追われてます!'

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86 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/04/20(金) 00:01:11.75 ID:elqEvCPN0
前作見直そうと思ったらブログが消えてる…
87 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/20(金) 01:22:01.81 ID:fFo8HSJq0

【疑念】

 佑希の話は、俺が前提を見誤ってたとはいえ概ね納得のいくものだった。

 俺は佑希を妹として見られずに──同時に奈雨を妹のように思いたくて──二人に対してぶしつけな態度を取り続けていた。

 二人の確執は俺が原因だ、と個々の事象のみを考えた場合言ってしまえるだろう。

 けれど佑希は"俺が悪い"ではなく"奈雨が悪い"と言った。
 そして、"同じはずなのに"、"結局はそうなっていた"と続けた。

 奈雨と俺の関係についても、"付き合っているならいい"と言っていた。

 ひとつひとつの事象を切り離して考えるのではなくすべてをひとつの流れとして捉えたとき、それらを無条件に信じてしまっていいのだろうか?
 ただでさえ俺たちは同い年であるのに、そこまでして妹という場所にこだわる必要はあるのだろうか?
 俺に突き放してほしかった理由は何だったのだろうか? 普通に甘えたかったのなら何をそこまで気にしていたのだろうか?

 俺の人との接し方では、何かを推察するところまではできても最終的な結論に至ることはない。
 実際に自分が見聞きした内容でしか判断を下せないことは勿論のこと、大きな見落としがあったとしても気が付けないから。

『もしも』の可能性は内に留めておくべきものであり、迂闊に外へさらすべきではない。
 一番近くにいると思っていた人でさえ全く見通せていなかったのに、ましてや他人に手前勝手な想像を押しつけるわけにはいかない。

88 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/20(金) 01:23:22.65 ID:fFo8HSJq0

 でも、それでもまだ彼女の語っていない、もしくは嘘をついている何かがあると思ってしまってならない。

 佑希は俺と目を合わせるのを嫌がった。
 俺が優しさを見せた途端、それまでと調子を変えた。

 現状を変えたいと願ったのは、俺だけじゃなく彼女もそうだった。

 これまでの自分なら、どうにかして知ろうとしただろう。
 決して核心部分に触れることなく、何気ない会話の中に含みを持たせて。

 けれど今は彼女から話してほしいな、と思う。
 何かがあったとしても。なかったとしても。

 それは、きっと諦めではない。思考を放棄しているわけでもない。
 今までとは違うのだと、これまでの歪な関係から少しでも変われるのだと思いたい。

 都合の良い側に流されてしまっているとしても、俺はそれを受け入れたい。
 やっと解けかけている糸をまた絡ませてしまいたくないと、ただそれだけのことだ。

89 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/20(金) 01:26:23.42 ID:fFo8HSJq0

【着々と】

 暗幕の張られた教室の入口から、何やら怪しげな台車が顔を覗かせていた。

「これに乗ればいいってこと?」

 と真正面にいるクラス委員長に訊ねると、彼は爽やかな笑みで頷いた。

「そう。なかなか来てくれないから、せっかくだし試運転に付き合ってもらおうかなってね」

 サボっていると暗に言われてしまった気がする。
 ごめん、と平謝りすると、

「あー、いいっていいって。補習とか部活とかいろいろあったんだろ」

 と肩をぺしぺし叩かれる。

 べつに呼ばれれば行ったと思うけど……あんまりこの学校の文化祭のノリが掴めていない。
 ていうか補習かかったのはソラだけで俺は大丈夫だったんだけどな……。

90 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/20(金) 01:27:26.75 ID:fFo8HSJq0

 休日の昼下がりだというのに、この教室以外のそこかしこから様々な音が耳に届いてくる。
 そんな行事に対して本気な人の集まりによく分かっていない俺が入っていってもな、と考えていた。
 決して面倒くさいと思っていたわけではない。

 ……七割くらいそう思っていたというのは隠し通そう。

「ミクちゃんや、ビビっているのが丸見えじゃぞ」

 そんなことを考えつつ台車の方へ目を向けていると、隣からため息混じりで声を掛けられた。

「いやビビってない」

「昔からおぬしはビビりじゃからのう……わしがついてないと心細いじゃろ」

 ほれ、とかなんとか言いながらソラは台車に乗り込む。
 どうせ自分が乗りたいだけだろうな。

「てかおまえそれ何キャラだよ」

「広島弁」

「嘘つけ」

「じゃあ江戸時代の人」

「知らねえよ」

91 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/20(金) 01:28:20.63 ID:fFo8HSJq0

 寝起きだからかソラが相手だからか、対応が雑になっていく。
「出た出た。宇宙人未来人のコント」とその場にいた数人に笑われる。

 ……変なイメージを持たれているな。
 ソラと善くんと、指で数える程の人としか話していないのがここで効いている。

 意外と見られているのも驚きだ。
 まあ、アレか。高入組だからってのもあるか。

 ソラに場所を詰めてもらってから台車に乗り込む。
 俺もソラも特段小柄ってわけではないが、この台車の大きさなら三人まで乗れそうだ。

「よし。スピードは三種類あるけど今回は一番速いのでいくからな。
 あと手すりは絶対離すなよ。めっちゃ揺れて危ないだろうから」

 と簡単な説明を受け終わると、ガテン系のクラスメイト三人(柔道部、ラグビー部、バスケ部)が手袋を嵌めて俺たちの後ろについた。

 せーのっ、という掛け声が掛かり、台車を三人がかりで教室の中へと半ば押し投げるようにして入れる。
 初速だけめちゃくちゃ速いやつか……、と思った通り最初の下り坂を下るスピードを活かして最後まで進んでいくらしい。

92 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/20(金) 01:29:33.91 ID:fFo8HSJq0

 トンネル、緩やかなカーブ、その後はトロッコのようにガタガタと揺らされて教室の出口でうまく停止する。
 道中に配置されたクラスメイトもスピードが出ていれば見ているだけのようだ。店番より楽そう。

「どうだった?」と降りてすぐに感想を求められたので、
「凄い。文化祭レベルじゃないよ」と素直に返答した。

 周りからは嬉しそうな声が上がる。
 出来について自信はあったものの、それを内輪で評価するのは適切ではないと考えていたらしい。

「俺たちにもっと技術があればネプリーグみたいにしたかったんだけどな」

「トロッコのやつ?」

「そうそう。クイズに答えて一攫千金的なやつ」

「でもあれジェットコースターじゃなくね」

「うん。まあ、アトラクション部門で一番取るにはあれくらいしないとなって、夢みたいな話」

 そんな賞もあったのか、初めて聞いた。

93 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/20(金) 01:30:21.58 ID:fFo8HSJq0

 告示プリントに書いてあったものでそれらしいのは、
 お化け屋敷(定番)、コーヒーカップ(どう造るんだろう)、脱出ゲーム(謎解きだろうか)
 のあたりか。他にもあるだろう。

 クオリティよりもどれくらい楽しめたか──つまり満足度で票が分かれそうだ。
 となると、短時間で終わってしまうジェットコースターは弱いか。

 時間的に長いものを創ると、内容云々よりもその長さだけで満足してくれる人は少なくない。
 それでは投票してください、と言われて真っ先に思い浮かぶのは時間をかけたものに違いない。

 短いなら、ごまかしが利かない分クオリティを追求するしかない。
 長くてクオリティの高いものは一朝一夕で創れるものではない。文化祭には不向きだろう。
 時間をかければ良いものができるとは言わないが、長いものを創るならそれ相応に時間をかけるべきだ。

 創作物の作者性は細部に宿る、と誰かがそんなことを言っていた。

94 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/20(金) 01:32:12.51 ID:fFo8HSJq0

「乗っててどっか気になったところはあった?」

 問われて、乗った時の様子の思い返してみる。

「中は今みたいに暗いままなの?」

「いや、洞窟風にするから電球色のライトを何個か置くつもり、
 台車もこれから色を塗ったり飾り付けしたりするかな……他には?」

 おまえからはないの? ともう一度乗りに行こうとしているソラに視線を飛ばす。
 大満足でございますよー、と近くの人とハイタッチをし始めたので、「ないよ」と俺は首を横に振った。

「じゃあ、これからも今日明日と完成度上げるようにやってるから、暇な時間ができたら乗りにきてくれな」

 そう言って、クラス委員長の彼はもう一度爽やかに笑った。

95 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/20(金) 01:35:23.15 ID:fFo8HSJq0

【癖】

「どうだ、楽しめてるか?」

 部室の前の柱にもたれかかりながら、ソラはそんな質問を俺に向けて言い放った。
 何のことをさして言っているのか分からず答えずにいると、

「質問が悪いか……。うんと、最近楽しいか? とかそんな感じだ」

 と彼はまたしても抽象的で分かりにくいままニュアンスだけを変えて問い掛けてきた。

「さっきのジェットコースターのこと?」

「いんや、それも含めていろいろと、だな」

「うーん、べつにこれまでと変わりはないけど。……あ、もしかしてめっちゃつまんなそうにしてたとか?」

「いや、おまえそういうのあんま表に出さないし」

「……」

 顔に出やすい、とよく言われるし、
 なかでもソラが一番言ってきていた気がするのだが。

96 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/20(金) 01:36:32.36 ID:fFo8HSJq0

「でも勝手に決めつけると怒るだろ」

「……そうか?」

「ああ。そういうことでイラついてる時は口数が増える」

「マジか」

「おまえ自体分かりづらいけど、付き合いも短くはないから癖っぽいのはいくつか分かるんだよ」

「うそつけ」

「まあ善くんはちっとも分かんないって言ってたから、俺の愛の為せる業かもしれないけどな」

「……」

 愛かどうかは置いといて、そんなこと初めて言われた。普通にショックだった。

「でも、なんつーの? そういうの分かんない人たちからすれば、
 ミステリアスっつーか、飄々としてるのに実は何でもできるやつみたいな、そんな感じに映るらしいぞ」

「いきなりどうした?」と言うと、じとっとした目で「まあ聞けよ」と制される。

97 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/20(金) 01:37:35.31 ID:fFo8HSJq0

「勉強も運動もそこそこできるし、容姿だって童顔を中性的って言えば聞こえは良い。
 あんま話さないうちはちょっと近寄りがたいけど、会話の端々で面白いこと言うから話せば人好きのするタイプだ」

「さっきのあいつらも、おまえと仲良くなりたいんだってよ」と彼はけらけら笑う。

「……それならそうと言ってくれれば」

「いや言えねーよ。高校入ってからのおまえ近寄るなオーラ出しまくってるし、何か話を振っても広げようとしないし」

「そうかな」

「そうだ。そう言われた」

「誰に?」

「いろんな人に」

 そんなことあるのだろうか、と半信半疑で彼の様子を窺ったのだが、どうにも嘘をついている気配は感じ取れない。
 自分から話しかけない上にとりあえず聞き手に回ろうとしていることをだいぶ曲解されている気がする。

98 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/20(金) 01:38:56.85 ID:fFo8HSJq0

 したところで身にならない話は聞いている側からすれば苦痛になりかねない。
 何か他人に誇れるものや知識量が豊富なものでもあれば、それについて語ることはできるかもしれない。

 ただ、それだって実際のところ難しい。
 人付き合いなんてそんなもんだろと思ってしまうのは簡単だけれど、境界を探りながら会話を続けるくらいなら最初から自分の話をしなければいい。

 意味のないことをさも意味ありげに話すのには、どうしても苦手意識を持ってしまう。

「そういえば、アオイちゃんって未来のこと好きだったらしいよ」

 いきなり何を言い出すんだと反応せずにいると、ソラは、

「あ、好きっていうか気になってるくらいだったと思うわ、たぶん」

 と顎に手を当てながら首をかしげる。

 アオイちゃん……と頭を巡らせる。
 葵、蒼井、あおい、まず名字なのか名前なのか。

「えっと、誰だっけ?」

 少し考えても浮かびそうになかったので訊ね返すと、「本気で言ってる?」と信じられないものを見たかのような呆れ顔をされる。

99 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/20(金) 01:39:57.45 ID:fFo8HSJq0

「え、なに。俺と関わりある人?」

「関わりも何も同じクラスだぞ」

「いやだから俺クラスの人とそんな話さないって。さっきまでそういう話してたじゃん」

「まあ、たしかに。でも結構目立つ子だし、佑希ちゃんと部活一緒だよ」

 陸上部。女子部員多い。

「ていうか、おまえと席隣なはずだけど」

「え?」

「コミュ英の読み合わせとかペアでやってない? こう、身長高めでショートカットの」

 あー……、と。
 そこまで言われればさすがに分かる(めっちゃ遅い)。

「川内さんか」

 普通に隣の席の子だった。

100 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/20(金) 01:40:49.24 ID:fFo8HSJq0

「そうそう。川内アオイちゃん」

「名字かフルネームで言ってよ」

「みんなアオイちゃんアオイちゃん言ってるから伝わると思った」

「……まあ、そんな気も」

「だろ? んでそのアオイちゃんにちょっと前に『どうやったら未来くんとそんな仲良くなれるのー』って訊かれたわけよ」

 そういえば、川内さんはうちのクラスでは珍しく普通に名前で呼んでくる人だったな。
 あだ名長いから未来くんでいい? って訊かれたはずだ。文字数同じじゃね、と思った気がしなくもない。

「それはアレだろ。あの人めっちゃ社交的だから、クラス全員と仲良くなりたい的なサムシングだろ」

「『未来くんって好きな人いるのかな?』とか『授業中の眠たそうな顔がめっちゃタイプ』とか言ってたけど」

「ソラ、嘘は良くない」

「嘘じゃねーって。嘘つく必要がどこにある」

 そう言われてしまうと何一つ思い浮かばないとはいえ、
 気になって"た"と過去のことなら多かれ少なかれ気まずくなりそうだから言わないでいてほしかった。

101 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/20(金) 01:42:04.44 ID:fFo8HSJq0

「川内さんからの質問にはなんて答えたの?」

 話を終わらせてもよかったのだが、なんとなく悪い予感がしてそう訊いてみると、

「んー、……ははは」

 と、案の定俺から目を逸らしてごまかし笑いをした。

「変なこと言ってないよな?」

「言ってない言ってない」

「本当に?」

「……ごめんちょっと言ったわ」

「おい」

 俺がため息をつくと、彼は少しだけ申し訳なさそうな顔をした。

「いやさ、善くんと二人でいるときに話しかけられたからさ、
 その場のノリみたいな感じで『あいつは妹ラブなシスコンだから好きな人はいないと思うよ』って言ったんだよ」

「……はあ。そしたら?」

「『そっか……佑希ちゃんなら仕方ないかー』って」

102 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/20(金) 01:43:02.59 ID:fFo8HSJq0

「まて。どうしてそうなる」

「それな。俺もめっちゃ驚いたわ」

 彼の声音がいつもの調子に戻る。

「でも正直おまえがシスコンなのは間違ってないから弁解する必要はなかっただろ?」

「いやあるだろ」

「なら俺が『好きな人はいないと思うよ』ってそれだけを言ってたとしたら面倒そうじゃん」

「……」

 悔しいけど一切否定できない。

「それとなく訊いてみようかなとも思ったけど、おまえそういうの妖怪並に察しがいいし、
 本気で好かれでもしたらめちゃくちゃ気にしそうだなって、いろいろとそれどころじゃなさそうだったから」

「そうか」

「おう。……まあ、勝手なこと言ったのはごめん」

「ああ。……うん、べつにいいよ」

 ありえないだろうけど、好きでもない相手に好かれたら困るというのは事実だった。

103 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/20(金) 01:43:39.21 ID:fFo8HSJq0

「あとはなんつーか、おまえはまず恋愛に興味ないんじゃないかと俺と善くんは考えてだな……」

「……」

「でもまあ、結果的には違ったわけだ」

 そうか。今までの話は前置きか。

 ……いや、気になるのは分かる。
 俺が同じ立場だったらかなり気になる。

「奈雨のこと?」

 先手を打って言うと、彼はうんうんと小刻みに頷いた。

「まさか俺たちが知らないところに好きな子がいたなんて……しかもめっちゃかわいい子ときた」

「訊かれてないのに自分から言う必要はないだろ」

「興味ないですーって顔をしてるおまえが悪い」

「いやそれは知らねえよ」

104 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/20(金) 01:44:44.41 ID:fFo8HSJq0

 ただ軽口に軽口を返したつもりだったのだが、
 ソラは笑みを浮かべるでも頷くでもなくじっとこちらを見て、

「そうか。つまりあの子以外に興味がないってことだな」

 と大真面目な顔で言った。

「あれ? 違う?」

 おそらく俺がものすごく呆気にとられたよ顔をしたからだろう、彼は戸惑ったように目をぱちくりさせる。
 自信がないなら(それに適当なことなら)言わない方がいいのに、と思ったが、その推測は違うことなく的を射ていた。

 俺は、少し迷って、

「うん。まあ、そうかな」

 と答えた。否定するのは彼女に対して嘘をついているようで嫌に感じてしまった。

「好きで好きでたまらないわけか」

「好きで好きでたまらないわけではないけど好きだよ」

 なんだこの会話。

105 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/20(金) 01:45:52.15 ID:fFo8HSJq0

 てっきりしてやったりとでも言いたげな表情をされるだろうと踏んでいたのだが、彼は柔和に笑うだけだった。
 そんな顔をされては何も言い返せず、僅かながら気恥ずかしくなるような沈黙が落ちる。

「……で、話は戻るけど、最近楽しいのか?」

「今の話と関係ある?」

「あることはある。じゃなきゃこんなこと訊かない」

 最近、という言葉がどの範囲を指しているのかは分からないが、
 今年──高校入学以降、もっと狭めれば夏休みが終わってからだろうか。

「ソラから見てそんなにつまんなさそうに見える?」

「まあ、部分的にはそう」

 ランプの魔神かよ。まあいい。

「でもあの子はおまえが最近楽しそうにしてるって言ってたわけよ」

「あの子って、奈雨が?」

「うん。詳しくは言ってなかったけど、それが嬉しいんだって」

 俺はあんまり変わってないと思ってたんだけどな、と続けた彼の表情は心なしか固かった。

106 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/20(金) 01:46:43.78 ID:fFo8HSJq0

 昨夜部室を空けた際に奈雨と三人が話をしたというのは知っている。
 共通の話題といえば俺のことくらいなもので、東雲さんも言っていたが結構ノリノリで話していたらしい。

「変わってないと思うよ、俺も」

 当初の答えをそのまま変えることなく言う。
 変わっていない。人間そうそう変わらない。変わるとしたら表層的なところだ。

「奈雨とは今年になって会う機会が増えて……だからじゃないかな」

 ここ数年はつまらなさそうにしている姿を見られていたと思う。
 お互い避けていた、というか、俺の場合楽しさよりも自己嫌悪が勝ってしまっていた。

 今だって二人でいても彼女が何を考えているかは分からない。
 考えようとしていないのもあるが、会うたびころころ変わる態度に混乱している。お互い様だけど。

 ふと昨日と部室に寝泊まりしていた間は求められなかったな、とそんなことが頭に浮かぶ。
 欲求不満なのか、俺。というか会うたび毎回のようにキスしていた状況がまずおかしかったわけで……。

 条件反射、パブロフの犬状態……なぜかものすごく悲しい。
 同時に、彼女の身体に触れる際に感じていた罪悪感がいつのまにか小さくなっていることにも気付く。

107 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/20(金) 01:47:25.97 ID:fFo8HSJq0

 ちゃんとわたしを見てくれるなら──、奈雨はそう言っていた。

 買い出しの帰り道で、話の流れに従ったとはいえ奈雨への好意が恋愛的なものであると告げた。
 それが答えになったのかもしれない。だから、と考えるのはさすがに短絡的だし自惚れすぎか。

 でもこんなことばかり考えていたら、次会ったときに絶対唇を見てしまうと思う。
 そういうふうには──いまさらどうこう言えないとは再三思っているけど──思われたくない。

 これ以上は危険だ、と左右に頭を振ると、

「おい色惚け。妄想してんじゃねえよ」

 と目の前からため息が飛んでくる。

「妄想はしてねえよ」

 回想はした。
 ソラはもう一度、今度は俺に見せつけるようにため息をつく。

「……まあ、その様子だと楽しんでるっぽいな」

「そう?」

「おう。一緒にいて楽しい相手がいるのはいいことだ」

108 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/20(金) 01:48:26.42 ID:fFo8HSJq0

「当たり前だけど、ソラといるときだって楽しいよ」

 何気なくそう口にすると、彼は「うーん」と首を捻りながら呟いて、それからおかしそうに笑った。

「そういうのさ、もっと言ってくれよ」

「楽しいって?」

「ああ」

「そりゃ楽しいよ。言わなくても伝わってるかと思ってた」

 つまらなかったらこんな長い期間付き合いが続くわけないだろうし。

「でもおまえ……そういうときあるだろ。親しき仲にも礼儀ありみたいな」

 言って、彼は気恥ずかしそうに目を逸らす。

 え……、と一瞬考えて、
 なるほど、とすぐに思い至る。

109 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/20(金) 01:49:05.03 ID:fFo8HSJq0

「ごめん」

「いいってことよ。まあ、それさえ心に留めててくれればな」

「……楽しいよ、ふつうに」

「あんま言い過ぎると価値が半減するぞ」

 おまえが言えっていったんだろ、と思ったが、要は使い方か。
 浅く吐息をついてから「そっか」と呟いた俺に、彼は鼻で笑うことで返事をしてくる。

 それから、彼は部室の扉の取っ手に指を掛けて、

「いちゃつくのはいいけどできればほどほどにしてくれ。親友二人が彼女持ちとかメンタルズタボロだから」

 と言いつつ、反対の手の人差し指をこちらに向けて突き出した。
 恨み言のような言葉とは対照的なやさしげな声音に呆気にとられて、俺は軽口のひとつも返すことができなかった。

110 : ◆9Vso2A/y6Q [saga]:2018/04/20(金) 01:52:16.54 ID:fFo8HSJq0
今回の投下は以上です。

>>86 ブログの使い勝手が悪かったので移転しました。
リンク http://blog.livedoor.jp/vso2a/
ブログには主に短編を載せようと思います。前に書いたものはこれが書き終えてからまとめ直そうと思います。ごめんなさい。
111 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/04/20(金) 12:04:00.22 ID:6ETYSRZ9O
おつ
ブログ知らんかったから過去作も楽しみ
112 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/04/26(木) 21:46:46.07 ID:d0sW8bwj0
続きはよ
113 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 00:26:48.63 ID:MVi1fTqy0

【女心】

 夕食の買い出しは私と部長さんで向かっていた。
 というのも、未来くんもソラくんも急にやる気が入ったみたいで、なら私たちが、となったわけだ。

 日中はさすがの部長さんもちょっかいをかけてこようとはせずに(おおかた私に気を遣ってくれたのだろう)、お互い集中して作業を進めた。
 明日の夕方までに間に合うかは正直微妙なところだ。絵の方は目処が付いているのだが、如何せん文の方に手が付けられていない。
 あともう少しだけど……、と歯がゆい気持ちになるものの、終わりをどうするかは決まっているのだから、あとは細部を詰めるだけだ。あんまり追い詰めすぎてもよくない。

 買い物の途中で、少し──よく考えれば当たり前のことなのだろうか──驚いたことがあった。

 それは、部長さんが一切料理をしないということ。

114 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 00:27:24.17 ID:MVi1fTqy0

「私まったく分からないから。シノちゃんが選んでね」

 そう野菜コーナーで言われたときは、この人もしかして人任せにしようとしてるんじゃないかと疑ったけど、どうやら本当のことらしい。
 昔はしてたんだけど下手すぎてやになったの、と言ってはいたが、きっとそれが全てではないだろう。

