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1 :
◆9Vso2A/y6Q
[saga]:2018/02/08(木) 14:38:54.89 ID:NWn4bXkJ0
https://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1503749258/
↑の続き
SSWiki :
http://ss.vip2ch.com/jmp/1518068334
2 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/02/08(木) 14:39:57.45 ID:NWn4bXkJ0
【届けたい何か】
「それでさ」と部長さんは本題に入ろうと話を切り替える。
「これだけってわけではないんでしょ?」
両手に掴まれていたノートはすでにダイニングテーブルの上に置かれていた。
そして、目を移した先にある彼女の視線は私をまっすぐとらえて離さない。
「文の良し悪しについては、私が畑違いなこともあってあんまり分からないし、さっきみたいに率直な感想しか言えないんだけど……」
少しばかりの間をとり、吐息混じりに軽く頷いて、
「これはわかるな」
と言う。目からはかなりの自信が窺えて、最初から話そうとは思っていたけれど、それを加味してもちょっとだけ話しやすくなったように思えた。
「わかるって、何をですか?」
だから、彼女の誘導に従って、そう訊き返す。
すると彼女はその言葉を待っていたように、ふふんと鼻を鳴らしてから、もう一度ノートに目を戻した。
3 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/02/08(木) 14:40:50.22 ID:NWn4bXkJ0
「私も何かでストーリーを考える時によくやるの。
まず最初に頭の中でイメージを膨らませて、それからそれを絵にしたり、文字に起こしたり、
一次創作は勿論そうだし、原作のある二次創作ならなおさらね」
「……そういうふうに見えますか?」
「うん、とても」
見ただけで、と素直に感心してぱちぱちと数回手を打った。
お姉さんぶったような笑みを向けられて、何が何でも見透かされすぎている、と少しだけムッとしたけれど、こうして言い当てられているわけで……。
「その通りです」
と答えるほかない。私ってそんなにわかりやすいのだろうか。
「じゃあつまり、この文に絵をつける……いや、この文のもとになった絵を描きたいってことで間違いない? よね?」
「……はい」
「そっかそっか、なるほどねー」
文はあくまでも、絵が描けないと思ったから代用的に使っただけで、それだけでは不完全だ。
絵をつけて、書くにあたって排した情報を補って、それでようやく完成したと呼べる。
文から絵ではなく、絵から文を、であるから、完成するために文があることは必要条件ではあるものの十分条件にはなり得ない。
4 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/02/08(木) 14:41:27.60 ID:NWn4bXkJ0
「いわゆる、イラストノベル? みたいな形にできたらなって思うんです。
それだったら、文を書き終えさえすれば、普通の短編にはなりますから」
"私"ではなく"締切"という面での完成に焦点を当てた場合の保険を口にする。
それが私の本心でないことは、どうせ彼女には見透かされているだろう。
「ん、わかった。そういうことなら、間に合うようにちゃんと決めないとね」
「あの……それは一応おおまかには考えてました」
見切り発車ではなく以前から考えていたことだと伝えたくて、私は口を開く。
まず、十一編全てに絵をつけるのは時間的にも部誌のレイアウト的にもやめておくのが賢明だろうから、二ページに一枚。偶数でぺージを切り上げるのが良いだろうから、プラス一枚の計六枚。
そして、デジタル絵は描けないわけではないけど、慣れとスピードを考慮して手書きにすること。塗りにはコピックを使うこと(塗り心地や色の混合をする際に水彩と近いはずだから)。
スキャナーにかけた後の補正(ゴミ取り、色味の差異修正)については、その経験がないのもあってあまり上手くできる自信がないから、できるだけ自分でやろうとは思うけれど最初のうちだけ手伝って欲しいということ。
「……と、これくらいです」
話し終えると、彼女はふむと頷いた。
5 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/02/08(木) 14:42:05.78 ID:NWn4bXkJ0
「一枚にかける時間は?」
「えっと、三から四のつもりです」
「それは、どういう見積もり?」
本当にできるの? と問うかのような難しい顔をされる。
一瞬息の詰まる感覚を覚えたが、それでもここで黙ってはいけないと、何とか言葉を捻り出す。
「集中しているときは、昔はそれぐらいで描けていたので、描き込みにこだわりすぎないなら、それぐらいでできるのかなって」
今は、とは言いたくなかった。
腕とかそういうことを言い出すなら、能力全般落ちていることは自明で、昔通りに描けるはずがない。
思い入れとともに完成するまでの時間が伸びていたことも、本来私が遅筆なことも、すぐに描き直したいと思ってしまうだろうことも、自分の弱いところは全てわかっていて、それでも、
「……頑張ります。頑張りたいです」
これは気持ちの問題のはずだから。私次第でどうにでもなるはずだから。
そこに不安や迷いが生じたとしても、描けないことに比べればはるかにマシで、きっと受け入れられるから。
いつからか苛まれていた、どこまでも沈んでいく感覚を断ち切るために、数秒前に考えたことをすぐさま否定する。
「描けると思うんです。今の私は……欲しかった理由を、あなたにもらえたから」
ただ描くことが好きだから、と胸を張って言えるように、
理由がなくても描けるようになるための、仮置きの理由。
6 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/02/08(木) 14:42:46.93 ID:NWn4bXkJ0
そんなのおためごかしではないかと問われれば、たしかにそうなのかもしれない。
でも、私は届けたい。私の精一杯を、側で見ていてくれる彼女に届けたい。
「うん」
と彼女は満足げに頷く。発した言葉に悩む余裕を与えてくれないまでの早さで。
「ね、シノちゃん。私からも一つだけお願いしていいかな」
「……はい」
「私がシノちゃんを見てる間は、シノちゃんも、私のことを見ててほしいの」
「……」
何も考えずにそのまま受け取っていいはずなのに、そこに他意はないはずなのに、私は彼女の様子に若干の据わりの悪さを感じた。
いつも通りの、明るい声音。
包み込むような、柔らかな笑み。
癖なのだろうか、言葉を切ると同時にくいっと手を引かれる。
一見すると何も変わらないように思えて、けれど唯一いつもと違っていたのは、私と目線が合っていないこと。
7 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/02/08(木) 14:43:32.78 ID:NWn4bXkJ0
彼女は私を見下ろしていて、私は彼女を見上げている。
背伸びしなくてもいいように屈んでくれている状態が、いつのまにか普通になっていたことに気がついた。
「それって」と言いながら、私は椅子にもたれていた背中を外して、彼女の手を引っ張る。
予期していなかった行動だったのか──私自身も無意識のものだったけれど──彼女の身体は存外簡単に、てこのようにこちらへと近付く。
「べつに、今と変わらないですよね?」
肩の位置を合わせてそう発すると、部長さんはじっと私を見つめて、先に窓の方へと目を逸らした。
「うん。……よろしく」
頬をぽっと朱に染めて、ごにょごにょと小さい声で紡ぐ言葉に、私まで少し気恥ずかしくなる。
彼女がたまに見せる素の反応は、とても少女的で、かわいらしくて、
口元が自然に緩むと同時に、自分の心のなかの一部が、静かに揺らめいたように思えた。
8 :
◆9Vso2A/y6Q
[saga]:2018/02/08(木) 14:44:36.67 ID:NWn4bXkJ0
少ないですが今回の投下は以上です。
完結までもう少しだけお付き合いください。
9 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/02/08(木) 15:35:03.24 ID:mFWRRkej0
乙!
今更だけど、前スレの最後こっちに誘導すれば良かったんじゃ
10 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/02/09(金) 11:52:46.41 ID:mUKsCTUnO
新スレ乙!
