白菊ほたる「恨みます、プロデューサーさん」

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1 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/11(土) 22:48:04.80 ID:S8sM1lda0





 遠くから聞こえるさざ波。


 透明な瑠璃色の波が奏でる音色。






 優しくて、残酷な音色。







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2 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/11(土) 22:49:38.98 ID:S8sM1lda0


 私はあの事務所にやってきて、色々な人に出会った。

 関裕美ちゃんや松尾千鶴ちゃん。

 千川ちひろさんに関ちゃんプロデューサー。

 そしてプロデューサーさん。



 私のプロデューサーさん。



 彼のことを考えるとき、あの海沿いのバス停の姿を思い出す。

 海を見つめる彼は、なにを思っていたのだろうか。

 私を見つめる彼は、なにを想っていたのだろうか。



 
3 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/11(土) 22:51:07.80 ID:S8sM1lda0

―――
――

 私は予定より一時間早く家を出て、予定より一時間遅く目的地の駅に着いた。

 乗っていた電車が事故とか車両不良、いろんなことが起こってしまって、結局のこの時間。


(大丈夫、まだ大丈夫)


 予定はあくまで私の予定だった。約束の時間には、ギリギリ間に合う。

 大勢の人を吐き出す駅から、私も飛び出した。


「ごめんなさい……通してください。ごめんなさい……」


 怪訝そうな人の間を、何度かぶつかりながら通り抜け、歩道橋を上がっていった。目指す先はあと少し。

 新しい事務所。

 今日は、私が初めて事務所に顔を出す日だった。

 本当に突然のことだった。昨日の夕方、見知らぬ男の人から声を掛けられて、うちの事務所に来ないかと誘われたのだ。

 むこうは私のことを知っていたらしい。いつかの現場で一緒だったらしくて。

 私の事務所になにが起こったかも、知っていた。



『凄いね。ほたるちゃん。うちで潰したの何個目だっけ?』



 屈託のない笑顔。良い子だけどちょっと無邪気で、でもあの時は確かな邪気があった。


(なんでこんな時に思い出しちゃうんだろう)


 こんな時だからだ、きっと。




 私は新しい事務所に入ることになった。




4 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/11(土) 22:52:14.43 ID:S8sM1lda0


 前までいた事務所が、倒産してしまったから。


 それは初めてじゃなかった。その前も、その前の前も、私が入っていた事務所は倒産していた。

 彼女はとてもいい子で、少し言い過ぎるところがあっても、私には優しかった。

 持ち前の明るさで、この小さい会社を大きくするんだって、やる気にあふれていて。
 
 ほたるちゃんなんかの不幸に負けないと息巻いていて。

 倒産の話を聞いた時、私は彼女と一緒だった。


『あたしは結局、ほたるちゃんに負けちゃったってことか』


 開き直ったみたいに彼女は呟いた。申し訳なくて、何度も謝って。

 彼女がこの先どうするか、私は知らなかった。知るのが怖かった。

 他人を不幸に巻き込んでいるのに、私は新しい事務所に行こうとしている。

 断ろうとも考えた。これ以上、誰かに迷惑をかけることになるなら。でも、


『大丈夫、君は素晴らしいアイドルになれるよ』


 力強く声を掛けてくれた、あのプロデューサーさんを信じて。



 もう一度、私は事務所の扉をくぐろうと思った。




5 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/11(土) 22:53:36.52 ID:S8sM1lda0



 一生懸命走ったおかげで、なんとか待ち合わせの時刻に間に合った。

 息を切らしている様子の私に驚くこともなく穏やかな笑みを浮かべていた受付のお姉さんに、プロデューサーさんの名前を告げると、お姉さんは内線を手に取った。

 待つ間に、髪が乱れてないか確かめて。


(あれ?)