「料理、たまにはした方がいいですよ」

 レジの順番を待ちながらそう言うと、

「シノちゃんが作りに来てくれるとか一緒に料理してくれるならしてもいいけど?」

 と返されたものだから、私はとりあえず「ならいいです」と首を横に振る。
 それから二、三同じような会話をして、離れ際に、

「だって一人で作って一人で食べるなんて、そんなの寂しいじゃない」

 か細い声でぽつり呟かれた言葉は、きっと聞き間違いではない。
 ちょっと前までの自分を思い出して、少しだけ胸がチクリと痛んだ。

115 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 00:28:59.14 ID:MVi1fTqy0

 スーパーを出て、学校への帰り道を歩く。買ったものはレジ袋一つに収まりきる量で部長さんが持ってくれている。
 ふと空を見上げると、厚く覆われた雲で星や月は何一つとして見えない。

 また雨が降りそうだな、と思う。
 今にも降り出しそうでもあるから、僅かにだが歩調を早める。

「ね、シノちゃん」

 と部長さんは私を呼んで、それまで前へ向けていた目をこちらに移す。

「おててつなぎましょう」

「はい?」

「これ結構重いから分けあおーよー」

「じゃあ持ちますよ」

 どうぞ、と手を差し出すと、
 彼女はあからさまにむっとした顔をして、大きなため息をつく。

「なんですか?」

「んー、シノちゃんは女心がわかんない子なのね」

「いや……私も女ですし、まず繋いだところで重さは変わらないですよね」

「そういうところだよ……攻略したかと思ったら意外と進んでない系のやつだよ……」

 またこういう意味のわからないことを言い始める。
 私もさっきの彼女のようにため息をついた。

116 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 00:29:47.08 ID:MVi1fTqy0

「……わっかんないかなあ。この荷物は見るからに重そうじゃないでしょ? てかシノちゃんも詰めるときに持ってたよね?
 だから口実だよ口実。手を繋ぎたいんだけどちょっと恥ずかしいからオブラートに包んで遠回しに婉曲してるわけなんですよ」

「はあ」

 早口でまくし立てられても……。
 恥ずかしいようなことは二人きりだといつも言ってる気がするし、

「それならそうと言ってください」

 袋とは反対の、空いている方の手を取る。
 これまでだって何かの拍子に手くらいは握られていたし、べつに拒否することでもない。

 と思っていたのだが、彼女は本当に恥ずかしそうに俯く。
 同時にじんわりとした感覚が手のひらに広がる。

「やっぱりシノちゃんってたまに覚醒するよね……」

「どういうことですか?」

「それはほら。自分の胸に聞いてみて」

 埒があかないので一瞬だけ強く手を引いて歩き出すことにした。やっぱり疲れやらが溜まっているのだろうか。

117 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 00:31:03.44 ID:MVi1fTqy0

 数分間会話もなく歩いていると、彼女の手のひらから伝わる熱も小さなものにまで変わっていた。
 以前も思ったことだけど、身長とは似つかない小さな手だ。私と同じか、ちょっと大きいくらいだと思う。

 ぎゅっと力をこめてみる。──すごくやわらかい。
 ぶんぶん振ってみる。──なんだか子供みたい。主に私が。
 少し力を抜いてみる。──そのまま離れてしまいそうで、握り直す。

 ちらっと部長さんを見ると、なぜか複雑そうな表情をしている。

「ごめんなさい。……嫌だったですか?」

「ううん。べつに嫌じゃないよ」

「そうですか」

「そうよ。こうだったのかなーとか、そんなこと考えてただけ」

「……」

「……あ、ごめん。こっちの話」

 取り繕うように笑って、今度は彼女の方から手のひらに力をこめてきた。

118 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 00:33:22.38 ID:MVi1fTqy0

「今日のみんな。なんとなく吹っ切れたみたいでよかったじゃない。特に白石くんとシノちゃんは」

「……そうですかね?」

「うん。うわの空って感じじゃない白石くんは初めて見たかも」

 そうだろうか。
 私の認識だと、うわの空の未来くんの方が見たことない気がする。

 昨晩だってちょっと取り乱している節はあったが、それも少しの間だけで(なうちゃんのことはイレギュラーだったのだろう)、あとはいつも通りだったし。

「そんな姿を見せられたら部長冥利に尽きるなーって、私も頑張らんとなーって」

「あとどれくらいでしたっけ?」

「時間的には大丈夫だからここからはまったり明日の昼までに終わらせて、期限までに修正箇所を確認できるかなって感じ」

「けっこうやばめですね」

 うん。知ってたけど。

119 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 00:34:29.55 ID:MVi1fTqy0

「スイッチが入るまでに時間が掛かるタイプなの」

「それも知ってます」

「ん?」

「……いえ」

 心の声が漏れた。

「あ、そいえば白石くんとそらそらくんは、しゅかちゃんが『大丈夫任せて』って言ってたから大丈夫だと思うよ」

 たしかに、今日も(主にソラくんが)描くのを手伝ってもらっていた。
 たまに罵声のような声が聞こえた。未来くんとは談笑してたけど、内容までは聞いてない。

「あの人ちょっとだけ怖いです」

「しゅかちゃんは真面目な良い子なんだから、そういうこと言っちゃ駄目だよ」

「……なんていうか、睨まれてる気がするんですよね」

「え? んー……気のせいじゃない?」

「……ですかね?」

「そうだよ。だってシノちゃんを睨む必要ないし」

「で、ですよね……」

120 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 00:35:44.21 ID:MVi1fTqy0

 手を止めて顔を上げるとことごとく目が合って、数秒後にふいっと逸らされる。というのが今日だけで十回以上はあった。
 こっちを見ていたのは部長さんを見ていたからだとも取れるけど、……やっぱり私が睨んでるように思われてるのかな。 

「シノちゃんはどう?」

 そんなことを考えて勝手に落ち込んでいると、話題が一つ前のものに戻った。
 どう? と訊かれると、やばいです……と反射的に答えたくなるがぐっと我慢する。

「私は……まず絵を先に描き終えようって思ってて、それは多分今のままいけば朝までに終わります」

 予定を大幅に上回るペースで描けているから、細部に目を瞑れば十分終わるだろうと思う。
 部長さんと同じく、終わらせてから残った時間で修正ということになっていくだろう。

121 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 00:36:16.43 ID:MVi1fTqy0

 今じゃないと描けないかもしれない、という気持ちがなくはない。
 私の中では、まだ描けていることが信じ切れていない。いつ元に戻ってもおかしくはない。

 なら、と思う。今を大事にしなければ、と月並みなことを。

「そっか。じゃあお互い夜通しがんばろーね」

 言って、一歩近付いてきた彼女の表情は晴れやかだった。
 この人だって、たまにこういう顔をしてくるからずるいと思う。

 凜としていながらもどこか無邪気さを感じられるような、そんな笑顔を向けられたら誰だってどきっとしてしまう。

「はやいとこ終わらせてシノちゃんとゲームするために!」

 でも、そう思った途端こういうことを言い出すから、絶対に本人に言ったりはしないようにしないと。
 笑顔が素敵だと思います、と彼女に正面きって言うのは、やっぱり私の方が恥ずかしくなってしまうと思うし。

122 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 00:37:12.47 ID:MVi1fTqy0

【終わりと始まり】

 集中して物事を進めているとこんなにも時間が経つのが早いのか、と改めて考えるくらいには余裕を持ちながら、締め切り当日を迎えた。

 この分だとみんなギリギリになるのでは、と考えていたら、
 夜明け前あたりにソラがひとこと「終わった」とだけ言って荷物をまとめて部室から出て行った。
 萩花先輩と俺はあっけにとられながらも、ほぼ同じタイミングで「おつかれさま」と閉じた扉に向けて呟いた。

 東雲さんと胡依先輩は一度も寝ずに作業を進めて、今はソファでぐっすり寝ている。
 ちょっとだけ睡眠を取ってから、残っているものを終わらせて、それから手直しをしていくらしい。

 俺も、萩花先輩の助けもあり(というかほぼ萩花先輩のおかげで)もうすぐ終わりというところまで進めた。
 描いているのを見てくれながら、トーン張りや背景、台詞の打ち込みまで手伝ってくれたのだから、本当に頭が上がらない。

 これを終えて一枚絵の塗りを済ませれば、もう本当の本当に終わりだ。
 そう考えてしまうと、不思議と「ああやっと終わった」という徒労感よりも「そうか終わったんだ」というある種名残惜しさのようなものを感じた。

 それは夏休みの終わるまでは終わらない課題とは大違いだった。当たり前のことだけど。

 描ききってしまうと不思議とまた描きたくなるものなんだよ、とちょっと嬉しそうな顔で萩花先輩が言っていた。
 そうかもしれない。何か一つでも大きな目標を達成できれば、見える景色がいろいろと変わってくるのかもしれない。

123 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 00:39:55.80 ID:MVi1fTqy0

 こういう気持ちを感じるのは限りなく初めてに近いことだった。
 できることが"当たり前"で、充足感や達成感を得られずにいたのだから仕方のないことといえばそうかもしれないけれど。

 正直なことを言うと、これで満足しているかどうか訊かれたら、
「満足していない」とはっきり言えるだろう。
 時間が足りなかったし、先輩の助けも多く借りてしまった。そして何より自分の技術がまだまだだった。

 でも、それも今の時点での自分の実力だ。『これから』を決めるのは俺自身だ。

 そう思ってしまうと、俺が今まで忌避してきた様々な事象について考えることが少し楽になった。
 勝手に誰かに何かを決められたとしても、俺は俺の理由で行動すればいい。そこに疚しさを感じる必要はない。

 頭ではずっと考えていたことが、事実を持ってやっと真実味を帯びてくる。
 俺に必要だったのは、自分を信じられるだけの"経験"だった。そういう意味での"継続的な努力"だった。

 他人に誇れるものがないと思うのなら、せめて自分で自分を誇れるように。
 ちょっとやそっとじゃ揺れ動かない信念を持って、決して裏切らないように努めること。

 向かい風が吹いてきても後ろを向けば追い風だ、という生き方は生産的ではない。
 行き先は常に定まっている。そういう生き方ができるのは何の目標もなく日々を無為に過ごしている人だけだ。

 自分はそれでもいいといつまで経っても思いきれなかったのは、心のどこかで変わりたいと思っていたからだ。

 向かい風に対してどう立ち向かっていくか。あるいはどう行動すれば風向きが好転するのか。

 肝心なのは"今"どうするかだ。過ぎたことや起きてしまったことばかり考えていたって仕方がない。
 俺はそれを軽視しすぎていた。

124 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 00:40:43.54 ID:MVi1fTqy0

【四つ目】

「プレゼント」

 と、目の前に差し出されたものを受け取ってから、声の方向に目を向ける。

「私にですか?」

「そう。白石くんがそういう話をしたって言ってたから私も好きなものをアピールしなきゃなって」

「あ、えっと……そうなんですね。でももらっちゃっていいんですか?」

「ぜひにぜひに。同じものもうひとつ持ってるし、まずあんまり本は読まないからずっと鞄に入れたままにしてたの」

 裏返してみて、と言われ手をひねってみると、
 日付とともに出かけていた答えがそこにあった。

「これは幸せのお裾分け」

125 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 00:41:58.53 ID:MVi1fTqy0

【結び】

 最後の文を結び終えると同時に、得も言われぬ脱力感が私の身体を襲ってきた。

 結局描いたものを提出したのは私が一番最後だった。
 部長さんは私に言っていたよりも早くに完成させて、私の分の修正作業までしてくれた。

 夕暮れ時の部室に残っているのは彼女と私だけだった。

 あの、と彼女を呼ぶと、ちょっと気だるげで間延びした声が返ってくる。

「最後まで書き終えました」

「ん、そっか。おつかれさまでした」

 嬉しげに笑いかけられて、はっきりと頷く。

「読んでいい?」

「どうぞ」

 こういうものが書きたかったから、というより、これ以外には書けなかったから。
 踏み出せずにいた一歩目。踏み出そうとした一歩目。踏み出してしまった一歩目。

 私は──彼女たちは"それ"を選んだ。
 これからの未来に、どんなことが待ち構えていたとしても。

126 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 00:42:46.00 ID:MVi1fTqy0

【SS-]/Four-Leaf Clover】

 犬の鳴き声がして、後ろを振り返りました。
 白いコートに紫色のマフラー。手には少し大きめの袋を握っていました。

 そんなことはありえないと、思わず目を疑いました。でも、近付いてくる人は紛れもなく彼女でした。

 どうして泣いてるの、と彼女は言いました。

 答えたくなくて、涙をごまかしたくて、私は彼女に背を向けました。

 来てくれると思った、と彼女は言いました。

 すぐ隣に何のためらいもなく腰掛けて手を握る彼女を、私は拒むことができませんでした。

 わたしは毎日待ってた、と彼女は続けます。

 毎日待ってて、ちゃんと気持ちを伝えようと思ってた。
 わたしにはあなたが必要なんだって、どんなことがあっても側にいてほしいって言おうと思ってた。
 初めて会ったときからあなたはわたしの特別な人で、会うたびにどんどん気持ちが大きくなって、でも、変えてしまうのが怖くて。

 いつかのように抱き寄せられます。けれど、そのときとは違って彼女の身体は温もりで満たされていました。

 "弱さ"は"強さ"になるんだよ。
 私の"弱さ"は、ただの"弱さ"だから。あなたを見て、そう思ったから。
 だから、わたしはあなたから離れられない、と彼女は言います。

127 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/04/29(日) 00:43:22.67 ID:MVi1fTqy0

 数分間に渡っての沈黙の後、私もそうなのかもしれません、と返しました。

 知ってる、と彼女は言います。
 それも知ってました、と私は返しました。

 彼女の言葉は優しすぎて嘘みたいでした。

 でも、彼女はもう私という人間から切り離せない存在なのです。

 彼女の名前も身体も声も、すべてが私にとって重要なものです。

 あなたの弱さを教えてください、と思ったことをそのまま伝えました。
 それはいいけど、ふたりでクリスマスケーキを食べてからね、と彼女は笑いました。

 私は、少しの迷いを断ち切って、彼女の唇に自分の唇を押し付けました。

 照れたように目を丸くする彼女が新鮮で、
 でも、それまで見たなかで、一番嬉しそうな顔をしていました。

 手を絡めました。もう片方の手で涙を拭ってくれました。

 ずっと好きだったの、と彼女は言いました。
 私もですよ、と彼女に向けて、精いっぱいの笑顔を見せました。

 ほんとうは、駄目なのだとしても。叶わないものだとしても。いつか壊れてしまうものだとしても。
 彼女の瞳に映るものが、ずうっと私だけのままであったら幸せだな、と思います。

 私は、彼女のことが大好きです。今も、そしてこれからも。

128 : ◆9Vso2A/y6Q [saga]:2018/04/29(日) 00:44:00.46 ID:MVi1fTqy0
今回の投下は以上です。
あと二回で終わります。
129 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/04/29(日) 01:13:57.68 ID:weW1ZXYzO
おつ
130 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/04/29(日) 13:38:40.71 ID:lW5L5lwU0
おつです
131 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/04/30(月) 01:28:40.03 ID:dk65zdUD0
おつ。終わっちゃうのか……
132 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/05/21(月) 00:56:34.15 ID:C61HKIcC0
続きが待ち遠しい
133 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/05/23(水) 08:16:59.53 ID:LTKfc7dm0
続き待ってます
134 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/05/23(水) 16:22:12.50 ID:J4yyOwRe0
続き楽しみに待ってます
135 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:13:49.52 ID:xutan3/t0

【前日】

「集客用のポスターを描いてもらいます!」

 文化祭まであと一日と迫った放課後、厚紙とマッキーを手に持った先輩が部室全体を見渡してそう言った。

 部室には俺と先輩と、それから東雲さんがいた。
 二人は一昨日から連日夜通しでゲームをしてたらしく、明らかに眠たげな顔つきでいた。

「掲示板に貼ったりするものですか?」

 と訊ねると、当たり前です! とでも言わんばかりに大きく頷きを返される。

「部誌はみんなのおかげで完成しました。それはちゃんとここにあります」

 彼女の指の先、テーブルの上には製本の済まされた部誌が積み重なっている。
 レイアウトは東雲さんが、表紙のイラストは先輩がやってくれたらしい。ここから見ても綺麗に目に映る。

「でも、売れないことにはねえ……」

「まあ、そうですね」

136 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:14:38.89 ID:xutan3/t0

「去年は完売したからさー、なんとなくそんな感じでいけちゃうんじゃないかって思うじゃん?」

 話が長くなると思ったのだろう、東雲さんが噛み殺したようなあくびをした。
 いや俺に言われても知らねえよ……、と思いつつ、とりあえず首を縦に振る。

「それが売れないんだなー、って思うわけですよ、私は」

「はあ」

「白石くんもそらそらくんもシノちゃんも頑張って描いてくれて、手に取ってくれれば、こりゃすげえ! ってなること間違いないの。
 けどね、ここのフロアまで足を運んでくれる人ってそんなにいないの。……てか全然いないのよ、悲しいことに」

「あ……はい」

 たしかに。

 いつだか読んだ文化祭パンフレットに書かれていた通り、大抵の部活は高校棟の教室を使用するらしく、
 こっちを使うのは文化系の、それもごく一部の部活だけで、校舎全体が閑散としてしまうのは容易に納得がいく。

 許可を取れば向こうの教室を借りることもできたはずだが、まあ忘れていたか気にしてなかったかのどちらかだな。
 極力もともと割り当てられた教室を使いなさいと指示が出ていた可能性もあるけれど。

137 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:15:15.93 ID:xutan3/t0

「この教室に連れて来さえすれば無言の圧力で勝ったも同然よ」

「ですね」

 値段も手頃だし場所が場所だし、わざわざ来て帰る人もいないだろう。

「私はもう二枚描いたから、あとの三枚を一人一枚ずつで、ね?」

「ビラじゃ駄目なんですか?」

「うん」

「配るのくらいは大丈夫な気もしますけど」

「ああいうの許可取らないで勝手に配っちゃうと出店禁止にされちゃうんだよ。
 うちの文実結構厳しい……っていうか、当日張り切っちゃうから」

 なんとなく分かる。生徒主体のサガ。
 文実には中等部一年で入るほか中途参加はできないとも風の噂で聞いた。

138 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:15:54.03 ID:xutan3/t0

「東雲さんは?」

 とりあえず俺はいいとして先輩の隣に視線を飛ばすと、彼女は腕を組んでうーんと唸った。

「役割を分担するなら……まあ、いいかな」

「分担?」

「うん。たとえば、部長さんが人や物、私が背景、未来くんが文字デザインとか。
 一人ずつで描いてもいいんだけど、ほら、部誌はずっと個人作業だったなって思って」

 何か一つくらいは共同作業をしてみたいな、と言って彼女は胡依先輩に目を移した。

「シノちゃんの絵に私の絵を乗せるってことね」

「はい」

「……んー、そうだなあ」

「……駄目ですか?」

「いやまあ……」

 てっきり即答で頷くと思ったのだが、先輩の反応は少し薄いように思える。

139 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:16:39.86 ID:xutan3/t0

「べつに駄目ならいいですよ」

「えっと、うーん」

「……」

「……あ、でもそうか。順番的にシノちゃんが描いてるの見てられるってことか。
 そっかそっか、ならいいかも。ていうかむしろ大ありっていうか!」

「……」

「シノちゃんの絵を汚しちゃわないかなとか考えてたけど逆にそれもいいかなって思ってきた」

「……汚すんですか?」

「やだなあ、比喩だよ比喩。推しの妄想をしすぎた時に申し訳なくなるアレとおんなじなの」

「は、はあ……そうですか」

 気のせいか。気のせいだな。
 苦笑いしていると、東雲さんがちらりとこちらを窺ってきた。

140 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:17:46.73 ID:xutan3/t0

「俺もいいよ」

 乗っておくべき、このビッグウェーブに(てきとう)。

「そっか……じゃあ、そうしよう」

「あ、白石くんは私よりも暇になっちゃうかもだよ」

「大丈夫です」

「待っている間はゲームしよっか! エアライドしようエアライド!」

 そう言ってテレビの方へ歩いていこうとする先輩を、

「あの、真面目にやりましょう」

 と東雲さんはちょっとだけむっとした声音と表情で言い咎める。

「わかってるわかってるー」

 くるっと向き直した先輩は、そのまま東雲さんに抱きついた。

141 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:18:36.86 ID:xutan3/t0

 うん。
 なんつーか、うん。

「未来くんどうして笑ってるの?」

「ん?」

「いや、あの、笑ってる」

「……あー、仲良いんだなって」

「……そ、そう」

 東雲さんがふいっと目を逸らすのと同時に、胡依先輩は顔だけで振り向き、ふふんと得意げな笑みを浮かべた。

「そうそう。意外と白石くんの責任は重大だからね。ちゃんとお客さんを呼び込める文章を考えなきゃだよ」

「明朝体ごり押しで駄目ですかね」

「いいかもしれない」

「いいんですか」

「刻明朝おすすめだよ」

「はあ」

142 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:19:11.58 ID:xutan3/t0

 図らずも仕事がどんどん楽な方向に吸い寄せられている。
 文章を考える、と言っても部誌一部何円とかしか書くことがないだろうし。

「当日って売るだけなんですか?」

 そう考えてしまうと、ほかに何かすることはないだろうかと思考が及ぶ。

「どうして?」

「部誌を売ります、ってだけだと情報量が少なすぎるかなって。
 あとはここの部室の場所と部の名前くらいしか書けないですし」

 たしかにそうかも、と先輩は頷く。

「でも、たとえば?」

「たとえば……えっと、そうですね。
 お題とか好きなキャラクターを言ってもらって、描いて渡すとか」

「スケブみたいに?」

「そんな感じです。やれることって限られてると思うので」

143 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:19:54.59 ID:xutan3/t0

「即興かー。私はそれでもいいけど、白石くんはできる?」

「やっぱ難しいですかね?」

「イチからってなると難しいと思うよ」

「ですよね」

「でもまあ、いいんじゃない。書けることが多いに越したことはないし」

「わかりました」

「それに、リクエストがなくても当日暇なら一人で勝手に描いてるだろうから変わんないよ」

 書いちゃっておっけーだよ、と先輩は再度頷いた。

「じゃあ、各自作業に入りますか」

「うん。そいじゃがんばろー」

「がんばりましょう」という東雲さんの声とともに、ポスターの制作作業が始まった。

144 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:20:49.60 ID:xutan3/t0

【前夜】

 夕飯時を少し過ぎたあたりで家に帰ると、奈雨がリビングのソファにもたれかかっていた。

「ただいま」と声を掛けると「おかえりなさい」と心なしか眠たげな返事が返ってくる。
 キッチンにはラップのかけられた一食分の食事が置いてあり、それを持ってダイニングテーブルにつく。