11 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/02/17(土) 18:02:01.21 ID:rPbMqZ0L0
【変化】
もうすぐ十九時を回ろうかという頃になると、部室には全員が揃っていた。
すぐ左には誰も座っていないパイプ椅子。そこから二人分くらい空けてソラ。
背中側には女の子三人がソファに腰掛けていて、ここ数日と同じなら二手に分かれているはずだ。
そして、そのうちソファの最大辺に、ほぼ密着しながら座って絵を描いているであろう二人が戻ってきたのは、今から数時間前の、日が沈もうかという時のことで、
今ここにはいない優しい優しい先輩に絶えなく見えない日本刀を眼前で振り回すように容赦なくビシバシと文句……絵の指導を受けている間、ずっと気がかりだったことは、どうやら俺の杞憂に終わったようだった。
まあ、直接何かを訊いたわけでもないし、彼女達から特に何かを言われたわけでもない。
可能性から照らしてみると、ひょっとしたら、胡依先輩はそれを回避したかもしれないし、もう少しちゃんと考えてから実行に移そうと、俺への『確認』はそういう含意があったのかもしれない。
けれど、帰ってきてからの東雲さんの様子を鑑みれば、それはうまくいったんだろう、と確信できる。
12 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/02/17(土) 18:02:55.97 ID:rPbMqZ0L0
彼女は絵を描いていた。
あんなに、描けないと言っていたはずの。
すらすらと、脇目も振らずに、ただまっすぐ目の前の紙に鉛筆を滑らせるその姿からは、以前彼女が語っていた"恐怖"は一切見受けられなかった。
どんな魔法を使ったんだ、と胡依先輩を振り仰ぐと、彼女はふふんと胸を張って親指を突き立てた。
こちらからは何を描いているのかは窺い知れなくて、けれど、東雲さんが描いているものなら、きっといいものなのだろう。
時折手が止まると、先輩が落ち着いた声音で「大丈夫?」と声を掛け、それに対して東雲さんは「大丈夫です、ありがとうございます」と柔らかな微笑みを返す。
こういう会話を四、五回していた。
もはやこの時点で驚きはかなり大きいものだったが、それでもまだ、ほっとした気持ちの方が強かったように思える。
あまりの衝撃でメーターが振り切れてしまったのは、さて自分の作業に戻ろう、と身体の向きを直そうとした時だった。
13 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/02/17(土) 18:04:11.08 ID:rPbMqZ0L0
「これ食べる?」と。
「あ、いただきます」と。
「はい、あーん」と。
「んっ……」と。
僅か十秒にも満たない語らい。
なんてことのない、今までに何度か見たことがあるようなやり取り。
普段と違っていたのは、東雲さんの対応。
抵抗しなかった。ほぼ。ツンとした態度は鳴りを潜め、チャームポイントとまで呼べてしまうような、あの射竦めさせる鋭い視線ではなく、
あくまで「まったく……仕方ないですね」とでも言いたげな、照れの入り混じった視線を彼女は先輩に向けた。
俺は、え? と一瞬固まり、遅れておお、となる。単純に。
ソラも同じようにちらりと彼女達を見てから、こちらに生温かい目を向けてくる。やっぱり単純。
そしてただ一人萩花先輩は、口をぽかんと開けてその場にフリーズした。
と思ったら数秒後に俺を外に連れ出して、スカートの端を摘みながらぷんすか地団駄を踏みだした。
「なんか、……なんかっ!」
「……」
14 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/02/17(土) 18:05:28.65 ID:rPbMqZ0L0
いや、あれは甘すぎる。キャンディーよりもチョコレートよりも、
メイプルシロップとホイップクリームがこれでもかというくらい乗ったパンケーキよりも、だだ甘い。
目の前の先輩のことなんて気にならずに(おもしろいとは思ったけれど)、先ほどの光景を反芻していると、ネクタイをぐいっと掴まれる。
「……なんか言ってよ」
目がうるうるしていた。
「どんまいです」
「ううっ……」
「まあ、……どんまいです」
他にどう言えばいいんだ。
「……でも、でもね」
「……はい?」
一呼吸おいて、
「……わ、私も素直になりたい」
「……」
掴んでいた手を離される。
「私も胡依ちゃんにあーんしてもらうのっ!」
15 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/02/17(土) 18:06:26.01 ID:rPbMqZ0L0
そう宣言するように叫んで、萩花先輩はつかつかがらっと扉を開け、迷わず隣へ座り肩を寄せた。
「それ、私も食べたい」
「ん、これ?」
「うん」
はいどうぞ、と胡依先輩は手のひらにお菓子を置いて渡す。
「ね、ねぇ……」
「あー、食べさせてほしいの?」
「ち、ちがっ……わなくて、……うん」
すると、胡依先輩はにこにこ顔で萩花先輩の口へお菓子を運んだ後に、飼い猫をかわいがるように頭を撫で始めた。
どういう因果か、ワンチャン計画が計らずも達成された瞬間だった。
数分間撫でていると、萩花先輩はだんだんと脱力していき、なぜかぶるぶると身を震わせたりもしていたのだが、
そのうち恥ずかしくなったのか何なのか、耳の先まで真っ赤にして荷物を抱えて部室から出ていった。
「なにあれ、どうしたの?」ときょとんとした顔で俺に訊ねる胡依先輩に、
「……さあ?」とこっちが訊きたいという意味を込めて返答した。
ちょろい。ちょろすぎる。……いろいろと不憫だけど。
てか胡依先輩絶対分かっててやっただろ。悪どい。
16 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/02/17(土) 18:07:08.82 ID:rPbMqZ0L0
気付けば甘い空気は消えていた。砂糖菓子の匂いは残っていたけれど、空気という面で考えれば、そこで何かしらの行動を東雲さんが取れば甘さは持続したのに。残念。
彼女は先輩二人のことなんて気にも留めずに、イヤフォンをかけて音楽を聴いていた。
まあそれもそうか、とまた自分の作業に戻ろうとしたが、今度は反対側からのノックの音で遮られた。
はーい、と胡依先輩が扉の先へ返事をすると、今はソファの小辺にお行儀よく座っているであろうもう一人の女の子が顔を出した。
「こんにちは」
中央にいる先輩に向かって挨拶をしてから、入り口に程近い俺に会釈。
「もー、奈雨ちゃん。そんなにかしこまらなくても、ただいまくらいの感じでいいんだよ」
と言い迎える先輩に、
「わかりました。次からはそうします」
と割合明るめの表情で頷き、そのまま空いている場所に移動し腰を下ろす。
17 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/02/17(土) 18:07:44.07 ID:rPbMqZ0L0
場の空気に溶け込んではいるから、まったくもって慣れていないわけではないんだろうけど、
ここにいるのはみんな年上だし、一人を除いて黙々と作業をしているから、声をかけづらいことは間違いない。
俺もここに来てからは寝る前と朝起きてからの挨拶くらいで、ほとんど会話らしい会話を交わせていない。
今は何をしているんだろう、と向き直ると、彼女もまた文庫本を片手にこちらを見ていた。
目線でどうしたのかと訊ねると、奈雨は「お」と口を開けて手をひらひら振る。
それからきょろきょろ辺りを見回して、すーっと部室の扉を指差す。
どうやら外に出たいらしい。
「どっか行くか?」
「うん。ちょっとお腹すいた」
「ファミレス?」
「えっと、軽くでいいかな」
「じゃあコンビニでいいか」
「ん、わかった」
短いやり取り。それでも周りが静かだったから目を引く。
じとっとした目。生温かい目。戸惑ったような目。なぜか気まずい。
18 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/02/17(土) 18:08:26.07 ID:rPbMqZ0L0
「お金渡すから私の分もよろしく」と胡依先輩が手をあげて言えば、
「私のも、ちょっと手が離せないからお願いできるかな」と東雲さんがそれに続く。
二人がそうなら、みんなの分を買ってくるのが正解かと頭の向きを変える。
その視線の先、ソラはニヒルな笑みを浮かべたかと思えば、大きめの手提げ紙袋をガサゴソといじりだした。
「鍋したい」
そう言って取り出したのは黒い土鍋。
ご丁寧に、菜箸やらおたまやらも後から出てきた。
「お泊まりといえば鍋だろ」
「そうか?」
訊き返すと彼はあからさまにむっとする。
女子達を見やると、東雲さんは頷きを返すのみだったものの、胡依先輩は目をキラキラさせていた。奈雨は言わずもがな、どっちでもいいよ、という顔。
「そんで、材料買ってこいと?」
「おう」
「まあいいけど」
コンビニの食材では心許ないから、スーパーまで行くのが賢明か。
19 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/02/17(土) 18:08:59.52 ID:rPbMqZ0L0
「おまえは?」
五人分ともなると、結構な荷物になるだろう。
それほど距離はないから二人でも問題ないが、部員以外の(関係ないかもしれないけれど)奈雨に重いものを持たせるのはあまり気が進まない。
つーかソラは優しい先輩が帰ってからずっとノーパソでネットサーフィンをしているし、作業もほぼ終わりに差し掛かっているだろうから、暇を持て余しているに違いないんだよなあ……。
などと、抗議の意味も込めての問いかけに、けれど彼はちらりと横へ視線を移してから、大仰な身振りで両の親指を突き立てる。
「どうぞお気になさらず、お二人で仲良くおてて繋いで行ってきなさいな」
「あっはい」
余計な気を回されてしまっているらしい。反射的に頷いてしまった。
どうせ面倒なのも理由のうちなんだろと考えつつも、「俺ぐらいになると行間を読むなんて容易いことだよなー」と彼が会心とでも言うべき誇り顔をしたがために、強いて頼むことも馬鹿らしくなった。
20 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/02/17(土) 18:09:46.34 ID:rPbMqZ0L0
奈雨は既に上着を羽織っていて、もう外へ行く準備は万端らしい。
続いて立ち上がったところで、目の前に何かが差し出された。
「これでよろしく!」
「なんすかこれ」
「なにって、ゆきち」
受け取る。普通に一万円札。
「またの名を、まんさつ」
「いや、わかりますけど……えっ、これで買ってこいってことですか?」
先輩は、自分を指差し、俺を指差し、
「私、部長。君たち、後輩。パーティー、奢る。おーけい?」
まじすか! とソラが手を合わせて頭を下げ、東雲さんは何かに納得したように顎に手をやってふむと頷く。