 髪留めがなくなっていることに、私は気づいた。

 誕生日石のバイオレット・ジルコンを桜の花びらの形にあしらった髪留め。

 いつか、旅行先のお土産で買ったものだった。ずっと大切にしまっていたのを、この日の為につけてきた。新しい門出のために。

 駅前で人とぶつかった時に弾みで取れてしまったのだ。それに気づかなかったなんて。


「えっ?」


 受付のお姉さんは、電話口で眉間に皺を寄せた。

 どうしたのだろうか。待ち合わせには遅れていないはず。不安を覚えて時計を確認したけど、やはり時間に問題はなかった。視線を戻した時にはお姉さんはなにもなかったように静かに微笑んでいた。それから、待っているように言われた。


 椅子に座っている間、落としてしまった髪留めが気になって、何度も髪を手でなぞっていた。そうしていれば、いつの間にか元の位置についているかもしれないみたいに。

 当然、そんなことはなかった。

 プロデューサーに挨拶する前からこんな調子だなんて。私は小さく息をついた。



「白菊、ほたるちゃん?」




6 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/11(土) 22:54:43.01 ID:S8sM1lda0


 私は慌てて立とうとした。

 でも慌て過ぎた。机に膝をぶつけてしまって、机はガタンと大きな音を立てて揺れて、膝の痛みに短く声を出した。


「大丈夫? 落ち着きなよね」


 ジンジンとした痛みをこらえながら、その人影に改めて目を向けた。


「えっと、貴方は?」

「アタシ? アタシはプロデューサーだよ」


 ほら、と、胸元にぶら下げていた社員証を見せてきた。確かにプロデューサーと書かれている。でも、あの時声を掛けてくれた人とは違っていた。

 女の人だ。パンツにスーツ姿で、髪の長さは私と同じくらい。


「ほたるちゃんって、呼んでいい?」


 頷くと、彼女はニッと笑った。安心していいんだよ、そう語りかけてくるような笑顔は、私をスカウトした彼とどことなく似ていた。きっとその笑顔が彼女たちがプロデューサーになれた理由なんじゃないかって私は感じた。


「えっと、あの人は。私をスカウトしてくれた……」


 彼女は小さく頭を掻いた。




「いやあ、それがね。入院したんだよ、あいつ」




7 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/11(土) 22:55:47.14 ID:S8sM1lda0


「えっ」

 私はさっと血の気が引くのを感じた。


「過労でね。仕事は出来るんだけどアホでさ。自分のキャパを理解してなかったんだよ。頑張るのにも限度があるって言ってあったのに。周りに迷惑がかかるって分かんないのかね……って、ほたるちゃん?」



「やっぱり……私のせいで……」



 彼女の言葉は、殆ど頭に入ってこなかった。

 私なんかをスカウトしたから、不幸が起きたんだ。


「過労だっていったでしょ。なんでほたるちゃんのせいになんの?」

 彼女は笑い飛ばしてくれたけど、私の不安はわだかまったまま。

 その不安は、たった今起きたものではない。海の底に捨てられた自転車のように、深く胸の内に沈み込んでいた。さび付き苔に覆われるほどに放置され、もはや心の情景一部となってしまった感情。



「だって……私が不幸だから」



8 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/11(土) 22:56:51.86 ID:S8sM1lda0


 私の不幸は私だけに起きるのではない。

 周りをも不幸にする。それを考えるだけで、胸がキュッと痛くなった。


「気にし過ぎだって。ほら、とりあえず行こう」


 私達は事務所の奥へ入っていく。彼女は歩きながら事情を説明してくれた。



「入院したって言っても、検査入院でね。さっき電話したけど、ピンピンしてたよ。ただ、これ以上仕事を増やす訳にもいかなくてね。だからほたるちゃんは――」

「この事務所には、やっぱり入れないんですか」


 口にした不安を、彼女は軽く受け流す。


「違う違う。別の奴が担当するの」

「……じゃあ、貴方が私のプロデューサーさんですか?」

「そうしたいのは山々だけどね、アタシも新人の子を担当してて、手一杯なんだよ」


 先を歩いていた彼女は振り返って嬉しげに微笑んだ。


「カワイイ子達なんだ。ほたるちゃんに負けないくらい。こんど会わせてあげる」


 私は少しがっかりした。もし、彼女が私のプロデューサーになってくれるなら、それはそれで、素敵なことだと一瞬でも考えていたから。


「えっと、じゃあ、一体誰が……」

「そいつが待ってる部屋に、今から案内してあげるから」




9 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/11(土) 22:57:49.49 ID:S8sM1lda0


 歩きながら、事務所の広さに私は少しめまいがしてきた。

 今までの事務所は小さな事務所で、ビルの一室を間借しているような場所がほとんど。


(ここなら、大丈夫かもしれない)


 私は安心してきた。私がここにいても、この事務所なら潰れないじゃないか。だって、こんなに大きな事務所なんだから。有名なアイドルがたくさん所属してて、大きなコンサートを何度も何度も開いているんだから。


(でも、本当に?)