「佑希は?」

「ん、あれ、聞いてない?」

「なにを」

「部活の友達の家に泊まりに行くって」

「聞いてない」

「わたしは今日の朝に言われた」

「そっか。……え、佑希が?」

「うん」と彼女はなんでもないように頷く。

145 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:21:21.75 ID:xutan3/t0

「話しかけてくるし、なんかやたらと」

「……」

「まあ気にしたら負けだと思うよ、こういうのは」

 よいしょっ、と口に出しながら彼女は立ち上がり、俺のすぐ向かいに腰を下ろす。

「今日も部活だったの?」

「うん」

「たいへん」

「まあ、それなりに」

 原稿を提出してから、ほぼ初めてのちゃんとした部活だった。
 文化祭が終われば、またここ数日のようになるのだろうと思う。忙しい方が珍しい。

「そういえば」と奈雨は何かを思い出したようにはにかむ。

「お兄ちゃんの部活の先輩ってやさしい人しかいないよね」

146 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:22:03.39 ID:xutan3/t0

「そう?」

「すごく話しかけてもらえた」

「よかったな」

「……あ、それと入部しないかって」

 そうだ、すっかり忘れてた。
 部員……東雲さんは入るとして、それで四人。あと一人必要だ。

「奈雨が入りたいならいいと思うけど」

「お兄ちゃんはいいの?」

「いいって、何が?」

「なんていうか、その……わたしがいても邪魔に思わない?」

 真剣な表情で、奈雨はまっすぐにこちらを見る。
 どうして、と言いかけて、訊いても仕方ないのではないかと俺は首を横に振った。

「思わないよ」

147 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:22:39.28 ID:xutan3/t0

「ほんと?」

 窺うような問いに、「うん」と目を見て頷く。
 すると、数秒した後に、彼女は「そっか」と呟き、頬を緩ませた。

「お兄ちゃんはわたしに入ってほしいのね。わかったわかった」

「そうなるのか」

「え? 入ってほしいんでしょ?」

「……」

「ちがうの?」

 なんだろう、この恥ずかしいことを言わせたがってる感は。
 ……まあ奈雨らしいと言えばそうだけど。心のどこかがくすぐられたのか嬉しそうだし。

「俺がとか以前に奈雨が入りたいならな。……ま、なんつーか、入ってくれたら嬉しいけどな」

「お兄ちゃん微妙に素直じゃない」

「じゃあなんて言えばいいんだよ」

148 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:23:22.05 ID:xutan3/t0

「『放課後も一緒にいたいから部活も同じがいい』とか?」

「放課後も一緒にいたいから部活も同じがいい」

「うわあ、まったく心がこもってない」

 手をぽんぽんと打ち鳴らしつつ、奈雨はけらけら笑う。
 それから少し気分が良くなったようで、うーんと伸びをしてから小首をかしげた。

「わたしの作ったご飯はおいしいかー」

「おいしいよ」

「この前みたいに勝手に食材使わせてもらったから、かなり簡単なものだけどね」

 そう言いつつもきちんと一汁三菜(ひとつは出来合のものだけど)が用意されてるあたり、
 普通に料理を知ってるというか、いつもちゃんと栄養周りを気にした食生活をしているのだと思わされる。

 伯母さんがかなり料理上手な人だから、あの母にしてこの娘あり、という感じだ。

149 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:24:12.92 ID:xutan3/t0

「今月だけでお兄ちゃんに二度も手料理を振る舞っちゃった……」

「じゃあ今度お返しに何か作ろうか?」

「え、ほんと? ……でもわたしよりお兄ちゃん料理上手じゃん」

「そんなことないよ」

「なくない。見てて手際がちがう気がする」

「……」

「まあそういう料理が上手なとこもお兄ちゃんのいいとこなんだけどね」

「……はあ」

 反応に困る俺に対して、わざとらしいため息をついて、

「女たるもの、男の人の胃袋は確実に掴んでおきたいのですよ」

 顎に手をやり、ちらとこちらを見てから、

「……がんばろ。もっと練習しよ」

 と彼女はぼそりと呟いた。

150 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:26:08.46 ID:xutan3/t0

【夜更かし】

 ここ数日のように、日付を回って少し経ってから自室へと足を運んだ。

 ベッドは奈雨が使っているはずで、俺はその下──床の布団で寝るつもりでいたのだが、
 彼女の姿はそのどちらにもなく、部屋の電気を入れようとリモコンへ手を伸ばしたときに、ぬるくも冷えた風が足下に伝わる。

 出処である窓へと目を向けると、ひらひらとレースカーテンが揺れていて、
 薄着の肌に若干の寒さを感じながらも近付く。なぜか足音を立てないように。

 外を覗くと、ベランダのデッキチェアに寄りかかり、眠っているように目を閉じる彼女の顔がはっきりと見える。
 耳を澄ますとゆったりとしたメロディが聴こえる。どうやら鼻歌を歌っているらしい。

「風邪引くよ」

 声を掛けると、彼女は首だけをこちらに向けて「うん」と頷く。
 僅かに間をあけて、すぐ隣のデッキチェアの背もたれをぽんと叩いて、

「さっき出たばかりだから、大丈夫」

 と俺も外に出るように促してきた。

151 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:26:59.61 ID:xutan3/t0

「眠れなかったの?」

「うん」

「……緊張?」

 問いつつ、彼女の隣に腰を下ろす。
 近いようで近くない距離。ちょっとだけ身体を彼女の方へ近付ける。

「そうじゃないって言いたいけど、多分そうかな」

「そっか」

「うん」

「よく緊張するんだっけ?」

「わたし?」

「そう」

「するする。めっちゃする」

 学校のテストの時とか、初対面の人と話す時とか、と言って奈雨は笑う。

152 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:27:33.05 ID:xutan3/t0

「練習はたくさんしたけど、本番は本番だから……ね?」

「うん」

「お兄ちゃんはそういう時でも緊張しなさそうだよね」

「そう?」

「なんとなく、そんな気がする」

「じゃあそうしておこう」

「あはは、なにそれ」

 軽快な声とともに彼女の髪が風でなびく。
 ふわりと香る匂いに吸い寄せられるように、また少し近付く。

 何か話したいことがあったはずで、でも、それは今でなくてもいいのかもしれない。
 明日は文化祭で、クラス展示当日だ。

 肘掛けに置かれている彼女の手にそっと自分の手を重ねる。

153 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:28:46.93 ID:xutan3/t0

「なに?」

「緊張。少しでも取れたらいいと思って」

「ふふっ……そーかそーか」

 奈雨は触れあっている手を軸にして向き直り、俺を見上げる。
 んっ、と息を呑む音がしたかと思えば、それからすぐに気を取り直すような吐息が聞こえた。

「あのさ、お兄ちゃん」

「ん?」

「ちょっとだけ、昔の話、してもいい?」

 俺は彼女と目を合わせて、首だけで頷きを返した。

「……あのときのこと、ずっと言わなきゃなって、思ってて」

「うん」

「あの頃のわたしは……ううん、ちがう。今でも、少しだけそうなんだけど……」

 ──人の視線が怖かったんだ、と彼女は途切れ途切れに言う。

154 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:29:34.36 ID:xutan3/t0

「わたしの周りの人はみんなやさしいし、すごく恵まれてるのもわかってる。
 学校に行けば話しかけてくれる友達がいて、家に帰れば気に掛けてくれる家族がいて……でも、それでもわたしはわからなかった」

「……なにを?」

「……自分が周りの人にどう振る舞えばいいのか、とか」

「……」

「自分じゃない誰かの期待通りに振る舞うしかなかった。人に好かれるための行動はしなきゃいけないことだとも思ってた。
 人のことがわからないならわからないなりに、そういう折り合いをつけるしかないんだって考えてた」

 お母さんとお父さんに心配をかけたくなくて、作りたくない友達を作ったり、外に遊びに行ったり、
 誰かひとりにでも嫌われるのが怖いから、関わる人みんなに愛想よく接して、自分なんて持たないようにして。

155 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:30:34.47 ID:xutan3/t0

「そんな毎日のなかで一番つらい時間は、夜にベッドに横になって真っ暗な天井を見上げて、
 今日のわたしは上手くできてたかな、誰にも迷惑かけてないかな、ちゃんと笑顔を作れてたかな、って一日を振り返る時だった」

「……うん」

「だからかな。いつのまにか、わたしは寝ることが怖くなったの」

 いくら悩んだところで、朝起きれば学校に行かなくちゃならなくて、また気を張らなきゃいけなくて、
 でも、眠らなければ、ずっと自分の部屋に閉じこもっていれば、わたしはわたしのままでいられる。

 ほんとうの、ただ弱いだけのわたしなんて誰も受け入れてくれないし、求められもしない。
 だから──夜になると、明日への不安で押しつぶされそうになって、目を、閉じられなくなって。

156 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:31:13.95 ID:xutan3/t0

「……お兄ちゃん。あのときわたしが言ったこと、覚えてる?」

 訥々と続けてきた言葉を止め、彼女は小さく首をかしげる。
 ほのかな微笑は強がっているのだろう、手にかかる力がほんの少し強くなる。

「こんなふうに二人で夜に話したことだよな」

「……うん。そうだよ」

 彼女からの返答に安堵のようなものを感じつつも、一呼吸置いて、

「覚えてるよ」

 と口にした。

 あのとき──俺が、奈雨の家に泊まったときのこと。

 彼女の様子は思っていたよりも普通だった。
 それこそ、学校に行けなくなってしまったとは信じられないくらいに。

 ただ、今の話を聞くと一つ合点がいくことがある。
 夜になって、奈雨は俺に『一緒に寝てほしい』とお願いをしてきたはずだ。

 今にも泣き出してしまいそうな表情で俺の寝ていた部屋に来て、
 怖い夢でも見たの? と訊ねたら、ただ曖昧に頷くだけで、何も答えてはくれなくて。

157 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:32:02.24 ID:xutan3/t0

「じゃあ、お願いも……覚えてる?」

「うん。……覚えてるよ」

「……そっか。よかった」

「……うん」

「……いちおう、何て言ったか訊いてもいい?」

 最後の確認だとばかりに、奈雨はそう言って俺の表情を窺う。
 覚えてないだろうと思われていたのかしれない。俺の今までの態度と照らし合わせれば、そうなってしまっていても不思議ではない。

 俺も奈雨に対してそういうことを考えていたから、どこかのタイミングで訊いてしまいたいと思っていた。
 でも、それは出来なかった。俺から見た奈雨は十分強くなっていて、そんなお願いなんて無効だと勝手に諦めていた。

 言われたこと自体は鮮明に覚えている。一人で何度も思い返していたから。

158 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:32:54.09 ID:xutan3/t0

 ──もし、わたしが"みー"に追いついたらさ。

 自分の言ったことは何一つとして覚えていない。
 気の利いたことを言ったかもしれない。言わなかったかもしれない。

 半ば自戒のような言葉を彼女に投げかけて、
 結果的にそれを押しつけてしまっていたかもしれない。

 ──そのときは、わたしと……。

 でも奈雨は「ありがとう」と頷いてくれた。

「"またこういう風に二人で話してほしい"」

 今は自信がないけど、そのときはきっと言えるから、って。
 だから、わたしが自信を持てるまで待っててほしい、って。

「……」

「……間違ってる?」

「ううん、合ってる。合ってるよ」

 覚えてくれてたことが嬉しいの、と彼女は本当に嬉しそうに笑う。

159 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:33:56.17 ID:xutan3/t0

「わたし、もう言えるよ。お兄ちゃんに言いたかったこと、ちゃんと言えるよ」

「……」

「まだちょっとだけ怖さはあるし、それはなくそうとしてなくせるものじゃない。
 あのときよりは怖くなくなった、って証明をするのも難しいことなんだと思う」

 だからさ、と彼女は言葉を繋いで、

「明日、わたしのことをちゃんと見ててほしい」

 俺がどんなことを考えてるかをわかった上で、奈雨はそう言っているのだと思う。
 誰かと何かを比べれば答えは簡単に出る。でも、そんな答えはすぐになくなってしまう。

 きっと奈雨が比べたいのは"過去の自分"だ。
 だって今の自分を認めるには、それ以外の手段なんてないのだから。

「わかった」と俺は頷いた。

「ちゃんと見てるから」

「……うん」

160 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:35:12.52 ID:xutan3/t0

 まだ話をしたい気持ちもなくはなかったけれど、さすがにもう遅いし寝ようと、
 文化祭やあれこれについて二、三やり取りをしてから室内に戻ることにした。

 話しているうちに自然と奈雨の手のひらは上を向いていて、しっかり俺の手をとらえていた。
 繋いでしまうと離したくなくなるのはいつものこと。それは奈雨も同じようで、ベッドに乗ると俺の手をぐいと引いてきた。

 今更ながら逡巡する俺に「わたしの緊張をほぐしてくれるんじゃなかったの?」と言った奈雨の顔は暗闇で見えなくて、
 売り言葉には買い言葉だろうと「そっちの方が余計緊張するんじゃない?」と返すと拗ねたような声とともに手を引く力が強くなった。
 俺はさして抵抗しなかった。

「そういえば……」

 と横向きで向かい合ったまま、奈雨は口を開く。

「お兄ちゃんって寝相いいよね」

161 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:36:15.50 ID:xutan3/t0

「奈雨が悪いだけだと思うよ」

「なにしても基本起きないし」

「……何かしたの?」

「してないです」

 なぜ敬語。
 まあいいけど。

「うつ伏せで寝る人よりも仰向けで寝る人の方が独占欲が強いんだってさ」

「ふうん」

「つまりお兄ちゃんは強めってことだね」

「奈雨だってそうだろ」

 今は話をしているから正面を向き合ってるけど、寝るときはどうせ仰向けになるだろうし。
 ……と思っていたのだが、

「わたしは──」

 と奈雨はくすっと笑って、俺の足に自分の足を絡めてきた。

162 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/29(火) 01:36:43.88 ID:xutan3/t0

「横向きで何かを抱いて寝る人が一番すごいんだってさ」

「あ、そう」

「……てことで、はい」

「なに」

「……」

 手が離れて、そのまま首元に手をまわされる。
 仕方ないか、と俺も腰の辺りに腕をまわす。

 顔が触れそうなほどに近い。というか触れてる。

「じゃ、じゃあ……おやすみなさい」

 やってみたらやってみたで恥ずかしかったのか、奈雨は声を小さくしながら目を瞑った。
 なんだよ、と指摘してみたい気持ちもあったが、俺だって普通に──いや普通以上に気恥ずかしいわけで。

「おやすみ。また明日」

 と隣で寝るのには少しだけ不釣り合いなような言葉を返して、俺も目を閉じることにした。

163 : ◆9Vso2A/y6Q [saga]:2018/05/29(火) 01:37:39.08 ID:xutan3/t0
今回の投下は以上です。
もしかしたら次で終わらないかもしれません。
164 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/05/29(火) 07:23:19.81 ID:jfVo+nq0O
おつです
165 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/05/29(火) 19:13:38.64 ID:ORBEI9ABo
控えめに言って最高
奈雨ちゃんマジでかわいい…
166 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/05/30(水) 13:07:41.19 ID:yD0+k4u30
甘い描写に定評のある1
乙です
167 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/06/14(木) 23:41:47.79 ID:r3Psyyzz0
おつです
168 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/06/25(月) 07:55:56.57 ID:QnRQPIml0
続きまだかな…
169 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:18:55.38 ID:CaJ2VfCb0

【文化祭 1ー1】

 文化祭は想像以上の賑わいを見せていた。
 生徒が盛り上がるのはもちろんのこと、お客さんもみんなテンションが高い。

 教室の入口付近に設置している受付の椅子に座って人を捌きながら、広い廊下を先の方まで見渡してみる。

 制服姿の中学生、他校の高校生、子供連れの家族、とりあえずいろいろな人がいる。
 他のところと若干時期をずらしているのはこのためだろう。こんなに人が来るなんて思いもしなかった。

 俺に課せられた仕事は簡単で、パンフレットにスタンプを押し、気持ち程度のお金を受け取り入口に向かって「どうぞ」だのと言うだけ。
 アトラクションでお金って取るのか……と少し考えたが、うちのクラスはお代はお客さん自身に決めてもらうという形をとっていた。
 となると無料でもいいのだが、まあ、律儀に五十円から百円くらいはみんな払ってくれている。中には千円札を入れてきた人もいた。

 全部でどのくらい入っているだろうかと箱の中身を見ようとしたところで、ビラ配りへと駆り出されていたソラが戻ってきた。

「どうよ、お客さん入ってるか」

「まあぼちぼち」

「そっか。あ、店番代わろうか?」

「なんで?」

「……ん、あの子とは?」

「奈雨は今ステージにいるはず」

 腕時計を確認する──十時過ぎ。
 午前の部が始まる時刻はもうすぐだろうか。

170 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:19:46.33 ID:CaJ2VfCb0

「あー、そういやそうだったな。おまえ見に行かないの?」

「来るなら午後に来てくれって言われたから」

「体育館今でもめっちゃ混んでたぞ」

「ステージ人気らしいね」

「じゃあ俺遊んできていい?」

「なぜそうなる」

「え、だめ?」

「いやいいけど」

 特にすることもないが、ここにいてもそれは変わらない。
 一人であちこちをうろちょろするよりはクラスに貢献した方がいいだろう。

 何か昼飯買ってきてやるよ! などと言って足早に去っていくソラの後ろ姿を見送り、
 手元のパンフレットを広げ、近くの階の模擬店と、それからステージの予定表を確認する。

 午後の部の一回目は……十三時半からか。
 こういうときの待ち時間は決まって時間が長く感じる。世の定め(なんだそれ)。

 そういえば東雲さんと胡依先輩はどうしているんだろう、とぼんやり考えていると、次のお客さんがやってきた。

171 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:20:29.57 ID:CaJ2VfCb0

【文化祭 1ー2】

 耳に届く賑やかな声も、漂う美味しそうな匂いも、この部室の中ではどこか遠いものに感じられる。
 文化祭は始まった。けれど、何もすることがなければ実感はやってこないらしい。

「私たちもどこか行きますか?」

 ためしにすぐ近くで死人のような寝方をしている彼女にそう声を掛けてみると、

「ねむい」

 とただ一言だけが返ってきた。目を向けてすらくれないのだから本当に眠いようだ。 

 立ち上がり、窓辺に身を寄せ、手持ち無沙汰をあらわすようにため息をつく。
 クラスの方も、べつに私が出ても出てなくても変わらないし、すすんで行きたくもない。

 だから部長さんがここから動きたくないなら、私も同じように動かないのが一番かもしれない。

172 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:21:07.79 ID:CaJ2VfCb0

 けどまあ、

「どこか行きましょうよ」

 とは言っても、私だって少しくらいは楽しみたい。
 高校初の文化祭なのと、それと、楽しませてくれそうな人が近くにいるから。

「んー、クラスの人に会うの気まずい」

「どうしてですか?」

「クラスサボってるからさー、誰かに見つかっちゃうと面目ないしー」

「はあ」

 どうしてもここで寝てたいのかな。ばれないようにもう一度息を吐く。

「そういえば、なうちゃんのクラスが演劇やるらしいですよ」

「え? ……へえ、そうなんだ」

「見に行きませんか?」

「……」

 模擬店に行ってもどうせ二、三店が関の山だろうと長い時間楽しめそうなものを提案したのだが、
 何かを考えるように、部長さんは私から目を背けて少しのあいだ口籠った。

173 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:21:49.68 ID:CaJ2VfCb0

「ちょっとだけ聞いたんですけど、たしか、内容は──」

「わかるよ」

「……え?」

「なうちゃんのクラスがするのは知らなかったけど、どういうものなのかってのは、まあ」

「あー、そうなんですね」

 私が知らないだけで、多分どこかで読んだりしたことがあるものなのだろう。
 文化祭でやるくらいだから結構有名なのかもしれない。この人はそういうの見なそうだけど。

「他にシノちゃんの行きたいところは?」と彼女は言って、ぱんと手を叩く。乗り気になってくれたのだろうか。

「じゃあ、お昼食べに行きますか」

「学食?」

「でも。コンビニでも屋台でもいいですよ」

「パフェとか食べちゃおっか」

「いいですね」

 それまでの気だるげな様子から一転、調子づいたような勢いで彼女は腰を上げた。

174 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:22:30.64 ID:CaJ2VfCb0

【文化祭 1ー3】

「や、この間ぶり」

 お昼時になり客足が疎らになってきた頃に、すぐ近くからそう声が掛かった。
 この声はたしか、と思いつつ顔を上げると、やっぱり秋風さんが立っていた。

「隣いい?」

「どうぞ」

 自然な(自然か?)流れで彼女は俺の隣のパイプ椅子に腰を下ろす。
 そういえば他校の生徒も制服姿が多い。彼女もご多分に漏れず緑のリボンが特徴的な制服を着ている。

「今日は一人で来たの?」

「ううん、友達と。気を遣われたのかいなくなっちゃったけど」

「ああ、善くんと」

「そうそう」

175 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:23:18.33 ID:CaJ2VfCb0

「呼んでこようか? 中にいると思うよ」

「あー……まだいいよ。仕事中でしょ」

 抜けたら連絡するって言ってたし、と。
 それを言ったら俺だって仕事中なんですけど。……まあいいや。

「どこか面白いところとかあった?」

 俺からの質問に、秋風さんは意外そうな顔をした。

「うん。どこも楽しかったよ」

 と彼女は一瞬俺の表情を窺って、

「……ごめん、嘘かも」

 とすぐに翻した。顔が少し強張っている。

「つまらなかったの?」

「いや、えっと……楽しいには楽しいんだけど」

「うん」

「"こんなもん"かなあ、って思っちゃってさ」

「……そっか」

 "こんなもん"、か。

176 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:24:05.76 ID:CaJ2VfCb0

 言わんとしていることがわかるからこそ、軽率な反応は取れない。
 目線が平行なら見える景色も変わるし、考え方が変わればなおさらだ。

「ごめんね。こんなこと言って」

 彼女は苦笑しつつ頬を掻いて、前を通り過ぎていく人たちに目を向けた。

「……この前のことも、ごめんね」

「……いや」

「私、勝手なことばっか言ってたよね」

「そんなことないよ」

 自分で言っておいて、その言葉の白々しさにため息が出る。
 すぐ取り繕おうとするのをやめたいと思ってもなかなか上手くはいかない。最近はいつもそのことを考えている気がする。

「本当のことを言うと──」と、言い訳のように前置きして、

「あながち間違ってもなかったから。全て合ってはいないけど、どちらかといえば……」

「……」

177 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:24:38.36 ID:CaJ2VfCb0

「だから、こっちこそごめん」

「……うん」

 うん、と彼女はまた頷いて、それからどうして自分が謝られてるんだろう、というような顔をした。
 説明するのが筋かと思ったが笑って誤魔化した。これ以上はべつに言わなくたっていいことだ。

「あ、あとね。これソラくんが持ってけって」

 沈黙を埋め合わせるように、彼女はビニール袋を机の上にのせた。
 中にはたこ焼きやら焼きそばやらが入っていた。いかにも文化祭らしい。

「秋風さんも食べる?」

「えっと……いいの?」

「いいよ。どうせソラの奢りだし」

「……じゃあ、ありがたく」と彼女は控えめに笑った。

 あとで、ソラに礼を言っておこう。

178 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:25:59.81 ID:CaJ2VfCb0

【文化祭 1ー4】

 受付の仕事を終え、高校棟の廊下を歩いていると、階段のところに零華の姿を見つけた。
 看板を手に持ちあからさまにぶすっとしていたから、気付かないふりをする。

「ちょっと待ちなさいヘタレ先輩」

 呼び止められる。
 というより付いてこられている。

「ヘタレってなんすか」

「泊まりなのに何もしなかったんですよね」

「……あの場所に立ってなくていいの?」

「サボります」

「はあ」

「奈雨ちゃんを見るために!」

 ふんす! と荒い鼻息を立てる。
 やっぱブレねえなこいつ(呆れ)。

「で、どうなんですか。今のところはBまでとか?」

「古風な言い回しだな」

「そんなことはどうでもいいです」

「あっはい」

 自分で言ったんじゃん。

179 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:26:34.85 ID:CaJ2VfCb0

「奈雨ちゃんわたしに何も教えてくれないんですよ」

「そりゃそうだろ」

「今朝なんか先輩と何か──ナニかあった? って訊いてみたんですよ」

「なぜ言い直す」

「そしたら『ふふふ、どうでしょー』って……。それはそれで表情とかめちゃくちゃときめくんですけど、ぼかされると気になっちゃうじゃないですか。
 ほら、見えそうで見えない女子高生のスカートとか…………ってなに見てるんですか警察に通報しますよ」