そういえば、先輩は前にちょっとした小金持ちだと自称していた。まあ、そうでなくたってわざわざ固辞する理由もない。
「あんまり寄り道しちゃダメだよ」
「そうだぞー未来。まっすぐ行ってまっすぐ帰ってこいよ」
何を言いたいんだか。放浪癖がありそうなのは言ってる二人だろうに……。
空笑いで受け流して、ありがたく一万円札を頂戴してから、部室の外に出た。
21 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/02/17(土) 18:10:16.58 ID:rPbMqZ0L0
【食紛争】
鍋たって材料は決まっているようなものだしさっさと済ませよう、と考えてはいたのだが、スーパーを出て時刻を確認すると二十時をとっくに過ぎてしまっていた。
まあ、俺と奈雨は何も悪くない。まっすぐここまで来てまっすぐ帰ろうとしている。
悪いのは忠告をしてきたはずの二人。
ここに到着したまではよかったんだ。
一般家庭の買い物のピークはとうに過ぎている店内で、ほどほどに安くなった野菜と肉を適当に見繕っていたところで、スマホが振動した。
『大きい飲み物何本かよろしく』
と、胡依先輩がイラスト部のグループラインに。
ほとんど買いたいものはカゴに入れていたから、ナイスタイミング、とかそういうことを考えた。ちょうど連絡を入れようと思っていたんだ。
スープを何にするか、つまり何鍋にするかについて意見を仰ぎたかった。
『わかりました。そんで、何味にしますか?』
これが間違いだった。俺と奈雨の会話の中では、オーソドックスに水炊きが食べたいなという話になっていた。
だからわざわざ訊かずして、何食わぬ顔で買って帰るべきだった。
『トマトチーズ鍋』とソラ。
『もつ鍋』と胡依先輩。
『何でもいいです。』と東雲さん。
意見が割れた。東雲さんはどうでもよさそう。そんな感じがする。
『それかキムチ鍋』と追撃。
『豆乳も捨てがたい』とこちらも。
数分の沈黙の後、
『いま、少し揉めてる。』と。
これが紛争……食の好みの違いを舐めていた。
それから四十分近く、俺たち二人は待ちぼうけを食わされてしまった。
幼稚園児のじゃれあいみたいだったと、東雲さんが後から教えてくれた。
22 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/02/17(土) 18:12:08.50 ID:rPbMqZ0L0
【確認】
行き道はそうではなかったが、帰り道では荷物を持っていない方の手を繋ぐことにした。
部室を出てからずっとそうしてほしそうな顔をしていたことや、先に指を触れさせてきたのは奈雨からだったこともあったけれど、手を取ったのは俺からだった。
広い歩道を並んで歩く。この時間帯になると、行き交う人の中に学生らしき姿は窺えない。
月明かりに照らされた彼女の頬は僅かに上気していて、目を合わすとぱあっと笑顔を向けられる。
正直に言えば、ソラのお節介──気遣いはありがたいものだった。
もっと言えば、彼と胡依先輩の返信を待っていた時間も、全てが無駄というわけではなかった。
というのも、二人で他愛のないことを話す時間を取れて、よそよそしくも感じられた距離感を平常のものにまで戻せたから。
ただ、あのときのことを思い返すと、部屋で二人きりになる以前の佑希との諍いについてもセットで考えてしまう。
23 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/02/17(土) 18:13:07.26 ID:rPbMqZ0L0
佑希に対して何らかのアクションを起こすのなら、奈雨にもそれを告げるのが筋だろうと思う。
けれど、どう言ったものかな、とも思う。
部室に寝泊まりすることについて、奈雨本人が「いいよ」と了承してはくれたが、さすがにこれ以上続けるわけにもいかない。
ちゃんとした布団で寝ないと疲れは取れないし、文化祭の練習が毎日あるのならなおのことだ。
わざわざこっちにまで文化祭のために来たのに、本番も迫っている今に体調を崩されたのでは、どうにも申し訳が立たない。
大通りを抜け、赤信号で立ち止まる。
彼女が口を閉じたタイミングで、話を切り出す。
「あのさ」
「うん」
彼女は頷く。緊張している雰囲気が感じられる。
そして自分の声音も彼女と同じものだと気付き、
なんとなく、そういう重苦しい雰囲気にはしたくなくて、
「そろそろお風呂に入りたくなったりしないか」
発した言葉に、奈雨はじっと俺を見つめ、あははと目を逸らしながら苦笑した。
24 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/02/17(土) 18:13:54.25 ID:rPbMqZ0L0
「わたしはシャワーでもいいよって言ったら?」
その返しは予想していたものとは違ったけれど、どうやら言いたい内容は伝わっているらしい。
信号が変わりそれほど長くもない横断歩道を渡りきってから、続きを話す。
「俺は入りたくなってきた」
「なら銭湯にでも行けばいいじゃん」
「一緒に行く?」
「誘いは嬉しいけど、また今度ね」
あしらわれた。わかっててこう言うのだから、まどろっこしいのは抜きにして簡潔に言ってほしいということだろうか。
「家に戻ろう」
今度は単純に言う。
「どうして?」
「……駄目か?」
ううん、と彼女は首を振る。
25 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/02/17(土) 18:14:57.90 ID:rPbMqZ0L0
「理由が知りたいの。お兄ちゃんが戻りたいならわたしもついていくけど、それだけは教えてほしい」
「奈雨の体調が心配だから」
「……本当に?」
「本当に」
足を止めて、俺の顔を覗き見る。
「……でも、わたしだけじゃないよね」
いつも通りにころころ表情が変わる。今はなんとなく切羽詰まった表情だ。
「お兄ちゃんは、佑希のことも心配なんでしょ?」
「……どうだろうな」
「……別に誤魔化さなくてもいいよ。お兄ちゃんは昔からそうだし、わたしもそれくらいわかってるから」
「『そう』って?」
「なんだかんだ言って、いっつも佑希のことを気にかけてる」
小さくため息をついた。そう言われると否定はできないけれど、ずっと考えていた通り、型にはまったお兄ちゃんをしているだけであって、気にかけるとは違う。
26 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/02/17(土) 18:15:41.59 ID:rPbMqZ0L0
「奈雨は、佑希のこと嫌いか?」
ついついそんなことを訊ねてしまう。
奈雨は「またその質問か」とでも言いたげに首を左右に振る。
「お兄ちゃんは?」
「……いつも迷惑掛けられるし、何かとめんどくさいやつだけど、好きじゃないって言ったら嘘になる」
だってそういうものだろ、兄妹なんて。
悪感情しか持っていないんだったら、最初から会話すらしようとも思わない。
どこかで好きな気持ちがあるから、いろいろと困らせられるときも、まあ仕方ないかで済ませられる。
十分納得できる理由だし、これなら彼女もわかってくれるだろうと思ったのだが、
「え、まって」
と戸惑うように言って、ぎゅっと手に込める力を強くした。
27 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/02/17(土) 18:16:32.84 ID:rPbMqZ0L0
「好きなの?」
「……逆に嫌いってある?」
「いや、ないとは思うけど。え、いや……好きってどの好き?」
「普通の」
「普通ってなに」
「え?」
「わたしへの好きと同じ?」
どうにも話が噛み合っていない。
ていうか、めちゃくちゃ聞き捨てならないことを言われている気がするのだが。
明らかに奈雨への好きとは違うし、そうと言えるけど、果たして本人に言っていいものなのか。
「……わたし、図々しいこと言ってる?」
「言ってる」
だって、もし仮に「違う」と答えたら、それはもう告白しているのと同じじゃないか。
「あいつへの好きは、家族愛とか、兄妹愛とか、そういうものだよ」
「……」
「いや、他にないだろ?」
28 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/02/17(土) 18:17:22.40 ID:rPbMqZ0L0
同意を求めたのに、彼女は押し黙った。
そして何か後ろめたいことでもあるのか、視線をあちこちにさまよわせる。
どうしてなのかは皆目検討がつかない。
それ以外の好きとなると、佑希に奈雨と同じく恋愛感情を持っていることになる。
……ないだろ。いや、普通に。同い年とはいえ実の妹を好きになるわけがない。
「そうだよね」
そう頷き顔を上げた彼女は、一転にこやかな笑みを作る。
少し考えてさすがにそれはないだろうと思い至ったのかもしれない。
軽く手を引いて、歩こうと促す。
すると彼女は引かれた手に力を込めるようにくるっとターンをして、俺の前に出た。
29 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/02/17(土) 18:18:13.99 ID:rPbMqZ0L0
「どういう話をするの」
「佑希と?」
「うん」
「確認したいことを確認して、佑希の話を聞いて、あとは場の流れでかな」
「わたしもいた方がいい?」
「それは……」
「わかってる。ちゃんと待ってるから」
くすっと微笑んで、彼女は歩き始める。
すぐに信号に差し掛かるも、つかまることなく渡れた。
「けっこう、単純なことだと思うよ」
半歩前を進む彼女の表情は見えない。足を早めて真隣まで追いついてから、訊ね返す。
30 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/02/17(土) 18:19:01.60 ID:rPbMqZ0L0
「単純?」
「うん。……いや、ごめん。そんなに単純じゃないかも」
「どっちだよ」
「でも、えっと、ややこしかったり入り組んでたり、いろいろ複雑な部分はあるかもだけど、話の根幹はシンプルなことだと思うってこと」
奈雨の言ってることは、やっぱりよくわからない。
もしかしたら俺よりも佑希のことをわかっていたりなんてことも。……なんとなく、そんな気がする。見ている気になっていた分のツケだ。
「あんまり気負いすぎるなってこと?」
「それでもいいよ」
「違うのか」
「……ううん、合ってるよ」
それから特に会話もなく、部室へと戻った。
騒がしい二人は「遅い!」とぶー垂れてきたものの、「誰のせいで」と言うとすぐに口を閉ざした。
準備をしつつスマホを取り出して、佑希に、
『ちょっと話がある。いまどうしてる?』
と送信する。
数分して既読がついたものの、返信が来る気配はなかった。
31 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/02/17(土) 18:19:08.47 ID:AGX4ixKk0
>>1
は作家を目指しているの?
