンダント。ほら、前にほたるちゃん、海岸で大きな鱗を拾ったって言ったでしょ。それで、鱗みたいな形にして、青色を海みたいにしたの。新しいお守り。成功しますようにって」


「凄い……ありがとう裕美ちゃん」


「頑張ってね、ほたるちゃん」




 私は家に帰ってからも、そのペンダントを光に掲げて見つめていた。

 美しい青い海と、白い空。そして鱗の形。


 気泡の一つが、プロデューサーさんの後ろ姿になった。

 バスに乗る前に、海を見つめているプロデューサーさんの姿。

 水面の向こうに、彼は一体なにを見ていたんだろうか。


 深い海に沈むように私の瞼は重くなっていき。目を閉じる瞬間、気泡が瞬いたように思えた。






85 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/12(日) 01:03:48.71 ID:w6V3e5/y0




 ゆっくりと目を開けて、手のひらのペンダントに目を向ける。白い手袋の上に載ったペンダント。


「新しいペンダントだよな」



 私が顔を上げると、プロデューサーさんが覗き込んでいた。

 CD発売記念イベントの、楽屋だった。


「裕美ちゃんに作って貰ったんです」


 私が促すように手のひらを上げると、プロデューサーさんがペンダントを手に取った。

 まるで美術館に展示されていような貴重品を持つように、丁寧に手のひらに載せて眺めていた。


「綺麗なペンダントだ」そう言ってから、また私の手の上に戻した。


「はい、本当に」

 
 私はペンダントを首につけようとしてから、ふと気づいた。


「これ、着けてもいいですか?」

「もちろんだよ」

「ありがとうございます」


 私は改めて首の後ろで止めようとしたが、うまくつけられない。


「俺がつけようか?」

「じゃあ、お願いしていいですか」


 私は再びプロデューサーさんにペンダントを預けると、彼は私の後ろに回って、鎖を止めてくれる。


「ありがとうございます」

「……緊張してるのか?」

「……少し」


 否定しようかと思ったが、どうせプロデューサーさんにはお見通しだろう。





86 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/12(日) 01:05:14.26 ID:w6V3e5/y0




「うまく行くかなって……歌えるかなって。それに」


 なにか、不幸なことが起きないか。

 それで舞台が台無しになったら。もう考えないようにしようと思っていたのに、土壇場でそんなことが頭をよぎってしまった。


「安心しろ」

 
 プロデューサーさんは口を開いた。

 
「ブレーカーの傍に立っててやるから」


 どういうことなんだろうか、意味を掴めかねていた私に、プロデューサーさんは続けた。


「だからブレーカーが落ちても、すぐ対応できるぞ」

 
 意味が分かって、私は頬が緩んだ。


「ブレーカーの傍より、私の傍に居てほしいです」

「……ああ。ブレーカーの位置はちゃんと覚えておくから、すぐに走っていくよ」

「お願いしますね、プロデューサーさん」



 プロデューサーさんは腕時計で時間を確認した。

 私も壁にかかっている時計を見る。間もなく開演だ。


「おし、じゃあ……行くか」

「はい。行きましょう。プロデューサーさん」


 頷き合ってから、私たちは控室を後にして、舞台袖に移動する。

 客席から、ざわつきがこちらに伝わってくる。ひりひりする緊張感で、私はこわばった。

 助けを求めるようにペンダントを握りしめ、静かに息をつく。

 スタッフさんが、もう間もなくと声を掛けてきた。



「プロデューサーさん、行ってきます」

「ああ、行って来い」


 そして私は、舞台の上へと飛び出した。






87 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/12(日) 01:06:31.18 ID:w6V3e5/y0