 安心は、すぐに不安に裏返った。どんな大きな会社だって、倒産しないことはない。

 それに、私が起こす不幸はそれだけじゃないんだ。

 現に、すでに一つ起こしている。


(大丈夫)


 胸の内で、自分に言い聞かせるように私は唱えた。

 そんな時にスタッフさんだろうか、こちらに駆け寄ってきた若い男の人が、プロデューサーさんに耳打ちをした。



「嘘でしょ?」

 そう言葉を漏らした彼女は、ちらりと私に目を向けた。ドキリとした。その顔は何度も現場で見たことのあるもの。




 トラブルが起きた時の顔。




10 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/11(土) 22:58:46.41 ID:S8sM1lda0



「そっか……うーん」


 判断しかねるようで、廊下で足を止めたまま唸っていたプロデューサーさん。

 なにがあったんですか。私はそう聞こうとして。





「どうしたんですか?」



 声の方に見ると、緑色のスーツを着て、おさげの女性が不思議そうにこちらに目を向けていた。


「ちひろさん、いいところに」


 プロデューサーさんは、その女性の元まで行くと話し出した。


「ちょっと、あいつのことで面倒が起きて」

「あの人にですか?」

「様子を見たいから、ほたるちゃんのことお願いしていい?」


 小声だったけど、その時の廊下はとても静かで、私の耳にも会話が聞こえてきた。

 やっぱりなにかトラブルが起きたんだ。それだけははっきりとわかった。


「ごめんねほたるちゃん。ちょっと待っててね」


 そう言い残すと、彼女は私とおさげの女性を残して立ち去った。


 怒ったような早足が、私の心をますますざわつかせた。




11 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/11(土) 22:59:47.09 ID:S8sM1lda0


(大丈夫、大丈夫)


「白菊ほたるちゃんですよね」


 私は我に返ると、おさげの女性は胸元に書類を抱きながら私の顔を覗き込んでいた。


「私はアシスタントをしている千川ちひろです。これからよろしくね」

「は、はい。白菊ほたるです……よろしくおねがいします」

「固くならなくていいですよ。私は気楽に読んでください。ちひろさんとか、ちっひーとか」

「は、はい……」

「なんなら……ちひりん、でもいいですよ?」


 一指し指を唇に添えて、おどける様に微笑んだ。私の気を紛らわすための冗談なのだろう。私も自然と頬が緩んだ。

 やがて、プロデューサーさんが戻ってきた。その顔には、明らかな不満が浮かんでいた……いや、怒りかもしれない。

 プロデューサーさんはちひろさんを呼び寄せると、また小声で話し始めた。

 先ほどより離れていて、今度は声が聞こえなかった。

 ちひろさんはまだ会話を続けたかったようだが、プロデューサーはこちらに戻ってきた。困ったような、作り笑い。



「ゴメン、ほたるちゃん。担当プロデューサーと会うの、また次の機会でいいかな?」




12 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/11(土) 23:01:07.16 ID:S8sM1lda0

 「えっ」

 私の心がキュッと締め付けられた。



「ど……どうしてなんですか」

「ちょっと、色々あってね」

「色々って、一体」

「いやあ、大したことじゃないんだけど」


 嘘だ。私はそう感じた。

 大したことじゃないなら、どうして今日じゃ駄目なのか。



(まさか)


 なにか大怪我でもしたのだろうか。

 或いは。私の担当になるのを嫌ったのか。

 私の不幸は知られていて、そんなものに巻き込まれたくないと思ったんじゃ。私をスカウトした彼の二の舞はご免だと。


 きっとそうなんじゃないのか。



「ごめんなさい……」


 そう思うと、自然と私はそう漏らしていた。


「ごめんなさい……私がご迷惑をおかけして……」

「ちょ、ちょっと。なんでほたるちゃんが謝るの」

「きっと私のせいなんです。全部……私のせいで……」


 あの子の顔が頭に浮かんだ。あの子だけじゃない。いろんな顔が。

 私に向けられる、侮蔑や軽蔑、憎しみの表情。

 それを思い出すたびに胸が締め付けられる。思い出したくないのに思い出してしまう。



 自分が不幸になるのはいい。ただ、誰かを不幸に巻き込むのは嫌だった。




13 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/11(土) 23:02:26.94 ID:S8sM1lda0