32 :
◆9Vso2A/y6Q
[saga]:2018/02/17(土) 18:19:46.40 ID:rPbMqZ0L0
今回の投下は以上です。
あと四、五回の投下で終えたい。
33 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/02/17(土) 23:48:41.04 ID:S3A85NqDo
おつ
やっぱり奈雨ちゃんかわいい
34 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/02/18(日) 22:03:46.46 ID:T7R3la9DO
タイトルで岩間かと
35 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/02/23(金) 23:19:40.74 ID:JiYpHUFw0
続き楽しみに待ってます。部長も奈雨もかわいい(小並感)
36 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/02/25(日) 02:43:39.12 ID:XJms5aKo0
【答え】
部室を出て廊下を歩きながら、小さくため息をついた。
ひとけのないひんやりとした空気が、今の自分には妙に心地がいい。
ここ数日いろいろ考えて、最後に下した結論は『考えても仕方がない』だった。
俺がどう思索したところで、その真偽は佑希本人に訊いてみない限り分かりっこない。
話をしなければ、踏み込む覚悟を決めなければ、進むも退くも何も決まらない。
ただ、ある程度の推測、ないし目星はつけていた。
これまでの俺は、彼女のことを自分にとって都合の良いフィルター越しに見ていて、それ以外の選択肢に目を向けようとしてこなかった。
母さんのことはあくまでも要素でしかなく、間違った選択をし続けてきたのは俺自身だというのを、頑なに認めてこなかった。
そして、だからこそ見落としていた。
思い返してみると、彼女の言動は違和感だらけだった。矛盾だらけだった。
最初から間違えていたのだと、それだけは確信できてしまう。
そこまで頭に浮かべて、もう一度息を吐き思考をリセットさせる。これ以上は考えるだけ毒にしかならない。前提から覆さなければいけないのに、これまでのやり方で考えていたって無駄なことだ。
37 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/02/25(日) 02:44:56.88 ID:XJms5aKo0
階段を降り、渡り廊下から校門へと抜ける。家の前まで至って、明かりが灯っているか確認する。……点いていない。
見上げた先──二階にもカーテンの隙間から漏れる光は確認できない。
家の中に入る。リビングの電気を点けようとスイッチに手をかけると、静かな室内にすうすうと寝息のような音が響いていることに気付く。
佑希はテーブルに上半身うつ伏せになって寝ていた。風呂上がりらしい薄着で、手にはぎゅっとスマホが握られている。
少し悪いと思いつつも、明かりを点けてから彼女の身体を揺する。
数秒して、とろんとした目をごしごし擦りながら、視線をこちらに上向ける。
「あ、おにい。おかえ──」
言い終える前に、はっとした表情で口元に手をやり目を伏せる。
立ち上がる素振りは見て取れないけれど、このままいてはすぐに逃げられてしまいそうだ。
「ただいま」
できるだけ優しい声音で言うと、佑希はびくっと肩を跳ねさせる。
38 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/02/25(日) 02:45:40.60 ID:XJms5aKo0
「なんか飲むか、身体冷えてるだろ」
確認をとらずにキッチンに移動して、電気ポットに水を入れる。
洗い物が外に出されていないから、今日は料理をしていないか、もしくは何も食べていないのだろう。ミルクティーの粉末袋を捨てる際に開けたゴミ箱の中には、やはり何一つとして物が入っていなかった。
俯いたままの佑希を横目に、数分で沸いたお湯をマグカップに注ぐ。
琺瑯のティースプーンでかき混ぜ、表面の泡立ちが収まるのを待って、佑希の前に置いた。
「いらない?」
「……ううん。いる」
対面の椅子に腰を下ろす。何度か息を吹きかけて冷ましてから自分のカップに口をつける。
背中側の棚に掛けっぱなしになっていたひざ掛けを手渡すと、彼女は納得しかねるといった顔で、「どうして」と零した。
「……怒ってないの?」
「何を?」
「この前の、……あたしが、奈雨にしたこと」
目からは、少しの怯えが窺える。
なんとなく、というよりいつものことだから、こうなるだろうとは考えていた。
39 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/02/25(日) 02:47:02.59 ID:XJms5aKo0
「そんなには」と答える。思った通りに、彼女はほっと胸をなでおろす。
あの行為にあまり怒っていなかったのは本当で──それ以前の奈雨への態度には思うところがあったけれど──佑希自身が内省すべきことで俺が咎めることではない。
けれど、今日ばかりはここで終わらせてはいけない。
悪い意味でのいつも通りを終わらせるためには、ここで明確に"否定"しなければならない。
ようやくカップに口をつけた彼女の表情は、ことさら明るく目に映る。
優しい言葉を掛けると、決まってそういう表情をされる。それで、俺は続く言葉を言いくるめられてしまう。
だから、「でもな」と呑み込まれないうちに否定に入る。
「怒ってないわけじゃない」
「……」
「何か気に障ることをされても、手を出していい理由にはならない。
奈雨の対応も棘があったとは思うけど、別にそこまでおまえを怒らせるものではなかった」
彼女の思考なんて全くわからない。
……わからないから、彼女の側に立って予想する。それでは、また間違ってしまう。
40 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/02/25(日) 02:47:51.58 ID:XJms5aKo0
「見てて嫌だからやめてほしいって思うなら、おまえが伝わらないと思う相手じゃなく、最初から俺に直接言えばいい」
手を繋いだ状態でリビングに入ってきたことだけに腹を立てたとは考えられない。とすると、あれ以前から佑希は奈雨に苛立っていた。
つまり奈雨に怒りをぶつけられれば、きっかけは何でもよかったに違いない。
「奈雨には、ちゃんと謝るべきだと思う」
言い終えて、佑希を見ると、彼女は俺から目を逸らして浅く唇を噛む。
思いつく限りの主観を並べた。佑希の気持ちを考えずに、俺は自分の思っていることをそのまま発した。
それに驚いたのだろう、と思う。その証拠に、奈雨に連れられて部屋から出ていこうとしたときとまるっきり同じ顔をしている。
「……あたしより、あの子のことが大事だからそう思うの?」
「そうじゃない」
「じゃあどうしてよ。……あたしがいらないから? 二人にとって邪魔だから?」
「それも違う」
41 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/02/25(日) 02:48:54.56 ID:XJms5aKo0
「……嘘でしょ。どうせ、そうに決まってる」
自分に言い聞かせるように、彼女は俺の返答を待たずに、
「奈雨が、悪いんじゃん。あたしだって、同じはずなのに、ずっとずっと我慢してるのに」
要領の得ない言葉が続く。
佑希の表情は、どんどん縋るようなものへと変わっていく。
「べつに、奈雨が、とか……お父さんがとか、お母さんがとか、
そういうことじゃなくて、あたしはそうじゃないんだって、だから、それは仕方ないって、でも……」
奈雨、父さん、母さん。奈雨と母さんはわかるとして、……いや、全くわからないけれど、どうして全く関係ないはずの父さんが話に出てくるんだ?