――



 楽屋に戻ってきたとき、私の足元はおぼつかなかった。ドキドキが止まらず、震えも止まらなかった。


「ほたる」


 声に私は肩を跳ねさせた。振り返ると、プロデューサーさんが立っていた。


「お疲れ……最高だった」


 その言葉に、私の緊張の糸がぷつりと切れた。

「あ、ありがとうございます。プロデューサーさん……!!」


 それからこらえきれなくなって、私はプロデューサーさんに抱き着いた。



「良かった……本当に良かったです」



 大成功、だったと思う。途中でなんどかミスをしそうになったけど、それも何とか乗り切れて。

 歌も、ちゃんと歌うことが出来た。




「最高だったよ……ああ、本当にな!」


 プロデューサーさんが思いっきり髪を撫でまわしてくる。

 プロデューサーさんも嬉しかったのだ。

 彼がここまで感情を現らにするのは初めてで、だから私も嬉しくて、益々笑顔がこぼれてしまった。



「さすがほたるだ。俺のアイドルは伊達じゃないな」

「私のプロデューサーさんも……伊達じゃないですから」



 彼は目を丸くすると。微笑んだ。


「言ってくれるじゃないか」






88 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/12(日) 01:08:48.11 ID:w6V3e5/y0




 それから、気を緩めすぎたと思ったのか、プロデューサーさんは体を離した。


「そうだ。まだ終わりじゃない。お客さんたちをお出迎えしなきゃな」


 その通りだ。最後に出口でお客さんの一人一人にお礼の握手をすることになっていた。



「しまった、髪」


 あっとプロデューサーさんが我に返った。

 私も鏡を見ると、プロデューサーさんが撫でたせいで髪が乱れてしまっていた。


「えっと、櫛は」

「任せろ。俺がやるよ」

「えっ?」



 プロデューサーさんは私を鏡の前に座らせると櫛を手に取り、ゆっくりと梳きはじめる。


 それはとても優しくて。




「お上手ですね、プロデューサーさん」


「上手だなんて。慣れてるからさ……」


 自分の口にした質問の意味に気付いて、私はあっとなった。


89 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/12(日) 01:09:42.16 ID:w6V3e5/y0



 どうして上手なのか。どうして慣れているのか。




 きっと誰かに、何度もやってあげていたから。


 何度も何度も、毎日寝る前や起きた時。鏡に向かってやってあげていたから。



 気づいた時には、遅かった。



 プロデューサーさんがすく手が、ゆっくりになっていき。





 そしてプロデューサーさんの手が、止まった。
 その片手は震え出し、鏡に映ったプロデューサーさんは、顔を俯け、ただ震えていた。こらえるように強く、強く。

 
 私は、櫛を持ったプロデューサーさんの手を手繰り寄せると、肩の上に乗せ、自分の手を重ねた。

 私の手が触れても、プロデューサーさんの手のこわばりはほどけることはなく、むしろ益々強く握りしめられていく。

 全てを拒絶するかのように。





90 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/12(日) 01:10:22.31 ID:w6V3e5/y0




「私……行ってきますね」




 プロデューサーさんの手をゆっくりと退かすと、私は出来るだけプロデューサーさんの方を見ないで扉の方へ向かった。



 楽屋を出る直前、私は一度振り返った。プロデューサーさんは、地面に座り込み、小さなすすり泣きが聞こえてきた。

 私は部屋を出て、お客さんたちの前に立つ前に、息をついた。

 そして笑顔を作って、お客さんの前に出た。

 会場を出るお客さんたちの一人一人と笑顔で握手を交わしながら。





 心の隅では、床に座り込んだプロデューサーさんが、すすり泣きを続けていた。





91 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/12(日) 01:11:26.11 ID:w6V3e5/y0



 それから、プロデューサーさんは一見、前と変わらず仕事を続けていた。


 ただし、机に小さな変化が起きていた。


 ある日プロデューサーさんの元へ行くと、机の上になにか乗っているのに気付いた。

 写真立てが二つ。私の方から、どんな写真家は見えなかったけど。



「妻と娘だよ」


 プロデューサーさんは言うと、写真を私に見えるようにひっくり返した。

 写真立ては二つあり、片方が二十代ほどの女性の写真。

 それはいつかネットで見た女の人だった。ネットの写真より柔らかくて、幸せそうな笑顔を浮かべていた。


 Tシャツには、有名なアニメがプリントしてあった。

 人魚姫を題材にしたアニメだった。



 もう一つの写真は、小さな女の子。

 まだ小学生にも満たないであろう、小さな女の子。私は思わずほころんでしまった。
 彼女が着ていたのは、私も小さい頃に観ていたテレビ番組、その番組でアイドルが着ていた衣装だった。

