【モバマス】P「■■、***、○○○○」

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60 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 15:36:15.31 ID:U5rAS9nW0

「どうした?」と言う間も与えてくれず、

「面白いとこ見つけたの!」と***が私を引っ張り、「○○○○も、ほら!」と■■が○○○○の手を取る。

 連れて行かれた先は、出店が立ち並ぶ通りに構えられた呉服屋だった。祭りの熱気に客を吸われた他の実店舗とは違って、その店は取り扱いのものゆえ比較的客足がある。

 呉服屋。玄関口に立てられた宣伝ノボリには『貸し浴衣あり?』の文字────なるほど、私は財布の口を開いてみせた。

 動きにくそう、とややゴネかけた○○○○もふたりがかりの説得には頷かざるを得ず、レンタルは三人ぶんを頼んだ。着付けもサービスに入っているそうで、三人が着替えているあいだに会計は済ませた。

「あ、領収書ください。宛名は……」

「はいはい、はいっと。
 ……いやあしかし、あーんな可愛らしい子を三人も連れてるったあ色男だね。いったいどういう関係だい?」

 店主らしい妙齢の女性は、ずいぶんフレンドリーだった。親しみを込めて投げ込まれたその言葉が、私としてはちょっと痛い。

「……さて。どんな関係でしょうね?」

 変装はあくまで簡易的で、ついでに着替えるにあたって一旦眼鏡も帽子も取り払って、それでもなおまったく気づかれないのはどうなのかという話である。
61 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 15:36:53.86 ID:U5rAS9nW0

 曖昧な返答でお茶を濁すと、店主は片眉をつり上げて首を傾げた。しかしそれきり何もたずねてはこなかったあたり、間合いを取るのは不得手ではないらしい。会釈だけ残して、先に店からは出ておく。

 十分と待たず、真っ先に着替えを済ませて飛び出してきた***は、白地にオレンジのアサガオが咲く浴衣を着ていた。「じゃーん! プロデューサー、どうどう!?」

「走ってこけないでよ、***……」次に出てきたのは○○○○、「お会計、プロデューサーが済ませてくれたの?」と言ったのが■■。それぞれ黒地に白ユリ、赤に花山吹を合わせた浴衣を立派に着こなしている。変装用のアイテムはもう付ける気もないようだが、……まあ、仕方ないか。

「似合ってるぞ。三人とも」と言った。「会計は気にしなくていい。経費で落とすから……ああ、その代わり■■は撮った写真をいくらか私に転送してくれ」

 資料としての衣装レンタルだと説得できるだけのものがあれば、なんとかなってくれるかもしれない。というのは希望的観測だ。
62 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 15:37:43.45 ID:U5rAS9nW0

 人が多くなってきていた。歩道にレジャーシートを敷いて場所取りをしている人もちらほらと見えて、もうそんな時間かと時の相対性を感じる。

 南西の空は雲が銀色を拡散している。直射する日光がないせいか日の暮れが平生より早いように思う。とはいえ花火大会開始の規定時間が変わることもないはずなので、私たちはゆるやかに辺りを巡った。一応の下調べはしている。この近辺ならば、そう良い場所にこだわらなくても花火は綺麗に見えるはずだった。

 海風が吹いた。太平洋を渡ってくる風は、あまり冷たくない。楽しそうに前を歩いていた三人組が各々に髪を押さえて横風をやり過ごしている。私は自身のスマートフォンで、その後ろ姿を撮影した。

 きちんとしたカメラでも持ってきておけばよかったか。小さく肩を落とした。なんせ私のそれは型落ち旧式の安物である。画質は決してよろしくなかった。

「あー、プロデューサー。撮るなら撮るって言ってからじゃないとダメでしょ?」

 振り返った■■がちょっと怒ったふうに言う。すまん、と謝りながらも、私はラフな写真を保存した。
63 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 15:38:37.81 ID:U5rAS9nW0

 薄暮が迫るにつれて、立ち並ぶ屋台に灯が点きはじめた。背景の海に提灯が浮かんでいるようで、さながら灯籠流しのようだと思った。精霊は、薄ぼんやりの明かりに乗って海の向こうへ帰っていく。そういえば、今年の盆も忙しさにかまけて実家へは帰っていない。不意にやたらとセンチメンタルな気分になった。

「……そろそろ落ち着けるところを探そうか」

 ○○○○はモチーフが今ひとつよくわからない緑色のぬいぐるみを抱いている。射的で射止めたそいつをはじめとして、それなりに手荷物があった。彼女らがおそらく慣れてはいないだろう草履を履いていることもあるし、立ち見はあまり望ましくない。

 ぶらりと露道の屋台を冷やかしながらスペースを探した。あてどのない足任せだったが、幸いにしてすぐに良い場所が見つかった。

 場所取りが活発に行われている大通りから、ひとつ曲がったその角に見るからに個人経営らしい店が構えていた。掲げられた看板はかすれている上にサビが浮いているが、文字は読み取れる。『烏山商店』。『ウサン』なのか『からすやま』なのかはっきりしないが、それはまあ、いい。

 重要なのは瓦屋根の軒先にペプシ・コーラの青いベンチが置いてあったことだ。奥にいた愛想のいい老主人に伺うと、どうぞ使ってくれて構わないと快諾を得られた。
64 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 15:39:16.55 ID:U5rAS9nW0

 詰めて座らなくても三人は座れる。詰めて座っても四人は厳しい。自然の摂理、当然の帰結として私が立つことになるのは仕方がない。代わろうかと言ってもくれるが、女の子を立たせて私が座っているなんて状況は外面が非常によくない。横向きに首を振るった。

「花火、まだかな」と○○○○が言った。彼女にしては珍しく、感情がむき出しでわかりやすかった。拾った■■がふふっ、と笑う。「もうあと三十分ぐらいだね〜。○○○○がうきうきしてるの、珍しいね?」

「……そう? 珍しくは、ないと思うけど」

「あ、そっち否定するんだ。『うきうきなんてしてない……』って言うかと思ったなー」

「わ、***結構モノマネ上手ーい」と■■が囃すと、すかさず○○○○が反論する。「えっ、上手いかな。下手じゃない?」

「ヒドイっ!」

 賑々しい。その様子を背にしつつ、私は烏山商店のガラス戸を引いた。

「元気な子らですな」

 手狭な店内に足を踏み入れると、店主が顔のしわを深めつつそう言って笑った。

「……騒がしいですかね。申し訳ないです」

「いやいや」と店主は首を振る。「若い子というのは、こうでなくてはいけませんよ。元気であることは、なにより素晴らしい。そうは思いませんか」

「……そうですね。思います」
65 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 15:40:08.29 ID:U5rAS9nW0

 でしょう、と笑みを深め、店主は大きく頷いた。視線が合った。真っ黒い店主の瞳は、ぞっとしそうなほど澄んでいる。

「子どもの口から出るものこそが真理ですからなぁ。それが笑い声であったならば、幸せの証明。悲しみの泣き声だったとしたらば、悲しみの証明。……どうかすべての人の子らが、幸せに笑っていられる世界であってほしい。そう願ってなりませんな」

 スローペースなその口調は、やけに諌めるように響いてくる。詰まりつつも返事をしようとしたが、まるで思考を読まれたように、店主は私の言葉を事前に差し止めた。「ま、じじいのたわごとですな。失礼いたしました」

 ────さて、なにかご入用ですかな? あらたまってのその言葉に、私はため息を吐かされた。

 場所代の代わりに、というにはあまりに安っぽいが、私は人数分のアイスバーと飲み物を買った。

「毎度ありがとうございます。……いやあ、毎度ではありませんかな」

 からから笑う店主からは、さっきのある種異様な雰囲気はすっかりなくなっていた。

 外に出ると、すぐさま明るい声が飛んできた。「プロデューサー! ……それはアイスだねぇ?」と***が言った。私はその様子にちょっと安堵して、「目ざといことだな」と応えた。
66 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 15:40:36.49 ID:U5rAS9nW0

 スイカ味の氷菓をかじった。強い甘味が舌で弾けて、冷たさが頭を冴えさせる。ただ心地よいだけでなく、少しばかりの寒気も感じた。日は暮れて、風向き変わった陸風が熱気を海へ掃いていく。秋を見つけた、というのは言葉が過ぎるだろうか。

「んまーい……」

「結構、涼しくなってきたね」

「もう夜だしね〜。そろそろかなぁ」

 時計の長針は、まもなく十二を指し示す。そろそろだな、と言おうとしたところで、地面にひとつ丸いシミが落ちて意識がそっちを向いた。アイスが垂れたか、と右手に掴むスイカバーを見るが、溶けた様子はない。

 ────雨か? まさかと見上げると、夜になった空はのっぺりと黒い。昼間も晴天ではなかったが、予報の降水率は低かったはず。

 きょろきょろと辺りを見渡すうち、不意にひゅるる、と間の抜けたような音が鳴り響いて、雑踏の賑わいが一気に沸いた。

 夜空に大輪の黄色い菊が咲く。炸裂音が轟いて、人の声を消しとばした。

 視覚と聴覚に余韻を残して、また空は黒色に閉ざされた。「わあ……」という漏れ出た感嘆の声は誰のものだったろう。

 しかし、それきりだった。ひとつの爆発をきっかけとしたように、アスファルト上のシミが加速度的に増えていく。立ち並ぶ家屋の屋根をばらばらと叩く音も、比例してその強さを増していった。

「えっ……嘘でしょー……」

 祈るように言ったのは、***だった。そんな彼女をあざ笑うかのように、嘘ではない雨の雫は無情にも空から注いで止まなかった。
67 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 15:41:05.18 ID:U5rAS9nW0

 ついぞ雨はおさまることがなかった。当然に、花火大会は延期。私たちからすれば、つまり中止になった。

 呉服屋で浴衣を借りていたのが幸いとなった。着替えがあったおかげで彼女らが濡れたままに帰ることは避けられる。

 ヘッドライトが暗闇の中に雨粒をちかちか浮き彫りにさせていた。車内は静かだった。ちょっと沈んだ気分になってしまった三人は会話が弾まず、それぞれが知らずのうちに寝入っている。

 楽しい一日だった。間違いなく────けれど最後にケチが付いてしまった。どうやら神様というのは、なかなか盲目的に優しくはしてくれないらしい。

 烏山商店の老爺の言葉が、かすかに頭をよぎった。

 車体を叩く水滴の勢いは弱まらない。

 長く続きそうだ、と私は漠然に思った。
68 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 15:41:41.40 ID:U5rAS9nW0



 夜来の雨が止まなかった。まるで梅雨が戻ってきたかのように、あるいはそれ以上に、太陽は顔を見せない日が続く。

 日が現れない街は、こんなにも暗い。

 世界は灰色に包まれたようだった。

 鉄筋コンクリートのビル群。アスファルト舗装の道路。モノクロームに、鈍に輝く水滴がしきりに落ちた。

 それはなにか予兆のようだった。

 明るいものは、やってこない。
69 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 15:44:30.15 ID:U5rAS9nW0

五.

「────は? どういうことですか」

「いえ、どういうことと言われましても……」

 詰め寄っても効果はなく、受付の男性には困ったような表情をされるだけだった。困っているのはこっちだ。そしりたくなる気持ちを抑えて、私はライブ会場となるはずだった市民ホールを早足に出た。ビニール傘を持ったジャージ姿の三人が小走りに寄ってくる。

「プロデューサー。……どうだった?」

 たずねながらに私の顔色で察したらしく、○○○○の声は尻すぼみだった。首を横に振って応える。

「今日ここでライブが行われる予定なんてないんだそうだ。いや、実際にはあったが、ついこのあいだになくなった、とか」

「なにそれどういうこと?」■■が噛み付く。私は答えを持っていないから、なにも言うことができない。

「中止になったってことだよね? ……連絡忘れ?」と***が言った。

 もしもそうなのだとしたら、致命的なミスにもほどがあった。こっちはひと月以上も前からずっとこの日を視野に入れて動いていた。準備した衣装や機材、アイドルたちのレッスンがそのまま無駄になることはないにせよ、ひとつの仕事が潰れるというのは生なかなことではない。

 念を入れた確認として、手帳に記入しておいた今日のためのメモを見る。イベント会場も日時も間違っていない。主催者は……ミシロプロ。先輩が企画した合同ライブだった。
70 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 15:45:03.05 ID:U5rAS9nW0

 先に社用の軽バンに戻っているようアイドルたちには告げ、私は先輩の連絡先に電話をかけた。彼はいつも、仕事中ならばスリーコール以内に電話に出る。ところが、その日の呼び出し音はやたらに長く響いてから途切れた。

『……悪い、待たせた。どうかしたか?』

 どこか疲れが滲んだような声だった。苛立ちに任せて問いただそうとしていたところ、その声色で少し平静に戻る。

「……お疲れ様です。聞きたいことがあって連絡しました」

『なんだ? 悪いけど、今忙しくてな。手短に頼む』

「では前置き抜きで。……今日の合同ライブ、中止になったんですか? こっち、なにも聞いていないんですが」

 たずねると、先輩は『はぁ……?』と呟き、そこから少し間が空いて、バツの悪そうな声が届いた。『……悪い。伝えられてなかったな。完全にこっちのミスだ、本当に申し訳ない』

「終わったことです、謝罪はもういい。事の経緯を教えてください」

『ああ、悪い。実は……』応えようとしたところで、電話口の奥で先輩の名を呼ぶ大声が聞こえた。彼の舌打ちを初めて聞く。『わかってます、すぐ行きますから! ……くそ、すまん、本当に悪いんだけど、後にさせてくれ。余裕がないんだ。今、ミシロがヤバい』
71 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 15:46:03.74 ID:U5rAS9nW0

 早口にそこまで言い切って、こちらの返事は待たず通話が閉じた、向こうの都合で振り回されたあげくにこのないがしろ。立腹して当然なその状況で、しかし私に怒りの感情は薄かった。それよりももっと私の意識を引っ張る言葉があったせいだ。

 ……ミシロがヤバい?