何の話を、と言いかけたが、それはすぐに遮られる。
彼女の目尻から、一筋の雫が、頬を伝うように流れていく。
「……だって、こうでもしないと……いらないって、言われてるみたいで、あたしだけの場所まで、何も失くなって」
両手で自分の肩を抱いて、すんと鼻を鳴らす。
意味がわからないからちゃんと話せ、と冷静に言えればよかったのかもしれない。現にそういう事態に陥ったらそうしようとも考えていた。
42 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/02/25(日) 02:50:08.01 ID:XJms5aKo0
でも、実際目の当たりにしてみると、身勝手に泣いているとは思えなかった。
佑希はいつも誤魔化したり言い繕ったりはするけれど、表情は一度も嘘をつけていなかった。
それに、俺が、俺を含めた他人が遠因となっているのは確かで、
目の前で妹が泣いていて、そのままにできるわけがなかった。
手を伸ばして、彼女の頭に触れる。
結局俺は、それがどんなに利己的な行為だと知っていても、困っている人がいたらなんとかしてあげたいと思ってしまう。
奈雨に顔向けできないな、と思う。
言いたいことは何一つ言えていない。確認しようとしたことも確認できていない。
彼女のペースで、されるがままの状態が続いていく──そう思っていた。
佑希は唐突に俺の手を払った。そして赤くなった目元を拭って、少し悲しそうに笑う。
「こういうとこ……だよね」
何かを覚悟するように、あるいは荒くなった呼吸を整えるように、彼女は腿の辺りを見て小さく息を吐く。
「おにいは優しいから、こういうふうに甘えたくなって、困らせちゃうんだよね」
「……」
「……あたし、酷いこと、たくさんしてるよね」
43 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/02/25(日) 02:51:06.70 ID:XJms5aKo0
返す言葉に窮していると、彼女はすっと立ち上がる。
向かう先はすぐ近く。俺の背後に回り、肩に軽く体重をかけられる。
「つらいことがあったら、慰めてくれる。今みたいに、頭を撫でてくれる。
……何かがあるたびに、あたしのことを考えてくれて、いつも優しくしてくれる」
「そんなこと」
「……あるよ。あたしはずっとおにいに守ってもらってた」
遮るようにして、彼女は呟く。
それでも否定したくて振り返ろうとしたところを、
「……見ないで、お願いだから」
と制されてしまう。
上ずった涙声に気がそがれ、仕方なく瞼を閉じると同時に、彼女は再び口を開いた。
「あたし、ばかだから、どっちかしか選べなかったんだ。
それで、でも、どうやったっておにいは大っ嫌いになってくれないって考えて、……困らせる方を選んだ。何をしても許してくれるおにいが悪いんだって、思い込むことにした。
そうでもしないと、あたしは、いつまで経っても折り合いをつけれないって思ったから」
訥々とした語りに、黙ったまま頷く。言われていることの意味は、微塵にもわかっていなかったけれど。
44 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/02/25(日) 02:52:13.33 ID:XJms5aKo0
「きっと知らなくたって、……結局そうなってたんだと思う。
だって、おにいみたいな人、他にいるわけないから」
肩に置かれていた手が、ゆっくりと椅子の笠木へと移動する。
単純だと思うと奈雨は言っていた。だが、どう考えてもそうとは思えない。
「嫌って、ほしかったの。ありえないって、甘えるなって、突き放してほしかったの。
あたしのせいで、おにいがいつも退屈そうにしてるのも、全部わかってた。
……わかってて、知らないふりをしてた。どこかで、拒絶してくれるんじゃないかって、そんなばかみたいなことを期待して」
細部はまだ全然わからなくて、けれど輪郭のようなものはぼうっと頭の中に浮き上がってくる。
以前から想像していた佑希の行動原理とは違う、とそれだけははっきり言える。
そして、それを認めてしまうと、俺の予測が正しいであろうことも、恐らく言えてしまう。
45 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/02/25(日) 02:52:51.41 ID:XJms5aKo0
「おにいが同じ高校を受けるって聞いたとき、すごく嬉しかったんだ。
昔みたいに、なってくれるんじゃないかって。あたしが奪っちゃったものを、もう一度取り戻してくれるんじゃないかって」
もしそうだったら、と彼女は消え入りそうな声で、続ける。
「今までのことを、ちゃんと謝れるかなって、思って……」
ふっと椅子にかかっていた力が抜け、きいとフローリングが音を立てた。
一連の言葉で、思い至る。
全てがばらばらだと思っていた数多の点が結びついて、一本の線が形作られていく。
やはり、俺はずっと間違い続けていた。
そしてその間違いを検証することなく──疑念を感じることすらなく──彼女に押し付けていた。
迷わず振り向いて、深く項垂れる彼女の隣に腰掛け、
「佑希」
と名前を呼ぶ。
涙を堪えるように両手で目元を覆って、佑希はこくりと頷いた。
46 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/02/25(日) 02:54:55.34 ID:XJms5aKo0
もう訊かずともわかっていることだった。
確認したかったことは、直に訊ねることなく確認できてしまっていた。
でも、それでも彼女の口から俺が訊ねたことへの答えを聞きたかった。
そうでないと、これまでと何も変わらないから。
「ずっと『頑張らなくてもいい』って言ってほしかったのか?」
最初は、"勝ちたい"や"頑張りたい"などの気持ちが理由だったことは間違いない。
それは確信している。……確信した上で、それが今の今まで続いているとも思っていた。
他人からの評価を気にせずに、敵はあくまで自分だと、決して満足することのなかった佑希。
その驕らない姿勢を、多くを語らずにもっと上を目指すような在り方を、彼女の飽くなき向上心の現れだと思っていた。
実際は、まるで違っていた。
"わからなかった"んだ。自分がどこまで頑張ればいいのか、どこまで行けば終わりが見えるのか。
自信があって道を切り拓こうとしていたのではなく、後ろを振り向けないがゆえに進んでいくしかなかったんだ。
47 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/02/25(日) 02:56:09.75 ID:XJms5aKo0
そして、その原因を作っていたのは俺に他ならない。
佑希は、俺がほぼ全ての物事に対して手を抜き始めたのを自分のせいだと思っている。
確かにそれは完全に否定することはできないけれど、母さんとのことや俺自身が疲れていたことの方が割合としては大きい。『おまえだけが悪い』なんて、とてもじゃないが言えない。
でも、俺が言葉にして彼女に「違う」と言わなければ、そう思われたっておかしくはない。
奪ってしまったと感じた俺の分も、頑張ろうとしてくれていた。
だから、俺が褒めるたびに、頑張りを認めるたびに、それは彼女にとっては全く逆の言葉として響いていた。
もっと、と。
まだまだ、と。
そう考えさせてしまっていた。
止めることができるのは俺しかいなくて、けれどその俺が数々の言動の裏に隠された真意を汲み取ろうとせずにいたから、彼女はどこまでも止まることができなかった。
48 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/02/25(日) 02:57:15.35 ID:XJms5aKo0
変化が起きかけたのは佑希の言う通り俺の高校受験だろう。
思い返してみれば、志望校を決めてからの期間、彼女とそれほど会話をしていなかった。
きっと彼女の目には、"俺が自分の意思で頑張っている"と映ったのだろう。
それで、もしかしたら長い間囚われていた呪縛から解かれるかもしれない、とそんな期待を抱かせてしまったのかもしれない。
結果、俺は変わらなかった。
俺のゴールは、あくまでも受験に合格することだったから。
奈雨と一緒の学校に入ることが何よりの原動力であって、それからについては何も考えていなかったから。
ソラに言われたことを思い出す。
あいつは春からの俺の状態を『魂が抜けてるみたいだ』と言っていた。
佑希もそう感じて、どうにか変わってほしいと、焚きつけようとした。
けれどそれも、彼女からしたら表立って言えることではなくて、
気付いてもらえるまで待つか、いっそのこと嫌われてしまうか、どっちつかずの行動しか取れずにいたんだ。
49 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/02/25(日) 02:58:26.40 ID:XJms5aKo0
長い沈黙を破って、佑希は頷いた。
そして、ごめんなさい、と微かな声を上げ、弱々しく俺の胸に身体を寄せた。
「……謝るなって」
「ううん。……ごめんね。ずっと、嫌なことばっか、してたと思う」
「そんなことない」
「……何年も一緒にいるんだから、おにいが嫌がってることくらい、わからせて」
言って、これ以上反論させまいと、ぐいと頭を押し付けられる。
こんなストレートに甘えてきたのは、いつぶりだろうか。
こうしたかったんだろうな、と奇妙な納得がいく。
顔を上げた彼女の横髪に触れると、あっ、とくすぐったそうに声を上げられた。
50 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/02/25(日) 02:58:57.00 ID:XJms5aKo0
「これから、どうするんだ?」
「……どうするって?」
「わかんないけど、いろいろ」
今まで通り頑張り続けるのか? と訊きたかった。
でもそれは、彼女が決めることだ。俺が意見するとしても、それもまた彼女から俺に言うべきことだろう。
佑希は考える間をためて、それから真剣そうな表情を浮かべた。
「まずは、奈雨に謝んないとね」
決心したように頷き、ぱっと身体から離れる。
拭った目元からは、雫は消えていた。
「おにいの好きな人と喧嘩したままじゃいられないもん」
「……まあ、そうだな」
否定しても意味がない気がして、素直に認めた。
佑希はコンマ数秒ほどだけ驚いた顔をしたかと思えば、なぜか大人びた雰囲気で首肯する。
51 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/02/25(日) 02:59:30.23 ID:XJms5aKo0
「二人っきりで、話がしたいな」
「奈雨と?」
「うん。謝るのも、もちろんそうだけど、これからのことも、ちょっとだけ話したい」
「……例えば?」
「ずっと嫉妬してたって。あと、それはもうやめるからって。
……他にもあるけど、おにいには言わない。奈雨と二人だけの秘密にする」
それは歩み寄りと呼べるのだろうか?