「見てねえよ」

「……ま、先輩はわたしに興味ないですもんね」

 歩きながら、彼女は人差し指を突き立てる。
 ふっと呆れ笑いをするように緩んでいた口元は、段々と楽しげなものに変わっていった。

180 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:27:25.42 ID:CaJ2VfCb0

「奈雨にさ、昨日言われたんだよ」

「なんてですか?」

「『わたしのことをちゃんと見ててほしい』って」

「あ、お惚気ですね。もっと聞かせてください」

 ここでいっちょ言っときましょう! と零華はなぜか必死だった。

「言いません」

「どうしてですかー。けちすぎますよ」

「どんなことされるかわかんねえし」

「なっ! そ、そんなやばめなことが……?」

「なにもないです」

 零華になら言えないことでもないけど、なるべく自分の心に留めておきたいと思った。
 なおも不満そうな零華をあしらいつつ校舎の外に出ると、

「あれ。れーちゃん?」

 と、うちの学校の女子生徒が近付いてくる。

181 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:28:08.78 ID:CaJ2VfCb0

「あっ」

「サボり? ダメだよれーちゃん。持ち場に戻らないと」

「えー、だって」

 零華は助けてくれと言わんばかりにちらと俺を見る。
 と、俺の存在に気付いたらしい。目を向けられる。

「……っと、彼氏さん?」

「え」

「ああ、デート中……」

「……ま、まあそんな感じ、かな?」と腕を取られる。

 何やってんだこいつ。深刻なツッコミ不足。
 真面目そうな零華のクラスメイトはふむふむと頷いて、

「ならいいっか。せっかくの文化祭だしね」

 と言って、零華の持っていた看板を受け取った。

「……いや、あの、零華?」

「……えっと、先輩が抵抗しないのが悪いと思います」

182 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:28:59.32 ID:CaJ2VfCb0

「俺が悪いのか」

「いや、ちょっと奈雨ちゃんの気持ちがわかった気がします」

 意味のわからないことを言うとあっさり腕を離して、嘘だという旨を説明しはじめた。

「この人は、わたしの好きな人の好きな人!」

「そうなんだ」

「今からうちのやつ見てくれるらしいから、一緒に行こうとしてたの」

「なるほど」と顎に手をやりながら零華のクラスメイトは言って、

「あ、奈雨ちゃんの、ってことね」

「そうそう」

「ふふ、そっか。わかったわかった。れーちゃんも見てらっしゃい」

 失礼しました、とその子はぺこりと頭を下げてその場から立ち去った。

「零華の好きな人の好きな人で伝わるんだな」

 真偽はともかくとして公然の事実として定着しているらしい。

「あっはい。いつも愛を伝えているので」

「冗談に聞こえないんだが」

「いやいや、わたしはいつだって本気ですからね」

 わたしを見習って先輩もはやく素直になってくださいね、と言って零華はにこりと笑った。

183 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:29:57.08 ID:CaJ2VfCb0

【文化祭 1ー5】

 カーテンの閉め切られた体育館は僅かに暑さが篭っている。
 入場規制がかかるまでではないにしろお客さんはかなり入っていて、椅子に座れず立ち見の人まで出ているくらいだ。

 零華が言うには文化祭中の体育館はずっとこんな感じらしい。
 ステージ部門がうちの文化祭で一番の華ですから、と。たしかに納得できる。

「あ、みーくん。零華ちゃん」

 不意にかけられた言葉とともに、肩に手が置かれる。

「おひさしぶりです」
「こんにちは。奈雨ちゃんのお母さん」

 伯母さんは微笑して、「こんにちは」と俺たち二人の隣に腰を下ろす。

「こんなに良い席取っててくれるなんて。ありがとね、零華ちゃん」

「いえいえ。奈雨ちゃんを間近で見るためですから」

184 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:31:01.67 ID:CaJ2VfCb0

「ふふっ、そうね。……そういえば、身体の方はもう大丈夫なの?」

「はい! おかげさまでもうピンピンしてますよ!」

 ご心配おかけしました、と零華がやや申し訳なさそうに頭を下げる。
 そこで話は一旦終わったようだったが、零華の何について話をしていたのだろうか。

「みーくんも、うちの娘がお世話になりました」

 と、そんなことを考える余裕もなく視線がこちらに向く。

「いろいろ迷惑かけなかった?」

「えっと、はい」

「佑希ちゃんとも?」

「それは、まあ……」

 あることにはあったけれど、結局のところ雨降って地固まったというか。
 佑希が歩み寄ろうとする態度を示した。当の奈雨は、それをあまり受け取りたくはなさそうだったけれど。

185 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:32:29.50 ID:CaJ2VfCb0

 答えあぐねる俺の様子で何かを察したのだろう。
 伯母さんは、うんうん頷きながら頬のあたりを掻いて、

「ちゃんといちゃいちゃしてた?」

 と言った。

「……はい?」

 世界(俺の表情)が凍りつく。

「二人で寝たりした?」

「なんでそうなるんですか」

「えっ、……その、自然な流れ?」

 どういう流れだ。全くもって自然じゃない。

「どうなの、みーくん」

「先輩。どうなんですか」

 心強い味方を得たとでも言いたげな、少し悪戯っぽい声音で零華も質問を重ねる。

「うちの子はぐらかすからさあ」

「ですよね」

186 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:33:40.82 ID:CaJ2VfCb0

「みーくんについて訊くと返事来なくなるのよね」

「あ、わたしもです。めっちゃ話逸らされます」

「もう知ってるんだから今更恥ずかしがってもって感じなのにね」

「わかります」

「でもたいがい顔を赤くするからバレバレなのよね」

「実際それを楽しんでるところはあります」

「あら零華ちゃんお目が高い!」

「ふふふ、ありがとうございます」

 勝手に盛り上がってる。
 内容はかなりひどい。相性は抜群(なんだこの二人)。

「で、どうなの?」

「……いや、えっと、寝はしましたけど」

「けど?」と零華が囃し立ててくる。

187 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:34:13.32 ID:CaJ2VfCb0

「……何もないですよ」

「何もって、その何もとはって話になっちゃうけど」

「やめてください」

「まあ、二人だけのヒミツってことね」

「いや本当に何もないですって」

「……ふうん」と伯母さんは茶化したように笑う。

「怪しいですよね」

「ねー」

「でも素直に照れるなんて先輩も案外かわいいとこありますよね」

「わかるわかる」

 ……。
 もう聞く耳を持たないことにした。

188 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:34:51.00 ID:CaJ2VfCb0

 俺がいくら訊いても答えないとわかってからも二人の会話は尽きなかった。

 話題が急にあちこちに飛ぶ人たちだから半分くらい聞き流していたけれど、
 今からする劇の脚本がオリジナルであることだとか、衣装や小道具作りにかなり凝ったということを言っていた。
 なんでも、その方がポイントが高いんだと。許可を取るのがすんなりいってよかった、とも言っていた。

「あ、始まるみたいですよ」

 と零華が声を上げるとすぐにアナウンスがなされ、追ってブザーが鳴る。

「そうそう。みーくん。これお願いできる?」

 伯母さんから手渡されたのはお高そうなカメラ。

「旦那が撮ってこいってうるさくってさあ」

 ということらしい。

「まあ、みーくんが奈雨を見るのに集中したかったら切っていいからね」

「はあ」

「うちの娘をかわいく撮ってね」とこそっと耳元で囁かれた言葉に、「わたしもほしいです!」と零華が耳ざとく反応した。

189 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:36:52.72 ID:CaJ2VfCb0

【文化祭 1ー6】

 水を打ったような静けさの中で、舞台の幕が上がる。

 ナレーションが終わると同時に、奈雨の演じる少女──「わたし」が舞台上にやってくる。
 緊張をほぐすためなのか、もう演技が始まっているのか、奈雨は衣装の胸のリボンを軽く摘まんで息を吐き、客席に向けて儚げに微笑する。

 目を閉じ、開き、左右に首を巡らせる。
 その視線が、一瞬だけこちらに向けられたように思えた。


 物語は「わたし」のモノローグを中心に展開していく。

 陽の射さない部屋。少しばかり広い屋敷の、以前まで使用人が住んでいた一室に「わたし」は居る。
 家族は「わたし」のことを腫れ物のように扱っていた。
 母と父は彼女を壁一枚隔てたような、他人行儀な振る舞い方をし、たった一人の姉は彼女と関わること自体を避けているようだった。

190 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:37:51.13 ID:CaJ2VfCb0

 前まではこうではなかったんです、と「わたし」は言う。
 そして顔を俯かせ、消え入りそうな声で、

「それがどうしてなのかも、何一つわからないんです」

 彼女は自分を責めた。そうされた理由がわからなくとも、どこか自分に悪いところがあるのだと思って。

 食事の際には、彼女の姿が見えるとすぐにそれまでの談笑が止み、部屋をあとにするとまた楽しげな声が耳に届く。
 休日になると家族は彼女を置いてどこかへ出かけていく。彼女は屋敷で一人過ごす。
 唯一話をしてくれていた人もここから居なくなってしまった。あまり大きいとは言えない部屋には無機質な家具のみが残っている。

 長期的にそんな状態が続けば、家族の一挙一動に対して恐怖に似た感情を抱くことになる。
 食事も外出も何もかもを一人でするようになる。頼れる誰かなどいないのだから。

 家族に笑っていて欲しい、というのは建前で、本心ではただ辛いだけだった。でも、そうすることが最善だと思わざるを得なかった。

 毎日夜が更けてくると、「わたし」は椅子に浅く座り、手に持った人形にその日あったことを詳らかに話す。

191 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:39:33.03 ID:CaJ2VfCb0

「こんなことに意味なんてないのかもしれないです。──けれど、こうしていないと怖くてたまらなくなるんです」
「忘れたいことばかりでも、わたしは忘れたくはないんです。何の面白みのないようなことでも、それは変わりません」
「あなたがいたときのこと、わたしはもう覚えていません。楽しかった、という朧気な印象しか残っていません」
「だから──そういうふうになってしまうなら、何もないことよりは、何かがあった方が少しでも救われるんじゃないかって考えてしまうんです」

 だって、そうじゃないと……と「わたし」は人形を強く抱きしめる。

「ほんとうに何もないのなら、……ずっと、目を閉じ、眠っていた方がいいでしょう」
「でも、そんな単純なことではないんです。それは、わたしだってわかっています」
「楽しいことだって、わたしが見つけていないだけであるのかもしれません」
「……ただ、『ある』を指し示す何かすらないのなら、わたしは……わたしなんて──」

 わたしなんて──。

 これ以上言ってはいけないと思ったのか、彼女は口元を手で覆う。
 数秒の沈黙の後、緊張の糸が切れたようにはっと息をつき、そして自嘲を含んだため息をついて、

「……いえ、ここでやめておきましょうか」

 おやすみなさい、と彼女は言う。抱えたものから手を離し、こちらに背を向ける。
 わざとらしい欠伸も、眠たげに目を擦るのも、"本当は眠りたくない"という心理を表しているようだった。

192 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:40:17.42 ID:CaJ2VfCb0

 場面が切り変わる。

 彼女が目を覚ますと、顔を上げた方向から陽が注いできていた。
 その光に誘われるままに部屋から出る。
 庭(緑があるから多分そうだろう)の井戸の縁に座り誰かが本を読んでいる。

「ここで何をしているんですか」

「……何って、本を読んでるんだけど」

「わたしの家です。勝手に入られても困ります」

「そんな怪しいかなあ、アタシ」

 彼女よりも背が高く大人びていて、後ろで束ねられた髪が特徴的な少女。
 二人にスポットライトが当たる。隣で零華がぼそりと何かを呟いたが聞き逃した。

「まあ、あなたも座りなよ」

 少女は自分の横をぽんと叩く。
 怪訝な目を向けつつも、「わたし」はそれに従う。

193 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:40:53.75 ID:CaJ2VfCb0

「ここの家の子なんだ」

「……はい」

「歳は?」

「……十四です」

「じゃあアタシの方が下か。もっとくだけた感じでいいよ」

「いえ、初対面の人にそんな馴れ馴れしくできません」

「あ、そー……変わってるねえ」

「あなたの方こそ……」

 知ってる知ってる、と少女は笑う。つられたのか「わたし」の頬が僅かに緩む。

 それから「わたし」と少女は途切れ途切れの会話を続けた。
 そして、陽が完全に落ちた頃に、

「また来てもいい? あなたすっごく面白いし」

「……」

194 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:41:24.42 ID:CaJ2VfCb0

「……え、ダメ?」

「……お、お好きにどうぞ」

 ふーんそっかあ、と満足そうに頷いて、少女は立ち上がる。
 遠ざかっていく後ろ姿を、「わたし」は追いかけ、呼び止める。

「どうしたの?」

「……えと。その、えっと」

「うん」

「……わたし、おかしくないですか?」

 少女は呆気にとられたような顔をしたあと、少し考える素振りを見せて、

「おかしいかも」

 けど、と続けて、

「そんなでもないと思うよ」

「……本当に?」

195 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:42:27.98 ID:CaJ2VfCb0

「だって、こうしてちゃんと話せてるじゃない」

 目線を合わせて、「わたし」の頭を撫でる。
 なぜかそのとき観客席の一部が沸いた。気を取られている間にも、話は進んでいる。

「なに? まだ訊きたいことでもあった?」

「……あなたの名前、知りたいの」

「アタシの名前? いや、べつにいいけどさ」

 エリ、と少女は言った。
「わたし」は一文字一文字を確かめるように、"エリさん"と少女の名前を呟いた。

 それから二人はたまに庭で会っては、何てことのない話をするような関係になった。
 シーンが変わるにつれて「わたし」のエリに対する警戒心も解けていき、最初は一人分程開いていた間が徐々に詰められていった。

 エリは「わたし」のことを知っているかのような振る舞いをした。
 反対に、「わたし」はエリのことを知りたがった。どうして? と訊ねられると、何となくです、と言っていたが多分そうではないだろう。

196 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:42:56.32 ID:CaJ2VfCb0

「わたし」はエリに会う前の晩はよく眠れなかった。
 けれど会うまでに睡眠を取っていたから、最中は眠たげな様子を見せていなかった(二人の会話でそういうものがあった)。
 エリと触れあっている時間を反復するように、それまでは椅子の上に置いていた人形を胸に抱えて眠るようになっていた。

 示唆的な、というと疑って見すぎかもしれないが、そうとも取れるようなシーンが連続する。

 中盤から終盤にかけて、その頻度は高くなっていく。
 エリの言動が最初の飄々としたものから段々と崩れていく。

 特にそう感じたのは物語も佳境か、という頃で、
 椅子代わりにしていた井戸の中を二人が覗き、

「もうこの井戸は長く使われてないんですよね」と言う「わたし」に、
「こういうのを見ると、もし落ちたらどうなるのかなって思わない?」とエリが珍しく真面目な反応を見せたところだった。

197 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:43:48.92 ID:CaJ2VfCb0

「誰にも見つからないまま死んでしまうんじゃないですか」

「うん。……落ちてみたいって思わない?」

「……エリさん?」

「……」

「どうしたんですか。今日、ちょっとだけ変ですよ」

「アタシは……あなたとなら落ちてもいいって思ってる」

「えっと、冗談ですよね?」

「……知ってるんだよ。アタシは、あなたのこと」

 エリは「わたし」の肩をぎゅっとつかんで、

「ここであなたがしようとしてたことも、全部知ってる」

「……」

「あなたの事情も全部ではないにしろ知ってる。あなたが知らないことだって知ってるかもしれない。
 アタシはあなたのことを側で見てた。……でも、アタシじゃ何もできなかった。あなたがここに足を掛けるところを見てるだけだった」

198 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:44:49.29 ID:CaJ2VfCb0

「……どうして」

「ねえ……ここから落ちたら、気持ちよくなれるのかな。つらくなくなるのかな。アタシには、それが全然わかんないよ」

「……」

「でも、あなたが一人でそうするなら、アタシも一緒に落ちてしまいたい。そうしたら、何かが変わるかもしれないから」

「わたしは、エリさんがいれば……」

「ううん、そうじゃないの。…………だって、ずっとこのままってわけにもいかないでしょう?」

 あなたも薄々気付いてるんじゃないの? とエリは苦しそうに笑う。

「あした、ここで待ってるから」

 答えを聞かずにエリは踵を返す。
 取り残された「わたし」は井戸を一瞥して、崩れるように地面に座り込んだ。

「エリさんが『あなたとなら』と言ったところで、わたしはそれを信じ切れる自信がありません。
 けれど、エリさんがどうしてもとわたしにそうすることを望むのなら……」

 ごめんなさい、と「わたし」は言葉を宙に向けて放った。

「わたし"は"、あなたじゃなくてもいいなんて思いません。それはあなたがどう思っていようとも変わりません」

199 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:46:22.56 ID:CaJ2VfCb0

 翌日の夕暮れ、「わたし」が庭に向かうと、エリはもう既に井戸の縁に座っていた。
 いつもなら手にしているはずの本も何も持っていなく、「わたし」の姿を捉えた時にやっと表情に温度が戻った。

「ねえ、落ちても死ななかったらどうしよっか?」

「……そのときはそのときじゃないですかね」

「……ふふっ、そうかもね」

 二人が揃ってしまったのだからもう不必要な言葉は交わさないのではないかと、「わたし」がエリの手を取った時には考えたが、
 彼女たちの双方が、死を恐れるように──別れを惜しむように、顔を俯かせる。

「アタシはわかんないけどさ、あなたはきっと生きてるよ」

「……そう、ですか」

「……そんなしみったれた声出さないの。アタシだって、できるならこのままでいたかった」

「……」

「あなたにだっていたでしょう? アタシみたいな存在が。ほんの少し前までは」

200 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:47:23.33 ID:CaJ2VfCb0

「……」

「いろいろつらいことがあったから忘れているんだと思う。『本当につらかったら──』って、あの人はあなたに言ってたはずだよ」

「……」

「そっか。思い出せないか。…………でも、それでも大丈夫」

 その答えは今もここにあるから、とエリは「わたし」の手を胸元に押し当てる。

「……じゃあ、アタシが先導するから、あなたはそれに付いてきて」

 言葉の通りにエリは背中を下へと滑らせていく。

「……エリさん」

「……どうしたの?」

「……また、会えますか」

「そうだなあ……」

 くすりと悪戯っぽくエリは笑う。

「うん、会える。……でもその時は、一つだけお願いしたいことがあるんだけどさ」

「……何ですか」と「わたし」は目元を擦りながら今にも泣き出しそうな声で訊ねる。

201 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:47:55.31 ID:CaJ2VfCb0

「アタシに、名前を付けてくれないかな」

「……え?」

「馬鹿らしいことかもしれないけど、今も昔も、アタシはあなたのことがずっと好きだよ──」

 ──"エリ"。

 エリは微笑むと、ぐいと強く「わたし」の身体を引く。
 二人の姿が見えなくなると同時に、舞台が暗転した。

 陽の射さない部屋で、「わたし」は目を覚ます。

 目と、頬と、首筋を指でなぞる。涙の跡を縫うように。
 胸に抱えている人形を見つめて、何かを思い出したのかその服のリボンの結びを解く。

「……そっか」

 中から何か紙切れのようなものを取り出す。
 それを見て頷き「わたし」は起き上がり、ぺたぺたと音を鳴らして舞台袖の方へと歩いていく。

「……行ってきます」

 声とともに、徐々に舞台が暗くなっていく。
 ドアの開閉音がすると、それ以降は何の動きもなくなった。

 終わりですよ、と隣から零華の声がしたかと思えば、客席の誰かがぱちぱちと拍手をし始め、
 体育館の照明が点灯し演者の二人が現れると、一気にどっとその数が増え、大きな拍手で劇は締めくくられた。

202 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:49:07.54 ID:CaJ2VfCb0

【文化祭 1ー7】

 外に出て話をしていると、伯母さんはすぐに「明日も来るからね」と帰っていった。

 零華も何も言わずともわかるほどに上機嫌だったが、一番嬉しそうだったのは伯母さんかもしれない。
 しばらく奈雨を直視できないかも、と言っていた。親馬鹿が過ぎる(知ってた)。

「先輩。どうでしたか?」

 頬をにへへと緩ませながら、零華は校舎の柱に身をもたれさせる。なぜか口元がめちゃくちゃ艶めいている。

「すごかったよ」

「ふふふ。そうですよね」

「内容もそうだし、衣装とか小道具もよかった」

「みんな頑張ってましたから」

「あとは、エリ……って言っていいのかわからないけど、すごく演技上手かったな」

「あの子は演劇部なんですよ」

「どうりで」

 わたしもあと十センチ身長があれば……、と零華はぼやく。

203 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:49:39.64 ID:CaJ2VfCb0

 かと思いきや数秒後には不満げに口をとがらせて、

「そんなことはどうでもいいんですよ」

「はあ」

「わたしが訊きたいのは奈雨ちゃんがどうだったかってことなんですけど。
 てか先輩ぜったいわかっててはぐらかしてたでしょ。性格悪いですよねーほんと」

「下手に反応すると止まらないから」

「誰がですか?」

「零華が」

「ああ、そうですね」

 いつものことじゃないですか、と。
 それもう発作かよ。自覚してるならやめてほしいものだ。

「……まあ、とりあえずひとつ言えることは」

「はい」

「めっちゃかわいかったな」

 はまり役だったというよりは、それこそ奈雨だけにしかできない役だったというか。

204 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:50:20.25 ID:CaJ2VfCb0

 役柄も、そうだし、演技の方もモノローグではなく会話をするシーンでは、相手の演劇部の子に助けられてる感じはよく見受けられたけれど、
 それが逆に「わたし」っぽいなあ……と、二人の女の子の関係について、台詞、言い方、間の取り方全てがしっくりきた。

 評価は身内の贔屓目もあるかもしれないが、そこら辺はきりがないから、
 見て伝わるくらい頑張っていたしよくできていた、と素直に褒める言葉がすっと出てくる。

「わたしのこと無視するくらい集中してましたもんね……」

 と零華はちょっとむっとしてため息をつく。

「先輩ってどうせ映画とか一人で集中して観たいタイプでしょ?
 奈雨ちゃんといるときにやっちゃダメですよ。わたしは別に気にしませんし怒りませんけど」

「初めて見たんだから仕方なくないか」

「……はあ、でも若干好き好きオーラが出てたんで許してあげます」

「そんなもん出てねえよ」

「いえばっちり出てましたよ」

205 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:50:56.48 ID:CaJ2VfCb0

 やれやれとばかりに零華は両の手のひらを上向ける。
 視線を前に向け、それから何かを思いついたのか「んー」と軽く唸って、

「なんていうか、先輩って付き合っても波がなさそうなところはいいですよね」

「……どういうこと?」

「相手を好きって気持ちは絶対ちょっとやそっとで振れたりしなさそうじゃないですか。
 いい意味で執着しすぎてないっていうか、まあ奈雨ちゃんに関しての執着はかなりしてるでしょうけど……」

「……」

「ま、あれですよ。どうか早く結ばれてくださいってことです」

「ああ、そういう……」

「奈雨ちゃん娶り計画が頓挫したいま、わたしが望むのはお二人の幸せただひとつなんですからね」

 冗談めかして言ってるけど全くそうは聞こえないところが零華らしい。
 だいいち娶るっていつの時代の話だよ。

206 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:51:40.35 ID:CaJ2VfCb0

「そして機が熟したらあわよくばわたしも間に入って、ふふっ」

「それはマジでやめて」

「な、なんでですか!」と零華は瞬時に反応する。
 これはあからさまにわざとらしくてついつい笑ってしまう。

「前も言いましたけど、また三人でデート行きましょうね」

「ええ……」

「両手に花って感じでいいじゃないですか。奈雨ちゃんとわたしが両隣にいるなんてかなり役得ですよー」

「片方だけでも身に余りそうだからいいよ」

「その体のいい感じの断り方やめてください。水族館とか行きましょう」

「あー、はいはい。誘ってくれれば行くよ」

「……」

 零華はちらっとこちらを見て、口の端だけで笑う。そして顎に人差し指を当てて、うーんと首を捻る。

「どうした?」

207 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:52:14.67 ID:CaJ2VfCb0

「なんていうか、先輩ってやっぱり……」

「……」

「奈雨ちゃんの言うとおり、先輩は押せばなんとかなるしちょろいですよね」

「……はい?」

「もうちょっとぐいぐい来てほしいらしいですよ?」

「そう言ってたの?」

「はい。主張していきましょう」

 って何回も同じようなこと言ってますよね、と零華は苦笑する。
 何度も言われても変わらないと言われてるみたいで気が滅入るけど、事実そうだからなあ。

「でも、ゆっくりで大丈夫だと思います。先輩は今のままでも十分素敵ですから」

 親指を突き立ててやけにはっきり言い切られる。呆気に取られた俺を見て、気恥ずかしそうな表情をする。
 何か言うべきかと思ったが、手をぶんぶんと胸元で振って固辞された。俺を褒めるのはそんなに恥ずかしいのか。

