【ガルパン】まほチョビの土日。

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151 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/10(水) 22:16:38.04 ID:29K6rrFw0

「はい完成」
「うーん、凄い」

 カバーも凄いが、千代美の手際も面白かった。そうか、私は読書をする千代美の事をほとんど知らないのかと気が付いた。

 不意に、孤独感を覚えた。

 千代美は目の前に居るのに。それが、私の知らない千代美なのが無性に寂しい。

「あい」

 あい。

 む、何者だ。
 見ると、どこから来たものか、二歳か三歳くらいの赤ん坊が隣に座っていた。
152 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/10(水) 22:18:49.00 ID:29K6rrFw0

「あいあいあーい」

 そうかそうか、よろしくな。

「迷子だろうか」
「母親は注文にでも行ってるのかな。店の外って事は無いだろうから、そのうち探しに来るだろ」

 言いながら千代美は赤ん坊をあやし始めた。赤ん坊は卓上の文庫本に興味を惹かれたらしく、しきりに触りたがっているようだ。
 おいそれは駄目だぞと言おうとしたら、千代美に手で制された。

 ああ、そうか。

 千代美は赤ん坊に本を持たせた。
153 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/10(水) 22:20:09.11 ID:29K6rrFw0

 案の定、赤ん坊は手にした本を弄繰り始める。無論、読書などという概念はまだ形成されておらず、ただ紙の束で遊んでいるというだけだ。
 当然、頁はくちゃくちゃになるが、千代美はそれを怒るでもなく、これはこうするんだぞーなどと言いながら、赤ん坊に頁の繰り方を教えている。
 赤ん坊も、不思議に大人しく千代美の真似をして、頁を繰るようになった。

 成程な。あの本に付いた折り目を見るたび、千代美は今日の事を思い出すのだろう。良い趣味をしている。

 しかしその、なんだ。

 絵になるなあ。
154 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/10(水) 22:22:18.87 ID:29K6rrFw0

「紗利奈、こんな所に居たの」
「あーい」

 母親らしき女性が済みません、と頭を下げながら近寄ってくる。驚いたことに同世代か、年下かと思うほどの若い女性だった。

「良いんですよー」

 笑って、赤ん坊を母親のもとに帰す。その時、千代美が一瞬、名残惜しそうな顔をした。

 ズキンとしたものが胸のうちを走り抜ける。
 見てはいけないものを見てしまったような気分だ。
155 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/10(水) 22:23:42.75 ID:29K6rrFw0

 そうだ。
 我々はもう大学を出た。

 年下の女性が赤ん坊を抱えていても、何らおかしな歳ではないのだ。

 千代美にだって、あれくらいの子供が居ても、おかしくない。

 私などと会わなければ、きっと、今頃。

「まほ、何考えてるんだよ」
「んん」

 千代美は、仕方ないなといった風にため息をついた。

【まほ(前)・おわり】
156 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/10(水) 22:36:00.94 ID:29K6rrFw0

【まほ(後)】

 千代美は、仕方ないなといった風にため息をついて、静かに話し始めた。
 またお化けの話になっちゃうんだけどさ、と前置きをする。

「まほ、姑獲鳥って知ってるか」
「うぶめ」
「うぶめ。漢字でこう書くんだ」

 そう言って千代美はメモ帳とペンを取り出し、さらさらと書き始めた。『姑獲鳥』、これで『うぶめ』と読むのか。
 何故だろうか、既視感のある文字列だ。
157 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/10(水) 22:39:43.46 ID:29K6rrFw0

「『鉄鼠』のシリーズの一作目のタイトルが『姑獲鳥の夏』だからな。さっき本屋で目に入ったんだろ」
「そういう事か」
「あと、うちにもあるし」

 千代美は苦笑いをする。
 迂闊。私は、日常的に目に入っているものを見落としていたことになる。

「まあ、それはさておき。『うぶめ』は、こうも書く」

 次に、千代美は『産女』と書いた。こちらの方がまだ『うぶめ』と読める。

 いや待て、この字面は。

「うん。『産女』はね、出産で死んじゃった女の人の幽霊」
「じゃあ『姑獲鳥』は」
「子供を攫う鳥」

 名前は同じなのに、字で特徴が変わるのだろうか。
158 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/10(水) 22:40:54.57 ID:29K6rrFw0