 体を大きく伸ばし、今にも踊りだしそうな写真だった。



「私もこの番組、観てました」

「そうか……娘のお気に入りだったんだ」



 彼は写真を持ちあげると、遠慮がちに微笑んだ。



 優しく慈愛に満ちた、暖かな笑みだった。





92 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/12(日) 01:12:24.26 ID:w6V3e5/y0





 あるレッスン終わりのことだった。


 千鶴ちゃんと同じレッスンで、二人で一緒に更衣室を出た。

 千鶴ちゃんは、勉強のためということで、アクセサリーを見に行きたがっていたから、今から行こうかと話し合っていた。


 エレベーターホールに置いてある自販機の傍で、プロデューサーさんが立っていた。


「ほたる、少しいいか」


 千鶴ちゃんとのお出かけはまた今度。裕美ちゃんもいる時になった。


 私は部屋に通された。最初、プロデューサーさんと出会った部屋だった。

 壁には相変わらず喫煙禁止のポスターが貼られたまま。

 椅子に座ったプロデューサーは口を開いた。




「ほたる。俺はお前のプロデュースを降りることになった」






93 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/12(日) 01:13:33.29 ID:w6V3e5/y0



 言葉にされた瞬間、頭が真っ白になった。でも同時に、どこかで理解していた。



(ああ、この時が来たんだ……)




「……他の子のプロデュースをするんですか」

「いいや。俺は会社を辞める」

「やめた後は」

「引き継ぎはちゃんとやってるさ」


 上がった名前は、関ちゃんプロデューサーだった。


「あいつと相談してプロデュース方法も決めてある」


 そう言って、企画書の入ったファイルを私の方へ差し出してくる。

 私はそれを受け取ったが、ろくに目もやらなかった。



「……プロデューサーさんはどうするんですか」

「親戚がペンションをやってて、しばらくはそこでお世話になる。その後は……まあどこかで仕事も見つかるだろう」

「そうですか……」

「なにか言いたいことはあるか」



 プロデューサーさんは、なにかを言ってほしいかのようだった。

 そしてそれは、感謝の気持ちや引き留めの言葉でないように、私には思えた。



 だから首を振った。ただ、ありのままを受け止めて。


「そうか」プロデューサーさんは、小さく頷いた。


 私は立ち上がって、頭を下げた。







「プロデューサーさん、今までお世話になりました」








94 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/12(日) 01:14:36.79 ID:w6V3e5/y0



 部屋を出てから少しして、手に持っていた企画書を思い出した。



 私は企画書の表紙に目を落とす。


 新しいアイドルユニットの企画書。



 メンバーは、私に裕美ちゃんに千鶴ちゃん。







 ユニット名は『GIRLS BE』だった。








95 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/12(日) 01:15:27.19 ID:w6V3e5/y0



 そして、プロデューサーさんは事務所を去っていった。


 私は関ちゃんプロデューサーの元に行き、私たち三人はGIRLS BEとして活動をするようになった。


 
 ユニットの評判が良かった。

 関ちゃんプロデューサーも優しいし、裕美ちゃんと千鶴ちゃんと、前以上に一緒に居られるのも嬉しかった。

 それでも、ふとエントランスを歩いているときや、写真スタジオで撮影をしたとき、事務所前のコンビニを通り過ぎる時。

 彼のことを、思い出すこともあった。

 プロデューサーさんの部屋は、今は利用されておらず鍵が掛けられている。きっと、中は殆ど変っていないのだろう。

 もしかしたら、あの写真立ても、私が壊したノートパソコンも、あの部屋の中に残っているんじゃないか。

 そんな想像が、私の中に浮かぶことがあった。

 もちろん、そんなことはなくて。

 私と言う存在以外、この事務所にプロデューサーさんの居た形跡はもう残っていなかった。



 ただ一つを除いて。




96 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/12(日) 01:16:23.51 ID:w6V3e5/y0