──わからない。けれど、今の状況よりは少しでもマシであることは確かだ。
俺は頷いた。すると彼女はまたしても一瞬だけ驚いた顔をして、今度はもの寂しげに微笑んだ。
「わかったら、ゆっくりでいいから呼んできて」
「……ゆっくりで、な」
「こんなぐちゃぐちゃな顔、おにい以外の人に見せられるわけないじゃん」
ばか、と佑希は俺の腕をつねった。
別にかわいいと思うぞ、と何の気なしに言うと、つねる力が倍の倍ほどに強くなった。
52 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/02/25(日) 03:00:40.39 ID:XJms5aKo0
【解放】
二十分ほどして家の外に出てきた奈雨は、落ち着いたような、肩の荷が下りたような表情をしていた。
「仲直りできたか?」
俺の質問に、奈雨は親指を立ててにこりと笑った。
実は結構心配だったけれど、どうやら上手くいったらしい。
「どんな話をしたの?」
「話しちゃだめって言われたからだめ」
「そっか」
「でも、これからは仲良くしようねって、そんなのだよ」
「嬉しい?」
「んー、どうだろ。嬉しいといえば嬉しいけど、これから次第って感じ」
「ま、それもそうか」
「あとは、あれだ。昔みたいに『お姉ちゃん』って呼んでほしいって言われたよ」
「……おー、そっか」
「あ、話せるのはこれだけ。……まだ、作業するの?」
「おう」
「帰ってくる?」
「キリがいいとこまでいったらな」
「じゃあ、またお兄ちゃんの部屋お邪魔するからね」
おやすみなさい、と奈雨は手を振ってまた玄関へと入っていく。
その姿を見て、俺も少しだけ胸のつかえが取れたように思えた。
53 :
◆9Vso2A/y6Q
[saga]:2018/02/25(日) 03:01:27.28 ID:XJms5aKo0
今回の投下は以上です。
54 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/02/25(日) 10:02:03.93 ID:fQdI67Z1O
おつ
55 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/03/01(木) 23:27:33.47 ID:OiGewFl30
問題が解決してよかった〜〜やっと明るい方向性に進むのに期待して、楽しみに待ってます。
56 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/03/06(火) 22:58:16.93 ID:/5ItWXG40
れーちゃんまだですか
57 :
◆9Vso2A/y6Q
[saga]:2018/03/16(金) 00:17:29.06 ID:J2MwjZD10
体調不良につきまだ更新できそうにありません。
長らくお待たせしてしまい申し訳ないです。
58 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/03/16(金) 11:19:35.24 ID:ZT/HdvDCo
大丈夫やで。お大事に
59 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/03/16(金) 14:47:01.07 ID:MyD7v1/Uo
待ってる。お大事に。
60 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/03/17(土) 12:10:46.13 ID:zDdsQEWs0
大丈夫ですよ。早く治るといいですね。お大事に。
61 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/04/04(水) 19:41:26.13 ID:hRmJHW7eO
大丈夫か?
62 :
◆9Vso2A/y6Q
[sage]:2018/04/05(木) 14:07:57.05 ID:FltGetxk0
更新分はもう少しで書き上がります。ご心配をおかけして申し訳ないです。
63 :
◆9Vso2A/y6Q
[saga]:2018/04/06(金) 18:05:15.27 ID:LZXIfz580
【架】
ハードルを飛び越えるのは難しい。
けれど、先へ進むための手段なら、そこらじゅうに転がっているのだと思う。
意識するたびに、遠ざかっていく。
他者と比べた公正さや、側にいてくれない誰かに向けた想いは、確かな慰めにはなってくれない。
64 :
◆9Vso2A/y6Q
[saga]:2018/04/06(金) 18:05:59.07 ID:LZXIfz580
【Le Langage des Fleurs】
花を見ると、気分が落ち着いた。
なんとなく、昔からそうだった。
蕾がひらくときよりも、散りゆくときよりも、ただ単純に咲いているときが一番美しい。
新たな期待や、失う切なさは、未だ好きになれそうにない。
……でも、"自分はここにいる"という説得力は、どんなときだって変わらなかった。
駄目だ、なんて考えるだけ無駄なことだ。
続けることに続ける以上の意味なんて持ってはいけない。
65 :
◆9Vso2A/y6Q
[saga]:2018/04/06(金) 18:07:11.07 ID:LZXIfz580
【一進一退】
うたた寝から目が覚めると、うっすらと腿に広がる痺れに気が付いた。
眠りに落ちそうになる前の記憶ははっきりしているから、今あえて確認をしたりはしない。
彼女を起こさないように、ゆっくり肩を引いて痺れていないところへ移動する。
その手で触れたとき、左手に懐かしいような、あるいはまわりまわって新鮮とも呼べるような感覚を覚える。
腱が、微かに痛んでいた。
手を下向かせながら寝てしまったときや、何か多くの文字を書くために利き手を長い時間使っていたときの痛みとは明らかに違っていて、
覚えていないほどずっとずっと昔のこととなんら変わりのない、私が、絵を描く際に手首を使いすぎてしまう悪癖から来るもの。
ペンを握るのはやっぱり怖かった。
けれど、握ってからは今までとは違った。
66 :
◆9Vso2A/y6Q
[saga]:2018/04/06(金) 18:08:43.98 ID:LZXIfz580
描けた。
描くことが、できた。
どうしてかは分からない。
でも、描くことができた。
部長さんは私の手を握ってくれた。
……想いが、通じたみたいだった。
反対の手の甲で目元を擦ってから、パソコンの明かりに照らされたテーブルの上を見る。
色塗りまで済ませたイラストが三枚。
四枚目は下絵まで。本当なら一発描きになるかもしれないと覚悟していたけれど、全くそんなことはなかった。
一日描かないと二日分の差になるだとか、描いたら描いた分だけ上手くなるだとか、
何にでも言えるようなありふれた言葉はどうだっていいとまで思えてしまった。
だから自分の指針や感覚が狂ってしまっていたとしてもそれはそれでかまわない。
描けている実感がなによりも嬉しかった。
嬉しいだなんて、そんな綺麗な感情を持てるとは思っていなかったから。
一枚一枚を見返してみる。
春の絵、秋の絵、冬の絵。書いていた文が助けになって、頭の中で描いていたイメージを余すことなく表現できている、と思う。
色の重なりも悪くない。部長さんが多くのコピックを持っていてくれて助かった。
手に取り、またテーブルに戻す。
自然と私の腕はペンの方へと向きを変えていた。
67 :
◆9Vso2A/y6Q
[saga]:2018/04/06(金) 18:10:50.42 ID:LZXIfz580
【意味なんてなくてもいい】
かたりと音を立てて、紙の斜め前に缶の飲み物が置かれた。手元を照らせる程度のクリップライトの明かりを頼りに作業をしていたから、少しだけ驚いてしまった。
手を止めて見上げた先には未来くんが立っていて、缶を指差してからどうぞと私に向けて手を差し出した。
「てっきり、今夜はもう帰ったのかと思ってたんだけど」
「いろいろやること残ってて」
「そっか。……終わりそう?」
二、三秒の沈黙。
「……終わらないことはないよ、多分」
どうやらそれなりにやばいらしい。
描きあぐねている様子は前々から見て取れていたから、ちょっとはわかっていたけれど。
「東雲さんはどう?」と問いかけられて、
「私も未来くんと同じ」と答えると、彼はなぜかほっとしたような吐息をもらす。
怪訝に思い首をひねると、取り繕うような苦笑いをして「いや」と彼もまた首をひねった。
68 :
◆9Vso2A/y6Q
[saga]:2018/04/06(金) 18:11:48.57 ID:LZXIfz580
「すごい、なんていうか、夕方からずっと集中して描いてたみたいだったから」
「……そう?」
「あ、違った?」
「んー……」
そうなのかな、と考えてみる。
集中はしていたといえばしていた。
が、あれくらいは普通というか……。いつも一人で描いていたから自ずと周りは静かで、集中せざるを得なかったというか。
たしかに部長さんのように集中とはかけ離れている人と比べれば、そう見えてしまっても仕方がないかもしれないが、