「元は違うものだったんだろうけど、どっかで混同されちゃったんだろうな」

 そこまで話して尚、千代美は次の言葉を言おうか言うまいか迷っているようだった。
 まだ、千代美が何を言いたいのか分からない。

 やがて意を決したように、難しい事は抜きにしてざっくり言うとさ、と前置きをする。

「子供が持てない女は、それだけで化け物扱いされる時代があったって事だ」

 あくまで解釈のひとつだけどな、と付け足す。そして千代美は堰を切ったように話し始めた。
159 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/10(水) 22:42:14.06 ID:29K6rrFw0

「私だってそりゃ、赤ちゃん欲しいよ」

「恋愛小説なんか読むくらいだし、異性への憧れも人並みにある」

「まほが男だったらなあ、って考える事もあるよ」

 やはり、そうか。
 まあそうだよなと、諦めにも似た感情がこみ上げる。

「わからないか」

「まほじゃないと嫌なんだよ、私」

「今は現代で、色んな未来がある。昔とは違う」

「でも未来は何個も選べるものじゃない」

「私は、まほと一緒に居たいって思ってるんだよ。それを選んだんだ」

「昨日の夕方、言っただろ。『どこにも行かないから安心しろ』って」

「だからさ」

「そんな顔するなよ」
160 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/10(水) 22:43:38.45 ID:29K6rrFw0

 んん。

 済まない、としか言えなかった。

 千代美は笑い、私の頬を撫でる。

 私はもう一度だけ、済まない、と呟いた。

【まほ(後)・おわり】
161 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/10(水) 22:44:18.19 ID:29K6rrFw0
今日はここまで
162 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/10(水) 23:15:56.58 ID:P39tQJwqo
お疲れさまです。
163 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/11(木) 01:10:56.83 ID:QWKOjtej0
>>162
ありがとうございますー
164 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/11(木) 07:17:11.04 ID:3APOjx2uO
ダージリン「こんな格言を知ってる? 『iPS細胞というので同性の間でも子供ができるらしいです』」
165 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/11(木) 11:04:29.73 ID:ojaRw0Ig0
>>164
そうなったら名前は「ちほ」ですかね…
166 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/11(木) 18:44:12.01 ID:ojaRw0Ig0

【千代美】

 仕方ない事、なのかな。
 いくら言っても、まほは安心してくれない。というか、トラウマに近いものを抱えてるんだと思う。
 自分の前から突然、大切な人が居なくなってしまう事に対して。

 それは裏を返せば、まほが私のことを『大切な人』と見なしてくれてるって事なんだけど、なんだか素直に喜べないな。ジレンマだ。
 まあ、私に出来るのは近くに居てあげる事。それに尽きるんだと思う。

 ともあれ、スタバを出て帰り道。
167 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/11(木) 18:45:14.29 ID:ojaRw0Ig0

 夕飯はサンドイッチに変更。大体の材料は家にあるから、スーパーには寄らなくてもいい。でも、夕飯がサンドイッチってどうなんだろうか。
 まあ、まほが食べたがってるから良いんだけど。

 どうしよっかなあ。なんか、真っ直ぐ帰るのは勿体ない。もっとデートしたい。

「映画でも借りて帰ろうか」
「あ、賛成」

 レンタルのカードは財布だったか、カードケースだったか。鞄の中を手探りで漁りながら考える。
168 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/11(木) 18:46:13.04 ID:ojaRw0Ig0

 鞄を漁りながら、考える。

 鞄を、漁り、ながら。

 なんか、違和感。

 あ、あれ。

「どうした」
「ちょっ、ちょっと待って、まほ」

 立ち止まり、鞄を開ける。

 手探りじゃ駄目だ、目で確認しないと。
 いや、あんなもん、手探りでも分かるけど、認めたくない。

 鞄の中を見つめ、立ち尽くす。
169 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/11(木) 18:47:03.38 ID:ojaRw0Ig0