「ごめんなさいね、手伝ってもらって」


 たくさんの書類を抱えたちひろさんに、私は首を振ろうとした。でも、同じように胸に抱えた書類が崩れそうになって、諦めた。


「いえ、そんなことないです」


 先ほどまで、ちひろさんは一人でこれを抱えていたのだ。でも私とぶつかって、書類が廊下に散乱してしまった。そのお詫びとして

、私もちひろさんのお手伝いをすることにした。そもそも、こんな量を一人で持っていこうとしたのは、無茶だと思う。

 いけると思ったんですけど。残念そうに呟いたちひろさんに、私は微笑んだ。

 長い廊下を進んでいって、ふと第三応接室の前を通り過ぎた。

 扉は小さく開いていて、その隙間から中を除くことが出来て。



(あっ)



 と、私は思った。

 壁に貼られた手書きの注意書き。




『喫煙禁止』




「ほたるちゃん?」


 足を止めていた私の元に、ちひろさんが戻ってくる。


「あのポスター、まだ貼ってあるんですね」

「あら、本当ね」


 ちひろさんは室内に入ると、書類を机に置いてポスターの前に移動した。


「もういらないですよね、これも」


 そう言って壁のポスターを、テープが残らないように丁寧に剥がした。





97 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/12(日) 01:17:59.95 ID:w6V3e5/y0


「あんまり意味が無かったですよね。社内で吸わない分別は残ってたみたいですし」

「そもそも、プロデューサーさん、煙草は吸ってませんでしたよね……」

「お酒は飲んでいましたけど」付け加えた私に、ちひろさんは首を振った。

「いいえ、彼は結構ヘビースモーカーなんですよ。ほたるちゃんの前では吸わなかったかもしれないですけど」

「いえ、辞めたって言ってました」

「本当に?」


 意外そうにちひろさんは呟いた。


「はい。少し前に」



 仕事中に気になって聞いたことがあった。すると、その答えが返ってきた。


「なんだ……そうだったんだ」


 ちひろさんは知らなかったようで、手の中のポスターをジッと見下ろしていた。


「ちひろさん。いくつか聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」

「なにかしら」

「どうしてプロデューサーさんは、このお仕事に戻ってきたんですか」



 関ちゃんプロデューサーは、説得されたと言っていた。

 でも、単にそれだけとは思えなかった。


 プロデューサーさんにとって、この仕事に戻ってくるのは楽な決断ではなかったはずだろうに。

 ちひろさんは言うか悩んでいるようだったが。






「……約束が、あったんです」
 



 ゆっくりと口を開いた。





98 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/12(日) 01:23:55.36 ID:w6V3e5/y0



「彼の奥さんとの。もう一度、プロデュースしている姿が見たいって。そして貴方が育てたアイドルが、輝いてる姿を見せてほしいって。この約束をしたとき……もう助からないって、本人も分かってたと思います」

「じゃあ、なんでそんな約束を……?」

「彼に前を向いていて欲しかったんです。彼女にとって、彼が一番輝いていた瞬間が、プロデューサーをやっているときで……」


「でも……」と、ちひろさんは顔を俯けた。


「結局、彼は去ってしまって……ごめんなさい。ほたるちゃんにも迷惑をかけることになってしまって」

「迷惑なんて、そんなことなかったです。私は……あの人にプロデュースしてもらって、本当に良かったと思ってます」

「……優しいんですね、ほたるちゃんは」

「違います。優しかったのは、あの人です」


 ただ、それを上手く表現できなくなっていただけなのだ。

 ボロボロで、それでも私の傍に、出来るだけ居ようとしてくれた。


 そうしてくれたのは、彼がとても優しかったから。



「……ありがとうね、ほたるちゃん。貴方が彼のアイドルで居てくれて……本当に、本当にありがとう」


 ちひろさんは私に背を向けたまま、呟いた。それから口元を少し抑えて、大きく、肩で息をしてから、振り返った。



「さあ、早く運んじゃいましょう。お礼にジュース、奢ってあげますから」


 微笑んだちひろさんは、ネットで見つけたかつてのアイドルに、少しだけ似ているようだった。





99 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/12(日) 01:24:56.03 ID:w6V3e5/y0