 なにかが動いていたらしい。私はそのなにかをすぐに感知できる場所にはいなかった。

 なにがどうなっているのかわからないが、先輩の様子はただ事ではなかった。一刻も早く事情を知りたい、というよりも、知るべきだと思った。けれど、かけ直した電話は一向繋がらず、メッセージへの返答もない。

 ひとまずは帰るしかないのか。私は雨の中を軽バンまで走った。
72 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 15:46:30.77 ID:U5rAS9nW0

 事務所に着くと、ほとんど同時に私のスマートフォンが鳴った。ただ、電話のためのコールではない。メッセージを受信したことの通知音。先輩からだった。『午後三時、そっちに行く』『都合悪かったら言ってくれ』

 待っています、とだけ返信して、車に積み込んでいた諸々を下ろした。

 ***たちにはとりあえず今日は解散と伝え、報告のために社長室へ向かった。ノックをしても返事がなく、ドアノブは回そうとしても動かない。留守か。思わず扉を殴りつけてしまって、自分が想像以上に参っていることに気づいた。

 どうしようもなくて自デスクに戻ると、私服に着替えた三人が待っていた。

「……帰ってよかったんだぞ?」

「帰れるわけないって」と■■が言った。

 デスクにはマグが用意してあった。「プロデューサーは、なににする?」***の気遣いにコーヒーを頼んだ。各々の好みで買ったせいで不揃いになった四つのマグは、角砂糖を落とすとそれぞれに違った音を鳴らす。オフィスフロアの角には給湯ポットがある。お湯を注いで持って来てくれたインスタントコーヒーをひと口含んだ。
73 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 15:47:05.53 ID:U5rAS9nW0

「とりあえず、今日のライブは結構前から中止になってて、その連絡が来てなかった。っていうことなんだよね?」

「ああ」頷いた。***の確認が、今日に起こったことを端的にそのまま表している。

「ありえなくない? 中止になったのはまだしも……いや、それもありえないんだけど! 連絡ないのはもっとありえないって」と■■がぶっきらぼうに言った。○○○○もそこに乗っかる。

「うん。正直ちょっと、愉快じゃない……よね。ちゃんと説明してもらわないと。ことの次第によっては怒るよ」

「わかってる。ちゃんと説明もしてもらう。……ただ、どうもワケありらしい。まだ詳しく聞けてないが」

「ワケなくこんなことになってたんなら問答なしで責任者ひっぱたくから」

「連絡しなかったワケってなに。理由があったってなにしてもいいことにはならないわ」

「……私に突っ込むな。私だって知りたい」

 明らかに不機嫌なふたりと私とを見比べながら、黙っていた***が「あはっ」と不意に笑った。声は渇いていた。

 笑おうと努めていると直感でわかって、自己嫌悪する。

「あのー……ね、プロデューサー。先輩さんは、三時に来るんだったよね」

「……ああ。そう連絡があったな」

「じゃあさ、えっと……お昼、どうしよっか。ほらほら、私お腹すいたなー! みんなももうじきお腹すくころでしょ? でしょ?」
74 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 15:47:56.45 ID:U5rAS9nW0

 空気を変えようとしている。それがあからさまにわかって、いたたまれなくなる。痛いぐらいなトゲトゲしさを作り出したとして、今はどうにもならないのだ。私は最年少の彼女よりも未熟だった。

「……出前でも取るか」

 出かけていく気にならなかった。空模様も居残れと言っている。

 ■■と○○○○のふたりも、私と同じ心境になっている────ような顔をしていた。***と合わせて三人ともが頷いたので、自分のスマートフォンをポケットから取り出す。

「なにが食べたい?」

「……ピザ」「お寿司」「うぅん……中華」

「ちょっとぐらい合わせる努力をしよう」と私は言った。

 途端、空気がぱんと弾けた。申し合わせたように四人で一緒に吹き出して、それに救われた。みんなして寄って集まって難しい顔で食事をするなんて、そんなのは御免だった。

 最終的には***リクエストの中華を取ることになり、昼食はいつものように和やかに過ぎる。ほかの人の食べているものを欲しがる***も、付け合わせのキムチをかたくなに嫌がる■■も、ひとり淡々と食べ終えてみんなの食事風景を眺める○○○○も。よく見る光景は安心できるようだった。
75 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 15:48:42.75 ID:U5rAS9nW0

 そののち、午後三時をやや回ったところで、事務員さんが私のデスクへと走ってきた。

「プロデューサーさん、なんかお客来てますよ。ミシロプロの人です。応接室Bに通してるんで」

「わかりました。ありがとうございます」立ち上がると、なにも言わずとも三人も椅子を蹴った。同席する気概は満々らしい。拒む理由もないので引き連れて二階のB室へ向かった。

 好きには入れとばかりに開け放してあったので、とば口に立って中をのぞいた。黒貼りのソファに座る先輩は湯のみのお茶に手をつけていなかった。こんこんと木製の扉を甲で叩くと、肩を小さく跳ねさせて立ち上がる。彼にはとても似合わない所作だった。

「……いつもお世話になっております。このたびはこちらの不手際により大変な迷惑をおかけしましたこと、心より謝罪いたします。申し訳ございませんでした」

 まだ室内にも入っていないというのに、他人行儀に深々と腰を折られた。彼の対面のソファへと移動してから、「謝るのに慣れてないですね」と皮肉を言ってやった。

 顔を上げた先輩は、痛い顔を私へ向けた。

「……ほんっとすまん」

「相手が違います」私への謝罪はもう聞いて飽いた。

 あとに続いて入ってきた三人を見て、先輩はすぐに得心して「……その通りだな」ともっと痛い顔になった。

「本当に申し訳なかった」

 再度深く下げられた頭は、アイドルたちに向かっていた。

 長い付き合いの私ですら先輩のこんな殊勝な姿は見たことがない。彼女らも当然に普段の様子しか知らないので、ちょっと面食らった顔を三人ともが浮かべていた。
76 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 15:49:38.44 ID:U5rAS9nW0

 場を整えて向き合った。テーブルの向こう側の先輩は、頬骨が浮いているようだった。もともと痩せ型だった彼だが、さらに肉が落ちてしまったようで、いっそ不健康そうにも見える。

「……さて。なにがあって今日みたいなことになったか、だよな。わりと大ごとだし、たぶんもうじきに知れ渡るだろうことなんだけど」

 先輩がおもむろに口を開く。私は頷いて続きを促した。

「とりあえず、最初に俺の説明を全部言わせてくれ。質問はあとでいくらでも受けるから。いいか?」

 構わないともう一度頷く。
77 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 15:50:19.22 ID:U5rAS9nW0

「ありがたい。じゃあ、まあまず電話で伝えてたとおりだ。ミシロが今、相当ヤバい……っと、これじゃ語弊があるか」

 ミシロ・グループはなんら変わらず健在だ。ただしその傘の下、芸能事務所ミシロ・プロダクションの、そしてとりわけアイドル事業部が、今大いに揺らいでいる。それが先輩の口から出た最初の説明だった。

「……いったいなにがどうなれば」そんなことになるんだと、言いかけて飲み込んだ。質問はあとにする約束だ。先輩は少しだけ顎を引いて、再度言葉を紡ぎ出す。

「うちのアイドル部すべてを統括・管理する常務取締役が、ちょっと前に帰ってきたんだ。それまではアメリカに出向してたんだけど……それで一気にえらいことになった」

 統括・管理を担う常務取締役……その存在は私には馴染みがない。私がミシロに在籍していた頃はアメリカにいたということなのだろう。

 ミシロプロは、なんせ多様なアイドルを大量に抱えている。正統派アイドルから、旧態的正統派なアイドル、バラエティ特化、ボーイッシュ、マニッシュ、ガーリッシュ、パンキッシュ、アダルティな人もいれば、十に満たない子までいる。果ては自称異星人やサンタクロースなんていう、いわゆる『イロモノ』まで現れてくるほど。この暴力的なまでの個性を推していくやり方がミシロの特色でもあった────ところが。
78 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 15:56:27.55 ID:U5rAS9nW0

「常務は、グループ創業者の直系血族な上にやり手のエリートで、若いうちから渡米を繰り返していろいろ学んでた人なんだと。今回やっと本格的に帰国して、ミシロプロの現状をしっかり把握して、それが気に食わなかったらしい。気に食わないっつうと狭量に聞こえるけど、……まあ統括だからな。いわく、『現状は不合理だ』と」

 すべてアイドルはアイドルたれば良い。それが帰ってきたらしい常務とやらの主張だったのだという。アイドルは、アイドルらしくあれ。かつての芸能界のようなスター性を、別世界のような物語性の確立を、今に求めた。

 現状の個性を活かすやり方をそのまま否定するわけではない。しかし、それではあまりに遅い。結果が出るまでに時間がかかりすぎる。不合理は、排除せねばならない。

 だから一度、すべてを効率的に組み直すためのリセットを。展開していたアイドル事業部のプロジェクトはすべて白紙に戻されたのだと先輩は続けた。こたびの合同ライブが中止となったのも、その影響のひとつ。

 すべて私の思い通りにあれ、ということか。ミシロほどの大企業ならば、上層部と末端との距離は遠い。トップの決定は余程のことがなければ覆らない。下った命令が、重い意味を持つ。
79 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 15:57:58.62 ID:U5rAS9nW0

「そんな、……そんなのって!」***がテーブルを叩いて勢いよく立ち上がった。その反応を予見していたかのように、先輩が手だけで制する。

「本当申し訳ない。……俺たちも、納得はできてないんだ。それになにより、アイドルたちが収まらない」

 立ち上がった***は感情のぶつけどころを失って、怒ったような顔はそのままにすとんと座った。

 先輩はとうとう湯のみに手をつけた。ひと口だけ飲んで、それから再度頭を下げる。

「……そういうわけで過去にないぐらい社内がごたついてまして、白紙になっちまった仕事の連絡をするの、すっかり忘れてました。ほんとすみません」

 嘆息をひとつ落とした。ミシロがヤバい────そこには嘘も誇張もなく、本当にとんでもないことになっている。

「内部分裂してるってことですね」

「ああ……まあ、そういうことになる。みんな不満は持ってるけど、言ってもトップダウンの指示だ。飲むやつはそりゃあ飲むし、その一方で俺みたいなのもほかにもいっぱいいる」

「ミシロのアイドルたちはどうなるんですか」と○○○○がたずねた。

「常務の望みに合ってないタイプは? ってことだよな。……現状、わからんとしか言えない。契約や外ヅラの問題もあるし、すぐさまクビとはならんと思うけど」
80 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 15:58:53.79 ID:U5rAS9nW0

「そんなに過激なんですか?」

 私の問いでは首をひねった。「過激……っつうか、意固地で、短気だな。あの人は。その上で言ってることが間違っちゃないから困ってる」

「……先輩も、個性なんていらないと思ってらっしゃるんですか?」

「そうじゃない。そうじゃないけど……やり方として、感情を排して一番効率的に利益を回収するっていうんなら、常務の言ってることはたぶん間違いじゃあないんだと思う。……当のアイドルたちが反発してるんだから、正解ではあり得ないとも思ってるけどな。
 ただ、経営者の目線に立つならあの人の言うことには明確な矛盾とか欠陥がない。つつくとこがないから困ってるんだよ」

 間違っていない。────そうなのだろうか。ぐらりと視界がズレた気がした。……なんだ? 先輩の言葉になにか既視感めいたものを感じた。こんな状況は初めてであるはずなのに?