208 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/29(金) 01:53:25.92 ID:CaJ2VfCb0

「ていうか、ラストのあれどういうことかわかりました?」

「何の話?」

「劇のです」

 話が変わった。というより逸らされた。

「だいたいはな。合ってるかはわからんけど」

「ですよねー。台本読んでたならまだしも、って感じですよね」

 ということで、と零華は気を取り直すように息を整えて、きらっと目を光らせる。

「もう一回観に行きましょう」

 そして、「ね?」と笑ったかと思うと、ぽんと俺の肩を叩いて、

「今度はじっくりねっとり奈雨ちゃんを視て癒やされましょう」

 と言って、体育館の方へとすたすた歩いていく。

「もう少し時間ありますし、今の相談料で何か奢ってくださいよ!」

 が、すぐにくるっとターンをして戻ってくる。騒がしい。

「かき氷はちょっと寒いかなー。あ、唐揚げとかチョコバナナでもいいかなー」

 るんるんスキップでもしそうな雰囲気で進んでいく。
 ……なんだろう、やっぱり零華って。

「先輩。わたしは友達ちゃんといますからね?」

「はいはい」

 エスパーなんだろうか。

209 : ◆9Vso2A/y6Q [saga]:2018/06/29(金) 01:54:14.47 ID:CaJ2VfCb0
今回の投下は以上です。次回で終わると思います。
210 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/06/29(金) 09:29:52.28 ID:gx4Yudgl0
おつです
211 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/06/29(金) 10:59:47.21 ID:mUrMO7zQO
かわいい…かわいすぎる……(語彙力)
乙!
212 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/06/29(金) 11:10:52.80 ID:BoTVUyVq0
1絶対零華ちゃん好きでしょ
213 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/06/29(金) 21:02:27.66 ID:Z1fs/NwV0
おつ
終わるの寂しい
214 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/07/23(月) 02:59:49.44 ID:leO6GP230
続きが気になる
215 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/07/24(火) 20:15:34.04 ID:7ko+JNZL0
消えてしまったな
216 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/07/24(火) 21:23:29.98 ID:yNGnAREa0
7月29日に更新来ると思います!(たぶんww
217 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/07/28(土) 04:28:47.62 ID:L15UoBnsO
wktkwktk?
218 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/07/29(日) 23:47:20.64 ID:zdMCC7m60
更新来ない……
219 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/08/01(水) 04:00:26.81 ID:WaF8C2Yn0
まだかな…
220 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/08/02(木) 00:14:31.59 ID:WVd8gX8mo
何年の7月とは言ってない云々…
221 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/08/02(木) 02:00:00.79 ID:T0srZAIl0
ていうか216は作者さんじゃないでしょ
222 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/09(木) 15:20:24.22 ID:ZdvxIxQI0

【文化祭 1ー8】

 二度目の公演を終え、ふらっと部室に立ち寄ると、俺以外の三人の部員が揃って談笑していた。

「やー、白石くん。楽しんでる?」

 と胡依先輩がこちらに向けて手をあげる。

「シノちゃんがどうしても私とまわりたいって言うからさ、いっぱいいろんなとこ行ってたの」

 その言葉の通り、たしかにテーブルには景品っぽいものや食べ物が置かれている。
 ちらと東雲さんの様子を窺うと「違うよ」と首を横にふるふる動かしている。

「……で、そらそらくんと出くわしてさー。ジェットコースター乗ろうとしたらシノちゃんが隣でビクビクって……」

 こらえきれなかったようにふっと吹き出す。
 俺に目を向けていた東雲さんの顔はみるみるうちに赤く染まっていく。

223 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/09(木) 15:20:58.52 ID:ZdvxIxQI0

「白石くんは奈雨ちゃんのこと見に行ってたんでしょ?」

「そうです」

「どうだった?」

「えっと、まあ、面白かったです」

「おー」

「二回見ましたけど、脚本がしっかり作り込まれてる感じでよかったですよ」

 素直な感想を言うと、胡依先輩は虚を突かれたようにぽかんと口を開けた。

「……それはよかったね。さぞ奈雨ちゃんもかわいかったのでしょう」

 と思ったらいつものような緩い笑みをたたえて、うんうんと相槌を返してくる。

「私も見に行けばよかったなー」

「誘ったじゃないですか」

 と東雲さんが冷ややかな目線を先輩に向ける。

224 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/09(木) 15:21:26.11 ID:ZdvxIxQI0

「でもシノちゃんがダウンしてたからどのみち行けなかったけどね」

「部長さんが『最大スピードで』って言ったのが悪いです」

「えー? だってその方が楽しめそうだったじゃん」

「苦手な私のことも考えてください」

「はいはい。ごめんなさーい」

 胡依先輩はにっこり笑う。東雲さんは困ったようにため息をついた。

「あ、そうだ白石くん。さっきまで明日のシフトをどうするかって話をしてたところだったのね」

「はい」

「三人とも初めてだから、今日みたいにわりかし自由にしてもいいかなって」

 とりあえず私一人はここにいると思うし、と先輩は言う。

「そらそらくんは途中から用事があるんだったよね?」

「そっすね」とソラは頷く。

 どこかの部活の手伝いでも買って出たんだろうか。

225 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/09(木) 15:21:53.70 ID:ZdvxIxQI0

「シノちゃんは私といるとして、白石くんは何か予定あったりする?」

「今のところはないです」

「そっか。……じゃあおっけーかな。最初はみんな揃うってことね」

 そう言って、彼女はふむと頷き、今度は東雲さんの頭部へと手のひらを持っていった。

「どうしたんですか」

「んと、明日も楽しくいこうね。シノちゃん」

「……え? あ、はい。楽しみましょう」

「そうそう、楽しくね。楽しく楽しく!」

 ね? と視線を向けられて、俺とソラは首肯する。
 手を置かれたままの東雲さんだけが、胡依先輩を怪訝げな表情で見ていた。

「みんな今日はしっかり寝ること。……って、私以外夜更かしするタイプじゃないから大丈夫か」

「ですね」

226 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/09(木) 15:22:37.10 ID:ZdvxIxQI0

「うわ白石くんひどーい」

「自分で言ったんでしょ」

「……まあ、そうなんだけどね」と先輩は苦笑する。

 今日は少しだけ雰囲気が暗い気もするが、きっと気のせいだろう。

「大丈夫だよ未来くん。部長さんがゲームをしないように私が見張ってるから」

 ぐっと拳を握りしめて宣言される。
 お母さんか。それか嫁か。視覚的にはすぐに絆されそうで説得力が薄いような。
 そのまま頭を撫でられてるし。なんなら若干嬉しそうだし。

「とにかく明日はがんばろーね」

 東雲さんから完全に目を逸らして、先輩は棒読みで「おー」とかなんとか付け加える。

 そんなにゲームがしたかったのかこの人、と一瞬思ったけれど、
 こちらへと顔を背けて表情を整える仕草をするのを見て、ああそういうことか、と勝手に納得した。

227 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/09(木) 15:24:11.17 ID:ZdvxIxQI0

【ライバル】

 ソラとクラスに寄ってから家に帰ると、すでに食事の支度を済ませた佑希がソファに身をあずけていた。

 こういう気の抜けている姿を見ていると──二人は全然違うけれど──昨夜の奈雨と少しだけ似ている。
 まあ、でも似ていたところでそこまでおかしくはないか。仲が悪い(悪かった?)とはいえ血の繋がりはあるわけで。

 と、なぜかそんなことを考えた。無意識に。
 二人に言ったら普通に怒られそうだからこれ以上はやめておこう。

 二階に行こうとすると、「おかえりなさい」と声を掛けられる。
「ただいま」と返すと、佑希は俺のいる方を振り向いて、「もしかして食べてきた?」と。

「いや、まだ食べてないよ」

「そう。……あ、奈雨と一緒じゃないの?」

「クラスの打ち上げだってさ。ちょっと遅く帰ってくるって」

「ふうん。そういうの、先に言ってくれればいいのになあ」

228 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/09(木) 15:24:54.27 ID:ZdvxIxQI0

「俺に連絡したからそれでいいと思ったんじゃない」

「……まあ、うん。わかってるよそのくらい」

 佑希は少しつらそうに苦笑して、身体の向きを正面に戻した。

「あたし、あの子のことを勘違いしてたのかな」

「どうして?」

「あの子の行動全てが、なんていうか……媚びてるように見えてた。
 けど、あたしだって、あの子から見たらそうだったんじゃないかなって、なんとなく思うの」

「……どういうこと?」

「おにいを縛り付けてたのはあたしだから。あの子のことがずっと好きなおにいを独占してたから。
 二人が好き合ってるのをわかってて、それをあたしの気持ちのために押さえつけようとしてたから」

「それは……」

「違わないよ」

 と佑希は俺が否定する前に首を横に振る。
 そして、何か言葉を続けようとした。──続けようとして、やめた。

229 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/09(木) 15:25:41.02 ID:ZdvxIxQI0

 奇妙な沈黙が流れる。
 佑希は感情を押し止めるように、俯いていた顔を上げ、自分の肩を抱いている手をそっと下へと移す。

 小さく息をつき、また俺の方に向き直って、

「今日ね、あたしも見に行ったんだ」

 と微笑み混じりに言う。

「……奈雨のこと?」

「うん。人前に出るのとか苦手だと思ってたから、ちょっと気になって」

「そっか」

「……これは間違ってないよね?」

「合ってるよ。奈雨もそう言ってた」

 頷くと、佑希はそこで言葉を選ぶように一拍間を置いた。

「なんか、すごいなって思った。苦手なことでも、その、逃げてないなって。
 遠くから見てても緊張してるのが伝わってきたけど、でも、最後までまっすぐやりきってた」

 そういうふうに思ってなかったから、本当にすごいなって思った。

230 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/09(木) 15:26:21.89 ID:ZdvxIxQI0

「あたしも、もうちょっとだけでも苦手なことをがんばろうって思っちゃった」

 佑希の苦手なこと、というのがいまいちしっくりこなくて、つい微妙な表情をしてしまった。
 すると彼女は、「あー」という形に口を開けて、遠慮がちに笑った。

「おにいはあたしのこと過大評価しすぎ」

「そうかな」

「そうだよ。あたしだってできないことばっか。いつも自分にできることをできると思った範囲でしてる。
 もともとできることの広さとか多さで言ったら絶対おにいの方がすごいと思うし、あたしは全然すごくないよ」

 だって、と佑希は言葉を続ける。

「おにいはずっと昔からあたしの憧れなんだよ」

 言って、佑希はふーっと気を取り直すような息をつき、ソファの背もたれに腕を乗せて振り返る。

231 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/09(木) 15:27:04.44 ID:ZdvxIxQI0

「……冗談だろ?」

「なわけないじゃん。嘘ついたって意味ないし」

「……」

「……あたしのこと信じられない?」

「いや」

「なら信じてよ。本当のことだから」

 ちょっと恥ずかしそうに頬を触って、佑希は目を逸らす。
 が、すぐにこちらへと視線が戻される。今度はじとっと俺の様子を窺うような表情。

「佑希だって、俺のことを過度に評価してる気がするな」

 信じられなかったわけではないけれど、口をついて出てきたのはそんな言葉だけで、でも、

「わかった。……じゃあ、お互い様ってことでいいよ」

 と彼女はなぜか小さく笑いはじめた。

232 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/09(木) 15:28:26.10 ID:ZdvxIxQI0

「この前さ、これからどうするのかって、おにい聞いてきたよね。
 あのときからさっきまでずっとそのことを考えてた。だから、今の話だけはちゃんと知っててほしかったの」

「そうか」

「だから、その……」

「……」

「……おにいに憧れるの、あたし、もうやめにするよ」

 そこまで言って、佑希は一度言葉を区切る。
 そして、言いたいことが伝わってるかどうかを確認するように──俺からの反応を待つように──かすかな笑みを引っ込める。

「……うん。俺もそうするべきだと思う」

 答えると、佑希は小さく頷き、さっきの続きを話そうと口を開きかける。
 俺は、少し考えてから、それを手で制した。

 細い肩がぴくと震え、きょとんとした表情で見つめられる。
 変な緊張感が生まれてしまう前に、今の俺の思っているままを言葉にする。

233 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/09(木) 15:29:06.23 ID:ZdvxIxQI0

「……俺は、何に対しても頑張ってる佑希のことが好きだし、普段の抜けてる姿もそれはそれでいいと思ってる。
 今までのあり方を変えても、変えなくても、これからも佑希のことを応援してるし、大切な妹だってことは変わらない」

 佑希と同じように、俺も考えていたことがあった。
 今までのこと。そして、これからのこと。

「だから、佑希がもし自分の意思で頑張り続けるなら──」

「ちょ、ちょっと待って!」

 と彼女は続きを言わせまいと声を荒げる。

「あの、……えっと、ちょっと待って、ほんとに」

「いや、あのな……」

「い、いいから! いきなりそんなこと言われても……その、困るし」

 腰を上げて、つかつかと足音を立てて近付いてくる。

234 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/09(木) 15:29:44.42 ID:ZdvxIxQI0

「なに、どうしたの」

「……あたし、今のままでもいいの?」

「え? いやまあ……」

「本当に?」

「……って言われると、そりゃあ思うところはあるけど」

「はあ……だよね、うん。たとえば?」

「……たとえばって?」

「いや、その、直す……えと、直そうとするから、参考に」

 本当かよ。目が泳いでるけど。

 ……とはいえ、そう言うなら答えるべきかと、「まず」と口に出すと慌てた様子で「うん」としきりに頷かれる。
 なんでさっきから挙動不審なんだろう。

235 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/09(木) 15:31:30.76 ID:ZdvxIxQI0

「自分以外の人に対して無関心すぎるとこだろ」

「そんなこと……」

「ない?」

「……うん。だってあたしおにいには興味あるよ」

「そういう話じゃなくて」

 本人に面と向かって言うかなあ……。

「……特別仲良い友達っているの?」

「いきなりなに?」

「気になったから」

 わかんない、と佑希は首を振る。

「……あのね、なんていうか、あたし妙に距離取られてるっていうか」

「それはあれだろ。ちょっとした崇拝対象なんじゃねえの」

「冗談やめてよ」

「いや真面目に。さすがに崇拝は言い過ぎかもしれないけど、そういう節は多分あるだろ」

「……」

 佑希は俯いて考え込んでしまった。

236 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/09(木) 15:32:54.54 ID:ZdvxIxQI0

 表面上は気さくな雰囲気で、でも、佑希は自分のことを一切話さないだろうし。
 部活も学校生活も全般的にストイックで、家での姿を見せることなんてほぼないだろう。

 友達はいる。けれど、べつに仲を深めたいわけではない。
 俺としてはそれはそれでいいとは思うけど。佑希だし。かっこよさげ(こういうのがよくない)。

「……まあ、視野は広くした方がいいんじゃない」

 と沈黙を破るように俺が言うと、

「……それは、うん。わかってる」

 でも、と佑希は続けて、

「おにいだって、結構そういうの狭いと思うよ」

「……そうか?」

「うん。基本的にいつも奈雨のことしか考えてないし」

237 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/09(木) 15:33:36.89 ID:ZdvxIxQI0

「……」

「あの子以外のことを見てるのか見てないのかわかんない。
 ってあたしがそう思うんだから、あの子のことを知らない周りの人はもっとそうなんじゃない」

「いや、それは……」

「あるから。絶対ある。けどその割にいっつも優しくしてきたり思わせぶりなことするから……」

 ほんとにたち悪い、と佑希は俺の腕を掴む。

「さっきもいきなり好きとか言ってきたよね」

「言ったな」

「……」

「……悪かった?」

「……ばか。おにいってほんとばか」

「好きは好きなんだから、いいと思ってだな……」

238 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/09(木) 15:34:30.29 ID:ZdvxIxQI0

「ああもう! そういうところなの!」

「どういうところだよ」

「好きとか軽々しく言わないで」

「えっ……ああ。じゃあもう言わない」

「……はあ?」

「……言わないでほしいんだろ?」

「……そ、そうとは言ってないじゃん!」

 彼女は眉間に皺を寄せて俺を睨み付け、握っている手首に掛ける力を強くする。

 話がだいぶ噛み合ってない。
 俺が悪いんだろうか? 反応を窺うにそうらしいから迂闊にため息すらつけない。

「いい? おにいは自分のことにすっごく鈍感なの」

「……ああ、うん」

 佑希だって、と言いそうになったが、やめた。
 間違ってはないし、そういう自覚もしていたから。

 それに、この前ソラにも同じようなことを言われたばかりだった。

239 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/09(木) 15:35:44.60 ID:ZdvxIxQI0

「普段はそういうことに全然興味ないですって澄ました態度なくせに、
 奈雨が絡んだ途端に頭の中がお花畑になるのは、まあ、わかりやすくていいけどさ」

「……」

 かなりひどい印象を持たれている。
 なんだよお花畑って……。

「奈雨のことが好きなら、あたしにはあんまり言わない方がいいよ」

 と佑希は短くため息をつき、ちょっと不満そうに──けれど明るく笑って、俺の手を解放した。

 そして、続けて一歩下がって距離を取り、笑みを引っ込ませ真面目な表情を作る。

「……そんでさ、さっきはなんて言いたかったの?」

「さっきって?」

「あたしが今のままでいるならって話」

 そうだ。話が逸れていたんだった。

240 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/09(木) 15:36:38.14 ID:ZdvxIxQI0

「ああ。……なんだ。俺も、ちょっとずつ頑張ってみようかなって」

 単純なことだけど、と付け加えると、すぐに彼女は首を横に振る。
 そんなことないよ、とでも言いたげに。それは一方では合っていて、もう一方では間違っているように思えた。

「今まではそれが最善だと思って、いろいろ曲げることもあったけど、……結局周りばかり見てても仕方ないんだよな」

 あれこれ理屈をこねても、つまりは自分が信じられなかっただけで、自信はどうにかして付けていくしかない。
 どうせどこまでいっても付かないことが分かっていても、力を積み重ねる姿勢くらいは持っておきたい。

 それに、と気が付けば口にしていた。

「いつまでも佑希に負けてもいられない」

「……え?」

 呆けたような声を返すとともに、怪訝な目でこちらを見て、

「おにいらしくない……」

 と佑希はぼやく。

 が、すぐに何かに合点がいったのかうんとひとつ頷いた。

241 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/09(木) 15:37:31.55 ID:ZdvxIxQI0

「それってさ、あたしがおにいのライバルってことだよね?」

「……ああ。まあ、そうなるな」

「ふふふ、そっかそっか」

「……どうして嬉しそうなの」

「いや、だって、ずっとあたしだけが勝手にライバル視してると思ってたから。
 だから、正式に認められた感じ? ……じゃないか。言質が取れた、みたいな」

 上手く言い表せなかったようで、そのせいか佑希は顔を少し赤くして「と、とにかく!」と声を張り上げた。

「おにいの特別ってことでしょ」

「あー、いや……そうなるか?」

「だって奈雨はライバルじゃないじゃん」

「どうして奈雨の名前が……」

「じゃあライバルなの?」

「それは、まあ、ちがうけど」

「けどなに」

「いや……」

「なんですか?」

「……なんでもないです」

 なぜ敬語になったんだろう。
 ……いや、普通に気圧された。声怖いし。あと顔も。般若かよ。

242 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/09(木) 15:37:59.10 ID:ZdvxIxQI0

 つーか、そもそもの話だけどライバルって俺程度でいいのか。

「ん? どうしたの?」

 と思い目を向けると、反論は一切許さないとでも言いたげな満面の笑みを返される。

「なんでもない。……まあ、これからも頑張れってことだ」

「それ、もう間違ってるじゃん」

「どこが?」

「おにいも、あたしも、お互い頑張ろうねって言うべきだよ。
 ……てかまず"頑張れ"なんてライバルに言われてもなーって感じだし」

 それもそうだな、と頷く。迷っているような目で見られたのだから、そう反応してやるのが筋だろう。
 これからそういう振る舞いをすると決意を固めようとしているのだから、背中を押してあげるのは俺の役目だ。

 佑希は何か言いたそうに口を開いたが、首を軽く横に振って、言葉にすることはなかった。

243 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/09(木) 15:38:25.57 ID:ZdvxIxQI0

 そうしてしばらくお互い無言でいたが、
 やがて、佑希はふいっと目を逸らしてソファの方に歩いて行き、読んでいたらしい文庫本とスマホを手に持ち、こちらへと戻ってくる。

「ごめん。ちょっと疲れたから部屋戻るね」

「あ、うん。大丈夫か?」

「へーきへーき。クラスで朝からめっちゃ動いたからだと思う。
 それと、えっと、あたしあとで食べるからごはん冷蔵庫入れといて」

「ああ」

 と俺が言うのも待たずして、佑希は上へ上へと階段を昇っていく。
 姿が見えなくなるかというところでぴたりと立ち止まり、一瞬だけ俺を見て口早に告げた。

「あの子のこと、迎えに行ってあげなよ。暗いし、雨降るかもだし」

「大丈夫。約束してたから」と俺は返した。

「そっか……じゃあ、がんばれ」と小さくうわずったような声が耳に届いた。

244 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/09(木) 15:39:13.53 ID:ZdvxIxQI0

【任せました】

 時間より少し早く待ち合わせの場所に向かうと、すでに奈雨と零華がそこで待っていた。
 零華は俺の姿を捉えるとすぐにいえいとピースサインを作って微笑み、近くまで駆け寄ってくる。

「今回はあまり待ってないですよ」と言って、もう一度緩やかに笑む。

 夕方までの様子との違いに、なんだこいつ……などと思いつつ彼女の後に続く。

 奈雨は手を胸元で握り、ちらっと俺を見ては逸らしてを繰り返す。
「帰ろうか」と言っても生返事で、どうにも落ち着かないらしい。

 特に会話らしい会話をせずに歩く。
 いつもならやかましいくらいに喋っている零華も、俺と奈雨を交互に見てくすくす笑うだけで俺まで落ち着かない。

245 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/09(木) 15:40:06.07 ID:ZdvxIxQI0

「じゃあ、わたしあっちなんで」

 と、駅に着くなりあっさり帰ってしまおうとするのを、

「れ、れーちゃん……」

 と奈雨が呼び止める。

 零華は「うっ」とずっきゅんハート射貫かれましたとでも言いたげに左胸を押さえて息を漏らす。
 そのわざとらしさに思わず口元が緩むと、零華は俺をじとりと睨んでちょいちょいと手招きしてきた。

「先輩、ちょっと耳貸してください」

 言われるままに身を屈ませると、不満げにぷくっと頬を膨らませてから顔を近付けてくる。

「お二人と一緒にいたいのはやまやまなんですけど、わたし明らかに邪魔者なんで早く退散したいんですよ。
 ていうか、さっさと二人っきりになってください。今日は枕を濡らす予定が入っているので帰らなくてはならないのです」

「なんだそれ」

「先輩を和ませるジョークです。いやマジです。……ってそんなことはどうでもいいんですよ。
 あ、ビデオ通話でもしますか? しませんよね。なんだかわたしまでそわそわしてきてます」