「おい、千代美」
「まほ」

 無い。

 本が、無い。

 本だけじゃない。

 まほが買ってくれた、カバーも一緒に。

 頭の中が、真っ白になった。
170 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/11(木) 18:48:09.31 ID:ojaRw0Ig0

「まほ、どうしよう」
「落ち着け、千代美。ちょっと座ろう」

 私達の不穏な空気は周囲にも伝わっているらしい。通りすがる人が皆、こちらを振り返る。
 私はまほに手を引かれ、近くのベンチに腰を降ろした。

「とりあえず、いつの時点まであったか思い出そう」
「うん」

 あ。

 赤ちゃんに持たせて、そのままだ。
171 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/11(木) 18:49:19.92 ID:ojaRw0Ig0

「じゃあスタバだ。戻ろう」
「まほ」
「行くぞ」

 言って、まほは私の手を引いた。

 本が戻ったら忘れられない痕跡になるだろうな。
 そう言って、私の頭を撫でる。

 雪が、降ってきた。

 まほ、ごめん、ありがとう。

【千代美・おわり】
172 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/11(木) 18:55:16.86 ID:ojaRw0Ig0

【まほ】

 結論から言うと、本は見付からなかった。

 千代美の記憶は確かで、店員の談では赤ん坊が本を持っていた事は間違いなかったそうだ。
 母親がそれに気が付いて、急いで我々を追い掛け、それっきりだと言う。信じ難いことだが、戻って来なかったそうだ。
173 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/11(木) 18:57:41.70 ID:ojaRw0Ig0

「行き逢いませんでしたか」

 あっけらかんとして言う店員に一瞬、怒りがこみ上げたが、店員に怒っても仕方ない。
 落とし物や忘れ物であれば店で管理するだろうが、客が持ち去った物に責任は持てまい。
 それに『持ち去った』とは言うものの、その母親は我々に本を届けようと走ったのだ。店員がそれを引き止める訳も無い。

 会計は注文の時点で済んでいるとはいえ、戻らないというのは妙な話だ。しかし、この店にはもうそれ以上の情報は無い。
 店員も『ここには無い』としか言えないのだ。

 念のため交番なども当たってみたが、本は届いていなかった。
174 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/11(木) 18:58:51.09 ID:ojaRw0Ig0

「まほ、ごめん」
「いや」

 悪いのは私だ。

 あの時、私が冷静でいれば赤ん坊から本を回収しただろう。
 最早、過ぎた事だが、千代美の落ち込みようを見ていると悔やんでも悔やみきれない。

 だが、これ以上我々に出来ることはもう、何も無い。

「帰ろう」
「うん」

 千代美、ごめん。

【まほ・おわり】
175 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/11(木) 19:00:26.68 ID:ojaRw0Ig0

【ダージリン】

「タオルと着替え、置いておくわよ」
「済まないね、ダージリン。ありがとう」

 お風呂の扉越しの会話。

「いやあ、屋外で待つことには慣れてるつもりだったんだけど、雪が降るとはね」
「スロット屋さんとは違うのよ。全く、玄関先で凍死されたら敵わないわ」

 いつからそこに居たものか。彼女は隣の家の前でまほさんと千代美さんの帰りを待っていた。渡したい物があるとかなんとか。
 今日は折悪く私まで出掛けていたものだから、彼女は寒空の下、ずっとそこで立ったり座ったりしていた様子。
176 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/11(木) 19:01:29.89 ID:ojaRw0Ig0

 私が帰った時には彼女の体はすっかり冷えていたので、こちらの家に引っ張り込んでお風呂をあげている所。

「夕飯の当てはあるの」
「無いね」
「なんて言いながら、千代美さんの料理が目当てだったんじゃないのかしら」

 そこで彼女は、ううん、と言葉を濁した。

「その事なんだけど」

 彼女が何かを言おうとしたタイミングで、隣の家の玄関が開く音がした。
177 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/11(木) 19:02:12.18 ID:ojaRw0Ig0

「あら、帰って来たみたいね」
「ええっ、あれだけ待っても帰って来なかったのに、お風呂に入った途端かい」

 そういうものよ、と笑う。

「参ったなあ、早く渡したいのに」
「それなら代わりに渡してきてあげるわよ」

 いや何から何まで本当に済まないねと、彼女、ミカは言った。
178 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/11(木) 19:03:11.88 ID:ojaRw0Ig0