 そんな不思議な感覚からは、■■のいつになく不安げな声で引っ張り起こされた。おずおず手を挙げて、

「あの。質問なんですけど」

 先輩はどうぞ、と促した。
81 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 15:59:54.23 ID:U5rAS9nW0

「……プロジェクトが白紙に戻って、今回の合同ライブもなくなった、んですよね?」

「ああ」

「だったら」その瞳は怯えるように揺れていた。「これから先の私たちの仕事はどうなるんですか? ミシロからもらった仕事、……ほかにもいっぱい、あるよね。プロデューサー」

 背筋に冷たいものが走った。言われるまで気づかなかったなんて、私はいったいどれだけ鈍い。ばっと先輩の顔を見るが、俯いていた。

「……詳細はあとで追って報せるけど、間違いなく消えるものもいくつか」

 いや、と先輩は頭を振った。「いくつも。あると思っていてほしい。重ねて謝る」

「そんな……」

「な、なんとかできないんですか!?」ほとんど叫んだような***の声に、しかし先輩はただ応えた。

「できない。と思う。今……いや、常務が帰ってくることを知ってから、だから実は結構前からなんだけど。ほんとに手が足りてないんだ。余裕がない」

「あんまり勝手じゃありませんか」

「申し開きもできない」

 尖った○○○○の追及もいなされた。そこで気づく。先輩の顔色がない。ひどく冷たいものに見えた。

「謝りに来て、そのうえ仕事を取り上げるみたいなことになって、言葉以外になんの詫びもないことは心から悪いと思う。だけどそれでも、わかってもらうしかない。納得してもらうしかない」

 伏せていた目をそっと上げて、彼の視線が私を貫く────ああ、だからこの人は有能なんだろうとひしひしわかった。優先順位と取捨選択を間違えない。それは仕事ができる人間の必須要項だ。

「俺はお前に好意的だ。***ちゃんたちのことも気に入ってる。……でも、わかるだろ」

 突き放しの言葉は残酷なぐらい愛に溢れる。

「俺はお前らよりうちのアイドルたちの方が好きだから。大切だから、あいつらのためにもこっちのことにまで骨身を削ってはいられない」

 ごめんな。

 彼はそれだけ最後に言い残して帰っていった。
82 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:00:30.09 ID:U5rAS9nW0

 その日、退勤して家に帰ったあとに先輩からメールが届いた。ミシロの現状をあらためてわかりやすくまとめてあった。その末尾にファイルが添付されている。開いてみると、ミシロから回してもらった仕事のうち、キャンセルとなったものが日付順に羅列されていた。

 スマートフォンのスクリーンと手帳とを見比べながら、訂正の棒線を引いていく。すべて引き終える前に、ぼそりとひとりごとが出た。

「……全部じゃないか」

 なにが『いくつか』。なにが『いくつも』。

 右肩上がりの字体で書きこんだ仕事の予定のほとんど半分近くを、自身の真っ黒なインクが塗りつぶした。
83 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:01:26.63 ID:U5rAS9nW0

六.

 雲の切れ間に太陽がのぞいていた。久方ぶりの青みが頭上に割れた灰色の奥に見える。たたんだビニール傘で地面を突く。水たまりができている。映る私の表情は、光の加減で黒く潰れていた。

 出勤して、デスクに向かう前に手洗いに寄った。小用を済ませて手を洗っていると、鏡の中にふたつめの虚像が現れて目が合った。

「……っと。おはようございます」

「ああ、おはよう」

 彼は同期のプロデューサーだった。といってもここに入社したのが同期だというだけで、私の方がいくぶん歳上だ。彼が「同期だとはとても思えない」と私を先輩と呼ぶので、私も彼のことは後輩のように扱っていた。

「珍しく早いな」とハンカチで手を拭きながら言った。オフィスへの一番乗りは、基本的にいつも私だ。誰がどんなタイミングで来るかはある程度把握している。彼は普段は遅刻間際を狙ったように出勤していたはず。

「ああ……まあ、大変なことになっちゃいましたしね。早めに片づけておきたいこともあったので」

 小便器につきながらの彼の声は、朝ということもあってか、かすれていた。

「そうか」

 あの日から、私たちの事務所もてんやわんやだった。大樹が揺らいだのだとしたら、そこから伸びる枝葉も到底無事ではいられない。ミシロという業界最大手の事務所が揺れているのだから、その影響は甚大に決まっている。

 事態は、ミシロから回ってきた私たちの仕事が消えた、それのみには尽きていない。
84 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:02:13.03 ID:U5rAS9nW0

「やばいっすよねぇ」どこかひとごとのように彼は愚痴を漏らした。

「結構な。頼むぞ若手よ」

 おどけて言うと、責任重いなあ、と彼は困ったように笑う。

 切れの悪い彼を置いて先に出ようとすると、呼び止めの声が私の後ろ髪を掴んだ。

「先輩。今度どっか飲みに行きましょうよ」

「……えらく急だな」

「まあまあ、いいじゃないですか。おごってください」

「図々しいにもほどがあるだろう」

 苦笑いだけを残して、確約はせずにトイレを後にした。

 オフィスフロアに着いてみると、いつもはいない先客がいた。もこもことした等身大サイズの青いのが床に転がっている。昨夜は泊まりになったらしい。事務員方の仕事はここ数日で爆増していた。踏んづけてしまわないよう慎重にまたいで通路を渡って、自デスクにカバンを下ろした。

 PCに電源を入れて上着を脱いだ。メールボックスのアイコンには通知を知らせる赤いバッジが点灯している。開いてみると、ずらっと未読の新着メールが並ぶ。中身の確認だけで済めばいいのだが、とまで考えて、そんなわけがないと自分で鼻で笑った。

 メールの内容は、おおかたが予想通りに仕事のキャンセルの連絡だった。ミシロの異変は、すでにうちだけでなく業界内全体を騒がせている。
85 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:02:39.85 ID:U5rAS9nW0

 ミシロプロは今、部門全体の大改変のためにほとんどの仕事を突っぱねている。立場と資本力が強固な大手だからこそできることだ。

 直近のミシロプロ主催のイベントごとが軒並み中止になった。それをファースト・インパクトであるとすれば、第二波はさらに広範に影響を及ぼす。他社の主催によるところのイベントでさえも、ミシロのアイドルが参加しないのならばと中止を余儀なくされたものが多々あった。

 中止が中止を呼び、震撼はなかなか収まってくれない。ひとつ世界の屋台骨が不安定になるということが、どれだけ大変な意味を持つのか。そして、私たちの立場がいかようであるのかを、痛いぐらいに理解させられていた。

 方々への連絡対応や書類仕事だけで大いに時間を取られてしまう。それはまるでひと昔前に戻ったようだった。

 上層部の決定でいいように使われたあげくにこちらの事務所へ送られた。その私がまた、向こうの決定に振り回されてミシロのためにデスクにかじりついている。

 考えてみればなんて皮肉な運命だろうと奥歯を噛んだ。
86 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:03:30.36 ID:U5rAS9nW0

「……栄養ドリンク、冷蔵庫にダースで買ってますよー」という惚けた声が不意を突いて背中に飛んできた。

「え?」

「……はようざいます。完徹ですか? お疲れですね……」

 ちょっと粗っぽさの抜けない口調。振り向いてみると、青色のいもむしがむっくり上体を起こしてこっちを見ていた。普段から薄くしかメイクをしていないようで、すっぴんでも印象は変わらなかった。

「おはようございます。……寝ぼけてますね」

「んー……? ……やぁ、寝ぼけてないですけど」寝癖のついた頭を粗く掻いて、彼女は大きめのあくびをひとつ、天井に向かってやった。「……あー。そういや、昨日はプロデューサーさん先帰りましたっけね。思い出してきた思い出してきた」

 顔洗ってきます、と寝袋からのっそりと羽化して、フロアの出入り口へ歩いていった。スウェット姿だった。着替えを持ち込んでいたのかと少し驚く。すれ違いで入ってきた同期の後輩がぎょっとした様子で私の方へ早足にやってきた。

「ちょ、見ました? 『おざーす』って言われたんすけど『おざーす』って。あの人普段あんな感じなんすか? 雰囲気全然違いません?」

「彼女、昨夜ここに泊まりだったみたいだからな。寝起きなんだよ」

 それにしたってまあ、と彼は驚いた様子を引っ込ませなかった。

 仲間の普段見れない様子を見られたというのに、そんな微笑ましいはずのできごとを心から喜ぶこともできない。こんな形で見てしまうことになったのが、不本意でならなかった。
87 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:04:31.24 ID:U5rAS9nW0

 昨日の退勤から今日の出勤まで、自動で勝手に溜まったデスクワークは昼前に終わった。予定していたよりは早く、■■に宛ててメッセージを送った。『午後三時に集合の予定だったが、前倒しで来られるか?』

『ヘーキだよ』『お昼食べたら行くね』絵文字で可愛らしくデコレートされた返信を確認して、私は手帳の中の予定を書き換えた。早めに営業に出られる。事務員さんにも伝えておいた。

「あい了解です。白板だけ書き直してもらっといていいですか、一応」ちらり一瞥くれただけで、彼女はキーボードを叩きながら言った。

「わかりました。……ほどほどに休んでくださいよ」

「あたしの身体の具合はあたしが一番知ってますって。まあ、ご心配は素直に嬉しいんですけどね」

 力のこもっていない苦笑は彼女らしかった。しかし、────しかしと思ってしまうのは、きっと私のエゴなのだろう。

 そう長時間を待つこともなくやってきた■■を捕まえて、私たちは営業に出た。

 車内は暗かった。実際の光度の問題ではなく、雰囲気が、である。

 ***は、ややオプティミストなきらいがある。○○○○はその向こうっ気の強さでかえって奮起した。あの場にいたなかで、誰よりショックを受けていたのは■■だったように思う。
88 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:05:31.69 ID:U5rAS9nW0

 メッセージの文面を見た限りでは、ある程度回復したのかと安心していたが。しかし彼女の表情はまだ、あの日からずっと暗い。

 ……こういうときになんと言ってあげればいいのかわからないことが、情けない。

 安心しろ────大丈夫。自信を持って言ってあげられたなら、きっと彼女の不安げな顔を晴らすこともできるのだろう。けれど、私はそんな大言を吐けるだけの器量を持ち合わせていない。

 不確定性の高いことをいいように言い放って、あとで裏切ってしまったならと、そう思ってしまった。

 ……それでも言ってあげたほうが、よかったのだろうか。

 営業中の彼女の表情はあくまで笑顔だったけれど、そこには注釈がついた。心からは笑えていなかったことは、相手方に伝わってしまっただろうか。

 わからなかった。
89 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:06:41.18 ID:U5rAS9nW0

「……ねえ、プロデューサー」帰りの車中で、彼女は低い声で私を呼んだ。

「……どうした?」

「私たち、大丈夫なの?」

 ためらいのない真っ直ぐな問いに、心臓が強く鼓動を打った。ハンドルを握る手に嫌な汗が浮く。答えに逃げるな、そう言わんばかりに交通信号は赤色のシグナルを灯して、私は向き合わざるを得なくなる。

 綺麗に澄んだ瞳の奥に隠せない不安が見て取れた。

「……大丈夫だ。とは、ごめん、強く言えない」

 瞳孔が開いて揺れる。力が脱けたようにうなだれ、目は伏せられた。「……そっか」

「待て。最後まで聞いてくれ」

 言いたいことを頭の中でまとめて繋ぐ。確かなことがなにもわからなかったとして、だからって■■の心をこのままにしておいていいわけがない。

 仕事は消える一方だ。そのうえ今日の営業だってすこぶる上手くいったとは言い難い。こんな状態で大丈夫だなんて無責任なこと、私の口からは端が裂けたって言えない────それでも。

「頑張らせてくれ。大丈夫になるように。私は……」いや、と首を一度振るった。「私たちは、この急場だって乗り切るために頑張るから。だから、……信じてくれないか。格好いいことは言ってやれないけど、力を尽くすことだけは約束するから」
90 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:07:14.62 ID:U5rAS9nW0

 頬が熱を持っているのがわかる。カーエアコンは入っているはずなのに、暑い。それでも目はそらさない。それは自分なりの覚悟のあらわれだったのかもしれない。

 長い時間を見つめ合っていたような気もする。実際にはほんの少しのあいだだったのだろう、後続車のクラクションで我に返った。信号は早く進めと緑色を照らしている。私は慌ててアクセルを踏み込んだ。