 嫌だというのに、私はいろんな人を不幸に巻き込んできた。

 そんな私は、拒絶されて当然なのだ。

 やっぱり、アイドルなんて続けない方がいいんじゃないか。



 テレビの向こう側の彼女たちは、人々に希望を与えていて、だから私も、そうなれるんじゃないかと勘違いしていた。


「ごめんなさい……私やっぱり……いいんです」

「いやいや、別にいいとか悪いとかじゃなくて。本当にこっちのせいで」


 プロデューサーは、困惑した表情を浮かべている。きっとここに居たら、もっとそんな表情をさせることになる。

 だから私は。




「会わせましょう。プロデューサーさん」




 力強く言ったのは、ちひろさんだった。

 プロデューサーさんは呆気にとられていた。


「え……いやいや、ダメでしょ。あんな状態で」
「駄目じゃないです。今日、会わせてあげなきゃ。だってほたるちゃんは、その為に今日来たんですからね。時間通りにちゃんと。なら、私たちも守ってあげないと」


「ちひろさん……」



14 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/11(土) 23:03:18.44 ID:S8sM1lda0



プロデューサーさんは目を細めていたが、やがて、それはなにかを覚悟した表情に変わる。


「なにしてもいい?」

「あんまりやりすぎなければ」

「それは無理な相談かな。10分頂戴」

「ええ。ほたるちゃんもいいですか」

「……でも」

「いいじゃなくて、待ってもらうから」

 ニッと微笑んだプロデューサーさんは、私の返事を待たずに身を翻した。


 私に気を利かせてくれたのか、ちひろさんが自販機で飲み物を買ってきてくれた。

 私は受け取ったけど、封も開けず、ただ蓋を人差し指でなぞっていた。

 頭には嫌なイメージすら浮かばず、深い霧のような憂鬱だけがずっと居座っていた。


「ほたるちゃん」


 私が顔を上げると、ちひろさんがにっこりと笑っていた。


「心配ですか?」

「だって……私が皆さんにご迷惑をかけてるから」

「ほたるちゃんは、誰にも迷惑なんてかけてないですよ」

「ですけど……」


 私の言葉をさえぎる様に、ちひろさんは口を開いた。



「プロデューサーさんを、信じてあげてください」




15 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/11(土) 23:05:00.57 ID:S8sM1lda0


 約束してた時間よりちょっと過ぎてから、プロデューサーさんが戻ってきた。なんだかとても疲れているようだった。

 うんざりしてるようにも見えた。なにか気になるのか、しきりに片手を振っていた。見ると手のひらが少し赤くなっていた。


「ちひろさん、後はお願いね。アタシ、外で空気吸ってくる」


 頷いたちひろさんから、プロデューサーさんは私に視線を送る。


「じゃあね、ほたるちゃん。また今度」

「えっと……ありがとうございました」

「はは、ありがとうか」


 疲れたように笑ってから、ぽつりとつぶやいた。




「どうだろうな」


 そのまま、プロデューサーさんは歩き去っていった。去っていくときも、やはり手を気にしていた。すれ違う時、微かに煙草の匂いが香った。建物内は禁煙と聞いていたけど。

 ちひろさんに促されて、私は反対の道に進んでいった。

 案内されたのは、扉に『第三応接室』と銀のプレートにそっけなく刻まれていた部屋だった。


「失礼します」


 ちひろさんが扉を開けた瞬間、鼻についた匂いに、私は思わず顔をしかめてしまった。

 さっき、プロデューサーさんとすれ違ったときと同じ、煙草の匂い。でもさっきより強い匂い。
 小さな部屋の中ではまるで霧が発生したみたいに、薄い煙で覆われていた。

 匂いは、煙草だけじゃない。いろんな匂いが混ざっていた。何かが焦げたのと勘違いしてしまうような、強いコーヒーの匂い。

 そして栄養ドリンク特有の、べた付くような甘い匂い。

 机の上には、真っ黒なコーヒーの入ったコップにポット。

 その隣には、エナジードリンクと、スタミナドリンクの空の瓶と缶。

 エナジードリンクの缶の上には、まだ火のついていた煙草。女性が吸うような、細いタイプの煙草だった。




 汚れた机の向こうのソファーに、彼は座っていた。




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