 ユニットは評判を呼び、私たち三人は社内フェスに呼ばれることになった。

 以前のような新人のフェスではない、ドームを借りた大きなフェスに。


「なんだか、あっという間な気がするな」


 ドームの中、私たちはスタッフ専用の通路から、ひっそりとお客さんを伺っていた。


「あんな場所に立てるって思うと……緊張しちゃうね……」

「でも、頑張ってきたんだもん。ここでもうひと頑張りだよ」


 そんなとき、私はあるお客さんに目が言った。

 小さな子供を連れた、三人家族のお客さんだった。

 女の子は可愛いウサギ耳をつけて、ぴょんぴょんと跳ねている。ウサミンこと、安部ちゃんの衣装だ。

 きっとファンなんだろう。

 やがて、彼女はその場でポーズを決めてから、踊りだした。新しいウサミンの歌の踊りだ。

 拙くて、でも一生懸命で、お父さんとお母さんは嬉しそうにその様子を見ていた。

 その踊る姿が、写真の中で笑っていた幼い少女と重なる。




(あ……そうだったんだ……)




100 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/12(日) 01:26:06.14 ID:w6V3e5/y0


 私は、急にこらえきれなくなった。その場でしゃがみこんで、両手を手で覆って。


「ほたるちゃん?!」


 驚いた裕美ちゃんが私の傍にしゃがみこんで、背中をさすってくれる。


「どうしたの? 気分悪くなったの?」

「違うの……違うの、裕美ちゃん……」


 プロデューサーさんのいろんな全てが、すとんと腑に落ちて。

 廊下の傍に私は座り込んだ。それでも涙は暫く止まることがなくて。


「ほたるん、大丈夫か」


 千鶴ちゃんが呼んだのだろうか、いつの間にか関ちゃんプロデューサーが私の傍に屈みこんでいた。


「どうかしたのか」

「違うんです……ただ……前のプロデューサーさんを思い出して……」


 関ちゃんプロデューサーが、私を優しく抱きしめる。


「辛かったよな、ほたるん。あいつのわがままに振り回されて」


 私は胸の中でゆっくりと首を振った。


「違うんです……そうじゃなくて……ただ、悲しくて……」


「どんな理由があったって、アイドルを悲しませるならプロデューサー失格だよ」





「そんな言い方……しないであげてください」


 私は感謝の気持ちを込めながら、ゆっくりと関ちゃんプロデューサーの体を引き離す。






「だって……どうしようもない時ってありますから……受け止めきれなくなったなら……逃げるのは悪いことじゃないです……」





101 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/12(日) 01:26:58.24 ID:w6V3e5/y0



「ほたるん……」

「大丈夫です。私は……大丈夫ですから。ただ少しだけ、一人にしてほしいです」

「ああ……分かったよ」


 関ちゃんプロデューサーは裕美ちゃんと千鶴ちゃんを連れて行った。

 心配そうな二人に、大丈夫と答えるように、笑みを浮かべて見せた。

 ただ落ち着く時間が欲しかった。

 プロデューサーさんのことで。



 彼が去ったのは仕方がないと思う。それほどまでに、彼の傷は深かったのだから。

 それでも、私は。



(恨んでいます、プロデューサーさん。私は貴方を)



 恨む権利はあると思う。


 傍に居てほしかったから。


 この晴れの舞台で傍に。輝く私を、間近で見ていてほしかった。





 私はまた少し泣いてから、涙を拭い去って、立ちあがった。








102 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/12(日) 01:28:29.98 ID:w6V3e5/y0



 転んだら、立ち上がればいい。



 何度でも何度でも、立ち上がって見せればいい。


 そういう言葉は、良く耳にする。

 でも、そう簡単な話じゃない。

 立ち上がるのは大変だし、何度も何度も、転ぶたびに傷ついていく。

 そしてボロボロになってしまって、それでも立ち上がればいいとは、私は言えなかった。


 私も、多分ギリギリだったから。
 本当にギリギリで、みんなのお蔭でここまで来ることが出来たにすぎないと思う。

 プロデューサーさんだけではない。

 きっとお客さんたちの中にも、そういう人はいるはずだ。笑顔を浮かべながら、傷ついて傷ついて。

 辛い思いをしている人もいるはずだ。





 彼らを救うことは、きっと私にはできない。






103 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/12(日) 01:30:05.28 ID:w6V3e5/y0