 エンジン音と街の風景が流れゆく音に混じって、ごく小さな笑い声が聞こえた。

「ふふっ……プロデューサーさん、慌てすぎ」

「うるさい。いいか、後続車ってのは運転するにあたって一番か二番くらいに怖いんだぞ」

「知らないけど……」彼女はほそやかなため息をついた。「……うん。信じるよ。プロデューサーさん」

 横目に伺ったその様子は、やはり不安げだ。それでも彼女は言ってくれた。

「頑張ってね。……一緒に。営業とか、できる限り付き合うし、どんな仕事もするからさ。いつでも呼んでね」

「ああ。……頑張ろうな、一緒に」

「うんっ」

 私が選んだ言葉が正解だったかどうかなんて、ひっくり返ってもわからない。けれどきっと誤りではなかったろうと、浮かんだ彼女のはかなげな笑みを見て信じることを決めた。
91 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:08:01.47 ID:U5rAS9nW0

 事務所に戻ると、オフィスフロアの入り口で事務員さんと鉢合わせた。

「おや。おかえりなさい、ふたりとも」

「戻りました」「ただいま〜」

 事務員さんはトートバッグを抱えていた。時間は定時をすでに回っている。「アガリですか?」

「ええ、まあ。キリいいとこまで終わりましたし、昨日は頑張ったんで今日はいいでしょ」

 彼女を引き止められる人などいるわけがない。事務員の筆頭として仕事の多くを受け持ち、処理の早さには定評があり、かつ無理も利かせてくれる。

 お疲れ様でしたと見送ろうとすると、彼女は立ち止まったままにぽつんと言った。その口元は、ニヤリという擬音が聞こえそうなほどに弧を描いていた。

「……元気になりましたねぇプロデューサーさん。■■ちゃんに会って元気百倍ってとこですか?」

「へ?」不意に名前を呼ばれた■■が惚けた声を出す。

「……唐突になにを言い出すんですかあなたは」

「あっは、怖い声出さないでくださいな。……ま、自覚あんのかは知らないですけど、行く前よりはいい顔してますよ、ほんとに」

「あなたもですけど」

「あー、いやあ、あたしは単に目ェ冴えただけですね。その節は見苦しいモンをお見せしまして」

 ぺこりと下げた頭をすぐに上げて、今度は彼女は■■の方を見た。表情はわざとらしいぐらいに胡乱げだった。
92 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:09:11.60 ID:U5rAS9nW0

「■■ちゃんたちさぁ……ってか、まあアイドルみんなかな。ここんとこ、あんまし事務所来てくんないね?」

「それは……うん。だって、お邪魔じゃないかなって思って。めちゃくちゃ忙しそうにしてる横で、私たちにできることってないでしょ?」

「……いい子だなぁ。めちゃ健気だ。そりゃまあ気になるよね」

 事務員さんはからからと快活に笑った。普段よりいくぶんテンションが高いのは、徹夜の影響が残っているのかもしれない。

「でもさ、なぁんもしなくていいから。あたしたちなんて、気にもしなくていいから。前みたいに、ただ遊んでてくれてればいいからさ」

 事務員さんは■■の耳元に口を寄せる。その動きに反して声はそこまで絞っていない。内容はすべて筒抜けだった。

「よかったら、事務所には来てよ。プロデューサーさんも寂しそうだし、あたしたちも賑やかな■■ちゃんたち見てると、元気出るからさ」

 ね? と言って、事務員さんの口角がまたつり上がった。

「……うん。わかった、遊びに来るよ。***と○○○○にも伝えとくね」

「よろしくよろしく。そんじゃ、お疲れ様でした〜」

 ひらひらと手のひらを振り回して、彼女はエレベーターホールの方へ消えていった。
93 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:09:52.09 ID:U5rAS9nW0

 ■■がこちらを見上げている。「ね、プロデューサーさん」

「寂しがってない」と私は言った。

「否定早っ! ていうか、聞こえてたの?」

「あの声の大きさで聞こえないわけがあるか……」

 いつまでもそこに留まっているわけにもいかないので、ガラス扉を押し開けた。入ってみると、フロアはがらんとしている。いくらかの人影はあるが、並ぶデスクの数と比べればかなり寂しかった。

「……みんないないね」と■■が言った。

「ああ、プロデューサー組はみんな営業に行ってるんだろうから」

 現状の最優先が仕事の確保だ。消えて失くなったぶんをできる限り補わなければならない。できなかったときの想像は、したくなかった。

 私は自分のデスクに、■■は隣の空きデスクについた。

 ルーティンめいた動きでパソコンの電源ボタンを押す。出ていた隙に処理するべき案件は順調に増えていて、眉間をこねたい気分になった。それでも私はやらなければならない。両手で頬杖をついた■■が、「頑張ってね」と言ってくれるのだから。

「頑張るよ。約束だからな」

 笑ってみせると、彼女も柔らかく微笑んだ。
94 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:10:44.11 ID:U5rAS9nW0



 約束は守られなければならない。

 どれだけ肉体が苦しもうと、精神が擦り切れようとも、私は立ち止まるわけにはいかなかった。止まろうという選択肢も浮かばなかった。自身が思っていた以上に、私はこの居場所を大切にしていたらしい。

 失いたくなかったのだ。ほとんどかりそめの関係だけしかなかったミシロから流れて、行き着いたこの居心地の良い場所。私が初めて能動的に力を尽くそうと思えたこの場所が、もしも喪われてしまったならと、そんなことは考えるだけで胸に疼痛が走った。

 約束を、守りたかった。

 あの言葉を違えるつもりはなかったし、事実、違えなかったつもりだ。

 けれど、……足りなかったのかもしれない。それは覚悟か、実力か? あるいは、そのどちらもだったのだろうか。
95 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:13:00.48 ID:U5rAS9nW0

 PC上、図表ソフトに作り上げた収支のまとめを見て下唇を噛み締めた。支出が収入を上回っている。要は、赤字だった。

 デスクの周りには誰もいない。

 ……クソ。ちくしょう。

 漏らした言葉は誰にも届かない。倦怠感が私の体を包んでいた。慢性的な眠気でまぶたまで重い。

 手帳を開いた。チェックを入れたそばから新たな項目を書き足す。やらなければならないことがなくなるのが怖い。書いてレ点を付けて書いて訂正して書いて消して書いて書いて書いて消して書いて書いて書いて消して消して────どのページもしわくちゃになった。

 ペンと手帳が手からこぼれて、デスクの上で跳ねる。なにも掴めない両手で頭を抱えた。食い込む爪がどれだけ頭を刺激しても、このろくでもない脳みそはなにひとつも答えを出してくれなかった。

「……先輩? なにやってんすか」

 自分を呼ぶ声が唐突に聞こえた。いや、唐突ではなかったのか。けれど、後輩が近づいてくる気配にも足音にも、まるで気づかなかった。

「……なんでもない」と私は言った。

「なんでもなくは見えないっすよ。根詰めすぎじゃないですか、最近。……や、まあ、気持ちはわかるつもりなんすけど」

 彼の目元にはクマが見えた。お互い、状況はおよそ似たようなものなのだろう。
96 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:13:51.53 ID:U5rAS9nW0

 いたたまれなくて、「なにか用なのか?」と突き放すように言ってしまった。彼は鼻白んだ様子になった。

「べつに用がなくったって、窓際で死にそうな顔してる同僚いたら声ぐらいかけるわ。……んなハクジョーなんすかね俺って」

「……いや。すまん。当たった」

「勘弁してくださいよねぇ、俺だってまあまあ参ってんすから。ま、用はあるんすけども」

「あるのか」

「あります。社長が呼んでたんすよ、ちょっと来てくれって」

「……社長が?」

「ええ」と彼は頷いた。「……ここんとこ見てませんでしたけど、なにやってたんすかね?」

 彼の言うとおり、私も最近は社長の姿をとんと見ていなかった。もともとあの人から直接に指示を受けることなどもなかったから、姿をくらましたところで大した影響はなかったが。

 なんの用件だろうか。このタイミングでいつかのように将棋をやろうと言われたら、さすがに私も拳を握ってしまうかもしれない。

 階段で最上階まで上がって、廊下の突き当たりの扉を軽くノックした。おお、入ってくれ、と暗さを知らないような声が届いた。

「失礼します。……お久しぶりですね、社長」

 いつからだったろう、と考えて、思い当たる。初めて異変に気づいたあの合同ライブの日、一応は上司に報告しておこうとしたが不在だった。あの日以来会っていなかった。
97 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:19:39.08 ID:U5rAS9nW0

「そうだね。……いや、ずっと空けていてすまなかった。まあ、君たちには私の存在などさして必要ではなかったろうが」

 からからと音が鳴りそうに、社長は肩を揺らして笑った。────現状を知らないのか、この人は? 瞬間的に頭に血が上った。

「……今、どういう状況だか、わかってますか社長?」

「うん? ああ、もちろん。こちらへ顔を出すことこそできなかったが、送られてくる報告書には目を通していたからね」

「だったら……!」私の声は、叫ぶようだった。「あなたにはもっとなにか、すべきことがあるんじゃないんですか? どうしてそんなふうに笑っていられるんです!」

 構えられたエグゼクティブ・デスクに平手を落とした。打ちつけた手のひらが痛む。しかし痛みで頭は冷えるどころか、余計に加熱して焼けつきそうなぐらいだった。

 それでも、社長は平然と笑顔だった。

「君の言うとおりだね。私には、この事務所のためにすべきことがある。しかし」

 デスクの抽斗をおもむろに開け、社長は一枚の書類を取り出してこちらへ差し出した。

「まずは、君にこれを渡さなければならない。……今まで、本当にありがとう。そう言わせてほしい」

 なんだそれは。クビだとでも言うのか? ふざけたことを! 感情任せにひったくって目を走らせ────そして、固まった。この書類には記憶がこびりついている。
98 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:20:15.38 ID:U5rAS9nW0

 出向命令書、兼同意書。二年ほど前の記憶がフラッシュバックする。あのときとまったく同じ……いや、間違いがひとつだけ。あのときにサインしたものとの差異は、出向元と出向先の社名がそっくり入れ替わっていること。

 帰ってこい。そう言われているのか、今度は。

「当然の話だよ」と社長は言った。「二年足らずの短い時間だが、ずっと見てきた。君は優秀なプロデューサーだった。きっと、優秀なアシスタントでもあったんだろう。この有事に、そんな人材を出向先でくすぶらせている理由がないだろうさ」

 言葉を遮りたくて、力任せにデスクの上に叩きつけた。こんなものを、受け入れられるわけがなかった。

「……やめてください。帰りませんよ、私は」

「よく考えたのかね?」

 社長はあくまでおだやかに、諭すように私に向き合った。細いまぶたの奥、その瞳は優しく揺れているのに気づいた。

「ミシロプロは、今確かに大変な状況下にあるよ。しかしそうはいえども、あそこは大手だ。崩れ切ることなど、まああるまい。リストラクション(再構築)はなされているようだが、いわゆるリストラはしていない。戻ってしまえば、きっと悪いようにはされないと思うよ」

 対してこちらは、とまでは言って、社長はそれきり口をつぐんだ。それは無駄な気遣いだった。ぼかす必要はない。私もその真ん中にいるのだから。
99 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:21:50.49 ID:U5rAS9nW0

 わかっている。どちらの選択が利口なのかぐらいは、私の目にも明らかだ。

 それでも、私はその書類をひと息のためらいもなく裂いた。縦に横に、二度、三度。私を拘束するはずだった命令は、細切れになって宙に散る。

「いいのかね」と社長が言う。

「構いません」と私は応えた。

 約束をしたのだ。頑張らせてくれ。信じてくれと、いいだけ聞こえのいい言葉を吐いておいて、こんな中途でハイサヨナラ、なんてできるわけがない。していいわけがない。

 そしてもしも、約束がなかったとしても。それでもきっと、私はここに居残ることを選んだろう。

 彼女らがいて、私が笑っていられる。

「……ここが私の在り処ですから」

 社長は、鼻からため息を抜いた。そうまで言ってくれるなら、遠慮なく頼むよ。ミシロの方には私から言っておこう。……これからも、よろしく。彼はいろんな意味がこもっていそうな苦笑いを浮かべて言った。

 それから、社長は出向の書類をしまっていたのと同じ抽斗から青いカバーのリングファイルを引っ張り出した。「これはプレゼントだ。受け取ってもらえるかな」

「……なんです、それ」

「ファイルだね」

「そうじゃなくて」

「わかってるともさ」

 くつくつと好々爺然に笑っている。……本当に、掴めない人だ。受け取って適当な箇所をばっと開いた。目に飛び込んできた情報に、私はひどく狼狽した。
100 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:22:45.58 ID:U5rAS9nW0

「私とて、この有事になにもしていなかったわけではないということだね」

 社長の言葉が耳を揺する。けれど、目は釘付けにされて離せなかった。

「あとは君の好きなように、よろしくやってくれ。手腕は知っているし、安心して任せよう」

 そこには、ライブの企画情報がファイリングされていた。都下にある結構な規模のホールで、参加者にはうちの所属のアイドルたちの名前が連なっていた。もちろん、私が担当する三人の名も。

 ばらばらとめくれば、そのどこにも仕事の資料が入っている。……私たちではなかなか営業も成功しなかったというのに。

「あなたは……」

「昔取った杵柄、というやつかな。……キミは若いんだ、こんな老いぼれに負けないでくれよ?」

 こんなにも嬉しい皮肉を、初めて聞いた。

「……申し訳ありませんでした。とんだ失礼を」

「構わんさ。……ああ、ちょっと待ってくれ。君、仕事に戻る前に」

 はやる気持ちに任せて踵を返したところを呼び止められる。まだなにか、と振り向くと、社長は床を指差していた。

「……それは片付けてから行ってくれるかな。私は歳だから、それはもう、最近は腰が痛くてね」

 指の先には、私が千切ってばらまいた出向の指示書。なんて格好のつかないことかと、思いつつも自業自得である。顔を熱くしながら切れ端をすべて拾い上げて、処分してから社長室をあとにした。
101 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:23:47.09 ID:U5rAS9nW0

「……もったいないことしますねえ」

 扉から出ると、事務員さんがいた。横の壁にもたれかかって、所在なさげに枝毛を探していた。

「……聞いてたんですか」

「あんだけ大声でやってりゃ聞こえますって」彼女は呆れたように言った。「ここを捨ててミシロに戻れるって、そんなの勝ち組でしょうに。よく突っぱねましたね?」

「まあ。私は、ここが気に入っているので」

「そうですか……」

 そっけなく言って、彼女は社長室の扉を指差した。「……じゃ、あたしも呼ばれてますんで。失礼をば」

 事務員さんは、ノックのあとに返事を待たず、するりと社長室へ入っていった。

 そうですか、と言ってから扉を指差すまでに、彼女はなにかを呟いていた気がする。しかし、その言葉は私の鼓膜までは振るわせなかった。
102 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:24:35.30 ID:U5rAS9nW0

七.