「このお弁当箱と文庫本を渡せばいいのよね」
「うん、頼んだよ」

 はいはい、と言って隣の家へ。

 それにしてもこれ、『文庫本』と呼んでいいのかしら。
 辞典みたいな厚さだわ。

【ダージリン・おわり】
179 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/11(木) 19:04:41.15 ID:ojaRw0Ig0
今日のぶん終わり
たぶんもう少しで完結しますので、もう暫くお付き合いください
180 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/12(金) 08:37:30.47 ID:NDtKQXWL0
今晩、完結まで一気に投下します
長くなりますがよろしくお付き合いください
181 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/12(金) 19:25:00.59 ID:kta593FJ0

【ミカ】

 あかときは終に行く
 もう帰してはくれぬ
 爆ぜて天ぐらり

「絶景だ」

 などという自分の寝言で目が覚めた。
 危ない危ない、ちょっと眠ってた。碌でもない夢を見ていたらしい。せっかく凍死せずに済んだのに、今度は溺死するところだった。

 いやあ、それにしても湯舟って本当に気持ちが良いなあ。

 目が覚めて程なくして、どたどたと跫が聞こえた。お風呂の扉が乱暴に開け放たれる。
182 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/12(金) 19:26:03.12 ID:kta593FJ0

「わあ、えっち」
「やかましい。ミカ、何故お前があの本を持っている」
「お風呂のあとじゃ駄目かな」

 まあ、今ここで話しても良いんだけどさ。
 千代美の事で余裕を無くすまほが可愛くて仕方ないから、わざと焦らすようなことを言ってしまった。
 驚いたことにまほは舌打ちをして、早くしろと吐き捨てるように言って扉を閉めた。

 あ、でもこれだけは言わなくちゃ。

「まほ」
「何だ」
「サンドイッチ、食べちゃってごめんね」

 何も言わず立ち去るまほと入れ替わるようにして、今度は千代美がやって来た。
 まほよりは落ち着いているのか、こちらは扉越しに会話をする。
183 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/12(金) 19:27:06.11 ID:kta593FJ0

「ミカ、あの、本、ありがとう」

 声が震えている。

「千代美、もしかして泣いているのかい」
「うん、本が戻って来たのが、嬉しくて」

 そんなに大切な物だったのか。まほも取り乱す訳だ。それならまあ、こちらも凍え甲斐があったというものだね。
 事情はお風呂から上がったら説明するよと返した。

 それと、もうひとつ。
184 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/12(金) 19:27:58.08 ID:kta593FJ0

「サンドイッチ、ご馳走さま。あまり美味しくなかったよ」
「えへへ、やっぱり」

 気恥ずかしそうに笑って、千代美も立ち去った。
 全く、入れ替わり立ち替わり、忙しいことだ。お陰で二度寝せずに済んだけどさ。

 さて、体も十分暖まったし、そろそろ上がろうか。
 どこから話そうかなあ。

【ミカ・おわり】
185 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/12(金) 19:29:18.20 ID:kta593FJ0

【千代美】

 参ったなあ、ミカにはバレちゃったか。
 まあ、それはそれ。いずれバレるものだったんだと思うことにする。

 それより本が戻って来て、本当に良かった。
 まほが買ってくれたカバーも、スタバで赤ちゃんが付けた折り目もある。間違いなく私の本だ。

 さっき、ダージリンがこれを持って来たのを見て、目を疑った。なんでここにあるんだよ、って。
 その事情は、ミカがこれから話してくれるらしい。

 そんな訳で私達はダージリンの家のリビングでミカがお風呂から上がるのを待ちながら、ダージリンの茶飲み話を上の空で聞いている。
186 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/12(金) 19:30:10.53 ID:kta593FJ0

「聞いて頂戴。カチューシャったら酷いのよ」

 今日のダージリンはカチューシャとどこかで食事をしていたらしい。
 お酒を飲んだカチューシャを車で送ろうとしたら、乗りたくないと言ってわざわざノンナを呼び出して帰ったとかなんとか。
 まあ、確かに酷いけど、ダージリンの運転も負けないくらい酷いからなあ。酔ってる時に乗りたいかって言われると、うーん。