 早口で言い募りながら、ばたばたと足踏みをする。
 落ち着けよ、と言おうとしたところで、奈雨からきょとんとした目が飛んでくる。

246 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/09(木) 15:40:47.37 ID:ZdvxIxQI0

「……まあ、先輩。奈雨ちゃんのことをよろしくお願いしますね」

 と俺から間合いを取り、向けられていた視線の方へ歩いていく。
 そこで二、三やり取りを交わした後、零華は「がんばれー」と俺に口パクで伝え、改札へとつま先の向きを変える。

「……あ、零華」

「なんですか?」

「傘、持ってけよ。雨降るっぽいから」

 折りたたみの傘を手渡すと、「先輩にしては気が利きますね」と嬉しそうな声が返ってくる。

「それじゃ先輩、奈雨ちゃん。またあした」

 ひらひらと姿が見えなくなるまで手を振って、そのまま奈雨の前に手のひらを持っていく。

「俺たちも行こっか」

「……ん」

 奈雨はこくっと頷いて、ちいさな手のひらを重ねてきた。

247 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/09(木) 15:41:54.07 ID:ZdvxIxQI0

【シンプル】

 駅を出て地上に上がると、しとしとと降り始めらしい雨が降っていた。
 十五分とも経たぬ間に、外気はぐっと冷えてしまったらしい。やけに肌寒い。

 これ、と傘を開いて渡そうとすると、ぼうっと窺うような視線を向けられる。

 ……まあ、言いたいことはわかるけど。

 ちゃんと傘を二本持っているのに、わざわざ狭い折りたたみ傘に二人で入るなんてのも変な話だ。
 濡らさないようにしてもこの感じだと濡れるし、奈雨は制服だし。

 などと思っていると、奈雨の方から、

「相合傘でいいでしょ」

 と言ってきたものだから、傘を上向けて彼女を手招いた。

 すぐに聞こえた「やった」という呟きは、きっと心の中でのものだったんだろう。

 曖昧な相槌だけを返して、二人並んで雨の中を歩く。

248 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/09(木) 15:42:25.87 ID:ZdvxIxQI0

 乗っているときは眠たそうにしていたけれど、今はそうでもないらしい。
 何かを言いたげに俺を見ては、こうじゃない、とでもいうように俯く。

「どうかしたか?」と訊ねると、奈雨は少し間をとってから、覚悟を決めたように口を開いた。

「……今日の、どうだった?」

「……すごかったよ」

 それについて訊きたいのだと薄々感じていたのもあって、はっきりしない言葉にも躊躇わずに返答した。
 奈雨がまた何か問いを重ねようとする前に、足を止めて顔を彼女へと向ける。

「すごく良かったって簡単に言うのが申し訳ないくらい、俺は良いと思ったよ」

「う、うん。……それは、えっと、ありがとう」

 ありがとう、ともう一度言って、奈雨は頷く。

249 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/09(木) 15:43:02.88 ID:ZdvxIxQI0

「お兄ちゃんにそう言ってもらえるの、他の誰に言われるよりも嬉しい」

「そっか」

「……うん。それと、なんていうか、安心した」

「安心?」

「全部終わったあとに、クラスの友達とか、先生とか、いろんな人から褒めてもらえて、
 ……でも、お兄ちゃんからはまだ聞けてなくて、どうだったんだろうって思って、けど、直接聞きたいなって、思って」

 不安だったんだからね、と彼女は頬を膨らませ、俺の二の腕を掴んで揺する。
 俺だって直接言いたいと思ってた、とはわざわざ答えるべきではないのかもしれない。

「そういえばさ、始まるときに目が合ったじゃん」

「あー、そうだな」

 やっぱり合ってたのか。

250 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/09(木) 15:43:30.25 ID:ZdvxIxQI0

「あのときね、ほんとはものすごく緊張してて、駄目だって思いながらお兄ちゃんのことを探しちゃって、
 それで、たまたま目をとめたところにお兄ちゃんがいて、やばいはやく集中しないとって切り替えられたの」

「隣に零華と伯母さんが座ってたの気付いてた?」

「ううん。打ち上げの時にれーちゃんに言われて、そうだったんだ、って」

「零華悲しんでただろ」

「んー……いや、あんまり。それよりはむしろ見つけられて良かったじゃんって、そんな風なこと言われたよ」

「そうか」

「うん。でも一応謝っといた」

「そうしてもらえたならありがたい」

「……え?」

 首をかしげる彼女に、なんでもないよ、と俺は首を横に振る。
 零華のことだから奈雨の反応がどうであれ、どのみち明日あたり愚痴を言ってきそうだ。

「……そう。そっか、わかった」

「うん」

251 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/09(木) 15:44:25.76 ID:ZdvxIxQI0

 それから少しの沈黙が流れる。
 奈雨はまたしても何か考え事をしているようで、視線を足下に落としていた。

 俺は黙って奈雨が話し始めるのを待った。
 訊いてほしがっているようにも見えた。言いたいことも何となく想像がつく。

「れーちゃんとお兄ちゃんって、すごく仲良いよね」

「ああ……いや、どうだろうな。別に仲が良いわけではないと思う」

 これも違う、というのが顔に出ている。

「二人でいるときどんな話してるの?」

「たいした話はしてない」

「そういうことじゃなくて、話題、とか」

 歩調を緩めて目を向けると、彼女はばつが悪そうに視線を泳がせた。

「ほぼ奈雨のこと。それ以外はほとんどしてない」

「そ、そうなんだ」

「まあな。共通の話題って言ったら奈雨のことくらいだし」

「陰口かなにか?」

252 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/09(木) 15:45:14.26 ID:ZdvxIxQI0

「……いや、かわいいなー愛してるぜーって」

 と、一見なんでもないような返答に、

「は」

 奈雨は呆けたような声を上げた。

「あ、愛してる……」

 なぜか(なぜかではない)続く声は震えていた。
 どこからどう考えても俺が悪い。嘘は言ってないけど。

「それ、ほんと?」

 と奈雨は顔を手で覆いながら言う。

「……ほんとって?」

「……わたしのこと、愛してるの?」

253 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/09(木) 15:46:10.74 ID:ZdvxIxQI0

 ついこの間、同じようなことを訊かれて戸惑った気がした。

 その時はたしか、"好き"の種類についての話だったと思うけど。
 そういえば、"好き"と"愛してる"ってどう違うんだろうか。

 相手に何か見返りを求めるのが"好き"なのか。
 相手さえいれば何も要らないという意味で"愛してる"なのか。

 "愛してる"のなかに"好き"が内包されているのか。
 "好き"が昇華して"愛してる"になるのか。

「ねえ、お兄ちゃん」

 むっとした顔つきで、奈雨は俺の腕を引く。
 少し意識が飛んでいた。反応が斜め上すぎて──いや、俺が迂闊すぎて普通に告白紛いのことをしてしまっていた。

 なんだよ愛してるって。……たしかに思ってはいるけど。
 そんな、零華みたいにひょいひょいと言えるわけではない。実際言われはしても言ってはいない。

254 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/09(木) 15:46:50.55 ID:ZdvxIxQI0

 ……ああ、いやでも零華は"一回一回が本気"みたいなことを言っていた。
 そうしないと伝わらないかもしれない、とも。……って、いまそんなことはあまり関係ない。

 お花畑って的を射すぎているな、と苦笑いすらも出ないほどに納得してしまう。
 それくらい、頭が混乱しかかっていた。俺が悪いのに。そう、俺が悪いのに……。

「お兄ちゃん」と今度は頬をつねられる。

「ああ、うん」

「うん、じゃなくて。……なに、わたしの聞き間違い?」

「そうじゃないけど」

「けどなに。もしかして、まだダメだった?」

「……ダメって、何が」

「わたしが」

「ダメじゃないよ」

「じゃあ、どうして……」

「……」

255 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/09(木) 15:47:30.98 ID:ZdvxIxQI0

 俺は何と言えばいいのだろう。
 ため息が出そうになる。のを抑える。

 その様子を見たのか見てないのか、奈雨はわざとらしくため息をついて、

「わたし、お兄ちゃんのこと好きだよ」

 と少し拗ねたように言った。

 言葉が頭に入ってくると同時かそれよりも少し遅く、するりと手元から傘が落ちた。
 一拍かそこらの間ができて、慌ててそれを拾い上げようとすると、同じくそうしようとしゃがみ込んだ奈雨と手のひらが重なる。

「あ……」

 と声を上げたのは奈雨の方で、すぐにぱっと手を引っ込められる。

 そして顔を上げてから気付く。手だけじゃなく顔も近い。
 かあっと耳まで赤く染め、奈雨は俺の口元をまじまじと見て、平静を失ったようにあたふたしながらのけぞる。

 俺はその、彼女の遠ざかっていく肩を、半ば無意識につかんだ。

256 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/09(木) 15:48:09.91 ID:ZdvxIxQI0

「……あの、いや、まって」

「……」

「えっと、その……ここ外だし」

 と言いつつも奈雨は僅かにこちらに顎を突き出して、ゆっくりと目を閉じる。

「……なにしてんの」

「……」

「……奈雨?」

 混乱しているんだろう、と思った。
 俺だって混乱している。彼女といて心を乱されていないときはほぼないけれど、今は特別そう感じる。

 ──わたし、お兄ちゃんのこと好きだよ。

 ついさっき言われた言葉が頭の中で何度も反響する。
 そしてその度に心臓が波打つ。自分のものじゃないのではないかと思うくらいに。

 疑いようがないまでの好意を感じていたとしても、それを言葉にされるのとされないのとでは全く違うのだ。

 俺がそうなのだから、奈雨もきっと同じなのだと思う。
 とそう思ってしまうのは暴論か──べつに、というより無論、いまさら翻すつもりはないけど。

257 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/09(木) 15:48:57.08 ID:ZdvxIxQI0

「あのさ、奈雨」

 と、俺は彼女の名前を呼んだ。

 目を合わせて気持ちを伝えたいと思った。
 だから、彼女が目を開くまで待つことにした。

 体感では長い時間のように思えたが、おそらくかなり早く彼女は片目を窺うように開き、そしてもう片方の目を開けた。
 いつの間にか準備していたはずの言葉はどこかへ消えてなくなってしまっていた。

 言いたいことはシンプルに。
 まず言ってから、それにまた言葉を重ねればいい。

「俺は奈雨が好きだよ」

 昔からずっとそれだけを言いたくて、けれど、今の今まで言えずにいた。
 待っているつもりが、逆に待っててもらっていた。

 ……いや、お互いがお互いを待っていて、待っててもらっていると思っていた。

258 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/09(木) 15:50:03.34 ID:ZdvxIxQI0

「……"も"でしょ」

 沈黙とも呼べないような沈黙の後、奈雨はそんなことを言った。
 どこかむっとしたような声音で、けれど、殊更に嬉しそうな表情で、

「……わ、わたしもお兄ちゃんのことが好きだから」

 と続けて、耐えきれなくなったように顔を両手で覆う。

「わたしのこと、好きなんだよね?」

「うん」

「……じゃ、じゃあ好きって言って」

「好きだよ」

「う……、もっかい言って」

「もう一回?」

「……もっかい、お願い」

 指の隙間からこちらを覗きながら、奈雨はそうせがむ。

259 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/09(木) 15:50:46.29 ID:ZdvxIxQI0

「奈雨のこと、好きだよ」

「……あ、う……わ、わたしも好き!」

「うん」

「……えっと、わたし、いま幸せすぎてやばいかも」

 なんだろう。
 いままで見てきた奈雨も十分にかわいかったけど、うん。

「そうだな。……やばい、な」

 もはややばいとしか言い表せない。
 瞬間瞬間のかわいさがキャリアハイだと思えてくる(深刻な語彙力不足)。

 しばらくこの多幸感に浸っていたい気持ちもあったが、立ち上がって歩き出すことにした。
 話しているときは全く気付かなかったけれど、二人とも雨で身体がずぶ濡れになっていた。

 もう大して意味のない傘を差そうとすると、奈雨は俺の腕にがっちりと抱きついてくる。

 目で理由を問うと、寒いから、と。
 いや、と何かに気付いたように首を横に振って、好きだから、と。

260 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/09(木) 15:51:16.31 ID:ZdvxIxQI0

 その言葉を聞いてすぐに、彼女を抱きしめたい気持ちが襲ってくる。
 我慢しろよ、という心の声に、我慢する必要なんてあるのか? と答える。

「……あー、なんだ」

「……うん?」

「……」

 なんというか。
 理性とは違う別の何かが邪魔をしている気がする。

 そう、余裕がないんだ。いつもだけど。
 我慢すべきではないけど、我慢しなさすぎもよくないというか。
 ……いや、どの口が言ってるんだか。

「抱きついていい?」

 と口に出してみてから気付く。
 どうやらこれまで本気だと思わないようにしていた反動が来ているらしい。

「わざわざ訊かなくても……いいよ」

 抱きつきやすいように、彼女は掴んでいる腕を軸にして俺の前へとターンする。
 確認のためなのか再度言われた「いいよ」という声は、無駄な思考を完全に断ち切らせるほどに、甘く聞こえた。

261 : ◆9Vso2A/y6Q [saga]:2018/08/09(木) 15:53:03.24 ID:ZdvxIxQI0
思ったよりも長くなったのと、前回投下からの期間が空きすぎたのでとりあえずここまで更新します。
続き(というより終わり・エピローグ的なもの)は数日中に更新します。
262 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/08/10(金) 02:39:36.13 ID:tHMxmE0Io
待ってましたよおおおおう!!
乙!めっちゃ甘くて良い!!
263 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/08/10(金) 03:27:56.80 ID:+W5QYlCw0
なうちゃんの正ヒロイン力がやばい……
264 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/13(月) 09:38:18.68 ID:7kMbNPpN0
続きはよ、寝てない
265 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/08/18(土) 00:37:01.11 ID:2wTGXC1Jo
あれ、来てた!!
266 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:12:51.27 ID:3FrzmiYZ0

【今日、もしくは昨日】

 それからしばらくの間、じゃれあったり立ち止まったり歩き出したりを繰り返しながら家に帰り、
 ひとつの灯りもついていない家の中を通り脱衣所にタオルを取りに行き、そのままの流れでお互いシャワーを浴びることにした。

 はやめに済ませようとは思っていなかったのに、気付いたら自室に戻っていた。時計を見たら十五分とも経っていなかった。
 当然のように奈雨はまだ浴室にいるらしい。戻るときに二階の脱衣所から光が漏れていた。

 テレビを付ける。ぼーっとながめる。水を飲む。テレビを消す。本を開きかけて閉じる。

 なんとなくそわそわして、部屋の窓を開けて雨空を見上げてみる。
 今日は雨が降り出してくれて良かったな、なんて思いながら。

「もしかして夢か」

 とふと呟いてみる。

「いや、なんで夢とか言ってんだろう……」

 冗談めかして言った自分の言葉になぜか落ち込みかける。
 夢であってほしくない気持ちなのかどうか。

267 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:13:47.45 ID:3FrzmiYZ0

 なんていうか、あほだ。今の俺はだいぶあほになっている。
 俺ってこんなだっただろうか。

 でもまあ仕方のないことなのだ、多分。

 少しでも気を抜くと悶えかねないこの状況。
 ずっと好きだった女の子から"好き"と言われたのですから、多少そうなってもいいでしょう。

 ぱんぱんと自分の顔を叩いて、

「夢じゃないな、うん。夢じゃない」

 と言いながら窓を閉め、振り向く。

「……あ、えと、上がったよ」

 奈雨がドアに手を掛けて立っていた。

「……お、おう」

「うん」

「……」

「……なに?」

「あの、もしかして見てた?」

「うん」

「どこから?」

「喋り始めたあたりから」

268 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:14:30.95 ID:3FrzmiYZ0

 くすくすと奈雨は笑い、部屋の中に入ってきて、ちらっと俺を見てからベッドに腰を下ろす。
 ルームウェアに身を包み、髪はもう結ばれていて、もう寝る準備は万端ということらしい。

「飲み物、もらっていい?」

「……え、なんで」

「下降りるの面倒だし、いいでしょ」

 と奈雨は足下に置かれていた水を手に取り飲み始める。

 自然とボトルのキャップ付近やら首筋やらに目がいく。
 喉が動く様子も目に入ってくる。そう、自然と(だめだこれ)。

 やっぱり細いなあ、とか、そういうことを考える。

 ──いや、ていうか。

「飲みすぎじゃない?」

「え」

 よく見たらなくなりかけている。
 俺は一口しか飲んでなかったはずなのに。

269 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:15:06.67 ID:3FrzmiYZ0

「……じゃあ、はい」

「いや、もう全部飲んでいいけど」

「……わたしも、もういいよ。お兄ちゃん飲んでよ」

「……」 

「……」

 そのままなぜかお互い視線を飛ばしたまま固まる。

「……べ、べつにヘンなこととか考えてないし!」

 そう言って奈雨は沈黙を破り、派手に赤面する。

 自爆だ。
 見事な自爆だ。

「あーはい。そういうことにしておこう」

「そういうことってなに」

「……いやまあ、単純なことだよ」

「……」

「ヘンなこと考えてるのはお互い様ってこと」

 近付いて、手から半ば奪うようにしてペットボトルを受け取り、口をつける。

270 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:16:11.16 ID:3FrzmiYZ0

「あっ……」

 奈雨の驚いたような、戸惑ったような声を感じつつ飲み干し、机に空になったペットボトルを置く。
 そしてその流れのまま彼女の隣に腰を下ろす。

「もう寝るか」

「うん。……てか、あの」

「よし、じゃあ電気消すか。今日も一緒でいいよな」

「それは、うん。でも、えっとさ」

「リモコンリモコンっと──」

 近くに手を伸ばすと、「ねえ」と奈雨に腕ごとつかまれる。

「お兄ちゃん、さっきから顔真っ赤だよ」

「……うん。だから電気消さない?」

「消さない」

「消さないのかよ」

「うん。お兄ちゃんのこと見てたいし」

「……奈雨も赤いけど」

「知ってる。なんかすごくドキドキしてる。お兄ちゃんの顔をただ見てるだけなのに」

271 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:17:24.19 ID:3FrzmiYZ0

 言葉の通り、奈雨はまっすぐ俺を見据える。
 どうやら奈雨は仕方のないことだと割り切ってしまったらしい。

 ……いや、割り切ったというよりも、我慢しなくなった、素直になった、みたいな。
 さっきまで外にいたときのようなテンションだ。

「……わかったよ」

 頑張ろう。なくなれ俺の理性。
 違う、理性じゃない。好きな子相手に張りがちな見栄のようなもの。

 慣れないことでもしてみるべきだ、とは思う。
 でも、不用意に慣れないことをすると当然失敗はつきもの。

 攻撃してたと思ったら自分がやられてた的な。
 普通に恥ずかしいあれそれ。もう過ぎたことは諦めよう。

「で、起きてて何をするの。このまま話してる?」

 軽めの提案。

「キスしたい」

 重めの提案!

272 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:17:59.74 ID:3FrzmiYZ0

「な、なにを言ってるのかね」

「お兄ちゃんが水飲むの見てたらしたくなった」

「はあ」

「抱き合うだけじゃ物足りないし、間接でもめっちゃドキドキするし、さっきしてくれなかったし」

 あと、と奈雨は言葉を続けて、

「……ここ最近してなかったし」

 外のときと同じように、言い切った後に彼女は目を閉じる。

 考えてる余裕も暇もない。
 でも、そういえば俺からしたいって言ったことあったかな、とか考えてしまう。

 ひと思いに、彼女の方へ顔を近付ける。

 いつもならすぐに離してしまいたいと考えていたはずなのに、今はこのまま離さずにいたいとまで思ってしまう。
 数秒経ち、顔を離して目を開けると、これまでとは明らかに違うことがあった。

「えへへ……」

 奈雨の顔が今まで見たことがないほどに緩んでいる。
 というか蕩けている。締まりなんてものはひとかけらも感じ取れない。

273 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:19:02.62 ID:3FrzmiYZ0

「……そんなに嬉しいの?」

「嬉しいよ。もう我慢しなくていいからそのぶんもっと嬉しい」

「我慢って、好き同士ってわかったから?」

「ううん。それもだけど、今までは顔保つので精一杯だったから」

「だからあんなしかめっ面してたのか」

「そうだよ」

 それなら納得した。
 けれど少しだけ、いや待てよ、と思う。

「じゃあ、その、俺とのキスはどうしてしてたんだ?」

「……それ、訊く?」

 うーん、と僅かにうなり声をあげ、
 仕方ないか、とでも言うように彼女はため息をつく。

「わたしのことを妹とか親戚の子とかじゃなく、女として見てほしかったから」

「……」

「……最初のうちはね」

「……ん?」

 最初のうちは?