「────ライブ!? やったあ!」

「ほんとに!?」

「嘘だったら、怒るよ。プロデューサー」

 嘘なわけがあるか、と私は肩をすくめた。

 社長と久々の再会を果たした翌日、予定はないのにおのずから来てくれた彼女らに、社長とのあいだであったことを軽いフィルターを通して伝えた。

 笑顔は満開に咲くようで、嬉しかったと同時にその原因とはなれなかったことが少し悔しい。

「……というか、ライブのほかにもいろいろあるからな。そっちにばかり気を取られるなよ」

「わかってるわかってる!」と***が元気に返事をするが、ほかの仕事の資料には目もくれていない。くだんの日にライブが中止になって以来あまり明るい話もなかったし、無理はないのかもしれない。

 ひさかたぶりに事務所の中は賑やかだった。***だけでなく、私の担当アイドルだけでなく、出勤しているほかのアイドルたちもみな各々のプロデューサーの元へ集まって笑みを浮かべている。

 ほっと安心ができるようだった。
103 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:25:20.49 ID:U5rAS9nW0

 ……それでなにか、気が抜けてしまったのか。なぜか無性に、異常なぐらいに目頭が熱くなった。手で押さえてみたが、────これはダメだと確信できた。耐えられそうにない。

 わいわいと陽気なフロアを背に、ひと気のないエレベーターホールまで歩いた。

「……なんだ、これ」

 止まらない。ハンカチを湿らせる滴が、無限にも思えるぐらいに目の奥から湧いて出た。どうにかなってしまったのだろうか。

 コツ、コツ、と背後で音が響いた。ヒールの底が床を突いている。

「……プロデューサー?」推し量るような声は○○○○のものだった。

 振り返ることはできず、声は潤んでしまう気がして、ただ立ち尽くした。○○○○は私の前へと回り込んでくる。私はひたすらに顔を背けて、いたちごっこのようになった。

 ふた回りほどしたあたりでらちがあかないと判断したようで、○○○○は「……泣いてるの?」と背中越しに訊いてきた。

「……泣いてない」

「でも、涙声になってる」

「なってない」

「どうしたの?」

 私が訊きたかった。いったいどうしてしまったというのか。なぜこんなにも涙腺が緩んでいる? ごまかし切れる気もしなくなって、白状した。

「……わからん。どうしたんだろうな」

「ハンカチ……あ、持ってるね」

 寄り添う手に背中をさすられる。さいわいしゃくり上げることはなく、ただただひたすらに涙がこぼれるだけだった。
104 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:26:10.03 ID:U5rAS9nW0

「……大丈夫? はい、これ」

 ホール横のスツールチェアに場所を移して、ほどなくして涙はおさまった。手渡されたホットミルクティーが、正直なところありがたい。唇をなめてしまうぐらいに渇いていた。どれだけさめざめ泣いたのかと自分で不安になる。

 ○○○○は隣に腰かけた。覗き込んでくる顔から読み取れる感情はあからさまで、自身の頼りなさに嫌気がさす。

 二百五十ミリボトルをひと息に半分ほど飲んだ。

「……すまん。変なところを見せた」

「謝らなくていいけど……」

 言葉尻に感じた含みには心配が入っているのだろう。さっきまで笑いあっていた人がなにがあったわけでもなく唐突にふらり席を外して外した先でひたすらに泣いていた。これでなにひとつも相手を想わないとしたら、その人の血は赤くない。外面から冷淡に見える○○○○だが、実際のところはあたたかな子だ。

 しかし、自分で自分の具合がわかっていないのだからどうにも応えようがない。

「無理、してるんじゃない?」

「……そんなふうに見えるか?」

「見えるよ。見えないわけない」ばっさりと切り捨てられる。「……■■から聞いたわ。頑張るって約束したって」

 私とほとんど高さの変わらない目線が、近くから真っ向ぶつかってくる。鋭い目つきは、しかし優しげに私を慮っていた。
105 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:26:58.13 ID:U5rAS9nW0

「それはもちろん、嬉しいんだけど。でも、……プロデューサーが、私にいつも言ってくれることよね? 度を越した無理だけはするな、って。」

 オフホワイトの床に視線を落とした。笑えない話だ。日頃から口酸っぱく言っていた言葉がそのまま返ってくると、これ以上なく耳が痛い。

「……プロデューサーは、いつもこんな気持ちになってたんだね」ちょっとだけ苦そうに笑って、○○○○は立ち上がった。廊下の向かい側にある窓辺に寄って、クレセント型の鍵を外す。開け放されたガラスの向こう側から入ってきた風を冷たいと思った。いつの間にか夏は過ぎ去って、秋も半ばに差し掛かって、冬の気配が見えた。

 振り向いた彼女の長い髪がなびく。青空に広がった濃紺が重なって輝いていた。

「プロデューサーには感謝してるの。
 凝り固まった頭で、自分にとっての未来を決めつけてた。そんな私に、新しい道を拓いてくれたのはあなただから」

 あなたに出会わなければ、空の広さを知らないままだったかもしれない。独白するような○○○○は、しかし演じる様子もなく、感情をありのままに口元をゆるませる。
106 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:28:06.20 ID:U5rAS9nW0

「私は、みんなと一緒に進んでいきたい。自分で決めた、きっと楽しいはずの未来へ。そう思わせてくれた、この場所が大切。失くしたくない。頑張りたい。
 ……だけどね、プロデューサー。無理はしないで。なんて、私が言えたことじゃないのかもしれないけど……私も、これからは気をつけるようにするから。私にとってこの場所が大切なのは、大切なみんながいて、……大切なあなたもいるから、なのよ」

 見上げた青色がたまらなく眩しくって、私はまたつま先を見つめざるを得なくなる。

「○○○○……お前なあ」

「うん?」

「泣き止ませたいのかもっと泣かせたいのか、いったいどっちだ……」

「え……? 私は、ちゃんと励ます……ねぎらうつもりで。だって、わけもなく涙が出るのはストレスとか、疲れとかが原因って。さっき調べたら書いてたのよ?」

 飲み物を買ってきてくれるあいだに検索していたらしかった。慌てて差し出されたスマートフォンには、どこまで信じていいのか怪しいトレンド情報サイトが表示されている。

 私は引きつるように笑って、ちょっと冷めてしまった残るミルクティーを干した。
107 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:28:46.09 ID:U5rAS9nW0



 頑張れ。しかし無理はするな。言われてみれば難しいこの二重の約束は、社長や事務員さんのおかげでなんとか守れていた。営業の一部は社長が担ってくれ、事務の一部を事務員さんがやってくれる。

 社内はある程度の安定を取り戻していた。もちろんミシロの異変が起こる前とは比べるまでもないが、社長が帰ってくる前ともまた、真逆の意味で比べるべくもなかった。

 レッスンにも顔を出す余裕ができた。無理してない? アイロニックなことに○○○○からことあるごとに言われるが、歌って踊る姿を見るのが好きなのだと返してみると納得してくれた。

「ワン、ツー、スリー……で、ここで回って……キメっ! ……どう!? いい感じだったでしょ!」

「ステップあやしい」

「ターン遅い」

「■■姉も○○○○もきびしくない!? プロデューサー、なんとか言って!」

「そうだな、***はまだ振り付けを確認しながらになってるだろ。完璧に覚えきれてない。だからテンポが遅れるんじゃないか?」

「そうじゃなくって! ……いや、アドバイスはちゃんと聞くけどさ! もー!」

「次、私やるから、○○○○見ててくれる?」

「いいよ」

「ねえ、もう、淡々と無視されてるんだけど。これよくないよプロデューサー。ほら、なにか言って?」

「楽しそうでなによりだ」

「もーっ!」

 ただ彼女らの進歩を見てご機嫌になっていた。あまりに能天気だった────だから私は、水面下で起こっていたことに気づけない。

 それは、私にとっては唐突なことだったのだ。
108 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:29:30.20 ID:U5rAS9nW0

 レッスン上がりの十七時、橙の日差しを横身に受けながら、後輩はその頭を深く下げた。

「……と、そういうわけで。今日付けで退職することになりました。今までほんと、お世話になりまして、ありがとうございました」

「……は?」

「一応、簡単な引き継ぎは終わってるんで。先輩に余計な手間かけることはないと思います」

「ちょ、ちょっと待て」ひどい不意打ちに、私はわかりやすく困惑した。「退職……? 辞めるって、そう言ってるのか?」

「退職に辞める以外の意味はないでしょ」

 彼は小さな苦笑いを顔に貼り付けていた。

「まあ、……潮時っすよ。ここらが」

「……潮時?」

「です。いやあ、もう厳しいですって。……先輩だってわかってるでしょ? いや、わかってないはずない」

 彼は肩をすくめた。

「この事務所に未来があるとは思えない」

 反射で腕が動いた。吐き捨てるような言い方を捨て置けなくて、無意識のうちに彼のネクタイを根っこから掴み上げていた。

「……今、なんて言った?」

「べつに、何度だって言ってもいいすけど」彼はあくまで毅然として、「この事務所はもうキツイっすよ先輩」
109 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:30:26.35 ID:U5rAS9nW0

 穏やかでない様相に気づいた周囲がざわつき始める。騒ぎになるのは好ましくない。それでも手を離すわけにはいかなかった。

「社長のおかげで、いっぺんは持ち直しましたからね。もしかしたら可能性あるか? とは俺も思いましたよ。でもね、業績はゆるやかに下降してんじゃないすか。祈りを込めた予想業績も横ばいがいいとこ。こんだけいろんな奴が残業して、必死こいてやってて、横ばいでいいわけない。でしょうが」

「……だから辞めるのか」

「潰れるならその前に出ないとでしょ。退職金とかの問題もある」

 徹底して合理的な主張に、否定を挟む余地はない。彼は冷静に、自身の未来を考えて最善と思われる選択を取った。そこに口出しをするのは筋違いかもしれない。

 しかし感情はたかぶって、収められなかった。

「良いように言ってるが、要は保身だろう。お前、それでいいのか?」

 当てこするような言い方になる。

 舌打ちが聞こえて、明確な敵意が向いた。

「うるっせえよ!!」

 私と彼の腕が交差する。私の胸ぐらも捻じ上げられ、気道が詰まる。

「我が身大事でなにが悪いココ倒産したらどうすんだよ! その日以降の俺の生活は誰が保証してくれるってんだ? 生きていくにはどうやったって金がいる、そうだろが!
 ……綺麗事だけで世の中渡っていけるか!!」

 返答に窮した。その隙をついて「……離してください」と強引に手を振り払われる。
110 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:31:33.96 ID:U5rAS9nW0