 正直、可哀想なのはダージリンよりノンナじゃないかと思う。

「お待たせしたね」

 髪を拭きながら、ミカがやってきた。
 何故かミカは、苛立ちを隠さない様子のまほの隣に腰を降ろし、話し始めた。
187 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/12(金) 19:30:54.53 ID:kta593FJ0

「私にその本を預けたのは、あの人なんだ。名前は忘れたけど」

 何て言ったっけ、あの、カチューシャのせいでよく走り回ってるハイエースの人、とミカは記憶と格闘している。
 あれ、それってもしかして。

「ノンナか」
「そう、ノンナさんだ。彼女が先にそこで待ってたんだよ」

 そう言ってミカは玄関の方を指す。

 ノンナが来てたんだ。
 彼女が先にそこで待っていた。普通の本ならポストにでも突っ込めたんだろうけど、この本じゃ無理だから待つしか無かった。
188 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/12(金) 19:31:39.92 ID:kta593FJ0

「でね、彼女はカチューシャの呼び出しでこの場を離れざるを得なくなった」

 そこに弁当箱を持った私が来合わせたのさ、とミカは淡々と説明した。
 そしてノンナから本を預かったミカは、ダージリンが帰ってくるまでそこに居たって訳か。

 まあ、ノンナはカチューシャの送迎でここにもよく来るから、その隣の私達の家を知ってるのは別に不思議な事じゃない。ただ、ノンナが本を持っていたのは、一体。

「ああ、何故だか子連れの女性が一緒だったよ。マルヤマさんと言ったかな」

 あ。
 その人は。

「繋がったか」

 私達を追い掛けたマルヤマさんをノンナが車に乗せてここまで来た。
 そして本はミカの手に渡った、か。
189 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/12(金) 19:32:26.46 ID:kta593FJ0

「ノンナが我々に気付いていたということは、彼女は店に居たのか」

 ああ、そう言えばそうか。ノンナはマルヤマさんが追い掛けたのが私達であることに気付いてたからここまで来れた。
 って事は店に居たんだ。

 気付いてたなら話し掛けてくれりゃ良かったのに。

「どうせまたイチャイチャしてて話し掛けづらいオーラでも放ってたんじゃないの、貴女達」

 うっ。

「それは」
「ぐうの音も出ません」

 ダージリンは仕方ないわねといった風にため息をついた。
190 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/12(金) 19:32:57.14 ID:kta593FJ0

 ともあれ、ちゃんとお礼しないとな。
 ノンナは元より、出来ればマルヤマさんにも。

 ひとまず、夕飯作るか。

「ミカも良かったら食べてってくれ。またサンドイッチだけど」
「そりゃ有り難いけど、いいのかい」

 心配しなくていいよ、ちゃんと美味しく作るから。
191 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/12(金) 19:34:20.60 ID:kta593FJ0

【まほ】

 千代美は夕飯を作りに部屋に戻った。
 さっきまで本を抱えて泣いていたというのに、彼女は本当に強い。
 こちらの部屋には私、ミカ、そして家主のダージリンが残っている。

 私も何か手伝おうと腰を上げると、ミカに呼び止められた。

「まほ、話があるんだ」
「私にか」
「うん。彼女の料理についてさ」

 千代美の料理について。どんな話だろうか。
 ミカは、怒らないで聞いてくれよ、と前置きをした。
192 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/12(金) 19:34:57.00 ID:kta593FJ0

「今朝のサンドイッチね、あまり美味しくなかった」

 頭に血が上るのを感じる。こいつは一体何を言い出すんだ。
 咄嗟にミカの胸倉を掴もうとしたが、ダージリンに制された。

「怒らないで、って言われたでしょう。私の家で暴れるのはカチューシャだけで沢山だわ」

 そう言われると、立つ瀬が無い。

 拳を握り、耐え、詫びた。

「すまん」
「いや、私も言い方が悪かったね。不味いと言っている訳じゃないんだ」

 美味しいことは美味しいんだけど、とミカは何か良い言い回しを探しているようだった。

 それは、もしかして。
193 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/12(金) 19:35:29.54 ID:kta593FJ0