そのときの気分で一枚の絵の中でムラが出るのは嫌だと思ってしまうから、どのみち描き終えるまではそれを切らさないように努めようとはしていた。ほぼ無意識に。
だからどう言うのが正解なのか逡巡しつつ、
「描けるうちに描いとかなきゃなって」
と返事をする。嘘ではない。
「未来くんだって描くときは集中してるように見えるよ」
続けると、彼は「そうかな?」とうなじのあたりをくしくしと掻いた。
意地悪な返しだったけど誰だってそういう反応になるよね、と思う。
「萩花先輩がかなり怖くて」
「ふうん。あの人怖いんだ」
「まあそれなりにね」
でもそんなに怖くはないよ、というニュアンスで言って、彼は自分の飲み物に口をつける。
遅れて私も「ありがとう」と言ってからプルタブを上げる。
69 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/06(金) 18:12:34.03 ID:LZXIfz580
「これ飲んじゃったから、もっかい歯磨きしなきゃ」
「朝まで起きてればいいんじゃない?」
「……でも私、夜更かし苦手なんだけど」
そう言って私はテーブルにだらんと上半身をすべらせる。
絵を描いているならまだしも、それが途切れてしまうと途端に眠気が襲ってきそうだ。
うーん、と彼は顎に手を置き、
「何か食べ物でも買ってくる?」
「何かって?」
「軽くつまめるものとか」
「……んー」
まともな返しもせずに口元を手で隠しながら小さく欠伸をすると、控えめな笑い声が耳に届いた。
「その感じだと、帰ってくるまでに寝てそう」
「……たしかに」
否定できないのが悲しい。
ちらと自分の腿へと目を落とすと、部長さんはすうすう寝息を立てて寝付いている。
「私も行く」
と言うと、彼は一瞬何かを考えるようにして口元に手をやったが、すぐに私に視線を合わせて頷いた。
70 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/06(金) 18:14:01.35 ID:LZXIfz580
貰った飲み物のお返しと自分用のガムを買い、お店の外に出た。
私のことを気にしてか、彼は部室を出てからずっと一歩前を歩いてくれている。
視界が心許ないとは言わなかったのに。もしかしたら部長さんとそういう話をしたというのは……まあ、ないよね。
吹きさらしの渡り廊下に夜風が吹き抜けていく。
彼が何も羽織らなかった流れで私もほぼ寝間着のような格好で外に出たから、ちょっとだけ肌寒い。
「少し寒い?」と前方から声が掛かる。
そう言葉にして問われると、余計に寒気が忍び寄ってくる。口を手で覆ってはあと息を吐いてから、頷く。
あのさ、と言おうと距離を詰めると、同じタイミングで彼が振り返った。
「どうかした?」
「あ、うん。……えっと、歩きながらでいいかな?」
確認を待たずして、彼の隣に並ぶ。
訊きたいことはたしかにあったけれど、顔を見られている状況で話せることでもない。
いや、普通に考えてもう流れてしまったことだし、あの時点で私は部長さんに何も訊ねなかったのだから、今になって未来くんに訊ねたところで何一つわからないとも言える。
言える……が、あの行動の意味を──普段から意味なんてあるかわからない人だけれども──知りたいと思ってしまうのは間違いではないはずだ。
校舎に入り、息を整えてから口を開く。
71 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/06(金) 18:14:57.96 ID:LZXIfz580
「キス……を」
されそうになったんだけど……、と続けたかったのだが、彼が突然立ち止まったことにより遮られた。
びくりともしないくらいに固まっているけれど、そこまで引っかかりのあるワードとは思えない。
「あ、未来くんもなうちゃんと」
しまった、と思ったときにはもう遅かった。口に出ていた。
申し訳なさと気恥ずかしさが相まって、横を見られない。
「まあそれはおいといて」
と彼が殊更に低いトーンで無理やり話題を飛ばそうとしたのは十数秒後のことで、そういう関係でしかも否定しないのか……などとは思いつつも、そこは掘り下げずに本来の話題に戻すことにした。
「昨日部長さんの家にお邪魔したときに、こう、いつもみたいに身体を近付けられてね」
「……へえ」
「それだけだったらまあって感じで……いや、それでも結構削られるから、許せるとかじゃないけど……なんていうか……」
「……勝手にどうぞ?」
「あ、うん。そうそう。そうだったんだけど、……首に手をまわされて、押し倒されるみたいに唇を近付けられたらさ、誰だって身構えるし、されるって思って……」
72 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/06(金) 18:15:57.23 ID:LZXIfz580
「そのまましたの?」
「いや、しては……ない」
「なら別に」
「……」
「……良くはないか」
ははは、と未来くんはため息混じりに乾き笑いを浮かべた。
つられて私もひきつった顔をした。誰もいない校舎がまた一層冷たさを増したように感じる。
「抱きつくまでなら、スキンシップだからって納得はできるけど、キスとなるとさすがに……ね?」
同意を求める形になってしまったが、彼は数秒遅れで頷いた。
「つまり、からかいではないと仮定して、そうしようとした真意がわからなくて困ってると」
「……うん」
「そっか」
言い出すか言いださまいか、彼は口を開いて閉じてを繰り返す。
沈黙が耳に痛くて、隙間を埋めるように私は両手を自分の胸のあたりで数回振った。
73 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/06(金) 18:17:22.11 ID:LZXIfz580
「やっぱり、なんでもない」
「……」
「……でも、こういうこと。未来くんは分かっちゃうんだね」
「いいや。そういうわけじゃない」
「だって、いつもお見通しだから」
「それは──」
もう一度、彼は逡巡の色を見せた。
しかも、先程よりも明瞭に。まるで何か他のことを思い浮かべているように。
どこかで彼の忌諱に触れてしまったのではないかと思い、慌てて取り繕おうとする。
けれど、それはやはり形をなさなかった。どう謝るかどうかを判断する材料がないのだ。
やがて彼は視線を下に落としつつ、おもむろに話を始めた。
「そういうのは、思い込みなんだよ。……すべて正しいってわけではないし、
わざわざ推測しなくともわかりやすい人は本当にわかりやすいんだ。
それに、恒常的に嘘をついている人なんてフィクションならともかく現実にはそういないから……、
逆の意味で一貫しているというか、意識せずに出る言葉はそこまで簡単に揺れ動いたりはしないはずなんだ」
だから見通しているとは言えない、と彼は首を横に振る。
74 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/06(金) 18:18:18.77 ID:LZXIfz580
「少なくともあの人は、相手によって対応を変えてる。
俺の目線と東雲さんの目線は違う──だから、軽率なことは何も言えない」
「……けど、そんなの」
当たり前のことじゃないの、とは言えなかった。
相手の感情を感じ取るためのサンプルが私の場合少なすぎる。
それに、ケーススタディだと言うなら、私はそもそもの前提から欠けてしまっている。
私が続きを発することなく黙っていると、彼はそれまでの硬い表情を崩して、別の言葉を呟いた。
「……あんまりさ、早とちりすることでもないと思うよ」
「どういう意味?」
「内に向けた言葉か外に向けた言葉かなんて、当人以外には分かりっこないって話」
そう言って彼は再び歩き始めた。何のことを言っているのかが分からなくて、様子を窺おうと後に続く。
二階から三階へと上がりきるタイミングで隣に並ぶと、その先の一段に足をかけた彼は、また何かを思い出したのか「あ」と呟きこちらに目を向けた。
「ひとつ、質問していい?」
「う、うん。……どうしたの?」
75 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/06(金) 18:18:56.37 ID:LZXIfz580
「一歩目が出ると二歩目が出てしまうのは、自然なことなのかなって」
こういうふうにさ、と右足を一段目に乗せる。
一歩目。二歩目。歩いているのなら、それは自然なことで間違いはない。
ただ当たり前のことを答えてほしいわけではないことは分かるけど、それだけ分かっていたって意味はない。
「大喜利?」と訊ねると、「真面目に考えて」と諭されてしまった。
いや、真面目にって言われてもなあ……。
いつもの未来くんならもう少し分かりやすく話してくれるのに。
こういう含みのある言い回しはあの人が好みそうだな、と無駄なことが頭に浮かぶ。
「……足を合わせることは、できたりする、かも」
捻り出した答えだったが、口にしてから気付く。
「あっ、でもそれだと、二歩目を出してるのと変わらない」