「……そりゃあんたらはいいっすよ。今も給料恵まれてんだろうし、ここ潰れても受け皿があるもんな」

 唐突に、意識の外からなにかが飛んできた。視認するより前に彼の横面を張って、ばさっと床に落ちる。クリップで留めた書類の束。

「……っ痛ぇ……なにしやがる!」

 彼が叫んだ先には、事務員さんがいた。彼女はひょうひょうとして言う。「忘れもの、です。それ、あなたのでしょ」

 デスクワークをこなしながら、彼女は平然とした顔で続けた。黒の留め具から外れて散った書類は、確かに彼の担当していた子たちの資料だった。

 彼女の力のないため息がキーボードに落ちた。

「べつにね、あたしはあなたが辞めようが、もうどうだっていいんですけど。……ここ、アイドルも顔出すんですよ。聞かせていい話じゃないでしょ、普通に考えて」

 気づく。さっきまではいなかった、地下のレッスンルームから戻ってきた***たちが入り口で固まっていた。ちょっと外してくれ。そんな意図を持って手を大きく振るうと、察した■■がふたりの手を引いて廊下を戻っていった。

 彼女に対して思い切りに言い返そうとして、しかし彼はその激情は飲み込んだ。誰へ宛てたのかもう一度大きく舌を打ち、ばらばらの書類を一枚ずつ確かめるように拾い上げて、フロアから出て行こうとする。
111 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:32:38.80 ID:U5rAS9nW0

「……お前、担当の子たちにはちゃんと言ったのか?」去り際の背中に、そう問いかけた。彼は振り向くこともなく応えた。

「担当アイドル? ……誰のことかわからないっすね」

 言い方は唾棄するような。けれど頭には来なかった。口ぶりがそうなってしまった裏側を、そのときばかりは感じ取れていたのかもしれなかった。

「……辞めたんですよ。あの人の担当してた子たち」

 彼がプロデュースを担当していたアイドルたちは、彼が退職を社長に申し出る数日前に、静かな引退を決意していたらしい。決め手は、仕事の少なくなってしまった現状を嘆いて。

 私はそんな大事なことさえも、事務員さんに教えてもらってやっと初めて知ったのだ。

「まあ、それぞれ事情はありますって。そんな気にしなくても」

 慰めにはどう返せばいいのかわからない。少なからずショックで、私は別の話題を探した。頭の中を探し回って、しかし結局は似たようなところに落ち着く。
112 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:34:41.17 ID:U5rAS9nW0

「……そういえば、彼、あんたらはいい、って言ってましたけど」

 それはほとんど確信めいていた。私のほか、別の誰かに対しても不満か羨望かを口走った。『ら』に入っているのは、おそらく彼女だ。予想は果たしてその通りだった。

「ああ……いや、まあそこそこもらってましたけど。結構前に減らしていいかって言われたんで、今は大概薄給ですよ?」

「そうでしたか……」私も同じだった。

「んでまあ、一応、ヘッドハントのお話があったんですよね。二、三社ぐらいから」

 彼女の仕事ぶりを鑑みれば、それだって納得のいく話である。彼女がいなければもはやこの事務所は回らない。

「っても、もう蹴っちゃったんで、あいにく受け皿にはなりませんけどねー」

「それも同じ、ですね」

 ミシロの人事から家に書留が届いている。業務的な連絡のために表現は婉曲的だったが、内容はかいつまむと『もう戻る席はないと思ってくれ』と、そんなところだった。

「よかったんですか?」と私はたずねた。

「はあ……まあ。残った理由は、おおかたプロデューサーさんとおんなじですし」

 うっとうしそうに長く伸びた髪をかきあげて、彼女は言う。

「福利も厚生もどうでもよくないですか? お金だってどうだっていい。あたしは……死ななきゃいいや、ぐらいのスタンスっていうか。だからここでいいんです。仮に倒産したってまあ、そんときはそんときでしょ。べつに働き口が失くなったとして、そんな大仰な話じゃない。
 この国で息してる限りは、ぶっちゃけ生きるより死ぬ方が難しいんだから」

 なんて考え方だ。しかしどこか彼女らしい。そんなふたつの思いが胸中に同居して笑ってしまいそうになるが、

 続く言葉に笑えなくなった。

「……だからこそ、プロデューサーさんは頑張らないといけませんよね。応援してますんで」
113 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:54:15.68 ID:U5rAS9nW0

八.

 ***の顔から汗が滴り落ちる。その都度ハイカットシューズが木目の床にまだらに浮いた模様を拭った。

 素敵な笑顔をしていた。心底から沸き立つ楽しさが体内のいかなるフィルターにもかからずに表面化すれば、きっとこのような表情になれるのだろう。

 思えば、私のはじめての担当アイドルは***だった。出会った頃の、まだなにも知らないただの女学生だった彼女が想起された。慣れない街で道に迷っていた彼女に声をかけられ、私はほとんど衝動に任せてスカウトした。

 混じり気のないその愛らしさに見惚れた。あのときに見せた笑顔と、変わっていない。

 一方で私はきっと、大きく変わったのだろう。***と出会い、○○○○と出会い、■■と出会って、この価値観にはあの頃の影すら見えない。

 変えられたのだ。これ以上の変化は、望まない。

「ファイブ・シックス・セブン・エイト……っと。うん! よかったでしょ、プロデューサー!」

「ああ」私は偽りなく頷いた。「……一度、休憩にしようか」

 ***は壁にもたれるように座った。室内には微量の温風が吹いている。私にとっては心地よく感じるその空調も、全力でレッスンに励む彼女にしてみれば暑い。お気に入りのヘアピンを外し、タオルで顔と頭をわしわしかき回してから、彼女はドリンクボトルをあおった。
114 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:56:34.90 ID:U5rAS9nW0

「ぷはーっ。……あ。なくなっちゃった」

「水分はちゃんと取らないとダメだぞ」

「わかってるよー。えっと、今何時だっけ、まだ結構レッスンできるよね? お財布お財布、買いに行こ……あれっ、お財布がない!」

 小さめのデイパックの中身を漁りながら、わたわたとしている。「更衣室に置きっぱなしなんじゃないか。私が買ってくるよ」

「あー……そうかも。ゴメンねプロデューサー、あとでちゃんと払うから!」

 レッスンルームを出てすぐの通路に自販機が設置されている。スポーツドリンクは二種あった。どちらにするかで一瞬迷って、甘さが控えめな方を選んだ。戻って手渡すと喜んでいたので、どうやら悪い選択ではなかったらしい。

 ***は私が買ってきたペットボトルに一度軽く口をつけると、ひょいと立ち上がった。きゅっ、きゅっ、と床を蹴って、小刻みなクラブ・ステップを繰り返す。それは彼女にとって得意ではないはずの足さばきだった。徐々に上半身の動きを足して、ひとつの振り付けが完成していく。

「……休憩の切り上げにはまだ早いぞ?」

「うん。わかってるんだけど、ね」

 言葉は濁された。彼女らに、具体的な社内の状況は伝えていない。伝えられていない。しかし彼女らは馬鹿ではない。察して、調べて、ある程度は把握されているのだろう。
115 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:57:17.31 ID:U5rAS9nW0

「……私は、まだ子どもだからさ」キリ良いところでダンスを止めて、彼女は言った。「今がちょっとマズいっていうこと、わかってても、どうしたらいいかはわかんないよ」

 彼女はこちらに背を向けていた。声は笑っていた。

「難しいことは知らない! ……だから、私でも知ってる確かなことをやろうと思ったの。悩む暇があるなら、いっそ動いてみせなくちゃ! ってね。
 今までどおりに笑顔で、今まで以上に、お仕事を頑張ること。これはきっと、どれだけのものが変わったって、いつまでも大切なまま、揺るがないと思ったから」

 かかとを軸に、回れ右。「だから私、頑張るよ!」***は私に笑いかけた。その裏側にある想いを知る。────重い。詰まりそうになる胸をひと撫でして、私も笑おうと努めた。

 素敵なアイドルになった。本当に。「大げさだよっ」と***は照れたように言うが、それは私の本心だった。

 ***の気持ちとその意欲に圧されて休憩を少し早めに切り上げそうになった。すると不意に、出入り口の扉、その下部が荒っぽい音を二度鳴らした。

「よっ……と。お邪魔しますよー」

「あれっ、事務員さん?」と***が言った。

 彼女は重いスチールドアを肩で押し開けて入ってくる。両手には段ボール箱を抱えていた。どうやらノックは足でやったらしい。
116 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:57:52.37 ID:U5rAS9nW0

「どうも、お疲れ様です」手の中の荷を床に下ろし、彼女は手をぷらぷらと回した。「お届けものですよ。プロデューサーさん宛て。急ぐ必要もないかと思ったんですけど、まあ***ちゃん来てるわけだし、ちょうどいいかと」

 貼り付けられた伝票を確認して、「もう来たんですか」と少し驚いた。

「プロデューサー? ……なにそれ?」

「ちょっと待ってな」

 ジャケットの胸ポケットからボールペンを抜いて、フタを閉じるガムテープに切れ込みを入れた。真ん中から裂き、ビニルで個別に包装された中身を取り出す。

 届けられたそれは、海兵モチーフのアイドル衣装だ。ベースとなる白色が映えるよう、ジャケットの下襟や裏地はチェリーピンク、アクセントとして黄色の装飾を要所に施してある。割り振られた予算に自力で色を付け、どうにかフルオーダーで注文した。女性にしては軒並み高身長な彼女らには、レディ・メイドでは合うものがなかった。

 サイズ表記を確認して、***に差し出す。生地も、縫製も、廉価なりだ。それでも。「着てみてくれるか。……お前たちだけの衣装だ」

 ***はこれ以上ないくらいにきらきらした目で受け取って、更衣室へ駆け込んで行った。
117 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:58:24.37 ID:U5rAS9nW0

「喜んでもらえて、よかったですね」

 扉の向こう側へ消えた***を見送ってから、事務員さんが言った。

「……本当に。業界としてのトレンドなら調べればわかりますが、女の子の個人的好みまではわかりませんから」

「だーからってあたしに聞きますかあ? あたしだって若い子のスキキライなんてわかんないですよ」

「わかってたじゃないですか」

「結果論でしょうが」

 呆れ混じりの視線から目を外すと、あからさまなため息を吐かれた。「……ま、彼女らのモチベが今一番大事ですしね。その糧となれたなら本望ってとこですか?」

 仰々しい言い方だが、その内容に誇張はない。私は黙って頷きだけを返した。

「さて、用事も済んだし。じゃ、あたしは上に戻りますね」言い残して、彼女もレッスンルームから出て行った。

 入れ違いで戻ってきた***は、グローブからダンスヒールに至るまで全てを装備していた。

「ピッタリです、プロデューサー!」ひたいの上でピースサインを作って、***はウインクした。「どおどお? 似合う?」

「ああ。似合ってるよ」

 虚飾なく言える。カタログを見ながら、事務員さんと話しながら、縫製店の人と電話をしながら、頭をひねり倒した甲斐があった。
118 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:59:00.74 ID:U5rAS9nW0

 これでレッスンしたい! と言い出した***を嬉しく思いつつもなだめて、軽く動きに問題がないかどうかだけを確かめた。

「■■姉と○○○○と、早く並んでみたいなぁ」

 ***の呟きにスケジュールを開いた。次に三人のレッスンが重なるのは、「……三日後だな。すぐだ」

「ほんと? ……って、うわあ」覗き込んできた***が妙な声を出す。「プロデューサー、手帳ぼろぼろだね?」

「ん……まあ、いろいろ書き直したりとか書き足したりとか、あったからな」

 ここまで古びたようになったのは、初めてかもしれない。しかし、今年度もずいぶん過ぎた。買い直すには惜しいし、べつに使ってやれないわけでもない。

「頑張ってくれてる証拠だね」

 面映くなって、私は頬を掻いた。「……まあ、そうなのかもな」
119 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 16:59:47.56 ID:U5rAS9nW0



 この事務所の命運は、彼女ら三人の肩にかかっている。

 そこまで言い切ってしまうことはできないにせよ、それに近しい状況にはあった。経営は、再び大きく傾きつつある。きっかけは、先日のひと騒動だった。

 後輩の彼が辞めてしまったこと、それ自体にはそう大きな影響はなかった。しかし、彼の行動が強い意味をまき散らした。

 本音の怒声は、小さからぬ衝撃を同僚たちの胸中に残していった。空いたデスクの数は、もはやひとつやふたつでは済まなくなっている。

 減った人員の数が、そのまま予想業績にも反映される。そのぶん人件費が小さくなるから拮抗すると、そんな単純なことにはなってくれない。

 それぞれの背負うものが大きくなった。しかしそれはみな等しくではなく、受ける期待に比例して質量が増す。曲がりなりにも事務所内で有望株と見られていた私の担当アイドルたちは、言うに及ばない。

 伝えるつもりはなかった。彼女らのことはよくわかっているつもりだ。その事実を知ってしまえば、彼女らはきっと重たい責任を意識する。そんなことには、なってほしくなかった。