 暖かいぬくもりが、私の手を包む。

 裕美ちゃんだ。

 裕美ちゃんは、反対の手で千鶴ちゃんの手も握っていた。

 暖かい、優しい手。




 救うことはできないと思う。

 でも、寄り添うことはできると思う。出来ると信じたかった。

 寝て起きたらすぐ消えてしまうような、小さな幸せの灯。

 一瞬だけでも、それでお客さんの心を灯してあげたくて。



「いこう、二人とも」


 裕美ちゃんの言葉に、私たちは頷いた。そして歩き出す。





 眩い輝きの待つ、あの舞台へ。





 その光が、僅かでも誰かの希望への手助けになれることを、願って。





104 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/12(日) 01:31:56.71 ID:w6V3e5/y0





―――――
――
 




105 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/12(日) 01:36:26.69 ID:w6V3e5/y0


 窓から見えるのは、見渡す限りの空と山だった。美しい木々が太陽の光を浴びて、痛くなるほどの緑だった。


「ちょっとプロデューサー、速度出し過ぎじゃないですか?」


 助手席に座った千鶴ちゃんが不満を述べたが、関ちゃんプロデューサーはどこ吹く風だった。


「安心してよ、アタシこれでも、峠の関ちゃんって呼ばれてた走り屋なんだから」

「そういう問題じゃないです」

「そもそもそれ、絶対嘘だよね」呆れるように裕美ちゃんが息をついた。

「マジマジ。豆腐屋の姉ちゃんと、一騎打ち、見せてやりたかったなー」

「もう、プロデューサーったら」


 そんなやり取りに、私は頬が緩んだ。

 私たちのユニットは、今度単独ライブが決定していた。

 フェスの後も、私達はますます忙しくなっていって。

 さらにもう一つ、大きな変化もあった。



「でも、事故は気を付けないといけませんよ、プロデューサー」


 苦笑しながら言ったのは私の隣に座っていた岡崎泰葉ちゃんだった。


 私達GIRLS BEは、泰葉ちゃんを加えた四人で、『GIRLS BE NEXT STEP』としてユニットを新たにしていた。
 今度のライブは、私達のデビューライブだった。
106 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/12(日) 01:37:07.63 ID:w6V3e5/y0



 でも、私達がむかっているのは、会場ではなかった。


 会場に向かう前に、一つ寄り道をしようとしていた。







 舗装された道を離れ坂を上がっていくと、その建物は見えてきた。森の中に佇む、大きな建物。



「ここであってるよね?」


 車を降りながら、訝しげに言った関ちゃんプロデューサー。

 他のみんなも車から降りてきたとき、ペンションの扉が開かれ、中から人影が現れた。


 私はパッと明るくなる。




 プロデューサーさんだった。





107 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/12(日) 01:38:02.96 ID:w6V3e5/y0



 ここはプロデューサーさんの叔父がやっているペンションだった。

 彼はなにか作業の途中だったようだ。軍手を外しながら、歩いてくる。

 最後に事務所であった時より肌も黒くなって、髪が短くなっていた。


「うっす、元気してたか?」


 軽い調子で関ちゃんプロデューサーが言うと、彼は小さく頷いた。


「まあまあだ」


 ペンションの奥から、白髪の男性が姿を現した。

 顔には皺が刻まれていたが、体ががっちりしており、背筋もまっすぐ。どうやら彼が、オーナーのおじさんのようだ。


「遠いところからどうも。さあどうぞ中へ」

「先になかに入ってるから」


 関ちゃんプロデューサーが声を掛けてから、残りのみんなを連れてペンションへ向かう。

 気を使ってくれたのだろう。私たちは顔を見合わせた。




「久しぶりだな、ほたる」



「お久しぶりです。プロデューサーさん」




108 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/12(日) 01:39:16.29 ID:w6V3e5/y0