「『違う』、か」
「ああ、それだ」

 千代美の料理に何か問題でもあるのだろうか。彼女の料理を口にする者は軒並み『店が開ける味だ』などと言う。
 何が不満なのだ、ミカは。

「店が開ける味。そうだね、彼女の料理はいつもそうだ」

 でも今朝のサンドイッチは違ったんだ、とミカは言う。

「彼女は人に料理を出す時は店が開ける味、つまり万人向けの味にする」
「それが今朝は違ったと言うのか」
「うん」

 どういう事だろう。一体何が言いたいのだ、ミカは。

 私は分かったわと、紅茶を淹れて運んできたダージリンが口を挟んだ。
194 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/01/12(金) 19:36:16.24 ID:kta593FJ0

「ここまで言って気付かないまほさんは本当に幸せ者よ」
「全くだ。まほ、今朝のサンドイッチは万人向けじゃなく」

 まほ向けの味にしてあったんだ。

 ミカはそう言って紅茶に口を付け、顔を顰めた。

「これは不味いね」
「ごめんなさいね。淹れるのは下手なのよ、私」

 まだ分からない。
 困惑する私を余所に、二人は和気藹々と雑談を始める。

「ま、待て、私向けの味とは何だ」

 ミカはまたも言い回しを探すような間を置いた。
 しかし言葉が見付からなかったのか、やがて、諦めたように言う。
195 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/12(金) 19:36:57.52 ID:kta593FJ0

「それは千代美しか知らないんじゃないかなあ」

 まほ、目玉焼きの好みはあるかい、と突然の質問。

「半熟で、醤油をかける」
「あら、温泉旅行の時は二人ともプレーン派って言ってた癖に」
「あの時は面倒くさかったからな」

 随分と昔の話を覚えているものだ。
 あの時は確か、食べ物の好みで喧嘩するのが好きなダージリンがソース派の角谷にちょっかいを出したのだったか。
 面倒で私も千代美もプレーン派と答えた。
196 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/12(金) 19:37:51.58 ID:kta593FJ0

「そう、目玉焼きはとても好みが分かれる」

「味付けから焼き加減まで人それぞれに好みがある」

「ちょっかいを出せばすぐにでも戦いが始まる食べ物さ」

「だけどまほ、君と千代美はそれで喧嘩なんかしないだろう」

 確かにそうだ。
 私と千代美は目玉焼きの好みが違う。

 だが、それで喧嘩になった事は一度も無い。
197 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/12(金) 19:38:18.84 ID:kta593FJ0

「ねえ、まほ」

「千代美は、まほの好みに合わせて目玉焼きを焼いてくれてるんじゃないのかい」

「目玉焼きに限った事じゃないけどね」

「千代美は全ての料理でまほの為の味が出せるんだと思う」

「まほが気付かなかったのは、たぶん」

「まほにとっては単に『全部美味しい』からさ」

「だから、改めて言うよ」

「サンドイッチ、食べちゃってごめんね」
198 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/12(金) 19:39:09.55 ID:kta593FJ0

 考えれば考えるほど、辻褄が合う。
 目玉焼きどころか、コーヒーの一杯ですら、千代美は私の好みに淹れてくれるのだ。

 仮にミカの推測が本当だとすれば、私は、私の事をそこまで想ってくれている人に対して、疑うような事を。

 それは果たして、謝って許して貰える事なのだろうか。

「千代美さんが貴女を嫌う筈が無いでしょうに。見ていれば分かるわ」

 ううん。

 しかし、そんな事があり得るのだろうか。
 千代美に直接訊くのも何だか憚られる。

 確かめる術など、ああ。
199 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/12(金) 19:39:35.76 ID:kta593FJ0

 千代美は今、サンドイッチを作っている。恐らくそれで分かる事か。
 まあ、きっと、何が入っていても美味い。それは間違い無いだろう。

 ひとまず。

「ミカ、色々と済まなかった」
「気にしてないよ」
「千代美の本の事、ありがとう」

 大事にしてあげることだね、と笑い、ミカは紅茶を不味そうに飲んだ。
200 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/12(金) 19:40:19.32 ID:kta593FJ0