 夜眠ろうとするたび、朝目覚めるたびに恐怖に押しつぶされそうになって吐く。それは私が弱いからだとしても、こんな思いを背負う必要は、彼女らには微塵もない。
120 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:00:25.55 ID:U5rAS9nW0

 日々は過ぎゆく。私は噛みしめるようにその時間を過ごしていた。それは権利であって、しかし義務のようでもあった。

「……じき、ライブか」打ち合わせのさなか、社長がぽつりと言った。窓の外は夜の垂れ絹がすっかり街を覆っている。ここのところの退勤は、夕飯時よりもなお遅い。

「そうですね。……もう、来週ですから」

「早いものだねえ」

 もう、月をまたげば新年だった。一年の尺はいつだって変わらないはずだが、今年は、とんでもなく短かった気がする。

 その日の訪れは、小さな待ち遠しさの反面に大きな憂いをぶら下げていた。

「……怖い、ですね」言ってからはっとした。なにも考えず、喉から滑り落ちるように出てきたそれは、つまり私の飾り気ない本音なのだろう。

 社長は困ったように笑って、「……夕食でも食べに行こうか」と言った。

 男ふたり、なにを遠慮することもない。入った牛丼屋はがらんとしていて、電源の入ったテレビだけが眩しいようだった。

「怖いよなあ、本当」

 注がれたお冷で唇を潤しつつ、社長は言った。内容に反して、あくまで彼は頬をゆるめていた。

「ライブの日に楽しみ以外の感情を抱くのは、長い人生初めてかもしれん」

「……私もです」

 上昇の軌道に乗れなければ────それはもう、おそらく取り返しのつかないことになる。

 そして、軌道に乗せるならばこのライブが最大のチャンスであることは、もう間違いないのだ。
121 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:01:13.27 ID:U5rAS9nW0

 社長は笑っている。そのことに対してあの時は激昂した。しかし今となっては、笑っていられる彼がどれだけ強いのかがよく理解できる。私よりも、よほど怖いはずだろうに。

「まったく、まだウルトラオレンジも買えていないよ。キミ、用意はしたかね」

「当然です。ピンクもブルーも買いましたよ」

「おお。分けてくれ」

「いや、自分で用意してください」

 軽口に応えた。私もそうありたいと思ったのだ。

 注文した京風うどんが来たので割り箸に手を伸ばすと、「……5二竜で決まりかな」と社長がぼそり言った。

「は?」

「いや、ほら。あそこのテレビ」

「……ああ」

 割り箸で指された先を見て得心がいった。液晶画面の中では、将棋の対局が行われていた。昨今話題の中学生棋士とベテラン名人が向かい合っている。こんな時間に放送されているあたり、生放送ではなく収録なのだろう。

「ん……いや、まだ、じゃないですか。4二に香車を打てば」

「2五に桂馬を打てばいい。詰みだよ」

 言われて気づく。少しの間考え込んだが、王の逃げ場は、もうすでになかった。「……そうですね。詰んでましたか」

「今ならキミにも勝てそうかな?」社長が陽気に笑った。

 少し悔しく思いつつも、否定はせずにどんぶりをつつく。誰が食べても七十五点程度の味。それはチープではあったけれど、確かに美味しかった。

 どうか逆流しないようにと、そう願う。
122 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:01:53.43 ID:U5rAS9nW0

九.

 それは奇跡のようだった。


 ライブの日程は、ミシロを含む大手のイベントが重なる年末年始とクリスマスを避けていた。機会のあるたび、仕事のたびに、しきりに宣伝してきた。SNSも現実の掲示板も、考えうるすべてを使って、その日に備えてきた。

 会場のキャパシティは、私たちの事務所にとっては分不相応なのではないかとネット上で揶揄されもした。

 それでも事前販売のチケットはあらかた捌け、当日券の販売所にも列があった。会場の前には大きな人だかりもできた。立ち見、機材席を全開放した状態を最大限と考えれば十全ではなかったとはいえ、九割近い席が埋まった。

 関係者席は観客に紛れて、社長たちの姿も確認しづらい。
123 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:02:22.87 ID:U5rAS9nW0

「うああ緊張してきたぁ……」

 舞台裏、ステージと客席はカメラを通してモニタに映し出される。

 ***の声は震えていた。なにか言ったほうが、と思ったが、すぐにそんなものは不要であるとわかる。■■と○○○○が、彼女の肩に手を添えた。

「***、もしかしてぇ、ビビってるの?」

「しっかりやってきたでしょ。きっと、大丈夫」

「……ふたりとも……」

 ***は目を強くつむって、ぱちんと自分の両頬を叩いた。開いたまぶたの奥、瞳は琥珀のような輝きを持つ。

「ふん! ビビってないし! 武者震いだし! 大丈夫、そうだよね、○○○○!」

 ***は、そうでなくちゃ。はつらつとした声を張り上げる***を見て、■■と○○○○は優しく笑った。

 開演のときは刻一刻と近づく。各々衣装に着替えて、それぞれのやり方でそのときを待っていた。ある人はダンスの振り付けを確認して、あるいは声の出を試して、イヤフォンを耳に挿して集中を高めている子もいた。

 彼女らは、三人手を繋いで輪っかになって、談笑していた。

 アイドルの衣装は、その担当するプロデューサーによって見事にバラバラだ。ドレス風、制服風、パンク風、海兵風。それでも心はひとつ、このライブの成功を目指している。
124 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:03:52.16 ID:U5rAS9nW0

 どうか────。祈るように拳を握った。

 場内の照明が一段階落ち、アナウンスが響く。始まる────もしかしたら、終わりの始まりになるのだろうか。こんなことは思ってはいけない。頭で理性がそう言っても、胸の奥底は不安でならなかった。

 終わってほしくない、始まってほしくない。幼子のような傲慢が私を苛む。

 目を晴らしてくれたのは、底抜けに愛しい私を呼ぶ声だった。

「……プロデューサー!」

 送り出してと、その声は催促するように聞こえた。歯を食いしばった。

 彼女らの晴れの舞台だ。私の感傷など、取るに足らない。送り出せ。なによりも大切にしてきた子たちを!

 情けない顔なんて、見せてたまるか!

 ほとんど意地だけで笑顔を作った。

「行ってこい! 楽しんでこい! 観客に、私に、最高の時間をくれ! きっとできる!」

「────うん! 行ってきます!」

 三つ重なった影が、ステージへと駆け出した。
125 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:05:39.45 ID:U5rAS9nW0

 それは夢のようだった。


 舞台袖、自前で用意したサイリウムを両手に持ちながら、振るうことさえ忘れて、私はその光景を眺めた。

 スポットライトに照らされ、サイリウムの色に包まれ、歓声を受けて、愛する彼女たちが、舞台の上で歌って、踊っている。数えきれない観客が沸いている。これだけの人たちが、今は彼女たちを応援している。

 確かな足跡で、彼女たちの存在の証明だった。

 自分の魅せ方を知る■■の、カメラに向けた投げキッスに観客は老若男女を問わず湧いた。

 ○○○○が楽しそうに送ったコールに、莫大なレスポンスが返ってくる。

 ***は苦手なステップを平気で越えて、見る人を惹きつけて止まないとびきりの笑顔を見せつけた。
126 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:06:22.68 ID:U5rAS9nW0

 時間は決して待ってくれない。終わりへ近づく。

『ここから最終ブロックだよー!』

 ***の高らかな声に、好意的なブーイングが寄せる。そんなこともやみくもに嬉しい。

『はあ……』吐息がマイクに乗って会場中を渡る。***が俯いた────なにか異常か、と慌てそうになったが、顔を上げた***の表情は、あの日私が見惚れたものに違いなかった。

『……やっぱり。楽しいなあ……アイドルっ!』

 不意に目が熱を持って、次の瞬間には決壊した。防波堤が壊れてしまったかのように、まぶたの裏側からせり上がる涙がとめどなくあふれる。

 いつか○○○○に慰められたときと、同じ感覚だった。しかしあのときよりもいくぶん勢いが強い。視界が歪む。ステージライトが滴を鏡面に乱反射して、目の前が真っ白になった。

 またか。なんなんだ、これは。手の腹で目元を拭った。拭ったそばから次の波が来る。すぐにサイリウムを持つのは諦めて、視界の確保に努めた。このステージは、一分一秒たりとも、見逃すわけにはいかない。

 ラストへと繋がるポップなイントロが、スピーカーから響き始めた。
127 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:06:57.19 ID:U5rAS9nW0



 最高のひとときだった。疲労の色をにじませて舞台裏に帰ってきた彼女らに、なんのためらいもなしに、私はそう断言した。

 ***はむき出しの感情そのままに私の方へ飛び込んできた。○○○○には珍しくハイタッチを求められ、喜んで応じた。■■には赤くなった目元をからかわれたが、彼女のまなじりにも滴は浮いていて、痛み分けとなった。

 成功だった。盛況だった。

 それなのに、────どうして。
128 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:07:40.86 ID:U5rAS9nW0

十.

 燃え上がりそうになった火種は、急速にしぼんだ。

 奇跡は終わる。夢は覚めた。

 ライブ以降も、オファーは増えない。営業も振るわない。当然に業績も上がらない。ないない尽くし。

 社長の用意してくれた仕事は順調にほとんど消化しきって、しかしそれでおしまいだった。次回へと繋がるものが残らない。社長にだって限界がある。徐々に手帳のマスに空きが増えていく。

 うちの事務所の決算は三月末。年末も年始もなく、ひたすらに駆けずり回った。近づくそのときから目をそらすように。迫り来る無慈悲な事実から逃げるように。

 しかし、どれだけ見ないようにしたとして、どれだけ逃げようと必死になったとして、そんなものは無駄だった。

 世界はいつでも、私という一個人の望みとは無関係に回っていく。
129 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:08:25.47 ID:U5rAS9nW0

 芸能誌をゴミ箱に叩き込んだ。

 ────プロジェクト・クローネ。
 ────シンデレラ・プロジェクト。
 ────ミシロ・プロダクションが巻き起こしたアイドル旋風。

 大きな記事、話題になっているのはミシロのことばかりで、私たちの事務所のことなどほんの片隅にしか報じてくれていない。

 マズい状態だったんじゃなかったのか? ……いや、そこから回帰したからこそのこの扱いなのか。

 私たちは、あのライブですら、まだ不十分だったというのか。

 端的に表せば、潰されたのだ。日程は調整して食われないようにしていたはずだった。けれど、向こうの極大なイベントがそんな小細工を木っ端のように吹き飛ばす。

 どうすればいい? これ以上、なにをすれば……私は、あの子たちのためになれる?

 急激な胸のムカつきに、手洗いに駆け込んだ。最近は食欲も失せてしまった。何も入っていないはずの胃から、ただイヤに黄色い液体だけが逆流した。

 鏡に映る私は、さながら幽鬼のようだった。いっそ、本当にそうなってしまえたなら。込み上げたものを、もう一度呻きながら吐き出した。
130 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:09:05.82 ID:U5rAS9nW0

 デスクに戻ると、***たちが来ていた。表情を取り繕う。本当に取り繕えているか否かは、定かではない。

「プロデューサー、おはよ! これ差し入れ!」***に、シンプルなラッピングをされた小包を手渡される。

「中身、クッキーだから! ちょっとお腹すいたなーってときに食べてね」

「焦げてるのは***が作ったやつね。私のはハート型だからね、プロデューサーさん♪」

「■■姉はなんでそういうこと言っちゃうかなあ!」

「ハート型じゃなくて、焦げてもないのが私のよ。味は……大丈夫だと思う。味見もしたから、安心して」

 彼女らは、変わらない。きっと、変わらないように振舞ってくれている。

「……ありがとう。あとで、もらうよ」

 三人は連れ立ってオフィススペースから出て行った。見送ってから、包みを開けた。途端に香ばしい匂いが広がる。動物型、星型、丸型、ハート型。ハート型のものと、その他の焦げつきがあるものと、そのどちらにも当てはまらないもの。綺麗に三等分できそうな分量で入っていた。

 ハート型のものを、つまんで口に入れた。次に丸型のちょっと端っこが黒くなったものを、続いて犬型の綺麗に焼き色のついたものを。

 どれも酸っぱい味がした。それでも飲み込んだ。
131 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:10:46.85 ID:U5rAS9nW0

「おいしそうな匂いさせちゃってまあ」と、ふらり寄ってきた事務員さんが言う。

「……すみません」

「……ま、ちょっとおすそ分けしてくれたら許しましょ。いいですか?」

 どうぞ、と頷いた。彼女はポケットティッシュを二枚抜いて、包みからがばっと掴んで取り出したクッキーをそこに受けた。

「じゃ、遠慮なくいただきます」適当につまみ上げた星型を、彼女は口へ放り込んだ。「……あ、おいしいなにコレ。女子力だなあ……」

 うまいうまいと口を動かしながら、彼女は自身のデスクに戻った。ずいぶんたくさん持って行ってくれた。包みをのぞくと、中には焦げ付いた象型、綺麗な丸型、ハート型のクッキーがそれぞれひとつ、計三つ残っていた。