「そうだね」
「……ごめん。それしか思いつかなかった」
緊張と、恥ずかしさも相まって目を逸らす。
少しばかり微笑む声が聞こえたと思えば、
「まあ大丈夫だよ。今の質問に答えなんてないし」
私がさっき言ったように、左足を右足の隣に並べた。
76 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/06(金) 18:21:37.07 ID:LZXIfz580
「え、そうなの?」
「うん」
……じゃあどうして訊ねたりしたんだろう。
そういう内心が顔に出ていたらしく、未来くんは私に隠す素振りも見せず、
「東雲さんはそれでいいと思うよ」
と言い楽しげに笑った。
「そう言われても分かんないよ」
「分からなくてもいいんだよ、きっと」
「……なんか今日の未来くん、すごく意地悪だよね」
「そう?」
「だっていつも優しいから……もしかして、今のが本当の未来くんなの?」
「本当の、って……いや、本当とか嘘とかないからね」
……。
「『お兄ちゃんはたまにスイッチ入るとすごいんですよ』ってなうちゃんも言ってたし」
ぴくりと彼の眉根が動いた。これは……。
77 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/06(金) 18:22:23.55 ID:LZXIfz580
「『体調が優れないときは本音が聞けるからレアですよ』とも言ってた」
「待って」
「待たない。あとは、えっとね……」
「いや言わなくていいから。本当に、マジで」
暗がりでよく見えないが耳や頬は真っ赤になってるのだと思う。
なんだ、いつもの未来くんだ。安心している自分がいる。
「未来くんの話をしてるときのなうちゃん、とっても楽しそうだったんだよ」
「はあ、そうなの」
「部長さんとソラくんの方がぐいぐい訊きにいってたけどね」
「……仲良くなられたようで何よりですね」
弱点なのかな。気にはなるけど、今後はできるだけ控えた方がいいかもしれない。
触れられたくないことを訊けるほど、私が彼に心を許されているとは思えない。
そうでなくとも、私には縁遠い話だとも思う。誰にも聞こえない言い訳。
78 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/06(金) 18:23:30.50 ID:LZXIfz580
「私からも、もういっこ質問」
気を取り直すようにして声を掛けた。
彼はまだ何か言われると思ったのか、いくらか身構えたように映る。
「好きな花を教えてほしいの」
「……花?」
「うん。なかったらないでもいいんだけど、もしあるなら」
「花」と彼は繰り返した。いくら何でも胡乱すぎたかもしれない。
「えっと、ちなみに東雲さんは?」
「私はスミレとかミモザみたいな、派手すぎなくて綺麗な花が好き……かな?」
「なぜ疑問形」
「だって……好きなものを人に言うのって結構勇気のいることじゃない?」
「まあ、たしかに」
「それに、好きだったものを嫌いになったとしても、言葉にしてなければ罪悪感もないかなって」
「嫌いになるのが怖いの?」
「ううん」と私は首を振った。
「そっか」と彼は頷いた。
じゃあどうして? と訊かれなかったのは幸いだった。それこそうまく言語化できそうにない。
79 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/06(金) 18:24:04.29 ID:LZXIfz580
一時的な、短絡的な好きを好きと言ってしまいたくない。
ましてやその好きを嫌いになるだなんてもってのほかだ。
理屈付けられはしないが気にせずにはいられない。それだけのことだ。
「秋桜と紫のアネモネ。ぱっと思いつくのならその二つ」
この流れで言うのはアレだけどね、と彼は肩をすくめる。
「どう? センスある?」
沈黙が生じる前に言葉を続けられたので、
「どうかな」
と笑ってみせた。
「ああでも、花言葉の類は全く知らないんだよね」
「大丈夫だよ。私もそこまで知らないし」
「込められた意味があるなら知っておいた方がいいのかな」
「……いや、それもどうだろうね」
80 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/06(金) 18:25:20.71 ID:LZXIfz580
私も前までは、花言葉の存在を気にしていたと思う。
図鑑には絵とセットで載っているし、花について何かを語る上で外せないことだとも思っていたから。
けれど、いつの間にかほぼ気にしなくなっていた。
「きっと意味なんてなくてもいいんだよ」
私の言葉に、彼は不思議そうな顔をした。
「花言葉はたいていが観たまま感じたままを表現したもので、ひとつの花をとっても意味が決まってるわけじゃないの」
たとえばミモザなら、"友情"や"感受性"もしくは"秘密の恋"。
繋がりがないわけではないが、誰が、どこで、それだけでも変わってきてしまう。
三つ目の"秘密の恋"は、どこかの民族が想い人に愛を伝えるために用いたからだったと思う。私たちには馴染みのないことだ。
「ほかにも、名付けた人の出身地の歴史伝統を踏まえてだとか、そういう難しいタイプの名付け方もあって……。
でもどっちにしたって見知らぬ誰かの定めた意味よりは、実物を目にしたときの自分の感覚の方が信用できると思いたいなって」
「なるほどね」と彼は頷いた。
それから何かを思い当たることでもあったのか、微妙に口角を上げる。
81 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/06(金) 18:26:22.25 ID:LZXIfz580
「四葉のクローバーは"幸運"を意味するってどこかで聞いて、今までそれを疑いもしなかったけど、
そうだな……あれを十字架に見立てて言ってるとしたら、キリスト教徒でない限り当てはまらないってことだよな」
「うん。四葉のクローバーはなかでも意味が多かったはず」
クローバー ──白詰草自体がそもそも意味を持っていて(通常の白詰草は葉が三枚で、一枚一枚に意味があり)、
四つ目の葉が"幸福"を示す葉、おそらく四葉の希少さと掛けてそう言われている、というのが一般的な解釈だろう。
昔聴いた曲で、"一枚は希望、一枚は信仰、一枚は愛、残る一枚は幸福"とも歌われていた。
彼の言う十字架に見立てているという説もどこかで目にしたことはあるが、
キリスト教ならどちらかと言えば三葉の三位一体の方が近いのではないかと思う。
「幸運と別にあるんだ」
「"約束"とか"復讐"とかね」
「そっか……それは言われないと分かんないわ」
「ね」
交わした"約束"が守られる、すなわち"幸福"、
破られる、反転して"復讐"、
というのはちょっと無理矢理かな。連想ゲームではないし。
肝心要の"約束"の内容については、また別の意味があったはずだ。
82 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2018/04/06(金) 18:26:59.72 ID:LZXIfz580
そこで、彼に好きな花を訊ねようとした理由を思い出す。
私個人の花言葉に対する考えは抜きにして、物語の補助道具として花言葉を用いた。
別にあってもなくても構わない。章の内容と乖離はしていないが、すべて後付けだ。
まだ書けていない──これから書くつもりでいる──最後の章に付けるに相応しい花。
前の章を書き終えた時点ではそれを君子蘭にしようと考えていた。
一番好きな花であるのは勿論、私が大まかにイメージしていた内容にも合致している。
ただ、ここまでの章に使ってきた花に込めた意味は、どこかで調べれば簡単に出てくるものにしていた。
となると、君子蘭では少し分かりづらくなってしまう。私が観て感じた意味と調べた意味が違っていたから。
意味が通る花で、かつ好みのものは出し尽くしてしまった。
でも意味から逆引きして探すのは白々しいから──だから参考にしようかと訊いたんだった。
「そろそろ戻ろっか」と言うと、未来くんは「ああ」と時計で時間を見ながら頷いた。
秋桜、紫のアネモネ、四葉のクローバー。
彼らしいな、と思う。
ありがとう、と心のなかで呟く。
眠気覚ましもだけど、彼と話をしていろいろ整理できた。
今は、続きをはやく描かないと。
83 :
◆9Vso2A/y6Q
[saga]:2018/04/06(金) 18:27:57.34 ID:LZXIfz580
今回の投下は以上です。
84 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/04/07(土) 00:35:54.10 ID:erHns7Yco
おつ
やっぱり好き
85 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/04/08(日) 13:22:25.45 ID:IIpZQsaT0
こういう落ち着いた雰囲気も結構好きです。
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