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337 :
◆Xz5sQ/W/66
[sage]:2019/02/08(金) 23:42:11.13 ID:3Bz7WrAj0
そこに、紗代子は入店した。
長年変わらぬ音色を奏で続ける自動ドアはスムースに横へ身を避けると、
この制服姿の女学生を恭しく中に迎え入れた。
外界との温度差に彼女のかけた眼鏡が曇る。
石油ストーブの燃える匂い、スポンジで磨いてもこそぎ落とせず、
消臭剤を振りまいても誤魔化し切れない料理屋特有の油の匂い。
カウンターとして使われている面の日焼けした長テーブル、
並べられた色味のくすんだ丸椅子にもそれはこってり浸み染みついていた。
奥には小さな座敷もある。鉄板の乗った机がある。
いずれ来たるべき時が訪れれば、
ジュウジュウと熱せられた生地の上で鰹節らが乱痴気騒ぎを起こすだろう。
338 :
◆Xz5sQ/W/66
[sage]:2019/02/08(金) 23:43:10.75 ID:3Bz7WrAj0
しかしながら、紗代子が求めるのはソースと青海苔で彩られた熱々の焼き円盤ではない。
和食の王道鯖定食、男子に人気のカツカレー、パラッと炒られた炒飯でも、大盛りボリュームな丼物でも当然無い。
彼女の視線は壁に貼られたそれらのメニューを通り過ぎ、
色紙に書かれた野太い文字、黒マジックの描く荒々しい筆跡の上にて停止した。
「すみません、たい焼き一つ貰えますか?」
凜とよく通る声は紗代子の自慢の一つである。
人差し指を一の形にちょんと伸ばし、彼女はカウンターに立つ顔見知りの女店員に自身の要求を願いあげた。
すると老婆と呼ぶには絶妙に歳足らずな店員は愛想の良い笑顔を浮かべ。
「ちょうど今、焼き上がったの」
おばちゃんの言葉にしめしめしめ、紗代子は内心ほくそ笑んだ。
339 :
◆Xz5sQ/W/66
[sage]:2019/02/08(金) 23:44:06.57 ID:3Bz7WrAj0
なぜならば、だ。
彼女はこの時間に店を訪れれば、出来立てのたい焼きにありつけることを知っていた。
昼食時のピークを過ぎて、作り置かれたホットスナックがあらかた捌けたこの時間に、
店側が新たな商品を用意することを度重なるリサーチで分かっていた。
そうして一度に作られるたい焼きの数は決まって五匹。
カウンター横の陳列ケースに並べられるこのたい焼き焼き置き連隊は、
来たるべき三時のおやつ会戦を見越して送られる期待の補充部隊である。
その、着任ほやほやの顔ぶれを見回すと紗代子は二本目の指を立てた。
340 :
◆Xz5sQ/W/66
[sage]:2019/02/08(金) 23:45:03.09 ID:3Bz7WrAj0
「ああ、やっぱりもう一つ。たい焼き二つお願いします」
この言葉に今度は店員がしめしめしめ――なぜか?
答えは明快、このたい焼き好きな少女が部隊に古兵を見つけたからだ。
二段に分けられた陳列ケースの上段右、
たこ焼きパックの隣に場所をとるたい焼き置き場には六匹の鯛が並んでいた。
もうお分かりのことであろう、そのうちの一匹は以前からの売れ残りである。
そうして「はぁ、今日はついてないな」……と小さく溜息をついた紗代子。
鯛一匹分余計な出費を出さねばならない小遣い事情を憂いたか?
否! 彼女の本音はこうであった。
「どうせならもう二、三匹余ってても良かったのに」
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