 少しだけ、笑った。それきりだった。

 ひとつずつ、ゆっくりと食べる。

 ほろ苦くもあり、甘くもあり、酸っぱくもあって、────そして、しょっぱかった。
132 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:11:15.15 ID:U5rAS9nW0



 寒い冬だった。その上にやたらと長く、暦上の春を通り過ぎても、凍てつきの風が空に巻いた。

 桜の開花は例年よりも遅いらしい。街路樹は、いまだ枯れ木のような風体で立ち並んでいる。はなむけすらも、いただけないそうだ。

 幾重に連なる雲のたなびきは、ひどく不均衡だった。また、冷たい雨が降るのだろうか。
133 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:12:05.06 ID:U5rAS9nW0



『……もしもし?』

「……お疲れ様です。私です」

『ああ……なにか用か? って、まあ……用件は、正直わかってるけどよ』

「…………」

『無理だぞ。受け入れられない』

「どうしてです……? 余裕は、もうあるはずでしょう」

『ないんだって。春からは新規プロジェクトの始動も決まってる。新しいアイドルを採れるほどの余裕は、本当にない』

「……そこを、なんとか」

『できない。悪いけどな。……結構前に提携も切れちまった以上、そんな優遇もおかしいだろ。上に目ぇ付けられたらたまらない。恨まないでくれ。俺は俺のアイドルたちが大切なんだ』
134 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:13:01.71 ID:U5rAS9nW0



「……よっ、と。これで持ち込んだ私物は全部かな? ……寝袋すごい邪魔だな……」

「……今日で、最後でしたか」

「ん? ……ああ、プロデューサーさん。まあ、そうなんですよ。あとの事務は自分がやるから早く転職活動に移ってくれ、って。社長がね。言うもんですから」

「……今まで、本当にお世話になりました」

「あはは、こちらこそ、ですよ。……まあ、なんですね。お互いぼちぼち生きて、またどっかで会いましょうよ。そんときゃ安ーい酒でもおごりますから」

「ありがとう、ございます。お疲れ様でした」

「……はい、お疲れ様です。さよなら、プロデューサーさん」
135 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:13:35.40 ID:U5rAS9nW0



「……そっか。ダメ、だったかぁ……」

「……本当に、申し訳ない。あんな、約束……しといて」

「謝らないでよ。プロデューサーさんは、ちゃんと約束守ってくれたよ。頑張ってくれたじゃない。どこに謝る必要があるの?」

「……ごめん」

「謝らないでってば。……あ、そうだ!」

「……?」

「これ、今まで撮った写真! いっぱいあるんだけど、プロデューサーさんに送ってもいい?」

「それは、もちろん……」

「通信容量、気をつけてよね。……あぁ。いろいろあったなぁ。こうやって、あらためて見るとさ」

「……そう、だな」

「……もっと、続けてたかったなぁ……なんて。……ゴメンね、プロデューサーさん」
136 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:14:37.72 ID:U5rAS9nW0



「……そう。わかった」

「……申し訳ない」

「べつに、謝らなくていい……あ、ううん。そうね。『無理しないで』っていう約束、あれを破ったことへの謝罪として、受け取るわ」

「……守れなかったな」

「まあ、私も守れていたかは怪しいから。許すよ。……でも、プロデューサー。これだけ言っておきたいんだけど、私は、無理をしてるとは思ってなかったわ」

「……?」

「……楽しかったから、なんだと思う。レッスンも、自主練も、仕事も。体力的に苦しくても、無理をしてるなんて、一度も思わなかった。自分で決めたこと、だったから……楽しくて」

「……そうか」

「うん。……ゴメン、プロデューサー。ちょっとだけ、胸……借りていい?」
137 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:15:11.37 ID:U5rAS9nW0



「……そうなんだ」

「……ごめん。謝るしか、できない」

「ううん。……こっちこそ、ゴメンね、かも。笑顔で、お仕事、頑張って。それだけじゃダメだったんだね、きっとさ」

「そんなことは……」

「ううん、そうなんだって! ……だって、そうじゃなかったら……あのふたりと、プロデューサーと、一緒でさ。ダメになるわけ、ないじゃん」

「……私が悪い。私が至らなかったんだ」

「そんなこと、ないよ。私がもっと、頑張ってたら……」

「…………」

「……あのとき。スカウトしてもらったとき、これだ! って、思ったんだけどなぁ……」

「……っ」

「ゴメンね、プロデューサー。アイドル、……すっごい、楽しかった。なのに……っ、ゴメンね……?」
138 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:15:48.56 ID:U5rAS9nW0



「投了、だなあ。詰みだ」

「……本当に、どうしようもないんですか」

「ああ……八方、手は尽くしたんだけどね。これはもう、ちょっとどうにもならない」

「…………」

「銀行の融資も、断られてしまったしね。残念だが」

「……そう、ですか」

「うん。……思えば、キミには迷惑をかけたね。本当に、よくやってくれた。なんにもしてやれないけれど、お疲れ様、と言わせてくれ」

「……いえ」

「……今まで、いい夢を見れた。それは間違いないが……もう少しだけ、長く見ていたかったね。いやはや、なんとも強欲でいけないな。
 ……当事務所は、今月末をもって倒産とする。最後に、この書類だけ処分しておいてくれるかな」
139 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:16:40.26 ID:U5rAS9nW0



 すべてが、終わった。

 抜け殻のようになった私は、気づけば自身のデスクで呆けていた。薄暗く、がらんどうのオフィスフロア。並ぶデスクも、そのほとんどが人の体温を忘れてすっかり冷たい。

 最後の仕事を、しなければ。受け取ったクリアファイルから、三組の書類を抜いた。それは、彼女らの雇用契約書と履歴書だった。

 彼女らの仔細な個人情報と、ここでアイドルになるという契約の証。足元のシュレッダーの電源を入れて、しかし一旦切った。

 これを処理してしまえば、本当に、紛れもなく終わりを迎える。そう思うと自然に手が止めていた。
140 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:18:31.30 ID:U5rAS9nW0

 ……寒い。凍えそうだ。指の隙間から、すべてが落ちた。デスクに広がった履歴書の、そこに貼られた彼女らの顔写真が、私を見つめている。

 目をそらした。そらした先に、一枚の写真があった。いつか、楽しかった日を切り取ったワンシーンは、■■のカメラフォルダから現像してもらったもの。

 想いが、あふれた。

 ■■。────リュ・ヘナ。意地悪なようで、本当に優しかったキミ。走りがちなふたりにため息を吐きながらも、決して見放すようなことはしなかった。自分に自信があって、だけどちゃんと現実的で、セルフィが得意だった。キミからもらった思い出の写し、四人並んで笑う姿が、私の透明なデスクマットの下からずっと励ましてくれていた。

 ○○○○。────ジュニー。キミは恥ずかしがりなのに外面は冷然としていて、それはきっと強さの現れだった。そうあるためにどれだけの努力を重ねていたのか、私はよく知っている。キミがあんまり熱心に自主練習に励むものだから、レッスンルームの予備の鍵は私のデスクに置くことになった。付いているロゴ・ストラップは、キミが好きな海外ドラマのものだ。

 ***。────イム・ユジン。私が、初めてスカウトした。私の、はじめての担当アイドル。本当にアイドルの仕事が好きで、アイドルが好きで、キミのその姿は私のしるべのようだった。天真爛漫なその笑顔に、いったい何度救われたことだろう。無邪気に突っ走っているようで、その実よく周りを見ていた。デスクで仕事をする私を、何度となくいたわってくれた。あのひとときが、好きだった。
141 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:19:52.26 ID:U5rAS9nW0

 思い出が、この空間で、今までの時間に過ごしたすべてが、目に入るなにもかもから掘り起こされる。

 不揃いのマグが。マグネットの将棋セットが。スタンダードなトランプが。緑色のぬいぐるみが。仕事の資料ファイルが。パソコンに貼られた付せんが。ホワイトボードが。彼女らの衣装が。

 デスクの中には、少し前にもらったクッキーの包みまでが、後生大事に取ってある。

 どこに目をそらしても、なにかが私の心に深くまで爪を入れて乱して回る。この場所に記憶が染み付いていないところなんて、ない。

「……ん」

 なんだ……?

 確かめるように、開けた一番上の抽斗。そこにしまっていた薄桃色のシンプルな袋とリボンが、浮かんで見えた。
142 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:21:17.08 ID:U5rAS9nW0

 取り出してみると、その下にもうひとつの包みがあった。そちらは、白地にシオンの花柄の包装紙でラッピングされている。誰かへ宛てた贈り物。まったく覚えがなかった。

 付せんが貼られている。

『To Producer, From Your idols!』

 震える手で、掴み上げた。間違っても中身を傷つけないように、もどかしい手つきで解く。

「……これ……」
143 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:22:12.54 ID:U5rAS9nW0

 黒革のカバーがついた手帳が、そこにあった。私が使っていたものによく似た、しかしそれよりはちょっとだけ上質そうな、スケジュール手帳。表紙をめくると、新年度のものであることがわかった。

 進むはずだったまっさらな未来の予定をはらはらとめくる。そのうちに、裏表紙に挟まっていたらしいオレンジ色の小さな便箋が、デスクに落ちた。

 書かれた文字は大きく跳ねるように。
144 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:22:41.86 ID:U5rAS9nW0
『今年も、どうかよろしくね!』
145 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:24:01.59 ID:U5rAS9nW0

「────ッ」

 こらえるなんて、無理だった。痛いぐらいの感情が、巡る後悔と混じってせり上がった。なにがなんだかわからなくなりそうだった。袖口で目元をこする。止まらない。止まるはずがなかった。いつかのさめざめとした涙とはまるで違う、しゃくりあげて呼吸ができない。

 今年も、どうか、よろしく。

 そう書き贈ることを選んだ彼女たちが愛おしくて愛おしくて愛おしくて、自身の至らなさが苦しくて苦しくて苦しくてたまらなかった。
146 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:24:54.70 ID:U5rAS9nW0

 ────ヘナ、ユジン、ジュニー。

 なにより大切に、私が愛したひと。

 キミたちは最後の最後まで、

 私との未来を想ってくれていた。

 それなのに。

 ごめん。

 もう、届かないけれど。
147 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:25:45.07 ID:U5rAS9nW0
 Dedicated to the memories of Cinderellas in Korea.
148 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/12/31(日) 17:26:18.63 ID:U5rAS9nW0
 Please, please remember them.
149 : ◆77.oQo7m9oqt [sage saga]:2017/12/31(日) 17:29:06.74 ID:U5rAS9nW0
以上になります。
150 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/31(日) 18:35:38.09 ID:NezATU21o
グッバイチョンミオ
フォーエバーチョンミオ
151 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/01(月) 01:16:49.83 ID:Sl2vEHZTO
チョーンンンンンンンンwwwwwwwwww
152 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/01(月) 01:53:47.51 ID:swEBShjg0
つれえ
153 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/01/01(月) 04:10:45.14 ID:+d30NXJC0
彼女らとその元プロデューサに、幸あれ
心情描写が丁寧でわかりやすくて、展開が起伏に富んでて、で、引き込まれるし、彼女たちのことをもっと知りたいと思った
心からの乙そして乙そしてありがとう
すごくいいもの読ませていただきました
154 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/01(月) 07:59:20.74 ID:HYjZao9go
すまん、英語の部分どういう意味なんや?
155 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/01(月) 08:09:25.33 ID:p8+eBLT2o
なんだかんだでビターENDくらいには着地すると思ってたら想像以上に重い話だったな・・・

って韓国版モバマス終わってたって知らんかったわ
156 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/01(月) 08:18:04.68 ID:Ta+jS09D0
韓国からモバゲー自体が撤退したからそのまま終了だったかな、しかも向こうのPの殆どは日本版をやってたから韓国Pでもやったことがない人もいたとかなんとか
157 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/01(月) 09:30:02.02 ID:ANbiPR6o0
韓国のシンデレラたちの思い出にささげる
どうか、どうか彼女らを覚えていて
158 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/01(月) 11:35:56.65 ID:psnglJzho
見た目は可愛かったような気がする
海外出身のアイドルもおるんやし仲間入れてやればよかったのになあ、可哀想に
159 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/01/01(月) 20:58:15.66 ID:9vwzRvDRo
これは多くの人に読んでほしい
160 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/04(木) 15:24:50.65 ID:/6nFqd0Vo
車にはねられて事故で記憶喪失になったのかな?
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