「本当に不味いね、これ」
「溢さずにお話が出来れば何でも良かったのよ」

 言って、ダージリンはこちらを軽く睨んだ。

「ち、千代美を手伝ってくる」
「ふふ、行ってらっしゃい」

 ううん、どんな顔をして会えば良いのだろう。
201 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/12(金) 19:41:45.89 ID:kta593FJ0

【千代美】

「千代美」
「まほ。ミカから聞いたんだろ」
「んん」

 バレちゃったか。
 まあ、ミカに口止めしなかった辺り、私にもいつか知ってほしいという想いがあったんだと思う。
 彼女の言う通り、私は人に料理を出す時とは別に、まほに料理を出す時だけ使う味がある。
 と言っても、隠し味がどうとか、そういう難しい事をしてる訳じゃない。単に『まほ好みの味』を把握して、それに合わせてごはん作ってるってだけ。

「いつから」
「いつからだろう」

 覚えときゃ良かったかな。
 そんくらい、ずっと前から。
202 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/01/12(金) 19:42:36.35 ID:kta593FJ0

「何故」
「決まってるじゃん」

 好きだから。
 そして、好かれたいから。

 お化粧と同じだよ。

「ほら、サンドイッチ出来たよ。こっちがまほの分」

 今朝作ったのと同じサンドイッチ。

 まほはそれを一口食べて、呟いた。
203 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/01/12(金) 19:43:49.05 ID:kta593FJ0

「美味い」
「えへへ、やったあ」

 まほの目に、みるみる涙が溢れ、流れていく。
 彼女はサンドイッチの皿を置き、私を抱き締めた。

「ごめん、千代美。昼の、事」
「気にすんな」

 まほの腕に力が篭る。痛いけど、それが嬉しい。
 私はまほの頭を撫でながら言った。

「どこにも行かないから安心しろよ」
「分かってる」

 本当かなあ、という言葉は飲み込んだ。
204 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/12(金) 19:44:21.82 ID:kta593FJ0

 でも、ひとつだけ。
 二人でソファに倒れ込み、私はまほにお願いをした。

「昨日のあれ、やって」
「こうか」

 まほは私の頭を掴んで、ぎゅうっと胸に押し付けた。
 息が、止まる。

「逃がさん」

 ああ、最高だ。
 ぞくぞくとしたものが背中を走り抜け、もう、それだけで。
205 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/12(金) 19:44:54.80 ID:kta593FJ0

「ご馳走さまだわ」
「全くだね」

 嘘だろ、おい。

「お、お前ら、いつからそこに」
「いつからかしらね」
「『いつからだろう』ね」

 だいぶ前から、って言うかほぼ最初からかよ。
206 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/12(金) 19:45:36.14 ID:kta593FJ0

「隠れてたな」
「人聞きが悪いね」
「貴女達が話し掛けづらいだけよ」

 ま、まほ。
 そろそろ、あの。

「うわ、千代美、大丈夫か」
「手を離しなさいよ」

 ぷはあ。
 た、助かった。
207 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/12(金) 19:46:07.38 ID:kta593FJ0

「ダージリン、彼女達はいつもこうなのかい」
「ええ、飽きないわよ」

 あの、サンドイッチ、出来上がってますんで。

「うん、頂いてる。美味しいよ」

 さすが千代美だ、とミカは笑う。

「じゃ、残りは向こうで頂きましょうか」
「そうしよう」

 言って、二人はサンドイッチの皿を持ってそそくさと出ていった。
 ここに居るのは今度こそ、私とまほだけ。
208 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/12(金) 19:47:19.11 ID:kta593FJ0

 ちょっとだけ長いキスをして、訊いた。

「何か食べたいもの、あるか」
「魚」

 鰯でいいかな。

 私がそう返すと、まほは小さく頷いた。

【了】
209 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/12(金) 19:47:59.85 ID:kta593FJ0
完結です。
ここまでのお付き合い、ありがとうございました
210 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/13(土) 13:20:46.45 ID:UNIBr1wIO
おわっちゃった
211 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/13(土) 21:21:49.71 ID:xQ0KvW4V0
>>210
お付き合いありがとうございました
212 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/14(日) 00:20:35.65 ID:ANyae8EYO
>>211
こちらこそ素敵な物語ありがとうございました
213 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/14(日) 10:06:44.29 ID:GZL0jY/L0
>>212
いやいやいやこちらこそありがとうございました