274 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:19:50.40 ID:3FrzmiYZ0

「お兄ちゃんの唇を見てるとね、吸い込まれそうになるっていうか、したいなってなるというか、
 もうわたしがお兄ちゃんとしたいと思ってしてた。最初の目的なんて忘れてたんだよ」

「なら、ファーストキスを返してっていうのは」

「……あ」

 奈雨はさっと視線を逸らした。

 俺がまた何かを言おうとすると、つぎはわたしから、と若干焦ったように言って口を塞がれる。
 肩に腕をまわされ、ぐいっと力をかけられて、そのままベッドに押し倒される。

 今度は数秒と呼べる長さではなかった。
 離れてから見上げた彼女の表情は、どうだ、とでも言いたげなものだった。

 ……そっちがその気なら仕方あるまい。

 元の姿勢に戻ると見せかけて、奈雨の身体をベッドに倒した。

 何も言わずにキスをして、離して、甘く香る髪を撫でる。
 腕を広げてきた彼女の背中に自分の腕を回し、ぼんとベッドになだれ込む。

「寝ながらしよっか」

「うん」

 即答。

「どんだけしたいの」

「……すごく。とっても」

275 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:20:21.27 ID:3FrzmiYZ0

「あー、えっと、キスだけでいいよな」

「……まあ、今のところはね」

「……今のところは、なの?」

「……だって、これからいくらでも時間はあるじゃん」

 なんだかものすごいことを言われている気がする。

「何か言ってよ」

 と彼女は遅れてきた恥ずかしさを抑えるように言う。

「……幸せ?」

「……へえ、疑問形なんだ。へー」

「いや、幸せだよ。大好きな奈雨にそう言ってもらえて」

「そう、大好き……。そっかそっか、えへへ……」

「……」

「……わたしも大好きだよ」

 ……その顔の緩みどうにかしろよ。俺が言えたことではないが。
 かわいいからいいか。俺しか見られないものって思うとまあ。そうじゃなくてもまあ。

 それからもう少し探るようなやり取りを交わして、雰囲気だけじゃれ合ってから、電気を消して寝ることにした。
 が、思った通り布団に入ってからも奈雨との絡みは続き、朝目が覚めたとき、いつ目を閉じていつ眠ったのかを全く覚えていなかった。

276 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:21:17.91 ID:3FrzmiYZ0

【文化祭 2ー1】

「未来くん、ちょっと眠そうじゃない?」

 と、部室に入ってすぐに東雲さんに声を掛けられる。
 軽く寝坊をしてしまっていたから、まだ開場前であるとはいえ部室には俺以外の全員が揃っていた。

「ああ、うん。なかなか寝られなくて」

 そう答えると、窓の方に立っている胡依先輩が反応を示した。

「ほらやっぱりー」

「……やっぱり、って?」

 先輩はほかの二人に目配せをする。
 ソラは笑いを抑えるように、東雲さんは少しだけ申し訳なさそうにこちらを見る。

「俺は馬に蹴られて死にたくない」とソラが言う。
「ま、遅刻しなかっただけ許してあげましょう」と胡依先輩が言う。

 それとなく察する。
 とりあえず平謝りするほかない。

「未来くんが来ない間に、準備とかいろんなの、もう済ませちゃったから」

「そうそう。今日は白石くんにいっぱい働いてもらわなきゃね」

 そういえば、かくいう先輩はちゃんと寝たのだろうか。

 部室のなかを見渡すと、当たり前だけどゲームの類は出されていない。
 だからまあ、そこらへんは東雲さんがうまくやってくれたのだろう。

「今日はまったりがんばりましょう」

 と、胡依先輩が声を上げると同じタイミングで、出展開始の校内アナウンスが鳴り響いた。

 文化祭の二日目が始まった。

277 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:22:07.37 ID:3FrzmiYZ0

【文化祭 2ー2】

「それじゃあ私は、白石くんにお願いしようかな」

 と、部誌を数冊手に持った萩花先輩が、ペンをこちらに向けて差し出してくる。

「俺ですか?」

「うん」

「……いいんですか?」

「いいよ。好きなふうに描いてくれていいからさ」

「逆にそう言われると難しいですね」

「……まあ、そうね」と萩花先輩は頷く。

 そして、二、三人の列が出来ている胡依先輩の方をちらと見る。

「なら、そうだね。……身長差カップルとか?」

「一応訊きますけど、カップルって男女ですよね?」

「え、なんで」

「わかりました」

 これ以上深くは訊くまい。

278 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:22:43.25 ID:3FrzmiYZ0

 俺が描いている間、萩花先輩はペラペラと部誌を見ていたが、その中の数ページに目を留めた。

「これ、あの子が描いたの?」

「あの子って?」

「東雲さん」

「そうですよ」

「……なるほど。なるほどね」

 と神妙そうな面持ちで頷いて、部誌の並んだ机よりも後ろでお金を整理している東雲さんのところに歩いていく。
 少し心配になって様子を窺うと、先輩は自然な笑みを浮かべて東雲さんに声を掛けた。

「ねえ、うちの部にこない?」

「はい?」

「しゅかちゃん、それはダメ」

 反応早すぎないか。

279 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:23:13.14 ID:3FrzmiYZ0

「どうして胡依ちゃんが答えるの?」

「どうしてって、私のシノちゃんをとろうだなんて……」

「いや、違くて。引き抜きとかじゃなくて、道具とかの話」

「それでもダメ」

 強い否定に「そっか」と顎に手にやり考えるような仕草を見せたものの、萩花先輩はあっさり引き下がった。

「あ、えっと、東雲さん」

「は、はい」

「いつでもいいから暇なときに美術室に来てみてよ。美術部としてでなくても、画材とかは貸せるからさ」

 そして、その言葉に驚いたように、

「……あ、はい。わかりました」

 と東雲さんは頷く。
 心なしか表情を硬くした胡依先輩と視線が合ったが、すぐに逸らされてしまった。

280 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:24:47.32 ID:3FrzmiYZ0

【文化祭 2ー3】

 最初こそ高校棟の混雑を避けるようにお客さんが入ってきていたが、時間が経つとそういう人たちはめっきり減ってしまった。
 今のところ売れ行きは問題ない。ほぼ萩花先輩と、ぞろぞろと連れられてきた美術部員のおかげではあるが。

 四人で他愛のない話をして暇を潰していると、不意に部室のドアが開く。

「こんにちは、先輩」と零華がドアの方をちらっと見ながら近付いてくる。

 ドアが閉まる前に、奈雨と伯母さんが部室に入ってきた。

「お、みーくん」

 と、伯母さんもこちらに歩いてくる。
 そしてその半歩後ろほどで、奈雨が眠たげに目をしょぼしょぼとさせている。

281 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:25:33.77 ID:3FrzmiYZ0

「どうも」

「どうも」

「三部でいいですか?」

「うん。そうね」

 ありがとうございます、と部誌を手渡すと三人はその場でそれを見始めた。
 ソラが三人分の椅子を用意してくれて、なにせ暇なので部室内のみんなで会話が始まった。

「これ、先輩が描いたんですか?」

 零華は本気で驚いているようにそう言ってきた。

「ああ、まあ……」

「けっこう好きです。てか、絵が描けるだなんてこれまた意外な特技ですね」

「特技ってほどでもないけどな」

「わたしも小学生の頃はお絵描きとかしたんですけどねー」

 と、ぽろっと零華が言うと、

「お、入部希望?」

 と胡依先輩が耳ざとく反応する。

282 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:26:07.73 ID:3FrzmiYZ0

「いえいえ。わたし全然うまく描けないと思いますし」

「んー……部活は何か入ってるの?」

「今は入ってないです」

「なるほど。じゃあ入部しようね」

「なるほど……?」

「あ、そういえばお名前は?」

「え、あ、零華です」

「そう、零華ちゃん。かわいい名前だね」

「……あ、ありがとうござい、ます?」

 若干首をかしげる零華を見て、先輩はくすくすと笑う。
 零華がたじろいでいる姿なんて初めて見たかもしれない。

283 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:26:42.43 ID:3FrzmiYZ0

「見境ないですね、胡依先輩」

「まあかわいい子だからね。声は掛けとかないと」

「はあ」

「奈雨ちゃんも入部してくれるんでしょ?」

 と横を見る先輩につられて奈雨の方を見やると、東雲さんと部誌を片手に何かを話していた。

「え、奈雨ちゃんも入るんですか?」

「そうだよね? 白石くん」

「ですね」

「じゃあわたしも入ります」と零華はあっさり意見を翻す。

「入ってくれると思ってたよ」と胡依先輩は嬉しそうに頬を緩ませる。

 いいのかこれ。
 まあ、面白そうだからいいのか?

「──あ、そういや未来って付き合ってるんだっけ?」

 いきなり向こうから質問が飛んできた。
 その主は、ソラと、にやりと笑っている伯母さん。

284 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:27:17.53 ID:3FrzmiYZ0

 ソラの声が少し大きかったから、急にみんな静かになる。
 というより俺に注目が集まる。なんとなく緊張する。

 奈雨は俺をきょとんとした目で見つめてくる。
 もう既にある程度知っている人たちだしべつに隠す意味もないしな、と、

「えっと、そんな感じ──」

 と言いかけてから気付く。

「──あれ……あ、付き合っては、ない、のか?」

 思い返せばそういう話を一切していなかった。
 好きだとは言ったけど。言われたけど。
 この先もあるみたいな言い回しをされたけど。

「すっかり忘れてた」と奈雨はうんうん頷く。

「そんな大事なこと忘れたら駄目ですよ」と零華に叱られる。

「……いや、なんつーか、昨日はそれで満足だったというか」

 と焦ったのかひとりでに感想のようなものがこぼれてくる。

285 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:27:50.56 ID:3FrzmiYZ0

「そうなのね。奈雨、よかったじゃない」

 伯母さんは特に言葉尻を捕らえてはこなかった。
 これまでの傾向からして、それよりも奈雨の反応を見て楽しもうとしたのだろうと思う。

「うん、よかった」

 だから、普通に肯定してしまうのはあまりいい反応とは呼べないだろう。

「わたしとしてはどっちでもいいってことにしとく」

 と奈雨は視線を俺に向けてくる。
 その時は少し照れが見え隠れしていたようで、伯母さんは満足げに頷く。

「先輩! ここはヘタレ脱却のチャンスですよ!」

「野次るな」

「あ、はい」

 零華を見るときに東雲さんやら胡依先輩の表情が目に入る。
 みんなそこそこ笑っていた。

286 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:28:27.18 ID:3FrzmiYZ0

 ただようおめでとうムードのようなもの。悪い気はしない。
 俺は零華に、奈雨は伯母さんに背中をぽんと押されて、お互い向き合う。

「それで、お兄ちゃんはどうしたい?」と奈雨はにこりと笑う。

 久しぶりに見た気がする。こういう小悪魔的な微笑み。
 "どうしたい?"ってそりゃ付き合いたいとは思うけど。

 とりあえず今は場所が場所だ。
 そういうことを言うとしたら、昨日みたいに二人きりがいい。

「明日って空いてるか?」

「うん」

「じゃあとりあえず、そのときに」

 と俺は会話を打ち切った。
 零華とソラは残念そうな顔をしていたけど、後で訊いてきたら答えればいいのだ。確実に訊かれるだろうし。

 それから少しだけ俺と奈雨の話をされて、もう別の話題に移ろうかというところで、
 そんななか胡依先輩は一人顎に指を当てて、何か思い出したいことがあるように「なーんかなあ」と唸っていた。

287 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:29:06.28 ID:3FrzmiYZ0

「ちょっと、白石くんと奈雨ちゃん。そこの椅子に座ってくれない?」

「なんでですか?」

「なんとなく」

 言われるままに二つ並んでいる椅子に腰掛ける。
 もっと近付いて、肩に手を置いて、という注文にも一瞬はてなとなりつつも従う。

 顔もっと近付けて、と言われてさすがに「なんですかこれ」と言おうとすると、

「……あ!」

 何かがピンときたのか先輩はぱんと手を打つ。
 そして、てくてくと部室の壁側、掃除ロッカーのある辺りまで歩いていく。

「奈雨ちゃんって、いつもはその髪型なの?」

「そうですよ」

 なーるほど、と大仰に頷いて、

「夏休み明けすぐに、ここで白石くんとキスしたりいちゃついてなかった?」

 と先輩は言った。

288 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:29:37.97 ID:3FrzmiYZ0

「え……あ、えっ?」

 一瞬で場が凍り付く。
 奈雨だけ慌てている。

「……」

 零華はなんつーか、固まっている。
 と思ったら俺に怖いぐらいの睨みを向けてくる。

「どうなの白石くん」

 こっちにも飛んでくる。

「えっと……」

 そういう覚えは……あるにはあるが、ていうか普通に覚えているが、
 めちゃくちゃ鮮明に覚えているが、ちゃんと部屋に人がいないことを確認してた気がするのだが。

「あ、ちなみに私はこのなかで寝てた」

 そう言って先輩は掃除ロッカーを開ける。

「ええ……」

「狭い場所って落ち着くからね。……で、してたの?」

289 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:30:26.41 ID:3FrzmiYZ0

「はあ……まあ、はい」

 正直に答える。
 すると、「お兄ちゃん!」と奈雨は声を荒げた。

「どうして言うの!」

「ダメだった?」

「いや……」と奈雨は俺ではなく、ちらりと伯母さんの様子を窺う。

 伯母さんは「なるほど」とこれまた合点がいったように頷いて、何かを喋り出そうとする。

「そういえば、春先にも──」と伯母さんが続きを言いかけると、奈雨は必死にそれを止めようとした。
 でも、言い始められた言葉はもう止まらなかった。

「寝てるみーくんに何回もキスしてたことがあったわね」

 奈雨は耳を塞いで、顔を真っ赤に染めながらその場で俯く。

「お、お母さん! それは言わないでって……」

290 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:30:56.90 ID:3FrzmiYZ0

「いいじゃない。どうせもうそういう間柄なんだし、みーくんだって承知のうえなんでしょ?」

「お兄ちゃんは……い、いや、お兄ちゃん。信じなくていいからね? お母さんの嘘だからね?」

「でもさっき言わないでって」

「そんなこと言ってないし!」

 昨夜の会話を思い出す。
 え、じゃあつまり……とすぐに察する。自然と頬が持ち上がる。

「……れ、れーちゃん行こ!」

 俺の方を一瞬だけ見て、首をものすごい勢いで振ってから零華の手を取る。
 そして荷物を持ってそそくさと二人で出て行ってしまう。

「あれ私言っちゃいけないこと言った?」

「……いや、むしろありがとうございます」

 そう答えると、伯母さんは「ならよかった」と笑って、奈雨のことを追いかけていった。
 残された俺は、ソラと胡依先輩からの質問責めに困り果てた。

291 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:31:37.47 ID:3FrzmiYZ0

【文化祭 2ー4】

「あー、また女の子連れてる!」

 高校棟の廊下を歩いていると、後ろからそう声を掛けられた。
 隣にいる部長さんと声の方に振り向く。すらっとした綺麗なお姉さんが立っていた。

「来てたんですね、ひかげ先輩」

「うん、暇だったから」

 どうやら部長さんの知り合いの人らしい。
 じっと見ていると、簡単な自己紹介を受ける。

 お姉さん──ひかげさんは、イラスト部の前の部長で、今は近くの大学に通っているらしい。
 部長さんとはイベントとかに一緒に参加する仲だという。大学では漫研サークルに入っている、と。

「で、胡依はまた彼女作ってんの?」

 私を見ながら、ひかげさんは言う。

292 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:32:25.25 ID:3FrzmiYZ0

「いやいや、まだこれからです」

「あの子は? なんだっけ、萩花ちゃん?」

「仲良くしてます」

「うわあ……」

 呆れたような顔をしている。

「あ、そういえば先生は?」

「ヒサシちゃんは職員室ですかね。……何か用事でも?」

「うん。まあなんというか、挨拶?」

「ああ」と部長さんは頷いた。

 ひかげさんの後ろで束ねられた髪が揺れる。
 どことなく、優しそうでもあって怖そうでもある。

「夏休みは結局帰ったの?」

「いえ」

「あの子、心配してるんじゃない」

「どうですかね」

 部長さんの表情が曇る。
 ひかげさんはまた何か言葉を続けようとする。

293 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:32:52.08 ID:3FrzmiYZ0

「あの、そういう話はちょっと……」

 と部長さんは戸惑ったように私に視線を向けてくる。

「じゃあ何か食べ物とか買ってきますね」

「ん、ありがとう」

「ここに戻ってくればいいですか?」

「うん。……んー、上で待ってて」

「わかりました」

 去り際に、ひかげさんに「ごめんね」と軽く謝られる。
 いえ、とすぐに答えて歩き出す。私がいるべき場所ではないのかもしれないから。

 部長さんは、自分のことをあまり話してくれない。
 もっと仲良くなったら、時間をかけたら、日々の悩みとか、昔のこととかを話してくれるのだろうか。

 一段一段ゆっくりと階段を昇りながら、そんなことを考えた。

294 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:33:45.93 ID:3FrzmiYZ0

【文化祭 2ー5】

「すごく暇だ」

「たしかに」

 机に乗っている残部はあと少し。
 お昼前でこれなら終了時刻からそれなりの余裕を持って売り切ることができるだろう。

「暇だ」

「同じく」

 お客さんが来なければこういう会話にしかならない。
 漫画を読んでいる姿とかも見せられないし。

「俺呼び込み行ってくるわ」とソラはパイプ椅子から立ち上がる。

 彼のことだから、そう言いつつも普通にサボってどこかへ消えるのかと思ったのだが、

「こんにちは。見てもいいですか?」

 と、五分とも経たぬ間に女の子を連れてきた。
 曰く、美術部の近くにいる人なら誘えば来そうじゃないか、と。

295 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:34:24.85 ID:3FrzmiYZ0

「どうぞ」

「……」

 女の子は熱心に目を通し始めた。

 背格好からして、おそらく中学生だろうか。
 いや、背は東雲さんや萩花先輩より少し小さいくらいだから、高校生の線もあるな。

 ざっと目を通すと、やはり胡依先輩の絵が気になったのだろう。
「これを描いた人は今はいないんですか?」と訊ねられる。

「今はいないですけど、待ってたら戻ってくると思いますよ」

「どこらへんにいるかってわかったりします?」

「それはわかんないです。でも、いるとしたら職員室とか高校棟の売店だと思いますよ」

296 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:35:04.64 ID:3FrzmiYZ0

「職員室……えっと、その人とは別の話なんですけど、森実さんっていますか?」

「森実……」

「ヒサシってそうじゃなかったか?」

 とソラが横から助け船を出してくれる。
 たしかにそんな気もする。普段ヒサシヒサシ言ってるから覚えてないんだよな。

「多分職員室にいますよ」

 学校には来ているはずだから、ヒサシのことなら「面倒くせえ……」とか言って職員室から出ないに決まってる。

「知り合いなんですか?」

 なんとなく、そう訊ねると、

「知り合いっていうか……古い知人みたいなものです」

 と女の子は言い、部誌の代金を置きぺこりとお辞儀をして部室を後にした。

「ああいう子、胡依先輩の好みど真ん中だろ」

 とソラは言ったけれど、容姿ではなく、雰囲気だったり立ち居振る舞いのイメージが、
 東雲さんではなく別の誰かに似ていると感じて、俺は何となく据わりの悪さを抱いた。

297 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:36:33.57 ID:3FrzmiYZ0

【文化祭 2ー6】

「あの、すみません。職員室ってどこにあるかわかりますか?」

 連絡もないし、鉢合わせても気まずいしで、校舎内をふらっと歩いていると、前から歩いてきた女の子にそう声を掛けられる。

 手にはイラスト部の部誌が握られていて、ちょっとだけ嬉しくなる。
 わざわざ「買ってくれてありがとうございます」なんて言うのは図々しいと思うからしないけど。

「えっと、中学のですか? それとも高校の?」

「わからないです。でも多分高校の方だと思います」

「そうですか……。落とし物を拾ったとかだったら、私が届けてきますよ」

「いえ、大丈夫です」

 にこっと微笑まれる。

 渡り廊下を歩いて、階段を降りて、高校棟の職員室へ向かう。
 室内に先生は全然いなくて、でも、女の子は目当ての先生をすぐ見つけたみたいだ。

298 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:37:04.42 ID:3FrzmiYZ0

 その先生──ヒサシ先生は、女の子の姿を視認するとかなり驚いたように目を丸くする。

「東雲、ちょっとコーヒー取ってきてくれないか」

「え、あ……二つでいいですか?」

 ここでお役御免だと思っていたから不意を突かれた。
 応接間に向かったはいいが、棚上から紙コップがなかなか取れずにいると、ヒサシ先生が取ってくれた。

 ていうか、先生も来るなら私がやらなくてもよかったんじゃないかな。
 と思ったら、先生は表からは見えないようにスマートフォンを操作していた。

 そして、ポケットにそれをしまってから、私に話を振ってくる。

「あいつ、何か言ってたか?」

「あいつ、って?」

「東雲が連れてきたやつのことだ」

「いえ、なにも言ってなかったですよ」

299 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:37:59.00 ID:3FrzmiYZ0

 ここに来る途中だって、何一つとして話をしなかった。
 私が口下手だってこともあるかもしれないけれど、それはそれとして、だと思う。

「そうか。東雲は胡依と一緒じゃなかったのか?」

「一人でした。さっきまでは二人でいたんですけど、えっと、ひかげさんと会って……」

「あいつも来てるのか……」

 そう言って、頭痛を抑えるようにこめかみに手をやる。

 なんていうか、本当に迷惑そうな感じで。
 ひかげさんにしても、あの女の子にしても、そういう印象は全く受けなかったのにな。

 コーヒーを紙コップに注ぎ、トレーの上に置く。
 慣れていると言えば慣れていることだ。ミルクはないから、スティックシュガーを何本か付けておく。

「胡依は今ひかげと一緒にいるんだよな」

「はい。……いや、でもひかげさんは職員室に行くって言ってたので、部長さんとはあとで合流するとは言ってました」

300 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:38:27.83 ID:3FrzmiYZ0

「わかった。なら、あいつと会ったら携帯を見るように言っといてくれないか」

「は、はあ……わかりました」

「なるべくすぐに頼む」

 手間賃だ、と五百円玉を手渡される。
 女の子からお礼を言われて、それから部屋の外に出ると、廊下の窓から吹き付ける冷たい風が頬を撫でた。

 きっとあそこだろうと思って、私はもう一度階段を昇った。
 もらったお金は持っていても使いづらくなるだけだろうから、飲み物を買って崩すことにした。

 私はいちごミルク。
 部長さんにはお茶を。

 最上階まで昇るとき、別に混雑をさけたわけでもないのに、誰一人とも会わなかった。
 わからなくなりそうだった。点は点のままでは線になることはない。

 鉄扉はぎい、と重い音を立てて開いた。

301 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:39:05.00 ID:3FrzmiYZ0

「あ、シノちゃん」

 やっぱり、彼女はそこにいた。

「はい」

「部室に寄ってから来たの?」

「いえ、ちょっと用事があって、……待たせましたか?」

「ううん、私も今さっき来たとこだからさ」

 座りなよ、と促される。
 建物で日陰になっているそこは、身体を縮こまらせても寒く感じる。

「ひかげさんは?」と私は訊ねた。

「まだちょっといろいろ周るって言ってたから、お別れしてきた」

「そうですか」

「……さっきは、ごめんね?」

「いや、大丈夫です」

 私の言葉に、部長さんはほっと胸をなで下ろした。

 そんなことじゃ怒らないのに。
 そういうことでは、ないんだろうけど。

302 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:40:05.85 ID:3FrzmiYZ0

「食べ物と飲み物、買ってきましたよ」

「ありがとう」

「ここで食べますか?」

「ん、そうしよっか」

 買ってきたものに手を付けながら、私はゆっくりと足を伸ばす。
 陽が少しずつ雲に隠されていく。

「そういえば、ヒサシ先生が携帯見てって言ってましたよ」

「ヒサシちゃんが?」

「はい」

「珍しいな、なんだろ」

 と上着の内ポケットから、部長さんはスマートフォンを取り出す。

 電源ボタンを長く押していたから、電源自体付けていなかったんだろう。
 私も何通か連絡したのに返信がなかったからわかってたけど。いつも見ていないのもよく知ってる。

 黙っているうちに太陽が完全に雲に覆われた。
 すぐ隣にいる部長さんの、息遣いが少し荒くなる。

303 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:40:37.56 ID:3FrzmiYZ0

 一瞬にして、彼女の顔から色が失われた。
 そして、画面から目を外して、私のことを──私の目をまっすぐ見て、顔を俯かせた。

 その一連の仕草は、どうにか平静を保とうと努めているように見えた。
 手を伸ばすと、強く撥ね除けられる。すぐに、しまった、という驚いた顔で私を見る。

 どうすればいいのかがわからなくて、もう一度彼女に向けて手を伸ばした。

 今度は抵抗されなかった。
 おそるおそる髪に触れると、こちらにもたれかかるように身体を倒してくる。

「ごめん」

「どうして謝るんですか」

「……ごめん」

 そう言って部長さんは、上半身をすべらせ、私の胸に頭を寄せてくる。
 私の顔を見たくなかったのかもしれない。それか、自分の顔を見られたくなかったのかもしれない。

 少しのあいだ、私はあやすように彼女の髪を撫で続けた。
 空を眺めていても、雲はなかなか流れていってくれない。

304 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:41:09.76 ID:3FrzmiYZ0

「……もういいよ」

 と、部長さんは私の手を止めさせる。

「大丈夫なんですか」

「……うん」

「……本当に、ですか?」

「……このままだと、けっこうよくないこと、考えそう」

「べつに、私は……」

「……じゃあ、お願い」

 それからもう少しだけ、部長さんの身体を抱いていた。

 身体を離すとき、ありがとう、と微笑まれる。
 でも、その微笑みはいつものものとはまるで違っていて、調子を取り戻したようには見えない。

 落ちつかなさと遅れてやってきた気恥ずかしさで、私は何も言えなかった。
 吹き付けていた風が止んで、だからだろうか、自分の鼓動が彼女にも聞こえてしまってるのではないかと錯覚する。

305 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:41:56.83 ID:3FrzmiYZ0

 やがて、部長さんは塔屋にもたれて、空に向かって小さく息を吐いた。

「……はあ、駄目だよね。こんなんじゃ」

「……」

「シノちゃんにだけは、こういう私、見せたくなかったな」

 嘲るようなため息は空に消えていく。
 それから、今度は深呼吸のように大きくふうと息を吐く。

「私ね、いまは調子がいいときだと思うの。……いまって言うのは、ここ最近、ってことね。
 特にこの一ヶ月は、すごく楽しかった。いままで生きてきて一番じゃないかって思えるくらいに」

「……」

「でも、そういうのって長くは続かないんだよね。私だって、絵の最後を描き上げる時はいつだって怖いよ。
 それで、いまはこの文化祭が終わってしまうのが怖い。きっと前の私なら、そんなこと思いもしなかったのにね」