「もう俺はプロデューサーじゃないぞ」

「私にとっては、貴方はずっと、プロデューサーさんですから。肌、焼けましたね」

「ああ。活躍、ちゃんと見てるぞ。凄いじゃないか」

「ありがとうございます。プロデューサーさんは、今度のライブには来れるんですか?」

「どうだろうな……どうだろう」

「そうですか……」

「今日は泊まってくんだろ。晩御飯の後だけど――」

「あ、いえ。ライブもあるんで、夕方頃には出発する予定なんです」

「なんだ、そうなのか……」

「どうかしました?」

「いや……ほたるの生息地がすぐ傍にあってな。ちょうど見ごろなんだ。だからどうかって思ったんだから」

「……私だから、ほたるですか?」

「いや、そんなわけじゃないが……綺麗なんだ、だからどうかなって思っただけだよ」

109 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/12(日) 01:41:15.05 ID:w6V3e5/y0



 残念だけど、それも仕方がない。


 昼食をとってから辺りを散歩して、色々と話し合った。

 プロデューサーさんは、この夏の終わりから、近くの街で仕事を見つけたと言う。


 少し歩くと、綺麗な水の流れる川辺にたどり着いた。



「ここなのかな……」

「なにが?」


 首を傾げた裕美ちゃんに、ほたるのことを教えてあげた。


「へえ……見てみたいね」

「でも仕方ないよ、御仕事だもん」


 そして夕方になって、車に乗ろうとして。


「あれ?」


 関ちゃんプロデューサーは顔をしかめた。いくらキーを捻っても、車は動き出さない。


「エンストか? 嘘だろ」


 電話で修理業者を呼ぼうとしていたけど、そこで裕美ちゃんが関ちゃんプロデューサーに近づいていった。

 なにかを話してから、私とプロデューサーさんの方を見て、肩をすくめてから電話をしまった。

 それから叔父さんと少し話して、大声で言った。






「今日はここに泊まりだー」


 関ちゃんプロデューサーは、いくらか余裕をもって予定を立てていたらしい。

 修理だけしてもらって、出発は明日の朝となった。



110 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/12(日) 01:43:05.97 ID:w6V3e5/y0






 夕食を食べ終えた私たちは、懐中電灯の明かりを頼りに、川岸まで歩いていく。



 やがて、遠くに点々と明かりが見えてきた。近づいていくと、光が強くなっていく。





 ほたるの光。



 その綺麗さに目を奪われて。それから、プロデューサーさんが私を見ているのに気付いた。






「綺麗ですね。プロデューサーさん」


「ああ……そうだな」





 そして彼は、にっこり笑った。


 つられて私も笑って。




 私達は笑いあった。




 優しいほたるのひかりに、見守られながら。





―――白菊ほたる「恨みます、プロデューサーさん」―――≪終≫――

111 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/12(日) 01:47:43.96 ID:w6V3e5/y0
 終わりです。

 不幸なほたるちゃんが自分より不幸な人と出会ったら? そんなテーマから書いてみました。
 ほたるちゃんは不幸ですけど、だからこそどんな人も受け止められる、優しくて強い子だと思います。
 でも同時に、ほたるちゃん自身も、周りに支えられているからこそ、輝けるんだと思います。
 この作品を読んで、少しでも彼女たちのことを好きになってくれたら幸いです。
112 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/08/12(日) 05:58:25.04 ID:gbgqgYARo
乙でした
ちょっと切ないけど、みんながきちんと前に一歩ずつ前に進んでるいいお話でした
義妹さんも肩の荷が下りた感じでしょうかね
113 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2018/08/12(日) 07:07:56.38 ID:HyUIfY/50

すごい面白かった
114 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/08/12(日) 09:36:29.66 ID:7kY0XGnjO
冗長
115 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [Sage]:2018/08/13(月) 13:13:00.94 ID:xRernco+0
乙です。
良い点
・これだけの大作を書ききったところ
・ガルビの関係がデビューから段々と描写されて、ユニット結成までしっかりと書かれているところ
・ほたるとPのすれ違いから信頼を築いていくところ
イマイチな点
・タイトルが強く言い切り過ぎに感じたところ。作中ほたるはPの事情を理解はしているしそこまで悪く思ってはいなそうに感じました
(何か元ネタがあるタイトルだったらすみません)
・ラストでほたると再会したPが特に謝ったりしていないところ。個人的にもっとはっきりした和解が欲しかったです

全体的にとても良く書けていたと思います。それだけにラストがちょっと惜しく感じました。
本当に乙でした!

116 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/08/13(月) 17:03:34.77 ID:2wjp/fc6o
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