【千代美(中)】を渋に公開しました。
「毛羽毛現の湯」か、まほチョビタグで検索して頂ければ出ると思います。
214 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/14(日) 16:20:52.95 ID:lLf+U2hk0
乙 何気なしに開いたけど面白かった
あと千代美(中)で一部分の硬度と角度が上昇した、ごちそうさまでした
215 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/14(日) 20:24:26.65 ID:GZL0jY/L0
>>214
ありがとうございます
追ってここのRにも投下してみる予定です。
216 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/14(日) 22:11:46.21 ID:qximAt1/0
これほどの作品がまとめに乗らないのはもったいないな
まほチョビは荒れるとはいえ
217 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/14(日) 23:55:25.07 ID:GZL0jY/L0
>>216
正直、ここに投下するのもはらはらしてましたので…仕方ないです
218 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/15(月) 02:12:33.10 ID:4sFCchGRo
Yo��Yo��
219 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/15(月) 05:23:28.12 ID:Zk/Dw35xo
正直まほチョビで荒れるっていうのがよくわかんないんだけど過激派でもおるんか?
220 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/15(月) 07:21:25.89 ID:XM4UF7sZ0
>>218
いえーい

>>219
いやあ、実は私もよく分かってません。
確かに荒れるというよりは「過激派が居る」という言いかたの方が適切かも知れません。
某最大手さんにまほチョビSSをまとめて頂いた時に、コメント欄がそんな感じになった経験がどうも頭から離れなくて。
まほチョビを書いても投下を躊躇うようになってしまったんです。
221 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/15(月) 07:34:30.27 ID:Zk/Dw35xo
>>220
そうだったのか…
正直まとめサイトのコメント欄とか自演してもわかんないし、民度あれだから気にしなくていいと思うけどなぁ

ここで絶賛されてる作品でも酷評されてることしょっちゅうだし
222 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/15(月) 12:02:10.41 ID:XM4UF7sZ0
>>221
お気遣いありがとうございます

まあその炎上が悔しかったのが切欠でまほチョビばかり書くようになってしまったという側面もあるので、感謝もしてるんですよ

あと、渋に公開した【千代美(中)】が皆様のお陰でデイリー39位を頂きました。
注目ジャンルや注目作家が犇めくランキングの中にまほチョビをぶち込めたのは、一重に助平な皆様のお陰です。本当にありがとうございました。
223 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/15(月) 12:23:35.46 ID:MNgdBE9iO
まとめの養分になりたがるやつってほんにいるんだな
無断転載されてよろこぶとか脳みそが欠けてる証拠だろ…
224 : ◆nvIvS/Qwrg [saga]:2018/01/15(月) 13:19:18.78 ID:XM4UF7sZ0
>>223
そっすね!
225 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/15(月) 20:35:50.17 ID:VXi31keXO
>>222
千代美(中)を読んでから続きを読むとだと中々に…ふぅ
226 : ◆nvIvS/Qwrg [sage]:2018/01/15(月) 22:30:42.40 ID:XM4UF7sZ0
>>225
個人的にはギャグを目指したのですが、思いのほか「エロい」という感想を多く頂きました…ありがとうございます
227 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/16(火) 07:47:34.58 ID:eaTMahizo
つまらなかった
228 : ◆nvIvS/Qwrg [sage]:2018/01/16(火) 09:29:17.36 ID:UByzhrE00
>>227
お読み頂きありがとうございます
精進します…
229 : ◆nvIvS/Qwrg [sage]:2018/01/16(火) 14:08:08.31 ID:UByzhrE00
長々と済みませんでした。そろそろお開きと致します

春編が書けたらまた来ます
良ければその際にまたお付き合い下さい
230 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/17(水) 02:41:55.19 ID:pXPRYBjn0
改めて乙
新作楽しみにしてるよ
231 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/01/19(金) 00:46:43.93 ID:ZCrDEX0X0
次は注意書き外せ
アンチなんか気にするな
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