「……はい」

 部長さんの言っていることは、なんとなく、わかる気がした。

306 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:43:01.78 ID:3FrzmiYZ0

「シノちゃんは、優しいよね。……優しいから、私もシノちゃんに甘えたくなる。
 だから、いまだって泣きそうになってる。拒まれなかったことを嬉しく思ってる」

「……はい」

「……ね、もうちょっとだけ、甘えてもいい?」

 そう言って、彼女は地面からスマートフォンを拾い上げ、画面を操作する。
 覗いたわけではないが、目に入る。メールの画面だった。

「ここに、"会いたくない"って、打ってくれない?」

「……いいですよ」

 受け取ったスマートフォンの画面には、差出人も宛先も表示されていなかった。
 私が操作している間、部長さんは泣き出しそうな顔を我慢するように、向こうの方を向いていた。

307 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:43:35.69 ID:3FrzmiYZ0

「出来ましたよ」

 と声を掛けると、手だけをこっちに向けてくる。
 さっきのように、今度は後ろから腕を回す。ふわりとした香りが漂う。

 自分のこれがただの優しさなのか、私にはわからない。
 でも、ちがうと思う。漠然と。

 "これは優しさではない"。

 でも──それでも、私はそれでかまわないと思った。

 私にとって、部長さんはそれくらい大切な人なんだと思う。
 嫌われたくない。力になりたい。そう思うのは自然なことだと思う。

 これがべつの何かなのかは、いつの日かわかるときが来ると思う。

 だから、それまでは、知らないでいたい。

 ……きっと、後悔すると思うから。

308 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:44:22.61 ID:3FrzmiYZ0

【文化祭 2ー7】

 クレープを三つ持った零華が教室から出てきた。

「これ、おいしいです。まじおいしいです」

 とかなんとか言いながら。実に幸せそうだ。

「そうか。一つくれ」

「はあ?」

「それ全部自分で食うのか?」

「はい。やけ食いってやつですよ」

「太るぞ」

「うるさいですね……わたし、このとおり痩せ型なんですけど」

「そういうことじゃないだろ」

「どうせ先輩のお金なんですし、いいじゃないですか」

 俺のお金だから一つくらいよこせと言っているのだろうに。
 ため息をつきかけると、食べかけを渡される。

309 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:44:54.05 ID:3FrzmiYZ0

「そっちよこせよ」

「いいじゃないですか」

「じゃあいいや」

「そう言うと思いました」

 手からクレープをひったくられる。
 そしてまたはむはむとクレープを頬張り始める。

「てか、奈雨ちゃんが連れて行かれたのって絶対アレですよね」

「アレって?」

「賞ですよ。実行委員の人だったんで、絶対そうですよ」

「ああ、そうか」

「先輩はデートを邪魔されてご不満でしょうけどー」

 零華はわざとらしくため息をつく。

310 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:45:32.69 ID:3FrzmiYZ0

「さっきの奈雨ちゃんの様子、聞きたいですか?」

「かわいかったの?」

「はい、それはもう。やばいです。やばいんですよね、顔とか」

「顔とか」

「ああいう顔もするんですね。昨日の感じもそそりましたけど、今日のもなかなか」

「どういう顔だ」

「恋する乙女系の。ほら、わたしみたいな」

「……」

 黙っていると、肩をばしばし叩かれる。
 反応に困るだろ、そういうの。

「……で、さっきのってどういう意味だったんですか?」

 と、気を取り直すみたいに訊ねられたから、これまでの経緯をぼかしつつも話した。

311 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:46:26.79 ID:3FrzmiYZ0

 零華の反応は、思ったよりも薄く、

「先輩って酔ってても絶対そういうことしないと思いますし……」

 と鼻で笑われる始末だった。

 まあ、とはいえ、本当のことは奈雨しか知らない。
 伯母さんが目撃する前に、俺からしていたかもしれない。そうじゃないかもしれない。

 今となってはどうでもいいことなのだ。
 さっきは驚いたけど、どこかのタイミングで本人に訊こうとは思うけど。

「でもわたし、もっとすごいこと知ってますよ?」

 零華は悪戯っぽく笑う。

「はあ」

「知りたくないですか? 知りたくないですか?」

「べつに」

「ふふふ、そう言われても勝手に話しちゃうんですけどね!」

 どんだけ話したいんだよ。

312 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:47:11.75 ID:3FrzmiYZ0

「実を言うと、最初からわかってたんですよ」

「何を?」

「奈雨ちゃんが、先輩のことが好きってことですよ」

「あ、そうなの」

「はい」と零華は楽しげに笑う。

「先輩に会いに行くとき、うきうきした表情で休み時間に歯を磨きに行ったりだとか、
 わたしがいくら話しかけてもうわの空で頬を緩ませながらリップを塗ってる奈雨ちゃん、すごくかわいかったので」

「……はあ、そうなのね」

 返答に困る。
 てか、いくらなんでも本気すぎはしないだろうか。

「あのう、先輩。ほっぺたゆるゆるですよ?」

「そうでもない」

「あはは、かわいー。わたしが特別につねってあげましょう」

「やめろ」

「よいではないかー、ふふっ」

313 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:47:54.96 ID:3FrzmiYZ0

 さして抵抗もせずにつねられていたが、「あ」と何かを思い出したように手を離された。

「これから部活でもよろしくです!」

 敬礼のポーズ。
 本気で入るつもりなのか。

「てかてかそういえば、めちゃくちゃ美人さんいましたよね」

「……東雲さんのこと?」

「多分そうです。めっちゃ仲良くなりたいですねー」

「……」

「あ、いやちがいますよちがいますよ。わたしの本命はいつまでも奈雨ちゃんですからね」

「聞いてねえし……」

 でも、なんとなく東雲さんと零華は仲良くなれるだろうと思った。
 胡依先輩と零華も同じく。イラスト部はもっと賑やかになるだろう。

 そのうち戻ってきた奈雨は、やけに嬉しそうな様子でこちらに駆け寄ってきた。

 わけを訊くと、やはり「一番良い賞もらえるらしいから」と。
 零華と二人で喜ぶ。奈雨は照れくさそうに身じろぎした。

 なんでも、票数が圧倒的すぎて早々に決まったらしい。
 エリ役の子と登壇するからね、とも奈雨は言っていた。

 わかった、ちゃんと見てるから、と俺が言うと、
 任せといて、と奈雨は胸に握りこぶしを当てて、得意げに笑った。

314 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:48:50.23 ID:3FrzmiYZ0

【文化祭 2ー8】

 完売したという連絡を受けた後、部室に向かう。

 部室にいたのは東雲さんと胡依先輩の二人で、俺が戻ってくるのを待ってくれていたようだった。

「もう後片付けしちゃう?」

 もう何も置かれていない机を満足そうに眺めて、胡依先輩は問いかけてくる。

「終わったらでいいんじゃないですか」

「白石くんも、終わったら残る?」

「どこかご飯とか行くなら」

「じゃあプチ打ち上げにでも行こっか。奈雨ちゃんと、れーかちゃん? も誘ってさ!」

 どこにしよっかなー、とぱんぱん手を打ちながら、先輩は隣にいる東雲さんに目を向ける。

315 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:49:28.73 ID:3FrzmiYZ0

「シノちゃん、食べたいものは?」

「あんまりないです」

「あんまり、というと?」

「甘いものが食べたい気分です」

「飴あげるよ」

「ありがとうございます」

 東雲さんは飴玉を受け取ると、それを口に含んで机に突っ伏す。
 そしたら、胡依先輩も同じようにだらんと上半身だけ机に寝そべった。

「つかれた」

「つかれました」

「うぐぐ、でもこれからヒサシちゃんに書類を出しに行かねばならんのだ……」

 ぐおー、と怨念味のこもった唸り声を上げる。
 どうしてもここから動きたくないらしい。

316 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:50:08.81 ID:3FrzmiYZ0

「俺、行ってきましょうか?」

 と提案すると、

「……私、先生に用事あるんだった」

 と東雲さんが姿勢を起こした。
 先輩は少し呆気に取られたような表情で彼女を窺う。

「入部届、ちゃんと出してきます」

「あー、でもいま?」

「はい、気が変わらないうちに。ついでに書類も出してきますよ」

「そっか」

 東雲さんが出ていってしまったから、当然のように部室に二人になる。
 身体をあげて、椅子の背もたれに身をあずけた先輩は、どこかへ向けて首を左右に揺する。

 そして、その様子を見ていた俺に向けて、ごまかすような笑みをつくる。
 内緒だよ、と言われてもいない言葉が耳に入ってくるような感覚だった。

317 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:50:57.14 ID:3FrzmiYZ0

「そういえば、よかったですね」

「うん?」

「東雲さん、ちゃんと描けるようになって」

「……あー、うんうん、そうね」

 先輩は微笑み混じりに頷いた。
 けれど、

「でもね」と次の瞬間には暗い表情を見せた。

「これからだよ、シノちゃんも……私も」

「……」

「ねえ、白石くん。約束はこのまま継続でお願いできないかな」

「約束?」

「……覚えてない?」

 いえ、と首を横に振る。
 それはちゃんと覚えている。

「……どうしてですか?」

 訊ねると、先輩はなんとなくつらそうな顔をした。

318 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:51:54.67 ID:3FrzmiYZ0

「描けないままでいた方が最終的に幸せだったかもしれない、って、ありえなくはないと思う。
 それに、時間が経って、元来た道を振り返っても、後ずさりしても、踏み出した一歩は絶対になくならない」

「そんなこと、ないと思いますよ」

「あるよ」

 珍しく、強い口調で裏返される。
 もう、どこか泣き出してしまいそうな雰囲気だった。

「なにかを想う気持ちは、たぶん幻みたいなものなんだよ」

「……幻、ですか」

 うん、と先輩は手のひらを天井に向かってかざす。
 ここが外なら、陽の光を避けようとしているような動作だ。

 でも、ここは室内で、電気もついていない。

 きっと、この言葉だって俺だけに向けられているわけではない。

319 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:52:29.34 ID:3FrzmiYZ0

「それで、好きっていう気持ちは、なかでも特別なものだと思う。
 ……だって、そうでしょ? 自分の見た──錯覚した幻を、さらに美化してるんだから」

「……」

「こんな話して、ごめんね。……私、シノちゃんの様子見てくるよ」

 そう言って部室から出ていこうとする胡依先輩を、俺は呼び止める。

「……東雲さんのこと、好きなんですよね?」

 訊いてはいけないことだと思いつつも、訊かずにはいられない。
 ふっと、つまらなさげなため息が耳をかすめる。

「好きだよ」

 でも──、と彼女が続けた言葉は小さすぎて、うまく聞き取れなかった。
 その代わりにドアの閉まる音だけが、やけに鮮明に聞こえる。

 寂しさを孕んだ、けれど、ひどく冷たい響きだった。

320 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:53:27.32 ID:3FrzmiYZ0

【文化祭 2ー9】

「失礼します」

 職員室に入ると、さっきまで疎らだった先生の数がさらに疎らになっていた。
 そんななか、ヒサシ先生は机に突っ伏している。紙コップの中身は空になっていた。

 私が声を掛けると、先生は慌てて顔を上げる。

「なんだ、東雲か」

「はい。これ、部長さんからです」

 中の書類に目を通すと、少しだけ驚いたような目で見られる。

「完売したのか?」

「はい」

「すごいじゃないか」

「ありがとうございます」

321 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:54:16.40 ID:3FrzmiYZ0

 忘れないうちに、さっき部長さんから受け取った入部届を先生に出した。
 あと一人か、と言われたから、もう二人入る予定です、と言っておいた。

 ヒサシ先生は、「へ?」とまたしても目を丸くして、それから笑った。

「東雲は、部活、どうだ?」

「……楽しいですよ」

「あいつら真面目にやってるか?」

「はい」

「そうか。まあ、そうだろうな。白石も胡依も、真面目なときは真面目なやつだろうしな、伊原は知らんけど」

「ソラくんは、おもしろいです」

「あいついつになったら課題出してくれるんだろうなあ」

 あからさまなため息に思わず笑みがこぼれる。

 それから少し会話をしているうちに、未来くんと、ソラくんの部活での様子を訊かれた。
 一応担任だから、と。授業でも思っていたけど、先生も適当なようでマメな人だ。

「胡依は──」と言いかけて、先生は言葉を選ぶように、言いとどまる。

322 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:55:20.80 ID:3FrzmiYZ0

「ちゃんと部長やれてるか?」

「はい。今回の部誌作成も、かなり引っ張ってくれました」

「そうか」

「……本当ですよ?」

「……いや、あいつのこと、それなりに信頼してはいるからな」

「そうですか」

 じゃあどうして、さっきまでのように嬉しそうにしていないんだろう。

 と、そう思っていると、ヒサシ先生は「ただ……」と視線を書類に向けながら口を開いた。

「ただ、あいつのこと、あんまり頼りすぎるなよ?」

「……え?」

「あいつは、周りが思うほど強い人間じゃない」

「……」

323 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:55:51.22 ID:3FrzmiYZ0

 そんな言葉が飛んでくるとは思っていなかったから、思わず声を失う。
 先生は私の顔を見て、何かを思ったようだった。

 書類と入部届を手に、先生は席を立つ。

 不意に、ドアの開く音が聞こえた。
 振り向くと、部長さんが立っていた。

「なに話してたの?」

「いや、なにも」

「ふうん」

「胡依が昔はかわいかったって話をしてたんだよ」

 戻ってきた先生が、部長さんをからかうように言った。

「……ちょ、ヒサシちゃん! 余計なこと言わないで!」

「今じゃこんなに生意気になって、昔のかわいかった頃が懐かしいよ」

「ヒサシちゃんのばか!」

 ははは、と先生は笑う。
 昔って、どれほど昔なのだろうか。中学生? それとももっと前?

324 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:56:23.22 ID:3FrzmiYZ0

「ていうか結婚なあなあにしてるヒサシちゃんにそんなこと言われる筋合いないし」

「おい、胡依……」

 先生は急に狼狽えた。

「早く結婚すれば良いんだ、ばーか!」

「……今日言われたばっかなんだが」

「ばーかばーか」

「うっせ」

 何が何だかわからない。
 先生と、その彼女さん? の話だろうか。

 お互い言い合い(というよりヒサシ先生のことを部長さんがいじっていた)が続いて、しばらく見ていると、どちらも疲れたらしく自然と会話が止んだ。
 お先します、と言って外に出ようとすると、どちらからも「今のことは黙ってて」と言われる。

 仲良いんだな、と思う。

 これも、私の知らない部長さんの姿だ。

325 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:57:13.36 ID:3FrzmiYZ0

【文化祭 2ー10】

 閉会式は特に盛り上がりもないまま、つつがなくとり行われた。

 周りを見渡しても、ほぼ全員が疲れ切ったような表情をしている。
 やりきった感よりも、それが先に出てしまっている気すらする。俺もそうかもしれない。

 実行委員の話も、誰だよ、と野次を飛ばされる教頭の話もしんとした空気ではあったが、賞の発表になると一変した。

 まずは、部門別の発表。
 4ーEはアトラクション部門の二位で名前が呼ばれた。
 部門二位には副賞がなかったから、ちょっとだけクラスメイトは残念そうにしていた。

 ステージ部門では、奈雨のクラスが一位だった。
 奈雨とエリ役の子が登壇すると、列の一部が沸いた。零華のきゃーきゃーした声も聞こえた。

 そして、奨励賞、特別賞、審査委員賞、優秀賞、と進み、奈雨のクラスは最優秀賞でまた名前が呼ばれた。

 エリ役の子は泣いていた。奈雨はちょっと恥ずかしそうに笑っていた。

326 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:57:50.75 ID:3FrzmiYZ0

 挨拶やら総評を終え、閉祭宣言が出された後、部室に戻ってぐだぐだと片付けを始めた。

 ソラは水泳部の助っ人としてプールで泳いでいたようだった。
 俺の夏はまだ終わってねえ、と言っていたが、普通に寒そうにしていた。

 打ち上げには、部員四人と、奈雨と零華が参加して、ヒサシに車を出してもらい焼肉を食べに行った。
 人の金で食べる焼肉は美味い、と胡依先輩が言っていた。

 帰り道は、零華と奈雨、東雲さんと胡依先輩、俺とソラの三つにわかれて帰った。
 ぐだぐだ話をしながら家に帰って、眠くならないうちに、奈雨と明日どこに行くかを決めることにした。

「どこに行きたい?」

 と俺が送ると、

「うち、来てよ」

 と返信が来る。
 そして、返信を考える間に、続けて、

「お母さんとお父さんが、連れてこいってうるさい」

 俺は少しどころじゃなく緊張した。

327 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:58:25.80 ID:3FrzmiYZ0

【春にはまだ早すぎる】

「コンペしよう! コンペ!」

 部員が二人増え、だらだらと数週間過ごしていると、胡依先輩はいきなりそう宣言した。

「私はもっとみんなの描いた絵が見たいわけですよ」

「そういう胡依先輩が一番だらけてると思うんですけど……」

「うぐ」と先輩は唸る。

「まあ、でもいいですよ。何か締切りがあった方がやりやすいと思いますし」

「みんなは?」

「問題ないっす」とソラが、
「いいですよ」と東雲さんが言った。

「じゃあ、わたしも」「わたしも」と零華と奈雨がそれに続く。

 二人とも(特に零華は)、短期間で東雲さんになついていた。
 お姉さんオーラがいいらしい。あと、単純にかわいいらしい(零華談)。

328 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:58:55.66 ID:3FrzmiYZ0

「今回は初めてだし、テーマを決めてやろっか」

「そうしますか」

「何かこれやりたいーって案とかある?」

 その言葉に、みんなで顔を見合わせて、首を左右に振る。

「じゃあ、私が決めるね。えっと、ええっと……」

 先輩は視線を、東雲さんの方へ向ける。

「そうだ。テーマは"春"にしよっか」

「春ですか?」と東雲さんは小首をかしげる。

「ん、いい季節だよね」

「まあ、嫌いではないです」

「私も、嫌いではないよ」

 俺はそこで"春に三日の晴れなし"という諺を思い出した。
 たしか晴天も、雨も、長くは続かないというたとえだったはずだ。

 "一葉落ちて天下の秋を知る"。

 春にはまだ早すぎる。

329 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 03:59:46.82 ID:3FrzmiYZ0

【雨の後は上天気】

 部活を終えて、二人で校舎の中を歩いて学校の外に出た。

「今日、いいよね?」

「うん」

 今日は金曜日で、だから、奈雨は俺の家に泊まっていくらしい。
 明日ちょっと遠くに遊びにいくついでというのもあるけど、奈雨は何かと家に泊まりたがるようになっていた。

 理由を訊くと、俺の部屋で寝るのが好きだから、と返された。
 本当に、うちに来るとすぐに寝ている。猫みたいに無意識に身体をくっつけられるから、少しだけ困る。

「ただいま」

 と俺が言うと、奈雨も同じ言葉を言いかけて、何かに気付いたように素早く靴を脱ぐ。
 そして、玄関に上がって、こちらを振り向いた。

330 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 04:00:19.67 ID:3FrzmiYZ0

「おかえり」

「……」

「……の、ちゅーでもしようよ」

「なんで?」

「え、だめ?」

「だめじゃないけど」

 ちゃんと付き合うようになってからというもの、かなり唇を貪られている気がする。
 さすがに自制くらいはしようと回数を指定すると、"ちゅー"は"キス"ではないからノーカンという謎理屈で通された。

 それに、親公認だよ、実質許嫁だよ、と事あるごとに言ってくる。
 だったら全て許されるというわけではなかろうに。俺が困っている様子すらも楽しまれているのかもしれない。

 などと考えていると、奈雨がそろりと顔を近付けてきた。

 口の前に手を出してガード。えへへばれたか、というような表情をされる。
 ……まあ仕方ないか、と結局本心に従って目を瞑ろうとする。

 と、その瞬間、ガチャリという音が前から聞こえてくる。

331 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 04:00:46.63 ID:3FrzmiYZ0

「おかえりー、って、なにやってんの?」

「……あ、佑希」

「おお、またいちゃついてたの……」

「いちゃついてはない」

「はいはい。夕飯の買い物行ってくるから、色惚け二人はそこどいて」

 しっしっ、と手で払われる。
 俺はすぐにどいたが、奈雨は頑としてどかない。

「なに? 一緒に買い物行きたいの?」

「うん、行こ」

「お、おー……」

「お兄ちゃんにおかえりって言ってもらいたくなった」

「……ばかだ。おにい、ばかだよこの子」

「佑希には言われたくないなあ」

「だから、お姉ちゃんって呼んでよ」

「佑希は佑希でしょ。ほら行こ、お兄ちゃんバッグお願い」

 この二人もなんだかんだで仲良くなってきたのだろうか。
 今の様子を見ても、たまに話ぐらいはするようになったらしい。

 それを、俺はかなり嬉しく思っていた。

332 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 04:01:41.95 ID:3FrzmiYZ0

【追われてます!】

 風呂を済ませた後、何か甘いものでも食べようと二人で近くのコンビニに向かった。

 買ったものをコンビニの外のベンチで食べてから、ちょっとの間あたりを散歩することにした。
 住宅街を抜けて、河川敷を歩いて、ビル街に出たところで折り返す。

 その帰り道、家が近付いてくると、

「あ、そういえば」

 と奈雨は急に足を止める。

 振り返ると、彼女は夜空を見上げていた。

「どうした?」

333 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 04:02:29.09 ID:3FrzmiYZ0

 言いたいことがあるの、と言われたので、頷きを返す。
 奈雨は深い呼吸を何度もして、息を整えてから言い始めた。

「わたしね、やっと追いつけたかな、って思うんだ」

「……」

「もっと強くなって、いつかお兄ちゃんの隣に立てるような女の子になるんだって、ずっと考えてた」

「……うん」

「また差を付けられても、すぐに追いつくから。……隣で、手を握って、つかまえてるから」

 先ほどできた一歩分の距離を詰め、奈雨は俺の手を掴む。

334 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 04:03:08.31 ID:3FrzmiYZ0

「だから、今はスタートラインなのかな」

「うん」

「こうして並んで歩けてることが、すごくうれしいの。ずっと、ずっと前から夢見てたことだったから」

 だからね、と。

「……お兄ちゃん、もう一歩近付いてもいい?」

 数秒の沈黙のあと、返事の代わりに抱き寄せる。
 すると彼女は、俺の腕の中で、幸せそうに笑う。

 その笑みは、ほかのなによりも綺麗で、愛おしいものだった。

335 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/08/19(日) 04:03:42.88 ID:3FrzmiYZ0
おわり
336 : ◆9Vso2A/y6Q [saga]:2018/08/19(日) 04:12:37.17 ID:3FrzmiYZ0
女の子達周りについてはまたいつか書きたいと思います。今度はもっと落ち着いたのを書きます。
次回作についてはTwitter(@2_ra_ra3)やらブログ(http://blog.livedoor.jp/vso2a/)で言うと思うので、よろしくお願いします。質問とかもあれば投げてくれてかまいません。
ここまで読んでくださった方々、ありがとうございました。
337 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/08/19(日) 07:13:38.07 ID:DdCUiINM0
おつです
338 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/08/20(月) 02:38:28.34 ID:K9RGiGhl0
おつかれさまでした…!
部長も奈雨ちゃんも東雲さんも零華ちゃんもかわいかったです。
次回作も期待してます。
339 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/08/20(月) 10:42:50.53 ID:6LTrI4PxO
おつ
1年間ずっと楽しみにしてました
みんな可愛かったしすごく良かったと思う
340 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/09/03(月) 09:23:53.63 ID:/LF3CAAKO
七罰さんのまとめから追っかけて来て楽しく読ませて頂きました
部長関連に期待します!
341 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/10/16(火) 17:21:38.88 ID:tmV6hHZsO
おぉ、速報生き返ったのな
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